第13話 俺と先公(アニキ)の学園ヘヴン!!
次の日、綾子さんのキスで目が覚めた。
ゆっくりと歯ぐきをなぞり、舌を絡め取られる。温かい唾液が流れ込んできて、僕のと混ざり合ったところをジュウと吸い取られる。
「おはよ、蓮」
パジャマ越しに僕の乳首をイタズラし、綾子さんは可愛らしく微笑む。
「ママ、先に降りてるから」
昨夜と同じ服に着替えを終えている彼女は、体から僕の精液の匂いを発しながら髪をなびかせて部屋を出て行く。
去り際に「昨夜は最高だったわ」と甘い一言を残して。
時刻はまだ朝6時。休日にしては早すぎる目覚めだけど、さすがに綾子さんも同じベッドで夜を明かしたと娘たちに知られたくはないだろう。彼女がシャワーを使い終わったら僕も朝食前に一浴びしなきゃ。
酷使しすぎたオチンチンにはまだヒリヒリとした痛みが残っていて、心なしかふやけているようにも見える。朝立ちもしない朝は久しぶりだ。今日は一日、勃たないかもしれない。それくらい使い果たした感じがした。
ブラックコーヒーの飲みたい朝だ。
「――くああ」
そして、起き上がりに腰がつらい朝だった。
すごい体の重さだ。なんとか部屋着に着替えたけど、ふらふらとベッドに誘われて二度目の惰眠に落ちていく。
もう少しだけ寝て、朝ご飯の前にシャワー入ろう。あと1時間くらいは余裕あるはずだから、それまで……。
コンコン……コンコン……ドンドン!
扉を誰かが叩いている。
最初は遠慮がちに、やがて苛ついてるみたいに。
とりあえず返事だけして、布団の中で顔を上げる。ドアを開けて入ってきたのは、パジャマ姿の花純さんだった。
意外な訪問者が意外な時間にやってきた。時計はまだ6時を少し回ったくらいだった。危うく綾子さんと鉢合わせだ。というか危うく僕も全裸だった。
心臓をバクバク鳴らしながら呆然としている僕に、緊張した面持ちの花純さんは近づいてきてベッドに腰を下ろす。「ン゛、ンン゛ッ」と咳払いして花純さんはまだ布団の中にいる僕を見下ろす。
「大きな声は出すなよ。あの女が起きてくる」
あの女、というのは優惟姉さんのことだろうか。
僕はとりあえず頷き返すだけにした。
「あー……」
花純さんは言葉を探すような感じで、鼻の頭を掻く。
手には何かポップな柄の袋を持っている。文庫本でも入ってそうなサイズの。
「昨日はちょっとあたしも言い過ぎたかも」
「え?」
「ほら、あんたアホだからちょっとイラついてさ。まあ、あたしが気が短いのはあんたも知ってるだろうけど、弟のやることにいちいち腹立てるのも大人げないっつーか……一応、姉だし。いや悪いのはあんただけど、言い過ぎたかもしれないなーっていう感じも、ちょっとね。うん。まあ、ちょっとだけ」
「えっと……」
「だ、だから、いいかげん落ち込むのやめて、起きてメシ食えって。あたしもう怒ってないから。昨日のことも、もうナシにしといてやるし。……あと、これやる」
そういって花純さんは布団の中に袋を押し込んだ。何だろうと思って布団を上げようとしたら、「後で見ろ!」と小声で叱られた。
何の話なのかよくわからなかったけど、そういえば昨日の朝方、花純さんにコンドームあげようとして怒らせた気がする。
そのあと1日中PB張ってセックスしてたから、僕がずっと部屋にこもってただけだと花純さんは誤認しているんだな。
綾子さんとの体験が濃厚すぎて、すっかり忘れてたけど。
「まー、あれだ。お前もいつもあたしに、その、アレくれたりしてるもんな。アレだって、ほら、まあ、なんていうか、た、大変なんだろ? よく知んないけど」
「え? あ、あー……」
アレとは、おそらくアレのことだろう。
