県庁特別高等課 第一話

第一話 女教師咲子

 ――真の××の敵は、特高ではない。女だ。どんな拷問よりも、女の誘惑の方が恐ろしい。転んでしまつた同志の、陶然とした顔が目に浮かぶ。俺も、もうじき転ぶことになるだらう。(ある活動家の日記より。検閲のため、一部の単語が削除されている)

1. 釈放

 遠目に木造二階建てのアパートを見て、咲子はほっと息をついた。まだ日は落ちておらず、アパートは夕日の逆光に黒ずんで見えた。二月に入って、少しは日が高くなっていた。一ヶ月ぶりの我が家だった。
 一人暮らしを始めて、まだ一年も経っていない。高等女学校を卒業して、すぐに勤務先近くのアパートに入居した。両親は、実家に帰って来いとは言わなかった。高女の寄宿舎に入った時から、娘が職業婦人になること、もう実家に住むことはないだろうことは、覚悟していたらしかった。
 だが、娘が特別高等課に検束されるとは、父母も考えてもみなかったに違いない。咲子自身、なぜ検束され、一ヶ月ものあいだ拘引されたのか理解できなかった。無実が証明されたと言われ、釈放されたのは昼過ぎ。警部補の鈴木に連れられ、職場の大嶋第二尋常小学校に向かった。彼女は小学校の訓導だった。土曜日だから、学校は半ドンで、校庭に児童の姿はなかった。
 校舎に入ったところで、校長が駆け寄ってきた。五十も半ばを過ぎた、細身の男性だ。特高から釈放の連絡を受けて、待っていてくれたのだった。

「怪我はないか? お腹を空かせていないか? 心配していたんだぞ」

 咲子の目頭が熱くなった。目に涙を浮かべながら、にこりと笑って見せた。

「私は大丈夫です。ご心配をおかけしました」

 高等女学校時代の学友から、美人だが、表情に乏しいなどと言われ続けてきた。冷たそうな女だとも。自分でもその自覚はあった。嬉しい時、悲しい時、どんな顔をしたらいいかわからなかった。かつての咲子なら、笑顔になるより先に、

 ――こんな時、どんな顔をしたらいいの。

 などと考えてしまっていただろう。咲子の変化に気づいているのかいないのか、校長は、手を取って続けた。

「君が無実で、無事で本当に良かった。よく帰って来てくれたね」

 鈴木警部補は、校長と二言三言交すと、そそくさと立ち去った。
 校長は、咲子が検束されていた間の事情を語った。校長曰く、咲子が検束されたことは誰にも、咲子の実家にさえも告げなかった。手続的には休職扱いにして、実家やアパートの管理人には他県に研修に行かせたことにしていた。
 無実だったとはいえ、特高に検束された者に対する世間の目は冷たい。咲子は校長の気配りに、もう一度深く頭を下げた。

 晴雄は焦れている。
 咲子は昼ごろには釈放された。晴雄は大嶋県庁の近くで待っていたが、特高が付いていたから、遠巻きに見守るしかなかった。特高と咲子が勤め先の尋常小学校に入っていくのも見た。一旦職場に寄ってから帰宅するのだろうと思い、咲子の自宅近くで待つことにした。ところが、すでに日も傾いているというのに、咲子は現れない。何かあったのではないか。探しにいった方がよくはないか。そう考えていたところへ、夕日を受けて眩しそうにアパートを見上げる、洋装の女性が歩いてきた。咲子だった。

「咲子さん!」

 と、晴雄は呼びかけた。

「晴雄、さん?」

 咲子が目を丸くし、嬉しそうに駆け寄ってきた。

「晴雄さん! 会いたかった」

 彼女は自分から手を握ってきた。はしたないとでも思ったのか、赤面して、すぐに離してしまったが。

「会えてよかった。県庁の近くで待っていたのだけど、声をかけられなかった」

 咲子は、晴雄の幼馴染だ。尋常小学校を卒業してからは疎遠になっていたが、街中でばったりと再会したのである。透き通るような白い肌に、ぱっちりとした大きな目をした美人に成長していた。二人の仲は深まり、休日には市内を散策したり、カフェで話し込んだりしていた。
 だが、まだ正式に交際を申し込んではいない。結婚を前提に交際するならば、晴雄は自分の秘密を漏らさねばならない。これまでは、この女性を巻き込んではいけない、だから深入りしてはいけないと考えていた。だが、今度のことで、やはり事実を明かして、自分の気持ちもはっきり伝えようと思った。
 晴雄は、東京の私立大学の学生である。高等文官試験の受験のために、一年間休学して、郷里に帰ってきたのだと咲子に説明している。だが、郷里に帰ったのは、試験勉強のためではない。党からの指示を受けたからである。
 大嶋県では、昨年三月に党員や活動家が一斉に検挙された。束ねる者がいない工場や農村の細胞は散り散りになりかけていた。党の指令を受けた晴雄は、仲間の学生活動家たちとともに県内を駆け回り、細胞を指導し、新たに若い労働者や農民を同志の列に加えることに成功していた。

「どうして?」

 と、咲子は聞いてきた。なぜ咲子が検束されたことを知っているのか、なぜ釈放されるのが分かったのか、ということだ。

「君が……」

 言いかけて、晴雄は辺りを窺った。近くの家々には電灯が灯っていたし、道路を自転車で通り過ぎていく人もあった。

「部屋に入りましょう」

 気を利かせてくれたのか、助け船を出すように、咲子が誘ってくれた。

「いいの?」

 清楚で、すこし厳しい感じのする女性だ。頻繁に会っていたとはいえ、一人暮らしの部屋に男を招き入れようとするのは意外だった。

「あまり、こんな場所で長話するのも良くないでしょう? 来て、晴雄さん」

 彼女はすたすたと自分の部屋に向かった。
 部屋に入ると、少しばかり淀んだ空気が鼻を突いた。一ヶ月も人の出入りがなかったのだから、当然だった。

「あら嫌だ。今、窓を空けるわね」

 そう言った咲子の腕を、後ろから掴んだ。そのまま抱き寄せる。

「あの、晴雄さん……!?」

 頬に触れた彼女の耳たぶが熱を帯びてくるのが分かった。すりガラスから夕日の橙色が射し込み、二人の足を照らしていた。

「君が無事でよかった。このまま小声で話したい。他人に聞かせたくないんだ」

 咲子の耳元に唇を寄せて話す。咲子はこくりと頷き、緊張していた肩の力を抜いた。

「君が特高に検束されたことは知ってる。友人が教えてくれた。君が今日、釈放されることも」

 自分の肩が震えているのが分かった。むしろ彼女の方が落ち着いていると思った。

「君に何もしてあげられなかった。事情があって面会や差入れも遠慮させてもらった。すまない」

「晴雄さん。いいんです、こうしてすぐに駆けつけてくれただけで」

 咲子の手が晴雄の手を取り、自分の胸元に寄せた。咲子の意外な行動に躊躇ったが、恐る恐る力を込めると、指が膨らみに沈んだ。乳房の柔らかさに加えて、胸の鼓動もはっきりと感じられた。

