BLACK DESIRE #17-2

2.

 会議室はゆっくりと左右に揺らいでいた。
 もちろん、それは比喩ではない。特殊な強化魔法や防護魔法、後は防諜魔法を付与された壁に囲まれたこの会議室自体が、それを内包する巨大建造物ごと揺られているのだ。何に、と問われるなら、それは膨大な量の海水である。その会議室は現在、海抜マイナス80メートル付近……海中に存在しているのであった。
 その室内で、静かに、しかし凛とした女性の声が響く。

「それは不可能だと言ったはずだ。ボイジャール中将」

 美しい銀髪の女であった。白い王国近衛服とマントを身にまとい、腰には儀礼用としか思えない装飾の施された細剣を下げている。襟と袖口には黒地に銀の刺繍が施され、それは国王にのみ許された「金色」に次ぐ地位を示していた。
 それに対するのは口ひげの生え揃った厳つい顔の男である。その分か頭部は半ばまで禿げ上がっていたが、その外観は老いよりは巌のごとき印象を強調するのに一役買っていた。こちらは女の白抜きの印象とは対照的に王国海軍の黒い軍服姿で、銀色のラインが肩と袖に入っている。そして精悍に日焼けしたその顔は、今は怒りの為に真っ赤に燃え上がっていた。

「何故だ! クヴァ島の奪還作戦は王より承認されたはずだ! それにこの時期を逃してはまた1年も待たねばならん! 今更中止などという話が通用するものか!」
「だから、私が来たのだ。中将」

 象すらその怒声で横倒しになりそうな勢いを、銀髪をそよとも動かさずにその女は受け流した。そして、ちらりと視線を赤ら顔の男の後ろで自分の顔の汗を必死に拭っている痩せ気味の男に向ける。その男は中将と呼ばれた男――ボイジャール王国海軍東亜海域総監――の副官であるのだが、まったくその補佐の任務を全うするつもりはなさそうであった。心の中でため息をつく。

 彼女の名は、アルスティナ=ブランシェ。王国近衛軍の大将である。またの名を「銀翼の女将軍」。一応肩書きだけで言えば中将程度が声を荒げて意義を唱えられるような相手ではない。
 ただし、近衛軍は海軍と比較すれば規模にして60分の1程度の殆ど王の私兵扱いの集団である。ゆえに、その存在を軽んじる者は他の軍に少なくなかった。元となった王立魔動研究所との関係上、他の軍と遜色のない予算が組まれているというやっかみもある。使途のはっきりしない調査研究費に回すくらいなら、前線で実働している軍の増強に回せと言いたいのだ。
 もちろん、その近衛のトップがまだ年若い(と見える)女であるというのも軽んじられる原因なのかもしれないが。

 ボイジャール中将は堅物だが、難物ではないという評価を聞いている。むしろ忠臣と言っても良い。道理のわからぬ男でもないのだ。それだけに、その説得に自分をよこしたあの男――軽薄そうな笑みを浮かべる彼女の上司――に腹が立つ。やっかい事は、いつも私の役目なのだ。
 言い募る彼の言葉は、そろそろ王の肝煎りである近衛軍にまで非難が及びそうだ。そろそろ、止めてやらねばならないか。

「――よかろう」
「なんだ? 今何と……」

 髭の下の口が動きを止めた。目の前の女がカチリと腰のものに手を伸ばしたからだ。アルスティナの視線に宿る険にぐびりと喉を鳴らす。後ろに立つ副官などは顔を白くして泡を吹かんばかりだ。

「な、何……こ、この……」
「…………」

 すっと腰のポケットから取り出したものを指先で摘み、カチカチカチと伸ばしていく。銀色の棒の先に赤い小さな球体が付いた50cmほどのステッキ状の物体。彼女が国立の魔法学院で特別顧問をやっていた頃から愛用している「指示棒」である。それで彼女は壁に貼られた王国領土地図の右下の一部を指し示した。大陸から南東に海を隔てた場所にある中規模の島だ。王国文字で「クヴァ」と記載されている。