布団を握ったり離したり、足をブラブラさせたり、花純さんも緊張している様子だった。
確かに大変なのかどうかと言われればそれなりにカロリーは消費しているけど、ぶっちゃけ射精は好きでしていることなので全然苦ではなかった。でも、そんなことを得意げにペラペラ言う空気ではないことくらいは、アホ弟の僕でもわかる。
花純さんは、チラっとさっきのプレゼントの方に一瞬目をやり、プイと顔を背ける。
「だから……それ、おかずにしろ」
おかず。
少なくとも空腹の僕に食料を支給する意味で言っていないことは文脈から理解できた。
そっぽ向いた表情まではこの角度から見えないけど、花純さんの耳が真っ赤になっていた。
「い、言っとくけどあたしのじゃないからな。友だちが無理やり貸してきたものだから。しばらく貸してやるから自由にしろ。じゃあな。絶対誰にも言うなよ!」
「あの、え、ちょっと――」
花純さんはそのまま僕の部屋から出て行った。
その小ぶりなお尻を目で追いながら、僕は自然とニヤけていく。
花純さんからの贈り物。しかも僕のオナニーに使えそうな恥ずかしいやつを、彼女が選んでくれたんだ。
精子プレゼントを続けてきた甲斐があった。勘違いとはいえ、少なくとも彼女は僕の心配をして、しかもネタまで提供してくれるまでに親しみを感じるようになったらしい。
日に日に距離が近づいていっている。花純さんは僕の精液を楽しみにしてくれている。姉弟の絆が生まれつつあるんだ。
わくわくしながら僕は包装を開く。
思ったとおりそれは文庫本だった。ピンク系の可愛いカバーの表紙。そして扇情的なタイトルが思いっきり目に飛び込んできた。
『俺と先公(アニキ)の学園ヘヴン!!』
少女マンガのようにキラキラしたイラストに、寝起きの目がシパシパした。
そこには2人のキャラクターが描かれていた。一人は、学ランの胸元を開いた男子高校生。そしてその後ろから学ランに手を突っ込んでるのは、スーツ姿の凜々しいの青年。
どっちもイケメンだった。かなりの男前と評価できる。凜々しく美しく艶めかしい表情ので、なぜか二人ともびしょ濡れだった。
僕は、目頭をぐりぐりマッサージする。
表紙を直視するのはやめて、今度は裏表紙から見てみることにした。
「おおおおおおッ! “先公(アニキ)”の“精液(ハードミルク)”が、腹ン中で“踊(ダンス)”ってやがるぅぅぅ!」
学園一の不良(ヤンキー)兵藤和真の新担任は、生き別れの実の兄、桐生海司だった。
文武両道、大財閥の御曹司でイケメンの海司に男子校は色めき立つが、我関せずの態度を取り続ける和真に海司は特別指導と称して――!?
『本能寺が変です!!』『君が拭け、僕のAを』の花翔院にゃんにゃが贈るドタバタ学園BLコメディ。
20××乙女が選ぶBLノベル大賞第2位![イラスト:MOJOE]
うん、書いてあった。ちゃーんと書いてあったよ、BLって。
よかった。花純さんのことを信じて中を開いちゃったりする前に発見できて本当によかった。ダメージもおそらく最小限で済んだみたいだ。めまいと吐き気が少しした程度だったよ。
世の中にこういうジャンルがあるってことは知っていた。たまに図書館のライトノベルコーナーに紛れて、僕を卒倒させることがあるからだ。
表紙だけで十分発禁レベルのこんな本が、なぜ公共施設なんかに放置されたままなんだろう。図書館で戦争するのは大人の勝手だが、せめて地雷は撤去しといてほしい。傷つくのは罪のない子どもたちなんだぞ。
それにしても花純さんどういうつもりで僕にこんなものを?
単なるイタズラ? 嫌がらせ? 暴力?
それとも……洗脳?
僕のこっちの道に引きずりこもうとしているのか? でも、だとしたら一体何のために? いや、マジで何のために?
