ファンタジーシティー 分割版 前編(1-5)

ファーストミッション(分割版 前編)

-1-

 高床式の小屋がある。
 その小屋には、枠に植物を編み込んだ『タタミ』とかいうマットが3枚敷いてある。壁は粒の細かい泥で塗ってあって、明かりは蝋を燃やすのでなければ、紙を使った採光窓(障子窓)に頼っている。
 アレクは内部を初めて見るが、この小さくまとまった小屋が、宿場法の関係からこの町に設置を強要された、天孫教の神社の社殿である。
 その中央で、イシュタは横になってくつろいでいる。
「シュールな光景だな」
 西洋鎧と黒い眼帯(アイパッチ)をつけた赤毛の少女がジパング風の部屋で寝っ転がっているという構図は十分視覚的に奇妙であるし、その少女が実は悪魔で、部屋が神社の社殿だという事実は、その違和感に思想的背景まで付け加えている。
「よいではないか。なぜだか無性に居心地がよくて気に入ったのだ。
 マヤ、ひとつ訊ねるが神社というのは聖域ではないのか」
「もちろん、聖域ですよ」
 アレクの隣で、悪魔に蹂躙されたこの神社の巫女と神主代理と宮司代理を務めているマヤが、にこにこ笑いながら解説する。
「ジパングでの“カミ”というのは、“人ならざる偉大な存在”の総称なんです。これは 一神教的な絶対神、二神教的な善神とはまったく違うもので、聖十字教では悪魔と呼ばれるようなモノも、ジパングでは十分“カミ”を名乗る資格があるんです。そもそも、聖十字教の悪魔なんて、半分以上は貶められた国つ神ですし。
 それで、この神社を管理しているわたし――アヤノコージ・マヤは、今となっては神なんてなんとも思ってない破戒巫女で、信仰の対象と呼べそうなのはイシュティアさましかいませんから、いま、この神社で崇め奉られているのはイシュティアさまということになります。
 つまり、ここはイシュティアさまの聖域なんです」
「ほう、余は神として奉られる身となったのか。仲魔どもが羨ましがるだろう」
「下っ端信者のいないちゃちぃ神様だけどな。
 マヤちゃんは言うまでもなく巫女、俺は契約者だから神主ってとこかな」
「あ、アレクさん神主ですか? 
 えへへ…… 旦那さんが神主で、奥さんが巫女って、小さい神社だとよくあるんですよ」
「不信心な神主に恋愛ボケの巫女か。ろくでもない宗教だ。
 まあよい。巫女はともかく、この神社は得がたい拾い物だ。夕方まで余はここで昼寝をさせてもらおう」
「はい、イシュティアさま。存分にお休みください。
 恋愛ボケの巫女は“イシュティアさまを退治しに”街に出てしまいますから」
「マヤちゃんは悪魔狩りに協力しないと怪しまれちゃうか」
「はい。無理にとは言いませんけど、アレクさん、一緒に来てくれませんか?
 テレパス使える人を同伴しろと、市の方々から言われてますし。
 監視付きで午後を過ごすのは、ちょっと息苦しいかなって。
 でも、そんなことはどうでもよくって、アレクさんと一緒に街を歩きたいんです」
「夜勤明けだし、イシュタみたいに昼寝っつーのも魅力的なんだけど、まあいっか、偵察を兼ねて2人でお散歩にしよう」
 アレクが言うと、マヤはアレクの腕に飛びついてくる。
「きゃはっ。家族以外の男の人と女の人が、2人でお散歩する時は、それはデートっていうんですよ」
 マヤは『デート』って単語を、どんな役者を持ってしても再現できないほどに甘やかな声で発音した。
「それじゃ、ちょっと出かけてくる」
 社殿の中で黒い影がもぞもぞと動く。
「土産を期待して待ってるぞ」
「それは難しいと思います。今日はどこのお店も開いてません」
「店でなくても手に入るものはあるだろう。たとえば、アレクサンドルが新しいしもべなど拾ってきたら余は嬉しいな」
「新たなしもべって、別にマヤちゃんはそんなつもりじゃないんだけどなあ」
 アレクが言うと、マヤはきゅーっと腕にしがみついてきて、恥ずかしそうに小声で囁く。
「わたし、アレクさんと一緒にいられるなら、その、ど…奴隷でも、構いません」
「悪いなイシュタ、そういうのは、またの機会にしてくれないか?
 今日はこのかわいい恋人と2人でデートって決めたんだ」
「まあよかろう」
 イシュタは意味ありげに言う。
「悪魔の時間は、夜だからな。夜まで待っても、悪くはない」

