僕とフリルと校庭で 前編

前編

 僕たちが出会ったのは放課後の校庭だった。

「くるくるー」

 僕の卒業した小学校には、校舎の北側に第2グラウンドの敷地が残っていた。
 児童が減って使われなくなってから10年以上経っているそうで、しかも、学校予算も減っている今そんな敷地にまで整備のお金はかけられないらしく、僕がいた頃からそこは荒れたままにされていた。
 そんな旧グラウンドの隅っこに遊びに来る子供など、僕のいた当時からいなかった。
 表玄関側にあるメイン校庭には新しい遊具も真っ平らなグラウンドも整備され、校舎を挟んだこちら側にはカビ臭い物置と鉄棒が1つあるだけの学校の孤島だった。
 その木陰に僕だけの場所がある。
 自転車を踏み台にしてフェンスを乗り越えばあっさり潜入できるし、しかもどこからも死角になって見つかりづらい。変質者の跋扈するこんな時代にこのセキュリティとは、さすが僕の母校といえた。
 放課後はいつもここにいる。家よりも学校よりも落ち着ける。ずっと僕だけの場所だった。

「くるくるー」

 で、この子はいつからいたんだろう?
 変な声が聞こえてくるので顔を上げたら、いつのまにかおかしな格好した女の子が鉄棒で逆上がりをしていた。
 ロリータっていうんだろうか。フリルがいっぱいの長いスカートと、頭にもリボンの付いたカチューシャを乗せている。
 人形みたいにキレイな顔。そんな子が、たった1人で逆上がり。
 下の学年にこんな子がいたって記憶はない。いれば目立つはずだけど。

「お兄さんお兄さん。さみしいときに元気でるのは、ブルーベリーとミント味、どっちです?」
「え?」
 突然、女の子が僕に話しかけてきた。相手が子供でも僕は少しびびってしまう。
「どっちどっち?」
「あー、えっと、ミ、ミントかな?」
「残念ー。イチゴがお薦めでしたのにー」
「え、あれ? 三択だったの?」
「ボタン押すの早すぎですー」
「いやどこも押してないし?」
「くるくるー」
 女の子は、逆上がりを続けている。
 すごく上手だ。たかが子供の逆上がりなのに思わず見とれてしまう。
 知らない間に補修でもされたのか、僕たちがいた頃はボロだった鉄棒も、彼女と一緒に輝いて見えた。
「お兄さんお兄さん」
「なに?」
「目が回りました」
「そ、そう」
「むー」
 女の子は鉄棒の上で顔をしかめている。変な子だ。 
「お兄さんお兄さん。私の名前を聞きますか? 興味ありです?」
「え、あ、あの?」
「フリルです。フリルとでも呼んで下さい」
「……フリル?」
 変なあだ名。
「くるくるー」
 鉄棒酔いはもう治ったらしく、女の子は逆上がりを再開する。
 回るたびにパンツが丸見えなんだけど、彼女はガーターベルトっていうのか、そんなものまで身につけている。
 鉄棒しづらくないのかな。でも、両足のピンと揃った見事な逆上がりだった。
「くるくるくるー」
 キレイに回る逆上がり。
 彼女を見ているうちに僕はここに通っていた小学生の頃を思い出していた。
「お兄さんお兄さん。少女のパンツを見ながら何を思うですか?」
「……別にパンツは見てないけど、僕も昔、よくここで友だちと一緒に逆上がりの練習してたんだ。そのことを思い出してた」
「練習ですか? 逆上がれたですか?」
「いや…僕はダメだった。途中であきらめちゃったんだ」
「あきらめるのは亀にもウサギにもなれない人です」
「うん。なれない人だね。フリルは逆上がり上手だね」
「褒めてもフリルはウサギになれないです。憧れますけど。くるくるー」
 変わった子だけど、なんとなく彼女と話すのは苦に感じなかった。コロコロ変わる会話はまるで言葉遊びのようだ。
「そのお兄さんお兄さんのお友だちは、上手に逆上がれたのですか?」
「さあ、どうだろうね」
「フリルの興味引くのうまいですー」
「いや本当に知らないんだ。ごめん」
「はー。残念です」
 僕が逃げ出したあとのこと。
 いまさらこんなところに来てもいるはずのない友だちのこと。
 思い出すのもニガい昔話だ。なのに僕は、今でもここに足を運んでしまう。 
「お兄さんお兄さん。そのお友だちもここに連れてきて、一緒に鉄棒しないですか?」
 無邪気に痛いところを突くフリルに、僕は微妙な笑顔を作った。
「うーん、それはちょっと難しいかな?」

