第三部 ズィ・アナザー・ワールド
ダイスッ、ルームッ! アァーーンド、アナザーワールドッ!!
丁屋蝶人が受け取ったサイコロは彼の運命を大きく変えた。脱童貞っ。初の複数プレイッ。街角でナンパをして、道行くオンナを何人も抱いたっ。そして彼が得た能力は、まだ新たな顔を見せる。成長過程にあったのだ。
繰り返す。これはMC小説ではない。
。。
コンコンコンッ
女優、真暁寺ヒカルは都内某所にあるホテルのドアをノックする。彼女のようなセレブが来るにしては、やや一般客向けの全国チェーンのシティホテル。しかし、かえってその方が、彼女にとっては都合が良いかもしれない。真暁寺ヒカルは今日、撮影後の宿泊やインタビューのためにホテルを訪れているのではない。とある顧客に、自分の体を捧げるために来たからだ。
何気なく自分の足元を見たヒカルは、ドアと床の隙間に挟み込まれているものに気がつく。カードキーだ。無言で拾い上げたヒカルが、ドアノブ下のセンサーにカードキーを触れると、ドアが解錠される機械音が鳴る。どうやら今日の顧客は、ちょっと癖のあるタイプのようだ。
「こんばんはー。スターダスト・クルセーダース・プロモーションから来ました、真暁寺ヒカルです」
活躍著しい人気上昇中の清純派若手女優。そんな彼女が、コールガールのような行為をしているのは、この業界の古い慣習のせいだ。若手女優はより大きな仕事を得るために、この業界で成功を確実なものにするために、業界のVIPに体を捧げる。それがこの世界では当たり前のノウハウなのだ。ヒカルもこのことを、「演技の練習」といった具合に、割り切って考えている。ただ、部屋に入っても、その肝心な、お客さんが見つからないのが、気になるところだった…………。
部屋に入ってドアを閉め、キョロキョロと室内を見回すヒカル。その彼女の耳元で、不意に男の囁き声が聞こえた。
「お嬢さん。こちらを向かないで。………そのままの姿勢で、『あ・い…う・え…お』と、言っていってもらえるかな? 『あ』から『ん』まで全部だ。それが終わったら、『A』から『Z』まで。………簡単なことだね? まずはそこから始めよう。言い終わったら、服を脱いで裸になるんだ。下着も全て脱ぐんだぞ………。出来るな? ………良い子だ」
「ひっ…………ヒィィィィッ」
ドアが開く後ろに隠れていたのだろうか? 急に距離を詰めてきたその男性は、ヒカルに振り向かないように指示をすると、顔をヒカルの横顔から5センチくらいの距離で維持しながら、服を脱ぐように指示してくる。並みの変態ではない、と、ヒカルは考えた。抵抗したら、どんなことをされるかわからない。慌てて指示されたとおりに服を脱いでいく。映画ではまだ見せたことのない肌の部分も、お客さんには隠さず見せる。「芸能人コールガールシステム」のなかでは、普通のことではあった。それでも、状況が怖すぎる………。
「脱いだ下着を、僕の手に渡して。こちらを向いてはいけないっ。絶対に………だ」
男の声が真剣そのものなので、ヒカルはためらわずに拾い上げたショーツを男に、顔は振り返らずに渡した。しばらくの沈黙。その間、キュッ、キュッ、キュッと、何かを擦り合わせるような音がした。
「どうぞ」
男の手が、ヒカルの体の前へ伸びて、ショーツを返そうと、手渡してくる。受け取ったヒカルは、高級ランジェリーに、油性マジックで落書きがされているのを見た。ショーツを広げてみる。
『コレハ、オマエノ、パンティー、ダ』
ショーツの布地いっぱいに、意図のよくわからない文言が書かれている。
「ヒィィイイイイイイイイイイッ」
真暁寺ヒカルが絶叫する。その瞬間。彼女の頬にペタッと生温かい、湿った何かが貼りついた。その何かは、彼女のこめかみまでズズズッと上がって、やがて離れる。
「君の汗の味を確かめさせてもらった。濃厚接触した際、君が大量にかく汗に、万が一、私にとって有害な成分があってはならないからね…………」
……………キモすぎるっ…………。話し方が冷静で、理路整然としているのがまた、どうにも気持ち悪くて、ヒカルは耐えられなかった。黒目が上に上がっていくと、ヒカルの視界が暗くなり、全身から脱力して、膝から崩れ落ちた。
「…………あ…………。気絶しちゃった…………。やりすぎたかな?」
失神した全裸の美人女優を抱きとめながら、丁屋蝶人が反省の声を出した。とりあえず、この美しくて瑞々しい体を抱きかかえて、ベッドまで運んであげることにする。
ダイスを振って「3の目」を初めて出した蝶人は、喜び勇んで『若くて綺麗な芸能人が有力者に体で接待するのが当たり前の世界。そしてその世界で蝶人は超VIPなので、芸能人たちは蝶人に絶対服従する。今日は女優の真暁寺ヒカルがこの部屋を訪問する。』という設定に合致する世界へと、シティホテルの部屋ごと飛ばしてもらった。けれど、もとからお気に入りの美人女優が部屋へやってくる前に、急に不安を覚え始めたのだ。
初めて「2の目」の並行世界に行った時には、そこで使われている「う」と「ラ」が、話し言葉でも文字でも、入れ替わっていた。それは理解さえすれば、大した実害はない程度の世界の差異だったが、もし「3の目」で訪れる世界の、元世界からの差異がもっともっと大きく、致命的なものだったらどうしようと、心配になったのだ。
訪問者が部屋の持ち主に挨拶代わりに膝蹴りをくらわすのが当たり前の世界。女性が服を脱いだら毒のある棘を隠し持っている世界。興奮すると異世界の住人には有害な分泌物を出す世界………。考え出すと、リスクは無限と思われた。とっさに警戒に警戒を重ねた出会い方をしてしまったのだが、こうして抱きかかえてみると、元世界との差異は、女性の体に関しては「ゼロか極小」というのが、蝶人の観察結果だった。
「そうとわかると、なんか、悪いことしちゃったな………。『3の目』も、そこまで警戒しなくても、指定した条件以外は、俺の住む世界に近いところを選んでくれてんのかな?」
蝶人は手に持ったダイスの、3の目を覗き込む。3つの黒丸の外周が赤く光っている。
「おーい。ヒカルさーん。起きて―。……………このままで寝てるだけだと、風邪ひきますよー」
蝶人は、笑ったような表情で白目を剥いて失神している若手女優の、頬っぺたをペチペチと叩いた。左手で持っているダイスが、一瞬、熱くなったような気がした。その直後に真暁寺ヒカルは瞼を閉じて、瞬きをする。ベッドの上で、スクッと体を起こした。
「………クシュンッ。………………か………風邪をひいたみたいです…………。あの、うつしてしまっても申し訳ないので、今日は、帰らせて頂いてもよろしいでしょうか?」
ヒカルはシーツを体に巻き付けるようにして自分の裸を隠しながら、家に帰る言い訳を口にする。明らかに、蝶人のことを怖がって、警戒している様子だった。
「えぇーっ。帰らないで、ここにいてよっ。…………怖がらなくて良いから。…………さっきは、俺も警戒しすぎたんだ。ゴメン」
それだけ言うと、また左手で握っているダイスが熱くなったような気がする。目の前の真暁寺ヒカルは、無表情になって「…………………」と黙ったまま、考えごとをする。
「………やっぱり私、ここにいます。…………何だか、急に貴方のことが、怖く、なくなってきたわ」
ズズッと、まだ鼻をすすりながらも、彼女は態度を急変させた。その様子を見た、蝶人の方が、今度は無表情になり、ヒカルの顔に自分の顔を近づけてまじまじと見る。
「…………………ヒカルちゃん、君の風邪がすぐ直るよ」
左手がまた少し、熱くなる。キョトンとしていた真暁寺ヒカルが、驚きの表情になる。
「……あれ? ………喉も痛くない。熱っぽいのもなくなった。鼻も…………。やったーっ。治ったーっ」
これだけの美人が嬉しそうな顔をすると、シティホテルの一室がパァーっと華やぐ気がする。そして嬉しそうなヒカル以上に、蝶人は力を入れてガッツポーズをした。何かを掴んだようだった。
「よし。これ以上の検証は後からで良い。とりあえず、ヒカルちゃん。………一発、ヤッておこうっ」
「………は………はいっ」
ベッドに飛び乗って、美人女優の上に覆いかぶさる蝶人。鮮やかにバスローブが宙を舞い、2人は白いシーツの上で、裸で抱き合った。蝶人からすれば憧れの有名人。思いっきり抱きしめて密着したい気持ちと、少し距離を置いて、全身を舐めるように凝視したい気持ちとがせめぎ合う。結局、スベスベして柔らかい触り心地と、高価そうだが嫌味のない香水に潜んだ彼女自身の匂いとに誘われて、思いっきり密着してむしゃぶりつく羽目になった。ヒカルに乗っかって、腰を振る蝶人。右側の尻たぶに、星形の痣が見えていた(この星形の痣は、彼の血統に生まれつき付いているものらしいが、この設定自体、話の冒頭には存在しなかった。途中から、当たり前のような顔をして出てきたものである)。
人目に晒され、カメラに晒されてきた、しっかりと投資もされたセレブの体を、蝶人は持続力の限界まで味わい、愛撫しつくして、やがて挿入に至る。スクリーンで見てきた美女の体のナカまで、じっくりと堪能させてもらい、激しいグラインドの末に、景気よく射精した。
「よろしく。『3の目』の世界ちゃんたち………」
射精のあとでヒカルの唇にキスをしながら、蝶人はこの並行世界群に対しても、挨拶のキスをしたい気持ちだった。
。。。
『3の目』の世界群と元の世界との差異について、初めて飛び込んだ時には、慎重に慎重を期した蝶人だったが、何度も飛ぶうちに、その法則と傾向がわかるようになってきた。
『2の目』の世界は、部屋の壁が回転をしている、いわゆる世界の移行中に、行きたい世界の設定について指定する必要がある。いわゆる、初期設定だけを調整できる、仮想世界のようなものだ。それと比較すると、『3の目』に導かれる世界では、蝶人は、サイコロを握りしめて指定をすると、その世界の在り方、人の動き方を、途中からでも上書きすることが出来た。これによって、蝶人が出来ることが、飛躍的に拡大することになる。
蝶人が発見した『2の目』世界と『3の目』世界の違いは、他にもある。『3の目』の世界からは、蝶人は入手したものを、『小さな手荷物』として、元の世界に持ち帰ることが出来た。これは現実世界の生活にも、直接的なメリットをもたらす。蝶人は『自分がスーパーリッチな世界』に飛んで、そこでATMから札束2つ分くらいの現金を引き出し、ポケットに入れて、元の世界へ持ち帰ることが出来たのだ。(厳密には、蝶人が気がつかないくらいの差異で2つの世界のお札が異なっていると、元の世界で偽札使用の容疑がかかるため、わざわざ蝶人は元の世界から千円札を持ち込み、行った先の世界の自動販売機で、そのお札が通用することを確認したうえで、ATMから200万円を引き出し、持ち帰ってきた。
行った先の世界には、その世界の丁屋蝶人が残って、普段通りの生活を続けている。この点も、『2の目』世界と『3の目』世界の違いだと気がついた。これを発見したのは、偶然の出来事だ。確か、蝶人が3の目の世界に4度目に飛んだ時のことだったはずだ。行った先の世界で自分の家の近所をブラついていた時、コンビニからタバコを買って出てきた、自分自身を見たのだ。本能的に、蝶人は電信柱の陰に隠れて、「その世界の」蝶人が通り過ぎるのをやり過ごした。並列世界に生きる、本人同士が出会うと、どんなことが起きるのか、試していないので、はっきりとしたことは言えない。しかし、一際大きく鳴り響いたゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴという効果音と、蝶人の感じた尋常ではない胸騒ぎから、もう一人の自分自身とは決して接触してはいけない、と蝶人は理解した。
この、行った先の世界にも自分が残っている(交代しない)ということは、蝶人にとってはメリットもデメリットも存在する、と思われた。メリットは、『2の目』の世界で常に気遣っていた、元の世界に交代で飛ばされた、もう一人の自分の行動について、配慮する必要がないことだ。デメリットは、行った先の世界で、そこに残っている自分自身とは接触してはならない。常にそのことを心の片隅に置いておく必要があった。
最後に、『2の目』世界群と比べて、『3の目』の世界群に、足りないと思える部分を発見した。ダイスが『3の目』を出した際に、飛び込むことが出来る世界では、そこにいる間、途中でもその世界の設定・法則・常識・人の行動を、ダイスを握りしめて願うことで、規定することが出来る。その自由度は格段に『2の目』の世界よりも大きい。………しかし、一度、そこから別の世界へ飛んだり、24時間たって強制的に元の世界に戻された後、さっき自由に書き換え、限界まで居心地を良くした、あの世界には、もう2度と戻ることが出来ない、ということだった。つまり、『2の目』の世界は初期設定しか弄ることが出来ないが、指定すれば何度でも戻れる世界。ゲームで言うならセーブやロードのある世界。一方で『3の目』の世界は、途中からでもどんどん設定を書き換えられるが、毎回、常にリセットされてしまうという世界だった。蝶人にとっては、1日以上、関係性を深めたり、成長させたりすることが、出来ない、その日限りの夢のような別世界。それが『3の目』の世界だった。
