ブラック企業はやめられない プロローグ

プロローグ

 アメリカでは、ゾンビ映画が人気らしい。映画好きに言わせると、ずいぶん前からそうらしいが、とにかく映画でもドラマでもゲームでも、ハロウィンの仮装でも、ゾンビが人気トップクラスだそうだ。考えてみると、ヨーロッパや日本と比較して、米国にはゾンビが受け入れられる土壌があるのかもしれない(土葬にかけているのではない)。ホラー映画のキャラクターとして、歴史的由来や家系、出自にこだわらない。どんな人種でも平等にゾンビになる資格がある。数で勝負するところなんかも、民主主義的だ。

 一方で日本では、火葬の習慣が根づいているため、ゾンビを現実的に恐れている人は少ないし、腐った死体なんていう存在自体、恐ろしく馴染みがない。だからゾンビものは、あまり流行らない、と言われてきた。それでも最近は若者の仮装行列などにゾンビが人気キャラクターになりつつあると言う。アメリカの影響? もちろんそれもあるだろう。しかし、深見幸輝には独自の仮説がある。日本にだって、ゾンビを身近に感じさせる存在が、実はあった、という説だ。それが、ブラック企業の社畜。つまり彼のことだ。

 始発電車を目指して、徹夜明けの社畜たちが駅に、ゾロゾロ、ノソノソと群がる。全員、顔色が悪くて、動きは緩慢。目は死んでいる。近づくと臭い。たとえ病気や怪我を負っても、会社には這ってでもやって来る。脳を潰せば動きは止まる(これは誰でもそうか)。社畜に囲まれると貴方も社畜にされる。下請け業者やコンビニ店員には噛みついてくる。体に染みついた記憶を頼りに、無感情に、通勤だけしてくる。エレベーターの中に押し寄せる。それがワーキングデッド。つまり彼のことだ。

 深見幸輝が最後に休みを取ったのは先月13日のことだから、今日で46連勤目。会社の通用口にいる守衛さんは、いつも夜勤の高原さんというオジイサンに挨拶をする。日勤の守衛さんは屈強な若者なのだが、彼に挨拶をして退社したという記憶はほとんどない。いつもお疲れさんと、一声かけてくれるのは、夜勤の高原ジイさんだった。家に3時間だけ寝に帰ることも考えたが、電車で寝落ちして乗り過ごして、山梨県まで行ってしまったトラウマがあるので、今日もシャワー付きのネットカフェで仮眠だけ取って、職場に戻ることにした。

 入社4年目にして、初めて開発関係の仕事に就いた。接するプログラマー(本職の人たちはプログラマ、で止めるらしい)やエンジニアの人たちは夜行性の人種も多いので、どうしても仕事は不規則になる。おまけに3ヶ月前まで営業にいた幸輝が、仕事を引き継いだはずの後輩が「飛んで」しまったので、日中は昔の仕事の穴埋めまでさせられている。このまま仕事が佳境になると一体どうなるのか、考えるだけで幸輝まで「飛び」そうになるので、目の前のこと以外は、考えないようにしている。思考停止。それがワーキングデッド、つまり彼の習性だ。

 ネットカフェで時間制限付きのシャワーを浴びて、缶ビールを開けて、少し寝ようとする。…神経が過敏になっているせいか、まったく眠れない。PCをつけると、暗いブースが青い光で照らされる。深海の底に光が差しているみたいだった。エロ動画を見る気にもならなかったので、幸輝は久しぶりにフリーメールの受信ボックスをチェックすることにした。

「あー。僕………、きてるねー。これ、就活とかに使ってた、学生時代のアカウントじゃん」

 独り言が出る。今、LINEとリンクして使っているMicrosoftのアカウントではなくて、間違って古いHotmailのアカウントにログインしてしまった自分に気がつく。迷惑メール、広告メールの山。全部一気にゴミ箱に捨てる。少しだけ、気分がスッとした。

 アドレス帳を見てみる。学生時代の友達のリストが並んでいて、懐かしい。でも今、コンタクトを保っている友人はほとんどいないことに気がつく。ブラック企業に勤めていると、休みがなかったり、残業が切り上げられなかったり、職場以外の人間関係以外がほとんど無くなってしまう。仲が良かった友達の名前を見ていると、寂しくなるので、幸輝は逆に、「こいつ誰だっけ?」というような、印象の薄い名前の方を探してみることにした。

