外仙 章之弐「虎口」 1

章 之 弐 「虎口」 1

 天翔静理(あまかけしずり)はいらついていた。
 なにもかも、思いどおりにいかない。そんな想いが、最近は常につきまとっている。
 彼女の人生は、常に順風を受け続けてきた。
 上級公務員試験に上位合格をはたし、大蔵省(当時)を蹴って警視庁へと入庁をするまでは。
 変えたいと思っていた、変えられると思っていた。だが、実際に入庁するとそこは官僚主義が蜘蛛の巣のように張り巡らされた、ガチガチの男性社会だった。
 静理が始めて配属されたとき、他の男性たちとは違って現場には配属されなかった。
 もちろん静理はそれを不服だとして上司に申し立てをした。すると彼は“これは、人事の問題だからねぇ。私に言われてもねぇ”と答えた。今度はすぐさま人事に捻じ込んだ。すると“これは慣例だからね。君も早くそれになれることだね”と言われた。
 もちろん静理はすぐに“こんな男女差別がまかり通っていいはずがありません!”と、声高にうったえた。
 だが、それに同調するものは現れなかった。
 結果として、彼女は自分の身を資料課という暇職へと追いやっただけだった。
 それ以来ずっと、いらつきの虫と戦い続けてきた。……いや、もうすでに共生関係にあるのかも知れない。
 髪を少年のように短く刈りそろえ、美しい顔をいつも硬くこわばらせている静理は、はっきり言ってあんまりしょっちゅう顔をあわせたい相手ではなかった。
 そんな彼女だから、どんなに正論を吐こうともまともに交渉の相手はしてもらえず、当然彼女の意見が通るはずもない。
 美人だけど、ガチガチにお堅い頭でっかちのエリートというのが彼女に対する評価だった。
 だれもが常に正論を大上段から振り回す彼女と話すことを煙たがり、彼女に一定距離以上近付きたいと思う奇特な人間は現れなかった。
 それは、あたかも彼女の周りには目に見えないバリアーが張り巡らされている、そんな感じだった。
 キャリアとはいっても庁内で完全に孤立してしまい、あがけばあがくほど、どんどん出世の道からは遠のいてゆく。それが、今の彼女だった。
 そんな彼女が、突然現場の指揮をまかされることになった。
 あれほど彼女がやっきになって、言いつのってきたのが何だったのか、と思うほどあっさりとその決定は下された。
 もちろん、彼女の主張が通ったからではない。ある一人の男の、しかも警視庁とは直接関係のない人間の推薦があったからだ。
 静理は、その男のことを知っていた。彼女にかぎらず少しでも政治に目端の利くものなら、その男の名前くらい聞いたことはあるはずだ。
 松岡修二。
 中元虎太郎の秘書として政界だけでなく、財界、官僚、マスコミにいたるまでその影響力は及んでいる。
 彼の協力者はいたるところにいたし、当然警視庁にもたくさんいた。その影響力は、推し量ることすらできないほどのものだろう。
 そんな男が、自分の人事になぜかかわってきたのか?
 理由がまるでわからない。そもそも、なんで自分のことを知っていたかがわからない。
 わからないことだらけだった。
 そのことが、静理をさらにいらつかせる。
 自分にわからないことがあるのだと思うことが、いやだったのだ。ましてや、その男はしょせん自分より格下の大学を卒業しただけの凡人にすぎない。エリート中のエリートのはずの自分が、そんな凡人に運命を左右されているという事実が一番彼女をいらだたせる原因であった。
 しかし、いくら彼女がいらついてみたところで、しょせん彼女はそれに従うしかない。
 本当に、いらだつことばかりだった。
 一人の女子校生の失踪事件。
 よくあるような事件(こと)だ。
 話題にすることすらあまりに陳腐すぎて、面白みにかける。
 死体が出たわけではなく、かといって犯行の現場が目撃されたわけでもない。
 警察が動くにも、本来ならあまりに事件性にとぼしぎるはず。なのに、それがいきなり本庁へ持ち越され、静理の担当事件となってしまった。
 ただそれだけなら、手の込んだいやがらせか、とも思えるけどでもそこに“松岡修二”の名前があれば、かなり胡散臭ささを感じさせる。
 これが単なる失踪事件などでないことは、静理にだって容易に想像がついた。
“結局、調べ(やって)みないとわからないってことか……”
 それしか、今のところ彼女に導き出せる答えはなかった。
“でも、なんだって自分なんだろう?”