「クヴァ島奪還にかける中将の熱意はもっともである。だが、そこを押さえ、まずは私の話を聞いていただきたい」

 パチン、と棒の先が地図を叩いた。鋭い視線で周囲の男たちに了解を強制する。有無を言わさず。言葉が返ってくる前にアルスティナは再び地図に向き直った。

「見ての通り、クヴァは王国に最も近い位置に存在する竜巣だ。この破壊・奪還は今大戦開始以来の重要項目であるし、その実現は東亜方面の作戦においてもっとも重点を置かなくてはならない事でもある」

 説明を続けながら、ボイジャールに一瞬だけ緩めた視線を送る。

「……また、クヴァ周辺からの避難民にとって故郷の奪還は悲願である事も、王は十分承知し、心を痛めておられる」
「…………」

 ボイジャールの故郷もクヴァの付近にある小さな島であった。一念発起して本土に渡り海軍に任官後、すぐに第3次大戦が始まり、それ以来その島は竜の眷属の領域に飲み込まれたままだ。

「……ならば、なぜ」
「軍と王国研究機関が共同で行った最新の調査結果により、クヴァの竜巣の影響範囲が予想以上に広がっていることが判明した。その領域は最大で岸から20kmの海域まで及んでいる。これはまだ公開されていない秘匿情報であるが、間もなく発表されることだろう」
「なん……と」

 ボイジャールの顔付きが変わった。彼にもその意味が分かったのだ。アルスティナも頷く。

「軍の防衛作戦は、通常、侵攻する敵勢力の移動拠点たる『竜』を打倒する事を要とする。魔獣は竜の影より無尽蔵に産まれてくるから、その発生点を叩くのは作戦上の道理だ」

 逆に言うならば、敵の侵攻を防ぐには竜さえ倒せば良いということだ。竜以外昼夜の境界を越える事の出来る魔物はいないのだから、拠点となる竜がいなくなれば夜の到来とともに残党は自然消滅する。

「……だが、拠点制圧では作戦目標が変わってくる。竜巣そのものが衛星軌道上の『皇竜』の影……それが大地や建造物に影響を及ぼして要塞化したものだからだ」

 皇竜――30年前の月食の際、その影から産まれた竜の王達。そのもの事態は衛星軌道に留まり、地上に降りての侵攻は行わない。だが、影響は及ぼしてくる。アルスティナの説明通り、その影は地上に拠点となる竜巣を産みだし、また人や人の作る物が空を飛ぼうとすると、半ば自動的な正確さで光線のような光刃ブレスを発射し、ことごとく撃墜しそれを許さない。
 そのため、人はまだ皇竜に辿り着くことすら出来ていないでいる。いや、その縄張りの衛星軌道どころか、高度5000メートルにも手が届いていないのだ。

 皇竜そのものはともかく、それでも人類は竜の拠点を排除することをあきらめた訳ではない。要は地上まで届いている皇竜の影響をその地から排除してやれば良いのだ。そのために必要なものも、多大な犠牲を払った大規模作戦と研究の成果で明らかになっている。それは、決して不可能ではない。
 必要条件を満たすことが出来れば、の話だが。

「竜巣の浄化作戦は、今までも陸軍主導で何度か行われてきた。だが、その作戦は基本的に日のある昼間のうちにしか実施出来ない」
「……光……か」
「そう、皇竜の影を浄化するには、『太陽の力』が絶対に必要だ」

 影を消すには光。月食の影から産まれた皇竜の影も、太陽の光によって消すことが出来る。これはすでに実証済みだ。
 ボイジャール中将もそれを確信していたこそ、この作戦を進言したのだ。陽光の力の強まるこの季節こそ、攻め入るチャンスであると。だからこそ、男は悔しげに拳を握りしめた。

「……海底には……光が届かんかっ!」

 光無き世界での戦いには、その言葉通り一欠片の希望も存在しなかった。

(それでも、王国最強と名高い極東方面の陸軍を総動員し、東亜方面の海軍全戦力と共に投入すれば拠点制圧は可能だろう……)

 会議室を後にし、自分の軍本部へ帰投するべく操竜手待機所へと向かいながら、アルスティナは心の中で呟いた。脳裏にはまだ、先ほど苦渋の表情で作戦中止を承知したボイジャールの気落ちした姿が残っている。そしてそれは、顔には出さずともアルスティナも同じ気持ちであった。

(……だが、その大規模作戦の結果、受ける被害は甚大だ。恐らく戦力の3割は失う事になる)

