章 之 壱 「囲」 2
そこは、広い部屋だった。
床には、美しい模様が織り込まれた絨毯が敷き詰められている。
奥の方に大きな机が置いてある他は、調度品らしいものは見当たらない。
二人の婦警さんは、阿斗にあやつられるままに導かれこの部屋にやってきてしまった。
二人に続いて阿斗が部屋に入り、その後から当然のように涼子がついてくる。
とても、奇妙な部屋だった。
回りは壁だけで窓がない。おまけに明かりまでなかった。
なのに明るい。
まあ、阿斗には似合いかもしれない。
で、肝心の阿斗だけど、部屋の中央に二人の婦警さんを立たせた後、腕組みなんかして彼女らを見ながら何やら悩んでいるみたいだった。
「何、考えてらっしゃるんです?」
涼子は、たぶんくだらないことなんだろうなって思いながら、一応わけを聞いてみる。
「あのさ、彼女ら婦警さんだよね?」
「ええ、そうだと思いますが?」
まあ、超リアル志向のコスプレマニアって線もなくはないが。
「でもさぁ、彼女らの服を剥いちゃったら、ちっとも婦警さんっぽくなくなっちゃうよね? ……う~ん、困った」
やっぱし、しょうもないことだった。
「そのまま、犯っちゃえばどうです?」
ため息まじりに涼子が言うと。
「でもさ、裸もみたいじゃん」
っていうのが阿斗の答え。
まったく、マジにこまった男だった。
「それなら、制服に穴を開けたらいかがです?」
涼子は、メゲずに代案をだす。
ほうっておいたら、いつまでたっても自分はかまってもらえないのがわかりきっていたから。
「おっ! ナイス! ナイスだよそれ、涼子ちゃん!」
なんか、踊りだしそうなくらい喜んでる阿斗。
それを見て、涼子が苦笑を浮かべたのは言うまでもない。
「じゃあ、お礼だよ」
阿斗のその言葉とともに、涼子は自分の心と体が自由を失うのを感じた。
“ああっ!”
それは心の中でもらした声。
体中、指の先から心の中にいたるまで、自分でありながら何一つ自由にならなくなってゆく。
自分のすべてが、存在そのものが、この世で最も大切な男(ひと)のモノなのだと知らしめてくれる、この感覚。
自分が巨大であったかいものに包み込まれるように薄れてゆき、愛しい男(ひと)と完全にとけあってゆくこの刻(とき)。
これは歓喜であり、至福の時でもある。願わくば、この瞬間が永遠に続けば……。けして、叶えられないその想いもまた、阿斗の術でとけてゆく。
「いっつもながら涼子ちゃん。簡単にこの術にかかっちゃうよなぁ」
それは阿斗のセリフだったけど、でも発されているのは涼子の口から。
「“重ね身”ってめんどいんだけどな。……でも、うっとうしくなってきたら、術ときゃいいっか」
軽く阿斗は言ったけど、でも“重ね身”は婦警さん達に使った術とはわけが違う。この術を使っている間、涼子と阿斗は完全なる合一をはたす。
視覚、触覚、聴覚、嗅覚、味覚などのありとあらゆる感覚が阿斗のものとなる。
阿斗にしてみれば、同時に2箇所に存在することになるのだ。
その困難さはおそらく想像を絶するはず。なのに、阿斗はうっとうしいの一言ですませてしまった。
「さて、それじゃ、そろそろやろうっかな」
楽しそうに阿斗が言う。
でも動いたのは涼子。美しい顔には、阿斗と同じいやらしい笑みが浮かんでいる。
涼子が二人の婦警さんの前に立つと、婦警さんの着ている制服の胸の所に二つの穴が開く。
もちろん乳房のとこだけ。それにスカートの前の一番恥ずかしいところにも。
「ま、取りあえずこんなとこかな」
まんぞくそうに阿斗が言った。
「やぁ、元気してた?」
自分よりも少しだけ小さい片倉婦警の前に阿斗が立つ。
もちろんその間、片倉さんは自分の怒りをすべて視線に変えて睨んでいたけど……。
まあ、無駄な努力ってやつだろう、これは。
「さってと、術を解く前にちっと仕込みをさせてもらうけど、あんまし恨まないでね」
一応そんなこと言ってるけど、阿斗が言うセリフってなんだってこうも白々しく聞こえるのだろう?
