BLACK DESIRE #8-1

0.

 その日の夕食後、僕は家の居間でぼぉっとしていた。靴を脱いでソファに寝そべり、足を肘掛けに乗せている。あまり行儀が良いとは言えない。
 厨房はこの部屋から遠い。通路を挟み、食堂の奥の扉の向こうだ。だから、この屋敷のもう一人の住人である幎(とばり)の存在など感じ取ることはできない。今は多分夕食の片づけをしているのだろうけど。

 この部屋には暖炉があるが、まだそれに火を入れたことはない。いや、この屋敷は古い外見とは裏腹に冷暖房完備だし、子供の頃の記憶を手繰っても使用された姿は思い浮かばない。もしかしたらイミテーションなのかもしれない。いや、そうだろう。そういえばこの家の外観に煙突は無い。
 壁に設置されたランプも燭台の形はしているがただの電灯だし、飾られた絵や置物もおそらく安物だろう。敷地は広く、建物も豪勢だが、幎が来るまで手入れがされたことも無かった。まるで本気で使う気など無かったかのような、有り合わせの場所。
 僕や、親父のような、紛い物に預けるには出来すぎなくらいぴったりの場所だ。僕らには、居場所なんて無い。
 幎たち悪魔と同じように、この世のごたごたの間にできた細い隙間に身体を折り詰め、汲々とやり過ごしていくしかないのだ。その隙間が袋小路になっていないことを祈りながら、ね。

 頬に僅かに湿度の違う空気が触れた。一人でいた時間が長いせいか、僕は他人の気配には結構敏感だ。視線を送ると、いつもの服装の幎が扉の側に佇んでいた。少し彼女に頼みがあって、夕食の際に片づけが終わったら来るように言っておいたのだ。

「終わった?」
「はい」
「じゃ、こっちに来なよ」

 軽く頷くと幎は壁際をまるで影のように沿いながらソファへと移動してきた。まるで、自分の作る影を誰にも踏ませないようにするかのごとく。
 幎の黒い姿が側に来て僕も体を起こした。座り直して少し上目遣いで彼女を見上げる。前髪のせいで多少影になっているが、それでも血の色の瞳は良く見えた。白磁のような血の気のない頬と対比し、寒気がするような鮮烈さだ。改めて、その容姿が人間離れしていることを確信した。

 しかし、僕はその紛い物じみた容姿に僅かに笑みを浮かべた。僕にとって、それはとても好ましいと感じたからだ。紛い物の屋敷。紛い物の調度品。紛い物の住人。紛い物の生活。紛い物の学生。紛い物の信頼。紛い物の好意。紛い物の約束。紛い物の人生。紛い物の人間。紛い物の生命……。本物は、いつだってあいつの側にあった……。

「さて、幎。話というのは契約に関することなんだけど」

 気を取り直して僕は口を開いた。

「昼間の電話の内容を聞いて気がついたんだ。君の話では、契約の内容は変えられないって言ってたけど、それはもしかして、他の契約方法が有るってことなのかな? つまり、発動条件や持続時間などが異なる、ブラックデザイアの他の使い方が有るって事かな?」

 そう、それは今日探研部で作戦を練っているときにふと思いついた事だ。幎が契約に拘るのは、もしかして今の契約外の内容でも契約が可能だからなのではないか、と。
 果たして、幎は独特の吐息のような静かな抑揚のない声で肯定した。

「……はい。ブラックデザイアの力は郁太様にお教えした以外にも使用法があります」
「やっぱりそうなんだ。それは契約時に指定することができるの?」
「私は郁太様の意志が間違いなくその本へ魔力と共に送り込まれるよう、条件付けを行いました。郁太様がその他の方法で納得されるなら、その条件の指定はある程度融通することは可能です」

