BLACK DESIRE #15-1

0.

「――ねえ、知ってる?」
「あの噂?」
「そう……放課後の幽霊」
「聞いた聞いた! もう何人も見てるんだってね」
「それ、私も聞いたよ。白い男の子で、夕方に1人でいると出るんでしょ?」
「ううん、3人でいた時に見たって人もいるって」
「……今日の部活、早めに終わらないかな」
「一緒に帰ろうか? 待っててあげる」
「……うん」

 星漣学園2学期開始後、1週間も過ぎた頃。学園内の女子生徒達の間で、ある奇妙な噂話が頻繁に行われるようになっていた。

『夕方になると、学園内に少年の幽霊が出る』

 最初の数日間は馬鹿馬鹿しいと一笑に付す生徒達ばかりであったが、そのうち夕刻の特定時間に校舎の各所に現れる白い少年の目撃証言が現れ始め、堰を切ったように私も見た、私も実は見た、本当は私も見てたけど黙ってたの、と次々に噂が広まり始める。やがてその噂は生徒達の大半の知るところとなり、その幽霊の目撃情報もだんだんと精度を増しつつあった。今では、ネット掲示板の情報からその幽霊の通称が「トイレのイチタロウさん」である事まで噂になっている。

「これ……ヤバいよね?」

 この状況に怪奇倶楽部は慌てていた。今のところ自分達がその幽霊に関わっているという噂は流れていないが、1週間前の下校時刻後に3人が校舎に忍び込んで大目玉を喰らった事は一部の者に知られていた。もしもそれと結びつけて考える者が現れたら……そして、もしもその時、倶楽部のメンバーが掲示板情報を頼りに「イチタロウさん」を呼びだしたはいいが、「送り返す」ための儀式をせずに逃げ出した事がバレてしまったら……。

 あれ以来、倶楽部への監視の目がきつくて日が暮れてからの活動は殆ど出来ていない。陽のある内に目撃証言のある場所を調べてみたが、イチタロウさんの気配は全く見つからなかった。このままでは、本人達の目論見とは全く正反対の不名誉な方向で星漣学園史に怪奇倶楽部の名が残ることになってしまうだろう。

「「「どうしよう……」」」

 3人寄り集まって頭を抱えても、文殊菩薩は良い知恵を授けてはくれなかった。

BLACK DESIRE

#15 達巳郁太の消失 III

1.

 時間は数日前に遡る。

 1年榊組の初里絢(はつりあや)がその日、クラスメイトの下校の誘いを断って1人で美術室に忍び込んだのには訳があった。3年生の絵画コンクールの銀賞入選作品が学校に戻ってきたという話を聞きつけたからである。いずれ額に入れられて飾られるのだろうが、その前にどうしても現物を手に取り、直に見てみたかったのだ。
 美術部の部員か、教師に頼めば良かったのかも知れない。だが、絢はそうしなかった。自分がこの4月に一度部に誘われながら、断った経緯も関係しているかもしれない。だが、心の深いところではそうではないと知っていた。

 絢にとって、絵や彫刻や小説や音楽や、そういったもろもろの「作品」は、それ自体が一つの完成した世界であり個性なのだ。その作品の持つ魅力を芯から体験するには、自分自身も心を裸にして向き合うしかない。その目的において、誰がそれを作ったとか、どんな考えで生み出されたとか、あるいは作者がそれにどんな題名を付けたかすら余分な情報に思える事がある。キャプション無き生の情報を誰の横槍もなく体験したい、その欲求を叶えるため、彼女はたった1人で、誰にも知られないようにこっそりと美術室を訪れたのだ。

 周囲に誰もいないことを確認し、扉を開けて美術室に滑り込む。最近、学園内に妙な噂が広まっているため、多くの部が早めに活動を切り上げて明るい内に生徒を帰すようにしている。絢にとって幸運な事に、美術部もその例に漏れず部員は全員そろって下校していた。
 夕暮れの陽が差し込む教室内は、まだ少し前まで人が活動していた気配が残っていて、かすかにテレビン油の匂いがした。中央の白い布がかかっている丸いテーブルを何脚かのイーゼルが取り囲んでいる。テーブルにはスケッチ用の物体は何も置いておらず、付近に描きかけの絵も残っていなかった。

 絢は周囲を見回し、奥にある美術準備室への扉のサイドの棚の方を見ると、そちらに移動した。この棚の裏に、こっそりと準備室の鍵がかけられているのだ。目的の絵は今はそこに保管されている筈だった。

(……あった)

 誰かのお土産だろうか、猫の様なキャラクターのキーホルダーの付いた普通の鍵だ。それを棚の裏から探しあてると、準備室の扉の鍵穴に差し込み、捻る。カチリとロックが外れる気配があった。
 鍵をポケットにひとまず入れ、ノブを回して扉の内に滑り込む。雑多にテーブルやイーゼルやカンバスの積み上げられた部屋の中で後ろ手に扉を閉め、絢はほっと息をついた。

 部屋はかなり狭い。物が多すぎて歩くスペースが殆ど無いのだ。

(どこにあるのかな……?)

 周囲を見回し、めぼしいものを探す。賞を取った絵だ。それなりにきちんと整理された場所に有るはず。
 ふと、絢の視線は部屋の奥にある机――美術教師が書き物に使うのか、比較的綺麗に整頓されている――の上に吸い寄せられた。そこに丁度カンバスが入りそうなケースが置いてあるのが見えたのだ。床に置かれた物品をかわしてそちらに近寄っていく。
 慎重に閉じ紐の結びを確認し、解いても大丈夫そうだと当たりを付けて開封する。蓋を開け、慎重に中身を取り出した。

 気が付いたら、周囲が大分薄暗くなっていた。目を瞬かせて人差し指で目元をこする。名残惜しいがそろそろ帰らなくてはならない。椅子から立ち上がり、机の本立てに立てかけていた絵を両手でそっと持ち上げた。その際、右下に入った「Kei」のサインを見てふっと口元が緩む。そのまま包みを元通りに戻し、ケースに仕舞って封をした。時計を見れば、30分は経過していた。そんなに見惚れていたのかと、軽く驚く。

 素晴らしい絵だった。時間を忘れるほどに。技術的なことは良くわからないが、作者が描きたかった世界観が清々しいまでに心に届く、若々しさとエネルギーに満ちた絵であった。そしてそれは、決して自分には飛び込むことの出来ない領域の作品であることも、絢には痛いほど理解できた。
 すぐ目の前にある眩しいほどの才能を目にし、絢は中学3年の時に筆を置き、絵を描くことをやめた。周囲には気にしないで好きなことを続けたらいいのに、と何度も説得されたが、絢にしてみれは「大好きなこと」だからこそ続けられなかったのだ。自分の画風が誰かの真似でしかないと気が付いてしまい、絵を自由に描けなくなってしまった。才能の壁を、最も近くにいた存在にまざまざと見せつけられたのだ。

