たった一人のための理想郷 プロローグ

プロローグ

 西暦3000年。人類は、死を克服した。国家の境を克服した。そして、暗黒の宇宙を半ばまで克服した。

 優れた医療技術は、自然死以外の死を人類から遠ざけた。その自然死すら、21世紀の平均寿命からは大きく逸脱し、全ての人類は300年の寿命を手に入れることに成功した。

 国家の垣根は、各国政府が統合して生まれた地球連邦によって完全に取り払われた。人類は国家間、民族間の争いから解放され、貧富の差からは・・・あいにく完全には解放されなかったが、それでも以前と比べればずっと豊かな暮らしを手に入れた。

 そして、かつては夢物語同然だった宇宙に関する技術もずっと発達した。さすがに夢物語そのままに実現した訳ではないが、人類は遠からず宇宙を次の開拓地とするだろう。

 だが、栄華を極めんとする人類は生物としての限界を超えすぎて、自分達の生物としての生まれを克服する事が出来なかった。・・・死を克服した人類は、地球と言うキャパシティには収まりきらないほどに、増え続けてしまったのだ。

 火星への移住計画。宇宙コロニーの建造。冷凍睡眠による人口コントロール。様々な計画が持ち上がり、実行に移され・・・成功しなかった。
 切羽詰った地球統合政府は、大型の宇宙船を建造。それにより、大型移民船団を組織しまだ見ぬ進展地を目指す開拓民としたのである。

 もっとも、開拓民とはいってもこの宇宙にそのまま人類が移住できる惑星が、幾つあるだろう? そして、当ても無く無限に近い広さを持つ宇宙空間を彷徨う移民船団が、その移住可能な惑星に出くわす可能性は・・・限りなく低い。

 移民船に乗る人々は、開拓民とは名ばかりの棄民である。これは、誰にとっても明らかだったが・・・そんな人権を無視した政策がまかり通るほどに、地球の人口は増えすぎていた。

 西暦35XX年。多くの人々が、移民船に乗って地球から旅立って行った。コールドスリープカプセルの中で、新天地への僅かな希望を抱きながら。

 彼が重い瞼を開けると、そこは暗く冷たい何処かだった。身体全体が冷たく、四肢に力が入らない。頭はぼんやりとし、睡魔と言うブレーキが働きすぎて回ってくれない。

「わしは・・・わし・・・は・・・?」
 声を出すと、段々と記憶が蘇ってきた。地球、日本エリア、人口爆発、夢、才能の限界、妥協、左遷、そしてコールドスリープ。

「わしは・・・田中健一。34歳、日本エリア出身・・・職業は第3移民船団『ギガホープ』メイン管理船技術者。
 そうだ、わしは技術者だ」
 よろりと、働く事を拒否する身体を宥めすかして、健一はコールドスリープカプセルから這い出した。

 ここは第3移民船団『ギガホープ』の航路や状態管理を司る、管理船の技術者用コールドスリープ室。自分が起こされたのは、おそらく船に何らかの異常が起きたからだろう。異常と言っても、乗っている技術者の中でも下っ端である自分が起こされたという事は・・・総出でかからなければならない重大事か、大した事の無い故障のどちらかだろう。

 自分以外に起こされた者が居ないと言う事は、きっと後者だろう。そう判断して、健一は作業服に着替えるためにスタッフルームへ向かった。・・・まだ、異常事態に気がつかないまま。

 少年時代、一流の研究者を夢見て学び、才能の限界を感じて妥協し、ギリギリ二流の技術者となり、宇宙開発の会社に就職。しかし、左遷され移民船・・・棄民船のスタッフに成り下がる。
 もちろん、これまで浮いた話も無く34年生きてきて、異性とデートした事すらない。そして今は、異性どころか起きている同姓にも滅多に会わない棄民船勤務だ。

「やれやれ、ワシみたいな落ちこぼれには相応しい末路とはいえ・・・どうにかならんもんかね?」
 まったく覇気の無い顔で、諦めを漂わせ田中健一は通路をメインルームに向かって歩いていた。

「・・・しかし、なんだぁ? 故障は人工重力発生装置か?」
 大量生産の人工重力発生装置では、地球の30パーセント前後の重力しか発生させる事ができない。しかし、健一が感じる重力は、低重力に慣れた身体にはずっしりと重い・・・まるで、遠い故郷地球と同じ1Gのようだ。

