第1話
不純物が入ったかのように身体が重い。
昨日は飲みすぎた……いや、それ以前からの体調不良だ。
朝から憂鬱な気分になりながらも、なんとか体を起こしベッドから這い出す。
いつまでたっても目が像を結ばないのでようやく眼鏡の存在を思い出した。
(朝六時か……どうしようかな)
昨日の飲み会では何故か普段の量を超えて飲んでしまったようだ。
自分はどちらかといえば強い方に分類される、と理恵は思っていた。
頭痛よりも倦怠感の方が勝っているのでおかしな飲み方でもしたかな、とも思う。
普段の習性から半覚醒のまま簡単な朝食の支度を済ませる。
生徒達には「朝飯はしっかり食べなさい」なんて言う立場だが、理恵自身はそれほど朝食を必要としてはいなかった。
それこそパンと牛乳、もしくはコーヒーが一杯あれば十分だった。
コーヒーは頭のリセットの為に欠かさず飲んでいた。
熱い液体が喉を通り、芳醇な香りが脳を醒ます。
髪を整え、化粧を確認し、服装を直す。
鏡に映った女性は、先ほど寝ぼけ眼でうろついていた人物とは別人になっていた。
少し伸びてきた髪は後ろでまとめ、唇に珍しく朱いルージュを引く。
どこからどう見ても、人の知る”教師の水城理恵”だ。
身支度が済んだ姿を満足そうに見つめた後、理恵は家を出た。
「おはよーございまーす」
「おはよー」
練習があるのか、バッグを抱えて急いで走っていく生徒達。
その生徒達を見やりながら校門をくぐり、職員室に着いた時には時刻は8時をまわっていた。特に何も用事が無い生徒は、休日を謳歌するのだろうか。
昨日の飲み会のせいか、心なしか室内の空気は暗く感じられる。
アルコールに強い教師もいるのだが、昨日のは身体にこたえているようだ。
そして、最も調子が悪そうで机に突っ伏している人物。
「吉野先生、大丈夫……じゃないですね」
「……え……水城先生……ですか…ぅ」
「ちょっと、吐かないで下さいよ」
胃の中から何かを吐き出そうとする同僚に一応警告をしておく。何故なら、前にも同様の事が起こってしまったからだ。
朝から吐瀉物の処理など、あまり気持ちのいいものではない。
「う…最後の……あれが…マズかっ…うう…」
「休日だからって、そんなので仕事になるんですか?」
飲み会が開催されたのは金曜日。しかし3年の旅行計画やら進路、学力編成諸々、週末までに片付かなかった仕事が休日になだれ込んでしまっていた。
横のこの教師、吉野成一も同じ学年の担任を受け持っている。
「ぐ……今日は…補習が…それまでに回復しないと……ぐっ」
吉野はずるずると机の上を動き、伏せた上体で授業の確認をし始めた。
なんというか、こんな酷い状態で補習の為に学校まで来るとは教師の鑑なんではないだろうか。いや、しかし飲み会の予定を知りながら2日酔いになるほど飲みあかすというのも、それはそれでどうなんだろうか。
「ううむ……今日は…安藤か……えー2年のノートが……」
安藤というのは毎回試験成績で見る名前だ。
ほぼ全てのテストで上位に位置し、その上授業態度や素行態度も良い。
理恵の教えている化学でも満点を取ることはよくある。
「何故安藤さんが補習を? あんな成績ならそんな必要も……」
「え、ああ、安藤ですか。この前体調不良で休んだ事がありまして…で…自分で解決できない部分があるとか…昨日言われましてね……げぅ」
優等生だからこその補習、というわけか。
「…水城先生は今日は…また化学準備室に籠もりきりですか…?」
「あっちにパソコンも置いてしまってますしね。本当はここでやるべきなんでしょうが」
「……まぁいいんじゃないですか、俺も…数学準備室は…好きに使っちゃってますし……」
数学準備室、というのは専門棟3階の一番突き当たりにある部屋である。
専門棟といっても特別教室を集めた棟であり、各階が渡り廊下で一般棟と繋がっている。
その3階、というのは生徒はほとんど来ない位置取りである。
3階には化学の実験室やその準備室、他に”準備室”という名のついた倉庫がいくつかあるだけだ。
