愛は、自分を救う改 愛は、自分を救う

「…暑い…」

 照りつける太陽の下、額の汗を拭う。
 今日も眩暈がするような猛暑で、額を拭ったハンカチをポケットにしまう間に、また汗が噴き出す。
 こんな時は、適当な店に入って涼めば楽なのだが、出来るだけ早く目的地に着きたかった。

「ふぅ…あそこか…」

 大通りに出たところで、やっと目的地の全貌が確認出来た。
 道中、上層部分だけは垣間見えていた超高層ビル『天魔アークタワー』兄が建てた国内で一番高いビルだ。
 外観は兄の趣味が色濃く反映され、壁面は古代バビロニアを連想するような、精緻かつ壮大な彫刻で埋め尽くされていた。そのせいもあり、周囲には〝バベルの塔〟と揶揄されている。
 何だか縁起の悪い呼び名だが、兄はいたく気に入っていた。

 入り口前で首を上げ、ビルの高さに、ひとつ感嘆の溜め息をついて中に入る。
 内側は外見と違い、近代的な普通のフロア構造をしていた。しばらく周囲の様子を伺いつつ、冷房の効いた空気を肺に入れ一休みする。
 心ゆくまで冷気を堪能してから、よしと意を決して、スーツ姿のサラリーマンが行き交う中、案内カウンターに向かう。
 カウンターには、見た目二十代前半の女性が座っており、私と目が会うと微笑んでくれた。

「あ…あの…」

 何度か深呼吸をして、緊張をほぐしてから話し掛けも、結局は上手く言葉が出ない上に、声も固くなってしまった。自分の小心っぷりには、ほとほと頭が下がる。

「いらっしゃいませ。どのようなご用件でしょうか?」

 場違いな学生服姿の上に、明らかに挙動が不審であろう私に対しても、受付嬢が、にこやかに、明るくはきはきした声で応対する。
 それにしても、さすがに兄のビルで働いているでけあって、温和な笑顔がとても素敵な美人だった。

「あの…星輪 音路(ほしわ ねろ)といいます。今日は兄に会いに来ました。」
「星輪音路様ですね。はい、お話は伺っております。お待ちしておりました。少々お待ちください」

 そう言って、内線電話でどこかに来客を伝える。
 予想の遥か上をゆく丁寧な対応に恐縮しながら待っていると、カウンター奥にある曇りガラスのオートドアが開き、中から案内役であろう女性が姿を現した。
 その容姿に私は瞠目した。スラリとした長身に制服を押し上げる見事なバスト、腰まであるストレートで整えられた煌びやかなブロンド、くっきりとした目鼻立ち、そして澄んだ空色の瞳。
 今まで応対していた受付嬢が霞んでしまうほどの、匂い立つような美女だった。

「お待たせ致しました。ご案内致します。どうぞこちらへ」

 彼女に付いて来るよう促され、容姿に見惚れていた私は我に帰った。
 金髪美女の後に続き、彼女の出てきたオートドアをくぐる。人気の全く無い、静寂そのものの通路をしばらく進むと、先にはカードロック式のオートドアがあり、さらに進むと、いかにも重たそうな鉄扉が行く手を遮っていた。

「少々お待ち下さい」

 やんわりとここに留まるよう言うと、ドアの横にあるパネルまで進んで何やら打ち込み、下の小さなパネルに指を押し付ける。すると、ガチャリと重い音がして観音開きのドアがゆっくりと開いていく。
 あまりに厳重なセキュリティに自然と苦笑いが漏れる。兄は前からこんなにも猜疑心が強かっただろうか。そんな違和感に考えを巡らせながら、突き当たりにあるエレベーターに向かった。

「こちらが最上階直通のエレベーターになります」

 案内されるまま乗り込んで、彼女の傍らに立つ。ドアが閉まると横から香水と体臭の混ざった甘い香りが漂ってきて、胸の中ががむず痒い気分になる。
 見た感じは何の変哲もない昇降機だったが、中身は高性能らしく、階数を示す数字が凄まじいスピードで変わっていき、驚いている間に最上階に到達してしまった。到着を知らせる電子音が鳴ると、独特の駆動音を立て、エレベーターのドアが開いてゆく。
 迂闊にも油断していた私は、眼前に現れた光景に息を呑んだ。今までの無機質で味気無いフロアとは打って変わり、床には磨き抜かれた大理石が敷き詰められ、壁と天井は一面に美麗な彫刻が施されていた。まるで欧州の貴族が使っているかのような広大で豪奢な造りの部屋だった。

 時が過ぎ、興奮が落ち着くと、自然と前を歩く美女に目が行ってしまう。カツコツと歩く度に、光沢のある金髪とムッチリした形の良いお尻が揺れ、後ろ姿から溢れ出る色気にすっかり当てられてしまった。
(この人も、兄の所有物なんだろうか)
 ふとそんな風に考え、妬みで気分が重くなる。兄に対してこんな感情を抱くのは間違っている、と理性では分かっているのだが、どうしようもなく浮かんでしまうのだ。
 しかし、それも今日で終わる。

 何で兄ばかり……そんな暗い想いが日々胸の奥に沈殿していた私に、兄から突然の連絡があったのは今日の朝だった。
『音路に渡したい魔法グッズがある。学校帰りにでも天魔ビルに来い』
 携帯に届いたのは、用件だけ書かれた短いメールだったが、読んだ時の感激は体から溢れんばかりの大きさだった。兄は私の事をちゃんと気に留めてくれていたのだ。
 一体どんな魔法なのだろうという期待と、これでやっと積もりに積もったヘドロを一掃出来る、という希望から夜も眠れず、学校に行ってる間もずっと上の空だった。

 エレベーターのある部屋を出ると、重厚な騎士の鎧に出迎えられ思わず一歩後ずさる。そんな私の様子を、隣の金髪女性は忍び笑いをしながら楽しげに眺めていた。
 ほのかな羞恥に耐えながら赤絨毯の敷かれている廊下を渡り、突き当たりにある古めかしい木製の扉で立ち止まる。どうやらここが終着駅のようだ。
(いよいよか…)
 彼女がコンコンと軽くノックする。私にはその小気味良い音が、将来を約束する福音に思えてならなかった。

「ご主人様。音路様をお連れ致しました」
「……入れ」

 薄汚れた木のドアから、聞きなれた、そして懐かしい声が返ってきた。

「失礼致します」

 彼女はどこか敬愛の滲んだ調子で告げると、丁寧な動作でドアを開ける。
 ドアの先の広がる世界は、実家にあった兄の部屋を拡大強化したような、古今東西の魔術用具、呪術儀式用具、拷問器具、処刑用具で埋め尽くされており、見る者を圧倒するような禍々しさを放っていた。
 部屋の奥、一面に青空が見えるガラス窓の前には、見覚えのある電気椅子と赤黒いシミと手枷足枷の付いた執務机があり、その電気椅子には兄が腰を掛け、傍らには神出 麗羅(しんで れいら)の姿があった。

「メルクア、ご苦労だった」

 兄に労いの言葉を掛けられ、今まで眼を楽しませてくれた美女は、頬を桜色に染め、兄の顔をうっとりとした眼差しで見詰めていた。
(やはり、この人も…)
 またズキリと心が痛んだ。

「コホン!」

 不意に神出さんが、わざとらしく咳払いをしてキッと睨む。その目線は、私ではなく横の女性に向いていた。
 五芒星をかたどったイヤリングを弄って視線を受け流していたメルクアさんは、ニコリと微笑むと兄に一礼して退室してしまった。

「音路、渡したい物がある。こっちに来い」
「あ…うん」

 兄に言われ、執務机の前まで進み出る。前髪が長いせいで、相変わらず表情はよく分からない。
 神出さんの方は、気品のある大人びた顔立ちで、高級そうな黒スーツがよく似合っていた。

「麗羅、エロースリングを持って来てくれ」
「え!? ですが、あれは…」
「いいんだ」

 珍しく狼狽する彼女に、兄は重い声で意を伝えた。

「は、はい、直ぐにお持ち致します」

 兄の命に背いている事に気付いたのか、姿勢を正し、改めて返事をすると、私の方を冷たい目で一瞥して、壁に埋め込まれた金庫に向け歩き出す。
 彼女が金庫から取り出した物は、黒くて小さな箱だった。

「本当は、音路の誕生日に間に合わせたかっんだが、色々あってな。少し遅いが誕生日プレゼントだ」

 兄は神出さんから箱を受け取ると、フタを開け、机の上に置く。中には銀色に輝く二つの指輪が入っていた。

「これは填めた人間を性奴に変える魔法の指輪だ。使い方は箱の裏に書いておいた。これがあれば存分に欲望を吐き出せるだろう。受け取れ」
「あ、ありがとう兄さん。これは僕にとって最高の贈り物だよ」
(これがあれば、やっと、やっと兄さんと同じように…)

 この指輪と共に迎える明日からの学園生活を思うと、希望で胸が張り裂けそうになる。直ぐに標的の顔が頭に浮かんだ。その女が私の性奴となって奉仕する姿を妄想してしまい、股間に血が集まるのを抑えられなかった。
 暫らく指輪を眺めてから、箱を閉めて学生カバンの中に入れる。何だか、これで自分の物になったという実感が込み上げて来て、カバンを両手で抱き締めた。

「麗羅。音路を出口まで案内してくれ」
「かしこまりました」

 神出さんが兄に恭しく礼をすると、入り口に向かい無言でスタスタ歩くので、慌てて後に続き部屋を出る。ドアをを閉める時に兄の方を見ると、Vサインで見送ってくれた。
 帰りの道すがら、どうしても気になった事があったので、思い切って彼女に直接確認する。

「あの、神出さん。あの時どうして躊躇を?」

 質問の意図が正しく伝わったかどうか不安になり様子を伺う。彼女は不機嫌を隠さずに私をねめ付けた。どうやら正確に理解したようだ。

「あの指輪は、元は西の魔術結社が所有していた物です。あれを奪い取る際に、マスターは死にかけるほどの深手を負いました」
「…え?」

 驚きのあまり二の句が継げずに硬直する。あの兄がそんな大怪我をしていたなんて、想像すら出来ない事だった。

「あれだけ苦労して手に入れた宝を、惜し気もなく弟に渡すなんて、マスターは本当に懐の深いお方です。それに引き替え、マスターの厚意に甘え、恥じる事のない貴方は最低です」
(そうだったのか…兄さん…)

 神出さんが苛立たしげに言い放つ。今までの浮ついた気分が吹き飛んだが、聞いてみて良かった。本当にそう思う。
 帰り際に見た兄のVサインを思い出し、ジンと目頭が熱くなる。私にはとても真似が出来ない。兄の優しさと大きさに思いを馳せ、我欲から兄を妬んだ自分を心底情けないと思った。
 この恩義は一人前になったら必ず返す。そう固く心に誓うのだった。

 自分の部屋に帰ると、早速指輪を取り出し、じっくりと眺める。
 二つの指輪はそれぞれデザインが異なり、一つは弓の彫刻が施され、もう一つには矢の彫刻が施されていた。
 いかにも鋭利そうな矢のデザインが気に入ったので、色々な角度から眺め回す。
(あれ?)
 いつの間にか指輪が左手の薬指に嵌まっていた。しかも、どうやっても抜けない。
(ま、いいか。指輪はもう一つあるし)
 別に気にも留めずに、そのまま就寝した。

 待望の朝。私は真夏の暑さにも関わらず、足取りも軽やかに通学路を進む。
 水分補給の為、途中にあるジュースの自販機でファンタンAを買い、喉を潤しつつ歩いていると、栗毛のポニーテールを揺らす女学生が目に入った。

「おーい、安孫子(あびす)おはよう」

 挨拶に気付いた弾打 安孫子(だんだ あびす)が振り向く。どこまでも深い藍色の瞳が私の姿を映した。

「…おはよう…」

 そっけなく答える彼女に小走りで追いつき、歩調を合わせる。すると何か気になる事でもあるのか、猫のように可愛い目で、ジッとこちらを見詰めつつ顔を近付けてきた。
 自然と安孫子の姿で視界が埋まる。細く通った鼻や薄い唇、全体的に華奢というよりは、無駄な贅肉の無い、どこか野性的な容姿だった。ほのかに彼女が愛用している甘い牛乳石鹸の香りが漂い、少しドギマギしてしまう。

「…随分と機嫌が良さそうだな。何か良い事でもあったか? …」
「うん。昨日兄さんに素晴らしい誕生日プレゼントを貰ったんだ」
「…兄か。僕には義父しかいないから、少し羨ましいぞ…」

 たしか安孫子の義父、弾打 ダン(だんだ だん)は凄く偉い先生で、ゴッド何とかいう未知のエネルギーを研究していると聞いた事がある。父親が偉大でも、やはり家族が一人だけというのは寂しいものらしい。
 何だか話が暗い方に行きそうだったので、話題を変えようとあれこれ思案していると、右手に持つジュースが目に入った。

「あのさ、ちよっと聞きたい事があるんだけど、ラ・フランスってどういう意味?」

 私はラ・フランス風味と書かれたファンタンAを指差し尋ねる。海外生まれの彼女ならきっと分かるだろう。

「…それは音路、お前の事だ…」
「うぉう! そ、それはつまり、僕の様なスーパーナイスガイを指してラ・フランスと呼ぶのか?」
「…その通りだ…」

 さも自信ありげな顔で大仰に頷く。
 これはまさに青天の霹靂だった。あの程好い甘味と酸味が、汗で煌めく漢の肉体を表現していたのだ。
(そうか、そうだったのか。どうりで僕が病み付きになる訳だ)

「はっはは。ならば今日から僕の事は、デイリー・ラ・フランスと呼んでくれ」
「…うん、そうする…」

 そう言って、彼女は爽やかに微笑む。
 彼女は普段、表情が豊かなのだが、低血圧なのか登校中に笑う事はめったに無かった。朝からレアな笑顔を拝めた幸運に、今日は絶好調に運が向いているのを確信した。

 安孫子と教室に入り自分の後ろの席を確認する。私が事前につかんでいた情報は正確だったらしく、友人が物憂げに俯いていた。

「やあ、おはよう。朝から元気が無いね。どうしたの?」

 理由はとっくに知っていたが、あえて尋ねる。

「…何でもない」

 予測通りに白を切る。こちらが拍子抜けするほど顔に出ているというのに。
 彼は幼馴染の可愛い彼女がいるにも関わらず、水泳部の後輩にも手を出そうとしている極悪人なのだ。

「そういえば、部活の後輩に告白されたんだってね」
「何で知ってる!」
「いやいや、ちょっと保安局に知り合いがいてね。そこから仕入れた」
「お前、秘密警察とつるんでるのか。このゲス野朗」
「単なるビジネスだよ。利用したいから、利用されてやってるだけさ。で、今までの良好な関係が壊れるのを覚悟しての告白だ。どうするね?」

 友人は苦悶の表情で机を睨む。全ては自業自得なので、彼に同情の余地は欠片も無い。
(ククク、悩め悩め。モテる奴はみんな苦しめばいいんだ)

「…そんな時は、2キャラ同時攻略だ…」

 突然、右隣に座る安孫子が話に割り込んできた。

「な、なんと言う非人道的な事を。そのような悪逆、たとえ天が許しても、この僕が許さないぞ」
「…童貞野郎の妬みはみっともないぞ…」
「何を言う、早見ゆ(ポコッ)
「…ネタが古い…」

 彼女が自作した紙製凶器、通称『音路バスター』で、私の頭を殴打する。そうこうしている内に、担任の御蓮寺 桃香(ごれんじ ももか)先生が教室に入り、朝のHRが始まってしまった。
 教壇に上がる桃香先生をじっくりと眺める。眼鏡のよく似合う理知的な顔付きに、顔とは不釣合いなグラマラスボディ。知性と色気が高いレベルで揃っている美人教師で、男子生徒に熱烈なファンが多い。
 ずっと視姦していたい、という欲求に駆られるが、大いなる野望の為、作戦を実行に移す。まずは雄雄しく立ち上がり、声も高らかに宣言した。

「桃香先生……ウンチがしたいです」
「また貴方ですか。どうしてホームルームが始まる前に行かないの……いいわ、行ってきなさい」

 先生は震える指を眉根に押し当て俯く。見るからに具合が悪そうだ。どうかご自愛下さい。

「…音路、しばし待て…」

 不意に安孫子が呼び止めると、両手でガサゴソと机を弄る。暫らくして一冊の本を取り出した。

「…餞別だ。これを使え…」
(こ、これは、昨期売り上げNo.1の巨乳雑誌『ネバー・エンディング・パイズリ』 なぜ彼女がこのような物を………はっ! もしやこれを使って自分の使い方を研究していたとでもいうのか? あんな風やこんな風に………おっと! いかんいかん。彼女は親友であり、僕を妄想の世界へと誘う魔女でもあるのだ。と・に・角! 便所に用が無いのを悟られる訳にはいかない)

 素直に安孫子の申し出を受け入れる事にした。

「ありがたく使わせて貰うよ」
「…頑張れ…」

 私は会心の笑みを浮かべ、彼女は無表情のままで親指を立てる。視線と視線が絡み合う。友情を確認する瞬間だった。

「さっさと行かんか!」

 桃香先生の投げたチョークが、私の額にヒットした。

 まずは校舎の外に出て、園芸部の部室からスコップとビニールシートを拝借し、降り注ぐ蝉の鳴き声に辟易しながら校舎裏へと向かう。
 この学園の校舎裏は、普段人通りがほとんど無い上に、すぐ近くに雑木林があるので視界も悪く、隠れながら罠を張るには都合の良い場所だった。
 罠の設置場所に見当を付け、炎天下の中、汗を滴らせながら一心不乱にスコップを突き立て、土を掻き出す。予定の深さまで掘り進めて、穴から這い出ると、ちょうど昼休みを伝えるチャイムが鳴った。
 仕上げにビニールシートを掛けて、四隅を園芸部の花壇から抜き取ったコンクリートブロックで固定してから、シートの上に土を掛ける。何だかブロックと脇の小山が目立つような気もするが、問題無いだろう。
(準備は全て整った。よしっ! グランドスラム大作戦の発動だ)
 ターゲットは昼食後、校舎裏を通って執務室に入り、昼休みが終わるまで職務をこなすのが日課だった。
 そこでルート上に落とし穴を掘り、罠に掛かった獲物を〝通りすがり〟の私が助ける。その際、差し出された腕を引き上げるどさくさに指輪を嵌めれば目的達成だった。
(完璧だ。何て完璧な作戦なんだ。あまりの完璧っぷりに、ああっ、眩暈が……)
 草むらに隠れ、右手でポケット内の指輪を握り締める。後はひたすら、息を殺して彼女が来るのをジッと待った。
(来たっ)
 校舎の方から、一人の女学生が近付いて来る。注意深く観察していると、標的の古司 千代(ふるし ちよ)先輩だと確信した。
 真っ直ぐに切り揃えれれたセミロングヘアをそよ風に揺らし、颯爽と歩く姿は、まるで天使のようだ。
 小振りで形の良い顔付きに細く儚げな肢体。思わず守ってあげたくなるような、とても繊細で可憐な美少女だった。しかも、学園中央委員会第一書記の職務をこなしつつも、成績では学年トップの座を守り続けている才媛でもある。
 彼女の姿を目で追っていると、校舎の逆側から壊滅的に音程のずれた歌声のようなものが耳に届き、音の方に視線を向ける。

「♪ (バンバラバンバンバン・バンバラバンバンバン・バンバラバンバンバンバラバンバンバンバラバンバンバン)誰がっ(アアン)呼んだか、俺の名は~無敵っ(ウウン)番長~ゴレンジー(ウッ)ゴレンジ(バンバラバンバンバン・バンバラバンバンバン)

 彼女の反対方向から、地面を揺らしながら歩いて来る男には見覚えがあった。奴の名は御蓮寺 黄岩(ごれんじ おうがん)自らを番長と名乗る危険人物だ。とても、あの美しく聡明な桃香先生と血が繋がっているとは思えない。
 学園保安局が何故この男を放置するのか理解に苦しむ。過去の例からいって、身内に教師がいる、というのは理由にならないはずだ。
(これは……まずいぞ)
 古司さんよりも黄岩の方が歩みが速い。このままでは彼が先に落ちてしまう。

「♪ 力と、技と、団結の、これが合図だ~エイ・エエイ・オウ! (ズボッ)

 彼が力強く右腕を振り上げた瞬間、垂直に落下した。
(ファック! 何てこった)
 腹回りが穴より大きいせいで下半身だけが埋まり、露出した上半身をじたばたと蠢かせる。しかし、その表情は何故か満足気だった。

