マリオネット 前編

前編

 ごうごう
 ごうごうと―――
 吹き荒れる、その風自身すら凍らせるような北風が、山の斜面を滑り降りる。
 ざわざわ
 ざわざわと―――
 その場にそびえる杉の木々が、その風から身を守るように、お互いの幹を寄せ合いゆらめいている。
 月明かりにぼんやりと浮かび上がる山の木々。
 そんなうっそうと茂る樹海の中で、ひときわ1本、その場の主であるかのような大木がそびえ立っている。
 それは、吹き下ろす風にもびくともせず、他の木々よりも4つも、5つも飛び出したその背を反り返し、己の威風堂々とさを誇示するがごとく、夜空に浮かぶ真円の月に、影を映し出していた。
 月に浮かぶ針葉樹のシルエット。
 そこに1つの違和感。
 ぽつんと1つ、浮かび上がる。
 それは、人影――――-
 がさり、とその人影が動く。
 頂上付近の、細い枝に腰掛けているその正体。
 少年―――いや、少女だろうか。
 判別がつかない。
 その人物は、年不相応の、その月夜に溶け込むような漆黒の皮のジャケットとズボンを身にまとい、唯一年相応に見える赤いキャップを、その目線が隠れるまですっぽりとかぶり、まるでその存在が枝の一部であるかのようにたたずんでいた。
 キャップの後ろから垂れている1つにまとめた髪の毛が、風に大きくなびく。
 ほんの少し色の抜けた、つやのある髪。
 がさがさと少年が片手でジャケットのポケットをまさぐる。
 そこから取り出した長方形の板状のもの。
 それは板チョコレート。
 少年はバリバリと包装紙と銀紙を破ると、おもむろにそれを口に咥え、ぱきっとチョコを折り、そのまま口の中へと放り込んだ。
 モグモグと、眼下に広がる風景を見下ろしながら、しばらく口を動かす少年。
 やがて口の中のものがすべてなくなると、それで満足したのか、少年はチョコレートを再び銀紙で包み、ポケットにしまった。
 そして、両手で頬杖をつき、風景を見下ろしながら、ぽつりとつぶやく。
「へんぴな所だねぇ………」
 感情の読めないそっけない口調。
 少年はひとつため息をつくと、頬杖を外し、キャップに手をあてその杉の枝から降りたつ。
 まるで、椅子から立ち上がるように、その20メートルはあろうかという高さから。
 少年の身体は、地球の引力に引っ張られ、自由落下を開始する。
 時折、バシバシと杉の木の枝を突き破りながら。
 そして、その位置が木の高さの半分まできた時。
 ふわり……
 まるで、空中に浮かぶようにして、少年の落下が止まった。
 少年はそのまま、前方に身体を90°ほど回転させると、杉の木を片足で蹴る。
 トーンと軽い音が響き、その場から離れるように少年の身体が飛び立った。
 少年は、空中で身体をクルッと1回転させ、アスファルト舗装の細い山道へと降りたつ。
 そして、そのままの勢いで、ちょんちょんと地面を弾み、その道のガードレールの上にのぼった。
 そこだけ不自然に真新しいガードレールの上に。
 少年は、きゅっきゅっと風圧でずれてしまったキャップを再び深くかぶると、更にそこから真下を覗き込む。
 10メートルほど下に、今、少年が飛び越えてきたものと同じような道路が、山の形に沿うようにうねっていた。
 少年は、再びガードレールからふわりと降りたち、その道路に着地する。
 少年が着地した場所。
 事故でもあったのだろうか、すでに風化してほとんど見えなくなっていたが、車のオイルのようなものがアスファルトに染み込んでいた。
 少年は、そこから2,3歩あるき、今度はガードレールの上には乗らずに、手をついて身体を乗り出すようにしてその先を覗き込む。
 そこは、先ほどとは違い、断崖絶壁に近い形になっていて、この月明かりだけの暗闇の中ではでは、とても視覚で底の様子をうかがえるような状態ではなかった。
 しかし、強い風の音の合間にかすかに聞こえる水の音が、崖の底が渓流になっている事を示している。
 少年は、何かを追うようにして、顔を下流の方に向ける。
 そして、ぽつりとつぶやいた。
「あっちか……」
 山間の隙間から、かすかに見える街明かり。
 少年は、ガードレールに手をついたままのの状態で顔を上げる、そして楽しそうに、クスリと笑った。
「さてと……どんなやつなのかなぁ」
 少年の見上げる空には、冬の満天の星がきらめいていた。
 
 
 
 闇―――
 いや、これを闇と言えるのだろうか。
 おそらく何も見えないだけ。
 例えて言うなら、目をつぶっているだけの状態を、闇とは言わないだろう。
 何もない、ただそれだけの世界。
 俺は今、そんな世界に立っている。
 いや……立っていると言えるのか。
 右も左も、上も下もわからない、俺の足の下に地面がついているのさえもわからない。
 こういう世界にいると、いかに人間の感覚と言うものが、相対的なものから生み出されているかと言うことがわかる。
 この世界にいれば、例え歩く事でさえ、それにあわせて動く景色が無ければ、足の裏から伝わる地面の感触が無ければ、その行為を本当にしていると認識できないという事が理解できるだろう。
 何もない……しかし何をしても許される世界。
 そして、これこそが―――
 おそらく、俺の望む世界。
 俺が、俺でいられるための―――
 だが。
 そんな俺だけのはずの世界に、ぽつんと浮かび上がる、俺以外の人間のシルエット。
 この場にひどく不釣合いな色彩を持った。
 俺はそのシルエットに近づく。
 そして声をかけた。
「茜、こんなところで何をしてるんだ」
 ゆっくりとそのシルエット、北条茜が俺の方に振り向く。
 この世界にあわせたような、ひどく無表情な顔。
 しかし、その鮮やかな赤茶けたショートカットの髪だけが、この白と黒だけとも言える世界で、不自然なほどの、美しい色彩を放っていた。
 そんな感情の無い表情のままで、茜はぽつりとつぶやく。
「ねえ……どうしてあなたは私にあんなにひどい事をするの?」
 表情と同じ、なんの感情もこもってない言葉。
 まるで台本を棒読みにしたような。
 そんな質問に答えるまでもないと俺は思うが、あえて答えてやる。
「答えはひとつだ、単に俺がそうしたいからさ」
 悪びれる事もなく、俺はそう言う。
 俺のその言葉を聞くと、茜は、そう…とつぶやいて少し顔を伏せた。
……なんだ、わざわざこんなところにまで現れて、そんな事が聞きたかったのか?
 茜が再び顔を上げる。
 そして、先ほどと変わらぬ、感情のまったくこもってない声でつぶやいた。
「葵も……なの?」
 上目がちに俺を見つめる茜。
 やれやれ、と俺は思う。
……こんな時まで葵か、そんな事だから葵は…
 俺は茜に答えてやる。
「ああ、葵はもちろん景子もまったく同じだ、お前達の事なんか考えていない、俺がやりたい事をやっているだけだ」
 茜はその言葉を聞くと、再び顔を伏せてしまった。
 だが、ここから茜は先ほどと違う行動を見せる。
 茜は、顔を伏せたまま、すっと右手を、身体と垂直になるぐらいまでかかげた。
 すると、その下を向けたままの手の平に包まれるような感じで、ぼうと光が現れる。
 丸い、まるで陽炎のような淡い光。
 その光の中から、あるものが形を見せ始める。
 それは……剃刀。
 鈍い光を放つ剃刀が、茜の手の中に導かれるように現れた。
 茜はその剃刀の柄を握る。
 そして、おもむろにその刃を、自らの左手首に押し当てた。
 じわり、と茜の手首から、これまたこの世界に似つかわない、鮮やかな朱色が浮かび上がる。
「……で、どうするんだ?」
 そんなシチュエーションに、俺は一切の驚きを見せずに茜に言う。
 茜はゆっくりと俺の方を向く。
「逃げられないなら……こうするしかないでしょ?」
 ……逃げられないと言うのは、俺が無理やりそうしているからか? それとも、もう俺無しでいられなくなったその身体が、そうする事をゆるさないからか?
 俺はふんと笑って茜に1歩近づく。
 そして、そんな茜をすぐ下に見下ろすような状況で、俺は茜に言ってやった。
「やりたいならやればいいさ……ただ、忘れるなよ、俺は肉体そのものを操作する力を持ってるって事を……」
 茜が俺を見上げる、相変わらず感情のこもっていない目。
「俺の目の前でそう言うことをしたかったら拳銃かなんかで頭を吹っ飛ばすかなんかするんだな」
 再び茜は俺から目をそらす
「そう……」
 そして、そう言って手首から剃刀を離した。
 ぽたり、と赤い血が玉となって足元へと落ちてゆく。
「私はあなたの前じゃ死ねないのね」
 俺はクスリと笑う。
「ああ、なんだったら保証してやってもいいぜ」
 そんな軽口を叩く。
 だが―――
 次の瞬間、俺を見上げた茜の目を見て、背筋に冷たいものが走った。
 茜の目、相変わらず何の感情も込められていない俺を見つめる目。
 しかし、それがこれ以上ない冷たいものへと変わっていた。
 茜が剃刀をかざす。
 いや、茜が握り締めていた剃刀、それはいつのまにか刃渡りの長い、ナイフへと形を変えていた。
「だったら―――」
 俺には茜がこれからするであろう事が、いやと言うほどわかった。
 だが、なぜだろう、体が動かない―――
「あなたが死んで」
 次の瞬間、茜の握り締めるナイフが、音も無く俺の胸に突き刺さった。
 茜の細腕で突き刺されたとは思えないほど深々と俺の胸に埋まるナイフ。
 痛みは無い、衝撃も無い。
 だた、刺されたとという事実だけが、俺の身体を満していった。
 ずるり、と俺の身体からナイフが抜け落ちる。
 これで役目を果たしたといわんばかりに、そのナイフは霞のように消えていった。
 そして、それに遅れるように。
 俺の胸に開いた穴から噴出す大量の血液。
……刺された? 俺が?
 俺は刺された胸を手で抑える。
 胸から噴出す血液は、心臓が断続的に血液を送り出すポンプだと言う事を証明するように、俺の抑えようとする手のひらを押しのけ、強弱をつけながらボタボタと下に向かって落ちていった。
 黒い、先ほど茜の手首から落ちた真紅の血とは、比べ物にならないほどの赤黒い血。
……落ち着け
 そんな状態ながら俺は自分に言い聞かす。
 そうだ、俺自身で茜に言っていたじゃないか。
 俺は、肉体そのものを操作できる能力がある、その力を使えば、本来なら致命傷になるこれほどの傷だって……
 俺は力を発動させる。
 人の肉体を操作する力をもつ、青い糸を体内に張り巡らせるようにして。
 しかし―――
……能力が…発動されない!?
 俺は何度も試してみる。
 やり方を忘れてしまったわけではない、糸の使い方はしっかりと感覚的に覚えている。
 だがまるで、糸そのものが、俺の身体から消えていってしまったように、何度繰り返しても、糸の能力が俺の身体を癒す事はなかった。
……なん…でだよ……
 ガクリ、と俺の膝が折れる。
 血は止まらない、まるで俺の全身の力を、体温を奪うように流れ出ている。
「あ…かね…」
 俺は震える身体で茜を見上げた。
 しかし、俺を見下ろす茜の顔が俺の視界に入った時。
 破壊されたはずの俺の心臓がドキリと鳴った。
 そこにあったもの。
 それは――――笑顔。
 してやったとか、満足したとか、そんな類の笑顔ではない。
 まるで、聖母や菩薩を思わせるような…慈しみ、いたわるようなそんな笑顔。
 おそらく……俺では一生見ることのできなかったであろう、葵にしか見せないような、そんな笑顔―――
「あか…ね?」
 そして茜はつぶやく。
 その笑顔に合った、これ以上なく澄んだ、やさしい声。
「御影君……」
 すうっと茜の身体が霞んでいく、まるで闇に溶けるように。
 気が付けば、俺の胸の穴も、流れ出ていた血も、まるでそんな事はなかったかのように、無くなっていた。
 消え行く茜の身体。
 そんな茜がつぶやく。
 その笑顔を、どことなく子供っぽいものに変え、まるで、これが最後のように―――
 
 『さようなら』
 
 それと同時に。
 俺の身体も、感覚も消えていく。
 茜の身体と同じく、周りに溶けていくように。
 そんな中で俺は。
……そういえば、茜に名前を呼ばれるのは、初めて会った時以来か……
 そんな事をぼんやりと思っていた。
 
 
 