-2-

 非常時の街というのは、デートコースにするには殺伐としすぎている。
 食事をするような店はどこも開いてなかったから、2人の昼食は、町内会のおばちゃんたちが配っている、やたら堅いパンと塩味のスープになってしまった。
「はあぁ、せっかくのデートなんだから、ちゃんとしたお昼御飯が食べたかったです」
 食べ終わったマヤはしょぼんと呟き、何気なく白衣の袖で口元を拭う。
「……それ、いいの?」
「あ。いいんですよ、こんなものは敵を欺くためのコスチュームに過ぎませんから」
 今朝までは彼女の誇りだった巫女装束も、今のマヤにとってはその程度のものだ。
「本当は、こんな格好、もうしたくないんです。
 せっかく、2人でデートなんだから、もっと女の子らしくおしゃれがしたいです」
「わかった。じゃあ、俺が新しい服を買ってあげよう」
「いいんですか?」
「遠慮しなくていいって。俺も洋装のマヤちゃん、見てみたいから」
「はぇー、なんだか、照れちゃいます。
 ねえねえ、アレクさん、わたしにはどんな服が似合うと思いますか?」
「原色は避けたいな。ピンク、水色、オレンジ、うん、黄色かオレンジがいい。デザインは、よくわからない。俺の知り合い、服装に無頓着なのばっかりだから」
「すいません、服装に無頓着なお知り合いその1です。
 洋服屋さんとか、いろいろ行ってみたいんですけど、閉まっちゃってますね」
「約束するよ。町が普段通りに戻ったら、一日潰して買い物に行こう」
「はい。その時は、いろんなお店に行って、いろんな服を試着しちゃいましょう。歩き疲れたらカフェにでも入って、夕御飯はもちろんワイン付きの豪華なディナー、最後はアレクさんの部屋にお邪魔して……一緒のお布団で眠るんです」
 彼女の拙い知識で想像できる限りの『楽しいデートコース』を語るマヤの目は、楽しげにきらきら輝いていた。