ドッキリにひっかかっちゃったって顔して、冗談まじりに「やめてよ~」なんて言いながら突っ返そうか。それが一番無難な対応に思える。でも下手をすれば彼女を傷つけるかもしれない。花純さんは子どもっぽいところあるから、ひょっとしたらまったくの善意で、本気でこういうのが僕のネタにもなると信じて勇気を出して貸してくれたという可能性もある。
とんでもない勘違いだけど。あまりにも男女のことに疎すぎるけど。だけど、もしかしたら花純さんの学年ではまだゆとり教育してるのかもしれないし。
とにかく、僕は一体どうすれば―――
「よし……この件には、一切触れないことにした」
封印だ。くさいものにはフタをしろ。
絶対誰にも言うなと花純さんも言うんだから、絶対誰にも言わないし記憶からも消そう。彼女の善意が黒歴史化するのを防ぐためにもそうしたほうがいい。
僕は、俺となんとかのなんとかヘヴンとかいう何かを机の引き出しの奥に隠し込む。いずれ時期が来たら秘蔵データを収録したUSBなんかと一緒に爆破処分してあげるんだ。
二度寝する気もなくなったので、綾子さんと入れ違いにシャワーを浴びる。朝からバタバタしちゃったけど、とりあえずスッキリした。
朝食のテーブルには、すでに僕と父さん以外のみんなが食事を始めていた。
「おはよう蓮。朝からシャワーなんてどうしたの?」
「あ、うん、ちょっと寝汗っぽかったから」
優惟姉さんは僕の言い訳に疑問を感じたふうもなく、軽く頷いて食事を続ける。
綾子さんは思わせぶりに僕に微笑みを向けてくれた。
花純さんも、なぜか思わせぶりに唇の端を上げていた。
違うから。花純さんのは違うから。ていうかやっぱり本気でネタ提供したつもりだったのかよ。
「蓮。お姉ちゃんご飯食べたら図書館行くけど、一緒に行く?」
「うん、行く行く」
なんとなく家にいると花純さんに何か追求されそうな気がしたので、優惟姉さんの誘いに乗っかることにした。
あの学園ヘヴンを、僕はどうしたらいいんだろう?
自転車で10分。優惟姉さんと一緒に図書館に到着する。
小さい頃から、よくここに勉強しにくる優惟姉さんにくっついて通ってたけど、最近はちょっとごぶさたしていた。管理が民間に移ってからなんとなく雰囲気が変わっちゃったし、小さい子とかが騒がしくても注意する人がいなくなったし。
「おはようございます」
「おはよ、優惟ちゃん。その子は弟さん? 目元がそっくりねえ」
「そ、そうですか? あんまり言われたことなかったけど……似てる?」
「いや僕に聞かれても……」
「ふふっ、しゃべり方までそっくり」
足が遠のいていた僕と違い、理系のくせに本好きな優惟姉さんは職員の人たちとも顔見知りらしく、すれ違えば挨拶やちょっとした談笑までしていた。
基本的に決まった店とか場所しか利用しない人なので、本屋のおじさんとか美容室のお姉さんとか、優惟姉さんの顔なじみはご近所に結構いるのは知っていたけど、図書館にもこんなに馴染んでいたとは知らなかった。
二人がけで並んで座れる学習テーブルは2階にある。1階中央の学習スペースとは違い、奥まった場所に作られたコーナーは試験シーズンは早く来ないと座れなくなるほど人気スポットらしい。一番後ろが空いてたのですぐにカバンを置きに行ったのだけど、姉さんはその手前の席に荷物を置いて僕を手招きした。
「そっちのテーブルは足がぐらぐらするの」
さすが図書館に馴染みの女。
僕は優惟姉さんの隣にカバンを移すと、ノートと教科書を取り出して並んで自習を始める。
参考書は図書館にもあるけど、線を引いたりして使いたいので全て持ち込みだ。家でやるのと内容は変わらないんだけど、場所が場所だけに緊張感があって集中できる。隣でペンを走らせている姉さんも調子よさそうだった。僕も頑張ろう。
しばらくの間、二人でそれぞれの勉強を続ける。
まばらに人も増えてきて席が埋まっていく。高校生くらいの人が多い。集中しやすい環境を求めて集まってくるんだろう。どちらかといえば自宅のほうが捗るタイプの僕だけど、たまにはこういう環境で勉強するのも気分が変わっていいかもしれない。
隣に優惟姉さんがいるのも良い感じだ。
家の机は小さくて、姉さんに勉強を見てもらうぶんには大丈夫だけど、並んでそれぞれ勉強するには窮屈だ。このくらいの広さがあれば一緒に勉強できるのに。そうしたら僕の成績アップも間違いない。隣に姉さんがいると身が引き締まる感じがする。
静かな場所で、死角になった学習テーブルに並んでいるとデートしているような気分になるけど、真剣に勉強している姉さんの横顔を見ているとそんな邪な気分は湧いてこない。むしろ、勉強意欲がかき立てられる。
それとも、綾子さんとたくさんセックスしたせいだろうか。隣に姉さんの匂いを感じても落ち着いた気分でいられた。
「でさー……あれから……しちゃって」
「うっそ、ウケるー。マジで-?」
でも、後ろの席に座ったカップルは真面目に勉強するつもりないのか、お喋りを始めて耳障りだった。
小声で話せばいいというものじゃない。最初はすぐにおとなしくなるだろうと思っていたけど、一向に収まる気配はなかった。図書館の人が通りかかっても無視だし、それどころかますます声を大きくしていく。
「ん、んんっ」
隣で姉さんが咳払いをする。
後ろのカップルはそれも無視して、くだらないお喋りを続けている。
僕は姉さんの腕を取った。姉さんは驚いたように僕を見る。正義感の強い優惟姉さんは、立ち上がって後ろに注意しようとしていた。そういうこと出来る姉さんは尊敬するけど、姉さんがそのせいで他人に恨まれるのも弟としては嫌な気分だ。
でも大丈夫。こんなときは、超天才弟催眠術師の僕に任せておいてほしい。
――キィン!