 戦闘力の3割を失えば、もはや東亜方面の戦線を維持することは出来まい。クヴァ島一つと引き替えに、大がかりな後退作戦と残存部隊の集中を実施しなければ戦争を続ける事は不可能だ。残酷なようだが、もはや魔の者に蹂躙された地を取り返すにしては払う代償が大き過ぎる。戦争は東方海域だけでやっているわけではないのだ。

(それに今、戦力を失う訳にはいかないのだ……)

 これはまだ極秘事項であるが、王と側近の者達の間でこれまでに無い反攻作戦が計画されていた。まだその計画の要となるモノも完成していないが、準備は急ピッチで進められている。これが形になった時、既に動かせる軍が崩壊してしまっていたなら、それこそ万に一つの希望すら無くなってしまう。

(……『魔王計画』……)

 その計画を提唱した魔術師達の顔は知らないし、その詳細も聞かされてはいない。ただ、その可能性を示唆したある魔術師と、その弟子で、師の理論を机上の物ではなく、実際に発現させて見せた魔女の事なら良く知っていた。その娘はアルスティナにとっては旧友と言える仲であったからだ。

(……?)

 ふと、違和感を感じた。
 そう言えば、あの娘は……「あの本を受け継いだあの魔女」は、今どうしているんだったっけ?

 ……だが、その疑問も唐突に打ち切られる。
 アルスティナの考え事がまとまる前に、彼女は目的の場所へと到着してしまったからである。そしてその扉の内に、何か異様な雰囲気を感じてしまったからでもあった。

(……2……3、4……いや、5人、か……)

 それほど広くない室内に、多数の人間が寄り集まっている。諍い事でもしているのか、動き回る気配や激しい吐息のような叫びも隔壁越しに伝わってくるようだ。

 アルスティナは迷った。出来れば揉め事には関わりたくない。軍の異なる自分の立場で何か介入したら、それだけで相手の恥となる。海軍としても面子を失いたくは無いだろうし、部隊の裁量でやりたい部分もあるだろう。だが、このまま通り過ぎて人道的な問題を見過ごすわけにもいかない。

 アルスティナが扉の前で迷っていると、通路で合成音のアラームが鳴り始めた。隔壁を伝わって海中に到達するまでに波のうねりに似た音に変換されるよう調整された、ウォーンと響く音が4回、続いてスピーカーから『浮上用意! 翔竜機が発艦する、翔竜機発艦準備!』の号令が立て続けに発せられた。

 室内の者達もその号令を聞き、慌ただしく動き始めたようであった。すぐにアルスティナの目の前でドアが内向きに勢い良く開く。

「あっ! こ、これはっ! し、失礼しましたっ!」

 扉を開けたのはまだ年若い青年だった。灰色の整備服を身につけ、同じ色の帽子を浅くかぶっている。前のボタンが上まで閉まっておらす、日に焼けた胸元がはだけた襟から見えていた。
 扉が開け放たれたことでようやく室内の様子が見えるようになった。そこに居たのは今の青年を含めて4人の男性整備兵と、まだ少女と言えるくらいの外見の特殊戦闘服を身につけた女性操竜手1人だったようだ。男達は青年と皆似たり寄ったりの格好で、1人はまだズボンを上げている最中である。薄紅色の髪をした少女竜手は胴部の防護膜を解除しているらしく、乳房や腹部が露わになり、その部分はぬらぬらと濡れ光っていた。そして、その部屋から漂ってきた独特の臭いにアルスティナはそこで何が行われていたのかを悟った。

「失礼します!」

 青年達は決まり悪そうに顔を赤らめたまま一応手を上げて敬礼をし、逃げるように立ち去って行った。アルスティナが答礼するヒマも無い。それを見送り、息を一つ吐いたところで残った少女が室内から声をかけてきた。

「あの、閣下。まもなくフネが浮上しますのでお座りなった方がよろしいかと……」
「……ああ、わかった」

 残り香が気になったが、とりあえず空調を最大にしてその勧め通りにする。

 アルスティナが扉を閉めて壁際のシートに腰掛けると、少女は自分の言ったことにも関わらず扉付近に立ち尽くし、手すりに捕まったままでいる。そわそわと落ち着かない様子だ。

