BLACK DESIRE #14-2

3.

 星漣怪奇倶楽部はまだ歴史の浅い同好会である。その発足は今年度の4月で、1年生3人が自己紹介の時に意気投合し、勝手にクラブを名乗り始めたのが最初であった。構成メンバーはその時から変わっておらず、1年柊組の竹内笹菜(たけうちささな)、丸山萌葉(まるやまもえば)、宇佐苳子(うさふきこ)の3名のままだ。
 活動内容は名前でわかる通り、様々な怪奇現象の情報を集めたり、その場所を実際に探検したりしてその真偽や謂れなどを調査する、いわばオカルト研究会であった。夏休み前は星漣七不思議の調査等でそこそこ世間をお騒がせしたのだが、残念な事に達巳裁判などというセンセーショナルな事件が起きたせいでその名が生徒達の間に浸透することもなかった。
 このままではいかん、と竹内笹菜は焦った。各種現場写真やラップ現象の録音データ、ツテを頼ってのそれらの鑑定結果など、星漣祭に発表するだけのネタは十分に揃っていたが、肝心の発表の場が確保できるかどうかが確約できていなかった。そのためにも、もう一つ何かパンチの効いたネタを探していたのだ。活動内容はともかく、生徒会も話題性のあるクラブの参加を拒むことはあるまい。

 彼女は情報収集の一環として某巨大掲示板のオカルト関連のスレッドをチェックしていたが、そこに昨日「トイレのイチタロウさん」なる最新のオカルト情報が投稿された。
 6月ぐらいに女子校のSが話題になった時、内部の様子を知っている笹菜にはそれが星漣女学園であるとすぐに気が付いた。思った通り、それはスレの中でも即座に特定されていたが、どうやら自分以外にも学園関係者が覗いている事は間違いないようだ。この情報を怪奇倶楽部以外の人間に取られてはならぬと、笹菜は早速行動に移ることにした。イチタロウさんの情報を集め、放課後に校舎に潜入する計画を立てたのだ。

 イチタロウさんはまだ流れ始めたばっかりの噂で、出所の特定も出来なかった。実際に見たという生徒も見つからない。出足でいきなり信憑性が薄れたが、とにかく現場検証をしなくてはならない。噂が本当だったなら、怪奇倶楽部の名を知らしめる絶好のチャンスなのだから。
 かのような訳で、笹菜は他の2人のメンバーに話を通し、夕暮れ時のマリア坂の下で落ち合ったのだった。3人とも家が遠いため、白い星漣の夏服のままである。

「正門から入らないの?」と、不安そうに笹菜に聞いたのは宇佐苳子だ。苳子はボブカットのちょっとタレ目のおとなしそうな少女であり、この3人の中では一番霊感が強い。彼女の親戚にテレビにも出ている心霊現象評論家がいるので、中学生の頃から奇妙な写真が撮れる度に彼女経由で見てもらっていた。

「正面から入ったら、守衛さんが受付に連絡して事務のおねーさんが確認する事になってるのよ」

 訳知り顔で説明するロングヘアのちょっと背の高い少女が丸山萌葉だ。勝ち気そうに放物線を描く眉の、整った顔立ちをしている。怖い物など有りませんといった余裕の表情をしているが、実はこの中で一番の恐がりなのは3人だけの秘密である。実際、萌葉が持ってきた懐中電灯は3人の中で一番大きかった。

「私、新聞部の先輩に内緒で入る時の道を聞いてきたんだ。こっちだよ、ふーちん、マルもん」

 そう言って、猫の様なくりっとした目を輝かして歩き始めたのがこの倶楽部のリーダー的な存在である竹内笹菜である。歩調に合わせて少女のポニーテールが元気にぴょこぴょこ跳ねる。まだ太陽は西に見える山並みに手をかけた頃合いで、暗くなるにはもう少しかかるだろう。笹菜は手に持ったライトは点けずに道を外れ、木立の中に分け入っていく。「待ちなさいよ、笹菜!」と萌葉がそれを追い、続いて苳子が後ろを気にしながら木々の作る影の中に入った。

 星漣学園の煉瓦塀と平行に木立を進んでいくと、途中から針金を編んだ緑色のフェンスが現れる。この辺りは学園の建物が塀のすぐ側に建っているため、近付かれないようにするための用心であろう。

「まだぁ?」
「もう少しかな」
「うぇ、なんか腕に付いた……」

 がさがさと下草を踏み越え、柔らかな土に足を取られつつ笹菜を先頭に進む。萌葉はぶつぶつ文句を言いながら足を進め、最後尾の苳子は道順を覚えようとする様に周囲の景色を目に留めながら続いた。

「あ、ここだ!」

 笹菜が声を上げて金網に近づいた。フェンスの向こうの塀には3段くらいの煉瓦の階段の上に、古びた木の扉が見える。その扉は立板が一枚外れかけていて、斜めに空いた隙間から内部の光景が見えていた。

「あそこ?」

 萌葉の問いかけに笹菜は「うん」と頷く。「じゃあ、登るか」と萌葉はフェンスを見上げた。

 フェンスを乗り越えるのはそれほど難しいことではなかった。もともと怪奇倶楽部は調査の名目でこっそりと立ち入り禁止区域に出入りしてきた実績がある。この程度の高さの障害なら何度も乗り越えてきたのだ。
 危なげなくフェンスの内側に3人は降り立ち、続いて木戸の隙間に体を潜り込ませる。大人なら絶対につっかえてしまいそうなほんの小さなスペースだが、柔軟な少女達にそれを通過するのはたやすい事だった。

「これ……文化部棟の裏側くらいかな?」

 苳子が学園の案内図を思い出しながら呟く。笹菜は周囲の様子を見渡しながら頷いた。

「うん。そのへんだと思う」
「じゃあ、そのまま食堂側から校舎の裏に回った方が良さそうね。まだ受付が残ってるかもしれないし」

 萌葉の提案に残りの2人は同意し、目的地目指して歩みを再開したのだった。

 笹菜達怪奇倶楽部がフェンスを乗り越えた頃、学園の裏門付近にもこれから内部に不法侵入しようとする者達がいた。路地を抜けて裏門の前で停止した黒塗りの車の後部座席のドアが開き、そこからぴょんと黒猫がアスファルトに降り立つ。

「この先で待っていて。1時間くらいかかると思う」

 運転手に告げ、猫に続いて一人の少女が道路に降り立った。夕暮れが運んできた風に切りそろえられた黒髪とスカートがふわりとなびく。黒い車は扉を閉めるとゆっくりとスタートして、次の曲がり角の向こうに見えなくなった。

「鍵がかかってるぜ」

 突然、黒猫が口を開く。それに対し、少女はポケットから鍵束を取り出して呟いた。

「関係ないわ」

 1人と1匹は言うまでもなく七魅とメッシュである。七魅は鉄の門を内側から閉ざす南京錠に手を伸ばすと、鍵束の中の一つをそれに差し込む。カチン、と金属音がして錠が外れる。七魅は両手で門を押し開けた。

「おーい、俺を抱き上げて運んでくれ!」
「?」

 七魅が扉の内に体を滑り込ませると、メッシュは敷地の境界の前で尻尾を振った。アスファルトの路面を爪でカリカリと引っかいて苛立ちを表現する。

「入ってこないんですか?」
「言っただろ。俺達は他の奴らのテリトリーには勝手に入れないんだ。『内側から招かれる』か、『最初から中に居る奴に連れていかれる』かしない限りな。いいから早くしろよ!」