「…………晋平………。アドレスはシンニィ、ドット、ジェーピー。…………誰だこいつ?」

 口の中で晋平、晋平………と呟いてみる。…………不意に、冬でも変なTシャツを着ている、天然パーマのデブの姿が脳裏に浮かんだ。

「あっ………晋平って、あの、ニートになった………。あぁ~、そう言えば、いた、いたっ」

 妹尾晋平は理系。深見幸輝は文系だったが、大学1年の一般教養では同じ講義を受けていた。「ヘルレイザー」のTシャツを着て、女子たちに怖がられながら、講義室の端っこで声優雑誌を読んでいた彼に、幸輝はネタづくりくらいのつもりで話しかけたのだった。ホラー映画が好きだった幸輝の知識を、遥かに凌駕する雑学を持っていた晋平に驚いた幸輝は、同じ講義がある時に、何回か話をした。メールアドレスを交換して、次に見るべきホラー映画のアドバイスをもらった。その後、晋平は大学に来なくなり、ニートになって、それっきり。心配した幸輝が送ったメールに、晋平は、「俺、働いたら負けだと思ってるから、大丈夫」と返してきた。最後まで、自分の世界を強固に構築して揺るがないオタク野郎だった。

「あいつ今、何してんのかな? …………って、ニートか………」

 幸輝は興味本位で、晋平にメールを送ってみることにした。ホワイト企業に勤めてリア充している友人にメールを送るよりも、自分の精神が安定しそうな気がしたのだ。我ながら捻じ曲がった考えだと幸輝は思ったが、それだけ彼も追いつめられているのだろう。

『シンペイ君、元気? 大学時代にホラー映画の話とかちょっとした、深見幸輝です。社会心理学概論の講義で一緒だった………。覚えてないかな? 前に君から、働いたら負けだと思ってるって言われたけど、今、ちょっとわかります。君、頭良かったんだね。急にメールして、すみません。ふと思い出したので………。ではまた。』

 よくわからないメールだけど、久しぶりに業務以外のメールを書いたので、少し気持ちが和んだ。幸輝はわずかに躊躇した後で、思い切って送信ボタンをクリックする。ほぼ同時にメールが返ってきたので、送信不能だったのかと思った。しかし、それは返信メールだった。

『深見幸輝。経済学部で岸本ゼミ出て、究文堂出版に就職したんじゃなかったか? 出版っていう社名からマスコミとかクリエイティブ関係の派手な世界を想像して、入ってみたらインチキな英語学習キットとか速読、記憶法のキットとか営業で売って回るだけの仕事でガッカリ。でも上司が怖くて辞められない。ガンガン働かされて転職先探す暇も元気も無くしてる間に、4年が経ってしまって絶望中とか、そんな感じ?』

 幸輝はあまりの衝撃に、フルフラットになっているブースの扉に後頭部をガンッとぶつけてしまった。今、午前4時12分だ。起きていて、メールを見ているだけでも驚きなのに、送信とほぼ同時に、なんでこんな長文が返せるのだろう。そしてその長文の中身が全て正確無比に幸輝の現状を言い当てていた。

『シンペイ、起きてたんだ。何? この鬼のような分析。あと、どうやってタイピングしているの?』

 送信する。ほぼ同時というか、送信より一瞬早く、返信が来た。

『俺は2年前、肉体という制約を取り払って、ニートという概念そのものに自分を昇華させたんだ。今は概念が直接、端子に繋がっている状態でネットにアクセスしている。世界中のネオ・ニートたちと思考と嗜好を共有しながら、同時に世界の複数の場所に存在している。わかるかな? 幸輝。ネットは広大だ。そして、俺は今、なかなか忙しい。要件があるなら、早く言ってくれると助かる。』

『が……概念になったんだ。………凄いな。………僕はお察しの通り、まだ究文堂出版で社畜やってるよ。といっても、落ちこぼれもいいとこ。営業を4年やってて、成績悪いって言われて、今年、急に開発の仕事。スピードラーニングのCD作れって言われても、ド素人だから、開発進捗管理にも凄く時間かかってさ。それで』

 途中まで打っていて、画面が返信メールに切り替わる。もはや、送信ボタンに手をかけてすらいなかったのに、返信は届いていた。

『時間をかける必要はない。お前自身がド素人ってわかっているように、会社が本物の深層意識学習用のプログラムを組み立てるつもりなら、素人や三流プログラマなんかに任せない。お前の会社は単なるインチキ商品を、頭の弱い消費者や、営業の女の子とイチャつきたいだけの得意先に売りつけているだけだ。お前のド残業は、会社としては毎回きちんとプログラムを組んで、社員が新商品を作っていたので、効果についても信じている。っていう言い訳を作るためだけの、無意味なものだ。お前の仕事は仕事ですらない。ただの苦役だ。アウトプットがない。世の中を良くしてもいない。誰かを喜ばせてもいない。ただ、苦役に耐えたので、お給料くださいって言っているだけだ。言ったろ? 働いたら負けだって。俺は忙しい。同志たちと別次元にローティーンアイドルの素晴らしさを説明するPVを製作中なんだ。』