「……気にしなくていい、任務だから」
「え? すみません、何ですか?」
「ん……いや……」

 言ってみてからアルスティナは心の中で苦笑した。ぱちくりと大きな瞳を瞬かせる操竜手に内心と反対のやわらかな微笑みを向ける。それに首を捻るが、結局は少女はにこっと笑いを浮かべた。

 『気にするな』。何と無駄な言葉をかけたものだ。彼女がそんな行為を知られたところで気にかける訳がない。彼女たち「ホムンクルス兵」にとって、それは日常的任務の一貫なのだ……。

 人魔大戦勃発以来、生身の人間に代わって魔動戦闘機が戦争の主役となりおよそ70年が経つ。要求される戦闘能力の開発のためそれらの兵器はより高度化し、そして稼動するために消費される魔法エネルギーも桁違いに大きくなっていった。当初は魔法使いが人力で行っていた魔力供給もすぐに追いつかなくなり、単独から複数へ、そして魔力炉の搭載、魔力因子を利用した発現機への移行と進歩を続けてきた。
 しかし、因子レベルまで分解した魔力源を元にした発現機は、確かに桁違いの出力を誇ったが反面大きくかさばり、因子封じ込めの為に必然的に容器も重くなった。その為現在も小型化の研究は進められているが、実用レベルでは都市部の魔力炉や戦艦のような大型兵器にしか使用されていない。

 最前線で戦闘を行うような魔動戦闘機には何よりも堅牢性と機動性が必要なため、魔力因子炉型発現機はサイズ、ウェイト共に過大である。そのため、第2次大戦まではもっぱら元素精霊を封じた精霊炉やより高度な霊素(エーテル)炉を利用していた。その程度の出力でも十分な兵器しか存在しなかったからである。
 だが、第3次大戦勃発以降、戦闘対象として「竜」が想定されるようになると、とたんにそれまでの兵器では火力・速力・機動力・防御力全ての面が不足することとなり、必然的に高効率の魔力発現機が切望されることとなる。

 いくつものトライアルを経て無数の野心的な機構が生み出され、そして欠陥の烙印を押されて消えていった。
 そして現在、それらの切磋琢磨の末に生き残ったのは、およそ正気を疑うような魔力発現システムであった。

 元々、精霊炉のように精霊などの既存の魔力的存在を一種の濾過器として使用し、魔力を生み出そうという発想は存在していた。そして、一部の魔術技師は、元素精霊と4大元素の組み合わせよりももっと効率的な魔力濾過システムを使用すれば、新しい世代の兵器に十分な魔力供給機関を作成できるのではないかと考えたのである。
 そして白羽の矢が立てられたのが、それまで人間の代わりの労働力や、あるいは奴隷の様に考えられていた「ホムンクルス」であった。

 ホムンクルスは、様々な技術をつぎ込んで作成される人造人間である。その最大の特徴は、人と似た外観を持ちながら人工精霊(オートマトン)のように思考をプログラム可能であり、そして数滴の人間の精液から何日も動き続けるだけの魔力を摂取可能な特殊なエネルギー器官を持つことであった。
 ホムンクルスは体内に魔力で作られた疑似卵細胞を発生させ、これに人間の精液を取り込むことで新生児誕生の際と同じだけの高次回路を開く事ができた。つまり、「生まれてくるはずの人間の可能性」を鋳つぶして魔力を取り出すことが可能だったのだ。

 最初に技術者から提示された可能性は、その疑似卵細胞とそれを精液と結合させるための人工子宮を容器に納めた「ホムンクルス型発現炉」であった。だが、同時期に軍の方で壊滅的打撃を受けた兵力の建て直しに「ホムンクルス兵」を採用する方針が固まると、その二つは「魔力槽兼兵士としてのホムンクルス兵」と「ホムンクルス用魔力増幅器」の開発計画へとシフトした。その際、倫理的問題や風紀的な不都合はあえて無視された。なにより、その時人類はまずは生き残る為の武器を持たなくてはならなかったからである。

 かくして、各軍には若く扇情的な雰囲気を持つ女性型ホムンクルス兵と専用の魔動戦闘機が配備されることとなった。彼女たちはプログラミングの成果により一様に戦闘に長け、軍の指示に従順で、そして前線の男性を慰めると共にその体内で魔動戦闘機を駆る為の魔力を生み出すことができた。最新型の「ディアナIV型」や「弐式チェリーパレス(桜院)型」はスペック上では3人の男性と関係を結ぶことで翔竜機を24時間稼動させるだけの魔力を生み出すらしい。それは並の魔術師ならば1万人分にも相当する働きであった。