「そうだったら、ワシが起こされるはずが無いんだが・・・まぁ、それもあいつに聞けばわかるか」
 メインルームの扉の前まで来ると、健一は指紋と網膜、さらに体内に埋め込んだIDチップの審査をパスして扉をくぐる。

 中は、近代的だが様々なケーブルがまるで何かの血管のように張り巡らされた、グロテクスな部屋になっている。
 この部屋にあいつ・・・この『ギガホープ』を統括する人工知能、プロメテウスがいる。
「プロメテウス、どうした? 非常灯の交換か何かか?」
『いえ、違います』

 健一のつまらない冗談を、プロメテウスの合成音声はあっさりと否定した。
『まずは、お祝い申し上げます。田中健一新移民船団長』
「・・・はぁ?」
『たった今、貴方がこの移民船団『ギガホープ』の最高責任者になりました』

 以前より格段の進歩をした宇宙航行とは言え、何が起こるかわからない状況のため最高責任者が死亡、又は職務を全うできない状況に陥る事は充分想定できる。そのため、移民船の全てのスタッフには順位が設定されていて、非常時にはその順に最高責任者を含む管理職をあてがわれる。

「最高責任者って・・・ワシはかなり順位が下だったはずだぞ? それじゃあ・・・まさか・・・・・・」
『はい、貴方より上の順位のスタッフは全て職務を全うできない状況に陥りました』
「何だとっ!?」
 この移民船団『ギガホープ』には、何千人ものスタッフが乗っている。その殆どが使い物にならなくなったとプロメテウスは告げたのである。

「何がおめでとうございますだっ! こんな状況の何を祝えというんだ、このポンコツめっ!」
『いえ、私が祝ったのは新天地に到着したからです』
「何っ!? メ、メインモニターに映像を出せっ!」
 真っ黒だったモニターに、映像が映し出される。

 ・・・そこは、見た限りでは素晴らしい大地だった。空は青く穏やかで、草花は咲き乱れ、木々は気持ちが良さそうに光を浴びている。
 遠くには、煌く水面・・・水があるのだ、この惑星は。
 あの健一が感じた重力・・・あれはこの惑星の天然の重力だったのだ。

「おお・・・おおお・・・ワシは、ワシ達は、たどり着いたのか」
『はい、大気中の成分も地球と酷似しており呼吸可能。水もあり、気温も25℃と適温。今の所、危険なウィルスは発見されておりません。
 移住に、適した惑星です』
 感動と喜びに打ち震える健一に、プロメテウスがそう告げるが彼の頭には殆ど入ってこなかった。

「地球の奴らめ、ざまあみろっ! ワシ達は棄民じゃないっ! 理想郷の開拓者だっ! さぁ、プロメテウスよ。船団長としての最初の命令だっ! みんなのコールドスリープを解けっ! この大地を見せてやれっ!」
『不可能です、田中船団長』
「・・・なに?」

『不可能です、田中船団長』
 プロメテウスの、人間に服従する人工知能の返答に訝しげに聞き返す健一に、プロメテウスはもう一度同じ返答を応えた。

「どういう意味だ? 何かの不具合か?」
『・・・私はこの惑星を発見し、衛星軌道上から小型探査機を送り込み、充分移民可能な環境だと判断し、プログラムに従い大気圏に突入。着陸を試みました。着陸完了後、全ての乗員乗客をコールドスリープ状態から蘇生するための措置を行い・・・そこで、蘇生するための装置に重大な欠陥がある事が判明しました』
「・・・欠陥? 全ての乗員乗客だと・・・じゃあ、まさかっ!?」

『はい、コールドスリープから蘇生できたのは、田中船団長だけです』
「な、なら急いで蘇生装置を修理すれば・・・・・・・」
『いえ、不可能です。ギガホープ移民船団の乗員乗客は、後10分前後で絶命します。問題の欠陥は重大で、修理のためには代えの部品を大量に消費しなければなりません。
・・・本船団にはそこまでの予備パーツは無く、また修理を行うには専門の技術者が必要です。残念ながら田中船団長は、専門家ではありません』