「細かい調整を入れながら、理想郷を作ることが出来るけれど、それは24時間限定の理想郷。後から戻ることは出来ない、夢の世界ってわけか………。ま、現金や動画ファイルを元の世界に持って帰ることが出来る分には、全て夢って訳でもないが…………」
『3の目』が切り開く並行世界群のメリットとデメリット。そしてその活用方法について、ある程度の確信を持った時、ダイスには新たな変化が現れた。黒丸が正方形を描くように4つ配置された面。『4の目』の面が出現したのだった。
「うぉぉおおっ。もう次の目が出たっ。………これはっ………………忙しいぞぉおおおおおおっ」
脂汗を流しながら、ダイスを摘まんで蝶人が絶叫する。また新しい、並行世界群の探検と調査が始まったのだった。
。。。
新しい世界を理解するためには、とにかく自分自身で色々と試し、色々と観察するしかない。説明書や解説書、あるいは攻略本などといったものがあれば、もっと手間が省けただろうが、それは自分で作り出すしかない。蝶人はそう理解した。とにかくそれからの1カ月。蝶人は毎日ダイスを振り、出た目の世界で出来る限りの経験を積んだ。
『2の目』が出れば、行った先の世界でもう一人の自分に出会うことはない。なので、その世界群では、蝶人は積極的に自分の地元で、元々あった人間関係を変化させることを楽しんだ。かつて好きだった幼馴染みが成長した状態でデートをし、学生時代に憧れた女教師をペットにし、社会人時代に自分にキツく当たった女上司はマゾ奴隷として囲った。『2の目』の世界群の特徴は、リロードが可能なこと。なので蝶人にとっては、別荘のような、自分が変えるべき第2のホームのように機能した。この世界は最初に赴く際の初期設定以外は書き換えられない。なので、この目が出た際に冒険しようとすると、多少のデメリットも、修正することなく、受け入れるしかなかった。
例えば蝶人が「この街一番の美女を、本番有りのデリヘル嬢として受け入れたい」と願った時、確かに蝶人の部屋には、生き物としては異常なくらい、顔立ちの完成度の高い、ギリシャ彫像の女神のような美形の女性が訪れてくれた。しかし彼女は「石仮面の女」という異名がつくほど、不愛想で不感症だった。蝶人の前戯にも、まるで無反応だったのだ。ローションを活用して挿入した後に、蝶人が躍起になって、「オラオラオラオラオラオラオラオラッ」と激しいピストン運動で攻めても、小声で「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄」と囁くばかりで彼を萎えさせた。それでも、彼女の超絶美形を凝視しながら、やっとイキそうになった蝶人がさらに腰を激しく振ろうとした時、その不愛想な美人デリヘル嬢は、無言で時計を指し示す。指定時間である60分が過ぎてしまっていた。時は、止まっていなかったのだった。
『3の目』が出れば、蝶人は出来るだけ自分の元々住んでいる地元からは遠ざかって遊ぶようにした。万が一にも、パラレルワールドに併存している、もう一人の自分との接触を避けるためだ。場所についてはそうした制約を受けるが、それ以外のことは、かなり蝶人にとって、思い通りになる。『2の目』とは違って、途中からでもその世界のルールや常識、人々の行動を再設定出来る。このことは、蝶人の興奮を長く持続させることに、とても役立った。
「興奮の持続」とはどういうことか? それは並行世界群での元世界からの「差異」に、飽きにくくなる、ということだ。蝶人が『2の目』の世界群に出入りしているなかで、一時期、『女性は裸で出歩くことが自然な世界』、『男にスキンシップを求められたら、キスでもペッティングでも断らない世界』、『若い女性も服は普通に来ていてよいが、脱いだり着替えたりするときには必ず男に手伝ってもらわなければならない世界』などの設定を鬼のように羅列して楽しんだ。彼が初期設定をそのように指定すれば、行った先の世界では、誰もが当たり前の顔をして肌を晒したり、蝶人のキスの求めに応じたり、アパレルショップの試着室の前で蝶人に服を脱がしてもらうために列を作ったりした。どんなに真面目そうな優等生でも、清楚そうなお嬢様でも、仕事が出来そうなビジネスウーマンでも、それが当然といった表情で、蝶人の設定に粛々と従ってくれた。『常に裸で外出するのが当たり前』という世界に飽きたのちは、『丁屋蝶人から半径10メートル以内にいる若い女性は全裸になるのが当たり前』というルールをしていして、サッカーのゾーンディフェンスのようなやり取りで、お姉さんたちをからかったりした。
そうしたことに、自分の元の世界とのギャップを常に振り返り、感激を維持できるタイプの人もいるだろう。ただ、蝶人の場合は、少し、周りに流されやすいのか、この新鮮な喜びが、人波に接しているうちに、徐々に薄れてきてしまう自分に気がついた。
蝶人が一時期にハマっていた、ネット上のMCエロサイトでも、こうした好みには人によって違いがあったような記憶がある。皆が当たり前のように、それこそ常識として、操作者の狂った指示を受け入れて、生活に取り入れていく物語。それはそれで、需要があったはずだ。だが、蝶人の場合、あまりにも周りにいる人々が、裸で生活することを当たり前のように受容していると、だんだん自分もその空気に影響されてしまうタイプのようだ。徐々に徐々に、最初の「美少女が裸で街歩き」のインパクトが、周りがそれを当然と受け止めているなかで、自分にとっても、当初と比べて薄れていってしまうことに気がついた。まるでアダルトビデオを初めて見た頃は徹夜してでも見漁った、女優たちの裸のジャケット画像などを、ある程度見慣れたあとは、当然の風景として受け流す自分に気がつくように………。
もしかしたら蝶人のような人間は、東京中の通行人がある日、日光の変質の影響でカタツムリに姿を変えていったとしても、皆がそのことを当たり前のように受け止めていたら、自分も流されてしまうのかもしれない。極端な話、そんなことまで考えるようになった。
結果として、蝶人は、『3の目』の世界群を訪問する際には、興奮が、そして新鮮な驚きや喜びが維持できるように、世界の常識を急にまた戻すかのように、自分の元いた世界と同じものに設定しなおしてみた。あるいは1人だけ、異なる常識のなかで生活させたりしてみた。このように、常にギャップを作り出し、そのギャップを変化させることを意識して楽しむようになったのだ。
5人組のアイドルのステージを見に行く。4人のメンバーとスタッフ、観客や残りの世界はみんな、『アイドルは裸で歌ったり踊ったりするのが当たり前』という世界設定を、ダイスを通じて設定する。ただ1人、センターをつとめる、一番人気で一番可愛いアイドルにだけ、『アイドルは裸で歌ったり踊ったりするのが当たり前らしいので、仕方なく従っているが、自分は納得いっていないし、恥ずかしく思う』という設定を途中から追加する。すると平然と舞い踊る、全裸の少女たちのなかで、1人だけ、顔を赤くした美少女メンバーのダンスの動きが小さく、固く、ギコチなくなっていく。センターに立つ、一番人気のメンバーが、時々、弾むオッパイや、剥き出しの股間を腕や内腿で隠そうというような、消極的な動きを見せることで、まわりのメンバーや、馴染みのファンたちは心配そうな空気になる。センターのアイドルも、その空気を察しているようで、曲の合間にメンバー同士で頷き合ったり、ファンの声援に背中を押されるようにして、両手を上げてジャンプしたり、片足をキックする元気な振りつけをこなしたりと、頑張ってみせるが、動揺は隠しきれない。年頃の女の子としての恥じらいと、アイドルとしてすべきことを懸命にこなすというプロ意識。そのはざまで、迷い、戸惑いながら裸でギコチなく踊る彼女の様子は、蝶人にとって、たまらなくそそられる、可愛らしいものだった。
「じゃ、皆、いつもの、いっくよーっ」
左端の年上らしきリーダーから順番に、全裸のままで観客の中へダイブしていくアイドルグループ。たった今、蝶人が、この世界のアイドルのあるべき姿について、設定を変えたのだ。1人ずつ、楽しそうに飛び込んで、体を触られ、揉まれながら、オタクたちの手の波を泳ぎ渡っていく。感じやすい美少女は、悶えながら波の上を運ばれているうちに、潮を噴く。ファンが歓喜の声を上げる。真夏のフェスのように客席のヴォルテージが上がる。1人、ステージの中央に取り残された、センターの可愛いアイドルは、何度か、迷って体重の重心を前に後ろにと行き来させたあとで、目に涙を浮かべて観客に深くお辞儀をした。
「わ…………わたし…………。今日はこれ、出来ませんっ。ゴメンなさいっ」
腕で涙を拭いながら、舞台袖に逃げていくセンターの子。そろそろ蝶人も、『VIPゲスト』として彼女の楽屋に向かってあげる時間だ。センターの子には『ライブがうまく出来なかった場合は、その失敗を取り返すためにも、丁屋蝶人というスーパーVIPゲストをセックスでもてなす。ライブで感じた葛藤や迷いは全てVIPゲストとの激しいセックスで晴らすのが私の生き方』と彼女の行動様式の設定を弄らせてもらっている。きっとあの、素直でピュアで真っ直ぐな雰囲気の清純派アイドルは、ステージで上手くパフォーマンスできなかった分の何倍も取り返すために、蝶人にすべてを捧げて、華奢な腰が壊れそうになるくらいに、濃厚で破廉恥な性接待を提供してくれることだろう。そう考えるだけで、蝶人のモノはまるで石の矢のように固く真っ直ぐ伸びる。必死で懸命な可愛い子ちゃんが、まるで人生投げうとうとするほどの、いやらしい動きを自分から見せてくれる。その姿を、頭を撫でながら「偉いねぇぇぇぇぇー」と、子供をあやすように褒めている自分の姿まで、目に浮かんでいた。
腰をトントンと叩きながら、蝶人がライブステージの楽屋を出た頃には、すでに夕方になっている。『丁屋蝶人は大富豪』と設定を変更するだけで、ラグジュアリーなリムジンと運転手、付き人が迎えに来る(『この世界一の大富豪』、という設定にすると、犯罪の標的になりそうなので、そのあたりは常に慎重にリスクとメリットのベストバランスを考えている。これは現実に人々が生活し、それぞれに考えを持って行動している、もう一つの現実世界なのだ)。しかし、蝶人は今日は、あえて電車に乗ることにする。高級シャンパンを持ってリムジン車内に寝そべっている、金髪美女にも、「だが、断る」と、もったいない拒絶をする。かつての蝶人の生活圏に近い状況の方が、より効果的に「世界間差異が生む興奮」を味わいやすいのだと、最近気づいたからだ。
この時間帯の都心の電車はいつも、ほぼ満員がデフォルト。そんな中で、乗ろうとした車両が「女性専用車両」であり、なおかつ空いていたりすると、蝶人は、ブラック会社に勤めていた頃の通勤電車の苦痛を思い出して、胸がムカムカしてくる。
『今、十代から三十代で、女性専用車両に乗っているオンナは、全員、服を脱ぎ捨てて全裸になる。別にこのことは常識でもなんでもなく、自分の行為の異常さは意識しているが、そうせずにはいられない。そのまま車両を移って、電車の先頭から最後尾車両まで、奇声を上げながら走り回る。』
この世界のルールも常識も道徳も変えない。ただ限定された人間の行動様式だけを設定変更すると、電車の中は、表情では困ったりうろたえたり、恥じらったりパニックになったような女性たちの、奇声が響き渡る、ストリーキング大会が繰り広げられる。狭い車内でオジサンたちの間を掻き分けながら、裸のお姉さんたちが走り回るのは迷惑でもあるが、ちょっとした微笑ましいハプニングにも見えて、癒される。パニックが大きくなりすぎるのを警戒して、途中で蝶人は『彼女たち以外の』世界のルールを曲げて、この程度の乱痴気騒ぎは多めに見てあげる世界へと作り変える。ついでに自分の突然の行動に戸惑っている彼女たちには申し訳ないが、『異性の間をすり抜ける時には、どんなに嫌でも、自分の性感帯を積極的に擦りつけながら進む』という行動様式まで、追加してみる。すると働くお姉さんたちの全裸往復ダッシュには、セクシーな奇声が混じり始める。やがて股間をビチャビチャに濡らしながらよろめき走るお姉さんや、息も絶え絶えに喘ぎながらふらつき進むお姉さんが出てくる。止まった駅からの出発予定時刻が近づき、ドアが閉まろうとすると、蝶人の悪ふざけのせいで、体が勝手にドアまで近づいて、オッパイをドアで何度も挟ませては、車掌さんや駅員さんに注意されるお姉さんたち。彼女たちの、恥ずかしがる姿、身悶えしながら喘ぎ声を上げる、その様子を見守っているうちに、蝶人はうっかり、5駅も乗り過ごしてしまうのだった。
そんな異常な世界と、一部に理性を保った女性が見せる、戸惑いと恥じらいのグラデーション&スパイス。その様子を、蝶人は積極的にスマホで撮影する。『3の目』の世界からは、手荷物程度のものは、元の世界に持ち帰ることが出来るのだから、記念の動画や画像を確保することを忘れないようにしている。何しろ、一度行った世界には、また戻ってくることが出来ないのだから。そう、同じ世界設定と個人行動様式の書き換えで、似たような状況は再現できるのだが、世界は1つ1つ、ほんのわずかな差異であっても、別個の世界として存在している。その、唯一無二の世界を、どれほど気に入っても、再訪出来ないという『3の目』の制約は、実は小さくはなかった。
