名もなき詩-シーソーゲーム- 第1話

※複数視点です。最初は1話ものだったのですが、かなり長いので4話に分離しています。
 主役は「DEOPET」の狩野樹莉。かなりの美女です。

1.

 大勢の観客たちが私たちに注目している。
 そうよ。遠くで皆が応援している。
 私達はこの日のために・・・いえ、この先のために頑張ってきたのよ。
 相手は強い・・・特にあの主将が・・・
 だけどまだ終われない!!
 絶対に負けられない!!

 皆・・・諦めないで!!
「まだまだ追いつけるよ!!第3セットを取ろう!!」
 これに勝ったら・・・いよいよ行けるのよ。
 全国大会!!

「京徳東高校、立て続けに2セットを連取しました!!」
「いよいよ全国が見えてきましたね!!特に狩野選手はいい動きをしていますよ。しっかりとゲームを作っています」

「そうですね。今日の試合ではサービスエースをすでに5ポイント取っています。アタックも面白いように決まってますね。どうですか?佐藤さん」

「彼女は~もうプロ級といっても良いかもしれませんね~。あの跳躍力と俊敏さは~アマチュアでは終わらせたくありませんね~」

「彼女は地元高校ではジュリア嬢という愛称で呼ばれているそうですよ」
「そうですか。まさしく美しきヴァルキリーといったところですか?ああ~、会場を見渡しても、特に男性人気が凄いですね。まるでアイドルのコンサートのような異常な雰囲気です。ともあれ、彼女は全国でもきっといい動きを見せてくれるでしょう!」

「さあ、2セットを連取されて秀創学院は厳しい立場に追い込まれました。監督が選手を集めて檄を飛ばしています。ここから粘れるのでしょうか!?これで最後になるのでしょうか!?」

 いよいよ全国が見えた。
 皆、頑張ろう!
 最後の大会・・・絶対行くよ!全国!!
 皆で・・・この最高のメンバーで!!

「今日はいつに無くいい動きしてるじゃない!樹莉!頼りにしてるわよ!」
「狩野先輩!!勝てますよ!!頑張ってください!!」
 ありがとう皆!
 ここまで来れたのもみんなのお陰よ!
 私はもっとみんなとバレーがしたい!

「ジュリア嬢~!!可愛いぜ~」
「俺と付き合ってくれ~!」
 ・・・一部太い声も混ざってるけど・・・
 そういえば男の人と付き合うなんてことも無かったな~。
 よし!全国を勝ち抜いて!そして運命の人と出会うぞ~!・・・なんつって。
「皆!!力を合わせて頑張ろう!!あと一息!油断しないで!!」

「さあ!狩野がサーバーです!!大きな歓声が沸きあがります!」
 来た!!あいつだ!!
 何としても食らい付いてやる!!

「ふっ!!」
 は、速い・・・
-バシィン!-
 -ワアァァァァッ-
「またまた決まった!!」

 く・・・な、何であんな奴が居るのよ・・・
 何でそれだけ実力があってプロにならないのよ・・・
 ち、ちくしょう!!止めなきゃ!!

 ボールが来る。速い・・・
 取って!何とか取って!!
「くぅっ!!」
 仲間が飛び込む・・・届いて!!
 -バシィン!-
「おっと、弾いた!!」
 よし!!私に回して!!
 絶対決めてやる!!

 ・・・ムカつくのよあんた・・・
 綺麗だからちやほやされて・・・
 そのうえ実力もあるなんて・・・
 あんたは良いわよね・・・
 だってバレー以外でも成功するでしょ?絶対・・・
 私はこれに必死で取り組んできたのに・・・

 仲間がフェイントで相手を惹き付ける。
 ここぞとばかりに私は飛び込む。
 あいつが浮いている・・・
 今なら・・・避けられない・・・
 思わず自分の腕に力が入った。

「えっ!!?」
 あいつが驚いた。

-バシィィン!!-
 ・・・あ・・・し、しまった・・・
 つい顔面に当ててしまった・・・
 だ、大丈夫だろうか・・・
 し、知らない!!そうよ!私のせいじゃない!!