「ついに学園保安局が俺様に目を付けたか。上等だ、こっちこそ望むところだぜっ」

 古司さんは、吼える危険人物に臆する事無く歩み寄り、優しく微笑んで話し掛ける。

「違うと思うよ」
「はぇ?」

 彼女の言葉が理解出来ない、という風で、黄岩はただでさえ知性の欠如した顔を呆けさせた。

「だって、保安局の粛清者リストに名前が無かったもの」
「そ…そうなの?」
「うん、そうなの」

 ガックリとうな垂れる彼を見て、またも微笑み、優雅に歩き去る古司さん。私はその後ろ姿を爪を噛みながら見送る。
 綿密に立てた作戦だったが、予期せぬ邪魔が入り完全な失敗に終わった。御蓮寺黄岩さえ来なければ、今頃は雑木林で青空セックスをしていたはずだ。
 しばらく煩悶していると、古司さんが呼んだのか、桃香先生が小走りでやって来た。白いブラウスに包まれた巨乳が歩調に合わせて揺れる。その絶景が深く傷付いた私の心を癒してくれた。

「お兄ちゃん大丈夫? 一体誰がこんな穴を…」
「おお、桃香。胴がすっぽり嵌まって一人じゃ抜けられないんだ。助けてくれ」
「ええ、分かったわ。しばらく動かないでね」

 先生は、シャツの襟を両手で掴んで一気に巨体を持ち上げる。さすがに女子空手部の顧問だけあって凄まじい膂力だった。
(……さて、昼飯でも食いに行くかな)
 これ以上ここにいても意味は無い。まだ昼休みは十分に残っているので、重い足取りで学食に向け移動した。

 苦い失敗から一夜明け、今日こそはと気合を入れつつ玄関を出る。もうすでに必勝の作戦は頭に浮かんでいた。
 今朝方に降った雨で、道路の側溝や轍に水が溜まっていた。あまり整備されていない寂れた道なので、歩道にも所々に水溜りがある。
 その水溜りをヒョイヒョイと避けながら歩いていると、前方に濃紺のセーラー服を風に揺らす級友が見えたので声を掛ける。

「おーい、安孫子。おはよう」
「…うむ、おはよう…」

 彼女に走って追いつき、横に並ぶ。不意に安孫子レーダーが何かを捉えたのか、探る様に周囲を見回し始めた。

「…めずらしいな。神出の車だ…」
「えっ?」

 彼女に倣い、後ろを振り向く。そこには裏通りに似つかわしくない、純白の高級車が滑る様に走行していた。
 恐らく、幹線道路で渋滞でも起きているのだろう。朝から神出さんの美貌を拝見出来るのは、この上なく僥倖だった。
 それにしても、最近の高級車は静粛性が高く、遠方から音で察知するのは難しい。安孫子の野生動物並みに鋭い感覚にはいつも驚かされる。

「おーい。神出さーん」

 声を張り上げ、腕も千切れんばかりの勢いで手を振った。もしかしたら車を停めて挨拶を返してくれるかもしれない。
(バシャッ)
 私の熱意にも関わらず、無情にも車は泥水を跳ね上げそのまま通り過ぎてしまった。飛んだ水が勢い良く足に掛かり、膝から下がずぶ濡れになる。

「…音路、災難だったな…」

 そう言う安孫子は全く濡れていない。私の真横に立っていた彼女が濡れていないのはおかしい、との疑念を抱き、原因を探るべく路面の状況を舐めるように捜索する。すると、彼女の周囲はまるで水の方が避けたかのように、逆V字に濡れていた。

「何で安孫子は濡れて無いんだよぅ」
「…人徳だ、気にするな…」
「なるほど、人徳か。じゃあ仕方ない」

 太古の昔、さる徳の高い僧侶が絶壁の海岸で錫杖を掲げると、海が割れ、道が出来たという。
 まさか親友の身にもそのような奇跡が起きるとは。朝からレアな奇跡を拝めた幸運に、今日は絶好調に運が向いているのを確信した。

 安孫子と教室に入り自分の後ろの席を確認する。私の予想に反し、どういう訳か、友人が恵比須顔で座っていた。

「何故笑っている。只今絶賛修羅場中で、破局は確実という状況のはずだ」
「情報が古いな。弾打さんに何も聞いてないのか?」
「え?」
「…実はな、昨日僕が提案した『彼氏シェアリング計画』が功を奏してだな、昼休みに問題は解決していたのだ…」
「ななな、なんだってぇ~~~~」
「ああ、腹を割って三人で話し合った結果、二人と平等に付き合う事で決着した」
「ぐぬぬぬぬぬぅぅぅぅ~~~」

 私はこの世の不条理と根深い格差社会を嘆き、正義とは何かを天に問うた。そうこうしている内に、桃香先生が教室に入り、朝のHRが始まってしまう。
 一時限目の授業が体育の為か、先生は桜色のジャージを着込んでいて、体形の出るタイトなジャージ姿が普段のスーツ姿とはまた違った色香を醸し出している。桃香先生は体育の他に薬学も受け持っていて、授業ではスーツの上に白衣を羽織って教鞭を振るい、清純な男子生徒を魅了していた。
 またしても視姦していたい、という欲求に駆られるが、昨日に引き続き、大いなる野望の為、作戦を実行に移す。まずは雄雄しく立ち上がり、声も高らかに宣言した。

「桃香先生……ウンチがしたいです」
「もう、いいかげんに…………いいわ、行ってらっしゃい」

 先生は胸に手を当て深呼吸を繰り返す。呼吸器に持病でもあるのだろうか? どうかご自愛下さい。

「…音路、しばし待て…」

 不意に安孫子が呼び止めると、両手でガサゴソと机を弄る。暫らくして乳白色の円筒を取り出した。

「…餞別だ。これを使え…」
(こ…これは、昨期売り上げNo.1のロリホール『聖鈴ちゃん8歳』 なぜ彼女がこのような物を………はっ! もしや安孫子の正体はフタナリ美少女で、日夜これを使って自分を慰めていたとでもいうのか? あんな風やこんな風に………おっと! いかんいかん。彼女は親友であり、僕を妄想の世界へと誘う魔女でもあるのだ。と・に・角! 便所に用が無いのを悟られる訳にはいかない)

 素直に安孫子の申し出を受け入れる事にした。

「ありがたく使わせて貰うよ」
「…頑張れ…」

 私は会心の笑みを浮かべ、彼女は無表情のままで親指を立てる。視線と視線が絡み合う。友情を確認する瞬間だった。

「さっさと行かんか!」

 桃香先生の投げたハイヒールが、私の股間にヒットした。

 今度は、園芸部の花壇に立ち寄り、赤いバラを一輪刈り取ってから校舎裏へと向かう。
 明後日からは期末試験が始まり、終われば直ぐに夏休みが到来する。
 休み期間中は古司さんに会う事が出来ないので、愛と怠惰に満ちた夏休みを迎える為には、速やかに結果を出さなければいけなかった。
 目的地に到着後、周囲の無人を確認する。昨日掘った穴は綺麗に埋められていた。
 雑木林に入り、持参した輪ゴムを木の枝に括り付け、ゴムを糸で引いて、その糸を路地裏で固定する。仕上げにバラを輪ゴムの弓にセットして罠が完成した。何か腰の高さで張られた糸が目立つような気がするが、問題無いだろう。
(準備は全て整った。よしっ! ベルサイユの赤い雨大作戦の発動だ)
 ターゲットが道に仕掛けられた糸を切った瞬間、バラが飛び出し獲物の小指を切り裂く。痛みで指を押さえうずくまる彼女を〝通りすがり〟の私が介抱する。その際、差し出された指に絆創膏を貼るどさくさに指輪を嵌めれば作戦成功だった。
(完璧だ。何て完璧な作戦なんだ。あまりの完璧っぷりに、あっ、眩暈が……)
 今回はトラップの設置に時間が掛からなかったので、授業に戻ろうと移動しかけた時、聞き覚えのある極めて音痴な歌声が鼓膜を揺らした。

「♪ (バンバラバンバンバン・バンバラバンバンバン・バンバラバンバンバンバラバンバンバンバラバンバンバン)海のっ(アアン)果てでも、俺の名は~無敵っ(ウウン)番長~ゴレンジー(ウッ)ゴレンジ(バンバラバンバンバン・バンバラバンバンバン)

 やって来たのは案の定、御蓮寺黄岩だった。しかも、糸に気付く様子も無く、罠に向け猛進している。

「♪ 力と、技と、団結の、これが合図だ~エイ・エエイ・オウ! (ズボッ)

 力強く右腕を振り上げた瞬間、出ベソにバラが埋没した。

「あんぎぃやぁおぅぇぇぇぇぇ~~~~~~~~」

 黄岩は獣じみた悲鳴を上げ、泡を吹いて倒れる。そこには、拳大の出ベソから真紅の薔薇を生やした奇妙なオブジェが現出していた。
(成仏しろよ)
 私は合掌し、心静かに彼の冥福を祈った。
(さて、罠の修復でもするかな)
 そう思い立ち、雑木林から出る。直後、遠くに女学生らしき人影が見えたので、慌てて雑木林に飛び込んだ。
(全く、授業時間中だというのに、何者だ…)
 近付く人影の全体像が鮮明になるにつれ、背筋に冷たい物が込み上げて来る。影の正体は学園保安局局長、外折木 銃子(げおるぎ じゅうこ)だった。
 周囲からは冷酷無比の粛清魔と恐れられており、腰にぶら下げた九五式銃刀で斬殺した不良の数は三桁に上ると言われている。
 185センチの長身と蛇のように温もりの感じられない眼差しが見る者を威圧する。彫刻を思わせる白く整った顔立ちが、彼女の無機質な内面を表していた。
(あれ?)
 彼女の足元に何か光る物がり、注意深く目を凝らして見ると、それは兄から貰った貴重な指輪だった。
 咄嗟にズボンのポケットに手を差し入れる。中に指輪は無く、代わりに小さな穴が開いていた。ふと、バラを切り取る際、棘がズボンに引っかかったのを思い出す。恐らくその時に穴が開いてしまったのだろう。
 外折木銃子は、私が命の次に大切だと思っている宝を無造作に拾い上げ、躊躇なく左手の薬指に近付けていく。
(やめろぉぉぉぉぉ~)
 私は心の中で叫んだ。それが彼女の耳に届くはずも無く、感情の抜け落ちた顔で、最初から自分の物であるかのように、あっさりと嵌めた。
 ・
 ・
 ・
 ・
 ・
 校舎裏を整然と歩く、この世の物とは思えぬ美女に目が釘付けになる。
 艶やかな波打つ黒髪、すっと通った鼻立ち、怜悧な光を宿した切れ長の瞳、制服の上からでも瞭然な抜群のプロポーション。
 彼女を見ていると、女神の氷像を眺めているような錯覚に陥る。それほどまでに透明感のある美しさだった。
 荒れ狂う心臓の鼓動が身体全体を揺らす。呼吸が乱れ、手足が痺れ、彼女が視界から消えるまで歩く事すら出来なかった。
(……そういえば)
 私はある事を思い出し、足早にその場を後にした。

 教室に戻ると、早速、外折木さんと親交のある安孫子にセッティングを依頼する。
 彼女は最初、目を剥いて驚いたが、私の顔を見て頷くと快く引き受けてくれた。

「…話は付いたぞ、昼休みに別館で待つ、との事だ…」
「ありがとう安孫子。恩に着るよ」
「…いやなに、極上イナゴ天麩羅定食の為だからな、お安い御用だ。それにしても銃子を狙うか。音路の審美眼も随分と向上したな…」
「そ、そう? 何か照れるな」
「…だが、銃子に認められるのは大変だぞ…」
「覚悟の上です」
「…うむ、その言や良し…」

 数学担当教師の仏頂面が入ってきたので、話を切り上げ、慌てて前を向く。
 四時限目の授業が始まった後も、外折木さんにどんな言葉を捧げようか、その事ばかり考えていた。

 一分が十分にも二十分にも感じられるような、苦痛と退屈に満ちた荒行を乗り越えて、ついに昼休みが到来した。
 溢れる気合で周囲の像がぼやける中、悠々と席を立つ。

「…音路、頑張れよ…」
「おうっ」

 親友の見送りを背に受けつつ教室を飛び出し、廊下を学食へ移動する生徒の間を縫うように全速力で駆ける。とにかく一秒でも早く、自分の好意を彼女に伝えたかった。

 外折木さんが待ち合わせ場所に指定した別館は、元は小学部の校舎で、小学部の廃止後は用途もなく取り壊す資金も無い、という事情でそのまま放置されている建物だ。
 閉鎖後はカギをこじ開けて進入した不良達の溜まり場になっていたが、学園保安局の行った『浄化の炎』作戦後は、見回りの保安局員と雑草刈りをする用務員以外に近寄る者は居なかった。
 別館へと続く石畳の上をひたすら走る。もうとっくに息が切れてもおかしくないのだが、何故か今は後から後から力が湧いて来て、疲れる事が無かった。
 朽ちかけた廃校舎の入り口前、二宮金次郎跡地に外折木さんが仁王立ちしていた。その悠然とした佇まいに目を奪われてしまい、足元の段差に気付けずに勢い良く転んでしまう。
 ゴロンゴロンと天地が何度も回転し、最後は暗い地面で視界が埋まる。何とか両手を突いて顔を上げると、よく磨かれた黒い革靴と真白いソックスが目に入った。到達点は、ちょうど外折木さんから三歩前の所だった。
 彼女は息を整えつつ立ち上がる私を、品定めするように見下ろしながら口を開く。

「どうやら一人で来たようですね。安孫子の紹介ですから、不埒な輩ではないと思いますが」
「あ、あの、僕は二年阿組の星輪音路といいます。きょ、今日は、たた、大切な話があって、その…」

 冷たい汗が額から流れ落ちる。上手く伝えなければ、と思えば思うほど舌の滑りが悪くなっていった。
 外折木さんは、ただ黙って私の言葉を待っている。こうなるともう途中で止める訳にはいかず、無理矢理声を捻り出した。

「ぼ、僕は、外折木銃子さんが、すっすっすすっすっす、す、スキーです。ダイ、好きょ、デス。もう、一目惚れしてしまいました。煮るなり焼くなり好きにしてください!」
「本気……ですか?」

 彼女は疑惑の目で凝視する。私もここが正念場と、ありったけの想いを瞳に込めた。
 しばらくの間、静かに見詰め合っていたのだが、不意に彼女が驚愕の表情を浮かべると、頬が急激に赤く染まってゆく。

「ま、まさか私なんかが……これは何かの罠……でもでも、彼の目は本気ですし……これは千載一遇のチャンスなのでは……この機会を逃がせば、私はあの化物と……」

 外折木さんは両手を顔に当て、腰を情熱的にくねらせながらブツブツと呟いていた。

「えー、コホン。あまりに唐突な事態なので、結果は後日改めて伝えます。では、これから公務がありますので失礼」

 そう言って、土煙を上げながらグラウンド方向に走り去ってしまった。
 即座に返事を貰えなかったのは残念だが、はっきりと断られた訳では無いのでまだ希望が持てた。
 彼女の様子から察するに確率は五分五分に思える。告白自体は上手く言えなかったが不思議と手応えのようなものを感じていた。

 緊張が解けると、とたんに腹の虫が鳴る。
(やるだけの事はやったし、メシでも食うか)
 浮ついた気分に浸りながら学食に移動し、願掛けにと夏季限定メニュー『血のバレンタインチョコ丼』を注文した。
 致死量寸前まで糖分を摂取して、ふらつきながらも教室に戻り、安孫子に一連の流れを報告する。彼女も興味津々といった感じで聞いていくれた。

「…おお、それは完全に脈ありだぞ…」
「僕もさ、薄々だけどそんな気がしてる」

 思わず顔の筋肉が緩む。彼女はそれを見てニヤリと笑い、猫のように目を輝かせた。

「…銃子が結論を先延ばしにするのは超異例だ。うーむ、よし! 放課後になったら直接聞きに行ってやろう。もちろん報酬が有ればの話だが…」
「たのんます!」
「…それでは、パッパップパップ定食で手を打とう…」
「あの、せめてプパップ定食で勘弁して下さい」
「…仕方ないな。じゃあそれで…」
「ありがとう。恩に着る」
「…交渉成立だな。じゃあ放課後になったら、用具室で待っていてくれ…」
「了解」

 その後は滞り無く授業が進み、放課後が訪れる。
 教師が立ち去ると、安孫子は教科書を机に押し込んで、冷静な顔をこちらに向けた。

「…じゃあ行ってくる…」
「よろしくお願いしますっ」

 希望と不安を胸に彼女を見送る。待つしかない身というのは、非常に辛いものだと痛感した。

 合流場所の用具室は、二人で他愛もない事を密談する時によく利用する場所で、埃っぽささえ我慢出来れば、とても静かで薄暗い私好みの穴場だった。
 少し手狭な室内には、何に使うのか分からない教材が多数保管されており、それらを弄っているだけでも時間が潰せる。
 小学部校舎から引っ越して来たものの、使われずに倉庫送りになった哀れな人体模型で色々と遊んでいると、立て付けの悪いドアを押し開けて安孫子が入って来た。

「して、外折木さんの返事は?」
「…それなんだが…」

 私は手に力を込め固唾を呑む。彼女の神妙そうな表情が不安を掻き立てた。

「…その、実はな、銃子にも気になる男性が居てだな。会う約束を取り付けてくれと頼まれたんだ…」
「そ、そんな、まさかそんな。相手は、相手は誰なんだ?」
「…お前だ…」

 安孫子の言葉を聞いた瞬間、足元が崩落し深い暗黒に呑まれるかのような喪失感を覚えた。
(クソッ! オマエッオマエッ! これほどまでに人を妬ましいと思った事は無いぞオマエッ。クソックソッ畜生…………はて? オマエというのはお前という事で、それはつまり僕の事ではないだろうか?)

「なぁ、もしかしてオマエとはお前という意味で、僕の事なのか?」
「…何を言っている。対象の名前は『オマエダ=オマエ』オマエダヨ島からやって来た、97歳の独身男性だ。もし交際が成立すれば、世界一の年の差カップルになるぞ…」
「あぁぁぁぁ~~やっぱりぃ~~」

 膝から力が抜け、立って居られなくなり床にへたり込む。止め処なく流れる熱い涙が頬を濡らし、口からは嗚咽が漏れた。

「…というのはもちろん冗談で…」
「はぇ?」
「…明日の昼休みに校舎裏で会いたいと言っていた。銃子ほどの女はそうは居ない。この縁を大切にすることだ…」

 安孫子は悪戯っぽく笑うと、私の頭をポンポンと軽く叩く。その笑顔は何処か寂しそうだった。

 外折木さんとのセカンドコンタクトに備え、あらゆる事態を想定しながら帰路に就いた。
 自分の部屋に戻ると凄まじい異臭に驚き、持っていた鞄を落としてしまう。匂いは部屋全体を覆っているが、中でも枕と布団の臭気は強烈だった。
(おかしい。何でこんなに臭いんだ?)
 私は息を止めて窓を全開にし、寝具からカバーを引き剥がして脱衣所にある洗濯機に放り込む。悪臭の原因は自分の体臭にあると推理し、試しに着ているシャツの匂いを嗅いでみと、こちらは全く気にならない。
 不可解な事態に首を捻りながら、部屋に消臭剤を撒いた。

 目覚ましの鳴る前に起き、カーテンを引いて陽光の眩しさに目を細める。窓の外に広がる清々しい朝の景色を見て、自然と笑みがこぼれた。
 今日はきっと記憶に残る一日になる、そんな予感が私の気分を高揚させていた。

 今朝の通学路に安孫子の姿は無かった。朝一番で昨日のお礼を言おうと思っていたのだが残念だ。
 彼女は週に二・三回、学校を遅刻したり休んだりする。別に病気という訳でもないし、理由を聞いても明らかに嘘と分かるような事しか言わない。
 どう見ても単なるサボりなのだが、何故かこの件で教師が彼女を咎める事は無かった。

 学園に来ても、やはり安孫子が居ないと調子が出ない。どこか上の空という感じで授業を聞き流す。
 今は試験前という事もありテスト範囲や要点の説明が中心で、聞き逃すと後々大変な事になるのだが、どうにも集中出来なかった。
 三時限目の途中で安孫子が悪びれる様子も無く、堂々とした態度で教室に入ってくる。相変わらず教師は一切注意をしない。
 授業終了後、直ちに彼女を問い詰める。

「今日は大遅刻だな。一晩中ゲームでもして寝坊したのか? そんな調子だと恐怖のレッドポイント隊に襲われるぞ」
「…むぅ、別に遊んでいた訳ではないぞ。地球の平和を守る為、凶悪な宇宙人と戦っていたのだ…」
「あー、ハイハイ、ご苦労さんでした」

 何度も聞いた言い訳だったので、いささかぞんざいな言い方で返す。対する彼女はいかにも不服そうに、ぷっくりと頬を膨らませた。

「…むむむ、まだ信じぬか………やれやれ、音路の蒙昧さには呆れて言葉も無いぞ…」
「うっわ、何だよその、真理を解せぬ愚民共め、って顔は」
「…仕方なかろう。音路が真理を解せぬ愚民なのだから…」
「ムッキー! 何たる屈辱。こうなったら野球拳で勝負だ」
「…良い根性だ。今度もまた丸裸にひん剥いてやる…」
「ふふはっ、軽口をたたきおって。安孫子の方こそ靴下以外は全部脱いでもらうぞ」