-3-

 それから日が傾くまで、2人は一緒に街中を歩いた。
 初めは腕を組んで歩いていたが、アレクの古びたコートはすぐに腕のところがへろへろになってしまい、今はギルド運営の初等学校の生徒同士のように手を繋いで歩いている。
 マヤの手は小さな子供のように柔らかくて暖かく、洗脳されてアレクと同調(シンクロ)しやすくなっているものだから、好意がパルスの形を取って伝わってくる。
 素直で健気なマヤの心を、魔術の力で純化した、混じりけのない100%の好意。惜しげもなく向けられる最高の笑顔と併さって、アレクを初恋のようにどきどきさせる。
「あ」
 マヤがぴたりと足を止める。
「どうしたの?」
 軽い口調で訊ねながら、アレクは周囲の状況を手早く確認する。
 前方、交差点に女性の自警団員2名、武装はともに剣。鎧を着ているから、走れば振り切れる。問題は、角の向こうにまだ1人、2人いるかもしれないこと。
「ちょっと会うのは気が重いかな、と」
 マヤはよくわからないことを言う。巫女の危険感知が発動したにしては、表情は切迫したものではない。
「セアラ、巫女の子がいたぞ」
 自警団員の片方、褐色の肌の女性が、交差点の陰に向かって声をあげる。
 すぐに建物の陰から、紺色のシスター服を着た金髪の女性が出てきた。
 自警団の白魔術師兼従軍シスターで、2つしかない女子小隊の小隊長も務めているセアラ・ヴェルネ、マヤにとっては聖職者としての敬愛する先輩だ。かつての先輩というべきかもしれないが。
「マヤ、なにをしていたの。
 正午頃から姿が見えないから、わたくし、心配していましたのよ」
 セアラは流麗な西方共通語でマヤに言う。
「悪魔に立ち向かえる高位聖職者は少ないのですから、居場所を確かにしておくように言われたでしょう」
「ごめんなさい」
 伝わってくる不安の感情を打ち消そうと、アレクはマヤの手を強く握る。
「フィクス君、あなたが原因なのでしょう?」
 長い睫毛を纏う緑がかった蒼眼が、アレクを視線で射抜く。
 アレクに対してフィクス君などという呼び方をする同世代の知人は、街中捜してもセアラだけである。
 歳はセアラの方が1つ上だが、互いの間柄は同窓(クラスメイト)のようなもの。この町の各種教育機関は一部の講座を共有(シェア)していて、たとえばセアラは解呪の法に不可欠な呪術基礎論の講座を魔術師ギルドで取っているし、アレクは神学校の天界史や名義論の講義に潜り込んでいる。
「あなたが悪魔退治に興味がないのは分かりますわ。でも、マヤの邪魔まではしないでいただけません?」
 セアラは、間違いなく美人である。なめらかなウェーブがかかった、腰まである長い金髪(ブロンド)と、雪のように白い肌はつややかで輝きを帯びているようにも見える。くっきりとした鼻や顎のラインや切れ長の目は戦乙女(ヴァルキューレ)の彫刻のようだ。
 澄んだ翡翠の宝玉のような瞳と、細い眉と、なにも塗っていないのに薄く濡れた唇に、わずかに不快の念をにじませるだけで、セアラは王女様のような威圧感を放っている。
 そのプレッシャーを、アレクは慣れと生来のいい加減さで受け流して言う。
「あのさ、ヴェルネ。俺は一応、マヤちゃんの手伝いをしてるってことになってるんだけど」
「本当なの? マヤ」
「は、はいっ。そうです、アレクさんはわたしと付き合ってくれてるんです」
 「わたし“に”だよなあ」と、自警団員の年上の方――大柄で褐色の肌の人が、年下の方に囁く。彼女――鳶色の髪の小柄な女は、「巫女の自覚はないのでしょうか」と呟く。その苦々しげな視線はむしろアレクに向けられていて、アレクは「俺、なんかやったかなあ」と首を傾げる。
 マヤは自分の言い間違いに気づいて、かーっと顔を赤らめていた。
 セアラは一連の言動を醒めた目で俯瞰し、口元に手をやって小さくため息をつく。
「動機はどうあれ、賢明な判断ですわ。悪魔が何者かと契約を行ったのは知っているかしら? あなたが相手ではないかという指摘もありましたのよ」
 びくっ。マヤが全身を硬直させた。
「ほう、そりゃまたなんで」
 わざと大きな声をあげ、周囲の注意をマヤからそらす。
「個体名を持つ悪魔を受け入れられるだけのキャパシティを持っている人間は、多くは社会的に成功しているものでしょう。あなたは数少ない例外というわけです」
 キャパシティ、存在容量。人間の魔術的な意味での『価値』をあらわす、『レベル』に近い概念だ。
「なんだ、そんな理由か」
「あ、あのっ、それはおかしいと思います」
 マヤがセアラに詰め寄った。
「社会的に成功しているかどうかなんて、悪魔と契約するかどうかには関係ないじゃないですかっ」
 マヤが怒っているのには、弱者を蔑む傲慢さを嫌う彼女らしい反応のほかに、こういう理由があるのだろう。
 アレクがイシュタと契約したのは『マヤを神から奪い取るため』だ。社会的に成功していれば悪魔に要求するような不満や欲望はないはずだ、という考えを認めるなら、金や地位さえ持っていれば、アレクはマヤを手に入れることができたはずだ、ということになる。それは、2人にとって、絶対に認めがたい侮辱だ。
「落ち着きなさい。わたくしがその見解に組しているというわけではないのよ。今朝取り押さえられた悪魔教徒にだって、地位や力のある人はいましたもの。
 教会やギルドに従わないフィクス君を嫌っている人たちが、勝手なことを言っていただけでしょう。マヤが保証してくれるなら、すぐにでも黙らせることができるわ」
「保証しますっ」
「神に誓える?」
 その言葉に、マヤはなんとも言えない笑いを口元に浮かべた。
「はい。我が神様の名に誓って」
 話に一区切りついたところで、自警団員の年上の方が割って入った。
「セアラ、時間が」
 小隊長はいろいろ忙しいらしい。セアラは話を切り上げようとする。
「とりあえず、元気にしているのを見られてよかったわ。
 連絡の途絶は困るから、これからは気をつけなさい」
「はい。わかりました」
「フィクス君も、マヤが役目を果たせるように協力してくれると信じていますわ」
「そりゃどーも。ヴェルネは、がんばりすぎて無茶をしないように」
「……わかっています。あなたはいつでも一言余計です」
「悪かったな、性分だ」
 アレクたちとセアラたちは別の道を歩き出す。