「凄い力のこもったアタックでした!狩野選手の顔面に当たったでしょうか?一旦試合が止められます」

 頭を床に打ち付けたようだ・・・
 選手が交代する・・・
 そ、そうだ・・・あいつが抜けた・・・
 だったら勝てる!!
 皆!!こんなチャンスを逃す手は無いわよ!!

「あ~っと?狩野選手が負傷したようですね・・・選手が交代します。これは京徳東にとっては痛いダメージになりそうです」
「観客からブーイングが上がってますね」
「・・・選手が交代して試合が再開されるようです。狩野選手が抜けたことでどう影響が出るのかが心配ですね~」

「・・・」
 樹莉は龍正の部屋でその大会のビデオ(DVD)を見ていた。

「・・・まだ未練がありますか?」
 龍正がそっと横に座った。樹莉はテレビから目を離さずに呟く。
「・・・そう。知ってるでしょ?私の記憶を見て」
「・・・今度行きましょうか?バレーをしに」
「・・・うん」

「う・・・し、試合は・・・」
 私は医務室で目が覚めた。
 外が騒々しい。

「ごめん・・・負けた・・・」
「・・・そっか・・・ごめんね。私が倒れなければ・・・」
 皆の空気が重い・・・
 息苦しい・・・

「自惚れないの!あなたが居たからって違わなかったわ」
 監督が皆に慰めの声をかけた。
 私たちの最後の大会が終わった・・・

「狩野さん!!卒業後はどうするんですか!?」
「プロの誘いも来ているそうですね?どうなんですか?」
 外に出ると、ローカルの記者が押しかけていた。

「・・・私は・・・大学に進学してバレーを続けます」

「進学ですか!?ではプロにはならないと!?」
「私はプロになるつもりはありません。ただバレーがしたいだけなんです」
 マスコミのフラッシュが酷く怖く見えた。
 期待を裏切りやがって・・・そう言っているみたいだった・・・

「し、失礼します。通してください・・・」
「あっ!狩野選手!!心境を聞かせてください!」
 私はそこから逃げるように帰った。

「先輩!お疲れ様でした!」
 後輩たちが私たちのお別れ会を開いてくれた。
 嬉しいんだけど。悲しみのほうが大きいな。
 あなたたちはきっと全国に行ってね。
 そして何より・・・バレーを楽しんで!

 私は大学でもバレーを選んだ。
 だけど待っていたのは私の望まないバレー。
 ただ勝つことだけにこだわるものだった。
 誰一人楽しそうな人は居なかった。
 余計に高校での仲間たちがもったいなく思えた。
 私にとっての最高のチームだった・・・

 私は迷わずにバレー部を退部した。
 それが私の最後のバレーだった・・・

 今日は入社の面接がある。
 ここの会社は結構大手なの。だから普段はお気楽な私もちょっと緊張気味。

「すぅ・・・はぁ・・・すぅ・・・はぁ・・・」
 私の横でずうっと深呼吸している人がいる。
 かなり緊張しているのだろうか・・・でもあまり効果が見られないんですけど?
 ちょっと声をかけてみようかな・・・

「あの~」
「うひゃぁっ!?」
 うわ~。余計緊張しちゃったよ。声かけなきゃ良かった。

「だ、大丈夫?かなり顔色悪いよ?」
「うあ、あ、あああ、あああ、ああ、あ、あ、あ・・・」
 急に離しかけられたので戸惑っているみたい。
 顔が真っ青だ。
 おいおい・・・こんなので面接が大丈夫なの?
 とりあえず・・・自己紹介しておこうかな。

「あ、私は朝野柚恵(あさのゆえ)。え~っと。多分同い年かな?」
「あ、わわわわ、わたっ、わたしっ!」
 ・・・何が言いたいのか全然わかんない・・・

「い、いいから少し落ち着きなよ~・・・」
「すぅ・・・はぁ・・・すぅ・・・はぁ・・・」

 この人を良く見ていて思ったんだけど、かなりスタイル良いなぁ。
 スーツの上からでもわかる膨らみ。深呼吸すると強調される。
 ストッキングに包まれた美脚・・・
 それに整ったモデル顔・・・
 それに比べ私は・・・はぁ・・・

