第22話
法王は王宮の一室をあてがわれた。幸い部屋は広く、十分な食事もあり、聖典を所望したらあっさり受け入れられた。
彼女はロザリオを肌身離さず、聖典を読み返して時間を過ごすことにする。
1日目。
「――ふ、ふざけるなっ!」
法王の悲鳴のような声が響いた。
タローマティが彼女に『挨拶』を求めたからだ。手に口づけをし恭順を示せ、と。
「勇ましいことだ。だが、大聖堂はどうなってもいいのか?」
「!」
法王の見開かれた眼球がぶるっと震える。
今頃彼女を案じて祈っている大聖堂の人々を人質にされては、彼女になすすべはなかった。
「わかった……」
長い沈黙の後、法王は跪きタローマティの右手を取る。
怒りと憎悪に染まった目でタローマティを見上げながら、震える唇を手の甲に添わした。
く……っ……。
敏感な唇の粘膜が闇の者の皮膚に触れると、彼女の心はひどくざわついた。顔が電流でも流れたように引き攣る。
「法王、俺がいいと言うまでそのままでいろ」
タローマティの目が光る。言われるままに彼女はそのまま唇を押し付け続ける。
嫌悪感に吐き気がした。悔しさに涙が出た。
許さない! いまに見ていろ! 貴様に光の神の罰が下るだろう……!
そう思いながら、無意識のうちに唇をわずかに広げ舌を動かし始める。舌の先端、腹、裏を使って唾液を手の甲に分け与えていく。
ん……んっ……。
ねっとりといやな音が耳の奥で巻く。それが自分の舌から出ていると思うと法王の頬を熱い涙が伝う。しかし挨拶の接吻というには行き過ぎたその行為にはなんの疑問も抱かなかった。
やがて、法王の様子が変わってきた。
表情から怒りが消え、涙の跡が残る目元はとろんと弛緩する。
「ん……ふぅ……く……」
悪魔の体液は媚薬に等しい。訓練を受けた巫女ならばともかく、一般人にとっては僅かな汗もあまりに危険な麻薬だった。
両手は力なく下がり、舌だけがタローマティの手の甲の上を忙しく往復していた。口元から唾液が零れているのにも気づかない。
「もういい、ソフィア」
「んむぁ……」
タローマティの手が糸を引いて離れる。法王はそれを名残惜しそうに見つめた。
「ソフィア、聞こえるか」
「はい……」
彼女は早くも洗脳状態に陥っていた。
「ソフィア、俺の言うことはすべて本当だ」
「はい……。あなたの言うことはすべて本当……」
「お前は俺の言うことは、当然のように受け入れる」
「はい……あなたの言うことは、当然のように受け入れる……」
法王は洗脳への耐性など鍛えていない。本来ならこのまますぐにタローマティの支配下に堕ちてもおかしくなかった。
が、彼女の心には絶対の砦があった。
それは、光の神への信仰だ。
どんな暗示を与えても、どんな快楽を与えても、彼女の信仰は揺らぐことがないように見えた。
「ふふ」
タローマティは短く呪文を唱えると、掌上に黒い靄を生じさせる。靄は円環状に凝固し、漆黒の指輪になった。
タローマティはそれを彼女の中指にそっと填める。
と、それが合図になったのか、法王はハッと目を瞬かせた。
「な! なんだこの指輪は!? いつの間にこんなものを……」
「何を言っている。お前は最初からこれを填めていただろう」
え。
その言葉がスイッチになり、法王の思考が一瞬のうちに組み替えられる。
「お前は幼いころからこれを大事にしていたのだろう?」
そ……そうだ! これはわらわの御守りだった。寝るときも湯浴みのときも一緒だった。体の一部も同然だ。
そう認識したとたん、奇妙な模様と黒の光沢が親しみがある物に思えた。どうして長年慣れ親しんだこれを禍々しいと思ったのだろう。
法王はそれをタローマティから守るように背中に隠した。
「さて法王、今日はこれを届けにきた」
タローマティが渡したのは、黒い表紙の本だった。邪教の教典だ。
「閉じこもっていては退屈だろう。それでも読んでいろ」
その晩、法王はベッドで伏せっていた。
その日は水ひとつ飲んでいない。邪神に口付けした唇で食事をしたくなかった。
ようやく観念し水を飲むために起き上がると、まず目に付いたのは邪教の経典だった。
ふん。こんなもの!