図書館に僕のコインの音が鳴り響く。せいぜいこの学習コーナーくらいだと思うけど。
優惟姉さんは瞳の色を暗くする。そして、テーブルの背面越しに覗き込んだ後ろのカップルも。大テーブルに座っている他の人たちも。
「みんな、聞こえたらうなづいて」
無音の学習コーナーに、僕の小声は端まで届いていた。
「聞こえたのなら、顔をこっちに向けて」
催眠術にかかっている範囲は当然確かめる。
書架で死角になっているあたりにも一人こっちを見ている人がいた。催眠術に落ちている瞳の色だ。その人もこっちに座らせる。被術者はこれで全員だ。
「僕はこの図書館の精だ。ここでは僕の言ったとおりのことが起こる。僕の言ったとおりの光景が君たちには見える。今から、この図書館の秘密を教える」
大げさなことをするつもりはなかった。
ちょっとマナーを教えてやるだけのはずだったんだけど、でも、意外と女子の割合が高いことに気づいたので、やっぱり少し遊ぶことにした。
「ここには図書館の神がいる。神様は物音に敏感だ。うるさくすると……服を取られる。神様はみんなの服を消してしまう。もしも神様が『うるさい』と思ったら、そのときは僕の口を使って咳払いをするんだ。ん、んんっ。こうやって。ん、んんっ。神様は僕に咳払いをさせてみんなに罰を与える。僕が咳払いをするとみんなの服が一枚ずつ消えていく。でも、君たちはここから逃げることは出来ない。この学習コーナーから一歩でも外に出ると、服が全部消えて家に帰るまで戻らない。裸で家まで帰らないといけない。そして服が消えたことにも騒いでもいけない。平静を装っていないと神様はそこでも逆ギレする。面倒くさい神なんだ。だから、とにかく静かにするように。静かにしていれば無事なんだからね」
それだけ言って、解除する。
ハッと目を開ける優惟姉さん。そして僕に何か言おうと口を開いて、慌てて閉じた。
少し顔を赤くして唇の前に一本指を立てる。お口チャックマンだね。僕はわかってるという合図にうなづく。
そして、咳払いする。
「ん、んんっ」
「えッ!?」
姉さんは慌てて胸元を押さえた。そして、あちこちでガタガタっと椅子が鳴った。
今日の優惟姉さんは薄いブルーのシャツの上に白いニットを重ねている。消えたのはおそらくニットだ。自分の肩回りをキョロキョロ見渡し、焦った顔をする。
もちろん本当に消えたわけがない。でも、優惟姉さんには自分の着ている服が見えていないし触れていない。
姉さんはまだ良いほうだ。
学習コーナーの中にはもっと薄着の人もいるわけで、胸を隠してうずくまっている女性もいたし、あたりの光景を見渡して鼻を伸ばす男もいた。
もちろん、彼女たちの服だって本当に消えたわけじゃない。消えたとそれぞれが錯覚を起こしているだけだ。
優惟姉さんが僕の肩をつつき、また唇に人差し指をあてる。
神様は僕を通じて罰を与える。理由もわからず彼女たちはそう信じて、これ以上の騒音は立てまいと身を縮こまらせる。逃げることはできない。平静を装わなければならない。
シャツ一枚の女性はかわいそうに胸を片手で隠しながら自習を続ける。そのポーズが余計に想像力をかき立てるとも知らずに。後ろの席でおしゃべりのうるさかったカップルも大人しくなった。
緊張感が学習コーナーを包み込む。
「ちょ、だめ……」
しかし、後ろのカップルの男の方が服が消えたことにハシャいだのか、イタズラでもされたらしく女の子が小声で文句を言った。
僕はすかさず咳払いで注意を与える。
「ん゛、んん゛ッ!」
