”晶”
ずきん、ずきん。
鈍い頭痛が私を襲う。
その痛みを奥歯に噛みしめ、眠気に重くなる瞼を無理矢理押し上げる。
きっと酷い表情になっていることだろう。
そして、外見以上にあたしの内面は酷いことになっていた。
あたしの中では屈辱と怒りが竜巻のようにぐるぐると回っている。
思い出したように襲ってくる怒りに額のしわを深くし、ぎりぎりと奥歯を噛みしめる力を強くする。
その原因はいうまでもなく、あの男だった。
昨日のことを思い出す。
神聖なる道場であたしは犯された。
体は意志に反して動き、心は屈辱と恥辱、そして恐怖と怒りにまみれた。
そして、誰かに伝えることもできず、自分の無力さを思い知らされた。
家に帰った後、なんとか、誰かに伝えようと様々なことを試した。会話、電話、手紙、身振り、インターネットのBBS。その全てが無駄に終わり、そのころには夜が明けていた。
ぎり。
歯ぎしりの音が聞こえるくらいに強く歯を噛みしめる。
許せない。赦さない。
霞をあんな風にしたあいつ。
あんな事をしたあいつを赦せるわけがない。
そこで思い至る。
霞?
そうだ、霞だ。
霞を何とかしないと。
がたっと勢いよく席を立つと、その勢いのまま教室を飛び出した。
生徒達で溢れている廊下を駆け抜け、霞の教室へと急ぐ。
「霞っ!!」
ばんっと走った勢いそのままにドアを開き、教室の中を見る。
教室中の視線を一斉に集めているが、その中に霞の姿はなかった。
「あの・・・綾瀬さん」
ドアのすぐ近くの席の子がおずおずと声をかける。
ん? とそっちを見るとその子はビクッと体を震わせてから、勇気を振り絞って、あたしに言う。
「天音さんは多分生徒会室よ・・・ここにはいないわ」
「そう、ありがと」
その子に礼を言い、再び廊下を走る。
・・・なんで、そんなに怖がるんだろう・・・そんなにあたしは怖いかなぁ?
そう考えてちょっと悲しくなった。
渡り廊下を走り抜け、階段を駆け上がる。
きゅっとゴムの音を響かせてブレーキをかける。片足で慣性をとめ、勢いを殺さないように前へ進む。
ばんっとさっきと同じような勢いでドアを開くと、乱れた呼吸を整える。
ばっと顔を上げると、生徒会の役員達が何事かとこっちを見ていた。
当然その中には生徒会長の姿もあった。
「ど、どうしたの晶・・・」
心配して寄ってくる霞。その手を取り、生徒会室から連れ出す。
「ちょ、ちょっと晶っ!」
「一緒に来て」
霞の手を引っ張り、階段を登っていく。突き当たった先の重いドアを開き、あたしと霞は屋上へと出た。
風が強いせいか、屋上には誰の姿もなかった。
「で、なに?」
キーンコーンカーンコーン
霞の声と予鈴が重なる。
一瞬、どうしようかと顔に出るが、あたしの雰囲気を察してか霞は何も言わない。
霞を助けるんだ。あいつの手から。
「ごめん、霞」
「え?」
パンッ!
