その1(前編)
土曜日の午後六時半。人通りもまばらになってきても男はそこから動こうとしなかった。
身長は百八十センチ前後で何故かベレー帽とサングラスを身につけた、体格の立派な人物である。サングラスの奥からは陰険な目付きをしている。そして彼は時折、一軒の家の方へ視線を遣る。
(何時になったら出て来るんだよ、あの女ァ。・・・マッタクついてねえなあ)
彼が一人の人間が出てくるのを待ち始めてから既に半日が経過している。
(しっかし・・・千鶴とかいう女なんか狙わなくてもあの啓人のクソヤローを直接ぶっ殺せばいいだけなのによぉ)
男はそう主張したのに、他の仲間達が反対した事によって今男は此処にいる。それを思い出してさらに苛々が募る。
(ケッ・・・やってられるか!・・・馬鹿馬鹿しい)
辛抱しきれなくなって帰ろうとした矢先、ガチャリという音が聞こえて件の家から一人の女性が出て来た。
(ギリギリセ~フ・・・てか?)
女は黒い服を着ている。恐らくは目当ての女。
(ったく、待たせやがって)
そう言いながらも内心、喜びを隠せない。ほとんど足音を立てない女の後を、舌なめずりをしながら追っていく。長い黒髪を靡かせながら歩く背中から彼は妄想を膨らませる。
(ククク・・・あのクソヤロー、女のシュミだけはまともだったからな)
頭の中では何度も無抵抗の女を嬲っている。だが、彼は不審を感じた事によって妄想世界から帰ってきた。目の前の女はどんどん人気の無い方へと歩いていっている。
(・・・まさか・・・気付きやがったか?)
下心丸出しの男が後を尾けてくるのに、気付かない方が可笑しいだろう。しかし彼は少しも慌てなかった。むしろ感心した。彼女はやがて歩みを止めて振り返る。
「おぉーーーーーっっっっ!?」
色んな意味で賞賛するつもりだった男の口から出たのは純粋な驚きであった。さらさらとした前髪はまさに『柳眉』と形容にふさわしい形の良い眉の辺りできれいに切り揃えられている。肌は透き通るように白く、きめこまやか。目は切れ長だが細目ではなく、涼しげ。鼻はすらっと通っている上に高い。薄くて柔らかそうな唇はピンク色。神が丹精を込めて造り上げたと思われる、その美貌は全体的にやや日本人離れしているが、見る者は冷たさよりも優しさを与える。誰がどう見ても稀代の美人だ。体のラインはゆったりとした服の為にはっきりと分からないが、きっと素晴らしい(と男なら絶対思う)。
(・・・・・・まさか・・・こんな上玉・・・いや極上だったとは・・・なぁ・・・)
強いて欠点を挙げるとすれば、無表情であることだろう。
(神って不公平だよなぁ・・・)
千鶴を見て思う男。そんな驚きと欲望にまみれた目を千鶴をあっさりと受け流す。
「何故私を尾けてきたのですか?」
機械的な声。一切の感情が排除されいるが、その声の美しさに男は逆に喜んだ。
「何時から気付いていた?」
「最初からです」
淡々として答える。
(ほおぅ、ワザと誘ったて事かい)
「ククク・・・いい度胸じゃねぇか。流石にあの啓人のクソヤローの手下の事だけはあるじゃねえか」
「!!」
この時初めて千鶴は表情を動かした(但し啓人にしか分からない程度)。
「貴方は啓人様の敵ですか?」
彼女を取り巻く雰囲気が剣呑なものへと変わっていく。
「だったらどうするよ?まさかこの俺を倒すとでも言う気か?この堂我様をよ?」
「当然です」
彼女は既に臨戦体制である。
(つくづく神って不公平だよなぁ・・・)
啓人が目の前の美女に想われているのは明らかである。堂我は面白くない。
「面白いねェ・・・あのクソヤローに負けたとはいえ、この俺をお前が倒すって?悪い事は言わないから止めときな。その方が『御主人様』の為だぜぇ?」
千鶴は敵を瞬殺する気だったが、余りにも余裕な堂我の態度に流石に不審を覚えたらしい。
「それはどういう意味ですか?」
敵に言われたこととはいえど、『啓人の為』という言葉に反応した。
「俺が無事に帰らねえと、啓人のヤローに卑怯な奇襲をかける筈になっている。いくら奴でもただで済むわけがねえ」
そう言ってニヤリと笑う。一度戦った事があるのに、この自信。千鶴に不安を与えるには十分である。本当に有効な作戦を練ってあるのかもしれない。
(私が知らないというのも変だけど・・・それにしても、余程手を抜かれたのかしら?)