 黒猫の言い方にむっとした七魅は、つかつかと門に近づくとその首根っこを掴んだ。

「こら、もっと丁重にしろってんだ!」
「……猫のフリをするんじゃなかったんですか?」
「扱いをドラ猫レベルにしろとは言ってねぇ!」

 ほとんど放り投げるようにメッシュを門の内に放し、七魅は扉を閉めると元通りに鍵をかけた。振り向くと、黒猫は毛を逆立ててふーっと唸り声を上げている。

「嬢ちゃん、俺が猫の格好をしてるからってちょっと舐め過ぎじゃないか?」
「難儀な事ですね。嫌なら人の姿に化けてみればよろしいのでは?」
「姿かたちの問題じゃねぇんだよ!」

 「ちっ」と舌打ちしたような音を出し、メッシュはすたすたと歩き始めた七魅に並んで歩き出す。しかし文句の言葉は止まらない。どうやら興奮すると余計に舌が回るタイプのようだ。

「いいか、お前達人間は全く自覚が無いんだ。自分達がこの遠大で膨大な宇宙の中に砂粒みたいに浮いてるこの星の、林檎の皮よりも薄っぺらな空気の層に、ノミみたいにしがみ付いてるちっぽけな命だって事にな。そして同じくらい莫大な可能性の海からてっぺんだけ覗いている氷山の一角みたいな危うい存在だって事にもな」
「何の話です?」
「お前等が大きな顔で地上を自分達の物でございとノシ歩けるのも、俺たちのような可能性の外の存在が居るからだって事だ!」

 メッシュは七魅の前方をぐるぐると歩き回りながら言葉を続ける。

「人間は良く未来には無限の可能性があるとかほざくが、俺に言わせりゃそれは逆なんだ。無限の可能性を殺し続けて、1つに絞り込んだからこそ今のお前達人間がいる。その殺された可能性はどうなるか知ってるか? 形を成さなかった不可能の世界はおとなしく消えてなくなるってぇか? ……俺達になるんだよ。悪魔ってのは、お前達人間の、形にできなかった欲望、願望、夢、希望が可能性の海面の下で淀んで固まった者達だ。現実に拒絶された非存在の魂なんだよ。だからこそ、悪魔は秩序に弱い。常識だとか、決まりだとか、誰かが定めた領域なんかの中では、そのルールに弾かれた悪魔は存在すら許されない。それ故に人間以上に悪魔は契約に拘る。厳密な約束事で保証された契約は、人間からの悪魔の存在証明になるからな」

 長い講釈を終え、メッシュはぷうっと息を吐いた。説明している内に気分が落ち着いてきたのか、脚を止めると前足で顔を洗う仕草をした。七魅はそんなメッシュをじっと見つめる。

「……そんな悪魔であるあなたが、何で私に手助けをするんですか?」
「それくらい、小僧の本の力は魅力的だって事だ。人間にゃ『生きていない頃』の記憶なんて持ちようが無いだろうが、俺たちにとっちゃこうして自分の脚で地面に立って、風の温度の変化を感じられるのは、そりゃ有り難いもんさ。それがこんな猫の体だったとしてもな」

 そう言ってメッシュは長い髭を震わせる。笑ったのか、それとも嘆息したのか、猫の表情の区別の付かない七魅にはどちらとも判断できなかった。

 しばらく、1人と1匹は黙って足を運んだ。文化部棟を通り過ぎ、銀杏通りを進む。出し抜けにメッシュが口を開いたのは、そろそろ校舎の端に着きそうな頃だった。

「――そういや、お前さん。処女か?」

 七魅の無言のフットスタンプをひらりと避す黒猫。

「あらま、気に障ったか? 悪いな、そうだったら良い事を教えてやろうと思ったんだが」
「悪魔の言葉には耳を貸したくありません」
「小僧にも関係があるんだけどな」

 くるりと後ろを向きかけた七魅の足が止まる。ややあって、しぶしぶといった感じでもう一度振り向いた。

「何なんですか?」

 メッシュは「ふん」と得意そうに鼻を鳴らした。

「哺乳類の雌には腹ん中に子宮っていう『宮』の字の入った臓器を持っているだろ? 『宮』とは『御屋』で、そこに神聖な存在が滞在するって意味だ。新しい魂が宿る場所だ。女ってのはな、生まれつき腹ん中に結界を持ってるんだよ」

 七魅は無意識の内に自分の下腹部をスカートの上から押さえた。自分の体内に、結界が? 考えたこともなかった……。黒猫の講釈はまだ続く。

「でもって、まだ男を知らないような生娘の子宮から前庭の産道までは、一種の神聖な領域だ。普通の人間なら問題無いだろうが、悪魔や悪魔憑きの人間がそこに無断で侵入しよう物なら大変だ。さっきの話の通り、悪魔の力は一方的に消滅する。悪魔から与えられた力や、能力も全部綺麗さっぱり消えちまうんだ」

 七魅はメッシュの言葉を驚きながら聞いていた。昨今、星漣のようなお嬢様学校でない限り若い女性の処女性が男女の付き合いに問題になる事は少なくなってきている。だけど、まさか、本当に処女であることに神性が存在していたとは。
 そこで、ふと七魅はメッシュの言葉に疑問を感じた。

「……それで、その話がどうして達巳君と関係するんですか?」
「あれ? 関係ないことは無いだろう?」

 メッシュは、今度は七魅にもはっきりとわかるように口を歪めて笑った。

「お前さん、あの小僧を受け入れようとするなら注意するんだぞ。小僧が契約を完了する前だと、まぐわった瞬間にあいつの心臓は動きを止めちまうだろうからな。ま、どうしても小僧の息の根を自分の手で止めたいって言うなら止めんがね」
「……っ!」

 七魅は取りあえず何か投げつけようとして適当な物がなかったため、黒猫に向かって足下の石を思いっきり蹴飛ばした。しかし猫はそれもひらりと軽く回避する。校舎の壁に当たった小石は静まり返った周囲に意外に大きな音を響かせた。

「危ねぇなぁ。それにあんまり騒ぐと誰かに気付かれちまうぜ」
「誰のっ……!」

 言葉の途中で七魅は口を閉ざす。視界の端に2、3人の白い制服が見えたのだ。メッシュもそちらに顔を向け、耳をぴくぴくさせている。

「……ひのふの……3人か。こそこそしてるところを見ると、嬢ちゃんの言っていた奴らの可能性が高いな」

 数人の生徒達は食堂側から校舎に入る様だ。こちらからなら受付の前を通らないので、残っている事務員にも見つかり難いだろう。

「どうする? 先回りか?」
「いえ……職員用の手洗いは狭いから、隠れる場所が有りません。場所はわかっています。外から様子をうかがった方が良いでしょう」
「なるほどな」

 七魅は身を低くし、校舎に貼り付くようにしながら急ぎ足で進む。メッシュもこの時ばかりは黙ってその後に続いた。

 校舎の壁を端から端まで移動し、ある窓の下で七魅は立ち止まった。黒猫は少し壁から離れて上を見上げ、不満そうに尻尾を振る。

「曇りガラスじゃないか。見えないぞ」
「わかっています」

 七魅はポケットからカードタイプのラジオの様な物を取り出した。お付きの万能メイドから借りてきたものだ。一方の角からはイヤホンが一つぶら下がっていて、反対には吸盤の付いたケーブルが付いている。両端を持ってひっぱると、カチカチという音と共に巻きとられていたケーブルが長く延びた。

