crystalrose 第三話

第三話

 郊外にある十階建てのマンション。
 その八階にかつて君嶋麻里子と名乗っていた女が住む部屋がある。
 今、私はその部屋に久し振りに入っていた。
 小奇麗にまとめられた部屋。家具なども必要最小限しか置いていない。
 白を基調に配色された室内はかつてそこに住んでいた者の心の白さを現しているようだった。
「なんて趣味の悪い部屋・・・」
 私は思わずつぶやいてしまう。それほどこの部屋は私にとって居心地が悪かった。
「なんて無様・・・思い出したくも無いわ。かつて私が地上人だったなんて」
 そう・・・かつて私は地上人だった・・・
 それは思い出したくも無い過去のこと・・・
 皇帝陛下とゲドラー様の手によって私は生まれ変わることができたが、あのまま地上人であったらと思うとぞっとする。
「まずはこれからね・・・」
 私はテーブルに置いてあったパソコンに目を向ける。
 かつてクリスタルローズとしてクリスタルの聖女に利用されていたときに地底帝国のデータを集めるために使っていたものだ。
 たいしたデータは入ってはいない。当然だろう。私たちは敵にデータを与えてやるほど間抜けではないのだから。
「はっ!」
 私はぬめるように赤く輝く外骨格に覆われた右手を気合とともに振り下ろす。
 ぐしゃっと音がしてパソコンは砕け散る。
 勢いあまってテーブルにもひびを入れてしまったが、気にすることも無い。どうせここは仮の住まい。
 砕け散ったパソコンの破片をヒールで踏み潰し、白い絨毯も踏みにじる。
 どうしてこんなに白白白と白ばかりなのか・・・私にふさわしい黒や赤は無いのか!
 私は窓際へ行って白いカーテンを引きちぎる。ばらばらと音がしてカーテンレールからカーテンが外れ落ちた。
 外は夜。
 私にふさわしい闇の時。
 眼下に広がる明かりの洪水。邪魔なことこの上ない。
「いずれは全てを闇に・・・」
 私は決意を新たにベッドルームへ向かって歩き出した。

 下僕虫どもがいそいそと朝食を用意してくれる。
 今朝も美味しそうな土団子と地虫のソテー、それにワームの絞り汁というメニューだ。
 昨夜のうちに開けておいたベッドルームと地底とのゲートは問題なく機能している。これでいつでも下僕虫どもを呼び寄せることが可能になった。
 今までのゲートは地底側から開けていたために動作が不安定で、一定時間しか持たなかったが、地上側からも開けることで長時間開いていることが可能になったのだ。
 私は朝食を平らげると下僕虫どもに後片付けを命じ、学校へ行くために準備をする。
 私は立ち上がると魔力を放出し自分の躰にまとわりつかせ、躰の外側を変化させていく。
 私の躰を覆っていた外骨格が失われ、白くやわらかく無防備な気色悪い躰に変化していくのだ。私は吐き気を覚えながらも我慢して人間の躰に変身し、ブルーのタイトスーツをまとわりつかせ衣装を調えていく。
 全てが終わったあとでベッドルームの姿見を見ると、そこにはかつての君嶋麻里子が立っていた。
「私は君嶋麻里子・・・か・・・冗談じゃないわね」
 そう、私は栄光ある地底帝国の女戦士ブラックローズ。それ以外の何者でもありはしない。
「これもクリスタルレディどもを倒すまで・・・我慢するしかないか」
 私はバッグを手にすると玄関から外へ出た。