 絶対に無理だった。

「キモオー。一緒にメシ食おうぜー」
「ぎゃはは」
 クボタキミオ。それが僕の名前だ。
 でも学校で僕をそう呼ぶ人間はいない。昼休みに自分の席で弁当を広げた僕は、いつものように気の合う仲間に囲まれる。
「うまそーじゃん。キモオの弁当」
「でもよ。こうしたほうがもっとうまそーじゃね?」
「あっはははは」
 グループの1人が僕の弁当箱に飲みかけのオレンジジュースを注ぎ込む。
 誰かが始めればみんなが真似をする。こういうくだらないことほど真似したがる。僕の弁当はあっという間に消しゴムのカスやチョークの粉で無惨な姿にされた。かん高い声で女子が笑う。男子は調子にのってエスカレートする。僕の靴が片っぽが脱がされ、そこに弁当を詰めて机の上に置かれた。
 恥ずかしさとくやしさで目の前が真っ赤になる。でも彼らが怖くて僕は口をつぐんでいる。
 そのとき。
「あんたら、何してんだよ」
 教壇の上から、よく通る女子生徒の声がした。僕を取り囲んでいた連中が一斉に振り返る。
「あ、エリカ…」
 ホンジョウエリカ。
 誰もが彼女には一目置く。モーゼの杖を振るったみたいに、自然に僕の前に道が開かれた。
 さらさらの長い髪と強気な瞳。すらっとしたスタイルに、高校生みたいに大人びたメイクがよく似合ってて、僕も、男子たちも、みんな彼女の前では萎縮してしまうんだ。
 エリカは僕の前に立って、僕の机の上を見た。前髪だけピンで留めてるから、そのキレイな顔立ちははっきり見える。
 その彼女が腕を組んで僕を見下ろしている。僕の胃が縮まっていく。
 やがてエリカは、くっくと肩を震わせた。
「あっはははは。なんだよ、これ。ウケるー」
「な、ウケんべ? これキモオの弁当。靴弁だから」
「おまえら、あたしがいないところで面白いことすんなって言ってんだろー」
「ぎゃはははっ。悪い悪い」
「エリカ、見てこれ。俺噛んだガム入ってるから」
「うわ、汚ねー。あっはははは」
 誰もがエリカの機嫌を取りたがる。誰もがエリカに好かれたがる。
 男はみんなエリカが好きだ。エリカはきれいで、自信にあふれていて、いつも大勢に囲まれて、その中心で輝いていた。
 彼女の兄さんがこの辺の不良の間でカリスマだってこともあるらしいけど、うちの学校では彼女自身がすでにカリスマだった。同級生どころか上級生でも逆らえる人間はいない。
 彼女はこの学校の女王様だった。そして女王の命令は絶対だった。
「……食えよ、キモオ」
 エリカの冷たい声が上から圧しかかる。
「ぎゃははっ。キモオ、食えよっ。エリカの命令だぞ」
「くーえー、くーえー」
 エリカの一言で、クラス中に食え食えコールが広がる。
 脂汗がにじんでいた。エリカが僕を見下ろしている。彼女には逆らえない。
 僕は震える手でフォークを握り、靴弁に突き刺した。ぐにょって変な感触がする。
 ごとん。
 その瞬間、僕の体は後ろに吹っ飛んだ。
 何があったか、すぐにはわからなかった。どうやらエリカに机ごと蹴っ飛ばされたみたいだ。
 みんなで協力して作り上げた靴弁は無惨にも床にこぼれ、後ろでケタケタ笑ってた女子もおおげさな悲鳴をあげた。そして驚異的なキック力を誇るエリカを見上げる僕のメガネも、間抜けな格好に傾いていた。
「気持ちわりーんだよ、キモオ。死ね」
 少し遅れて、男子たちが驚きの声を上げる。
「すっげー飛んだ! すっげー!」
「わはははっ、エリカさいこー!」
「キモオは死ね!」
「ぎゃははははっ!」
 エリカが怖い顔で僕を睨んでいる。胃がますます縮んでいく。
 僕はからっぽになった靴の中に逃げられないか、真剣に考えていた。