そう言っている間に、涼子が机の上から一本の筆を持ってきて阿斗に手渡した。
それは、とても先の細い筆で、でもそれ以外は何の変哲もない筆だった。
それを手にした阿斗は、なにか目だけで訴えてる片倉婦警の前髪をかきあげると、何もついてない筆で彼女の額に何やら書き始める。
するとかすかだけども、はっきりとわかる光を放つ文字が浮び上がってくる。
びっしりと額いっぱいに文字を書き上げ、阿斗が右手をかざすと光の文字はゆっくりと明滅をくり返しながら消えていった。
その横では、涼子が同じように美山婦警の額に光る文字を書いてた。その後、やっぱり右手をかざすと、何度か明滅をくり返しながら消えてゆく。
「それじゃ、術を解くよん」
言い終えるのと同時に、二人の婦警さんが阿斗に掴みかかってくる。
「ゆるさない。ぜったいゆるさない!」
そう言いながら襟元に手をかけたのは片倉婦警。
美山婦警の方は、黙ったままいきなりなぐりかかってきた。
でも……。
「おすわり」
いたって静かに阿斗が言うと、二人の婦警さんはその場に両手ついてしゃがみ込んだ。
「まったく、ケーカンが暴力に訴えたら洒落になんないじゃないか」
なんだかエラソーに阿斗が言う。
「ま、またあたし達に何をした!」
と片倉婦警。
「この、ちびやろう。こんなことしないと女だけねぇのかよ!くされXXXのXXXやろう。てめぇなんかXXXXで、XXXXXXなんだろう」
美山婦警は、きれいな顔を紅く染めながら、○禁用語を連発する。
「うーん。元気だねぇ、ゆきちゃん。そんじゃ、ちょっと小百合ちゃんのほう見てよ」
阿斗がそう言うと、美山府警は口汚くののしり続けながら、顔だけを片倉婦警の方へ向ける。
「どう? とっても可愛いでしょ?」
阿斗のその言葉とともに、美山婦警の口汚いののしり声はぱったりとやんでしまう。
変わりに、何やら片倉婦警のほうへ熱い視線を送り始める。
「ち、ちょっとどうしたの美山さん?」
不吉なものを感じ取ったのか、片倉婦警は不安そうにそうたずねる。
でも、美山婦警は何も答えない。
「さあ立ってごらん、ゆきちゃん」
阿斗がやさしげにそう言うと、美山婦警は片倉婦警を見つめたまま立ち上がる。
「今、君の性欲を最大にしてあげるよ」
立ち上がった美山婦警の背後から、いつの間にか全裸になった涼子が近づいてきて、つつみ込むように抱きついた。
「さぁ、自分を開放しなさい」
涼子の口から淫らな声がもれると、美山婦警に再度変化がおとずれる。
瞳はうるみ、口元にはいやらしい笑みが浮び、おまけに息があらかったりする。
「犯したいでしょう?」
耳元でささやくように涼子が言うと、美山婦警は口元にあふれ返ったよだれを拭うこともせずにうなずく。
「小百合ちゃんも立っていいけど、何をされたって逃げたりしちゃダメだよ」
今度は阿斗が言った。
その言葉とともに、片倉婦警は自由に立ち上がることが出来るようになった。
その様子をくいいるように見ていた美山婦警に、涼子は、
「さぁ、彼女を好きにしなさい。けだもののように襲いかかり、おもいっきり好きなだけ犯しなさい」
と、けしかける。
欲望を完全に開放された美山婦警は、ついさっきまで自分の同僚だった相手に飛びかかってゆく。
「あっ! ゆきちゃん、服破っちゃダメだよ!」
阿斗は、しっかりと注文をつけておくのを忘れない。
「かわいいわぁ、片倉さん」
小柄な片倉婦警に、覆い被さるような格好で抱きしめる美山婦警。一切の抵抗を封じられた彼女にキスの洗礼を浴びせながら、その間に何度もそのセリフを繰り返す。
好きだとか、嫌いだとかではなく、今の美山婦警の中にあるのは欲望だけで、それはすべて片倉婦警へと向けられていた。
「片倉さん。ああ、なんて可愛いの? 食べちゃいたいわぁ。犯して……、あなたを犯してあげるうっ」
片倉婦警の顔が美山婦警のよだれで、べとべとになっていた。
穴の開けられた制服から顔を覗かせている胸と股間にも、しっかりと美山婦警は手をのばしてもて遊んでいた。
「美山さん! しっかりして、美山さん。負けちゃだめ! こんなやつのいいなりになっちゃだめよ!」
片倉婦警はやっきになってそううったえるけど、まるで効果はない。
「いやよ! そんなこと言って逃げる気でしょ? 逃がさないわ、あたしが犯してあげるの!」
欲望にたぎりきった美山婦警に、通じるはずなどなかった。
「美山さん、ばかなこと言ってないで。あなたは、自分を見失っているの。お願い、だから正気に……うっ、うん、うっうっうっ」
懲りずに訴えかける片倉婦警の口を、美山婦警がキスでふさぐ。もちろん、ただのキスではない。思いっきり舌を絡めあう、濃厚なディープキス。
必死でなんとか逃れようとするけど、阿斗の指示で抵抗を禁じられている美山婦警はどうすることもできなかった。
「うーん。なんかこう今ひとつだなぁ……。やっぱ、小百合ちゃんもちゃーんと感じないとね」
阿斗のその言葉が聞こえたとたん、片倉婦警は、美山婦警が自分に触れている所が焼け付くように熱くなるのを感じ始める。
「あっん。うっ……ん。あん!」
あれほど、はげしく抵抗をしていたのがうそのように甘い声が片倉婦警の口からもれてくる。
「やっ! うっうん。 美山さん……。や、やめ……て。このままじゃ……あたしもおかしく……なっちゃ……うんっ!」
よがり声とともに、それでも抵抗の言葉を吐く片倉婦警。でも、とろけきったその声に説得力なんてかけらだってない。