 現在の戦線を支えているのは、陸海の操縦手の15%を占めるホムンクルス兵と、彼女たちが駆るホムンクルス兵専用魔動戦闘機である事は間違いない。そしてその事実を前にすれば、軍も人も否応無く認識を改めるしかなかった。
 各軍でホムンクルス兵の配置がある部隊の糧食には、公然の秘密であるが精力を増強する成分が混ぜられているし、軋轢や逆に過度の情動が生じないよう軍の教育初期段階で若干の認識改変施術が行われている。
 そもそも、ホムンクルス兵に支給される戦闘服があのような衣服と呼べないものであったり、人格にプライベートが限定的にしか認められていないのも、全て、彼女たちが兵器運用の要ともいえる魔力供給部品だからである。

 世の中にはこのようなご時世であっても、かつてのホムンクルス達と同様戦争などとは無縁に人間の世話をしたり、魔術実験の助手を務めたり、あるいは倒錯趣味者からの寵愛を受け続ける、ある意味幸運な者たちがいる。
 しかし、それもホムンクルスの総生産数からすれば1%にも満たず、残りは全部軍事用のプログラミングを受けた兵士となる運命にある。そして、その大半がおよそ1年半という人と比べれば短すぎる生涯を、竜族との戦闘と、複数男性相手の睦み合いに費やすのだ。それを不幸だと感じる暇も社会的教育も与えられることなく。

 部屋に『浮上開始』の号令が流れ、アルスティナは物思いから覚めた。床が傾き、下から突き上がる様な加重を感じる。自重が増してアルスティナの背中がシートに沈み込んでいく。それでも、ホムンクルスの女性操竜手は軽く壁に寄りかかっただけで着席しようとはしなかった。

 自然と視線が少女の身体に向き、そして露骨な素振りを見せないよう注意して逸らす。なるほど、座れないわけだ。彼女の太股の間を、その付け根付近から白濁液が途切れること無く垂れ落ちてきていた。これでは、特殊戦闘服の防護膜を再生させずに剥き出しのままというのも納得がいく。
 アルスティナは意図的に話を変える必要を感じていた。というか、この雰囲気のまま押し黙っているのはどうにも気が詰まる。

「……君は、ファイリィ少尉だったか?」
「はい! その通りです、閣下」
「来る時にエスコートしてくれたのは君だね」
「はい」

 どおん、と投げ出される感覚と共に床がゆったりと前後に揺れた。落ち着くまで2、3回揺れた後、先ほどまでとは異なる横揺れが始まる。どうやら、無事海面に出たのだろう。その想像通り『浮上終了、翔竜機搬出許可!』と号令が流れる。
 アルスティナは中途半端な会話に気まずい思いだったが、揺れに合わせて立ち上がった。カチリと腰の剣が鳴る。そのまま扉に向かうが、思い直して振り向きもう一度ファイリィに声をかけた。

「良い操縦をしていた。これからも頼むぞ」
「はい、ありがとうございます!」

 ビシ、と擬音がしそうなくらい勢いの良い敬礼。アルスティナはもう一度笑みを浮かべて答礼し、部屋を後にした。

 水面を割り、陽の注ぐ海原に突き上がるように浮上した鋭角のシルエットの巨大船。戦艦としては小型だが、水中を航行する船としては破格のサイズである。それは、この戦艦が単なる潜水艦ではなく、翔竜機を2機搭載可能な潜水空母であるからだ。

 王国海軍所属・シルフェルド級潜水空母1番艦「シルフェルド」。これまでも水上を走る空母や翔竜機を輸送可能な潜水船は存在していた。だが、2機を同時に搭載し、浮上後に発艦作業を行い戦術的に組み込める潜水空母はこのシルフェルド級が初である。現時点でまだ1隻しか実戦投入されていないこの新型艦が、東亜方面海軍第1艦隊の旗艦を勤めていた。