 闘魂が最高潮に盛り上がった所で、クラス中の女子から物を投げ付けられる。どうやら心底私の裸を拝みたくない、といった様子だった。

 四時限目の授業が終わり、昼休みを告げるチャイムが鳴る。私は決然と立ち上がり、愛しき人の待つ地へと足を向けた。

「…音路、いよいよだな。健闘を祈る…」
「ありがとう。死ぬ気で頑張るよ」

 親友と拳を突き合わせて微笑み合う。もし安孫子がいなければ、まだ告白すら出来ていなかっただろう。今回の助力と世話には心の底から感謝していた。

 前回のような失敗を繰り返さぬ為にも、逸る気持ちを抑えゆっくりと歩く。歩を進めながら懸命に心を落ち着かせ精神を集中させた。
 外に出て、相変わらず人気の無い校舎裏を進む。中ほどまで来ても人影は見当たらない。いくばくかの不安を胸に抱え、その場で待つ。
 不意に、雑木林から伸びた白い手が私の腕を掴み、物凄い力で引く。一瞬の出来事で、声を発する間も無く薄暗い林に吸い込まれた。

「あの…星輪君、このような暗がりに殿方を連れ込むのは、はしたない事と承知しているのですが、私にも後が無いのです」

 私を強引に引き込んだ犯人は外折木さんだった。その表情は固く、何処か焦っているようにも見える。
 雰囲気からして深い事情を抱えている様子なのだが、敢えて触れないでおいた。

「別に気にはしてはいません。逆に、その、予想以上の熱烈さに恐悦しています」
「そうですか。良かった…」

 彼女は心底安堵したかのように溜め息をついて、笑みを浮かべる。
 その光景を見て、もしかして私に嫌われるのを恐れているのでは? と自惚れてしまい、ついつい頬肉が弛緩してしまう。
 しかし、推察が正しかったとしても、まだお互いの事は何も知らないのだから、今後失望させてしまう危険もある。私は外折木さんにとって、交際に値する男で在りたかった。
 笑顔だった彼女が元の固い表情に戻し、決意の滲んだ眼差しを向ける。

「…私は、星輪君の想いを受け止める覚悟を決めました。今からそれを証明します」
「え…あの…」

 震える声で言い終わると、美貌を真っ赤に染めて私の前で両膝を落とした。

「では、始めますね」

 あまりの急展開にただただ棒立ちしていると、彼女は慣れない手付きでベルトを外し、ズボンを一気にずり下げた。

「ひゃう!」

 突然下半身が外気に触れる感覚と、陰部を間近で直視される気恥ずかしさで変な悲鳴を上げてしまう。
 銃子さんはそんな私の痴態を気にする風もなく、萎んだ肉茎を細い指でつまみ、ゆっくりと顔を近付ける。

「恋人として付き合うのなら、婚前交渉は絶対条件、と安孫子が教えてくれました」

 意外な所で親友の名が出た事に驚く。多分、返事を聞きに行った時に吹き込んだのだろう。安孫子の適宜な援護射撃に、心中で最敬礼をした。

 彼女は膝立ちの姿勢なので上からしか見えず、その表情を知る事は出来ない。だが、彼女の放つ湯が沸きそうなほどの熱気は全身に伝わっていた。
 漆黒の髪が先端の至近に寄り、局部に熱い息がかかる。それだけで強烈に興奮し、男根が徐々に膨らんでいく。

「こ、これが…男性器……」

 勃起したとたん彼女の動きが止まり、全身が小刻みに震え出した。

「ご、ご、御免なさいっ!」

 吐き出すように言って身を翻し、木々を薙ぎ倒しながら走り去ってしまった。
 急速に小さくなる後ろ姿を、私は下半身丸出しでチ○コを立たせたまま、呆然と見送った。

 深く落胆し、つらつらと涙を流しながら教室に戻る。我孫子は悲しみに暮れる私を見て愕然とし、理由を聞いた。

「…どうしてそうなる。銃子の方も犯る気満々だった筈だ…」
「実は……」

 鼻を啜りながら詳細な事情を説明する。彼女は目を瞑り時折うなずきながら黙って聞いてくれた。

「…それは銃子が悪いな。明日からは試験だし、うーん、よし! しばらく時間は掛かるが、銃子を説得してやろう。もちろん報酬が有ればの話だが…」
「たのんますっ! ……なるべく低予算で」
「…仕方ないな。では、乳首グミ(乳首味)で手を打とう…」
「おお! それなら買える。ありがとう。恩に着る」
「…交渉成立だな。じゃあ試験後、二週間ほど待ってくれ。その間に説き伏せる…」
「うん、分かった。頼りにしてます」
「…まぁ、任せておけ…」

 すっくと立ち上がり、爽やかな真顔で親指を立てる彼女が、白い羽を生やした恋の天使に見えた。

 事件も事故も無く、平穏に試験期間が終了した。ただ、試験結果は平穏とは程遠い内容で、私は安孫子と二人、肩を落としながら歩く。

「またしても数学で赤点を取ってしまっただ」
「…同志よ、僕も数学は赤点だ。こうなったら、もっと同志を集めて赤点共和国を建国するぞ…(ポコッ)

 蒼空を見上げ、力強く野望を語る安孫子の後頭部を、二年羅組の聖木 葉子(ひじりぎ ようこ)が小突いた。今日は葉子さんの家で追試対策の勉強会を開くので、校門前で合流する手筈になっていた。

「全っ然、反省してませんね。赤点を取るという事がいかに恥ずかしい事か分からないんですか?」
「…むむぅ、ちゃんと反省はしているぞ。その証拠に、えーと、何だっけか、すまん忘れた…」
「あら、それなら頑張って勉強する意思がある、と理解して宜しいのですね。これはやり甲斐があります。ちなみに、私の指導は血尿が出るほど厳しいですよ」
「…ううっ、気が重い…」

 あの安孫子がしどろもどろになる。葉子さんは試験の成績で常に学年上位に入り続けている秀才で、普段は優しくて面倒見も良いのだが、自堕落な人間には容赦が無い、という側面も持っており、安孫子にとっては天敵ともいえる存在だった。

「ハコちゃん、お手柔らかに」

 葉子さんの後に続いて、同じく羅組の暁 火煉(あかつき かれん)が人差し指で三つ編みを弄りながら横に並ぶ。彼女もまた我々と同じ赤点組だ。
 彼女達三人とは一年の時に同じクラスで親交を深め、二年になりクラスが分かれても、その付き合いは変わらずに続いている。

「で、追試の科目は三人とも数学なんですか?」
「うん、そうだよ」
「待ってくれ。三人の赤点が数学のみ、という事は、僕達の学力に問題があるのではなく、試験の方に不備があったんじゃないだろうか?」
「…おお! さすがは音路。見事な迷推理だ…」
「そうだろう。そうだろうとも(ポコッ)

 安孫子のべた褒めに鼻高々といった風でふんぞり返っていると、葉子さんの鉄拳が飛んで来た。

「たしかに、今回の数学試験は少し難しかったと思いますが、きちんと勉強していれば解ける問題ばかりでしたよ」
「うっ、そう言われると、グゥの音も出ませんです」
「そういえばハコちゃん。園芸部には出なくて良いの?」
「……ええ、今日はもう水遣りをしましたから」
「そうなんだ。こっちは桃華先生がカンカンに怒って、追試が終わるまで、道場は出入り禁止だって言われちゃった」
「…もしも追試に落ちて補習になったらどうなるんだ…」
「アハ、ハ、そんな事になったら埋められる。先輩達に、生きたままで……」

 四人で他愛もない雑談をしながらのんびりと目的地を目指す。こうしてみんなと勉強会をするのは、一年の二学期に巻き起こった『赤点ラッシュで進級できないかも事件』以来だった。

 閑静な高級住宅街の一角に葉子さんの住居がある。親が有数の資産家という事もあり、周囲の家屋よりも二回りほど大きな豪邸だった。

「ただいま」
「おじゃまします」

 葉子さんに続いて、広く清掃の行き届いた玄関に入る。来るのは初めてではないが、豪華な調度品のせいか妙に緊張してしまう。
 出迎えた年配の家政婦に挨拶をして玄関を上がり、二階にある彼女の部屋に向かった。

「さ、どうぞ」

 学年屈指の優等生が温和な微笑で勉強部屋に迎え入れる。その情景に脳内でかつての惨劇が蘇り、背中を嫌な汗が流れ落ちた。
 広々とした室内には、質の良さそうな円卓と、その周囲を彩るように大小様々なぬいぐるみが置かれ、両壁にある埋め込み式の本棚には難解そうな本と少女漫画が並んでいた。棚の本はきちんとジャンル分けされていて、巻数も順番通りに整頓されており、葉子さんの几帳面さが窺い知れる。
 大きな窓枠の外にはベランダがあり、そこには鉢植えに多様な植物が植えられていて、主の帰りを喜んでいるかのように揺れていた。ちなみに彼女の部屋はもう一つあり、残念ながら寝室兼衣裳部屋は別にある。
 安孫子は漫画本を見て、火煉さんはぬいぐるみを見て、触りたそうにうずうずしている。ここは二人にとって誘惑の多い部屋のようだ。

「さて、始めますか」
「うん」
「…お、おう…」
「……超可愛い(ポコッ)

 葉子さんの号令で丸テーブルの上に勉強道具を広げる。安孫子は遅れて続き、ぬいぐるみに視線が釘付け状態の火煉さんは、葉子さんに叩かれていた。
 その後の三時間は、まさに怒濤のスパルタ教育が続き、私の脳裏を死の予感が掠める。安孫子も火煉さんもすでに憔悴し切っていた。

「ですから、この問題は、この公式に当てはめれば簡単に」
「えーと、こうかな?」
「完全に間違ってます。何でそうなるんですか。こんな簡単な問題を理解出来ない音路君が理解出来ません」
「うぅ…そんな事言われても」
「…まぁまぁ、待て葉子。音路が解けない問題なんて、この世に星の数ほどある。いちいち目くじらを立てる事もあるまい…」

 私の窮状を見かねてか、安孫子が助け舟を出す。だが、全くフォローになってない。

「……あら? よく見たら、安孫子も同じ問題を解いてませんね」
「…うっ、いや、これには深遠なる事情が…」

 葉子さんの瞳に殺気がこもる。視線の先にいる安孫子の額から脂汗が滴り、みるみる顔が青ざめていく。

「…音路ッ! さっき助けたんだから助けろ…」
「無茶言うなっ」

 三人による丁々発止のやり取りの間も、一人黙々と問題を解いていた火煉さんが、満面の笑みで跳ねるように立ち上がった。

「やった! 終わったよ。これでどうだ」

 いかにも自信満々な表情で開いたノートを高々と掲げる。直後、プツンと何かが切れる音が部屋に響いた。
 葉子さんから立ち上る殺気がみるみる巨大化していき、正面に立つ火煉さんの顔が一転して恐怖に染まる。
 化物揃いの女子空手部で、一年からエースを張っている、プリンセス・オブ・モンスターが、小動物のように身体を縮め怯えていた。

「…ちょっとトイレに行ってくる…」
「ぼ、僕も僕もっ」
「待って、私だけ置いてかないで」

 三人がほぼ同時に入り口に殺到したので、体がもつれ、結局全員が転んでしまう。
 一歩一歩、徐々に近寄る殺気の塊を、三人で抱き合い震え上がりながら見詰めていた。

 試験から二週間。葉子さんの助力により何とか追試をパスして夏休みに突入していた。そして今日は安孫子との約束が果たされる日だ。
 いつ連絡が来てもいいように、学習机に携帯電話を置き、椅子の上に正座をして待つ。
 壁掛け時計で何度も時間を確認しながら焦れていると、『Pi…』っと、待望の電子音が鳴り、素早く携帯を掴み取って通話ボタンを押した。

「安孫子かっ、安孫子なのかっ?」
「…音路、落ち着け。約束はちゃんと果たしたぞ…」
「!? という事は…」
「…ああ、明日の午後二時に、胸に七つの傷を持つ男像の前で待ち合わせだ…」
「いやったぁ! 安孫子、ありがとう、本当にありがとう」
「…出来る事はしておいた。後はお前次第だ。頑張れ…」
「うんっ」
「…ああ、それと例の件、恋に浮かれて忘れるなよ…」
「応よ。心配御無用」

 通話終了ボタンを押した後、堪らずに小躍りしてしまう。筆舌に尽くしがたいほどの喜びが滾々と湧き、体中を駆け巡っていた。
 早速、インターネットでデートスポットを隅々まで調べ上げ、吟味を重ねて計画を組み立てる。外折木さんとの初デートは、完璧に初め、完璧に進め、完璧に終わらせたい。
 食事も忘れて作業に没頭し、計画が完成した時には午後の十一時を過ぎていた。
(あんまり夜更かしすると、明日に響くな)
 決戦の場で最高のパフォーマンスを発揮する為、衣服の選別は明日行う事にして床に就く。買ったばかりの白いシーツに包まれて、良い夢が見れそうな予感を胸に目を閉じた。

 けたたましく鳴り響く目覚まし時計を、上から無造作に叩く。夏休みに入ってから、昼まで寝る生活を続けていたので、起きるのが辛い上に頭が重い。
 モヤモヤした気分を軽いストレッチで吹き飛ばし、クローゼットを開ける。中身を見た瞬間に着て行く服が決定した。
 去年の誕生日に兄が買ってくれたアルマーニのスーツ。どうして今まで忘れていたのか。これこそ勝負服に相応しい一張羅だった。

 待ち合わせ場所の石像は、商店街と繁華街の境い目にある北斗公園のシンボルで、戦国時代に指先一つで天下統一を果たした英雄がモデルだそうな。
 待ち合わせの二十五分前に、公園の中央にそびえ立つ筋骨隆々な世紀末救世主像の前に到着した。周辺をうかがうと、やはり時間が早すぎたのか待ち人の姿は無い。
 夏休み中のせいか公園で遊ぶ子供が目に付く。強い日差しにも関わらず元気に走り回る子供達を十五分ほどぼんやり眺めていると、不意に横から声を掛けられる。

「あの、星輪君」

 声の方に振り向くと長身の女性が立っていた。普段の制服姿とはあまりに印象が違うので、その美女が外折木さんだと気付くのに暫し時間を要した。
 彼女は黒革のタイトなチューブトップにミニスカートといった出で立ちで、そこから伸びる長い足には、膝下まである黒い編上げブーツを履いている。突き出た胸とくびれた腰、丸みを帯びたお尻の形がそのまま表に出ており、目が眩むほど魅惑的だった。左肩に下げた蛇皮のポシェットも、良いアクセントになっており、感心してしまう。
 思わず生唾を飲み込んでしまうほど均整のとれた艶美な肢体と、それを強調し引き立てる見事な着こなしだった。

「こっ、こんにちわ外折木さん。今日は、その、誘ってくれて、ありがとうございますっ」
「いえ、私の方こそ、来てくれて嬉しく思っています。それにしても、そのスーツ、良くお似合いですよ」
「あ、ありがとうございますっ。外折木さんも、その服、大人びていて、とても素敵です」
「まぁ、嬉しいです。安孫子に選んでもらって良かった」

 彼女はそう言って、頬を薄く染めはにかむ。周囲の熱気に反し、清楚で涼しげな雰囲気を醸し出していた。
 少女のような微笑みに和んでいると、すり足でにじり寄り、私の左腕を掴んで右腕を絡めてくる。

「あああ、あの、外折木さん」
「わっ、私達は恋人同士になるのですから、こ、これくらい当然です。それと、これからは、苗字ではなく名前で呼び合いましょう」
「えっ? あの」
「恋人なら当然のはずです」
「は、はひっ、分かりました。……じゅ、じゅじゅ、じゅ、銃子、さん」
「はい、音路さん」

 銃子さんは嬉々として私の名を呼ぶと、腕に力を込めて、さらに身体を密着させる。彼女の熱い吐息が顔にかかり、距離の近さを否が応でも実感してしまう。
 ぎこちない足取りで銃子さんと腕を組みながら公園を出る。動くたび二の腕に胸が当たるので、不覚にも股間が盛り上がり、歩行を妨害していた。
 北斗公園を出て、右に進むと商店街、左に進むと繁華街になっており、私はてっきり商店街に行くものと見込んでいたのだが、銃子さんは繁華街の方にグイグイと引きずってゆく。

「あの、銃子さん?」
「私には身も心も結び合った恋人がいる、と言って、お父様の用意した縁談を断りました。ですが、お父様は言葉だけで納得するような方ではないんです」
「は、はぁ……」
「ですので、今日は是が非でも私と契って頂きます」
「はぇ? え?」

 あまりに突然の要求に、嬉しさより戸惑いが先に立ち、言葉が出ない。
 そんな不甲斐ない私の顔を、銃子さんは不安げに覗き込む。

「あの、もしかして、私が相手では不服なのですか?」

 彼女の表情に影が落ちるのを目の当たりにして、頬を張られるような衝撃を受けて目が覚めた。私の不覚悟が銃子さんを不安にさせてしまったようだ。その事を深く反省して、出来るだけ力強い声で払拭する。

「とんでもありません。僕にとっては身に余る光栄で、感動のあまり硬直していました」

 しばらく怜悧な眼差しで真意を探るように直視していたが、ふっと安心した様子で頬を緩める。

「そうですか。私も嬉しいです。では参りましょう」

 足の長い銃子さんに何とか歩調を合わせながら、繁華街の裏にある風俗街を進む。まだ時間が早いという事もあり、ほとんどの店はシャッターが下りていて、通行人もまばらだった。

「こっ、ここに致しましょう」

 彼女が足を止め見上げた先には、西洋の城を模した純白の建物が異様な存在感で鎮座している。
 建物と同色の仕切りに張り付いている看板には『キャッスル・エクセレント』と書かれていた。
 色とりどりの電球が付いたアーチ状の門を潜り店内へ入る。中に店員らしき人間はおらず、壁には室内をを写したプレートに料金表示の付いたボタンが並んでいる。恐らくは、ここで利用するサービスを選択するのだろう。

「僕が部屋代を持ちます」

 さりげなく男の甲斐性を発揮して料金に目を走らせる。デート直前に、兄から真心を振り込んでもらったので資金は潤沢だ。
 値段の高い部屋は安い部屋に比べて、明らかに什器の質が違う。私は迷わず一番高い部屋のボタンに指を伸ばした。

「私は、この部屋が良いです」

 横合いから銃子さんがニッコリと笑って一番安い部屋を指し示す。彼女の控えめな気遣いに、私は暫し感動した。

 選んだ部屋は一番安かっただけあって、全体的に質素で狭い。
 茜色の絨毯が敷かれた室内の中央には、白いシーツの掛かったダブルベッドがあり、ほとんどのスペースを占領していた。壁紙や天井、棚類も白く、安っぽさを強調しているような気がする。
 靴を脱いで上がり、カーテンを引いてダウンライトを点けてからパイプ椅子に腰掛けて、入口で靴紐を解いている銃子さんに声を掛ける。短い時間とはいえ、吸汗性の低い服で動いていたのだから、汗が気になっているに違いない。

「あの、シャワー先にどうぞ」
「はい、ありがとうございます。音路さんは、心配りも出来る方なんですね」
「あっ、いやっ、それほどでも……」
「ふふっ」

 気恥ずかしさで頭をポリポリ掻いていると、靴を脱ぎ終えた彼女が柔和な表情で近寄ってくる。薄暗い中でも、予想以上の脚線美に目が行ってしまう。編上げ靴の下に隠れていた黒のハイソックスが、長く流麗な曲線にフィットしていた。

「この服、一人では脱げないんです。音路さん、手伝って頂けますか?」
「はは、はひっ! よろこんでっ」

 思いがけず急遽、銃子さんの脱衣を手伝う事になり、驚きと緊張のあまり声が裏返ってしまう。そんな無様な反応を気にする風もなく、彼女はたおやかにしなを作りながら背を向け、するりと髪を横にずらす。背を覆う黒革の中央で金具が鈍く光っていた。
 恐る恐る手で摘み、ゆっくりと下に引いてゆく。徐々に肩甲骨と真っ直ぐな背骨のラインが露わになり、解き放たれた甘い体臭が鼻腔をくすぐる。
 ファスナーが外れ、ずり落ちそうになる服を、胸に腕を当てて押さえ、
「では、先に行ってきますね」

 と言って、足早にシャワールームへと消えていった。

 シャワールームから漏れる、水の流れ落ちる音を聞きながら、冷蔵庫で買った強壮剤を飲み干す。実際に効果があるかどうか分からないが、出来る事は何でもやっておきたかった。
 緊張と強い動悸に耐えながら待っていると、銃子さんが胴に白いタオルを巻いただけの格好で出てくる。ほんのりと上気した顔で、濡れた黒髪に指を通す姿が、とても艶やかで色っぽく見えた。