 なるほど。幎がブラックデザイアの使い方を授業のように熱心に指導してくれたのも、契約内容に齟齬をきたさないようにしてくれたからか。

「ねえ。ならさ」
「はい」
「今度は、何処が欲しい?」
「……?」

 ようやく、幎はいつものように小首を傾げる仕草をした。彼女に会う度に一度はこれを見ないと落ち着かなくなってしまった。僕はさらに口元の笑みを深くする。

「もう一度、契約したいってことさ。第2の契約って事だね。別にいいでしょう? 契約は1人に1つって決まりが有るわけでも無いだろうし」
「……」

 僕の軽い口調に幎は珍しく首を傾げたまま黙り込んだ。表情は変わっていないが、何か考え込んでいる。……もしかして、多重契約は禁止事項だったのだろうか。
 しかしその思いは杞憂だった。幎は一瞬ためらうようなそぶりの後、静かな動作でひざまづき座ったままの僕と視線の高さを合わせた。少し俯き加減のせいで、今度は幎の方が上目遣いになる。

「……どの部位でも構わないのでしょうか?」
「うん? ああ、いいよ。手でも足でも内蔵でも好きなところを持っていって。その代わり、契約の内容だけど……」

 その後、しばらく幎と契約の内容を詰める。僕の要求に幎は「お勧めできません」と控えめに忠告してくれたけど僕はかまわないの一点張りで押し切った。そして、代償として少女が要求したのは……。

「……では、郁太様の眼を……左目を頂きたいと思いますが、よろしいでしょうか」

 僕はその問いを快諾した。

 そして、直ぐに契約の儀式を行う。また地下で行うのかと思ったが、すでに僕とブラックデザイアは繋がっているので今回は僕の身体の部位と幎の作る魔力塊との交換をこの場で行って終了とのことだった。

「……失礼します」

 幎がそう言い、僕に身を寄せてくる。抱き寄せるように頭に手を回し、お互いの頭部を接近させる。両者の間の空気が吐息で一気に湿度と温度を増した。
 不思議なことに、睫を数えられるほど接近しても僕は幎の生活臭を感じることはできなかった。それは文字通り匂いの点においても、先ほどまで洗い物をしていたはずなのに石鹸の匂いすらしなかった。ただ、影が落ちたかのように空気に重みが増したことを嗅ぎとっただけだった。

 夜のとばりのような、幻影の少女。

 薄く開いた唇の奥に整った白い歯並びと尖った犬歯を見つけながら、僕は漠然とそんなイメージを抱いた。
 その唇が、僕の左眼窩をついばむようにそっと触れる。小さな舌先が遠慮がちに延ばされ、水晶体を舐めとるかのように……。

 気がつくと、天井を見ていた。
 居間の天井を、いつの間にか寝そべって見上げていた。

「……気がつかれましたか?」

 そっと頭上から声がかけられる。幎の顔が僕を見下ろしていた。視界の隅を覆っていた黒白の幕はどうやら彼女の衣服のようだった。
 少女が僕を見下ろしたとき、枕がピクリと動くのが感じられた。どうやら僕は、幎の膝を枕にソファに寝かされていたようだ。

「ご気分はいかがですか?」
「ん……」

 ソファに手をついて上体を起こす。革がこすれるギュっという音が意外に耳に響き、周囲が静まり返っていたことに気がついた。

 その足で靴も履かずに姿見の前まで歩み寄る。左右逆に動作する人影を、まるで初めて見たかのように子細に観察した。

「……郁太様の左目は魔力の疑似器官に置き変わりました。左目だけなら、ブラックデザイア以外の魔力を持った存在が映るようになったはずです」
「……なんか、左側が軽くなった気がする」

 心臓も体の中心線より左にある。そのせいだろうか? 何故か僕には鏡の中の人物が傾いでいるように見えた。些細な違和感なのだけれど。
 幎にはわからないのか、それとも僕からの指示待ちなのか、軽く首を傾げた。

「いや、いいよ。大丈夫。多分、気のせいだ」
「……郁太様、何かお飲物をお持ちしましょうか」
「うん。暖かいものを」
「……承知しました」

 軽く礼をして幎は扉から出ていく。左目の視界の隅で、その背中に黒い翼のようなものが見えた気がした。

(……見えないものが見えるようになった、か)

 僕は居間のソファに戻り、座り直した。そして、静かに戻ってきた幎の用意したホットミルクに口をつける。やけに持ってくるのが早いと思ったが、どうやら用意しておいたということらしい。
 少し蜂蜜が入っているのか、舌の上に後をひかない甘みが残る。考え事をするのにこの甘みは邪魔かと思ったが、どうせもうこの後は寝るだけだ。いろいろあって今日は疲れている。それを見越しての彼女なりの気遣いだと思い、僕は苦笑した。

(これも、サービスなのかな?)