人も元から少なく、そうしたことから怪談話のネタにされ、さらに人はこなくなった。
「静かだし、集中するには一番ですよ、あっちの棟は」
徐々に復活してきたのか、吉野の顔色はさきほどよりも良くなってきたようだ。
しかし話すのは少し辛そうであったので、理恵もその辺りで話を打ち切った。
**
科学準備室は理恵の部屋、といっても過言ではない。
使用するものに限られるが私物は多く持ち込まれ、パソコンもデスクトップを1台置いている。
仕事には全く必要の無い性能であるのだけれど、ここにはほとんど人も気はしない。
人の来ない場所なだけに、私用で使ってしまっていることも否めない。
しかも、その用途というのは……。
「んくっ……んぁ、んん…ぁ、んぁっ……あっ」
白衣の下のスカートの中に手を潜りこませ、指に持ったものを動かす。
湿りかけの秘部は硬質な愛撫によって充分な量の蜜を湛えていた。
微かに くちゅ、くちゅ という水音が聞こえるようになってきて、指の動きはより速くなる。
なぜかは判らないが直接指ではなく、ボールペンを用いた自慰。
びく、びくんと身体を震わせながらも目は画面と扉を交互に見やってしまう。
「ん、あ……だ、駄目、なの……でも、んぁ、んん……」
錠は何度も確認し、閉まっているのは確かであった。
しかし、もし誰かが入ってきたら。本当は鍵のかかっていない場所でやりたいのだが、理性によってそれはまだ押し止められた。
こうして休日の学校で自慰を始めたのはいつだったか?1月前?2週間前?先週?今週から?曖昧で思い出せない。しかしそれは職場で自慰をするという変態的な快感からすればちっぽけなものでしかない。
そしてどこかでそれを客観的に考えている自分が存在していて、考える度に下腹部に痺れが走って弛緩していってしまう。
快楽の麻薬はゆっくりと、しかし確実に体中を廻り伝播し、やがて大きな波となって理恵へと還ってくる。
「んっ、んひっ、んんんんんんん――――ッ!!!!」
強い刺激に痙攣が強くなり、頭の中が真っ白に塗りつぶされていく。
最後にペンを押し込んだ瞬間、電撃が全身を包み、脳をスパークさせる。
しばらくその状態から戻って来れず、快楽の海に浮かび続けることになった。
「……ぅ…ぁ…あ……ああ」
気が付いたら画面には裸で悶える女が映っていた。
音は外に聞こえないようにヘッドホンを通して聞いている。
もっとも、口から漏れる声はどうしても抑えられない。
――いつから、だったろうか。こうして自慰をするようになってしまったのは。
記憶が無い。ストレスを溜めるような生活でもないのに。
気付けば時間はもう昼になっていた。
ぼけた頭を振って目を覚まし、乱れていた着衣を直す。
午前中一杯ずっと自慰に浸っていたなどと、以前は無かったことだ。
もし誰かが尋ねてきたらどうするのか。もしあのドアが開いて誰かが入ってきたらどうするのか。
そんなことを考えているとまた体の芯が熱くなってくるのを感じてしまった。
(駄目、駄目よ。こんなの、仕事しないと)
昼飯を調達するため、鍵を開けて廊下に出る。
外の清清しい空気を吸うと、逆にいままでいた準備室内がむわっとした女の匂いで満ちていることがわかってしまう。
誰もいない廊下で恥かしくなり、理恵は頬を赤らめた。
**
午後は何事も無くひたすら成績をまとめたりする作業に追われた。
物量的に多いためこればかりはいくら効率的にやろうとしてもなかなか進まず、結局作業が終わったのは夕方になってからだった。
気付かないうちに校庭に長い影が伸び、時間がたっていることを示していた。
「ああ、もうこんな時間……」
戸締まりを確認して準備室を出ると、妙に静まりかえった廊下にくぐもった声が聞こえた。
普段なら全く気にならない程度の微かな声だったが、廊下が静かだったためかそれに気がついた。
もとより人気の少ないこの校舎、休日なので居残りというのもない。
(もしかして、吉野先生……?まだやってるのかしら)
しかし耳をすまして聞いてみると、声はどうやら女のものであるようだ。