「これが私の気持ちです」

 もう我慢できなかった。二人はもつれ合いながら畳の上に倒れこんだ。玄関を上がってすぐに台所があり、その奥は四畳半の部屋だった。
 ブラウスにスカートのままの女の身体を、晴雄の手がまさぐった。女は目を閉じ、唇を少しすぼめている。口づけを求めてくれているのだ。咲子と口づけをするのは二度目だ。
 ある冬の夜、咲子を家の前まで送って、別れ際に唇を奪った。触れるか触れないかの、一瞬の触れ合いだった。それでも、柔らかい感触と、かすかな暖かさを感じた。彼女は真っ赤になって下を向き、しかし嬉しそうにはにかんでいた。
 今度はもっと大胆に、強く唇を押しつけた。潤いを帯びた柔らかい感触だった。だが、晴雄がリードしたのはそこまでだった。それ以上の行動を躊躇っていると、咲子の舌が口内に侵入してきて、唾液や舌をむさぼり始めた。驚いて目を開けると、薄目でこちらを見ていた咲子が恥ずかしそうに顔を火照らせていた。彼女は勇気を出して、先導してくれたのだ。

「いいんですよ、もっと乱暴にしても。もっと先まで、その、してくださっても」

 晴雄の愛撫を受けながら、咲子は上着やブラウス、スカートを自ら脱いでいった。生まれたままの姿になった咲子の両足を広げさせてから、また躊躇する。

 ――いいのか?

 夕日に赤い光を帯びた女の顔に、目で問いかける。童貞の晴雄には、こういう時の呼吸が分からない。

「大丈夫、充分、濡れていますから……」

 消え入るような声で、咲子は答えた。頷いて、女の腰を寄せた。

 ――好きだ。

 ――私も、ずっと好きでした。

 囁き合いながら、睦み合う。腰を動かし、互いの唇を吸い、また愛を囁く。晴雄の動きに合せるように、膣は心地よく締めつけてきた。
 脱ぎ捨てられた白いブラウスの上に重なった橙色の光は、気づかぬうちに青みを帯びた淡い光に変っていた。
 事が終わって、咲子は男の胸に顔を埋めてきた。

「私、嬉しいです。晴雄さんと一つになれて」

「俺もだ。すごく良かった。咲子さん」

「嫌。咲子って呼んでください」

 咲子が悪戯っぽく男の太腿をつねってきた。すっかり暗くなり、電灯を点していない部屋で、上目遣いの女の白い顔が、ぼんやりと浮かんで見えた。

「咲子」

「はい、晴雄さん」

「咲子」

 咲子が起き上がり、男に唇を重ねた。男の物が、むくむくと元気を取り戻した。

「ふふっ、興奮してくれているんですね」

 嬉しいです、もっとくださいと、咲子は囁いた。晴雄は身体を起し、咲子の腰を引き寄せた。座ったままの姿勢で女の部分を貫く。甘い嬌声が、心地よい音楽のように晴雄の胸を満たした。

「終わったら、話したいことがあるんだ」

 ゆっくりと腰を使いながら、咲子と手のひらを合わせた。

「もう、この手を離さないで。なんでも協力しますから」

 頷いて、女の豊かな肉体を抱き寄せた。乳房が男の胸に押しつけられた。
 桜が咲く季節まであとひと月。幸福な予感が、二人の心を明るくしていた。

2. 検束

 大嶋県警察部特別高等課、通称県庁特別高等課は、二年ほど前に新設されたばかりだ。警部・警部補を中心とする十数人により構成され、主に『赤』と呼ばれる極左勢力の取り締まりを担当している。
 特高にはとかくの噂がある。取り調べが強引で、被疑者を拷問にかけることが非常に多く、死者も出ているとか、そういった類の噂だ。
 咲子を検束したのも、この大嶋県の特高だ。一月のことだった。
 授業を終え、子供たちを送り出した後だった。校長室を出てきた二人組の男の一人と目があった。

「中岡咲子だな」

 太った中年男が、低い声で話しかけてきた。二人とも揃いのコートを着ていた。

「あの、私に何か?」

「県の特別高等課だ。あんたには『赤』の嫌疑がかかっている」

 中年男が言うのを横目に、背の低い若い男が、無言で警察手帳を見せた。
 極左の非合法政党や活動家がそう呼ばれていることくらいは、新聞で知っている。だが、咲子には『赤』と呼ばれるような心当たりはなかった。

「何かの間違いではございませんか?」

 校長室の扉が開いて、校長が顔をのぞかせた。心配げな顔をしていたが、特高を憚ってか、声は発しなかった。

「とにかく同行してもらおう……鈴木!」

 中年男がどなるように言うと、若い男に腕を掴まれた。咲子はとっさにその手を払った。

「乱暴ならさなくても、大人しくいたしますから」

「小娘の割には度胸があるな。ますます疑わしい」

 中年男はそう言って、顎をしゃくって歩き始めた。ついて来いという意味であるらしかった。
 私は大丈夫ですからと言うように、校長に目配せしてから、咲子は男たちに続いた。

 その日は、そのまま県庁内の留置施設に入れられた。取り調べが始まったのは翌日からだ。あまり眠れていないが、かえって意識ははっきりしていた。
 昨日の中年男、警部の山田が咲子の向かいの椅子に座り、日光が差している机に片肘をついた。鋭い目が太陽の光を帯びて、射抜くように真っ直ぐ咲子の目を睨んでいた。若い男の方は警部補で、鈴木というらしい。山田警部の横に立ち、咲子の顔をちらちらと見ていた。