 幎の事はよくわからない。最初、彼女は「契約者の身の回りが快適になるよう維持するのも勤め」と言っていた。料理や洗濯、風呂の用意や掃除といったお手伝いのような事も当たり前のように実施する。
 他の悪魔と会ったことがないからわからないが、現代の悪魔契約というものは、このように付加価値を多くしなければ立ち行かないほど需要が少ないのだろうか。
 まさか。もし悪魔が僕と同じような力をくれると言うなら、きっと沢山の人間が躊躇せず契約する。少なくとも、世の中の犯罪者の数と同じだけ契約数が取れるはずだ。

 ならば、なぜ、僕なのだろう。
 あの夕陽の男は、僕が選ばれたのだと言っていた。
 なぜ、僕は選ばれたのか。それは、偶然なのか。それとも……。

 頭を振り、そしてカップの中のミルクを飲み干す。今は、そんな事に頭を使っている暇は無かった。当座の問題は、如何にして1週間後の投票を乗り切るかである。そのために、新しい力を手に入れたのだ。

 新契約では、発動条件に注文をつけて変更してもらった。今までは相手にキーワードを強く意識してもらった状態でそれを鍵として設定し、その鍵を使って書き込みを行っていた。
 新しい発動条件では、僕が書き込み先の相手を見つめ、名前を呼んで喋ったことは、そのままその言葉がキーワードとして植え付けられる。2ステップ必要だったことが、1ステップで出来るようになったのだ。

 だが、同時にデメリットもある。発動が早い分効果も非常に短い。キーワードが鍵として働くのはその一回きり、そして書き込み内容が持続するのも僕が瞬きするまでの間だ。時間にして数秒、がんばっても30秒も持つまい。だから幎は忠告したのだ。確かにこの時間で彼女の求める「混沌」を発生させるのは難しい。

 だけど、時間が短いから使いようがないという訳でもない。むしろ、短い方が効果的な場合もある。僕は、ブラックデザイアの効果的な使用法を探る最近の研究でその可能性を確信していた。短い時間で、フラッシュを焚くように焼き付ける誘導の仕方だってあるのだ。それを、明日からの生徒会との戦いで証明して見せよう。

 僕は立ち上がり、右目を瞑ってもう一度姿見を見た。
 左目のみが魔力の赤に染まった少年の姿が、そこにあった。

BLACK DESIRE

#8 達巳裁判 II

1.

 翌日の朝、星漣学園の正面玄関前はいつもと違う喧噪に包まれていた。何人ものチラシの束を抱えた少女達が思い思いに走り回り、登校してくる他の女子生徒達に呼びかけを行っていたのだ。
 その様子に初めての1年生達は面食らった様だったが、2年生以上の上級生は慣れたもので、チラシのみ受け取って先を急ぐ者も、あるいはひととき足を止めてその主張に耳を傾ける者もいた。

 チラシは急造とは思えないくらい良くできていて、生徒会側の主張とその問題点を用紙の3分の1くらいにまとめ、それに対する反論と改善の主張、そして連絡先の探研部の場所や源川春の名前が残りの部分を占めていた。
 それを説明する少女達も堂に入ったもので、その紙の内容をさらに1分ほどにまとめて引き留めた生徒の登校の邪魔にならないようにする。
 なにしろ、彼女達の何人かは親類の選挙活動に実際に参加した経験を持つ者がいる。こういった事柄は専門では無いにしろお手伝いくらいならお手のものであった。政治家や財界人の家系にも人気のある星漣ならではの特色であると言えた。

 そんな朝の活動から少し離れて、文化部棟の探研部。
 僕は何人かの女子生徒と共にモーニングティーを頂いていた。

 別に、ハルや静香達に任せっきりでさぼっている訳ではない。その証拠に、僕とテーブルを共にする少女達は、全員が探研部とは何の関係もない初顔の連中であった。いったい何処の誰なのか、このお茶会の目的を説明する前に解説する必要があるだろう。