奥の方には数学準備室しかないので、奇妙だ。
(もしかして、安藤さんとこっちで……)
「……ん……ぁ…ぅ……………」
興味本位でそろそろと近づいていくと、次第に声が大きくなってきて、同時に声の元がその部屋であることは明らかになった。
部屋の蛍光灯はついているようで、中に人がいるのも確実のようだ。
こんな夕方まで補習しているというなら相当な熱の入れようだ。
今日は休日なのだから。
しかし、扉を少しだけ開けて覗いた中では、想像もしなかった光景が繰り広げられていた。
「んん……んぶ…ぅ…んむ……あん……」
ソファーに座っている男が一人。角度と視界の狭さによってその表情を伺うことはできない。
そして、その股ぐらに座り込んで顔を落としている女が一人。
長い黒髪と、なんとか見える横顔を記憶と照合していると、一人が思い当たった。
束ねているリボンの色も印象にあり、しかも今日名前を聞いた生徒だ。
安藤由梨。
吉野が補習をするといっていたあの生徒が、跪いて吉野の股間にしゃぶりついている……ようにしか見えない。
そして、吉野の腕はその黒髪を押さえつけ、前後に無理矢理動かしているように見えた。
「んぶっ、んんむ!……ぁん……んむ!!…む…ぅ……」
ぐぢゅぐちゅという音も次第に大きくなってきて、咽る様な声も聞こえてくる。
その様子を、理恵は浮かされたような目で見ていた。
(え、吉野先生と……安藤、さん?)
知らず知らずの内に目が離せなくなり、ドアの隙間が次第に大きくなっていく。
それによって部屋内の2人の全身が見える幅になり、2人の表情、特にさっきは見えなかった安藤の表情が鮮明に見えてしまう。
その表情は恍惚としていて、とても奉仕に苦しんでいるようには見えなかった。
吉野によって頭を無理に動かされている筈なのに、目尻は蕩け、口からは水音と嬌声にしか聞こえない音しか聞こえてこない。
激しい動きに抵抗もせず、喉奥まで突き込まれているのだが、そこからは快楽を匂わせる声しか出ない。
舌はだらっと垂らされ、押さえつけられた往復するたびに涎が漏れる。
「んんっ、うんむん!!! んん!! んぶんんっ!! んん――っ!!!」
どくどくと音が聞こえそうな勢いで飲み込ませた男根から精液が噴射し、安藤の口の中に収めきれず口の端から漏れ出した。
それは覗いている他人が感じる程の質感と、濃密な芳香をもって理恵を圧倒した。
口内を犯され、白濁を撒き散らされているのは自分ではなく、安藤であるはずだ。
しかし、ここには無いはずのあの液体が喉に絡みつくような錯覚を覚える。ぐちゃぐちゃと犯される音が頭蓋骨に震え伝わってくるようだった。
喉に絡みついた汚液を飲み込むかのようにごくり、と喉を鳴らす。
何故だか視線が逸らせず、2人の睦み合いをまじまじと凝視してしまう。
(え、なんで…あの……2人が…でも……)
戸惑うのだが2人は動きを止めず、安藤は精液を舐め取り始めている。
「んちゅ、ん…ん……ちゅぶ…ぁ…んぁあ………」
「は-。安藤、いい加減その精液中毒治してくれないと困るんだよね」
「む……先生のせいじゃないですか……ぅんむ…おいひ…ぃ……」
竿の先端から根元まで、丹念に舌を出して舐め取る。
由梨は巻きつけるように舌を伸ばし、先端の窪みまで抉るように精液を吸い取った。
口に含むたびに大量の涎をだらだらと零し、むしろそのせいで汚れていってる印象を受けてしまう。
理恵からすればそんな動きは全く見たことのない、淫らなものだった。
飢えた目付き、ねぶる舌、垂れ落ちる涎の飛沫、肌に浮かんだ汗がどれも人を誘うように見える。
その様子に理恵はますます魅せられ、ドアをじりじりと開いてしまっていた。
そして、もう既に理恵の脳裏からは自分が止めるべき立場にある事が消え去っていた。
「んふっ、これ、いい……ねえ先生、もう1回いい?」
「……お前回数とか覚えてないの? クラスきっての秀才じゃないのか」
「どうでもいいの…飲めれば…精液飲めればぁ…」
「俺奉仕させてばっかで手持ちぶさたというか、仕事してないというか……」