「…ぐー…」

 ふと見ると、フリルは虫干しの布団のように鉄棒の上で2つに折れていた。
「フリル?」
「ぷわっ!? 寝てませんよっ。フリルは鉄棒の妖精さんだから寝ませんのですよっ」
「いや、寝てもいいけど場所は変えなよ……」
 不思議なものだ。
 僕は1人になりたくてここに来てるのに、いつのまにかフリルと名乗る女の子と喋るのを楽しみにしている。
 あれからも彼女はいつも僕より先にここにいて、ひとりぼっちで逆上がりをしている。ひょっとしたらこの学校の子じゃないのかもしれない。
 でも、僕にとってはそんなのどうでもいいことだった。ここでしか会えないこの友だちに、僕は好意を抱き始めていた。
 もちろん性的な意味じゃなく。
「それでは今日も健気にせっくすあぴーるに励むですー」
 フリルはパンツを見せながらくるくると回り始めた。
「ごめん。僕、つまんない話をしちゃったね」
「そんなことはないのです。なかなかスリリングで楽しいお話だったです」
「え、そう?」
「あい。エリカ様のキックがお兄さんお兄さんに炸裂するくだりなど、じつにワクワクしたです」
「あぁ、そう。それはよかったよ。本当に」
「じゃあじゃあ、お兄さんお兄さんは、どうしてエリカ様と友だちになって、友だちじゃなくなったですか? ケンカですか? お金ですか?」
「うーん、それを話すと長くなるし―――」
「ぐー…」
「明日にするね」