そんな蝶人が、さらに探検を重ね、少しずつ理解を進めていった『4の目』が誘う世界群は、『3の目』の世界群の自由度を、さらに拡張させたような場所だった。紫の光が4つの黒丸の外周から放たれる、『4の目』の面が部屋を接続する世界。そこではなんと、蝶人は自分の体や他人の体を含む、物体の設定まで、移動時にも、そして移動後であっても、変更させることが出来た。そしてそのことを発見したきっかけは、彼がダイスを握りしめながらその世界のミス日本とセックスをしている途中だった。『射精をもう少し我慢したい』と願った蝶人は、個人記録を大幅に更新する、射精間際の我慢時間を思わず記録したのだった。
最もシンプルな蝶人の願い。それはどこのパラレルワールドでも、叶えて欲しかった、永遠の課題だった。まずはそこから、この『4の目』の世界群で解決する。
『この世界で丁屋蝶人は性的に絶倫になる。1日に何度でも性行為を楽しみ、射精をすることが出来る』
ダイスを握りしめ、そう願った(そのように、世界の設定を書き換えた)。そして実際に試した。
『1日に何度でも』と願ったものの、実験の結果、蝶人が行き着いた結論は『1日に12回目くらいまでが丁度良い』というものだった。なぜなら、それ以上の性行為を行おうとすると、その回数・頻度に適応するかのように、彼の亀頭が硬化し、快感を得る粘膜の敏感さが減少してしまったからだ。『4の目』の世界は、人間の体を見る間に変化させる。変質とも、進化とも言える。その柔軟さと拡張された自由度の高さは、蝶人自身を少し、不安にさせるほどだった。
巨大なベッドに寝そべりながら、ふと思いついて、テレビをつけてみる。宮内咲子という、女子アナがニュースを読んでいる。元の世界にいる時から、蝶人のお気に入りの女子アナだ。2の目の世界と同じように、『若い女性が仕事をする時には全裸になるのが当たり前』という設定に、途中から書き換えてみる。テレビに映る宮内アナも、当たり前の顔をして、スルスルと服を脱いでいく。ピンマイクを外すのに少し苦労するが、下着を外し、ストッキングを脱ぎ、ショーツを下ろしながらも、ニュースを読み続ける。
『3の目』の世界を思い出して、行動様式も途中から弄ってみる。『自分でもなんでそんなことをしているかわからないが、カメラの前でオッパイを揉む。乳首が立つように刺激する』と、ダイスを握りしめて念じてみる。すると清楚な宮内アナがうろたえながら、自分の両手で胸を刺激し始める。カメラに申し訳なさそうな視線を投げかけながら、それでも震える声でニュースを読み続ける。
そこで『4の目』の世界ならではの、設定変更を行う。人の体も書き換えられる。その効果を、テレビの画面越しにも確かめる。念じると、手の中のダイスが熱くなる。画面の中で困惑しながらも全裸で自分の胸を揉みながらニュースを読んでいた宮内アナの乳首から、急にピュピュッと白っぽい液体が飛び出る。彼女の目も驚きで丸くなる。その表情と、報道番組のちょっとしたパニックの様子を見て、蝶人はベッドの中で腹を抱えて笑い転げる。笑いすぎて、苦しくなるほど笑う。まるで、砂漠を歩いていて太陽が近づきすぎて、暑さで頭がおかしくなった旅行者のように、ヤバイくらいに笑い続けた。
報道番組は慌ただしく終わってしまったが、蝶人はまだ、余韻に浸っている。最後にもう1つ、設定を入れ込んだ。あとは、もうしばらく待っていたら、さっきの宮内咲子アナウンサーが、高級ホテルの一室。この部屋まで飛び込んできてくれるはずだ。彼女に、さっきのアクシデントの感想を聞かせてもらいながら、彼女の献身的な奉仕を楽しむことにしたのだった。
この時期、蝶人はよく、『4の目』の世界にいる時に、テレビを見ながら画面の向こう側の設定を変えてみたりして、楽しんだ。不倫疑惑の渦中にある大物タレントの記者会見の場では、集まったレポーターたちに乱交させながら大物タレントの釈明をレポートしてもらった。政治家やエコノミストがコメンテーターで出てくる固めの内容の番組では、公約が守れていなかったり予想が外れたコメンテーターに対しては子供タレントが出てきて、コメンテーターの下半身を裸にしてお尻を叩くというコーナーを作らせた。気に入ったドラマや歌番組があれば、出演者の女優やアーティストを部屋まで呼んで、番組を流しながら、出演者とセックスをした。
国民的歌番組にはゲスト出演させてもらった。演歌歌手が一曲歌い終えるまでに、同じステージで何人の女性歌手やアイドル、アーティストに連続で挿入出来るか、ギネス記録に挑戦したのだ。NHKの大ホールの舞台で、何重にも並んで裸で四つん這いになる美女たち。そのお尻の列を見るだけでも壮観な光景だ。歌が始まると、大急ぎで一人ずつ、バックからアソコに蝶人のおチンチンを入れては、ペチンと尻たぶを叩いて、隣の子へ移る。国民の期待を背に、次々と挿入していく蝶人。気合が入りすぎて、一人一人への入れ心地を楽しむことを忘れてしまっていた。最後には、少しだけ時間が余ったので、司会者の女優さんまで押し倒して後ろから突っ込んだほどだ。司会者も何とか笑顔で応じてくれる。結果は合計106人にインサート。煩悩の数には2つ足りなかったかもしれないが、自分なりに煩悩の無くなるまで突き果てたという達成感はあった。ギネス記録達成の発表があったので、演歌歌手、全裸のアイドルたちと大喜びでハイタッチしあう蝶人。しかし、15分後に訂正の発表があった。ビデオ審査の結果、焦っていた蝶人が、女性器ではなくて、アナルに挿入してしまった相手がいたことが発覚し、ギネス記録への挑戦は失敗と判定されてしまったのだ。とても残念なことではあったが、不思議な一体感と、やり切ったというスッキリした気持ちが残った夜だった。
良家のお嬢様たちが通う、私立の有名女子高の校則も常識も設定変更する。登下校は全裸に一輪車。たちまち、サーカスの一段のような、美少女たちのアクロバティックな通学姿が街に溢れる。バランスを取るために両手を左右に伸ばして、足でペダルを漕ぐたびに、控えめに膨らみつつある若いオッパイがプルプルと揺れる。後ろ姿をみると華奢な背中と腰回りの下でサドルに押しつけられたお尻が、こちらもペダルを漕ぐたび、若さを主張するかのようにキュッキュと左右交互に持ち上がる。途中から設定変更して、彼女たちの股間をすさまじく敏感にしてみる。途端に一輪車の美少女たちはフラフラと蛇行するようになる。電信柱や壁に激突する女子高生も出てくるが、怪我は瞬時に直してあげた。痛がっている子はいない。皆、夢を見ているように、ウットリした表情で、蛇行する水滴のようなものを道路に残しながら、学び舎へ急いでいくのだった。
『4の目』が連れて行ってくれる世界群には、『3の目』の世界群と比べて、明確なメリットがあった。先に説明した、1日に出来るセックスの回数を格段に増やせることは、わかりやすいメリットだ。他にも、自分自身の体を変えることで、別人になることが出来た。つまり、この世界にも『3の目』の世界と同様に残っている、もう1人の自分と接触しても、その時に蝶人が「別人」になっていれば、とてつもなく危険なカタストロフィが起きる、というリスクは回避出来るようだった。
自分の体を変化させることが出来る、ということが分かった後でしばらくは、自分を男性的に強化する方向で変化を試していた蝶人が、ふと、それにも飽きて、今度は自分の体を女体化してみる。スーパーモデルのようにグラマラスで完全な美女に変わることも出来たが、それ以上に、わずかにもとの自分の面影を残して美女化することに、倒錯的な興奮を覚えたりもした。鏡の前で、しどけないポーズを取ってみたり、男性だった頃に好みだった女性の下着や服装をあらかた、自分で身に着けてみたりもした。女性のオナニーの効果を充分に確かめた後には、次は男とセックスしてみたい、とも考えた。しかし、いざ、男を呼び寄せて、本番を始めようと思っても、蝶人の心は拒絶反応を示した。これが、彼の性的嗜好のようだ。自分の体を女体化しても、男に犯されたいとは、思わなかった、ということだ。結局、妥協なのかどうか、自分でもよくわからないが、美少年役を演じることが多い、美人声優を呼び出すと、彼女の股間にペニスを生やさせた。それも、蝶人が男だった頃の、自分のチンポ、そのものを、だ。こうして、美少年のキャラクターっぽい声を出しながら迫ってくる、美人声優を受け入れて、元々の自分のチンポに、女性化した自分自身をハメさせた。これがどこまで異常なシチュエーションなのか、もはやよくわからなくなっていたが、とりあえず、気持ちよかった。
たまには文化の香りを楽しみたくなって、宝乃塚歌劇団の舞台を見に行く。演者は全員女性だ。目についた演者から順番に、チンポと玉を生やしてあげる。歌いながら、舞いながら、何人もの演じ手が、腰を微妙にヒクつかせる。急に自分の体に、男性のシンボルがニョキニョキと生えてきた違和感。そのおぞましくも快感を伴った、異常な感触に、戸惑いながらもなお、華やかなパフォーマンスを懸命に続ける美女たち。男役には可愛らしいペニスを、女役にはあえて、荘厳な巨根をプレゼントしてみた。どれもが感度抜群で、サポーターや衣装のなかで少し擦れるだけでも、のけぞるほどの快感を与えてくれるおチンチン。女性用の下着やサポータ―の中では収まり悪く締めつけられるようで、演者たちは誰もが、声を震わせ、体をクネらせながら、なんとか演技を続けた。「清く正しく美しい少女たち」の歌劇ではなくなってしまったのだが、これはこれで、妙に生々しく倒錯した、美のオーラをまとった、芸術作品のように見ることが出来た。ちなみに『後輩に陰湿なイジメをしたり、厳しいシゴキをしていると自覚のある先輩たちには、インキンと毛ジラミを患っている広東包茎の粗チン、ただし感度抜群で精力無限の粗チンをプレゼント』と設定したところ、明らかに腰の動きがおかしくなった演者が何人かいた。彼女たちは内腿を擦り合わせるようにモジモジとモゾモゾと怪しげな下半身の動きを見せたり、時々白目を剥いて痙攣したりしていたが、衣装にも染みが浮き出てくる頃には舞台袖に下がって、それからは表舞台には出てこなくなってしまった。なんとかフィナーレまで漕ぎつけた、プロ意識と自制心に満ちた、素晴らしい演者たちに、蝶人も立ち上がって拍手を送る。カーテンコールでは演者たちが一堂に舞台に会し、客席へ深々とお辞儀をして挨拶する。その晴れ舞台で、ついに彼女たちの、溜まりに溜まった性欲を爆発させてみた。美形で華のあるヒロイン役も、清純そうな助演の女役たちも、スカートを捲り上げ、パニエをずり落として立派な巨根を引っ張りだすと、我慢できずに舞台上でしごきだす。目鼻立ちの整った、キリッと格好良い男役たちは、思いのほか可愛らしいおチンチンをチャックから出して、舞台狭しと駆け回りながらしごく。客席は、ヅカファンのマダムたちの悲鳴と絶叫、そしていくらかの歓声でパニック状態になる。舞台と客席に、紙吹雪や紙テープの嵐のように、新鮮な精液が飛び散った。わずかにスミレの花の匂いがした。
世界で王室を持つ国を調べてみると、王直系の男子にしか王位継承権が無い、という法律を持った国があった。さっそくその国の王子の姉、綺麗な姫君におチンチンを生やしてあげる。王宮内はちょっとしたパニックになる。その国の公式な衣服をブーメランパンツときわどいビキニに変えてみる。すると隠しきれなくなったのか、ビキニの股間をモッコリさせて国民の前に現れた美しい姫君は、自分が王子になってしまったので、この国の王位継承権の順位が変わってしまうことを涙ながらに訴えて、弟の皇太子殿下に謝罪する。その途中でおチンチンが消滅する。麗しいお姫様は、驚きと安堵で(あとは蝶人が仕組んだ大エクスタシーとで)失神してしまった。
蝶人の遊びたい放題の場所に見える、『4の目』の世界群にも、もちろんデメリットというか、リスクはあった。始めはリスクということにすら気がつかず、これはメリットだと思っていたのだが、冷静に考えると、そうとばかりも言えなかった。それは、行った先の世界で、24時間が過ぎても、自動的に元の世界に戻されることがないと発見した時のことだった。その時には蝶人は、『4の目』は『2の目』や『3の目』の世界の制約を全て取っ払った、無敵の世界群へ案内してくれたのかとすら感じた。しかし、それはリスクと裏表の関係だったことに、やがて気がつく。『4の目』が蝶人のいる部屋を接続してくれる並行世界は、そこに居続けようと思えば、1日を超えて、2日、3日、1週間、1カ月と、好きなだけ居座ることが出来る。自分自身を「別人」の姿に変えておけば、もう一人の自分と接触してしまった際のリスクも回避できる。だが、逆に言えば、「元の世界に帰ろう」という明確な意志を持ち続けておかなければ、帰れなくなる、ということでもあった。