「いいのよ、片倉さん。いっしょに、気持ちよく、あんっ。ん、ん、うんっうっ。なりま、あん! しょうっつ!」
美山婦警の声が途中からおかしくなったのは、彼女の背後によってきた涼子が、彼女の剥き出しになっている胸とあそこをいじり初めたからだ。
三人でからみはじめた女達をよそに、阿斗は大きな机の方へ向かう。もっとも、涼子は今は阿斗そのものであるから、大きな机の引出しを物色しながら同時にレズビアンの絡みもやっていたのだけれど。
阿斗は、机の引出しの中からあるものをさがしだした。
それはパンティ。もちろん普通のパンティではない。股間の両側にディルドーが張り出したもの。
涼子が院の医師達と、親密な関係を保つために使っている道具だ。
ちなみに、この病院で働ている医師はすべて女性である。
阿斗は、それを二つ手にとると、片倉婦警を床に押し倒して三人でからんでいた女達へと近づいてゆく。
「さあ、これをつけてごらん」
そういってディルドー付きパンティを差し出した相手は、もちろん美山婦警。
涼子は自分で勝手に取って付けようとしている。
一瞬その道具を不思議そうにながめた美山婦警だったが、でもすぐにそれが何をするためのものだか理解したらしい。立ち上がると、自分の履いていた前に大穴の開いたパンティを脱ぎ捨て、いそいそとそれを履いてみる。
膝のすぐ上まではき、そこでじゃまになるスカートを上にめくりあげる。
すると、当然のように美山婦警の案外かわいらしいお尻が剥き出しになった。じゃまなものを排除した美山婦警は、内側のディルドーをためらうことなく自分の内側へ突き入れる。
「ああうっん」
美山婦警の口から、甘い声があがった。
ちょっと感じたらしい。
そうして、準備がととのった美山婦警は、再び片倉婦警に熱くねとつくような眼差しを向ける。
「い、いやぁ! こないで、こないで美山さん」
あとずさりしようとするけど、阿斗から逃げたらダメって言われている片倉婦警にはそれができない。
「……いいわぁ、かわいいわぁ片倉さん。すぐに、これで気持ちよくしてあげる」
美山婦警は、もう完全に狂っていた。
「こないで、あっち行って。あたしに近づかないで」
すっかりおびえきってしまっている片倉婦警。さっきまで見せていたあの気丈さは、もう完全になりをひそめていた。
まあ、スカートに開けられた穴から突き出た大きなディルドーを握りしめ、見るからに淫らで欲望丸出しの表情をした女が、自分を犯すために近づいてくるのだ、おびえないほうがどうかしている。
「さぁつかまえたわ、片倉さん。このぶっといのを、あなたにぶち込んであげる!」
欲望でたぎりきった美山婦警は、獲物につかみかかるとスカートを一気にめくりあげる。
すると、穴の開いたパンティから、薄い茂みの間にあるスリットが剥き出しになった。
「いやっ、いやっ、はなして、はなしてぇ!」
美山婦警は、激しく抗議を繰りかす。けど体のほうはまったく抵抗のそぶりすらしない。
「ひうんっ!」
声を上げる美山婦警。制服の胸の穴からあふれ出ているおっぱいを美山婦警がなめあげる。
「かわいいわぁ、片倉さん」
いいながら、今度はまた片倉婦警にディープキスを始める。
「むっ、んんん」
絡み合う女同士の舌と舌。とてもみだらで美しい経験だった。
それを5分くらいは続けていただろうか。よだれが糸を引きながら、二人がお互いの唇を放したとき、片倉婦警の体からはすっかり力が抜けきっていた。
「い……や。や……めて」
それでも片倉婦警は、弱々しく抗議をくり返す。
その様子を見た美山婦警に、一瞬とまどったような表情が浮ぶが、すぐにもとのいやらしい顔つきに戻ってしまう。
「さぁ、いくわ片倉さん!」
その言葉とともに、美山婦警が自分の股間に突き刺さったものの反対側を、片倉婦警の濡れきった秘部に突き入れる。
「うっああんっ!」
今度片倉婦警の口から漏れたのは、抗議の言葉ではなく甘い吐息。
「んっううっう、あむっう」
美山婦警は再びディープキスをしながら、はげしい欲望に突き動かされてその腰を激しく動かし始めていた。
「美山さん! 美山さん! もっと、もっと、もっと!」
ついに片倉婦警が理性をかなぐりすてて、そう叫び出す。
「うれしい、片倉さん。……あげるわ、犯してあげるわ。もっとはげしくうっ!」
それに答えて、美山婦警が叫びかえす。
それから、女二人はお互いに上になり、下になり様々な体位でからみあいながら、お互いをむさぼりあった。
・・・・・・。
それから一時間後。
二人には、疲労の色が浮んでいた。お互いをむさぼりあってはいたけれど、でも最初の頃の激しさはもうなかった。
・・・・・・。
二時間後。
二人はお互いを激しく求め合いながらも、一つのこと願うようになっていた。
“いきたい”と。
・・・・・・。
三時間後。
もう、疲労のあまりまともに動くこともできなくなってしまった二人。でも、その腰だけは弱々しく動き続けている。
もう、からみ合うこと自体、苦痛になっていた。でも、やめることはできない。
まだ、イッていないから。頂点がずっと目の前にあるのに、辿り着こうとすると指の間をすり抜けていって、けして辿り着けない。
二人の頭の中には、もうイクことしか思い浮かばなくなっていた。
もし、イカせてやるから目の前の相手を殺せ、と命じたら二人ともなんのためらいもなく殺し合いを始めるだろう。