誰がこんな穢らわしいものを読むものか! なにが「それでも読んでいろ」だ! それでも読んでいろ……読んでいろ……読んででいろ……か。……たしかに、敵の考え方を知っておくことも大事な。敵に飲まれないためには、そうだな……敵を知るのが肝要だ。
彼女はおもむろにその黒塗りの表紙をめくった。
「う……」
だが、1ページ読了しただけで耐え難くなり、法王は表紙を閉じた。
闇の力がどんなに偉大か、血と肉がどんなに甘美か、恐ろしいことが延々と書かれていた。それに、ひどい文だ。支離滅裂で、矛盾点を見つけずにいるのが困難なほどだった。
口直しに、彼女は聖典のほうに向かっていた。
「うん……」
沈痛としていた彼女の表情が輝き始める。気がつくと食い入るように聖典を見ていた。
まるで砂地に水が染み込むように聖典の言葉が胸に響く。かつては何気なく読み流していた言葉一つ一つに光の神の大いなる意思があることがはじめて読み取れた。
彼女は、改めて光の神の偉大さを再認識した。
絶望的な状況下でも、いや、だからこそ、光の神の心が理解でき、信仰が深まるのを感じた。
「ありがとう……光の神……」
彼女の目からぽろぽろと涙が流れた。
わらわには光の神がついている。何も恐れることはない。
蝋燭の薄明かりを頼りに聖典を紐解くその目は信仰という光が煌々と輝いていた。
その日、彼女は聖典を抱きしめて眠った。
2日目。
気だるい気持ちで法王は目覚めた。
起床早々彼女は祈る。昨晩信仰を再確認した彼女は、すぐに光の神への忠誠を示したいと思った。
しかし、いまひとつ気乗りがしない。
なぜだろう。
きっと、祭具がないからだ。彼女はそう納得した。
彼女は投げやりな気持ちで朝の祈りを済ませた。その朝は聖典も読む気になれなかった。
そうだ。闇の教典を読まないと……読まないといけないんだった。
彼女はページを開く。相変わらずの内容だ。ひどく残酷で破戒的で、部屋に閉じこもって育った法王には刺激が強すぎる。胃がむかむかし、彼女は洗面器に嘔吐する。
胃のものを一通り吐き出し終えると、彼女の足は自然と闇の教典の前に向かっていた。
こんな思いをしながらなぜ律儀にこんなものを読んでいるのだろう……。彼女のそんな疑問は、絶え間なく入ってくる禍々しい文字の洪水に浚われ消えていった。
日が高く上るころ、タローマティが現れた。
奴め。また手に接吻をしろと言うのだろう。だが法王は何も怖くなかった。彼女は昨晩光の神への信仰を固めたばかりだ。こんな形ばかりの行為で彼女の信仰は微塵も傷つきはしない。
彼女は自分からタローマティの手を取り、それにキスをした。
「んっ……」
それは昨日よりも大胆な、唇全体を押し付ける濃厚なものだ。
昨日のような嫌悪は感じなかった。むしろ気持ちがいいくらいだ。きっとわらわの信仰心が、邪神の魔力を克服したのだ、と法王は考える。
ふん。奴はこんなものでわらわの心を汚せるとでも思っているのか?
彼女は邪神の浅はかさを蔑んだ。勝ち誇った顔でタローマティを見つめると、濃密な接吻をもう片方の手にも浴びせるのだった。
彼女の挨拶が終わると、タローマティは彼女の姿を眺めて笑った。
「ところで法王、いつまでそんな格好でいる気だ?」
「え?」
「服のことだ。人前でいるときに服を着ろと教えられたのか?」
「な、何を言って……」
不意に彼女は不可解な恐怖に捕らわれた。タローマティが話すたびに、彼女の中で何かがばらばらに崩れ始める。
「服は体の穢れを隠すための物だろう? 人前でそれを着るということは穢れを隠し持っていますと主張しているようなものだ。俺は服を着ている人間は見たことがないがな……」
法王はしばらくきょとんとし、それから急に顔を真っ赤にする。
そうだ……奴の言った通りではないか!