「きゃっ!?」
あちこちで上がる悲鳴。
二度目の咳払いで優惟姉さんは胸を隠した。男でも悲鳴を上げる者もいた。多くの女子たちが股間に手をやって隠した。
そして、恨みがましい視線が僕たちの後ろの席に集中する。デスクの背に隠れている彼らも、肩身を狭めるのが気配でわかった。
「…………」
優惟姉さんも、可哀相に胸を手で隠して背中を丸めている。
ニットの下でおっぱいが腕につぶれるのがわかった。
僕は椅子を引いて姉さんをみんなの視線からかばう。
「大丈夫。僕がこうやって隠すから、勉強を続けよう」
「蓮……」
メガネの奥で姉さんの瞳が優しく微笑む。
そして僕の髪をなでつけるように触れ、そっと囁く。
「ありがと、蓮。やっぱり男の子なのね」
くすぐったい気持ちになった。
優惟姉さんに褒められると、どうしてこんなに嬉しいんだろう。きっと母さんに褒められたみたいな気持ちになれるからだ。
でも、嬉しい言葉だけど、騒音は騒音だよね。
「ん、んんっ」
「えっ!?」
おそらく今の一撃で姉さんのデニムパンツが消えた。
股間に手を挟む格好でギュッと内股になり、姉さんの顔は真っ赤になる。
他のテーブルに座っている人たちも、おっぱいを隠したり股間を隠したり、重ね着具合によってはブラを消された人もいるみたいで、ノートと手帳でそれぞれのおっぱいを隠している女子もいた。
リアクションでどこまで裸になったかは推察できる。僕と同じようにいやらしい顔をして辺りを見渡しているおじさんは、膨らんだ股間にデジタルメモライターを乗せ、軽快にブラインドタッチしていた。
「~~~~ッ」
だけど声を出してはいけない。平静を装わなければいけない。そんな拷問教室だ。
優惟姉さんはおずおずとペンを手にして、自習を再開する。
取り繕っても顔は真っ赤だ。自分は今パンツ一枚で図書館にいる。ありえないはずのシチュエーションを催眠で植え付けられ、疑問を持つことも許されずに姉さんは半裸学習を続ける。
乙女にとってこれほどの苦行はないだろう。やがて姉さんは、徐々に僕に体を寄せて周りの視線から隠れようとする。
僕は悪巧みの得意な図書館の精だが、姉さんの前では一人の紳士だ。そっと僕の方からも体を寄せ、姉さんをかばう。姉さんは無言で僕の肩に頭を寄せ、太ももにちょんと指で触れる。
『ありがと』
さらさらとメッセージをなぞられる感触がくすぐったい。
僕もそっと姉さんの太ももに触れて了解したことを伝える。姉さんは、ふっと軽く息を吐いて、体から緊張を解いた。
ぴったりと体を寄せ合って勉強を続ける。なんだか少し甘ったるい気分になっていく。
実際には服を着ているけど、心理的には下着一枚の体を、姉さんは僕に預けている。
もちろん弟の僕を信頼してってことなんだろうけど、優惟姉さんがこうやって身を任せられる男もきっと僕だけだって思うと、なんだか誇らしい気持ちになれる。
間近で見るとやっぱり優惟姉さんは美人だ。ここにいる女性の中で一番きれいだ。
『さむくない?』
僕は優惟姉さんの太ももを指でなぞる。
「んっ」
優惟姉さんは、一瞬、唇を噛みしめてから僕に返事を返す。
『へいき』
短いメッセージを急いで書いて、優惟姉さんは自分の太ももを軽くさする。
デニムパンツの上からだけど、姉さんは素肌に直に触れられた感触を体験している。くすぐったくて、ちょっとざわざわするあの感触だ。
僕はとぼけてメッセージを続ける。
『コーヒーでものみにいく?』
「んっ……んっ」
ピク、と姉さんは喉を反らせて声を堪える。そして『いかない』と素早く返事を僕の太ももに書く。