「それは?」
「中の音を聞くんです」

 吸盤を窓ガラスの隅に張り付け、イヤホンを右耳に入れる。さーっというノイズが聞こえたが、本体表面のボタンで調節すると静かになった。中から見えないように壁に背を付け、窓の下にしゃがみ込む。

「おい、俺にも聞かせろ」
「申し訳ありませんが、一人用です」
「構わん、俺の耳は特別製だ」

 本人に断りもなく、メッシュは七魅の肩によじ登るとその右耳に自分の耳を押し当てた。長い髭が七魅の鼻をくすぐり、柔らかい毛が頬の辺りに触れる。そこから小さな動物らしい高い体温が感じられた。

(やっぱり猫じゃない)

 心の中で一人呟くと、黒猫は「揺らすなよ!」と小声で注意する。ちょうどその時、扉の開く音と同時に数名の足音がイヤホンから聞こえてきた――。

「ここ?」

 萌葉が小声で扉を指さしたので、笹菜は黙ったまま大きく頷く。ここまでは順調に誰にも見つからずに来られた。
 3人は校舎に忍び込むといったんは下駄箱に寄ったが、物音を立てないため上履きは手に持って靴下のまま抜き足差し足で保健室前までたどり着いた。正面には職員用の小さなトイレが有り、そこが今回の噂の現場となっている。
 辺りはしんと静まり返り、3人の衣擦れや息遣い以外の音は聞こえない。リノリウムの床は窓から差し込む日没後の紫の空の色を反射し、校内の色彩を赤黒く変貌させていた。
 扉の前に立った萌葉がそこの白い押し板に手を掛け、一瞬ためらう。「電気、点ける?」と横の壁にあるスイッチを見た。白い長方形の板面に縦に並んだスイッチは、一番下の空調のものだけがONになっていた。

「だめだよ。外から気が付かれちゃう」

 苳子が首を振り、そして「中に入ったらペンライトを使おう」とポケットから細い棒状の物を出した。萌葉はまだ少し迷っていたが、結局は当てた手に力を入れて扉を押し開く。きぃっと、小さいけれど良く響く悲鳴を扉が上げた。
 開いた扉の向こうは小さな簀の子が敷かれていて、そのすぐ向こうにサンダルが2組、そしてタイル張りの床と2つの個室、後は奥側の窓にはめ込まれたすりガラスに赤い夕日の残滓が映っていた。

 トイレの中に踏み込んだ3人は簀の子の上で上履きを履き、タイルの上に踏み出して笹菜を真ん中に頭を寄せる。少女はポケットから手帳を出し、苳子にペンライトで照らしてもらいながらページをめくった。

「えっと、イチタロウさんを呼び出すには……まず一番奥の個室のドアの前に立つ、と」
「って言っても、2つしかないわね」
「じゃ、そっちでいいんじゃない?」

 萌葉が懐中電灯を点けて確かめてみると、どちらの扉も青く「開」の表示になっていた。開いて中を確かめてみようかとも思ったが、万が一そこに「何か居てしまったら」と考えてしまい、結局扉はそのままに中の確認はしなかった。

「……で、立ったら時計回りに3回まわる」
「くるくると?」
「そう」
「どっち向きから始めるの?」
「さあ……扉に向いたままでいいんじゃないかな」
「適当ねぇ。で、その後はどうするの?」

 笹菜は手帳のページをめくった。左側のページに光が当たるよう、苳子がライトを持ち変える。

「そうしたら、イチタロウさんを呼び出す呪文を3回唱えるの。『キックトントン、キックトン。キックキックトントン、キックトン』」
「きっくとんって何?」
「確か、子供の遊びのケンケンパーの事ですね」

 萌葉の疑問に苳子が答える。しかし、路上での子供の遊戯など全く知らない萌葉は首を捻るばかりであった。

「ふぅん……それで子供が遊んでいると思って出てくるわけなの?」
「そうらしいよ。最後に、トイレの扉を3回ノックして、返事があったらイチタロウさんが来てるって事なんだって」
「なんか、色々混ざってない、それ?」
「どうなんだろ……」

 笹菜も自信無さそうに首を捻った。誰からも目撃証言が無いにしては、確かに呼び出し方が具体的過ぎると彼女も感じていたのだ。しかし、もしデマだったとしてもそれを確認するのも怪奇倶楽部の使命だ。笹菜はバッグからごそごそとICレコーダーを取り出した。

「とにかく、やってみようよ。出るにしても、出ないにしても、それから考えよう」
「あ、待って下さい」

 笹菜がレコーダーのスイッチを入れようとしたところ、苳子がそれを制した。

「もし、イチタロウさんが出てきてくれた時は、どうするんですか?」
「え?」
「送り返す方法とか、有るんですか?」

 苳子の言葉に、「ああ」と笹菜は頷いた。確かに、もしもイチタロウさんが悪い霊だった時はそれを払う方法だって知っていた方が良い。

「そっちの方は簡単だよ。『イチタロウさん、おかえりなさい』って言うだけ」
「帰るって、どこに?」
「冥土とかじゃないかな」

 3人はもう一度手順を確認し、そして奥のトイレの前に並んで立った。そして、笹菜の「せーの」の合図で時計回りに回り始める。

「1回」

 ライトは回っている最中に外に光が漏れそうなので、全員消してある。人工の光に目が慣れてしまったのか、職員用トイレの中はさきほどよりずっと薄暗く、隅の方には闇が凝り固まっている様であった。

「2回」

 3人の制服はこの薄闇の中、仄かに白く光っているかのようであった。回転に合わせてスカートの裾が広がり、上履きの底がタイルに擦れる音の中に僅かな衣擦れの音が混じる。

「……3回」

 3人の視界に、奥側の個室の扉が収まった。お互いに目配せし合い、そして笹菜が息を吸うのに合わせて同時に口を開く。

『キックトントン、キックトン。
 キックキック、トン、トン。
 キックトン。

 キックトントン、キックトン。
 キックキック、トン、トン。
 キックトン。

 キックトントン、キックトン。
 キックキック、トン、トン。
 キック、トン』

 呪文が終わると、肌に刺さる様な静寂が訪れた。ピンと尖った緊張の中、視界の中に白く浮かび上がるトイレの扉が、じりじりと存在感を増しながら近づいてくる。
 いったい、誰のものだろう。どこからともなく白い手が伸びて、扉を3回ノックした。コンコン、コン。

「……誰か、いますか?」

 窓の外の七魅も、音声のみしか聞こえないが緊張しながらそのノックの音を聞いていた。1秒、2秒……。ほんの僅かな音も聞き漏らさないように全神経を集中させる。10秒……20秒……。
 沈黙が30秒も過ぎ、何も起こらないじゃないかと七魅が思い始めた時、隣の黒猫がぶるっと身体と髭を震わせた。

「……出てくるぞ」

 その瞬間、七魅はどこか頭の奥の方で、認識の覗き窓に填められたガラスががしゃんと砕ける音を聞いたのだった。

4.