 今年度の絵画コンクール銀賞の絵の作者は、星漣学園3年、初里景……絢の、2歳上の姉だったのだ。

 絵のケースを机の元の位置に戻して美術室に戻ろうとした時、隣でコトン、と音がした。ドキンと心臓が鳴り、絢の足が止まる。
 誰か部員の1人が忘れ物をして戻ってきたのだろうか。顧問が見回りに来たのだろうか。もしかして、銀賞の絵を放置するのは問題があると思って取りに来たのだろうか。

 ドキドキと活発に鼓動する胸の内に反し、絢の足は石になったかのように床に張り付いたままだ。視線を動かして隠れる場所が無いか探すが、物が積み上げられ過ぎて下手に潜り込もうとしたらかえって物音を立ててしまいそうだった。
 慎重に、ゆっくりと自分の息を凝らしながら隣の教室に耳を澄ませる。先ほどの物音の後、新しいものは聞こえてこない。窓から差し込む夕日の関係で隣に電気が点いているか分かりにくく、本当に誰かそこに居るのか判然としない。絢はゆっくりと深呼吸し、覚悟を決めるとそうっと扉まで近づいた。隙間に耳をあて、中の音を聞き取ろうとする。

 ……物音は聞こえない。では、さっきのは気のせい? それとも、誰かが居たが、絢が息を潜めていた間に用事を済ませ、すでに退室したのだろうか。
 たっぷり3分は待ってそれ以上物音がしない事を確認し、意を決して絢はノブに手をかけた。その瞬間、ふと嫌な事を思い出す。

『美術室でも、あの噂の幽霊が出たんだって』

 それは、絢が美術部の部員の動向を調べた際に偶然耳にした話である。絢はあまり霊感の強い方では無いし、迷信も信じず幽霊よりUFOの方がまだ実現性があると考える質であるため、今回もその正体は枯れ尾花の類であると考えていた。だが、それでも憧れの絵を見た直後で感情が高ぶっている状況だと、少女らしい想像力が働き始めてしまう。もしもこの扉を開けた先に、足のない白い少年が待っていたら……。

 ドキドキと、先ほどとは違う理由で鼓動が高鳴ってきた。ノブに手をかけたまま、それを回す踏ん切りが付かずに段々手の平が汗で湿ってくる。

(大丈夫……そんなの、いる訳無い……大丈夫……)

 3回深呼吸し、ぐっとノブを持ち直して右に回した。

(『イチタロウさん』なんて、いるわけ無いっ……!)

 扉が開いた瞬間、急に絢の周囲が明るくなった。

 両眼をぱちぱちと瞬かせて絢は教室の中を見渡した。窓辺に機材の積まれた準備室に比べ、美術室は想像以上に明るかったからだ。
 教室の様子は来た時となんら変わっていない。円形に並んだ多数のイーゼルの中央に、白い布がかかっただけの何も乗っていないテーブルが1つ。その隣には同じく誰も座っていない椅子がぽつんと置いてある。

 並んだイーゼルには全てカンバスが乗せられていた。それぞれのカンバスの前には木炭を手にした者達が熱心に何かをスケッチしている。彼らは何も乗っていないテーブルと、空席の椅子を睨みながら何かを熱心にカンバスに写し取っていた。

(……何を描いているんだろう?)

 不思議と彼らが何者なのかという疑問は湧いてこなかった。ただ、純粋に彼らの描く絵に興味がもたげた。
 絢は自分に背を向けている人物――どうやら少年のように思えた――の後ろから、心の中で一声かけてカンバスを覗き込む。

 それは、少女のようであった。星漣の黒い制服を身につけた少女が椅子に座っている絵だ。最初の一目で絢は、美人だな、と思った。少女はきっちりと背筋を伸ばし、太腿の上で手を揃え、顔を正面にまっすぐ向けて椅子に座っている。髪は長く、背もたれを越えて椅子の脚の近くまで届いていた。まだその下書きは完成までほど遠かったが、シルエットだけでもそこに込められた描き手のイメージが、かなりの美少女のものであると感じられる流麗なタッチであった。

 だが、その少女の顔面の部分は空白であった。あたりも取られておらず、まるでそこだけ練りゴムで消し取ってしまったかのようである。周囲の2、3人も同じく覗いてみたが、皆その顔は空白のままであった。

(……綺麗なひと……なのに、顔が……誰なんだろう……?)

 絢は首を捻ってその顔の無い少女の絵を見つめた。どこかで見た事がある。でも、思い出せそうでその記憶は意識の縁を越えることは無く、絢の脳裏に明確な名前を浮かべる前に引波の様に還ってしまった。何度かそういったあやふやな記憶の波を捉えようともがき、結局絢はその行為を諦めた。

(どうしよう……このまま帰っちゃっても大丈夫かな)

 もやもやとしたモノを抱えたまま絢が逡巡していると、目の前にいた少年が「ふぅ……」と息を吐くのが感じられた。

『ダメだな』
「……? っ!?」

 それこそ、あっと言う間であった。少年達全員が練りゴムを手に取ると、カンバスに描かれた空白の顔の少女の上をジグザグに擦り、消してしまったのだ。その動きに合わせてカンバスに少女の顔のような空白が浮き出し、そして練りゴムが炭を含んで変色していく。真っ黒になった練りゴムをぽとりとイーゼルに置き、絢の正面の少年は腕を組み、首を傾げる。そして初めてちらりと絢の方に顔を向けた。絵と同じく、その少年には「顔が無かった」。絢の心臓がまたもドクンと鼓動する。

『君……』
「え……?」
『良かったら、君の絵を描かせてくれないかな』

 顔の無い少年はそう言うと窓を見上げた。

『あと1時間……いや、日が暮れて暗くなるまで』
「私を……モデルに?」
『うん。頼みたいんだ』
「……」

 絢は迷ったが、少年の口調に含められた真剣な気配に結局は「いいですよ」と頷かされてしまった。

「1時間だけですね?」
『うん。そこに座って』

 カンバスに向かう者達の視線に促され、絢は中央の椅子に座った。先ほど見た少女の絵に少しでも近づくよう、背筋をぴんと伸ばし、手を腿の上で重ねる。顔は正面を真っ直ぐに見ると、丁度さっき絢に話しかけた少年のカンバスの裏面に正対した。少年の顔はその向こうにあるはずだ。