 そのころの彼女は“オトコオンナ”と呼ばれていた。

「オトコオンナじゃねーつってんだろ!」
 大声上げて男子を追いかけまわすショートカットのエリカ。それはこの教室ではよくある光景だった。
 ぱっちりした目も長いまつげも、白い肌もすらりとした手足もどこから見たって彼女は魅力的な女の子だったけど、あり余る元気や上級生ですら泣かしてしまう腕力は、負けん気の強さも伴ってクラス一の戦闘力を誇っていた。
 今日もまた、やめとけばいいのに彼女をからかってフルボッコにされる男子はあとを立たない。
 僕たちはそういう年頃だった。男子と女子の間にいつのまにか垣根が生まれ、そこを飛び越えるには単純な嫌がらせくらいしか思いつかない頃だった。
 その意味ではエリカはすでに女王様だったのかも知れない。このクラスで彼女の暴力の洗礼を受けたことのない男子なんて、僕くらいだったから。
 僕はすでにイジメの対象だった。でも、今ほど酷くなることは決してなかった。
 当時の僕には、最強のナイトが付いていたから。
「こらー! うちの先生イジメんなー!」
「やべ、エリカだっ。オトコオンナだーっ」
 教室の隅っこの席で僕を取り囲んでいた男子も、彼女の声を聞いただけでいっせいに逃げ出した。
 エリカに勝てる男子はいない。彼女はいつも得意げに僕に言う。
「へへっ、誰かにイジメられたらすぐに言えよ。いつでも助けてやっからな!」
 一応は男の子の僕も、彼女の心強い言葉には複雑な気持ちで頷くしかなかった。
 僕はイジメられっ子で、エリカは正義の味方だった。
 エリカはあまり勉強が得意じゃなかった。僕は勉強だけが得意だった。
 単純なギブアンドテイクだった。
「キミオー。ここ教えてくりー」
 終わったばかりの授業ノートを持って、少し恥ずかしそうにエリカが僕の席にやってくる。僕は「いいよ」と言って机の上を片付けて、隣から椅子を持ってくる彼女のスペースを空ける。
「これね、ちょっと問題文がいじわるなんだよね」
「算数っていつもそうなー」
 エリカはあまり物覚えがよくなかったけど、勉強熱心な子だった。ときには放課後でも僕に質問を持ってきた。
 この時間だけは、エリカも他の男子のからかいに耳を貸さない。僕の真面目な生徒だった。彼女にマンツーマンで勉強を教えていると、僕はなんだか誇らしい気持ちになれる。大好きな時間だった。
 今から思うと、僕がイジメられてたのって、エリカをたびたび独占してた僕への嫉妬もあったのかもしれない。
 そんなある日のこと。
「来週までに全員逆上がりできるようになること。クラス全員が目標だぞ!」
 ゆとりを知らない教師の発言に僕はげんなりした。
 逆上がりを目標にすることを意味がわからない。だいたいにして逆上がりが人生の役に立つことなんて考えられない。逆上がりが採用条件の会社になんか僕は入らないし、ジャニーさんの事務所にスカウトされる予定もない。
 だから逆上がりなんかできなくたって、困ることなんてないんだ。
「全員目標とかウケる。逆上がりなんて2年のときからやってるじゃん。まだ出来ないヤツなんていんの?」
「キミオなら余裕で出来ねーぜ」
「おいキミオ! みんなの足引っ張んなよっ。来週までにできなかったらブッ殺すかんな!」
 でもブッ殺されるのは当然困る。
 仕方なく、とうぶん僕の放課後は、みんなの近寄らないあの鉄棒で練習する予定に決まった。

「あっれー。キミオも練習組なの?」
 するとそこに意外な人物がきた。エリカだった。
「えっと……練習って、エリカも? 君も逆上がりできないの?」
 エリカは恥ずかしそうに「にはは」と笑った。
 意外だった。僕はエリカのことを運動超人だと思っていたから。
「よぉし、それじゃ一緒に特訓しよーぜ! 目指せ、日本一のサカアガラー!」
 日本一は目指さないけど、エリカと一緒というのが僕にとってすごい救いだった。それから僕たちは毎日、放課後のこの場所で逆上がりの特訓をした。
 ほとんどふざけてばかりだった。鉄棒の上に並んで座って、どうでもいいことばかり喋ってた気がする。僕たちは日が暮れるまで一緒に遊んでいた。楽しい毎日だった。
 時々はちゃんと練習もしたけど。
「んー、キミオはもっとお尻上げたほうがいいと思う。グイッと」
「そう?」
「うちが持ち上げてやるから、やってみ?」
「う、うん」
「えいっ、うーん!」
 エリカが僕のお尻を持ち上げる。僕の視界がぐるっと回って、元の場所に戻った。
「やったー! ね、次うちやるから、キミオが持ち上げて」
「え、持ち上げるって、その、お尻?」
「そだよ?」
「で、でもさ」
「早くー。やってやってー!」
「……う、うん」
 僕はドキドキしながらエリカの小さなお尻に手を添えた。デニムのショートパンツのごわごわした手触り。なのに指がくにょって食い込むくらい柔らかくて、びっくりした。
「ちょ、ちょっとっ。ちゃんと押してよ!」
「あ、ゴメン!」
 ぐいっと押し上げる。エリカの体が回転する。
「いえー!」
 エリカとハイタッチを交わしたあとも、僕の顔は熱くてどうしようもなかった。
 その日の夜、僕はエリカが裸で逆上がりする夢を見た。
 夜中に跳ね起きて、ごめんねエリカって、朝まで心の中で繰り返した。自分がこんなにエッチな人間だとは思わなかった。
 バチが当たったのかもしれない。
 事件はその日に起こった。