 いきなり周囲が明るくなった、気がした。トイレの中の様子を見渡してみても、何かが変わったという感じはしない。では、もしかして最初から照明は点いていたのだろうか?
 正面の扉に視線を戻す。当然の事ながらそれはずっと変わらず沈黙を守ったままだ。笹菜はほっと息をついた。

「返事……無いね」

 「うん」と苳子が頷き、萌葉はふーっと詰めていた息を吐き出した。

「やっぱりデマだったんじゃない?」
「……そうなのかなぁ」
「きっとそうよ」

 長い髪をかきあげる萌葉。その顔には先ほどまでの不安げな表情はなりを潜め、再び勝ち気そうな顔付きが戻ってきていた。

『手順が足りないんじゃないかな?』

 不意に、声をかけられた。だが3人はそれに別段驚かなかった。そこにずっともう一人が存在している事は何となく気が付いていたからだ。最初からこの場には4人居て、最後の1人がずっと黙っていただけの事。だから、自然に笹菜はその声に答えていた。

「手順って?」
『イチタロウさんは男の子だよ?』
「うん」

 その声の持ち主の姿は見えなかった。だが、3人は自分達を見つめる多数の視線を感じていた。顔や、首や、うなじ、胸元、腕、指先、背中、靴の先、膝の裏、お尻、スカートの裏……。それらの視線が自分の身体を走査する時、少女達は皮膚の上を筆で触られたようなこそばゆさを感じたが、それを不快とは思わなかった。

『だから、男の子の喜びそうな遊びで誘わないとダメなんじゃない?』

 その声は少年の声のようであり、男性のもののようでもあり、小学生くらいの男の子のもののようでもあった。1人の声のつもりで聞くとそう聞こえ、違う持ち主から発せられた物として聞くとそうとも思えた。3人の前にも後ろにも横にも上にも下にも何人もの人物がいるのに、それは全部で結局1人の少年のようでもあった。
 無数の視線にサワサワと全身を抱かれながら、3人はくすぐったそうに顔を見合わせた。

「そう言えば、今時男の子がケンケンパーは無いよね」
「じゃあ、どうすればいいの?」
「男の子の喜びそうな事……」

 笹菜は「う~ん」と首を捻って考えた後、周囲の視線に対して問いかけた。

「ねえ、男の子って、女の子の事好きだよね?」
『一般的にはね』
「女の子の、裸とか……エッチな事、好き?」
『大好きなんじゃない?』
「どうしたらいいと思う?」

 周囲の気配は、幾分笑いを含んだ口調で答える。

『とりあえず、下着を見せて』
「下着?」
『うん、下着。スカートめくりとか、するでしょ?』

 確かに男の子達は、女の子が嫌がっているのに面白がってスカートをめくったりしていた様な気がする。笹菜は両手でスカートの途中を摘み、膝小僧が見える程度まで持ち上げた。

「男の子って、女の子の下着とか見て嬉しいの?」
『隠されると余計に見たくなる』
「嫌がってても?」
『どうして嫌がるの? 男の子が喜んでるんだから良いことだと思わない?』
「でも、恥ずかしいから……」
『自分に自信がないんだね。大丈夫、十分君たちは可愛くて魅力的だよ』

 見えない相手に褒められて笹菜達はぽっと顔を赤らめた。なんだかこの声の主を信じられる、いや、信じたい気分になってきた。3人は顔を見合わせる。

「じゃあ……」

 そして、笹菜達3人はスカートを持った手を胸の前辺りまで、ゆっくりと持ち上げた。少女達の太股から股下、下着の作るデルタ地帯、その上の窪んだお臍の辺りまでが順に白いスカートの下から露わになった。

「……見ていいよ」

 刷毛の先の様な多数の視線が少女達の脚を遡っていく。産毛の一本一本を撫でるように皮膚の上を滑り、股間の下の空間に辿り着くとその部分の丸みを確認するように何度もそこを往復する。下着のレースになっている境を辿って腰のサイドまで行っては生地の素材を確かめるように丹念に編目を撫でて股間の中央まで戻ってくる。それはまるで少女の白い肌からの光で下着の生地を透かして見ようとするかのようであった。

「あの、私のそんなにいいのじゃないから……」

 笹菜は恥ずかしそうにその視線に向かって弁解した。横目で見れば、萌葉の下着は薄いピンク色の上等そうなレースが入っている高そうなもので、まとめていくらのバーゲン品と大差ない自分の下着とは明らかにランクが違って見えた。

『ん? そんなの気にしないでいいよ。かわいい下着じゃない』
「ありがとう……」

 その言葉に嘘や慰めの気配が感じられなかったため、笹菜はほっとして感謝を述べた。

『お尻の方もめくってくれる?』
「うん」

 声の注文通りに、今度は膝の後ろの辺りを持ってスカートの後ろ側を腰の上までたくし上げた。すぐさまお尻の2つの丸みに沿って視線がその表面を撫で始める。少女達は自然に見えやすいように上体を傾けて、お尻を後ろに突き出すような格好をした。

『柔らかそうで、かわいいお尻だね』
「う、うん。ありがと」

 苳子が褒められて顔を赤くした。不満そうに萌葉が「私は?」とぐっと腰を入れたポーズを取る。

『スタイルいいね。ラインがいい。かっこいいよ』
「どういたしまして」

 萌葉は満足そうに頷いた。

 しばらくそうしてお尻を見せていると、視線は背骨のラインを辿り、下着の上端の隙間からお尻の上の割れ目に潜り込んでは影の部分に押し返される事を繰り返すようになった。笹菜がその動きに、もっと下まで見たいのかな、と思っていると、案の定周囲の気配から要望が来た。

『お尻、直に見たいな』
「うん、いいよ。……パンツ下ろすね」

 他の2人も承知していた様だった。3人は下着のサイドを持って股下までそれをずり下ろし、そしてもう一度後ろのスカートをたくし上げた。

「はい、どーぞ」

 笹菜がそう言うと、視線はお尻の谷間の間に潜り込んでいった。クレバスの壁に挟まれながら再深部まで丹念に探索し、そして一番奥まったところにある窪みを見つけるとその周囲をくるくると周回する。少女達は目配せし合うと、片手はスカートに置いたまま、もう片方の手をお尻に持ってきてぐっと横に開いて見せた。拡がった穴の周囲を視線がじっくりと動き回り、その動作によって笹菜は今お尻の穴の皺の一本一本が丹念に観察されている事を自覚した。

「今、お尻の穴、見てるでしょ?」
『うん。綺麗に皺が並んでるね。薬指の所だけ曲げてみてくれる?』
「こう?」
『いいね。拡がって少し中が見えてきたよ』
「ちょっと、恥ずかしい」
『色も綺麗だし、可愛いお尻の穴だよ』

 自分の恥ずかしい部分を可愛いと評され、笹菜の顔がかーっと熱を発し始める。だが、その後ろに回された手の力は緩むことなく、ますます見せつけるように股間部を横に開いた。
 お尻の穴を見ていた視線は更にその下に降り始める。笹菜は視線が移動したのを感じ、あ、お尻だけじゃなくてあそこも見えちゃってるな、と思ったがそれを隠さなきゃという慎みの感情は湧いてこなかった。ただ、自分の大切な場所を見て、どんな感想がくるのかがちょっと怖かっただけであった。

 視線は尻たぶごと横に引っ張られて秘肉を露わにしている股間の割れ目の中を、何度も何度も丹念に撫でていった。さわさわと視線の気配が襞をなぞる度に笹菜の内部にある器官がぽっと熱量を増し、ぽっかりと空所を晒しているであろう膣口にそれが潜り込もうとすると背中から脳髄へとゾクゾクとした疼きが駆け上がってきた。股間の一点を刺すように集約した視線で自分の尿道口の位置を実感し、急激に膨らむ周囲の熱気と視線にクリトリスが膨らみつつあることを気がつかされて顔を更に赤くした。