 ガクガクと身体が揺らされている。
 その感覚が、俺をあの世界から引き戻した。
 続いて聞こえてきたもの。
 それは悲痛な叫び声。
 幼い、よく響き渡る、俺を、心の底から心配するような甲高い声。
「おにいちゃんっ、ねえ、どうしたのっ、大丈夫っ!?」
 俺の身体は動かない、まるで金縛りにでもあったように全身が凍り付いている。
「お願いっ、お兄ちゃん目を覚ましてっ」
 ドンドンと俺の胸に小さな塊が叩き付けられる。
 その衝撃で、やっと身体の先々まで、俺の意志が伝わるようになった。
 俺はうっすらとまぶたを開ける、視界に光が広がった。
「う……」
 俺は軽く頭を振る、そして、その甲高い声を出しながら、今にも泣き出しそうな顔をして俺にしがみついている人物を見下ろした。
「なんだ葵……そんな声を出して」
 俺はそっけなく言う。
 すると、葵は本当に涙を流し始める。
「だって…おにいちゃん、真っ青な顔して苦しそうにうんうんうなってるんだもん」
 俺は、ふうと息をついて、額に手をあてる。
 手のひらは、俺の汗でビッショリと濡れた。
 俺は、その濡れた手を、シャツで大雑把に拭くと葵に言う。
「葵、とりあえず汗を拭くものを持ってきてくれ」
 葵はすこし名残惜しそうな顔をしたが、すぐにたたっとタオルがしまってあるクローゼットのほうに走っていた。
 俺は、ギシッとソファーに背中を預ける。
 どうやらソファーに座ったまま寝てしまったらしい。
 俺は、その楽な体勢をとりながら考える。
……あの夢……久々に見たな…
 あの夢……俺以外は何も存在しない空虚な世界、あれは少し前まではかなり頻繁に見ていた夢だ。
……糸の力を手に入れてからは、まるっきり見なくなってたんだがな
 俺はゆっくりと目を閉じる。
 しかし……
 本来あの夢は、その言葉通り、俺以外は何者も存在しない、ただあの場所で俺がたたずんでいるだけというそう言う夢だった、なぜそこに茜が?
 いや、それ以上に内容が気になる。
 茜に刺される事、糸が使えなくなる事―――
 俺は目を開き、すっと右手をかかげ、その指先に意識を集中する。
 するりと中指先端から出てくる紫の糸、俺の能力は無くなってはいない。
 そんな事をしていると、ぱたぱたと音がしてタオルを抱えた葵が走ってきた。
 サラサラとした腰まである黒髪が葵の動きに合わせて揺れている。
「はい、おにいちゃん」
 俺はタオルを受け取ると、それを頭からすっぽりとかぶる。
 そして、息をひとつつくと、その隙間から葵を見下ろした。
 裸足に白いフリルのワンピース、それが今の葵の格好だ。
 子供の頃の服を、茜に言って持ってこさせたのだ。
 いまだ、心配そうに俺を見上げている葵。
 俺は、そんな葵の頭にポンと軽く手を置く。
 そこから幼い子供ならではの熱気のこもった体温が伝わってきた。
 俺はタオルで目を覆うようにして、そのまま大きくソファーに背を預けるようにのけぞる。
……茜に刺される…糸が使えなくなる……か
 そんな事を考えながら、俺は思い出す。
 俺は以前、葵を見て思った。
 糸の力という精神的柱を失い、ただ、おびえるだけになった葵を脆いと。
 俺は、葵に接する茜を見て、心の中で罵った。
 他人を支配するという事は、下手をすればその人物に依存する事になりかねないと。
 笑う、笑ってしまう、今までに無いぐらい、ひどく自虐的に。
……おいおい…俺は本当に大丈夫なのか?
 俺は、そんなもやもやした気分を払拭するように、ガシガシと被ったタオルで頭、顔を乱暴に拭いた。
 そして、もう一度大きく息をつく。
……まあいい、所詮は夢だ
 そう、自分自身に言い聞かすように、心の中でつぶやくと、俺はのけぞらしていた上体を起こした。
 目の前には、相変わらず心配そうに俺を見つめる葵がいる。
 そんな葵を見て、ふと思いつく。
……あんな夢を見たからというわけじゃないが、ちょうどいい、前から疑問に思ってた事を聞いてみるか
「葵」
 俺が呼びかけると、葵は俺の膝に手を置いて、身を乗り出すように、俺の顔を覗き込んでくる。
「なに?」
 ああ、と俺はつぶやく。
「前から疑問に思ってたんだが……どうして茜は、お前に対して、あそこまでこだわるんだ?」
 確かに仲のいい姉妹というのは世の中いくらでもいるだろう、だがいくらなんでも茜の葵への対し方は、そのレベルを超えている。
「こだわる?」
 葵は首をかしげた。
「ああ、なんだったら過保護って言葉に置き換えてもいい」
 だが、葵は相変わらず首をかしげるだけだった。
……本人にとっては…気づかないものか
 それに良く考えてみれば、今の葵と言うものは、茜に対するコンプレックスを完全に取り去るまで精神年齢を退行させた状態だ、認識しろと言うほうが無理かもしれない。
……聞き方を変えるか
 執拗なまでに、妹を庇い、守ろうとする姉……
 やはり、家族内で何かあったと思ったほうが妥当か。
 俺はそう結論付けて、葵に聞くことにする。
「葵、お前の父親と母親ははどんなヤツなんだ?」
 俺は葵に答えやすいように、ある程度質問内容を限定してそう聞いたのだが、葵は答えるどころか、ますます首をかしげ、パニック寸前の所まで言っている感じでつぶやく。
「え? お父さん? お母さん? え? わたしの?」
 俺はこの葵の様子を見て、いかに馬鹿げた質問をしたのか気づいた、良く考えてみれば、葵自身の精神を操作して、葵にとっての家族とは、茜と俺だけというふうに認識させたのは他でもない、俺自身だ。
 葵はわけがわからなくなって、今にも泣き出しそうな、そんな顔をする。
「いい葵、俺の聞き方が悪かった」
 俺はくしゃっと葵の頭をなでる。
……さて、どうすれば
 俺は再び考える。
 葵の両親、茜の両親……
 そして俺はふと思いついた。
 ……まてよ、こう言うふうに聞いたらどうだ?
「葵、お前は茜の父親と母親を知っているか?」
 葵は俺の質問を聞いてきょとんとする、そして、明るい声で答えた。
「知ってるよ」
 よし、この感じで聞き出せば大丈夫そうだ。
「どんなヤツだ?」
 俺がそう聞くと、葵は声を弾ませて答える、やはり、俺の精神干渉を受けても、どこかしらで自分の両親と認識してるんだろう。
「あのね、お父さんはね、お髭がいっぱい生えててなんだか痩せてるのにすごくおっきい感じがするの」
……無精髭を生やした、痩せの骨太という感じか?
 まあ風貌なんてどうでもいい、それより…
「お前はそいつの事をどう思う?」
 俺がそう言うと、葵は笑って答える。
「好きだよ、やさしいし、良く遊んでくれるし」
 コロコロと笑う葵、やはりこのへんは身も心も子供といったところか。
 だが、そこまで言うと、葵は少し表情を曇らせる。
「でも……最近はお仕事ばっかりで全然会えないの」
 なるほど、と俺は思った。
 有名な教授、しかも専攻が考古学で海外の遺跡を発掘しているとくれば、当然ほとんど家にいない事になる。
 俺は、続いて葵に聞く。
「母親はどんなヤツだ?」
 俺がそう言うと、葵は再び表情を明るくする。
「わたしは好きだよ、きれいだし、やさしいし」
 そうか……と俺は答えた。
 今の状態の葵が嘘をつくわけは無い、どうやら家庭内に何か問題があったというのは俺の見当違いか。
 だったら他に何か理由があるのか? それとも単に茜がそういう性格のヤツだった片付けるべきなのか?
 俺は再び考える。
 だが、ふと俺の頭の中に、今の葵の言葉がよぎった。
……まてよ…今、葵は『私は』とか言わなかったか?
 俺は葵を見下ろす。
 なんとなく、きょとんとした顔をしている葵。
……ひょっとしたら
 俺は再び葵に訊ねる。
「葵、お前は茜の母親の事は好きなんだよな」
 うん、とうなずく葵、その表情には一点の曇りも無い。
「茜は……どうなんだ?」
 俺がそう言うと、葵は、あ…とつぶやいて表情を曇らせた。
 そして、俺から顔を少しそらせて、すこし惑ったような表情をしながらぼそぼそと言った。
「うんと……茜ちゃんは、あんまりお母さんの事好きじゃないみたい」
「理由は?」
 俺がすかさずそう聞くと、葵は、言っていいのかな、みたいなそんな表情をした。
「あのね……茜ちゃんとお母さんって…血がつながってないの、本当のお母さんじゃないの」
 なるほど…どうやらこのへんに原因がありそうだな。
 だがここではまだ結論付けない、続けて俺は葵に聞く。
「葵、お前もその母親とは血が―――」
 いや、この聞き方はダメだ、また葵が混乱する。
「……お前と茜はちゃんとした血のつながった姉妹だよな」
 葵はまた表情をぱっと明るくする。
「もちろん、きまってるじゃない」
 コロコロと笑う葵。
 茜と葵は年子だ、腹違いの血のつながりとも考えづらい、葵が新しい母親の子供という可能性はほぼゼロだ。
 つまり、葵もその母親とは血がつながっていないと言う事。
……なるほど、これでだいたいのあたりは付いた。
 ほとんど家にいない父親。
 血のつながらない母親。
 俺は、頭をのけぞらせ、天井を見つめる、そして軽くため息をついた。
……茜にとって…本当の家族といえるのは、葵だけだったんだ……
 葵の話を聞く限りは、それぞれの事情を考慮するなら、決して親失格というような両親では無いと思える。
 それでもそんな考えにたどり着いたと言うのが、いかにも茜らしいというべきか。
 そんなふうに結論付ける俺、だが―――
「葵……お前、茜の母親の事を、美人って言ったよな」
 俺の興味は、すでに別のものに移っていた。
 葵が笑って答える。
「うん、昔ミスなんとかってのにも選ばれた事あるって言ってたもん」
 葵の声はどこか自慢気だ。
 そうか、と俺はつぶやく。
 そろそろ……
 俺は天井を見上げたまま笑う、唇の端を吊り上げるようにして。
―――新しい獲物が欲しいと思ってた頃だ
 
 
 
 学校帰りの帰り道。
 土曜の今日は、太陽がまだ頭上で輝いている。
 いつもと違う時間帯。
 いつもと違う帰り道。
 しかし、なによりいつもと違う事は、付かず、離れずの距離を保ったままで、1人の少女が俺の後についてきていると言う事だった。
 その少女が、俺にぎりぎり聞こえるようなほんの小さな声でつぶやく。
「ねえ……本当に私の家にくるの?」
 俺は、振り向かずに前を向いたまま、その少女、北条茜に答えた。
「何度も同じ事を言わせるな」
 そっけない口調、だが俺は、学校でこの事を茜に伝えたときの事を思い出すと、今でもおもわずふきだしてしまいそうになる。
 それほどの慌てぶりを茜は見せた。
 まあ、現段階ではいろんな意味で複雑な立場の茜だ、色々思う事もあったんだろう。
「……美佐子さんにも……会うの?」
……血がつながっていないとはいえ、自分の母親をさん付け…か
 やはり、葵が言った通り、茜と、茜の母親の間には、ある種の溝があるようだ。
「なんのために俺がお前の家に行くと思っているんだ?」
 俺がそう言うと茜は、う…と黙り込んでしまった。
 今日の目的。
 確かに1番の目的は、葵が自慢気に美人だと言い張る、その母親の品定めだ。
 だが、それ以上に必要にせまられている事がある、それは現在、俺の家に滞在しているために、自分の家を長期にわたって空けていている葵の事を、その家族に不信がられないように処理すると言う事。
 タイミングを見誤ると、下手をすれば警察沙汰になってしまう。
 まあ、家族と言っても、父親は相変わらず家を離れているらしいので、母親だけと言う事になるのだが。
「お前だけでなんとかできるって言うんならわざわざ行く必要もないが」
 俺は露ほども思っていない事を口にする。
「………」
 茜は黙り込んでしまった。
 その様子から見て、もうこの事をごまかしきるのは、茜の口先だけでは限界のところまで来ているというのがわかる。
 もっとも、茜というのは、普段は生徒会副会長などと言う事をこなしているゆえ、非常に雄弁なのだが、ひとつでも心にやましい事があると、とたんに黙り込んでしまうというそんなタイプの人間だ。
 それゆえに、実際今の茜の家の状況が、どのようになっているのかは、ある意味見当がつかないというのが正しいところなのだが。
「………」
 俺はふと思う事があり、その場で立ち止まる。
「え?」
 突然の事に驚いたように茜も立ち止まった。
 俺は茜の方に振り向くと、そのまま何も言わすにじっと茜を見つめた。
「な…なによ……」
 茜は改めてこんなふうに見つめられたのに戸惑ったのか、顔を赤らめ俺から顔をそらした。
 そして、時々上目づかいに俺と目を合わせる。
……いつも通りの茜
「なんでもない」
 俺はそう言うと、再び前に向きなおし、歩き始めた。
「あ、まって」
 タタッと後ろから茜が少し駆け足をする音が聞こえる。
 ふと頭の中をよぎった夢の中の茜。
 ふんと俺は笑う。
……気にすることはないさ
 やがて、歩く先に、茜の家が見えてきた。
 
 
 
 それほど大きいわけじゃない、威圧感があるわけでもない。
 だが、どことなく住んでいる人間の品のよさがにじみ出ている家。
 それが茜の家だった。
 かちゃり、と茜が小さい黒塗りの門を開ける。
「じゃあ……どうぞ、っていうのもなんか変な気もするけど……」
 そう言って、茜は俺の方を向いて、気恥ずかしそうに言った。
 茜にしてみれば、俺を自宅に招き入れるという行為は、いろいろ複雑な意味合いがあるのだろう。
 だが、そんなものは俺には関係ない、俺は俺で、自分の目的を果たすだけだ。
 俺は特にためらう事もなく茜に続き、門をくぐった。
 小砂利が敷かれた、ほんの3メートルほどの道を進み、玄関にたどり着く。
 そしてその玄関の木製ドアを茜が開けた。
 ふわりと中から流れてきたポプリの匂いが鼻先をかすめる。
「ただいま」
 茜にしてはやや覇気の無い声。
 その声が家の中に響くと、奥の方からぱたぱたというスリッパを履きながら歩く音が聞こえてきた。
 おそらく茜の義理の母―――
 廊下の奥の方から茜の母親、北条美佐子が顔を出した。
「おかえりなさい」
 落ち着きのある声が響く。
 そして、その乗り出すようにして現した美佐子の姿を見て、俺はなるほど、と思った。
 確かに葵が自慢気に話すだけのことはある。
 軽くウェーブのかかった長い髪を後ろにひとまとめにし、普段着にエプロン。
 化粧はしているかしていないかわからないレベルの、明らかに普段の家でのたたずまいという感じだったが、それでも……いや、それだからこそ、この北条美佐子の美貌のレベルというものがはっきりとわかった。
 俺の学園でも美人姉妹と有名だった茜と葵、この2人と美佐子は、血がつながってはいないという事だが、それでも親子といって疑う人間はいないかもしれない。
 いや……そうでもないか。
 親子というより姉妹。
 若い。
 若く見える、という感じではない、本当に若いのだ、下手をしたら30を越えていないのかもしれない。
 なるほど…こんなに若い母親なら、茜みたいな固い性格のやつは素直に母親と認めるのも難しいだろう。
「遅かったのね、……あら? そちらの方は?」
 美佐子が俺を見る。
 その言葉を受けて、茜が答えた。
「あ、この人は―――」
 そう言って俺の事を指そうとした茜の言葉が止まる。
 中指を突き出した、糸を使おうとする俺の姿が目に入ったからだろう。
「えっ、そんないきなりっ」
 茜が反射的に俺の事を制そうとする。
 だが、俺はかまわず美佐子に向かって、糸を打出した。
 シュンと飛び立つ紫の糸。
 うねるような軌跡を描き、俺の放った糸は、美佐子の額を打ち抜いた。
「あっ」
 ガクッと美佐子の膝が折れる。
 俺はすかさず精神を干渉した。
 俺が行った精神干渉、それは『俺の言う事は、どんなに矛盾があろうともすべて納得する』というものだ。
 この糸を手に入れてから、一番最初に景子に行った精神操作と似ているかもしれない。
 その本人の性格的特長を失わせずに言いなりにさせるのに一番手っ取り早い方法だ。
 俺は糸を抜き、かざしていた手を下ろすと、茜に目配せをして言葉を促す。
 俺の行動にあっけにとられていた茜だったが、すぐに立ち直って美佐子のほうを向いた。
「え、ああ、この人は私の知り合いで、同じ学年の人なの」
 茜のその言葉に、すこしふらついていた美佐子はハッとして驚いたような顔をする。
「あら、そうなの?」
 美佐子は再び俺の方を向き、値踏みするように俺の事を見た。
 そして、クスッと人なつっこく笑う。
「ごめんなさい、ジロジロ見ちゃって、茜ちゃんが男の子の友達連れてくるのなんて初めてだからおばさんちょっと驚いちゃったの」
 その笑い顔も含めて、やはり自ら言っているものの『おばさん』という表現は似合わない女性だ。
「あ、あの、美佐子さんそうじゃなくって…」
 俺がそんな事を思ってると、なにやら茜が慌てたように口を挟む。
「この人は…美佐子さんが思ってるような私のそんな人じゃなくって……」
 茜はなんだか必要以上に顔を赤くしている。
 そんな茜の様子を笑顔で見つめる美佐子、このへんはやはり若くても母親という事か。
 だが、そんな美佐子の笑い顔を振り払うかのように、茜が少しヒステリックにも近い声で言った。
「こ、この人は……葵の彼氏なのっ」
 えっ、と美佐子が驚いたような顔をする。
 俺自身も、まさか茜がそんな事を口走るとは思っていなかったのだが、この際とりあえずこの場は全部茜に任せてみることにした。
 俺は黙って茜の言葉の続きを待つ。
「そ…それで……」
 茜は気まずそうに顔をそらす。
「葵の事が心配だからって…それで……」
 その言葉を聞いて、美佐子があっと顔を曇らせた。
 それと同時に俺は心の中でため息をつく。
……茜、この俺にそんな役をやらせようっていうのか?
 茜の口運びからすると、おそらくこのシチュエーションは俺が茜の家に行くと告げたときから考えていたものだろう。
 まあいい、とりあえず付き合ってやるか。
「あの、葵……、葵ちゃんがここのところずっと学校を休んでるもので……」
 俺が、気弱そうなそんな声を出してそう言うと、美佐子はすこしオロオロとしたような顔をする。
「あ…そうなの……」
 気まずそうに俺と茜を交互に見る美佐子。
「あの、いつまでもそこにたっているのもなんですから、上がってくれませんか?」
 そして、俺に家に上がるように促した。
 俺はひとこと挨拶をつぶやくと、玄関から家へと上がる。
 それに茜が続いた。
 美佐子が家の奥、おそらく居間だろうが、そこに消えると俺は茜の方を向き、見下ろした。
 俺と目が合った茜が気まずそうな顔をする。
「あ…その……いけなかった?」
 以前と変わらず普段は強い口調で俺と話す茜。
 だが決定的に変わったところといえば、こういうふうに、時々俺の顔色をうかがうようなそぶりを見せるようになったというところだ。
 いい傾向だ、と俺は心の中でつぶやくと再び顔を家のほうに向ける。
……まあいい、とりあえずそのシチュエーションなりに楽しませてもらうか
 
 
 