「なんだか、疲れました」
 角を1つ曲がったところで、マヤはそう呟いた。
「マヤちゃん、さっき本気で怒ってたろ。ヴェルネが驚いてたぞ」
「はい。ちょっと、感情が不安定になってるみたいです。
 ……えと、いちばん近いのは、月のものが来た時でしょうか」
 信仰という構成要素を失って、今のマヤは心に巨大な空洞を抱えている。感情の抑制が効かないのはその表れだろう。
「なにか、してほしいこととかあるかい?」
「そうですね。ぎゅーって、抱きしめて貰えますか」
 アレクはマヤの目をのぞき込んだ。なにかに怯えるように、瞳孔が振れている。
 手を引いて路地に入り、背中から手を回す。
「落ち着きます」
 マヤはアレクの胸に体重をかけてくる。
「今までは、セアラさんと一緒にいると、こうやってアレクさんに抱いてもらっている時みたいに、なにも心配しなくても守って導いてもらえるような気がしたんです。
 でもさっきは、不安になったり、恥ずかしかったり、怒りが沸いてきたり、ぜんぜん気持ちが安らげませんでした」
「仕方ないだろ。ヴェルネは、俺たちの敵なんだから」
「そう……、敵…なんですよね。
 わたし、いつまでもセアラさんのことを、騙し切れる自信ありません。
 イシュティアさまと契約したなんて知られたら、きっとアレクさん殺されちゃう」
「彼女にも、俺のものになってもらえば、そういう心配はしなくてよくなるぞ」
「洗脳…するんですか?」
「もちろん。
 命令したり、エッチなことしたり、楽しみだなあ。
 あの堅物が恋愛感情や羞恥心に悶えるとこを見れるだけでもやってみる価値はある」
「アレクさん、ひどいです……」
「イシュタも次を探せって言ってるしさ。
 ヴェルネが仲間になるなら、マヤちゃんだって嬉しいだろ?」
 本音を突かれて、マヤは言葉を濁す。
「そ…そんなこと、わたしの口からは言えません。
 セアラさんは、聖十字教の真面目な信者でシスターなのに……」
「マヤちゃんも天孫教の巫女さんじゃなかったっけ?
 俺のものになって幸せじゃないの?」
 その問いには、半秒の逡巡もなく返事が返ってきた。
「幸せに決まってるじゃないですかっ」
 耳元で、マヤが小声で囁く。
「本当は、わたし、セアラさんに仲間になってほしいです。
 きっと、最後には、セアラさんも喜んでくれますよね」