『お尻の穴と一緒に窄まったり、口を開けたりするんだね』
「よく見てるんだね」
『うん。とってもエッチに見えるね』

 ただ窄まっているだけでは無いのだろう。笹菜は内腿をとろりと流れ落ちる雫と、それを追いかける視線の存在に気が付いていた。少女の膣口に潜り込み、その内壁を覗く視線によって掻き出される様に少女の愛蜜は止めどなくその場所からこぼれ落ちていた。
 はぁっと誰かが熱い吐息を胸の内から漏らす。その声で、笹菜は自分が制服に汗がしみ込むくらいに熱く高まっている事に気が付いた。

『制服、脱いじゃおうか?』

 絶妙のタイミングで声が言う。3人はとろんと靄がかかった様に上手く回らない思考のまま、言われるままに服を脱ぎ始める。制服のファスナーを下ろし、袖から肩を抜く。今まで気が付かなかったが、入り口の簀の子の側に何故か風呂場に有りそうな脱衣かごが積んであったので、そこに畳まないまま無造作に放り込んだ。

『下着も全部脱いで、裸になって』
「そうした方がいいの?」
『みんなの生まれたままの姿、見たいな』
「じゃあ、そうする」

 半分脱ぎかけだったパンツを脚から抜き、先ほどのかごに入れる。更にブラジャーも外し、こちらもぽいっと放り込んだ。靴下と上履きのみ、後はまったく服を着ていないという倒錯的な格好になった3人の少女は、胸の下で腕を組んだ姿勢で立ち尽くす。無遠慮な視線達は最初は少女達の胸を、そして徐々に全身を舐め回すように這い回った。
 笹菜の胸の2つの膨らみを視線が撫でていく。手のひらにすっぽり収まりそうなサイズのその表面を、皮膚の細胞の一つ一つを確かめるかのようにじっくりと見つめていく。先端のピンク色の部分をくるりと視線が撫でたときにじんと痺れた感覚が走り、笹菜は思わず声が出そうになった。ピンと緊張しきった乳首の先からは心臓の鼓動に合わせて続けざまに痺れを伝えてくる。
 更にその視線は執拗にその部分をこねくり回し、先にあるくぼみを正確に捉える。その瞬間、今度こそ笹菜は「あっ」と熱い息とともに声を発し、同時に股間部からどっと熱い液がこぼれた事に気が付いた。腰から下の力が抜けかけ、無意識に足を開くようにずらしてバランスを取ると、その中央のタイルにぽたぽたっと笹菜の体内の熱を帯びた粘液が染みを作った。

『気持ちいいの?』
「なんか、あなたに見られていると嬉しいの」
『さっきは恥ずかしいって言ってたのに』
「そうだよね。だから、もっと恥ずかしい事したいよ」

 笹菜は組んでいた腕を開くと、自分の秘部を指を使ってぐっと左右に開いた。

「ああ……もっと奥の奥まで、恥ずかしいとこ見て欲しい……!」

 周囲の視線が少女を祝福するかのように飛び回る。笹菜の唇や睫に口づけするように優しく撫でて、それに少女はふふふっと嬉しそうに笑い声を上げる。そっと舌を出すとそれに絡みつく視線の気配があり、笹菜は空中の見えない目玉と淫靡に口付けした。

 残る2人も笹菜と同じ様に周囲の気配達と戯れていた。
 萌葉は長い脚を片方、壁の高い位置に付き、一杯に開いた股の間の秘部を指で大きく開いてその場所にある敏感な部位を全て見せつけようとしていた。クリトリスを剥き出しにして充血しきったその突起を転がす視線に酔い、膣口を引き裂けそうなほど開いてその内部を表に晒そうとする。指先はその場所から溢れた液体で濡れそぼっていて、股間から垂れ落ちるそれを指で掬って頭の高さまで持ってくると、とろりと糸を引く粘液を伸ばした舌先で淫らに舐めとって見せた。
 苳子は先ほどのように視線に背中を向けると上体を壁に押しつけ、両手を使って尻の穴を拡げていた。豊かな胸部が壁との間で潰れて苦しそうに形を変えているが、苳子本人は笑いを浮かべながら流し目を自分の背後の存在に送っている。指を何本も使って限界まで開かれた少女の肛門はぽっかりと空洞を晒し、内部に潜入した多数の視線が先を争って奥の奥の直腸の方へと押し入っていく感覚に苳子は熱い吐息を漏らした。

「もっと」
「もっと」
「恥ずかしいこと、したいの」

 3人がもう何度目かわからないくらいの回数、陶然とした感覚を味わった頃、少女達の声が重なり合う。どろっとした白く泡だった液体が3人の足下にぼたたっと重い水音を立てた。

『そうなんだ』

 声は3人の言葉に応える。笑ったような、困ったような、面白がっているような、愛おしむ様な不思議な色合いの声。

『わかったよ。その気持ちを、君達の中から解き放つ様を僕に見せつけて欲しい』
「何をすればいいの?」
『君たちの中に溜まりに溜まったあったかいおしっこを、さっきみたいに恥ずかしい格好をしながら出すところ、見せて』
「そうすれば、嬉しい?」
『僕も君も、ね』

 3人は幸せそうな笑顔を浮かべて頷いた。
 まずは笹菜が個室の扉を開け、中に入る。少女の歩みを辿るようにぽたぽたと水滴が垂れて足跡を残す。
 扉は一杯まで開くと不思議なことに開いたまま、閉じなくなった。少女はそれをまったく気にした様子も無く、洋式便器の便座を当たり前のように上げ、便器自体を脚を一杯に開いて跨いだ。少しがに股気味になり、背を反らして腰を前に突き出す。そして指を使って自分の股間の割れ目を割り開いた。

 再び、視線達が笹菜の秘部を撫で回し始まる。だが、今回はそれらの注目は笹菜のクリトリスと口を開いたままの膣口の間、針穴のごとき尿道口へと一気に集中した。集まった視線は光線の様に熱をもっていて、笹菜のその場所の周囲をぽっと熱く燃え上がらせる。ぞくぞくと熱とは対照的な震えが背筋を駆け上がり、それだけで股間の真下の便器の中に新しい愛液がぽたりぽたりと落ちていった。

「み、見えてる……? 私のおしっこの穴……」
『うん』
「今から出すからね……。たくさん、出すからね……」
『いいよ。出して、いっぱい』

 視線の圧力が増している。笹菜はその視線が実際の圧力となり、尿道口を限界まで拡張して内部に侵入し、尿道を逆行して自分の膀胱内までつぶさに観察する様を想像した。
 下腹部を中心に内臓がぼうっと燃え上がるような熱気が走り、脳裏に全てを焼き付くすハレーションが広がった。その熱さがそのまま尿道を燃やしながら駆け抜け、一直線の奔流となって笹菜の股間から吹き出していく。熱いうねりが体を揺さぶり、膝がガクガクして狙いが定まらない。
 それは笹菜が知るはずもないが、男性にとっての射精に近い感覚が、延々と続くような快感である。

『すごい勢いのおしっこだね。エッチで可愛いな』
「~~~~~~!!」

 周囲の声の賞賛によって、笹菜の世界観がぐるりと回転した。このまま尿道が裏返って膀胱ごと中身が飛び出したっていいと、心底思うくらいの大きな波が少女の魂をさらっていく。おしっこと絶頂による潮拭きが混じり合い、便器の周囲にぱたぱたと飛び散っていった。

 数分後。
 理性と魂そのものが放出されるような放尿を終え、笹菜はくたりと体を傾がせて個室の壁にへたり込んだ。尿道口から膀胱までぽっかりと空洞が開いてしまったような気がする。いや、心情的にはもっと奥、子宮を通って背骨を通り、脳味噌まで全部流れ出てしまったかもしれない。股間を拭う事も思いつかず、笹菜はおぼつかない足取りで個室から出た。