 ――怖い。

 気丈に二人の男を見返してやったが、咲子は内心震えていた。特高にはいろいろな噂がある。

「中岡先生、あんた『赤』だろう。仲間の名前を吐いてもらおうか」

 何の挨拶も説明もなく、山田警部が無造作に問いかけてきた。『赤』――極左の非合法政党の党員やシンパの俗称だった。私有財産を否定し、国体の変革を企てているという話だ。大嶋県内では、この三月に党員の一斉検挙が実施されたはずだ。新聞が頻りに報道していたから、それくらいのことは咲子も知っている。だが、咲子はそんな勢力とは何の関わりもない。

「私は『赤』ではありませんし、仲間なんていません」

 高女では寄宿舎生活だったから、外部との接触は限定的だった。教師になってからも、そんな勢力からの接触は受けていない。それどころか、咲子は高女でも、今の職場でも孤立気味だ。誰とでも分け隔てなく談笑する校長はともかく、他の教師たちの態度は、少しばかり余所余所しい。怒ることは少ないものの、あまり笑顔を見せない咲子を、怖いと感じている児童もいるようだ。
 数少ない高女時代の友人から、

 ――貴女は美貌と知性で損してる。その美人顔で澄ましていると、実際よりずっと冷たそうに見えるもの。

 と言われたことがある。怜悧な印象は彼女の交友関係を著しく狭めていたかもしれないが、同時に彼女自身を守る盾でもあった。面倒な男から言い寄られることも少なく、女たちのつまらない雑談に付き合わされることも少なかった。

「隠し立てすると、ためにならんぞ。その可愛い顔と身体に質問することになるかもしれん」

「警部、もうよろしいのでは?」

 鈴木がぼそぼそと聞き取りづらい言葉で言った。

「む、そうだな、後は任せる」

 言って、山田警部は立ち上がった。

「先生、あんたみたいな美人とはゆっくり話したいが、俺も忙しい身でな。席を外させてもらおう」

 鈴木、任せたぞと、にやにやと嫌らしい笑いを浮かべながら、取調室を後にした。
 咲子は少しばかり安心した。代わって向かいに座った鈴木警部補は、いかにも気の弱そうな若い男だ。うつむきがちで、目が合わない。背は低く、貧弱そうな体格だった。

「え? なんですか?」

 取り調べが再開されたものの、鈴木の声は小さくて、何を言っているのか聞き取れない。咲子が聞き返しても、男の話し方は変わらなかった。なぜこういう男が警察、それも特高などにいるのかと、咲子は首をかしげた。

「あの、聞き取れないのですけれど……」

「貴女はもう動けない!」

 聞き返した時、突然男が咲子の目をまっすぐに見つめて、はっきりした声で断定した。

「え?」

「動く必要はありませんよ。貴女は留置場の寝台では、よく眠れませんでした。疲れているから、今はゆっくり心身を休めたいと思っています。そうですね?」

「……はい」

 思いのほか優しく、はっきりとした調子の男の声に、思わず返事をしてしまった。瞼が重くなってきた。
 鈴木は立ち上がり、机を廻りこみながら続けた。

「いい子ですね。そのままゆっくり目を閉じましょう。今から順番に、身体の緊張がほぐれてきます。まず、肩から力が抜けます。腕や指からも力が抜けていきますよ」

 目を閉じた咲子の腕が垂れ下がった。肩から指先まで弛緩して、力が入らない。

「どうですか、力を抜くと気持ちいいでしょう? 身体を弛緩させると、貴女はとても良い気分になって、何も考えられなくなっていきますよ。次は、背中、お腹……」

 遠くから聞こえる男の声に導かれるまま、咲子の身体から力が抜けていく。

 ――どうして私はこの人の言葉に従っているのだろう。

 ぼんやりと湧き出した疑問は、首から力が抜けた時には雲散していた。弛緩しきった身体を、椅子にもたれさせた。咲子を支えるように、誰かの手が肩を掴んでくれている。それが誰の手なのかを考えることさえ、億劫だった。

「身体中から力が抜けてしまいましたね。とても気持ちいい。もう何も考えることができませんよ。貴女がこれから耳にする僕の声は、貴女自身の言葉ですよ」

「私自身の……言葉?」

「そう、貴女自身の言葉です。では、まずは簡単な質問に答えて貰いましょう。貴女には、好きな男性はいますか?」

「……います」

「それは誰ですか。どんな男性ですか」

「幼馴染の、晴雄さんです。背が高くて、とても教養があって、優しくて。ずっと昔から好きだったのかもしれません」

 緩み切った咲子の口角が少し上がった。

「晴雄……それは柳川晴雄さんですね?」

「はい」

 一呼吸置いて、男の声は質問を続ける。

「貴女は晴雄さんと性交していますか」

「……いいえ」

 少しためらって答えた。咲子にとってこれは自分自身との会話ではあったが、恥ずかしいものは恥ずかしい。

「では、貴女は処女ですか」

 声は出さず、軽く頷いた。頬が火照っていた。

「晴雄さんを想ったり、彼に出会えたりすると、貴女の身体や心にはどんな変化が起こりますか?」

「胸が締め付けられるように苦しくなります。この人とずっと一緒にいたいと思います。身体に触れたいと思います。それと……」

「それと? 何でも正直に答えましょう。ここには貴女しかいないのですから」

「……股が濡れてしまいます。晴雄さんに会った日は、蒲団の中で自分を慰めてしまいます」

 消え入りそうな声で、ようやく答えた。抱かれたいと思うのですねと、念を押すように男の声が言い、咲子はまた小さく頷いた。
 男の声は、しばらく時間を置いてから、

「恥ずかしがることはありません。それは自然なことです。女性はすべての成人男性に対して恋心を抱き、抱いてほしいと願う。これはごく自然なことです」

「自然な……こと? すべての男性に対して?」

「はい、貴女だってそうでしょう? 校長や男の教師と顔を合わせても、特高の人たちと話しても、晴雄さんといる時と同じ気持ちになりますよね? 男性を思い出すだけで、毎晩のように自慰に狂ってしまいますよね?」

「……いいえ。私がそんな風になるのは、晴雄さんに対してだけ、です」

「ええっ!?」

 男の声が、急に驚いたような声をあげた。咲子の肩がぴくりと震え、また弛緩した。

「そんな……馬鹿な! 一人の男性にしか胸を高鳴らせないなんて、身体に触れたいと思わないなんて、股を濡らさないなんて、そんな異常なことが許されるはずがない!」

 それはいけない、不健全だ、貴女は倒錯している、異常者だ、変態教師だ……。男の声はありとあらゆる言葉を使って、咲子が異常であると繰り返した。咲子の胸が不安でいっぱいになる。

 ――私、異常なの?

