囚われのたいきくん 2-1

2-1

 たまらない。

 あぁ、たまらない。

 気がつけば次はどう悪戯してやろうかと、そのことで頭がいっぱいになっている。
 彼の力の抜けた姿が、快感に崩れる顔が、またその後で見せる驚愕した顔が、たまらなかった。
 これじゃいけないと、程々にしなくてはと思う気持ちもすぐに、『彼がかわいいのがいけないのだ』という言い訳に流される。

 そう、かわいいのだ。たまらないのだ。
 胸の奥が疼いて、焼けたようになって、知らぬ間に下腹部に手が伸びていることもままあることだった。
 『そこ』で感じた彼の手の熱を忘れられなかった。

 下半身を丸出しにしたまま何も知覚できないようにして、本を読む彼の股間をさすってあげた。
 棒アイスだと認識させて、私の指をなめさせながら普通に会話した。普通に噛まれて仕返しに全裸にひん剥いてから覚醒させた。
 空気を読まずに相変わらず優等生ぶるのが鼻について、下半身を脱がせトイレの個室をテスト中の教室だと思い込ませてもらさせた。
 これはさすがに泣いてしまって反省した。
 私の部屋で理由をつけしばらく一人きりだと思い込ませた後、その日授業で私が穿いた(という設定の)体育の短パンで自家発電させた。
 普段の彼ならそんなこと絶対しないだろうが、まぁ彼が昂っている姿がかわいいのがいけないのだ。しょうがないよね、てへ。
 
 今日も、一日が経つのがえらく早かった。
 トイレで先輩の女子のおしっこにドキドキしているたいきくんも、すごいかわいかった。
 ベッドの上に転がって、スマホに撮りためた写真を眺める。
 このニ日で何枚彼の写真を撮ったかわからない。
 明日は土曜日だし、どこかで動画を撮るのもいいかもしれない。あとで見せてやってまたからかおうか。

「んふぅ……、…………ふぅ…………」

 ふとももをよじりあわせてしまって、ついつい声にならない声が漏れる。
 ちょっと前の私ならはしたないと赤面していたのだろうが、今の私は違う。
 一昨日よりも昨日。昨日よりも今日。今日よりも明日。
 私は成長する、驚くべき速さで。
 彼のためにも、勿論私自身のためにも、立ち止まってはいられない。

「……あ、ふっ……、んぅ……」

 とかなんとかごちゃごちゃ考えてても疼きは紛れも治まりもせず、本日二度目にして私はやすやすと色欲に屈した。

「たいきくん、よっすー!」
「うん、おはよう」
「いやー絶好のピクニック日和だね! こんな日は家でごろごろしてるに限るぜっ!」
「そうだね、なんで僕呼び出されたんだろうね」
「かったいこと言うなよー。年頃のかわいいおなごと休日に二人っきりなんだぜー? もっとテンション上げてこうぜー?」
「……で、なんで僕呼び出されたの」
「うっす。中間の課題ほんとやばいんでマジで数学お願いしやっす。……しゃっすしゃっす」
「……、はぁ……」

 ……というわけで、僕たちは公民館の学習スペースに来ていた。
 氏曰く、二週間後に迫る試験の課題が問題集の発展問題ばかりで手に負えない、とのことだった。
 解答はものすごい略解しか渡されていないため、安易にそれを見ただけではどうしようもならないだろう。
 発展問題はそこそこ難しいが、前半の問題は授業でやったものだったので、いうほど苦労はしないはずだ。

 そうしてしばらく問題が進んだところで、彼女がシャーペンを顎に当てながら話しかけてきた。
 
「いやぁもうほんと、ありがとうねいつもいつも」
「別にいいよ、知り合いのよしみということで」 
「知り合いだなんて……ほんと、かたっくるしいんだから。友達でいいじゃんかよー。それとも、私はまだ知り合いレベルの人間なの?」
「うーん、まぁ、友達だけど……」
「いや、いいんだよ正直に言ってくれれば……。私はそれくらいのことでへこたれやしないんだから……」
「うん、勉強疲れてきたんなら、とりあえず休憩しよっか。何が飲みたい?」
「あーあーちくしょーたいきくんのばかやろー」
「そんな棒読みで言われてもねぇ……。で、何がいいの?」
「お茶で!」
「りょーかい」