 地上人どもに周りを囲まれながら電車に揺られるなどということは苦痛以外の何物でもない。
 どうして地上はこんなにも人であふれているのか。
 いずれは必要最小限を残して整理しなくてはならない。それも皇帝陛下に許されたごく少数をだ。
「君嶋先生だ。おはようございまーす」
「おはようございまーす」
 駅で降りると学園に向かう学生たちが挨拶をしてくる。下衆な地上人に声を掛けられるなど不愉快だが今は仕方が無い。我が帝国ではこちらから声を掛けない限り魔獣とて私に口をきくことはできないのに・・・
「おはよう」
 私は不愉快さに足を速めた。学生たちを引き離したかったが、学園に近付くにつれて学生の数が多くなることに気付きうんざりしてあきらめる。
 学園の近くで私は周囲を威嚇するように殺気を放っている女学生二人に気が付いた。
 その娘たちは校門のところで門柱に寄り掛かりながら校門をくぐっていく女学生たちをにらみつけていたのだ。
「あなたたち!」
 私はあきれて思わず声を荒くする。
「あ、おはようございます、ブラ・・・君嶋麻里子先生」
「おはようございます」
 そこにいたのは妖女虫クモーナとサソリナだった。もちろん今は西宮恵理と村中響子の姿をしている。
「いいから来なさい」
 私は二人を連れて学園内に入り、校舎裏の人影の無いところへ連れて行く。もちろん二人はおとなしく付いてきた。
「どういうつもり? あんなところで周りをにらんでいるなんて」
 私は二人を問い詰める。
「す、すみません。あまりに地上人どもが鬱陶しくて・・・」
「私もです。申し訳ありませんブラックローズ様」
 二人はシュンとなった。まあ、仕方が無いだろう。私も耐えがたい苦痛なのだから。
「我慢しなさい。それとその呼び方はやめなさい」
「あ・・・すみません」
 サソリナが頭を下げる。
「いいわ。それよりも始末はつけたのかしら?」
 彼女たちにはすでに指示を下してある。それを果たしたのか訊きたかった。
「はい、親どもはすでに始末いたしました」
「私の方は警察に捜索願が出されていましたので、それを取り消させたあとで皆殺しにいたしました」
 西宮恵理はおとなしい娘で数日家を開けるような娘ではないため捜索願が出されたのだろう。
「そう、死体の始末はちゃんとした?」
「もちろんです。溶解液でどろどろに溶かしましたから、見つかる心配はありません」
「私もです」
 二人とも上手くやったようだ、チューブワームの消化液は地上人などすぐに溶かす。
「そう・・・良くやったわ。家族という存在は厄介なもの。あなたたちが妖女虫に生まれ変わったことに気付いてしまいかねないわ。始末するに限るの」
「はい、あんな存在は我慢なりません。あんな連中から生まれただなんて・・・気色悪い」
「そうです。皆殺しにして当然です」
 響子も恵理の言葉にうなずいている。
「そうね。その通りだわ。二人とも楽しかった?」
「はい。親どもは私の本当の姿に驚き、私の毒針を差し込んで毒を注入すると、ぴくぴくと苦しんで斑点を浮かび上がらせて死にました」
「私もどこへ行ってたんだって言われたので、生まれ変わったのよって本当の姿を見せてやったら、ひいひい言いながら逃げるの。もちろん私の糸で絡め取って順番にくびり殺してやったわ。気持ちよかった・・・」
「クモーナはいいな・・・私は二人しか殺せなかった」
「殺すのは楽しいわよね。弟なんてさ、お姉ちゃん助けて・・・だって。助けるわけ無いじゃない」
 西宮恵理が邪悪な笑みを浮かべ、舌舐めづりをする。
「ブラックローズ様。もっと地上人を殺させてください」
 響子は不満そうに口を尖らせる。
「それはまだよ。クリスタルレディを始末するまではお預け」
「はい・・・」
 しぶしぶうなずく二人。今はまだこちらの動きを知られたくは無い。
「とにかく、ここでは地上人の振りをしなさい。不快な思いをしても我慢するのよ」
「わかりました」
「それと、あなたたちに命じます。できるだけひそかに奴隷人形を作りなさい。何かの役に立つかもしれないわ」
 奴隷人形とは、魔力で精神を支配した地上人たちである。これは皇帝陛下よりいただいた力の一つで、ゲドラー様以下限られた戦士しか使えない。
「地上人を支配するのですか? 面白そう」
「何かの役に立つかもしれないわ。手駒は多い方がいいでしょ?」
 恵理も響子もニヤリと笑みを浮かべた。
「それともう一つ。クモーナは澤崎律華を、サソリナは春川しのぶをマークすること。気付かれないように適度な距離を置くのよ」
「わかりました、ブラックローズ様」
「お任せ下さいませ」
 二人は方膝をついて一礼し、校舎へ向かって歩き始める。
 いつもと違う朝が始まったのだ。