もう、彼女たちにとってSEXでイクことは、麻薬と同じだった。
理性などで、到底おさえられるようなものではなくなっていた。
地獄の快楽の中で、必死になって二人の婦警さんがけして得られることのない快楽の頂上へ辿り着こうとあがいていたとき阿斗は……。
「すうーっ。すぴぃーっ。くうーっ。ふひゃっ、ひゃひゃ、すぴぃーっ」
お休みになられていた。
どんな夢をごらんになられているのか、時々楽しそうな笑い声をたてたりしてる。
つくづくいい加減な男(ヤロー)だった。
涼子は部屋の中央で、真っ裸のまま立ち尽くしている。
半端でなく美しい彼女が、この間にディルドーつきのパンティをつけたまま彫像のように立っている姿は、なんとも倒錯的な魅力に満ちている。
でも、ずっとこのままでは、気の毒のような気もしないではない。
とはいっても、術を解かれるか阿斗がまたあやつるかしない限りは、ずっとこのままでいるしかなかった。
それは、床の上で絡み合ってる二人も同じこと。ただ彼女らの場合は、イカせてもらうことという条件の違いはあったが。
ピン、ピロロロ~~ン。パピラレロ~ンロン。
なんだか、やたらと間の抜けた音楽があたりに鳴り響く。
婦警さん二人も、立ち尽くす涼子も、一切反応はなかった。
でも……。
「うっさいなぁ。なんだよ、せっかく気持ちよく……」
などと、大きな机をベッド代わりに寝ていた阿斗が、ぶつぶつ言いながら起きだした。
さらに、しわだらけの背広の内ポケットからケータイを引っ張り出す。
「はぁ~い、なんの用?」
思いっきり不機嫌さ丸出しの声で、阿斗が電話に出る。
「えーこのたびの選挙は、ぜひ民自党の」
プチッ。
おもむろに“切り”ボタンを押した後、阿斗は大きく背伸びをする。
「ふへへへぇ~~~。よっく寝たなぁ」
このとき、涼子もふへへへぇ~~~と妙な声を上げながら背伸びをしいてた。
どうも起きぬけで、コントロールがうまくいってないらしい。
「あやや。こりゃ、すんごいことになってんなぁ」
あん、あん、とかすれた声を上げながら、ヘコヘコと弱々しく腰を動かし続ける二人の婦警さんを見て、そんな感想を阿斗がもらした。
次いで安物のデジタル時計を見て、
「うへっ? 3時間もたってらぁ。涼子ちゃん、なんだって起こしてくんないだよう?」
そう言って涼子の方を見ると、阿斗の意識には自分自身の姿もはっきりと見えていた。それは、涼子の見ている光景だった。
「いっけね。術とくの忘れてた。いやぁ失敗失敗。てへへっ」
どうやら、笑ってすます気らしい。
涼子は、とても心地の良い巨大な海の中から突然浜に打ち上げられてしまった魚のような気分を味わっていた。
術を解かれ、自分の心と体に自由が戻った。そしてそれとともに、あまりに巨大な寂寥感と、引きちぎられるような喪失感も味わっていた。
でも、それを顔にだすようなことはしない。いつもそうだったし、もしそんな表情を見せてしまって、二度と阿斗さまがこの術をかけて下さらなくなったら……。それこそが、最も恐るべきことだった。
「涼子ちゃん、この二人にケリを付けてあげるからさぁ。手伝ってくんない?」
阿斗のその呼びかけに、涼子はすぐに応じる。
阿斗にあやつられている間のことは、はっきりと鮮明に覚えている。それに、自分の股間になぜディルドーが付けられてのかも、正確に理解している。だから自分が今何をしなければならないのかも分かっていたのだ。ただ、術を解かれたときの衝撃があまりに大きかっただけ……。
二人の婦警さんを、阿斗と涼子とで引き剥がす。抵抗はしたけど、極限まで疲れきっていた婦警さんたちでは、とてもあらがうことなんてできない。
涼子が引き剥がしたのは、美山婦警のほうだった。涼子の役目は、阿斗が片倉婦警をイカすまでの間、美山婦警を相手にすること。
一人で美山婦警をほっぽっておいたら、自分で自分を傷つけかねないから。
「ああっ、ううっ……」
意味不明の声を漏らしながら、必死になって片倉婦警の方へ手を伸ばす美山婦警。でも、涼子が彼女に自分のディルドーを突っ込むと美山婦警はすぐに片倉婦警のことなど忘れて腰を使い始める。
それと同時に、自分を強烈な快感が襲うのを感じていた。これを付けて繋がったものは、互いの快感を増幅しながら味わうことになる。
女同士で楽しむために作られた宝貝。
それが、このディルドーの正体だった。
でも、その快感を涼子は完全にコントロールしていた。二人の婦警さんたちのようにそれにおぼれるようなことはけしてない。
そのくらいのことができなくては、阿斗さまの“守人(もりびと)”としての役目は到底はたせない。
本来なら、阿斗さまのおなさけによる術にかかって、自分の本分も忘れ自身の存在そのものを溶かしてしまうような快楽に身をゆだねるなど、あってはならぬことなのだ。
……だけど、阿斗さまは、それをせめたことなど一度もない。だから、そんな自分をごまかすように厳しく接してしまう。
でも阿斗さまは、そんな自分をいつも笑って見ていて下さる。どんなわがままだって、軽く笑いとばしてくださる。
阿斗さまは、やさしい。
……そう、自分にはもったいないくらいに。
いつも、いつだって、そのことを忘れまいと、心にとめておこうと誓うのに、あまりに阿斗さまがやさしすぎるから、すぐにそのことを忘れて気ままにふるまってしまう。
やはり自分は“守人”として失格なのだろうか? でも、自分の代わりに他の女が阿斗さまの“守人”となってしまったら?
