第0話
[プロローグ]
人は魅了によってのみ操られる。
才能、魅力、性質、性格、
社会に現存する確固たる自己を築きあげるのが人生である。
努力、経験、運命、軌跡……
社会の共存が“人”を愛するのである。
そんなものに何の意味があるだろうか?
所詮は『人間』。如何に形を変えようと、同じ種族であることに変わりない。
大抵が同じ生活を過ごし、死を迎え、似たり寄ったりの人生を歩む。
異性に恋しようと、
何年も愛を育もうと、
人間が“人間”を操る境地に到達しない。
絶望せよ。渇望せよ。切望せよ。
――特別になどなれはしない。
禁断に足を踏み込め。
――特別になれるのは、
悪魔と契約せよ。
――人間ではなく、玩具なのだ。
[0]
生きているのに死んだような人生
そんな人は一体何万人いるのだろうか?
不況不況の謳い文句に乗せられ、世間は蝦蟇口財布を堅く閉ざし、社会は情報通りになる。国民への資金提供もどこか世間離れをしていて、結局はばら撒きとして俺の手元には一銭も入らない。
結局、不況に煽られるのは若者なのである。
「……暇だ」
ニート生活をしてはや半年、三年も経過したんではないかと思うくらいに時の進みは遅い。
仕事をする気はある。しかし、一流大学を出て、資格も取ったというのに、負け組に部類されるなんて最低だった。プライドが保てない。時代が時代だからと景気が回復するまでの辛抱と優しく諭してくれる親の甘えが逆につらかった。飯を食べれば自分の部屋に引き籠って外界と遮断するしかなかった。
昔の人はそんな苦渋の味を噛みしめたことがあるのかよ?
戦後にジャガイモを主食としていた時代も、
バブル経済の崩壊でタイ米を輸入していた時代も、
食品溢れる現代社会で、親に苦労をかけなければ生きる事が出来ない貧困層の気持ちが分かち合えるのかよ?
不条理だった。
皆が貧困している訳じゃない、
皆が遊びすぎたせいじゃない、
一握りの裕福とそれを支える貧困層が明確に位置づけられたのだ。
納得できるわけがない。
遊びたい、
金が欲しい、
恋人が欲しい、
……夢が欲しい。
理不尽に殺された。
俺はこの世界の意識を終わらせた。
親が仕事に出ている午後三時。ピンポーンと無機質な呼び鈴が鳴った。久しぶりに聞く音だ。前回鳴ったのは新聞の勧誘だったことを思い出す。
呼び鈴がもう一度鳴る。ニートとして過ごしていくうちに夜型になった体を起こすのは少々大変だが、ゆっくりとドアに向かう。本当は動く気力もないが、変わらない現状に訪れない出来事が起こるとどこか期待をもたらせるものだ。
ドアを開ける。
「こんにちは。エムシー販売です」
勧誘だった。脂ぎったオジサンの顔を見た途端どっと疲れが込み上げた。しかも、息が臭い。最悪な相手だ。聞いたことない販売店、新規開拓業者かよ?
「そういうの結構ですから」
閉じかけた扉にオジサンは無理やり手を差し入れて静止した。それでもチェーンロックがかかっているので入ることは出来ない。
「そう無碍に断らないでください。私、こういうものです」
薄い隙間に手を差し込み、名刺を渡す。
握出 紋 。
あくでと名乗る男には営業部長とも書かれていた。
「営業部長さんが庶民を相手にしなきゃいけないなんて、今の景気も大変だな」
「……何を言ってるんですか?私たちは年収一千万を稼ぐ大企業ですよ」
ウッゼエエエエ。
「なら俺に構うな」
「――こうして私が重い腰をあげたのは、貴方が選ばれたからです」
閉じかけた扉が止まる。握出も今度は手を差し入れていない。
俺が自分の意志で止めたのだ。
「宣伝、広告なんてテレビで流せばいいんですよ。感情も感傷もない無表情な謳い文句でも乗ってくれる方を相手にすればいいんです。会いに来たんです。その意味を理解してほしいです」
自信満々に話す口調はさすが営業マンといったところ。胸を張り自社の商品に絶対の自信を持っている。
「エムシー販売といったな。聞いたことないぞ」
ええ、と頷く。
「当然です。私たちの話は絶対に回らない」
「他言無用の闇会社か?」
「いいえ。喋って頂ければ逆にありがたい。あくまでオープンな会社です。愛読者が口で宣伝していただければ私も動く必要ないんですけどね」
皮肉交じりに話す握出。浮かべる含み笑いが印象的だった。
「……つまり、しゃべりたがらないと」
「その通りです」と頷く。どうにも怪しい。相手が喋りたからないというのは、たとえば危ない物を取り扱っており、警察に知られるとまずいから喋れないという意味だろうか。
しかし客が喋りたがらないとは、こう言うとり方も出来る。
とても良い商品だから他の客に知らせたくない。だから喋らない。あまりにもおいしい話に、顧客は商品を胸の内に秘めてしまう。そんな客の腹黒いさが垣間見える。
物が黒ではなく、人が黒の場合、俺は否定できるだろうか・・・・・・。
「……で、何を売ってるんだ?」
満足げに握出は鞄からパンフレットを差し出した。
「そうですね。毎回違うものを販売しているんですが。今回はこの七品です」
大々的な宣伝も、絵すらない。あまりに地味なA四サイズのチリ紙だった。
一、鏡 ¥10,000ピッタリ!