 また、静理の思考はそこに戻ってしまう。
 どんなに小さくても、初めての事件。しかもそこには、“松岡修二”というとんでもない大物までからんでいる。
 本当のところ、彼女は不安によって押しつぶされそうなのだったけど、キャリアとしてのプライドゆえにそれを認めることはできなかったのである。
 静理が、どんなに考えたってけしてそれだけでは解決することなんてできない悩みに陥っていたとき。
 トントン。
 ドアをノックする音が聞こえた。
「天翔警視、入ります」
 ノックに続いてドアが開かれる。
「失礼します」
 そういいながら入ってきたのは、二人の私服の婦警だった。
 一人は背が高く、もう一人はかなり小さい。どちらもタイプはかなり違うが、美人であることには違いなかった。
 彼女らを見た静理の感想は“まるで漫才のコンビね”というものだった。
 もちろん、そなんこと口に出すわけにはいかないので……。
「よくきたわね……」
 そう言って向かい入れる。
「片倉警部補および美山警部補、辞令により当部署に着任いたします」
 みごとな敬礼を見せて、背の低い方の婦警が言った。
 何の気負いもなく、まったくの自然体でさっそうとすらしている。
 そのことが静理の勘にさわった。
 キャリアである自分の前だっていうのに、こいつらはどうしてこんな態度を取れるのだろう。
「わたしが天翔静理警視です。とりあえずそこに座りなさい」
 あまり広くない部屋の隅の方に置いてある、小さな応接セットを示しながら静理が指示をだす。
「わかりました、警視殿」
 片倉警部補と美山警部補はやはりなんの気負いもない、でもみごとな敬礼をして応接セットへ移動する。
 二人が歩いてる姿を見て、静理はまたむかついた。
 その歩き方が颯爽としていながら、実に女らしかったからだ。
 生まれてからこのかた、きれいだと言われたことはあっても、女らしいと言われたことはただの一度もなかった。
 二人の警部補は立ったまま静理を待ち、彼女の指示で腰を降ろす。
 そういった完璧な対応は、よりいっそう静理をいらだたせる。
「それじゃ、さっそくで悪いけど、これを見て」
 静理がそう言って二人に見せたのは一枚の写真だった。
 そこには、奇跡のように美しい一人の少女が写っていた。
「この娘(こ)の行方を捜すのが、あなたたちの仕事よ」
 静理はわざとぞんざいな感じでそういうと。
「この娘(こ)が……。わかりました、全力で捜査にあたらせていただきます」
 というのが片倉警部補の答え。
「この娘(こ)の家族のためにも、微力をつくさせていただきます」
 それが美山警部補の答えだった。
 これで静理は、この二人を完全に嫌いになることに決めた。
 むかつく。ほんとうにむかつく。
 世の中、きれいごとなどでは成り立っていないことを知らないのだろうか? こいつらは?
 こんなキレイ言を、なんでこうもしれっと言ってのけられるのだ?
