女王の庭 第8章

第8章 涙

 大学教授でも、雑念に悩まされることはある。

 最近、大嶋は、小野寺晴菜のことが気になって仕方がない。
 ゼミの授業中や、自分の研究室に遊びに来ているとき、小野寺晴菜の整った顔やほっそりした身体に、どうしても視線がひきつけられてしまう。

 こんなふうに自分の教え子のことが気になるのはじめてだった。

 これまでも、若い学生たちと接していて、美人の女子学生がいれば当然目に留まった。
 でも、それだけだった。
 特別な願望の対象として考えることはないし、教える上では普通の学生と同じように接する。外見よりむしろ、勉強熱心な学生や、変わったものの見方で大嶋自身の刺激になる学生たちのほうが、興味がある。

 これまでは、そうだった。

 小野寺晴菜は、初めての例外だった。
 確かに熱心な子だし、素直に話を聞いてくれるので、教授として接していても気持ちのいい子だ。
 しかし、大嶋が小野寺晴菜に感じているのは、それだけではない。
 どうしても、女としての側面を見てしまう。
 上品で端正な顔立ち。夏の薄着のせいではっきりとわかるボディライン。スカートから覗く太もも。シャツの襟元から覗く胸元。
 それが頭から離れない。自然と目が引き寄せられてしまう。

 自分でも呆れてしまう。

 同じ仕事を長年やってきたせいで、研究や教育という、教授の職分に飽きてきたということなのかもしれない。
 だとしたら、定年には早いが、もう引退すべきかもしれない。
 そんなふうに考えて苦笑いをする。

 美人なだけならほかにもいる。これまでだって、いろんな学生たちを見てきた。
 どうして、今回だけ、どうして小野寺晴菜だけが、こんなに気になるのか自分でも理解できない。

 いつごろからだろう?

 4月にゼミ生の選抜を終えた頃は、特別な感情はなかった。
 ああすごい美人がいるな、とは思った。美人のゼミ生がいると、ゼミのなかで学生同士でゴタゴタすることがあるので、そんなことがあると教えにくいなと心配した。
 そんな程度だ。

 おそらく、大嶋が意識し始めたのは夏休み中だ。
 小野寺晴菜は下川倫子と一緒に、何度か研究室に、質問だかおしゃべりだかにやって来た。
 その訪問の中の、いつかだ。

 小野寺晴菜と下川倫子は、学期の途中から、一緒によく研究室に来るようになっていた。
 小野寺晴菜は、それなりに質問をしたりもするが、下川倫子は、もっぱらおしゃべりしかしない。
 どうやら下川倫子が小野寺晴菜を引っ張って来ているようだった。
 おしゃべりだけでは失礼だと思って小野寺晴菜が、無理にゼミや勉強と関係のある話題に触れているというのが実情のようだ。

 教務や研究の締切があって忙しいとき以外は、できるだけ大嶋は、研究室に来た学生の相手をするようにしている。自分が学生だった頃、先生の研究室の敷居が高かったことをよく覚えているので、わざわざやってきてくれた学生は歓迎したかった。実際、世代の違う学生と話すのは、大嶋にとっては刺激的で面白い。
 もっとも、下川倫子が、ファッション雑誌を大嶋に見せてどちらのワンピースがいいか聞いてきたり、大嶋には顔の区別もつかないタレントの名前を並べてゴシップを教えてくれるのには、いささか閉口したが。

 下川倫子は、勉強熱心というわけでもない。そんな彼女が、週1回は研究室に(おしゃべりするだけとは言え)顔を出すようになったのは、意外な気もする。
 いかにも現代女子大生風な外見・態度の下川倫子だが、学生の中で、意外と周りのことをよく見て、配慮しているらしいことはわかる。

 大嶋が、下川倫子に興味を引かれたのは、ゴールデンウィーク前のゼミ生との飲み会で、話したことがきっかけだ。彼女が研究室に顔を出すようになったのも、それ以降だと思う。

 研究の話にはまったく興味なさげだった下川倫子が、センセイの言っている経営者の品格とは何かと聞いてきた。経営者は、会社のためだといって、ライバルを蹴落としたり、人を陥れたり、自分の家族や社員を犠牲にする、それのどこが品格なのかと。
 大嶋は、気分よく酔っていたので、どんな話をしたか、詳しくは覚えていない。たしか、経営者が背負っているものの重さというようなことを話したと思う。自分の野心とかプライドとかだけでなく、代々継がれてきた暖簾だとか、従業員とその家族の生活だとか、そういう重みについて話した。学者の自分はえらそうなことを言っているけど、何も背負っていない……とかなんとか。
 記憶を手繰ってみても、下川倫子の疑問には答えていなかったように思う。

 そのあとで、大嶋は、下川倫子の父親が地元で、飲食店や不動産業を大規模に経営しているということを知った。そしてそれだけでなく、いささか人に言いにくい商売もやっているらしい。
 彼女自身が父親の仕事のことをどう思っているのかはわからない。だがきっと、自分の父親のことが頭にあって、大嶋にああいう質問をしてきたのだろう。

 そのことに気がついて、大嶋は下川倫子に興味を持つようになった。
 下川倫子が、大嶋の研究室に寄り付くようになったのも、たぶん大嶋の言葉のなにかが、心に掛かったのではないかと思う。それが、彼女の気に入ったのか気にくわなかったのかはともかくとして。

 もっとも、下川倫子が研究室に来てやることといえば、女性週刊誌と女性ファッション誌の内容を、大嶋が自分で読まなくても済むくらいに詳しく教えてくれることと、小野寺晴菜が持ってきたクッキーや茶菓子を1人で全部食べてしまうことぐらいなのだが。

 夏期休暇中のその日、下川倫子は、前もって大嶋の予定を調べて、研究室にいる日を選んでやって来た。そこまでして来たのに、研究室でする話といえば、女子アナがスポーツ選手とばかり結婚する理由についての考察だった。

 一緒に来ていた小野寺晴菜は、下川倫子とは対照的に、相変わらず真面目だった。研究室のPCから、契約しているデータベースを使って、夏期レポートのための調べものをしていた。

 夏期レポートは、そんなふうにリサーチを積み重ねるのではなくて、自分の頭で分析と予測をやって欲しいというのが大嶋の意向だった。大嶋は、小野寺晴菜に一言声をかけようとしたところで、言葉を失った。小野寺晴菜の美しい姿に目を奪われた。

 整った横顔がモニターを見つめ、すらりとした指で真剣そうにメモを取る。エアコンの風が当たるらしく、長い髪が額にかかると、細い指で掻きあげる。
 ブラインドの隙間から指す光が、ノースリーブでむき出しになった白い肩の上で遊んでいた。スカートの丈が短くて、白い太ももが妙に肉惑的だ。真横から見ると、普段意識したこともない胸の膨らみが気になる。

 下川倫子が何か言ったようだが、聞き取れない。

 大嶋は、輝いて見えるような小野寺晴菜の美しい姿に、胸をつかれて見つめ続ける。
 窓の外から、蝉しぐれがわんわんと耳に響く。
 たくさんの蝉の中で、窓のすぐそこの並木にとまって、ひときわ大きく鳴いていた一匹が鳴き止む。

 それがきっかけで、大嶋ははっと我に返る。
 ずっと教え子の姿に見とれていたと気づいて、すこし恥ずかしい気持ちになる。

 ふと見ると、下川倫子も同じように小野寺晴菜のほうを見つめていた。
 同性でも心を奪われるということか。
 だったら、大嶋が心をひきつけられてもしかたがないのかもしれない。

 下川倫子が称賛するように言った。
「ハルハルって、ホント綺麗ですよねぇ」
 大嶋が小野寺晴菜に見とれていたことを、下川倫子に見透かされていたようだ。なんだか照れくさい。

「下川さんだって、男子学生に人気あるらしいじゃないですか」
「そんなことないですよ」
 下川倫子は、小野寺晴菜から目をそらして苦笑いした。

 大嶋は、その日以来、小野寺晴菜を見るたびに、その美しさに打たれ、ほのかな色香に心を乱されて、年甲斐もなく胸がざわめいた。特に、下期の最初のゼミの授業で、体調を崩した小野寺晴菜が、顔を真っ赤にして荒い息をついていたときの、その姿は、いつになく艶かしく、大嶋の心を惑わせた。

 これは重症だな。

 もっとも、それを気に病んでもしかたがない。
 大嶋は、物事を思い悩む性質ではない。
 幸いなことに、大嶋の妻はすでに亡くなっているので、後ろめたく思う必要もない。
 心の中で、大嶋が小野寺晴菜のことを気にかけているだけなら、かまわない。周りに迷惑がかかるようなことがないよう、配慮しさえすれば。

 そんなふうに考えていたので、下川倫子と小野寺晴菜から、「さゝき屋」の雉料理に誘われた(大嶋は「ねだられた」だと解釈した)とき、思い煩ってためらうようなことはなかった。喜んで招きを受けた。

 「さゝき屋」へは、小野寺晴菜も下川倫子もスーツを着て来ていた。
 最初は、わざわざ自分との食事会のために正装してきたのかと思ったら、そういえば、ゼミの調査アンケートの回収のために、会社を訪ねているはずの日だった。

 8畳の座敷を贅沢に3人だけで占有して、膳に置かれた雉料理をつつき、日本酒を飲む。
 下川倫子は、やたらと飲んだ。ずいぶん酔っ払っている。

 たしかこの店は、なかなか予約の取れない有名店のはずだ。
 聞いてみると、下川倫子の父親の関係で簡単に予約が取れるのだと言う。代金も、下川の奢りだと言い出したので、大嶋も小野寺晴菜も、慌てて抗議した。
 小野寺晴菜はともかく大嶋は、教え子に奢ってもらったというのでは格好がつかない。

 下川倫子は、最初は「いいのよいいのよ、二人にはぁ、お世話になってるからぁ」などと酔っ払った口調ではあるものの、まだ比較的丁寧に辞退していた。だが最後には「あたしの奢りじゃ飲み食いできないとでも言うのぉ?」とカラみ始めた。
 大嶋は、「先生のメンツってのにも気を使ってくれ。奢ってくれるなら下川さんが勤め始めた後にしてくれ」となだめすかして、なんとか10万円を握らせて、5万円をつき返された。

 まったく、食事の途中で生々しくお札をやりとりすることになるとは。いい大人がみっともない……。

 小さな声で小野寺晴菜に聞いた。
「下川さん、いつもこんなふうに酔っぱらうの?」
「えーと、たまに」
 そのあとクスクス笑い出す。
「どうしたの?」
「下川さんて、いい男がいると、すぐに酔っぱらうそうですよ」
 大嶋は呆れてため息をつく。
 小野寺晴菜は楽しそうにクスクスと笑った。
 ほのかに目元を染めながら笑う晴菜に、大嶋は見惚れた。