 現在、探研部でお茶をするときにいつも使う大きめの丸テーブルに5つのティーカップが並んでいる。もちろん一つは僕のだが、それに一番近いカップの前に座っているのが星漣の弾丸ブン屋、蔦林藍子(つたばやしらんこ)である。黒のセミロングをたなびかせ、何か事件が有ればその好奇心に満ちた大きな瞳とカメラのレンズを輝かせて風のように現れる、自称新聞部の少女だ。もっとも、現場到着後は嵐のようにひっかき回して去っていくことも多いので迷惑している人間も多いらしい。
 新聞部というのも自称であり、正式には星漣にはそのような名前の部活は無い。何しろ、その活動は彼女とあと2年生部員1人の計2名だけで行われている非公認同好会であるからだ。新聞といっても定期的に刊行されるわけではなく、時々瓦版のように一枚刷りの紙面がばらまかれるだけなのでお気楽なものだ。
 だが、その知名度は正規刊行誌「やまゆり」に次いで高い。藍子の性格をもろに反映した時期を逃さぬセンセーショナルな記事作りは他の追従を許さないからだ。それ故、今回の様な急な出来事では独断場となる可能性が高い。僕が眼を付けたのもそれが理由だ。

 さて、その隣に少し猫背気味に座っている少女は、名前を弓岡天奈(ゆみおかあまな)という。ぱっと見、少し色の薄く細い髪質や困ったような半弓形の眉、自信のなさそうな瞳の色がその少女の美貌を払拭してしまって何とも頼りない、怯えたうさぎのような印象を抱くことだろう。肩書きとしても図書委員というだけである。だが、この少女がここにいる他の3人にとっても重要な存在であることは後に述べよう。

 天菜の正面、つまり僕から見て藍子と反対方向に一つ跳ばした位置に着席しているのが宝井サラ(たからいさら)である。サラという名前通り、彼女はインド生まれの日系2世留学生であり、ニューデリー出身らしい。それを裏付けるようにアジア系にはなかなか無いすらりと伸びた鼻筋の整った顔立ちの美人なのだが、なにがおもしろいのかさっきからずっと眼を細めて笑っている。なんだか見ていると僕まで和やかな気分になるような、母性を秘めた笑顔だ。
 彼女は放送委員会に所属していて、さらに公式活動として昼休みの放送時にラジオのパーソナリティのように番組まで持っている。趣味の占いが良く当たるということで放送の1コーナーとして生徒からの相談に乗っていたのが、上級生の卒業によりそのまま独立番組になってしまったらしい。
 その番組は有る事情により4月から休止していたのであるが(だから僕はサラの存在に今まで気づいてもいなかった)、この度総員投票にあわせて復活する運びとなった。これを利用しない手はないだろう。

 最後の1人は、もっとも遠い位置に僕と向かい合うように座り、静かに紅茶を飲んでいる。すらりと伸びた背筋と軽く閉じられた瞳。長いストレートの髪は後ろで薄水色のリボンでまとめられている。ちょっと近寄り難いような雰囲気と緊張感のあるお嬢様、それが彼女の印象だ。
 彼女の名は、久我雪乃(くがゆきの)。文芸部部長であり、一応「やまゆり」編集部の一員として編集長をサポートする立場にいる。その信任は厚く面倒見も良いために、生徒会執行部として一線を引いた立場の天乃原に代わり文化部所属生徒の良き相談役であるらしい。もちろん、彼女ならば文化系の少女達が今回の騒動でどのような意見を持っているか即座に掌握する事ができるだろう。

 星漣学園の文化系の部活は、他の学校に比べて比較するのも馬鹿らしいほど機材や施設に恵まれている。その多くは各方面に進出した卒業生達やその親類の寄贈、理事である高倉氏の尽力による多額の基金のお陰である。
 なかでも、星漣学園図書館は以前にも述べたように、かつては国内において随一と言われるほどの蔵書量を誇った。そのため、学園外から希少な資料を求めての利用者も多かったが、あくまで学園の図書ということで貸し出しなどはよっぽどの理由がなければ許されなかった。学生の利用が第一という事である。
 その代わりといってはなんだが、星漣図書館には昔から複写機やその繋がりで印刷機、関連資料の為の映写機や再生機なども数多く用意され、それらは当然生徒が文化活動に使用することもできた。そして、星漣の伝統として生徒が利用できる物は生徒に管理させるという方針で、それらの機材は図書委員会が一括管理を行っていたのである。
 その名残で、現在でも図書館の備品である印刷機や放送機材、BGM用のCDなどを使用するためには図書委員会の許可が必要であった。