 絢が姿勢をとると、少年達は黙ってまたスケッチを始めた。それらの視線が絢に集中し、頭のてっぺんからつま先まで何度もじっくりと観察されている事を実感する。絵を描いていた頃、モデルを見て描いた事は何度かあったがその反対になったのは初めてだった。気恥ずかしさを隠し、努めて無表情、無感情を演じる。

『……絵は面白いね』

 しばらくの沈黙の後、突然カンバスの向こうの少年が呟いた。自分が話しかけられたのかどうかわからなかったため、絢は黙っている。少年はそれに構わずに呟きを続けた。

『僕は今、君を見て絵を描いている。だけど、それは君の姿をただ見たままにカンバスに写し取っている訳ではないんだ』
「……」
『僕は君を見る。そして心の中に、君がいる世界を想像する。僕は、自分の心の世界に現れた君という存在を絵として表現する……君を描くという行為は、君という存在を僕の中に取り込むって事なんだね』
「……はい」

 自分の考えに近い少年の言葉に、思わず絢は頷いていた。そしてはっと姿勢を正す。動かないように他の者達から注意されるかと思ったが、そんな事は無く、代わりにどこからか朗らかな笑顔の雰囲気が伝わってきただけだった。絢の口も自然に綻ぶ。

『……うん。いい表情だね』
「ありがとう」

 少年の言葉に反射的に礼を返す。そして、どこと無くもどかしさを感じた。言葉等では無く、もっと上手く自分の気持ちを伝える方法は無いだろうか? 窓を見ればまだ、日が沈むには時間が有りそうだ。もう少し、モデルをしていても良いはず……。

『もう少し、モデルをしてもらっていいかな』

 少年の言葉は絢の気持ちでもあった。絢は頷き、椅子から立ち上がる。少年達が次にデッサンしたいのは何か、言われなくても絢にはわかっていたし、自身もそれを望んでいた。

 少年に何も言われぬまま、絢は着ている衣服を一枚ずつ脱ぎ始める。準備室を使う事は頭に無かった。順に肌を少年達に晒すこの過程もまた、彼らの心に自分のイメージを形作らせる重要なファクターであると思えたからだ。
 下着を含め、肌にまとっていた衣類は全て脱ぎ去った。胸を片手で押さえ、腰を屈めて靴下を脱ぐ。そして全裸になると、綾は隣のテーブルにかかっていた白い布を取ってそれを胸の前に当て、正面からの自分の素肌への視線を遮った。

「準備、できました……どんなポーズがいいですか?」

 布は絢の胸から下の前面のみを覆っている。背中側は隠すものも無く露わになっているが、どうせこの後指定のポーズで他の場所も晒されるのだ。絢は顔を赤くしてはいたが背筋を伸ばし、少年達に挑むような表情をしていた。

『……その布を背中側から体に巻くようにして、手で押さえながら机に腰掛けてみてくれる?』
「うん……」

 机にかかっていた布はそれほど大きくなかったため、体に巻いた状態で机に腰を乗せると、それがお尻の下に敷かれて微妙に長さが足りなくなった。右手で布の端を持って胸を隠すが辛うじてその先端を覆うだけしか余裕が無く、左手は布の反対の端を股間部に押し込むようにしてその場所が剥き出しにならないようにする。

 少年達はデッサンを始めたようだ。先ほどよりも近く、熱をもった視線を肌に直接感じる。サラサラと木炭が擦れる音がする度に、綾は今自分の身体のどの部位が描かれているのか想像した。

 自分の顎のラインだろうか。密かに自慢に思っている細い首筋からうなじ、鎖骨の部位だろうか。少し火照っている頬や小鼻、唇の辺り? 男の子らしく、布の下に見えている胸の膨らみかもしれない。先ほど着替えの時に見せてしまったから、今は見えていない乳房の先の部分まで想像で描かれてしまっているかも。後ろにいる人たちは背中の線を綺麗に描いてくれているだろうか。正面に移動して、前から見ている人達のように股間の布の影に隠れている部分を覗き込みたくは無いのだろうか。つま先からふくらはぎ、膝小僧を越え太腿を描いたら、どうしてもその次は薄っぺらな布の隠した股間部にたどり着く。彼らはそこは跳ばして小さなお臍の息づくお腹を描写する? それとも、想像力を働かせて女の子の一番大事なところも描いてみる?

 絢の心の中で、少年達が描く絵の中の自分は既に全裸に剥かれ、隠されている場所まで全てが子細に描写されていた。

(どうして、指示してくれないの?)

 もどかしい気持ちで正面の少年を見る。少年達が自分のイメージを心の中に描くというなら、嘘偽りの無い素のままの自分を見て欲しいのに……。

『……ちょっと、ポーズを変えようか』

 少年からその指示が来たとき、絢はやっとかという気持ちであった。

『両手で髪をかきあげるように。脚は左足を机の上にかけて膝立ちに』
「……うん。これでいい?」

 両手を髪にやってうなじを見せると、自然な流れで胸を隠していた布ははらりと背中側に落ちていった。新しいデッサン素材――首筋や完全に露わになった乳房、脇の下から横腹のライン――に視線が集中するのを感じる。絢は多数の視線にぴんと尖った自分の乳首がその弾力まで余すことなくカンバスに描写される様を想像し、ますますそこが固くなっていくことを意識した。
 指示通りに脚を持ち上げた事で股間部を覆う布も滑り落ちていた。股間の茂みがほぼ真横になった夕日にキラキラと光を反射している。その下の部分が光源の関係で影に隠れ、ほぼ見えなくなっている事が少し残念に思えた。

 木炭の滑る音と共にぞわぞわと肌の上を視線が走る気配がする。それらの視線が絢の尖った胸の先を弾き、脇の下をくすぐり、お臍の窪みの周りを撫で上げる。太腿をさわさわと撫でられ、熱い吐息を吐きながら知らず知らずの内に絢は立てた膝をわずかに外に開いていた。開いた隙間に涼しい空気が潜り込んだ感触で、少女はその場所が気付かぬ内に熱を持って潤み始めている事を知った。恥ずかしさに頬を赤くしながらも絢は正面に向いた視線を動かさず、挑みかかるような表情を崩さなかった。

『……さて、もう少しだけ描こうか』

 正面の少年が筆を止め、再び息をついた後にそう言った。陽は陰り、後僅かな残滓を残すのみとなっている。

『最後は、君の好きなポーズをとってもらいたい』
「私の?」
『そう。君自身、描いてもらいたい様にしてみて』

 絢は机に座ったまま、両手の指を胸の前で組んで俯いた。私の描いてもらいたいポーズ? ちらりと周囲の少年達に目をやるが、今は全員カンバスの向こうに顔が隠れ、その視線を読むことができない。だが、そこにある種の期待感が有る事は容易に感じることができた。
 1つの答えが浮かぶ。しかし、心の中で絢は首を振った。そんな、はしたない事ができる訳がない。だけど、描いて欲しい、見て欲しい、覗き込んで欲しい。自分自身のまだ見られていないところを、少年の世界に刻み込んで欲しい……!