 下川倫子が、「センセイとハルハル、ヒソヒソ話してアヤしい!」と叫びながら、横から小野寺晴菜に抱きついてきた。
「やめてよミッちゃん、先生いるでしょう?」「ヒドい、私よりセンセイをかばうんだ!」「あ、お皿! ちょっと、暴れないでミッちゃん」

 大嶋は、じゃれ合う二人を笑いながら見ていた。
 まったくタイプが違いそうなのに、この二人は本当に仲がいい。

 ふざけあった拍子に、小野寺晴菜が姿勢を崩して畳の上に手をついて、膝元のスカートの裾が乱れた。
 ダークグレーのタイトスカートがめくれ上がって、ストッキングに包まれた太ももが根元まで見えた。

 ハッとなって大嶋は盃を持つ手を止めた。

 小野寺晴菜が起き直って、スカートの裾を整える。
 大嶋は慌てて目をそらした。
 子供のように無邪気にじゃれあっている合間に、ふと覗いた大人の色気に、胸が高鳴った。
 手に持ったままの盃に気づいて一気に飲み干す。

 小野寺晴菜が気づいて、お酒を注いでくれた。
「なんか下川さん、今夜ははしゃぎすぎです」
 困ったように晴菜が大嶋にこぼす。それでも、下川倫子のほうを見る視線は、好意と親密さに満ちている。

 小野寺晴菜は、大嶋に、下川倫子の酒にまつわる武勇伝をいくつか話してくれた。どのエピソードも、一文で要約できる。酔っ払ったふりをして、どさくさにまぎれて日ごろの憂さを晴らしたり、店に無茶なことをしたという話だった。

 合間合間に、晴菜が酒のおかわりを注文する。

 下川倫子はお返しに、小野寺晴菜と、同じく大嶋ゼミの今井弘充とのラブラブぶりを大嶋に披露した。この二人がつき合っていることは大嶋も知っている。
「今井君も今夜呼んであげればよかったのに」
 大嶋がそう言うと、二人とも反対した。小野寺晴菜は「恥ずかしいから」、下川倫子は「今井クンがいるとハルハルが私の相手をしてくれない!」と言った。
 微笑ましいやり取りだった。

 しばらく落ち着いていたのに、小野寺晴菜の恋人の話題をネタに下川倫子がまたふざけ始めた。「今井クンがいない隙に、ハルハルを奪っちゃえー」と言ってまた小野寺晴菜に抱きついた。
 バタバタと二人で暴れる。
 下川倫子が小野寺晴菜にキスしようとして、小野寺晴菜が逃げる。小野寺晴菜が、横膝になりながら身体をそらし、下川倫子がその上からのしかかる格好になる。
 なんだか艶かしい光景だ。

 大嶋は目をそらしながら、軽くたしなめた。
「下川さんも、そのへんにしておいてあげたら」

「ほら先生もそう言ってるでしょ」
 晴菜が身を起こしながら言う。

 下川倫子は聞いていない。
「ハルハル、隙あり~ッ!」
 そう言って、なぜだか小野寺晴菜のスカートをめくり上げた。

 小野寺晴菜は膝立ちになりかけていたところで、スカートを完全にめくられて、ストッキング越しにショーツまで見えてしまう。

 大嶋は、手に持った盃を落としそうになった。
 中身が入っていたらこぼすところだった。空になっていて良かった。

 小野寺晴菜は、ぱっと下川倫子から飛びのいて、真っ赤になりながら、スカートの裾を直した。

「ハルハル、セクシ~」
 下川倫子が舌の回らない口調で言いながら、拍手する。

 小野寺晴菜が、語気を強めて叱った。
「ミッちゃん! ふざけるのもいい加減にして。先生もいるのよ。先生に失礼よ」
 その後大嶋のほうを向いて謝る。
「先生、本当にごめんなさい。みっともないところお見せして」
 そう言って恥ずかしそうにする。

 大嶋は、一瞬見た光景に年甲斐もなく胸を高鳴らせながら、答える。
「あ、いや」

「本当にごめんなさい。ほら、ミッちゃんも謝るの!」
 小野寺晴菜は、相変わらずキャハキャハ笑っている下川の頭をいったんはたいてから、頭を上から押さえつけるようにして、頭を下げさせた。

「ウワー、ハルハルに怒られた~」
 晴菜は、下川倫子にはかまわず、大嶋の横に来て、空になった盃に酒を注ぎ足した。
 そのまま大嶋の横に座って、大嶋と話をした。
 かわいい子のことを悪く言う母親のように、下川倫子のことを愚痴った。

 いくぶんか酒に酔った晴菜は、澄んだ美貌に柔らかな赤みが差し、普段より艶かしく感じられる。チラリチラリと晴菜の綺麗な顔を窺う。下川倫子と暴れた後なので汗をかいて、晴菜の身体からかすかな香りが漂ってくる。
 ブラウスの襟元から覗く肌や、スーツスカートの裾から覗く太ももに目をひきつけられそうになる。
 大嶋自身酔ったせいか、晴菜の身体が気になってしようがない。

 下川倫子は、晴菜に叱られて、しばらくぼんやりしたままだったが、急にぴょんと立ち上がった。
 晴菜が、子供に叱るような口調でたしなめる。
「ミッちゃん! 落ち着いてられないの?」

「ん? トイレ言ってきま~す」
 下川倫子は敬礼してそう言うと、すたすたと歩き去ってしまった。

 大嶋は晴菜と顔を見合わせて笑った。

 部屋の中は、大嶋と晴菜の二人きりになった。二人とも黙り込む。

 晴菜が大嶋の盃に酒を注ぐ。
 飲み干す。
 また晴菜が酒を注ぐ。
 飲み干す。

 落ち着かなかった。
 部屋中が、晴菜から立ち上る芳香で満たされているような気がしてクラクラした。

 晴菜の顔を見ると、晴菜が笑いかけてきた。
 上目遣いで見つめる視線に、どきりとした。
「小野寺さんは、飲まないの?」

「私は、もう……」
 そう言って笑う。
 それ以上、口を開かない。

「ああ、下川さん、遅いね」
「ええ」
 またしばらく黙る。

「様子見てきたほうがいいんじゃないですか?」
「たぶん大丈夫だと思いますよ」
 そう言いながらも、晴菜は立ち上がって部屋を後にした。

 ほっとした。
 ほっとしたが、なんだ寂しい気もした。
 晴菜がいなくなるだけで、部屋の温度が少し下がったような気がした。
 手酌で酒を飲む。ため息をついた。
 知らず知らずに、晴菜が戻ってくるのを待ち侘びていることに気づく。

 襖が開いた音に顔を上げると、着物を着た仲居だったので、がっかりする。仲居が持つお盆の上に、冷酒のハーフボトルを3本と、焼酎、ビール2本を並べている。

「こんなに頼んでないと思うんですが?」
「いえ、さきほど、お連れ様の女性の方から……」
「どちらの?」
「巻き髪にしてらっしゃる方のほうです」
 下川倫子だ。
 まだ飲む気か?

 仲居が下がるのと入れ替わりに晴菜が戻ってきた。
 再び急に暑くなる。

「下川さんは?」
「しばらく星を見るとか……」
 そう言って晴菜がくすりと笑った。
「いいの? 放っておいて?」
「足元はふらついたりはしてなかったので、はしゃいでいるわりには酔ってはいなかったみたいでした。『私は星を見る、ハルハルはセンセイの面倒を見る』って言われたんで戻って来ました」
「下川さんは、もうおじさんの相手はイヤだってことかな?」
「そんなことないですよぉ。ミッちゃんって先生のファンなんですから。……実は私もそうなんですけど」

 晴菜がまた、大嶋の横に座る。お盆の上に並んでいる酒のボトルの束を見て目を丸くする。
「下川さんが注文したそうですよ。まだ飲むつもりだったらしい。すっかり忘れて今は星を見てるみたいだけど」

「呆れた……」
 晴菜が笑う。
「じゃあ、せっかく注文したんだし、飲んじゃいましょう」

 晴菜がグラスに冷酒を注ぐ。
 大嶋は、すでにもうずいぶん飲んんでいる。
 さすがに酔った。
 酔うと、晴菜がますます綺麗に見える。

 晴菜が言う。
「晴菜も、いただこうかな」
 大嶋が注いでやると、晴菜はグラスを傾けて飲む。白く細い喉が動くのが艶かしい。

「このお酒、美味しい!」
 驚いたようにそう言って、グラスを大嶋の前の膳の上に置く。膝を崩すと、晴菜の身体が大嶋のほうに傾く。スーツスカートの裾から太ももが斜めになって見える。

 おや、さっきはストッキングを穿いていたのに?
 だめだ。どうしてこんなに色っぽいんだ?

「うふふ。先生? どこ見てるんですか?」
 慌てて顔を上げると、晴菜が首を傾けながら、大嶋のすぐ側から見上げていた。頬を艶かしく染めて、潤んだ瞳で見上げてくる。

 ドクンと胸が高鳴る。

 晴菜が「うふふ」と笑う。
 さらに酔ったせいか、整った美貌が、ますます柔らかく、くすんで見える。
 桜の花びらのようなピンクの唇が、艶々として、美味しそうに見える。

 自分のことをいぶかしむ。
 どうして教え子のことをこんな目で見てしまうんだろう?

