つい・すと 昔話3-1

昔話3-1 僕が僕であるためには(前編)

 僕は、レズであること以外は、普通の女の子だ。レズであることは特殊なことだから、大事な人以外には、必要なときにしか言わない。
 けれど、他は余計なことを考えず、堂々としていればいい。

 それが、僕が何年も考えて導いた結論だった。
 レズが「特殊だ」と言ってしまうと嫌がる人もいるのは知っているけど、この場合の「特殊だ」というのは「異常だ」という意味ではなく、単に「少数派で、説明が必要」ということなので、理解して欲しい。こういったことを説明するとき、僕は変な言い回しをしてしまう方がよっぽどヘンな感じがする。

 お前は手のかかる子だった、と母に言われたことがある。
 僕には弟が一人いるが、弟を育てる方が楽だったらしい(ちなみに弟は女の子にしか興味がないストレートだ。彼女にも会ったことがある)。「普通は一姫二太郎って言うんだけどね」と、母は笑った。

 僕はほとんど覚えていないけれど、小学校に入る前から僕は活発すぎるくらい活発で、毎日ボールを蹴ったり投げたりしていたらしい。「動かないでいてくれたのは、千晶ちゃんと一緒にいたときだけ」だったそうだ。小学校に入ってからも、僕はどれだけ早く走れるかとか、どこまで遠くにボールを飛ばせるかとか、そういったことにばっかり楽しみを見いだしていた。当然、僕の周りには男友達が増え、女の子の友達はちー――千晶だけと言っていいくらいだった。
 ただ、数ある男友達の中でも、ダントツで仲が良かったのはシュンだった。僕が走り出すと必ずシュンは追いかけてきて、僕を追い抜いていった。僕はシュンのその反応が楽しくて、何度も追いかけっこをした。シュンは僕より足が速いので、勝てなかった。それが悔しくて、でも楽しかった。

 僕は単に、自分の思うままに生きていただけだった。父も母も、「女の子らしくない」と口にしつつも、別にだから何だ、という様子だったので、僕は悩むこともなかった。

 ただ、僕の人生は、小四になって少し変わり始める。
 小四になって、叶が僕、そしてちーと同じクラスになった(シュンだけは小四では隣のクラスだった)。叶は当時孤立気味だったちーと仲良くなり、図書室でも二人でいるところをよく見るようになった。

 どういう訳か、僕は叶の様子が気にかかった。その理由は、当時はよく分からなかった。最初は親友のちーを連れ回す叶に、うっす~い嫉妬をしているのかと思っていた。僕も汚い奴だなあ、なんて思った気がする。もっとも、僕もちょっとした休み時間に叶と話すようになり、肌が合うのを感じていた。何となく、ものの好みが似ていたのだ。といっても例えば、教科書の名前の横に書く落書きは、できるだけシンプルで小さい方が良いとか、そういったレベルの話だけど。そして叶を通じて、僕は少しずつ女の子のグループの中にも入っていくようになった。
 ただ、夏頃になって、少しずつ異変を感じるようになっていた。叶のちょっとした仕草に目を引かれるようになってきたのだ。
 当時の叶は肩を少し越えるくらいの髪の長さで、席に座るときは背筋をピンと伸ばし、首を少しだけ横に向けて黒板に目を向けていた(叶の席は教室の一番廊下側だった)。その姿が様になっていたので気になった、というのもある。ところが、だんだん、例えば叶がほんの少し動いて、スカートの裾がよれる様子まで気になり出し、何かヘンな気がしてきた。
 割と決定的だったのは、プール納めの日に女子更衣室で、叶の着替えを見てしまったことだった。女子は水着に着替えるため、スカート型のタオルを着用していたのだが、当時はまだ小学生だったので、上半身へのガードが弱い。そしてたまたま、下着まで脱いだ叶の姿が目に入ったのだ。
 斜め後ろからだったが、叶の滑らかな背中と脇腹、そして振り返りざま、ほんの一瞬だけ見えた胸の頂に、僕の胸がきゅん、となった。
 そして、僕たちが準備を終えてプールに出ると、シュンが叶の胸をじっと見ているのに気づいた。本人は興味がないかのようなそぶりだったが、気にしているのがバレバレだった。
 その様子が更衣室での僕の姿と被り、思わず「僕とシュンは仲間だね」と言ってしまった。今思えば、これ以来僕は、シュンに対する自虐が定番になった気がする。

