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「ここのコーヒーすごくおいしいんだ」
隼人は南川琴音にそう言った。
「泡立ってるね」
南川琴音はカップを覗き込んで言う。
「エスプレッソだよ。高圧で抽出するから濃いんだけど、慣れるとやめられない。イタリアでは食後に飲むんだって」
「へぇ・・・私も飲んでみようかな。斎部君、よくここへ来るの?」
「たまにだけどね。じゃあこれにする?」
「うん」
隼人は梨花にエスプレッソを頼んでから言った。
「ところでメールのことなんだけど、ヘンな文面にしちゃってごめん。あれじゃあ自殺者のメールだよね」
「そうだよ。私、心配しちゃった」
「でも遠くへ行くのは間違いないんだ。出かけようと思ったら南川のことが気になった」
「それって・・・」
ほんの少しだけど南川琴音の頬が赤くなったような気がした。
もしかしたら告白系だと勘違いしているのかもしれないと隼人は思った。
それならそれでいい。どうせ「サイ」を使ってみようと思っているのだから拒否られてもかまわない。
しかし、南川琴音はまんざらでもない様子だった。
そのとき梨花が「どうぞ」と言ってエスプレッソを運んできた。
南川琴音はカップを口に運ぶ。そして顔をしかめた。
「苦い?」
「うん。香りはいいんだけど苦すぎ。斎部君、よく飲めるね」
「クリームと砂糖を入れてみるといいよ。あっ、そうだ。甘いものって制限とかしてる?」
「ううん。どして?」
「ここのクッキーすごくおいしいんだ。エスプレッソと一緒に食べるといいよ。梨花さん、試作のクッキーください」
隼人はキーワードを口にした。
「どうぞ。これで最後なんですよ。それから、隼人さん。ちょっと外しますけど5分くらいで戻ってきますから、お客さんが来たらそう伝えてもらえるかしら」
「もちろんです。大丈夫ですよ。いってらっしゃい」
「うわ、常連さんなんだ。試作のクッキーとか、名前で呼び合ってるし、ちょっと意外」
「なんで?」
「だって・・・」
「暗いやつだと思ってたんでしょ」
「そんなことないけど・・・」
南川琴音は隼人のことを見た。
目が合った。
いまだと思った。
「サイ」
隼人が唱える。
クッキーを持ったまま南川琴音の動きが止まった。
梨花との関係は力と同時に新しいアイテムを隼人に授けたようだ。
「南川、聞こえたら返事して」
隼人は確認するように言う。
「はい・・・」
かかっている。隼人はそう思ったが念には念を入れることにした。なにしろ相手はクラスのスーパーリーダーなのだ。
「南川、パンツ見せて」
隼人がそう言うと、南川琴音は一瞬だけ躊躇したように見えた。しかし、それはどうやって見せるか思考を巡らせていただけらしい。すっと立ち上がるとスカートの裾を持っておへそのあたりまで持ち上げた。
水色のギンガムチェックのショーツが丸見えになった。
「ありがとう。もういいよ」
南川琴音は元の位置に座った。
確実にかかっていた。そうでなければ南川琴音がこんなことをするはずがない。
「さて、南川に聞きたいことがある」
「はい・・・」
南川琴音は抑揚のない声で応える。
「なんで僕にノートを作ってくれるなんて言ったの? ただのクラスメイトだから? それとも憐れだと思った?」
「いえ・・・ちがいます・・・いんべくんのやくにたちたかった・・・」
「どうして?」
「じぶんでも・・・わからない・・・んです・・・気がついたら・・・」
「僕のことが気になったと?」
「はい・・・なにか事情があるのなら・・・私にできることをしたかったの・・・」
「僕のことが好きなの?」
「はい・・・たぶん・・・いえ・・・す・・・好きです・・・」
さすがは南川琴音だと思った。トランス状態に陥っても正しい言葉を選ぼうとしている。
「いつから?」
「わかりません・・・気がついたら・・・いんべくんが休むってきいて・・・会えないとおもったら・・・胸が・・・苦しくなって・・・」
雄大の言うとおり発散した気の影響だと隼人は思った。
「南川はどこに住んでるんだっけ?」
「しながわです」
それなら東海道だから奈良へ行くには途中だ。今晩は南川琴音の家に泊まれないかと考えた。
「家族は何人?」
「母とふたりです」
「お父さんとか兄弟はいないの?」
「わたしはひとりっこだし・・・父はいません・・・」
南川琴音の方こそ事情がありそうだと思った。
品川なら歩いて1時間ちょっとだろう。
母親がいても「サイ」をかけてしまえば問題はない。
しかし、もうちょっと梨花の身体も楽しみたい。
長谷川恭子の下着も返したい。
考えてみれば今日は木曜日だ。
明日、南川琴音の家に泊まって土曜の朝まで楽しむのも悪くないと思った。
「南川はいま夢の中にいるんだ。そして大好きな僕とおしゃべりを楽しんでいる。家に帰ると僕のことしか考えられなくなって胸が苦しくなる。だから僕のことを考えながら自分で慰めるんだ。オナニーはしたことある?」
