つい・すと 2日目・午前

2日目・午前 特別

「綺麗だなあ……」
「そうだね」
 目の前には青空と、僅かな雲。そして、広大な海。日差しは強く、おかげで海も青くキラキラと輝いている。
 俺は砂浜にごく近い木陰で、ビニールシートを広げ、寝転がっていた。千晶が一生懸命日焼止めを塗ってくれている。股間がバレないかちょっと気になったが、さすがに触られることもなく、既にうつぶせになっているのでセーフだ。
 ちなみに、マコト達は木を挟んだ反対側に陣取っている。声は聞こえるが姿が見えないので、今は視線に気をつける必要はない。
「はい、いいよ」
「ありがとう。じゃあ、寝て」
 日焼止めクリームを受け取り、代わりに千晶を寝かせる。
「顔は、いいから」
 千晶はそれだけ言って、うつぶせに寝て、俺に身を任せた。千晶の顔には既にウォータープルーフの化粧が施されていて、おそらく日焼止め効果もあるのだろう。そしてうつぶせになってそれを言うということは、身体の前面にも塗ってくれという意味だ。
 クリームを手に取り、千晶の肩に触れる。そのまま腕を取り、順々に塗り込んでいく。
 クリームを塗ると、たびたび水着の生地に触れる。普通の水着は見た目に反してゴワゴワした手触りのことが多いが、千晶が着ている水着の手触りはつるっとしていた。例えるなら、表面をなめらかに加工した、質のいいゴムのような。
「この水着って、苦しくないのか?」
「え、ううん、ぜんぜん。すごく着心地いいよ」
 俺の素朴な疑問に、何でもないといった様子で答える千晶。最新素材ってすげえな。

 背面が終わった後、仰向けにしてさらにクリームを塗り込んでやる。水着と露出した肌の境界線も日焼けする可能性があるので、お腹と股下、そして、
「……っ」
 上乳にもしっかり塗り込んでやる。俺の指先で、ぷにり、とおっぱいの形が変わるのを感じる。少しだけ千晶が反応したが、特に嫌がることもなかった。乳輪のギリギリまで塗ってやった。
 クリームを塗り終わったのち、俺は立ち上がって軽く準備運動をする。と、

「シュン、終わったか?」

 木の向こうから、マコトの声がした。

 うつぶせに寝ていた真琴さんは、あたかも何でもないといった様子で、私の日焼止めクリームを背中に受け止めていた。本人はオイルの方がいいらしいけれど、日焼け姿より白い肌の真琴さんの方が好きなので、諦めてもらった。
 真琴さんの背中は百パーセント、私の眼前にさらされている。ここに来るまでは肩にタオルを掛けていたけれど、うつぶせに寝たときにタオルを外した。
「終わりました」
 真琴さんに声をかけると、真琴さんは再び手にタオルを取り、起き上がると同時に肩にタオルを掛けた。そのまま、軽く準備運動のそぶりをする。しかし、
「……」
 肩に掛かるタオルは、単に垂れ下がっているだけだ。ほんの少しでも動くと、真琴さんの隠すべきところは隠れなくなってしまう。お風呂や特別なときしか見られないそこが、日陰とはいえ屋外でさらされることに、同性としてとても複雑な思いがある。真琴さんが海用のパーカーを持ってきていないのも痛恨だった。
 だけど真琴さんは、三秒考えて、
「いいや」
 と、肩のタオルを外した。私に渡そうとして、
「えっ」
 私は躊躇した。私の目に、真琴さんの二つの膨らみが映る。
 私が反応しないのを見て、真琴さんはその場――ビニールシートの上に、タオルを落とした。

「シュン、終わったか?」

 サングラスをポーチの中にしまい、太ももに巻いたスマホケースを外しながら、良く通る声で、真琴さんが木の向こうに声をかける。

「おう」

 俊一君の声が帰ってくる。少し戸惑っているように聞こえた。

「よし、行くぞ!」
 だけど真琴さんは構わず、その場から飛び出した。
 もちろん、その背中には一切の布も紐もなく、目に入る水着は下半身のスパッツだけ。……あと、頭に花が咲いてるけど。

 数秒後、真琴さんの背中を俊一君が追いかけていった。
 私はそれも、呆然として見つめる。

 真琴さんと俊一君が、そのまま沖に泳ぎ出すのを見ながら、呆れた。真琴さんはああなると、他人の話を聞かなくなる。――ホテルに戻ってからきつく言っておこう、と思った。

「よし、行くぞ!」
 という声がするのと同時に、人影が飛び出した。
 マコトだった。一目散に海にダッシュしていく。背中しか見えないが、上半身は裸のまま。
 一瞬迷った。しかし、
「行ってくる!」
 千晶に言い残し、腰に巻いたスマホケースを外して、俺も走り出した。マコトが先行したら、俺が追いかけるものと相場が決まっている。それは、いつどんな状況でも変わらない、俺とマコトとの間に根付いたお約束だった。

