最終話a 幸せのつきあたり
「知佳、落ち着いて話を聞いてくれる?」
「サッちゃん?」
涙を拭った私が、意を決してそう切り出すと、わけがわからないままに知佳も真顔になる。
「あのね、知佳と私がこうなったのは全部私のせいなの」
「えっ?……どういうこと?」
「私が知佳に催眠術をかけたの。だから、知佳は私のことを好きになったのよ」
「なに?わからないよ、そんなの……」
私の告白に、さすがに知佳もショックを隠せない様子だった。
「ううん、それだけじゃないの。私は催眠術を使って、知佳が男の人を好きになれないようにしたの。知佳が男の人を嫌って、私のことを好きになりやすいように」
「サッちゃん……」
「だから、全部私が悪いの。知佳にはちゃんと好きな男の人を見つけて、幸せになる未来があったかもしれないのに、こうなったのは、全部私のせい……」
「そんな……」
知佳は、黙りこくったまま私の話を聞いていた。
さすがに、ショックで言うべき言葉が見つからないのかと、そう思っていた、その時。
「でも、それっておかしいよ」
「……知佳?」
「だって、あたしが男の人を嫌いになったのは高校生の時だもん!」
「いや、だからそれも私が催眠術を使って……」
「そんなの変だよ!その時は、まだあたしがサッちゃんと会う前だもの。サッちゃんがあたしに催眠術をかけることなんてできるはずがないもん!」
「だから、それも全部私が催眠術を使った嘘の記憶なのよ」
「そんなはずないよ!だって、あたしはあの時のことはっきり覚えてるんだから!思い出したくもないのに、あんな……あんなひどい思い出……」
ムキになって反論しているうちに感極まったのか、知佳の目から大粒の涙がこぼれ落ちてくる。
そんな知佳に、私は謝ることしかできない。
「ゴメン、ゴメンね、知佳……」
「そうだよ。やっぱりおかしいよ。サッちゃんがそんなことするわけないもの」
「えっ?知佳?」
「サッちゃんがそんなひどいことするはずがないよ。あたしは信じてるもん。サッちゃんはあたしを悲しませるようなことはしないって!」
「知佳……」
そう言われて、私は途方に暮れてしまう。
それもこれも全部私のせいだ。
知佳は私がそんなひどいことをするはずがないと信じ切っている。
私が知佳を裏切るはずがないと。
だって、私がそういう暗示をかけたから。
……え?暗示?
だったら……。
「”自分の中の鍵を開けて、知佳”」
「あ……」
あの言葉を言うと、知佳の顔から表情が消えてその体から力が抜ける。
もう……こんなことやめよう……。
催眠状態になって、ぐったりとしている知佳を見ているうちにそんな思いが湧き上がっていた。
知佳にかけた暗示を解いて、改めて私が知佳にしたことを包み隠さずに話そう。
そうしたら、きっとわかってくれるはずだ。
そして、もし、できるのなら、私が改竄した知佳の記憶も元に戻す。
それで、なにもかも元通りに。
……元通りに?
いや、そんなはずがない。
きっと、本当のことを知られてしまったら、私は知佳に嫌われてしまう。
もう、恋人どころか、友達にすら戻ることはできない。
でも……。
それでも、やらないとダメだよね。
こんなことしちゃダメだって、心の奥でずっと苦しんできたのに。
……だから、もうこんなことやめようって、そう思ったはずでしょ、沙月!
な、何をしてるのよ、私ったら。
そうよ、知佳にかけた暗示を解いて。
暗示を解いて……。
でも……そうしてしまったら……。
ま、迷ってる場合じゃないでしょ。
早くやらないと……。
そうしたら……知佳とはもうこれっきり……。
そうなったら……私……。
私……知佳を失ってしまう。
この先ずっと、知佳と一緒の時間を過ごすことはできなくなる……。
そんなの……いやだ……。
「……………………”自分の中の鍵を掛けて、知佳”」
長い沈黙の後に、知佳の催眠状態を解く合い言葉を口にした。
それしか言えなかった。
結局、私はなにもすることができなかった。
私は……意気地なしだ……。
知佳を失うのが怖くて、あんなにひどいことをしたのに、それを元に戻す勇気もない。
本当に最低の女だ……。
「ん……サッちゃん?」
「ゴメンね……本当にゴメンね……」
催眠状態から醒めて、知佳が私を見る。
自分の身勝手さと臆病さに、嫌悪感しか感じない。
知佳への罪悪感から、謝罪の言葉しか出てこない。
また、涙が溢れてきて、目の前の知佳の姿が歪んでぼやけていく。
「ゴメン、ゴメンね、知佳……」
「サッちゃん!?」
「私、知佳にこんなひどいことしたのに……本当にごめんなさい……」
こぼれ落ちる涙を止めることができずに、私は泣きながら謝ることしかできなかった。
「ごめんなさい……本当にごめんなさい……」
「サッちゃん……」
不意に、頭を抱きかかえられた。
「知佳……?」
驚いて顔を上げると、知佳と目が合った。
その目には、とても柔らかくて優しい笑みが湛えられていた。
「もしかしたら、サッちゃんの言ってることが本当なのかもしれないね」
「えっ?知佳……」
「サッちゃんの言うとおり、サッちゃんがあたしに催眠術をかけて、サッちゃんのことを好きになるようにしたのかもしれない」
「うん……」
そう、それは紛れもない事実。
知佳に催眠術をかけて、私のことを好きになるようにした。
そんなことをするのは、絶対に許されないのに……。
「でもね、そんなことはあたしにはどうでもいいの。今のあたしはサッちゃんのことが大好きで、サッちゃんと一緒にいられてこんなに幸せなんだから」
「で、でも……それは、私が催眠術で……」
「だから、それはどうでもいいの。あたしはサッちゃんのことが好き。サッちゃんと一緒にいたい。それがあたしの幸せなんだから。もし、それが催眠術のせいだったら、サッちゃんがあたしに催眠術をかけてくれて本当に良かったって思う」
「知佳……」
また、涙がボロボロとこぼれ落ちてくる。
慈しみと、私への愛情に満ちた知佳の笑顔は今の私には眩しすぎて、まともに見ることができなかった。
「だから、もう泣かないで、サッちゃん」
知佳が優しく、本当に優しく私の頭を抱きしめる。
「知佳っ、本当にごめんなさい。そして…………ありがとう……知佳……」
「うん、うん……」
……私は、許されたんだろうか?
ううん、きっと違う。
でも、知佳の言葉に救われた思いがする。
もちろん、私のしたことが許されることじゃないのはわかってるし、まだ、申し訳ない思いはあるけど、私のしたことを言っても知佳は幸せだって言ってくれた。
暗示を解かれていない知佳なら、そう言うに決まってるのかもしれない。
救われたと思ってるのは、私の欺瞞かもしれない。
でも……。
「ありがとう……ありがとう、知佳……」
「ううん。感謝したいのはあたしの方だよ。サッちゃんがいてくれて良かった。だから、もう泣かないで、サッちゃん」
「うん……知佳っ、本当に、ありがとう……」
「うん、うん……」
小さな子供みたいにあやされながら、私は知佳の胸に顔を埋めて泣きじゃくることしかできなかった。
< 完 >