 その日の僕は、叶へのそれが恋だとは全く理解していなかった。しかし、叶の仕草を見て、叶と話すことが、僕の胸に切なさと熱さをもたらすことは、その日はっきりと解った。

 叶から目が離せないと自覚した頃、その叶の様子にも、どこか違和感を覚えていた。
 叶がちーを見る視線が、他のクラスメイトを見る視線と違う気がしたのだ。
 言葉では説明しづらいのだけど、例えば、叶が部屋を見回すとき、他の友達に対しては視線が素通りするのに、ちーのところでだけ、目玉が必ず一瞬止まるような感じがした。実際に叶の目玉をじっと見ていたわけではないけど、そんな感じを受けたのだ。友達が少ないならまだしも、叶にはちー以外にもたくさん友達がいたから、なぜちーだけを気にしていたのか不思議だった。

 当時の僕は、その理由に気づかなかった。いや本当は気づいていたのかもしれないけれど、それを認識できなかった。「気づかなかった」のは幸運だった。もしそうでなければ、僕達四人の関係は早々にこじれていただろう。
 今なら分かる。――叶は、ちーに恋をしていたのだ。そして、それが実ることはなかった。だって、ちーはストレートで、そして一直線にシュンに恋していたから。
 当時の僕は、それにも気づかなかった――こちらは本当に、全く気づかなかった。結局当時の僕は、自分の感情を理解しようとするので精一杯だった。

 いよいよおかしいと気づいたのは、小六に上がった頃だった。
 小六になると、周りの女の子が色づきだし、早い子だと異性と交際するようになる。僕自身も人並みに「恋に恋する女の子」だったので、そういう話には積極的に聞き入った。
 クラスメイトが言うには、相手の男の子を見ると、胸がときめいて、切なくなって、目が離せなくなるらしい。そして、その感覚が苦しくて、そしてとても楽しいらしい。別れる時は胸が引き裂かれるほど悲しいらしい。さらに、僕はそのクラスメイトに、「真琴は柳田(シュンのことだ)が好きなんでしょ?」と当たり前のように言われた。

 その時は、何も答えずにお茶を濁した。

 確かに、僕が一番好きな男の子は、間違いなくシュンだった。しかし、シュンに対して、切ない気持ちや、目が離せなくなる感覚を味わったことはなかった。もちろん、楽しくはあったけど、苦しく感じることもなかった。あまりにも意味が分からなくて、かけっこに負けたときの悔しさのことを言うのか、と一瞬思ったほどだ。
 胸が切なくなったり、目が離せなくなったり、苦しくなったり、それが楽しかったり。そういったことになるのは、シュンではなく――叶に対してだった。 

 もうこの時には、多分僕は自分がレズであることに気づいていたと思う。ただ、レズという知識が無かったために、完全な確信を得るまでは、自分がそうだという認識ができなかっただけで。

 そして、決定的な出来事が起こる。

 小学校の卒業式の翌日、たまたま叶の家の前を通りかかると、トラックが止まっていた。
 すぐに分かった。引っ越しだった。

「叶!」
「あ……真琴さん」
 勝手ながら叶の家の中に入り、叶を捜し出して事情を聞いた。
 両親の都合で、遠くに引っ越すということだった。
 そして、別れの挨拶をすると泣き崩れるので、僕達には黙っていたそうだ。
 ――誰に対して挨拶をしたくなかったか気づいたのは、もう少し経ってからだったけれど。

 僕はあまりのことに、何も言えなかった。既に荷造りは最終段階にあり、何分も経たず、出発の時間になっていた。
「ごめんなさい。ありがとう。また会いましょう」
 そう言う叶に、僕は結局何も言えず、手を振った。
 それが、叶との別れだった。

 茫然としたまま、ちーの家に行った。その時の顔をシュンに見られたくないと思う程度には、僕は女の子だった。
 そして、泣いた。
 日が落ちて、真っ暗になるまで、声を上げて泣いた。
 ちーは、何も聞かずに側にいてくれた。

 そして僕は、これが失恋であるということを、完璧に理解した。

< つづく >

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