 ここで話はようやく戻るのだが、それらの管理を今年度行っているのが、図書委員会備品係の弓岡天奈という訳だ。だから、藍子もサラも雪乃も、そして文化系の部員の多くが天菜の裁量次第で活動に大きく支障がでてしまう事になる。
 もっとも、彼女が機材の使用申請に首を横に振ったことなどこれまで一度も無いとの話である。気弱な図書館の管理人は、使用後に機材やその周囲をしっかり掃除してくれれば、そして時たま好意の差し入れさえあればいつでも快く了承のサインをしてくれるのだ。

(これらの情報は七魅のデータファイルの内容である。僕はこのファイルをじっくり読み込んで、そしてこの4人が僕の「作戦」の足がかりに足ると見込んで静香を使いこの会合を設置してもらった。彼女は昨年の生徒会役員であるだけあって、こういった事務処理もそつなくこなしてくれる。)

 お互いの自己紹介を済ませ、紅茶を一口飲んでティーカップを置いたところで、最初に口火を切ったのは藍子だった。新聞記者を気取っているのか少し擦り切れた手帳を広げて鉛筆を構える。

「最初に確認しておきたいのですが、この会の事は記事にしてもよろしいのですか?」
「……僕はみなさんと世間話をするだけです。それがたまたま今学園で話題の内容であっても変じゃないでしょう?」

 僕からの意見であるという事はオフレコだ。今回の方針で、僕は当事者ではあるが表だって生徒会に反抗して荒波を立てることの無いよう、書類に名前は記載されていない。その辺の事情は当然、暗黙の了解となっている。
 藍子も色の良い返事を期待していた訳ではなく、記者としてのスタイルということだろう。「まあ、世間話じゃしょうがないですよねぇ」と鉛筆の反対側でこめかみの当たりをポリポリと掻いていた。

「最近の話題というと、やはり来週行われる総員投票の事が気になりますね」
「それでいいですよ」
「達巳君も深く関わる事柄ですし、現在どのようなお気持ちで?」

 藍子の喋りは丁寧語とも違う、独特のブン屋口調である。若干気に障らないことも無いが、本人は大真面目にやっているようなので我慢しておこう。

「僕の関わる事柄でこれだけ大きな騒ぎになっているのですから、誠に遺憾であると思いますよ」

 なんだか僕まで政治家のような口調になっていた。それがおかしかったのか、サラはクスクスと笑っている。

「なんだか、シャチョーさんが責任追及されているみたいですよ?」
「いやいや、責任追及といっても僕は悪くないでしょ」

 僕が手を振って否定するとすかさず藍子が突っ込んできた。

「では、生徒会に全て責任があるとお考えで?」
「誰が悪いって事じゃなくてですね……そもそも、女子校である星漣に僕のような男子生徒が転入してくるという事が、大きな変革、チャレンジであると思うんですよ」

 僕は話題の方向修正のため、敢えて自らブラックデザイアの発生させた矛盾を指摘した。存在優先権は正常に働いているという幎の言葉を信じるなら、ここは自動的になんらかの解釈が働くはずだ。
 その論理には必ず綻びがある。そこから僕の計画を実現するための言葉をねじ込んでやる。

