Dollhouse of ARISEA 第一話

第一話

 回想が先立ち、まだ自己紹介すらしていなかった気がする。
 どうだろう、実際のところあなた達はあまり興味がないかもしれないが、一応僕の身の上に関して話をしておこうか。

 僕の名前は駆楽 秋色(かるら あきひろ)。性別は男。歳はこの九月で20になった。
 職業はバリバリのフリーターで、今は主にコンビニ勤務と時たまデザイナーとして活動したりもする。最終学歴は……一応、中卒ということになるのか。高2の末で留年が確定し、やってられるかと登校拒否。更に青年期特有の(僕の場合は少し激しすぎるかもしれないが)ハチャメチャな思考回路で、前に住んでいた街からこの街へ、学校側には何の連絡も居れずお引越し。そのまま事実上そこを退学したのだと僕は思い込んでいるのだが、実際のところそれに関して学校で何の手続きも踏んでいない。学校側ではどういう扱いになっているのだろうか。今となっては少しばかり気になる気もする。
 家族構成は、僕と、実妹のこのみの二人だけ。二人で、区内のアパートに暮らしている。親のことは……、伏せていいだろうか。どうせ、語るまでもないくだらないことだから。妹の名は、このみ。先日、無事義務教育課程を修了し、今は基本的に家の中でごろごろするだけの生物に成り果ててしまっている。馬鹿。何度も高校は受けろと言ったが、僕自身、学校というものがあまり好きではないため反論されるとそれ以上強く言うことはできなかった。結果、中卒兄妹。あまり詳しく聞いたことはないが、一応バイトもしているらしい。自室で茶封筒から諭吉三枚を抜き出しニヤニヤしている姿を確認。援交とかじゃないだろうな。そういうタイプの馬鹿ではないと思うんだけど。とりあえず門限は夜八時に設定して、最低限それは本当にきっちりと守らせている。そして、その約束が僕ら“家族”の絆となり秩序となり、平穏な生活を構成している――――、と、言うのが、“昨日までの僕達の自己紹介”。

 今の僕達は。
 僕。駆楽 秋色。“アリシアのドールハウス”在住。職業は“ドールマスター”。
 妹。駆楽 このみ。“アリシアのドールハウス”在住。職業は、その付添い人。

 施設。“アリシアのドールハウス”。
 愛を無くした者達の集う場所。

「――――施設って言うより、館とか屋敷とか、そんな感じだな」
「“ドールハウス”なんじゃない?」
「あっ……。そうか、なるほど、頭いいなこのみ」
「にはは!」
「調子にのんな」

 側頭部で結わえられたこのみの髪を引っ張りながら、僕は、カ、カ、と、芝に置かれる飛び石に沿って足を進める。
 “アリシアのドールハウス”。その外装は先ほど僕が述べたとおり、施設と聞いて思い浮かべるような建築物と言うよりは、中世の貴族の屋敷のような……、それでいて、その三角屋根は少女趣味とも言うべきピンクに近い赤色。幻想的、と言ってもいいだろうか。その屋敷には、何か、何とははっきりと断言できないが、何か不可解な、現実味の欠けたような奇妙な雰囲気が漂っていた。
 言うならば、それは。“人形の家”。本物ではない、偽物の家。何かが欠けた、何かが壊れた、奇怪な館。

 先生に案内され、辿りついた、このドールハウス。それなりの生活用品はあると聞いていたが、とはいえ着替えなど最低限必要なものだけでも随分な荷物になってしまった。ぱんぱんのボストンバッグを肩にかけ歩く僕に何の気遣いも無く、小さなナップサックを背負い上機嫌で芝生の上を飛び回るこのみ。憎い。
 先生とは、門で別れた。今までの世話焼きな先生から考えて、僕は彼女にドールハウスの僕が住まうべき部屋まで案内してもらえるというシナリオを想定していたが、どうやらそれは甘い考えだったらしい。それとも他に何か理由があるのか。先生はドールハウスに足を踏み入れちゃいけないとか……少し妄想が過ぎるか。
 しかし、それにしてもこの屋敷、庭だけでも随分な広さがある。門から入り口までの距離でもおおよそ30メートルはあるか。前庭だけでもこうなのだから、裏の方に行けば時代の流れに反してでっかい噴水とかアカシアの木とかゴールデンレトリバーとかがあっちゃったりしてもうわーきゃー。