ここでようやく蝶人は、『1の目』の意味を理解することになる。『4の目』の世界へ一度行ったら、ダイスを振って『1の目』を出すまでは、自分が生きる、元の世界に戻ることは出来ないのだ。
『賭けてもいいけど、このサイコロに完全にハマった奴は、最後、この世界には戻ってこない。』
蝶人は、この時にようやく、ショーデンさんという、バーで出会った中年のオカマが言っていた言葉の意味を、真に理解した気がする。
はっきり言って、『4の目』が出たときにダイスが部屋を接続してくれる並行世界は、完全なまでに居心地が良い。もう1人の自分が交代で元の世界に迷い込んで騒動を起こす心配もなければ、設定を途中でも書き換えていくことで、より精度高く、自分の考える理想郷へと近づけていくことが出来る。同じ世界に再訪することは『3の目』の世界と同じく出来ないが、その気になれば、いつまででも自分の気に入った世界で、王様のような暮らしが出来る。性生活に至っては、好みの女を好きなだけ呼び寄せて、1日に10回も交わることが出来る。顔が好みの女に、理想のボディを与えて、より自分の理想に近づけた上で、絶対服従させることも、思いのままだ。気がつくと、2、3日はあっという間に過ぎる。こうして、元の自分のいた世界に戻ろうという気力が、徐々に萎えていってしまう。
けれど、蝶人は本能的に理解してはいる。どの並行世界も、元いた世界とそっくりではあっても、どこかは僅かに差異を持っている。その、ほんの僅かな差異が少しずつ影響を与えているのか、並行世界に着いた瞬間、ほんの少しだけ、匂いや空気感が違うのだ。それは、行った先の世界に数分もいれば馴染んでしまうほどの、僅かな違い、それでも感じるのだ。その、かすかな匂いや空気感の違いのことを思い出すと、蝶人は、自分はパラレルワールドの訪問者ではあっても、永住者であるべきではないと、思い直す。たまに思い出したように、『4の目』の世界から、『1の目』の元世界を目指して、ダイスを振るのだ。
「ダイス、ルーム、& アナザーワールドッ!」
声高に叫ぶ。ポーズを決める。ダイスを机に転がす。転がる四角いダイスが減速していく。この時に出た目は、よりによって6だった。
「HEEEEYYYY あァァァんまりだァァァァァァァ」
蝶人は人目も憚らず、涙をボロボロこぼして号泣した。
2~4の目が出た時の、それぞれの最も快適な過ごし方を体得し、どの目でもそれぞれの世界群ならではの楽しみを手に入れつつある中で、たまに『6の目』が出ると、ギャップもあって、恐ろしく辛く長い6時間を過ごす羽目になる。この対策も、早急に考え出す必要があった。
肌寒く、心も薄暗くなるような『6の目』の世界の虚無感と、ひっきりなしに聞こえた不吉なノックや爪の音からやっと解放されて、蝶人は再びダイスを振ることにする。何度か振って、辿り着いた『4の目』の世界で、とある思いつきを実験してみることにする。
『俺の手は手品師、いかさまギャンブラーのように、手の力加減を繊細に調整出来るようになる。サイコロを振る時は簡単に出す目を自分で調整出来るようになる』
そう念じて自分の手を変化させる。ダイスを振ってみる。一発で、狙った『1の目』が出た。両手を強く握りしめてガッツポーズ。運命に打ち勝った、という気分だった。
しかし、しばらくすると、蝶人はこの対策の限界も知ることになる。『4の目』で設定変更した自分の体の機能は、他の世界に持ち出すことが出来るのは24時間に限られた。その後は、自分の手は元に戻る。それでも、有効な技には違いない、と思うようにした。これまでのように運任せでダイスを振るよりも、ずいぶんと行き先がコントロール出来るようになったのだ。
ここで整理するっ!
<1の目の世界>
・丁屋蝶人が生まれ育った、元の世界
・『4の目』の世界にいる時以外には、この目が出ても変化はない
<2の目の世界>
・並行世界のなかの1つに飛ぶ。その世界にいる自分は、入れ替わりで、蝶人の元いた世界に移動する
・世界を移動する途中で飛びたい世界の設定を伝えると、その設定の世界に飛べる。しかしその後の設定変更は不可
・その世界にあるものは持ち帰ることが出来ない
・過去に飛んだ履歴のある世界に再訪することも出来る
<3の目の世界>
・並行世界の1つに飛ぶ。その世界にいる自分はそこに居続ける。もう1人の自分と接触すると、「おそらくとてつもなく恐ろしいカタストロフィが訪れる」
・世界を移動する途中で飛びたい世界の設定を伝えると、その設定の世界に飛べる。そしてその世界の中でも、ダイスを握りしめて設定変更を行える(世界規範・その世界の人物の行動など)
・その世界から「小さな手荷物」程度のものを、元いた世界や別世界へ、持ち出すことが出来る
・一度行った世界へ再訪出来ない
<4の目の世界>
・並行世界の1つに飛ぶ。その世界にいる自分はそこに居続ける。もう1人の自分と接触すると、「おそらくとてつもなく恐ろしいカタストロフィが訪れる」
・世界を移動する途中で飛びたい世界の設定を伝えると、その設定の世界に飛べる。そしてその世界の中でも、ダイスを握りしめて設定変更を行える。自分や他人の肉体、物質まで設定変更できるため、自分を「別人の姿」に変えることで上述の「カタストロフィ」を避けることも出来る
・その世界からは「手荷物ほどのもの」も持ち出すことは出来ない。出ることが出来るのは自分の体(と服やアクセサリー)だけ。行った先の世界で自分の肉体の設定変更をした場合も、外の世界ではその効果は24時間で消滅する
・一度行った世界へ再訪出来ない
<6の目の世界>
・暗く物寂しい、陰鬱で虚無な世界
・部屋から出てはいけない。部屋に何かを入れてもいけない。どちらを行った場合も、恐ろしいカタストロフィが訪れる
こうしてみると、『2の目』から『4の目』の世界群には、どれもメリットもあり、デメリットもある。基本的に目が大きくなるほど、出来ることが拡大される方向だと言えるが、『3の目』の世界でしか出来ないこと、『2の目』の世界でしか出来ないことというものも、れっきとして存在する。完全無欠の目も無ければ、どれかの目を選べば負けというものも無い(6を除いて)。つまりダイスの後ろに控えているのは、『勝ち抜けのない並行世界群』なのだということを、蝶人は経験を通じて理解したのだった。そして、そのように理解し、全体像を把握した時、最後まで白い面として残っていたところに、5つの小ぶりな黒丸が出現したことに気がつく。ついに、『5の目』が丁屋蝶人の前に現れたのだった。
。。。
第4部 DRAW ― 勝ち抜けのない並行世界群
ダイス、ルーム、& アナザー・ワールド………。
丁屋蝶人は「5の目」の世界に新たに触れ、ダイスがもたらす能力の全容を知ることになる。常に蝶人のそばにあり、彼のペニスを勃起させてくれる能力。彼はいつしかこの、ダイスの力をのことを、『スタンド(そばで立たせるもの)』と呼ぶようになっていた。
。。
蝶人は『5の目』が接続し、彼を移行させてくれた、初めて見る新しい並行世界を、清々しい気持ちで歩いていた。かつて彼は初めて『2の目』の世界に迷い込んだ時、言葉と文字が微妙に入れ替わっていることに混乱し、恐怖を覚えた。そのせいもあってか、『3の目』の世界に初めて足を踏み入れた時は、警戒しすぎて、部屋を訪問してくれた女優さんが失神ほど、不審な振る舞いをしてしまった。その頃と比べると、今は段違いに落ち着いて、晴れやかな気持ちで新世界を散策する。すでにダイスの力の大まかな概要と、そして目が増えるほどに拡張される、自分に出来ることを理解して、大きな気持ちで新しい世界と対峙していたのだ。そして、この初めて見る世界が教えてくれる、自分とダイスに出来る新たな能力の拡張に、心を躍らせてもいる。この新しく何かが出来るようになるのだ、というドキドキは、子供の頃にRPGゲームをしていて、使用キャラクターのレベルが上がり、新たな能力を身につけ、新しい魔法を覚えた時のワクワクを、何倍にもさせたような胸の高鳴りだ。それを味わうのも、今回の『5の目』で最後なのだと思うと、名残惜しさすら覚えるのだった。
しかし運命を握るダイスは、そんな時に限って、蝶人に危機を与える。
キキ―――――ッ
歩道を歩く蝶人の目の前に、ハンドル操作を誤って車道から大きくはみ出てきた、妙にクラシックなデザインのセダンが突っ込んでくる。蝶人は当然驚いて、飛び上がって避けようとしたのだが、彼にずば抜けた反射神経などはない。最近までニートとして自宅に引きこもり、その後は無限の並行世界で贅沢や女遊びの限りを尽くしてきた体は、機敏な動きなど忘れ切っていた。
「な…………なんだとぉぉおおおっ」
顔に汗をかいた蝶人が、全身を硬直させる。そのまま近づいてくるセダンがスローモーションのように、蝶人をはねようと接近する。彼は見知らぬ並行世界の片隅で、死を意識した。
スローモーションに見えていた世界の動きは、やがて映画やビデオのコマ送りのように、カクカクと、少しずつしか動かなくなり、最後にはピタッと動きを止めてしまった。太陽の光が少し弱まったように薄暗く、まるでセルロイドの下敷きを通じて見るように、世界の光量をわずかに下げた。そして音も止まる。蝶人が感じる、空気感まで、何か淡いゼリーの中にいるような変化を見せた。
彼にあと20センチというところまで迫っていた車は、完全に静止している。車内でスマホを片手に焦った表情を見せている、パンクロック好きそうなファッションの姉ちゃんも、動画のストップモーションのように止まっている。タイヤが跳ねた水たまりの泥水も、空中で静止している。これは、完全に、物理現象自体が一時停止しているのだと、理解するしかなかった。
3メートルほど、車と、その進行方向から離れる。そこでやっと緊張が解けたのか、蝶人は無意識のうちにキツく握りしめていた拳を解く。左手の中でダイスがずいぶんと熱くなっていた。手の力を抜いた瞬間に、世界は元通りに動き出す。歩道へはみ出した車は、派手に電信柱にぶつかり、ゴミ箱をはねた。蝶人は完全に無事だった。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ
久しぶりに、耳鳴りのような背景音が聞こえる。空気が震えているようだった。
「今のは…………なんだ? …………あ……………………頭がどうにかなりそうだった………催眠術だとか超スピードだとか、そんなチャチなもんじゃぁ、断じてねえ。もっと恐ろしいものの片鱗を……………」
そこまで言って、蝶人は高々とジャンプする。
「いや、催眠術だって別にチャチなもんじゃーねぇぜぇええええっ! ………とにかく、なんとなくわかったっ。この世界で開かれる、新たな能力!」
着地と同時に、変なポーズをとる。
「時を止められたぞっ。………これは……この世界を、根本的に成り立たたせている、基本ルールを、操作できるということのはずだっ」
ババ――――――――ンッ、と背景音が鳴り響いた。
蝶人が高々と上げた左腕に力を入れる。左手を握りしめる。ダイスを、その指で包み込む。
「このワールドの、時よ止まれぃっ」
そう叫ぶと、また空気感が変わる。周囲が少し薄暗くなり、身の回りが淡い半透明のゼリーに包まれたような感触。そして蝶人を除く、全ての人々が、物質が、そして現象が停止する。
蝶人は大通りを見回す。人々はまだ、電柱に激突した車のことを気にして、集まって様子を確かめようとしている、その途中で静止している。群衆のなかで、ワンピースを着たグラマラスな美人を見つける。犬の散歩の途中で、交通事故を見て、驚いたような表情で固まっている。近づいて、ワンピースのボタンを外す。モノの感触は僅かに異なっているが、ちゃんとボタンは外れる。そのままの状態で浮いているワンピースの襟元をはだける。ブラジャーに包まれた、豊満な乳房。その下着もズラして、オッパイを揉む。少し感触は異なるが、ちゃんとオッパイを触って、その手応えを楽しむことが出来た。
蝶人は久しぶりに、しゃがみこむほどのガッツポーズをきめた。本来なら、時間が完全に停止したら、物質が存在することは出来ない。物質は、細部まで観察したならば原子は、陽子が原子核の周囲を周回する運動によって成り立っている。陽子の回転運動すら停止するような、完全なる時間停止が発生したならば、そこで物質が形を留められるはずがないのだ。これは明らかに、世界が蝶人の希望を受け入れ、それを実現するために、法則を捻じ曲げている。おそらく世界は時間の流れを極限まで遅らせつつ、蝶人の鑑賞できる時間だけを、捻じ曲げつつ存在させている。蝶人が触れるものだけが、僅かに時間の流れに復帰している。他人の意識だけを除いて………。これこそが、世界の基本的な在り方にまで、蝶人が干渉した、歴史的な瞬間なのだ。
「……「天国」が手に入る!! 生まれたものが「天国」なのだ!! 讃美しろ……………!! 新しい世界が幕を開けたという事を! ……………」
蝶人は、両手の指紋が完全に擦り切れるまで、静止した時間の中で、美女たちのオッパイを揉みまくってやることを決めたのだった!