「うん……」
『決まった?』

 絢は自身の中で葛藤に決着を付け、一人頷くと立ち上がった。その顔は火照って真っ赤になっている。
 そして隣の椅子に向かうと正面の少年に背を向け、椅子の座面に右膝を乗せた。上体を倒し、背もたれの上に片腕を置き、お尻を突き出すようにする。さらに身体を捻って少年の側に顔を向け、空いた片手を自分のお尻の上に置いた。

「私の描いて欲しいポーズ……これが、あなたに見て欲しい私の姿……!」

 そして、ぐっとお尻を開き、股間部がよく見えるようにした。臀部のクレバスに隠れていた部分が夕日に照らされ、はっきりと見えるようになる。

『……そこを、見て欲しいの?』
「そうなの……! 私の恥ずかしいところ、描いてくださいっ……!」

 少年達の視線がその部分に集中する。スケッチする物音が自分の腰の間近から聞こえ始め、絢はいつの間にか全員が自分の股間のすぐ側まで近寄っている事に気が付いた。細かな筆遣いで自分の肛門の皺の一つ一つが丁寧に描写されているのを感じる。その下の部分の襞が濡れている様がカンバス上に浮き出るように描かれているのを想像するのも容易な事であった。さらに、その場所を本来隠す筈の陰毛の一本一本まで細かくスケッチされている様すら感じ取ることができた。

 ただ観察され、描写される、それだけなのに絢の体内の火照りは否応なくその身体の上に描き出されている。それが迸り出るのを防ぐために、絢は背もたれに置いていた手の人差し指を噛んで耐えねばならなかった。内腿の様子を描いたスケッチには、間違いなく秘部から溢れ出る蜜のしたたりが描かれてしまっているだろう。

「あ……あぁっ……あぁ……!」

 下腹部の内から始まった大きな熱の波がじんわりと全身に広がっていく。それが体表まで達すると絢の身体はおこりにかかった様にぶるぶると震え、全身から汗や愛液などの体液が溢れだした。全身の穴という穴が開ききってしまった様だ。目からは涙が止まらず、口は半開きでとろとろと涎が床に落ち続ける。尻穴も緩んで指の力が無くともぽっかりと口を空け、その下のもう一つの口も奥まで開ききり、止めどなく涎のように濁った液体をこぼし続けていた。知らず知らずの内に失禁までしていたかも知れない。

 布切れが椅子から滑り落ちるように力無く、絢は床の上にくたくたと倒れ込んだ。はぁはぁと荒い息で背中を上下させる。その前に1人のカンバスを持った少年が立ち、片膝を付いて絢を見下ろす。少女はぼんやりとした視線をおっくうそうに向けた。

『お疲れさま。いいのが描けたよ』
「……よかった?」
『うん、見てごらん』

 少年がカンバスを絢の目の前に置いてくれる。そこに、大きな快楽と共に自分をさらけ出す少女の心の世界を見出し、絢は再度の絶頂と共に意識を失った。

「……う……ぅん……?」

 ぼんやりと視界が戻ってくる。顔を持ち上げ、はっきりしない視界で周囲を眺める。イーゼル……暗い空の見える窓……机……準備室の扉……それらのものを認め、絢はようやく今いる場所が美術室であることに気が付いた。

 身体を起こす。どうやら入った時に見かけた丸テーブルに突っ伏し、椅子に座ったまま寝てしまっていた様だった。そこにかかっていた白い布は気付かぬ内に除けてしまったのか、床に落ちて白い固まりになっている。

(……今、何時……?)

 携帯をポケットから出して確認すると、もう下校時刻はとっくに過ぎていた。いけない、帰らないと、と慌てて立ち上がった瞬間、ふらっと足下がふらついた。軽い貧血かも知れない。
 ポケットに携帯を戻したとき、チャリンと何か金属の物に当たって音を立てた。引っ張りだして見ると、キーホルダーと美術準備室の鍵だ。それを見た瞬間、絢はなぜ自分がこんなところで居眠りしていたのか、完全に思い出した。

(そっか、絵を見て帰ろうとして……ちょっと目眩がして、ここで休んでたんだった……)

 危ないところであった。見回りの教師に見つかっていたら絢が無断で準備室に出入りした事がばれてしまっていただろう。絢は急いで準備室の扉に鍵をかけ直し、元の位置に戻した。そして教室の扉にきびすを返そうとした時、床に落ちた布に目が留まる。

(危ない危ない)

 別にこの布から絢の所行が知れることは無いだろうが、侵入者があった事は気付かれてしまうだろう。絢は元通りに布を広げて机に被せた。
 もう一度周囲を見渡し、入ってきた時と変わりが無いことを確認する。……問題なし、陽が完全に沈んで外が真っ暗になっている以外は変化無し。指さし確認してようやく絢は安心して扉に向かった。

 コトン、と筆が床に落ちたような音を聞いたのは、絢が教室の開き戸に手をかけた瞬間だった。一瞬動きを止め、そして置き忘れた筆が落ちたのかなと軽い気持ちで振り返って教室の中を見る。
 そして、その瞬間、絢の心臓は一瞬停止した。

 イーゼルの1つに向かい合った椅子に、白い人影が座っていたのだ。腕を動かし、存在しないカンバスに向かって一心に何かを描いている。

 絢の両目の瞳孔が恐怖にきゅっと搾まり、吐くことも吸うことも出来ない喉から「ひっ」空気が擦れる音がした。腰から下が空気が抜けたようになり、ぺしゃんとアドバルーンが潰れるようにお尻が床に着く。背中がその勢いでドアにぶつかって、外れそうなぐらい大きな音を立てた。

 白い人影はそんな騒音にも委細構わずの様子で座り続けている。絢は扉の枠にしがみつくようにして引き戸をスライドさせると、必死に床を這いずって外に転がり出た。そして、床に上履きの片方を残したままその扉から離れようとする。

 ……その数分後、絢は美術室から数メートル離れた位置で気を失って倒れている所を、物音に気が付いて見回りに来た教師に発見された。貧血で倒れたのだろうと判断されたが、それから2日間、絢は自宅で白い人影の悪夢にうなされる事となる。その噂は瞬く間に学園内に広がり、やがてその人影は「トイレのイチタロウさん」が校舎内を徘徊しているものというオカルト話に成長していくのであった。

2.

