私のナマイキお嬢様 うえ

- うえ -

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 世界№ 2059 (推定)
 世界内時間 1800年代~1900年代前半 (推定)

 この季節の日差しはまだ柔らかい。公園を吹きぬける風が木々の葉を揺らす。犬の鳴き声とお嬢様の楽しげな笑い声が聞こえてくる。私は木陰から彼女の様子を眺めていた。
 ユリナお嬢様は、飼い犬のエドワードとボールを使って戯れている。お嬢様が小さなボールを放り投げると、エドワードはすぐさまそれを拾い、彼女の元へ届ける。彼女はそんなエドワードの体を撫でてやり、またボールを投げる。
 ツインテールにしたハニーブラウンの髪が軽やかに踊り、日の光を吸い込んで金色に輝いていた。運動したためか、うっすらと頬を紅く染めている。エドワードに向かって微笑む彼女は、まるで天使のようだ。

(こうして見ているだけなら、かわいいのですが)

 目を閉じて頬を撫でる風と笑い声に耳を傾ける。いい天気だ。木漏れ日があたたかい。息苦しいネクタイなど外して、深呼吸でもしたい気分だ。

「アーツウッド。………レイ=アーツウッド!」
「は、はい」

 自分を呼ぶ声に目を開けると、お嬢様が目の前に立っていた。

「何を呆けているのですか。屋敷に帰ります」

 そう言って、エドワードをつないだ鎖を差し出す。

「はい、お嬢様」

 私は深く礼をして、鎖を受け取った。
 顔を上げる。公園の木々の向こう、小高い丘が視界に入った。その上に建つ立派なレンガ造りの屋敷の名を、オールドワンド邸という。ユリナ=オールドワンドお嬢様の住まいである。

 オールドワンド家は、この国で有数の名家だ。古くから魔術師の家系で、優秀な術師を多く輩出している。
 その名は『魔学』の誕生に寄与したことで、広く知られることとなった。
 数百という大系を持つ魔術に共通する法則や、魔力の根源を研究する学問である魔学。その発展は魔術の習得を格段に容易にし、稀少性を失った魔術師家系の社会における影響力は、徐々に弱体化している。そんな中にあって、彼らオールドワンド家は別格である。その膨大な経験とそれに基づく研究力で様々な成果を上げ、今も強力な発言力を持っている。

 我がアーツウッド家は、そんなオールドワンド家に代々仕えてきたのだ。
 私は、アーツウッド家の長男として生まれた。幼少よりオールドワンドに仕え、尽くしてきた。
 ユリナお嬢様の教育係兼付き人となったのは今から3年ほど前になる。それからというもの、私は7つも年下の彼女に振り回されっぱなしだった。

 屋敷までの道を、私はお嬢様の一歩うしろで歩いていた。手にした鎖がチャリチャリと鳴る。エドワードは私の様子を見ながら歩調を合わせている。利口な犬だ。
 丘を登り、屋敷の門の前まで来たところでお嬢様は急に立ち止まった。

「ああ、そうだわ。忘れていました」

 くるりと私のほうに向きなおる。スカートの裾が回転で舞った。

「今日は新しい魔学書が出るのでした。アーツウッド、買ってきてくださる?」
「あの、しかし、お嬢様………」

 丘の下に広がる街並みに目を向ける。魔術師の多くの屋敷がそうである様に、オールドワンド家の屋敷もまた街から離れたところに位置している。丘の上から見る家々はミニチュアのようだ。

「どうしたの?ああ、エドワードのことは大丈夫。私がちゃんと世話係のところまで連れて行くわ」
「いえ、そうではなく………」
「お願いね」

 彼女はかわいらしい笑みを浮かべる。その笑顔は私が拒否することなど考えてはいないようだ。

「はい。お嬢様」

 溜め息を一つ、私は街に向かって歩き始めた。

(まさか、わざと忘れたフリをしてた、なんてことはありませんよね)

 ふと浮かんだイヤな考えを否定しようとして、失敗する。否定するには彼女はイタズラ好き過ぎた。また一つ、溜め息をつく。
 本屋の前に立つ頃には、辺りは夕焼けで紅く染められていた。扉を開くと、取り付けられた鐘がカランと音を立てた。

