氷河期の微熱 ~氷壁の向こう側~

 653。これまで株式会社・山瀬性交が行ってきた審査の数である。33。今までに当社が採用した、レディースタッフの数だ。就職活動中の学生は、企業がブランド大学を中心に採用しようとすると、ほとんどの場合、不満を募らせる。そのわりに彼らは、自分達の就職先にはブランド企業を求めるのだから、勝手なものだ。加賀山信夫は、口には出さずにぼやいた。うちみたいな、独自の技術を確立している、成長企業でも、少数精鋭の中小企業となると敬遠されがちだ。行くんなら、大企業か・・・。今頃人事は、どこも大変だろう。うちはもともと、特殊なリクルートしてるからいいのだが。
 オフィス街の一角にある、「山瀬精工」のビルの中。加賀山の仕事場である、MCD管制室は、一見しただけだと、警備員が詰める、ビルの管理室に見えるかもしれない。加賀山と、主任の二人の前には、小さなテレビ画面が並んでいて、監視カメラのモニターのような印象を与えるからだ。実際のところ、ここは、各地に設置されたレディースタッフ・リクルート装置の様子をチェックする部屋だ。ここで働く加賀山は、山瀬性交の人事部に所属する、テクニカルリクルート部の副課長だ。彼が若くしてこのポストにいるという事実が、山瀬性交の徹底した能力主義ぶりを物語っているといえる。もっとも、この課には、横で仕事をしている川尻課長と研修中の新人、池上あずさしかいないのだが。
 加賀山は両手を上にあげ、大きく伸びをすると、勢いよく、首を左右に曲げた。気持ちよいほどはっきりと、首がコキッ、コキッ、と鳴る。だるい。今日もボウズだ。どの装置にも、目を引くような獲物は来ていない。もう夕方が近い、早目に切り上げたいところだ。
「課長、今日はドラゴンズ、誰が先発っすかね?」
「う~ん、誰だろうね。中4日で山本かな。」
「山本ですかねえ・・・勝てますかね?」
「う~ん・・・。」
 反応が鈍い。いつも、野球の話には跳び付いてくるのに・・・。チラリと、右側にいる川尻課長に目を向けると、真剣な眼差しで、一つの画面を見つめ続けている。
「なんか、ヒットしました?」
「ふむ。・・・なんか、じゃない。これは大物だよ、加賀山君。」
 車輪付きではあるが、上等な椅子から立ち上がり、加賀山は川尻の斜め後ろに歩み寄って、上から覗き込む。川尻が身を乗り出して見入っている画面の中から、グレイのリクルートスーツに身を包んだ若い女性がこちらを見ている。目が合うのだが、彼女は見られていることに気づかないで、髪を整えている。
「どこの装置ですか?」
「小野寺ビルの横に設置されている、コクーン2だ。識別ナンバーはBH-08。なかなかの上玉だとは思わないかい?」
「課長、ホントに好きですねえ~、いかにも美人ってなタイプが。」
「いやあ、その中でも、この娘は特にいい。是非とも、いっときたいね。」
「でしたら、作動させちゃっていいんじゃないですか?」
「もう、作動させてるよ。第一段階、音声によるメッセージ挿入で、意識下に働きかけている。コクーン2のオート・モディフィケーションで十分な効果があると思うよ。この画像を大画面に写すよ。」
 課長は、好みのタイプとなると、行動が早い。まあ、コクーン2なら問題なく彼女を陥落させることが出来るだろう。部屋の左側の大画面の前に移り、キーボードを叩き始めた課長のアシストをする準備をしながら、加賀山は考えた。
 創業者の山瀬征一は、特定の分野で天才的な能力を見せる人間にありがちな、個性的な思考とファンタジー、粘着質の頑固さを持っていたようだ。彼がサブリミナルメッセージによる操作を、精神分析と平行して行うディヴァイスの原型を作ったのは、もう十年近くも前になる。当時、顕在意識の感知できない情報は、潜在意識に働きかけることはあっても、その効果は微々たるものであるとされていた。むしろ、顕在意識に対して繰り返し働きかけた方がまだ、人間の認識や行動形態を少しずつ変化させる効果があると考えられていたほどだ。ところが、電子工学と大脳生理学とを同時に、しかも高度に研究していた、いわゆる変人だった山瀬は、人間の潜在意識の、個人差と精神構造や精神状態による変容性に着目。不特定多数の人間に対しての一元的サブリミナル・メッセージによる働きかけに、いち早く見切りをつけた。