「……葵の事なんですけど……」
 高級そうなダージリンティーの香りが漂う中、美佐子がぽつりとつぶやく。
 俺はあの後、茜とともに応接室に通された。
 部屋の中には、父親が海外考古学の専攻をしている教授と言う事を裏付けるような装飾品……というより展示品と言った方がいいようなものが数多く並べられていた。
 そして、そんな部屋に違和感といえるほどの存在感を出しているグランドピアノ。
 おそらく、葵のために購入されたものだろう。
 俺は今、そんな応接室に置かれているソファーに座っている。
 位置関係は、右隣に茜、テーブルを挟んで正面に、先ほどの格好からエプロンだけを外した美佐子とこんな感じだ。
「あの……身内の恥をさらしてしまう事になるかもしれませんが……これを見てください」
 そう言って美佐子は俺にひとつの封筒を差し出した。
 俺は美佐子と封筒を1回交互に見た後、失礼しますとつぶやいてその封筒を手に取った。
 封筒の中身は、どうやら葵が家族あてに書いた書置き―――に見せかけた物らしい。
 俺はちらりと茜の方に目配せをする。
 すると茜が気まずそうに俺から目をそらした。
 間違いない、これは茜が書いたものだ。
 俺は茜がどんな手段を使ってこの美佐子を引き止めていたのかを知るのを楽しみに、封筒の中の便箋を読み始める。
 内容をかいつまんでみると書かれた内容はこういうものだった。
 普段から家族に甘え生きてきた葵、そんな自分を見つめなおすために家族から離れたところで暮らしてみたいという事。
 しばらく一人暮らしの友人を頼り生活していくという事、必ず帰るから心配しないでくれという事。
 そんな事が、おそらく葵の筆跡に似せたような文字で、書き綴られていた。
 なるほど、と俺は心の中で感心した。
 確かにこれなら美佐子は事をおおごとにできない、葵が自発的に家を出て行ったわけだし、それにこんな事を世間に知らしめたりしたら、先ほど自分でも言っていたが身内の恥をさらす事になる。
 なによりこの書置きは嘘を書いていない。
 実際葵は今、家族に頼らずに、知り合いで一人暮らしをしている俺の家に滞在しているのだから。
 まあ、確かにこの理由だと学校へ行っていないという点で矛盾が生じるが……修正可能範囲だろう。
 俺は便箋を折りたたみ、再び茜の方を向く。
 茜は俺から顔をそらしたままだった。
 茜の事だ、しっかり生活に必要な葵の荷物を、葵自身が持ち出したように偽装工作したりと、その辺もぬかりなく行っているだろう。
……ふん、ならこのシチュエーションをそっくりそのまま利用させてもらうか
 俺は再び美佐子の方を向く。
「美佐子さん……と呼んでよろしいですか?」
 俺がそう言うと、ふっとかすかではあるが、美佐子の目が意思を失うように霞がかる。
 先ほど俺が施した『俺の言う事にすべて納得する』という精神干渉が効果を発揮したようだ。
「あ……はい、かまいません」
 俺はそんな美佐子に向かって、単刀直入に言う。
「結論から言いますと……葵は俺の家にいます」
「えっ!?」
 驚いたように大きな声をあげる美佐子。
 だが、それ以上に大きな声をあげたのは茜だった。
 俺は茜の方を向いて『黙っていろ』と目配せをする。
 うっ、と言葉を詰まらせる茜、俺は顔を美佐子の方に戻した。
 美佐子はまだ驚いたような顔をしている。
「本当の事を言いましょうか?」
 俺は意味深にそう言う。
「ほ、本当の事?」
 ええ、とうなずく。
「葵が家を出た理由ですよ」
 俺がそう言った瞬間、美佐子が息を飲んだ。
 それと同時に茜が慌てたような表情を見せる。
……なんだ茜、まさかここで俺が葵を凌辱するために家に連れ込んだとでも言うと思ってるのか? そこまで無茶な事をする俺じゃないぞ
 ふんと心の中でつぶやくと、俺は話し続ける。
「この書置きには自分を見つめなおすため、なんて書いてありますが……建前ですよ、本当はここに書けなかった理由があるんです」
 美佐子が不安そうな顔をする。
「そ、それはいったい……」
 俺は美佐子と茜の顔を交互に見た。
 そして、少し皮肉をこめたような表情をして美佐子に言う。
「美佐子さん…あなたはどうもこの茜と、あまり親子としてうまくいっていないようですね」
「えっ」
 美佐子と茜があわせたように声を出す。
 2人の心情的には、なぜその事を、といった感じだろうか。
 皮肉をこめた笑い顔を崩さずに俺は美佐子に続ける。
「そんなあなた達を見かねて、葵は家を出たんですよ、家に2人っきりになれば、少しは仲もよくなるだろうってね」
 我ながら虫唾が走るような弁論だと思う。
 ホームドラマじゃあるまいし、そんな事をしたら、お互いが罵りあうような事になりはすれ、仲がよくなるなんて事なるはずがない。
「ああ……」
 だが、俺のかけた精神干渉の効果もあるだろうが、美佐子は俺の言葉を信じきり、脱力したような表情をする。
「そんな……葵ちゃんが……」
「今日来たのも葵に頼まれたからです、2人の様子がどうなっているかを確認してきてほしい、ってね」
 俺はここまで言うと、茜の方を向いて目くばせで強く茜を制する『これから俺のする事に一切口出しをするな』と。
 何も言えずに、主人に叱られた犬のような表情をする茜。
 普段それなりに俺に対して口答えをする茜だが、俺にここまで本気に命じられると逆らえなくなる。
……さて、それじゃあそろそろ舞台設定も整った事だし、楽しませてもらうか
「そして…言われてるんですよ、もし2人がそのままだったら、俺に何とかしてもらいたいって」
 俺はソファーに座ったまま、膝に肘を当て、頬杖をつく。
「なんとかって……」
 俺は不敵な笑いを浮かべる。
「俺思うんですけど……美佐子さん、あなたは人として変に高いプライドを持ってるんじゃないですか?」
 えっ、と美佐子がつぶやく。
「葵にも聞きましたが……昔ミスのグランプリにも選ばれたとか……その辺のプライドもあって、こんな年の離れていない茜を、ちゃんとした娘として扱えないんじゃないですか?」
「そ、そんな事!」
 美佐子が少しむきになったように叫ぶ。
 確かに美佐子はそんな事を鼻にかけるような女ではないと思える、体裁よりも葵の事を心配してあの手紙を俺に見せた事からも、ちゃんとした母親でありたいという気持ちも持っている事もわかる、だが……
 すでにこの女は、俺の言いなりなんだ。
「そうですよね」
 俺は高圧的にそう、美佐子に断言する。
 俺の意見を押し付けるように。
「あ……」
 すると、先ほどのように、美佐子の瞳から己の意思というものが薄れていく。
 そして、俺の期待通りに答えた。
「そうかも……しれません……」
 クスッと俺は笑う。
「だから……俺がそのプライドを壊してあげますよ」
 不安げに俺を見つめる美佐子。
 そんな美佐子に俺は命令をする。
「では美佐子さん…着ている衣類をすべて脱いでください」
「えっ」
「それが一番手っ取り早い方法ですから」
 そんな…とうろたえる美佐子。
 俺はためらう美佐子を見据えて、抑制した声で言う。
「俺に逆らうんですか?」
 あ…、と美佐子は少し表情をうつろにする。
「俺の言葉は葵の言葉です、母親失格とも言えるあなたは葵の、俺の言葉に逆らえないはずです、そうですよね」
 意思の無い瞳で俺を見つめる美佐子、そのまま俺に操られるようにつぶやいた。
「そうです……私はあなたに逆らえません」
 俺は笑いながら言う。
「ではさっき俺が言ったように、着ている物をすべて脱いでください」
「わかりました……」
 そうつぶやくと、美佐子は立ち上がり、シャツに手をかけそれをおもむろに脱ぎ始めた。
 もはやためらいは無い、今の美佐子にとっては、俺の言葉こそが、自分の言動を決めるすべてなのだから。
 それを見ていた茜が、俺の隣でうつむいたままぎゅっとスカートを握った。
 やはりどんな感情を抱いていても、自分の母親のこんな姿を見るのには抵抗があるのだろうか。
 だが、俺は茜をこの場から退散させるつもりも、またこの美佐子と一緒に嬲ろうという気も無い。
 俺が美佐子を目の前で嬲るところえを見せ付けて、茜がどんな反応を見せるかを楽しむためだ、きっと葵を使ってそうやった時とはまた違った反応を見せてくれるだろう。
 ふさっ、と美佐子のスカートが床に落ちる。
 完全な下着姿になる美佐子。
 俺はそれを見ると、更に美佐子を誘導する。
「下着も全部ですよ、生まれたままの姿になってください」
「は…恥ずかしいです」
 すこしためらいがちな声をあげる美佐子、だが俺は、その美佐子を煽るように促す。
「その恥ずかしいという気持ちを壊さなきゃいけないんです、わかりますよね」
 美佐子はコクッとうなずく。
 そして美佐子は下着に手をかけると、恥ずかしそうにブラとパンティーを脱ぎ去った。
 ぱさり、と美佐子の手を離れた下着が床に落ちる、しかし美佐子は顔を赤らめ、その手でそのまま胸と股間を隠してしまった。
 そんな美佐子を見て、俺はイラ付いたように、コツコツとテーブルを指の先で小突きながら言う。
「だめですよ、脱いだだけでは意味がありません、その姿を俺たちに見せる事に意味があるんです」
 俺がそう言うと、美佐子はおずおずと手を放し、腰の後ろで組むような体勢をとって、その身体のすべてを俺の前にさらけ出した。
 俺は美佐子の身体を上から下までまんべんなく見渡す。
 ほんのりと赤く上気した美佐子の身体。
 景子ほど胸が大きいわけじゃない、茜ほどウエストが細いわけでもない。
 だが、その身体は、確実にグラマーな部類に入る方であり、成熟した大人の魅力にあふれていた。
 きっと、葵があのまま経験を積んで年を重ねていったらこんな身体になるだろう。
「ああ……見ていて…くれますか?」
 俺が先ほど言った『俺たちに見せる事に意味がある』という言葉を信じきって、その身体を惜しげもなく俺の前にさらす美佐子。
 ……ふん、そろそろ次の段階に行くか
「それでは美佐子さん、人間としてのプライドを壊すため、あなたは今から人間以下のものになってもらいます」
 えっ、とつぶやく美佐子。
「美佐子さん、あなたは今から犬になるんです」
「い、犬?」
 驚きの表情を浮かべる美佐子。
 そうです、と俺は続ける。
「人間としてのプライドを捨てるにはそれ以下の存在になりきるのが一番いい方法だと思いませんか?」
 ああ…と美佐子は身体を震えさせる。
「思いますよね」
 俺は強く、その認識を美佐子に植え付けるように言った。
 美佐子は明らかに拒否の感情を持っている、だが俺の言葉には逆らえない。
「はい……そう思います……」
 じわり、じわりと俺は美佐子を追い込んでいく。
 文字通り、俺の命令なら何でも聞く牝犬に仕立て上げるために。
 俺はクスリと笑う。
「では、俺の前で宣言して下さい、あなたは俺の犬だと」
 俺がそう言うと、美佐子はとろんとした表情を浮かべる。
「はい…美佐子は今から、あなたの犬になります……」
 俺は満足げな表情を浮かべ、次の行動に移る。
 テーブルの上に置かれていたティーセットを脇にどけて、美佐子に言った。
「それでは犬は犬らしく、四つん這いになってください、俺たちに良く見えるように、このテーブルの上でね」
 ぱんぱん、と俺は高級そうな木製のテーブルを叩いた。
「はい……」
 美佐子はためらう様子もなく、俺の言った通りテーブルによじ登り、四つん這いになった。
「これで……いいですか?」
 四つん這いのまま、俺を見つめる美佐子。
 俺の目の前で、大きめの乳房がゆれている。
「それでは、犬らしくなったところで、もう一度宣言してくれませんか? 自分は俺の言う事を何でも聞く牝犬だと」
 はい、とつぶやき、美佐子は俺を見つめたまま続ける。
「私はあなたの言う事なら何でも聞く、忠実な牝犬です」
 俺はそこまで美佐子に宣言させると、ソファーから立ち上がった。
……それじゃあ早速その牝犬の、忠犬ぶりを見せてもらうとするか。
「それじゃあ犬らしく……主人に対して奉仕してもらいましょうか」
 そう言って俺は、ズボンのファスナーを下ろし、ペニスを取り出す。
 美佐子がソファー用のテーブルの上で四つん這いになっているため、ちょうど俺のペニスは美佐子の目の前にきた。
「ああ……」
 それを見たとたん、美佐子の表情が恍惚としたものへと変わる。
 明らかに発情した女の顔だ。
 はっきり言って、俺は美佐子に対して、俺の言う事はすべて正しいと認識するような精神干渉を行ったが、性的なものには何も干渉をしていない。
 つまり俺のペニスを見せ付けたときの美佐子のこの反応、これは純粋な美佐子の行動そのものだ。
 海外滞在で長期の間夫との接触が無い人妻、清楚な母親を飾っていたが、そうとう飢えているといったところか。
 今にも俺のペニスに飛び掛ってきそうな美佐子、だが俺はそれを制する。
「だめですよ、忠実な牝犬は、飼い主の『よし』の合図があるまでおあずけを守らなきゃ」
 ああ…と美佐子はじれったさそうな声をあげる。
「そんなに欲しいんですか?」
 俺がそう言うと、美佐子がたまらないといった感じで言う。
「欲しいです……あなたのオチンチンをしゃぶらせてください」
 熟れた身体がもどかしげにゆれる。
 俺はそんな美佐子を尻目に、ちらりと茜に目を落とす
 茜はもう、見ていられないという事なのだろうか、じっとうつむいたまま、身体を震わせていた。
……どこまで自覚があるかわからないが、スイッチが入ったお前もこれとそうはかわりないんだぜ
 そんな事を思いながら俺は美佐子のほうを向く。
 良く見ればもう、美佐子の股の下には、垂れ落ちた愛液が水溜りを作っていた。
 俺がペニスを見せた事がきっかけとなり、美佐子は完全に発情状態になったようだ。
 そんな美佐子を見下すように俺は言う。
「じゃあいいですよ、しゃぶっても」
 もはや犬となった美佐子に羞恥心はない、俺のペニスしか目に映らないという感じで美佐子は俺に擦り寄ってきた。
「ああ……男の人の匂い……」
 どうやら美佐子にはもともと淫乱の気があるようだ、そうじゃなかったらいくら長い間夫のセックスが無かったとはいえ、ここまでの反応は見せないだろう。
 典型的な昼間は淑女、夜は淫乱というタイプか。
 そんな事を考えていると、俺のペニスが美佐子の口に一気に飲み込まれた。
 飲み込まれた、まさにそんな表現がふさわしい、俺のペニスは美佐子が舌をハーフパイプ状にして作った道をすべるようにして突き進み、先頭が喉の奥にぶち当たった。
 そして、そのままの状態で美佐子は口の中を真空状にして口をすぼめる。
 俺のペニスは美佐子の口内全体の粘膜に包まれるようにして締め上げられた。
「うっ」
 俺は思わず声を出してしまう。
 美佐子はそのまま顔をピストンさせた、ウェーブのかかった黒髪が頭の動きに合わせて乱れる。
 俺のペニスは、そのやわらかい粘膜に締め上げられたまま、しごかれた。
 まさに擬似セックスといった感じだ、はっきり言って……ほとんど経験の無かった景子、ましてや処女だった茜や葵とはテクニックのレベルが違う。
……このままだともたないな
 思わず腰が震えてしまう。
 それに今は犬としての格好を維持するため、美佐子は四つん這いの状態で、口だけを使い俺に奉仕している。
 これに更に手まで使われたらたまったもんじゃない。
 俺は美佐子の動きを抑制するために、美佐子に話し掛けた。
「すごいですね、そんなにこれが欲しかったんですか?」
 美佐子がペニスから口を放す。
 ぬぽ、という音がして美佐子の唾液の糸が引かれる。
「ああ…欲しかったんです、ずっとこれが欲しかったんです!」
 そう言うと、美佐子はまた俺のペニスにしゃぶりつく。
 一息ついた俺は、続けて美佐子に尋ねた。
「最後にこういう事をしたのはいつなんですか?」
 俺は、もはや答えようとせず、俺のペニスをしゃぶりつづけようとする美佐子の頭を掴み無理やり引き離した。
「に…2ヶ月前です……あの人が、前に帰ってきたとき以来…」
 そう言って美佐子はまた俺のペニスにしゃぶりつこうとする。
 だが俺はそれを制した。
「あの人って旦那さんのことでしょう? いいんですか? 俺なんかのものをこんなふうにしゃぶってたりして」
 ああ、と美佐子がもどかしげな声をあげる。
「今の私は、あの人の妻である人間の北条美佐子じゃありません、あなただけの……淫乱で忠実な牝犬です」
 俺はその言葉を聞いてククッと笑う。
 俺の精神干渉と言葉による影響から、理性を完全に取り払い欲望のままに行動する美佐子。
 本来性欲というのは、3大欲の中でも一番理性によって抑圧されているものだ、それゆえにその理性の押さえがなくなるとたがが外れ、こんな状態になってしまうといったところだろうか。
 ましてやこの美佐子はもともと淫乱の気があるうえに、本来ならそれを満足させてもらえる夫から2ヶ月もお預けを食らった状態だ、無理も無いといえるだろう。
「わかりました、そこまで言うならもう邪魔したりなんかしません、好きなだけしゃぶってください」
 俺が手を放すと、みたび美佐子は俺のペニスにしゃぶりつく。
 もはや途中で制される心配がないと悟ったのか、その動きは更にヒートアップしてきた。
 たまらず俺の限界が近づいてくる。
「いいですか美佐子さん、このまま口の中に出しますよ」
 俺がそう言うと、美佐子は返事だとばかりに、更に喉の奥に亀頭がいくよう、俺のペニスを深くくわえ込んだ。
 俺は美佐子の頭を押さえつける、そしてそのまま喉の奥にまで精をぶちまけた。
「んんっ」
 ビクンと美佐子の身体が震える。
 ドクドクと美佐子の口内に流れ出る俺の精。
 だが美佐子は、すぐにはそれを飲み込もうとはせずに、それどころか唇で俺のペニスをしごき、残りの精すべてまで吸い出そうとしてくる。
 そして、俺のペニスから口を離すと、しばらくそれを口の中で味わうように転がしてから飲み込んだ。
「ああ……」
 満足そうな顔をする美佐子。
 ほつれた髪が頬に張り付き、その姿は妖艶極まりないといった感じか。
……まったく、ここまで淫乱な女だとは思ってなかったな
 はっきり言って最初に美佐子を見た時の印象とかなり違う。
 しかし、となると当然これで満足するような事はないだろう。
 俺がそう思っていると予想通り、美佐子は妖艶な微笑で俺を見つめると、今度は四つん這いのまま俺のほうに尻を向けた。
 そして自らの手でヴァギナを広げる。
「お願いします……今度はこっちに、あなたのオチンチンを下さい……」
 広げられた美佐子の性器。
 年のせいなのか、それともその淫乱ゆえか、茜や景子に比べても小陰唇やクリトリスなど各パーツが比べものにならないくらい発達していた。
 そこからツゥと愛液が糸を引くようにテーブルの上に滴り落ちる。
……葵のなんも無いやつと並べてみたらある意味爽感かもしれないな
 そんな事を考えて俺は思わず笑ってしまった。
「ああっ、おねがいしますうっ」
 じれったさそうな美佐子の声が響く。
 ポタポタと愛液を垂らしている美佐子のヴァギナ、その発情具合は、糸を使って無理やり発情させた景子や葵のヴァギナのその状態に比べても、勝るとも劣らなかった。
……このままコイツの望みどおりくれてやってもいいが…
 だが、このまま素直にやってしまったら、まるで俺の方がこの人妻の欲求不満解消の道具にされたみたいでしゃくだ。
 いつも通り遊ぶとするか。
 俺はそう思って笑うと、ズボンのファスナーを上げ、ペニスをしまってしまう、そしてその手を振り上げ、こちらに広げたヴァギナを向けたまま待ち遠しそうに俺を見つめている牝犬の尻に向かって平手を叩き落した。
 『パァン』
 小気味いい音が部屋に響く。
「ああっ」
 ガクリと美佐子が肘をテーブルにつく、そして震えながら俺の方に振り向いた。
「な…なにを……」