そう考えるだけで、涼子は足元から世界がくずれ落ちてしまいそうになるのを感じていた。
阿斗さまを守る。その最高の喜びだけは、他の何をもぎせいにしたって絶対にゆずることなどできない。
なぜなら、それこそが彼女の生まれた、そして今まで生きてきた意味だったから。
などとまぁ……、思い込みもここまでくれば、いっそりっぱだろう。
まあ、そんな思いを涼子が抱いているのなんか、まったく関係なく阿斗はしっかりと片倉婦警の肉体を堪能していた。
でも、もう片倉婦警は限界を超えているはずだった。
これ以上長引かせるわけにはいかない。
阿斗は、適当なところで自分の精をコントロールして気とともに放つ。
「あ゛あ゛あ゛あ゛ぅ!」
息もまともにつけないほどの快感にその身を包まれながら、片倉婦警は、最も欲しがっていたものを手にいれた。
意識を失い床の上に横たわる彼女をそのままにして、今度は美山婦警の方へ移動する。
涼子はそれを見て取ると、自分の体をはずし阿斗と体を入れ替える。
それは絶好のタイミングで行なわれ、貫かれていた美山婦警には分からなかったはずだ。
ただ違うのは、それまでと快感の桁が違ったことくらいだろうか。
「涼子ちゃんもおいでよ、ほら!」
そう言って仰向けになると、美山婦警の形のいいお尻を涼子に向かって突きださせる。
「はい」
そう涼子が答えをかえす。
涼子は、なんのためらいもなく、美山婦警の菊門をディルドーで貫いた。
「うっ、あうっ!」
美山婦警が声にならない声を上げてのけぞった。
それから、一人の男と二人の女は一つの結果を向かえるために、淫らにからみ始める。
「出すよ涼子ちゃん、ぼくにタイミングを合わせて」
美山婦警の様子を冷静に見ていた阿斗が、そう涼子に声をかける。
「ほら!」
「ぐうっ……ん」
美山婦警が、これも息を詰まらせながらイッた。
「うあんっ!」
そして、ディルドーを通して阿斗の精を感じた涼子もイッていた。
二人の婦警さんと違うのは、彼女らがしどけなく床に転がったままなのに対して、涼子はすぐに立ち上がったこと。
「ふひっ。気持ちよかったねぇ。ねぇ涼子ちゃん?」
笑いながら阿斗が言う。
でも涼子は阿斗が言うほどに、阿斗が感じていないことを知っていた。
それが“外仙”だから。
どのような苦痛にも、そして快楽にもおぼれることはなく、すべて意識のもとでコントロールしてしまう。
だから、阿斗は本当の意味でSEXを楽しむことはできない。
それゆえ、阿斗は自分の相手をする女性に最高の快楽を与えることを願う。
そのことを知り過ぎるほど知る涼子だからこそ、阿斗の相手をすることはできなくなった。
つらすぎるから……。
自分の服をまといながら、床の上で快楽の余韻に身をまかせてまどろんでいる二人の婦警さんを見て涼子は思う。
彼女らはなんて幸せなんだろう、と。
彼女らの術を解く前にその額に書き込んだあの文字。
あれは外仙の技で、名を“抱樹”と呼ぶ。彼女らが味わった快楽は、常人ならば何度となく発狂したり心臓麻痺すら起こしかねないほどのものだった。
それを防いでいたのが、あの技“抱樹”だったのだ。
だけど阿斗がそのことを教えることはないし、涼子も阿斗が黙っているつもりなら、それに従うだけだ。
でも、その方がいい。
もし、阿斗を好きになりでもしたら、悲しみに見舞われることになるだけだ。
阿斗は“外仙”。
そして“外仙”は、けして幸せにはなれないのだから。
幸せになれないものを愛してしまった人間が、どうして幸せになれる?
涼子は頭を振って、その考えを振り払う。
涼子の場合は、もうとっくに手遅れだったから……。
涼子が完全に白衣を身にまとい、この部屋に入ってきたときと寸分たがわぬ状態に戻ったとき、入り口のドアが開かれた。
まるで、そのタイミングを計ってたかのように。
入ってきたのは、黒髪をショートにカットしたスレンダーな女医さん。
入ってきて中で痴態が繰り広げられた後の様子を見ても、表情ひとつ変えることなく報告を始める。
もちろん、涼子に向かってだ。
たとえ阿斗が涼子の主であっても、ここでは単なる部外者に過ぎない。
「急患だった方が、みえられております。それで、ぜひ院長先生にお越しいただきたいのですが」
その女は、淡々とそう言った。
「急患? 織田さん、あなたでも手に負えないくらいの?」
涼子がたずねると、織田さんは小さく肩をすくめて、
「ごらんになれば、わかります」
そう言っただけだった。
「そう……」
答えた涼子はすでに歩きだしている。
夢の時は、もう終わりを告げた。現実に立ち戻り動き出すときだ。
阿斗さまのために……。
「ちょいまち」
呼び止めたのは、阿斗。
「そんな、急ぐことないって」
軽い調子で。
「どうしてです?」
少しいらついている涼子。
わけをたずねる。
「織田さん、急患だったって言ったでしょ? その上彼女から僅かに死臭がただよってくるし……。それに彼女達をこのままにしておけないでしょ? せっかくここまで楽しませてもらったんだからさぁ」
そのセリフに涼子の心が疼いた。
「だめです、そうだとしても私がこの目で確かめるまでは、あくまで患者なのですから」
口に出したのはその言葉だった。
「かったいねぇ、涼子ちゃん。もう少し気楽にやってかないと、つかれっちゃうよ」
本当にお気楽そうに、阿斗が言う。
「ほっといてください!」
涼子はそういい捨てるなり、部屋を足早に立ち去った。
織田さんの方は現れたときと同様に、阿斗のことなど完全に無視して部屋をでていった。
「やれやれ、なんだってぼくの周りには、みぃんなお堅い娘(こ)ばっかりなのかなぁ。もっと人生楽しみゃあいいのにねぇ」
そう言いながら髪をかきあげる阿斗は、ついさっきこの部屋から涼子と織田の二人が出てゆく前と違っていた。
姿が変化したわけではない。