不特定多数の中からピックアップされた標的一人に対して、その人間独自の感知可能な情報のレベル、個人的な潜在意識の感受性を分析した上で一番その標的が反応しやすいレベルに調節した情報でもって操作を行うという方向に、研究を転換したのである。結果、驚くほどの成果が上がった。個人的な潜在意識の感受性を分析すれば、ほとんどの人間に対して、理性のフィルターを通り抜けての情報伝達が可能であるということが、在野の一研究者である、山瀬によって確認されたのだ。こうして、学会も財界も、社会全体のあずかり知らぬ所で、サブリミナルメッセージによるマインド・コントロール装置の原型であるMCD-01、通称「じゃじゃ馬ならし」は完成された。
 その技術を発展させ、山瀬性交という、研究及び精神制御による女性の各種サーヴィスを行う組織を作り上げた山瀬は、「山瀬精工」という会社法人として、精密機械の開発、製造等を行っているという外見を作り出した。このような組織を成長させるにあたって、慎重に慎重を期したのは、山瀬の性格にもよるものであったが、正しい方針だったと言えよう。十年後の今も、社の方針に従って、レディースタッフ獲得においても、獲物がかかるのをじっと待たなくてはならないということは、加賀山にとっては多少はがゆくもあったが。
 そのようにして開発された様々な洗脳装置の中でも、「コクーン・シリーズ」は、随一の信頼性と、柔軟性を持った自動洗脳プログラムを誇っている。「ブルーラグーン・シリーズ」にも、「時計仕掛けのオレンジ・シリーズ」にもなかった、バランスのとれたチューニング・システムも魅力だ。加賀山には装置の着眼点自体も上手いものに思える。例えば突然、標的の頭に電極を取り付ければ、脳波の分析ができるために、効率よくチューニングは出来るだろうが、標的は当然抵抗するだろう。公共の電波等にサブリミナル・メッセージを流せば、必ず発覚する。その点、スピード写真機という、公共の場と個人の空間のバランスのとれていて、精密機械の存在も怪しまれない状況を選んだ発想は、この組織の計画性と慎重さを物語っている。
 大画面に映る、写真を撮ろうとしている女の子の画像は、数キロ派離れた場所に設置されてある、スピード写真機型洗脳装置、コクーン2の画面に映っている画像と同じものだ。今頃、機械音に混ぜた、サブリミナル・メッセージが、彼女の写真機の中の環境に対する親近感と、通常の自分の写真にたいする違和感を増幅させているはずだ。彼女が意識を集中させるであろう、画面にも、ギリギリ感知出来ない程度に文章を挿入する準備を行っている。
「目のあたりを拡大してくれ。画面に映る顕在意識下情報に対する、彼女の反応の度合いを、こちらでも確認、分析したい。」
 いつもの、ややハスキーな声で、課長が言う。これは相当な入れ込みようだ。コクーン2に任せて、じっくり様子を見るのが、通常のプロセスのはずだ。彼女の反応度と被暗示性ぐらい、全て勝手にプログラムが判断する。こっちでまでそんなことチェックしなくたって・・・。よっぽど課長に気に入られたらしい、この娘は。まあ、確かに綺麗だ。涼しげな目元と高い鼻筋、ちょっと前の女優タイプの美女といったところか。彼女は今、自分の顔を見てるはずなんで、丁度この画面は、マジックミラーみたいな効果になっている。こういう美女の顔をじっくり拝むには、一番贅沢な覗きの形と言えるかもしれない。
 フラッシュが焚かれた。暗い小部屋の中での、注視していた画面の近くからの、光という刺激とともに、いくつかの文章が彼女の目に、気づかれないままに映ったであろう。そろそろ彼女の反応、被暗示性などが、数値になって出てくるはずだ。
「池上君、今の時点で割り出されてる、被写体の反応のデータを印刷するから、コピーとって来て。」
 加賀山は、首を伸ばして、MCD管制室の入り口付近の戸棚の前で、書類の整理をしていた、あずさに声をかけた。
「はい、かしこまりました。」
 あずさが、プリントを受け取りに、小走りでやって来た。パッチリした目がチャーミングな、グラマーで可愛らしい新人だ。加賀山は彼女の教育係も兼ねているのだ。
「記録用と報告用で2枚ね。すぐだ。」
「はい。失礼します。」