「……どうか、なさいましたか?」
「ふぇ?」

 誰か。
 このみじゃない誰かに、声をかけられた。
 妄想に耽っていた、不意の出来事で、思わずあまり男性が出すべきでない間抜けな声をあげてしまう。気恥ずかしさに一度咳払いをしてから、声のした方に顔を向ける、と。
そこに立つのは、メイド服の女性。

「…………ああ」
「……?」
「……付き物です、よね」

 この館は、壊れている。
 僕は、今、直感的に悟った。

 猫にまたたび、屋敷にメイド。それは、切っても切れない絆で結ばれているというか、いわゆるセット品、付き物のようなもの。それは確か、それは確かである、が、しかし、現実として、この屋敷の庭の中、目の前にメイドが立っている。
 ……非現実的、だった。
 目の前のメイドは、メイド服の女性は、最も一般的なモノクロームのそれを纏っていた。身長は、僕と比べては勿論、おそらく日本の平均的な女性の身長と比べてもかなり低めであろう事が推察される。年齢は……、はっきりとしたことはわからないが、ギリギリ僕よりも上、だろうか。いや、勘だ。何よりこの身長だし、その涙ぼくろのせいか顔つきは少し大人びて見えるものの、彼女のおさげの三つ編、知性以外の要素が際立たされる真円の丸眼鏡、そしてその内側から、何となく隠しても漏れ出てくるような、何と言うのだろうか、言うならば、そう、“天然”系のオーラが、滲み出てきているのだ。

「えっと……、お客様、ですか?道をお迷いになったとか……、あ、でも、この館は普通の人は気付かないはず……、ですよね。えーっと……」
「あー……、先生……緋百合さんから、聞いてないですかね。なんか、この度、“ドールマスター”ってものに任命されたらしい駆楽って者ですけど」
「…………“ドールマスター”!?」
「ええ。らしいです」
「ほ、本当ですか!?え、えっと、何か、証明できるようなものは……」
「あ、ああ、はい」

 僕は、彼女に、門で別れ際に先生から手渡されたペンダントをポケットから取り出し、差し示す。
 金色の、大樹とウサギをかたどったペンダント。おそらく、“不思議の国のアリス”のワンシーンをモチーフにしたのだろう。先生は、これを、僕に、「もし身分を尋ねられたらこれを見せてあげて」と、渡してくれた。金一色ではあるが、悪趣味には感じない。デザイン的にも、なかなか美術性の高いところがあるのではないだろうか。
 その、ペンダントを、彼女は手に取り、愛しいものを見詰めるような目でじっと眺め、そして、ゆっくりとそれを僕に差し返し、呟く。

「……確認しました。駆楽、様……、貴方が、本当に、アリシア様に認められた“ドールマスター”であるということを」
「あ、はい、どうも」
「これから、宜しくお願いします」

「――私の、三人目のご主人様」

 絞り出すようにそう囁く、彼女の眼には。
 何故かは知らない、何故かは知らないが――、涙が、浮かんでいた。

 僕とこのみは、それから、彼女――メイドの逢沢 夜伽(あいさわ よとぎ)に、ドールハウスの中の一室に案内された。
 あまりじっくりと眺める余裕はなかったが、それでもこの部屋に来るまでの道中、いきなり広間の吹き抜けにしゃんでりあがあってすごいなあとぼくはおもいました。

「ここが、先代、先々代のドールマスターの私室です。一応、私たちはここをマスターズルームとして認識してますけれど、他に気に入ったお部屋があれば、どこでも、いくつでも好きに使っていただいて構いません。全て、ドールマスター様の物ですから」
「……あ、ありがとう」
「命令は、なんなりとこの夜伽にお申し付けください。他の住居者の方々も、ドールマスター様を悪く思う人はいないと思います」
「……ごめん、早速だけど、命令っていうか質問いいかな」
「はい、勿論、喜んで!」