 晴菜が顔を近づけてきて、キスをしてきた。

 拒もう、と思ったのは頭の中でだけだった。
 大嶋は晴菜の唇に吸いつく。
 晴菜が舌を差し入れてくると、絡め取ってしまう。
 甘い口づけを味わう。
 晴菜が大嶋の背中に手を回して、全身を押し付けてくる。晴菜の体温を感じる。晴菜の香りを感じる。

 長いキスを続ける。大嶋が口づけを終わらせようとしても、晴菜のほうがなおも押し付けてくる。

「先生、キス上手です」

 最近の女子大生は、こういうものなのだろうか? 小野寺晴菜のような、おとなしそうな子でも、こういう粘っこいキスが普通なんだろうか?
 歳を取ったものだ。

「先生、もっとキスしてください」
「お、小野寺さん……」
 綺麗な瞳を潤ませて、ねだられると、拒むことができない。誘うように半開きにしている、ピンク色の唇に再び吸い付いてしまう。

 晴菜が嬉しそうに声を出す。
「ンフン」

 今度は、短いキスを何度も繰り返す。
 唇を合わせ、舌をつつき合って、もっと舌を差し入れようとすると、晴菜は逃げるように唇を離す。大嶋がそれを追うと、晴菜は大嶋をかわして、頬や顎にキスをする。大嶋が諦めると、今度は晴菜のほうから唇に吸い付いてくる。

 どちらが年長者だかわからない。たかだか20歳の女の子に、キスごときで、大嶋が翻弄されている。

 キスの合間に晴菜が大嶋の手を取ってブラウスの襟元へと誘う。
「先生、触って」
 晴菜の唇に夢中になっている大嶋は、自制心も何も働かない。導かれるがままに、ブラウスの中へ手を差し入いれ、暖かな胸のふくらみに触れる。

 え? ノーブラ?
 驚いて大嶋は、キスを中断して、顔を上げる。

 晴菜が、年上の男をいたずらっぽく見る。
「先生、触って」
 もう一度そう言って、引っこめようとした大嶋の手をしっかりと掴む。
 晴菜は、大嶋の手のひらを自分の乳房に押し付けて、こねるようにぐるりと動かす。晴菜が「ンフン」とため息をつく。

 かすかに汗ばんで、柔らかで、豊かな膨らみ。大嶋の薬指の腹の辺りに突起が当たる。自然と指が乳首をまさぐる。
「小野寺さん……だめです……」
 口ではそう言うのだが、手は晴菜の柔らかな肌に吸い付いたままだ。

 晴菜が、甘えるように拗ねてみせる。
「どうしてだめだなんて言うんですか? 先生。ずっと触りたそうにしてたじゃないですか」
「小野寺さん、そんな、なんて……」
 大嶋の言葉を晴菜の唇が塞ぐ。

 短いキスを終えて、晴菜は、もう一度せがむ。
「先生。晴菜のオッパイ、もっとちゃんと触ってください」
 晴菜は、もう大嶋の手首にかけた手を放している。大嶋は自分の意思で、晴菜の乳房をやわらかく撫でる。

 晴菜が、ブラウスのボタンを外している。

「小野寺さん、私は……」
 大嶋は、止めようと思うのだが、なんと言っていいのかわからない。
 小野寺晴菜の美しい顔が誘うように微笑み、小野寺晴菜の美しい肢体が、何かを待ちかねたようにくねる。それを目にすると、大嶋の理性が上手く働かない。

 何も考えなくてもいいのだと、言い含めるように、晴菜が大嶋の顔のあちこちにキスをする。
 ブラウスの襟をはだけ、上半身を見せる。明るい蛍光灯の下、綺麗な胸の形が露になる。大嶋の両手が、その胸の全てを確かめようとする。

「先生。えっちなことしましょう。先生、晴菜は、知ってるんですよ。先生がいつも、晴菜のことやらしい目で見てたってこと。だから、えっちしましょう」

 あの、まじめで奥ゆかしい小野寺晴菜が、大嶋のことを誘っている。教え子が、教授を誘っている。

「だめです。だめですよ、小野寺さん」
 学生とそんな関係になるわけには行かない。

 晴菜のオッパイをさすっていた手を止める。だが、未練がましく、晴菜の胸のふくらみから手を放すことができない。

「先生ぃ、もっとオッパイ触ってください」
 晴菜が、前かがみになって大嶋のズボンのベルトに手をかける。ベルトのバックルを外し、ズボンのファスナーを下ろし、その下から大嶋の一物を取り出そうとする。

 大嶋は同じ言葉を繰り返す。
「だめです、小野寺さん。だめです」
「だめじゃないですよ。だってもうこんなに大きくなってますよ」
 晴菜の細い指が、大嶋のペニスを取り出す。嬉しそうに笑いながら指先であやす。

「ああっ」
 大嶋がビクリと身体をひくつかせる。

 ああ、信じられない。小野寺晴菜が、こんなことをしてくれるなんて……。こんな綺麗な子が。

「先生ぃ。どうして晴菜のオッパイもっと触ってくれないんですか?」
「いや、だって……」
「先生。えっちしましょうよ」
「そんなわけには……。君は教え子だし……それに、こんなお店で……」
「このお店は、そういうの大丈夫です。秘密守るそうです。ミッちゃんのほうも、大丈夫です。しばらく戻って来させないようにしましたから。ミッちゃんが戻ってくるまでに、さっさとやっちゃいましょう。ね、先生?」

 おとなしそうだった晴菜の、あまりにあからさまな誘いに、大嶋は、ゾクリとする。ついふらふらと、晴菜のほうに身体を傾ける。

「先生。もしかして、もうオッパイ飽きちゃったんですか? じゃあ、こっち触ってください」
 そう言って晴菜は、横膝になった腰を少し浮かせて、タイトスカートをめくり上げる。それまでもギリギリまで太ももの根元を露出させて、大嶋の目を誘っていたのが、完全に露出させる。

 下もノーパンだった。

「お、小野寺さん!」
「びっくりしました? 下着つけてないから? 先生に触ってもらいたくて、邪魔なものは脱いできちゃいました。うふふ」
「小野寺さん!」

 相手は教え子だ。そう思うのに、大嶋の一物は、晴菜の薄い毛に包まれたアソコを見せられて、いっそう反応してしまう。

「先生。触ってください」
「ああ……小野寺さん……そんなことを」
 大嶋は、晴菜に誘われるがままに、身を乗り出して、晴菜の股間に手を伸ばす。直接触るようなことはせず、まず内腿のあたりからそっと撫でる。晴菜の反応を確かめる。

「ウフン。先生、やさしいんですね。もっと、直接アソコに触っていいんですよ。私は大丈夫ですから」
 小野寺さん……。なんて可愛いんだ。

 大嶋は、女性器に手を伸ばす。大陰唇から、入り口をそっとかすめるように指を動かす。

「アン。もっと、ちゃんと触って」
「こう?」
 割れ目に沿って指を動かす。
 普通のときなら、いきなりこんな愛撫は早すぎる。
 でも晴菜はうれしそうに声を上げる。

「小野寺さん、いいの?」
 晴菜が大嶋のことを、甘い視線で見上げる。

「ウフン。先生になら、何されてもいい」
 小野寺晴菜のなまめかしい声に促される。こんなかわいい子にそこまで言われて、踏みとどまることはできない。

「小野寺さん……。そんなこと……。でも、小野寺さんはせっかちすぎですよ。もっと、ゆっくりしましょう」
 大嶋は、晴菜の美しい身体に没頭して行った。

 やっと、大嶋先生をその気にさせることができた。晴菜はうれしかった。わくわくしていた。
 とうとう、大嶋先生をその気にさせてしまった。晴菜は恥ずかしかった。自分が怖かった。

 大嶋先生とえっちしなければならない。大嶋先生とえっちしたい。
 そんな気持ちが急激に沸き起こってきたのは、倫子がいなくなって、大嶋先生と二人きりになってからだ。

 そのずっと前から、不思議な感覚はあった。
 食事会の最初から、なんだかうきうきしていた。
 大嶋先生と話すのが、とても楽しかった。大嶋先生が晴菜を見てくれると心が浮き立った。

 晴菜は大嶋先生ともっと話をしたいのに、ときどき倫子が邪魔をする。
 倫子は嫉妬しているのかもしれない。倫子は晴菜のことも、大嶋先生のことも気に入っている。晴菜と大嶋先生に仲間はずれにされたような気になっていたのかもしれない。
 でも、倫子とはいつでも話できるから。

 ときどき大嶋先生の視線が、晴菜のミニスカートの裾や、胸元に留まって、すぐにそれていくのを感じた。
 晴菜は気づかないふりをする。

 ドキドキした。すこし身体が熱くなったような気がした。大嶋先生が、晴菜のことを単なる教え子ではなく、女として見てくれていると感じて嬉しかった。

 なにかを期待していた。絶好のチャンスだと思っていた。
 でもなにを?
 そのときはまだ自覚していなかった。

 先生と二人きりになって、はっきりと意識した。
 私、今夜は、先生とえっちしないといけない。絶対に。
 先生とえっちしたい。

 あまりに明瞭な自分の気持ちに、驚いた。

 先生の顔を見ると、自然に笑みがこぼれた。
 先生が誘ってくれたら嬉しい。先生から口説かれたらどうしよう? 先生に触って欲しい……

 おかしいと思う。
 そんなことを考えてはいけない。
 相手は先生なのに。私は教え子なのに。
 大学の教授と先生。
 えっちなんかしちゃいけない。

 それに私にはカレシもいる。
 そのことを考えると頭がグチャグチャになる。カレシを裏切って、小田とのセックスに溺れている自分のことを思って、心が痛くなる。
 でも、倫子からは、そんなふうに考えてはだめだと言われている。
 身体が小田を求めるのなら、それを受け入れて、どうするべきか自分で考えて結論を出す。
 倫子と相談して、自分で決めたこと。

 倫子の温かい言葉を思い出して、晴菜の不安は小さくなる。
 晴菜がどんなヘンなことをやったとしても、倫子は晴菜の味方になってくれる。

 倫子は、晴菜に、自分の身体が求めているものと向き合えと言う。
 じゃあ、今は、大嶋先生と……?
 いや、違う。
 先生は、だめ。
 もしそんなことになったら、先生の顔を二度と見ることができない。

 だいたい、先生がそんなことするわけない。
 先生は、小田とは違う。小田みたいに、性欲だけで晴菜の身体を求めるような人間ではない。
 だから、大嶋先生は、晴菜を誘ってくれない。寂しい。
 先生が晴菜を口説いてくれたらいいのに。そうしたら、迷わず……

 あれ? いけない。私、何を考えてるの?
 晴菜は、目を伏せる。

 酔ったせいかもしれない。考えることがおかしい。
 それとも、小田にえっちなことをされ続けたせい? 私、そんなえっちな人間になってしまったの? すこしでも好感を持った相手には、身体の関係を求めてしまうような? 大嶋先生が、尊敬できる先生だから、私、そんなことしたいの?

 違う。私はそんな女じゃない。

 倫子は、晴菜に自分を見つめろと言う。
 晴菜は、自分はそんな女じゃないと知っている。
 だから、絶対に、大嶋先生とえっちなことをしようだなんて、考えてはだめ。

 でも、本当にそれでいいの?……

 晴菜は思い惑う。

 先生にそんな内心を見透かされてはならない。
 先生に軽蔑されるかも。

 だから、笑顔を装う。
 その笑顔から、男を誘う色気と媚態がにじみ出ていることを、晴菜は自覚していない。

 二人きりになってから、大嶋先生が緊張しているのがわかった。
 晴菜の顔をほとんど見ない。それが寂しい。もっと見て欲しい。
 晴菜の太ももをチラチラと見る。

 先生も、私とえっちなことしたがってる……
 うれしい。
 先生が一言、私にそう言ってくれたら、私、どんなことでも先生にしてあげるのに。私の身体で、先生を喜ばせてあげないといけない……

 晴菜は頭を振る。
 ああ、だめ。
 えっちなことしか考えられなくなってる、私。
 どうして?