「いいえ・・・」
「やり方も知らないの?」
「いえ・・・知っています・・・でも・・・こわくて・・・」
「だったら僕のことを考えながら初めてのオナニーをするんだ。そして、すごく気持ちよくなる。でも終わると、もっと僕のことが恋しくなる。僕に抱かれたくてしょうがなくなるんだ。明日、僕は南川の家へ泊りに行く。そのことを考えるとエッチな気分になって何度もオナニーをするんだ。わかった?」
「はい・・・わかりました・・・あしたは・・・おかあさんがいないから・・・泊まりに来てください・・・待ってます・・・」
力を手に入れてから拍子抜けするほど事がうまく運ぶ。運までが味方するようになったみたいだと隼人は思った。
「南川はこれから目を覚ます。夢の中で僕と話したことは忘れても内容は忘れない。いいね」
「はい」
隼人は南川琴音の返事を聞くと「サイ」を唱えた。
南川琴音は頭を軽く振って隼人を見つめた。
「あれ?」
「どうしたの?」
「なんか、ヘンな気持ち。どうしたんだろう?」
「具合悪いの?」
「ううん。そうじゃなくて、なんだか居眠りしちゃったみたい。時間の感覚がないの」
さすがに鋭いと隼人は思った。しかし「サイ」の力を信じるしかない。
「コーヒーを飲むといいよ。意識が冴えるよ」
「そうね。ありがとう・・・あれ・・・冷めてる」
「えっ、うそ。僕も居眠りしちゃったのかな」
隼人は誤魔化すことにした。
「うふふ」
南川琴音が笑う。
「なにかおかしい?」
「ううん。斎部君ってやさしいなって思って」
その声には媚びが感じられた。「サイ」から覚めると好意が増すと言った雄大の言葉の通りだ。
「そんなことないよ。それより、こうやって南川と会って話ができるなんて、僕の方こそうれしいよ」
「ほんとに?」
「なんで?」
「だって、私、性格きついから嫌われてると思った」
「あっ、自分でわかってるんだ」
「ひど~い」
南川琴音は隼人のことを恨めしげな目で見る。でも、本気で恨んでいないことはすぐわかる。
「それが南川の個性だし、いいところじゃないか。僕はクラスを引っ張っていく南川のことをすごいと思ってるし、尊敬もしてる」
隼人はわざと「好き」と言わない。その方が焦らしの効果があって、今晩、余計に南川琴音がエッチな気分になると思ったからだ。
「そんな・・・私なんか・・・」
「僕は、南川は自信たっぷりなんだと思ってた」
「そんなことないよ・・・ねえ・・・」
「なに?」
「私と会って・・・うれしいって・・・ほんと?」
「当たり前じゃないか。南川とこうして学校以外で会って話ができるなんて、クラスの連中が知ったら羨ましがると思うよ」
「クラスのみんななんか関係ないよ・・・」
そう言う南川琴音の表情から、自分へ対する思慕が想像以上に強いことを隼人は悟った。
ストレートな南川琴音の性格を考えると、このままでは告白されてしまうと思った。
そうしたら計画が崩れかねない。
隼人は自分が流されやすい性格だと知っていた。
「ちょっと待って」
ブレーキ役として第三者の存在が必要だった。
「梨花さんが帰ってきて、そんなことを聞かれたら恥ずかしいよ。ちょっと見てくる」
隼人は梨花に扉の外に出て、客が来たら取り込み中だから追い返すように指示していた。はたして梨花は扉の前で佇んでいた。
隼人は1分したら店に入ってくるように梨花に指示を与える。
「あの人いた?」
「うん、こっちへ歩いて来るのが見えた」
「そう・・・」
明らかに南川琴音はがっかりした様子だった。
また恨めしげな目を隼人に向ける。
どうやら告白されそうな流れは回避できたようだ。
普通のカップルだったら大失敗だろう。なにがなんでも南川琴音をケアしなければならないシチュエーションだ。だけど隼人には「サイ」がある。そして、南川琴音は家に帰ると隼人のことを想いながら初めてのオナニーをする。むしろ隼人に対する気持ちが高まるはずだ。隼人は南川琴音の視線に笑顔で返した。
「ねえ、南川」
「なに?」
やはり南川琴音は不満そうだ。口調に棘がある。
「何時までいられる」
「なんで?」
「いや、できるだけ一緒にいたいから気になっただけ」
「あ、うん。5時くらいまでなら大丈夫だよ」
隼人のひとことで南川琴音は機嫌を直したようだ。すぐに帰ると言い出してもおかしくない状況だったのだ。「サイ」が効いているのかもしれないし、発散している気のせいかもしれない。いずれにせよ隼人にとっては望ましいことだった。
梨花が帰ってくると南川琴音の態度が変わった。それまでは隼人に甘えるような仕草を見せていたのに、背筋が伸びたというか、いつもの南川琴音に戻った。
それでも楽しい会話は続いた。最後の方には梨花も加わり盛り上がった。南川琴音が梨花に「また来ます」と言って店を出たのは5時を大分過ぎた時間だった。
< 続く >