たとえばぶ厚い幾重にも重ねられたラップごしに見ていたものを、ラップをはがして直にみたような感じ。
今の阿斗なら、どんなボロをまとっていてもそんなことを気にとめるようなものなどいないはず。
美しいものを身にまとって、より美しくなる。……そういった次元を遥かに超えてしまっている。
美しいものを阿斗が身にまとうのではない。阿斗が身にまとったものが美しくなるのだ。
あまりに超越した美貌ゆえ、阿斗はそれを自ら封印せねばならなかった。
そうしなければ、まともに阿斗と話をできる人間はいなくなってしまう。
それが、たとえ“守人”たる涼子であったとしても、だ。
「さってと、この二人をどっかの空きベッドに寝かして、ぼくもいそがなきゃね」
そういった阿斗は、またいつものうらびれた感じのする男にもどっていた。
………………。
良子が救急医療室に入ったとき、一人の男が少女の体にとりすがって反響乱になっていた。
「先生、先生、お願いだ。娘を、娘を助けてくれ。金ならいくらだってだす。だから、娘を助けてくれ!」
髪に白いものが混じっている初老の男。品の良い感じのする男で、ネクタイにいたるまですべてオーダーメイドの一品物。かなりの金持ちだと分かる。
そんな男が、あからさまなまでに取り乱している姿は痛々しかった。
でも、彼は気付いていないのだろうか? 彼が娘と呼んだ少女の胸に大きな穴が開き、そこから大量の血が流れ出していることに。そして、その血は完全に乾ききり、その娘(こ)の体には死後硬直の兆候が見られる。
おそらく、即死だったはずだ。
その姿には苦しんだ様子がないのが、せめてもの救いか。
でも……。
涼子は氷のような表情を保ったまま、哀願を続ける父親を無視して診療台の上に寝かされている娘に近づいてゆく。
脈拍と瞳孔反射を確認して、事務的に告げる。
「XXX年○○月△△日、午後4時54分死亡を確認しました」
涼子の声がはっきりと辺りに響きわたる。
だけど、その声が父親に届くまでには、しばしの時間が必要だったらしい。
数秒後、氷が溶け出すようにゆっくりと彼が口を開く。
「うそだ……、そんなこと……」
始めは、かすれて聞き取りづらい声だった。でも、すぐにそれは怒声へと変化する。
「うそだ! そんなことうそだ。うそに決まっているこの病院で助からなかった人間はいなかったはずだ。どんな病気や怪我も、ここに来ればかならず治ると聞いた。金さえ出せば直してくれると言っていた。金なら出す。1千……いや2千億出そう。どうかそれで、それで娘を助けてやってくれ……たのむ」
涼子にすがりつきながら、父親がうったえる。最初のほうは吼えるように言っていたが、最後になるとまた言葉が詰まってしまう。
「確かにこの院で治療できない怪我などありません。でも、それはその方が生きていらしたらのことです。お気の毒ですが、娘さんはもう亡くなられていらっしゃいました。死者を蘇らせることは、私どもには不可能な技です」
突き放すように事実だけを淡々と告げる涼子に、父親は信じられないと言いつのった。
「娘の声が聞こえるんだ。はっきり聞こえる。今だって、ほら、私を呼んでいる!」
もちろん涼子にも、一緒にいた織田医師にも、そんな声など聞こえない。
娘を想うあまり、狂気におちいってしまったのか? だとしたら、あまりにあわれな父娘だった。
でも……。
「へぇ、さっすがに父娘だねぇ。ちゃんと声が届くんだ」
声がする。
入り口の方から。
「阿斗さま!」
驚いたように、涼子が言った。
それも無理ない。治療室に阿斗が足を踏み入れるのはめったに……、いや初めてのことだった。
「涼子ちゃん、その娘たぶん生き返らせることできるよ」
父親の方はとまどい、一体何が起こっているのかわからないようだった。
でも涼子は、
「どうゆうことです?」
思いきりいぶかしそうに、そう尋ねる。
「まったく。涼子ちゃんてば、人の話し最後まで聞かないんだから」
なんだか得意げに、阿斗が言った。
どうも、一回言ってみたかったらしい。
「それで?」
涼子は冷たかった。
「むーーっ」
うなりながら、なんか哀しそうな顔をする阿斗。
「そんな顔をしてもダメです。どういうことか教えてください」
氷の表情をくずさずに、涼子が冷ややかに言う。まあ、内心はむちゃくちゃ後悔しまくっていたが。
「胸を開いてみてよ。そうすればすぐにわかるから」
いきなり元気を取り戻して、阿斗が言った。
「な、なんだあんたは?」
突然正気を取り戻した父親が、話しに割り込んでくる。
まあ思いっきり胡散臭そうな阿斗を見て、問い正したくなったのだろう。
父親としては当然だし、その気持ちも十分わかるが……。
「わかりました」
そう返事を涼子がした、つぎの瞬間。
「なんです、これは?」
小さく黒い光を放つ玉を、その手に持っていた。
診療台に横たわる娘の胸は、着ている制服ごと縦に切り開かれていた。
「な、なんだ? どうして……、一体何が……」
父親は、もう完全に混乱していた。
でも、誰も彼にとりあう人間はいない。
「力を感じるはずだよ、涼子ちゃん。そいつは宝貝。その娘(こ)の魂魄は、それに取り込まれてる。彼が聞いたのも、そこから呼びかける声だったのさ」
人は肉体と霊魂と魂魄に分けられる、と仙人達は考えていた。人が死ねば肉体と霊魂を置いて、魂魄が転生をはたす。
つまり、魂魄が人の中核であるのだ。
肉体や霊魂はこの世に留まることはあっても、魂魄が留まることは普通ありえない。だから、反魂の術などで蘇った人間は、もう人ではありえない。そいつらに人間らしい感情は一切なく、他人の生を呪いつづけるおぞましい化物と化す。
そんなものは、到底生き返ったとは言えないだろう。
「確かに、魂魄はあるようです。でも、こんなに破壊されてしまった肉体に魂魄を戻しても、蘇ったりはできませんよ?」
涼子はあくまでも事実だけを突きつけるように、そう言った。