 あ、ようやく深呼吸が終わったみたい。
「ふぅ・・・わ、私は狩野樹莉です。よ、宜しくお願いします!」
 突然深々と頭を下げてきた。

「え?いやあ。私面接官じゃないし、同年代だからタメ口でいいよ。ね?」
「・・・え~っと・・・じ、じゃあ・・・お、お互い頑張ろう!!」
 いやぁ・・・あんたが一番不安だっての。
 何か変な人と知り合っちゃったなぁ・・・

「次。16番から18番まで入室してください」
「は、はひっ!!」
 返事はしなくていいって!
「ほらぁ。緊張しすぎだって~」
「そ、そそそ・・・そんなこと・・・ない・・・っすよぉ?・・・」
 ダメだ。カチコチになってるよぉ。
 何か口調までおかしくなってるし~。
 あはっ。おかげで私は緊張がほぐれちゃった。

 いよいよ面接・・・
「では狩野さん。あなたの好きな食べ物は何ですか?」
「・・・・・・」
 おーい・・・あんただよ~

「狩野さん?」
「あっ!はいっ!!宜しくお願いします!!」
「・・・では朝野さん」
 あらら・・・こりゃあ落ちちゃったな。
 まあ樹莉の分まで私が頑張ってあげるから。

 -ガラッ!-
「すみませんっ!!遅れましたあっ!!」
 男の人が慌てて入ってきた。面接官が驚いている。
「・・・いえ、ここは受付嬢の面接ですが?」
「へ?あ、ま、間違えましたぁっ!!」
 そして慌てて去っていった。
 な、何だったんだろう。かなりおかしな人。

「あははははっ」
 お、樹莉が笑ってる。
「!!か、狩野さん!!」
 面接官が驚いて樹莉を見ている。
「ははっ・・・あ、はいっ!!すみません!!」
 あ~あ・・・怒らせちゃった・・・
「その笑顔ですよ!!いい笑顔です!!ぜひ採用させてください!!」
「え・・・ほ、本当ですかっ!?」
 うっそ~~。まあ確かに笑顔は可愛いけど。
 何でそんなサプライズ登録があるのよ~。

 中村まさかの代表落選!・・・古い・・・私も歳かなぁ・・・
 10代はよかったわぁ・・・ただやりたいことができたものねぇ・・・最近はお肌のハリも・・・って煩いわよっ!!まだまだ若いわよっ!!
 どう?私の得意技の1人ノリツッコミ。これで一世を風靡したのよ。

 結局私と樹莉は受付嬢に選ばれた。
 よかったよかった。

「あ、朝野さ・・・柚恵~」
 樹莉が私に笑顔で話しかけてくる。
 でも今、さん付けで呼びかけたわね?

「樹莉。2人とも受かるなんて良かったね」
「ホントホント。柚恵のおかげで緊張がほぐれたわ」
 いや・・・私と会話したのは効果が無かったと思うけど・・・

 何だか樹莉の笑顔を見ていると私まで嬉しい。
 さっきは顔が青ざめてたから思わなかったけど・・・赤みを帯びた顔は凄く綺麗。
 ほのぼのとしている笑顔。声も澄んでる。
 確かに受付嬢に向いているかもね。

 いよいよ初仕事だ。
「おはよう。樹莉」
「・・・・・・・・・・」
 無反応・・・聞こえてないの?
「樹莉?じゅ~りっ!!」
「ひゃっ!!?・・・あ、柚恵ちゃ・・・柚恵・・・」
 やっぱり・・・カチコチじゃん。
「ほら、リラックスリラックス!」
「う~~~。朝からドキドキしっぱなし・・・」
 プレッシャーに弱いのね・・・絶対ランナー×とかピンチ×とか寸前×とかチャンス×とかついてそうだわ・・・
 え?○×じゃなくって数字?・・・違うわよ!今でも携帯版は○×なの!!