 ……やれやれ。

 最初の頃こそ振り回されっぱなしだったが、この頃はそこそこ慣れてきた……と、思う。
 さっきのも、彼女が何らかの作業に飽きてくるとよく発生する類のやりとりだった。
 律儀に受け止めていたらキリがないと、否が応でも学習せざるを得なかったものだ。

「……お茶お茶っと、まぁ緑茶でいいよね」

 学習室を出て左に曲がった突き当たり、受付のカウンター横の自販機で、スポーツドリンクとお茶を一本ずつ買う。
 二本のペットボトルを両手にぶら下げながら学習スペースに戻ってみれば、少女が机に突っ伏して脱力していた。

「ほら、お茶だぞー。起きろー、まだ課題は終わっていないぞー」
「……ぅあ、……み…………水を……、く……くれ…………」
「おいとくぞー。勝手に飲むんだぞー」
「……ぁあ……、水が……、水がぁ…………」
「飲んだら課題が待ってるぞー」
「もうだめだ。どうやらわたしはここまでのようだー」
「そう、じゃあ僕は帰るね」
「ストーーップ!!!! そうは問屋が卸さないってね!!」
「いいよ卸さなくて。他の問屋を当たるから」
「んもーたいきくんはー、なんでそうノリが悪いかなー!! おねーさんそんな子に育てた覚えはありませんよー! ……うぅ、しくしく。昔はあんなにかわいかったのに……」
「そんなこと言われても……」
「てもじゃない、てもじゃないんだよたいきくん!」
「で、結局やる気はまだあるの?」
「ないと言いたいところだけど、ないよ!」
「じゃあ帰るよ」
「だが断る!」
「僕も断る」
「うおー、これ以上したら私の脳はオーバーヒートして焼き切れてしまうんだー」
「焼き切れても課題はそのままだぞー。テストは待ってくれないぞー。そして僕は帰るぞー」
「もうやだ。私はこのまま死んで数学のない世界へと生まれ変わるんだー!」
「ほんと数学やなんだね。まぁやる気戻ったら言ってよ、こっちは適当にやってるから」
「却下!」
「なんで?」
「つまらないじゃんかー!」
「…………、えー」
「えー、じゃないよ!」
「じゃぁどうしたらやる気出るの……」
「この世から数学がなくなったら、かな!」
「つまりやる気ないってことじゃん」
「えっへへー。あ、でももう一つだけあるよ! やる気出す方法!!」
「あるんなら出してよ」
「じゃぁ、たいきくんちょっと耳貸して」
「へ、なに、変なことしないでよ?」
「いいからいいから、ね? ”ルフナの香り”、だよ?」

 そう言われて、どこかでかいだようないい匂いが鼻先を通り抜けたような気がして…………、………………。

 …………、…………。

「ほーらたいきくん、餌だぞー」

 左の手のひらにカバンに常備している柿◯種を適当に出して、床に四つん這いになった彼に差し向けた。
 ゆっくりと顔を寄せてその”餌”をちろちろと食べ始める彼は今、猫になっている。

 そう、”猫”になっている。

「おーよしよし、よしよーし。どう、おいしい?」

 空いた右手でその頭や背中を撫でてやる。
 餌を口に運ばんと彼の舌が手のひらを何度も何度も舐めていく。
 独特なくすぐったさに耐えながら、餌を平らげていくのを見届けた。

「喉も乾いたでしょ? ほら、お水だよー」

 さっき彼が買ってきたペットボトルを開け、手のひらにこぼれない程度に垂らしてまた彼に差し出した。
 これもまた、ちろちろと舌ですくいながらゆっくりと飲んでいる。

「……、…………」

 正直に言ってよろしいでしょうか。
 うん、超やばい。めっちゃくっちゃかわいいんだけどこの子。

「ほらたいきくん、おいでおいでー」

 そう言って崩した膝元をぽんぽんと叩く。
 彼はゆっくりと頭をよせ、私の膝の上にその頬を乗せて気持ちよさそうに脱力した。

「…………か、かわえぇ…………」

 こんなかわいい生き物が、今この瞬間私の、私だけのペットなのだ!
 ああもうこれでもかというくらいに撫でた。
 頭から首元から背中にかけてと、撫でに撫でに撫でまくった。