 マコトは海に飛び込み、そのまま沖に向けてクロールを始めた。五秒程度遅れて、俺が波打ち際に到達する。同じようにクロールで、マコトを追いかける。
 マコトの泳ぎは早い。俺はかけっこならマコトに負けないが、泳ぎだと俺の方がほんの僅かに速いくらいだ。五秒差はとても大きい。
 そんな間にも、マコトは沖――いや、もしかしたら対岸か――を目指してまっすぐに進んでいた。
 俺は、必死で追いかけた。

 この海岸は湾曲していて、俺達のいる場所はその海岸の端だった。マコトの進んだ方は沖というより、やはり反対側の端の方向だった。コテージを出る際にミリアから、海岸の両端を結ぶ線より外側には出ないで下さい、と言われていたので、マコトはその指示を忠実に守っていた。
 マコトにいつ追いつくかと思ったが、しばらく泳いでいなかったせいか、思ったようにマコトのところまでたどり着かない。マコトは既に、両岸の中間点を通り過ぎていた。

 どうやらマコトは、反対側の海岸近くにある岩場を目指しているようだった。俺もマコトの進行方向に合わせる。そして、四分の三を超えたあたりで、急激にマコトのスピードが落ちた。。バテたのだろう。
 徐々に二人の差が詰まり、ついに岩場の十メートル手前で追い越した。そのまま俺が、岩場に先着する。
 マコトは岩場の直前でスピードを緩め、ゆっくりと岩場の裏側に入った。俺も後を追った。

「やっぱり速いな、シュンは」
 マコトは岩場にしがみつく格好になり、顔だけを水面に出した。息が上がっている。頭上のカーネーションが、ぴょこんと立ち上がっていた。どうやら本当に海水は大丈夫なようだ。俺も隣の岩にしがみつく。
「マコトも速ぇよ。今年プール行ったか?」
「ああ、一回だけな。でも、まだちょっとなまってるなあ」
 やっぱり。

 ぼぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ………………
 船の汽笛だろうか、遙か遠くから低い音が響いた。

 不意に、マコトが少し身体を動かし、スタート地点側の海岸に目をやった。
 俺は反対側に回って、同じ方向を見る。そこでは、千晶と叶が波打ち際で海水を掛け合っていた。
「楽しそうで何よりだな」
「ああ」
 置いてけぼりにしてしまったが、二人は二人でちゃんと海をエンジョイしているようだ。今の構図に、何となく小学生の頃が重なった。
「あの頃の四人がなあ」
「ん?」
 マコトが俺に聞き返す。
「いやな、あの頃の四人が、今こんな四人になっているなんて思わなかった、って」
「ああ」
 マコトにはそれで通じたようだ。
 男一人に、女三人で。あの頃の俺は、マコトを想っていて。
 しかし結果は、俺は千晶とカップルで、マコトはまさか叶とレズカップルだ。
 そして、
「俺とマコトは……結局腐れ縁ってとこか」
「はは、そうだな」
 二人で元の位置に戻りつつ、そんな軽口を叩く。
「いつまで経っても、シュンとのサシには勝てないなあ」
 本気で悔しそうに、マコトはつぶやく。
「はは、俺は男だからな」
「はは、僕は女だからね。……水着も思った以上に違和感がないから、勝てるかもと思ったけど、体力がもたなかった」
 今。
 間違いなくマコトは意図的に、水着の話をした。
「……災難だったな」
「まあな」
 そう言ったきり、マコトは黙った。視線を感じ、俺は慎重に右を向く。果たして、マコトは首と腕だけを水面に出し、俺を見つめていた。
「やっとこっち向いた」
「そりゃあな」
 見られねえよ、安易に。
「海岸に来るまで、明らかに僕のこと避けてただろ」
「当たり前だ」
 俺は苦笑して言う。分かってて言ってるだろ、マコト。
「ちょっと寂しかったぞ。ビニールシートも二手に分かれたし」
 その声は少し茶化していたが、本気だった。
「四人で遊びに来たのに、二組に分かれっぱなしじゃ意味ないんだよ」
 だんだん。
 マコトの言いたいことがうっすらと分かってきた。しかしそれは、少なくとも俺からは踏み込んではいけない領域の気がする。だが、マコトはそれっきり黙ってしまい、話の手がかりを俺に渡してはくれない。

 数秒考えて、聞いた。

「恥ずかしくないのか?」
「めっちゃくちゃ恥ずかしい」
 即座に当然の回答が帰ってきた。が、「でも」と、マコトは続ける。
「叶には割とよく見られてるし、ちーにも風呂で見せることがあるからな。考えてみると、問題はシュンだけなんだよ。で、」
 一呼吸置いて、マコトは言った。
「四人で旅行を楽しむために必要なら、シュンには見せられる。そのくらいには、シュンは特別だ、僕にとって」