外界から隔絶された暮しで、世の中の常識を忘れていた。そう、人はみな裸ではないか。光の神のお作りになった楽園では誰もが裸だっただろう。
法王は慌てて服を脱ぎ始めた。緋のガウンを大急ぎで脱ぎ、チェニックを脱ぎ、腰までのソックスと手袋を外す。たちまち彼女は上下の肌着だけになった。
タローマティのほうに目を遣ると、彼は依然いやらしく笑っている。法王はカッとなり、急いでシャツを外す。わずかな膨らみの頂点の蕾が外気にさらされた。
次が最後、ようやく……。
彼女はドロワーズを乱暴に下ろす。白い産毛に覆われた恥部があらわになる。
彼女は、タローマティの前で、生まれたままの姿になった。
これでよし。もう恥ずかしくはない。
法王は直立してタローマティに向き直った。その姿は堂々としていて、今しがた感じた不可解な恐怖は頭から消えていた。彼女は密かに安堵の溜息を漏らす。
生まれたままの姿の彼女が身につけているのは首のロザリオだけだ。神聖さの象徴であるロザリオと裸体の対比が何とも倒錯した姿であった。
「あっ」
いや、もうひとつ彼女が付けているものがあった。黒の指輪だ。大事な指輪を見られまいとするように背中に隠す。局部があらわになっているのには構わず指輪を隠そうとするのはいじらしかった。
「よくできた。では、今日は足を嘗めてもらおうか」
「なっ!」
「できるよな? 法王」
「!」
法王は身震いする。
なんだっただろう。たしか、タローマティに従わなければいけない理由があったはずだ。たしか、とても大事なものを人質にとられていた気が……。しかし法王はそれが何か思い出すことができない。
とにかく、わらわはこいつに服従する必要があったはずだ。従う義務がある……そう……従いたい……。
理由はわからなくとも、服従したいという欲求が法王の中で増殖していく。
彼女は、幼い裸体をタローマティの前に跪かせた。
光の神よ……どうかわらわを許したまえ……。
その晩、彼女はベッドで裸の身体を丸めで泣いていた。
「うっ……うっ……うぁああ……」
緋のガウンを外し華奢な身体のラインをさらした彼女は、以前より縮んで見えた。悄然とする痩せこけた体は人形じみていて、脆そうで、少しねじれば壊れてしまいそうだった。
光の神……! 光の神よ……!
法王はロザリオを握りしめる。
光の神! わらわは法王なのでしょう? あなたに誰よりも愛されているのでしょう?
なぜ、わらわをこのような目に遭わせるのです?
光の神……どうして答えてくれない?
彼女はベッドから起き上がりロザリオで祈る。聖典を開く。だが、昨日彼女の心に降りてきた霊感は今日は微塵も感じられなかった。聖典の言葉が、今はひどく空疎なものに思えてならない。
どうしたのだろう? ショックのあまり一時的に感性も失ってしまったのか?
信仰の危機を感じ、彼女はロザリオを強く握り締めた。
神よ、わらわを守りたまえ……。
彼女は萎びている自分の信仰心を絞り出そうとするように強く祈った。
夜が白み始め、疲れて眠ってしまうまで、ずっと祈り続けた。
3日目。
法王は目覚めた。まず目にしたのはテーブルの上の聖典だった。
手持ち無沙汰のままにページを開くが、どの言葉も彼女の心には届かない。くだらないことを延々と書き綴るそれが滑稽に思え、彼女は何度か失笑した。こんなものを有難がる人間がいることが可笑しく思える。
次に闇の教典を開いた。
相変わらず目を背けたくなる内容だが、なぜか文字一文字がまるで彼女の心にインクで書き留められたように記憶されていく。不思議と、昨日一昨日読んだページも一字一句思い出すことができた。彼女はそのイメージに強い不安を覚えながらも、読み進めるのをやめられない。今日は朝食も忘れ何十ページも読んでしまった。
しばらくして、今日もタローマティが現れた。
裸のままの彼女は躊躇いなくタローマティの手に、そして足に『挨拶』をする。
その口付けは、昨日より一段と濃密になっている。足の上面だけではなく、横顔を躊躇いなく床に擦り付け、足の裏を、土踏まずを、彼女は隈無く嘗めていった。
と、タローマティが口を開く。
「法王、今日は新しいロザリオを持ってきてやった」
「ロザリオ……?」
タローマティは彼女の手を取り、自分の股間のものに触れさせる。強い闇の気配が手から彼女の脳に駆け上がってきた。ほんの一瞬で全身の毛穴が閉じる。
「い、いやあああああああああああっ!?」
彼女は全力で手を振りほどこうとするが、非力な彼女にそれは叶わない。
「よく見ろ。ロザリオだろう?」
「な……っ!」
そのとき、法王の意識に亀裂が入り、異質な形に組みかえられる。
「あ……」
焦燥の極地にあった彼女の心が見る見るうちに静まる。
そうだ。ロザリオだ。わらわのよりも、ずっと太くて頼もしいロザリオだ。
美しい。こんな立派なロザリオは初めて見る。