「ふぅ、お待たせしました。では音路さんも、どうぞ」
「はいっ」

 返事をするやシャワールームに駆け込み、超音速で体を洗う。今回、シャワー時間の最短記録を大幅に更新するのは確実だった。

「大急ぎで、さっぱりしてきました」

 腰にタオルを巻いて勢い良く飛び出す。銃子さんは、そんな様子に目を丸くして驚いた。

「まぁ、そんなに急がなくても、逃げはしませんよ。あ、前は逃げたんでしたね。ですが今度こそは……」

 和やかな表情から、一転、真面目な表情になり、立ち上がって身に着けていたタオルをはらりと落とす。露になった裸身の鮮烈な美しさに、魂の抜かれる思いがした。
 豊かな肉付きの美乳に、無駄な贅肉の無いなだらかな腰回り、そして透けるように白い素肌。身体の全てが、たとえようもなく美しい女性だった。

「あら、音路さんったら、もう」

 私の理想を具現化したような裸体を目の当たりにして、腰のタオルが盛り上がる。銃子さんはそんなはしたない股間を、どこか嬉しそうな眼差しで見詰めていた。

「さ、こちらに」

 彼女は誘うような微笑を浮かべ、私の腕を引いてベッドに座らせると、膝立ちの姿勢で一物を隠している布を外す。直後に彼女は短い悲鳴を上げた。

「ひっ! ……この前よりも、ずっと大きい」

 何事かと自身の股に目を移して、同じく仰天する。屹立する剛直は普段よりも一回り大きく、全体が限界まで膨張していて皮が張り裂けそうだ。

「…いざ、参ります」

 彼女は深呼吸すると、決意の滲んだ双眸を局所に向ける。その様子から、前回のような失敗は繰り返さない、という心境がひしと伝わってきた。
 太い青筋を立てて震える肉棒を、白くしなやかな指で握り、軽く前後に擦る。淡く心地良い刺激により、先端から透明な我慢汁が溢れ出て、滴り落ちてゆく。

「ああ、凄く、熱いです。それに、固い……もしかして、私が相手だから、ですか?」
「もっもちろんです。銃子さんがあまりにも綺麗すぎて、その、ごめんなさい」
「……やはり音路さんは私の思った通りの方です。では私も全身全霊を以って、音路さんに応えなければいけませんね」

 手の動きが、優しく労わるような物から、快楽を引きずり出すかのような、早く、強い動きへと変わってゆく。
 自分の物が熱いせいか、上下に這う指がひんやりと冷たく感じる。心地良い冷気が流れ込むのと同時に、滾る熱が細い指に吸われていく。直接的な刺激と、私の熱が愛しい人に伝わっている感覚に、背筋が震えるほど興奮した。
 膝の間から嬉しそうに私の様子を見上げていた彼女が、さらに灼熱へと顔を近付けておずおずと舌を伸ばす。

「れろっ、ぴちゅ」

 彼女は赤い舌を鈴口に這わせて、汁を舐め取る。その後の反応は実に意外なものだった。

「あれ? 安孫子からは、決して美味い物では無い、と聞いていたのですが」
「ま、不味くないんですか?」
「はい。何だか舐めていると、身体の奥が、その、暖かくなります」

 緊張がほぐれ状況に慣れてきたのか、舌の動きが活発になる。両手を私の太ももに添えて、裏筋を舐め上げ、先端にキスをして汁を啜り、雁首に舌を這わせる。
 急所にねっとりと絡み付く舌が、蕩けるような悦楽をもたらし、腰から力が抜けてしまう。彼女は時折、私の顔に視線を向け、満足気に目を細めて口淫を続けていた。

「チュッ、レロッ、気持ち、良いですか?」
「はい、凄く。こんなの、初めてです」
「嬉しい。特訓の甲斐がありました。あむっ」

 一息で、張り詰めた肉突起がずるりと口内に呑まれる。中で舌を縦横に蠢かせながら、口の端から唾液が零れるのもそのままに、ひたすら律動を繰り返す。
 瑞々しくて弾力のある唇が竿をこする感触と、敏感なエラを舌が舐る感覚が合わさり、早くも射精感が込み上げて来た。

「じゅ、銃子さん。もう出そうです」
「チュプッ、別にかまいませんよ。受け止めますので、そのまま私の口に出して下さい。レロッはむっ」

 亀頭を一舐めして再び咥えると、さらに激しい動きでしごき上げる。鼻で荒い呼吸をしながら激しく動く彼女の顔は、徐々に赤みを帯び、目には炎のような感情が浮かび上がっていた。
 粘液と粘膜が擦り合って、淫らな音が響き渡る。彼女の息が陰毛にかかり、何ともいえないむず痒さが快感を増幅させる。
 徐々にピストンの速度が上がり、ストロークも深くなってく。それに伴い甘い悦びが背筋を駆け上がっていった。

「んっ、ジュプ、チュプ、んっ、んふっ、レロッ、ピチャ、ちゅぶ、ふっ、ジュポ」
「くっ、うぅっ」

 勢い良く喉の奥に当たった直後、遂に限界が訪れ、濁流を一気に噴出させた。射精による圧倒的な快美感で目に火花が散る。
 彼女は固く瞼を閉じ、懸命そうに喉を鳴らして欲望を飲み込んでいった。

「んんっ、ゴク、ゴクンッ……はぁ、精液も、その、とても味わい深いです。それに、この匂い……嗅いでいると、何だかクラクラします」

 彼女は口の端から白濁をこぼしつつ、陶酔した笑顔で唇を舐める。間を置かず、先端に口を付けて残りを啜り、手で胸元に落ちた白濁液を掬い取って美味しそうに飲み込んだ。

「はぁ、何だかクセになるような味でした」
「あの、すごく、良かったです」
「実は、私も……」
「え? それって」
「……もぅ、恥ずかしいので、答えません」

 銃子さんはさらに顔を紅潮させて、ぷいっとそっぽを向く。その無邪気な仕草がとても愛らしかった。

「では、今度は僕が」
「はい……」

 攻守交替。彼女と身体を入れ替えて、ベッドに座るよう誘導する。銃子さんは何故か顔を伏せ、小股を手で隠しながらシーツに量感のある美尻を沈めた。
 このままでは何も出来ない、と考えた私は、肩を押して両手で上半身を支える格好にさせると、前にしゃがみ込み、ぴたりと閉じた脚を少し強引に押し開く。そこには、綺麗な紅緋色の割れ目が有り、中から溢れる分泌液で濡れ光っていた。
 その極めて淫猥な光景を、思わず食い入るように見てしまう。

「やだ、そんなに見ないでください」

 蚊の鳴くような声がめずらしくて上を覗く。彼女は羞恥の浮かんだ面持ちで視線を泳がせていた。もしかしたら、フェラチオして濡れてしまったのを気にしているのかもしれない。
 銃子さんの恥を忍ぶ態度に、益々興奮してしまい、濃い茂みに顔を近付けて、肺一杯に空気を吸い込む。石鹸と体臭の混ざった芳醇な香りが、頭蓋の奥を痺れさせる。

「銃子さんのここ、とても良い匂いだ」
「もう、貴方という人は………御免なさい音路さん。どうぞ、続けて下さい」

 彼女の決意を受けて秘所に手を伸ばす。まずは、右手で肉壁を開いて、鮮やかな桃色の花弁を丹念に嘗め回し、小刻みに揺れる太ももを両肘で押さえながら、空いた手で皮の被った肉豆を優しく撫でる。
 出来るだけ痛くならないように細心の注意を払いつつ、知識を総動員して愛撫を続けた。

「んっ、ふぅ、音路さん、そんな、ところまで、あんっ」

 銃子さんの含羞はいつの間にか霧消し、悩ましげに眉根を寄せて、人差し指を甘噛みする。
 その媚態に嬉しさが込み上げ、意欲が奮い立つ。さらに快感を引き出すべく、舌先を肉の羽に押し当て、円運動で蹂躙した。

「はぁ、良いです。その、調子で、お願いします」

 充血した花弁の奥にある秘孔から、次々と漏れ出る液を舌ですくって味わう。目だけを動かして上を覗くと、釣鐘型をした流麗な巨乳と、その間から口を半開きにして喘ぐ顔が見えた。
 行為で昂ぶった情念が、銃子さんの艶めかしい姿により急速に膨張していった。

「……とても綺麗です。銃子さん」
「はぇっ? い、今、そんな事、言われたら、私、胸の奥が、キュンって、はぅぅ」

 図らずも、純粋な想いが口から漏れてしまい、頬が熱くなる。告白を聞いた彼女の目は潤み、薄紅色の唇が震えていた。女陰から漏れる愛液の量も格段に増え、とろとろと流れ落ちてゆく。
 甘美な芳香を放つ蜜を夢中になって舐め取っていると、酸味が増して粘り気が強くなっていった。

「あふっ、あっ、あっああんっ!」

 彼女は悩ましげに目を閉じて全身を震わせる。もしかしたら軽く達したのかもしれない。
 もうすでに、膣の濡れ具合が十分なのを確認すると、名残惜しいのを我慢して舌を抜いた。

「え、あの、もう、止めてしまうのですか……」

 不満気な声を漏らし、責めるような目で見詰める。視線に射られて、居心地の悪さを感じつつも、立ち上がって真意を告げた。

「銃子さん。もうそろそろ……」
「あぁ、私ったら。あまりに気持ち良かったものだから。つい」

 申し訳なさそうに言うと、私の顔と股間を交互に眺めて、何か得心したかのように薄く笑う。
 その笑顔に背中を押された気がして、彼女の腰に手を回して引き寄せた。

「では、いきます。その、上手くやれるか分かりませんが、精一杯、優しくしますので」
「はい、私は音路さんを信じます。ですから、どうぞご随意になさって下さい」
「あ、ありがとうございますっ。では」

 銃子さんの真摯な眼差しを受け、背中に手を回して上半身を寝かせる。カーテンの隙間から漏れる光が、彼女の白い裸身を照らしていた。
 肩から細腰にかけて、なだらかな曲線になっており、重力に逆らって屹立する、豊満な双丘が呼吸と共に上下している。
 又の間で熱く滾る火棒を、淫液で潤っている入り口に手で誘導しながらあてがう。先端を侵入させ、それを足掛かりにして腰を押す。中はとても暖かくて、柔らかかった。
 ある程度進んだ所で壁に当たる。どうやら処女膜に到達したようだ。破瓜の痛みが相当に酷い事を知識として知っていた私は、どうすれば苦痛を少なく出来るか悩み、動きを止めてしまう。

「んっ、ふぅ、音路さん。もう処女を散らす覚悟は出来ております。どうか、一思いに」

 膣内の感触と顔色で状況を把握したのか、早くも鈍り出した私の決意を後押ししてくれた。
(ここは、一気に行こう)
 そう決めて、両手でしっかりと彼女の腰を掴み、下半身に力を込める。彼女の純潔の証は、鉄のように強靭だったが、かつてないほどに固くなった棍棒が関を押し通った。
 膜を、破った、という感覚は無く、広げた、という感触がした。貫通後は怒張を包む柔肉を掻き分けつつ、最奥目指して慎重に進む。前に進むたびに膣壁が絡み付き、蕩けそうな悦びが胸を焼いた。

「あふっ、安孫子からは、死ぬほど痛い、と聞いていたのですが、あまり、痛くありません。それに、はぁっ、少し、気持ち良い、です」
「良かった。では、もう少し動きます」
「はい。あんっ、もっと、気持ち良く、して下さいね」

 銃子さんは切なそうに身をよじり、上気した顔で艶然と微笑む。その期待に応えるべくさらに突き進むと、矛先が固い壁に当たった。

「んふっ、音路さんの、固いのが、奥まで、来てます。ああっ、素敵、です」
「ぼ、僕も、銃子さんと、深く繋がれて、うっ、嬉しいです」

 何度か小刻みに奥を叩いてから、大きく腰を引く。内部の柔突起が、雁首の出っ張りに引っかかるように擦れて、電流のような快感が脊髄を駆け上がった。
 壷の中は、みっちりと絡みついた媚肉が竿全体を締め付け、動く度に射精しそうになる。
(まずい、このままでは……)
 とたんに不安が頭をもたげる。一度放出しているのに、彼女の絶頂を待たずに漏れてしまったら、きっと失望させるに違いない。
 私は、必死に歯を食い縛って、入り口近くまで剛直を引き、また奥まで突き刺す。彼女を見ると、悩ましげに吐息を漏らし、全身を戦慄かせていた。

「はふっ、音路さん、その、調子です」

 こちらは、押し寄せる快楽を何とか堪えているのに、彼女にはまだ余裕がありそうだ。私は益々もって追い詰められてしまった。
 不意に、左手の指輪が熱を帯び、不思議な事に、銃子さんの望み、私がすべき事が、次々と頭に浮かんできた。この指輪が特別なのを思い出し、湧き出る情報を信じて逆転劇のイメージを組み立てる。
 まずは、弱点を徹底的に攻めるべく両手を乳房に伸ばし、ふくよかな珠を鷲掴みにして五指を沈める。彼女の胸は張りと弾力が強く、肌がしっとりと手に吸い付いて、とても揉み心地が良い。乳揉みは少し乱暴な方が好み、という事実を知っているので強く揉みしだいた。
 同時に腰の動きを今までの前後運動に円運動を加えて、子宮口を何度もノックする。部屋には荒い息遣いと淫猥な水音が響き、甘酸っぱい媚臭が充満した。

「ね、音路さんっ、はっ、ふっ、そんな、いきなりっ」

 彼女から余裕めいた気色が消え、切迫の色が増す。指輪の力を確信した私は、腰を打ち付けながら、巨乳の頂上で固く盛り上がった突起を指でつまみ捏ね繰り回す。

「やっ、そこは、ダメ、ですっ、あぁっ、くるっ、きそうですっ、やんっ、ひっ」

 目を瞑り、苦しげに悶える姿を、歯を食い締めつつ観賞していると、突如として指輪が微光を放つ。これは何かのサインだと感じ、左手薬指に意識を集中してみると、徐々に彼女の急所が浮かび上がってきた。
 痛いほどに熱気を含んだ銀の輪を、濃い茂みの頂点、ちょうどヘソと膣の中間あたりに、強めの力で押し付けた。

「ひぎいっ! 何、これ……ひああっ、うっ」

 直後、銃子さんの顎が跳ね上がり、まるで電流を流されたかのように腰が震えて、きゅうと内部が締め付けられる。まるで責めるように張り付く柔肉を、焼けた鉄棒でゴリゴリ蹂躙して、逆に責め立てる。

「こんなっ、あうっ、凄いっ、んんっ、はあっ、はあっ、ひっ」
「どっ、どうですか、銃子っ、さんっ」
「ふっ、はぁ、気持ち、良い、ですぅ、はんっ、こんなの、ううっ、初めて」

 会心の問いかけに、額に汗を浮かべて息も絶え絶えに答える。その反応に手応えを感じて、腰使いにもさらに熱が入ってしまう。
 呼吸が不規則になり、焦点の合わない目を天井に向け、全身を小刻みに震わせる。
 指輪が無くとも絶頂が近いのは明白で、ラストスパートとばかりに抽送の速度を上げ、勃起した乳首を強く引いた。

「あっ、あっ、あああぁぁぁぁぁっひぃぃぃぃぃぃぃぃんんっ、はぁぁぁっ、ふぅ」

 びりびりと響くような甲高い嬌声を上げ、両手でシーツを握り締めて、感電したかのように身体を痙攣させた。
 絶頂と共に膣壁が収縮して、さらに陰茎をきつく締め上げる。我慢に我慢を重ねて溜め込んだ熱い迸りが一気に放出され、凄まじいまでの開放感によって、視界に靄がかかった。

「はぁ、はぁ、なかに、たくさん、はぁ、はぁ、あかちゃん、できちゃう、はぁ、はぁ」

 彼女は、シーツに背中を沈めて荒く息を吐く。ぐったりと弛緩した身体は、時折引きつったように跳ね、汗で黒髪の張り付いた美貌が、とても淫猥な色香を放っていた。

「音路、さん、はぁ、とても、凄かった、です」

 銃子さんが満足気に囁き、緩慢な動作で半身を起こす。まだ肩で息をしているが、落ち着きを取り戻しつつあるように見える。
 だが、私の肉棒は、硬さを保ったまま中に埋まっていた。もしかしたら、射精を我慢出来たのも、放出後に太いままなのも、指輪のおかげなのかもしれない。
 結局、抜くべきかどうか逡巡していると、指輪から新たな情報が伝わり、疑念が確信に変わる。こうなったらやる事は一つだ。
 私は何も言わずに、ゆっくりと律動を再開する。

「はひゃっ、ね、音路さん。私、もう、十分です。止めて、ください」

 余韻に浸っていた彼女は、一転して、瞳を潤ませ、弱々しく声を漏らす。
 その様子から、戸惑いと驚愕と忌避とが見て取れるが、彼女が心の奥底では、全く正反対の感情を抱いている事を私は理解していた。
 まずは、突き上げる腰の角度を変え、敏感な箇所をカリの部分で執拗にこする。動くたび、愛液と精液の混濁が、泡を立てて湿った音を響かせた。
 直ぐに彼女の反応は淫靡なものに変わり、再び濃密な女の匂いを放ち始める。

「あんっ、音路、さん、また、ひあっ、わたし、ああっ、なんて、はしたない」
「はっ、ふぅ、まだ、止めて欲しい、ですか」
「ひんっ、いじ、わる、いわない、でっ、ふぁっ、おねがい、やめちゃ、だめっ、です、あひっ」

 銃子さんの可愛らしく悶絶する姿に胸が温かくなる。もっと乱れてほしくなり、腰を強く打ち付けながら、柔腰を掴んでいた両手を下に滑らせた。
 皮が剥けてぷっくりと充血した肉芽を右手で軽く摘み、表面を小刻みに撫で、左手を下に回して、秘裂と菊門の中間部分に指輪の突起を押し込んだ。

「なっ、そこ、いやっ、きが、へんに、なるっ、ひゃひっ」

 彼女は完全に正気を失った顔で、涎と汗を撒き散らしながら無茶苦茶に首を振る。私も銃子さんの痴態に引きずられるように、体ごとぶつけるような勢いで激しく動いた。

「ひぐっ、ひっ、ひゃぁぁぁあぁぁぁぁあぁいいぃぃぃぃいぃぃぃんんんっっ、かはっ、くっ」

 断末魔の悲鳴を上げ、白い裸身が弓なりにのけぞる。四肢が激しく痙攣して、足の踵が背中を叩いた。
 彼女に続いて私も限界を迎え、雄汁を大量に解き放ち、中に入り切らずに溢れた白濁液がシーツに零れ落ちる。
 役目を終えた硬棒を引き抜き、改めて銃子さんの様子を眺める。白目を剥いて涙と鼻水と涎まみれで放心しきった無防備な容貌が、私に極上の充足感を与えてくれた。

 その後は、気の落ち着いた銃子さんからシャワーを浴び、次に私がシャワーで行為の跡を洗い流す。熱めの湯を肌で受けながら、最愛の人との情事を反芻し、喜びを噛み締める。
 清々しい気分でシャワールームの外に出ると、彼女が化粧台の前で透明のジェルを腕に塗っていた。

「あ、音路さん。すぐに終わりますので、少し待っていてくださいね」
「分かりました。女性を待つのも男の仕事ですから」
「まぁ、音路さんったら。ふふっ」

 チェックアウトを済ませ、朗らかに笑いながら支度を終えた彼女とホテルを出る。外はもうすでに日が傾いていて、温度も少し下がっていた。
 来た時と違い、今度は手を繋ぎながら人道りの増えた繁華街を歩く。公園を過ぎ、バスの停留所に到着すると、銃子さんが私の腕を抱いて甘い声で囁いた。

「あの、今度はいつ会えますか?」

 彼女は、小指を摘んで上下に擦りながら、濡れた瞳で愛おしげに見下ろす。その妖美な雰囲気に当てられ、今すぐ我が家で、と言いそうになるが、何とか堪えた。

「えーと、来週の月曜日でどうでしょうか?」
「え? 来週の、月曜、ですか……」

 咄嗟に見栄を張りたい、という変な心理が働き、深く考えずに決めてしまった。
 提案を聞いて、彼女は残念そうに目を伏せる。その反応に心が痛む反面、嬉しさも込み上げてくる。よく考えたら、私も来週の月曜まで銃子さんに会えないなんて、とても耐えられない。