 先生が心配していたので、晴菜は、倫子の様子を見に行った。
 先生と二人きりの空間から逃れられてほっとした。

 だが、ほっとしたのはつかの間だった。
 先生のいないところに出ると、ますます先生への思いが募った。こんなところにいてはいけない、そんな気がしてきてそわそわとする。

 どうして先生は晴菜のことを誘ってくれないんだろう?
 私はこんなに先生とえっちしたいのに。
 やっぱり先生だから? 教え子に手を出しちゃだめだから?

 じゃあ、晴菜のほうから先生を誘おう。先生を誘惑して、その気にさせよう。
 そしたら、先生とえっちができる。
 先生を喜ばせてあげないと。
 だって晴菜の身体は、男の人を喜ばせるためのものだから。

 倫子を見つけて、何か話した。
 何の話をしたのかも覚えていない。
 その後店員とも話した。
 晴菜と先生が二人きりの間、倫子には邪魔されないよう、足止めしたと思う。なんとなく、そんな気がする。

 とにかく、先生の元へ早く戻りたかった。
 大嶋先生と、えっちしたい。
 なにがなんでも。今すぐ。

 ああ、私、なに考えてるんだろう? どうしてこんなこと思ってしまうんだろう?
 恥ずかしい。私こんなこと考えるはずないのに。
 ツトムさんのせい? ツトムさんのせいでこんな女になちゃった?
 私って、イヤラしい? ふしだら?

 だが、晴菜は自分を抑えることができなかった。

 晴菜から、先生を誘惑しなきゃ。
 だって、先生が誘ってくれないから。先生は誘ってくれないけど、晴菜は先生とえっちしないといけないから。

 大嶋先生のことを、どんなふうに誘えばいいのかわからなかった。

 今井弘充は、いつもロマンチックなムードを作ってくれる(ああ、また私、ヒロくんを裏切ろうとしてる……)。
 小田との間では、小田が乱暴に求めてくることもあれば、晴菜のほうがどうしてもたまらなくなって、夢中でおねだりすることがある(ああ、もうだめ。ツトムさんのことを考えるだけで、身体が疼いちゃう……)。小田の命令で、いろいろと小田を喜ばせる誘い方を教えてもらった。

 そのやりかたでいいんだろうか?
 小田みたいなヘンタイ(そのヘンタイが、晴菜は好き)が喜ぶような方法は、大嶋先生みたいな立派な人からは、軽蔑されないだろうか?

 少し酔っ払って先生の反応を見てみた。
 太ももを見せて先生を誘ってみた。
 少し先生の気を引くことができたみたい。

 止めるなら今だった。
 でももう止らない……

 ためらう気持ちを振り切った。勇気を奮って、キスをした。
 先生は受け入れてくれた。
 小田みたいにキスを拒んだりしない!
 先生に気持ちが通じたような気がした。

 最初の一歩を踏み出してしまうと、晴菜が自分の理性を押さえ込むのはラクになった。

 先生とえっちしなといけない。
 先生に喜んでもらいたい。
 年上の人のえっちって、どんななんだろう?
 期待感すら沸き起こる。

 晴菜が心配していたのは、先生が途中で止めてしまうことだった。紳士で、分別のある大嶋先生が、もしかすると肝心なところで、止めてしまうんじゃないか? そんなことになったらどうしよう?
 そんなの耐えられない。
 せっかく先生とここまで来たんだから。

 晴菜は、精一杯先生を誘った。

 先生が迷っているのが判る。
 どうやれば、先生を喜ばせてあげられるんだろう。どうすれば、先生にもっとえっちしてもらえるんだろう?

 先生が迷いをみせるたびに、晴菜は自分の身体で先生を誘った。

 晴菜のセックスの経験は、今では大半が、小田が相手だった。
 小田とのセックスでは、小田はすぐに、乳首やクリトリスに触ってきて、さっさと挿入したがった。
 だから、男はそういうものだと思っていた(ヒロくんは、やさしいから特別)。

 だから、晴菜は、先生をどんどん女性の核心へと誘った。
 先生の迷いがなくなっていくのが判った。先生が晴菜の身体に惹かれていくのがわかった。
 うれしかった。
 先生が喜んでくれている。
 先生、もっとそこを触って。

 でも先生は、じっくりと時間をかけて愛撫するのが好きなようだった。
 これが年長者のセックスなのかも?

 性器を直接触ってくれながら、先生はもう一度オッパイを舐める。
 体中を丁寧に愛撫する。体のあちこちを丁寧に舐めて、反応を確かめるように、女性器に戻って、割れ目の周辺を軽くさする。クリトリスには、軽くかするだけで決して時間をかけない。割れ目の中へは指を入れない。

 ホントは晴菜はもう、こんなに濡れているのに。
 なんだかもどかしかった。
 小田の激しいセックスに慣れすぎているせいだった。

 でも小田がフェラチオのやり方を教えてくれたときに言っていた。《男の表情と反応を見て、男が喜ぶようにしてやるのが、晴菜の仕事だ》と。
 だから、晴菜は、先生のやり方に合わせることにした。

 さすがに店の中なので、服を全部脱いでしまうというのはためらわれた。先生は、晴菜のブラウスをはだけて、直接触れられる箇所を見つけては、触り、舐める。
 先生は、晴菜が経験したことのないような部位も丁寧に舐めた。肩、脇の下、わき腹、ひじの裏側、膝の裏側、足の裏、足の指。
 今日1日汗をかいたままなので、足の指なんて場所を舐められると恥ずかしい。

「先生、そんなところ、汚いです」
「小野寺さんの身体は、どこもきれいですよ。汚いところなんてないですよ」
 先生にそう言ってもらえるのは嬉しい。
「でも、私、シャワーも浴びてないし」
「じゃあ、私がキレイにしてあげますよ」

 ジワジワと体中を舐め、愛撫される。そんな場所に快感のスイッチがあるなんて、思いも寄らなかった。
 晴菜は感じてしまう。
「アフン。先生、そんなところ」
 小田に言われたとおり、感じていることがわかるように、晴菜は素直に声を上げた。

 それでも先生は、がっつくことはなく、ジワジワと愛撫してきた。
 小田にしろ、ほかの男(誰? ヒロくん以外いなかったと思うんだけど?)にしろ、身体を触っている途中に晴菜が感じているとわかると、夢中になって同じ場所に固執する。
 それなのに先生は、晴菜の快感をほぐしたあとは、わざとそこをはぐらかす。

「アンン、先生、もっとさっきのとこ、ンン」
 晴菜がたまらなくなっておねだりするのに、今度は別のツボを探して晴菜を感じさせる。

 じれったい。

 小田に愛撫されているときは、ちょっと触られただけで熱くなって、加速度的な快感に巻き込まれてしまう。弘充の場合は、暖かい愛情にくるまれて、持ち上げられて行く。
 先生に触られるのは、そのどちらとも違う。ほとんど何も感じないくらいの弱い刺激で、物足りないと思っているうちに、気がつくとじんわりと身体が溶けている。

 ああ、これが大人のえっちなんだ。
「先生。晴菜、うれしいです。先生が、こんなに優しく感じさせてくれて」

 晴菜のほうも、最初は、すぐにでも出してもらいたくて、先生の一物をしごいていたのだが、今では先生のペースを理解している。先生のシャツをはだけさせて、先生のやり方を真似て、先生の身体のあちこちにキスをする。先生がどこで感じるのかを発掘している。

 こんなやりかたがあったなんて。
 今度ツトムさんに試してみよう。
 先生とえっちできてよかった。
 私なんでためらっていたんだろう?

 でも、体中のあちこちに小さな火照りを灯されて、どんどん追い詰められている。いつまでもこんなふうに焦らされるなんて、私、我慢できそうにない……
「ねえ、先生。お願い、もっと……」
「アンン。先生、早く、アソコにも触って。晴菜、耐えられないんです」
 晴菜は、何度も先生にお願いする。

 先生は、「せっかちはだめですよ」「それでは、もっと小野寺さんを切なくさせてから」と、やさしく笑いながら、晴菜の官能にとっては残酷なことを言う。

 ついに晴菜は、我慢できなくなってしまう。
 先生が、晴菜のお尻を舐めている間に、指を自分の脚の間に伸ばす。
 自分の指で、割れ目を触って、慰め始めてしまう。
 こんな気持ちになったのは初めてだ。前戯の最中にこんなこと……

 ああ、先生とこんなえっちなことしているだけでもほとんど犯罪なのに。
 その上、こんな恥ずかしいことをしている。
 先生の前で、自分で始めちゃうなんて……

 こんなこと、小田の前でもやったことはない。
 先生はどう思うだろう? 晴菜のことを、ヘンタイだと思うだろうか?