彼女は両手でそれを握り締めて感触を確かめた。銀の高貴な匂い、感触、冷たさ。光が十字の形に形作ったようだ。彼女は陶然とそれを見つめる。なんて美しいんだろう。彼女はその形、その色を細部まで脳に焼き付け、理想の物として刻印する。どうしてこれをよりによってあんな醜悪なものと履き違えたのだろう。彼女は自分を恥じた。
「法王、アールマティ聖教では、ロザリオをどうやって使うんだ?」
「それは――」
「口で舐めるんだろう?」
舐める……? そうだ……そう使うんだった……。毎日の祈りも、祭事のときも、そうしてきたんだ。彼女のその記憶が蘇る、舌にロザリオの感触が蘇る。
そうだ……信仰を示さないと……。
ロザリオを口で舐めるのは信仰の証。それは光の神の使途として最大の喜びのはずだ。
彼女は跪き、邪神の股にある『ロザリオ』に口付けをした。
竿を両手でしっかりと握り、先端からにじみ出ている先行液を舌ですくいとる。
「んっ……」
不意に予期せぬ感覚が背筋を駆け上がったが、彼女はそれに耐える。
今度はより大胆に、舌の裏を亀頭に押し付け、口の粘液を分け与えるように丹念に愛撫する。亀頭から竿へ。根元から袋に。鈴口から糸口へ。
その匂い、その感触。彼女の中でこの上なく聖なるもののように感じられた。溢れ出す先行液が泡立ち、くちゅ、くちゅ、という音を立てる。その音さえ彼女にとって賛美歌のソプラノに聞こえた。
ああ。なんて素晴らしいロザリオだろう……! この素晴らしさを感じられる限り、わらわの信仰は揺るぐことはない……。
一呼吸のたびに、心の中で幾多もの光の神の賛辞が生まれた。ステンドグラスに差し込む光の美しさ、祈りの言葉を唱えるときの研ぎ澄まされた気持ちを思いだすと、法悦のあまり感涙にむせぶ。このところ萎みかけていた彼女の光の神への信仰は、残った輝きをすべて振り絞るように極限にまで輝いていた。
が、それに伴い、彼女が今まで感じたことのない快感が芽生えていた。
「んぁ……はむ……むぅ……」
悪魔の体液は媚薬。先行液のその強さは、汗とは比べ物にならない。
いつの間にか、光の神への祈りに集中していた彼女の心は、身体の芯を痺れさせるその快感への虜になっていた。
「んっ…ふぅ……あむ……」
幼い彼女の隙間さえなかった秘所が、いつの間にかしっとり濡れている。そして、無意識に腿と腿を摺り合わせていることも、裸ゆえに明らかだった。
口の中のロザリオが、徐々に大きく固くなっていく。それにつれ、舌に伝わる快感も増していく。まるで無限に階段を上がっていくようだ。
なにか変……。きもちよすぎる……。これは、罠……?
彼女はそう思い立ったが、快楽の疼きには逆らえない。
「幸福か、ソフィア」
「んぁ……」
「闇の力を受け入れれば、もっと幸福にしてやるぞ」
だめ……。
洗脳だけはされちゃだめ……。
そう思いながら、舌の動きは激しくなる一方だ。
「光の神など捨ててしまえ」
そんなことはできない、光の神はわらわのすべて……光の神は……光の神は……。
彼女は光の神への信仰を確かめようとする。しかし、なぜか光の神の名は彼女の心に響かない。聖典の言葉も、ロザリオの輝きも、もう思いだすことができない。
「お前は誰よりも敬虔な光の神の信者だった。だが、信じれば信じるほど光の神はお前を苦しめただろう?」
あ……。
彼女の記憶が蘇る。
ほんの小さいころに、クマのぬいぐるみも取り上げられ、法王の間に閉じ込められた。部屋を出ることもできず、この世界の重みを一方的に背負わされるだけの人生だった。
わらわは、法王なんかにはなりたくなかった……っ!
苦しかった。彼女の小さな肩に世界の重圧がのしかかっているのに、彼女は誰にも頼れない。どんなに祈っても光の神は答えてくれない。ただただ、象徴として法王の椅子に座らされるだけの操り人形。
わらわは、光の神の人形……!
「お前を苦しめてばかりの光の神が恨めしいだろう?」
そう……。
人形……わらわはずっと光の神の人形だった……!
いやだ! わらわは人間だ……人形なんかじゃない……。
光の神など……。
光の神など……。
と、竿を握るその指が、不意に怪しく光った。
……え?
いや、指に填められた指輪が窓から差し込む日光を反射したのだ。
異質なその黒光が、彼女を正気に戻した。
なんだ……わらわの指輪が……。
いや。
わらわは……わらわは、こんな指輪など知らない!
どうして! さっき、わらわは光の神への信仰を新たにしたはずだ! なぜ光の神を捨てたいなどと思う?
それ以前に、なぜ奴のものを嬉々としてくわえている!?
そう思った瞬間、彼女の口からロザリオが消え、目の前に赤く怒張した肉棒が現れた。
「! う、うわあああああっ!」
彼女は飛び上がり、タローマティから離れる。
彼女は胃のものを床に吐き出し、唇を何度も何度も拭うと、涙目で指輪を睨みつけた。
この指輪……! この指輪はなんだ!?
この指輪……この指輪によって、わらわは暗示を加えられてしまったのか? 光の神と常にともにあったはずのわらわの心が……!