一、人形 ¥9,800
一、名刺&名刺入れ ¥6,980
一、親機&子機電話FAX機能付き ¥56,700
一、掛け時計。今なら目覚まし時計付き ¥26,500
一、粘土 ¥70,000
一、アンドロイド ¥999,000
(いらねえええぇぇぇ)
心の奥で叫んでしまった。
(なんだよこの金額設定。どこのインフレ経済だよ)
「如何です。セットでお買い得ですよ」
「いらねえええぇぇぇ!!!」
我慢できず声を出してしまった。
「ふざけるな!金のないやつから金を巻き上げんなよ!粘土が7万だと?馬鹿か!子供も騙せない大人騙しがあるかよ!?客を馬鹿にするのも……」
客を馬鹿にしているか分からない値段設定に我を忘れて怒鳴り散らす。それでも握出は表情を崩さない。眼を細く、歪な笑みを浮かべたまま俺が落ち着くのをじっと待っていた。息を切らして話を終えた俺を見てようやく口を開けた。
「あなたがそうおっしゃるのも分からない訳ではありません。ですが一つ言わせていただきます。私たちは子供ではなく大人と相手をしています。たばこを吸って大人になったと思うのは高校生まで、成人式を迎えて大人になったと思うのは丁度二十歳迎えた方までにしていただきましょう。子供心を忘れないのは勝手ですが、何
時まで成長しないおつもりですか?お金がない?嘘はいけませんよ。ありますよね?使ってないんですから。親から仕送りをもらっているでしょう?夫は弁護士、妻は社長秘書だ。さぞ困らない額を貰っているでしょう?なら、使わなければ損じゃないですか。死んだらお金を溜めても意味ないんです。極楽浄土でお金を持っていけ
るのですか?使わないお金に価値があるのですか?使わないなら、何時使うのです?」
なんだ?握出の雰囲気が先程と違い、俺をまっすぐ見つめている。早口でもなく、聞きやすい速さで、的を得た口調で話して心を揺さぶる。
「いつか、必要になった時――」
「何時です!!!?」
はっきりと眼を見開き、覆い被さる声で制止させる。
ヤバい、怖い。恐怖で押し売る営業部長なんて聞いたことがねえ。でも、言い返す気がしない。言い返したら、その見透かした目で俺の全てを読まれてしまいそうだったから。
握出の言う通り、俺に金がない訳じゃない。親が大学へ出してくれた間、仕送りを毎月貰っていた。バイトしなくても十万は貯金出来ていた。今から一人暮らしを始めても一年は餓死することはない。前説で述べたのはただの甘え。資本のない人の気持ちになって戯言をただ妄想していただけだ。
嘘が、見透かされる。
握出を怖いと思うのは、俺自身を逃がさない。弱い自分を隠せられないからだ。
握出はふと表情を戻すと、失礼と改めた。途端に空気がふっと和らいだ気がした。
「大人になると言うのは、お金が溜まるということです。100万なんて簡単に稼げてしまう。なら、使わないと損ですよ?無いことを嘆くより、有ることを喜ぶべきです。お金で買える楽しさがあると言うのに」
――無いものは察するな。
有るものを最大限に使え。そして望め――。
ギリッと歯ぎしりをたてる。
俺は人としての心を忘れたくない。理不尽で不条理な社会だけど、貧困を救えるのは貧困の気持ちを知っている富裕層だと勉強した。
金がなければ人は救えない。
気持ちを察しなければ人はついて来ない。
知識があるから信頼し、逆に馬鹿は笑われる。
あまりに当然で、忘れやすいものはない。遠くの景色を見る奴は小石に足を掬われる。
余裕こそゆとり、ゆとりは馬鹿。
笑われる。
貧困層に笑われる。
人は救えない。
富裕層の気持ちを知らない馬鹿は救えない……。
理不尽な自分……
「やめろおおおぉぉぉ!!!!」
なんだよ、今のは?俺の信念が理念と合致しない。今まで体たらくで過ごした生活は何もかも偽物だったのか?今までの生活は何だったんだ?無駄、だった?