「やや、やっぱり明日にしましょう!」
「明日……はい、分かりました。では、待ち合わせは、今日と同じ時間、同じ場所に致しましょう」
「はい、それで良いです」

 花の咲いたような笑顔で、大きく頷いて腕を強く抱きしめる。その仕草がとても可憐で、見ていると心が温かくなる。彼女が笑うと私も嬉しかった。

 バスに乗る銃子さんを見送った後、軽やかにスキップしながら帰路に就いた。

 記念すべき初体験から五日が過ぎた。その間、銃子さんとは毎日逢瀬を重ねてきたのだが、今日だけは安孫子との約束があったので、デートの予定は入れていない。
 馴染みの店を冷やかしてから、駅前で安孫子と合流する。彼女は紺碧色のワンピースに身を包んでいて、服をそよ風に揺らせて佇む様はとても涼しげだった。
 駅のホームで電車の到着を待つ間、団扇を振りながら雑談に興じる。

「して安孫子。今回のネタは?」
「…うむ。熟考の結果『新世紀学園Z』のガンマ=レイに決めたぞ…」
「おお! 安孫子もZのファンだったのか。それにしても、難易度が高いのを選んだな」
「…む、そうか? やってみると案外簡単だったぞ…」

 彼女の言う新世紀学園Zには私も深い愛着がある。今までに出た地上波と劇場版のLDとDVDは全部ボックス仕様で揃えていた。随分とお小遣いが消えたけど、これこそ正に、愛故に、という奴である。

「…音路の方は何にしたんだ? …」
「僕は『ダンディ戦士 U(ウーン)マンダム』のライバルキャラ、キレテナーイにした」
「…さすがだぞ音路。今度もまた誰もやらないようなキャラだな…」
「彼の魅力は、コアなファンにしか分からないかね。だからこそ醍醐味がある」

 その後、電車で隣町まで行き、バスに乗り継いでコスプレイベント会場に向かう。イベント自体は、地方で行われる中規模なもので、半年に一度のペースで行われていた。
 当イベント参加もこれで三度目になる。地方で経験を積んで、いつかは最大規模の会場で、というのが安孫子と共通した夢だった。
 会場に着くと、大好きなキャラに扮した男女が、カメラのフラッシュを浴びていた。

「おっ、早速盛り上がっている様子だな。僕たちも着替えよう」

 男性用と女性用の更衣室は離れた場所にあるので、メイン会場で安孫子を見送ってから移動するつもりでいた。
 白人で容姿の優れた彼女は、いわゆる、ハマリ役、が多く、周囲ではシャッターの音が絶えない。今回もまた期待に応えてくれる違いない、と思いながら手を振る。

「…更衣室には行かないぞ。必要がないからな…」
「え?」

 彼女の言葉があまりにも意外で絶句してしまう。レイ子さんのコスプレといえば、新世紀学園の制服か白の全身タイツが定番なのだが、一体どういう事なのだろうか? 訳が分からない。
 訝しむ私に向かって不敵な笑みを漏らすと、青海波模様のショルダーバッグからトイレットペーパーを取り出して、グルグルと身体に巻きつけていく。

「…どうだっ! …」

 安孫子は、紙で白くなった自身を強調するかのように胸を張った。

「クソ紙巻いただけじゃねーか!」
「…包帯が見付からなかったのだ。仕方なかろう…」

 確かに包帯を巻いた姿も有名ではあるが、断じて全身に巻いている訳ではない。彼女は本当に原作を知っているのだろうか、という疑念を抱いてしまう。
 これでは、どこからどう見てもミイラ男のコスプレにしか見えない。

「…むむっ、気に入らないか? …」
「当たり前だ。レイ子さんはそんな格好しない」
「…やれやれ、こうなったら秘密兵器の封印を解くしかないな…」

 一つ溜息を漏らすと、バッグに手を突っ込んで、今度はメガネケースを取り出す。そのケースには真っ黒なサングラスが入っていた。
 意図が分からず呆けている私に向かって、苦笑いを漏らすと、スチャリと装着する。

「…あれ? 伊達メガネじゃない。まぁいいや…」
「良くない!」
「…ダンが間違えて入れたのだ。仕方なかろう…」

 確かにGENDOUメガネはレイ子さんをレイ子さんたらしめるマストアイテムではあるが、断じてサングラスでは代わりにならない。彼女は本当に原作を知っているのだろうか、という疑念がますます濃度を増した。
 これでは、どこからどう見ても透明人間のコスプレにしか見えない。
 何だか頭痛がしてきたので、掌で額を押さえていると、後ろから野太い声が掛けられた。

「あの、写真撮って良いですか?」

 声の主は、いなか大将に扮した黄岩だった。どうやら、私たちが同じ学園に通っている後輩だという事に気が付いていないようで、不気味な愛想笑を浮かべていた。

「…肖像権の侵害で訴えられても良いのなら…」
「ありがとうございますっ」

 どこをどう解釈すれば、許容した事になるのか分からないが、彼は在り難そうに頭を下げて激写しまくる。
 撮られている安孫子も、まんざらでもない様子でセクシーポーズをサービスしていた。
 誘惑するように腰をくねらせる透明人間と、それを狂喜の歓声を上げながらフィルムに収めるいなか大将。そのあまりにシュールな光景に、私は言葉を失った。

「えーと、ちょっとお願いがあるのですが」
「…何だ。ギャラを支払いたいのなら、遠慮なく受け取ってやるぞ…」
「実は、ある物を付けてもらいたいのですが」
「…うむ。喜べお前。僕は今、とても気分が良い。ほれ、出してみろ…」

 黄岩のシャッターを切っていた手が止まり、機嫌を伺うような顔で願いを言う。対する安孫子はポーズを止めて、腕を組んだ仁王立ちの姿勢になって聞いていた。
 この手の急な要求は、いささか非常識な気もするのだが、禁止事項にはなっていないし、本人達が同意しているのなら問題ないだろう。

「こっ、これです。これをぜひ付けてほしいんです」

 彼女の気が変わるのを恐れるかのように、いそいそとナップザックから三日月型の厚紙を取り出した。そのフォルムは見間違えようもない。
 これは確実に、巷の少女達から絶大な支持を受けている美少女格闘アニメ『小公女戦士 セーラ・ムーン』の額に輝く三日月マークだった。
 しかし、今の彼女はセーラ・ムーンとは程遠い姿をしている。幸いにも、糞紙の下には青のワンピースを着ているので、胴回りだけ白くすれば青と白のツートンカラーを何とか再現出来そうだ。
 黄岩はそれを狙っているのかもしれない。

「…願い、聞き届けたり…」
「おお、かたじけない」

 安孫子が差し出された板を無造作に受け取って、そのまま額に取り付ける。裏に粘着剤でもついているのか、意外にしっかりと固定されていた。
 真っ白な身体に、頭の黄色い月と黒のサングラス。これでは、どこからどう見てもゲッコー仮面のコスプレにしか見えない。

「…どこの誰かは知らないけれど、誰もがみんな知っている。セーラー服のおじさんは、不審者じゃないよ良い人よ。定時になると現れて、定時になると去ってゆく。愛と正義の小公女戦士セーラ・ファイヴ! 月に代わって悪を撃つ! …」
「おおお! 俺様超絶感激!」

 安孫子が銀玉鉄砲二挺を構えて決めポーズを披露すると、黄岩が奇声を発しながら激写を再開する。何だかまた頭痛がしてきた。

 衝撃の連続からようやく立ち直ると、私がまだ着替えていない事に気付く。イベントを満喫している二人を見て、自分もそう在るべきだと思い直して更衣室に向かった。

「うむ! これで良し」

 更衣室の姿見に映る自身の姿を眺めて、満足気に独り言ちる。私の眼前には、今、不敵な笑みを浮かべるキレテナーイが立っていた。
 着替えを済ませ、颯爽と会場に戻ると、場の雰囲気に似つかわしくない人物が入り込んでいた。
 見るからにチンピラ然としたガラの悪い連中が、我が物顔で広場を練り歩き、蔑むような視線を周囲にばら撒く。

「お前ら、なんて格好してんだよ」
「うっお! バカみてー」

 あまりの暴言に目眩がする。ふと周囲の反応が気になって見渡すと、闖入者を睨め付ける者はいても、羞恥で下を向く人間は一人も居なかった。
 心身共に訓練された戦士達を見て一安心するも、この問題を放置する訳にはいかないと思い、彼らの前に立ち塞がる。

「そこまでだ下郎! ここは神に選ばれし勇者の集う聖地。早々に立ち去れぃ」

 不逞の輩が、前に立ち塞がる雄渾な姿を目の当たりにして、呆けたように口を開けた。推測するに、自信と威厳に満ちた私の態度に恐れをなしたに違いない。
 四方から痛いほどの熱視線が突き刺さり、会場を流れる風が陰毛を揺らす。それがとても心地良かった。

「この変態野郎。死ねっ」

 卑怯にも奴等は三人同時に襲い掛かってきた。多勢に無勢。いくら私でも、これではどうにもならない。

「あっ、痛い。止めて。許して」

 巻き上がる暴力の嵐を必死に防御していると、連続で固い物のぶつかるような衝撃音がして、恐怖で身を縮める。
 何故か攻撃が止んだので、ゆっくりとガードを下げて辺りを確認すると、傍らで黄岩が親指を立て、チンピラ三名は五メートル先に転がっていた。
 信じられない事に、先ほどの衝撃音は人を殴り飛ばした時の物だったようだ。
 黄岩は微笑みを残して、肩を揺らし下駄を鳴らせながら立ち去る。その後ろ姿が妙に格好良く映った。私が男じゃなかったら惚れていたかもれない。

「…音路っ。警察を呼んでおいたぞ…」

 いつの間にか洋服姿に戻っていた安孫子が、煌々と目を輝かせながら駆け寄ってきた。いささか手遅れといった感じもするが、私に不当な暴行を働いた犯罪者を回収してもらいたいので無駄ではなかった。
 通報の仕方にもよるが、緊急性が低いと判断された場合は後回しにされて直ぐには来ない。盛大に気絶している暴漢は、しばらくは起きそうにないので気長に待つ事にした。
 十二分ほどして、ようやく警察官が姿を現す。遅れてやって来た騎兵隊に処置を依頼すべく、大振りなブロックサインで隅に倒れている三人が悪党だと伝える。
 警官はなぜか、サインで示した方には向かわず、真っ直ぐこちらに近寄って来た。

「君。何でそんな格好をしてるの?」
「はい! これはマンUのコスプレです」

 どうやらこれが職質というものらしい。警察に協力するのは市民の義務とばかりに素直に答える。
 勢い良く胸を張って答えたので、股間のジュニアも揺れていた。

「理由はいいから、早く服を着なさい」
「え、どうしてですか? 僕はただ仮装を楽しんでいるだけです。納得できません」

 善良な一般市民の自由を、正当な理由もなく規制するのは社会正義に反する。私にとってコスチュームプレイとは、普段抑圧された自分の、そして魂の解放なのだ。それが否定されるのは、とても耐えられない仕打ちだった。

「あのね。公共の場で裸になるのは犯罪行為になるんだよ」
「裸じゃありません。ちゃんとマスクをしてるじゃないですか」

 この私が公序良俗に違反していると言いたいのか。何という屈辱。私の崇高な表現と電柱に張られた風俗店のチラシを同一視するなど、決して許される事ではない。

「現行犯だから、手錠を掛けて署まで連行する事もできるけど。どうする?」
「はい! 今直ぐ着替えます」

 直立不動の姿勢でピシリと敬礼すると、全力でバッグから服を引き出し、我武者羅になって着込む。ここでの無用なトラブルは周囲の迷惑になってしまう。私は断腸の思いで指示に従った。
 焦りのせいか、いつのまにか服装が大変な事になっており、気を落ち着けて、改めて確認すると、シャツを下に穿き、パンツを頭に被り、ズボンを両腕に通していた。

「あの、お巡りさん。あぅあぅ……」
「ちゃんと隠してるから、そんなに急がなくて良いよ。ゆっくり着替えなさい」

 警官がスタッフから借りたシートを安孫子と引きながら苦笑いを浮かべる。実は良い人だったのかもしれない。私は今まで散々反発した事を少し後悔した。

「…どうだった? 生まれて初めての職質は…」
「二度と御免だ」

 彼女の意地悪な質問に対し、涙を流しながら脊髄反射的に答えた。

 バスの中で、ガラスに映る七三分けを櫛で整える。もう何度目だろうか、やたらと髪型が気になって三分おきに髪を梳いていた。気が落ち着かず、神経質になるのも仕方がない。これから、とても大切な人に会いに行くのだから。
 外を流れる景色は一面の田園風景で、水田に張られた水が空の青を反射している。市街から乗っていると、同じ市とは思えないほど風景が違っており、喧騒の絶えない中心部と比べて静かでのどかな所だった。
 事前に聞いていた最寄の停留所でバスを降り、辺りを見回す。視界には、田畑の他に大きな日本家屋しかないので、目的地はすぐに分かった。
(ここが、銃子さんの家か)
 立派な板張りの塀に隠れて、屋敷の二階部分と蔵の天井部分しか見えないが、塀の長さからも、相当な規模の敷地と邸宅だと想像する事が出来る。

 銃子さんに、実家に来て父親に会って欲しいと頼まれたのは、夏休みの終わる一週間前の事だった。私が了承した時に交わした、熱烈な接吻の感触が今でも忘れられない。
 幸い、五日ほど時間的猶予があったので、その間に色々と準備をして今日に至る。

 かなりの距離を塀を辿って進み、正門に到着した。その正門も雄大で、造りが時代を感じさせる。門扉は開いていたが、まずは来訪を伝えるのが礼儀だと思い、柱のインターホンに近付く。
 古めかしい門に取り付けられた真新しいインターホンが妙にミスマッチだった。
 緊張で震える指をボタンに押し付ける。暫らくして、スピーカーから応答する女性の声が発せられた。

「はい、どちら様ですか?」
「あの、私は星輪音路という者ですが。本日は銃子さんに会いに来ました」
「ああ、はい。少々お持ち下さい」

 そこで、プツリとマイクの切れる音がして、正面にある屋敷の入口から着物姿の女性が出てきた。
 正門から表玄関までは長く石畳が続き、彼女はその上を悠然と歩いて来る。
 白髪交じりの髪を後頭部で団子状に結い顔に小じわのある、年の頃は大体五十前後の落ち着いた女性で、濃紺の和服がしっくり似合っていた。
 私の前に立つと、表情を変えず頭を下げて挨拶をする。

「お持たせ致しました星輪様。旦那様がお待ちです。どうぞこちらへ」

 抑揚の無い声で言い、返事をする間も無く背を向けて歩き出す。もう少し愛想良く出来ないものかと内心で苦笑いしてしまう。顔付きも、声も、態度も、やけに冷淡な印象だった。
 彼女の案内に従って外折木邸へと向かう。その外観は、感嘆の溜め息が漏れるほど歴史と威厳を感じさせる佇まいで、右手には居並ぶ土蔵と離れ座敷、左手には見事な日本庭園が広がっていた。

 石畳を踏み締めながら七三分けに櫛を入れる。手持ちで一番の黒スーツに、完璧に七対三の割合で分かれた頭髪。どこからどう見てもエリートサラリーマンにしか見えないはず、と心の中で自賛する。
 銃子さんの父親に挨拶する事が決まってから、大急ぎで就職活動を行い、二年の二学期前という時期にも関わらず、兄のコネで神出グループ傘下の『MDMA製薬』に内々定が決まっていた。
(これからは、愛する銃子さんの為に、ドラッグを、売って、売って、売りまくるぜっ!)
 父上には、私が銃子さんを幸せに出来る事を、いや、私以上に幸せに出来る人間が存在しない事を、強く、果てしなく強くアピールする必要がある。
 その為にすべき事は、全てしてきたつもりだ。

 女中の後に続いて屋敷に上がり、家主の待つ場所へと歩を進める。前準備は十分に行った筈なのだが、心に余裕はなく緊張で息苦しくなっていく。
 通された部屋はあきれるほど広い座敷で、襖の開け放たれた先には、美しい日本庭園が日の光を受けていた。外からは、小鳥のさえずりと流れる水の音が届き、室内には荘厳な空気が漂っている。
 居間の中央には朱色の座布団が二枚並んでおり、その一つには紺の長着を着た壮年の男性が胡坐をかいていた。
 彼の顔はニュースで何度か見た覚えがある。銃子さんの父親にして現国防大臣の、外折木 獣虎父(げおるぎ じゅうこふ)に間違い無かった。
 堂々とした巨体に、歴戦の傷が残る厳つい顔。楽な格好で座っているだけなのに、凄まじい威圧感が私の全身を撫でた。

「君が銃子の想い人か。フムフム」

 言葉を発するや相好を崩し、和やかな雰囲気に変わる。私はあまりの豹変っぷりに反応出来ず、立ち尽くしてしまった。

「ん? そんな所に立ってないで、こちらに来て座りなさい」
「は、はいっ」

 背筋を伸ばし、正しい姿勢を心掛けつつ一歩一歩慎重に歩く。座布団の前に着くと、それを横にずらして畳の上に正座した。

「ほぅ」

 感心したように唸る彼に対して、両手をついて深々と頭を下げる。

「お父さんっ、銃子さんは素晴らしい女性です。僕にはもったいないと思っています。ですが、僕は銃子さんと結ばれたい。お願いします! 銃子さんを僕にください! 銃子さんを幸せにする為なら、何だってします。ですから、お願いしますっ!」

 一気呵成に言い終わると、さらに頭を下げ、額を畳に擦り付ける。眼前にある畳がとても邪魔だった。これが無ければ、もっともっと深く頭を下げられるのに。

「なるほど、そうかそうか。どうせ恋愛結婚なぞ出来ぬと思い、銃子の婿に相応しい〝地上最強の雄〟を探し当てたのだが、どうやら無駄に終わったようだ」
(ち、地上最強の雄!?)

 口から出た物騒なフレーズに身体が震える。あの外折木獣虎父がそこまで認める人物とは一体どれほどの豪傑なのか、想像する事すら出来なかった。

「しかしね、彼と君の間には大きな開きがある。はっきり言って、今の君は彼の足元にも及ばない。それは分かるね?」
「くっ、はい……」

 確かに彼の言うとおりだ。ここは事実を認め、受け入れるしかない。

「まずは、陸軍士官学校を主席で卒業しなさい。これが最低条件だ」
「え、あの」

 私の今現在の学力を勘案すると、主席卒業はおろか、士官学校に入る事すら非常に困難だった。事実上、要求のクリアは不可能といっていい。
 もう、どうしていいか分からず、あれこれ思考を巡らせる。まるで、出口の無い迷路に迷い込んだ気分だった。

「ほぅ、不服かな?」

 あまりの難題に硬直していると、彼は温和な顔のままで尋ねる。だが、声には失望が滲んでいた。
 暫し黙考する。銃子さんと釣り合う男とは、不可能を可能にするような人物でなくてはならない。お父さんはそう言いたいのではないか。
 そう信じて、困難に立ち向かう決意を固めた。

「諒解しました。命に代えても、必ずや成し遂げます」
「うんうん、良い返事だ。後になって、良かったのは返事だけだった、という事のないようにね」
「はいっ、肝に銘じます」

 声に力を込め、再び頭を下げる。もう後戻りは出来ない。これからは前に向かって突き進むのみだ。
 頭を上げると、値踏みするような眼差しのお父さんと目が合う。直後に彼は口の端を吊り上げた。恐らくは、気合の程が伝わったに違いない。

「今、銃子が筑前煮を作っている所だ。良かったら食べて行きなさい」
「はい、お言葉に甘えさせていただきます」
「刀の柄しか握った事のない娘が、今は鍋の柄を握っているよ。女というのは、男でああも変わってしまうものなのだな」

 どこか遠い目で天井を見詰める。その表情は、深く感傷に浸っているように見えた。

 その後は随分と打ち解けた雰囲気になり、会話も弾んだ。元帥まで上り詰めた男の武勇伝を興味津々で聞いていると、廊下側の襖紙に二つの人影が映る。

「あの、お父様、音路さん。その、食事をお持ちしました」
「おお、待っていたよ。入りなさい」
「はい」

 膝立ちの姿勢で襖を開け、割烹着姿の銃子さんと私を案内した女中が黒塗りの膳を抱えて入ってきた。
 銃子さんがぎこちない足取りでお膳を運ぶ。普段の凛とした佇まいとのギャップに、意外な一面が見れて微笑ましい思いがした。
 淡い桜色の振袖に割烹着を重ねた姿は、清楚な雰囲気と家庭的な温かみに溢れていて、その女性然とした魅力に感嘆の溜め息が漏れる。

「音路さんのお口に合うか分かりませんが。どうぞ召し上がってください」

 少し緊張気味に膳を置いて、そのままの位置で正座をする。何故そこに座るのだろう、と訝っていると、おもむろに箸を掴んで料理に伸ばす。
 膳の上には、白米、味噌汁、胡瓜と白菜の浅漬け、焼いた鮭の切り身、筑前煮が並んでおり、銃子さんの持つ箸は、真っ直ぐに筑前煮へと向かっていた。