法王の心を埋め尽くすその疑問に、タローマティが答えた。
「いいや。それには、何も暗示を加える力はない」
「う……嘘をっ」
「加えるのではなく、奪うのだ」
タローマティは法王の手の指輪を指差して語り始める。
「その指輪を填めているときに持ち主が強く思った感情は、その指輪の中に吸収される。持ち主の心にはもう戻らない」
「そ……」
「持ち主が強く思えば思うほど、それだけ早く指輪に流れ込んでいく」
「そ……そんな……」
アールマティへの信仰。そうだ。わらわは、それを強く想った。強く想えば想うほど、それが潮が引くように消えていったのは、そのせいだったの?
わらわが、必死に大事なものを守ろうとするほど、闇の手に差し出していったの?
「い、いやぁああああああっ!」
法王は膝をつき、頭を抱える。
「そんな、そんなっ! わらわはなんてことを……!」
踞る法王の上から、タローマティの声が響く。
「法王、お前はいまミスを犯した自分を心から責めている。自責の心。使命感。お前にとって、それはそれは大事なものだ。だがわかってるな。それを固持しようとするほど、指輪はお前のその気持ちを吸い取っていく」
「い、いや……」
こんな指輪の力に負けてはいけない……! わらわはわらわ……! 邪神などに操られてはいけない……。わらわはわらわ……。わらわわわらわ……。わらわらわらわら……
やがて彼女は糸が切れた人形のように床に倒れた。
今、彼女の最も大事なものが指輪に吸い取られたのだ。
アールマティ聖教によってずっと操られていたいびつな人形は、今完全に糸を切り離され、壊れてしまった。
「さあ、立て」
タローマティは従う物を従わせる声で命令する。法王はまろびながら立ち上がった。
彼女の心には、もう何もなかった。信仰心も、誇りも、抵抗の意思も、それを失ったことを悔いる気持ちさえもなかった。重荷から解放された陰鬱な快感だけが仄かに燻っていた。
「出来上がりだ。お前の気高い心を吸い取って、指輪はこんなに美しく輝くようになった。もっと近くで見せてくれ」
法王はタローマティに言われるまま、右手を差し出す。
タローマティがその指に触れると、彼女の想いを吸い取り続けてきた指輪が何の抵抗もなく外れていった。
「この指輪はお前の光の神に対する信心すべてを吸収してきた。それは今、この中にある」
「……」
タローマティは指輪をまじまじ法王に見せると、それを握り締めた。彼の手の中でそれは黒い靄に変わった。
タローマティはそれを飲み込んだ。
「あ……」
「さあソフィア、お前の信仰心……さあ、それは今どこにある?」
そこ に ある。
法王の目はタローマティの胸に向かってしまう。
「そうだ。ここだ」
ああ……そんな……。
彼女の虚ろな顔がかすかに苦痛に歪む。
だめだ……わらわの神は光の神だけ……光の神……。タローマティ様なんかに……。あれ……? タローマティ……あ、わらわはなんと畏れ多いことを……! タローマティ様だ! タローマティ様はわらわの……。あ。駄目だ。光の神第一のしもべとしての誇りが……。誇り? そんなものより、この方に見つめられていると胸から湧き上がってくるこの感情のほうが……。これに比べれば……アールマティなどどうでも……。あぁ……駄目……。
法王はタローマティを睨もうとするが、憎しみと軽蔑はもう湧いてこない。かわりに、光の神に対して抱いていたはずの敬意と愛情がそのまま転移して現れる。光の神への思いは彼女にとって唯一絶対だったゆえに、たとえ術の力によるものと知っていながらも、それを拒むことができなかった。
気がつくと彼女はその場に両膝を付き、祈るような目でタローマティを見上げていた。
彼女の記憶にある聖典への帰依心が、闇の教典へと置き換えられる。忌々しく思っていたはずの闇の教典の言葉が一転して輝き始める。かつて矛盾だらけに思えたその文章が、いまやはっきり理解できる、心から共感できる。記憶の中に刻まれているその文句ひとつひとつに彼女の心がうち震えた。
ああ……。
彼女の顔が理解の喜びに染まる。
彼女の中で美の象徴であったロザリオの輝きが色を失い、それと同じ分だけ闇が鮮やかに映え始めた。世界を漆黒に染める闇が、たまらなく美しく見える。闇。闇はなんてすてきなんだろう。すべてを黒くそめる闇に身を浸していれば、もうこれ以上黒くなることはない。すべての苦痛から解放され、ずっと安心していられる。もう目障りにちらつく光に煩わされないで済む。
そう……わらわの神は……アールマティではない……タローマティ様……。