「センパイ、この後付き合って貰っていいですか?」

 テニス部の後輩である望月澪(もちづきみお)が声をかけてきた時、2年柚組の三嶋愛(みしまあい)は丁度自分のスポーツドリンクに口を付けた所であった。汗を拭い、一応は渋い顔を作って振り返る。

「今日もなの? もう疲れちゃったなぁ」
「そう言わずに、ね! ね! 1セットだけ!」

 両手を拝むように合わせ、長いツインテールの頭を必死に下げて懇願する。後ろで同じく2年の部員が「付き合ってあげたら?」と笑いながら言うのが聞こえた。だが、そんなに安請け合いしたらこの勝ち気な1年坊はすぐ調子に乗るのが目に見えているのだ。

「でもさ、最近変な噂もあるし、だから部活も早めに切り上げてるんだしねぇ」
「あれ、愛センパイ怖いんですか? ユーレイ」
「別に怖くは無いよ。ただ、変質者とかだったら嫌じゃない?」
「あたしが変質者なんかぶっとばしちゃいますから! だからお願いします! 神さま仏さま愛センパイさま!」

 澪の再度の拝み倒しに、愛は「もう……」と肩をすくめた。

「わかったわかった。だけど、日が沈むまでだからね」
「やった! センパイありがとうございます!」

 澪はバンザイをする様に両手を上げて喝采した。

 今年の四月、ジュニアチャンピオンの経験者が入学して来たと聞き、テニス部は大いに沸いた。当時の部長を除き、星漣テニス部の歴史上初めてとなる期待の逸材の登場である。もちろん部員全員がその新入生の勧誘に躍起になった。ところが、そのジュニアチャンピオンは集まった上級生達相手にこうのたまったのだ。

『私が興味有るのは、インターハイ2位の来栖センパイだけです。テニス部とか、私より弱いヒトに興味は無いです』

 そして、ダブルスで3年の来栖と組みたいので要望通り部に籍だけは置く旨を伝えたのだ。これには温厚なテニス部の上級生達も怒った。そして、一悶着有った末になんやかんやで結局、当時来栖とパートナーだった三嶋愛とシングルスの一騎打ちをすることになってしまったのだ。

 評判と大口の通り、新入生は強かった。小柄ながら抜群の運動量でコートを縦横無尽に動き回り、愛はゲーム中ずっと翻弄され続けた。だが、彼女には部長の来栖にも認められた先天的なカンの良さが有った。1セット目こそ取られたが、新入生の癖を覚えた愛は2セット目から積極的に前に出始める。そして先天的カンを足がかりに、来栖に仕込まれた思い切りの良い飛び出しを必殺の武器としてついにジュニアチャンピオンを打ち破った。そしてその1年生にテニス部で通常扱いの新入生として入部する事を確約させたである。

 その時の1年生が、つまり望月澪である。澪の入部後1ヶ月もする頃には、少女の行動が単に自分に興味を持たせたい為の子猫のじゃれつきに近いコミュニケーション手段だと、テニス部の全員が納得していた。
 澪の勝ち気な態度は誰に対してもあまり差異は無かったが、特に愛に対しては顕著であった。即座にリベンジを果たすと息巻いて決闘後も澪は愛に付きまとったが、どうやらその言葉は単なる言い訳の様であった。強敵と書いて「とも」と呼ぶのかどうかは知らないが、それこそ猫が犬に宗旨替えしたかのような有様で愛にべったりと懐いてしまったのである。
 以来、リベンジマッチとの名目の練習後の2人だけの特訓というカモフラージュの逢い引き(注:周りの部員からの談)がずっと続いているという有様である。愛としても後輩に慕われる分には文句無く素直に嬉しかったが、時たま見せる澪の度を超した好意表現には周囲の目を気にしてヒヤヒヤものであった。

「さて、今日はどうする?」

 愛が髪をポニーテールに結び直し、自分のラケットを手にコートに出ると、まだ思ったよりも周囲は明るかった。これなら1セットくらいなら出来そうだ。

「もちろん、試合形式で。時間が許す限りに」
「自信満々だね。だけど折角コーチが早く帰るように言ってくれたんだし、1セットだけね」

 公式なテニスの試合ルールは以下の通りである。
 試合はポイント制であり、返球、あるいは2連続でのサーブの失敗で相手側に1ポイントが入り、4ポイント目で1ゲームを取得する。ゲームの取り合いを続け、6ゲーム先に取った方がセットの勝者となり、規定の数だけセットを取れば試合に勝つことが出来る。女子は3セット制で試合が行われるので、2セット取れば勝利となるわけだ。

 つまり先ほどの愛の提案は、今回は時間が無いため公式の試合ルールのまま2セット奪取では間に合わないから、1セット先取のサドンデスでやろうと言っているのだ。

「いいですよ。でも、それだとセンパイの方が不利なんじゃないですか?」
「言ったな~。そんなに自信があるなら何か賭ける?」
「ニヒヒ、じゃぁ負けた方がジュースを奢るってのでどうです?」

 澪の提案に肩をすくめる愛。どうやら澪は、今だに最初の対戦で長期戦に持ち込まれて負けたことを根に持っているようだ。

「文句は無しね? コートはこのままで良ければ始めるけど?」
「あ、待ってセンパイ!」

 澪がお~いと手を振ったのでそちらに目をやり、愛はドキリと心臓を跳ねさせた。テニスコートのフェンスそばに、白い人影が見えたからだ。だが、それは何の事も無い、ちょくちょくテニス部に顔を出しているコーチだった。澪はその男性をテニスコートの方まで腕を取って引っ張ってくる。

「コーチ、暇ならセンパイとの勝負を手伝って下さいよ~」
『暇とはひどいね』
「澪、コーチにそんな言い方は無いでしょう」
「ニャハ、すいませ~ん」

 その男性は陽光を反射しているように輪郭がぼやけ、顔付きもはっきりとしなかった。ただ、声は思ったよりも若く、もしかしたら愛達とそんなに歳も変わらないのではないかと思われた。だが、その事に気が付きながらも2人の脳裏でそれが不安や猜疑の種となる事は無い。2人はその男性、いや少年をすっかりコーチだと信じ込んでいた。