死という現実の前には、同情とかいう感情はむなしいものでしかない。
「だからさ、“囲”をやるんだよ」
「……」
涼子は押し黙る。
彼女は、その術を知っている。
そして、それが意味することも……。
「確かに“囲”を使えば、彼女は蘇るでしょう……」
涼子はついに氷の表情を維持していられなくなった。顔に苦悩が見て取れる。
「あ、あんた! む、娘を助けられるのか?」
その言葉に、真っ先に反応したのは父親だった。阿斗に駆けよると、すがりつかんばかりにして、そうたずねる。
「そう、ぼくならね」
微笑すら浮かべて、阿斗がうなずく。
「だったら、今すぐなんとかしてくれ、娘、娘を助けてくれ!」
血を吐くような、父親の言葉だった。
「でも、高くつくよ?」
と、阿斗。
「な、なんでも言ってくれ。私に用意できる……いや、できなくても、どんなことをしてでもいくらただと言っても、かならず用意する。たとえ兆の位の金だとて、かならず私がなんとかする!」
まさに必死の説得だった。この様子なら、本当に用意しかねない。
「おやおや、松芝グループの社員全員を路頭に迷わせるつもりなのかなぁ? ねぇ、神野会長?」
阿斗が、肩をすくめながらそういうと。
「わ、私を知っているのか? ならば話が早い。私の言っていることが、うそなどではないと分かるはずだ。どんな犠牲を払おうとも、娘の……娘のためならば、私はどんな犠牲もいとわん!」
そう松芝グループ会長、神野昭彦は言い切った。
「金はいらない。一円だって、ね。その代金はね、けしてあなたには支払うことのできないものなんだ」
「どういうことだ、わしには支払うことができないものなど……」
神野会長は、戸惑っていた。
「それは、ですね……」
阿斗の言葉をつないだのは、涼子だった。
そして、神野会長にくわしい説明を始める。
すなわち、外仙の技“囲”のことを。
まず、肉体と霊魂と魂魄のことを話した。その上で説明を始める。
「“囲”とは、他人の魂魄を自分の魂魄の内側に取り込み“囲”込むことで、生きながら魂魄を切り離す技なのです。そして“囲”込まれた人間は、どんなにその体が破壊されても、すぐに再生されるようになります。文字どおり不死身となるのです。ですが、“囲”にはいくつかの問題点があります。無条件にただ生き返るとゆうわけにはいかない、ということです……」
涼子が言葉を止めた。
これから話すことを、受け止めるための準備が整うまで。
「さあ、話してください」
神野会長は、自分の覚悟を告げた。
「一つ目は“囲”われたものは、けしてその主を傷つけることができなくなります。二つ目は“囲”われたものは、けして自分を傷つけることができなくなります。三つ目は一つ目と二つ目に反しない限り、主の命令には絶対に逆らえなくなります。そして四つ目……。たぶん、これが一番のネックになると思うのですが……。一定期間、主の精を体内に取り込まないでいると、人の姿を保てなくなります……」
「人の姿を保てなくなる……。具体的には、どうなる?」
たぶん、一番気にかかることなのだろう。神野会長はかなり不安そうにたずねた。
それに、涼子は首を振りながら答える。
「わかりません。人それぞれなのです。鳥の姿になるものもいれば、犬の姿をとるものもいます。あるいは様々な獣が入り混じった姿をとるものもいます」
さらに涼子は続ける。
「それは、主の精を摂取することで元に戻ることはできます。でも、それだけです。それは、人ごみの中で、あるいは友人の目の前で起こるかも知れません。もし、そうなれば……」
最後まで言う必要はなかった。
その時のことは、神野会長にもはっきりと想像できた。
間違いなくこう呼ばれることになるだろう、“化物”と。
神野会長は、娘の顔を見る。
きれいだった。だけど控えめで、優しさに満ちた顔。
めかけの子だった。
中学を卒業するまでは、母と二人で暮らしていた。卒業を待つようにして訪れた母の死とともに、それまで住んでいたマンションを出て小さなアパートに移り住んでいた。
小さいときから、可愛い娘だった。
成長とともに、どんどん美しくなっていった。神野会長は、ほんとうにこの娘が可愛くてしかたなかった。
だから、狭いけれどきれいに整えられた娘のアパートをおとずれるたびに、彼女によく似合いそうなアクセサリーを持っていった。
ダイヤもあった、ルビーも、真珠もあった。でも、そのたびに娘は哀しそうな笑みを浮かべてこう言った。
“ありがとうございます。でも、わたしより、もっとふさわしい方がいらっしゃるはずです。……ごめんなさい、わたしはこれをいただくことはできません”と。
そして、この後に今度は本当にうれしそうな笑みを浮かべて、かならずこう付け加える。
“お父さまが、こうして来てくださったのですから、それ以外に何も望みません”と。
そのたびに神野会長は、涙を必死でこらえなければならなかった。
自分には、もったいないくらいの娘だと思っていた。
本妻との間に出来た子供達が、まだ自分が生きているにも関らず、財産分与のことでいつもいがみ合っていることを知っている。大した愛情も感じなかったし、彼らはそれなりの金を与られていれば満足することを知っている。
だけど、この娘には、何もしてあげることができなかった。誰よりも幸せになってほしい、といつもそう願い続けてきたが、その方法がわからない。
だから、娘の言葉に動揺し、いつだって無力感に責めさいなまれることになるのだ。
世界に冠たる松芝グループを束ねる男であろうと、たった一人の娘の前にはあまりに無力だった。
この娘の幸せのためなら、どんなことを犠牲にしてもおしくない。そう思っていたのに……。
胸に大穴を開けられて死んでしまい。生き返ったとしても、“怪物”よばわりされるかもしれない。
本当に神を呪いたくなった。
こんなことが、ゆるされていいのだろうか?