「そうですねぇ。確かに、その施策が決定されたときの合い言葉として『星漣に新しい風を』というフレーズを聞きましたね」

 どこかで聞いたようなスローガンだな。成る程、ここから攻めていくことができそうだ。

「でしょう? つまり、僕には星漣に無かった男子生徒としての役割を期待されてここにいるわけなんですよ。例えば、そうですね……」

 僕は4人の顔を見回しながら頭を高速回転させてこの後のシナリオを描き出す。困り眉の天奈に目がいった時、ふと閃くものがあった。

「そうだ、『弓岡さん』。もしかして男子生徒の手を借りたいなと思ったことがあるんじゃないですか?」
「え?」

 天奈が視点の合わない惚けたような顔つきをする。一見、突然話を振られて驚いたように見える。だが、僕の魔力の心臓は確かに能力の発動をその鼓動で知らせてきた。

「えっと、そう……ですね。本の整理とか、機材の移動とか。もっと力持ちの人がいるといいな、って思ってました」
「そのくらいなら何時でも言ってもらえば手伝いますよ」

 「何せ男の子ですから」と嘯いてみせる。天菜は少し嬉しそうに「じゃ、その時は」と頷いた。周りの3人は少し驚いたような視線を天菜に向ける。

 ブラックデザイアの第2契約の能力は、最初の能力のように誤認させる能力ではない。単に、僕の言ったことが真実のような「気がする」だけの、印象操作能力だ。
 だが、それだけに周囲に人がいるような状況でも、いや、第3者がいるような状況でこそ、会話の流れを掌握するために有効な能力だ。なにしろ、この能力で語りかけられると、どうしても「同意したくなって」しまうのだから。

「……まあ、力仕事だけというのも情けないところですから、そういった事を含め、色々期待されて転入が認められたと思うんですよ。『蔦林さん』、こういった抜本的な制度改革が行われるような問題が以前ありましたよね」

 半ばカマかけのつもりだったが、根拠が無いわけでもない。那由美のこともそうだし、昨日の放課後、ちょっと気になる事も聞いていた。

「まあ、七月事件を初めとして昨年度は諸々色々ありましたからねぇ」

 七月事件……? それが、昨日の安芸島の言ったハルに関する事柄なのだろうか。しかし今は話の腰を折らずに僕の主張を「受け入れてもらう」のが先だ。

「そうですね。そういった事柄が起こった時、僕も何かお手伝いができるといいんですけど……」

 僕はここで残念そうに首を振った。

「でもね、新校則はせっかくの新制度を殺してしまう。『久我さん』もそう思いませんか?」
「……そうですね。一貫しないように思えます」

 物静かな少女は静かに落ち着いた雰囲気で応えた。元々こういう喋り方だと、レスポンスの遅れが殆ど目立つことが無いな。
 我が意を得たりと頷き、僕は再度藍子に向かった。

「『蔦林さん』。やっぱり、今回の新校則は矛盾した後退施策であると思います。そう感じている人も多いんじゃないかな」
「……ほうほう、なるほど。確かにこっちとしても最近の生徒会は広報活動の中止を要求するなど、後進的な施策が目立ちますからなぁ」

 一瞬、藍子の目線が虚ろになったが、すぐに気を取り直したように笑みを浮かべて僕に同意した。

「では、やはり達巳君の意見としては生徒会のやり方に反対だと?」
「僕は別に生徒会と敵対しようとは思っていませんよ。ただね」

 少し口を閉じ、慎重に言葉を選ぶ。どうしても対立の構図を作りたいブン屋には悪いが、僕の良い印象をみんなに伝えるためにはあまり生徒会を批判するような事は口にしない方が良いだろう。

「……星漣は、明治時代から日本最高峰の女子学園だったのですよね?」
「それは間違いないでしょうね」
「つまり、今日の政界に女性の政治家や財界人を送り出す、いわば男女平等社会の一翼を担う存在であったということです。『久我さん』、その象徴的存在が、時代逆行な男女格差政策を実施するのは、星漣の理念に反するのではないですか?」
「……『星の光の下、全ては等しく健やかなれ』。星漣の躾では、セイレン・シスターという星の下で全員が上下無くお互いを尊敬し合うようにと教えられてきました」
「まったくその通りだと思いますよ。『蔦林さん』、そういった教えのある星漣で、男女の格差を付けるような事態にはなって欲しくないですね。僕は心底そう思いますよ」

 あくまで達巳郁太という「男子生徒」が反対するのではなく、「星漣の学生」がその伝統の観点から新校則の妥当性に疑問を投げかけるようにする。これなら、同調する生徒だって多いはず。
 藍子もその考えで納得したようだ。しきりに頷きながら手帳に書き込みをしている。