 突然の事にうろたえたように俺を見つめる美佐子、じわりとその大きめの尻に赤く俺の手形が浮かんできた。
 そんな美佐子の視線を、俺は不敵な笑顔で返す。
「美佐子さん忘れてませんか? 俺はあなたを喜ばせるために来たんじゃないんですよ、あなたを牝犬にするために来たんですよ?」
「わ……わかってます……」
 だが、俺はわざとらしく首を横に振って、そのままソファーに座った。
 そして、美佐子を見上げるようにして難癖を付け始める。
「いや、わかってませんね、そもそも犬なんてものは、今のあなたのようにいつでも所かまわず発情するようなそんな生き物じゃありません」
「ああ…」
 犬にも劣るというような事を言われ、美佐子は赤面する。
 だが、それでも俺にヴァギナを向けたポーズを崩さないのが、この女の淫乱さを物語っていた。
「どうやら、犬としていちから躾をしなければならないようですね」
「そんな…躾だなんて……」
 俺はクスリと笑う。
「躾がいやなら調教でもかまいませんが」
 もっともどっちにしてもやる事は一緒なのだが。
 俺がそう言うと、美佐子はうつむいて、うっと黙り込んでしまった。
「どうやら納得してもらえたようですね」
 俺はもう一度、軽く美佐子の尻を叩く。
 ビクンと美佐子の身体が震えた。
「美佐子さん、あなたは犬に対して一番最初に躾なければならない事ってなんだかわかりますか?」
「え……?」
「わかりませんか? それじゃあ教えてあげます」
 俺がもったい付けたようにそう言うと、美佐子は戸惑ったような顔をした。
「本来犬を飼うにおいて躾なければならない事というのは2つあります」
 俺はテーブルの上で四つん這いの体勢を崩さない美佐子を見上げながら続ける。
「ひとつは『まて』です、でもこれはすでに先ほど覚えていただきました、よってこれから美佐子さんには残りのもうひとつの躾を行いたいと思います」
「も、もうひとつ?」
 美佐子が不安げに俺を見つめる。
「わかりませんか?」
 俺はそう言うと、濡れそぼった美佐子の股間に手を伸ばす。
「それは―――」
 そして、ビンと茜や景子に比べても濃い恥毛をつまみ、手前に引っ張った。
「ひっ」
「下の―――、糞尿の躾ですよ」
 俺は愛液によって濡れそぼっていた恥毛から手を放し、それを美佐子の尻に塗りつける。
「別にあなたが外でつながれたままの牝犬なら特に躾る事ではありませんが……あなたは家の中で飼われる牝犬ですよね、ところかまわず粗相をされたら困ります」
 その俺の言葉を聞いて、美佐子が顔を真っ赤にしながら俺を見下ろす。
「そ、そんな事わざわざ躾られなくても……っ」
 だが、俺はそんな美佐子を鼻で笑うように言った。
「牝犬が人間と同じトイレを使うつもりですか?」
「えっ」
 俺は、ソファーに座ったまま前かがみになり、手をテーブルの脇の方へ伸ばす。
「犬には犬用のトイレで用を足してもらわなければなりません」
「い、犬用のトイレって……いったい……」
 そして俺は、先ほど美佐子をテーブルの上に乗せる際に、脇の方によけておいたティーカップを手に取り、それを美佐子の股間の真下に置いた。
 金の縁取りがされ、品良く彩色された白磁の高級そうなティーカップを。
「美佐子さん、今からこれが、あなた専用のトイレになります」
 その言葉を聞いた美佐子の顔が青ざめた。
「そんな、いくらなんでもそんな事っ」
 だが俺は、いっこうに慌てる事もなく冷静に美佐子に向かって言葉を続ける。
「飼い主に逆らうんですか?」
 ピクンと美佐子の身体が震える。
「ああ……」
 やるせないような声をあげる美佐子。
「自分の立場をまだ理解していないようなのでもう一度俺の前で宣言して下さい、自分はどのような存在なのかを」
 俺がそう言うと、美佐子はキュッと目を閉じる。
「わ…私は……」
 そして美佐子は再び目を開ける。
 その目は、俺の精神干渉によって、完全に俺の言いなりになったものの目以外の何物でもなかった。
「あなたに忠実な……淫乱で、はしたない牝犬です……」
 俺は美佐子の尻を軽くなでながら言う。
「俺の言う事には逆らいませんね?」
 美佐子は俺の愛撫に、身体をプルプルと震わせている。
「はぁ……、はい、私はあなたの言う事を絶対に聞きます……」
 俺はパンと軽く美佐子の尻をはたいてから手を離す。
「では、あなた専用のこのトイレで、さっそく用を足してください」
 そう言って、俺はチンとティーカップの淵を指ではじいた。
「で、でも……」
 美佐子が不安げにティーカップを見下ろす。
「そんな、言われてすぐには……」
 俺の顔色をうかがう美佐子。
 そんな美佐子の表情を、俺は涼しい顔で返す。
「そんな事は無いはずですよ、単にあなたが気づいてないだけです」
 そして、俺はまるで、催眠術をかける施術者のように美佐子に語りかける。
「ほら…あなたは今、気づいたはずです、自分が尿意を催している事に……」
「えっ、そんな事…」
 だが、その言葉とは裏腹に、プルッと美佐子の下半身が震えた。
「もう、我慢するのも辛いはず……」
「やっ、な、なにこれっ」
 小さかった震えは、やがてテーブル全体を揺らすぐらいに大きくなる。
 俺の言葉を信じ込むあまり、それが本当に身体に影響を与えているのだ。
 激しい尿意のあまり息遣いが激しくなる美佐子。
 だが、俺はここで小さなイタズラを思いつく。
「だが、『まて』を躾られたあなたは、飼い主の許可が無い限り、排泄する事も出来ない……」
「そ、そんなっ」
 俺は更に、美佐子の尿意を促進させるような言葉をつぶやく。
「尿意は強くなる事はあっても収まる事はありません、ほら、あなたの尿意は膀胱が破裂しそうなほどの高まっていきます」
「ああっ、助けてえっ、許してえっ」
 身悶えるように身体をよじらせる美佐子。
 その動きはなまめかしい淫靡なダンスにも見える。
 俺は、そっと美佐子の股の間から手を伸ばし、指の先で軽く美佐子の下っ腹を押し上げた。
「ひっ」
 ビクンと振るえる美佐子、だがそれをきっかけに今度はあれほどくねらせていた身体の動きを止め、じっとしたまま身体を細かく震えさせた。
「いやっ、助けてえ……っ」
 内股をぴくぴくと震わせ、青ざめた表情で俺を見つめる美佐子。
「辛いですか?」
 俺がそう言うと美佐子は何度も首を縦に振った。
 クスリと俺は笑う。
「だったらおねだりしてみたらどうですか? 犬が、飼い主に媚びるように」
 俺がそう言うと、美佐子はぼうっと目をうつろにさせる。
 そして艶かしい声色で俺に言った.
「お願いします……わたし用のトイレで…おしっこさせてください……」
 俺はその言葉を聞くと、ソファーから立ち上がる。
「いいでしょう、その姿をしっかりと俺たちの目の前にさらしてください」
 そして、軽くパシンと美佐子の尻を叩く。
「排泄を、許可します」
「ふああっ」
 やるせないような声を出す美佐子。
 次の瞬間美佐子の股間から、俺の言葉により強制的に溜められた黄金色の液体が勢い良く噴出した。
「ああっ」
 四つん這いの姿勢から、やや後方に向かって飛び散る美佐子の小便、はっきり言って完全に的を外し、テーブルの上に四散している。
 それを見て俺は、いさめるように美佐子に言う。
「美佐子さん外れてますよ、ちゃんとトイレに入るようにしてください」
「だ、だって」
 その言葉を聞いた美佐子がティーカップに狙いをつけようと、必死に腰の位置を調節する。
 だが、しゃがんでいるならともかく、四つん這いの格好ではろくに狙いを定める事も出来ない、せいぜい盛んに方向修正をする途中に、小便の糸がカップの淵を舐めるぐらいだった。
「ああっ、終わっちゃう、終わっちゃうぅ……」
 勢い良く出ていた美佐子の小便は、その言葉を皮切りに勢いを衰え始める。
 そして、恥毛の先からポタポタと尿の雫をたらすようにして止まってしまった。
「ああ……」
 俺は美佐子の小便の臭気が漂う中、ティーカップを覗き込む。
 美佐子の小便はカップのせいぜい1/4ぐらいしか溜まっておらず、そのほとんどをテーブルの上に撒き散らしてしまった。
 俺はティーカップを取ると美佐子に言う。
「美佐子さん、これしかちゃんと出来ませんでしたよ?」
 そして、ティーカップを傾け、その中身をその他の小便と同様に、美佐子に見せ付けるようにテーブルの上にこぼした。
 うっと目を瞑る美佐子。
 そんな美佐子を見ながら、俺は涼しげな笑いを浮かべ言った。
「これはお仕置きですね」
 ビクッっと美佐子は身体を震わせる。
「お仕置きって……」
 恐る恐る俺を見上げる美佐子。
「たいした事じゃありませんよ、ただ後始末をしてもらうだけです」
「後始末?」
 ええ、と俺はつぶやく。
「犬の小便の後始末なんて、まあ本来なら砂をかけるだけなんですが、ここは室内ですからね砂は使えません」
 俺は立ったまま美佐子に手を伸ばし、首根っこを捕まえる。
「あっ」
 そして向こうを向いていた美佐子を強引に俺の方に向かせ、そのままぐいっとテーブルに顔を近づけさせた。
「だから……ま、お仕置きという意味合いも込めて、舐めてあなたの粗相したものをきれいにしてもらいましょうか」
「そ、そんな!」
 美佐子は、俺に首根っこを抑えられながらも顔を上げ、信じられないといった感じで俺を見上げる。
 だが、俺はそんな美佐子の目を見つめ、ゆっくりとつぶやいた。
「あなたは俺の牝犬ですよね…」
 ぼうっと美佐子の目が霞む。
「……はい」
「あなたは飼い主である俺の躾通りに行動できましたか…?」
「できま…せんでした……」
「なら、あなたはお仕置きを受けるべきではないんですか…?」
「はい……私はお仕置きを受けなければいけないと思います……」
 俺はそこまでくると美佐子の首根っこを捕まえていた手を離す。
 もっとも離すまでもなく美佐子の抵抗は完全に無くなっていたのだが。
「ではちゃんとやってください、あなたの粗相で汚れたテーブルを、舐めてきれいにするんです」
「はい……」
 そう言って美佐子は頬をテーブルにつけるようにして顔を下ろしていく。
 そして舌を伸ばし、ピチャリと舌先を自分の小便の水溜りにつけた。
「はぁ……」
 ピチャピチャと美佐子がテーブルの上の小便を舐め取っていく、四つん這いの格好を更に低くして、テーブルの上に伏せるようにして。
 そのインモラルな姿は、たまらなく淫靡な物に見えた。
 そして、美佐子自身もその感覚に陥っているのか、それとも俺の言う事を聞いているという牝犬としての喜びに震えているのか、みるみると身体を高潮させていき、今までどちらかといえば青ざめていた白い肌が桜色に変わっていった。
「美佐子さん、ずいぶんと楽しそうですね」
 俺はからかうようにそう言う。
「はあ……こうしていると…私が牝犬だって事が実感できて…すごくうれしいんです……」
 美佐子はもはや舌先だけなく、大きく舌全体を使ってテーブルを舐めあげていた。
 俺は顔を美佐子の耳元に近づける。
 そしてとどめといわんばかりにゆっくりと、まるで美佐子の深層心理に刷り込むように言葉をつぶやいた。
「美佐子さん、その感覚をあなたはもう二度と忘れられません……」
 一心不乱にテーブルを舐めつづける美佐子。
「あなたにとっての最高の快楽、快感とは、俺に牝犬として尽くすという事です……」
 美佐子の目が、まるで壊れた人間のように濁る。
 もう、これでこの女はこの快楽から逃れられない。
「はい……わたしの最高の喜びは……牝犬としてあなたに尽くす事です……」
 ポタポタッと、美佐子の足元に、小便とは違った液体が水溜りを作った。
……さて、そろそろ引導を渡すか。
 見ればもう、テーブルの上の小便は、ほとんど美佐子により舐め取られていた。
「美佐子さん、もういいですよ」
 俺がそう言うと、美佐子はゆっくりと顔を上げる。
 その顔は、己の使命を全うして満足しているようなそんな喜びにあふれていた。
「それではちゃんとお仕置きを受けた牝犬に……ごほうびをあげる事にしましょう」
 そう言いながら、俺はズボンのファスナーを下ろし、再びペニスを取り出した。
 それを見た美佐子の顔がみるみるうちに淫欲に高潮していく。
「どこに欲しいですか?」
 俺がペニスを握りながらそう言うと、美佐子は四つん這いのまま、俺に尻を向けるように反転する。
 そしてぐいっと先ほどと同じように、自らの手でヴァギナを広げた。
「ここです……いやらしい牝犬のオマンコに…あなたのオチンチンをください……」
 美佐子のヴァギナは、愛液と、先ほど垂らした小便によってドロドロに濡れそぼり、ヒクヒクと蠢いていた。
 俺は握り締めたペニスの先端を、美佐子のヴァギナに押し付ける。
「あっ」
 美佐子の身体がビクリと振るえた。
 それと同時にまだ先端しかつけていない俺のペニスが、まるで美佐子のヴァギナに飲み込まれるようなそんな錯覚にとらわれる。
 俺は空いている方の手で美佐子の腰を掴む。
 そして力任せに腰を突き出した。
「あっ、あああーーーっ」
 ビクビクと振るえる美佐子、挿れただけでイってしまったらしい。
 ぎゅうと俺のペニスが締め付けられた。
 葵みたいなバカみたいな締め付けがあるわけじゃないが、その中に存在するすべての筋肉繊維が、まるでそれぞれが別の生き物であるかのように俺のペニスに絡み付いてくる。
 俺はそんな締め付けを振り切るように、強引なピストンを開始した。
「ああっああっ、すごいいっ」
 机にうつぶせながら悶える美佐子。
 しかし、そんなに悶えながらも、俺がこれだけ激しく突かれながらも、更に上の快楽を求めるように尻を叩き付けてくるのはさすがに経験豊富な人妻といったところか。
「あっ、いくぅ、またいくうっ」
 再び美佐子のヴァギナの締まりが強くなり、ビクンと美佐子の身体が震えた。
……さっきコイツのフェラで抜いてなかったら…俺もこんな感じでもたなかっただろうな
 そんな事を思いながら、俺は体力に任せ、闇雲に美佐子を突きまくる。
「ああっ、もっと、もっとごほうびを頂戴いいっ」
 テーブルの端をギュッと掴み身体を震わせながら貪欲に俺のペニスを求める人妻。
 そんなヤツを俺の犬として支配していると思うと、それだけで興奮が高まってくる。
 美佐子のヴァギナの締め付けが小刻み強くなってきた、どうやら3回目の絶頂が近いようだ。
 俺もそれに合わせ、興奮を高めていく。
「ああっ、ひいっひいっ」
 思わず演技じゃないかと疑ってしまうようなほどの美佐子の反応。
 だが、これがこの淫乱な人妻の日常的な性行動なのだろう。
 美佐子の締め付けが一段と強くなり、それと同時に美佐子の身体を支えている腕がガクガクと振るえてきた。
「ああ、またイきそうですっ」
 もう限界が近いとばかりに叫ぶ美佐子。
 そんな美佐子に、俺は抑制の効いた、落ち着いた声色で言った。
「そうですか、それじゃあ俺も、それにあわせてあげますよ」
 それを聞いた美佐子がビクリと振るえた。
「ああっ、中にっ、今日は大丈夫だから、男の人のを中にちょうだいっ」
 美佐子が、うつ伏せに近い状態から自分の脇の下から覗き込むように俺を見上げる。
……別に、糸の能力があれば、危険だろうと安全だろうと関係ないんだがな
 そういう事もあり、もともと俺は、そんな事お構いなしに中にぶち込もうとは思っていた、だがここはあえて美佐子のおねだえりを聞いてやったような感じで俺は言う。
「わかりました、ごほうびですからね、たっぷりとあげますよ」
 そう言って俺はひときわ深く、ペニスを美佐子のヴァギナに突き入れる。
「ありがとうございます、ありがとうございますうっ」
 そしてその最奥で、こみ上げてきたものを一気にぶちまけた。
「ああっ、あああああっ」
 グンと美佐子が身体をのけぞらせる。
 そののけぞった頂点でプルプルと震える美佐子。
 俺はそのまま、美佐子が3回絶頂を迎える間に溜めたありったけの精を、美佐子の中に注ぎ込んだ。
「ああ…すごい……ドクドク入ってくる……」
 そうつぶやきプルッと震えたかと思うと、美佐子はまるで電池が切れたようにガクリとテーブルの上に倒れこむ。
 その拍子に俺のペニスが美佐子のヴァギナから抜けた。
 美佐子の愛液と俺の精液が混じったものが糸を引く。
 そしてそのまま美佐子は、前のめりになるように、テーブルから落ちてしまった。
 どさり、という音がして美佐子が絨毯の上に転がる。
 ぴくりぴくりと間を置きながら小刻みに身体を震わせる美佐子、やがてそのヴァギナからドロドロと俺の出した精があふれてきた。
……さて…念のために釘を刺しておくかな…
 俺はペニスをしまうと、ゆっくりと美佐子に近づく。
 美佐子がうっすらと目を開けて俺を見上げた、だが身体を起こす事は出来ないらしい。
 俺は美佐子の顔の近くでしゃがみこみ、美佐子に語りかける。
「美佐子さん…あなたは俺の牝犬ですよね」
 ぼうっとしている美佐子、だがまるで条件反射のようにうなずいた。
「俺だけの、牝犬ですよね」
「はい…美佐子は…あなただけの牝犬です……」
 俺は満足げに笑う。
「つまり…あなたが牝犬になるのは、俺の前だけだという事です」
 少しわからなそうに俺を見つめる美佐子。
「茜や葵の前や…旦那さんの前では、あなたは今まで通りの北条美佐子として行動し、俺の前だけで淫乱な牝犬として行動するって事ですよ」
 相変わらずぼうっと俺を見つめる美佐子。
「理解しましたか?」
 だが、俺がそう言うと、美佐子はコクリとうなずいた。
 俺は美佐子のその返事を確かめると立ち上がる。
 そして美佐子の前を立ち去ろうとしたのだが、ふとある事を思いつき、再び美佐子の目の前に戻る。
 そして、しゃがみこむと今度は少し軽口を叩くような感じで美佐子に言った。
「あ、そうそう、葵の事も気にしないで下さいね、あれは当面俺のところで面倒見ますから」
 あ……と少しなにか言いたそうな顔をする美佐子。
 だが、再び先ほどのようにように念を押すと、コクリとうなずきうつろなままの表情で俺を見上げた。
……さて、これでとりあえず今日の目的はすべて終了したな…
 そう、心の中でつぶやき俺は立ち上がる。
 だが、立ち上がった瞬間、くいっという感じで俺の制服の袖が後ろに引かれた。
……なんだ?
 俺が後ろを振り向くとすぐ真後ろに、今までずっと何もせずにソファーに座っていた茜が、うつむきながらたたずんで、俺の袖の端を握っていた。
 くいっと茜がもう一回俺の袖を引っ張る。
 その身体は細かく震えていた。
……ふん、これはおそらく……
 俺は心の中で笑いながら茜に言う。
「なんだ茜、何か言いたいことがあるならはっきりと言ってみろ」
 すると、茜がかすれたような聞こえるか聞こえないかのような声でつぶやいた。
「…し……も…」
 ピッと俺は腕を振り、俺の袖を握っていた茜の手を振り払らおうとする。
 だが、茜は想像以上に力を込めているのか、その手を振り解けない。
 仕方なく俺はそのままの体勢でもう一度茜に言う。
「聞こえない、もっとはっきり言え」
 すると茜が顔を上げる。
 そして震えた声で、叫ぶように言った。
「わ、私にも……して…っ」
 その俺を見上げた茜の顔は、茜の性欲が理性のリミッターを振り切ったときに見せる、牝奴隷の顔そのものだった。
 ふんとそんな茜を鼻で笑うようにしながら、ちらりと俺は美佐子を見下ろす。
 いまだ起き上がってこそうもない美佐子だが、ここで茜とやり始めたら、この淫乱な人妻の事だ、まず間違いなく便乗してくるだろう。
 はっきり言ってこんな貪欲な牝犬を2回も3回も相手に出来るほど俺の体力も無限じゃない、ここでやるのは得策じゃないな。
 俺はそんな事を思いながら茜の方を再び向くと、空いている方の手の指を茜の顎にあて、くいっと顔を上げさせる。
「あ……」
 ぼうっと俺の目を見つめる茜。
 そんな茜に俺は言った。
「いいぜ、相手をしてやるよ、お前の部屋に案内しな」
 