「はぁ……ぁ……はぁ……はぁ…」
自身も気が付かないうちに、理恵の息は荒くなっている。
中ではくねくねと体をくねらせて腕を吉野の首に巻きつける由梨と、文句をつけながら由梨の髪を弄っている。
「俺も責めてやるから、とりあえず咥えてる物を離せ」
「えー」
「不満な顔をするなって。今日一日で一体何発抜いたか……ほら」
「ん……」
重なり合った2人は恋人同士のようなキスを始めた。
軽く触れるだけであったり、強く押し付け合ったり、御互い舌を絡め唾液を交換しあう。
緩急巧みに交わされる口付けは情熱的であり蠱惑的だ。その濃く深い口づけに、理恵が焦がれてしまうほどに。
「ん…ん、んちゅ、んぁ…んむ…ぐぢゅ……ぁあ…ん…ぢゅ…あ、ん…」
「……ほら、あんま涎ばっかり垂らすなって」
「ぐぢゅ……ん、んぢゅっ……んんぁ…ぁう……ちゅ……」
由梨はまるで耳に何も届いていないかのように吉野の言葉を無視し、ひたすらに唾液を求め続ける。
合わせた唇同士の隙間からは大量の、おそらくは由梨のものであろう唾液が絶え間なく湧きだし、2人の口の周りを汚し続けている。
吉野が丹念に舌を絡ませ唾液をそろそろと送り込むと、由梨は愛おしそうにそれを受け止め、味わった後で喉を鳴らしてその液体を嚥下していた。
そうして唾液を飲み込むうち、由梨の顔がどんどん赤くなり、目尻も幸せそうに蕩けていく。
「んむ、ちゅ……ぁああ、んん…じゅ、ん…じゅる…あ…」
「…ふぅ…まあ精液以外の体液でも”発情”は進むからいいんだが……」
「んあっ、まだ飲ませてよぉ…つば、もうちょっと飲みたい…」
やれやれと首を振りながらも、吉野はそれに応えて再び唇を合わせる。
由梨はソファーに組み敷かれた状態で、上から流し込まれる唾液をただひたすらに飲み込んでいた。
彼女がこくん、こくん、と白い喉をならすたび、覗いている者も同様に湧いてきた唾を飲み込む。
既に理恵の思考から「平常」や「常識」という概念は薄まり、目の前で行われている情事にしかそのベクトルを向けられなくなっていた。
びちゃびちゃと下品で卑猥な音を立てて蠢く2人の舌。
絡み合う2枚の舌は同化し合い、口の周りを汚す涎はすでに溢れかえっている。
そして何より、直接的な性行為ではないはずであるのにも関わらず、部屋内には濃い性臭が立ちこめていた。
それを嗅いだだけで噎せ返ってしまうような濃密な匂い。それは理恵の鼻腔を通り抜け、脳に直接作用していた。
彼女は気がついていない。
ただ見ていただけだというのに、下着の中は既にぐしゃぐしゃになっていることに。
見ている行為に夢中になり、完全に身を乗り出し扉から入り込んでいるというのに、「なぜ自分が中の人間に気づかれていないのか」という単純な疑問にも気づかない。
そして彼女は自身の、赤いルージュの入った唇を無意識のうちに舐めているのに気がついていない。
なぜその口紅をつけてきたのか、「何故持ってもいない筈の色の口紅をつけて来る事ができたのか」にも気づかない。
彼女はひたすらに凝視し続ける。
それが、未来の自分の姿であると考えもせずに、無心で、夢中で。
**
先ほどから一向に何も言わない訪問者は、由梨が再び下半身に移動しチャックを開き始めたのを見ても何も言わない。
もちろんだ。そういう考え方をできるはずがない。
今はただ、由梨の動きを追い、同じように渇望し、同じように喉を鳴らすだけ。
しきりに唇を舐めるため、特製の口紅はもう落ちてしまっているようだ。
これで、彼女の中にすべてが流し込まれた状態となった筈だ。
あとは徐々に狂わせ、順応させていくだけで由梨のような状態になる。
由梨が際限なく求めてくるのをどうするか、水城をどうやって追い堕としていくか、それが吉野成一の最大の悩みであり、最上の楽しみであった。
(まだまだこれからですよ、水城先生……)
夕方だったはずの時間は急速に進み、既に月が姿を現している。
吉野は餌を与える主人のごとく、ひたすら由梨に奉仕させ続けるのであった。
< つづく >