「うおっ。また凄い長文。………えっと、い、そ、が、し、い、と、こ、ろ、ご、め、ん」

 キーボードを叩いて、変換キーを押そうとした瞬間に、画面が数字やアルファベット、漢字がランダムに溢れた。

「うわっ………。バグった!」

 幸輝が慌ててキーボードから手を離す。数字、アルファベット、漢字の羅列は一瞬にして中央に集まり、立体的な球のような形になる。やがて、文字の集合が、いつの間にか、顔のかたちに変わっていった。太った顔。天然パーマの髪。そして目は数字の「3」だった。その顔が左右を見回して、何かを見つける。

「おぅ………。ここにあった」

 顔に装着されたのは文字でできた眼鏡。やっとシンペイの顔になった。

「………凄い………。こんな風になっても、一応…………眼鏡、要るんだ」

『お前のタイピングを待ってると、かったるい。要件を言いなよ。俺の時間を無駄にしないでほしいんだ。あと、PCの不調や予期せぬ動作を全部、バグって言うな。』

 文字の顔が喋ると、スピーカーから電子音が出る。暑苦しく、くぐもったシンペイの声を、見事に再現していた。ムフーっとため息をつくと、まるでシンペイの口臭まで感じられるほどの再現度。凄い技術だ。だが無駄だ。

「いや、………用とか実は無くて、………ちょっとシンペイが何しているか、気になっただけなんだ。ごめんね、無駄なことばっかさっきから………。うちの社長も、無駄をなくせってすっごく言うよ。………ははっ。なんか、変な話だけど、バリバリの実業家って感じのうちの社長と、ニートのシンペイが、同じようなこと言うんだな。………面白い」

『…………ほう………。俺が? ………この、肉体を捨て去って、ニートという概念自体に昇華した俺が、ゴリゴリのブラック企業、究文堂出版の社長に似てる?』

「………いや、全部似てるっていうわけじゃないよ。うちの社長は天然パーマじゃないし、ちょっと小太りだけど、シンペイほどは太ってない。でもTシャツはたまに着てるかな? 新時代の実業家をアピってるのかもしれない。だけど、皮肉に聞こえるかもしれないけど、時々、言ってることが近いかもしれないな。こないだはこんな訓示垂れてたよ。『働いてると思ったら負けだ。遊んでる気でやってるライバルに勝てない。趣味やゲームなら時間を忘れて没頭するだろう。遊びだと思って真剣に取り組め。給料がどうのこうのいうな。自分の成長のために、今はやり抜け………』。へんな話だよな。ニート宣言したシンペイと、うちの社長の言葉が似るなんて………」

『ムゥ』

 画面上の文字のシンペイが黙った。暑苦しそうな息だけがスピーカーから聞こえてくる。

「ところでシンペイ、肉体を捨て去ったって、体を本当に無くしちゃったの?」

『いや、正確には、実家に置いてある。』

「あ、実家なんだ………」

『それはいいけど、お前の指摘、ちょっとだけ面白かったよ。ニートという概念に昇華した俺と、ゴリゴリのブラック企業経営者が似たことを口にするっていうのは、一周回ってなにか共通するものがあるのかもしれない。概念である俺としては、少し思索する価値がある話かもしれない。………ま、今、並行して手掛けている、世界中の鉄道オタクが妄想した、架空の路線を路線図で繋いでダイヤを完成させるというプロジェクトが終わってからにでも、考えてみるよ。』

「シンペイって今も、興奮すると凄く早口になるよね」

『そろそろ、俺は行くよ。だけど、幸輝に一つだけお土産をやる。』

 字で出来たシンペイの顔が消えて、メールソフトも自動的に閉じた。デスクトップの中央には、一つ、圧縮ファイルが置いてある。

『今の1分15秒の間に、俺が片手間に組み上げた、モノホンの深層意識学習プログラムだ。ここにメッセージを組み込んで、CDなりDVDなりに焼いてみろ。会社辞められないなら、お前が会社変えろ。じゃあな。』

「シンペイっ」

 幸輝が大きな声を出すと、ブースの両隣から、舌打ちと咳払いが聞こえてきた。幸輝は慌てて小声で謝罪する。ネットカフェの備え付けPCは元通りに機能していた。ただデスクトップの中央に、『人間用ディープラーニング・ツクール』という圧縮ファイルだけがまるで前からそこにあったような顔で新しく置かれていた。

< 前編に続く >

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