「あ、あの、この筑前煮は、私が必殺の信念で作りました。ですので、今すぐ口を開けてください」
「えーと、うん、分かりました。あーん」

 震える声で言う銃子さんに従い、大きく口を開ける。彼女は小鉢から蓮根を摘み、ゆっくりと口内へ運んでゆく。
 期待と不安の混ざった視線を間近で受けながら具材を咀嚼した。

「うん、美味しい。凄く美味しい」

 シャキシャキ感のある歯応えが心地良く、鶏肉と椎茸の旨みが十分に染み込んでいた。美人な上に料理まで上手いとは、本当に素晴らしい女性だと思う。
 私の反応に満足したのか、彼女は輝くような笑顔になる。

「うむ、初めてにしては良く出来ておる。美味いぞ銃子」
「教官が優秀でしたから……でも、嬉しいです。頑張った甲斐がありました」

 教官というのは、銃子さんの後ろで静かに座っている女中の事なのだろう。無愛想ではあるが、外折木家に仕えているだけあって優秀な女性のようだ。

「ささ、どんどん食べてください」
「はい」

 すっかり気を良くした銃子さんは筑前煮を次々と口に放り込む。鶏肉の次は人参、その次は里芋といった具合に、絶え間なく流れ込む料理を味わい尽くした。

 愛する人の手料理を十分に堪能した後、彼女の誘いで庭園を散歩する事になった。池を優雅に泳ぐ鯉を二人で眺めながら、思い切って重大な懸念事項について尋ねてみる。

「……銃子さん。聞きたい事があるのですが、よろしいですか?」
「え? はい、私に答えられる事でしたら、なんなりと」
「その、お父上の選んだ婿候補とは、一体どんな人物なのでしょうか?」
「あら、気になります?」
「はい、とても」

 私の顔を見て悪戯っぽく笑うと、顎に人差し指を当てて考え込む。

「うーん、そうですね。高橋原人とガッツ石崎とハルク=アホーガンを足して三乗したような方です」

 あまりの衝撃に三歩ほど後ずさる。有名な超人を三つも足して、しかも三乗するとは、想像を絶する恐るべき偉丈夫だった。

「ですが、私は音路さんの方が良いです。後はお父様に認めてもらうだけ。頑張ってください」

 銃子さんは、私の手を掴んで胸の高さまで上げると、両手で挟んでギュっと握る。真っ直ぐに見詰める真剣な瞳からも、彼女の想いが伝わってきた。

 非常に濃密な夏休みが終わってから、早くも一ヶ月が過ぎた。夏休み中に、銃子さんの父上と契約ともいえる固い約束を交わしてからは、あらゆる娯楽を完全に断ち、銃子さんにも会わずに、目標に向け邁進する日々が続いている。
 娯楽などはどうでも良いが、悲願成就まではと銃子さんとのあいびきを禁じられた事は、私にとって痛恨の極みだった。彼女が白い肌を薄く桜色に染めて、恥ずかしそうに身をよじる姿を思い出す度に、狂おしいほどに会いたくなってしまう。
 本来なら、とても勉強出来るような精神状態ではないのだが、銃子さんと結ばれる為、と思うだけで、沸々と集中力が漲るのであった。

「ふぁぁぁぁ~~~」

 いつもの通学路、欠伸をしながら登校するのがすっかり日課になってしまった。ノルマをこなして時計を見ると、時刻が深夜過ぎになっていて、慌ててベッドの潜り込む、という生活が続いている為だ。

「…音路。おはよう…」
「…んぁ? おはよう」

 覚束ない足を引きずるように歩いていると、後ろから安孫子に挨拶を投げ掛けられた。彼女は追い越して前に回ると、下からまじまじと顔を覗き込む。清流のように澄んだ瞳が、朦朧とした眼にはとても眩しく映った。

「…今日はまた、一段と酷い顔をしているな…」
「顔が酷いのは生まれつきだよ。あはは……」

 真っ当な指摘を軽口で返すも、声に力が入らず、乾いた笑いが漏れる。そんな私の反応に、親友はいかにも不服そうに頬を膨らませた。

「…むぅ、真面目な話だぞ。だから真面目に聞け。もしかして、ちゃんと寝てないのか? …」
「うん。勉強とか、ついつい頑張っちゃって、さ」
「…銃子と結婚する為とはいえ、さすがに根を詰めすぎではないのか…」

 私を見上げる彼女の表情には、深憂が見て取れた。その気持ちが在り難いと思うのと同時に、申し訳ない気分になってしまう。だからといって、勉強量を減らす訳にはいかない。ましてや勉強をせずに休むなんて論外だった。

「でもやるしかない。まだ学力が足りないから……」
「…そうか……今日は体育の授業がある。その時間は理由を付けて保健室で休め。その状態で運動するのは危険だからな…」
「うん。ありがとう。忠告に従うよ」
「…まったく。世話の焼ける奴だ…」

 やれやれといった感じで肩をすくめる安孫子と校門を抜けた所で、ひときわ背の高い女学生、銃子さんが男子生徒二名の首根っこを掴んで引きずっているのが見えた。

「貴方達には黙秘権がありません。拷問及び自白剤によって得られた証言は、法廷で不利な証拠として採用されます。説明は以上。尚、異論反論は一切受け付けません」

 久々に見る雄姿に感動で息が詰まる。浪々と権利を伝える彼女は、言葉遣いはとても丁寧なのに、どこか有無を言わせない迫力があった。
 学園では銃子さんとの関係が秘密になっているので、出しかけた声をぐっと飲み込んだ。情報を伏せる理由は、銃子さんを狙う個人及び組織が私を人質に取る事を防ぐ為なのだが、やはり目の前に居るのに話すら出来ないのは辛い。
 公務中の彼女は、声を掛けられずにうなだれる私に気付く事なく、保安局本部に向けて突き進んでいた。

「…おーい、銃子。少し話したい事がある…」

 安孫子に呼び掛けられた銃子さんがこちらに顔を向ける。私と一瞬だけ目が合うも、表情を一切変えずに我孫子へと視線を移した。

「あら、おはようございます、安孫子。話とは何ですか?」
「…まぁ、ここでは何だから、執務室で茶でも飲みながら…」
「えぇ、構いませんよ。ではこの連中を本部に連行した後にゆっくりと」
「…うむ…」

 二人は合流すると、和やかに談笑しながら歩き去ってゆく。その様子を羨ましそうに眺めるしかない自分が情けない。私も安孫子のように強くなって、周囲の目をはばかる事なく銃子さんと付き合いたいと心底願った。

 教室で眠気と人恋しさに鬱屈して独りうつむく。暫らく経ってから、安孫子が慌てるように教室の戸を開ける。その直後にチャイムが鳴り響いた。
 彼女がいそいそと隣の席に座り、わざとらしく口笛を吹きながら一枚のメモ紙を私の机に置く。

「ん?」
「…重要な伝聞だ。心して読め…」

 訳も分からず、安孫子の言に従い、四つ折りになっている紙を開いて内容を確認する。白い紙には『昼休み。別館にて待つ』とだけ書かれていた。

「我孫子。これって……」

 メモの意味を解釈すると、感動で瞳が潤んでしまい視界が歪む。朗報をもたらしてくれた親友は、悪戯っぽく片目を瞑り、握り拳の人差し指と中指の間に親指を差し込んで、親指を蠢かせていた。
 今までストレスと眠気で曇っていた心が、嘘のように晴れ渡る。喜びが爆発するのを必死に抑えつつ、手紙を元の形に折って胸ポケットにしまった。

 四時限目の体育は、安孫子の忠言通りに気分が悪いと申し出て保健室で熟睡した。申告の際、体育顧問の桃香先生は、「朝から気になっていたけど、今にも倒れそうな面してるわね。授業はいいから、保健室で休んで良いわよ」と心配そうに言って許可してくれた。
 携帯のアラームで目を覚まし、両手を組んで伸びをする。時間にして四十分程度の仮眠だったが、随分と気分が楽になった。
 学園三大美女(教師)の一角、養護教諭の市護 伊千恵(いちご いちえ)先生にお礼を言って、愛を初告白をした記念の地へと出発した。

 別館前に到着後、二宮金次郎跡地に立って辺りを見回す。ここに来るのは告白の時以来だ。その時は緊張で気にならなかったが、すぐ近くに薄気味の悪い廃校舎があって少し落ち着かない。
 ひび割れたレンガ造りの壁と黒ずんだ木の窓枠で構成された外観は、異様な存在感を醸し出していて、窓から見える校舎内は暗く、見ていると何かが出てきそうで不安を掻き立てられる。

「音路さん……」
「ひぃやぉう!」

 唐突に後ろから声を掛けられ、驚愕のあまり奇声を発してしまう。振り返ると、銃子さんが同じく驚き顔で佇んでいた。

「…あ、すみません。驚かせてしまったようですね」
「は、いえ、大丈夫です。そんな事より、その怪我、一体何があったんですか」

 驚きで詰まる息をこらえて、所々から出血している彼女の身を案じる。裂けた制服の下や白い手足には無数の切創があり、そこから鮮血が線を引くように零れていた。

「皮を切られた程度なので問題ありません。刃にも毒は塗られていなかったようですし」
「いや、でも、血が出てるし……」
「私よりも、音路さんの方が問題です。安孫子から聞きましたよ」
「…え、あの」
「随分と無理を続けているとか。気持ちは嬉しいのですが、身体を壊してしまっては元も子もありませんよ」
「はい……」

 銃子さんの責めるような口調に、自然とうなだれてしまう。だが、私を気遣っての言葉なので、真摯な気持ちで受け止めるていた。
 彼女は申し訳なさから身をよじる私の目前に進み出ると、両手で私の頬を挟み、上から見下ろすようにして凝視する。額に温かい息が掛かり、ほのかな血の匂いが鼻腔をくすぐる。

「朝よりも幾分かマシなようですが、まだ顔色が優れませんね。今から休める所に案内しますので、私に付いて来て下さい」
「あ、はい」

 彼女は慈しむような視線を残して振り返ると、別館に向かって歩き出す。もしかして中に入るつもりなのだろうか、という不安を胸に後に続いた。
 果たして、疑念は正解だったようで、裏手にある教員用の通用口に鍵を差し込んでドアを開ける。錆だらけの鉄扉は不法侵入の被害を免れたらしく、備えられた鍵は古いままだった。
 別館内に入ると、カビと埃の匂いに思わず顔をしかめてしまう。先導する銃子さんは濁った空気を気にする様子もなく、壁から剥がれ落ちた漆喰を踏み鳴らしながら突き進んでいた。コンクリートの廊下には無数の足跡が残っていて、校舎内の見廻りが続いている事をうかがわせる。
 しばらく歩くと、渡り廊下の一角にある引戸の前で立ち止まり、引き手に指を掛ける。右上には保健室と書かれた板が吊るされていた。

「さ、ここが目的地です。どうぞ中へ」

 和やかな表情の彼女に促され、思い切って戸をくぐる。室内の光景を目の当たりにして、廃屋然とした廊下とのギャップに驚いてしまった。
 正直、こんな所で安らかに休憩なんて出来るのだろうか、という疑念を抱いていたのだが、予想に反して、案内された部屋はきちんと手入れがされていた。
 床の上に埃やゴミは無く、ガラス張りの薬品棚は中身が整頓してあり、ベッドには清潔そうな白いシーツが掛かっている。

「ここは、保安局が応急治療用に整備している部屋です。本来、部外者の立ち入りは禁止なのですが、今日は特別ですよ」

 そう言って微笑むと、入口を閉めて鍵の摘みをひねった。

「その、外と違って、随分と綺麗な所ですね」
「いつでも使えるように、見回りをする者が清掃を行う事になっていますから、衛生管理は行き届いています」
「なるほど。どうりで」
「ベッドの用意もしっかり整っていますよ」

 銃子さんにベッドへと誘導され、そこに座る。直ぐさま彼女も隣に腰を落とした。

「えいっ」
「はえっ?!」

 気合の籠もった声が耳に飛び込んだ直後、首筋に刺すような痛みが走り、急に意識が朦朧として姿勢が崩れる。視界が暗転する刹那に感じたのは、温かくて柔らかな感触だった。
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 意識が覚醒して目を開ける。少しぼやけた視界には乳白色の天井が広がっており、真ん中で棒状の蛍光灯が青白い光を発している。
 どれでけの時間気を失っていたかは分からないが、カーテンの隙間から漏れる光芒は、もうすでに赤みを帯びていた。

「あら…」

 私が目を覚ました事に気付き、ベッド脇の椅子に座ってファイルに目を落としていた銃子さんがこちらに目線を向ける。切れた制服はそのままだったが、手足にはしっかりと包帯が巻かれており、既に応急治療は完了している様子だった。

「良く眠れたみたいですね。気分の方は如何ですか?」
「…あ、はい。随分とすっきりしました」

 たしかに体調は回復したが、経緯や原因が全く分からず首をひねる。

「寝不足、という事だったので、手っ取り早く眠って頂きました。寝息も寝顔も、とても安らかでしたよ」
「おお、そうだったんですか」

 謎が氷解して大きく頷く。彼女の強引なまでの優しさがとても嬉しかった。

「何だか、随分と手を煩わせてしまったようで、申し訳ないです」
「音路さんが過労で倒れてしまうと、私にとっても都合が悪いので、どうか気になさらないで下さい」
「銃子さん……そこまで僕なんかの事を……」

 私に対する純粋な思い遣りに感激で涙がこぼれ落ちそうになる。こうして面と向かって話し合うのも随分と久し振りで、だからこそ、こんな簡単な遣り取りでも十分に心が癒されるのだと感得していた。

「それでは、次はこちらを」
「じゅ、銃子さん。そそ、それは」

 銃子さんは艶然とした薄笑いを浮かべて、寝起きで盛り上がった股間を撫でる。細くしなやかな指が、出っ張りの形を確かめるように動いて、その心地良さから益々硬度が増していった。
 私の様子を見て、満足そうに一つ頷くと、ベッドの上で四つん這いの姿勢になり、ベッドスプリングを軋ませながら身を移して上にかぶさる。
 仰臥している私を、彼女は顔を重ねるようにして覗き込む。ほんのり赤く染まった美顔が迫り、艶やかな黒髪がカーテンのように左右を覆った。

「音路さん。お父様には禁じられていますが、その、ずっとこうして二人だけの時間を過ごしたかったんですよ」
「僕もです。僕も同じ気持ちです」
「嬉しい……音路さん」

 彼女は目をスッと細めて、柔らかな唇を押し付けるようにキスをしてきた。暫らくされるがままに身を任せていると、口を半開きにして私の唇を舐め始める。彼女の意を酌んで私も口を開くと、滑らかに舌が進入し、直ぐにお互いの熱く濡れた舌が絡まり合う。
 上から流れ込んで来る甘い唾液を飲み下しながら、懸命に舌を動かして弾力のある肉厚の舌を嘗め回す。

「んっ、ぷちゅ、れろっ、んぷっ、ふぁっ、んちゅっ、ちゅっ、ちゅぱっ」

 クチュクチュと水音を立てて粘液を貪り合い、淫猥な気持ちが盛り上がってきた所で、彼女は名残惜しそうに口を離した。

「…さて、もうそろそろ、暴れん坊のお相手をしますね」
「はいっ。よろしくお願いしますっ」

 彼女は首の後ろに回していた腕を立てて四つん這いの姿勢に戻ると、身体の向きを変えて頭を私の股間に持っていく。その結果、眼前には大きなお尻が迫り、膝を動かす度に扇情的に形を変えていた。

「では……失礼します」

 色めく笑顔で、おもむろにズボンのジッパーを開ける。すると自分でも驚くほど勢い良く剛棒が飛び出てきた。冷房の効いた微風が表面を撫で、次に温かい吐息に包まれる。敏感な局部で直接彼女の息遣いを感じて、興奮の気炎が急上昇した。

「…まぁ、もうこんなになって………この野性的な雄の匂い……とっても素敵です」
「そう言って貰えると、凄く嬉しいです。では、こちらも……」

 銃子さんが性器の間近で鼻を鳴らして、うっとりとした声を漏らす。対する私も、負けじと鼻先にある濃紺のスカートをたくし上げる。すると、目が眩むほどの淫猥な光景が飛び込んできた。
 細く伸びた太股の付け根、ムッチリと突き出た尻肉を青紫色のショーツが包んでいて、ちょうど膣穴の辺りが湿っていた。その濡れて暗く変色した部分に鼻先を押し付けて、甘酸っぱい匂いを堪能しつつ割れ目に沿って上下にこする。

「ひぁっ、あんっ、ふぅ、音路さんったら、もう……私も負けていられませんね……れろっ、んふっ、ぴちゃ、れろっ」

 彼女も音を立てて舐め始める。もうすでに、こちらの弱い箇所は熟知されていて、裏筋やカリの裏側を執拗に攻撃してきた。
 一ヶ月もの間、ずっと禁欲を続けていたので、舌技だけで分身が張り裂けそうなほどに膨張してしまう。

「ふふっ、音路さんのここ、気持ち良さそうに脈打ってますよ………はむっ、んっ」

 満足気に声を漏らすと、亀頭を口内に飲み込む。弾力のある唇が、敏感な突起の上を何度も擦り、根元まで滑らせてから、また先端付近まで戻る。その間も舌は縦横に蠢かせていた。
 彼女は咽喉に勢い良く当たる感触が大好きで、美尻を振りながら力強い上下運動で先端を奥に打ち込んでいく。

「んふっ、ちゃぷ、はぷっ、んっ、じゅぽっ、じゅぶっ、んんっ、ごぼっ、ちゅぷっ、ぐぼっ」

 その仕草から望みを察して、揺れる尻肉を両手で掴み、臀部に張り付いている布を舌で撫でこする。
 愛液の染み込んだ薄布の舌触りと味を心底堪能してから、唾液と愛の蜜でぐっしょりと湿ったショーツを横にずらす。とたんに濃厚な蜜の匂いが漂い、溜まっていた粘液が糸を引いて零れ落ちた。
 愛撫を期待するかのように蠢く秘肉を丹念に舐めて、舌を尖らせて淫らな穴を捏ね回す。

「じゅっ、ちゅぽっ、んあああっ、音路っ、さん、あひっ、気持ち良いっ、です、んんっ、はぅっ」

 快楽に耐えかねてか、口を離して大きく喘ぐ。暫しの間、切羽詰った声を漏らしていたが、お返しとばかりに再びくわえ込んで最奥に打ち付ける。
 その強烈な奉仕によって、徐々に我慢の限界が近付いてきた。
 このままだと先に達してしまうと思い、今までの動きに加えて、燃えそうなほどに熱を発している指輪で、皮の剥けかけた陰核を撫でた。

「んんっ!! んっんん、んっ~~~~!!」

 銃子さんが一物を頬張ったまま、くぐもった悲鳴を上げるのとほぼ同時に、私も溜まりに溜まった欲望を放出する。口が震えているのか、たまに歯が軽く当たり、その新鮮な感触が心地良さをもたらしていた。
 下半身を支える太股が小刻みに痙攣し、秘洞からは大量の淫液が湧いて顎を濡らす。上手い具合に同時の絶頂が出来て、安堵と達成感から溜め息がこぼれた。

「ゴクッ、ゴクッ、ゴクンッ、んぐっ………ぷはぁ、とても濃くて、ふぅ、美味しいです」
「ぼ、僕の方も、物凄く気持ち良かったです」
「あの、私とした事が、思わず歯を立ててしまいました。痛くはありませんでしたか?」
「いえ、平気です。控えめに当たると、むしろ気持ち良い位でした」
「そうですか。良かった……れろっ、ぴちゃ、ぴちょっ」

 溢れる濁流を喉を鳴らして飲み込んで、幸せそうな声色で感想を述べる。先程、歯を立ててしまったのを気にしいる様子だったが、私が偽りなく喜悦を伝えると、安堵した顔付きで、舌を伸ばして肉棒に付着した欲望を熱心に舐め取り、後始末を進めていく。

「……あら、まあ、股間の天狗様は、まだまだ暴れ足りないみたいですよ」

 銃子さんは心底嬉しそうに、やんわりと竿を握ってカリの部分を親指でこする。私の愚息は、出した直後にも関わらず、雄雄しく天を衝き、激しく脈打っていた。

「うっ、それは、その、かなり溜まっていたものでして、あの……」
「実は私も、先達ての戦闘と血の匂いで昂ぶってしまって、もう我慢が出来ないんです」

 熱っぽく真情を吐露して、私からズボンを下着ごと剥ぎ取ると、膝立ちの姿勢で身体の向きを変えて正対する。下着で吸いきれずに落ちた透明の液が、腹部に水溜りを作っていた。
 彼女は艶美な表情で、もどかしそうにショーツとスカートを脱ぎ捨てる。たっぷりと水を含んだ薄布が、微かな水音を立てて床に落ちた。
 準備が完了すると潤んだ目で私を見下ろし、荒く息を吐く。その瞳には情欲がありありと浮かんでいた。