 艦後部の格納庫へとラッタルを上ると、すでにその場所では艦隊司令官とそのお付とおぼしき数名が線で引かれたように整列して待ちかまえていた。アルスティナの搭乗する翔竜機はすでに甲板上へ搬出されているようで、格納庫内には先ほどのファイリィ少尉が搭乗していた海軍仕様のグレーに塗られた翔竜機1機が片膝立ちの格納姿勢で半分のスペースを占拠しているのみだ。後部側のシャッターの向こうのまぶしい陽光にアルスティナは眼を細めた。

 リィーンリィ――――――――――ーン

 格納庫内に鋭く甲高い音が鳴り響く。海軍独特の号令笛の音色だ。それを合図に、整列した男達が一斉に右拳を固めて胸元に当てる海軍式の敬礼を行った。
 通常、近衛軍は王への敬意を示すため賜り物である左肩の階級章に指先を当てる独自の敬礼を行う。しかしアルスティナは、彼等への労いの意味も込めて完璧な作法で海軍式の敬礼を返して見せた。司令官の男は眉を動かして多少の驚きを見せたが、ニヤリと口元に笑みを浮かべると「良い旅を!」と船乗りの言葉をアルスティナに送った。

 開放されたシャッターを抜けて外に出る。空を見上げればこの時期特有の抜けるような青空だ。実際のところ、本当にこの時期は「大地の周囲を巡る」太陽がほぼ世界の中心線を通るため、光の力で活動する風の精霊達が活発化して大気が澄み渡る。ボイジャールの言葉ではないが、人類が竜の巣を攻めるには最適の季節なのだ。

 甲板上に眼を移せば、そこかしこで整備兵達がライフジャケットと防護ヘルメットを身に付けて発艦の準備を進めている。注意深くバランスに気を配りながら、1人の整備兵の振る旗の指示で一機の翔竜機を発進位置まで固定されたプラットフォームごと移動しているのだ。

 アルスティナは目を細めて王より賜った自分の機体を仰ぎ見た。『白銀の翼』『秩序の守護者』の異名を持つそれは、その名に違わぬ白い装甲を身にまとった騎士の姿をしている。特別な防護コーティングがされた表面は磨かれた鏡のように周囲の光景を反射し、上半身は空の青さを、そして下側は海の碧を映し出し、ちょっと眼を細めれば透けたクリスタル細工のようにすら見える。
 頭頂部の兜の後方からは、まるで乗り手を真似たかのような銀の房が海風にたなびいている。その下の竜眼を埋め込まれた瞳は、藍色の水面のような静かな色合いをたたえていた。

 『オールドゥージュ・トバージ』
 それがこの巨人に与えられた正式名である。

 「TOB」は「1」を表す魔法音であり、これに再帰形容音の「HAJ」を付け足せば前の語を形容する「TOBHAJ」となる。例えば西方地区出身の男性の名前に多い「トバル」は、「TOB」を男性名詞化したものであり長男を意味する。つまり、「オールドゥージュ・トバージ」とは素直に読むなら「オールドゥージュ1号機」の意味なのだ。

 だが、アルスティナは知っている。この機体名は一種の言葉遊びなのだ。それはこの「トバージ」の姉妹機に単純な「2号」の意味の名が与えられ無かったことからもわかる。
 そもそも、「オールドゥージュ・トバージ」で「1つの全能」を意味する言葉となり、それは慣用的に「秩序」を意味する言葉として使われてきた。この機体のもう1つの2つ名の元ネタがそれである。
 そして、「秩序」と対になるオールドゥージュ2号機にして最終機に与えられた機体名……。

 その名を、「オールドゥージュ・ヴァナージ」という。

 「VAN」は「幾多」「無数」の意味を持つ音であり、「オールドゥージュ」の持つ「全体」や「超越」の意味と合わせてこの機体名は「混沌」を指す言葉となる。

 「秩序」の1号機と「混沌」の2号機……。なぜこの2機にその様な対象の名を与えたのか。それはその2つの名付け親にしてアルスティナの唯一の上司――魔法王のみが知っている。

 プラットフォームの移動が完了し、甲板上にロックされる。忙しく駆け寄って巨人の拘束を外していく男達。白銀の翔竜機は、静かに片膝を付いた姿勢で搬出用プラットフォームの上に佇んでいる。両手はプラットフォーム上の姿勢安定用の握りを掴み、一見すると競走のスタート前の姿勢にも見える。違うのは、広い甲板上に出たので格納のため背中側で折り畳まれていた一対の飛翔翼と翼尾が、整備員の振る旗信号に合わせて伸ばされて人のシルエットが崩れつつあることだ。