「アーツウッドさん。今日はもう来ないのかと思いましたよ」

 店の奥から見知った顔が現れる。新しい魔学書が出るたび訪れるから、ここの主人とはすっかり顔なじみになってしまった。

「魔学書でしょう?用意してありますよ」

 店の主人は満面の笑みを浮かべながら、抱えるほどの本を持ってくる。『魔力理論』、『詠唱と魔術触媒』、『SG仮説』、他多数。カウンターの上にドスンと音を立てて山積みされた。

「それにしても、流石はオールドワンドのお嬢様ですなぁ。まだ、御若いのにこれだけのものを…」
「毎回、これを屋敷まで運ぶのも大変なのですがね」

 店主の感嘆に苦笑交じりに答える。しかし、彼女が優秀であるのは確かだった。彼女の魔学知識は、同年代はおろかオールドワンドの一族の中でもかなりのものだ。だからこそ、彼女の御父上も屋敷を彼女に任せて他国で研究に勤しんでおられるのだろう。実際、教育係である私が彼女に教えられることなどなかった。
 だが、どんなに優秀であっても、やはり私にとっての彼女は、気分屋で、イタズラ好きで、私の溜め息の原因をつくりだす、困ったお嬢様だった。
 きっと彼女は、このバカみたいな量の魔学書をかかえて戻ってきた私に平然と言うのだろう。

 『あら、アーツウッド。遅かったわね。早くお茶の準備をしてちょうだい』

 そのときの彼女の表情から仕草までありありと想像できる。まったく、また溜め息が出そ――――

 不意に背後に気配を感じ、振り返る。等間隔に並べられた本棚。店内に差し込む夕日は奥までは届かず、真紅をゆるやかに闇へとすり替えていく。そこには誰の姿も見えなかった。だが、その闇の奥に、確かに何かが在るのだと私の感覚は告げていた。引き寄せられる様に私は店の奥へと進んだ。
 タイル張りの床の上に、まるでそこで私を待っていたかのように、それは在った。

 一冊の黒い本。

 手に取ってみると、それはずいぶん痛んでいた。汚れ、傷付いた表紙からはどんな文字も読み取れない。もしかしたら、最初から何も書かれていなかったのかもしれない。軽く中を流し見る。
 初めは魔学書かと思ったが、どうやら魔術書だった。様々な魔術薬の製法や、魔術行使の方法が、かなり詳細に記されている。痛み具合から見ても相当古い物のようで、私にはどんな大系に属した魔術なのかも判然としなかった。

「……………これは……」

 ページをめくる手が止まる。私の目は名もなき魔術書に書かれた、ある項目に釘付けになっていた。

 『隷属薬の製法とその効果』
 隷属薬は服用したものを術者の下僕とする。
 下僕は術者の命令を欲する。
 下僕は術者の充足を欲する。
 下僕は従属を当然と感じる。
 下僕は…………
 下僕は……

 脳裏に彼女の姿がよぎった。私の前に頭を垂れる彼女の姿が。足下に跪く彼女の姿が。
 私が命じれば、彼女はどんな恥辱にも嬉々として従うのだ。

 おかしい。何故だ。私は何を考えている?
 普段なら思い付きもしないだろう異質な考え。何か違う。
 額に手をやり、米噛みの辺りを押さえる。ひどい頭痛がした。
 私はユリナお嬢様に仕える身なのだ。このようなこと…。彼女を下僕にしようなど……。

 だが―――

 何がいけない?あのナマイキな小娘を躾けるのが私の仕事ではないのか?
 そうだ。偉そうな口を利けぬように仕置きをする必要があるんじゃないか?
 私に逆らえぬように、意のままにしてしまえばいいのだ。
 混濁する思考の中、手にした本へと視線を落とす。この薬があれば、それができる。

 沸きあがる黒い思念に、私は飲まれていた。

 名もなき魔術書を手に入れてから、五日が経った。
 私が欲しいと言うと、本屋の主は見覚えのない本に訝しがりながらも『お得意様だから』と簡単に魔術書を譲ってくれた。付き合いというのはしておくものだ。
 隷属薬も既に完成している。意外なことに、隷属薬の材料は基本的な魔術薬に用いるものだけで、貴重な薬剤などを必要としなかった。特殊な行程は存在したものの、たったの数日で精製することができた。小瓶に入ったコハク色の液体。あとはこれを彼女に飲ませるだけだ。