 真新しい制服を着て椅子に座る。
 上司が見ているから気をつけないと・・・
 うう。この位置から見てると緊張する。
 なんたって入ってくる人が全員私たちを見てるからね。
 まさしく会社の鏡?会社の顔?・・・やば・・・自分で緊張を煽ってどうすんのよ・・・

 さて・・・緊張の樹莉はと言うと・・・
「あ、おはやうございましゅ!!」
 ・・・さっそく噛んでるよっ!!
 樹莉ったら緊張して顔が真っ赤。顔も俯いたまま。
 真っ青になったり真っ赤になったり・・・忙しい顔ね。
 しかも失敗したことから余計に緊張してる。
 ダメじゃない。あなたの売りは笑顔でしょ?
 ・・・なんて言ったら泣き出しちゃいそう。

「ちょっと、噛みまくりじゃない!」
 上司が茶化すように声をかけた。
「き、緊張しちゃって・・・すみません・・・」
 やれやれ・・・世話の焼けるルーキーだこと・・・

 勝気な女性がやってきて樹莉に声をかけてきた。
「おいおい!そんなんじゃあすぐにクビにされちゃうぜ?」
 結構低い声。威圧されそう。

「あ・・・す、すみません・・・わ、私・・・私・・・くすん・・・くすん・・・」
 あらら、樹莉が泣き出しちゃった。
 きっと思うようにいかなくて悔しいんだろうな~。
 あらら~。声をかけた人が戸惑ってるよ~。

「お、おいおい・・・激励のつもりだったんだけどな・・・やっぱり私って怒ってるように見えんのかな?・・・なあ、他の人が見てるから・・・まいったな・・・そうだ、今日飲みに連れてってやるよ。それで許してくれよ。な?」
「え?・・・」
 え?
「私は蟹沢朱里。じゃあ後でな」
 あらら・・・返事も聞かずに行っちゃった・・・
 樹莉のおかげで飲みに行くことになった。

 あれ?私は誘われたのかな?それとも樹莉だけ?
 ・・・まあいいか。とりあえず樹莉一人じゃ不安だし。
 便乗しちゃえ!お金も浮くでしょ!
 なんたって生活が厳しいからね~。

 さて、こっちはもう仕事も終わったんだけど・・・
 来ないなぁ・・・うん。来ない・・・
「遅いね~。嘘だったんじゃない?」
 私にだって都合ってものがあるんだから。
「そんなこと言わずに待ってましょうよ~」
 ったく。樹莉は人を信じやすいみたい・・・

 で、いつまで待てばいいのかな?
 そう言えば待ち合わせの時間も聞いてないし。
 ま、そのぐらい向こうも分かってるはずだけど。

「お~っす!すまんすまん!待ったか?」
 あ、蟹沢さんが来た。
 ん?なんか後ろに2人居るんですけど。
 こんだけ居たら・・・割り勘?
 あ~あ。おごってくれるんだと思ったわ。帰ろっかな~。

「あの・・・そちらの方は?」
 私が考えてる間に樹莉が質問した。やるじゃん。
「ああ、こいつらは私の部下。同じ新人だから仲良くなると思ってな。ほら、自己紹介」
「初めまして。慶田美咲です」
 人懐っこい顔をしてる。

「・・・西岡琉璃です」
 なんだか冷たい目をしてる・・・

 ん?樹莉が驚いてる。
「あ、あの!!もしかしてあなた!!」
 西岡って子に話しかける。
 ひょっとして知り合い?

 西岡って子はちょっと怯えた風に驚いている。
「っ!!?あ・・・あなたは・・・京徳東の?」

 樹莉の顔がぱあっと笑顔になった。
「やっぱり?うっそ~!こんな所でバレー仲間に会えるなんて~!秀創学院の主将だったよね?」
「・・・・・・ええ」
 対して琉璃は浮かない顔をしている。