。。
乳揉み職人の朝は早い。まだ世間が眠りについている早朝から、今日も丁屋蝶人さん(25歳)は街へ繰り出す。新鮮な乳を、誰よりも早く、多く揉むためだ。
――朝早いのは、大変ではないですか?
「時間の早い、遅いは、自分には、関係ないですね。乳を揉む時は、時間を止めていますので(笑)」
――乳揉み職人の方々は、どのように生計を立てておられるんでしょうか?
「方々って言われても、自分のことしかわからないですが………。自分の場合は、例えばカップルやご夫婦が連れ立って歩いているのを見て、女性の側がお綺麗で、オッパイも揉み心地が良さそうだと思ったら、時間を止めて、女性のオッパイを凄く揉みますね。そして、パートナーの男性の財布をお借りして、数千円、拝借しています。税金みたいなもんですね。グッドパイ税。千円札にも、グッドバイって言ってもらえれば良いかな? って思います。まぁ、数千円以上の価値のあるオッパイを揉ませてもらった時に、そのように、税金を取り立てるみたいな感じで、小銭を頂いていますね」
――このお仕事の、大変なところはありますか?
「常に、腱鞘炎との戦いですね。それはまぁ、自分が背負っていかなければならない、職業病のようなものだと思っています。あとは、まぁ、時々、猛烈にむなしく感じることも、ないわけではないです。………これただの企画モノのAVかよ? って思うことも………。けれど、いつの時代も、その道を究めた乳揉み職人さんは、そうしたものと戦って、打ち勝ってきたんだって、思うようにしています」
――乳揉み職人は、良いオッパイと悪いオッパイを、どのように選り分けるのですか?
「実際のところ、オッパイに良い、悪いは無いと思っています。揉んでいる人間の良し悪しや好み、相性や、その日の体調があるだけです。オッパイの大きさ、形、揉み心地も千差万別です。そこに善悪や上下は無いですね。指を押し付けた時、最初にオッパイは指を受け入れてくれます。しかし、それでいてゆっくりと、押し返してくる。まるで僕たち男性を、優しく受け止めつつ、「しっかりしなさい」って声をかけながら、外の世界に押し戻すみたいに。そこに、優しさと毅然とした強さとを兼ね備えた、女性の姿を見ています。揉み心地一つとっても、その優しさと強さの、その人ならではのバランスな訳です」
――乳の良し悪しも無い。選別も判定もしない、となると、乳揉み職人というのは、そもそも意味のある職業なのでしょうか?
「自分もわかりません。…………もしかしたら、乳揉み職人という役割が存在する意味を探すために、自分は今日も、乳を揉み続けているのかもしれませんね」
――ありがとうございました。では最後に、乳揉み職人の丁屋蝶人さんにとって、オッパイとは、なんでしょうか?
「……………………………………………………。母性…………あるいは、その予感……………。なのでは、ないでしょうか? ……………赤ん坊はみんな、生きるためにオッパイを求めます。その記憶は全ての大人にも残っているはずです。………そして自分よりも年下の、いたいけな少女の胸までもが張ってきた時、庇護すべきようなか弱い相手が、すでに母性の予感を備えている、ということに驚き、焦りを感じたり、あるいは同時に畏敬の念を感じたりする。それは………男が、母性に対して感じる畏敬の念であったり、時には苛立ちや混乱、甘えだったりするのではないでしょうか? ………やっぱり………母性……なんですよね。…………チチなのに…………」
現代日本を代表する乳揉み職人である、丁屋蝶人さん(25歳)は、照れくさそうに、そして少し、眩しそうに、そう言って笑った。
。。
「いかんっ。少し、のめりこみすぎたっ」
蝶人は我に返る。自分の思い通りに書き換えられる世界では、没頭してしまうと誰も止めることが出来ない。周りにもイエスマンばかりが発生して、自分の陶酔を加速させてしまう。今も、気づいたら、よくわからないドキュメンタリー番組の取材を受け入れてしまっていた。世界の、基本的な成り立ちから自由に書き換えられる、神のような存在が、何かに没頭してしまうと、もうその世界では歯止めが存在しないのだということを、蝶人は学んだ。
一通り、目につく美女、オッパイの触り心地が気に入った美女、心に鮮烈な印象を残した美少女などを、呼び出してはセックスをする。彼が設定を書き換えれば、全ての女性は彼に猛烈な恋愛感情を抱いて身も心も捧げてくれたし、彼がそう望めば、心と口では嫌がりつつも、体と行動で彼の思い通りに操られてくれた。あるいは純粋に、彼が時を止めるたびに、自分の服がはだけてしまったり口の中に入るべきでないものが収まっていることに気がついたりして、人目を気にしつつもパニックになる、その姿で、彼を楽しませてくれた。
この頃から、蝶人は、行った先の世界にいる、エロに恵まれていなさそうな中高生男子に、エロのおこぼれを提供したりして、その幸運な邂逅に胸をドギマギさせている男子の姿を見ては、ホッコリする、という趣味も持つようになる。
学校の全体朝礼で、全校生徒に夏休みの説明をしている美少女生徒会長が、喋っている途中で、20秒に1回、一瞬だけ、彼女の全裸が見える。生徒や先生たちは自分の目を疑って、瞼を擦ったりしているが、確かに20秒に1度、彼女が一瞬、全裸になる。本人も気づかないほどのスピードで。この、サブリミナルメッセージのような、一瞬のエロ景色の繰り返しのせいで、体を「くの字」に曲げて何かに耐えている男子生徒が続出する。手間だけで言えば、とんでもない労働だが、蝶人は額の汗を拭いながら、そんな悪戯を繰り返しては、純朴な男子生徒たちをからかってみた。暇つぶしと良い運動にはなった。
ある時は、個人の事務所を経営する、優秀な美人会計士のお姉さんの通勤を追ってみた。電車に揺られて事務所へ向かう彼女が、突如、異変に気付く。吊り輪を掴んだまま、下半身に違和感を持って見下ろすと、自分のスカートが完全にたくし上げられ、パンストは膝まで下ろされていて、ショーツの中で、自分のアソコに何かが突っ込まれていることに気がつく。顔を真っ赤にして、慌てて身だしなみを整えようとする彼女。周りの目を気にしながら、ショーツに手を入れ、その何かを抜き出してみると、それは青々としたキュウリだった。眉をひそめながら、とりあえずショーツとスカートを直して、そのキュウリを、捨て場所も見つけられずにハンドバッグのなかにしまう。パチンとハンドバッグの留め具を留めたその瞬間、またもや下半身、自分の大切な場所に違和感。見下ろすと、またショーツが棒状のモノで布地を引っ張られている。もう一本のキュウリを抜き出して、仕方なしにまた、ハンドバッグに入れる。結局、目的地の駅に着くまでに、彼女は5本のキュウリを自分のアソコから抜き取ってハンドバッグに収めることになった。まるで、自分がキュウリを生んでいるのかと、心配になったほどだ。彼女が事務所に行く前に、小さな神社内立ち寄り、そこにある河童の石像の前にお供え物(キュウリ5本)をする。理知的で聡明そうなキャリアウーマンが、河童の石像に手を合わせて、何やら熱心に祈っている姿を見て、蝶人は爆笑した。
国際的な評価を得つつある、若手美人バレリーナを、公演中に『彼女とその周囲5センチだけ』時間を止めてみる。アラベスクという片足で立ってバランスをとる、女性の体の線がとても美しく見えるポーズで静止した彼女を、手近にいた男たちを使用人に変えて自宅まで運ばせ、全裸にさせる。彫像のように止まっている全裸の彼女をバレエのポーズのまま、ターンテーブルに乗せて、気が向いたときに回転させてみる。(解放してあげるまでの)3日間は、綺麗なインテリアとして、時折眺めていた。自分の技術、表現力が伸びていく、心身ともに充実している芸術家の、最高の瞬間を切り取って、その喜びと向上心みなぎる、陶酔したような表情と、均整のとれた女体美を、酒やゲーム、あるいはアイドルとのセックスの合間に、フィギュアを愛でるかのように鑑賞した。
時間を静止させようとすると、その直前に、周囲の人々や世界の動きが、パラパラマンガのようにコマ送りになって、やがて完全に止まる。その様子を見ていると、蝶人の頭の中には、この世界がまるでパラパラマンガ、あるいは漫画やアニメの一部なのではないか、というような妄想まで浮かんでくる。そして、『この世界の基本的な成り立ち、枠組みまで設定変更出来る』という力の、限界を試してみたくなる。時間を静止させている間、手の中のダイスは熱を発する。その熱を我慢しながら、さらに強い変更を念じる。
『時間よ…………巻き戻れっ。』
ダイスがさらに熱くなり、一瞬、左手から投げ出しそうになるが、我慢して握り続ける。すると、完全に止まっていた周りの世界が、コマを逆送りし始めたかのように、パラパラと、カチャカチャと、逆行しはじめたのだった。蝶人は世界を見る。噴水の水が跳ねあがって放水口に戻っていく。子供の投げたボールが、空中で方向転換して彼の両手に帰っていく。スズメが後ろへ飛んでいく。パラパラと振り始めていた小雨が天へと上がっていく。蝶人は笑顔も驚きの表情も作ることを忘れ、ただただ、その様子を眺めていた。
最初は数秒から数分。次第に慣れてくると、数日や数週間は、蝶人のそのままの肉体でも、時間を巻き戻せるようになっていた。しかし、数ヶ月、数年、数十年と時間を巻き戻そうとすると、限界が来る。握りしめていなければならない、ダイスが熱くなりすぎるのだ。巻き戻しにくらべると、時間の進みを加速させるぶんには、ダイスはそこまで熱くはならなかった。エントロピー増大の法則。それに逆らおうとするせいか、時間を遡る方が、未来へ行くよりも、ダイスに負担がかかるようで高熱を発する。それを素手で握り続ける、蝶人の体にも、限界が来てしまうのだった。
そこで蝶人は自分の左手を、柔道10年、漁師10年、料理人10年のキャリアを持つ、頑強な男の手に変える。皮の分厚い、武骨な男の手。ダイスの発熱にはだいぶん耐えられるようになったが、見た目には少し違和感が残った。
一時は大規模になりすぎていたほどだった、蝶人の遊びが、ある日を境に、徐々に小規模になっていく。大通りで裸族たちの集団フラッシュモブと乱交パーティーだって起こせるし、時間を止めれば誰にも気づかれずに好きな人を触り、インサートし、ナカ出しして帰宅することだって出来る。それなのに、高級マンションの一室に引きこもって、一日中テレビの前のソファーに寝そべっている日すらある。テレビで再生しているのは、昔の「お宝」コンテンツだ。
マーティンSTジェームスの第21回催眠術ショーは、深夜の時間帯に移動して、女性の裸も有りの大人向け番組に変わっていた。十文字師匠が出演するバラエティ番組でも、アイドルグループがレズ乱交まで行く。戦隊モノのヒロインは、悪の怪人に洗脳され、本番行為まで子供番組で見せた上で、怪人の子供を産んでいた。どれも、蝶人が時代を遡って、本来だったら制作されるはずのなかったコンテンツを、設定を変えて作らせてきたものだ。現実の女性を(男性でも)思い通りに抱くことが出来るようになった今、蝶人がふと、思い出したように耽溺するのは、かつて渇望した「こんな続編があれば」という、当時の夢のコンテンツだった。
「・んん……………。ずっとこんなことばかりも、していられないな………。よし。…………せっかくだから、例えばこんなことが出来るかどうかも、試してみるか………」
ソファーに寝そべって、かつて求めたコンテンツのループとザッピングをしていた蝶人が、思い立ったように体を起こす。サイドボードにある、すでに自分の体の一部のようになったダイスを拾い上げ、握りしめた。分厚い皮膚の武骨な左手、相当な高温にも、耐えられるはずだ。
『…………俺………、丁屋蝶人が、一生飽きずに愛することが出来る、………完璧な、僕の要望を常に満たせる完全無欠な女性が欲しい。…………そんな彼女にこの部屋に来てもらって、そのまま一生、愛し合って添い遂げたい。』