 職員室に入ると私は自分の席にバッグを置き、教頭の所へ行って挨拶する。
「おはようございます、しばらく休みをいただいてすみませんでした」
「ああ、君嶋先生。困りますよ、定期テストの前だって言うのに、まあ、ご両親のことですから仕方ありませんが・・・そうそう、学園長がお呼びでしたよ」
 五十代後半の禿げ上がった頭をした教頭が苦い顔をしている。今すぐにでも殺してやりたいが、我慢するしかない。
「学園長がですか?」
 やはり一週間も休むと何か言われるとは思うが、学園長からとは・・・
「まあ、お小言でしょう。行ってきなさい」
「はい、わかりました」
 私はうなずいたが、皇帝陛下やゲドラー様以外から命令を受けるなど屈辱以外の何物でもない。
 私はむっとしながらも職員室を出て、学園長室の扉をノックした。
「どなたですか?」
 清楚な落ち着いた感じの女性の声がする。この白鳳学園の学園長、三崎聖夜の声である。
「君嶋です。学園長」
「お入りなさい」
 私はドアを開けて学園長室に入り、一礼する。
「おはようございます学園長。今までお休みさせていただいてすみませんでした」
「一週間ぶりですね、君嶋先生」
 学園長の三崎聖夜は重厚そうな机の向こうに座っていたが、私が部屋に入ると立ち上がり私の方へ歩いてくる。
「はい、どうもすみませんでした」
「謝ることはありません。母親が入院したのであれば仕方が無いでしょう」
 三崎聖夜は確かまだ三十代の若さ。父親から引き継いでこの学園を治めているはずである。清楚なスーツ姿はすらりとしたスタイルによく似合っていた。
「お母様の具合はもういいのですか?」
「はい、しばらくは入院が必要とのことですが、付き添う必要はありません」
 ふん、母親などチャンスがあり次第すぐに始末したいわ。地上人の家族など居て欲しくは無いもの。
「そう・・・」
 ?
 何だろう・・・
 学園長が私をじっと見ている。
 その目が何か私の奥底を探っているような気がする・・・
「君嶋先生」
「はい? 何でしょうか、学園長」
「何か・・・何かありましたか?」
 学園長の瓜実顔が私のそばまで近付いてくる。
「何かって? 何ですか?」
「わからないけど・・・何かが・・・変な気が・・・」
 この女は何かを感じているのか?
 私が生まれ変わったことに気が付いたのだろうか?
 危険かもしれない・・・この女。
「看病疲れで化粧ののりが悪いから・・・でしょうか?」
 私はごまかした。
「そうかもしれませんね。あら、もうすぐ授業が始まりますわ。君嶋先生、もう結構ですよ」
「わかりました、それでは失礼いたします」
 私は一礼して学園長室を出る。
 三崎聖夜・・・気をつける必要があるかもしれないわ。