 弛緩していた身体に緊張が走った。怖い、恥ずかしい、苦しい。そういった感情がないまぜになった気持ちが、咲子の中で膨らんでいった。

「でも……」

 男の声が急に優しくなった。

「大丈夫。貴女にその気があるのなら、きっと正常に戻ることができますよ。戻りたいですか? 正常な女性に」

 唇を震わせながら、何度も首を縦に振った。怖くて苦しくてたまらない。

「わかりました。貴女の願いをかなえましょう。今から三つ数えると、貴女は目を覚まします。しかし、今の気持ちのいい状態でのことは、思い出せません。そのかわり、貴女は、いついかなる時であっても、どんな男性に対しても恋心を懐くようになります。そう、これまで晴雄さんに対してそう感じていたように。いや、それよりももっと強い慕情を懐きます。どんな男性もとても性的な魅力が溢れていると思うようになります。抱いてほしいと思うようになります。晴雄さんに対して感じていた時よりももっと強く、抱いてほしいと感じます。もっとたくさん、女の部分が濡れてしまいます。それどころか、機会さえあれば、貴女は男性を積極的に性交に誘うこともできるようになりますよ。そして、もし可能なら、一人より二人、二人より三人の男性に、同時に抱かれたいと思います。必ずそうなります。それが自然で、正常なのです。これであなたは安心して生活できます。いいですね?」

「……はい、私は正常な女になります」

 重しが取れたように、心が軽くなっていく。

「では、数えますよ。一、二……三!」

 ぱちりと目を空ける。

「あら、私……」

 あたりを見回す。やや日が高くなったのか、日光はもう、机を照らしていない。少し、時間が早送りされたような感覚だった。

「取調中に寝ないでほしいなぁ……」

 向かいに座っていた警部補の鈴木が、あきれたように息を吐いた。

「ごめんなさ……い」

 鈴木と目がった。その瞬間、心臓が飛び出しそうなくらい、激しく高鳴った。頬が火照っている。無表情だった顔にはにかんだ笑顔を浮かべて、俯いた。男に火照った顔を見られ、視線を交すのが気恥ずかしい。女の部分は濡れて、液体が溢れだしている。下着が湿っていくのが感じられた。

「鈴木、もういいか?」

 取調室の扉が開き、山田警部が顔をのぞかせた。
 見るともなくそちらを見て、咲子はまた顔を真っ赤にして俯いた。

「出来上がってるな、先生」

 山田警部が何を言っているのか理解できなかったが、声をかけられただけで、甘酸っぱいような気持ちが胸に広がった。

3. 青春

 ――なんというか、青春の味だな。

 年甲斐もなく、胸に甘酸っぱい感情が沸き起こってくるのを、山田警部は抑えることができない。
 咲子を組み敷いて、己の物で貫いていた。
 咲子がはにかみながら、上目づかいに自分を見上げてくる。自分の処女を「愛する」男に捧げた喜びと、破瓜の痛みとが入り混じった、わずかな苦みを含んだ笑顔だ。思わず笑い返してしまう。

「山田さん、うれしいです」

 小さくささやく声も、どこか甘い。気恥ずかしさを隠すように、山田は一物を前後させはじめた。

 ――こういう青春時代を過ごしたかったな。

 と思う。山田の一物が出入りするたび、わずかな血液が混じった愛液が、お漏らししたように流れ出していた。咲子の唇からは、呻くような声が漏れていた。苦痛を示す声ではなく、もっと甘い声だ。処女を散らしたばかりなのに、もう膣内で感じているようだった。
 山田は、青春ともいえない青春時代を思い出す。山村の貧しい家庭の末っ子だった山田は、尋常小学校を卒業してすぐに大嶋市へ出てきた。私鉄の敷設工事の日雇い労働者として働きながら、猛勉強して巡査になった。

「この軌道は、俺が敷いたんだ」

 というのは、私鉄、大嶋鉄道の列車に乗車するたびに漏らす、彼の口癖だ。同僚や部下は聞き飽きた話だったが、この時ばかりはしおらしくなる山田に文句を言う者はなかった。
 警察官の仕事は性に合っていた。末っ子であり、大人の顔色ばかり窺ってきた彼は、不正や嘘に敏感だ。街の噂話を集めてくるのも得意である。彼の情報収集能力は所属していた警察署内でも随一だった。特別高等課の発足の時、県から人材紹介の依頼を受けた警察署長は、「ぜひ山田を使ってほしい」と強く推した。おかげで、県庁に栄転し、警部に昇進した。もう五十を過ぎていたが、彼の精力的な情報収集能力は、むしろその鋭さを増していた。前年の『赤』の一斉検挙でも、決定打となる情報を持ち込んだのは彼だった。

 ――悪い人生ではない。

 と、山田は思っている。だが、物足らなさを感じるのも確かだ。尋常小学校を出てから男臭い世界でわき目も振らず勉強し、働いてきた彼は、恋らしい恋を経験していない。先年他界した妻とは見合い結婚だった。年上の妻とは折り合いが悪く、余り良い思い出がない。子供もいない。
 女と笑いあいながら恋人のように情を交すのは、思えばこれが初めてだ。娼婦を買ったことも一度や二度ではないが、あれは自慰の延長に過ぎず、どこか冷めていた。今は、胸が満たされつつあるような、そんな気がする。恋や愛に飢えていたのかもしれなかった。

 ――惜しい。

 と思う。こんな顔をしてくれる女と添い遂げられたら、と。だが、この女の恋心は、誰に対しても向けられるものだ。今組み敷いている男が山田ではなかったとしても、咲子は同じ顔で男を迎えただろう。

「気持ち、いいです。こんなにいいなんて……」

 咲子が震え、背を反らせた。大人しい反応だったが、達したようだ。山田の胸に愛おしさが湧いてきた。

 ――が、仕事中だ。これは仕事だ。

 これから、特高たちが順番に「調教」することになっている。数人の男を同時に相手にできるようにするのだそうだ。もちろん、業務として「調教」するのだから、組織としての目的と必要があってのことだ。彼女の処女は山田の功績への論功行賞であったが、同時に、女慣れした連中の露払いを押しつけられただけだとも思っている。
 山田は想念を払うように頭を左右に振り、まだ震えている女に激しく腰を打ちつける。