「いやぁ、参考になりますなぁ。達巳君のように星漣の未来を憂う若者がいれば、これからも安心ですねぇ。いやぁ、本当に立派だ」

 今度はお為ごかしか。食えない奴だ。ブン屋としては優秀なのかもしれないが。

「まあ、後言うならば、もっと僕を使ってくれって事ですかね」

 少し照れ気味に演技すると、サラは首を傾げてこちらを見つめた。

「達巳君を使うのですカ?」
「そう。さっきの弓岡さんじゃないけど、これでも僕は体力にはちょっと自信があるし、いつまでも星漣の新米ではいられないし、いたくもないですから」
「ドンなことがしたいのですか?」
「一緒ですよ、みんなと。楽しく、みんなで。気が許す仲なら、それぞれの特技を尊重して役割分担するのは当然でしょう?」

 青臭い理想論を語りながら、僕は昨日の安芸島の言葉を思い出していた。

「結局、この学園を卒業したら遅かれ早かれみんな男性の存在する社会に旅立っていくわけじゃないですか。差別は良くないけど、性差を個性の一つと考えて役割分担したり、うまく折り合いをつけて付き合っていく練習は今からやっても良いと思いますよ。なにしろ、星漣の生徒からはそういった方面の社会に進出する方が多そうですから」

 今の世の中、卒業してすぐ嫁入り、となるのはむしろ学歴の面であまりよろしくないと考える親が多いのではないだろうか。晩婚化する現代では、社会経験は多い方が何かと潰しが利くからだ。

「だからつまり……えっと、僕のことをもう少し信頼して、付き合ってみてくれってことですか、ね」

 最後の最後で、僕は能力も使わずに演説ぶった物言いをした事に気が付き、あわてて言葉を切った。
 お茶会の席はいつの間にか沈黙し、視線は僕に集中している。なんだか、白けさせてしまったようだ。困った。
 興が乗ると口が軽くなるのは僕の悪い癖のようだ。自重しないとこんな失敗を繰り返すって分かっていたはずなのにな。

 だが、藍子はそんな雰囲気を吹き飛ばすかのように茶目っ気たっぷりに口を開いた。

「それは当然、恋愛においても、ですか?」
「……え?」
「男子と女子が付き合うとなると、当然そっち方面も視野に納めないとなりませんねぇ」

 なぬを、いや何を言ってらっしゃるのでしょうかこのブン屋は。

「いやいやいやいや、僕なんかを目にかける物好きはそうはいないでしょう? そういう意味ではなくてね……」
「そうでしょうか? 私はそうは思いませんけど」

 僕の言葉を遮り、ブン屋は指に唾を付けて手帳をめくり始めた。

「まず、なによりの本命は何かと話題の絶えない昨年度セイレン・シスターの優御川紫鶴さま! お二人は陽光煌めく花壇での運命的な出会いを果たし、一遍に恋に落ちられたとか。そして対抗は当然、源川春さん。幼馴染みで同じクラス、運命の糸を感じさせる状況な上に源川さんは達巳君のことを憎からず思っているご様子。恋のエターナル・トライアングルですなぁ」
「いや、だから……」
「まあ、それ以外にも噂だけなら片方の手の指では足らないくらい有りまして。バスケットボール部の主将、春原渚さんは桜通りをあなたと楽しそうに歩いているところを目撃されてますし、哉潟家の御姉妹とは2人とも要領よくお付き合いなさっているようですし、ああ、そういえば写真部の後輩方ともまるで兄妹のように仲がおよろしいようですなぁ」
「……」

 ……この学園には監視カメラがあるか、それとも覗き見が趣味の家政婦でもいるのだろうか? 僕は思わず窓の外に |ω・) ←こんな感じで覗いている人物がいないか確認してしまった。
 その間もブン屋の独断場は続いている。

「……そういえば、安芸島会長も、今回の一件を恋し憎しの嫉妬からの行動と考えられないこともないですねぇ。なにしろ選択教科時のお二人ときたら……」
「もうそのへんでお止しなさい」

 たまりかねたのか、横から雪乃が口を挟んだ。

「ラン子、そういう焚き付けるような言動はお止めなさい。結果がどうあれ、良い結果にはならないわ」
「しかし、おユキさん。ここははっきりさせないとやはり不幸になる方がいるわけでして」
「あなたはネタがほしいだけでしょう」
「寿司と記者はネタの鮮度が命なのですよ」
「好奇心、猫を殺すとも言うわね」
「知りすぎた男ですか? 記者冥利につきますなぁ」