 俺は、息を呑んだ。
 「特別」――その言葉が、俺とマコトとの関係において決して恋愛を意味しないことを、俺はよく知っている。だが、それを差し引いてもその言葉は、昔の記憶に呼応した何かを呼び起こしかけた。ましてや、その特別さが、マコトの特別な部分を見られるという意味なら、なおさら。
 俺が面食らっている隙をついて、「よっ」と、マコトは岩場に上がり、腰をかけた。俺は反射的に目をそらす。しかしすぐに、それは望まれた反応ではないと気づく。
 俺はマコトが動きを止めたのが、気配で分かる。――その一瞬、脳裏を千晶の顔がよぎった。浮気じゃねえからな、四人で旅行を楽しむためだ、と言い聞かせ、千晶を、もとい自分を納得させる。
 そして、自然に――あくまで自然を装って――マコトに目を向けた。

 そこには、短髪の人魚が座っていた。

 珍しく、岩場に横座りをしていた。スパッツは膝までの丈で、そこからのびた足先はくるぶしから先が海水に浸かっている。両腕は横に置かれ、あえて身体を隠さないようにしている。そしてマコトの上半身が、真正面から俺の目に入った。
 マコトは前身から水滴をしたたらせ、笑っていた。顔が赤くなっているのは、決して遠泳の疲れからだけではないはずだ。今さら気づいたが、マコトの化粧は朝食の時から変わっていた。海に入るし、性別をごまかす必要もなくなったので、おそらく今の化粧は最小限なのだろう。いつものマコトよりも表情が女らしく見える。
 そして、――その女らしい表情にマッチしたおっぱいが、炎天下の直射日光にさらされていた。
 お世辞にも大きいとは言えないが、その形は芸術を感じさせる。改めて見た乳輪は、おそらく女の中ではそれほど大きい方ではない。そしてその頂は、少し尖っているように見えた。おそらく、海水に浸かっていたせいだろうと思う。
 顔からしたたる水が、マコトの胸元を滑っていく。ちょうどおっぱいの丘をかすめるように、水玉となって落ちていった。それが、マコトのボディラインを殊更に強調する。マコトのお腹には余計な肉は一切なく、高い位置にあるヘソが腰のくびれを強調していた。

「…………見過ぎだ、シュン」
「あっ、悪い」
 マコトの声で、俺は再び反射的に目をそらす。身体が、下半身がとても熱くなっているのを感じて――今の俺には、大きくなるはずのものが股間に存在していないことを思い出した。正直、安心した。
 これ幸いと俺も、岩場に上がる。腰に若干の違和感を覚えたが、気にせず岩場に腰をかけて、マコトと並ぶ形になった。少しだけマコトが目に入りにくくなる。もしかしたら、逆に「大きくなっていない」ことを指摘されるかもしれないと思ったが、男ではなく、かつ男性経験がないマコトにはその発想は浮かばなかったようだ。
「ちーがいるのに見て良かったのか、シュン」
「お前が言うなお前が!」
 違う方向の露骨なからかいが来て、しかしこれは黙ってはいられなかった。
「今の酷すぎるぞ、お前」
「失言だった。ごめん、謝る」
 さすがにまずかったと思ったらしく、マコトは平謝りだ。
 沈黙が場を支配してから、言葉を紡ぐ。
「お前と旅行を楽しむことと引き替えじゃなかったら、見なかったよ」
 きっぱりと言った。
 それは、本気だった。いや、本当にそういう場面が来たら、正直なところ自信は無い。だが、そうありたいと思った。
 マコトからの反応は、しばらくなかった。たっぷり一分ほどの沈黙が流れる。

「シュンは、やっぱり良い奴だ」
 マコトが口を開いた。俺はマコトを見る。当然、裸の上半身が目に入ったが、合意の元で一度見たことはやはり精神的に大きく、今度は自然に振る舞えた。
「ちーに対して、ちゃんと操を立ててる」
 なぜか遠くを見るような目で、マコトはつぶやいた。
「シュンは良い旦那になるよ」
「うるせえ。今度は結婚の催促か」
「うーん、さすがにそれは早いな」
 そう言ってマコトは笑った。いたずらっ子の少年のように。
「でも、その気はあるんだろ」
「……まあな」
 ごまかす理由はない。正直に答える。だが、途端に気恥ずかしくなった。

 ぼぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ………………
 どこからかまた、汽笛が聞こえる。

「マコト、戻るぞ。もうそろそろ昼飯だろ」
「あっ、逃げた」
 俺はマコトの言葉を聞き流し、海に浸かり、来た道を泳いで戻り始めた。マコトもついてくる。

 結果から言えば、海岸を歩いて帰ってくるのが正解だった。
 泳いできた道のりは思った以上に長く、元の場所にたどり着いた頃には正午を大幅に回っていた。
 メチャクチャ疲れた。

< つづく >

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