蝶人が世界の設定を変える。蝶人はこれまでに何千人もの美女という美女を抱いてきた。そんな彼が、一生飽きずに愛し続けられる対象を入手しようとすると、世界の枠組みや成り立ちの書き換えまでが、必要なようだった。ジュッと左側で音がして、焦げ臭い匂いが漂う。ダイスの加熱は異常なレベルまで達していた。
コンコンコンッ………。
玄関のドアを、ノックする音がする。蝶人は左手に水で濡らしたハンドタオルを巻きながら、玄関まで急ぐ。
ドアを開けると、蝶人はそこに広がっている宗教画のような世界を目にした。そこにはただ、十代くらいの華奢な少女が立っているだけだった。それなのに、後光が見え、羽の生えた天使たちがラッパを吹いて戯れているところまで、見えそうな気がした。美しい。完璧な美しさは、玄妙な美の世界というよりも、何か洗練された幾何学的な正しさ、あるいは哲学的な善というものを思い起こさせるものだった。ショートカットの栗毛色の髪、広めのオデコのなだらかな丘陵。鋭角に折れ曲がった意志の強そうな眉と、カールしたマツ毛。蝶人を見通す大きな目。気高く伸びあがる鼻と、厚めでボリュームある唇。その顔が、伸びやかな手足と優美な肉付きを示す胸や尻、そして明確なクビレを持った体の上に収まっている。すべてが蝶人の好みの究極を行っていた。いや、これは彼女の存在が、蝶人の好み、嗜好を書き換えて新たに定義しているのかもしれない。
「…………………八重洲島レオナ。………16歳。…………きっと、貴方の伴侶になると思うわ………。そう、運命が方向づけられたことを感じる」
まだ16歳だというその美少女は、見たところ日本人と白人のハーフのようだった。少し気だるそうにそれだけ告げると、部屋の中へ入ってきて、ソファーへ寝そべった。まるで、自分の部屋のようにくつろいでいる。
「ミネラルウォーターはフランス製にして欲しいな………。加湿器に使う水も、ね。それ以外は、あまり贅沢は言わない。私は貴方と、一生愛し合って添い遂げるためにここに来たんだから、我儘ばっかり言っても、仕方がないものね」
淡々と事実を述べるようにそれだけ言った彼女は、一つ小さな溜息を洩らすと、両手を背中に回す。チャックを下ろして、服を脱ごうとしている。まだきちんと自己紹介も出来ていない蝶人は、何か言おうとしてムセた。呼吸をすることを、忘れていたのだ。
「……ぼっ………………僕は…………、丁屋蝶人。…………25歳………。実は、この世界の人間じゃなくて、そこにあるダイスで………」
「知ってるわ…………。ダイス、ルーム、&アナザー・ワールド。この世界の根本的な枠組みから、成り立ちから、自由に操作出来るんでしょ? …………貴方はここでは、神みたいな存在。時間も止めたり遡ったり。自然現象も起こしたり止めたり出来る。……………私は、なんっていうか、その神に捧げられた、巫女みたいなものかな? …………ま、アンタの顔、割と好みだし、別にいいんだけど………」
レオナと名乗った美少女は、当然といった表情で、蝶人の秘密を口にした。蝶人は当然の如く、硬直する。心臓を掴み取られたかのように、縮み上がった。
「なっ………なんでそのことをっ…………。君は、俺の敵かっ? ……………味方なのか?」
額に汗をかきながら、レオナを指さす蝶人。その視線をあまり気にせず、レオナはブラジャーを外していく。ショーツも脱ぎ捨てると、完全な全裸になった。
「面倒な説明が省けた方が、貴方の好みにあうと思ったら、頭の中に、知識が降りてきたの。私、貴方のすべての欲求に応えるために来たのよ。ろくな準備も出来ずに、身一つでここで暮らすために来たんだから、敵じゃぁ、ないと思うんだけど…………。ほら、つまらないやり取りは飛ばして、私のヴァージンを奪ったらどうなの? …………別に、そうしたくないなら、こだわらないけど…………。全部、貴方の好きにしたらいいの。私は全て受け入れる。貴方が、私に拒絶することを求めない限り」
レオナが両手を広げると、彼女の眩しい裸が全て露になった。蝶人はまるで重力に引っ張られるかのように彼女の裸めがけて飛び込む。ソファーに彼女を押し倒して、抱きしめ、愛撫しながら服を脱ぐ。節くれだった武骨な左手は、こんな時、器用にペッティングしながら脱衣するには、不向きなものだった。
右手でレオナの、リンゴのように丸くて、まだ固めのオッパイを触る。反発力と、皮膚の、吸いつくようなきめ細かさ。かつて乳揉み職人としてプロフェッショナル密着ドキュメンタリー番組の取材を受けた蝶人としても、その完璧さを認めざるを得なかった。いや、オッパイだけではない。ヒップソムリエの国家資格を持ち、ヴァギナ鑑定士協会の奨励賞を2度受賞した、この世界では超一流の女性の評価者である丁屋蝶人が、跪いて絶賛するしかないほど、レオナの裸は完璧で完全だった。彼女の肌から発せられる甘い香りが、蝶人の鼻腔をくすぐり、股間を熱く固くさせる。少し乱暴気味に彼女の腰を掴んで、固くなったモノを押しつける。レオナはあくまでも冷静に、それでも少し発情したような息を洩らしながら、彼のモノを受け入れようとした。破瓜の瞬間、強めに蝶人を抱きしめる。そのペニスが完全に彼女のヴァギナに入り込んだ時、蝶人は、自分という人間がついに完全に完成したというような感激を味わって、思わず目に涙を浮かべてしまった。腰を振る。レオナが可愛らしく喘ぐ。2人の下半身から湧き出る愉悦は、今までに蝶人が楽しんできたどのセックスよりも、満ち足りた、温かなものだった。性器の相性が良すぎるのだ。ぴったりとジャストフィットする2人のアソコは、まるでお互いのためにお互いを特注で仕立てさせたかのように、1ミリのズレも隙も違和感もなく、結合し、お互いに仰け反るほどの多幸感が溢れ出した。
彼女と一生。自分の身が灰や塵になるまで、彼女と添い遂げる。彼女を愛し続けられる。蝶人はそう実感すると、真の魂の安息に、全身をくるまれることが出来た。
2人同時にオルガズムに達し、ソファーの上に重なり合って脱力した。まだお互いのことをほとんど語り合っていないけれど、いずれ結婚しようと2人で決める。視線を交わし合うだけで、それくらいの意思疎通は出来た。蝶人は同時に、心の底で、小さな罪悪感を抱く。これで、元の世界へは、いっそう足が遠のくだろう。そう感じていたのだ。
。。
蝶人とレオナは、そのまま一緒に暮らし始めた。外を歩くとき、最初は手を繋いで歩いた。すると、蝶人にとっては右手をレオナと繋ぎ、左手にダイスを握りしめているので、両手が塞がってしまう。そこでレオナが蝶人の左腕に自分の腕を絡めて歩くことにした。それが2人の定位置になる。
「蝶人………私、貴方がどんな性格でこれまでどんなことしてきたか、だいたいわかるわ。別に私と一緒だからって、自分のしたいことは我慢しないようにしてね。妻のためにあれもこれも我慢、みたいな重たいのは御免だから」
レオナが平然と言ってのける。蝶人が彼女の美しいポーカーフェイスを覗き込んで、真意を確かめようとするが、彼女のアンニュイな目からは嘘や強がりなどは読み取れなかった。だから、本当に遠慮なく、道行く他人の中で、綺麗な女性を見つけたら、設定を書き換えて、裸にさせたり、触り心地を確かめさせてもらったりした。気に入れば、可愛らしいウェイトレスさんには制服をはだけさせて、オナニーしてもらいながらのフェラチオをお願いする。レオナは蝶人の席の対面に座って長い脚を組みながら、バッグから文庫本を取り出して、読み始めていた。16歳という年齢にしては難しそうな内容の本を、どうってことなさそうな表情で読みふける彼女。その完璧に美しい横顔を見ながら、ウェイトレスさんの口での奉仕を楽しむ。ずっとこんな日常が続けば、本当に満ち足りた、生涯を過ごすことが出来る。蝶人はそう、確信していた。
「レオナは、この、ダイスの力を理解しているわけだよね? ………この世界では、僕がこのダイスを握って念じれば、たいていの願いはかなう。君が欲しいものは、なんでも手に入れることが出来る。だから、遠慮しないで、なんでも言ってくれれば良いんだ」
蝶人が言っても、レオナはアンニュイな表情で、しばらく無言のままでいる。やがて口を開くと、こともなげにこういった。
「私に、特に欲しいものなんてないわ。蝶人のそばにいて、貴方を見ているだけで幸せだし、………別に自信過剰っていう訳じゃないけど、私、このままでも結構綺麗でしょ? 高い服や宝石で飾り立てたりする必要もないの。母は忙しい看護婦で、父は外国で研究している地質学者だったから、割と小さい頃から1人で暮らしてきたようなものだったの。私たち2人の生活くらいだったら、特に何を願わなくたって、私の腕で賄っていけると思うわ」
「この世界をどんなふうに変えることも出来るし、君を世界の女王にすることだって出来るとしても?」
「………………………」
レオナはまた、ポーカーフェイスで蝶人を真っ直ぐ見据えていた。
「世界には、それぞれが持っているポテンシャルみたいなものがある。そのポテンシャルを超えて、変化をさせ続けると、いつかこの世界も燃え尽きてしまうわ。だから蝶人は、ダイスを使って、大掛かりな変化を起こす時は、その限界というか、それが出来る回数のことも、意識した方が良いと思う。なんでもかんでも思いつきで「描いて(DRAWして)いると、意外と早く、世界が燃え尽きちゃうかもしれないから………」
レオナは、まるで蝶人よりもダイスの力と世界の在り方の秘密について、知っているようだった。
「世界が燃えつきる? ………そうなったら、この世界はどうなってしまうんだ?」
率直に蝶人が聞いてみると、レオナはストローをくわえて、バナナシェイクを一口飲んだあとで、平然と答えた。
「燃え尽きた後の世界って、もう、不毛な荒野しか残らないはずよ。薄暗くて肌寒い、永遠の虚無。世界を崩壊させた当人の思念だけがそこに残って、微かな記憶と飢餓感だけ持って、永遠にさまようの。………そんな世界に、どこかから部屋が現れてきたら、そのお化けみたいな思念は、むなしくドアをノックし続けるんでしょうね。その部屋がまた、消えてしまうまでずっと。………そんな、虚無の世界が、ポテンシャルを焼き尽くして崩壊した後の姿なんだってね。………私の頭に、答えとして、今、浮かんできたわ。…………ま、数十回の大変革くらいでは、燃え尽きたりしないはずだけど………。念のため………、ね」
レオナはそう言って、頬杖をついたまま、自分のこめかみを指でトントンと触れた。蝶人は無言でそれを聞いていた。
「だから、世界を塗り替えるくらい大きな設定変更をするっていう時は、本当に自分のしたいことを、突き詰めて考えてみたら良いと思うよ。………ま、私はいつも、蝶人の味方でいるけど」
そう言って、レオナから席を立ち、中腰になって蝶人にキスをしてきた。
。。。
あの時のレオナの言葉が、しばらく蝶人の頭に残っていた。彼女と出会ってから2ヶ月。ほぼ毎日、彼女と4回はセックスをする。気分転換のために、他にも美女を家に呼んで、乱交パーディーのようなこともするが、やはり単体で何度も飽きずに抱きたいのは、八重洲島レオナだった。彼女との日々は本当に申し分なく幸せだ。しかし、蝶人の頭の中には、『世界の成り立ちまで設定変更するような大変革には、出来る回数が決まっているらしい………。だとしたら、自分が本当にしたいことは何だ?』という疑問が、ふとした瞬間に舞い戻ってくるのだった。すでに、最高で完璧な女をその腕に抱いている。彼女も蝶人のことを、自分が塵になる瞬間まで愛してくれると言っている。金や不動産、そして健康には一切不安がない(その程度のことは、繰り返し要望したところで、世界の基本設定の書き換えにすら含まれないだろう)。今、蝶人が本当に求める、世界の操作とは、いったい何なのだろうか?