 藍子は根っからのブン屋気質のようだ。
 だが有り難いことに、そんな軽口の応酬で先ほどの堅くなった雰囲気はお流れなったようだ。残りの2人も笑顔を浮かべている。どうやら、時間も良いしここでお開きのようだ。
 その事を告げると彼女たちも異論は無いのか腰を上げて帰り支度を始める。藍子はさっそく記事をまとめるのか、一足先にすっ飛んでいった。まさに弾丸ブン屋の異名通りである。

 帰り際、ふと思いついて僕は探研部を出ようとしているサラを呼び止めた。

「そう言えば、宝井さんはお昼の放送で番組を持ってるんでしたよね」
「ハイ、そうですよ?」

 ニコニコしながらサラは首を傾げる。丁度いい、ここでもう一つ仕込みをしておこう。

「いや、もっと早く知っていれば良かったな。相談事を占ってくれるとか」
「悩み事ですか? ダイジョウブですよ、占いは始まる前にやりますから今からでも間に合いますよ」

 「採用されるかどうかはわかりませんけどネ」とサラは笑顔のまま言った。その点は大丈夫だろう、僕ならね。

「そうですか? なら『宝井さん』に、悩みを占ってもらいたいなぁ」

 一瞬、目線が泳いで思案気な様子を見せるサラ。僕はそれに気が付かないような素振りで続けた。

「内容は、僕の友人が僕を助けるために色々無茶をやってくれるんだけど、僕自身はどうすればいいのかな、って事です。『宝井さん』に、是非ともこの行方を占って欲しいですね」
「えっと、それって源川さんのコトですか?」
「ノーコメントです」

 茶目っ気を見せて真面目ぶる僕に、サラは再び笑顔で頷いた。

「分かりました。でも、ホントに採用されるかどうかは分かりませんよ? あまり期待しないでくださいね?」
「了解です」

 うん、期待はしないよ。だって、もう決まったようなものだからね。

 4人を見送った後、僕はしばらく椅子に座って呆然としていた。そうせざるを得なかった。
 こめかみの内側にずっしりと重い感触が残り、視界が暗く狭まっている。鳩尾の奥では吐き気が疼いていた。それらの症状が、僕の動作を固縛していた。

 この感触には覚えがある。急激な魔力の減少による疑似的な貧血に似た状態だ。
 僕の胸の内には本来あるべき心臓がない。代わりにそこには幎からもらった疑似器官が埋め込まれている。それは本当の心臓と同じようにポンプのように体中に血液を送る役割を果たしているのだが、肉でできた心臓と異なり、酸素と栄養素で動いているわけではない。幎から供給される魔力こそ、その動力源なのだ。
 だから、急激な魔力の減少は僕の身体に先ほどのような症状をもたらす。もしも、それが尽きたら、僕は死ぬのだろう。そういう契約を進んでしたのだから。

 気だるい頭と身体に叱咤し、僕はなんとか立ち上がった。もうしばらくしたら静香達も帰ってくるだろうし、それまでに回復しないと。
 ブラックデザイアの第2契約による能力の乱発は思ったよりも身体に負担が大きいようだ。しかも、せいぜい相手に印象を残す程度の事しかできないから、幎からの魔力の報酬も期待できない。今までの貯蓄を切り崩しながら、なんとか来週まで乗り切る必要がある。

 先ほどの「会合」の感触は悪くなかった。おそらく、あの4人は今日のお茶会の内容を吟味して、それとなく僕への印象を周囲の者に伝えるだろう。そういう役付の人間を選んで呼んだつもりだ。
 今日は放課後にももう一回、更に明日以降にもこんな感じのお茶会を設定してもらう事になっている。4人ぐらいずつ、その中には情報の発信源になりそうな生徒を必ず含める。彼女らに僕の良い印象を与え続ければ、自然とそれは学園内に浸透していくはず。
 ビラ配りなどの正攻法だけであの生徒会を負かす事ができるとは思わない。こういった地道な根回しによる裏付けが必要なのだ。
 世論の操作に、情報発信者、つまりマスコミを先に押さえるのは世の常識。これは情報戦なのだから。

< 続く >

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