 蟹沢さんが2人を制止した。
「おいおい、こんな所で盛り上がるなよ。こっちだ」
 蟹沢さんに連れられて私達はその居酒屋へと向かった・・・

 そんな・・・ま、まさか・・・狩野樹莉が同じ職場だったなんて・・・
 幸い向こうは私を恨んではいないみたいだけど。
 なんだか気まずい。

「ねえ!琉璃って呼んでもいい?」
 な、何?
 う・・・試合で見せた厳しい顔とは違って・・・
 何か心を許してしまうような笑顔・・・

「う、うん・・・」
「ホント!?じゃあ琉璃といっぱいバレーを語っていい?」
「・・・う、うん・・・」

 朱里さんがグラスを持って立ち上がる。
 ・・・別に立たなくても・・・と思うのはどうやら私だけみたい・・・
「んん?早速仲良くなったみたいだな。まあいいや。ほら、乾杯~!」

 樹莉は私と会えたのが相当嬉しいのか、ぐびぐびとビールを飲む。
 酔いが回って次第に何を言ってるのかわからなくなってくる。
 私はアルコールは弱いので、あんまり口をつけていない。

「樹莉・・・あの・・・私のこと恨んでないの?」
 今なら本音が聞けそうだった。
 思い切ってあのときの事を聞いてみた。

「恨むぅ?何でぇ?それどころかやってて楽しかったわよぉ。うはははは!」
 だとしたら私は・・・勝利にこだわった私は・・・
 あんたに怒りをぶつけた私は・・・
 バカみたいじゃない・・・

 朱里さんが樹莉に目をつけた。獲物を見つけた怪しい目だ。
「お、樹莉。いける口だな?」
「うっす!いただいちゃってますぅ!!」
「いい飲みっぷりだな!おし、もっといけ!限界まで勝負だ!」
「うへ~。ボスを負かしちゃってもいいかな~?」
「いいとも~・・・んなわけないだろ!!私が新人に負けるかよ!!」

 一方では柚恵と美咲が仲良くなっていた。
 これも樹莉のオープンな性格が影響かも。

「ふぅ~。あっついあっつい・・・」
 樹莉がカッターシャツを脱ぎかける。
「ああっと!樹莉!飲みすぎ!ダメだったら!」
 柚恵がすかさず止めに入った。

「お、いいぞ~!もっと脱げ~!」
 朱里さんがはやし立てる。
「ふぁいっ!!脱がしていただきましゅ!!ボス!!」
「誰がボスじゃいっ!!」
 あ、朱里さんがお笑い芸人みたいに助走をつけたダイビングキックで・・・
「ふべっ!?」
 あ~あ~。酔ってるからまともに蹴り飛ばされちゃってる。
「ばたんきゅ~・・・」
 え?何それ?・・・

「ちょっと樹莉!しっかりしてよ!」
 今度はスカートも脱ぎそうだったので、美咲も止めに入る。

 樹莉を止められるのは朱里さんしか・・・
「は~い。お代はこちらの箱にどうぞ~。近くで見たら1000円!素肌に触ったら10000円!さあじゃんじゃんやっちゃって!!」
 朱里さんがちょっと暴走気味・・・
 ふすまを開けて他の客に見せ付ける。
 仕方ない。このままじゃ私まで恥ずかしい。

「朱里さん・・・」
 私は朱里さんの視界を手で塞ぐ。
「あ?何だ?」

「ほら、力が抜けていい気持ち・・・」
「ぅ・・・」
 私が頭をぐるんと回すと、朱里さんが崩れるように寝そべった。
 かーかーといびきをかいて眠っている。
 すぐさまふすまを閉める。
 お客さんがちょっとがっかりしたみたい。

 これが私の特技。催眠術。
 教えてもらったきっかけは大学。
 精神ケアの一環として催眠療法を学んだ。
 治療から暗示まで幅広く使われている。
 私は敢えて催眠術と呼んでいる。

 私の目に樹莉が映る。
 だけど樹莉には使わない。
 あまり多用すると飛騨みたいに嫌われ者になる。
 あいつはバカだ。
 ちょっとかじったらすぐに女に手を出した。
 そして失敗して酷い目にあっていた。

 そしてその飛騨が私に手を出してきたとき、私は奴を催眠にかけ、さまざまな芸を仕込んで大学中のさらし者にした。
 おかげで奴は惨めな大学生活をしてたな。
 ふっ。思い出すだけで笑える。自業自得よ。バーカ。