 いつものように、放課後こっそりと特訓場所に向かった僕たちの前に、数名の男子が待ち受けていた。
「やっぱ来たー!」
 僕たちは彼らの爆笑の意味がわからなくてキョロキョロした。
「俺、見ちゃったもんねー。エリカとキミオがらぶらぶしてるとこー」
「キスしろ、キス! 早くしろよー!」
 いつ見られたんだろう。僕たちはらぶらぶしてたわけじゃない。でも僕は自分の顔が熱くなっていくのがわかった。
 だけど僕より、エリカの豹変ぶりの方がすごかった。
「てめーらー!」
 真っ赤になったエリカが男子の群れに飛び込んだ。片っ端に殴っていく。いつも教室でやってるじゃれ合いの延長みたいなケンカじゃない。本気だった。エリカは泣いていた。
「エリカが泣いたー! やっぱマジなんだぜ!」
「うるさいうるさいうるさーい!」
 泥だらけになって、あちこち服を破いて、エリカと男子たちのケンカは激しくなっていく。僕はただ立ちつくしていた。
「らぶらぶエリカー! 旦那が待ってるぞー。早くキスしろよー」
「うるさーい!」
 男子たちのからかいはモロに僕の心に突き刺さっていた。頭の中がぐるぐるしてた。
 膝を突き合わせて僕の授業を聞くエリカ。息を切らして僕を助けにくるエリカ。僕の隣で鉄棒に昇るエリカ。問題が解けたときの笑顔。不機嫌なときの唇。びっくりしたときの大きな瞳。夢の中のヌード。
 たくさんのエリカで頭の中がいっぱいになって、僕は気がついたら叫んでいた。
「違うッ!」
 男子たちとエリカが掴み合ったまま僕を見た。
 僕は胃がしめつけられる感じがした。
「違う……違うっ。僕はこんなオトコオンナ好きじゃない!」
 僕はテンパってた。今でも死ぬほど後悔している。
 エリカは真っ赤な目で僕を睨んでいた。男子は「エリカがフラれたー」と囃し立てている。
 全身が針で刺されてるみたいに痛い。僕は我慢できなくて逃げ出した。
「逃げんな、キミオー!」
 エリカが呼んでる。でも僕は怖くて振り返れない。
「明日も特訓するからなー! 絶対来いよー!」
 次の日は学校を休んだ。
 そしてその次の日も僕はお腹が痛いとか言って休んだ。一週間くらいそのまま休んだ。
 久しぶりに学校へ行くと、体育はいつのまにかドッチボールになっていた。
 エリカが休み時間にノートを持ってくることも、僕を助けにきてくれることもなくなった。
 彼女はそれからどんどんキレイになり、学校の女王様になった。
 そして僕はあいかわらずの最底辺で「キモオ」と呼ばれるようになり、今に至るというわけだ。