ここから出れば家に帰るまで全裸だ。当然出て行けるわけがない。
太ももに触られたくないならノートか何かに書けばいいだけなんだけど、半裸状態に動揺している姉さんはそこまで気が回らないようだった。
『だいじょうぶ?』
「んんっ……」
まったく、素直で可愛い姉もいたものだ。
姉さんはポンポンと僕の太ももを二度叩き、教科書を手に持って僕の肩によりかかる。
大丈夫だから勉強を続けよう、ということだろう。
なんだか僕も自分の催眠術にあてられたのか、姉さんが裸に見えてきた。
一緒にお風呂に入ったときのあのきれいな肌。ツンと張ったおっぱい。意外と大きなお尻。
今度、家でゆっくり全裸になって勉強を教えてもらおう。そのとき、姉さんには自分が部屋着を着ていると誤認させる。今と逆の状態で勉強するとどんなスケベなイベントになるか試してみよう。
想像するだけでわくわくしてくる。
「あん、ダメ、また服消えちゃうってば……」
ちなみに後ろのカップルは、もっと盛り上がっていた。
声が漏れようがチュッチュと楽しそうな音を立てようがお構いなしだ。むしろ服を消したいのが男の狙いだとわかったのであえて無視していた。でもそうするといつまでも調子に乗り続けるようだ。
やれやれ、仕方ない。隣で恥ずかしそうに身を縮めている優惟姉さんには本当に気の毒なんだけど、僕は図書館の精だから。
「ん゛、ん゛ん゛っ」
「やっ!?」
優惟姉さんの最後の一枚が消えた。
手にした教科書で股間を隠し、僕の胸にうずくまる。
僕は姉さんの背中に手を回して優しく抱きしめた。姉さんも僕を抱きしめ返して体を密着させる。
体を隠すものはお互いの体しかない。裸の姉さんを抱きしめる想像をして興奮した。震える背中を撫でてやると、「蓮……」と泣きそうな声でしがみついてくる。
可愛い。優惟姉さんが可愛い。
周りを見渡してみると、ほとんどの人が全裸完了したみたいで、カバンや手帳を駆使して体を隠して平静な自習を装う人や、テーブルの下に潜ってノートを広げて平静な自習を装う人や、頬を赤らめつつも開き直って堂々と書架に本を戻しに行くカッコイイお姉さんがいた。
かわいそうに、泣きながらペンを走らせる僕と同い年くらいの女の子もいる。ちょっと可愛い子だから興奮した。
さっきまで楽しそうに股間でテキスト叩いていたおじさんは、なぜか頭髪を押さえてうずくまっていた。ちょっと気の毒な姿で同情した。
後ろのカップルは言わずもがなだ。「あんあん」と楽しそうな声を上げて、ひょっとしたら服越しに挿入までしてるんじゃないかってぐらいにテーブルの脚をガタガタ鳴らしていた。スケベどもめ。
優惟姉さんは、僕にしがみついたままだ。
『だいじょうぶだよ』
太ももをススっとなぞると、優惟姉さんは過敏に震えて、コクンとうなづいた。
『だれにもみせないからね』
立て続けに頼もしいメッセージをなぞってあげると、「あん」と優惟姉さんも可愛い声をだした。
僕は、これ以上は特にメッセージもないけど、太ももをさすることにした。
「んっ、うんっ」
ピク、ピク、優惟姉さんは可愛く体を震わせる。
耳の裏側まで真っ赤になっているのがこの体勢だとよく見える。あぁ、なんだか本当に裸にしたくなってきちゃうよ。
でも公衆の面前で優惟姉さんの裸にしちゃうのは男としても弟的にもしたくない。もったいないけど、こういう楽しみはやっぱり自宅でのんびり味わうのに限る。
僕は、コインを取り出して高々と鳴らした。
――キィン!