 先生が顔を上げて、首を伸ばして晴菜の正面から晴菜の顔を見る。
 晴菜は赤面して顔を伏せる。慌てて指を引っ込めて、先生に見えないところに隠す。

 先生は優しい顔で笑う。からかうように言う。
「だめですよ。小野寺さんのようなおとなしい子がそんなはしたないことしたら」

「だって、先生が……」
 そう、それに、ああ、時間が……。
「先生。早く。ミッちゃんが戻って来ちゃう」

 それでやっと、先生も、重い腰を上げてくれた。
 よかった。
「もうちょっと小野寺さんの可愛いところを見ていたかったんですけど」
「アン……これ以上先生にこんなはしたないとこ見られてたら、晴菜、恥ずかしすぎて死んじゃいます……」

 晴菜は、待ちきれない。
 普段の慎みをかなぐり捨てて、スカートを穿いたまま大きく両足を広げ、自ら先生のペニスを掴んで、自分へと導く。

 先生のモノが、晴菜の入り口の辺りで敢えてぐずる。割れ目の周りを先端で撫でさする。
「アン、先生、ねえ、お願いです」
「ふふふ。本当に、小野寺さん、えっちなんですね」
「イヤン、先生。そんなこと言わないでください。先生がえっちなことするから、晴菜がこんなふうになっちゃうんです」

 晴菜は、細い腰を持ち上げて、自分から大嶋に押し付ける。
 大嶋が、苦笑いしながら、いったん腰を引いて逃げる。
「もう、先生、どうしてそんなイジワル……」
 晴菜が苦情を言い終わる前に、大嶋は勢いをつけて腰を沈める。
「アッ、アンンン」
 晴菜がうれしそうに上半身をくねらせる。

 暖かい歓迎としっかりした抵抗を受けながら、大嶋の肉がゆっくりと沈み込む。
「ンンンッ、先生っ、いきなりなんて……」
「欲しいって言ったのは小野寺さんじゃないですか」

 長い時間をかけた大嶋の愛撫のおかげで、晴菜はすっかり濡れている。大嶋のペニスに、しっとりとなじみ、まとわりつく。
 その感触を味わいながら、大嶋がゆっくりと腰を動かす。

「アハン、先生、いいです、ンン」
 大嶋が腰を動かし始めると、晴菜の内壁は、喜びを表すかのように、しっかりと締め付けてくる。大嶋の動きにあわせて、ペニスの周りを、結わえてはほどく。

 逆に晴菜にとっては、大嶋のペニスが自分の中で広がって、震えているように感じられる。
「アア。すごい、先生。アアアア、気持ちいいです」

 大嶋が、出し入れのスピードを変える。浅い場所をグリグリと回すように動かした後、深く入れる。
 ひとつひとつの動きに晴菜が反応する。
「アンン、先生、そんな、そこ……」
 晴菜は、栗色の髪を振り乱し、細い眉をたわめる。大嶋にのしかかられた状態で、自分も腰を動かそうとする。

 あの小野寺晴菜の、そんな姿を見つめるだけで、大嶋はたまらない気持ちになる。
 こんな綺麗な子が、こんなに乱れるなんて。こんな可愛い教え子と関係を持てるなんて……

 晴菜は絶え間なく声を上げ、その声がだんだん上ずってくる。
「先生! 先生! ごめんなさい。なんだか、私……私だけ……」
「そんなことないですよ。私だって、ずいぶんキツイ」
「アンン。じゃあ、先生、……アア、出しちゃって……くだ、さい」
 晴菜は、あえぎ声の間から、なんとか大嶋に求める。こんな状態でも、敬語でしゃべろうとする礼儀正しさがいじらしい。

「いいんですか」
 晴菜はあえぎ声だけで答えようとしない。顔をガクガク上下に振っているのが、おそらく頷いているんだろう。

 大嶋は前後の動きを大きく、早くする。
 射精に向かいながら、晴菜の綺麗な顔が、切なく求める様子を見守る。
 研究室で見た横顔の、清純さを思い起こす。ゼミの最中で、感じているかのような色気を放っていた姿を思い出す。

 あの小野寺さんと、こんなことになってるんだ。

 そう思った途端、大嶋は射精した。教え子の中に。
 晴菜は、嬉しそうに声をはじけさせてそれを受け入れた。自身も高みを極めながら。

 中講堂の入り口にすでに行列ができていた。
 倫子は時計を確かめる。まだ開場30分前だ。

 ミス啓知大学コンテストのプレ・イベントって、わざわざ行列してまで見るものかな?

 並んでいるのはほとんどがムサい男。デジカメ持参。
 晴菜にあてがうには、いいカンジのキモメンが揃っている。

 晴菜の男を物色する前に、関係者通用口を通って中の様子を覗く。実行委員のなかで顔見知りになった連中と、挨拶がてらのおしゃべりをする。
 最近では倫子は、ミス啓知大学の実行事務局から、VIPに近い待遇を受けている。倫子が、途中棄権したミス候補の補欠として、小野寺晴菜をエントリーさせただけでなく、気の弱い渉外係のかわりにスポンサーを2社ほど獲得してやったからだ。

 その途中棄権したミス候補は……まあ、倫子も2回会ったことがある。先方は覚えていないだろうけど。
 小田によると、最初は不感症かと思ったが、感じ始めるとまあまあ締まりが良くなる女だったそうだ。

 倫子は、ホールの外に出る。ペットボトルから水を飲みながら、行列の中の男を物色する。
 小田とは違うタイプがいいだろう。痩せていて貧相な男を何人か見つくろう。他の連中に聞かれずに話しかける機会を見つけて、適当に1人か2人、釣り上げよう。
 その男が幸運のクジを掴む。
 次期ミス啓知大学(当確)の小野寺晴菜とのえっち権。

 ケータイで誰かと話していた1人の男子学生が、周りを気にして列を離れた。体格も顔も、おそらくは懐も貧しそうな男だ。
 幸運の女神はこの男に微笑んだらしい。
 そいつは地面の上にDバッグを残して場所取りをしている。治安のいい日本ならではの風習だ。
 確かオタクは、Dバッグに、筒状に丸めたポスターをさしているもんじゃなかったっけ?
 そいつのDバッグにはポスターはささっていない。
 倫子はちょっとがっかりした。晴菜に、アニメコスチュームを着せて、セックスするところを見てみたかったのに。

 倫子はその男子学生の後を追った。
 細くてタレ気味の眼。低い鼻。青白く不健康そうな肌ツヤ。髪質が細いらしく、髪形が整わずにべたっと額に張り付いている。貧弱な体格。痩せて猫背。サイズ大き目の白いポロシャツに、いまどき霜降りの太いジーンズ。
 よしよし。
 お嬢様でセレブ風な小野寺晴菜と、好対だ。

 その男子学生がケータイに話す言葉がもれ聞こえる。
 今日のイベントを見に来る誰かと待ち合わせしているらしい。
 その連れの男にも晴菜を食わせてやろう。

 でも、その連れがイケメンだったらヤだな。
 あ、ま、いっか。イケメンだったら晴菜が断固として拒むはずだ。次期ミス啓知大学は、キモメンにだけ喜んで足を開く。

 倫子が近づくと、その男がちらちらと倫子のほうを見る。
 倫子は男に手を振ってやった。
 男はそわそわと目をそらした。

 あらあら。こんな美人から挨拶されたのに、ビクビクしちゃうようなヒヨワさん?
 女に縁ないから緊張してるの?
 もしかしたらドーテーさん?
 そのドーテーを奉げる相手が、ミス啓知大学だなんて、幸運ね。

 男子学生が電話を終えたところで、倫子が声をかけた。
「ねえねえ、あんた、小野寺さんって知ってる? 小野寺晴菜。ミス啓知大に追加エントリーした子なんだけど」

 男子学生が、おどおどと倫子のほうを見る。倫子の顔を正面から見れないのはいいとして、胸元が開いたワンピから、倫子の胸の谷間を見ているのはちょっとなあ。
 この胸は、あんたみたいな男のために見せているんじゃないのよ!
 倫子はわざとらしく腕組みをする。

「え? えーと、小野寺さん? 知ってるよ。たぶんみんな知ってるよ。有名だし」
「あ、良かった!」

 小野寺晴菜の法則(桐野梓)――男には2種類ある。小野寺晴菜に恋している男と、小野寺晴菜を知らない男と。

 つまり、こいつも、小野寺晴菜に恋している、と。

 倫子は、その学生――八木と名乗った――に説明した。
 小野寺晴菜は、今回から追加エントリーしたので、他の候補に比べて、名前を知られていないだろうし、前回のプレ・イベントまでのポイントもない。
 だから、イベントの参加者と2人でちょっとお話して、小野寺晴菜のことをもっと知ってもらいたい。
 八木クン、このあと連絡してもいい?

「え?ボクが、小野寺さんと? それは……そんな……でも……」
 男は伏せ目がちに、ぼそぼそと話す。
 今度は、倫子のミニスカートから見える太ももを見ているらしい。

 んったくもう! 見るなよキモオタ! 晴菜とえっちできるんだからそれで満足しろよ。

「イヤだったらいいのよ」
「いや、そんなわけない! ぜひ、お願いします!」

 倫子は、モテない君を喜ばせてやろうと思って付け加える。
「私、小野寺さんと仲いいからわかるんだけど、小野寺さん、八木クンみたいな男がタイプなんだよ。だから、小野寺さん、八木クンと話できたら、喜んでくれると思うな」

 男は目を丸くする。すぐに、否定する。からかわれていると思ったらしく、イヤそうな顔をする。
「そんなわけないだろ。いい加減なこと言うなよ」
「えー、私、ホンキで言ってるのよ」

 晴菜が、あんたみたいなキモチ悪い男を見たら、とたんにセックスしたくなるはずよ。

「だって小野寺さんカレシいるじゃん」
「だからぁ、カレシとはぜんぜん違う八木クンみたいなのが好きなのよお」
「ふん。全然言ってることおかしいよ。ウソだろ、やっぱり」

 八木はいっこうに信用しない。
 倫子の口調が軽すぎるのが良くないのかもしれない。倫子が八木を見下しているのが、態度に現れたのかもしれない。

 すこし話を変えて、小野寺晴菜の法則を確かめてみよう。
「八木クンは、小野寺さんみたいなタイプは好き?」
「え? そりゃ……だって、小野寺さん、すっごく綺麗だし……」
 顔を赤らめるなよ、ドーテーくん。

「じゃあ、相思相愛かもね。きっとえっちできるよ」
「え、そんな」
 驚いて、八木は数秒沈黙する。それから、やはりばかにされていると思ったらしい。急に剣呑な顔つきになって怒り出す。

「あんた、おれのことバカにしに来たのか? 小野寺さんに会わせてやるってのも嘘だろ? 待ち合わせ場所に1人で来ているおれを、影からこっそり笑おうとか思ってるだろう?」

 うーん。こういう展開になるとは思わなかったな。
 過剰な反応。なんかそういうイヤな経験したことあるのかな?
 喜んで食いついてくると思ったのに。

「信じてもらえないなら、それでいいんだけど」
 替わりはいくらでもいるからいいや。晴菜と寝るチャンスをみすみす逃したいのなら、勝手にしろ。こいつを説得するのに時間使うのもばからしい。

 八木の視線が、ふと倫子から後ろにそれた。
 八木が、右手を上げて挨拶する。
 待ち合わせの相手が来たらしい。

 なんと吉本だった。

「あれ? 吉本クン?」
「ミッちゃん? なんで八木と?」
「吉本クンこそなんで?」

 吉本がミス啓知大のプレ・イベントなんか見に来てどうするつもりだろう? 晴菜がエントリーしたから? 晴菜だったら毎週ゼミで顔あわせているし、飲み会行くたびに遊んでるんだし、今さら……?