 
 
 かちゃり、と俺は『あかね』と書かれた木製プレートのかけてある部屋の扉を空けた。
 相変わらず茜は、まるで子供のように俺の制服の袖を引っ張って後ろについてきている。
 結局茜の調子はずっとそのような具合だったので、俺が茜を『自分の部屋は2階にある』という言葉を元に、この部屋までつれてきたようなものだった。
 もっとも茜の部屋は、階段を上がってすぐの真正面に位置していたため、特に問題なく見つかったのだが。
 そんな状況で、俺はちらりと右脇の方を見てみる。
 そこには、茜の部屋の扉とまったく同じデザインの『あおい』というプレートがかけられた扉があった。
 そして、同じように反対側をみてみると、そちら側には廊下の真正面にやや仰々しい感じのする木製の扉があった。
 おそらくあれは大学教授である茜の父親の書斎か何かだろう。
 俺はそんなふうに、茜の家の構造を少し詮索するようにしてから、茜の部屋に入った。
 部屋に入ると、俺は少し感心する。
 茜の部屋は、白と薄いピンクを基調にした、意外にも年頃の女らしい様相をしていたからだ。
 レースのカーテン、純白のベッド、勉強机の上には、なにかキャラクターグッズのような小物が並べられている。
……茜の事だから、もっと質素堅実なイメージかと思ったんだがな
 まあ、確かに部屋の中が必要以上に片付いているのは、茜らしいと言えるかも知れないが。
「ん……」
 そんな事を考えていると、茜が後ろから俺に抱きついてきた。
 まるで景子や葵がそうするように、甘えるように身体を密着させてくる。
 その身体は、燃えるように熱くほてっていた。
 そして、そんな茜の行動を見て俺は思う。
 俺に、囚われる前から、俺に対して好意を持っていたという茜。
 こんなふうに、理性が飛んだ状態でしかこういう行動を取れないのか、それともこういう行動を取りたいがために理性を飛ばしているのか。
 どちらにしても不器用な女だ。
 きっとコイツは他人に対してこんな接し方しか出来ない人間なんだろう。
 俺に対しても、美佐子に対しても、そして葵に対しても―――
 俺はそんな茜の手を振り解くと、振り返りぐいと茜を身体から離す。
「あ……」
 茜は少し悲しげな顔をして、熱のこもった目で、俺を見上げた。
 しかし、茜が俺に対してどんな感情を持っていようとも、どんな接し方をしようとも俺には関係ない。
 それが利用できるものなら利用するし、俺にとって都合の悪い事ならば、我を貫き通し、強引にやりたい事をやるだけだ。
 俺に対し、どこか媚びるような視線を投げかけてくる茜、そんな茜に対して、俺はおどけるように言ってやる。
「で、茜、もう一度聞かせてくれないか? お前は俺に何をしてもらいたいんだ?」
 すると茜は一瞬だけためらったような表情を見せる。
 だがすぐに俺に向かって口を開いた。
「わ、私にも……美佐子さんみたいに……して欲しいの」
 ふんと俺は笑う。
「それは、牝犬にしてもらいたいって事か?」
 あっ…と声をあげる茜、そのままカアッと顔を赤くすると、うつむいてしまった。
「そうなのか?」
 俺がそう念を押すと茜はうつむいたまま、プルプルと首を振った。
「で、できれば…っ、普通に……」
……普通―――か
 何を持って普通というべきなのか。
 はっきり言って俺のする行為すべてに普通というものがあてはまると思わない。
 だが……まあいい、俺の方も美佐子相手に2回も抜いてるんだ、これ以上ネチネチと茜を嬲る気もあまりない。
「いいぜ、だったら脱げよ」
 俺がそう言うと、茜は顔を上げて、えっというような表情をした。
 おそらく俺が何も因縁をつけずに茜の要望を聞いてやろうとした事を、意外に思ったのだろう。
「なんだ、そのままの格好でやられて制服をグチャグチャにされたいのか? それとも引き裂かれたいのか?」
 俺がそう言うと再び茜は首を横に振り、慌てたように自らスカートに手をかけた。
 震える手でホックを外し、ファスナーを下ろすと、紺色のスカートがふさっと絨毯の上に落ちる。
 シャツの裾から、はみ出るように純白のパンティーが顔をのぞかせた。
 初めの頃からは、想像もできないような素直さで、俺の目の前で服を脱いでいく茜。
 スカーフを取り去ると制服の上も脱ぎ去り、完全に下着姿になった。
 茜はそこで一度ちらりと俺を見上げ、動きを止めた、だがすぐさまブラにも手をかけると、ためらいなくパンティー共々下着を脱ぎ去る、そして、少し恥ずかしそうにうつむきながらも、身体の一切を隠さずに俺の前でさらした。
 俺は見慣れたその身体を、それでも上から下まで舐めるように鑑賞する。
 スレンダーという定義の元に均整の取れた茜の身体。
 美佐子のような妖艶さはほとんど感じられないが、純粋に芸術的な美という意味では遥かに上回っている。
 だが―――
……ふん、なんとなく茜の考えている事がわかってきたぞ
 俺はそう思うと、裸になった茜の肩を掴む。
「えっ?」
 そして、放り投げるようにして茜をベッドの上に突き飛ばした。
「きゃっ」
 茜の軽い身体が、ベッドのスプリングで弾む。
 その茜の身体の上に、俺はすかさず覆い被さった。
 俺と茜の顔が、20センチほどに近づく。
「あ……」
 茜が顔を真っ赤にして戸惑いの表情を見せる。
 だが俺は、そんな事にかまわず、唇の端を吊り上げるような笑いを浮かべると、茜をまっすぐに見つめたまま、ほんの少し開かれていた股間に、強引に右手をねじ込ませた。
「んっ」
 ピクリと茜の身体が震える。
 俺はそのまま、俺の糸の力によってヴァギナより感度を上げられ、第二の性器となり果てた茜のアナルに指先を触れさせた。
「ああっ」
 ビクンと茜の身体が大きく震える。
 そして俺はそのまま、アナルの表面をくすぐるように、指を動かす。
「ひやっ」
 ギュッとベッドの布団を両手で鷲づかみにして、身体をのけぞらせる茜。
 そんな茜をあざ笑うように俺は言ってやる。
「茜、お前にとっての普通ってのはここだよな」
 すると茜は布団を握り締めていた手を放し、今度はその両手で俺の腕を掴んだ。
 そしてそのまましつこいぐらいに首を横に振る。
「いやっ、お願い…っ、私も美佐子さんみたいに…っ」
 俺はその茜の言葉を聞いて確信する。
……やっぱり間違いないな
 先ほどから何度も美佐子を引き合いに出し、俺に要求をしてくる茜。
……つまるところ、コイツは美佐子に対し対抗しているんだ…
 嫉妬と言っても過言ではないかもしれない。
 正直、あまり快くは思っていない美佐子が、あっさりと普通…とは言いがたいが、それでもまともなセックスをしたのに対し、自分はいまだ処女のままという状況で―――
 俺は茜の股間から手を抜く。
「あ……」
 それでも口惜しそうな声を出す茜。
 親指の付け根の、ちょうど茜のヴァギナに触れていた部分は、茜の愛液でビッショリとぬれていた。
……さて、どうしたもんか
 俺はそう考えながら、ぺろっとその手の部分を舐めた。
 すると、俺の顔を見つめていた茜の瞳から、ポロリと涙がこぼれる。
……ん?
 なぜだか知らないが、それは今までの、性欲が高まるあまり感極まって流れたような涙とも少し違う気がした。
「まだ……なの……?」
 茜がかすれるような声でつぶやく。
……まだ? 
 もう我慢が出来ないから早くしてくれって事か?
 俺はそんな事を考える。
 だが、次の茜の言葉は、俺の考えていた事と、まったく違う事を告げる内容だった。
「まだ……私を許してくれないの……?」
 ポロポロと茜の瞳から涙が続けて落ちる。
……許す?
……許すってのはどういうことだ?
 と、俺がそう思うと同時に、自分自身で、ああそうかと理解した。
 元々…茜を処女のままアナルで感じるような身体にしたのは、俺を散々痛めつけた茜に対する報復として、行ったものだった。
 俺を苦しめた茜に徹底的な凌辱を与えるために。
 そういえば俺は何度も茜に対して『絶対に許さない』と言った気もする。
 茜にしてみれば、俺の茜に対する行為のほとんどが、それに起因するものという事となっているんだろう。
 はっきり言ってしまえば、すでに俺は茜を嬲り尽せるだけ嬲ったし、ここまで俺に従順になった茜を報復うんぬんという気でどうこうする気も無い。
 今現在こういう嬲り方をしてるのだって、単に俺が面白がってやっているだけだ。
 だったら……
 俺はニヤリと笑う。
……そろそろ処女の方も奪って、茜を完全な『俺のモノ』にするのに頃合な時期かもしれないな
 俺は、そう結論付けると、涙を流しながら俺を見つめている茜を見下ろす。
 そしてそのまま一歩茜に近づくと、ドンッと茜のすぐ脇に足を勢い良く踏みおろした。
 ベッドのスプリングごと、茜の身体が大きく弾む。
「あ……」
 おびえたような顔をする茜、流れる涙の量が一段と多くなった。
 俺はそんな茜の頬に手をあてる。
 そしてそのまま親指でぐいっと涙をぬぐった。
「え……?」
 少し呆けたような顔をする茜。
 そんな茜に向かい、俺は静かな声で言う。
「許して……もらいたいか?」
 俺はゆっくりと茜の頬から手を離し、足もベッドから下ろした。
 そして、そのまま茜の答えを待つ。
 しばらくその呆けた表情で俺を見上げていた茜。
 やがて、きゅっと両目をつぶると、そのままコクリと首を縦に振った。
 そして、かすれるような声でつぶやく。
「いや……私だけ嫌われてるなんて……絶対にいや……」
 ポロポロと再び涙がこぼれる。
 その茜の姿を見て、俺は心の中で笑った。
 俺は別に茜をだけを嫌ってるつもりも、さげすんでいる気も無い。
 景子も葵もすべてに対して平等に扱っているつもりだ。
 しいて言うなら、そういう事をする際に、茜の反応が一番面白いためにほかの2人よりもキツイ事をする傾向があるぐらいだ。
 だが……茜がそう思い込んでいるならば……
 俺はニヤリと笑う。
 さっき思った通り、それを利用して、俺の望むとおり事を進めるだけだ。
「だったら……俺が望むような行動をとってみろよ」
 俺がそう言うと、茜は流す涙を止める。
「もう一度聞くぞ、お前は俺に何をしてもらいたいんだ?」
 そのまま俺の事を見上げる茜、しばらくの沈黙が訪れる。
 だが、俺が何も言わずに次の茜の行動を待っていると、茜はそろそろと両の足を抱えるようにしてベッドの上に持ち上げ、そのままゆっくりと、ゆっくりとその行動を俺に見せるように足を広げていった。
 茜の足が、180度になるほど開かれる。
 更に茜は自らのヴァギナに震える手を当てて、ぐいっと恐々ながら広げてみせた。
 真っ赤に充血し、今にも溶けそうになっている茜のヴァギナがあらわになる。
 その発情具合は、一度も男を受け入れていないものとは思えないほどだった。
 俺はそんな茜の行動を、顔色ひとつ変えずに見下ろす。
 やがて、茜の喉がごくりと鳴る。
 そして、意を決したように、つぶやいた。
「私のここに……あなたのを…下さい……」
 くちゅりと茜のヴァギナが音を立てる。
 茜の息が荒い。
 羞恥によるものか、興奮によるものか。
 だが、俺はそんな茜とは対照的に、これ以上ないぐらいの冷静な声で茜に言った。
「50点だな」
 高潮したままの顔で茜が俺の事を見上げる。
「優等生だろ? もっとまともな答えを用意してみろよ」
 俺がそう言うと茜は、ああ…とやるせない声をあげた。
 茜ならわかるはずだ、俺がどんな言葉を茜に言わせようとしているのか。
 今まで散々、景子や葵と一緒に俺の辱めを受けていた茜なら。
 俺はそのまま茜の次の言葉を待つ。
 すると茜は、両の目をこれ以上ないぐらいに潤ませながら、俺に言った。
「私のオ○ンコに……あなたのオチンチンを挿れて下さい……」
「………」
 じわり、と茜のヴァギナから流れ落ちた愛液が、布団の上にシミを作る。
 だがそれでも俺は動かない、次の茜の言葉を待つ。
 ぽろりと茜の瞳から涙がこぼれた。
「私の処女を奪って……私を完全な『あなたのモノ』にしてください……」
 ぐいっと茜のヴァギナがこれ以上ないぐらいに開かれる。
 俺はその言葉を聞くと、表情を変えずに、茜の股間に右手を近づける。
 そして、これ以上ないくらいに開かれたヴァギナの中心に中指を触れさせた。
「あっ」
 ビクンと茜が身体をのけぞらせる。
 その中心部は、燃えるように熱かった。
 俺はそこの感触を確かめると、そのままその指を離す。
 すると、茜がもう我慢できないというような感じで叫んだ。
「お願い、欲しいの……あなたのが欲しいのっ」
 ダラダラと茜のヴァギナから愛液が流れ出してくる。
 その茜の姿を見て、俺はふんと笑った。
「いいだろう、合格点だ」
 俺はそう言って、自分の制服を脱ぐ。
 暖房の効いていないこの部屋では少々肌寒かったが、どうせすぐに熱くなる。
「あっ」
 俺は着ているものをすべて脱ぐと、一度茜を抱えあげ、ベッドの布団を取り去る、そしてシーツの上に再び茜を座らせた。
「開くのをやめるな」
 俺がそういうと、茜は俺を見上げる。
「うん……」
 そして、恥ずかしそうにしながらも、再びベッドに寝転び、先ほどと同じように股を開き、自らの手でヴァギナを広げた。
 早くもシーツの上に茜の愛液のシミが広がる。
 俺は、その茜の姿を確認すると、片膝をベッドのへりに乗せて茜に覆い被さる、そして茜の耳元で囁いた。
「何をしてもらいたいのか……もう一度言ってみてくれよ」
 あ……と切なげな声をあげる茜。
 だが、すぐさま俺が発した言葉と同じらい小さな声で答えた。
「私のオ○ンコに……あなたのオチンチンを挿れて……私の処女を奪ってください……」
 そして、近づいていた俺の身体を、ぎゅっと抱きしめてきた。
 密着した身体から茜のほてった身体の熱が伝わってくる。
 俺はその体勢のまま左肘をベッドにつけ、腰だけを少し浮かせた。
 そしてペニスを握り締めると、その先端を茜のヴァギナに押し当てる。
「っ!」
 ビクリと茜の身体が震える、俺の身体を抱きしめている手に一層の力がこめられた。
 ブルブルと震える茜。
 高まった興奮ゆえか、破瓜への恐怖ゆえか。
 しかし俺はそんな茜の様子などお構いなしに、腰を沈めた。
「い…っ」
 茜の腰が引けて、俺から逃げようとする。
 だが俺はペニスを握っていた手を放し、開かれている茜の足を抱えるようにして再び近くに引き寄せる。
 そして、今度は動かないように茜の身体を固定すると、強引にそのままペニスを茜のヴァギナにねじ込んだ。
 俺の亀頭から、柔らかくも、確実に抵抗があるものを破壊する感覚が伝わってくる。
「あっ……ぐうっ」
 茜が痛みのためうめき声をあげる。
 力がこめた茜の爪が、俺の背中に食い込んだ。
 そんな茜に対し、俺は動きを止めてから軽口をたたくように言う。
「そんなに苦しいんなら俺の力で痛みを無くしてやろうか?」
 だが茜は激しく首を横に振る。
「いや…っ、そんな事、しないでっ」
 あまりにも俺と茜の顔が近づいているため、茜が首を振るたびに頬と頬がこすれる。
 ……あくまで『普通』にこだわりたって事か
 まあ…それならそれでいい、そのままありのままの痛みを感じればいいさ、すべては茜自身で望んだことだ。
 俺はそう思うと、腰を強く突き出し、ペニスを根元まで茜のヴァギナにねじ込んだ。
「―――っ」
 声にならない声が茜の口から漏れる。
 だが、そんな事お構いなしに、俺は一度腰を引くと激しく腰を叩き付け、再びペニスを茜のヴァギナの最奥までねじ込む。
「あっ、ぐうっ」
 たまらず、と言った感じで茜が開いていた足を俺の腰に絡ませ、俺の動きを抑制させようとする。
 しかし、それならそれでと、俺は腰の動きを前後から縦の動きへと変える。
「あっ、あっ、あっ」
 それでも涙を流しながら、うめき声しか言わずに、俺にしがみついてくる茜。
 結局そのまま茜は、俺が美佐子相手に2回精を放った分だけ長くかかった射精まで、一言の泣き言もいれずに耐え切った。
 