「……全部……見えた……?」

 私のなか、ぜんぶ。

『うん。全部見たよ。可愛いね、君』

 笹菜は僅かに微笑み、よろめきながら簀の子の辺りまで行くとぺたんとお尻をつけて座り込んだ。呆然として心ここに有らずといった雰囲気である。
 瞳はどろんと焦点が合わずに濁り、チャームポイントのポニーテールは汗のせいでうなじから背中にかけてまとまり無く張り付いていた。首筋から胸の膨らみを迂回し、なだらかなお腹を抜けた汗の玉が内股を伝って簀の子に流れ、ゆっくりと濡れた染みを広げていく。少女の内に籠もった熱気と、情欲による女の匂いが混ざりながら立ち上り、その周囲に同性であっても唾を飲み込みたくなるような色気をオーラの様に放っていた。

 その様子を見つめる萌葉と苳子がもじもじと身体を揺する。笹菜の熱気に当てられた2人の股間からは、止めどなく熱い滴がこぼれ、脚の内側を伝って靴下にまで到達していた。

「私達も、するんだよね?」
「うん……」

 2人は顔を見合わせる。お互い、目の下に赤みが差し、瞳が潤んで熱に浮かされたような顔付きをしていた。トイレの個室の中を、笹菜から発せられた熱がサウナの水蒸気のように満たしている気がする。この中ならば、どんな破廉恥な行為も躊躇無くできてしまう気がした。

『じゃ、せっかくだし2人は並んで一緒におしっこしてみようか?』
「え?」
『連れションだよ? 女の子はやらない?』
「やった事、ないわ」

 仲の良い友人と一緒にトイレに行くことはあるけど、並んで一緒にやったことなど無い。でも、男の子は立ったままするんだし、並んでやるものなのかしら、と漠然と萌葉は考えた。

「一緒におしっこすると、いいこと有るの?」
『有るよ。見てて楽しい』
「そう」

 楽しんでもらえるなら、やってみてもいいかしら。
 萌葉が納得しかけている横で、しかし苳子は開きっぱなしの個室の中を見つめて眉を寄せた。

「でも……ちょっと狭いです」
『便器の横で、1人はトイレットペーパー入れの箱に片足をかけて、もう1人はタンクの横の水のパイプに足を乗せればいいんじゃないかな』
「正面からじゃなくて、横からするって事ですか?」
『そうそう』
「わかりました。やってみます」

 周囲の声に言われた通り、苳子は便器に向かって右に立ち、箱に右足を乗せる。箱が高い位置に在るため、苳子の右膝は胸の高さまで上がった。内腿の筋が引っ張られ、中心の割れ目が自然と口を開く。視線達はその割れ目の中の苳子の大事な場所や、お尻の穴、そして力が入って緊張している内腿の筋の様子までつぶさに観察しているようだった。恥ずかしさにくらくらしながらも、苳子は努めて冷静に自分の尿の作るはずの放物線を計算する。目測ではこの位置で丁度便器の中央を狙えそうだった。

「……できそうです」
『方向良し?』
「出してみないとわかりませんけど……」
『君のおしっこの穴の位置からすると……ちょっと見えるように拡げて』
「はい」

 幾つかの視線が同じく目測してくれる様子だったので、苳子は指を使って割れ目を更に左右に開いた。剥き出しになったその部分に視線が潜り、尿道の角度から水流の方向を計ってくれている気がした。視線が自分の体内に潜り込んでくるという想像に身震いするような悦楽を覚えた。

『いいよ。この位置がベストだ』
「はい」
『もう1人の君も、入って』

 声に促され、萌葉も同じ個室に入った。苳子と正対するよう便器の左に立ち、左足を上げて水道のパイプを踏む。こちらは苳子の足を乗せている箱よりも位置が高いため、さらに窮屈な姿勢になった。自然と残りの足の踵が浮き、バランスを取るために片手をトイレの壁についた。

「何とかできそう」
『君、脚長いね。モデルみたいだ』
「あ、ありがと」

 萌葉は照れて更に顔を赤くした。そして空いている手の指を使って股間部を引っ張り、割り開く。

「私のも見て。お願い」
『うん……いいんじゃないかな』

 苳子と同じく、視線が萌葉の尿道を辿る気配が有り、OKを出した。そこから走る痺れるような感触に気が緩み、危うく漏らしそうになる。

『あ、今出そうになった?』
「あん、そんなのも見てるの?」
『お尻の穴がきゅっとしたからね。漏らさないように堪えてるでしょ?』
「そうよ。ねぇ、早く出したいの。いいでしょ?」

 だんだんと高まってくる内圧に萌葉は哀願するような声を出した。それは純粋な尿意ではなく、後は放出するだけの状況で待機しているもどかしさから来る情欲の熱エネルギーであった。

『もう出そう?』
「だめ、出ちゃいそう……!」
『もちろん止めないよ。君もすぐ出せる?』
「いいですよ」
『じゃあ出して、すぐに!』

 声の促しに従って、苳子は「んっ……」と息む。しばらくして大きく開かれた脚の間から、しょろしょろと一筋の水流が飛び始め、すぐに勢いを増して便器の中央に落ち始めた。そこに溜まっている水に飛び込み、じょろじょろと音を発し始める。
 萌葉の方はそれに若干遅れたが、最初から勢い良く放尿が始まった。少し勢いが良過ぎて便器の縁にまで飛び散り、苳子の足の間のタイルにぱたたっと滴が落ちる。萌葉が指で割れ目を開いたまま若干腰を引くようにすると位置が調整され、便器の中に一直線に落ちるようになった。

 空中で何度か2人の尿の水流が交差する。それが接触する度に、少女達の背筋にぞくぞくとした快感が同時に走った。

「なにこれぇ! おしっこに感覚があるみたいっ……!」
「気持ちいいっ……!」

 まるで脳髄から膀胱、尿道を経由して快感神経が飛び出しているかのようであった。股間から飛び出す尿の流れがまるで新しい性器の如く快楽を止めどなく生み出していく。お互いの水流の衝突は激しい性器同士の摩擦であり、混じりあったそれが一つの奔流となれば、まるで身体ごととろけて1つに繋がった様な融和感をもたらす。ともすれば、放出している尿を逆流し相手の放ったモノが膀胱の中まで侵入し、好きに陵辱する感触まで湧き上がる。じゅうっと焼け付く快感がそこから身体の内部に広がっていき、あっと言う間に脳の再深部まで犯していく。

「「あっあぁあああっ!!」」

 2人は放尿しながら同時に絶頂した。意識が白く塗り潰され、身体の中身が全部溶けて抜け落ちてしまったようになる。ふわりと浮かんだ視界で真下を見下ろすと、相手から送り込まれた熱いものでちゃぷちゃぷと水音を立てる水風船のようになった自分自身の姿が見えた。

 2人の魂がいったいどれくらいの間抜け出していたのか。気が付くと2人は狭い個室の中、背中は壁に、お尻はぺたんとタイルに付けて座り込んでいた。タイルの冷たさを感じないのは、気をやっていた間も壊れた蛇口のようにちょろちょろとお漏らしを続けていたものが床に広がっていたからだった。

「……あふぅ……」

 萌葉は欠伸の様な声を上げた。普通の呼吸をするのは久しぶりの気がして、唾を飲んで空気を吸い込むのに少し戸惑ってしまった。ゆっくりと深呼吸し、身体の熱を少しずつ外に出していく。どろどろにとけたタールの中を進むように多大な労力を払いながら思考が回り始めた。