「じゃあ、ワシ1人なのか? この理想郷にたどり着いたのは・・・」
『はい。本船団の乗員乗客約500万人の内、生存者は田中船団長お1人のみとなります。
 ・・・つい先程、貴方は私をポンコツと言われましたが、その通りです。私はポンコツです』

 がっくりと健一は膝を付いた。人工知能は、嘘をつかない。プロメテウスが、どうにもならないと言ったら、本当にどうにもならないのだ。
 地球から途方も無く離れた楽園のような惑星に、自分一人。あるのは、大量な移住用の様々な機材に薬品に食料等を満載した、500万人が眠る鋼鉄の棺桶の群れ。

 地球に帰ろうにも、この『ギガホープ』のどの船も再び宇宙へ上がるための燃料は無い。移民船団は地球から飛び立ち加速したら、後は慣性のみで航行し移住先を探す。・・・それだけだ。帰りの分の燃料など、一滴も最初から積まれていない。
 そもそも、帰れないだろう。田中健一は。地球にたどり着くまでの気の遠くなる年月を、どうやって生きろというのか? 今度は二度と起きられないかもしれないコールドスリープ装置に身を横たえるのは、自殺行為だ。

「・・・移住しようにも、ワシ一代で終わる。こんな惑星に、中途半端な技術しかないワシと人工知能のみ・・・。
 どうしろと言うんだぁぁぁあああああぁっ!」
 頭を抱え、田中健一は絶叫した。深い、深い絶望が健一の精神を塗りつぶしていく。

 ・・・。
 ・・・・・・。
 ・・・・・・・・・。

 それは、神の声だったかもしれない。いや、悪魔の囁きだろうか? ・・・それが、例え絶望から生まれた狂気の産物だったとしても、健一は構わなかった。
「プロメテウス・・・命令だ。全ての乗員乗客のDNAサンプルを取れ。大至急だ」
『はい、船団長。・・・何か考えが?』

 ゆっくりと立ち上がりながら、田中健一は微笑を浮かべた。その顔からは、諦めも絶望も漂ってはいない。あるのは・・・狂気にも似た野望。

「プロメテウス・・・ギリシャ神話のプロメテウスが人間に火を授けたように、ワシにお前の知識と技術を貸せ。ワシは、この惑星をワシの理想郷に作り変える。
 地球から捨てられた? ワシ一人しか生き残らなかった? ・・・違うっ! ワシは解放されたんだっ! 地球から。地球の全てから。そして、機会を得たんだっ! 自分で自分のための理想郷の王となる機会をっ!」
・・・協力してくれるな? プロメテウス」

『・・・移民船団法第3条、地球を出た後の全ての判断は、船団長に委ねられる。田中船団長の判断は、至って合法です』
「それでいい。・・・サンプル、しっかり取れよ」
『了解しました』

 それから、田中健一はそれまでしなかった必死の努力を行った。プロメテウスと共に、この惑星を彼は理想郷へと造り変えたのだ。
 まず、『ギガホープ』の探査機群にデータを収集させこの惑星の気候や地理、自然の動植物の分布生態を分析した。

 分析の結果、この惑星の動植物の進化は地球に近く、しかし進化した猿人を初めとする人類の祖は存在しないようだった。
 気候も地球に近く・・・いや、いっそ地球より穏やかといえるほどだった。

 それらの分析の結果、都市建設に優れていると思われる土地をピックアップ。プロメテウスと建築用の資材と指揮下のロボットを使い、都市を建設した。もちろん、人間の住むための都市だ。
 もちろん、住だけではなく食もしっかりと整備した。動植物の品種改良による、家畜と農作物を作り出した。畜産や農耕のための土地は自然を壊さないよう慎重に吟味され、作業員は全てロボットだ。

 もちろん、他にも生活に必要な品はもちろん嗜好品まで生産ラインをしっかり整備した。

 この惑星・・・田中健一が名づけた惑星『アルカディア』は、人間がいない他は完全な都市を備えた人類が生活可能な惑星となっていた。
 そして、それは田中健一がこのアルカディアに降り立ってから500年の時間が経っていた。