「イイハナシダナー」

 鉄棒の上でフリルが涙を流していた。
「フリル……真面目に聞いてる?」
「もちろんです。フリルは感動しました。予想を全然裏切らないオチが逆に見事でした。お兄さんお兄さんは本当にダメな人です。まさにキモオです」
「悪かったねっ」
 ゴロンと横になって空を見上げる。いい天気だった。
「しかしですね、お兄さんお兄さん。フリルが思うにいつまでも逃した大魚のことを陸で悩んでいても仕方ないのです。男なら黙ってもう一度船を出すべきです。そして今度こそエリカ様を釣り上げてその場で捌いてお醤油でペロリなのです」
「えっ、いや、違っ、僕は、べ、別に……」
 突然何を言ってるんだ。僕は慌てて跳ね起きる。
 フリルは当たり前のことを指摘する先生みたいに、得意げに指を立てる。
「お兄さんお兄さんは今でもエリカ様のことが好きなのですー。フリルにはバレバレのレーなのですー」
 顔がカーッと熱くなる。
 確かにそうだ。僕は今でもずっとエリカのことが好きだ。どんなにひどい目に遭わされてもエリカのことが頭を離れない。フリルの言うとおりだった。
「でもでも、氷河の如く冷え切ったエリカ様の心を溶かすのは今のお兄さんお兄さんには不可能です。キモオさんには無理なのです。フリル困った困ったです」
「……うん。そうだね。僕みたいなキモオじゃ無理だね」
「くるくるー」
 今のエリカは怒った顔しか思い浮かばない。彼女の笑顔を最後に見たのなんて、それこそ小学生のときのこの場所だったに違いない。
「しかし心配するなかれです、お兄さんお兄さん。このフリルには、ピンチになるまでひた隠してきた必殺技があるのです」
「必殺技?」
「そうなのです。必殺えむしー呪文なのです」
「なにそれ? えぬしー? 」
「えむしーです。まいんこんとろーなのです。たった一言で相手の脳みそをクリクリできちゃう無敵の呪文なのです」
「それは……すごいね」
 催眠術とか洗脳とか、そういうことを言ってるんだろうか。子どもっぽい発想だけど、それができれば確かに無敵に違いない。
「これでエリカ様の身体の自由を奪って、思うさま凌辱するがよいのです」
「えっ!? な、何言ってんのッ?」
 びっくりさせる。凌辱って、まさか、こんな小さい子が意味も知らずに……。
「フリルはお兄さんお兄さんの気持ちは何でもわかるです。お兄さんお兄さんはエリカ様をとても愛してるけど、憎んでます。エリカ様を恐れてるけど、独占したいとも願ってます」
 僕のアゴがカクンと鳴った。
「それはとても醜く歪んだ男性的な欲望です。スイーツに例えるならカリントウなのです。でも今のエリカ様との関係を壊すにはそれぐらいで良いのです。その欲望で強引にエリカ様をモノにするしかないのです」
 無茶苦茶だ。
 そんなことができるはずない。絶対におかしい。 
「ありえない。そんなことできないよ」
 かぶりを振る僕にフリルが首を傾げる。
「過去の夢で自分を慰めてるほうがよいのですか?」
 僕の中で、子ども時代のエリカが笑った。
「やるなら今しかないのです。ライバルは星の数ほどスターダストです。いずれ誰かのエリカ様になるくらいなら、お兄さんお兄さんのエリカ様にしたってよいのです。えむしーでゴーなのです」
 エリカを僕の手で。
 それは許されざる想像だけど、僕の中で何かが奮い立つ。僕だって男だ。エリカは僕にとって世界一魅力的な女の子だ。
 でも、それは違う。ありえない。
「……やっぱりおかしいよ。君がそんなこと言うなんて」
 フリルは決して自分のことをしゃべらない。でも、僕にはもう彼女の正体がわかっていた。
 僕とエリカの思い出。放課後の逆上がり。ここでしか会えない女の子。
 フリル―――。

「だって、君はエリカなんだろ? どうしてそんなこと言うの?」

 顔も口調も見た目も何もかも違う。子どもの頃の彼女とも全然違う。
 だけど何か不思議な力で彼女たちは繋がっている。僕にはフリルがエリカだと思えて仕方ない。
 上手く説明できないけど、僕は今、奇跡と出会ってるんだと確信していた。