「…ふぅ、音路さんをこうして中に迎えるのも、随分と久しぶりですから。手加減出来ないかもしれません」
「大丈夫です。全力で受け止めますから」
「……真っ直ぐな目。出会った時から変わりませんね。見ているとついつい甘えてしまいます」
「僕は、銃子さんが甘えてくれると嬉しいです」
「ふふっ、では、また音路さんの優しさに甘えさせて頂きますね」

 指で鮮やかな媚肉を開き、腰の位置を調整して肉突起の先端にあてがうと、一気に腰を落とした。
 ギシリとスプリングが大きく軋み、体重の掛かった腰の部分がマットに沈む。
 堂内はすでに熱く潤っていて、蠢動する媚肉が怒張を締め付けてきた。

「はぁうぅぅぅぅぅ~~~~~~」

 嬉しげに吐息を漏らす彼女の頬は紅潮し、半開きの唇がわなわなと震えていた。力が抜けて体勢を維持出来ないのか、私の胸に両手を乗せて上半身を支えてながら、それでも腰を揺り動かす。

「はぁ、はぁ……とても逞しい、です。あぁ、気持ち良い……」

 しばらくして呼吸を落ち着けると、感触を楽しむかのように小さく蠢かせていた腰を急に引き上げて、咥えていた肉棒が抜ける寸前で止める。すかさずに再びの急降下で美尻をパンと鳴らせて根元まで丸呑みした。
 彼女が動く度に、密着している肉羽が激しくこすれて、気の遠くなるような快楽をもたらす。

「あんっ、はぐっ、音路っ、さん、あぅ、素敵、です、はんっ、ふぅ」
「ぼ、僕も、うぅっ」

 お互いに余裕の無い声を漏らし、微笑み合う。熱視線で私を見詰めていた銃子さんは、上半身を倒して桜色に染まった顔を近付けてくる。
 身体の動きに従い膣内の角度も変わり、予期せぬ部分が刺激されて、先ほどとは別種の甘美な悦びが込み上げてきた。
 軽くついばむようなキスをしてから、名残惜しそうに離れて元の姿勢に戻ると、直ぐに上下運動を再開する。

「あっ、あうっ、きもひ、いいっ、ふひっ、んんっ、はひっ、すごいっ、んっ、あひっ」

 尻肉と腰の打ち合う音と淫らな水音が混ざり合って狭い室内に響く。彼女は気持ち良さげに眉根を寄せて、容赦の無い動きで分身を攻め立て続ける。
 制服に包まれた豊乳が大きくバウンドし、漆黒の長髪が波のように揺れる。目前で舞う恋人の痴態に私はすっかり心を奪われていた。
 柔肉が竿全体に絡み付き、先端が奥に何度も強く当たる。色っぽく身悶える彼女の様子と下半身を絶え間なく襲う愉悦によって、急激に限界近くまで追い詰められてしまった。

「かはっ、んっくぅうううううぅぅぅぅぅぅぅ~~~~んんっ」

 歯を食いしばって耐えていると、銃子さんが先に達してしまったようで、手足を小刻みに震わせながら、指を甘噛みして悲鳴を押し殺す。
 直後に膣内が締まり、それに引きずられるように私も遂に絶頂を迎え、大量の精液を放出した。

「あんっ、たくさん出てるの、分かります。ふぅ、手前勝手に、動いてしまいましたが、はぁ、音路さんにも、楽しんで頂けた、みたいですね」
「…はい。凄く、良かったです……」
「……もぅ、中の天狗様は、まだ固いままですよ。私も、このまま続けたいのは、んっ、山々なのですが、もうそろそろ、後片付けをしませんと……」

 彼女は口をへの字に結ぶと、ゆっくりと腰を持ち上げる。膣から一物が抜け、内部に溜まっていた白濁がゴボリとこぼれて、下半身に降り掛かった。

「ふぅ、とても有意義な時間でした。音路さんは、会う度に私の理想に近付いてます。もしかしたら、そのうちお父様よりも……」
「え? 銃子さん。それって、あの」
「さ、音路さん。このタオルを使ってください」

 内心で喜びを噛み締めながら、渡されたタオルで身体を拭き、床に落ちたズボンを履く。銃子さんは、切れた制服や下着を焼却ゴミ用の黒いポリ袋に放り込むと、ロッカーから替えを取り出して着込んだ。
 着替えの際、所々に包帯の巻かれた肢体が目に入る。今まで敗北はおろか、傷を付けられる事すら無かった彼女が、ここまでの怪我を負うのは、とても信じられない出来事だった。

「……あの、銃子さん。その怪我、一体誰にやられたんですか?」

 原因がどうしようもなく気になってしまい、口を開いて恐る恐る質問を投げかけると、彼女の纏っている雰囲気が鋭利で冷たい物に変わる。もしかしたら触れてはいけない問題なのかもしれない、と思いつつ、私は固唾を飲んで返答を待った。

「……一年の中に、夜叉が紛れていました」
「い、一年生にですか」

 驚きのあまりオウム返しの言葉しか出てこない。銃子さんに手傷を負わせる可能性のある人物を色々と推察していたのだが、まさか一年生の中にいたとは、全くもって想像の外だった。

「夜叉の正体は、一年沙組の黒羽根 暗密(くろばね あんみつ)。破裏拳流を使いこなす女子生徒です」
「破裏拳流って、忍者が使うという、あの?」
「はい。よく知ってますね。破裏拳流とは何度かやった事はあるのですが、あれほどの使い手は初めてでした」

 破裏拳流とは、徒手空拳に暗器を組み合わせて使う暗殺術の一つで、主に忍者が使う技として知られている。
 この流儀は臨機応変が身上で、型にはこだわらず、我流による発展を推奨している妙な流派だ。それ故に、使い手毎の差異が激しく、同じ流派とは思えないほどに変化した技使いも珍しくはない。
 そういう事情もあって、奥義は存在するのだが、基本的な技を習得した時点で免許皆伝となってしまい、通常では奥義を受け継ぐ事が出来ない。今でも、誰が奥義を継承しているのかは謎のままだった。

「でも、粛清はしたんですよね」

 銃子さんは、黙して首を横に振る。

「切り付けられた上に、結局は逃げられてしまいました……これほどの失態と屈辱は経験にありません」

 そう吐き捨てて、悔しそうに顔を歪める。断続的に漏れる歯の軋む音が、彼女の心情を代弁していた。

「もう面と名前が割れているので、追い詰めるのは時間の問題でしょう」
「うん。彼女が女子空手部に入らなければね」
「……そうですね。化け物の巣に逃げ込まれる前に、必ず仕留めます」

 私の指摘に一瞬だけ驚いた表情を見せ、顎に手を当てて頷く。
 ここで女子空手部の名前が出て来たのには理由がある。あそこには独自の掟があり、その掟にさえ従っていれば、たとえ保安局の粛清対象になっていたとしても、部全体で貴重な部員を守るという伝統があった。
 もし保安局が強硬手段に出れば、人体を超越した怪物達との抗争という最悪のシナリオが待っていた。
 話はこれで終わりとばかりに、彼女はどこか気合の滲んだ面持ちで、壁に立て掛けてある銃刀を掴み、ゆっくりと腰に差す。

「さて、身繕いも終わった事ですし、外に出ましょうか」
「あ、はい」

 銃子さんに促され、別館を後にする。外はもうすでに薄暗くなっていて、周囲の草むらからは鈴虫の美しい鳴き声が響いていた。

「私は見回りをしてから本部に戻りますので、ここでお別れです。音路さん、帰りの道中、気を付けて下さいね」
「分かりました。銃子さんも気を付けて下さい。破裏拳流は不意打ちが得意ですから」
「はい、心得ております」

 無用な心配だとも思うが、言わずにはいられなかった。心配を受け止めた彼女は、陰りの無い涼しげな笑顔を見せて歩き出した。

 銃子さんと別れてから、点在する照明を頼りに帰路を進む。雑木林の奥にそびえる飼育部の檻や園芸部の温室からは、奇妙な咆哮が漏れ聞こえ、気味の悪さで足が震える。
 教科書と鞄を教室に置いたままだったが、銃子さんの忠言もあって、そのまま帰る事にした。
 別館から校門までの間には、武道系の部が使用している道場が立ち並んでいた。ふと、別館での会話を思い出し、女子空手部の道場に目を向ける。
 古めかしい木造の道場は、窓と非常口が開け放たれていて、そこから照明の光と気合の入った掛け声が漏れていた。
 こんな時間まで練習に精を出している事実に関心していると、部員が建物の脇にある蛇口でヤカンに給水しているのに気付く。
 煌々と輝く水銀灯の真下に居る為か、相手もこちらに気付いたらしく、黒い道着姿の二人組と目が合ってしまった。その人間離れした容姿を直視した瞬間、本能が警報をかき鳴らす。
 自分の勘に従い、恐怖ですくむ足をがむしゃらに動かして校門に向けて駆け出すと、鼻先に何かが当たって尻餅をついてしまう。
 障害物なんて無かったはず、と思いつつ上を見上げると、そこには先ほど目の合った二人組が立っていて、欲望に歪んだ目で見下ろしていた。
 水道からは二十メートルほどの距離があったにも関わらず、瞬時に先回りをされてしまい、その常識からは考えられない身体能力に背筋が凍る。

「お? こんな所に美味しそうな男が落ちている。勿体無いから拾って食べてしまおう」
「大丈夫。痛いのは最初と途中と最後だけっス。安心するっス」
(安心できるかっ!)

 と、心の中で反論する。情けない事に、恐ろし過ぎて面と向かって文句が出せなかった。
 カマキリみたいな顔をした女が長い舌で口を舐めながら、もう一方の岩のような顔面をした女が手をワキワキと蠢かせながら、徐々に迫り来る。
 身の毛がよだつ絶体絶命の事態に、跳ねるように立ち上がって両手でお尻を押さえる。だが、私が押さえるべきは後ろの穴ではなかった。

「おーい、一年坊ズ。これにも水入れといて」

 不意に道場の方から凛然とした声が届く。声の方を向くと、火煉さんが非常口から顔を出して、空のヤカンを振っていた。
 信じられない事に、この化け物二匹はまだ一年生らしい。本当に女子空手部は底が知れない。通常の物差しでは決して計れない集団なのだろうと痛感した。

「お、押忍。暁先輩」
「いっくよ~、せいやっ」

 火煉さんは気合と共に取っ手を放り投げると、鈍い銀色の鉄器が上空を舞ってカマキリ女の胸元に落ちる。彼女には格闘だけでなく球技の才能もあるらしく、非常に見事なコントロールだった。
 一年部員が受け取ったヤカンをよく見ると、表面が所々凹んでいて、薄れた文字で『副部長専用 無断使用は私刑 盗めば死刑』と書かれていた。
 恐らくは歴代の副部長が使っているのだろう。その状態から、かなり使い込まれているのが見て取れる。
 それにしても、ここまでありふれていて形の歪んでいる物を、わざわざ盗む人間などいるのだろうか。私には完全に無用な警告だと思えた。

「……あ、暁先輩が口を付けた薬缶……ハァ、ハァ……」
「独り占めはズルいっス。オリにも舐めさせるっス」

 カマキリ女と顔面岩女が、火煉さん使用済みの容器を湯気が出そうなほどの熱視線で見詰める。どうやら意外な所に需要があったみたいだ。
 化物共の意識が他所に行っている今こそ、火煉さんに助けを求める絶好の機会だった。当の彼女は、言わなくても分かっている、と言いたげな笑顔を向けてくれる。

「コラッ! 今は練習中だぞっ。恋愛もほどほどにね☆」
「「押忍っ」」

 唯一の命綱だった友人が、満面の笑みを浮かべて可愛くウインクすると、三つ編みをなびかせて道場内に引っ込んでしまった。そのありえないほどの凄まじい勘違いに、肩の力が抜けてしまう。
 だがしかし、天はまだ私を見放してはいなかった。二人組は私そっちのけで鉄製の宝物を醜く奪い合っていたのだ。
 このチャンスを逃せば命は無い、と考え恐怖ですくむ足をがむしゃらに動かして校門に向けて駆け出すと、鼻先に何かが当たって尻餅をついてしまう。
 障害物なんて無かったはず、と思いつつ上を見上げると、そこには黒道着を着た桃香先生と、その後ろに隠れるようにして、見覚えのない少女がこちらを覗いていた。

「星輪君。何でこんな所にいるのよ。全くもう、相変わらずどこにでも湧いて出るわね」
「も、桃香先生っ。たたた、助けて下さいっ! こっ、この二人が、僕のケツ穴をレイプしようとしています」

 正に渡りに船といった状況に、すかさず私は窮状を訴えた。対する桃香先生は面倒臭気に眉根に皺を寄せて頬に手をやる。
 その仕草から、随分と互いの認識には温度差があるように思える。しかし、今は先生に頼る以外に道はないので、ひたすら対応してくれるのを待つしかなかった。

「また訳の分からない事を。ウチの部員が貴方のような小物を相手にする訳ないでしょう。ねっ? 鎌切頭と巌」
「おっ、押忍! もちろんです先生」
「押忍。こんなヘタレ、どうでもいいっス」

 桃香先生に水を向けられたクリーチャーが、争いを止めて直立不動の姿勢で答える。なにはともあれ、結果的に助かった事に安堵の溜め息が漏れた。

「ところで、二人はこんな所で何をしているの? まだ練習中のはずでしょう」
「押忍っ。これから薬缶に水を汲む所でして……」
「水道からは随分と離れてるわよね、此処………もしかして、サボリ?」
「めっ、滅相も御座いません」
「ならさっさと水を汲む! そら急いだ急いだ」
「「押忍っ! 先生」」

 桃香先生は急かすように手を打ち鳴らし、顔面蒼白の一年生部員は脱兎のごとく走り去った。二人とも瞬く間に水道まで移動するや、またしてもヤカン争奪戦を繰り広げる。どこまでも懲りない様子に、私は心底呆れていた。

「ああ、そうだ。折角だから、挨拶の練習でもしましょうか。ほら、黒羽根さん。此処にいる先輩に挨拶してみて」
「…あ、はい。桃香、先生……」
(黒羽根って、まさか……まぁ、こんなにか弱い女の子な訳ないよな。常識的に考えて)

 女子空手部顧問としての厳しい顔付きから、一転して朗らかな笑顔になると、先生は後ろの女子生徒に進み出て挨拶するよう促す。
 半身を隠していた黒髪の少女が、おずおずといった動きで前に出る。彼女は恥ずかしそうに目を伏せ、包帯の巻かれた細い手足は緊張の為か少し震えていた。

「…あ、あの、星輪先輩。私は、一年沙組の黒羽根暗密といいます。これから、女子空手部で頑張りたいと思っています。その、よろしくお願いします」

 まるで日本人形のように可憐な少女は、消え入りそうな声でそう告げると、俯いたまま身体を硬直させる。
 眼前で身を縮めている人物のクラスとフルネームを理解した直後、驚きのあまり息が詰まった。銃子さんに手傷を負わせるほどの達人が、こんなにも弱々しくて儚げな美少女だったとは、真実を付き付けられた今でも信じられない。何か悪い夢か冗談のように思える。

「はい、よく出来ました。これから部のみんなにも紹介するから、その調子でお願いね」
「はい、先生…」

 自己紹介が終わると、黒羽根さんは素早く桃香先生の影に隠れて、そこから観察するようにこちらを覗く。この小動物のような仕草が、計算された演技か、そうではないのか、私には判断が出来なかった。
 彼女に背中を提供している先生は、表情を輝かせて後ろ手で愛弟子を撫で回す。可愛がられている方も、安心しきった顔で身を委ねていた。

「星輪君。この子、すっごく可愛いでしょう。しかも殺る気スイッチが入ると、キリングマシーンに大変身しちゃうんだから。その冷酷な戦いっぷりに惚れ込んで、即スカウトしちゃった」
「あの、今正に接している僕としましては、その物騒なスイッチがオンになるのを避けるには、どうしたら良いかを聞きたいのですが……」
「そんなの知る訳ないでしょ。だって会ったばかりなんだから」
「はぇ? そんな」
「そんなに心配しなくても大丈夫よ。普通に接していれば問題無いわ。多分」
「多分……ですか」

 意外にも、先生は黒羽根さんの正体を知った上で勧誘したらしい。ともあれ、これで学園保安局は彼女に手出しが出来なくなった。銃子さんも、さぞ悔しがる事だろう。
 改めて後輩に目を凝らすと、視線をむず痒そうに身をよじりながら受け止めて、ほんのりと頬を赤らめる。
 何だか、彼女から苛めて下さいオーラが出ている気がして、見ていると嗜虐心がそそられてしまう。だが、その湧き上がる欲望に負けてしまうと、悉く暗殺術の餌食にされるのだろう。まるで性質の悪いトラップのような少女だった。

「ひっ! 先生……」

 突然、黒羽根さんが短い悲鳴を上げて震えだす。

「御蓮寺先生」
「あら? 秘密警察が私に何の用かしら」

 私の真横から声がして、慌てて振り向くと、そこには銃子さんが冷厳な顔付きで立っていた。いつの間に来たのか、気配も音も全く感じなかった。

「そこの女学生には、八件の殺人と一件の傷害事件で嫌疑がかかっています。おとなしく身柄を引き渡して下さい」
「嫌よ。この子はもう我が空手部の部員なんだから。可愛い弟子を売り渡すような真似なんて出来ないわ」
「正式な入部手続きはしたのですか」
「んもぅ、顧問の私が部員だと認めているんだから、この子はもう部員・な・の! 重箱の隅をつつくような真似は止めて頂戴」
「そうですか……」

 銃子さんは二人を鋭く見下ろして、左手で鞘を掴んで右手を柄に添える。そして、素人の私でも分かるほどの殺気を放ちつつ、すり足で距離を詰めていく。
 いくらなんでも、直接教師に手を出せば保安局局長でもただでは済まない。心配になって止めに入ろうとしたが、よく見ると、ある程度近付いた後は動きを止め、何かを待っているかのように身をかがめていた。
 私はある予感がして、今度は先生の方に目を向ける。今まで桃香先生の後ろでガタガタ震えていた少女が、震えを収め、濁った目でこちらを凝視していた。

「駄目っ!」

 音も無く飛び出した黒羽根さんを、先生が居合いで抜かれた刀から庇うように抱きしめる。銃子さんは刀を紙一重の位置で急停止させると、口惜しそうに舌打ちをして、刀を鞘に戻した。
 入部手続きをしていない上に部員達への顔見せも未だ、という今こそが最後の機会だったのかもしれない。

「ふぇ……せん、せい?」
「この子は私が責任を持って面倒を見ます。それでいいでしょ」
「では、直接指導を?」
「もちろんよ。言っときますけど、女子空手部の戒律は学園法なんかよりずっと厳しいんだから」
「…そうですか。では宜しくお願いします」
「フン、言われるまでもないわ」

 黒羽根さんは大粒の涙をこぼし、桃香先生は子供のように頬を膨らませ、銃子さんは一礼すると、踵を返して闇に消えていった。
 周囲を照らす水銀灯の元で、三者三様の結末を迎えて、当事者達が去ってゆく。その様を最後まで見送っていた私も、少ない照明を頼りに家路を急いだ。

 学園生活も三学期に突入し、銃子さんの卒業が近付いてきた。もうすぐ彼女の秀麗な姿を学園で拝めなくなってしまうのは寂しい限りだ。
 しかし、二学期の期末試験で学年三位にまで順位を上げた事で、特別褒賞としてデートが解禁になったので、問題はそれほど大きくはない。
 一学期の期末が百五十位だったのだから、奇跡の大躍進といっていい。
 銃子さんもこの結果を受けて、大学には進学せずに、世界最強の専業主婦養成施設『ピン子の穴』に入所して、A級ライセンスの取得を目指すそうだ。

 通学路を進む間、思わずにやけ顔になってしまう。銃子さんも腕に縒りをかけると言っていたので、期待は膨らむばかりだった。
 角を曲がると親友の後ろ姿が見えたので、揺れるポニーテールに元気良く挨拶を飛ばして、スキップを踏みながら追いつく。

「おーい、安孫子。おはよう」
「…うむ、おはよう…」

 彼女は私の様子を見ると、呆れ顔で鼻をほじくった。

「…音路。朝から面が気色悪いぞ。スカトロ好きが祟って、食中毒にでもなったか? …」
「んな訳あるか! いや、あのさ、今日はアノ日だろ」
「…うむ、確かにアノ日だな。義理チョコ食うか? …」
「え、良いの?」
「…今回は少し多めに買ったからな。一つ位なら大丈夫だ。そら、手を出せ…」

 そう言って、脇に抱えたバスケットから円盤型の菓子を取り出すと、私の掌に落とした。

「やっぱり五銭チョコか。義理の定番だからな」

 安孫子に渡されたチョコ盤は、市販されている物の中では一番安い品で、外見は一文銭、名前は五銭、値段は五円という、開発者の意図がよく分からない商品だった。
 口元のマフラーをずらし、真ん中に四角い穴が開いていて『寛永通寶』の文字が刻まれたチョコを口に放る。子供向けの味付けがされているのか、強い甘味が舌に絡みつく。