 
 
 外に出ると、日は完全に落ち、夜となっていた。
 ふと立ち止まり上を見上げれば、雲ひとつ無い空に、満天の星とほんの少し欠けた月が浮かんでいる。
 視線を戻し、前へと歩き始めると、冬の澄んだ空気の元、それらがついては消える街灯とともに俺の足元を照らしていた。
 そんな風一つ無い穏やかな夜の帰路。
 しかし、放射冷却のせいだろうか、歩くたびに頬に触れる空気は、まるで俺の身体を芯まで凍らせるほどに冷たかった。
 そんな俺を後ろから追いかけてくるひとつの人影。
 ひどくおぼつかない足取り。
 そう、茜だ。
 俺はもう用は無い、と言ったのだが、茜は、葵に会いに行く、と言い張り俺の後についてきた。
 ふらり、とよろけて茜が電柱に手をつく。
 呼吸も心なしか荒い。
 当然といえば当然と言えるだろう、茜はついさっき、その身がちぎれるほど激しく俺に処女膜を破られたばかりなのだから、本来なら立っているのもつらいはずだ。
 だが俺は、茜に歩速をあわせる事も、あえて早める事もしない、一定の速度で歩いていく。
 そもそも茜が俺と一緒に行く必要など無いのだ、葵に会いにくるというなら勝手にくればいい、別に俺は追い返したりはしない。
 しかしそれでも茜は、俺と距離が離れたら足を速め、近づいたら苦しそうに足を止め、俺から一定の距離以上離れないように、必死についてきていた。
 そんな事を延々と繰り返しながらの家路。
 さすがにうんざりしてきたので、俺は歩く足を止め、茜の方に振り返った。
「あ……」
 茜も合わせて歩くのを止める。
 そんな茜を見ながら、俺は少しため息混じりに茜に言った。
「そんなにつらいなら、痛みだけでも止めてやるぞ」
 俺はすっと右手を掲げる。
 先ほどはかたくなに俺に力を使われるのを拒絶した茜、だが今はほんの少し戸惑ったような顔をした。
 実際そう反応してしまうほどつらいんだろう。
 しかしそれでも、茜は首を横に振った。
「いいわよ……別にこのままで……」
 無理に素っ気無さを装うとしている茜の声。
 そんな茜の姿を見て、俺は笑いながらおどけるように言った。
「せっかくだから完璧に治してやろうか? ぶち破ったものもすべてが元通りになるように、いつでも同じ体験が出来るようになると思うぞ」
 茜がかっと顔を赤くする。
「ば…馬鹿言わないでよ、ああいうのは―――」
 そこまで言って、茜はぷいっと顔を俺からそらす。
「い…一生に……一度だけだある事だから………意味があるんでしょ」
 俺と目を合わせようとしない茜。
……意味――か…
 俺はそのままの茜をじっと見つめる。
 茜があの行為にどんな意味を持たせていたか……あえて詮索する事はやめておこう。
 俺が考慮する事ではない。
 俺は、掲げていた右手を下ろし、帰り道へと向きを戻す。
「それならそれでいい、勝手にしろ」
 そして、そう茜を突き放すと、俺は再び歩き始めた。
 先ほどと変わらない速度で俺は歩く。
 しかし、今度は俺の後についてくるはずの茜の足音が聞こえてこなかった。
 一度完全に歩くのを止めてしまった分、再び歩き出すのがつらいのだろうか。
 だが、その場に立ち止まったままの茜が、俺に声をかけてきた。
「ねえ……」
 俺に聞こえるか聞こえないかの小さな声。
 いつもならばこのまま無視をして俺は歩いていってしまっただろう。
 しかし、その小さな声の中に、これ以上無いぐらいに思いつめた感情を感じ取り、俺は足を止めた。
「なんだ?」
 上体だけを後ろのほうに向けて、俺は茜に聞く。
「…………」
 俺を呼び止めながらも、うつむきかげんに何も言ってこない茜。
 しかし、その表情は、俺が茜の言葉から読み取った感情同様、非常に思いつめたものだった。
「……用があるなら早く言え」
 俺は茜を促す。
「………」
 茜はしばらくそのままで黙りこんだままだった、しかし、ゆっくりと俺を見上げると、かすれるような、小さな声でつぶやいた。
「お願いがあるの……」
 その言葉を聞いて、俺はわざとらしくため息をつく。
「本当に異議申立の多い女だな、おまえは」
 俺は身体を完全に茜の方に向けた。
 あきれたように俺はそう言ったのだが、それでも茜の表情は真剣だった。
「最後だから……これが本当に最後のお願いだから」
 その言葉を聞いた瞬間、俺の脳裏にピリッという衝撃が走る。
 それと同時に浮かんだ夢の中の茜の姿。
 俺に手をかけながらも、これが最後と言うように俺の前から消えていった茜の姿―――
「……なんだ、言ってみろ」
 俺の声も、自然と真剣なものになる。
 そのまましばらくの俺と茜の間に沈黙が訪れた。
 先ほどまではまったく吹いていなかったはずの冷たい風が、俺の首筋をなでていく。
 やがて意を決したように、茜が言葉を発した。
「私は……もういいの、あなたにどんな扱いをされたっていい、あなたがどんなふうに思ってくれたっていい、だから………」
「………」
「あ…葵を……あの子をあなたの1番にしてあげて欲しいの……」
 そう言うと、それっきり茜は黙り込んでしまった。
……1番…か
 俺はふんと笑う。
「という事は、つまり葵をお前以上に嬲れっていう事か?」
 俺がそういうと、茜はうっと声を発する。
 だが、もう止まれないと言った感じで、歯を食いしばるように言った。
「あなたが…そういうふうな方法でしか人とつきあえられないなら、そういう形でしか人と本気で接する事ができないって言うなら、それでもいいっ」
 茜はぎゅっと目を閉じると、こぶしを握り締めながら、身体を細かく震えさせた。
 激しい息遣いも聞こえてくる。
 ありったけの勇気を絞りきって、決断した言葉を発したという様子がありありと伝わってきた。
……なるほど
 俺は気づく。
……今までの一連の茜の行動は……これをやりたいがゆえだったのか
 俺はうつむいている茜を見下ろしながら、茜と葵、2人の立場について考えてみる。
 葵が俺に好意を持っているのは、最初から明らかだった。
 すべてを壊してまでも俺を手に入れようとした葵の姿を見れば嫌でもわかる。
 だが蓋をあけてみれば、最初は明らかに俺に敵意を持っていたはず茜も、実は俺に対して好意を持っていたという。
 俺にはこの2人が、どちらが先になんていうところまではわからない。
 しかし、茜は葵のためならその身体を献身する事すらためらわないほどの妹思い。
 考えてみれば簡単な事だ、要は茜は俺を葵に譲る、と言っているのだ。
 今日一連の茜の不可解な行動は、ある意味俺との決別の儀式という意味合いを持っていたんだろう。
 これは、茜としては当然ともいえる行為、しかし―――
 俺はゆっくりと茜の方に向かって歩き出す。
「なるほど……つまり俺はおまえと葵の間で譲り受けされるような『モノ』って言う事か」
 えっ、と顔を上げる茜。
「そうだろう? お前と葵の都合で俺をどうこうするって言ってるんだ、そこに俺の意志はない、つまりお前は自分が散々嫌がっていた、俺がお前たちをモノ扱いにする事を俺にしようとしたって事だ」
「そ、そんな事じゃっ!」
 茜はむきになって声を張り上げる。
 俺はそんな茜の喧騒に引くこともなく、歩く速度を緩めずに茜に近づく。
 ……まあ、茜にもいろいろ言いたい事はあるだろし、俺にだって今の茜の要求に対して言いたい事はある、しかしこの寒空の下こんな大声で長々と痴話話をする気はない
 俺は、あと一歩踏み出せば茜と身体がぶつかるという位置まで茜に歩み寄る。
 そしてその場で茜を見下ろした。
「あ……」
 さすがに茜も、これだけ間近ですごまれたたら、黙る以外にない。
「………」
 飼い主に睨まれた子犬のように黙り込む茜。
 そんな茜に俺はゆっくりと言った。
「茜……本来俺がここでいうべき言葉は『そんな事をお前が言う権利はない、俺は俺のやりたい事をするだけだ』と言う事なんだろうが……とりあえずそれは置いておいてやる」
「えっ!?」 
 驚いたような顔をして俺を見上げる茜。
 今言ったような事を、当然俺が口にすると思ってたんだろう。
 しかし、そんな茜を見下ろしながら、俺はこれ以上ないぐらい抑制した声で、茜に告げた。
「お前……お前が葵に対してそんな接し方をしてる限り……葵はまた壊れるぞ」
「―――っ!」 
 その瞬間、サッと茜の顔が青ざめた。
 壊れた葵。
 俺と戦った時の葵。
 己の欲しいがものを手に入れるため、利用できるものをすべて利用し、壊そうとした病んだ精神。
 挙句の果てには、目的であった俺までも破壊して手に入れようとした。
 おそらく葵がああなってしまったのは、糸の力に魅入られた事、俺が葵よりも先に茜に目をつけた事が起因となっていたのだろう。
 しかし、それは文字通りきっかけに過ぎない。
 本当の直接的な原因、それは間違いなく、今この俺の目の前で見せた茜の行動、幼い頃からの葵に対する必要以上の干渉。
 それが、葵を圧迫し続けたのだ。
 俺の言いたいことがわかったんだろう、茜は顔をうつむかせ、その全身をプルプルと震わせた。
 時折街灯の光を反射させる水滴が、うつむいた茜の顔から地面に落ちていく。
「お前だって本当はもうわかってるんだろう?」
 俺は声のトーンを変えずに茜にそう言った。
 しかし、それでも気丈に茜は俺に向かって言い張る。
 俺には理由がわからないが、きっと茜にとって、たとえどんな事でも譲れない事というのが葵の事なんだろう。
「なによ……なによ、偉そうに」
 ボロボロと茜の涙が地面に落ちていく。
「自分だって、自分だって壊れてるくせに、まともな精神じゃないくせにっ、そんなんで私たちの何がわかるって言うのよっ!」
 しゃくりあげながら叫ぶ茜。
 そんな茜を見下ろしながら、俺はゆっくりと、静かな声を発する。
 考える前に出た、自然の言葉。
「壊れてるからこそ……客観的に…見たくもない真実が見れるって事もある」
 はっとしたように顔を上げる茜。
 そしてその表情。
 俺の顔を見て……まるで言ってはいけない事を言って、それを後悔するようなそんな表情。
 ………俺は……どんな表情で今の言葉を言った…?
 ほんの少しだけ漏れてしまった俺の本音。
 そのままではいけないと、俺はいつもの自分を取り出すために、ぐっと思い切りコブシを握った。
 茜も……先ほどまでの勢いを無くし、つぶやくように言った。
「だったら……どうすればいいのよ、私はどういうふうにあの子に接すればいいのよ…」
 再びうつむく茜。
「約束を……どうすれば………」
 そんな茜を見ながら俺は言う。
「知りたいか?」
「えっ?」
 茜が驚いたように顔を上げた。
「どうすれば……葵とまともな関係が保てるかを知りたいかと聞いた」
 うろたえる茜。
 さっき言ったように、このまま茜が今の接し方を葵に続けている限り、葵はきっとまた壊れるだろう。
 せっかく俺が苦労して葵の精神にリセットをかけてやったのに、それをまた茜にめちゃくちゃにされるわけにもいかない。
「わか…るの?」
 驚いたような、信じられないような顔をする茜。
 そんな茜を見下ろし、俺はふんと笑いながら答えた。
「ああ、もちろんだ、しかもこんな人の心を外から捻じ曲げるような道具を使う事も無く、ごく自然にな」
 そう言って俺は右手中指を茜に向けて、糸を出すポーズをとる。
 もっとも、その方法を茜が実践できるかどうかは別問題だが。
「知りたいか?」
 俺はもう一度茜に問いただす。
「………」
 相変わらずの表情でためらう茜、きっと俺の言った事に半信半疑なんだろう。
 しかし、それでも藁をもつかむ気持ちなのか、やがてゆっくりと頷いた。
「そうか、じゃあ教えてやる」
 俺はそう言って、茜に向けていた右手を下ろす。
 もともと原因ははっきりしているんだ、当事者である茜にはわからないかもしれないが解決策はそう難しい事じゃない。
 後はそれをしっかりとした形に表現できるように行動するだけだ。
「お前が葵に対してすべき事、それは……」
 そして―――
 俺がそう言いかけた時。
「!」
 突然異変が起こった。
 茜の顔色が変わる、なにかに驚くように俺の後方を見つめた。
 それと同時に―――
「――っ!」
 俺に襲い掛かってきた感覚。
 頭の中をちりちりと焼くような……いや。
 そんな生やさしいものじゃない、背筋から脳髄まで、まるで電撃が走ったような、そんな衝撃が俺を貫いた。
 この感覚は絶対に忘れない、茜や葵と戦った時に感じた―――
「後ろっ!!」
 茜が叫ぶ。
 同じ能力を持つ者を感じ取る感覚!
 俺は言われるまでも無く、バッと後方に振り向いた。
 その瞬間、いままでまったくの無風と言ってもいいような路地に、突風が吹く。
 気を抜けば、そのまま吹き飛ばさてしまいそうなほど強い風。
 そして、その目を開けるのもつらいほどの風の向こう側に見えたもの。
 それは、閃光―――
 俺の糸が出すようなきらめく光じゃない、すべてを焼き尽くすような、エネルギーの塊のような、凝縮された光。
 それが、うねるように俺に向かってきていた。
「ちっ!」
 俺は反射的に茜をかばうような位置に立つ。
 そして、強風に立ち向かうように身体を前のめりにさせると、その光の正体を見定めるために襲いくる閃光を凝視した。
 あれは―――
―――糸!?
 あまりにその光が強いため、まともに正視する事が出来ない。
 しかし、それは間違いなく、焼けつくような光を発する、細い細い糸だった。
 くっ……
 あの糸自体がもつエネルギー、とても俺の持つの糸と同じものだとは思えない。
 しかし、あの光からは感じる力は、間違いなく俺の持つ力と同類のもの。
 ならば―――
 ギッと俺は歯を食いしばり、神経を集中させる。
―――この壁で、弾き返す!
 そして俺は、茜から奪った能力。
 赤い糸の付加能力。
 すべての糸の能力をはじき返し、その身を守る、堅固な赤い光の壁を展開した。
 ブンと俺の目の前一面に張り出される赤い壁。
 俺と、茜を守るように眼前に立ちはばかった。
 俺は壁越しに閃光を見据える。
 その壁の向こうからゴウとうなりをあげて俺に向かってくる閃光。
 一瞬で閃光と壁が衝突する、しかしその刹那。
 な―――
 俺の予想外の事態が起こる。
 閃光は……まるで俺の糸が、すべての物質を通過するように、俺の展開した赤い壁を、その場に何も無いがごとくすり抜けた。
 いや、それだけじゃない。
 あれほどの堅固な壁が、その閃光が貫いた点を中心に、まるで波紋が広がるように溶けてしまった。
 壁を貫き向かいくる閃光。
 それは間違いなく俺の心臓に標準を合わせていた。
 感覚的にわかる、この糸は俺の糸の様に、突き刺してから特殊能力を発揮するようなそんな類のものではない。
 触れる事、そのものが致命的なダメージにつながるような、そんな力。
 だが、俺は動けない。
 壁を展開してしまったため、その能力を完全に信じきっていたため、精神が、思考回路が完全に『息継ぎ』をしてしまった。
 瞬間的に何も考えられなくなる。
 死―――
 それだけが俺の脳裏に浮かんだ言葉だった。
 だが次の瞬間―――
 『ドンッ』
 突然俺の身体が、斜め後ろから突き飛ばされた。
 なっ……
 ガクンと体勢が崩れる。
 俺はそのまま倒れそうになったが、それでも足を踏ん張り俺を突き飛ばした者の方に振り返った。
 俺の目に入るのは、俺を突き飛ばしたままの体勢で、その場で立ちすくんでいる人物。
……ちょっと待てよ…
 しかし、そこは俺が今まで立っていた場所。
 当然糸の標的は……
――ちっ
 その衝撃で俺の思考回路は完全に動きを取り戻す。
……大丈夫だ
 俺は冷静に状況を分析する。
……こいつの力はそんなに強くなかった、突き飛ばされたと言っても、俺との距離はそれほど離れていない
 俺は、俺を突き飛ばしたその腕を掴むために手を伸ばす、そのまま俺の方に引き寄せるために。
 問題は無かった、余裕を持って手首を掴めるはずだった、しかし―――
……なん…でだよ…
 俺の手は、空を切った。
 かすかに指先が、制服の袖に触れた。
……わかってるのか? それを食らったら間違いなくお前は死ぬんだぞ?
 自ら手を引いたのだ。
 助けようとして出した俺の手を拒絶するように。
……なのになんで………
 俺はそいつを見上げる、身を呈してまで、俺を助けようとした馬鹿な女の顔を見るために。
 そんな俺の目に入ってくるその笑顔、それはどこか……見覚えがあった……
―――なんでそんなに、満足そうな顔してるんだよっ!!
 