「さてと……」

 すっかり人のいなくなった厨房で手早くお茶の準備を済ませる。ティーカップにティースプーン、ティーポット、その他もろもろを盆にのせ、私はお嬢様の部屋に向かった。廊下の窓から仄かな明かりが射し込んでいる。今夜は満月だったか。
 深夜まで勉学に励む彼女は、リラックスを兼ねてよくお茶を飲む。屋敷のほとんどの人間が寝静まっているこの時間、お嬢様を私のものにするには絶好の機会だった。

「お嬢様、お茶をお持ちしました」

 ノックの後にそう告げるとすぐに、入って、という返事がきこえた。私は扉を開けると部屋の中へと進んだ。
 彼女はいつものように巨大な執務机に着いていた。ツインテールに、肩掛けのついた黒のワンピースという姿だ。ワンピースには、ところどころにフリルがあしらわれており、髪をとめる黄色のリボンと合わせて年相応の格好ではある。しかし、重厚な造りの机と小柄な少女は妙に不釣り合いで、どこかチグハグな印象をもたらした。
 パタンと開いていた魔学書を閉じると、彼女はそのライトグリーンの瞳を私に向けた。

「さ、早く淹れて頂戴」
「はい。ただいま」

 小さく肯いて手にしたティーポットを傾ける。瞬く間にカップは紅茶で満たされ、強い香りが急速に部屋に広がった。

「いい香り。ねぇ、アーツウッド。これでも私はあなたのお茶の腕を信頼しているんですよ」

 私の反応をうかがうようにクスリと笑って、彼女は机に置かれた紅茶を口に運んだ。

「光栄です、お嬢様。……ところで今晩のお茶には少し変わったものを入れさせていただいたのですが」

 え?と不思議そうな目で、お嬢様は私を見た。

「隷属薬というものです。飲んだ者を下僕とするのですが……。つまり、お嬢様には私の下僕となってもらいます」

 歓喜に笑い出しそうになるのを必死でこらえながら、努めて冷静に言葉を続けた。

「さて、どうしたものか。隷属の証に足でも舐めていただきましょうか?首輪を付けて犬のように散歩、というのもいいかもしれません。さあ、お嬢様。どうぞこちらにいらして下さい」

 私の命令に、彼女はゆっくり立ち上がると、無言のまま私の前まで歩いてきた。それから、大きく右手を振り上げた。

 パァアン!!

 左の頬に衝撃が走った。数瞬して痛みと熱が伝わってくる。彼女の平手打ちから魔力が流れ込み、私の心を包んでいた黒い霧のようなものが霧散していくのを感じた。

「目が覚めましたか?」

 いつもと変わらない、強い意思のこもった瞳が私を捉えていた。

「どういうことか、説明してもらいます」

 冷や水を浴びたように凍っていた私の頭が、思考を再開する。姿勢を正し、私は話し始めた。

「……はい、お嬢様。おそらくですが………」

 おそらく、私は名もなき魔術書に操られていたのだろう。長く使われた物は意思を持つことがある。たとえ非生物でも、なにかしら強い想いが近くに存在した場合、その想いの一部が物質に少しずつ降り積もり定着して意思が発生するのだ。
 魔学的には堆積思念と呼ばれるのだが、とにかく、あの魔術書に宿っていた悪意と、私がお嬢様に対して抱いていた小さな不満が同調して、私は魔術書の思念に飲み込まれた。どうやら、そういうことらしかった。

「まったく。堆積思念に操られてしまうなんて。私はあきれています」

 眉を寄せ、まるで悪さをした子供をしかる親のような口調だ。両手を腰にあて、憮然とした様子で立っている。

「私が助けてあげなかったら今も操られたままでしたよ」

 魔術消去を平手打ちのついでに行うところが、お嬢様らしいと言えばらしい。私はヒリヒリする左頬をおさえた。

「申し訳ありません。お嬢様」
「それに私を操るなんて不可能です。アーツウッド。私を誰だと思ってるの?私には最高位の操作魔術だって効かないわ。私を操るなら支配魔術でも使わないと。もっとも、そんな高位魔術、使える人間なんていないでしょうけど」

 自分の胸に手をおいてそう言う彼女からは、誇りと自信が溢れていた。彼女の対魔術防御は並みではない。いくら魔術書に飲まれていたとはいえ、彼女を操ろうなどとは愚かな考えだった。

