エピローグ?
「へぇー、それは赤っ恥だったねー」
そう言って、目の前の流はオレンジジュースをストローで一口。
「赤っ恥だよ……」
そうつぶやいて、飲みかけのコーヒーを目の前にうなだれる涼。
「締まらないんだから」
そう文句を言いつつ、あたしは手元のチョコパフェにスプーンを突き刺した。
月曜日。試験も終わり、授業は午前中のみ。
流は生徒会と書類片付け、あたしはその手伝い、涼は部活を終えて、あたし達はいつものファミレスにいた。
「普段かっこつけない人が頑張ろうとするとー、そうなるよねー」
「はい、仰る通りです」
例の観覧者からプロポーズまでの流れを聞いて、冷やかす流と、おちょくられる涼。
「ついでに言うと、夕飯に焼き肉リクエストした都ちゃんとお似合いだと思います」
「うるっせえよ! 気にしてたのに!」
とばっちりを食らった。
「のろけー」
「ちげーよ! 黙れ! 便乗しておちょくるな!」
「それはともかくー」
今度は無視された。
「受けなかったのー?」
と言って、流はあたしの「右手」を指さす。
「あ、いや……」
思わず、右にいる涼に目配せする。……うん。OK、とうなずく。
意を決して、右手の薬指から、指輪を抜き取る。
そのまま、左の薬指に付け替えた。
「……こういうことです」
「おめでとー!」
満面の笑みでぱちぱちと拍手する流。
うちは私服でOKなのもあって、指輪一つくらいならしていても怒られない(体育では外すけど)。
けれど、さすがにクラスで左手薬指の指輪を見せるのは、いろんな意味で無理だった。もちろん家でも無理だ。家族にもまだ話せないし。話すにしてもタイミングというものがある。
というわけで、普段は指輪を右手につけることにしたのだった。
「ちなみに、都ちゃんに言ってなかったけど、もう都ちゃんは僕の催眠しか受け付けないから」
「え? そうなの?」
「うん。一昨日催眠入れ直したときに、そうしておいた」
「どれどれー? こっち向いてー? ……『ラストカードは私に』」
「…………あたし、かかってない?」
正面からゆっくり右を向いて、涼に確認する。
自覚では多分かかってないと思うけど、念のため。
「かかってないね」
「都ー、ここでジーンズ脱いでー」
「流お前何言ってんだよ! 万が一やっちまったら大変だろうが!」
……正面にいる親友はマジで加減を知らないんじゃないだろうか、とたまに思う。
「あははー、かかってなさそうだねー。……これで名実共に涼くんのモノだねー」
「うるっせえっつの!! んなことをこの場で言うなっ!」
「都ちゃん、ちょっと良い?」
「……え? あ」
涼の意図を察して、一旦立ち上がると、涼があたしの隣を通り過ぎ、店の奥へ向かっていった。……コーヒーを飲んだからだろう。
「……ねー、都ちゃんー」
「ん?」
「実はねー、私ー、涼くんにー、婚約指輪に良さそうなのー、教えてたんだー」
「……へぇ?」
じゃあこれ、流のオススメなのか。
「単なる私のお節介だったんだけどねー。……でもねー、その指輪ー、私が紹介したのと違うやつなのー」
「えっ」
「涼くんー、自分で選んだんだろうねー。
もしかしたらー、前から婚約指輪を何にするかー、決めてたんじゃないかなー?」
「……そうなんだ」
……へぇ。
そうなんだ。
………………えへへ。
「これー、婚約祝いー」
「え!?」
涼が戻ってきて座ると同時に、流れはそんなことを言う。
準備が良いというか、あたしがプロポーズを受け入れることを見透かしていたように思えた。
そんなに予想しやすいか、あたし。
一方、
「いいのに、そんなの」
と言った涼の顔には、遠慮と警戒が入り交じっていた。いやさー、警戒するのは分かるけど、さすがにちょっと失礼じゃないか、それ。
と思っていると、
「はいー」
流が取り出したものは、それぞれ赤と青の包装紙で丁寧にラッピングされている、平べったい2つの物体だった。青い方を涼に、赤い方をあたしに差し出す。
受け取ってみると、ノートサイズの、いやノートよりは少し大きく重い感じのするものだった。
「開けてみてくれるー?」
「うん」
流の許可が出たし、プレゼントの正体に興味があったので、リボンをほどいて開けてみる。
青紫色のしっかりとした表紙に一瞬目を奪われたあたしは、その表題を理解して、……固まった。
そこには、
『基礎からハマる催眠術2
恋人~夫婦編
被術者版』
と書かれていた。
「私の友達にー、催眠術のお仕事してる人がいてねー。健くんは知らない人だけどー。
その人が作った本なのー。