霞に猫だましをかける。
霞にできる一瞬の空白。その一瞬にで霞に言葉を差し込ませる。
「はい、もう霞は目を開くことができない」
霞の瞼に手を当てる。
瞼を開こうとぶるぶる筋肉が震えるのが分かる。
霞も催眠術の使い手だ。解かれないうちに次へといかないと。
「いい? 霞の頭はどんどん真っ白になっていく。考えようとすればするほど何も考えることができなくなる。力が抜けて立っていることができなくなる。はい、もう立っていることができない」
ぐらりと揺れる霞の体。崩れ落ちる前に霞を支え、そのまま座らせる。
キーンコーンカーンコーン
本鈴がなるが、授業なんて受けている状況ではない。
「ほら、揺れる揺れる。揺れていくと真っ白になった霞の頭が今度は真っ黒く変わっていく。深い深い闇のそこへと落ちていく。でもそこは霞の中。だから安心して落ちていっていいよ。落ちていくたびに気持ちよくなっていく。何も考えなくていい」
くるくると霞の頭を転がし、囁いていく。既に何度かかけられているのか、かかりがよく、凄い速さで堕ちていく。
霞の体から完全に力が抜けたのを確認すると、霞からあいつの暗示を解こうと試みる。
「ほら、霞。今霞はとてもリラックスしていて、どんなことでも話すことができる」
屋上のフェンスに寄りかからせるように霞を座らせ、向き合うようにあたしも座る。
霞の手を取り、キュッと握る。
「いい、これから10数えていく。数えていくと、だんだん霞の時間がさかのぼっていくよ。1,2,3・・・・」
静かにはっきりと声を出す。霞に見た目の変化はなく、ちゃんと暗示が働いているのか心配になる。
「・・・・8,9,10。さあ、霞は彼と出会った日まで戻った。今霞はどこにいるの?」
「・・・生徒会室」
霞の口が微かに動き、蚊が鳴くような小さな声で言う。
「そこで何があったの?」
「・・・・・」
沈黙。
「この声は霞の声。ここには霞以外誰もいない。だから、恥ずかしい事なんて何もない。怖いことも何もない。ただ正直に言葉にすることができる。霞、そこでなにがあったの?」
「・・・そこで、私は・・・」
暗示を重ね、同じ質問をする。
先程とは違い霞の口が動き出す。そして私は事実を知った。
霞の話が進むたびに歯と握った拳の力が強くなる。
ドクンドクンと心臓が高鳴り、あいつへの憎しみが増大していく。
何様のつもりだ!
溢れ出ようとする怒りを押さえつけ、静かな口調で霞に話しかける。
「違う。霞、そんなことは起こらなかった。あなたはそんな体験はしていない。だから、霞はあいつの奴隷なんかじゃない。言ってごらん。霞はあいつの奴隷なんかじゃない」
「私は・・・・奴隷なんか・・・・じゃ、ない」
その霞の言葉にあたしは満足そうに頷く。
「じゃあ、霞の時間が進んでいくよ、1,2,3,4,5,6,7,8,9,10。さあ、霞は今、この時間、この場所へと戻ってきた。さあ、もう一度言ってみよ? 霞はあいつの奴隷なんかじゃない」
「私は奴隷・・・・じゃ・・・ない」
そう言った瞬間、霞の眼が見開かれる。
なに? あたしはそんなこと言ってない。
何で眼を、眼を・・・・
霞の眼を見た瞬間、その瞳に吸い込まれるような感覚を覚えた。
見てるだけで力が抜けるような感覚が襲ってくる。
「さあ、晶。もっと私の眼を見て・・・ほら、だんだんと頭が白くなってくる。何も考えることができなくなってくるよ」
あ・・・あ・・・・
霞の言葉があたしの頭に染みこんでいく。
余分な思考が頭の中から抜けて、変わりに空白が占めていく。
体中の力が抜け、もう立っていることができなかった。
がくっと足から崩れ落ちる。それを支えたのは霞だった。
「さあ、晶はもう何も考えられない。ただ、私の言うとおりにするのが気持ちいい。だから、晶は私の言うとおりに行動するの」
霞の言うとおりにするのが・・・
「じゃあ、まずは私の催眠を解いて」
気持ちいい・・・・
「・・・はい」
霞の催眠を・・・・とかないと。
「いい・・・? 霞・・・・。三つ数えると・・・霞は目を・・・覚ます。1・・・・2・・・3・・・・」
ポン
力無く手を叩く。
これで霞の催眠は解けたはず・・・・
ああ・・・気持ちいい・・・・
電車で思わず居眠りしてしまう直前のような抗いがたい浮遊感。
もはやあたしは逆らうことを考えていなかった。
「んっ・・・」
唇に当てられる感触。力の入らない唇を割って柔らかい物が侵入してくる。その柔らかい物は口の中を無遠慮に蹂躙していく。
『キスをされると身体が疼いて仕方なくなってくるよ。晶がどんなにいやがっても身体はとても感じてしまうの』
頭の中が更に真っ白く染まっていく。
はぅ・・・・
体がひくひくする・・・・
欲しい・・・もっと・・・
はぅっ・・・あっあっふぅっ・・・はぁぁっ
あふ・・・ぅ?