 居酒屋かよ。
 できる限り感情を押し殺し、事務的に説明を続けていたメイド、夜伽であったが、「命令」というワードにただならぬ偏執を感じるらしく、声のトーンを上げ、嬉々とした目で僕を見つめてくる。多分中世にはこんなにご主人様とタイマン張れる立場のメイドなんて居なかった。

「緋百合先生から結局あんまり何も聞かされてないんだけどさ、……結局のところ、“ドールマスター”って一体何なの?僕は、何をすればいいの?」
「ドールマスター様は……、単直に言えば、この館、ドールハウスのご主人様です。特に、これといった仕事はございません。ただ、ここで生活していただくだけが、その職務です」
「アニキ、お金なーんも持ってないよ」

 アンティークチェアに逆向きに腰掛けたこのみが、突然に口を挟む。
 少し奴は口が軽すぎる傾向があるのであまり口を開いてほしくはなかったが、しかし、今の質問は僕自身もなかなか気になるところであったので、受容する。そう、金銭的な問題。先生は、家賃なんてものは要らない、暮らしていてくれれば逆に給料を払う、などと言っていたが、しかし、流石にそれは先生の言葉とはいえ信用に難いものであった。先生だって、嘘をつくことは無いにしても、全てを語っていない、あるいは語り忘れているという可能性は十分にありえる。

「お金……、ですか?……えっと、それは、どういう意味でしょう」
「だから、こんなスゴイお家に住ましといて、あとで家賃百万払えとか言い出したらアニキ暴れだすよってコト」
「……?ドールマスター様に、金銭というものは必要ありません。そういったことは、全て私どもが収支を合わせますので、お任せください」
「…………、……まあいいや」

 ……このみが、人との会話で一歩退く、というのは珍しいことだった。
 しかし、その気持ちはよく判る。中卒兄妹の僕らが言うのも何かもしれないが、しかし、はっきりと、この館では常識というものが崩壊している、ということが実感された。
 僕らが確信していた常識が崩れているなら、どうするか。パッと思いつくのは二つ、そのまま館の常識に流されるか、僕らが新しい常識を形成するか、だ。

 と。
 ロッキンチェアーでも何でもないただの三脚椅子を木馬のように揺らしていたこのみが、急に立ち上がり、軽く屈伸をしながら、切り出した。

「アニキ、このみんちょっとこの家の探検に行ってくる」
「探検、って……、おい。……夜伽、構わないの?」
「え?え、ええ。そうして頂けると、こちらとしても……、あ、い、いや、なんでもないです」
「……?」
「まー、誰にも迷惑はかけないから大丈夫だよ!んじゃ、いってきまーす!」

 僕の許可を待たずして、このみが部屋から飛び出す。会話が長引けば長引くほど自分にとって不利になることを経験的に知ってしまっているらしかった。
 かくして、部屋には成り行きのまま僕と夜伽だけが残される。僕は、このみが引っ張り出してきた三脚椅子をテーブルに戻し、そこに掛け、夜伽にも向かいの椅子に座るよう促す。夜伽は、最初は少し抵抗を示したが、二度言うとおとなしく座った。そういうところはしっかり心得ているらしい。

「失礼します、ご主人様」
「うん」
「先程は……、ごめんなさい。もう、一年半ぶりのご主人様ですので、つい、涙が」
「ああ……、いや、僕も、上手く声をかけてあげられなくてごめん。……でも、女の子のそういう感情って、かわいいと思うから」
「え……」

 自分で言っておいて何だけど、あまりに胡散臭くて吐き気がした。
 けれど、どれだけ胡散臭くても、どれだけ自己嫌悪に陥っても、僕は、その技術、“人の心の樹を伸ばす”技術を持っている以上、それを人の為に用いることが、僕の仕事だと思っていた。
 先生だって、言っていたじゃないか。「心の樹に水を遣るということは、その人を愛するということ」。その言葉の意味を、僕は実感を持って把握したわけではないが、しかし、僕の仕事があるとすれば、それしかない。このドールハウスが、愛をなくした人々の集う場所であるなら、ドールマスターの仕事とはそういうことではないだろうかと、僕は考えていた。