「あん、また……っ!」

 咲子の身体が、釣り上げられた魚のように、男の下で跳ねていた。

 ――次にこの女を抱く時……。

 俺はもう何の感慨も抱かないと、自分に言い聞かせるように山田は思った。彼の精が、勢いよく咲子の子宮をたたいた。

4. 言葉責め

 特別高等課は浮ついていると、室内を見回しながら牧村糺は思う。先ほどから、書類を書く手が止まりがちだった。
 咲子という女の話題で持ちきりだった。朝から晩まで、彼女の容姿や声から、乳房や性器のことまで、いい大人の男たちが噂話ばかりしている。下品な笑い声が響く室内は、ただただ不快だった。課長席から取調室は遠く、拷問や女の嬌声がほとんど聞こえてこないのが、せめてもの救いだ。
 鈴木が咲子に怪しい術をかけて、弄んでいるのは知っている。拷問よりも大きなメリットがあると、山田警部から報告を受けていた。現場の経験がない牧村は、取調べの細かい方法に口を出すべきではないと思っている。それに、もともと変わり種の鈴木を抜擢したのは牧村自身だった。
 だから、何も言わないようにしてきた。だが、いくらなんでも浮つきすぎだ。

 ――一度お灸をすえた方がいいのかもしれない。

 と思い始めていた。
 牧村は、特別高等課発足と同時に就任した課長だ。県の特別高等課長には、内務省の若手が抜擢されることが多い。彼もその一人だった。三十歳に達するのはまだ先だ。それくらい、牧村は若かった。
 彼は、帝大を卒業して高等文官試験に合格した、エリート中のエリートだ。中学校を卒業していれば学歴があると言われるような県の警察部の部下たちとは、住む世界が違っている。だからこそ、年上の部下たちには、それなりに気を使って、口うるさくしないようにしていた。
 大嶋県への転出を機に、牧村は妻を迎えた。ある貴族院議員の末娘だった妻は、牧村より十歳も年下だ。西洋人のように彫の深い顔立ちの、大人しい少女だった。
 牧村のことを「旦那様」と呼び、給仕をする姿は、まるで少女がままごとをしているようだ。少し緊張した横顔を微笑ましいとは思いつつ、妻をどう扱えばいいのかわからなかった。
 牧村は学生のころから硬い男だったから、女と交際らしい交際をしたことも、娼婦を買ったこともなかった。だから、この幼妻が牧村の初めての女だった。乱暴に扱えば折れてしまいそうな華奢な身体だった。まだ妻は、女の悦びに目覚めていない。じっと目を瞑って男の行為に耐えている健気な妻を、牧村は芸術品に触れるように大切に慈しんだ。
 年の離れた若い夫婦は、互いに距離を測りかねていた。その距離感ゆえに、結婚から二年が経つというのに、付き合い始めたばかりの恋人のような新鮮な気持ちを、二人は失っていなかった。それはそれで、幸せなことなのかもしれなかった。

「課長、よろしいでしょうか?」

 取調室から出てきた鈴木が、珍しく話しかけてきた。

「中岡咲子を、近いうちに釈放しようと思っています。それで、課長にも一度尋問をしていただこうかと……」

「俺に、君の『人形』を振る舞うと、そういうことかな? 特高は、俺や君は、そんなに暇かな?」

 自分でも嫌味だとは思ったが、あの女が来てからの特別高等課の騒々しさは目に余る。このくらいの意趣返しは許されるだろうと思った。嫌味の意味を理解しているのかいないのか、鈴木は淡々と続けた。

「いえ、これも必要なことなのです。それに、我々よりも教養がある課長に試していただく方が好都合なのです」

「教養? 好都合?」

 なんのことだといぶかる牧村に、鈴木は耳を寄せた。手短な彼の説明を聞いて、

 ――なるほど、それは俺が適任だろう。

 と、牧村は思った。
 業務の遂行上、咲子を抱く必要があるというならば、やぶさかではなかった。これは浮気ではない。仕事だ。それに、咲子の容貌に全く関心がなかったと言えば嘘になる。牧村とて男だ。
 牧村は、書き終えた書類に公印を押してから、席を立った。

 牧村に遠慮したのか、取調室にいたのは咲子だけだった。彼女は拘束されていない。絶対に逃げる心配はないからだ。
 咲子は神妙な顔で頭を下げたが、頬や首筋は桜色に染まっていた。
 取り調べを始めるぞと、椅子に座った。胸の鼓動が、かすかに早くなっていた。

 ――左翼用語を適当に並べればいいのだったな。

 鈴木の説明を思い出しながら、牧村は質問し始める。

「不況が深刻の度を増しているように思われるが、資本主義の終焉は近いと思うか?」

「わかりません……っ」

「プロレタリア文学はどれくらい読んでいる?」

「プロ……レタリア文学と思って本を読んだことはありません」

「支配階級打倒のために、教師は何をすべきだと思うか」

「支配、んっ、階級? そんなこと考えたこともありません……」

「コミンテルンと接触したことは?」

「ひっ、あ、あるわけありません」

「怪しいなぁ」

 咲子の様子は妙になまめかしい。質問されるたびに、太腿をもじもじさせている。濡らしているのだろう。

 ――鈴木の言ったとおりだ。この女、左翼用語に興奮している。

 鈴木が与えた新しい暗示だった。どんな男にでも惚れ、濡れるようにした。男のどんな要求にも応えられるように、尻も、喉も、子宮も開発した。その次に与えられたのが、この暗示だった。それが上手くいっているかどうか、実際に試してみてほしいというのが、鈴木の説明だった。
 そのまま三十分ほど、『赤』が好みそうな言葉を並べ、尋問を続けた。左翼文献は学生時代に相当読んでいたし、仕事が仕事だからいくらでも左翼用語は耳に入ってくる。『赤』が使いそうな言葉を適当に並べ立てることは、造作もないことだった。
 咲子の目はうるんで、陶酔したような表情になっていた。顔や首筋の赤みが増して、息も荒くなっていた。

