Border liner
何時も通りに、始業に間に合うように家を出る。
ギリギリにならない程度に到着できれば、あとは歩く速度を調整してやるだけでチャイムが鳴る前に教室に入る事が出来る。
最初こそアイも文句を漏らしていたが、今はもう諦めたのか何も言う事はない。第一、アイは俺の保護者ではないのだから、何を言う権利も無いはずなのだが。
マンションの正面玄関を抜けて、空の下に出る。曇り空だが、雨は降りそうに無い。ただ、予感と、そして視線を感じて、敷地を出た所で立ち止まった。
「――――ずいぶん御愉しみの様ね」
後ろから、そんな言葉が投げかけられた。振り返って、その姿を確認する。いや、確認するまでもなく、その声は聞きなれたものだ。
立っていたのは、学園の制服に身を包んだ女子――――
「――――結加生徒会長」
呼び方を迷ってからそう呟くと、彼女は、ふ、と優雅に笑って髪をかきあげる。
「そう。立場をちゃんと弁えているようだけれど。それは私だけにかしら?」
結加(ゆうが)、麻耶(まな)。一つ上の学年で、生徒会長を務めている女性。十年以上前から、同じマンションに住んでいる事は嫌と言うほど知っていた。が、この二年どころか、ずっと顔を突き合わせる事さえなかったために、どういう表情をしていいのかわからない。
「誰ですか、この人」
隣にいたアイが、そう呟いた。が、俺は答えようとして、向かい合っている人物が取った行動に我を失いそうになる。
瞳が俺から外され、確実にアイの方に向いた。そこに誰かがいると理解している事を示すように。
「昔、そこの悪魔にお世話になった者よ。死神さん」
「「――――っ」」
俺もアイも、言葉を詰まらせる。理由は恐らく別のものだが、同じようにその場に固まる。
「アークス、行きましょう」
視線を俺の向こう側、通学路へと動かして、結加麻耶は呟く。その言葉に答えるように、何も無かった空間から人影が滲み出る。
黒髪、黒目。外見的な年齢は俺と大して変わらなく見える。黒のワイシャツと黒のズボンと言うラフな格好の上から、墨で塗りつぶしたような黒のコートを羽織っている。
彼女の言葉から推測するなら。コイツも、死神。
一歩一歩確実に、二人は俺たちに、いや、俺に近づいてくる。アイと俺、並んで固まっている俺の横で、結加麻耶はわざわざ立ち止まった。
「あまり目障りな事をしないでね」
低い、恫喝するような声だった。動けない。指はおろか、顔の筋肉一つ満足に動かす事すら出来ない。
そう、動いたら――――
「――――殺すわよ」
< つづく >