 吉本は、ニヤニヤ笑いながら説明した。
「だって、晴菜ちゃんがエントリーしたのって、ミッちゃんが『させた』ことなんだろう? 何かあるだろうと思って」
 吉本は、下品に顔をにやけさせながらウンウンと頷く。

 なんて言うんだろう? こういう人間のことって。
 めぐり合わせがいい? 鼻が利く? 運を吸い寄せる?

 ところで……。
「今日は角田クンは一緒じゃないの?」
 いつも一緒の角田がおらず、吉本1人だけだ。

「うん、それが……」
 吉本が寂しそうな顔をしているのが、微笑ましい。
「あいつ、バイトを優先するって」

 角田は、吉本ほどは鼻が利かなかったということだ。
 どうせ晴菜とは飲み会で会えるし、ミスコンのプレ・イベントでオイシいことがあるとは、角田は思いもしなかったようだ。
 それに、エロ晴菜ショーを優先しすぎてバイトをクビになった吉本の、二の舞にならないようにしているのだろう。

 八木は、吉本や角田と同じサークルだった。
 そして小野寺晴菜のファンだ。
 晴菜と同じゼミにいる角田と吉本は、サークル内の晴菜のファンたちから、英雄扱いされているらしい。

 もちろん、吉本も角田も、催眠術のことはファンたちに話していない。聞かなくてもそれは大丈夫だ。ちゃんと倫子が「口封じ」しているから。

 八木から事情を聞いた吉本は、熱心に八木を説得した。
「大丈夫。絶対ミッちゃんは信用できるし、断ったら絶対に八木が後悔するよ。ね? ミッちゃん?」

 そして、吉本は倫子におねだりする。
「で、ボクも行ってもいいよね?」

 鼻の利く吉本なら、当然の陳情だ。

 ゼミの連中には、乱交パーティをプロデュースしてやろうと思っていたんだけど……

 ま、いいか。どうせ早いか遅いかの違いだ。別に減るもんでもないし。
 ミス啓知大学のプロモーションの一環だ。吉本にも、晴菜とえっちさせてやろう。
 ただ、吉本だけ抜け駆けというのが、角田には申しわけないけど。

 倫子は、吉本宛にケータイで連絡すると約束してから、幸運な当選者の元を去った。

 今日のプレ・イベントは、放送研究会のMCでミス啓知大学の候補者全員でトークをした後、候補者が順番に特技を披露するということになっている。

 芸のないイベントだ。
 来月が学園祭、つまりコンテストの本番だから、今回は、予告編程度ということなんだろう。

 夏には、浴衣姿で花火大会という、もう少しお洒落なイベントもあったらしい。ほかには大学野球の壮行会とのジョイント・イベントなんかもあった。
 いずれも、晴菜はエントリーする前のことなので、参加していない。

 今回も含めプレ・イベントの様子は、WEBに掲載され、学園祭のときにビデオや写真フリップで紹介されることになっている。晴菜は、そのための素材を用意するために、先週は、浴衣やらドレス姿やらの写真を撮ったり、応援メッセージ代わりのエッセイを用意したりで忙しかった。
「こんな忙しいなんて知らなかった。どうして参加することにしちゃったんだろう?」
と晴菜はぶつぶつ愚痴をこぼし続けていた。

 どうして参加することにしたのか?
 もちろん、倫子の晴菜への「影響力」のせいだ。

 だって、ただの小野寺晴菜がえっちするより、ミス啓知大学・小野寺晴菜がえっちするほうが、客ウケするでしょう? そのほうが、ビデオも売れるもんね。

 ステージ上では、他の候補者が特技を披露している。
 その間、晴菜は控え室でつまらなさそうに待っている。女性の付き添いは可ということで、倫子が一緒にいる。最初からうんざり気味の晴菜のために、話相手をしてやっている。

 候補者は6人。補欠として追加で入った晴菜はNo.7で、今日の出番は最後になる。
 特技披露ということなら、晴菜の特技はフェラチオ……なのだが、さすがにそういうわけにも行かず、フルートを持ってこさせた。(もっとも、倫子は、実行委員の何人かには、本当の特技であるフェラチオを披露してあげてもいいと思っている。)

 晴菜の衣装は、モスグリーンのワンピース、袖なし、ロングスカートのドレスで、いかにも演奏会ファッションだ。
 ほかのミスの候補者も、大半は、お洒落に着飾っている。
 1人、羽織袴にたすきがけに着替えている女の子がいる。その子は、2畳大の和紙に書を披露するのだと言う。学芸会? 武田双雲?

 エントリーNo.1の女の子は、ステージに出て名乗るなり、こう挨拶した。
「特技は、イッキ飲みです。一升瓶2本咥え飲みします! って言ったら、運営の人に止められてしまいました!」
 客席から笑い声。
「それに、今気づいたんですけど、私、未成年でした」
 前より大きな笑い声。
「しかたないので歌でも歌います!」

 活動的で明るい魅力が表れていて、気の利いた前フリだ。
 なかなかやるじゃん。
 倫子は面白がりながら、モニターに映し出されるステージの様子を見ていた。

 でも晴菜は見るからに憂鬱そうにしている。
 周りに聞こえないように小さな声で、倫子に愚痴る。
「気が重い。こんなことやらされるなんて思ってもなかった……」

「まあまあ、そう言わずに」
 倫子がなだめる。
「人助けだと思って。ね?」

 晴菜はため息をつく。
 エントリー用の資料作りのための実行委員からの質問攻めや、着せ替え写真の撮影地獄で、先週の時点で、もう嫌気が差している。もともとミスコンになんか出たくなかったので、なおさらだ。

 たしかに倫子も、プレ・イベントを4回も5回もやるような、うざったいコンテストだとは、思いも寄らなかった。
 実行委員によると、プレ・イベントの都度、飲料メーカーの新製品のサンプル頒布や、新刊雑誌の紹介イベントを行ったりして、スポンサーからお金を集めているそうだ。そのくせ、倫子が新規スポンサーを見つけてやるまで収支は赤字だったようなので、実行委員会の連中は頼りない。
 ミスコンが終わった後も、選出されたミス啓知大は(つまり、晴菜は)、雑誌に出たり、大学を紹介するイベントに出たりすることになる。今でも晴菜はこんなに億劫がっているので、さすがの倫子も、選出後の多忙について、まだ晴菜に言い出せずにいる。

 エントリーNo.1の子は、踊って跳ねながら歌って、1曲だけであっさり引き下がった。1人当たり10分の割り当て時間を半分残したままだ。
 No.2が棄権による欠番だ。
 No.3の子は、肩を出した赤いロングドレスを着ていた。晴菜の衣装と似ているな、と思っていたら、案の定と言うべきか、ヴァイオリン演奏をやった。

「ハルハル、同じように楽器演奏の子もいるよ。そんなに恥ずかしがることないじゃん」
「うーん」
「しかも、このヴァイオリン、わたし素人だからよくわからないけど、たぶん、あんまり上手くないよね? なんかギコギコしてる。
 ハルハルのフルートはもっと、なんか、流れるような感じだよね? ま、素人の私が言うのはあれなんだけど。
 ハルハル、この子には勝ったも同然よ。もともとルックスでは勝ってるんだし。ますますミス啓知大選出は確実、ってカンジ?」

 晴菜はあまり嬉しそうではない。
「私、別にミスに選ばれたいわけじゃないから。ミス啓知大学になりたい人が他にいるんだったら、そういう人を選んであげて」
 手に持ったフルートをいじりながら、愚痴る。
「あーあ、私、演奏、ちょっと手を抜いたほうがいいかな?」

「さあ? そうしたいんならそうしてもいいけど……。ただね」
 倫子は、他の候補者に聞こえないよう気を使いながら言葉を続けた。
「たぶん、ハルハル、演奏手抜きしてもミス啓知大学になっちゃうよ。ルックス全然違うし、もとからファンもたくさんいるし。
 他の子は、アナウンサー目指してるとかでミス啓知大になりたいって子ばかりだから、必死でいろいろ工夫してやってるのに、手を抜いたハルハルに負けちゃったらどう思うかな?
 ほら、ハルハル、温泉に遊びに行って今井クンと卓球したとき、今井クンが手を抜いたって怒ったじゃない? あれと同じじゃない?」

 晴菜は黙り込んだ。

 あれ?

 ちょっと恥ずかしくなった倫子は、ひとこと言い足した。
「まあ、たかがミスコンなんだから、どっちでもいいんだけどね」

 それまで不興そうな顔をしていた晴菜が、少し笑って、手元のフルートから目を上げた。
「ミッちゃんって、すごいね」
「なんで?」
「他の人の気持ち、そんなふうに考えられるなんて。私なんて、自分のことしか考えてなかった。他の参加者のことは、なんでこんな人目にさらされるような、嫌なことにわざわざ名乗り出るんだろう、私には理解できないな~、ぐらいにしか思ってなかった」
 晴菜はそう言って、うれしそうに倫子を見た。

 なんかキモチ悪い。
 でもまあ、なんにしろ晴菜は機嫌を直したようだった。

 No.4が例の書道の子。
 No.5の子は料理が特技とのことだった。クッキーを作って、1個1個小さく包んでリボンで結んだものを、大量にかごに入れて持ってきていた。
 本当に自分で料理したのか怪しいもんだけど。
 その子は裾の広がった黒いドレスを着ていた。その場でさらに白エプロンと白い頭飾りを身に着けて、メイド風に装った。それから、クッキーの包みを1個ずつ客席に向かって放り投げた。客席のあちこちから「こっちこっち~」と男どもの野太い声がわいて、盛り上がった。

「すごいね、よく考えてるね」
と晴菜は感心していた。
 晴菜も、他の候補者の舞台に目を向ける余裕が出たようだ。

 No.5の子のパフォーマンスはそれで終わりではなかった。

《クッキーを受け取った人は、今ここで包装を開いてください。クッキーの中に、「当たり」と書いてあるのが1つだけあります。当たりの人には、ここに用意した特大のケーキを今からお渡ししますので、舞台の上まで来てね》

 素人のアイデアとは思えない。
 晴菜にも同じことをやらせればよかったな。「当たり」を引いた人には、晴菜の身体を差し上げます、って。で、くじは全部「当たり」にしておこう。

 ただ、No.5の子のこのプランは、うまく行かなかった。客が恥ずかしがったのか、当たりクジを持った客が名乗り出ないまま、10分間の制限時間を打ち切られた。

「かわいそう。せっかくあんなに工夫したのに」
 晴菜がNo.5の子に同情する。

 No.5の子自身も同じ思いだったらしい。
《残念。せっかく盛り上がると思ったのにな~》
 舞台の上で、そう反省の弁を述べる。
《じゃあ、このケーキも、客席に投げちゃいま~す》
と投げるふりをする。いかにも客席に飛びそうなところで手を引き戻す。
《冗談です~、これは私が自分で食べま~す。残念でした~》
 そう言ってかわいらしくあっかんべーをする。