『……つまり、僕に審判をして欲しいんだね?』
「そうです、お願いできますか?」

 少年は少女達の注文に対して少しの間考えていたようだったが、うん、と頷くと条件付きの了承の意を伝えた。

『いいよ。ただし、僕が見る以上指導するべきところは口を出すからね』
「え、コーチの特訓って事ですか?」
『時間外労働なんだし、それくらいは聞いてよ』
「私達、これから試合するんですけど~」
『いいよ、別に。僕の考えた特別ルールでやってくれれば』

 コーチの考えた特訓メニューというのはこうだ。試合をしている最中、1ゲーム取られる度に選手は着ている衣類を1枚ずつ脱がなくてはならない。ウェア、スカート、アンダースコート、ブラジャー、パンティーの5枚が対象だ。6ゲーム先取で1セットだから、つまり全裸になったところで更にゲームを取られたら1セット奪われ、負けとなる。

「あの……服を脱ぐ意味は?」
『肌を晒すことで感覚が鋭敏になり、かつてない肉体の最高ポテンシャルを引き出せるんだ。野球拳っていう中国拳法知らない?』
「そんな特訓法が……」
『羞恥心を克服した時、君達は今まで持ち得なかった精神力を身につける。これは試合で土壇場の接戦になったとき、絶対に揺るがない自信に繋がる』
「なるほど」
『他に質問は無い? じゃあ、コートが決まっているなら始めようか……ああそうだ、もう1つ言い忘れていた』

 コーチの少年は自分のコートに散っていこうとした少女達を呼び止め、もう1つ注文を付けた。

『ゲームの開始前、前回負けて服を脱いだ選手は審判に現在の服装状況を申告する事。申告と服装が合っているか確認するから、何が見えているのかをしっかり報告してね』
「りょーかーいでーす!」

 澪は早くやろうと言いたげに腕をぐるぐる回して答えた。

 2人が所定の位置に着いたところで少年が合図を出し、愛と澪の1セットマッチがスタートする。2人の少女はどちらも全国で通用するレベルの女子テニスプレイヤーであり、全ての能力が高い次元でまとまっている事は間違いない。しかし、あえて言うならそのプレイには対照的な特徴があった。

 澪のプレイは密度の濃い練習と走り込みに裏打ちされた抜群の運動量が特徴だ。バックハンドもフォアと遜色無く使いこなし、およそ他の選手には追いつけない様なボールにですら易々と安定して返す事ができる。ミスも少なく、リターンの位置も精密だ。苛烈かつ情熱的な火の点いた様なプレイが澪の持ち味なのだ。

 それに対し、愛のプレイはコートの深めにどっしりと構え、詰め将棋のように何手も先を読んだ攻防を行う事を得意とする。打ち合いの中に相手の隙をうかがい、ちょっとでもミスがあったら一挙に前に出て必殺のボレーでポイントを取る。チャンスを天性のカンで見定め、相手が自分のミスに気付く頃には打ち返したボールはその遙か後方だ。傍目に見れば捨て身のような突進と一瞬の隙を切って落とすサムライの刀の様な鋭利さこそ、3年の来栖に仕込まれた愛のスタイルである。

 炎と氷のような対照的なスタイルであった。そして、それ故にこの2人の練習にはお互い学ぶ事も多かった。2人の実力も夏合宿を経て、もはやテニス部内に相手になる選手がいないほどのレベルに達している。澪が最初から愛を特訓のパートナーとして選んだのは正解だったと言わざるを得ない。

(今はまだ、10回に1つか2つ拾えるかどうかだけど……)

 評判通りの必殺のボレーを決め、悔しがる澪を後目にサーブ位置に戻りながら、愛は思った。

(そのうち3回に1回になり、すぐに半分は拾われるようになる)

 今の自分の技が完璧なものとは思わないが、それでもそこらのプレイヤーには負けない自信がある。しかし、澪の成長速度はそういった一般のテニスプレイヤーのものを遙かに凌駕していた。
 熱狂的とも言えるあらゆるボールに食らいついてくる姿勢は、全ては澪の天性の下半身のバネから来る。経験や修練では身に付かないアスリートとしての武器を、幸運にも最初から持って生まれてきているのだ。

 以前、初めてボレーを拾われた際、澪の確かな成長を感じて来栖に同じ様な感想を述べた事がある。彼女は嬉しそうに笑った。

「才能の無い1流選手はいないけれど、才能だけの1流もいないのよ」

 そして、愛の肩をぽんと叩いて続けた。

「あの娘をしっかり見ててあげてね、愛センパイ?」

 最初のゲームは終始愛が優勢を守り、危なげなく勝った。「この方が涼しいですしー」と負け惜しみの様に言って澪はアンダースコートを脱いで足首から抜く。その際前かがみになって横縞の入った下着がちらりと見え、愛は顔を赤くして目を逸らした。

「はーい、スコート脱いでパンツが見えるようになりましたー。試合中、スカートめくれて見放題でーす」
『了解、確認したよ。じゃあ、続けて』

 申告の通り、次のゲームでは澪の豊富な運動量のせいで少女の縞パンはチラリチラリと頻繁に見え隠れしていた。体を屈めた姿勢から一気にボールのコースに飛び込み、腰を低くしてボールを打ち返す。この一連の動きの中でも動き出す瞬間、ボールを打つ直前、打った後のフォロースルーの計3回もスカートがくるりと翻って下着を見せつける。本人に視線誘導の意志は無いのだが、かえって愛の方が気にしてしまい、結果としてこのゲームを落としてしまった。

「にゅふふふふ。センパイ集中力が足りないんじゃないですかぁ?」
「言ってなさい。まだまだ、これで五分よ」

 脱衣する衣服として、愛も同じくアンダースコートを選んだ。澪のニヤニヤ目線が気になるが、ルールなので仕方がない。手早く足から抜き、ラケットを手に構えた。1枚お尻周りの布地が減ったおかげで、すうっと涼しい風を感じた。

「アンダースコートを脱ぎました! パンツが見えてますけど気にしません!」
『はい、確認オーケー』

 そこから、一進一退の攻防が続く。コーチの言った通り、衣服を脱ぐ事による羞恥心はあったが、それ以上に何か得体の知れない解放感が2人の感覚を鋭敏にしていた。筋肉の繊維の一本一本がバネのように弾ける感覚をおぼえたり、相手がコートのどこを狙っているのか眼球の動きがトレースできたり、あるいはテニスラケットが体の一部であるかのように、ガットにボールが食い込む様をつぶさに体感できたりもした。神経が剥き出しになってテニスコートと一体になった様に感じていた。

「うにゃぁあ、アウトかぁ……」
「残念でした」

 ぎりぎりのライン際にボールが落ちた時も、2人は審判の判断も必要なくイン・アウトを実感する事ができた。恐ろしく鋭敏になった自分達の感覚に引っ張られ、2人は試合に没入していく。