 でも、静理は気付いてなかった。それは、自分がそうありたい、と願っていることの裏返しであることに。

…………

 片倉小百合と美山ゆきは気がついたとき、病室のベッドに寝かされていた。
 それは病室のベッドにはあるまじく、ふかふかでそれでいてやわらか過ぎず起き上がるのがもったいないようなベッドだった。
 先に起きたのは小百合だった。怠惰な眠りからさめ、次第に頭がすっきりとする。
 なぜか頭がとても軽い。いままであった心の中の重たいものが、すっかりとれてしまっているような気がする。
 それにともなって記憶のほうもはっきりと蘇ってきた。
 自分とゆきの間にあったこと、そしてあの男に抱かれたときのことを。
 そのとたん自分の心の奥のほうで、何かが“ずきん”とうずくのを感じていた。
 強い衝撃と、甘美な感覚。
 それがあの男の、阿斗という名の男の術などではないことを小百合はよく知っていた。
 これまで生きてきた中で、彼女にも何度か経験があることだったから。初めては近所に住んでいたお兄さんだった。その次は高校のとき、対象はテニス部にいた先輩になった。
 その後何回か、同じような想いを抱くことはあったけど、そのたびにかつて感じられたようなひたむきさは失われ、打算と妥協の産物へと変化をとげてしまっていた。そうなるのが普通であり当然なのだ、とそう自分に言い聞かせながら。でも、まだ自分にもこんな感情をいだくことができるのだ、とそういう想いが彼女自身を誇らしいものに感じさせていた。
 一方、少し後に起きたゆきの方は事情が違っていた。小百合を犯したときの生々しい記憶、きれいな女に貫かれたときの快感、そしてなによりあの男とのほんの一瞬だけれども、自身が消えてなくなってしまいそうなくらいの絶頂を迎えた交わり。
 そういったものが、彼女を一つの行動へ向かわせようとしていた。彼女は、一切自身の感情を秘めることなく行動にうつる。
「ねぇさゆり。あの男(ヤロー)どこよ?」
 怒り狂ったようなゆきの顔を見て、小百合は眉をよせる。一体会って何をするつもりなのか容易に予測がついたからだ。
 でも彼女の問いに答えたのは別の人間だった。
「もう院(ここ)にはいないわ」
 入り口にはいつの間にか、一人の女性が立っていた。
 他者を圧するほどの美貌に氷の表情を浮かべ、並みの男を見下ろせる長身をもった女性。あのとき二人に絡んできた女。
 この院の院長をつとめる彩賀涼子だった。
 ゆきが何か言いかけるのを、さゆりが手で制する。
 涼子が何かを言おうしているのを見て取ったからだ。
「あの方から伝言がある。一応つたえておくわ」
 ほんの少し間をおいて、
「術はおおむね解いたから、勝手にかえってね」
 と言った後、
「だ、そうよ。確かにつたえたわよ。それじゃ」
 そう言って部屋を出てゆこうとした涼子を、ゆきがあわてて呼び止める。
「ち、ちょっと? いったい、それってどういうことよ?」
 彼女にとってみれば、しごくもっともな質問だったけれど。
「さぁ? わたしに聞かれてもわからないわよ」
 涼子の答えは冷たくそっけない。
「あいつは、あたし達を一生飼うんだって言ってたのに……」
 ゆきは、おもいっきり落胆していた。
「あっ、そうそう。もう一つ言ってたわね。あなたたちのことは、放し飼いにするんだそうよ。好きなところに行って、好きなように生きなさいって、ね」
 その言葉を聞いたとき、ゆきはとまどっていたけれど、小百合はそれまでちぐはぐに組み合わさっているように見えたジグソーパズルのピースが、ぴったりとおさまったことを感じていた。
 出会ったのはたぶん偶然だった。
 でも、ここに彼女らが連れてこられたのは偶然などではなかったのだ。
 自分の心が、それまでのしがらみから開放されて、すっかり昔の瑞々しさをとりもどしている。
 それはどうしてか?
 なぜこうも、平穏で満ち足りたような気分でいられるのか?
 そう、あれは治療だったのだ。
 日々に疲れ、警察というしがらみの中で、自分が人であるという事実すら忘れてしまいそうになっていた自分達に対する。
 放し飼いにする。それも一生……。
 彼は、暗にこう言っているのだ。
「疲れたらいつだって会いに来い。一生めんどうをみてやろう」と。
 小百合は、自分が言葉を失うのを感じていた。
“まったく、なんて男なのだろう。まったく……”
 でもゆきのほうは、そのことを小百合に教えてもらうまで、ずっと戸惑っていたが……。
 どうやって用意したのか、それぞれにぴったりとあった真新しい制服がそれぞれのベッドの脇のイスの上に置いてあった。