「特高を舐めるなよ、『赤』め」

 『赤』を強調して脅してやると、咲子は弾かれたように椅子の上で跳ね、小刻みに身体を痙攣させてから、ぐったりとなった。軽く達したようだった。
 鈴木は息を飲んだ。絶頂の余韻に浸りつつ、上目遣いの咲子が何か言いたそうに唇を動かしかけては、ためらっているのがわかった。

「何か頼みたいことがあるのではないか。しばらく誰も来ないぞ」

 水を向けてやると、咲子の顔が、少し明るくなった。

「あの、私……」

「うん?」

「お話を伺っていたら、その、興奮してしまって……」

 スカートの裾を握ってもじもじしている。

「で、どうしてほしいんだ?」

 ためらいがちに、ちらちらと牧村を見て、

「好き、なんです。愛して、ください……」

 言うなり、顔を真っ赤にして俯いてしまった。

「……よくわからないな。俺にどうしてほしいんだ?」

 意地悪く聞き返してやる。

「あなたを愛してしまったんです。わ、私を抱いて、愛してくださいっ!」

 甘美な響きだった。清楚を絵に描いたような女にそう言わせて、もう十分に満足だったが、牧村はなお焦らしてやることにした。自分に向けられた、純粋な慕情を敢えて踏みにじってやりたかった。

「俺には妻がいる。他の女を愛するつもりはない。俺にとって、お前は淫売のようなものだ。単なる性処理の道具だ」

 咲子は逡巡しているようだ。特別高等課の様子から考えて、おそらく課員たちは皆、彼女に甘い言葉の一つも囁いてやっていたのだろう。これまでにない冷淡な態度に、戸惑っているのがはっきりと見て取れた。

「『赤』教師、とっととそこに寝て股を開け。抱いてやる」

 『赤』と言われて我慢できなくなったようだ。真新しい木造の床を指さしてやると、咲子は言われた通りにした。
 牧村ももう我慢できなかった。スカートを捲りあげ、両脚をさらに開かせた。染みが広がった下着を引くと、女の部分が露わになった。薄い陰毛が日の光を浴びて光っている。愛液で濡れているのだ。
 前戯もなく、勃起したもので女を貫いた。

「ああっ!」

 女がまた、身体を跳ねさせた。入れただけで絶頂をむかえたのだ。

「国家権力の犬に抱かれるのは気持ちいいか? 収奪され、人格を否定されるのが気持ちいいのか?」

「こんなの、初めて、です……っ! また、いくっ! いく……っ!!」

 女の乳房を乱暴に掴む。未熟で硬さを残している妻の乳房とは違って、どこまでも柔らかく、それでいて弾力もあった。乳首が硬く充血していた。適度に肉のついた肢体は、どこを触れても心地よい。

 ――これが、本当に妻と同じ女の身体なのか。

 牧村の口数が少なくなっていく。膣は、まだ狭いだけの妻のそれとは違って、優しく、時に強く男を刺激した。

「嫌っ。いきすぎて、恥ずかしいです」

 赤らめた顔を、咲子は両手で覆う。ただ男が過ぎ去るのを待つだけではない、感じ、恥じらい、笑う、咲子の豊かな表情の変化は新鮮だった。

 ――女とはこんなにいいものなのか。

 妻しか女を知らなかった牧村は、感動さえしていた。だが、女の肉体をただ犯すことが目的ではない。
 一度、一物を抜き去り、朦朧としている女に四つん這いになるように命じた。

「今度は、後ろから愛してくださるんですね」

 咲子の声は嬉しそうだ。余計なことをしゃべっては、恋人のように振る舞う女のペースに飲まれる。そう思って、牧村は黙って挿入した。何度か膣内を行き来させてから、女の豊かな臀部に平手を食らわせた。

「きゃっ!」

「いい身分だな、貴様は昼間から男に股を開いてよがっていればいい。貴様がこうしている間にも、労働者は資本家に搾取されている。小作人は、小作料に苦しんでいる」

 膣が一気に締まった。これも鈴木の入れ知恵だ。『赤』のような態度を取れば、咲子は更に興奮する。叩いたのは、ただそうしたいと思ったからだ。

「プチブルめ、日和見主義者め!」

 二発、三発と打ちながら罵ってやる。

「ごめんなさい、ごめんな……いくっ!」

 謝りながら、咲子は何度も背中をうねらせ、絶頂に達する。絶頂のたびに繰り返される激しい締めつけに、牧村も限界が近い。

「よし、出すぞ!」

「ああ、来てっ! 中にください!」

 女の腰を掴んで固定し、牧村は達した。女の尻がぴくぴくと震えながら、男の精を迎え入れた。両腕が上体を支えきれなくなったのか、咲子は頬を床に落とした。その横顔には、幸せそうな微笑が浮かんでいた。
 妻との時とは違い、牧村の一物は全く硬さを失っていない。この女になら何度でも射精できるような気がする。
 妻との性交や睦言が、急速に色あせていくのを感じた。妻との児戯のような関係とは違う、本当の快楽を初めて知ったような気がした。

5. その日の学校

 ずいぶん表情が豊かになったなと、校長は思った。校長に再会できたことが心底嬉しいらしく、咲子は笑顔を絶やさなかった。
 以前は考えられなかったことだ。咲子は自分にも他人にも厳しいところがあった。笑顔でいることよりも、むっつりとしていることが多かった。教師たちの間でも、彼女の評判は芳しくない。美人で知性に溢れ、少し厳しい性格の彼女は、同性からは嫉妬され、異性からは敬遠された。教師の一人が彼女を口説いて、容赦なく振られたらしいという噂が、ますます彼女を孤立させた。
 職員室に頻りに出入りしては、咲子や他の教師たちを相手に世間話ばかりしている校長のことを、あまり快く思っていないだろうとも校長は思っていた。
 その咲子が、宿直室で仰向けになった校長の上に跨り、一物を膣に受け入れている。釈放されたその日の昼下がりだった。

「咲子君は、どうしてこんなことをしているのかな?」

 我ながら意地悪な質問だなと苦笑する。すでに特高から詳しい事情を聞いている。だが、咲子の口から語らせてみたいと思った。

「校長先生にはよくしていただいていますし、んっ、それに、す、好き、なんです。校長先生のこと……っ」

 何人もの男を受け入れてきたはずなのに、咲子の顔は奥手な乙女のようだ。こんな顔をされたら、大抵の男は虜になるだろうと思った。校長も、もう定年が近い年齢だと言うのに、胸の奥で燃え上がる何かを感じる。