「しょうがないなー……うい、上着脱いだよ。上はブラ一枚、下はスコート無いからパンツ丸見え!」

 澪は2ゲーム目の負けでウェアを選んだ。そしてその後、負ける毎にパンツ、ブラジャーの順で脱いでいく。何故かスカートを最後に残したため、走り込むたびにひらりとスカートがめくれて無毛の割れ目や小さなお尻が愛の視界に飛び込んでくるようになっていた。

「二ヒヒ、センパイ気になります?」

 ゲームを取って戻りながら、ちらりとスカートの横をめくってみせる。あまり肉付きの良くない白いお尻とつるっとした股間部が同時に見えかけ、愛は「別に」と言いながらも頬が火照るのを感じた。

「……スカート、脱ぎました。これで上下とも下着姿になりました」

 愛は迷ったが、やはりパンティーは最後の砦であるので澪とは異なり、ウェア、スカートの順で脱いだ。いざ下着姿でコートに立ってみると、あれだけひらひら捲れる布一枚が無くなっただけで、随分と自分の姿が頼りなく感じられた。かいた汗が染み込んで下着が少し透けている様な気がするし、かといってコーチが見ているのにブラジャーを先に外す勇気はまだ無かった。

(水着……これはちょっと薄い水着……)

 水着も下着も覆っている面積は対して変わらない。だが、多くの者が同じ様な格好をする状況で着るものと、普段は服の下に隠しておくものとでは見られるときの恥ずかしさが雲泥の差だ。
 余計な雑念が入ったせいで次のゲーム、愛のプレイはガタガタになってしまう。立て続けにミスをして澪にゲームを取られてしまった。

「さあ、センパイ。もう逃げられませんよ」
「むぅ……」

 何か澪の目つきが怪しいが仕方がない。愛はため息をついて覚悟を決め、ブラジャーを外した。お椀型の形の良い乳房がこぼれ出る。

「……ブラも外しました。パンツ一丁でおっぱい丸見えのあり得ない格好です」
『隠しちゃダメだよ?』
「……どうぞ、確認お願いします」
『OK』

 しかし、愛の悪夢はまだ続く。続いてのゲーム、疲れを見せない澪は立て続けに愛のボレーを返し、これも取ってしまった。
 追い込まれた愛は遂にパンティーに手をかけ、ゆっくりと下ろして足から抜く。先ほどコーチから注意を受けたため、ラケットを持ったまま手を後ろに回して休めの姿勢をとった。

「……パンツ、脱ぎました。これで、何も身につけてません。お尻も股間も丸見えです」
『脚をもう少し開いてくれる?』
「……こうですか?」
『いいよ。はい、確認終わり』

 流石にコーチの方をまっすぐ見ることは出来ず、顔を逸らしてしまった。風が吹くと股間の茂みがさわさわと揺らぐのを感じ、それに一層自分が何も身に付けていない完全無防備な姿であることを再認識させられる。澪も面白がって見てるのかな、とちらりと目線をやると、なぜか少女は鼻を押さえて上を向き、首の後ろのあたりをトントン叩いていた。

「……澪?」
「ひゃい! にゃ、にゃんでもないでふゅ……」

 何でもないと言いつつ澪は「ちょっとたんみゃぁ!」とタイムを取って自分のバッグに駆け寄り、ごそごそと後ろを向いて1分間ほど何かをしていた。

「……お待たせしました、センパイ!」
「大丈夫なの?」
「はい、もう止まったんでオッケーです!」
「……止まった?」

 何が、と聞く前に澪は反対のコートに走っていってしまう。愛は一人で首を捻った。

 さっきまでは全裸でコートに立っているという倒錯的状況に頭がくらくらしていたが、澪のタイムのお陰で少しだけ落ち着くことができた。
 ゆっくりと3回深呼吸して、意識を集中する。再び、コートと自分の神経が繋がったような高揚感が戻ってきた。伸び上がってボールを上げ、サーブを打つ。自分の胸がその動きで激しく揺れたが、今はそれを気にしている時ではない。愛は数瞬後の澪の動きを予測するべく、その一挙手一投足に集中した。それこそ、澪の小さな歯から漏れる呼気すら見通すくらいに。

 そのゲームは、誰か他に見物者がいたら歴史に残る名勝負となるかもしれない、激しい攻防となった。お互いの肉体のフルポテンシャルを出し切り、気力でもってその更に上を行くような戦いであった。あわやと言うところで勝負をひっくり返し、デュースが連続する大一番となった。

「でぃぇいっ!!」
「あっ!?」

 勝負の決着は、愛の必殺のボレーを、そのお株を奪うかのような突進で澪が打ち返してついた。剣術における燕返しのような見事な切り返しであった。愛は一歩も動けず、打った澪自身もぽかんと動きを止めて自分がやった事に実感が持てずにいる。だがやがて、息をついて愛が「やられちゃった」と肩をすくめると、見る見る破顔した。

「やったーっ! 勝ったーっ! センパイに勝っちゃったーっ!」

 万歳の姿勢でぴょんこぴょんこと飛び跳ねる澪に、もう一度愛は肩をすくめた。

 正直、最後のボレーはタイミング的に返されるはずが無かった。それを返したという事は、つまり澪が愛と読み合いにおいても勝ったということだ。
 たった1セットの試合だったとは言え、澪がさっきまでの少女よりも遙かにレベルアップした事は間違いない。3年の来栖ともはや同等のレベルに達したのかもしれない。それは澪の練習相手をずっと続けて来た愛にとって大きな喜びと、そして同じくらいの寂しさを含んでいた。

 澪の方はそんな愛の思いも知らず、「ジュースっ! ジューぅスっ!」と無邪気に飛び跳ねている。小さな胸がぷるぷると揺れ、お尻と股間が丸見えなはしゃぎ様に愛は改めて自分達の格好を思い出した。慌てて手を当てて胸と股間を隠す。

「澪! もういいから服を着よう!」
「え? あ、そうだった……」

 今更自分がどんな格好だったかを思い出したのか、澪の顔がちょっと赤くなる。しかし、手で自分の体を隠している愛の姿を見て、その顔が「にひっ」と緩んだ。

「ねーねーコーチ? しゅーちしんに耐えるのも特訓なんだよね?」
『そうだよ?』
「にゅふふ。じゃあね、こんなのは?」

 まるで獲物をいたぶる猫のような澪の表情に、愛はぞくりと体を震わせたのだった。

「ほらほらセンパイ、早くしないと下校時間過ぎちゃうよ~」
「う、うん……」

 澪の言葉に頷きながら、しかし愛は出来るだけ小股でちょこちょこと、スカートの裾を気にしながら慎重に歩いていた。

 2人は今、テニスコートを出て約束のジュースを買いに学園内を歩いていた。テニスコートから一番近い自動販売機の設置場所は運動部棟の北側で、歩いて3分で着く。しかし、愛ののろのろとした足取りのお陰でその倍はかかってしまっていた。