「壊れるなら、とことんまで壊れてしまえ。直すことができないところまで」
やめろ、俺を壊すな!俺の敷地内に入ってくるな!
「嘘はやめろ。事実を見ろ!私は“此処”だ」
チェーンロックしているはずなのに、ガシッと、確かに腕を触られた感覚がした。俺は小さく悲鳴を上げた。
(言うな!聞くな!見るな!嗅ぐな!触るな!!)
渇望しろ。社会は憂いている。救えるのは金のある者だけ。
絶望しろ。社会は嘆いている。逃げの一手が衰退を進ませる。
切望しろ。遊びが社会を救う。
「いかがですか?買いませんか?――」
握出の声が悪魔のささやきにの様に響く。眩暈がする。気持ち悪い。汗が上着を濡らす。
その時、俺の中にいる天使が叫び声をあげて救ってくれた気がした。
「こんな木偶商品に金は出さねえよ!!」
一瞬で空気が覚める。手を掴まれた感覚は無くなった。目を開けると、チェーンロックの奥で茫然と立つ握出が映っていた。俺すら思いもしなかった拒絶に驚いているようにも見えた。
「出していないのに価値を決めてしまうのですか?あなたは私たちの何を知っているというのです?」
つまらなそうな顔で俺を見ていた握出が、初めて笑った。営業スマイルじゃない。心から浮かべた嘲笑いだった。
「面白い。実に面白いですね、人間って」
一通り笑うと握出は満足したように話し始めた。
「私は料金に見合った商品をご提供しています。しかし、残念ながらあなたは自己完結させてしまう。長年使いこむ愛用の時計が7万で買えるとなれば、安いものでしょう。いえ。7万もするんです。愛着が湧き、大事に扱い、月日が経つにつれ7万以上の価値になるでしょう。未来永劫、生涯通して財産になる商品を提供します」
何処から出るんだ、その自信は……。と思っていると、握出はさらなる提供を差し伸べた。
「いいでしょう。私はあなたを気に入りました。お試し期間を設けましょう。どうぞ一つお選びください。私たちの商品を三日以内にお届けしましょう。ご期待にそぐわなければいつでも代金を全額お返ししましょう。さらに今後商品が壊れてしまった場合、生涯永久無料で商品をお取り換えいたしましょう」
「マジか?」
思わず声を出してしまった。今まで買い物をした場所で、生涯永久保証なんて聞いたことがない。しかもお試し期間と言いながら何時でも代金を全額返してもらうことが出来る。
それはつまり、無料で差し上げますと言っているようなものじゃないか。
「ええ。営業マンは嘘をつきません。これが契約書です」
一枚の紙を取り出すが、ここまで待遇がいいと契約書がなければ不安で仕方がない。特別扱いしてもらうというのは悪い気がしない。握出の吐く臭い息も段々居心地良くなってくるものだ。
握出の喋り様からしてどの商品にも価値に見合う要素がありそうな気がする。高額に差し出された商品のお試しとなれば胸躍らせる。
期待は風船。どんどん膨らみ形作る。
中に入るは希望と願望と欲望。
二酸化炭素より重い私欲の塊。
俺は歪に笑った。今のは俺の声か握出の声かも分からない。
握出と契約を結ぶ。これからが始まり―あそび―なのだ。
「では、サインを頂きたいのでドアを開けていただきますか?」
「ああ。悪い」
こうして俺は握出を家に招き入れた。
< 続く >