タローマティ様……。タローマティ様……。
「ソフィア。俺のものになれ」
ソフィア。そう本当の名前で呼ばれ、法王の心に新しい灯がともった。見つめられ名前を呼ばれたことが彼女の中を誇りで満たしていく。闇の神のしもべとしての誇り。それを感じるだけで虚ろな自分にも価値があると思えてくる。
「来い、ソフィア」
「あ……ぁあ……」
彼女は恍惚の声を漏らした。
彼女が光の神に抱いていた信仰が、彼女の奪われたすべてが、いま邪神のものとして新たに蘇った。
「タローマティ様……」
彼女のその目は美しく輝いていた。今までの虚ろな目ではない。強い信仰心だけを持つ、侵されがたい神への信仰が宿っていた。
彼女は跪き、床に頭を擦り付けた。最大限の敬意をこめて手の甲に恭しく接吻する。足を取り丁寧にそれを舐める。練習の甲斐があってその動きは滑らかでタローマティを満足させた。
「よくできた、ソフィア」
そう囁かれるだけで、法王は、いや、ソフィアという少女は頬を熱っぽく染める。
その言葉。アールマティの聖典の文字すべてから得られた感動にも匹敵する。
その眼に宿る赤い光は、大聖堂のステンドグラスの光にも匹敵する。
「あっ……」
そしてこの逞しい腕に抱かれるこの腕の温かさは、アールマティからは一生かかっても得られないだろう。
タローマティは優しくソフィアの唇を奪った。
「んっ……」
胸が高鳴り、肌が灼けるように熱くなる。重なり合わされた唇の隙間から、彼女の甘い吐息が漏れる。
その口付けで、ソフィアは自分の唇がなんのためにあるのかをはっきりと理解した。
彼女は跪くと、恭しくタローマティの肉棒に礼をする。
「タローマティ様……。続きを、させてください……」
神聖なものを扱うようにそれを持ち、恭しく口付けをした。
「んっ……」
邪神の男根は邪教の信仰の対象だ。ソフィアは夢見るような顔でそれに頬ずりし、接吻し、額に押し付ける。
ソフィアの顔は神に奉仕する悦びに恍惚としていた。邪神の性器のその色、その形、その匂い、その熱さ。すべてが彼女を至福に押し上げた。
なんて素晴らしいんだろう……。アールマティのロザリオと勘違いしていたときなんかより、ずっといい……。
ソフィアは亀頭を唇で包み、ちゅう、と口をすぼめて溜まっていた先行液を吸い上げる。すると、すでに最大の硬度に達していたタローマティの肉棒はにわかに痙攣し、彼女の口の中で爆発した。
「!」
彼女の中に精液が溢れる。
「んっ、ふっ、ふやぁっ……」
ソフィアは口の中に出された想像以上の液に戸惑いながらも、精液を一滴も漏らさぬように口の中で受け止め、それを飲み干した。白い粘液は彼女の喉の奥で絡んでいたが、やがて彼女に同化するように吸収されていく。
「ぁあ……」
それがソフィアにとっての洗礼の油だった。
「これで……わたし……タローマティさまのしもべになれましたか……?」
「ああ」
タローマティはソフィアの前髪を掻きあげ、額を撫でる。
「うれしい……」
彼女は、目の前の神が愛しくて、いてもたってもいられなかった。気がつくと、彼女は裸の身体をタローマティに押し付けていた。
壊れた人形は、潤滑油を注ぎ込まれたように滑らかに動き始めた。神の胸に抱きつき、幼い体を大胆に擦り付けて喜びを表現する、両手両足、白い髪をタローマティに絡めていく。
タローマティはその抱擁に応じ、彼女の白い素肌を隅々まで撫でていく。それに伴い、今まで蒼白で生気がなかった彼女の体は、暖かい活力にあふれ、徐々に瑞々しい薄桃色に染まっていった。
「はぁっ……くぅん……タローマティ様……」
タローマティの指先は、小さな胸の頂点にある蕾をこね回す。その中心にある薄紅色をした乳輪をに沿って優しく何度も撫でる。その蕾が赤く充血してきたのを見ると、それを口に含み舌先で転がした。
「ぁんっ……」
ソフィアは切なそうに喘ぎを漏らす。
昨日まで男女のことなど考えたこともなかった法王の身体は、邪神の愛撫のもとで女へと孵化しようとしていた。身体は女の匂いのする汗に覆われ、唇は口付けを乞うように無意識のうちに突き出ている。淫裂には、これから始まる陵辱の儀式への期待からか、溜まっていた蜜が溢れ、内股に幾筋も糸を引いている。
気がつくとソフィアは、ベッドの上に仰向けに寝かされていた。
「腰を上げろ、ソフィア」
「はい……」
ソフィアは言われるままに臀部を高く上げる。白くて柔らかい、マシュマロのような尻がタローマティの前に晒される。
「後ろの穴を広げてみろ」