来週ー、そういう本を売る『お祭り』があってねー、そこに出すらしいんだけどー、先にもらってきたのー」
その人は誰なんだとか、お祭りって何だとか、『2』ということは『1』もあるのかとか、もやもやした疑問が浮かんでは消える。
涼のが『1』なのかと思って、あたしと同様に固まった涼の手元を見たら、そちらも『2』だった。
ただ、涼のは『施術者版』と書いてある。
いや今はそんなことどうでもいい、と流に突っ込もうとして正面を向いたら、そこに流はいなかった。
「わっ!」
流は通路側に出ていて、つかつかとあたし達の方の座席に入り込もうとしていた。
「涼くんが都ちゃんもらってくれて、本当に良かったよー」
まだ固まった状態の涼に、流が言う。
「……エッチな意味でヘンな女の子って、悪い男に引っかかりやすいからねー」
「おい!」
だーからそこから離れろ! ……と言いかけて、ふと流が真面目な表情に鳴っているのに気づいた。
流が強引に座り、玉突き的に涼が窓際まで押し込まれる。
「……都ちゃんってー、涼くんのモノにされたいってー、前言ってたでしょー」
流が、ギリギリあたしと涼に聞こえそうな声で言う。
なぜか、あたしの頭をなでながら。
「………………言ったような、言わなかったような」
「でもー、そう思ってるんでしょー」
「………………………………はい」
「……それが『普通はおかしいこと』ってー、自覚あるー?」
「………………………………はい、……多分」
涼と付き合って、催眠をかけられるまで、そんなことを考えたことはただの一度もなかった。
去年のクリスマスのあたしには、きっと理解できない。
去年のあたしがそんな願望を口走る女の子と会ったら、きっと流と同じ種類の人間だと思うだろう。
でも、今のあたしは。
自分でも自分をごまかせないくらい、淫乱で。
自分から涼に、自分の体を差し出してしまうほどのマゾで。
涼に操られてメチャクチャになるのを、本気で心から喜んでしまう変態で。
つまり。
今のあたしは、間違いなく流と同じ種類の人間なのだ。
「都ちゃんはー、『そういう女の子』なんだよー。だけど涼くんはー、都ちゃんが『そういう子』だってことー、受け入れてくれてるからねー。
都ちゃんはー、幸せになれると思うよー」
「ひぁっ」
ふわっ、と。
一瞬、流が、あたしをやわらかく抱きしめる。
変な声が出た。
「あははー、都ちゃん変な声ー」
「え……あはは」
恥ずかしくなって、あたしも笑ってごまかす。
「涼くんー、都ちゃんをよろしくねー。
大丈夫ー、別に私ー、都ちゃんを恋愛的な意味では愛してないからー」
「「アホかっ!」」
揃って突っ込んだ。
「あははー。じゃあ先に帰るねー」
そう言うと流は、元々いた座席にある鞄と上着を拾い上げて、さっと身支度をととのえた。
そしてあたし達を改めて見つめる。
「……お幸せにー」
「……ありがと?」
流には珍しい、全くとげのない、やたらと暖かい声を残して、流は去っていく。
「流さんもさ」
流が去り、呆然として、しばらくして。
背中から涼の声が響く。
「やっぱり都ちゃんがとっても大事なんだね」
「え?」
よいしょ、と元の席に戻りながら、涼が答える。
「変な男に捕まってたら、都ちゃんは幸せになれなかったかもしれない――って、きっと流さんは思ってたんだ。都ちゃんがちゃんとした男を捕まえたから、流さんは手放しで、本当に自分のことのように祝福してくれたんだよ。……僕が言うことじゃないけどさ」
「…………」
腑に落ちた。そういうことかと。
きっと流は、安心してくれたのだと。
これがあたしにとって、間違いなく「ハッピーエンド」だと、親友としてお墨付きをくれたのだと。
そして、あの親友が、本当にあたしを親友だと思ってくれていたのだと。
さっきから少しもやもやしていた流からの言葉が、やっと形になった気がした。
ぎゅっ、っと。
今さら気づいた親友の思いと一緒に、あたしを包むように。
涼が、抱きしめる。
「僕が、幸せにするから」
運命の人は、親友の言葉に乗せて、あたしに誓ってくれる。
ありがとう。うれしい。
……でも。
「違うよ、涼」
「…………?」
あたしは、幸せにして「もらう」のではない。
「………………あたしは、涼と一緒に、二人で幸せになるんだ」
「…………うん、そうだね」
口が滑った、と謝る涼。
もう一度。仕切り直して。
「一緒に、幸せになろう」
「……うん。必ず」
それが、まだ遠い将来の結婚に先だった、あたし達二人の、誓いの言葉だった。
< おわり? >