 
 
 『あなたがあの子を守ってあげてね……』
 私の頭に置かれる、優しい手。
 『あなたは、あの子の、おねえちゃんなんだから……』
 骨と皮だけになってしまった、やせ細った手。
 それでも暖かい手。
 白い…すべてが白い。
 ベッドも、布団も、机も、カーテンも。
 すべてが白い小さな部屋。
 夏の暑い日。
 それがおかあさんの最後の言葉。
 それがおかあさんと最後にした約束。
 だから私は守るの。
 たとえどんな事があっても、あの子は私が守るの。
 
 
 
「あれ? 葵、なに見てるの?」
 夕暮れ時の私の家。
 ほんの少し開いていた葵の部屋の扉から中を覗いてみると、着替えもせずに制服姿のまま、イスに座って今にもため息をつきそうな表情で、手に持つ何かを見つめている葵の姿があった。
 夕日に染まる部屋の中で、憂いの表情で佇む葵。
 透き通るほどの長い黒髪が、きらきらと夕日を反射している。
 我が妹ながら、それは見とれてしまうほど、美しい風景だった。
 でも、そんな雰囲気にまるで合わないような慌てた声。
「や、やだっ……な、なに、茜ちゃん、どうしたの?」
 そして手に持っていた物を机の引出しに隠してしまった。
 でも……あわて者だな、さりげなく隠せば大丈夫だったのに、変にバタバタしちゃったから逆に葵の持ってた物がはっきり見えちゃった。
 あれは、写真―――、しかも男の人のだ。
 ブロマイドじゃなかった、つまりは確実に葵の目の届く範囲に存在する人。
 私はいたずらげな笑い顔を浮かべて葵の部屋に入る。
 そして、ちょんちょんちょんと軽い足取りで葵に近づくと、後ろから葵の首に抱きついた。
「こらっ、何を隠したんだ?」
 ぷるぷると首を振る葵。
「隠してないよ、なにも隠してないよっ」
 こんなふうにすこしおどけたような態度をする葵。
 でも、これは私の前だけでの姿、普段外で見せている葵の姿とは少し違う。
 小さい頃から容姿端麗だった葵。
 芸能界に何度もスカウトされた事もあった。
 でも逆に言えば、それは幼い頃から、常に人の好奇の目にさらされてきたと言う事。
 そんなふうに育ってきた葵は、最近では軽い対人恐怖症……特に男の人に対する接し方をスムーズに行えないようになってきていた。
 そんな葵が、男の人の写真を見ながらため息……これは由々しき事態だぞ。
「おねえちゃん……協力してあげるぞ」
 私がそう言うと、ぴくりと葵が反応する。
「………見えたの?」
 おそるおそる私を見上げる葵。
 そんな私は、返事として満面の笑みを浮かべた。
 ボッと顔を真っ赤にさせてうつむく葵。
「ほら、見せなさいって」
 私は葵の首に抱きついたまま、葵の身体を前後に小さく揺らす。
 そんな葵が私を見上げる。
「…………本当に……………協力してくれる…?」
 おどおどしたような、もじもじしたような、そんな表情。
 私はそんな葵がたまらなくかわいくて、抱きついていた腕に、ぎゅーっと力を込めた。
「あたりまえじゃない、私はあなたのおねえちゃんなんだから」
 すると葵はゆっくりと机の引出しを開ける。
 綺麗に整頓された小物が並べられている机の中、その中に1枚無造作に写真が置かれていた。
 葵はそれを大事そうに手に持つと、そっとその写真を机の上に置いた。
 私は葵の顔の横から、覗き込むようにその写真を見る。
 それは……文化祭の写真。
 きっと、準備をしているところを不意にとった写真なんだろう、そこに写っている人たちすべては、カメラとは違う方向を向いていた。
 そんな数人が移っている写真の中心に、ひとり、少し苦笑いを浮かべたような顔をした人が写っている。
「あれ……この人……」
 私がそう思わずつぶやくと、葵は、えっと声を上げた。
「茜ちゃん、この人知ってるの?」
 知っている……と言えるのだろうか、彼は確か同学年で、私の2つくらい隣のクラスの人。
 ただ、なぜだかいつも、用も無いのに教室に残っているから、よく見かける事が多いだけ。
 名前は……なんていったかな、確か聞いた事あるような気もするけど……。
 そんなふうに、写真を見ながら考えてると、葵が私の事をじっと見ている事に気が付いた。
「え? なに?」
 私がそう葵に聞くと、葵は少し言いづらそうに、もじもじとして言った。
「ねえ……もしかして茜ちゃんもこの人の事……」
 は?
 私はおもわずぽかんとしてしまう。
 一瞬葵がなんの事を言ってるのかがわからなかった。
 でも、葵が危惧している事の内容を理解すると、私はそのままくしゃっと葵の頭をなでて、笑いながら言った。
「違うわよ、ただちょっと知ってるレベルが微妙な人だったから、思い出すのに時間がかかっただけ」
 そのままぽんぽんと葵の頭をたたく。
 葵はちょっとくすぐったそうな表情をして笑った。
 しかし、そのまますぐに表情を少し不安そうなものに変える。
「茜ちゃん……だったら…本当に………」
 そんな葵に対して、私はくすっと笑いながら言う。
「うん、私が仲を取り持つように協力してあげる」
「本当?」
 驚くほど早く反応をしてくる葵、こんな葵ははっきり言って珍しい。
 よっぽど、葵にとって大事な事なんだろう。
「うん、約束する、でも……」
 そんな葵を抱きしめる手にきゅっと力を込めて、私は優しく言う。
「私だけが頑張ってもだめなんだよ、葵は私以上に頑張らなきゃいけないんだよ」
 うつむいてしまう葵。
 でも、それでも力強く言った。
「………うん」
………それが、私と葵との約束。
 
 
 おかあさんとの約束。
 葵との約束。
 
 
 あの人と接触するのは、そんなに難しい事じゃない。
 そう、だってあの人はいつだって誰もいない教室に、ひとり残っているのだから。
 会うのだって簡単だし、誰にも知られないようにして話の内容を伝える事も簡単、こんなシチュエーションに対して、これほどやりやすい人もいない。
 私はそう思って、夕暮れ時の校内を、あの人がいるであろう教室に向かおうとする。
 でも……なんでかな……足が進まないや。
 教室を出ればすぐにあの人の教室のドアが見えるほど近いのに。
……そ、それはそうよね、私だってこんな事するの初めてなんだから
 葵に告白してきた男の子に、葵に変わって私が断るって事は今まで何度もあった、でも今回のこんなパターンは初めて。
 自然と足がすくんでしまう、失敗したらどうしようって。
 でも、私はそんな意気地なしの足をぱんと軽くたたく。
 しっかりしなきゃ。
 大丈夫、あの葵なんだぞ、あの人だってきっと葵が付き合いたいなんて事伝えたら、飛び上がって喜ぶに違いないんだから。
 私はそう勇気を振り絞って足を動かす。
 それでもバクバクと鳴る胸の動悸は納まらない、それどころかあの人の教室に近づくにつれて、どんどん早く、強くなっていく。
……お、落ち着かなきゃ
 私はあの人の教室の前につくと、1回深呼吸をした。
 そして、開けっ放しになっていた教室のドアにそっと身を寄せると、そこからおそるおそるその中を覗いた。
 私の目に入ってくる教室内の光景。
 あの人は………やっぱりいた。
 夕日に染まる教室の中で、一番窓側の机に腰掛けて、そこから外を眺めていた。
 誰もいなくなった教室の中、たったひとりで。
 そして私は――――
 『ドキン』
 その人の、遠くを見つめるその横顔を見た時の。
 自分の身体の中に鳴り響いた胸の音を。
 一生忘れる事は出来ないだろう。
 遠く……遠くを見つめる目。
 きっと……私たちとは違う世界を見ている目。
 私たちの……見えないものを見ている目――――
 そして、その姿を見て私は理解した。
 葵……。
 小さい頃から世間の俗的な視線を浴びせられていた葵。
 そんなあの子が好きになるのは……きっと『こんな人』だって。
 『ドキン…』
 それと、もうひとつ理解した事がある。
 それは―――
 私はぎゅっと高鳴る胸を手で押さえつける。
 葵、あなたと私は……同じ血を分けた、まごう事なき姉妹だって事。
「………ん?」
 あの人がこっちに振り向いた。
 気づかれた!
 私は反射的に、その場から逃げ出す。
 思いっきり廊下を駆けた。
……なんで?
 私は走りながら思う。
……あの人に言うんでしょ?
 廊下に響く私の足音。
……葵があなたの事好きだって
 でも、それよりはるかに大きい私の胸の音。
……葵と付き合ってあげてって
 私は廊下の端までたどり着くと、そこから一気に階段を駆け下りる、そして2つ階を下りると、そのまま校舎の中心へ向かって廊下を走った。
 校舎の真中ぐらいまで走りきって、私は止まる。
 そしてふらりと背中を預けるようにして壁に寄りかかると、そのままずるずると床にへたり込んでしまった。
 『ドキン…』
 胸が高鳴る。
 『ドキン…』
 驚いたからでも、全力疾走したからでもない胸の鼓動。
………本当に……協力してくれる…?
 葵の言葉がよみがえる。
 不安そうな、すがりつくようなそんな声。
 『ドキン…』
 私は自分の胸を鷲づかみにする。
……止まってよ………
 『ドキン…』
……お願いだからっ!
 
 
 
 葵は、あれから何も私に言ってこなかった。
 きっとあの子の事だから、怖くて私に結果を聞く事ができないんだろう。
 私は今、そんな状況に甘えている、自然に葵を避けようとしている。
 でも……これは絶対に逃げられない事。
 葵のあんな思いつめた表情は、今まで見たことがなかった。
 それだけ真剣だって事、それだけ忘れることのできない想いだって事。
 絶対に、時の流れで消せる気持ちじゃないって事。
 でもね、葵……私もこんな気持ちになったのは初めてなの。
 どうすればいいかわからない。
 ううん……わかってる、本当はどうすればいいかわかってる、私があきらめればいいだけ。
 私は、あの子の事を守るんだから。
 でも………
 葵の事を思うと胸が痛い……。
 あの人の事を思うと、胸が詰まる……。
 歪んでいく、私の心。
 そして………
 きっと……そんな心の歪が……
 『あれ』を呼んだんだと思う。
 家の中に立ちすさむ、私の虚ろな視界の中にぼんやりと見えたもの。
 それは……赤い光。
 お父さんの、ほんの少し開かれた書斎のドアから漏れてくる、幻想的な赤い光。
 私は、まるでそれに導かれるようにお父さんの書斎の中に入った。
 私の目に赤い光が入ってくる。
 光の正体、それは赤い石………
 お父さんの机の上に置かれていた、小さな宝石箱のような箱の中に収められていた、ルビーのような大きい石。
 お父さんが、研究室から持って帰ってきた日に、一度だけ見せてもらった事がある。
 それが……まるでそれ自体がオーラを放つように、いく筋もの赤い光を緩やかにまとっていた。
 陽炎のように揺らめく赤い光、私はそれに導きかれるように、お父さんの机に近づいていく。
 真っ暗な部屋の中で、光るその石は、まるでそれだけがこの部屋に存在するよう。
 ……でも、おかしいな……これって確か、もうひとつ青い石があった気が……
 私は机の目の前まで歩いていく。
 ……それ以前に……そもそもどうしていつも鍵がかけてあるお父さんの部屋のドアが開いてたんだろう……
 そして、私は石に近づくと、そっとそれをつかもうと手を出す。
 『あなたが私を呼んだの?』
 私の指先が石に触れる、その瞬間―――
 ピシッという音が、部屋の中に鳴り響いた。
「!?」
 私はその音と同時に、とてつもない熱を石から感じ取り、思わず手を放した。
 でも―――
「えっ?」
 石が手から放れない、いや。
 まるで、石から糸を引いたように、細い光の筋が1本、今、石に触れた私の指に張り付いていた。
「な、なにこ―――」
 次の瞬間私を襲ったもの。
 それは激痛。
 叫び声さえあげられないほどの、経験したことのないような激痛が私の指先を襲った。
 私は耐え切れずに、床に両膝をつく。
「……あっ……ひっ……」
 しかも、その痛みは、その指先からどんどんと腕のほうに向かって広がってくる、まるで私の腕を侵食するように。
「……あぐっ……いやっ……」
 私は悶絶するように床で転げまわった。
 ―――痛い
 ―――痛い
 ―――痛い
 それしか考えられない私の頭の中、とてもじゃ無いけど耐え切れない痛み。
 でも、そんな状況の中で、ある事が浮かんでは消えていく。
―――どうして私がこんなに苦しまなきゃいけないの?
 ボロボロと涙がこぼれてくる。
 なんで? なんで? なんで?
 痛みが広がる、痛みはもう腕全体を覆っていた。
 ―――それは
 ドクンと私の心臓が鳴る。
 ……あの人がいるから……
 私の心が、あるひとつの感情で塗りつぶされていく。
 ……あんな人が、私と葵の前に現れたから……
 違う!
 そんな事なんて思ってない!
 あの人は……
 私はぎゅっと自分の腕を抱きかかえる。
 でも、それは止まらない、私の腕の侵食するように、私の思考を染めていく。
……ゆるさない……
 痛みはやがて、腕を乗り越え、頭の方へとのぼっていく。
……私をこんな目に合わせた人
 身体中が熱い、まるで熱病にでも侵されたように。
……葵にあんな切なげな表情をさせた人
 痛みの先端が、ついには頭の中心まできた。
……私の前から、消えてしまえばいい!
 その瞬間、ふっと私の身体中を蝕んでいた痛みが無くなった。
 それと同時に遠ざかる私の意識。
 私がまともに覚えているのは、ここまでだった。
 
 
 
………
……それからの事はあまり覚えていない。
 まるで、夢の中にいるような感じで、日常を過ごした。
 それでも変わらない、あの人に対する感情。
―――憎い
―――好き
―――だから消えて
 色々な感情が、私の心の中で渦巻いている。
 そしてそれを加速させるように、私の身体を、心を包むように揺らぐ赤い糸。
 人の感覚を、自在に操る……。
 きっとこの力があればすべてを思い通りにする事が出来る。
 あの人だって……
 ズキンと頭が痛む。
……この力を使うの? あの人に?
……使って何をするの?
……あの人を私のものにするの? それとも葵にあげるの?
 思考がまとまらない、色々な感情が浮かんでは消えていく。
 それでも最後にたどり着く感情。
―――あの人が、いなくなってしまえばいい
―――そうすれば私は苦しまなくてすむ
 でも………
 まったく予想もしてなかった事。
 あの人も………私と同じ力を持っていた。
 葵も私と同じように、この力に浸食されていたから知る事が出来た。
 この力には、同じ力を持っている人を感じ取る能力がある。
 だから間違いない。
 どうして?
 どうしてあなたがこの力を持っているの?
 あれは、私のお父さんが持っていたもの。
 つまり、私たちのもの。
 取り戻さなくちゃいけない、たとえこの人のすべてを壊しても。
 壊す?
 いやだ、そんな事したくない。
 それに、この人がいなくなったら、葵が悲しむ。
 葵の悲しむ顔は見たくない―――
 そんな私がかろうじて出した言葉。
 『今すぐに返してくれるなら、あなたをこのまま無傷で帰してあげる』
 でも、そんな事できないのはわかっていた。
 強くなる私の負の感情。
 それが強くなるたびに、私の本当の心が押しつぶされていく。
 消える、私の心。
 そこから断片的に頭の中を通過していくシーン。
 あの人が私の足元でうずくまってる。
 うめき声を上げながら苦しんでる。
 そんなあの人を見下ろしながら、それでも私はあの人を傷つける攻撃を止めない。
 恐ろしい事を……恐ろしい事を私はやっている。
 それでもあの人は一瞬たりとも引こうとはしない、その眼光は、たとえ這いつくばってでも私を倒すって言っている。
 そんなあの人を見た私の言葉。
………殺すって……言ってる
………私の目の前で、あの人を殺すって言ってる
 いやだ!
 そんな事したくない。
 だって私はこの人の事を………
 でも。
 それは危惧するまでもなかった。
 所詮私は、この力に支配されているだけ。
 そして、あの人は、この力を支配している。
 力に使われる私と、力を使いこなすあの人、形勢が逆転するのはあっという間だった。
 あの人の目の前で倒れ伏す私。
 でも……これでいいんだ、これで私は解放される。
 でも、そう思ったのもつかの間、今度はよりによって、彼自身に彼を憎むような感情を無理やり植え付けさせられてしまった。
 私を嬲るのに都合がいいからって。
 なんでよ……私も素直になりたいのに……
 それから私は……想像も出来ないような辱めを彼に受けた。
 あの力をつかって、思い出したくも無いようなひどい事を散々された。
 彼が、こんな人だとは思わなかった。
 でも、消えないひとつの感情。
 彼に無理やり植え付けられた憎しみと言う感情の片隅で、決して侵食される事の無い強い感情。
 それでも私はこの人が……
 そして、そんな彼が私にした一番のひどい事。
 それは……あんな葵を私に見せ付けた事。
 大切な葵。
 私が守ってきた葵。
 でもそれが………こんなにあの子を追い詰めていたなんて知らなかった。
 知りたくなかった、あんな葵なんて知りたくなかった。
 でも、それが真実。
 