「どう……だったかな……?」

 間髪入れず、耳元で声が答えた。

『可愛かったよ。すごくエッチで』

 気恥ずかしさに身をよじると、萌葉の股間から尿の残りとも溜まっていた愛液ともつかぬ熱い液体が、ぴゅっと一筋こぼれた。

『最後に、もう一度パンツを見せて』

 汚したところを綺麗にし、身繕いをしているとそんな声がした。萌葉はあきれ口調で口を開く。

「まだ見たいの?」
『可愛い娘の下着は見飽きないものだよ』
「調子がいいのね」
『褒められて悪い気はしないでしょ?』
「それはそうだけど……」

 萌葉が「どうする?」と問いかけると、笹菜は「いいよ」と答え、苳子も首を傾げて「喜んでもらえるなら」と頷いた。

「じゃあ、はい」

 3人が揃ってスカートを摘み、再び見えない誰かの視線に下着を晒す。そこは先ほどまで潤みきっていた少女達の秘部の熱と湿りの残滓をまだ保っていて、3人のスカートの下からむっとするような気配を放った。

『ああ、いいね』

 視線がその部分の弾力を確認するように股下の膨らみをつついていく。くすぐったさと同時に湧き起こる痺れのような感覚に少女達は頬を赤らめてくすくすと笑った。

「……これで満足?」
『うん、だいたいは』

 周囲を取り巻いていた気配がすうっと少女達の前に集まっていく。ぼやけて複数に分裂していた音声が急にはっきりと聞こえ出した。

「あれ? 男の子?」
『お礼に、ホントの事を教えてあげるね』
「本当の事?」

 集まった気配は急に存在感を増し、うっすらと輪郭すら見えるようになってきた。白い制服を着た、男子生徒の姿。顔は見えないが黒髪であることがわかる程度には色合いもはっきりしてくる。ふと、笹菜は首を傾げた。当たり前の疑問に、たった今気が付いたのだ。

「……君って、ダレ?」
『僕? 僕は……』

 目の前の透明な少年は、白い歯を見せて笑った。

『僕が、イチタロウなんだよ』

 突然、照明が落ちた。
 いや、落ちた気がした。急激に辺りが暗くなったため、そう感じたのだ。3人はスカートを捲ったポーズのまましばし動きを止め、ぱちぱちと目をしばたたかせる。

「……きゃっ!」

 自分達のとっている姿に気が付き、慌ててスカートの前を押さえた。何が何だか訳が分からないと顔を真っ赤にして顔を見合わせた。

「あれ……えっと、どうしたんだっけ?」

 笹菜がスカートの前と後ろを押さえ、裾を気にしながら周囲をぐるりと見渡す。ポニーテールがゆっくりとそれに追従して弧を描いた。辺りの様子はイチタロウさんのトイレのドアをノックした時と変わり無い。なんで3人でこんな場所にぼーっと突っ立っていたんだろう?
 ふと思いついて笹菜はその扉を開けてみた。変わり無し。普通の洋式トイレだ。後ろから恐る恐る萌葉も中を覗き込む。

「……何も無い?」
「うん。誰もいないよ」

 ほっと笹菜の背中で息をつく小さな音が聞こえた。外に顔を戻すと、苳子は目を細めて空中を睨むように何か考え事をしている。

「今、ここに……男の子が居ませんでしたか?」
「うん、ふーちんもそう思う? 私もさっきまで誰かいたような気がしたんだよね」
「やだ、変なこと言わないでよ」

 萌葉は寒がっているように両手を前で交差させて自分の体を抱く。笹菜は首を捻った。

「イチタロウさん、来てたのかな……あっ!」
「どうしました?」
「レコーダーのスイッチ入れてなかった……」

 ポケットから取り出したICレコーダーのランプが消えている事に気が付き、笹菜はがっくりと肩を落とした。これでは、何のためにここまで苦労して来たのかわからない。諦めがつかないのか笹菜が小さなチューインガムの箱サイズの電子機器を手の中でこねくり回していると、隣で「ひぅっ」としゃっくりと笑い声の中間の様な奇妙な声が聞こえた。

「? どうしたの?」

 笹菜が顔を上げると、萌葉と苳子がそろって目をまん丸に見開いて真っ正面を見つめている。萌葉などは顔を真っ白にして口をパクパクしていて、どうやらさっきのおかしな声はこの口から発せられたようだった。

「ま、ど……」

 辛うじてその喉から漏れてきた音を解析し、「窓?」と萌葉は振り向いた。外はすっかり日が暮れたようで夕暮れの紫色はもう見えない。代わりに見えたのは、真っ暗な墨色の闇と、そして窓辺にぼんやりと見える白い人影であった。それを見留めた瞬間、笹菜の動きも思考もいっぺんに停止する。

「い……ち、た、ろ……さん……」

 呟きが漏れた瞬間、見つめる窓がガタガタガタッ!と明らかに風によるものではない乱暴さで音を立てた。その音を聞いた瞬間、運動会でピストルの合図を聞いたかの様に時間が動き始めた。

「「「きゃぁあああああっ!!!」」」

 サンダルを蹴飛ばし、簀の子をバタバタと踏み鳴らしてトイレのドアから転げ出る。後ろを振り返る余裕も無い。3人は騒々しく廊下に足音を響かせながら悲鳴と共に遁走した。後には開けっ放しのトイレのドアの向こうに、窓に映る人影のみが残されていた。

「おい、急に立ち上がるなよ。脅かしちまったじゃないか」

 七魅の肩から飛び降り、黒猫は文句を言った。彼の言葉通り、さっきは七魅が不意に立ったせいで少女の肩に座っていたメッシュはバランスを崩し、窓に向かって前足でたたらを踏んでしまった。盛大に窓が揺れたので、多分中にいた者達を驚かせてしまっただろう。
 しかし当の七魅はメッシュの文句も聞こえないといった風に窓の中を睨み付けている。

「……どういう事です?」
「何が」
「達巳君は現れませんでした。彼女達は……いったい誰と話していたんですか?」

 そう、七魅の持ってきた機器は確かに窓の内部の音をそれこそ衣擦れの音まで確実に拾っていた。だが、そこには、少女達が話しかけ、そして指示を貰っていた相手の声が全く存在しなかったのだ。窓から顔を見せれば中に気が付かれてしまうかもしれない。それに窓は曇りガラスだ。詳細を見ることは出来ない。いてもたってもいられず、七魅は立ち上がってしまっていた。
 黒猫はそんな七魅を見上げると、髭を揺らして「ふん」と鼻を鳴らした。

「だから、イチタロウさんだろうよ」
「それは達巳君の作った、ただの噂のはずです」
「そいつは……いや、後にしよう」

 両方の耳をピクピクと動かし、校舎の方を見ながら黒猫は言葉を止めた。

「……いったん戻るぞ。あの騒ぎじゃここら辺まで誰かが来るかもしれないからな」

 黒猫の視線の先で、校舎の1階の廊下の電気がぱっと点いた。まだ残っていた教師か事務員が騒ぎを聞きつけたのだろう。

「行くぞ」

 たたっと数メートル先に走り、止まって七魅を振り返る。光に反射して黒猫の目が金色に光って見えた。

「……わかりました」

 不承不承頷き、七魅も後に続いた。

5.