 二年三組。
 栗原姫菜の居るクラスである。
 私は国語の授業をしながら、姫菜の様子を窺い見た。
 朝の一時間目ということもあって、やはり姫菜は眠そうにしている。
 クモーナに澤崎律華、サソリナに春川しのぶをマークさせた私は私自身で栗原姫菜をマークすることにしたのだった。
 元気いっぱいのこの少女はいつもクラスの人気者らしい。
 この少女を倒すにはどうしたらいいだろうか・・・
 クリスタルピーチとなった姫菜は俊敏な動きで相手を倒すのが得意だ。
 かつての私は基本的に前面に彼女を出して、魔獣にスピードで対抗させていた。
 ならば彼女は動きを阻害する必要がある。
 自由に動けなくさせる必要があるのだ。
 ではどうしたらいい?
 私は授業の合間にもそのことを考えていた。
「先生? 読み終わりましたけど」
 その声に私ははっとする。いけない、教科書を読ませていたんだっけ。
「はい、上出来です。今のところは・・・」
 私は黒板に板書をしながら、あくびをかみ殺している姫菜に目をやった。

 栗原姫菜。
 私立白鳳学園の二年生。
 両親は個人商店を経営している四十代の男女。
 弟が二人居て、市内の中学校に通っている。
 家の手伝いをしたり、弟の面倒を見たりと何かと忙しいらしい。
 そのせいか部活動はやっておらず、帰宅組みである。
 身長は158センチ。太ってもいないし、痩せ型でもない。
 私は姫菜のデータに目を通す。
 この娘を倒すのは決してたやすくは無いだろう。
 いくら動きを封じたとしても、プラム、チェリーがいればカバーしてしまう。
 三人をばらばらにして一人ずつ倒すことが必要だ。
 そのためには彼女を一人にしなくては・・・

 昼休み。
 私は姫菜の様子を探るために、二年三組へ向かっていた。
 廊下には女学生があふれ、購買へ行く者や、中庭や屋上に行く者などが移動を始めたところだった。
 やがて二年三組が近付いてきたとき、私は廊下にたたずむ一人の女学生に目を留めた。
 私立白鳳学園はセーラー服が制服であるが、タイの色が学年によって違っている。
 一年はエンジ、二年はグリーン、三年はブルーであり、今二年三組の前の廊下にいるのはエンジ色のタイの女学生だったのだ。
 あれは?
 私が立ち止まっていると、クラスの中から栗原姫菜が出てくる。彼女は廊下にたたずんでいた一年生に一言二言声を掛けると、一緒にこちらへ歩いてきた。
「あ、センセ、こんにちは。センセもご飯?」
 姫菜が小脇に抱えた紙袋を取り出す。どうやら食事が入っているらしい。
「君嶋先生、こんにちは」
 姫菜の隣の女生徒が挨拶してくる。小柄でおとなしそうな娘だ。名前は確か・・・片場聡美。
「こんにちは。片場さん・・・だったかしら?」
 私が挨拶を返すととても嬉しそうに笑顔を見せる。
「はい、片場聡美です。先生に覚えていてもらえて嬉しいです」
 こげ茶色の髪がさらさらとして可愛い感じだ。
「良かったね、聡美。聡美はセンセのこと好きなんだもんね」
 にへらっとして姫菜が言う。すぐに聡美はうろたえた。
「あ、やあっ、せ、先輩! な、何言うんですかっ!」
「ホントのことじゃん。センセ、この娘ったらセンセにあこがれているんですよ」
 いたずらっぽくウインクをする姫菜。聡美はますます真っ赤になってうろたえた。
「だ、だめです! そ、そんなこと・・・せ、先生が迷惑します」
「あら、私は迷惑なんかじゃないわよ。あこがれてもらえるなんて嬉しいわ」
 私は心にも無いことを言っている。私にあこがれているですって? 地上人の小娘が?
「センセ、立ち話もなんだから、屋上に行きましょう。一緒にご飯食べましょう」
「せ、先輩! 悪いですよ、お忙しいのに」
「そうね、それじゃお邪魔しましょうか。先に行っていてくれる? 私も食事を持っていくから」
「はあい」
 姫菜は喜んでまだうろたえている聡美を引っ張り階段へ向かう。私は思わぬ情報収集のチャンスに喜んで参加することにした。