 私が葵を壊した―――
 
 だから………私はこうするの。
 もうこうするしかないの。
 ねえ……私がいなくなったら、きっと葵の事大事にしてくれるよね。
 普通に抱かれておいてよかった。
 本当は、こういう事をする為じゃなかったんだけど……少しは報われるかな。
 最後に私をかばおうとしてくれたよね。
 私を助けてくれようとしたよね。
 本当はやさしかったんだ。
 うれしかった。
 今度は……それを葵にしてあげてね。
 
 葵………
 ごめんね、もう私、あなたをそばで守れない。
 怒るよね、こんな事する私を泣きながら叱るよね。
 ごめんね……
 でも……これで………おねえちゃんあなたとの約束守れそう………
 
 おねえちゃんか……
 
 
 最後にそう呼ばれたの………いつだっけな…………
 
 
 
 ふわり、と茜の身体が俺の方に倒れてくる。
 激しい光を放つ、閃光のような糸に胸を打ち抜かれた茜が。
 俺はその茜の身体を受け止め、支える。
 しかし、その重みと……なにより衝撃によって、俺はその身体を支えきれずに、ガクリと地面に膝をついてしまった。
 糸は消えた、茜の胸を打ち抜くとともに、また、それと同時にあれほど強く吹いていた強風も跡形もなく無くなっていた。
「あ……」
 一瞬呆けてしまう俺、しかしすぐに正気を取り戻すと、軽く舌打ちをして茜の身体を引き剥がした。
「馬鹿が……っ」
 茜はぴくりとも動かない。
 そんな茜の胸を俺は見る、糸に打ち抜かれ、穴の開いた胸を。
 茜の制服は紺をベースにした物なのでその程度はよくわからない、しかし胸に開いた穴はそれほど大きくないように見えた。
……これなら俺の力で……
 俺はそう思い、指先から糸を出す。
 人の肉体に干渉し、自在に操れる力を兼ね備えた紫の糸を。
……間に合う、まだ間に合うはずだ!
 俺はヒュンと糸をひるがえさせると、そのまま茜の胸に開いた穴のすぐそばに刺そうと糸を打ち下ろす、しかし―――
……なっ
 俺の糸は、茜の身体に刺さろうとするまさにその直前、その先端からまるで溶けるように消えていってしまった。
 俺は糸を一度引き返させ、別の場所に糸を打ち込もうとする。
 しかしそれを何度やっても結果は一緒だった、俺の糸が茜の身体に一定の距離以上近づこうとすると、そこから俺の糸は溶けるように消滅していってしまう。
……なんだよ、これは
 そして俺はそこで気がつく。
 ぴくりとも動かない茜の身体、その周りを薄い光のオーラのようのなものがまとっている事に。
 その光の色は、薄くなってはいたが、間違いなく今、茜の胸を貫いた糸と同じ種類のもの。
 赤い壁を、糸の能力をあっさりと溶かし、無力化してしまった力。
……こいつか? こいつが俺の能力を消してるのか?
 使えない俺の能力。
 俺の胸に開く穴と引き換えるように消えていった茜。
……なんだよ…これじゃまるで夢と―――
 俺が、そうやってなかば呆然としていると、茜の頬がぴくりと動き、うっすらと目を開けた。
「ん……」
 俺を見上げる茜。
 だが、俺はもう何もする事ができない、ただ、茜を見下ろすだけだ。
「御影…くん……」
 かすれるような声で茜が俺の名前を呼ぶ。
「教えてよ……私は…葵にどうすればよかったの……?」
 先ほどの質問の続き。
 こんな状態でも、茜にとっては葵の事の方が、重要らしい。
 いや……こんな状態だからかもしれない。
「……教えて欲しいか?」
 だから、俺は答える、茜の望むものを。
「……うん」
 うっすらと微笑む茜。
 そんな茜に俺はこれ以上なく冷静な声をつくろい、言ってやった。
「お前が葵にしなければならない事……それは奪う事だ」
 少し茜が不思議そうな顔をする。
「奪うの……?」
 俺はうなずく。
「お前は、きっと葵に与えてばっかりいたんだろ? 与えるだけ、与えられるだけ、そんな関係は絶対にどこかで歪む、だから……対等な関係を築く為にも、お前は奪い、奪われもしなければならないんだ」
 もっとも、今の言葉は、多分に比喩を含んでいる。
 実際、奪い奪われをしたら、関係が歪む以前に壊れる事の方が多いだろう。
 要は、茜の場合、それぐらいの心構えで葵との関係を築かなければバランスが取れないと俺は言いたかったのだ。
「お前だって、葵にとられたくないもののひとつやふたつあっただろう、それを、葵に譲るんじゃなく、奪うんだ」
 俺がそう言うと、茜がくすっと笑う。
「そっか……」
 そして、震える手を俺の手の上に載せると、ぎゅっと俺の手を握った。
 その弱った手からは想像も出来ないほど強く。
「じゃあ……これでいいんだ……」
 そして茜は笑う、これ以上なく、満足そうに。
「――っ」
 茜の手から体温が伝わってくる。
 だが、この温かさももうすぐ消える、その茜の命の灯火と一緒に。
「でも………それでも…やっぱり……お願いしていいかな…………」
 茜の言葉の間隔が長くなってきている。
 いよいよ、最後が近い。
「あなたの……1番を…………葵に…………」
 途切れ途切れの茜の言葉。
 だが、それでも俺は答えなければならない。
 俺が俺であるために。
 キッと俺は歯を食いしばる。
「………そんな事を…お前が言う権利はない……俺は、俺のやりたい事をするだけだ……」
 目を……逸らさずに、茜を見据えて言った俺の言葉。
 だが、その言葉を聞いて茜がくすりと笑う。
 その表情は、どうしようもない弟や息子をたしなめてる姉や母親のようだ。
「ひどい人………」
 そして、俺の手を握っていた手を持ち上げ、その震える指先で俺の頬に触る。
 俺はその茜の手をぐっとつかんだ。
 ツッと茜の目から涙がこぼれる。
 茜の息が細い、おそらくこれが最後の言葉―――
「どうして……こんな人に………惹かれちゃったのか……な………」
 そして茜はゆっくりと目を閉じる、笑顔のまま。
 ぐんとつかんでいた茜の手に重みがかかる。
 止まる茜の呼吸―――
「………」
 俺はそのままその腕を茜の胸に置く。
 そしてゆっくりと、抱きかかえていた茜を、地面に下ろした。
……馬鹿が…
 俺はふらりと立ち上がる。
 こんな状況で死んだとは思えないほど、穏やかな顔をしている茜。
 最後まで自分より周りの事を心配するばかりか、葵の事を俺に押し付けやがって……
 そして俺は…そんな茜に一別をすると―――
 そのまま、俺たちを襲った閃光がきた方に振り向いた。
「………」
 そこには……今まで、まったくと言っていいほど気配の無かったその場所には、いつのまにかひとりの人物が立っていた。
 漆黒の闇に溶けるような、黒い皮のジャケットとズボンをはき、赤いキャップを目線が隠れるまですっぽりと被った人物。
 だが若い、その格好が非常に不相応に見えるほど若い少年。
 今の葵より2.3歳くらい上といったところだろうか。
 その少年がくいっとキャップのつばを持ち上げる。
「おわった?」
 そしてこの雰囲気にそぐわない、人をからかうような底の無いぐらい明るい声。
………なんだ?…お前は―――
 俺は……肉体に干渉できる青い糸の力を身体に張り巡らす。
 そして、ほんの少し…ほんの少しだけ、下半身、特に膝から下の筋力を強化した。
 バッと俺が元いた位置から砂煙が舞上がる。
「え?」
 間抜けな声が聞こえる、俺のすぐ真横から―――
 俺は一瞬で、そいつの真横に飛び込むと、その真正面から右手を回り込ませるようにして、そいつの首を鷲づかみにした。
 ガクンとそいつの身体全体が揺れる。
 俺はそのまま腕に渾身の力を込めた。
 ギリギリと絞まっていくそいつの首。
 やがて俺の爪がそいつの首に食い込み、血が流れてきた。
 しかし―――
「ねえ、せっかく終わるまで待っててあげたのに、いきなりこれはないんじゃない?」
 まるでこたえてない、口笛でも吹きそうな、そんな軽い口調。
……なっ
 これだけの力で首を締めているんだ、たとえやせ我慢するにしても普通にしゃべる事なんで出来ないはず。
 くすり、とその少年が笑う。
 その瞬間、俺の背筋にこれ以上無いほどの寒気が走った。
 やばい―――
 バッと俺は首を絞めていた手を放す、そしてそれと同時に、俺はさきほどまでいた場所まで一気に身を下げた。
 俺はその距離を保つと、そいつの首を絞めていた手を見つめる。
 見ため、俺の手は何の外傷もなかった。
 しかし、チリチリとまるで火傷でもしたような感覚が手のひらに残っている。
 ツッと額から冷や汗が流れる。
……違う…こいつの能力は、俺の持つ能力とはまるで違う。
 確かに糸を使うことといい、こいつから感じた感覚といい、種類として能力は同じものに属するんだろう。
 だが、実際にその糸から現れる現象は……まるで別物。
 冷や汗が止まらない、こいつの能力の正体がわからない。
 そんな俺を見据えながら、少年は、これ以上なく落ち着いた声でしゃべり始めた。
「頭の回転が速いうえに、勘も鋭い……」
 俺の爪が食い込んだ首にそっと右手を当てる。
 そして、その手についた血を確認するように見ると、そのままぺろっと舐めた。
「おまけに……感情の高ぶりによる爆発力も兼ね備えている、やっかいだね」
 少年とは思えないほどの大人びた口調。
「でも、まあ………」
 そのままその舐めた指を俺の方に向ける。
 ズゥと光り輝く糸が、ほんの先端だけその姿を現した。
 茜の命を奪った光の糸。
 ぎりっと俺は歯を食いしばる。
 俺はそのまま、何があっても対処できるような心構えをした、しかし。
「関係ないか」
 ポウとその糸の先端がより一層の光を放つ。
 それと同時に―――
「!」
 俺の身体が今まで経験した事の無いような感覚に包まれる。
 そして次の瞬間。
「なっ」
 ブンと俺の身体が斜め後方に吹き飛んだ。
 外部から力を加えられたような感じじゃない、まるで俺の身体が自然に加速し、そのまま飛んだようなそんな感覚。
 『ドンッ』
 激しい勢いで俺は、電柱に叩き付けられる。
「かっ…」
 あまりにも勢い良く叩き付けられたため、俺はそのまま電柱に張り付いたような形になる。
 しかしやがて、俺はずるずるとずり落ち、背中を電柱に預けるようにして、地面にへたり込んだ。
「か……はっ……」
 まともな呼吸が出来ない。
 以前俺は、葵の操る人間に音楽室の壁に叩き付けられた事がある。
 だが、それとは比べ物にならないほどの衝撃。
 目の前で火花が散る。
 視界がかすむ。
 しかし、その視界の中に見えたものが、俺をそのまま休ませる事を許さなかった。
 かすむ視界の中に見えたもの、それは俺へと襲いかかる光を放つ糸。
「くっ」
 俺はそのまま身体を横にずらすようにして身をかがめる。
 しかし、この攻撃はよけるまでも無かった、もともと俺を狙っていたわけじゃなかった。
 それは威嚇としての攻撃。
 シュッと音を立てて、俺の頭上を通過する光の糸。
 それは俺の頭上の電柱を斜めに切断する。
 切断された電柱は、ズッとずり落ち、そのままドンとアスファルトに突き刺さった。
 ワイヤーの張力だけを頼りに、ぶらぶらと斜めに傾く電柱。
……はは…
 威嚇、というにはあまりにも破壊力のある攻撃。
……とてもじゃねえが、相手にならないな…
 攻撃力だけじゃない、俺の攻撃だって、あの俺の糸の能力を消滅させてしまう力で完全に無効化されてしまうだろう。
 防御、ともに太刀打ちできるものじゃない。
 その電柱を切断した糸がくるりとひるがえし、俺の喉笛1センチ先へと突きつけられる。
 その糸の先には、糸を出す指越しに俺を見据えている少年。
 絶体絶命。
 でもなぜだか笑いがこぼれてくる。
 茜や葵と対峙した時のように、なにか逆転の手立てがあるわけじゃない。
 だが、沸いてくる笑いは止まらない。
……こういうのもいいかもしれないな…
 俺は視線だけを横に向ける。
 そこには穏やかな顔をしたまま、地面に横たわる茜の姿。
……あいつの敵を討つために、このまま玉砕して果てるってのも
 にいと俺は笑う。
……あがくだけ、あがいてみるか
 そう思い、俺が糸を出そうとする、しかしその瞬間。
「やーめた」
 底抜けに明るい声。
 それと同時に俺の喉笛に突きつけられていた光の糸が、シュッとあいつの手元に引き寄せられてしまった。
……な……に?
 呆然とする俺を尻目に、くすっと笑う少年。
「開き直ったでしょ」
 笑いながらも、俺のすべてを見透かすようなそいつの目。
「はっきり言って君みたいな人は、そういう状況の時が一番相手にするのがやばいんだ」
 ぱんぱんと皮のジャケットをはたく。
「それでも……負ける気はしないけどさ、不安要素はなるべく取り除かないと」
 やがて、あいつの手元に引き寄せられた糸が、ぐるぐるとその身体を取り巻き始めた。
「正直……まだ目覚めたばっかりで、いまいち力をうまく使いこなせてないんだ、下手すると君に返り討ちにあっちゃうよ」
……目覚めた? 何の事だ?
「まあ、時期がきたらこっちから呼び出すから、その時は逃げないでね」
 少年の身体を取り巻く光の糸が幾重にも重なる。
 やがてその身体が光に包まれるように見えなくなってきた。
 そんなそいつを見ながら、俺は立ち上がる。
「まてよ」
 その光の向こうでぴくりと反応する気配。
「なに?」
 俺はまだまともに息の出来ない胸を抑えながら、前へと進む。
「再会を約束するなら……名前ぐらい名乗っていくのが礼儀だろ?」
 俺がそう言うと、少しの静寂が訪れる。
 やがて、少年がぽつりとつぶやいた。
「そうだね……まあ……」
 くすっと笑う声。
「『統べる者』……ぐらいに言っておこうかな、何を統べるかはもうわかるよね」
……わかる?
 ああ、そうだ、わかる。
 俺と同じ力ながら絶対的なその実力差。
 つまりはこの能力すべてを―――
「じゃあね、つぎ会う時までその力、大事にしておいてね」
 そう少年が言った瞬間。
 カッと少年の身体を包む糸が、今までに無いぐらいに輝く。
……うっ
 俺は思わず、腕で目を覆った。
 やがてその光が薄らいでいく。
 その光が完全に消えうせると、俺は目を覆っていた腕をどかした。
 俺は目の前を見渡す。
 しかしもう……そこには少年が現れる前の、風ひとつ無い、穏やかな冬の路地しか残っていなかった。
 
 
 
……軽いな……
 動かなくなった茜。
……こいつの身体……こんなに軽かったか
 この冬の気温と変わらず冷たくなった茜。
 俺はそんな茜を背負い、家路を歩いている。
 一番最初。
 茜を手に入れた時も、俺はこうして茜を担いでいった。
 だが、その時とは比べ物にならないくらい軽く感じる茜の身体。
……俺はとことんこいつを嬲ろうとしたが……命までは取るつもりは無かったんだけどな…
 茜を背負いながら俺はそんな事を思う。
 命を取るまでは嬲らない。
 それは逆を言えば、命だけは守ると言う事。
 よみがえる、夢の中での茜との会話。
 『私はあなたの前じゃ死ねないのね』
 『ああ、なんだったら保証してやってもいいぜ』
 ぎりっと下唇を噛む。
……ちっ…
 前へと進む足取りが震える。
……あいつ……
 茜の命を、まるで目の前の虫でも追い払うかのように奪った少年。
 口の中に鉄の味が広がる。
 犬歯が下唇を食い破った。
―――絶対に……ゆるさねえ!

< 続く >

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