「では、身体もよくしてあげよう」

 校長は咲子の腰を掴んで、ゆっくり、しかし深く、繰り返し突き上げてやった。

「きゃっ……! 校長先生、深い、ですっ……んっ!」

 深く挿入した状態で何度か子宮を摺ってやると、女の身体が仰け反り、痙攣した。校長の一物は細身だが、人一倍長かった。
 暖房用の木炭が、パチパチと音を立てて燃えていた。
 その日の早朝、特別高等課の使いが校長の自宅を訪ねてきた。昼前には咲子が釈放されるから、そのまま学校に連れてくるという。校長は期待に胸を膨らませながら、いつもより三十分も早く出勤した。
 咲子が検束されるよりも前に、特高との話はついていた。咲子が検束されていることは一切他言せず、隠匿する。しばらくしたら釈放するが、当分は咲子がいつでも学校を休めるように手を打っておく。その代り、咲子が学校にいる間は、その肉体を自由に弄んでよい。そういう約束だった。
 とても魅力的な話だった。もっとも、咲子のことはなくても、校長は求められれば積極的に特高に協力していただろうとも思う。
 社会は閉塞感を増していた。数年前に首都圏を襲った大地震から立ち直れないまま、不況は続いていた。それどころか、二年前からは金融恐慌が猛威をふるっている。大嶋市でも、地方銀行が取り付け騒動で破綻した。
 この十数年の間に、大嶋市の沿岸部は、工業地帯として急速な発展を遂げていた。ところが、長期不況にあおられ、今では操業短縮や閉鎖が相次いでいる。海に近い大嶋尋常小学校は、工業地帯と無縁ではいられない。労働組合のビラが校門近くに貼り付けられていることは日常茶飯事だった。父兄の中には、工場の勤め人も多い。昨年から児童の転校が増えているのは、失業した父兄とともに、父兄の実家に転がり込むためだった。
 だが、こうして農村に戻った父兄と児童に明るい未来が約束されるとは思えない。校長会で顔を合わせる農村部の校長たちによれば、農村の状況も惨憺たるものだという。長引く不況で農産物価格は大きく下落し、副業の機会も減っている。そのため、中小の農民たちは借金漬けだ。不登校も激増した。家計を助けるために、子供たちが内職や出稼ぎに駆り出されているのだ。中には二度と登校してこない児童もいるらしい。親に聞いてもはっきりしたことはわからないが、売られたのだろうと、ある村の小学校長は言っていた。
 その話を耳にした夜、校長は胸が締めつけられるようで、ほとんど眠ることができなかった。
 だからこそと、校長は思う。閉塞感を打ち破りたい。そのやるせない思いと悲壮な決意を、校長は咲子にぶつける。

「校長先生とは初めてなのに……っ、こんなに……感じて、恥ずかしいです……っ!」

「いいんだよ、咲子。もっと乱れても」

 必死で声を抑える咲子に、校長は囁いた。
 咲子とつながったまま起き上がり、咲子を組み敷く。子宮を突き破ろうとするように、校長は深く、激しく突き入れる。それに応えるように、咲子は校長の腰に脚をまわした。部屋が暖かいせいか、絡まった咲子の太腿は汗ばんでいた。すでに何度も絶頂に達しているからだろうか。女の息は荒く、薄く開かれた目は遠くを見ているようだ。

 ――何かが変わろうとしている。変わらなければならない。

 初めての男子普通選挙が行われたのは、昨年の二月のことだ。選挙の翌月には極左勢力の大検挙があった。治安維持法も改正された。大陸でも、大きな変化を予感させる事件が起こっている。蔓延する閉塞感を払拭してくれる何かが始まろうとしていると、校長は予感する。そして、自分もその変化の現場に立ち会い、参加することができる。

 ――求められているのは、国民の結束だ。

 国民の結束に水を差しているのは『赤』だと、校長は思っている。新聞報道によれば、『赤』は社会正義の名のもとに、工場や農村に浸透し、破壊活動を行なっている。学校現場にも『赤』は入り込んでいるようだ。悪しき危険分子は排除しなければならない。そのために、特高がいる。

 ――だから、特高に協力して、国策を助けるのだ。

 子宮口に一物を擦りつけながら、校長は達した。咲子もまた、子宮への刺激に痙攣した。絡まっていた脚が解けた。
 絶頂の余韻に浸った後、校長はまだ少し震えている咲子の唇を吸った。咲子も男の首に腕を回して、舌を絡めてきた。
 長い口づけだった。唾液の糸を引きながら唇を離した時、

「初めての口づけですね。ふふっ」

 うっとりとした顔で、咲子が笑った。

 ――そう言えば、まだ口づけはしていなかったな。

 もっとも、これからは毎日のように唇を重ね合わせることになるだろう。
 日が傾きかけている。黄昏は、そう遠くはない。

6. 二度目の一斉検挙

「男臭くてかなわんな、鈴木」

 確かに、特別高等課は男の汗の臭いが充満していた。
 特高二人に連れられて、取調室に若い男が入っていく。若い男は酷く顔色が悪く、足元も覚束ないようだ。その姿を物憂げに眺めながら、山田警部は葉巻をふかしている。
 五月が近づいていた。県下で二度目の一斉検挙が断行されたのは、四月半ばのことだ。以来、特別高等課は活動家たちの取り調べに追われていた。

「去年に比べれば小物ばかりだが、数が多い。多すぎる」

 鈴木警部補は、握り飯をほおばりながら、黙って頷いている。もう午後三時を回っている。
 長引く不況で極左思想が共感を集めたということか。学生活動家に加え、多数の農民や労働者も検束されていた。