「それにしても、足を舐めろ、だなんて。そんなこと、言ってくれたらしてあげるのに」

 片手で口元を隠して、クスクスと彼女は笑った。肩が小さく上下して、ツインテールが揺れる。

「ふふっ、本当におかしい。それくらいのことで私を操ろうとまでするんだから。そんなに私に舐めて欲しかったの?」

 ひとしきり笑った後、彼女は私の手を引いて椅子の前へと私を導いた。

「アーツウッド。立ったままでは靴を脱がせられないわ。足を舐めて欲しいのでしょう?」

 椅子を指差して、お嬢様は私をじっと見つめた。視線に気圧されて腰をおろす。彼女は私の前に跪くと、私の右足を持ち上げ靴と靴下を脱がせた。普段、表に出ることのない素足がさらされる。汗のせいなのか、ひんやりした奇妙な感覚を味わった。
 お嬢様は、私の右足をまるで大事な宝物かのように両手で掲げ持つ。あのお嬢様が私の目の前で跪いている。
 私と目が合うと、彼女はイタズラを思い付いたときのようにニヤリと笑った。
 小さな唇から可愛らしいピンクの舌を少し覗かせて、彼女は私の足へと顔を近づけていった。

「……ちぅ」

 土踏まずの辺りに、一瞬だけヌルリとしたものが触れた。

「んちゅ………ちゅ…ちぅ、ちゅっ」

 私の足に、お嬢様は次々とキスの雨を降らせる。断続的に与えられるくすぐったい感触に、ビクンと背筋が跳ねた。

「クス。どう、アーツウッド?好きなだけ舐めてあげます。………んっ、ちゅぅ…んぅ……んふっ…」

 舌の腹の部分を使って、踵からつま先までをゆっくりと舐めあげる。生暖かい舌がヌルヌルと這い上がり、その軌跡は唾液に濡れて、たちまち温度を奪われていく。感覚が足のうらに集中していく。神経の一本一本が剥き出しになっているようだ。

「こういうのはどうかしら?………んんっ…んっ、ふぇ」

 お嬢様は舌を突き出すと、尖らせた舌先をくねらせて、足のうら全体を蛇行しながら舐める。敏感になった神経が、細かな舌の動きをもらさず伝えてくる。彼女の舌が足の指に触れた。

「んっ…れっ、んぇ……んれぇ」

 彼女は指の付け根の辺りを重点的に責めたあと、指と指の間まで丁寧に舐め始めた。指のあたまに鼻先をかすめながら、舌が指の間を這っていく。乱れたハニーブラウンの髪が、彼女の顔の横で揺れた。

「…んっ……ふぅ」

 一旦、舐めるのを止めて口を離すと、頬にかかる髪を耳の後ろに掻き上げた。ちらりとこちらを向いた彼女の瞳に、イジワルの火が灯ったのが私には見えた。

「ねぇ、アーツウッド。こんなところを誰かに見られたら、きっと『貴方が私を下僕にしちゃった』と思われますよ。ふふっ。私はただ、足を舐めろと言われて、それに従っているだけなのに」

 彼女は私をからかっているつもりなのだろう。いつものように。

「誰か来ないか、きちんと見張ってないと大変なことになりますよ」

 私のほうを向いたまま唇を舐めて湿らせると、お嬢様は大きく口を開いた。そのまま、彼女はパクリと足の親指を咥えこんだ。

「じゅっ…ちゅる……ちぅ、ちゅっ…んっ、ふっ」

 親指全体が暖かなぬめりで包まれる。頬をすぼめ音を立てて吸いながら、舌でやわらかく刺激する。小さく漏れる鼻息が足の甲をくすぐった。
 お嬢様はすべての指を一本ずつ咥え、舐めていった。

「どう、アーツウッド?満足したかしら?」

 私の足も、それを支える彼女の手もベトベトだった。半ば放心したまま、私は小さく一度うなずく。お嬢様は得意げに唾液で汚れた口元に笑みを浮かべた。

「さ、て、と」

 半回転しながら立ち上がり、鼻歌混じりに机の引き出しを探り始める。しばらくして、笑顔で振り向いたお嬢様の手には小さなものが握られていた。
 光沢のある黒い皮に留め金のついた道具。それは、彼女の飼い犬エドワードのための首輪だった。

「さぁ。次は、犬みたいにお散歩ね」

 首輪を手に、彼女は私に微笑んだ。

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