「おっし、とーちゃーく! 私、ファンタオレンジがいいです!」
「わ、わかった……」
「センパイは何飲むんです?」
「ええと……カルピスウォーターかな……」

 愛はライトグリーン色の小銭入れを取り出した。自動販売機は運動部棟の北扉の横に2つ並んでいて、そこまでは10段くらいの上り階段になっている。後ろを振り返り、誰もいない事を確認して愛は素早く自動販売機まで上った。そしてファンタオレンジを買って身を屈めて取り出そうとしたところで、階段の下でしゃがみ込んでこちらを見上げている澪と目が合った。

「きゃっ!」
「にひひひひ。見ちゃった、センパイのお・し・り!」

 愛はびょんとバネのように立ち上がってスカートを押さえ、真っ赤になった。

 コーチと結託した澪は、「ジュースを買う時パンツを履かない事」という注文を出した。愛は当然のように抗議したが、コーチから『特訓の追加メニューね』と言われては従うほか無い。そのような訳で、愛は先ほどからそれこそ微風が吹いたりちょこっと早足で歩いたりするだけでそのスカートの下が見えてしまうテニスウェア姿で、精一杯裾をガードしながら歩いていたのだった。

 ファンタオレンジを取り出し口に置いたまま突っ立っている愛に、ぴょんぴょんと軽やかに階段を上って澪が近づいてくる。

「センパイ、お尻ばっか押さえてると、前、見えちゃいますよ?」

 愛の手が片方ばっと動いてスカートの前を押さえる。そして「うぅ~」と赤い顔で眉を寄せて澪を上目遣いで睨んだ。しかしその抗議の視線に大した効果は無く、逆に澪の顔は「ほんわぁ」という効果音で幸せそうに綻びる。

「ニヒヒ、だいじょーぶですよ、センパイ。ここには私達しかいません」
「だって、澪が見てるじゃない」
「それなら、センパイも見ます?」

 ニヒ、と笑うと澪はスカートの裾の両端を摘んで、ほれほれと持ち上げて見せた。澪もまたその下には何も身に付けておらず、無毛の割れ目とその上の白い下腹部が完全に露わになった。慌てて愛は手を振ってそれを止めさせる。

「止めて! 誰か見てるかもしれないのに……」
「だいじょーぶだいじょーぶ。見てたってまさか私達がこんなスカートでノーパンだなんて誰も信じないと思いますよ」
「ああ、もう……」

 愛は自動販売機から先ほどから放っておかれたジュースを取り出して澪に押しつけると、自分の分も買って側のベンチまで腕を取って強引に連れていった。

「おとなしくそれ飲んで、そしたら着替えに行くからね」
「はーい」

 澪は空々しく返事をし、愛の隣にぴったりくっつくように座った。

 しばらく、澪の一方的なお喋りが続く。愛は澪の話題に一言二言相槌を打つが、自分から話題を振ったりはしない。やがて、心配そうに澪が顔を覗き込んだ。

「センパイ、どうしたんですか? ちょっと元気無いですよ?」
「うん? そんな事ないけど……」
「もしかして、私に負けてショックだったとか?」
「まさか。初めて澪に負けた訳じゃないし」
「うーん……」

 澪は首を捻って少し考え、そして視線を外して空を見上げた。

「私は、今日勝ててすっごく嬉しかったです」
「そう?」
「いつもと違って、たまたま偶然勝ったって感じじゃなくて……えっと、センパイと同じところに立てたって感じだった」
「……」

 それは違う、と愛は言いたかった。澪はすでに自分よりも上に行った、もう自分では練習相手は務まらないと口に出しそうになった。だが、その想いはどうしても言葉にならず、違う形を取って愛の唇からこぼれ出る。

「それなら、次は来栖先輩に挑戦するの?」
「……え?」
「澪の目標だったんでしょ? 約束だったじゃない。『私に勝てたら来栖先輩のパートナーになる事を認める』って」
「……あ」

 それは、4月に行われた愛と澪の初対戦の約束だった。あの時は売り言葉に買い言葉でうやむやの内に来栖のダブルスパートナーの座を賭けた対戦みたいになったが、今なら澪にその座を明け渡しても皆納得すると思えた。
 いや、むしろタイプの似ている愛よりも対照的なタイプの澪の方が、作戦に幅が出来る分来栖の相手に適しているかもしれない。そう思い、その事を告げようと澪の方に顔を向けて、驚いた。

「やだぁ……」
「えっ!?」
「なんでそんなこと言うんですか……」

 澪は今にも泣き出しそうに眉を寄せて愛を見つめていたのだ。

「せっかく私、がんばったのに……センパイと同じところに行けるようになったのに……どうして……」
「え……あれ?」
「センパイ……私じゃダメなんですか? こんなにがんばっても、センパイのパートナーに、してくれないんですか……?」
「澪……」

 愛は自分が思い違いをしていた事に、今更ながら気が付いた。何というにぶちんだろう! 今まで澪が勝負を挑んでくるのは、愛から来栖のパートナーの座を奪う目的だとすっかり思い込んでいたのだから。

――あの娘をしっかり見ててあげてね、愛センパイ――

 今更ながら、来栖の言葉が脳裏に蘇る。きっと彼女は、澪の気持ちにずっと前から気が付いていて、愛にそれを託していたのだ。

 ふぅ、と愛は息をつき微笑みを浮かべた。そしてよしよしと澪の頭を撫でてやる。

「センパイ……?」
「……そんな事あるわけないじゃない。澪の実力なら、来栖先輩とだってダブルスを組めるよ」
「でも、私はセンパイとっ……!」
「わかってる」

 愛は澪の唇に人差し指を置いて言葉を止めると、もう片方の手を澪の手の上に重ねた。

「少し遅くなったけど、私もそろそろ来年のインターハイに向けてダブルスのパートナーを探さないといけないよね。もちろん、出場する以上は優勝を狙うよ」
「……」
「これまで以上に練習はキツくなるけど……一緒にやってくれるよね?……澪」

 愛の言葉に、澪の顔がぱっと明るくなった。そして、スカートがめくれるのも気にせず全身で愛の腕に抱きつき、大きな声で叫んだ。

「センパイ! ……だいすきっ!」

< 続く >

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