ソフィアは今から自分が何をされるか理解した。だが、躊躇わずに言われるままに動く。
「んっ……」
前の純潔さえ守られたままの少女は、言われるままに両尻をつかみ、後ろの穴に入れやすいように広げた。
タローマティは穴の周りを丁寧に愛撫すると、ゆっくりとアヌスに剛直を沈めていく。
「ふぁっ……」
彼女の体がガクリと崩れ、顎をつく。痛みとともに、快感が登ってきた。
ああ、本来の用途でない穴をこんなことに使うなんて……。
だがそれにもう大して抵抗はなかった。もう彼女は闇の神のしもべなのだ。光の神の教えに則る必要はない。彼女の新しい神の行うことを、彼女は喜んで受け入れていった。
「はぁっ、はっ……」
タローマティの肉棒が根元まで入った。火のような快感とともに、痛みも鋭くなる。
彼女は痛みに翻弄されながらも、タローマティが入れやすいように健気に尻を高く突き出していく。両胸をつかむタローマティの両手に、自分から乳首を押し付けるように体を振る。
「いい子だ。褒美をやろう」
そんな彼女の耳朶に、タローマティは口づけをした。
「ふぁっ……ぁああああああっ!」
その瞬間、臀部の痛みが嘘のように消え、それ以上の快感が彼女の中で産まれた。
単なる肉の官能を越えた、魂の悦び。神聖なものに一体化する悦びが彼女の身体を貫いてった。
彼女はタローマティに併せて腰を振り始める。挿入されている肉棒からだけではなく、自分自身の奥からも濃い熱さがほとばしる。ソフィアは歓喜の喘ぎ声を上げた。彼女は胸にロザリオを下げたまま、邪神の与える快楽をむさぼっていた。
「ぁあああっ、いいですっ……っ! いいですっっ!」
彼女の脳裏に、大聖堂のアールマティ神像が蘇る。耳に、賛美歌の音が蘇る。それらは浮かぶと同時にすぐに彼女の心から消えていった。
「あぁっ! あ」
後ろの穴で肉棒が律動するごとに、前の淫裂から透明な液が糸を引いて幾筋も太腿を流れていった。その蜜に溶けて彼女の中の光の神が音を流れ出ていった。それと循環交換するように、彼女の闇の神への信仰がさらに注ぎ込まれていく。
「はぁっ……ひゃうぅぅうぅ……ぁあっ! タローマティ様ぁ……」
「ソフィア。この気持ちを覚えている限り、お前は永遠に安心できる」
「はっ、はい……」
「だがもしこの気持ちを忘れたなら、お前は再び光の神への信仰という鎖に囚われ、苦痛と不安に苛まれるだろう」
「い、いやですっ! いやぁ!」
タローマティから見捨てられると思うと、そう思うだけで涙が溢れた。目の前の景色が歪んだ。二度とこの温もりを得られない気がした。
「ならソフィア、この幸福を、しっかりと心の芯に刻み付けろ……」
「は、はいっ!」
背面からのタローマティの姿は彼女には見えない。ゆえに彼女にはその声が天上からの神の声に等しかった。
「よし。いい子だ」
ソフィアの返事の後、タローマティの動きが最高潮に入る。
「ひ、ひゃっ……」
尻を付き上げられると同時に体を大きく反り上げられる。反り上がった彼女のうなじにタローマティはキスを与えた。まったく同時に、亀頭が彼女のアヌスを鋭く突き上げた。
この瞬間、彼女は絶頂に達し、その中に注ぎ込まれる精を受け止めた。
「う、うわぁあああああああああああああっ!」
絶頂の瞬間、真っ白な光が彼女の中でスパークする。彼女の中で幾重にも弾け、彼女の皮膚を、臓器を、骨を、魂を真っ白に染め上げる。その光は、光の神の姿をしていた。
絶頂間が体の隅々にまで染み渡りにつれ、その光は散り散りになって消えていった。
このとき、ソフィアの中の光の神は跡形もなく消えさったのだった。
ソフィアは安らいだ顔でシーツの上に身を横たえていた。
彼女はすべてから守られた絶対の安心感に包まれていた。羊水の中の赤子のように、緊張や力が一切なかった。彼女は初めて自分の心臓の音を聞いた気がした、流れる血の温かさを感じた気がした。彼女は初めて自分が人形ではなく血肉の通った人間であることを実感していた。
わたしは、今初めてこの世に生まれ落ちたんだ……。この方のおかげで……。
体の向きを変え、尊敬と愛情に満ちた目でタローマティのほうを見る。
「痛かったか?」
「あ、ううん。へっちゃらです……。……あ」
ソフィアはふいに顔を真っ赤にして、シーツで体を隠す。やおら額と目だけを出すと、おずおずとうかがった。
「あの……タローマティさま……わたし、よかったですか……?」
偉大な神を目の前にすると、貧相な自分はこの方に抱かれるにふさわしくないと思い、急に恥ずかしくなる。