 アルスティナが機体を見上げながら近づくと、その胸部からひょこっと小さな女の子が顔を出した。軍艦に場違いな赤いドレスを着たその少女は、短い手をいっぱいに伸ばして手をぶんぶんと振る。それに手を振り返しながら、アルスティナは操縦席までかけられたラッタルに足をかける。一段上る事に、その少女の満面の笑みが大きくなった。

「お帰りなさい、アルスティナさま!」
「ただいま、フランベル。大人しくしてたかな?」
「うん! フラン、言われたとおり『おーじゅ』とお勉強してたよ!」

 アルスティナは舌足らずなその声に微笑んだ。この子はオールドゥージュの名前が上手に言えないため、いつも省略して呼ぶ。それがどうにも愛らしい。

 この少女……いや、外観からみれば幼女といっても良いこの女の子は、王立魔動研究所で生まれた、このオールドゥージュ専用のホムンクルス操竜手である。名前はフランベルジュ。こう見えて、まだ生まれて3ヶ月も経っていない。アルスティナの元に預けられるようになって、研究所の外に出るようになってからなら、まだ3週間だ。この子にはまだまだいろいろな「お勉強」が必要なのだ。
 アルスティナはまるで姉か、それとも母親であるかのように愛情を込めてフランのふわふわの金髪を撫でた。

「いい子だ。オールドゥージュの様子はどう?」
「おーじゅもイイコだよ。わたしの言うこと、なんでも聞くもん!」
「うん。さ、フランは自分の席に戻って」
「はい!」

 素直に頷くと、少女は自分の身体には大きすぎる座席を離れてその後ろの小さな自分専用席へとよじ登る。それを後ろから支えてやるアルスティナ。仲の良い姉妹のよう。

 フランベルジュがこのように年端もいかぬ子供の姿なのには理由がある。オールドゥージュには新方式の小型因素融合炉が搭載されているが、それでもまだ容積が大きく、大人2人分の操縦席を確保する余裕が無いのだ。VIP専用機であるこの機体を副座とすることは当初からの計画であったので、そのしわ寄せが専用操竜手のフランに来るのは致し方なかった。もっとも、その外見通りに幼い精神年齢が少女に設定されたのは、いったい誰の判断による物なのか……。

 フランが自分の席に収まったのを確認すると、アルスティナも自分の座席に滑り込んだ。機体が勝手に判断し、透明な防護シールドを操縦席に降ろす。すぐに艦との通信経路が開かれた。アルスティナが通信先へと呼びかける。

「シルフェルド、こちらオールドゥージュ。機体への搭乗完了した。機器チェック完了。発艦準備よし」
『オールドゥージュ、シルフェルド。こちらも発艦準備完了。今、艦長に発艦許可をもらう、しばらく待て……』
「了解。風向きを教えてもらいたい」
『左20度から……15』
「了解。では、発艦後は貴艦の左弦側を通過すると艦長に伝えてもらいたい」
『了解した……艦長より、発艦許可!』
「発艦許可、了解。オールドゥージュ、発艦する!」

 パチパチパチ……と空中のエーテル粒子を弾けさせながら銀の翔竜機の翼が強い光を放ち始める。数回、羽ばたくようにゆっくりと1対の翼が角度を変えると、重力から解放されたつま先がふわりと宙に浮いた。両手で握りを掴んだまま、脚を甲板の後方にはみ出すまでまっすぐ伸ばして前のめりの飛行姿勢をとる。風にあおられるのを、背部から伸びた翼尾が揺れることで打ち消す。
 翔竜機は、鳥のようにその大きな翼に風を受けて飛ぶのではない。竜と同じ原理で、機体に「飛ぶ」という意味を与えて飛行するのだ。故に、まずは末端部となるつま先から先に浮く。プラットフォーム上の握りは発艦時の姿勢安定用でもあった。

 シールド越しに艦の出す水平サインを読みとり、ほぼ機体が平行になったところでアルスティナは後ろのフランに指示を出した。翼からの推力が上がり、握りを掴む腕が伸び切ったところでパッと両手を離す。するすると20mも機体の高度が上昇し、格納庫の上部が見えるまで浮き上がった。