 二人はそれを着ると、署に戻ることにする。
 かなりの叱責をかくごしていた。なにしろミニパトをほったらかしにしたまんまいなくなったのだ。当然、そうなるはずだった。でも今の二人には、たいしたことだとは思えなかった。ただ、そのことを受け止めるための覚悟はしていたのだ。
 でも……。
 二人を待っていたのは、まったく予測もしていなかった現実だった。
 警部補への昇進と、本庁への転属命令。昨日いなくなったのは、本庁の捜査に協力したということになっていた。
 そのことに対する反応は様々だったけど、その大半は“うまいことやりやがって”というやっかみのようだった。
 特にそれは彼女達に階級を飛び越されてしまった男どもに多いようだった。
 でも二人は、そんな周りのことなんて大して気にする様子もなく、その辞令を受け取った。

…………。

 天翔静理と片倉小百合、美山ゆきの三人は紫流女学園の校門前にいた。
 ここにくる前に、あの少女の両親にも会っていた。まったくとんでもない両親だった。
「死体が見つからない以上、あれは生きている。どういった状態でかはわからんが、生きていると考えて間違いないだろう。むろん、あなたがたにあれを見つけてほしいとは願っているが、もし、あれが敵となるならためらうことなくあれを撃つことだ」
 それが父親のセリフだった。
「母として、あの娘(こ)の無事を願っています。でも、あの娘(こ)が闘って斃れるのなら、それもしかたのないことだと思っています」
 というのが、母親のセリフだった。
 当然、娘の捜索願いを出したのは両親などではなかった。
 なんとも言いようのない、怪しい事件になってきた。と天翔静理は考えたが、だからといって放棄するわけにもいかない以上、手掛かりを求めて先に進むしかなかった。
 そうしてたどり着いたのが、この紫流女学園だったのである。
「やっぱり、ここが最後のようね」
 静理が、口に出して再確認するかのようにいった。
 三人は、それまでばらばらに聞き込みを続け、いずれもが一つの結論にたどりついたのだ。
 すなわち、この女学園が最後に少女が目撃された場所だと。
 三人はこの女学園の責任者と連絡をとり、この女学園をおとずれようとしているところだった。
「まってください!」
 先頭にたって園内に足を踏み入れようとしていた静理を呼び止めたのは、ゆきだった。
「感じませんか? 天翔警視? ここは何かおかしいです!」
 その言葉に対して、静理はおもいっきりいやそーなしかめっつらをして見せた後、
「気でも狂ったの? ばかなこと言ってないで行くわよ」
 はきすてるようにそう言って、とっとと中に足を踏み入れる。
 ゆきは小百合にむけて小さく頭をふる。それに対して小百合は少し肩をすくめただけだった。
 二人は心の中で気をひきしめると、静理の後を追う。
 校庭を歩いていると、その異様さが何に起因するものなのかすぐにわかった。
 まだ授業中だから静かなのはわかる。だけど、ここは町の中のはずだ。まるで町の喧騒が伝わってこない。車の走る音すら聞こえてこないのだ。
 でも、二人は同じ場所で同じことに気付いた少女がいたことを知らない。そして、その少女がどういう運命をたどったのかも……。
 それとは無関係に、静理は歩いてゆく。
“ったく、こんな頭の悪い連中と組まされるなんて……。足手まといもいいとこだわ”
 なんてこと考えながら。
 当然彼女は、後ろからついてくる二人が感じているような異常さなんて感じていなかった。
 三人は校庭を抜けて、校舎へと足を踏み入れる。
 静理はスリッパに履き替えるが、後の二人は躊躇する。
「何やってんの? 早くなさい!」
 その二人を見て、静理はいらついた声を上げた。
 小百合とゆきはお互いに顔を見合わせると、小さくうなずき合う。
 何かを確認したかのように。
 校舎に入ったとき、二人の疑惑は確信へと変わっていた。明らかに、ここで何かが起こっている。それもただの犯罪ではない何かが。
 以前まで……、あの人に出会うまでの二人だったら、たぶん静理と同じように何も感じなかっただろう。あるいは、そう思っても常識を持ち出して、今現在感じている異常さを頭から否定しただろう。
 今は授業中。静かなのはあたりまえ。でも、人の話し声が一切聞こえない、というのは異常すぎる。声を出すことなく、どうやって教師は授業をやっているのか? それになにより、外からは生徒の姿がはっきりと見えたというのに、人の気配が校舎の中に感じられないのはなぜか?