「柳川も哀れな男だな」

 取調室に入っていった男のことだ。柳川は去年の一斉検挙の後、実家に近い大嶋市に帰省し、学生活動家や、農村や工場の細胞を束ねていた男だった。特高に釈放された後、咲子は柳川を介して極左勢力に仲間入りしたらしい。
 山田が咲子に目をつけたのも、その美貌のためではなかった。柳川がしきりに彼女に接触していたこと、二人が両想いであるらしいことを、彼は突き止めていたのだ。咲子が『赤』であろうとなかろうと、どうでもよかった。最初は、拷問にかけるか、鈴木に操らせるかして、柳川と、彼の関係者数名の適当な罪状をでっち上げ、逮捕しようと考えていた。美貌の彼女を操って、党員やシンパと関係を持たせ、県内の『赤』を一網打尽にしようと言い始めたのは、鈴木だった。
 前年の大検挙の後、県内の極左勢力は一挙に若年化した。壮年の大物指導者たちはほとんど逮捕され、未だ獄中にある。県下の『赤』を束ねていたのは、党中央から派遣されてきた学生活動家たちだ。彼らが新たに組織化したのは、農村や工場の若者たちだった。急ごしらえの組織に、大検挙後の小所帯。さらに、大検挙と治安維持法の改正で、これまで以上に彼らの活動の範囲は狭まっている。死と隣り合わせの隠密行動。そんな生活の中に、男と左翼用語を愛する咲子が投げ込まれればどうなるか。
 恋する乙女のような物腰と、淫乱な肉体。そして密かな誘惑。若者たちは次々に咲子と関係を持った。咲子の誘いはエスカレートしていく。ある夜、主要な学生活動家たちを集めて乱交に及んだ。そこに、特高が踏み込んだ。

 ――『赤』学生、一斉検挙。きっかけは女教師との淫らな遊戯。
 ――恐るべき国家転覆の陰謀。郡部の細胞も一斉に摘発。

 新聞は、咲子の名前こそ伏せたものの、県内の『赤』の乱れた性関係を盛んに書き立てた。一斉検挙で指導者層や細胞の構成員は一網打尽にされ、新聞報道が追い打ちをかけた格好だ。県下での『赤』の権威は、再起不能なまでに失墜した。
 若者たちは咲子と晴雄が恋人同士なのは知っていたから、晴雄には何も言わなかった。それに、理想に燃え、精力的に県内を飛び回っている晴雄は、恋人を顧みる余裕がなかった。大嶋市近郊の農家に潜伏していた晴雄が捕まった時、彼はまだ、咲子の真実を何も知らなかった。
 廊下から特高の一人に手を引かれて、咲子が連れてこられた。今回の一斉検挙でも、やはり彼女は検束されていた。頬に赤みがさして、俯いている。男に手を引かれていることが恥ずかしいのだ。いつまでも乙女のような彼女の様子は、多くの男たちを魅了する。
 人の出入りが激しい特別高等課の空気が、途端に華やいだものになった。こっそり手を振っている男もいた。

「相変わらず悪趣味だな。俺たちの仕事は」

 咲子が取調室に消えるまで、その後ろ姿を目で追ってから、山田は眉をひそめた。取調室の連中が何をしようとしているのかは分かっている。彼女はそのためだけに検束されている。彼女がいることで、単なる拷問よりも効率よく、活動家たちから「自白」や新情報を引き出している。
 取調室からは、すぐに男の呻くような声と、女の嬌声が響いてきた。

「しかし、仕事は仕事だ。鈴木のおかげで、確実に成果も上がっている。だが、お前が男にも術をかけていれば、もっと早くケリがついたんじゃないか?」

 半分褒め、半分詰るように葉巻を鈴木に向けた。

「僕は女を色狂いにするのが好きなんですよ。それが正義にかなっているなら、もっといい。男は色狂いの女の周りで、勝手に狂ってくれれば充分です」

 今回だって、それで充分に上手くいっているでしょうと、鈴木は笑った。

「ふむ。そういうものか。そうなのかもしれん」

 頷いてもう一度葉巻を咥えた。山田は複雑な気分だ。

 ――もしかすると俺も……。

 最初に咲子を抱いた時のことを思い出す。意識しないようにしてきたが、あの時の甘酸っぱい想いは、今でも澱のように胸の中に居座っている。あれからも他の男と一緒に咲子を犯し、どんな男にでも媚態を示す姿を散々見せつけられている。その姿を見るたびに、悲しいような、悔しいような気分が沸き上がった。その気分を振り払うように、女の身体を責め苛んだ。肛門も犯したし、胃の中身を吐き出させながら喉で奉仕させたこともある。それなのに、咲子が見せる、はにかむような笑顔は、どこまでも清純なものに思われた。その笑顔を見て、いつも山田は胸を締め付けられるような甘酸っぱさを感じるのだった。汚れた女だとか、仕事のための道具だと思うようにしているが、どこか割り切れないものが残った。
 鈴木にこんなことを話せば、

 ――初恋の思い出に浸る男のようですね、警部は。

 などと笑われるかもしれない。自分でも、仕事に私情を持ち込むなと思う。

 ――勝手に狂っている男の一人なのかもしれないな、俺も。

 と思った。
 山田はそそくさと葉巻の火を消して立ち上がると、取調室の扉を開けた。
 まだ五月にも入っていないというのに、取調室には熱気が籠っていた。取調室の真ん中で、全裸の晴雄が椅子に両手両足を縛りつけられている。苦痛に耐えるように皺を浮かべ、天井を睨みつけていた。晴雄の足もとには、四つん這いの咲子がいて、晴雄の一物を唇に含んでいた。よく見ると、晴雄の性器は紐で根元をきつく縛られているようだ。晴雄はこの状態で、何日もいたぶられ続けている。発狂しない方が不思議なくらいだ。
 咲子は恋人の一物に奉仕しながら、鼻にかかったような声を漏らしていた。咲子の尻を掴んで、太った特高の男が激しく腰を揺すっているのだ。膣に出入りする男の物が、咲子の奉仕に一層熱を加えさせていた。
 咲子は、時折口から一物を離して、晴雄に呼びかけている。

「私、晴雄さんのお話が聞きたい。精液も早く飲みたいです」

 例のはにかむような笑顔で男を諭しては、快感に身体を震わせながら、また恋人の下半身に顔を埋める。

「さ、き……う……あ」

 赤黒い顔をした晴雄が、咲子に何やら呼びかけようとしているようだが、もう言葉になっていない。この分では、晴雄が「自白」する気になったところで、まともに話すことができないかもしれない。
 咲子を後ろから責めている男の腰の動きが、少しずつ早くなっていく。射精が近いのだろう。次は山田の番だ。期待と嫉妬の入り混じった眼差しを、山田は男の物が出入りしている咲子の秘部に向けた。

 咲子の存在が更なる波紋を呼び、それが特別高等課のあり方を大きく転換させるのは、もう少し先のことだ。今のところ、咲子だけに現を抜かすほど、特別高等課は暇ではなかった。

< 続く >

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