 どたばたと音が聞こえる。樹莉が暴れている。
「ふあ~~~。みなひゃん!おやふみなふぁ~い・・・」
 柚恵が重そうに支えている。
「ちょっと樹莉!!こんな所で寝ちゃダメだって!!」
「う~・・・きもち~も~ん・・・」
「あ~もう!何でそんなに飲むかな!」
 柚恵が困ったように声を出した。

 樹莉が大の字になって寝そべっている。
 その大きな胸と綺麗な脚が晒される。
 そうだった。今は昔のことを思い返してる場合じゃない。

「・・・樹莉の家知らないの?」
 私は柚恵に聞いてみた。
 同じ受付嬢なら知ってるかもれない・・・

「し、知らないわよ~」
 仕方ないか。まだ数回しか話してないだろうし。

「そう、じゃ、水でも飲ませてしばらくしたら起きるでしょ」
 私にとっては面倒くさいだけ。
 もうふすまも閉めたし、勝手に暴れるなり寝るなりしてれば?
 気持ちよさそうに寝ている樹莉を見てイラっときた。

「ほら、お水飲んで」
「う~~あ~~」
 樹莉はへろへろになって、柚恵に支えられている。
 そして美咲が水を飲ませる。
 にしても酔いつぶれるまで飲むなんて・・・

 あれかな?もしかして受付嬢って結構不安だったのかな?
 それとも私のせい?
 何か・・・つまらない・・・

「私・・・帰る」
「え?ちょ、ちょっと!!琉璃!!」
 美咲が私を呼び止める。
 私は・・・自分の分のお金だけ置いてさっさと逃げ出した。
 そう。逃げたのよ。

 翌日・・・
「ちょっと樹莉、笑顔笑顔!」
「あ、あははは・・・う・・・」
 樹莉はかなり飲みすぎた。顔が青い。

 琉璃もあの後帰っちゃったし。
 朱里さんも寝ちゃってたし。
 結局、美咲より家の近い私が樹莉を泊まらせてあげた。
 朱里さんは・・・何とか起きて帰っていったけど。

 おかげで樹莉の服は昨日のまま。
 朝から酔いを消そうとトマトジュースをがぶ飲みさせるなり色々と頑張ったけれど、結局お酒臭さは残ってしまった。
 しかも酷い頭痛と吐き気がするらしい。

 おいおい・・・お前の売りは笑顔だろ?
 ・・・なんて言ったらやっぱり泣き出しそうで・・・
 しかも気持ち悪いって言ってたから吐いちゃうかも。
 だってその顔が痛々しいもの。
 上司が怒ったら吐いちゃって大変だったのよ。

 美咲が樹莉を心配して声をかける。
「おはよう。大丈夫だった?・・・っていっても顔色で分かるけど」
「え、えへへへへ・・・」

 何がえへへへ~だ!お前のおかげで腕が筋肉痛じゃ!
 あれか?その筋肉量とおっぱいの重さか!?
 絶対BMI指数じゃ『やや肥満』だな!ざまあみろ!
 でもまあ・・・その懸命な作り笑いに免じて許してやるか!

「あ、おはよう。琉璃!」
 あ、琉璃だ。昨日はよくも逃げたな~?
 でも樹莉は気にしていないようで・・・
 また作り笑いを見せる。

「ご、ごめんね~昨日は。あははは・・・」
「・・・いや、私は帰ったから」
 あれ?琉璃が喋ってるよ。
 意外ねぇ~。性格は正反対みたいに見えるけど。

 朱里さんが走ってきた。時間ギリギリですよ~。
「よお。樹莉。また行こうな!」
「え?は、はい・・・」
 さすがに樹莉は懲りたみたい。
 でも樹莉を通じて仲間が出来てよかったわ。