「気をつけてください、天翔警視」
 たぶん無駄だとは思いつつ、一応小百合がそう忠告する。
 案の定静理はバカにしきった表情で小百合を見下ろすと、こう言った。
「あなたたち、何もしなくていいわ。だまってついてきなさい」
 それに小百合はただうなずくだけにとどめる。ゆきの方は、まだ何か言いたさそうにしていたけど、小百合が手でそれを押しとどめる。
 もういまさら何を言っても無駄だろう。かえって意固地にさせるだけだ。それよりも、常に周りに気を配って何かが起きたときのために備えておいたほうがいい。
 まるで人気のない廊下を歩き、入り口のドアに園長室と書かれた部屋を見つける。
 入り口のところで立ち止まり、二人の方をみた静理は、
「いい、あなたたち。何もしゃべるんじゃないわよ?」
 そう釘を刺すように言った後、入り口のドアをノックする。
「先ほど電話を差し上げた天翔静理警視です」
 中から入ってください、という声が聞こえる。
 静理はためらうことなくドアを開き中へと入る。後ろの二人がもたついているのをちらっと見てとって、思わず舌打ちをしてしまった。
“ちっ。まったく、こんな簡単なことも満足にできないなんて。こんなのがいるから、女は男どもにばかにされるのだ”
「ようこそ、おいでくださいました」
 30才半ばくらいの女性が、そう言って静理を中に向かい入れる。
 髪を肩の辺りで切りそろえて、ライトイエローのスーツに身を包んだ女性だった。美しいけれど、まったく表情のない顔とうつろに開かれた目と、その体から漂ってくるむせかえるような淫臭が少し気になったが、それ以外はいたって“普通の女性”だった。
 それから静理は、その女性にすすめられるままイスに腰を降ろす。
 奇妙な違和感のあるイスだったが、少し弾力があって、人と同じぬくもりがするだけだ。気にするほどのことではない。
「失礼ですが、あなたがここの責任者ですか?」
 まず、静理がそう切り出す。
「はい、ようこそおいでになりました。わたしが当学園長をつとめております、剣崎と申します」
 まるで決められたセリフを、そのまま棒読みにしているみたいにその女性、剣崎学園長が答える。
「実は先ほど電話で申しました通り、この娘(こ)のゆくえを探しておりまして、つきましてこの学園での捜査をいたします。ぜひ協力していただきたい」
“協力”などと言っているけど、それは完全に強要だった。
「もちろんですとも、この学園での捜査にはわたしはもちろん、学園のすべてで協力いたしますわ」
 やはり、何の感情もこもらない声で、剣崎学園長がそう言った。
「ですが当学園で捜査をされる以上、わたしどものルールに従っていただきます。……よろしいですわね?」
 その言葉に、静理は無表情にすなずく……。
 そんなこと、当然ではないか。たとえ、どんなことを命令されようとも、ここにいる以上それに従うのは当然だ……。
 いつしか、静理の顔からは表情というものが消え、その目はうつろに見開かれていた。
「さあ、それでは今着ているものを脱ぎなさい。このように、一糸まとわぬ姿になるのです」
 そう言って剣崎学園長がスーツを脱ぐと、その下に下着はなくむせかえるような淫臭を放つ肉体が現れる。
 股間には淫らにくねり続ける張り方が、奥深くにまでさし込まれ、胸の二つのとっきには金色のピアスが通されている。
 もう、ここまでくれば誰の目にもその異常さは明らかなはずだ。
 だけど……。
「……はい……」
 静理は短く、そう答える。
 その顔は剣崎学園長のそれと同じだった。そこからは一切の表情が消え、その目には何も映らない。
「さあ、これをあなたにさしあげましょう」
 そう言って、剣崎学園長は自分の秘部の中でうねり続けるモノを引き抜くと、自分のあふれる蜜がたっぷりと付着したままのそれを手渡す。
 静理は迷わなかった。
 手の中でうごめき続けるそれを、ためらうことなく自分の中に突き入れる。
 快感が全身を貫いてかけめぐる。でも、それを表情に出すことはできなかった。
 そう命じられていなかったから……。
「さぁ、胸も揉んで一人で楽しみなさい」
 その言葉とともに、静理は立ったまま胸をもみしだき、自分の中に突っ込んだ張り方を激しく動かしながらもだえ狂い始めた。