「わたしのつまらないからだで……楽しんでもらえましたか……?」
「ああ」
小さい子供にするように、タローマティは法王の頭を撫でた。すると、ソフィアはぽろぽろと涙を零した。
「よかった……です……タローマティ……さま……」
彼女はタローマティの胸に抱きすがる。
ソフィアは――法王は、タローマティの胸に抱きすがる仕草で、両目を伝う涙を隠した。
わらわは、もうおしまいだ。
あとしばらくのうちに、今感じている後ろめたさなどなくなって完全にタローマティ様のものになってしまうだろう。
ステラ=マリ。
逃げて。
すでに堕ちたわらわのために、敵地に飛び込んでこないで。
光そのもののようなあの乙女が悪魔に純潔を奪われるようなことがあれば、それは1人の女が犯される以上の意味を持つ、世界の摂理そのものが否定される気がする。まして彼女が悪魔を孕むなどあってはならない。
おねがい……。ここに来ないで……。
と、タローマティの手がシーツに忍び込みソフィアの背筋をつぅと撫であげる。
「ぁっ」
彼女は悦びに顔を蕩けさせる。
その瞬間、彼女はいま自分が何のために涙を流したのか忘れた。彼女は自ら頬を摺り寄せ、シーツから這い出てタローマティに甘えていく。
ス テ ラ=マ リ……
そな ただけ は、無 事でい て… …。
法王の最後の思念は、言葉として現れることなく、意識の底に沈んでいった。
あたしのターン。
ソフィちゃんが拉致された2日後のお話。
大聖堂の門前で、巫女装束を纏ったあたしの周りに人垣ができていた。
「巫女様……法王猊下を助けするためとはいえ、巫女様御自らが行かれることはありません。日輪の巫女様まで闇に誘い込まれてしまったら、我々はどうすればいいのですか?」
「そうです。ここは神殿騎士が交渉に行くべきです。日輪の巫女様は大聖堂に残って我々の柱になってください」
僧侶たちの申し出を、あたしはやんわり退ける。
「いいえ、邪神と直接対峙して正気を保っていられるのはわたくしだけです。法王猊下をお助けするためには、わたくしが行くしかありません」
「巫女様……」
「それに――」
あたしは右手を前に出し、黒い指輪を彼らに見せる。
「それに、これもいつまでも放っておけませんからね。これをこのままにしておいては、あなた方にまで危害を及ぼしてしまうかもしれません」
あたしは視線が集まる前に、すばやく手を背中に隠す。
ほっ。この指輪の形がちょっぴり変わっていたことは誰も気づかなかったわ。
ママに填められたこの指輪、実はこれ、昨晩挑戦したら解呪できたのよね。そりゃ凡百のおポンチ術者には無理だろうけど、あたしほどのレベルとなればちょっと時間かければ可能なのよ。
でもそれだとレンに行く名目が薄くなっちゃうから、まだ外せないフリしてるの。だからこれは、墨で塗っただけのよく似た指輪でした。
「巫女様がそこまでおっしゃるなら、われわれはもうお止めすることはできません」
「ステラ=マリ様、どうか法王猊下をお助けしてください」
「今ごろ猊下がひどい仕打ちを受けているかと思うと……うっ……うっ……」
彼らは涙ぐむ。
ああ、この人たち、法王がちっこい女の子だってことを知らないものね。
そんなに心配することないわ。今ごろソフィちゃんもベッドの上でお楽しみってこともありえるし。こんな建物に監禁されてるよりずっと幸せじゃないかしら。
ん?
ってことは。
たいへん! あたしがソフィちゃんにまで処女卒業の先を越されちゃうってこと!?
そうなったら悔しいったらないわ! ソフィちゃんを一刻も早く助けないと! あたしは心から彼女の無事を祈った。
「そろそろ旅立ちます。こうしている間にも、猊下に魔の手が延びているかもしれません」
「巫女様、どうかお気をつけて……」
こうしてあたしは大聖堂を旅立った。
遥かレンのほうを仰ぎ見ると、上方に黒い雲が立ちこめていた。あそこに、あたしが初めて対面する巨大な闇がいる。あたしは躊躇わずそこへ進路を取る。
ごめんなさいアールマティ。マリィは邪神の物になっちゃいそうです。でも許して、だって女の子なんだもん。
あたしは弾む気持ちで馬を歩ませていったのでした。次回に続く。
< つづく >
15年間、次の話を待っています。 死ぬ前に完結を必ず見たいです。
Me too. I really love this and want to see the evil god winning.
ここでエタッちゃってるからマリちゃんが堕ちられてないのかわいそうで草
今でも続き待ってます…