 白鳳学園の屋上にはところどころにベンチとテーブル、そしてそれを覆う屋根が設えられており、学生たちの格好の昼食場所となっている。
 姫菜と聡美は早速そこの一画に陣取って場所を確保していた。
 夏の日差しがさえぎられ、適度な風がさわやかさを運んでくる。
 私は購買で手に入れたパンを少しだけ食べ、もっぱら彼女たちの話を聞いていた。
「聡美とはホントとんでもない出会いをしたんですよ」
 紙袋から取り出した購買のパンを美味しそうに食べながら、姫菜は聡美とのことを話し始める。
「せ、先輩・・・恥ずかしいですよ」
「ん、どして? どっちかって言ったら私の方が恥ずかしいかな」
 私は話を聞きながら周囲に気を配る。どうやら近くにはサソリナが居るらしい。きっと春川しのぶをマークしているのだろう。
「恥ずかしいってどういうことなの?」
「それがですねぇ、私朝が弱くって、遅刻しそうになって走っていたら聡美とぶつかってしまったんですよ。それで聡美のお弁当をつぶしちゃってしまって、気が付いたらこの娘に奢ってやるはめに・・・」
「ひどいですよ先輩。あの時わたわたしながら、ごめんね、この埋め合わせはするからお昼に教室に来てって言ったの先輩じゃないですか」
「そうだっけ・・・」
 二人は笑っている。くだらない。下衆どものやりそうなことだ。
「でね、それからちょくちょくお昼を一緒にしているうちに何となく仲良くなったっていうか・・・」
「そうですね、先輩が私にお昼をねだるようになったっていうか・・・」
「だって・・・聡美のお弁当・・・美味しいんだもん」
「はい、ですからちょくちょく作ってあげてるじゃないですか」
 二人の会話が無限に続きそうだったので、私は話題を変えてみた。
「さっきの話だけど、私にあこがれているってどういうことかしら?」
「あ、この娘ね、将来先生になりたいんだって。それで教え方が上手で素敵なセンセにあこがれているんですよ」
「せ、先輩!」
「いいじゃん、ホントのことなんだし」
 パンをぱくつきながら聡美の抗議を姫菜は受け流す。
「センセみたいないい女だったら私もなりたいもん」
「あ・・・はい、君嶋先生はとても素敵だと思います」
 少し赤くなって聡美が言う。
 なるほど、春菜はこの娘に心を許しているらしい。それならば利用価値があるかも。
「私はいい女っていうよりも、ええっ! 女? って感じだから」
「そんなこと無いですよ。先輩だっていい女です」
「アリガト、私はついでね?」
 二人が笑う。
 私はどうやらこれ以上の情報は聞けそうに無いのでこの場を離れることにした。
「それじゃ私は職員室へ戻るわね。二人で仲良くね」
「あ、センセ・・・」
 立ち上がった私を姫菜が呼び止める。
「何?」
「お帰りなさい」
「え? あ、ありがとう」
 私は一瞬あっけに取られたが、姫菜が単純に私が戻ってきたことを喜んでいることに気が付き、にこやかに微笑んでその場を後にした。

 放課後、私は片場聡美を探していた。
 おそらく彼女を使えば、クリスタルピーチを倒すか、無力化することが可能であると思ったからだ。
 クリスタルレディを無力化できれば、上手く行けば妖女虫化もできるかもしれない。
 そうなれば敵の戦力は失われ、こちらの戦力はアップする。
 今までは倒すことのみを考えてきたが、案外これは上手く行くかもしれない。
 そのためにも片場聡美をこちらに引き入れる必要があるだろう。