「・・・状況を報告しろ、プロメテウス」
 しわがれた声で、田中健一が命じた。
『はい、船団長。ネオトーキョウ、ネオアメリカ、ネオシャンハイ、ネオベネチア、ネオブラジル、ネオインド、ダコン帝国、ライカン解放軍、ヴァンデル諸島域、暗黒大陸、全ての都市建設計画達成率は100パーセントを達成しました。また、住民移住後のための施設も食料の供給システムも、完全です』

「そうか・・・では、我が臣民達は?」
『はい、各地のクローニング施設は問題なく稼動しています。人間、ダコン、ライカン、ヴァンデル。全て問題ありません。また、船団長の発明した『催眠学習装置』により、模擬記憶はもちろん、アルカディアの法や常識、さらには反政府思想まで刷り込まれた状態で誕生させる事に成功しています。
 現在の生産体制で、一日1万の臣民を生産する事が可能です』

「・・・問題なしか。長かったな。ここまで来るのに」
『ポンコツと凡人のタッグなら、よくやった方でしょう』
「ふっ、たしかに・・・」

 このごろ冗談を言うようになったプロメテウスに、健一は微笑で返した。
「さて、では最終段階に移行するか」
『まだ成人していませんが・・・よろしいのですか?』
「ああ、もうもちそうに無いのでな」

 そう応えながら、小さな作動音を立てる自作の義足で健一は立ち上がる。
 500年は長かった。・・・老化停止酵素により、老衰を遠ざけてもなお足りない。身体の機械化を行う事により何とか、健一は生きている状態だったが・・・それも限界のようだ。

「ワシは・・・この人類の新たなる理想郷を作り上げるために、心血を注いだ。500年だ。500年懸命に働いたのだ。
 なら、それ相応な楽をしても・・・構うまい」

『労働には報酬を。船団長の言うことは間違いではありません』
 ゆっくりと歩く健一の呟きを拾ったプロメテウスが、通路のスピーカーを使ってそう応える。

「ほう、クローニングを行う時は一応止めたくせに、クローンに好き勝手をする事は止めんのか?」
 健一は、人口の問題をクローンの培養によって片付けるという方法をとった。それも、乗員乗客の中から女性で美しい容姿やスタイルに優れた27人を選び、そこから遺伝子操作により幾つものバリエーションと肉体改造を施している。

 もちろん、人間のクローニングは法律によって厳しく制限されていたが・・・ここは地球ではない。プロメテウスが、形だけ止めただけですぐに従ったのもそのせいだ。

『はい。船団長が女性のみクローン培養を行おうと、そのクローンに洗脳や肉体改造を施そうと、私は問題無しと認識しています。クローニングは禁止されていましたが、クローンに人権はありませんから』
「くっくっく、たしかに。・・・しかし、ワシの場合は良いのか?」

『クローン法特例第5条、特定の人物が危険の状態にある場合、クローニングを行い記憶を受け継がせても良い』
「そういえば、そんな法律もあったな。・・・着いたか」

 健一の前には、玉座めいた椅子とコードが無数にくっついたヘルメット。そして、その背後の人工用水で満たされたケースの中に浮かぶ赤子があった。
「最後に・・・ワシは私になろう。若く、健康で美しい肉体に生まれ変わるのだ。
 記憶のダウンロードと、身体の培養を頼むぞ。プロメテウス」

 玉座に倒れこむように座り込み、震え始めた腕でヘルメットをつける。
『はい。しかし、1つ質問があります』
「なん・・・だ?」

『生まれ変わった船団長を、私はなんと呼べばいいのでしょう?』
「田中・・・田中健一のままで良いだろう。平凡なこの名は・・・ここアルカディアでは神の名となる。
 おやすみだ、プロメテウス。少しの・・・あい・・・・・だ・・・」
『はい、おやすみなさい。田中健一船団長』

 そうプロメテウスは、がっくりと力を失った田中健一に挨拶をすると、それきり黙って作業を続けた。
 彼にとっては、まだ目覚めぬクローン達がどれほど増えようと、相変わらず人類は田中健一ただ一人。その彼の命令を実行に移す事だけが、彼にとっての存在意義だ。

 アルカディアの管理人工知能となったプロメテウスは、たった一人のための理想郷と言う名の箱庭のために、動き続ける。・・・永遠に。

< つづく >

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