 一方、部屋の外では小百合とゆきの二人が、部屋の中に入れないでいた。
 中で何が起こっているのかはわかる。でも、二人は何かにさえぎられて入ることができない。何度も注意をうながそうと声をあげるが、まるで反応を示そうとはしなかった。
 静理が中へ入ったとき、ゆきはそれを止めようと手を伸ばしたのだ。中の光景が目に入ったとたんに。
 全裸の少女たちが、インテリアにされているのを見たときに。
 でも、静理にはそのことが見えないらしく、無造作に部屋へと入ってゆく。
 伸ばされたゆきの腕。部屋の入り口で何かにさえぎられ届かなかった。
 静理は少し後ろをちらっと見て、いらついた表情をして舌打ちをした後また歩き出す。
 向かった先にいた女性。30代半ばくらいの美しい顔立ち、でも、当然のようにまともではない。
 白いスーツには、一体何でついたのか黄色いしみがいたる所についていて黄色っぽく見える。おまけにボタンも掛け違っていて、前がまともに合わさっていない。
 その女性が学園長と名乗り、静理に腰を降ろすようにすすめたイスは、三人の少女たちが組み合わさって作られたイスだった。
 静理は、まるでためらうことなくその少女たちの上に座る。彼女の目の前にある机も、4人の少女たちが仰向けに寝ている少女持ち上げて作られたもの。でも、静理には何の変哲もない机にしか見えていないらしい。
 静理と学園長と名乗る女性が話し始めると、静理の様子がおかしくなってきた。
 それまで一応まともに見えていた静理だけど、すぐにその顔から表情が消えてしまう。
 学園長と名乗る女性がスーツを脱ぐと、ぬらぬらとぬめるような肉体が現れた。股間には蠢くディルドー。それはすぐに静理に手渡され、静理はそれを自分の中へ突き入れる。
 まるで、ためらうことなく。
「さゆり、だめ。入れない!」
 ゆきが、あせったように言う。
「どうなってるのよ、これ!」
 体ごと部屋の中に小百合が突っ込もうとするが、まるでトランポリンにでも飛び込んだかのようにはじき返されてしまう。
「くそ、どうすれば……」
 美山ゆきが、言いかけたときだった。
 新たな変化がおとずれる。
「ちょっと、ゆき。なんか、やばいわよ!」
 そう言って注意をうながしたのは、廊下の先にある階段。
 そこから降りてくるのは少女たち。でも、やっぱりまともではありえない。四つんばいになり、獣のように次々と廊下に降り立つ。その全員が全裸で、口からだらだらとよだれを垂らしながら牙をむき、うなり声たてている。
 その姿は愛らしいし少女のものでありながら、人ではなくなっていた。
 左右の両側を、獣となった少女たちに押さえられてしまった。
「一旦出直すわよ、さゆり」
 美山ゆきが言って、窓にとりつく。
「あかない?」
「なによ、これ!?」
 窓が開かない。
「どいて!」
 そういったのは、小百合。
 両手には近くにあった消火器が抱えられている。
 バン!
 大きな音がした。
 でも、それは窓が割れる音ではない。投げた消火器が跳ね返された音。
「あっぶないじゃない!!」
 跳ね返った消火器はさらに床で跳ねたあと、あやうくゆきに直撃しそうになり、ゆきは激しく抗議する。
「だめ、みたいね」
 小百合は完璧にそれを無視した。
「……やっぱ、あれを抜けるしかないみたいね」
 ゆっくりと近付いてくる三頭の少女たち。牙を剥いて、ぶきみなうなり声を立てている。その間を一気に駆け抜ける、それが二人の出した結論だった。
 まあ、それしか方法はなかったのだけど。
 でも、それを実行に移すことはできなかった。先に一頭の少女が動いていたから。
 四足のまま走りだす。すごいスピード、十五,六メートルはあった距離があっというまに詰まる。
「くるわ!」
 とさゆり。
「わかってる!」
 とゆき。
 二人はその場で腰を落とし身構える。
 さらに左から二頭、右から三頭の少女が続けて迫ってくる。
 小百合とゆきは背中合わせに立ち、それぞれ正面で敵と向き合う。
 でも、できたのはそこまで。
 彼女達二人の目の前には、一瞬獣少女の姿が消えたように見えた。次の瞬間には、少女の牙がのど笛のそばまで迫っている。
 手でかばうことすらできなかったのだ。何を考えるいとまもなく次の一瞬には喉を噛み割かれた死体が二つ出来上がっていたはずだった……。