 小走りで進みかけたあずさだったが、川尻課長がキーボードを叩くと、少し立ち止まり、再びコピー室へと向かった。加賀山は、すぐに事態を把握した。課長が、顕在意識では知覚出来ない音で、彼女に悪戯をしたのだろう。レディースタッフ一人一人の脳波や、メッセージにフィルターなしで反応してしまう音域、表示の反復スピードなどは、全てそれぞれの部屋のメインコンピュータにも記憶されている。この部屋の高性能アンプから、気づかれないように、何かの指令を与えたのだろう。造作もないことだ。
 大画面を見てみると、女の子は肩の高さを調節したり、あごを出したり引いたりして、試行錯誤をしている。2枚目を撮るつもりだろう。コクーン2のプログラムは、順調に機能していると見てよいだろう。こちらを見ているような彼女に、軽く手を振って口笛を吹いてみるが、当然反応はない。
 二度目のフラッシュが焚かれた後、あずさが戻ってきた。行く時は小走りだったのに、不自然なほど狭い歩幅で、膝から下だけ動かして歩くようにしてこちらに向かってくる。やはり、課長が何かしたんだろう。
「何で手ぶらなんだい?コピーはどうした?」
「はい、ここです。」
 あずさが加賀山に背を向けて、頭を下げながらスカートをまくりあげると、コピーが尻に挟まれていた。ストライプのパンティーは膝まで下ろしてある。歩きにくい訳だ。
「バカか君は。大切な書類で何てことしてるんだ!」
 少しサドの気がある加賀山が、わざと怒鳴ると、あずさは突然自分のしていることを理解したかのように跳ね上がった。
「す、すいません!あ・・・あの、コピー取り直して参ります。」
 コピーを手にとり、首筋まで真っ赤になって、狼狽しながらこの場から走り出そうとする。パンティーが膝まで降りたままなので、前のめりに転んでしまった。スカートがめくれ、またも、丸味を帯びたもち肌の尻が、丸出しになってしまう。課長を見てみると、加賀山とあずさには背を向けて作業しているようだが、肩の揺れから、笑っていることが分かる。
「もう、いい。そのコピーを渡しなさい。二度目のシャッターが下りてるんだ。この新しいデータのコピーの方をとって来るんだ。」
「は、はい。御免なさい。あの、私・・・」
「早く行って来い。今度、悪ふざけをしたら許さんぞ。」
「はいぃ!」
 大慌てで駆け出すあずさだったが、加賀山のフリを理解した川尻課長が、またもキーボードをいじると、彼女は一旦立ち止まったあと、管制室から走り去った。新人レディースタッフは、そして中でもこの春入社した、可愛いいのだがトロいタイプのあずさは、男性社員の福利厚生としての各種サーヴィス以外の日常勤務でも、よくこうした悪戯をされるのだ。それにしても、課長も妻子もある、いい年のおっさんなのに、ちょっとした悪戯が好きである。画面の中の女の子には結構本気のようだが。
 あずさが管制室に入ってきた時点で、今回出されたメッセージはよく分かった。加賀山も一目見て吹き出したが、そのまんまだ、と思い直して、首を小さく横に振る。今度はあずさは、上半身裸になって、豊満なバストの谷間にコピーを挟んで歩いてくる。両肘でやや胸を寄せて、真顔で近づいてくる彼女に、どうリアクションをとってやるか、急いで考えなくては。
「副課長、コピーをお持ち・・・」
「ふざけるな!」
 あずさが言い終えるのを待たずに、思いっきり彼女の左の乳房を鷲掴みにする。
「痛い! キャーッ エッチ!」
「エッチも何もあるか!お前はさっきから何してんだ!」
「あ、・・・これは、あの、えっと、こうしろって言われたような気が・・しまして・・・その・・」
 コピーで胸を隠しながら、彼女がしどろもどろに弁明する。
「仕事場で、そんな破廉恥な格好しろだなんて、誰も言ってないだろう。百歩譲ってそう言われたとして、お前はハイハイと何でも従うのか? おしっこしろと言われたらするのか?」
「い、いえ、しません。・・・すいません。私の勘違いでし・・・え、あ、あれ?」
 許しを乞うような目が、一瞬、真ん丸になり涙が滲み出した。見る間に、茹でたように真っ赤だったあずさの顔が青ざめた。ジョジョ~という不吉な音とともに、彼女の足元の絨毯にシミが出来始めているではないか。正直、川尻課長がここまでやるとは、加賀山も思っていなかった。
「ウゥ・・・私、びょ、病気なんだと思います。医務室に行って参ります」