-4-

 一通り市中を廻ったのち、セアラたちは四半刻(30分)の休憩に入った。
 粗末な夕食を取り、残った時間は剣の手入れや雑談などをして過ごす。
「異教の巫女と、魔術師ギルドの問題児か。かわった知り合いがいるものだな」
 褐色の肌の女戦士――セアラの小隊の“小隊軍曹”的な役割を担っているレジェナ・バルカが、呟くように言う。
 身長5フィート10インチ(177cm)のレジェナは、座っていても目線が一段高い。やや見上げるようにして、セアラは答える。
「異教徒の知り合いなんて、あの2人ぐらいのものですわ。
 魔術師ギルドの問題児などと呼ばれるほど、フィクス君は有名なのかしら」
「ギルドの備品を盗んだり、試験をカンニングですり抜けたりする、ケチな小悪党だそうです。あの巫女や隊長がどうしてあの男を買っているのか、私には理解できません」
 小柄な女戦士――ノエル・ランフォールが、よく通る声で言う。発言は罵倒に等しいが、口調自体は、眉のラインよりやや上で丁寧に切り揃えられた鳶色の髪や、感情を表すことの少ない栗色の瞳によく似合う、落ち着いたものだ。
「ノエルは真面目だから、盗賊気質の奴には点が辛いな」
 冒険者経験のあるレジェナは、あの手の軽い人間にも慣れている。
「不真面目な輩に厳しいのは、隊長も同じだと思いますが」
「そうね……」
 セアラは、過去を思い出しながら話し始める。
「フィクス君は、いい加減に見えるけど、自分の意志は曲げない人よ。その場その場での判断力は確かだし、危ない目に合っても不思議と生き残っている」
「身勝手で、小才が利いて、悪運が強いということではないのですか」
「その通りね」
 身も蓋もない短評に、セアラは笑ってしまった。
「わたくしが彼を評価している理由は、なによりも、マヤが懐いているから。
 この街に来てすぐ、あの子、スラム街に入ろうとしたの。医療活動は万人に対して行われるべきだって。ついて行ったのは、フィクス君だけだったわ」
「けがらわしい」
 ノエルは吐き捨てた。ごく一般的な反応だ。レジェナも、顔をしかめている。
 刑吏・墓掘り・放浪民に代表される被差別階級への蔑視は、富と知識の集積地たる都市においても克服できてはいない。異教の巫女(マヤ)、魔術師(アレク)、夜警(レジェナやノエル)にしても、境界線上の職業なのだが。
「そう言われるのを覚悟で、マヤに付き合おうというのだから、ひとかどの人間といっていいでしょう」
「そうでしょうか」
 ノエルは不満の意志を示しただけで、それ以上の反論は口にしなかった。
「はい、この話はもう終わりにしましょう」
 セアラは雑談を切り上げ、セアラ自身が待機所に寄贈した振り子時計に目をやる。
 そろそろ休息時間の四半刻が終わる。そうしたら、第一夜警時のスタートだ。
「第八小隊、注目っ」
 レジェナが大声をあげ、周囲の小隊員たち――女子小隊なので全員女性――の視線を小隊長のセアラに集める。
「これから、わたくしたちの小隊は、臨時の夜警業務に入ります。
 わたくしは日々の訓練を見ていますから、皆さんの士気と練度について疑うつもりはありません。
 ですが、敵は個体名を持つ悪魔です。決して少数で戦うことなく、味方との合流を第一に考えてください。
 担当区域周辺の地図と、周囲の通信所の場所は覚えましたね?
 わたくしは市庁舎での会議に参加しなければなりませんが、終了し次第、南門通信所に合流する予定です。それまでになにか起こった場合は、南門の副団長の指示を仰いでください。
 以上、質問・連絡事項のある方は…………いませんね。では、配置についてください」
「解散!」
 レジェナの号令がかかると、小隊員たちは各々の配置場所に散っていく。
 さっきまで話をしていたレジェナとノエルの背中が小さくなるのに、セアラはなぜか胸がしめつけられるような不安を感じた。
 夜が、悪魔の時間が始まる。その劈頭に、会議などを開く市政府の神経が、セアラには無性に腹立たしかった。