 でも、二頭の少女は突っ込んできたとき以上のスピードで吹き飛ばされる。
「キャウンッ!」
 そんな声が、床の上にたたきつけられた少女の口からあがった。
 残りの少女たちも、みな同じように吹き飛ばされる。
「な、なに? 何が起きているの?」
 勝手にぶつかってきては勝手に吹き飛ばされ、キャンキャン泣きをいれている。
 小百合とゆきの二人には、そう見えていたのだ。
 だけど、彼女らは自分達の額が淡い光を放っていることに気付いていない。
 だから、とりあえず助かったことにはホッとしながらも、おもいっきり不安がっている。
「やめなさい」
 実にきれいで、よくとおる声が聞こえた。
 クゥーン。
 それまで牙を剥きうなり声をあげ続けていた少女たちが、一斉に鼻をならしはじめる。豪雨のように繰り返されていた攻撃がうそのようにやんでいた。
 ただ一人、この学園の制服とおぼしき服を着ている。
 一番当たり前の格好をした少女の姿は、この状況では最も異様な姿にみえる。
 その姿を見たとき二人は、獣娘たちに襲われていたときとは比較にならないくらいの恐怖にかられていた。
 全身に滲む冷たい汗。
 背中が凍りつきそうだ。
 小百合もゆきもともにその少女のことを知っている。
 なにしろそれは、二人が探し続けていた人物だったからだ。
 目の前の少女は確かに写真に写っているのと同一人物。
 これほど美しく、一度見たら忘れられなくなってしまうような顔をした少女がそうそういるはずがない。だから、見間違うということは絶対にありえない。
 なのに二人は確信していた、目の前の少女がもはや別人へと変貌をとげていることを。
「なにを、おびえている?」
 美しい顔に淫靡な微笑みを浮かべて、少女がたずねる。
 それに小百合もゆきも答えることはできなかった。
 唇は凍りついたかのように動かせず、喉はただ風を通すだけに過ぎない。
「あなたたち、外仙の守りをうけているでしょ?」
 少女は、二人の返答もまたず重ねてたずねる。
「とうてい“狗”じゃそれを破るのは無理よねぇ。あたしにだっておそらく無理……」
 話しながら、少女は一本の木刀を取り出す。
 ゆきと小百合には、それが拳銃などより遥かに危険なものに見えていた。
「……でもね、貫くことなら……できる!!」
 その動きは、彼女が“狗”と呼んだものの動きを遥かにしのいでいた。
 瞬きするくらいの間に、その距離はゼロになる。
 気がつけばゆきの心臓の上に、木刀の切っ先が押し当てられていた。距離は数ミリあるだろうか。
「くっ、まさか外仙の守りがここまでとは……」
 少女は苦しそうにそういった。
 でも“狗”たちが、なすすべもなくはじきとばされていたのに完全に持ちこたえていた。
「でも、まだっ!!」
 少女の口から気合が放たれる。
「ハッ!」
 木刀の切っ先がわずかにゆきの胸に食い込んだとき。
「イッヤッ!!」
 別な角度から、気合の声とともに何かが風を裂く音が聞こえる。
「ちぃっ!」
 その声を残して、少女は後ろへ跳ねていた。
 ゆきの目の前を何かが通り過ぎ、また唐突としか思えないくらいの速度をもってそこに一人の少女が現れる。
 長い髪と、美しくそれでも愛くるしい顔をした少女。純白の神衣をまとい、紅いたすきでそでを動きやすいようにあげている。
 手には自分の背丈よりも長い一本の尺杖が握られていた。
 これが、今ゆきを助けてくれた武器なのだろう。
「ごぶじですか?」
 少女がたずねる。
「あなた、何者? 彼女は一体どうなってるの? それにこの学園は……」
 ゆきが答える前に、さゆりが立て続けに質問をあびせる。
「わたくしは“神野さち”ともうします。彼女は“雨宮悠子”あなたがたが探していた人物で、仙人により“宝貝”にされています。……これ以上、話している暇はありません。阿斗さまの術とはいえ限界があります。すぐにここからお逃げください」
 尺杖を体の正面で構えたまま、さちがうながすようにそう言った。
「でも、この部屋のなかには……」
 ゆきがそういいかけたとき、
「お二人のお友達なら、すでにわたくしがお助けしてあります。それに、この部屋の窓の結界も開けておきました、そこからなら外に出られましょう。……さぁ急いで!」
 さちがせかす。