「夜伽は……、仕事だから、このドールハウスで暮らしてるの?」
「え?」
「それが仕事だから、僕や、前のドールマスター達の元に仕えていたの?」
「……違います」
「なら、何で」
「ご主人様と」

「――ご主人様と一緒に、この館で暮らしていたいから」

 その、言葉と共に。
 衝動的な、ものなのだろうか。彼女は、ば、と、立ち上がり、テーブル越しに身を乗り出し、僕の首にその両腕を回し込んだ。
 彼女の頬が、僕の首元に触れる。濡れていた。どうしてこう短時間にこれだけの涙を流せるのだろうと思うほどに、夜伽の頬は、涙で濡れていた。

「――――淋しかった」
「…………」
「ご主人様のいない世界は、暗闇でした」

 ――やっぱり。
 やっぱり、この館は――、偽物の館なんだ。

「ご主人様がいるから、私は光を感じることが出来る」

「涙でぼやけて見えないけれど、今の私の世界には光がある」

 夜伽は、本物のメイドでは、ない。
 本当のメイドが、主に、こんな感情を吐露することなど、あってはならない。
 夜伽は、メイドとして生きているんじゃない。
 メイドというロールプレイングをして、ひたすらに愛を求める、人形として。
 夜伽というドールは、このドールハウスで、ひたすらに待ち続けていた。

「涙を流すことは、悪いことじゃない」
「……駆楽、様」
「愛しさで涙を流すなんて、人間以外にはできないことだから」
「…………」
「――夜伽の涙は、あたたかい」

 囁くように言いながら、僕は夜伽の髪を撫でてやる。
 僕が彼女に言葉を紡げば紡ぐほど、彼女の涙は溢れ出る。

「――――申っっっっし訳ございませんっっっ!!」

 それから五分ほどして。
 ようやく、僕は夜伽の腕から解放された。

「ああ、私、何て分を超えたことを、ご主人様に……!本当に、本当に申し訳ございません!ああ、どうして、私、正気を失っていました……!」
「いや、そんなに気にしないでいいよ。嫌な気分じゃなかったし」
「ですが、私は、メイドとして越えてはならない一線を…………!!」
「越えてない越えてない。別に、これからも、悩みがあったらこんな風に打ち明けてくれて構わないよ。相談、乗るからさ」

 夜伽の真円眼鏡の向こうは、いまだ涙目で、赤く染まっていた。
 どうも、彼女が少し平静を欠いていたことは本当のようだ。けれど、人間誰だってそんな時もある。誰かに縋り、思いっきり泣いてみたい気分になる時だって、ある。

 僕は、その時、そんな風に考えていた。
 あくまで全て、夜伽自身の衝動的な行動。もしかすれば僕の『水』もその衝動を強くする一因として働いてしまったのかもしれないが、だとしてもそれはその程度、あくまで歯車の一つに過ぎないと思っていた。
 彼女のその反応を、“異常”だとは、少しも思っていなかった。

「……これからは、こんな粗相が無いよう、自分を戒めます。どうか、今回は、今回だけはお許しください」
「いいよ、気にしないでって。本職のメイドさんなら即刻退職モノだとは思うけど」
「あ、ありがとうございます……!本当に申し訳ございませんでした、失礼します!あ、私多分基本的にいつもそこら辺でお掃除してると思いますので、何かご用があれば何なりとお申し付けください!」

 夜伽は、そう、畳み掛けるように言い残すと、がたん、と、椅子から立ち上がり。
 「失礼します!」と一礼した後、僕から逃げるように走り出そうとして。
 何もないところで、さもそこに棒か何かがあるかのように、綺麗にずっこけた。

「…………はぅっ!」
「……大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫です!お見苦しいところをお見せしました!それじゃ、今度こそ本当に失礼します!」

 結構したたかに打ったらしい顎を撫でつつ、立ち上がった夜伽は再び走り出し。
 ドアを開け、廊下に飛び出した三秒後、再び何かが強く地面にぶつかる音が聞こえた。

「…………チャップリンか、あいつは」

 あと、メイドが屋敷の中で走るなよ。

< つづく >

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