 幸い片場聡美を見つけることはたやすかった。
 二年三組へ向かっているところを見つけたのである。
 私は何気なく彼女に近付いていった。
「こんにちは、今帰りかしら?」
「あっ、君嶋先生。はい、先輩と一緒に帰ろうと思って」
 聡美は何も気付かずに私の言葉に返事をする。さて、これから彼女をどうしてやりましょうか・・・
「そうか・・・残念。これから時間があったら少しお話しようと思っていたんだけどね」
 私は少し肩をすくめる。
「えっ? お話・・・ですか?」
「そう・・・片場さん、いえ、聡美ちゃんは先生になりたいのでしょ? それならアドバイスや、私の経験などを話してあげられるわって思ったの」
 聡美の目が輝いた。どうやら罠に掛かったらしい。
「本当ですか? 先生のお話を聞けるんですか?」
「ええ、今日はちょっと時間があるから。でも明日は無理だわ」
「お願いです、お話聞かせて下さい。今日なら私構いません」
 勢い込むように聡美は私の顔を見ている。その信じきった表情は地上人にしてはなかなか可愛い。
「でも、栗原さんと一緒に帰るのでは?」
「先輩にはこれから断りを入れてきます。先輩もわかってくれると思います」
「そう、それじゃ国語科準備室で待っているわ。後で来なさい」
「はい、君嶋先生」
 聡美はいそいそと栗原姫菜の元へ向かう。これから罠が待っているとも知らずに・・・
 私も国語科準備室へ向かった。

 国語科準備室には邪魔者が居た。
 同じ国語科の山下幹雄である。三十代後半の男性教師で先ごろ結婚したばかりの男だ。
「おや、君嶋先生もこちらで仕事ですか?」
「ええ、ちょっと」
「もうすぐテストですからね、テスト問題の作成ですか?」
 黙って出て行け! うざったらしい。
 私はそう思い、この男に指示を与えることにした。
「山下先生、ちょっと」
「え、何ですか?」
 男がこちらを向いた瞬間、私は魔力を叩き込む。
「あ、がっ・・・」
 男の脳はおそらく焼け付いただろう。だが、構わない。どうせすぐに死んでもらうのだ。
「さあ、私の声が聞こえるかしら?」
 私は男のそばへ行き、男の頭を押さえてその目を見つめてやる。
「あ・・・が・・・ぐぅ・・・」
 壊れてしまったようだが、こんな男はどうでもいい。地上人の脳は脆弱なものなのだ。
「良くお聞き、お前はこれから車に乗って家へ帰りなさい。その途中にガソリンスタンドがあったらそこへ突っ込んで死になさい。いいわね」
「あ・・・ぐう・・・」
 男の首がかすかにうなずく。これでこの男は何も考えずに死ぬだろう。
 男はやがて席を立つと、車のキーを取り出して部屋を出る。
 私は満足して自分の席に着き、片場聡美を待つことにした。