「左だよね?」
「そう」
「りょーかい」

 フランはそう確認すると、機体を僅かに左に振った。上体を僅かに捻るように翼を傾けると、空中をスライドするように平行に移動し甲板からその外の海の上に抜け出す。そのまま十分な距離まで離れたところで艦の進行方向にピタリと頭を向けた。アルスティナはフランに振り返り、声をかける。

「艦長にも挨拶するから、艦橋の横で止まってくれる?」
「うん。わかった……あ、りょーかい!」

 慌てて言い直すフランにアルスティナはクスリと笑った。

 フランの操縦は見事で、一回の加速と減速でピタリと要望通りに操縦席の位置が艦橋の真横に来るように位置付けた。オールドゥージュの左手が風除けのためか胸の前にかざされ、操縦席のシールドが開く。アルスティナが胸部の装甲に手を付いて身を乗り出すと、先ほどのお返しか艦橋のウィングに並んだ艦長以下の数名が近衛式の敬礼を行っていた。アルスティナは微笑み、いつものやり方で答礼する。すると、白銀の騎士もそれを真似して右手を左肩に手をやり、敬礼を行ったのだった。

「第6世代翔竜機・オールドゥージュか……」

 艦橋に戻り、帽子を目深に被り直しながらシルフェルド艦長は呟いた。件の機体は先ほどの敬礼の後、操縦席シールドと装甲ハッチを閉めて上体を捻るように一回転、第6世代機の最大の特徴とも言える飛竜機形態への変形を見せつけ、あっという間に飛び去っていった。これまでの翔竜機と桁違いの飛行性能は流石と言える。量産化されれば戦争は新しい局面を迎えることになるだろう。
 量産化されれば、だが。

「あんなものに、このクラスの艦艇3隻分以上の金がつぎ込まれているのですよ?」

 とは、開発部隊出身の副長の言である。その顔は苦々しさを隠そうともしていない。その分の予算をもっとよこさんかい、といった表情である。艦長は苦笑した。

「上が決めたことだ。それに、予算が増えたところで俺たちの仕事は楽にはならんよ」
「そうなんですけどねぇ……」

 副長はまるで金の固まりが飛んでいったとばかりに、未練のある表情であの銀の機体の消えた方向を見つめている。艦長は再度苦笑した。
 そこに、下士官の1人が通信機から顔を上げて報告する。

「艦長、格納庫から発艦用具の格納終了報告、来ました」
「ん、了解。艦内に流せ、潜行用意」
「了解、潜行用意!」

 再び、先ほどの浮上の際と同じアラームが艦内に鳴り響く。潜水空母シルフェルドは再び海中で竜への反撃の牙を研ぐため、通常任務へと復帰するのだった。

 海上を高速で飛行するオールドゥージュ内。高度計に注意しながら王への報告文を練っていたアルスティナに後部から声がかかる。

「アルスティナさま、このままお家に帰るの?」
「ああ……ん、いや……」

 顔を上げ、座席に座り直しながら少し思案げな顔をする。今日のところは、これ以降の予定は無い。部隊に戻ればそれなりに用件はあるのだろうが……。
 その時、先ほど頭に浮かんだ旧友の顔が再び脳裏に舞い戻ってきた。そう言えば、彼女の「職場」もここからなら近かったはずだ。

「……せっかくここまで来たし、少し寄り道しようかな?」
「寄り道!? ドコに行くの!?」

 目を輝かして身を乗り出した少女に、アルスティナは苦笑する。どうせフランベルジュも研究所に帰れば、オールドゥージュと共に地下に閉じこもっての毎日だ。少しの気晴らしくらい、何とでも言い訳が立つ。

「座標を送るよ。急がなくてもいいけど、高度にだけは気をつけてね、フラン」
「りょおーかーい! いっくよー、おーじゅ!」

 機体が応えるようにするりと傾き、新しい方位に機首を向けた。背面の翼が高速航行のため鋭角に折り畳まれる。
 光る羽のような残光を飛び散らしながら、アルスティナとフランベルジュを乗せた銀翼の飛竜は東へと向けて飛び去っていったのだった。

< 続く >

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