 間の悪い空気の流れていた客席は、この気の利いた一幕で、最後にまたどっとわいた。
 No.5の子はほっとした様子で舞台の袖に下がった。

 晴菜はまた感心している。
「あの子とっさに機転が利くね。ミッちゃんみたい」
「え~! 私、あんなカワイコぶって男に媚びたりしないよ~」
「もう、ミッちゃん! カワイコぶってるとか、媚びてるとか、そんなんじゃないよあの子も~。一生懸命やってるのわかるでしょう? ……って、ミッちゃんの受け売りだけど」
 晴菜と倫子は笑い合った。

 次の次が晴菜の出番なので、スタンバイするよう実行委員が呼びに来た。実行委員は、倫子を見て、冗談混じりに敬礼して見せた。

 椅子から腰を浮かせながら晴菜が言う。
「ちょっと緊張してきちゃった。ミッちゃんは、ここから見ていてくれるの?」

「いや、2階席から」
 2階席は、関係者及びビデオ・写真の公式撮影用だ。倫子はすっかり関係者扱いなので立入可だ。
「ハルハルの勇姿楽しみにしてるね。今井クンが見に来れなかったのは残念だけど」

「あ、ミッちゃん。ちょっと待って」
 晴菜は倫子を引き止める。手に持っていたフルートを布で丁寧に拭くと、ケースに戻して倫子に渡す。
「これミッちゃんが持っていてくれる? あ、大事にね。これ、結構高いのよ」

「あれ? フルート使わないの?」
 晴菜が妙にニコニコ笑いながら頷く。

 なんだかよくわからないな。
 愚痴がおさまったから、すっかりやる気になったと思っていたのに。結局、手を抜くことにしたのか。
 ま、いいや。どうせ放っておいても、晴菜がミス啓知大学に選ばれるのは確実だろう。
 それに、ここで手を抜くなら、かわりに、身体を使った場外プロモーションでがんばってもらっちゃおう。本当の特技はフェラチオだってことを男連中に教えてあげないとね。

「ミッちゃん、ちゃんと見ていてね。私、舞台の上から手を振るからね」
 学芸会じゃないんだぞ。
 なんか心配だな。

 お願いだから恥はかかないでね。男たちの前で晴菜に恥をかかせるのは、私の仕事なんだから。

 倫子は2階席に上る。
 撮影の邪魔にならない隅のほうから、手すりにもたれて舞台を見た。晴菜から預かったフルートのケースは近くの椅子の上に置く。

 No.6の子はモノマネをやっていた。

 そうよね、特技っていったら、こういうのが普通だよね。武田双雲もどきとか、クッキー投げとか、他の子たち気合入りすぎなのよ。
 と思っていたら、モノマネもやたらと上手い。

 結局こいつもセミプロか。
 てゆーか、ミスコンに出ている女の子が、なんでこんなにモノマネ上手いんだ? ヒクんだけど。素人くさくて恥ずかしそうにしているところが、萌えポイントじゃないのか?
 もっともそれを言うなら、晴菜のフルートもやけに上手なんだけどね。フェラチオと同じくらい上手。

 制限時間10分が経ったので、実行委員が演技を止めた。
 No.6の子は舞台に下がった。

 晴菜の出番だ。
 倫子は、手すりにだらりと肘をついて、エヴィアンのペットボトルから水を飲む。

 晴菜は、舞台の袖から出てくる途中、2階席の倫子を見つける。嬉しそうに、小さく肩のところで手を振って来た。
 倫子は、手で払いのける仕草をして、晴菜に伝えた。
 私のことはいいから。客のほうを見なよ。

 追加エントリーの晴菜は、プレ・イベントへは初登場なので、MCが長めの紹介をしてくれる。

 晴菜は、マイクスタンドの前まで行って話し始めた。
「すいません、フルート演奏とご紹介いただいたんですが、変更させていただいて……あっ、自己紹介? えーと、失礼しました……エントリーNo.7の小野寺晴菜、経済学部3年です」

 ズルズルじゃん!
 候補者の中でダントツの美人なんだから、黙って立っているだけで十分なのに。それで足りないなら、服を脱げば必勝なのに。

 倫子は小さく笑いながら、ペットボトルに口をつけた。
 こういうとこ、どんくさい女よねぇ。
 でも、晴菜。ちょっとぐらい失敗しても、肉体接待で補えるから、安心してね。そうねえ、1日5人ずつフェラすればどう? 相当の票を稼げるよ。

 晴菜が、マイクに向かって話す。
「フルート演奏をとりやめたのは、つい今さっき、気づいたからです。特技、と呼ぶのもなんなんですが、私が持っているもので一番なのは、友人です。親友と言っていいと思います。
 本当なら、その友人をここに連れて来てご紹介したいところなんですが、その子は、美人なんですけど口が悪くて下品なので、とてもみなさんにお見せすることはできません。だからかわりに私の口からご紹介したいと思います」

 おいっ。それって……私のこと?

 飲みかけた水を思わず吹き出した。2階席の手すりを越えて、吐き出した水が落ちていった。
 1階席の客、誰か知らないけど、ゴメン。

 晴菜は話し始めた。

     -・-

 その子とは大学に入学して初めて会った。口が悪く、人の悪口ばかり言ってるように感じた。最初は、カンジ悪い子だと思った。

     -・-

 そんなふうに思われていたなんて、倫子は知らなかった。

     -・-

 最初、悪口ばかりだと思っていたけど、その子はただ悪口を言っているわけではないということに気づいた。
 その子の言葉には、毒はあるけど傷つける意思はない。悪口を言われた本人が聞いても、怒るどころか笑い出す。その子の言葉はあまりに突拍子がないので、会話の流れの中で荒んだ雰囲気を和ませる。

     -・-

 晴菜は、倫子との出会いから始めて、倫子との交友録を10分間スピーチするつもりらしい。
 前もって準備していたわけでもないので、スピーチはぎこちない。
 すでに、晴菜と倫子が友達づきあいを始めるまでの話で、5分も使っている。
 他の候補者が派手なアトラクションを続けた後なので、地味でまだるっこしいスピーチを聞かされた客席は、退屈そうにざわついている。いくら舞台映えする美人とはいえ、限度がある。

 もうっ晴菜。ダメダメじゃん。
 素直にフルート演奏しとけばよかったのに。
 そもそも、スピーチをする機会は、学園祭のときの本番にあるはずだし。
 まあでも、晴菜がミスに選ばれたくないというなら、こういう手抜きをするのも筋は通っているか。

 それにしても、倫子をスピーチのテーマに選ぶとは……。

 倫子は、自分のことを話題にされていると思うと落ち着かない。

     -・-

 大学1年の冬、晴菜は、家庭教師先から、クビ同然で契約を打ち切られた。
 晴菜が時間をかけて準備して、丁寧に教えても、全然勉強しようとしない高校生だった。男子だ。もとからやる気のない教え子だった。勉強する気はないのだが、美人の家庭教師と会えるのが嬉しかったらしい。契約を打ち切られるまで、その子が親に頼んで契約を続けていたようだ。
 その高校生の成績は、もとから悪かったのが、さらにいっそう悪くなって行った。その高校で5年ぶりという留年になった。

 母親はそれを全部晴菜のせいにした。月謝泥棒とまで罵られた。
 普段おとなしい晴菜だが、追い詰められると開き直る。貯金を下ろして、これまでもらった月謝と同じ金額を用意して、その家につき返しに行った。その非礼に、先方はさらに怒ったが、お互いさまだ。

 晴菜は、しばらく落ち込んでいた。
 先方が悪いのは確かなので、周囲からは慰められた。けれど沈んだ気持ちはおさまらなかった。

 その友人だけは晴菜を慰めてくれなかった。

 確かに悪いのは先方だ。
 でも、相手を責め、自分は落ち込むだけというのはどうなんだろう? なんだか非生産的だ。
 晴菜に何ができたか考えてみるべきだ。その高校生には何が必要だったのか? 家庭教師として何ができたのか?

 晴菜は、準備して、問題を教えれば、それでいいと思っていた?
 たしかに、家庭教師がやるべき最低限の仕事として、間違ってはいないのかもしれない。
 でも、勉強のやる気がない相手に、家庭教師のルーチンワークを機械的にこなすことが、本当に正しかったのか? ほかにできることはなかったのか?
 少しでも勉強をやる気にさせるということはできなかったか? それは無理でも、高校生活を乗り切るためには勉強と折り合いをつけることも必要だ。そのことをわからせてやるべきではなかったのか? そうしていれば、少しは成績が伸びたのではないか? 家庭教師としての結果を示せたのではないか?
 その母親にも、高校生本人にも、それが必要だったといえるのではないか? 本来それを求めていたと言えるのではないか?

 無茶苦茶だ。そんなの、無理な注文だ。そんな人生相談みたいなことをできるわけがない。バイトの家庭教師が、そんな理想の教育者になりきるなんて、不可能だ。
 落ち込んでいる晴菜に、そんな難癖をつけるのは、あまりにひどい。優しくない。

 晴菜は、むっとした。ろくに返事もしなかった。それ以上話をしたくなかった。
 その日は、その友人とすぐに別れた。

 ただ、その友人の言葉は、晴菜がまったく考えもしていなかった、ものの見方だった。
 1人になってから考えてみた。
 その友人の言った視点で、もう一度、振り返ってみた。

 そういう見方があるのかもしれない。
 でも、すっきり納得できない。

 ただ、別の視点から相手と自分を見つめ直しているうちに、気がついてみると、さほど腹が立たなくなっていた。視野が開けたような気持ちになった。落ち込んでいた気持ちがスーッと楽になった。
 晴菜は、結局自分のことしか考えていなかったんだと思い知った。

 気持ちが晴れたことについて、その友人に、ありがとうを言う機会はなかった。

     -・-

 たしかに、そんなことがあった。でも、倫子にとっては、さほど印象に残っていない出来事だ。
 そんな些細な出来事を、晴菜が、大切そうに語るのは意外だった。

 なんだか居心地が悪い。

 椅子の上に置いたフルートのケースを手にとってみる。思ったより重かった。手が疲れるような気がして、また椅子に戻す。
 喉が渇いているわけでもないのに、またエヴィアンをごくごく飲む。

 晴菜の話し方は、徐々に滑らかになっていた。
 だがもうすでに、1人の割り当て時間の10分に近い。
 晴菜は、話の先を急ぐ。
 早送りでシーンを飛ばすように、倫子との間にあった出来事を話す。

     -・-

 晴菜が変質者に付け狙われたとき、守ってくれた。
 晴菜が、知らず知らずのうちに他の友達を傷つけていたとき、それを教えてくれた。
 晴菜と恋人との仲を見守ってくれた。恋人とケンカしてもう終わりだと思ったとき、その友人のおかげで、晴菜がその恋人を必要としていることに気づかされた。

     -・-

 時間が足りなくなっている。具体的な出来事は、ほとんど話さない。簡単に不明瞭に触れるだけだ。
 でも、それだけの説明で、倫子には、晴菜がなんのことを話しているのか伝わった。
 晴菜と倫子しか知らない出来事がたくさんある。二人しか知らない会話、二人しか知らない時間が、たくさんある。
 二人の間の時間の蓄積が、急に、重くのしかかってくるように感じられる。

 スピーチの途中から晴菜は、1階の客席はまったく見ていない。2階席ばかり見ている。倫子ばかり見ている。倫子だけに向かって語りかけている。

 倫子はイライラした。
 このスピーチ、いつまで続くの?