-5-

 夕方。市の幹部会議に天孫教代表として招かれたマヤは、末席で大人しく、紅茶を啜り茶菓子をかじっていた。
 ジパング生まれのマヤは、カップに取っ手がついていたとしても、わざわざ両手で直接つかんでしまう癖がある。ジパングの椀には、原則として取っ手はないからだ。
 子ネズミみたいだな。
 アレクに前に言われたことがある。
 ネズミなどという穀物泥棒に例えられるのは不本意だったけど、今思えばネズミもかわいいんじゃないかと思う。かわいくなくては困る。そうでなければ、アレクさんがわたしをかわいいって言ってくれたことまで否定することになるじゃないか。
「んむ……」
 頬が緩んでしまっていることに気づいて、マヤは真面目な表情を作る。
 会議では、悪魔が誰かと契約を結んだらしいという情報が今更になって流されている。
 契約済みの悪魔は強力であるが、勇気と信仰心を持ってどうのこうの。洗脳される前から薄々思っていたことだが、この街の司教は精神主義的な言動で無能と無策を取り繕うだけのただの俗物だ。
 聖十字教東方派のゾマフ大神父の意見は、かなりまともなものだった。悪魔より先に、悪魔に誑(たぶら)かされた誰かさんを探し出して死んでもらうべきだというもの。その誰かさんというのが、マヤの大好きなアレクサンドル・フィクスなのだから非常に困る。
 それから、自警団の団長がこんなことを言い出した。明朝、悪魔を召還した邪教徒どもの処刑を行うべし。つまり、イシュタや今朝の黒ミサに参加していない悪魔教徒を、餌でおびき出そうというわけだ。
 召還の現場に踏み込まれるようなおバカさんな連中など、助ける義理はないように思えるのだけれど、イシュティアさまはマヤが考えていたよりもずいぶんと立派な方らしい。
――バタン
 扉が開いて、市議会付きの通信術師が入ってくる。
「南の教会が襲われました」
 団長殿、半日ばかし遅かったようです。
 マヤは声を立てずに笑った。
 南の教会というのは、今朝捕まえた悪魔教徒を閉じ込めてある建物だ。無論俗称で、実際には舌を噛みそうな古代帝国期の聖者の名前がつけられている。
「団長っ」
 団長の隣に座っていた、アレクと同い年ぐらいの、自警団の最年少小隊長――たしかハーウッドとかいったか――が、椅子を蹴倒して立ち上がる。
「ハーウッド、ヴェルネ、それにシェルフ、おまえたちはすぐに現地へ向かえ。私は部隊を集めてから行く」
 自警団長は、会議に参加していた7人の部下から、3人を選び出して命じる。
 マヤには選別基準がわからなかったが、ハーウッドとヴェルネ――つまりセアラは、部下が現地付近に配置されている。シェルフ氏は初老の槍使いで司令部付きの手すきの士官だ。
「わたしも行きますっ」
 現場の仕事の方がアレクやイシュタのために役立てそうだと思ったマヤは、セアラたちの後について商工会議所(実質的に市庁舎)を出た。

 教会の周りには、既に自警団員と野次馬が集まっていた。
「悪魔はもうおらんのか?」
 シェルフ氏が問い、自警団員が答える。
「もう逃げた後のようです。地下牢の邪教徒どもも消えています」
 マヤがここに来たいちばんの目的は、アレクかイシュタが追い詰められていたらどうにかして逃がすことだが、その心配はいらないわけだ。
 ほかにするべきことは、情報収集と怪我人の治療。相手が敵だから治療するなとか、心の狭いことはアレクもイシュタも言わないだろう。
 教会の向かいの建物に背中を預けて、セアラの部隊の女戦士――レジェナが座っていた。顔には血を拭った跡があり、鎧は赤黒く染まっている。
「話はできるかしら?」
「ああ、セアラか」
 レジェナがぼうっとした様子で顔を上げる。疲労は見えるが、顔色は悪くない。
 考えてみれば、鎧の外側が血だらけになっているとしたらそれは本人の出血ではなく返り血だ。
 ……返り血って、誰の。
「その血は――」
 マヤが震える声で問う。
「悪魔の血だ。右の手首をぶった斬ってやった」
 よかった、アレクさんじゃなかった。
 マヤの身体から緊張が抜ける。
 イシュティアさまなら、手首ぐらいなくなっても平気だろう。目と喉に破魔矢打ち込んでも滅びなかったぐらいだから。そもそも血が“赤い”ということ自体、擬装をしている余裕があったという証拠だ。
「一人でしたか? 契約者の人は――」
「いなかった。魔物(モンスター)を2匹連れていたけど、斬りつけると消えてなくなった」
 目的を達したマヤに代わり、セアラが質問を引き継ぐ。
「おそらくは即席の精製獣魔(クリーチャー)ね…… 存在強度がほとんどないタイプの。
 それで、悪魔はどこへ? 邪教徒たちはどうしたの?」
「オレたちが気づいた時、もう教会は陥ちていた。悪魔と魔物が教会の方からやってきたんで、ノエルを南門に走らせて、オレは交差点で戦った。魔物は消えて、悪魔は転送で逃げた。そこでノエルが増援を引きつれて戻ってきた」
 で、消耗したレジェナは、あとを任せて座り込んでしまった、と。
「邪教徒が脱出するところは見ていないのね?」
「ああ」
「御苦労様。よくやってくれました」
 上官の顔と口調でセアラは言う。
 この街に派遣されて以来、セアラの妹のような位置で過ごしてきたマヤが見るところ、セアラは必ずしも満足も納得もしていないようだ。
 マヤにも気づいたおかしいことがひとつ。なぜ警報ひとつあげずに教会は陥ちたのか。マヤの神社も含めて、宗教関連施設には、例外なく転送除け・邪気除けの結界が張ってある。イシュタなら破ることはできるだろうが、中の神父や自警団員が警報鳴らす時間ぐらいは稼げるはずだ。
「ヴェルネさん、それにそこの巫女。すぐに来てくれ、重傷者がいる。衛生兵の手に負えない」
 教会の中から、ハーウッド青年が呼びかける。
「ええ、すぐ行きますわ。マヤ、ついて来なさい」
「はいっ」
 失態でもあったのか、殴ったり殴られたりしている自警団員の脇を通りすぎ、セアラとマヤは教会の門をくぐった。