「ばかめ、にがすか! “狗”たちよ、退路をふさげ!」
 悠子が“狗”たちに指示を飛ばした。
 かなわぬまでも、足止めくらいにはつかえるはずだ。そう読んだのだ。
 でも……。
「イャッ!ハッ!」
 さちが気合とともに繰り出した尺杖とともに、一瞬のうちに“狗”たちはすべて気絶させられてしまう。
「さぁ、今です!」
 さすがに、今度は小百合もゆきも迷わず部屋の中に飛び込む。
 それまであった抵抗は、うそのように消えていて、なんら問題なく部屋にはいることができた。
 中には、何人もの全裸の少女と学園長の剣崎、そしてやはり全裸のまま股間にディルドーを突っ込んで床の上で意識を失っている静理がいた。
 とりあえず股間のものだけ抜き取ると、背の高いゆきが静理をかつぐ。ゆきは窓に近付き、それに手をかける。
 あいた。なんの抵抗もなく。さちと名乗る少女の言葉にうそはなかった。
「さぁ、急いで」
 窓から外に飛び出ると、ゆきをうながす。
 ゆきは静理をかついだまま、すんなり窓を飛び越えて外に飛び出した。
 そうして、小百合とゆきは気を失ったままの静理を連れて校庭を駆け出した。
 後に残してくる形になった、さちと名乗る少女のことを思いながら。
 だからといって、自分らになにもすることはできないことは判っていた。たとえ銃を持っていたところで、おそらく彼女らの戦いの中ではなんの役にもたつまい。
 だから、今小百合とゆきの二人にできるのは、さちの足でまといにならないために、この場を一刻も早く去ることだけでしかなかった。
 一方、校舎の中では、もはや人を超えた二人の少女の戦いが始まらんとしていた。
「まったく、ゴキブリなみのしぶとさね。あの状態から蘇るだなんて」
 そういったのは悠子だった。顔には淫らに歪んだ笑みがはりついている。
「そうですわね。先輩には一応お礼を言っておきます。先輩がわたくしを殺してくれたおかげで、わたくしはついに阿斗さまに“囲”われることができました」
 そういったさちの微笑みは、悠子のそれとは対照的に清廉極まりないものだった。
「へぇ、あんた“囲”われたんだ、あのときあたしにさんざんエラソーなことを言っときながらあんたも外仙の人形になったんだ」
 ますます悠子は淫らな笑みを深めてゆく。
 本当に楽しそうに。
「先輩は、何か勘違いをしていらっしゃいますわ。本来わたしは“攻人”。“攻人”は“守人”と違って“囲”われて初めて本来の“攻人”としての力を手に入れることができるのです。でも母もそのまた母も“囲”ってもらうことはできなかった。……さちは、幸せものです。生まれてから“囲”われることを望んできて、ようやくそれが現実のものとなったのですから」
 その言葉を聞いた悠子は、高笑いをしながら、
「アハハハハッ! あたしは知ってるよ、“囲”われたものは主には絶対服従だっていうじゃないか。人形として働くあたしとどこがちがうのよ? ええっ? このあたしの体……」
 そういいながら自分の股間に左手を突っ込み、その奥に指をさしいれる。
「うんっ! あうっん!」
 見せ付けるように、股間をなぶるとそのこえに混じって、ピチャピチャといやらしい音を聞き取ることができる。
「ほらぁ!」
 そう言って悠子が手の平を差し出すと、そこから粘り気のある液体が床の上にしたたった。
「みえるでしょう? こんな体に作りかえられて、今のあたしはそれを楽しいと感じるのよ? 以前のあたしだったら嫌悪しか感じなかったでしょうにね。でも、あなただって似たようなものでしょう? “囲”われたものは主の精を絶対に必要とするんだってねぇ? どう、わたしたちって結局にたもの同士じゃないの? くっくくく、きゃははは!!」
 楽しそうに悠子が笑い声をあげ始めた。
「違うわ、先輩。わたしはそう望んだ。でも、あなたはそう望まされたのよ。……この差は、あまりに大きいわ……」
 哀しそうに、さちが言った。
「ふん、自分のことすら満足に理解できないなんて……。ばかな娘(こ)。いいわ、殺してあげる。こんどは二度と蘇ることのできないくらい徹底的に、ね」
 二人の少女の間には、急速に気が満ちていった。

< つづく >

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