     -・-

 最近、晴菜は嫌な経験をした。嫌な思いをした。自分のことが信じられなくなった。自分を信じられないので、その友人に、自分を見せることができなかった。
 その友人とけんかして、晴菜は絶交された。心が痛くてしかたなかった。まるで自分の一部が削られたような気持ちだった。

 その友人と仲直りできたとき、やっと自分を取り戻せた。その友人が自分を受け入れてくれたおかげで、晴菜は嫌な自分と向き合うことができるようになった。

     -・-

 まさか? 小田のこと?

 なにそれ?
 ゴマかすなよ。

 小田に犯されまくったって白状しなよ。人前でえっちしてキモチ良かったって正直に言いなよ。自分に惚れている男にえっちを見せつけて、傷つけた女ですって謝りなよ。
 言えないの?
 私がみんなの前で言ってやろうか?

 本当はヘンタイのくせに。そんな言い方じゃ、全然インランに聞こえないよ。

 それじゃまるで、いい経験しましたって言ってるみたいに聞こえるじゃないの?
 しかもそれが、私のおかげみたいじゃないの?
 まるで、小田にオモチャにされたことより、私とケンカしたほうがつらかったみたいじゃないの?
 自分がインランだってわかっても、私と仲直りできればそのほうが良かったって言ってるみたいじゃないの?

 嘘つくなよ! キレイごとばかり言って。

     -・-

 晴菜が困ったとき、迷ったとき、いつもその友人がいた。
 よくひどいことも言われた。けどその友人のおかげで、いろんなことに気づかされた。

 その友人はきっと、晴菜が長い道を歩いている途中で「疲れた」と言っても、肩を貸してくれない。
 自分で歩けと言う。落ちている枝を杖にして歩けと言う。近道があるから自分で探せと言う。
 でも、晴菜が怪我をして歩けなくなったとき、その友人は晴菜を背負って歩いてくれる。

 だから、晴菜は自分の力で歩く。その友人が見ていてくれるから、晴菜は安心して歩くことができる。

     -・-

 いつのまにか客席は静かになっていた。
 制限時間の10分はもう過ぎている。なのに、制限時間係の実行委員は晴菜を止めようとしない。

 あいつらなにしてるの? 
 こんなに客席が盛り下がってるのに。
 ホント、実行委員の連中は役たたず。

 あっそうか。晴菜だから特別扱いなんだ。晴菜はカワイイから。
 またこれだ。いつも、晴菜は美人だから男にチヤホヤされる。晴菜だけ当然のようにオイシい目に会う。

 まったくもう。
 これだから男ってやつは。
 これだから晴菜って子は!

 晴菜は10分が過ぎたことに気づいたらしい。つまらない退屈なスピーチを、無理やりまとめようとする。
 へたくそ。

「すいません、みなさん。脈絡のない話で。
 とにかく、私には、そういう友人がいます。私の一番大切な宝物です。たぶん、誰にも負けない宝物です。
 いま私がここにいるのは彼女のおかげです。今の私が、私であるのは、彼女のおかげです。彼女が見ていてくれるから、私は私でいられます。

 でも、私は、彼女に向かって、きちんとありがとうと言ったことはありません。たぶん、私が何か言い出すと、どうせまたあの毒舌でケナされるに決まってますし。
 このホールで、その友人が、今、この話を聞いてくれています。
 今だったら、彼女も言い返せないに違いありません。
 だから、今、その友人に言いたいと思います。

 ミッちゃん。ありがとう。ずっと私のそばにいてくれて。
 私はいつも、ミッちゃんから大切なものをもらってばかりです。私からミッちゃんにあげられるものは、何もなかった。
 でも、ミッちゃん。
 私は、ミッちゃんが怪我で歩けなくなったら、ミッちゃんを背負って歩きたい。
 いつでもミッちゃんを背負えるように、これからもずっと、ミッちゃんのそばにいたい。
 だから、ミッちゃん。大好きなミッちゃん。
 これからもずっと、いつまでもずっと、私の友達でいてください。

 ありがとうございました」

 晴菜は頭を下げて、舞台から下がった。
 すっきりした笑みを浮かべて、ゆっくり歩く。ピンと背筋を伸ばして歩く姿は、優雅で美しかった。

 晴菜が、舞台の袖に消える。
 客席は静かなままだった。

 倫子は、心臓を乱暴に掴まれたような気持ちだった。クラクラとした。息が苦しい。
 ショックだった。
 不意打ちのような、こんな話を聞かされるとは思いもしなかった。

 ミスコンだよ? 特技を見せろって言われたんだよ?
 晴菜は、なんでこんな話をするの?
 晴菜、バカね。ほんと。

 あはは。すっかり客席はシラけてるよ。拍手も何もない。
 ま、パラパラとちょっとだけ拍手は出てる。とってつけたようなお義理の拍手。これはきっと、客席に散った実行委員のサクラが、拍手をしてくれているんだ。

 拍手がだんだん大きくなった。
 ずいぶん大きくなった。
 1階の客席全部が拍手しているような錯覚を覚える。
 きっと2階席だと音が響くんだ……。

 晴菜が、舞台の袖から姿を現して、綺麗な動作で客席に3回頭を下げた。

 バカ晴菜。なに勘違いしてるの。この拍手は、6人の候補者全員に対する拍手なのよ。たまたまあんたが最後の出番だっただけで、あんたへの拍手じゃないのっ!
 ふん、いつも自分だけ特別扱いされてるからって、調子に乗って勘違いしないでよね。

 お辞儀をした後、晴菜が、2階席のほうに目を向けてきた。
 こんな顔を見られてはまずいと思って、倫子は体を引っ込めた。

 もう、何がなんだか、よくわからなかった。
 とにかく、晴菜はバカだ。

 考えてはいけないと思うのに考えてしまう。
 さっきの晴菜の言葉。これまでの晴菜の言葉。倫子の前で見せる晴菜の表情。

 晴菜が、子犬のように倫子になついて来て、それからこう言う。
 ミッちゃんすごい。
 もう、ミッちゃんったら、ヒドイっ。
 でも、ミッちゃんのおかげだよ。
 晴菜は、恥ずかしそうに笑った。瞳を輝かせて倫子に抱きついてきた。ちょっと感動するだけでやたらと泣いた。

 うざい。
 なんなんだろう、いつも、この押し付けがましい感情表現は! ストレートで、ま正直で、くそまじめで。

「ミッちゃん。ありがとう。ずっと私のそばにいてくれて。
 私はいつも、ミッちゃんから大切なものをもらってばかりです。私からミッちゃんにあげられるものは、何もなかった。
 でも、ミッちゃん。
 私は、ミッちゃんが怪我で歩けなくなったら、ミッちゃんを背負って歩きたい。
 いつでもミッちゃんを背負えるように、これからもずっと、ミッちゃんのそばにいたい。
 だから、ミッちゃん。大好きなミッちゃん。
 これからもずっと、いつまでもずっと、私の友達でいてください」

 何言ってるの? 意味わかんない。
 晴菜って日本語もしゃべれないの?
 そんなにバカだったんだ……

 晴菜……

 ハルハル……

 あんた、本当にバカだ。
 なんでそんなこと言ったの? 私が何やったか知ってるの?
 ふん、知らないから、そんな無邪気なこと言えるのよ。
 ほんとバカだ。

 なんでそんなにバカなの? なんでそんなに、真っ正直なの? なんでそんなふうに人を信用するの?
 なんであんたは……
 なんであんただけいつも……
 なんであんただけ、そんなにきれいなの? なんでそんなに汚れないの? なんでそんなに純粋なの? なんでそんなに……

 ハルハル。
 なんで?

 いつも1人だけ、そんなに輝いて……
 いつもそばにいる私の身にもなってよ。
 あんたがいるせいで……あんたのせいで、私はいつも……

 あんたのせいで、私がなにをしたと思ってるの?
 あんたのせいなのよ。信じられない。

 ハルハルのバカ。
 ハルハルのバカ。
 ハルハルのバカ……

 いったいなんなの?
 あんなに汚してやったのに。なんでまだそんなにきれいなの?
 悔しい。
 なにこれ? なんなのこの気持ち? なんか、痛い。苦しい。負けたの? 敗北感? 屈辱感?
 こんな悔しい気持ちは初めて。
 やだ……悔しくて泣くなんて。

 胸が苦しい。
 息が詰まりそう。
 身体が震える。

 手すりにしがみついてしゃがみこむ。
 顔が熱い。
 仰向きになって、ペットボトルから、顔に水をかける。

 冷たい。気持ちいい。すっきりした。

 これで、他の人が私の顔を見ても、大丈夫。私の顔が濡れているのを見ても、大丈夫。もうわからない。なんにもバレない。
 水のせいでメイクが崩れる。顔から滴った水のせいで、ワンピースが濡れる。
 あーあ、お気に入りのワンピなのに。
 もうっ、これも、あんたのせいよ。

 全部、あんたのせい。
 私、忘れないよ。こんな悔しい気持ち。悔しくて泣いた気持ち。こんな、息が詰まるような、痛さ。

 絶対にこんな悔しい気持ち、いやだ。
 絶対に仕返ししてやる。
 絶対に、汚してやるからね。もっとグッチャグッチャに汚してやる。もっとメッチャメッチャに落としてやるんだから。

 ハルハルのバカ。
 ほんとに……ほんとに……バカ。
 ハルハル……

< つづく >

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