 キーーーーーーーーーン
 マヤが教会内に入ると、甲高い音が建物の中に響いた。
 特定の音源はなく、全方位から聞こえてくる。空間自体が音を立てている、そんな感じだ。
「結界?」
 今のマヤは悪魔の血を体内に受けた不浄の存在、概念的に言えばイシュタの娘なのだ。
「悪魔は検知せずに異教徒を検知したのか。欠陥品だな」
 ハーウッド青年が、腹立たしげに言う。天孫教の巫女装束を着たマヤを、悪魔の手先だとは思わなかったらしい。
 マヤは不安になってセアラを見たが、彼女は結界の警報など気に留めることなく、それどころか、聖壇の前に横たえてあった神父の死体さえも無視して、重傷を負った自警団員を診断していた。
 生存者は、その男の人だけらしい。
「キマイラだ…… キマイラが俺の腕と脚を……」
 男はうわ言を呟いている。
 キマイラとは、様々な化け物の部分を併せ持つ鵺(ぬえ)の類、レジェナのいう魔物と同一のものだろう。
「マヤ、聖水を用意なさい。できるだけ大量に」
 祓い清めの類は巫女の得意分野だ。
 互いの魔力が干渉しないようにセアラから距離を取り、祝詞を3度ずつ唱えながら、焼いた符の灰を、自警団員――ノエルだった――が汲んだ水に混ぜる。
 セアラは、治癒の呪文を唱えながら、聖水をじゃぶじゃぶと使って傷口を洗い流す。キマイラは、呪いに毒に感染症と、追加ダメージの百科事典なのだ。
 水源の関係で選んだ裏口の傍には、全身に数十という傷を受けた、傷だらけの死体が転がっていた。
 単純作業は、どうしても余計な考えを呼び起こす。
 イシュタを倒していれば、この教会で死んだ人たちは死なないで済んだはずだ。代わりに、捕まった十数人の悪魔教徒の命が救われているのだろうけれど。
 アレクはこの殺人にどの程度関わっているのだろうか。
 警報が生きていたということは、イシュタは教会に入らなかったのかもしれない。キマイラがどうこうというのだって怪しい。
 もしそうなら、犯人はアレクか。けれど、三人の相手を死傷させているというのが気になる。アレクは、不意打ちでもするのでなければ、1対1の勝負だってやりたがらないような人だ。
 ノエルがまた水桶を運んでくる。
「アヤノコージ様。『神社で待ってる。長居せずに早く帰るように』と、フィクス様に言付(ことづ)かっています」
 マヤの耳元でノエルが言う。
「え?」
「私――ノエル・ランフォールと、レジェナ・バルカは、フィクス様の下僕(しもべ)にしていただきました」

< 続く >

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