「あ、あかん……。このままでは私のライフが保たない……!」

 少し汗ばんだ顎下をさすっていた手を、鋼の精神で引き剥がす。
 一旦落ち着かないとまずい。ちょっとでも気を緩めると我を忘れそうだ。

「はぁ、はぁ……。気持ちよさそうにしやがって……、こいつめ……」

 たいきくんのおうちではたしか猫を飼っていたはず。
 多分本当にこんな感じでたいきくんにじゃれているのだろう。

 あぁ、なんてうらやましい……。

「って、いかんいかん……。今は妄想している場合じゃな……っちょ、たいきく―」

 撫でるのをやめたからなのかはわからないが、急に膝元から身を起こすと、彼は勢いよく私に乗りかかってきた。
 そして、今度は自分の番だとでも言うように、私の顔をなめてきたのだった。
 それはもう無遠慮に、舐めまくってきたのだった。

 当然くすぐったさと気恥ずかしさについ顔をよじってしまう。
 それによって被害は頬だけにとどまらず、不運にも唇までもがその無邪気な舌の犠牲者となってしまった。

「た、タンマっ、ちょっとタンマってうわぁ!」

 ぴちゃぴちゃと頬をなぶる水音が耳元に響く。
 引き剥がそうにも両腕は彼の腕に組み敷かれ、身を捩ることしか出来ない。

 自分はどちらかと言えば小柄な方だ。
 たいきくんも別に大柄なわけではないが、この歳にもなればやはり男女の体格差には結構な差がある。
 はっきり言って、マジで身動きがとれない。

「ちょっ、やめっ、そんななめちゃだめだって……ひゃんっ」

 たいきくんの舌が、毛づくろいでもするかのように何度も何度も丹念に私の頬を舐めあげてくる。

「やめてって……、あーもう! ”ルフナの香り”!」

 瞬間、彼の全身が脱力した。
 当然のことながら覆いかぶさるようにして倒れこんできた彼の身体を抱き止めた。
 上半身の全体重をこちらに預け、顎が肩にちょこんと乗っている。
 押し潰される胸にダイレクトに彼の体温を意識してしまって、ついつい取り乱しそうになるのをなんとかこらえた。

「まーたこんな調子かぁ……。なーにやってんだろうなぁ、わたし……」

 なかなかどうして、思った通りにはうまくいかないものである。
 焦った時にいちいち催眠状態に落として流れを切ってしまうのは、自分としてもやはり好ましくはなかった。

「だがしかし、いやはやこの体勢は……、大層乙なもので……」

 身を捩りながらなんとかポケットからスマホを出して、パシャリと今の状況の写真をつい撮ってしまった。
 携帯を持つ手とは反対の手で、さり気なく彼の頭を撫で回してみる。

「もうちょっとだけ、こうしてよっかな……」

 彼から伝わる熱のせいで、どんどん体温が上がってしまっているような気がする。
 直接伝わってくる心臓の鼓動が、どんどん私の鼓動を早めていく。

 そんなちょっぴり幸せなひとときは、すぐさま騒がしく鳴り響いたお昼のチャイムによってぶち壊されたのだった。

 …………、…………。

「……ねぇ、なんか怒ってない?」
「そぉ? 怒ってるように見える?」
「いや……、とりあえずなんか気に触るようなことしたなら謝るよ、ごめん」
「だーかーらー、違うってば。たいきくんは関係ないの。ったくもう……」

 先程から苛立たしげにコンビニのパンを頬張る彼女は、どう見ても気を立てている。
 やはり何度今日したやり取りを思い返してみても、思い当たるフシはわからない。

 いつもながら、やはり女心は難しいと、そう思うのだった。

< つづく >

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