 七魅達が高原別邸に戻ると、やはり幎は門のところで灯りを持って立っていて、1人と1匹に対して「お帰りなさいませ」と恭しく礼をした。先ほどと同じく食堂に案内され、今は七魅の前には茶の入った湯呑みとお皿に乗った羊羹が並んでいる。

「……それで、結局なんだったのですか、アレは?」
「焦るなよ。少し一服させろ」

 猫って羊羹食べるのかしら、と七魅は思ったがどうやら目の前の黒猫には好き嫌いが無いようであった。むしゃむしゃと四角く切り分けられたそれを平らげると、ぺろりと口の周りを舐めた。

「……ま、なんだ。実体を無くす事で深層心理に働きかけ、自分の感覚を内向きに鋭敏にさせたんだな。あのお嬢ちゃん達にはまるで神経が剥き出しになったような体験だった筈だぜ。こいつはどっちかっていうと哉潟のお嬢ちゃんの得意方面なんじゃないか?」
「……そういう事を説明して欲しいわけではありません」
「ん……何から解説しようか……」

 メッシュは思案げに宙を睨み、耳をぴくぴくさせた。

「……今晩出かけてみてこの目で確認して、わかったことが3つある。まず、あの学園に結界を作っているのは夢魔の力によるもので確定だ。日が沈むにつれてどんどんと気配が強くなっていった。あの特徴的な夜のとばりと夢の幕が混ざりあった気配は間違いようがない」
「あの本の力ではないのですか?」

 七魅が問いかけると、黒猫は鼻を鳴らす。

「それを今から言おうとしたのさ。2つ目、本の力も確かに発動している。あの学校そのものにかけられたものと、さっきの3人にかけられたものの2種類がな。嬢ちゃんに3人が会話していた相手の声が聞こえなかったのは、それが本の力によって発動した架空の存在……『イチタロウ』だったからだ」
「……もう1つの本の力とは?」
「決まっているだろう? 嬢ちゃんだけが気付いている真実を隠すため嘘……ナユミとかいう娘がまだ生きていて、あの学校で何食わぬ顔で生きているっていう嘘のことさ」
「……でも、私にも那由美さんは見えましたし、話し声も聞こえました。本の力は私に効かないはずなのに」

 七魅が首を捻ると、黒猫はわかっていると言わんばかりに大きく頷いた。

「それが敵さんの上手いところだ。学校の生徒達にその娘が生きているという認識を植え付けた上で、夢魔の力でその娘の生きている世界の夢をこっちに持ってきたのさ。1人1人の夢なら切れ切れの思い出で綴られた断片だが、大勢が同じ夢を見たらそれは連続した歴史になる。その娘は、お前さんの学校の夢そのものなんだよ」
「星漣学園の見ている……夢……」

 なるほど、と七魅は納得した。那由美が誰かに認識されなければ存在できないと感じた七魅の勘は当たらずも遠からずであったのだ。そして、それが郁太を連れ去った相手の仕掛けた事だと解り、新たな疑問が湧く。

「なぜ、夢魔は那由美さんを生きていると見せかけているのですか?」
「その謎を解くヒントが、今日発見した3つ目にある」

 黒猫はぴしゃりとテーブルを尻尾で打った。

「嬢ちゃん、あの小僧が本を使って叶えたい最終目的は知っているかい?」
「……それは……」
「知ってるなら話が早い。あのメイドは契約の内容は話せないとか抜かしてるが、大方の想像は付く。そのナユミとかいう娘を生き返らせたい……そうだろ?」
「……」

 七魅は黙っていたが、このままでは話が進まず埒が明かないため、仕方なく頷いた。

「やっぱりな。これでさっぱり謎が解けた。敵がナユミを生き返らせた理由……それは小僧に自分自身の力で消滅してもらうためだったんだよ」
「……どういう意味ですか?」
「イチタロウが現れたとき、俺は本と小僧の契約がまだ正常に働いている事がわかった。当然、奴の存在優先権もな。だから解ったんだ。居るはずの無い娘が存在する為に、大きな矛盾が起こったんだってな」

 メッシュは得意げに髭を震わせ、言葉を続けた。同時に尻尾で幎を指す。

「小僧はそのメイド悪魔と『ナユミを生き返らせる』ために契約した。存在優先権はその目的を達成する為の能力だ。だが、学校にナユミは現れてしまった。さあどうなる? 小僧の目的は達成されてしまった。本の最終段階の力を発揮することなく、な。契約は絶対だ。本は自らの力で『娘を生き返らせる』までは自分から契約解除する事は無い。この矛盾を解決するには……娘をもう一度消すか、契約者の小僧が消えるしかない。この2人は絶対に出会っちゃならないんだからな」
「それが……達巳君の消失の原因、ですか?」
「そうだ。本は自分の力で解決できる方の方法を採用した。小僧を学園から隠すことで、契約を守ったんだ」

 メッシュは一気にそこまで説明し、満足そうにニヤリと笑った。そして七魅が考え込んでいるのをいいことに「いらないなら貰うぜ」と残った羊羹にがぶりと噛みついた。

「……どうやったら達巳君を助けられますか?」
「難しいな。契約解除すれば小僧はおじゃんだし、夢魔の力が及ばない学園の外に連れ出せればいいんだが……」
「……先ほど言った、那由美さんをどうにかするという方法では?」

 七魅が少し遠回しに言った提案に、黒猫は首を振る。

「無理だな。娘は夢みたいなものと言っただろう? 例え息の根を止めたって、誰かがその娘が生きているという希望を持ち続ける限り、何度でも学校の中に現れるさ」
「……」
「それに、もっと差し迫った問題もある。本の力を使って娘の事に関する認識を変えている以上、時間の経過と共に小僧の魔力はどんどん減っていっちまうんだ。まずは安定した魔力回収をさせない事には、小僧を取り返す以前にタイムオーバーだ」

 再びメッシュは耳をぺたっと倒し、肩を竦める仕草を表現した。

「今日と同じ事を時々やっては?」
「そんなに毎日あの幽霊に興味を持つ人間が現れるとは思えないし、何より同じ場所で同じ事をやっても回収効率はぐんと悪くなるんだ」
「では、どうするんですか?」

 黒猫は尻尾をくるくると振り回し、そしてぴたっと止めて呟いた。

「イチタロウの行動範囲を広げてやるしかないだろう」
「またあの噂の掲示板を利用するんですか?」
「ま、それが一番手っとり早い。小僧にこっちの意図を理解できる頭があれば、上手いこと噂を利用して本の力を発揮するだろうさ」
「何か達巳君と連絡する手段は無いのでしょうか……」
「無いね。その娘っこがいる間は小僧は出てこれないのだし、出てきたとしても幽霊の姿のままで、嬢ちゃんには見えないと来たもんだ」
「……」

 メッシュの言葉に七魅は眉根を寄せる。黒猫はそんな少女の様子も気にせず半ばあくび混じりに続けた。

「まあ、魔力が十分に貯まったらそれなりに出来ることも有る。今はとにかくさっきの通り、イチタロウの噂をせいぜい小僧の動きやすいように流してやるくらいかな」
「……わかりました。それで、次はどんな噂にするんですか?」

 その問いに、黒猫は今度こそ大口を開けてあくびをした。

「何言ってるんだ? 学校の中をほとんど知らない俺達に幽霊の噂なんて作れる筈がないだろ?」
「え?」
「噂は、お嬢ちゃんが作るんだよ」

 後に思い出し、頭を抱えたくなるくらい間抜けな口調で七魅は「はぁ?」と口をぽかんと開けたのだった。

< 続く >

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