啓人に対する自信。彼の真の実力を知っている者がある訳が無い。余りにも手を抜いた為にこの男は生き延びる事が出来、啓人相手に勝てると思っている。それが、彼女の推測であった。
(どんな攻撃でもあの方はビクともしない・・・でも、もし本当に啓人様に何かあれば・・・)
それは千鶴にとって絶対に避けねばならない事態である。こうなれば迂闊に千鶴は目の前の敵を葬り去る事は出来なくなった。
「よぉーく分かったらしいな。黙ってついて来い」
目隠しもせず、堂我は歩き出した。千鶴は黙って男の跡に従った。
十分程経って、二人はさびれた家の前に着いた。
「ついたぜ」
それだけ言うとどんどん進んで行く。やがて、家の中に入ると地下室への階段があり、そこから男と女の二人組みが出て来た。
「おい堂我。それが例の女・・・・・・」
二人は千鶴の顔を見た瞬間、揃いも揃って面白いほど硬直した。
「ああそうだ。いい女だろう?」
半ば予想していた堂我は石化した仲間達をフォローしてやる。
「あ、ああ・・・」
その言葉に反応があったのは三秒後であった。
「婁里も須脇も何時までも固まってないで、手筈通りに動けよ」
からかうような堂我の口調。自分の事は棚に上げて仲間達をせかす。須脇は頭を振りながら、婁里は何か譲れないのか、鋭い視線を女に浴びせながら。
(まさかこの三人?いくらなんでもすくなすぎるわ・・・)
たったこれだけで啓人に立ち向かうとは思えない千鶴は考え込んだ。
「邪魔者はいなくなった」
少し大きな声で堂我は自分と千鶴に言い聞かせるように話した。顎をしゃくって再び歩き始める。二人は地下に降り、一つの部屋の前まで来た。
「さぁ、入るぜ」
名にやら不気味な笑みを浮かべながら彼は扉を開いた。
(この部屋は一体?)
それが中を見た千鶴の第一印象である。地下だけに、部屋に窓はないが天井に大きな豆電球が点いており暗くはない。一体・・・何に使うのか?と思いつつ中を見回した千鶴は大体予想できた。縄や手錠、バイブ。それに蝋燭に鞭、釘やローションときた。ご丁寧にマスクや黒のブーツまである。だが、一つだけ分からない。
(何故こんな所に『鋼鉄の処女』が?)
そう、部屋の四隅の一角にその巨大な存在はあった。鋼鉄の処女は間違っても『SMプレイ』使う物ではない。中に閉じ込め鋼鉄の針で全身を刺すという『拷問器具』である。神経に異常でも無い限り、快感を感じる奴なんてゼッタイいない。
(それをわかっているのかしら?)
分かってないと言う声が聞こえる気がする千鶴であった。流石の千鶴でもアレを食らうのは御免蒙りたいのである。
「逃げよなんて考えるなよ?」
改めて堂我が釘をさす。確かにこの男しかいない状況では此処から逃げるだけではどうしようもない。
(空腹の獅子の群れの中に飛び込んでも、無傷で帰ってくる方だけど、就寝中にミサイルでも打ち込まれたら、ヤケドくらいはするだろうし・・・)
心配の仕方が普通とはずれている千鶴である。もっともこれは啓人の実力をよく知っているからである。
(・・・一度本気で殺されそうになったし)
それは彼女が啓人のことを『御主人様』と呼んだ時のことである。何故か啓人はそれに対して激怒し、『本気』をだしたのだ・・・。今生きていられるのは啓人が急所だけは外してくれたからである。殺されかけた事より、怒られた事にショックを受けた千鶴は決して啓人を『御主人様』と呼ばないと決めたのであった。ちなみにどうして啓人が怒ったのかは今もなお知らない。
「あそこに座れ」
と何か考えているらしい女に命令を出す。そして、ポケットからスイッチを出して押した。
プシューという音と共に青色のガスが噴出してきた。女は咄嗟に口を抑えたが、何分も息を止めていられる筈が無い。吸い込んだ後、立ち上がろうとしたがよろめいて膝をついた。
「そいつは即効性の毒ガスだ。特別製だから解毒剤なんてないぜ」
事実である。この女は仮にもあの啓人の部下。『催淫師』かもしれない相手に媚薬や催淫剤を使うのは馬鹿がやることだ。
(動けるわけがねェ・・・一滴で鯨三頭を仕留められるんだからな」
「どんな人間だって筋肉と運動神経を麻痺させられりゃおしまいだぜ」
そうほくそ笑む。それを聞いても女は眉一つ動かさない。
(マッタク・・・可愛げのねぇ女だぜ。まぁ主人があのヤローじゃなぁ)
「これからたっぷりお前をイタぶってやる。啓人のクソヤローにやられた恨みの礼だ」
ナイフを取り出して舌なめずりする堂我。サド根性丸出しである。
一方、千鶴もピンチである。試しに体を動かそうにもピクリともしない。妖気を高めようにも何故か全く力が入らなかった。表情を動かさないとは性格に因るモノであった。
(力が・・・入らない・・・!)