頭の中身を掻き回したあの快感が離れていく。
嫌だ。もっと、もっと欲しい。
「あ・・・・ぅ・・・・・」
「そう、もっと欲しいの? 大丈夫。自分でやればとっても気持ちいいわよ。ほら、こうやって・・・」
じぶんで・・・・きもち・・・ひぅっ
快楽の波があたしをさらっていく。
ふっ・・・あっ・・・くぅっ・・・・
ぅあっ・・・もっ、あっ・・・・
あっあっ、ひぅっ、ふっ、もぅ、もっ、だっ、あっ!
ああっ、はあぁっ、うあぁあああぁっ!!
はぅ・・・・はぁ・・・・・ふぅ・・・・・ぅ・・・・・
「ふふっ、凄いイキッぷりね晶」
かすみ・・・・?
こえが・・・・きこ・・える・・・
「ふふっ、よく聞いてね。目が覚めた後、私が大好きな晶と言うと晶はあの人が好きでたまらなくなる。その時晶は私に催眠術をかけられたことを思い出すことはできない。わかった?」
「は・・い・・・。だい・・・すき・・な・・あきら」
パチン
「そして、晶はこの音を聞くと、暗示も催眠状態の時の記憶もそのままで元の晶に戻るんだよ。その時には今の記憶も戻るの」
「もとに・・・もど・・る」
「うん。じゃあ、今から三つ数えると晶はいつもの晶に戻る。だけど、催眠状態の時に私が言ったことは全てその通りになる。どんなに晶がいやがっても絶対にその通りになるよ。3,2,1、はい。気持ちよく目が覚めるよ」
そして、現実に引き戻された。
目の前にはにこにこと笑っている霞。
「気分はどう? 晶」
その姿にあたしは頭を殴られたかのような衝撃を受けた。
今・・・霞・・・あたし・・・・・
事実を事実として認識する。それが今のあたしには難しかった。
「霞・・・・あんた・・・・」
「ええ、晶に暗示をいれたの。憶えてるでしょ? 憶えさせておいたんだから」
くすっと悪意のある笑い。そして挑発的な上目遣い。そんな霞の姿に愕然とする。
ぐらぐらと視界が揺れる。立っていられるのが奇跡的だった。
「大好きな・・・・」
その言葉にはっと顔を上げる。視線の先では霞がにっこりと微笑んでいた。
だめだ!
その先を聞いたらあたしは終わる。
いっちゃだめ!
考えるより早く体が動く。
一歩。霞へと体を押し出す。
二歩。霞の口へ手を伸ばす。
三歩。霞の口を塞ぐつもりだった。
だが、その前に言葉は紡がれた。
「晶」
嫌だ。あいつのことを好きになんかなりたくない。
素敵。
あいつは霞をこんな風にした。
かっこいい。
あいつはあたしを犯した。
気持ちよかった。
これは全てあのひとの差し金。
すばらしい。
あのひとは―――
すき。
あたしは―――
すき。
あたしはあのひとがだいすき。
そうだ、あたしはあの人が大好きなんだ。
「晶」
霞の声にはっと我に返る。
目の前にはにっこりとした霞の笑顔。
「あれ・・・? あたし・・・」
そう言えば何でこんな所にいるんだろう。
「もう、どうしたのよ晶。ぼーっとして。そんなんじゃ振られるわよ、彼に。告白するんでしょ? 私に授業さぼらせて」
霞に言われてはっとする。
そうだ、あたしは告白の相談をするためにここにいるんだ。そのために、霞をさぼらせたんだっけ。
「あ、ごめん・・・で、どうかなぁ・・・?」
「どうかなあって・・・告白すればいいじゃない。好きなんでしょ?」
「そうなんだけど・・・・」
恥ずかしい話だが、あたしは今までこの手の経験がまったくなかった。そして恋愛物の漫画や小説なんて読んだことがない。
だから、こんな時どうすればいいのか全く分からなかった。
「じれったいなぁ。私がお膳立てしてあげるから、晶は放課後、校舎裏で待ってなさい。いいわね」
「う・・・うん」
霞の迫力に押されて、思わず頷いた時、授業終了のチャイムが響く。
「ほら、じゃあ、話はこれで終わり。教室に戻りなさい。それで放課後までに告白の言葉を考えておきなさい」
「うん・・・・ありがと、霞」
こうして、霞に促され、あたしは教室へ戻った。
どう告白しようか頭を悩ませながら。
< 了 >