神野会長の心はちぢに乱れ、結論を出そうと考えるたびに心が悲鳴をあげる。
このままこの娘を永遠に失うのか、それともまともに暮らせなくなることを覚悟の上で再び生をあたえるのか。
考えれば考えるほど、彼には答えを導き出すことはできなくなっていった。
このまま心がなくなってしまいたい。
そう考えるくらいに苦悩しつくしたとき。
声が聞こえた。
とても、なつかしい声。
他の誰にも聞こえない声。
でも、神野会長にはその声は、はっきりと聞こえる。
そして、彼の中からすべての迷いが消え失せた。
生きてる間、ただの一度もしたことのない“お願い”を、死した後、初めてしたのだ。
迷うことなどなかった。
だから、それを言葉にする。
「ぜひ、その“囲”の技を娘にしてやってください。お願いします」
それを聞いて、阿斗は笑いながら答える。
「まーかして!」
と。
でも、涼子はつらそうに目を伏せる。神野会長には伝えなかったことがある。
“囲”の主は、他人の魂魄を自分の魂魄の中に取り込まなければならない、体内に異物を無理やり押し込めるのとなんら変わらない。想像を絶する苦痛を抱え込むことになる。しかも、それは生きている間ずっと続くのだ。“外仙”である阿斗さま以外にはとても耐え切れないだろう。
涼子にしてみれば、そんなことなどしてほしくなかったが、止めることはしない。しても無駄だと承知していたからだ。阿斗さまが“囲”うのはこれが始めてではない。
現にこの院にも、阿斗によって“囲”われた女医がいる。
だからとて、これ以上阿斗さまが苦痛を背負い込む必要がどこにあるというのだろう?
普通の人ならば、神に願うこともできよう。
でも、“神”をも超える力を持った“外仙”のためには、一体何に祈ればいいのだろうか。
その思いを知ってか知らずか……。
「さぁって、いっちょやりますか、ねぇ涼子ちゃん」
阿斗がいたってお気楽に、そう言った。
「はい……」
そう言って手にしていた、黒真珠を思わせる宝貝を阿斗に渡す。
それを無造作とも思える手つきで受け取りながら、
「で、おとーさん。その娘(こ)の名前教えてくんない?」
あつかましいというか、神野会長のことをおとーさん呼ばわりして、阿斗がたずねる。
「さち、……だ」
ちょっと、むっとしながら神野会長が答える。
「へぇ、さっちゃんっていうのか。かぁいい名前だねぇ」
えへへっ、と笑う阿斗。
本当に、こんな男のものになってしまうのか?
その様子を見ながら、神野会長は早くも激しい後悔にさいなまれていた。
「地に満ちる命、天のしろしめす理(ことわり)。我が手にありし御霊は我が“囲”しものとならん。天地の絆を断ちて我、理(ことわり)をなす」
阿斗の方は、すでに術式に入っていた。二人の婦警さんに対しては、いつ術を使ったのかすら分からなかったのに……。
でも、さすがに死者をも蘇らせる外仙術“囲”をともなればそうもいかないのだろう。
それから阿斗の口から発せられる言葉は、神野会長にはまるで理解不可能なものになり、ただ呆然と見ているしかなかった。
だけど、それもそんなに長いことではない。
時間にすれば2,3分といったところだろう。阿斗が術式を唱えるのをやめ、目の前に宝貝の玉をかざすと自然にそれは浮き上がり、その中から白く光るものがにじみだしてくる。
完全に分離したとたん、白い光は阿斗の体に吸い込まれ、黒い宝貝はそのまま床に落ちてころがった。
ダンッ!!
音がする。
診療台の上。
神野会長は、自分の娘が宙に浮き上がっているのを見た。
宙に立ちあがるような格好で、阿斗と向き合っている。
彼の目の前で娘の体に、急速な変化がおとずれていた。
大きく開いていた胸の穴の中に、こぶし大くらいの肉の塊が形創くられる。それに向けて、太い血管が伸びてゆき、完全に繋がったところでそれは脈打ち始める。その上にせり出すように、白い胸骨が再生されいゆき、その上を肉が覆って白い肌ができあがった。
そこには、あの大穴の痕跡すらみてとることは出来ない。
そうして最後に、青ざめて硬く冷たくなってしまっていた肌に、赤みがさして人のぬくもりを取り戻してゆくのがはっきりと見てとれる。
その様子は、一輪の百合が急速に花開いてゆくのを見ているみたいだった。
神野会長は、自分が何を見ているのか考えることができない。
今、起こっているのは奇跡。真の奇跡だった。彼のような神ならざるものにできるのは、ただその真実に打たれることのみ。
完全に再生の終わった彼女は、ゆっくりと床に降りてくる。
黒く腰まで届く長い髪が、ふわっと宙で広がった。
床に降りた彼女が、ゆっくりと瞳を開く。
そして……。
「ずっと……、生まれてからずっと、さちはこの時を待っておりました!」
それが、さちが初めて阿斗に言った言葉だった。
< つづく >