 しばらくすると、扉がノックされる。
「誰です?」
「春川です、麻里子先生」
 私は驚いた。クリスタルチェリーが来るとは思っていなかった。
「どうぞ」
 私は心を落ち着けて、チェリーが入ってくるのを待つ。
「失礼します」
 いつも通りすらっとしたスレンダーな躰を前に倒し、私に対して一礼する。
「何か用かしら、春川さん?」
「いえ、あの・・・特に用ということは・・・」
 それでは何をしに来たのだろう。何か気付かれたのか?
「用は無いって・・・それじゃ」
「あ、麻里子先生の顔を見るのが久し振りだった・・・から」
「それで?」
「元気だったのかな? とか、地底帝国はおとなしかったとか、お母さんは大丈夫なんですか? とか」
 いつもと違い何となくもじもじしている。こんなしのぶは珍しい。
「ええ、元気だし、母も心配ないし、地底帝国がおとなしいのはいいことだったわね」
「あ、うん」
「他には?」
「無い・・・部活に行く」
 しのぶは何となく元気が無さそうに部屋を出て行こうとする。何をしに来たのだろう。
「失礼します」
 そこへノックの音がして、片場聡美が入って来た。
「あ、すいません。お邪魔でしたか?」
「いいのよ、用は無いらしいから」
「うん、君嶋先生」
 入れ替わるように扉から躰を外へ出すしのぶ。
「何?」
「お帰りなさい・・・それを言いたかった」
 そう言ってしのぶはすぐに扉を閉めた。まさか・・・照れていたのかしら?
「今の人は?」
「二年生の春川しのぶよ」
「あ、あの人が・・・陸上のすごい人って・・・」
 聡美は素直に感心する。所詮地上人の運動能力など知れたものなのに。
「まあ、いいわ。それよりもそこに座りなさい」
 私は椅子を勧めて聡美を座らせる。これからこの娘には私の奴隷人形になってもらうとしよう。
「はい、先生」
 何の疑念も抱かない聡美。
 私は部屋のカーテンを閉め、周囲に何も問題が無いことを確かめてから聡美の前に立つ。
「聡美、これからあなたに私の本当の姿を見せてあげるわ」
「本当の姿?」
 聡美は不思議そうに私を見上げている。
 私はこの部屋の周囲に結界を張り、誰の邪魔も入らないようにした。そして、おもむろに変身を解いていく。
「えっ?」
 聡美の目が見開かれる。目の前で私の姿が変わっていくのだ、当然かもしれない。
「えっ? 何? 何なの?」
 私の躰がようやく本当の姿を取り戻していく。黒いボンデージ状の外骨格や赤いハイヒールブーツ状の脚などが取り戻される。
「い、いやっ! いやぁっ! 先生が・・・いやあぁぁぁぁっ!」
 聡美が悲鳴を上げる。けれどここはすでに結界の中。彼女の悲鳴は外へは聞こえない。
「フウ、ずいぶん久し振りな気がするわ。やはりこの姿が最高よ」
 私は気分良くヒールを打ち鳴らす。かつんと音がして、私は気持ちよくなった。
「せ、先生・・・その姿は?」
 恐怖のあまり椅子から立つこともできないのか、聡美はわなわなと震えていた。
「ふふふ・・・私は地底帝国のブラックローズ。さあ、私の目を見るのよ」
 私は聡美の目を覗き込んだ。
 聡美は引き込まれるように私の目を見つめてくる。私はそっと魔力を送り込んだ。

 とろんとなった聡美の目。
 焦点が定まらずに宙をさまよっている。
 私の魔力によって精神に影響を及ぼしているのだ。
「聞こえるかしら? 聡美。」
「はい・・・聞こえます。君嶋先生」
 うつろな表情で聡美は答える。これからこの娘の精神を支配し、作り変えてやるのだ。
「この姿の私はブラックローズよ。ブラックローズ様とお呼びなさい」
「はい、ブラックローズ様」
 私は聡美に近付き、聡美の頭を押さえつける。そして目と目を合わせて更なる魔力を注ぎ込む。
「お前は私のもの。これからは私のために生きる奴隷人形となりなさい。私の命令に従い、私にその身をゆだねるの。いいわね?」
「はい。私はブラックローズ様の奴隷人形。ブラックローズ様のために生き、ブラックローズ様の命令に従います」
 聡美が私の言葉を復唱する。魔力が浸透している証拠だ。
「お前の心は邪悪となり、私の命令にはためらわない」
「はい。私の心は邪悪となり、ブラックローズ様の命令はためらいません」
「いい娘ね、その言葉を忘れないように」
「はい、決して忘れません」
 私は聡美の頭から手を離し、魔力の注入をストップする。
 聡美の躰がぐったりとなり、意識を失った。

 すっかり人の気配の無くなった廊下に私と聡美は姿を現す。
 国語科準備室の扉に鍵をかけ、私は聡美に振り向いた。
「命令はわかったわね?」
「はい、お任せ下さい。ブラックローズ様」
 聡美の顔に邪悪な笑みが浮かぶ。
 廊下を歩き去る聡美を見送り、職員室に戻ろうとすると、学園長の三崎聖夜がこちらへやってきた。
「君嶋先生」
「はい、何ですか、学園長?」
「山下先生が・・・事故でなくなりました」
 私の中に笑みが浮かんだ。

< 続く >

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