千鶴にとっては体が動かせない事以上に妖力を使えない事が問題であった。
「いつまでも強がってんじゃねえ!」
一向に怯えを感じていない千鶴にいい加減苛立ってきたようだ。相手が痛がるのを見てこそ堂我は楽しめる。
(低俗な男ね・・・)
そんな男を一言に斬って捨てる。口がほとんど動かないのが残念である。
(こんな俗物・・・ただの障害物ね)
どこまでも容赦ない千鶴。『障害物』とは啓人の邪魔をする輩の事。『敵』とは啓人がてこずるような実力を持つ者で、機知に富んだ人物の事である。例外は啓人が潰すと決めた相手だけである。こんな堂我の様な自分で十分対処できる男は障害でしかない。
もっとも、彼女の場合己も含め他の人間全てを軽んじているが。
千鶴の美貌に気をとられている堂我はそんな彼女の心が分かる訳が無い。
(まず何を使うかな)
と、頭の中はイタぶり方を決める事で一杯であった。
(よしっ!ナイフからだ)
彼はナイフを取り出し千鶴へ向けた。
「すかして正座みたいな格好(注:彼はこの方面に疎い)しやがって」
黒い袖が裂け、白い肌が露になる。その妖美な光景に思わずゴクッと喉を鳴らした。
「おらっ!もっとだ!」
意味不明な言葉を発したかと思うと、もう一度切りつけ、右腕が半袖に変わる。白い細腕は柔らかい丸みがある。
「クク・・・いいザマだな」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「てめえっ!」
またもや無反応の女に業を煮やす。だが、罵倒はせず、閃いた事を口にした。
「そうだ・・・後で啓人にも同じ目に遭わせてやろうか」
ピクリ。眉が僅かに動いた。
「やっと効果有り。そんな大事な『御主人様』なら仲良く死体を並べてやろう」
と言いつつ、今度は逆の腕の袖を切り落とす。
「ちったぁ、反応しろやっ!」
怒れば怒る程小物です、と言っている様なものなのだが、我慢が出来ない。
「・・・指図しないでくれます?」
冷ややかな声と言葉が返された。
「何だとぉ?」
たちまち沸騰した。
「立場がわかってんのかぁ?煮るも焼くも俺次第なんだよ!」
「好きにすればいいでしょう」
「何だとてめえっ!」
何処までも好対照な二人。
(ゼッタイにヒイヒイ言わせてやる!)
(ボキャブラリーが少ないわね)
今考えている事も対照的である。
「・・・よっぽど舐めてくれてるらしいなあっ!?」
いきなり女の腕にナイフを切る。肌が裂け、血が流れ出るが今度はその傷口に刃をあてて抉った。
「!!」
流石に千鶴は眉をしかめた。
「少しは堪えたらしいなあ?アーン?」
そう言いつつナイフを捨てると、直径二センチくらいはある針を傷口に刺した。
「う・・・」
ついに声をもらした。苦痛に歪む顔に興奮して腹部を蹴りつけてみても反応しなかった。
「ち・・・しぶてえなあ・・・」
残念そうに言っても手ごたえを感じていた。あれ程しぶとかった女が苦痛に悶える姿、さぞ美しいだろう。
「クックックック・・・あーはっはっはっは!」
喜びと興奮と期待が入り混じった笑い声を上げながら、鞭を選んだ。女の前に二、三度打ちつけながら彼は高らかに宣言した。
「本番はこれからだ。覚悟しろよぉ?」
彼は邪悪な笑みを浮かべている。
< 続く >
今回は出番が増えそうにない千鶴さんを出そうとしました。終わりませんでしたが(汗)。
さて千鶴さんの運命は?そして啓人はどう動くのか?
という感じですが、結末は決めてあります(変わるかも・・・)。
にしても啓人が出てない為か、かなり書きやすかった気がしました。