一つ、突き当たる回答はあったが、蝶人はその考えは脇に置いておく。時間を数年遡るだけでも、握りしめる手が溶けそうなくらいの高熱をダイスは発する。あまり無茶はしない方が、この満ち足りた生活は、安息の日々は、長く続けられるだろう………。
。。
「蝶人は、元の世界に戻ろうとは、思わないの?」
貸し切りにした超豪華客船のデッキにあるプールから体を出して、さっきまで泳ぎを楽しんでいたレオナが蝶人に呼びかける。チェアーベッドに寝そべって、カモメの声を聴きながら潮風に当たって考え事をしていた蝶人は、しばらく回答について考える。
「知ってるでしょ? 一度戻ると、もう、ここには戻れない。君を連れて行ったとしても、僕の元の世界に君が居られるのは3時間だけ…………。このことだって、君が教えてくれたよね? そんなんじゃ、帰っても意味がないんだ」
蝶人は海原いっぱいに反射する眩しい日差しに目を細めながら、それ以上に眩しく輝くレオナに返事をした。元の世界に戻らない、という選択は大きな決意を必要としたが、彼女のためなら、惜しくなかった。心残りは高齢になった母親だが、『3の目』の世界から持ち出した、合計2千万円ほどの現金を残してきた。物理的には不自由はしないはずだった。
「……………もし、貴方が、ダイスに会う前の自分に会って話せるなら、何か、言いたいことってある?」
この日のレオナは、珍しくいくつも質問をする。蝶人は丁寧に考えて、ゆっくりと答えた。
「……………うん、そうだな。…………どうでも良い情報かもしれないけれど、世界を飛び越えた人間にしか、わからないこととか、教えてあげたいな。………レオナは知ってる? どの世界にも、そこ特有の、匂いというか空気感、あるいはずっと通底してる音みたいなものがあるんだ。その世界の住人は気づかない。生まれた時から、ずっとそれが当たり前だからね。僕の元いた世界にも、それはあったんだ。他の世界に行って、戻ってきた時に気がついた。どこの世界でも、ちょっとずつ、その匂いや通低音は違う。独特なんだ」
「ほんの、一要素くらいしか違わない。ほとんど完璧にそっくりな、コピーみたいな世界でも、その匂いとか音は違うの?」
「うん………。むしろ、ほんの微妙な要素しか違わない世界でこそ、その違いが際立った気すらするよ…………。そこで思ったんだ。僕の元いた世界の全ての構成要素があって、その匂いになってる。そして、そこには僕も一部として含まれていたはずなんだ。…………そこで思った。もしも、もっと前から、そのことを知っていたら、僕はもうちょっと、自分のいた世界と、真っ直ぐ向き合えていたかも知れないのに、って。…………なんだか、大げさに考えすぎかもしれないけど。ちょっと考えちゃったね。その時は」
レオナはしばらく表情を変えずに蝶人のことを見つめていた。そして彼に何か言うかわりに、小さな微笑みを作ってターンする。彼女の泳ぎが再開される。波打った水面が、チャポンッと音を立てた。
。。
そんな会話を交わした後、何週間も、『とある思いつき』は、何度も蝶人の元へ帰ってくる。レオナの寝顔を見ながら彼女のスベスベの肌を撫でている時。海外のセレブたちを招いての大乱交の翌朝に、まだボーっとする頭で歯磨きをしている時。絶景の露天風呂につかりながら熱燗を飲みつつ、美人女将たちの奉仕を受けている時、その思いは、蝶人の意識のドアをノックする。蝶人はそんな時はふと一人になって、しばらく外を散歩して、考えごとに耽るのだった。
「レオナ。………聞いて欲しいことがある。ここのところ、ずっと考えていたことがあるんだ」
カフェのオープンテラスでくつろいでいる時に、蝶人が話しかけると、レオナは本から目を離して、蝶人の顔を覗きこむ。何も言わずに両眉だけを少し上げて、彼の話を待っている。
「…………僕の父親は、18年前の大地震で死んだ。レスキュー隊員だったんだ。その日以来、僕はなんだか、何をやっていても、結局全てが駄目になってしまうっていう、悪いイメージから逃れられなくて、真剣に努力をすることを止めてしまったと思う。子供の時、父親の死を聞かされて、その後も何日も避難所で生活している間も、余震は続いた。あの時の、ゴゴゴゴゴゴっていう世界が揺れる幻聴みたいなものは、僕が不安を感じるたびに、ずっとあとまで僕につきまとった。実は今もそうだ。………その結果なのかそれは僕の駄目さを曝け出した、きっかけに過ぎないのかはわからないけど、気がついたら、大学受験も就職も思い通りにならずに、25歳でニートをしている僕がいた。この、ダイスを手に入れるまでは、完全な人生の落伍者、いや、自分からギブアップしてドロップアウトした人間だった。………地震や、父のせいにしたつもりはなかったけれど、…………あの出来事は、それくらい自分のその後の生き方を決定づけてしまったんだと思う。あの大地震で、たくさんの人が亡くなった。…………僕はこれから、時を18年前まで遡って、地震を、なかったことにしてこようと思う」
「………………」
レオナはアンニュイな表情のまま、蝶人の話を聞いていた。きっと彼女は、蝶人が1カ月以上、このことで悩んでいたこともわかっていて、気がつかない振りをしてくれていたのだろう。
「18年分の時間逆行、自然の大災害と原発メルトダウンの発生ストップ。そして今の時間軸に戻ってくる。……………それだけこの世界の基本的な成り立ちに手を入れても、まだこの世界のポテンシャルは焼き尽くさないでおけるよね?」
蝶人が聞くと、レオナはほんの少し何かを言いかけて、その美貌を震わせた。不意に浮かんだ涙をハンカチで拭うと、またもとのアンニュイな表情に戻った。
「普通で言ったら、貴方の手は、そんな世界の大変革を処理しようとするダイスの熱に耐えられないけれど…………。もう、なにか、その対策も考えたのよね?」
レオナに返事をする代わりに、蝶人はニコッと笑ってテーブルの下から左手を出した。
「鋼鉄の手。テフロン加工もされてる。これなら持つかな?」
義手の婚約者が笑顔で答えるのを見て、レオナも少しだけ寂しそうに、笑顔を返した。
。。
『ダイスッ、ルーム、アァアアアアアンド、アナザーワールドッ。時を18年前まで遡れっ。大地震が起きる前の世界を、俺に見せてみろぉぉおっ。』
とびきり変なポーズを決めて、蝶人がダイスを握りしめる。そのまま左手で、『世界を殴った』。(レオナのいうには、こうすると効果が出やすいらしい。「世界を殴る」という表現と、なぜ殴った方が効果が出るのかは、よくわからなかったが、彼女曰く、この手の力は、殴って効果を出すことが多いのだそうだ………)
ドドドッドドドッドドッドドドドドッドッ
メキメキメキメキッ、バキバキバキバキッ
蝶人の前にパラパラマンガのように自分の姿が何千もの画として並んでいく。その画のなかで、自分がどんどん幼くなっていく。周りの世界もどんどんと風景を変えていく。いつの間にか、街の風景が随分と変わっていた。通行人のファッションが違う、携帯電話の形状が違う。蝶人は自分が一時代、違うところへやってきたことを理解した。
『DRAW(描きなおす世界)。ここで今日、起きるはずの大地震の発生を無くすことを要求する。地下プレートとさらに下にあるマントルの急活動を停止させるよう、自然現象の設定を書き換える。』
左手の周囲に陽炎が立つほど、拳が熱くなっている。握りこんでいるダイスが大変な高負荷を負って、処理をしていることが伝わってくる。まるで、本来は地下で起きている地殻変動の莫大なエネルギーを、この小さな正六面体が一つで受け止めているかのようだった。
『DRAW(引き寄せる運命)っ。18年後の世界へ戻る。世界の時を加速させるぞっ。』
時を加速させることは、そこまでの高負荷にはならないはずだが、時間の遡航と大災害の消滅にかけた負荷によって、ダイスが凄まじい熱を放つ。蝶人の左手(鋼鉄の義手)はすでに溶け始め、何本かの指が逆に曲がってシューシュ―と音を立て始めていた。義手の手の甲を突き抜けて、光を放つダイスがその手から零れ落ちそうになる。蝶人は左手をさらに『設定変更』させた。蟹だ出す泡のように、中に空気を含み、次々と新たな組織を生み出していく、新たな形状と構造に左手を変えたのだ。これで、溶岩ほどの温度にも耐えられる、手が、ダイスを再び握りしめる。大急ぎで、丁屋蝶人は時間を加速させ、何千枚ものパラパラマンガの向こう側へ跳躍する。着地した時には、蝶人は元の、カフェ、オープンテラスの前にいた。
「レオナァアアアッ。僕はやったぞぉおおっ。自分の人生を、自分で取り戻すんだ。自分の家族をっ」
着地と同時にガッツポーズをして、テラス席に座って待っているレオナを抱きしめるために、両腕を広げる。蝶人の左手を見て、レオナはクスっと微笑んだ。彼も視線を左手に送って、ようやく、彼女が笑っている理由に気がつく。あまりにも焦って手を変化させた蝶人は、誤って、左手も右手にしてしまっていたようだ。よく見ると、両手とも右手の男になってしまっていた。そんな奇怪な姿も、レオナは笑って受け止めてくれる。
けれど、その蝶人を立って迎えたレオナは、笑いながら僅かに震えていた。よくよく見ると、彼女の顔には、涙の跡がある。
「?? ……………どうした? …………レオナ」
レオナは近づいて、涙を拭ったあとの手を伸ばし、蝶人の頬に触れた。その彼女の姿は、ほんの僅かに色が薄くなっているように見える。
「蝶人。……………おめでとう………。貴方は、本当に、この世界も予期していないような、大それたことをやってのけたのよ。…………もう。貴方は、ダイスが無くっても大丈夫。私がいなくっても…………。立派に生きてけるわ」
「…………どういうことだ? ……………レオナ……。俺は、どういうことだと聞いているゥウウウウウウウッ」
絶叫する蝶人に、レオナがきちんと向き合って答える。彼女はさっきよりも、体の色合いが薄くなり、後ろの景色が透けて見えるようになっていた。
「私の父はオーストリア出身の地質学者。私の母が大地震で夫を失い、未亡人になった後で、震災の調査に来た父と母が出会い、夫を亡くした母に寄り添って暮らすうちに、お互いを愛するようになった。母は再婚の末、私を生んだの。………私は、18年前の大地震があったからこそ生まれた命。大地震が無かったことになった世界では、存在し続けることは出来ない。私の運命はさっき、根本から断たれたの」
両膝を地面につけて、呆然と話を聞く蝶人に、レオナは気丈に言い切った。
「…………けれど、蝶人。そのことを悲しまないで。私は、そもそも、この世界では存在しなかった人間になった。元からいなかった人のことを、悲しむなんて、…………おかしいでしょ?」
レオナはゆっくりと彩度を失いながら、なお蝶人に微笑みかける。蝶人は絶叫した。
「なんだとぉおぉおおおおおおおっ。…………そんなこと、俺が絶対に許さないぃぃぃいいっ。この世界を、他の世界も壊すことになっても、俺はお前を絶対に手放さないぞぉぉおおっ」
蝶人は感触が弱くなっているレオナの体を抱き寄せ、もう一度、ダイスを握りしめて絶叫する。それは断末魔の叫びのようだった。
「ダーーーーーーーーイスッ、ルーーーーーーーームッ、アンド、アナザーワーーーールドッ!!」
。。。
半地下にあるバーのドアが蹴破られるような勢いで開けられたのは、まだ開店前の時間のことだった。1人、開店準備のためにグラスを綺麗に拭いていたマスターは、激しい物音に眉をひそめる。
「…………丁屋………蝶人様でしたか? …………ご無沙汰しております。………失礼ですが、まだ開店時刻前ですので………」
「ここに、ショーデンさんがいるはずだぁああっ。あの人に、してもらわなければならないことがあるっ。あの人にはその責任があるっ。このダイスをっ。進化させてほしい。運命を失った者も、生きられる世界へ、案内してもらう必要があるっ」
細かい説明をする気はないという、蝶人の毅然とした(あるいは自棄になったような)態度。目の瞳孔が開き切っているが、その表情は覚悟に満ちていた。彼の腕には、完璧と言ってもよい美貌の少女が抱かれている。しかし彼女は、よく見ると半透明になっていた。
「……………あの方は………。ショーデン様が、いつこの店に来られるかは、誰にもわかりません。気まぐれな方ですから」
バーテンダーは答える。蝶人はしばらく無言で彼を見据えた。どうもバーテンは初見の時よりも2頭身くらい小さくなったように見える。不穏な登場シーンでは長身キャラだったはずの人が、モブキャラに変化すると頭身もシュルシュルと縮む。そんな世界の法則でも存在するかのようだった。