「僕だよ。図書館の精だ。君たちの服は元通りになる。これからは物音を立てても消えない。罰は何も起きない。神は死んだよ」
そして解除する。
ふっと優惟姉さんは顔を上げ、そして自分の服を見て、僕から離れて椅子の位置を直した。
隣のカップルも正気に戻ったみたいだ。でも、乱れた呼吸が落ち着くことはなく、彼らの秘やかな耳打ちは僕まで聞こえてきた。
「出よっか?」
「うん。てか、しよ?」
急いで席を立ち、体を寄せ合ったまま足早に去って行く二人。
ちょっと予想以上の騒ぎになってしまったけど、どうやら僕はカップルを無事撃退することに成功したようだ。
隣の優惟姉さんは、もう平静を取り戻して勉強を続けている。
太ももに触ろうと思ったら、ペチンと手を叩かれた。
はい、勉強を続けよう。
カリカリと無言のままノートを進めていく。図書館という雰囲気のせいか文系が妙にハマる。
現国の問題文を読んでいろいろ検討しているうちに、原本がここにあるんだということに気づいた。問題文後の顛末も知りたいと思って優惟姉さんに断って席を立つ。作者のコーナーで少し立ち読みしていたら、結構のめり込んでしまった。
僕には少し高尚すぎるテーマだし文章も堅めだけど、ちゃんと追っていけば理解も出来るし引きこまれる。文の良し悪しがわかるほど読書量は多くない僕だけど、国語の例題になるような作品は文章の精度が高いので普通に読んでも面白い。今度の長期休みには、姉さんと図書館に通って教科書作品の制覇を目指してみようかな。
思わぬ時間を食ってしまった。これは帰りにでも借りて読むことにして、そろそろ姉さんのところへ戻ろう。
そして戻ってみると、見慣れない人が姉さんと喋っていた。
「あ、蓮。……あの、弟です」
メガネをかけた、大学生くらいの男の人だった。ここの職員らしく見えたけど、ネームプレートの色が違った。
「こちら、中橋さん。ここで読み聞かせや読書介助のボランティアをされている人なの」
「こんにちは」
見かけはちょっと冴えない感じ。長い顔と小さな目、丸っこい鼻が日曜夕方のアニメを連想させた。
微笑んでもあまり形の変わらない目が、僕の顔をひたと見つめる。
「賢そうな弟さんだね。目元がよく似てる」
「そ、そうでしょうか? ……似てるんだって、蓮」
「え、あ、はぁ」
「子どもたちが来る時間だから僕はこれで。弟くんもまたね」
「あ、どうも」
「はい、また!」
にこやかに彼を見送る優惟姉さんを、僕は黙って見つめる。
姉さんは「何見てるのよ」と唇を尖らせる。
「中橋さんはね、T大の学生さんで、すっごく頭が良い人なのよ。図書館の常連さんで、休日はここでボランティアまでしてるの。お姉ちゃんが中学生のときからたまにここで顔を合わせててね、それでちょっとしたことがきっかけでいろいろお話するようになって――って、それだけだから、それだけ!」
聞いてもいないことを早口で姉さんは喋りきり、「さ、勉強」と言ってノートに向かう。
現国のノートの開きながら、僕は、さっきの姉さんの言葉について考える。
この二人がけ学習テーブルは、当たり前だけどカップルや友人同士のペアで使うためのものだ。一人なら個人サイズの机か大テーブルを使う。別に一人で二人がけを占有したって悪いことじゃないだろうけど、姉さんはそんなマナーの悪いことはしない。
でも、だったらどうして優惟姉さんは「そっちのテーブルは足がぐらぐらする」ことまで知っていたんだろう。
僕は姉さんのことを愛しているけど、それはあくまで家族としてだし、女性としての魅力を感じてはいても、弟がそれを独占して良いものではないこともわかっている。
彼女の前では、僕はいつも良い弟でいたい。甘えたりイタズラしたりするいつもの愛情表現と同じように、姉さんの幸せを願う家族でありたいと思う気持ちは僕にとって偽りのない愛だ。
それに、例えば女子校の友だちと図書館で勉強することもあるだろうし、他の人や職員がそう言っているのをたまたま聞いただけかもしれない。
優惟姉さんに“男”がいるんじゃないかって、単純に考えちゃうのは中学生男子のいやらしさだ。
姉さんはいつものきれいな横顔で、真剣に参考書に取り組んでいる。きれいで落ち着いた大人っぽい優惟姉さん。裸にされたと誤認して僕にしがみついていた可愛い女の子。
心の奥底に芽生え始めている感情から、僕は目を背ける。
< 続く >