 凄まじい勢いで、あずさが部屋から逃げ出そうとする。
「まあ、ゆっくりしてきてもいい。だが、後でまた、話がある。」
「はい、かしこまりました。失礼します。」
 目を合わせないように伏せたまま、こちらを振り返って一礼すると、文字通り管制室から飛び出していった。
「居残りで、説教かなあ、慰めかなあ。どっちにしても最後にはヤルんだろ?若いっていいねえ。」
 課長は、大画面から目を離さずに話し掛けてくる。
「課長がお膳立てしたんじゃないですか。それにしても、今日のはちょっと、シャレがきつすぎるんじゃ・・・。」
「しぃっ! この娘の変身の、ハイライトが始まる。」
 三回目のフラッシュが済んでいたようだ。おぉ、もう第一ボタンが外れてる!予想よりかなり早い。相当コクーン2のチューニングが上手くいったようだ。こうなると、あずさのことよりも、メッセージの影響を受け始めた娘の方に興味が移ってしまう。あずさもまぁ、もともとが、一日の大半を、変化のない画面との睨めっこに費やす、テクニカル・リクルーターの退屈しのぎにあてがわれている存在でもあるのだから、どう遊ばれてもしょうがない。研修といったって、彼女の本業には若さは重要なのだから、あと数ヶ月後には、他の課に移ることになるだろう。今のうちに、遠慮なく楽しんでおくべき存在だ。おそらく、課長のやり方は正しいんだろう。
 画面の中の彼女は、じっくりと品定めしている二人の男の視線に気づくはずもなく、みるみるうちに、全裸になった。今日すべき洗脳は、最終段階に入ったようだ。加賀山は美女の発情ストリップを堪能して、とりあえず満腹になった。しかし、課長はどうも、そうではないらしい。立ち上がって、手早く外回りの準備を始めた。加賀山は慌てる。
 「課長、初日に無理に洗脳を完了させる気じゃないですよね。あせらなくったって、この段階まで来たら、彼女は我慢できなくって、明日も来ますよ。」
 「彼女は我慢できなくても、誰かが引き止めてしまう可能性はまだ少しだが残る。君にも分かるだろう。この顔、このプロポーション、逸材だよ。・・・大丈夫、さっきからずっと彼女の被暗示性と潜在意識の反応のよさをここでチェックしてきたんだ。私が行って、コクーン2を調節する。彼女は今日リクルートする。」
 二十近く年の離れた上司に、ここまで言い切られると、反論は出来ない。まあ、確かに課長の腕なら、上手くやるだろう。
「分かりましたよ。僕はここで見てますんで、彼女のリクルートを完了させてください。ただ、オーディオ・プリーチャーいじる時にはホント気をつけてくださいね。課長も変身してたんじゃ、シャレにならないっすから。」
「大丈夫さ、じゃあ、行ってくるよ。彼女と一緒に戻ってくるから、実技試験の内容でも考えててくれ。」
「うい~っす。」
 加賀山は、整備用の上着を羽織りながら、外回り用のワゴンのある地下駐車場へと走り出した課長を、横目で見送った後、大画面を見ながら、車輪のついた椅子を少し後ろに蹴りだし、大きく伸びをした。
 そういえば、課長って、タイプの娘の前では、やたらと無愛想になるんだったな。まあ、じっくり拝見させてもらおう。この娘の試験は・・・まあ手っ取り早く、あずさとパイずり競争でもさせてもいいかな、技術開発部から2,3人男呼んで、役員面接までには色んなプレイのテクを叩き込んで・・・それじゃあ課長が納得しないか?あぁ、あと今日、実技の合格だすなら、脳波計測もやっとかないといけないか。面倒くさいな。研修合宿組むんだったら、今から四方に連絡しなければ・・・。まあ、しばらくはあずさと一緒にここに置いてバイトって形で研修させて、その後は営業補助要員といったところか。そうだ、課長をこれだけののめり込ませたんだから、おやじを元気にさせる才能があるかも、だったらまあ、インポテンツ医療の方の主力スタッフ候補かな。
 お、課長が着いたみたいだ。この後、どうするんだ? 課長、画面から、この娘の名前をこっちに伝えてくれないもんかな。加賀山がぼおっとしながら見守るなか、就職活動中だったはずの美女の変身が、完了されようとしていた。

< 終 >

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