「ショーデンさんは、この店にいつ来るかわからない。あの人と会うのは、偶然に頼るしかない………。そう言っているのか?」
「Exactly, sir (仰るとおりでございます)
マスターは深々と頭を下げる。なぜ急に、英語で答えたのか………。蝶人はカチンときた。
「なら、このお札は何だと言うんだぁああああああっ」
レオナを置いて、カウンターを飛び越えた蝶人が、洋式のバーにしては和風の神棚に飾られた、お札を殴ろうとする。お札には『回春山・新楽地聖天』と書かれていた。その腕を、マスターの手が止める。
「何人たりとも、このカウンターを跨いではならない。この、客と店員とを分ける線のことをバーと呼ぶ。このカウンターを跨ぐものは、客ではないっ。容赦はしないぞっ。チョチョ!」
マスターは蝶人の右腕を絡めとった動作の流れのまま、蝶人の顎をもう片方の腕で打ち抜く。蝶人の奥歯が飛び、口から血が噴き出した。マスターは一切の躊躇いを見せずに、蝶人の肋骨を何本か、鋭角に入れた膝で叩き折る。狭いカウンター裏に、蝶人の体が崩れ落ちた。
溜息をついて、蝶人を抱え上げ、店の外に放り出そうとするマスター。しかし彼はそこで手を止める。ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッという背景音が、あまりにも大きくなっていることにここで気がついたのだ。
「チョチョッ…………もう、時間が無いっ。それに、貴方が死んでしまうわっ。もうやめてっ」
半透明の美少女が、両手で自分の顔を覆い、涙をこぼしながら叫ぶ。冷静沈着なマスターが、彼女と、そして自分が引きずり起こしている蝶人とを何度も見る。
「この世界に…………。何か操作をしたのですか? ………丁屋様………」
「…………う………ふっふっ…………いいぞ……………。やめないでいい……。今のままが良いんだ………。もっと僕を傷つけてくれ………。この血が………大事なんだ…………。計画に………不可欠なんだ………」
「さっきからお前は、何をしているっ? チョチョーーーーーッ!」
マスターが蝶人の襟首を掴んで壁に打ち付けると、蝶人の両手が見える。彼は尖った金具を持って、白くて小さな何かをグリグリと傷つけていた。それはいつの間にかクスね盗られた、マスターの所有物。蝶人の右手は手品師・詐欺師・スリの手となっていたのだ。
「はっ。それは、私のアイスピックっ! …………これで私を攻撃するつもりか?」
マスターが言っても、蝶人は自分の手の中の作業を止めない。一向に自分を攻撃しようとはしない、蝶人の様子を見て、マスターは冷静さを、さらに取り戻した。しかし、背景の、ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴという音は、さらにその音量を増している。すでにその振動は、マスターの体を、そしてこの世界を揺さぶっているようだ。
「チョチョは………世界を統合したの。私たちが今までいた並行世界の過去を大きく改変して、この世界と一つにすることにした。大地震が起きなかった世界を、この世界で現実とするために」
マスターは全身に脂汗をかいていた。まだクスクスと笑いながら、アイスピックで何かを彫る作業をしているチョチョを見下ろして、叱責する。
「貴方は、正気ではないっ。過去に起きた特定の大きな不幸を無かったことにするということは、逆に、それによって後に生まれた命をもキャンセルしてしまうということ。そして、それ以外の大災害で亡くなった死者を選択的に救わないということ。その場合、救世主は、死神と同義だっ。決して人間が起こして良い奇跡ではないっ」
丁屋蝶人は、笑うのをやめて、マスターを見上げた。肋骨の折れた脇腹を押さえながら、なおもゆっくりと立ち上がる。
「全ての並列世界は、各個個別に完結し、独立して並列に併存している。互いが干渉しあうことは無い。……その、基本ルールを、1つの世界で壊した。…………俺がレオナと出会った『5の目』の世界。大地震が起きなかったことになっているあの世界は、今からこの世界と統合するんだ。まるで分岐した東名高速が足柄SAあたりで合流するように………。世界は統合される。統合時には、震災が無かった方の事実が生かされるように、設定しておいたぞ。その時、この世界で、震災で亡くなった人たちは生きていることになる。俺の父も生きている。俺の家族は幸せを取り戻す。俺は捻くれた卑屈な世捨て人ではなく、日の当たるところで堂々と生きていることになるはずだ」
「世界を………統合だとぉぉおおおおっ」
今度は、マスターが汗にまみれて絶叫する。マスターの動揺を超えて、バーは大きく揺れていた。
「それで、貴方たちはどうなるのかしら? チョチョ」
太い声が聞こえて、蝶人は振り返る。そして笑った。『男女共用』の札が掲げられたトイレのドアを開けて、そこに立っていたのは、アフロヘアーのオカマオジサンだった。ブフーッ、と溜息をつきながら、トイレから歩いて出てくる。
「そこのお嬢さんは、『5の目』の世界から連れてきたのよね? 彼女は運命も断ち切られていて、この世界であっても3時間以内に消滅する。そして貴方。チョチョも、今のまま存在することは出来ないわよね? 貴方が私と会ってダイスを得たのは、引きこもりのニートとして、夜、街を徘徊していたから。この世界が大震災のなかった世界になり、貴方が円満な家庭で真っ直ぐ育っていたなら、今の貴方と、奇妙な冒険の記憶は消滅する。貴方たち2人が、今のまま、2人で生きていける世界は、…………もうどこにも無いのよ」
悲しそうな感情を押し殺して話す、太い声をした小太りのオカマに、立ち上がったチョチョが、左手に持っているモノを見せた。
「だから、ここに来たんです。僕は、神様に、人間の、クズみたいな人間の、起こす奇跡を、見てもらいたかった。僕はレオナを離さない。今のまま、別世界で、2人で生き伸びる。そのための、覚悟がこれだぁあああああっ」
もう絶叫してなければ、誰の声も聞こえないほど、ゴゴゴゴゴという世界のいななきが大きくなっていた。そんななかで、チョチョが突き出した左手には、白いダイスが置かれていた。『1の目』の大きな赤丸の周りに、アイスピックでつけられた、6つの小さな傷。そこにチョチョの赤黒い血がためられ、まるでその面は『1の目』ではなく、『7の目』になったように見えていた。
「チョチョッ…………それはぁあああっ。神のダイスを、人間が変えるというのか?」
「勝ったのは、…………オレです! たっぷり!」
「アンタ、…………マジ? …………やるじゃん………」
「チョチョォォオオ、私が、消えていくっ。最後に抱いてっ」
各人の声が交錯する中、丁屋蝶人はほとんど消えかけている婚約者の手を奪い取るように掴み、さっき小太りのオカマが出てきたばかりのトイレへ、レオナと2人で飛び込む。すれ違う時に、チョチョとショーデンさんは、コンマ1秒ほど、視線を交わし合った。
チョチョが乱暴に、叩きつけるようにドアを閉めると、そのトイレは、閉鎖空間となる。その隙間から、一瞬だけ、七色の光が差す。追いかけたマスターがドアを開いた時、そこには誰もいない、空っぽのトイレがあるだけだった。
「行ってしまった………のでしょうか? …………………はた迷惑な…………」
マスターが、やや冷静さを取り戻して、ショーデンさんに問いかける。すでに世界の振動や止んでいた。
「…………多分ね。………『7の目』の世界のことなんて、アタシにだって、よくわからないけど、たぶん、行っちゃったわね。そして、あのダイスから『1の目』の面が無くなった、っていうことは、アイツがこの世界に戻ってくることは、未来永劫無い。彼は、この世界からは永遠に消滅したの」
ショーデンさんは、寂しそうに言った。
「………………賭けは………、やはり、貴方の勝ちとなりましたね? …………聖天様」
マスターも、感慨深げに話す。アフロヘアーのオカマは、僅かに首を振った。
「あの、引きこもりの駄目ニートのせいで、この世界は、東海道超震災が無かった世界になった。百万人の奪われたはずの命が、ここで息づく。浜岡原発のメルトダウンも、東京の西半分が使えなくなったことも、事実では無くなる。…………そして、きっとアイツは、他の並行世界で、他の天変地異や不幸な大事故をも、一つ一つ、無かったことにしていくはずよ。さっき、アイツの目は、そう言っていた。………この世界はこの世界で、他にも無限にある悲しい事件や災害の犠牲を、心から悼みつつ皆で乗り越えていくしかないのだけれど、少なくともこの多元宇宙のどこかには、チョチョのおかげで皆が助かった世界があり、そこで皆が平和に生きている………はず。そう思うと、………アイツにしては、よくやってると思うわ」
「そんなことをしでかすような青年には、まったく見えませんでした………」
乱れたスーツを整え直しながら、マスターはしかめっ面を作る。ショーデンさんも肩をすくめた。
「人間の中にも多元宇宙はある。キモく倒錯した妄想を脳内で炸裂させながらも、平然と善行を積む人間だっている。気恥ずかしいくらいの倫理観を保ったまま、清々しいくらい変態的な趣味も楽しめる人間もいる。アタシは割と、そういうオトコを見てきたわよ」
太ったオカマは、キモいウインクをしてみせた。
「………では、賭けは彼の勝ちで?」
ブフーッと大きな溜息が吐かれる。
「ドローで良いんじゃない? ………丁屋蝶人は私の予言通り、この世界を後にして、二度と戻ってこない。しかし彼の血統は、彼の気高き魂と勇気、覚悟は、アタシの心を揺さぶって、貴方の記憶に刻み込まれた。彼の生きた証は永遠にこの世界を生きる。ドローとしましょう」
悲しみと、諦念と笑いの入り混じったような表情で、そう呟いたオカマ。濃い顔のマスターは仕事時に見せる、いつもの無表情となって、カウンターの内側に行くと、立ち飲み席の前の2人分くらいのスペースに『予約』と書かれた札を2つ並べて、立ったままのオカマに目礼をした。
DRAW 非MC小説
The End ドッギャーーーーーーーーーーンッ!!
<おわり>
チョチョの奇妙な冒険
永慶先生もたっぷり楽しまれて
私もたっぷり楽しませていただきました。
DR A Wの語呂もピタリと合いました。
ところで、そろそろ平和ボケで退屈を持て余したティナさんがダニーボーイになんかぼやいている気がします。
様子を見に行ってくださると助かります。よろしくお願いいたします。
繰り返す。これはMC小説ではない。
そこに痺れる、憧れる!
本家ジョジョに通じる美しい人間讃歌ですね~
「人間の中にも多元宇宙はある。キモく倒錯した妄想を脳内で炸裂させながらも、平然と善行を積む人間だっている。気恥ずかしいくらいの倫理観を保ったまま、清々しいくらい変態的な趣味も楽しめる人間もいる。アタシは割と、そういうオトコを見てきたわよ」
感動で目から汗が、未満や弱さの誘惑にめげず他を尊ぶ美しい人間愛あるいは優しさと呼ばれるものの本質だと思います。
オカマさんの観察力、分析力何より貫禄にが胸に染みてジョジョを読むような爽やかさを感じます。
連載20年以上のレガシーが作品をより豊かに楽しくしてくれるようで、長年の努力は作者と読者の糧になりより高みに導くようで嬉しいですね。
次回作も楽しみです。
読ませていただきましたでよ~。
随所に散りばめられるジョジョネタにニヨニヨしながら読んでたんでぅけれど、スタンド(そばで立たせるもの)でだめでしたw
笑い転げてしまったのでぅ。立たせるものってw
それはそれとして、3の世界も4の世界も5の世界も素晴らしい。数が増えるごとにやれる増えて、その極みである八重洲島さんがホントいい。
可愛いし、設定変えて遊ぶことに肯定的だし、すべてを受け入れてくれるとかオタの理想の極みでぅね。
そしてそんな彼女があんなことに・・・
まさかパラレルワールドからタイムパラドックスに発展してそれを超越するとは・・・ものすごい展開にびっくりでぅ。
みゃふだったら5の世界から戻ってこれないでぅね。いや、そもそも4の世界からも戻ってこれないか。3の世界は自動的に戻されるから戻ってきちゃうけど。
そして肉体操作は助かりました。MC小説ではないと言いながらもところどころに混ざってるMC要素流石でぅ。
冬はこれで終わりとのことなので、夏を楽しみにしていますでよ~。
であ。
それがねねずみのへやかべにもあてない迷路のねずみのしっぽが切れちゃってまだできないとあきらめてるそれを薄のそれよりそれにしてください。