「…食ったな? ホワイトデイの三倍返しを楽しみにしているぞ…」
「うーむ、じゃあ十五円の薫煮飴(くんにあめ)で良いよね」
「…痴れ者。僕はこう見えても女の子だぞ。もっと、こう、他にあるだろう。例えば尺八キャンディーとか…」
「でも、それじゃあ三十倍返しになっちゃうよ」
「…むぅ、ここで投資をしておけば、来年は義理がビルドアップするかもしれないぞ…」
「……考えときます」

 曖昧な返事で話を切り上げると、彼女もそれほど返礼に頓着していないらしく、追求はせずにカゴのチョコ山を整えていた。
 去年も見た光景だが、彼女が抱えるバスケット内では大量の五銭チョコが山を成している。恐らく理由も去年と同じなのだろう。

「今年も職員室でチョコをばら撒くの?」
「…うむ、そうだ。無事に進級する為には、こういう草の根的なロビー活動が重要なのだ…」
「さすがに五銭チョコじゃ教師を買収するのは無理だと思うよ」
「…断じて買収などではないぞ。普段、我々の為に激務と粗食に耐えている先生達への気遣いだ。僕の真心を受け取った先生は、きっと感激のあまり便宜を図りたくなるに違いない…」
「そんな事しなくても、赤点を取らなければ済む話なのに」
「…むむっ、嫌味なほど鼻が高いぞ。一学期までは、共に赤点共和国建設を目論む同士だったのに。学年三位にまで成り上がりおって…」
「はは……目の前にぶら下がっているのが、世界一美味い人参だったからね」
「…そうだったな。音路の頑張りは素直に認めねばなるまい。銃子はその努力に見合う女だ…」
「うん、ありがとう」

 安孫子と国の将来について熱い議論を交わしながら校門をくぐる。そして学園の表玄関に到着するや、期待を胸に自分の靴箱へと駆け寄った。
 星輪と書かれたネームプレートの前で大きく深呼吸をしてから、一思いに開け放つ。

「……あれ?」

 一瞬、あまりに信じられない物が見えたので、一度閉めて、気を十分に落ち着かせてから再び開ける。先程の景色は見間違いでも何でもなく、閉める前と全く同じ物が入っていた。

「…どうした音路。鼠の死骸でも入っていたか? …」
「いや……中にチョコが二個ある。どうしよう」

 混乱で立ちすくむ私の様子が気になったのか、上靴に履き替えた安孫子が横から声を掛ける。
 彼女の問いに対し、少し躊躇いながらも正直に状況を説明した。

「…随分とモテモテだな音路。やれやれ、銃子以外にそんな物好きが居たとはな…」
「ぼ、僕は一体どうしたら……」
「…見るからにどちらも本命っぽいな。ここは銃子のだけ食べて他は捨てろ。さもないと殺されるぞ…」

 二個あるうちの片方は、事前に連絡のあった銃子さんのチョコで間違いは無いのだが、問題はどちらが彼女の贈り物か分からない点だ。
 外観から判断出来ないかと二つ並べて凝視する。一つは真っ黒な包装紙に包まれ、もう一つは真っ赤な包装紙に包まれていた。色の他に特徴がないか丹念に調べてみたが、残念な事に、見ただけでは贈り主の特定は出来なかった。

「どっちが銃子さんのチョコか分かんないよ」
「…包みを開けて中身を確認すれば分かるかも知れんぞ…」
「うん、分かった。やってみる」

 ここでは人目に付くので、玄関から人気の無い用具室前に移動して包みを開ける事にした。
 まずは、黒の包装から破ってしまわないように慎重に剥がして、白い紙製の箱を開ける。中には黒光りする十四式拳銃が入っていて、驚愕で目を瞬かせてしまう。
 よく確認すると、匂いや肌触りから銃の形をしたチョコレートだと判明した。その本物と見紛うばかりの精巧な造形に溜め息が漏れる。
 バレルと一体型のフレームはチョコレートになっていて、グリップやスライド等の部品類はクッキーで出来ているみたいだった。驚いた事に、シリアルナンバーや造兵廠の刻印まで再現されている。
 何だか食べてしまうのが勿体無いような素晴らしい逸品なのだが、メッセージカードの類が同封されておらず、これが銃子さんの作った物かどうかは判らなかった。
 気を取り直して、赤い包装を剥がしにかかる。すると今度はピンク色の箱が姿を現した。その色彩が放つ甘酸っぱい雰囲気に生唾を飲み込んで蓋を開けると、巨大なハート型をした鮮やかな常盤緑のチョコレートが目に飛び込んだ。
 生野菜が練りこんであるのか、青臭い匂いが鼻を突く。こちらにはメッセージカードが入っていて、それには『好き、好き、大好き。ウッフン』と書かれていた。

「判ったぞ安孫子。銃子さんが作ったのは、このハート型チョコで間違いない。緑色なのは、きっと心優しい彼女が野菜類を練り込んだからだろう」
「…おお! さすがは音路。見事な迷推理だ…」
「そうだろう。そうだろうとも」

 ひとしきり高笑いをした後、早速愛情の味を堪能するべく大口を開く。

「銃子さんの愛情に感謝を込めて……いただきます!」

 ビッグなハートを歯でパキリと折って、万感の想いを胸に抱いて租借する。直ぐに強烈な風味が口内に充満した。

「うん、さすがに野菜が入っているから、とってもHELL SEEEEEEEEEEEE!」

 紫電のような刺激が脳天を直撃して、チョコを箱ごと取り落としてしまう。そして、間髪を入れずに近くのゴミ箱に口の中を吐き出す。安孫子はそんな私の様子を見て、爛々と目を輝かせていた。

「ぺっ、ぺっ、ううっ、舌が痺れる……」
「…アコニチンか? アコニチンなのか!? …」

 興奮気味に劇薬の名を連呼しながら落とした箱を拾い上げると、一舐めして難しい顔をする。その拍子に一枚の紙が落ちてきた。恐らく今まで箱の裏に張り付いていたのだろう。

「…何だ、ただの山葵か……ん? 何だこれは……ふむ、なるほど…」

 彼女が足元に落ちたメモ紙を拾って目を通す。一呼吸置いて、納得したような表情で私に向き直った。

「…音路。これを見ろ。犯人が分かったぞ…」

 私は、こんなにも卑劣な真似をする悪党の正体を確かめるべく、差し出されたメモを引っ掴むと、食い入るように見詰める。その薄汚れた紙には『彼女持ちは、死ね。ZM会』と下手糞な字で書かれていた。

「くっ、ZM会の仕業か……奴等どうやって銃子さんとの仲を……」
「…会長の面手内 一生(もてない かずお)は、彼女持ちは匂いで分かると豪語していたからな。侮れん奴だ…」

 まんまとしてやられた悔しさで強く唇を噛む。ZM会とは『ゼッタイ・モテナイ』の頭文字をを取った凶悪なテロ集団で、女子と交際している男子を標的にした数々のテロ事件を引き起こしている。
 特に、現会長が就任してからは思想が先鋭化していき、被害は拡大の一途を辿っていた。

「…音路。新たな発見だ。山葵と猪口冷糖の組み合わせは、甘味と辛味が渾然になって実は美味いぞ…」

 常盤緑のチョコを貪り食いながら、安孫子が珍味を熱っぽく語る。テロを目的に作られた物が、人を感動させる魅力を秘めていたとは、実に興味深い現象だった。
 何はともあれ、結果的にどちらが銃子さんの贈り物かは判明した。私は安心してもう一度箱を開け、銃子さんが丹精を込めて制作した芸術品を眺める。
 黒色と小麦色の配色バランスが絶妙で、非常に手間の掛かる削り出し工法によって作られたであろう流麗なフォルムは、市販品には決して出せない圧倒的な存在感を放っていた。

「…それが銃子謹製のチョコか。これは、削り出しだな。随分と気合が入っているな…」
「うん、何というか、ここまで手間が掛かっていると、勿体無くて食べられないよ」
「…気持ちは分かるが………ん? まてよ。銃子が銃の形をしたチョコを贈ったという事は、つまり『私をた・べ・て』というメッセージが込められているに違いないぞ。本気だ。銃子は確実に本気だ…」
「そ、そうだったのか。この贈り物にそんな真意が込められていたとは……」

 私は親友の慧眼に感心すると共に、背筋を駆け上がる感激で身震いしてしまう。その様子を、安孫子は何故か意地悪な笑顔で眺めていた。

「…ここまでされたら、ホワイトデイのお返しが大変だな…」
「うっ、何を贈ったら良いのか見当もつかないよ」
「…まだ時間的猶予はある。だが、準備は早めに始めた方が良いぞ…」

 確かに彼女の言う通りだ。これは今から情報収集と選別を始めないと間に合わないかもしれない。
 十分に鑑賞してから丁寧に蓋を閉めて包装紙で包み直す。直後にチャイムが鳴り始め、二人で慌てて廊下に出た。
 二年阿組の教室に向かう途中で、偶然にも校内巡回中の銃子さんと鉢合わせになった。彼女は、黒い箱を両手で胸に抱える私と、チョコを頬張りながら赤い包装紙と桃色の箱を丸めている安孫子を交互に見遣って、一瞬だけ嬉しそうに目を細める。

「…おお(モグモグ)しゅうこ(モグモグ)おはよう…」
「えぇ、おはようございます、安孫子」

 美女二人がお互いに軽く挨拶を交わすのを見て、ふと、もう三年の保安局員は引退しているはず、と思い至る。靴箱の中では、赤い箱の上に黒い箱が積まれていた。つまり銃子さんは私がチョコを二つ貰っているのを知っていた、という事になる。
 もしかしたら、事態の顛末が気になってわざわざ確認しに来たのだろうか、と妄想してしまった。

「…音路。あれを見ろ。面白い事になっているぞ…」
「ん? あれは……黒羽根さんか」

 安孫子が指し示す方向に目を向けると、中庭で一人の少女がモヒカン頭の二人組に絡まれていた。膝下まである漆黒の髪と華奢で可愛らしい立ち姿から、少女が女子空手部の黒羽根暗密だと明確に見て取れた。
 不良達は好色そうな笑みを浮かべて、銃身を切り詰めた水平二連のショットガンをちらつかせる。銃で脅されている黒羽根さんは、目に涙を溜めてガクガクと震えていた。今にも泣き出しそうな彼女の顔色に気を良くしたのか、二人は舌嘗めずりをして顔を近づけてゆく。
 恐らく、今まで仲良く刑務所にでも入っていたのだろう。知らないというのは本当に恐ろしい事だと実感させられる。目の前で脅えている少女が女子空手部の新副部長だと知っていれば、これが自殺行為だと気が付くはずだ。
 弱々しく俯いていた黒羽根さんの手刀が瞬く間に不良の首を切断し、地面に落ちた二つの頭が彼女の足元に転がる。それから少し間を置いて、断続的に血を吹き流していた身体の方も崩れ落ちた。
 鮮血の海で佇んでいた少女は、我に返ると泣きながら走り去ってしまう。残された死体は、どこからともなく現れた保安局員が薄く笑いながら死体袋に詰め込んだ。
 ここまでの阿呆は逆に珍しいが、最大の抑止力だった銃子さんが引退してからは、ジャイアニズム原理主義組織や純潔の薔薇族肉弾決死隊、セーラー服反逆同盟第四期生等々、今まで地下で蠢動していた兇徒の動きが活発化していた。
 これから学園はどうなってしまうのだろう、という不安を胸中に抱えながら、教室の戸を開けた。

≪八年後≫
 タクシーの後部座席に腰を下ろし、深く溜め息をつく。
 一週間もの缶詰生活を経て、やっと訓練計画が完成した。銃子さんの手作り弁当と愛情の差入れが無ければ、恐らくは死んでいただろう。
 当初は、過去の訓練計画を骨組にして作ったのだが、それを上官に提出した所、『訓練の目的は、練度の維持ではない。練度の向上である』と、激しい叱責を受けてしまう。
 その直後、私は浅薄な自分が情けなくなり、唇を噛み締め、期日までに作り直します、と、何とか搾り出して部屋を後にしたのだった。
 冷水で顔を洗って、心機一転、出直しを図り、執務室に戻った後は各種資料と格闘しながら、こだわりにこだわり抜いて一週間外出せずに計画を練り上げ続けた。その甲斐もあり、訓練計画は会心の出来に仕上がった。
 中佐が計画書に目を通した際の満足気な顔が、強く印象に残っている。正に苦労の報われる一瞬だった。

 欠伸を噛み殺して腕時計に目を遣る。短針は九時を指していた。車の窓に視線を移してみると、流れる水と雨に濡れた街並みが見える。
 朝方から降り始めた雨は夜になっても降り続け、走る車体を叩く。ワイパーの規則正しい作動音と屋根から漏れる雨音を聞いていると、次第に眠くなって来るが、ここで寝てしまうと玄関先で待っているであろう銃子さんに迷惑が掛かると考え、缶コーヒーを啜って我慢する。
 タクシーは住宅地に入り、特有の細く複雑な道を何度か曲がって、真新しい一軒家の前に差し掛かった。

「ここで停めてくれ」
「分かりました。もしかして、あそこに立っているのは奥さんですか? いや、物凄い別嬪さんですね」
「ああ、僕には勿体ないほどの人だよ」

 運転手の賛辞につい気分が良くなってしまい、萬券を手渡して告げる。

「釣りはいらない」
「あ…はい、ありがとうございますっ」

 運転手は満面の笑みで礼を言う。あまり深く考えず勢いで奮発してしまったが、丸一週間分の燃料代が浮いているので、今月の小遣いにはまだ余裕がある……はず。
 開いたドアから外に滑り出ると、和傘が頭上を覆う。菊花をあしらった黒留袖に身を包んだ銃子さんが、身体を寄せ、労をねぎらうように優しく微笑んだ。

「お帰りなさいませ、音路さん」
「うん、ただいま」

 妻と二人、相合傘で共に歩く。私の隣は常に彼女の特等席だった。向かう先は、最近ローンで購入したばかりの自宅で、綺麗な白色の壁と近代的なデザインが新築である事を示している。
 マイホームの購入を決めた際、お義父さんが、娘の結婚記念と孫の出産記念を合わせて家の一つ位は買ってやる、と言ってくれたのだが、申し出を固辞してローンを組んだ。
 これは、新しく家主となる私の矜持を示して、自分の力で家族を支える決心を知ってもらう為だった。

「お勤め、ご苦労様でした。しかし、あまり無理はしないで下さいね。お体が心配です」
「いやいや、元帥に昇進するまで、僕は死にません」
「まぁ、野心家なのですね。ふふっ、夢を語っている時の音路さんって、とても素敵です」

 銃子さんは、愛らしく頬を染めて、しな垂れかかってくる。半ば冗談のつもりで言ったのだが、愛する妻にこう言われては目指さない訳にはいかない。
 目標達成の為には、更に精進する必要がある。彼女の期待に応えるには、ひたすら妥協せずに自分を磨くしかなかった。
 和服美女の腰を抱きつつ玄関のドアを開けると、玄関先に寝間着姿の娘が立っていて、私に対してペコリと頭を下げる。

「お帰りなさいませ、お父様」
「おっ、刀子(とうこ)は、お父さんを出迎える為に、今まで起きていたのか。偉いな。徹甲(てつこ)は、と、もうさすがに寝ているか」
「ええ、途中まで頑張ってはいたのですが、結局、眠ってしまいました」

 嬉々として、真っ直ぐに切り揃えられたおかっぱ頭を撫でる。刀子は齢七歳になる娘で、幸いにも顔付きは母親似なのだが、目元だけは祖父に似て眼光がやたらと鋭い。

「なかなか遊んでやれなくて御免な。今度の連休は大丈夫だから、旅行にでも行くか」
「謝る必要はありません。どうか、私の事は気にせず、報国に励んで下さい」

 愛娘は眉一つ動かさずに言い切った。なんて良く出来た子なのだろう。きっと、母親の教育が行き届いているに違いない。だが、父親としては、少し物悲しいような気がする。

「こ、これから短い時間だったら一緒に遊べるぞ。今日は特別に少々なら夜更かし許可!」
「では、将棋を一局」
「将棋か、懐かしいな。よし、やるぞ」
「はい、お父様」
(本当に懐かしい。士官学校では、有段者をきりきり舞いさせたものだ。どれ、久々に電撃戦を披露するとしようか。娘の泣き顔は見たくないから、ある程度、手加減をしなくてはいけないな)

≪二十分後≫
「まっ、参りましたっ」
(学生時代は負け知らずで、周囲からは『東方不敗』と呼ばれ、恐れられていたこの僕がっ。こんな幼い少女に敗北するなど、有り得ぬ。有り得ぬぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ~~~~~~)

 あまりの衝撃に暫らく頭髪を掻き毟っていたが、刀子の嬉しそうな笑顔を見ていると何だかどうでもよくなり、苦笑いを浮かべて頭をポリポリと掻いた。

「さ、もう遅いから、寝なさい」
「あ……はい、お母様」

 銃子さんが自室に戻って眠るよう促し、娘は素直に従う。その時、刀子が寂しげに俯くのを父は見逃さなかった。
 リビングを出る前に彼女が流し目を向ける。これは確認の合図で、私もアイコンタクトで了承を伝えた。
 妻と子の階段を踏む音が遠ざかってゆく。私は将棋の駒を片付けると、これからの情事に備えて風呂場へと移動した。

 浴室でしっかりと垢を落とし、湯船に浸かっていると、ガラス戸の向こうから声が届く。

「音路さん。お背中を流しに来ました」

 曇りガラスに写る人影が蠢き、衣擦れの音がする。我が家では、背中を流す、とは、性交する、と同義だった。期待と興奮が急激に高まり、待ちきれずに風呂から上がった直後、ガラス戸が開き、輝くように白い裸身が現れ出でる。
 歩く度に揺れる乳房は、子供を産んだ後さらに膨らんだが、形は崩れず垂れてもいない。曲線美に彩られた身体も相変わらずで、初デートの時期と比べ、若々しさこそ減じたものの、妖艶な色気は格段に増していた。

「あら、音路さんったら。早くも準備万端ですね」

 銃子さんが私の下半身を見遣って、薄笑いを浮かべる。もうすでに股間の心棒は大きく反り返っていた。
 互いに身を寄せると、彼女はぽってりとした媚肉と素股で私の物を挟んで、背中に腕を回し、豊乳を胸板に押し付ける。こちらも負けじと腰を抱き、さらに密着して唇を重ねた。
 舌を突き出して、艶めかしい半開きの口に滑り入れると、銃子さんも応じて、舌を絡ませながら唾液をすすり合う。浴室には荒い息遣いと湿った音が反響していた。
 十分に昂ぶった所で口を離す。舌の間では、透明な粘液が糸を引いて零れ落ちた。名残惜しいが、身体の方も距離を開ける。彼女の秘所から垂れた淫液が肉棒を濡らしており、小股からあっさりと抜けた。

「音路さんが居ない間、ずっと寂しい思いをしていたんですよ。ですから、今日はたっぷりと可愛がって下さいね。私も精一杯、ご奉仕いたしますから」

 少し拗ねたように言うと、前にしゃがみ込んで、二つの豊かな果実で剛直を挟み込み、上下に揺する。竿が肌触りの良い柔肉に包まれ、上からはみ出た亀頭に熱い息がかかる。
 熟れた美乳で茎部分をねっとりとしごき上げながら、赤黒い雁首の表面をペロペロと猫のような舌遣いで舐め、溢れる我慢汁を飲み込む。妻の容赦ない奉仕攻撃によって、背筋を甘美な悦楽が這い上り、早くも発射寸前まで追い詰められてしまった。
 一週間ぶりという事もあり、即座に我慢が決壊して大量の精液が勢い良く飛び出す。銃子さんは噴火を顔と口で受け止め、恍惚の表情で飲み込んだ。

「はぁ、味が濃縮していて、粘り気があって、とても美味しい……それに、こんなにたくさん。嬉しいです」

 うっとりと楽しそうに、頬に指を這わせて、付着した白濁を掬い取り、口に運ぶ。その仕草があまりに蠱惑的で、萎みかけた分身が固さを取り戻した。

「も、もう銃子さんに入れたくて堪りません」
「私も、今直ぐ音路さんにして欲しいです。それでは、入れやすい格好になりますね」

 彼女はタイル張りの床に手を突いて、四つん這いの姿勢になる。後ろから見ると性器と肛門が丸見えで、充血した花弁が物欲しそうにヒクヒクと蠢いていた。

「……では、行きますよ」
「はい。今度こそ、男の子を作りましょうね」

 中腰になって狙いを定め、熱く濡れそぼった女陰を一気に貫く。とたんに銃子さんは頭を跳ね上げ、ウェーブのかかった黒髪が揺れる。
 私は切羽詰った嬌声を聞きながら、激しく抽送を続けた。

< 終 >

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