 それから私達はたびたび飲み会を開いた。
 朱里さんは・・・朱里って呼ばれたいらしい。
 なんか自分だけさん付けだとよそよそしいからだそうだ。

 樹莉は楽しくお酒を飲むようになったんだけど・・・
 たびたび一人で自棄酒を飲んでるみたい。
 ・・・一応仕事に支障が出ないようにはしているらしいけど。

「いや~。今日も可愛いね~樹莉ちゃん」
 中年のおじさんたちがデレデレと樹莉に話し込むようになった。
 樹莉も大分慣れてきたみたい。おかげで有名になってる。
 最初は大変だったのよ。セクハラ発言にマジギレしたりして。

「うふふふふっ。ありがとうございます。あ、そろそろ時間じゃないですか?今日は会議だと伺いましたけど・・・」
「お、いかんいかん。あまりにも可愛いからつい話し込んでしまった。それにしてもよく覚えてるね。凄いな~樹莉ちゃんは。まさにおじさんたちのオアシスだよ。あはははは」

 おじさんたちは樹莉のおかげで頑張ってる。
 一部の部署では業績も上がってるらしい。
 むむっ・・・美人は得ね・・・

 樹莉が横に居ると・・・私ってなんだろうって思う・・・
 樹莉が居なかったら今頃は私がちやほやと・・・
 ・・・・・・っ!!
 いやいやいや!樹莉はいい子だよ!
 何考えてるんだよ私は!!友達だろ!!
 これは仕事だ!公私混同しちゃダメ!!

 樹莉・・・最近ストレスたまってるみたいね。
 私たちと飲まない日も、一人で行きつけのバーで飲んでいるらしい。
 それでも私たちと飲むときにはすごく明るい笑顔を見せる。

 でもね・・・分かってるのよ。
 私たちと飲むだけではストレスは減らない。
 だって私たちを盛り上げるばかりだから。自分が楽しむのはその次。
 それじゃあまるで接待みたいじゃない。

 このままじゃまずいわね・・・
 柚恵も樹莉に嫉妬しかけてるし。

 かけてみる?
 樹莉に・・・催眠術・・・
 まあ、私たちも樹莉自身に楽しんで欲しいし。
 樹莉の本当の笑顔が一番見たいし。
 いいよね・・・かけても。

「琉璃~。例のアレお願い~」
 美咲が疲れた顔で私の元に来た。
 例のアレ・・・そう、催眠術のことだ。

「いいわよ。じゃあそこの椅子に座って」
「う~。今日は一段と疲れてるわ~」
「いい?じゃあ・・・『深い海に身を委ねる』」

 私の腕はかなりのもの。
 そのおかげで美咲と朱里はたびたび私を頼るようになった。

「いい?今からあなたの疲れを消していくわよ・・・まず精神的な疲れを消しましょう」
「・・・」
 がっくりと頭を垂れて、完全に私を信頼している。

 私は美咲の胸をさする。
「いい?私がこうやってるとあなたの心のコリがほぐれていく・・・とってもいい気持ちになる・・・」
「・・・ん・・・」
 口が開いてきた。かなりいい気持ちのようだ。

「次は身体の疲れを消しましょう。じわじわと身体が温かくなっていきます。ぽかぽかしてとってもいい気持ちです」
 はっきり言って、美咲は完全に私の手駒に出来る。
 まあするつもりはないけど。

 とりあえずはきっかけになってもらわないとね。

 私は美咲にも樹莉へ催眠をかける話を切り出した。
「美咲。最近樹莉が楽しそうじゃないでしょ?だから催眠をかけてみようかと思うの」
「うん。いいんじゃない?」
「だからちょっと芝居をして欲しいんだけど・・・」

 私は美咲と朱里に今日の作戦を話した。
 今日、私は催眠をかける。樹莉に。

「・・・なるほどねえ。わかった。じゃあ誘っておくよ」
 朱里が誘えば樹莉たちは絶対に断れない。

 問題は柚恵だ。
 柚恵が樹莉を親友だと思っていて、さらに劣等感を感じていれば上手くいく。
 だけど劣等感が大きすぎると友情は崩壊する。
 そして少なすぎれば友情を想って催眠を拒否してしまう。

 ま、気楽にやればいいか。
 失敗してどうこうなるものでもないし。

< つづく >

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