「はてはて?」

 だけどフリルは唇をアヒルのように尖らせて、いつもの気の抜けた声でとぼけるだけだった。
「フリルはフリルでフリル以外の何リルでもないのです。エリカ様とは業務提携していないのです」
「うそだ。君はエリカだ」
「本当です。フリルはただのフリルです。怒りが頂点に達するとメガフリルに変身しますが今は普通のフリルです。エリカ様とは無関係のフリルなのです。くるくるー」
 じゃなかったら君は誰だって言うんだ。
 ただの小学生? 本物の妖精? エリカの分身?
 どれも本当に思えるし、違うようにも思える。僕の頭は混乱する。
「凌辱です。関係の破壊です。エリカ様のぴーにお兄さんお兄さんのぴーを突っ込むしかないのです。くるくるー」
 そんなことすればエリカに豚のように殺されるに決まってる。
 でもフリルの逆上がりを見ていると、なんだかおかしな気持ちになっていく。
 僕がしたいことってなんだ? エリカに許しを乞うこと? 仲直りしたいだけ?
 それとも、もっと深い関係を望んでいるのか?
 ありえない。僕とエリカの間には山よりも高い壁しかないっていうのに。
 でも、くるくるくるくるフリルは回っている。
 もしも僕がその壁を越えたいと願うなら。2人の関係を逆上がりしたいのなら―――。
「……君の言うとおりにするしかないの?」
「ヤリたちならヤリたいって言えばいいのに男の人って面倒ですー」
「いや、ぼ、僕はッ!」
「恥ずかしがらずともよいのです。フリルはそういうむっつりえっちなお兄さんお兄さんが大好きなのです」
「うう……」
「ではただ今より、お兄さんお兄さんにフリルの必殺えむしー呪文を授けます!」
 フリルは鉄棒の上にストンと座り、こめかみを指でぐりぐりしながら、うんうんと唸り始めた。
「うーん、うーん…むむむっ…ぴぴっ、きたっ。きましたよっ。エリカ様のえむしー呪文の降臨ですっ。なんと、それは…『放課後のフリル』なのです!」
 ピュウと風が吹いて、フリルのひらひらのスカートをめくった。
「……それ、思いつきで言ってない?」
「思いつきなどではないのです。これこそがアカシックなんとかよりフリルが読みとったエリカ様専用のキーワード。いくら傍若無人の破壊神と謳われたエリカ様とて、このえむしー呪文の前では無力な女体に過ぎぬのです!」
「本当に?」
「あい。このキーワードの後に命令を付け足せば、エリカ様の肉体と感覚はそれに従います。エリカ様の意思など無関係です。あとは思うままエリカ様を凌辱して弄んで、お兄さんお兄さんには逆らえないってことを体に教え込んでやればよいのです」
「…すさまじいね…」
「フリルも自分で言ってて膝が震えるです」
「僕は、エリカを傷つけたいわけじゃないんだ」
「あい」
「でも今のままじゃイヤだ。僕は……エリカが欲しい。たとえ卑怯なやり方でも、エリカに僕のことを見て欲しい。どんなに蔑まれても僕はエリカが好きなんだ。誰にも渡したくない。そうなんだ」
「自己欺瞞が済んだらさっさと行くです」
「あぁ、行ってくるよ。ありがとう、フリル」
「気にすんなです、お兄さんお兄さん」
 僕はフリルに礼を言って別れた。フリルの言葉を疑ってなかった。僕はこの小さな友だちを本気で信じていた。
 でも、そんなキーワードを貰っても、どんな場面でエリカに使えばいいんだろう。まさか二人っきりになれる機会なんてありっこない。
 自転車を漕ぎながら、僕はずっとそのことばかり考えてた。頭の中はエリカでいっぱいだ。スケベで卑怯なことでいっぱいで、他のことは考えられなかった。
 僕はただの男の子で、エリカは、僕がどうしても欲しい女の子だった。
 

 
 ウソみたいだけど、チャンスは次の日いきなり到来する。

「だりー。保健室」
 エリカが教室を出て行こうとすると、こぞってみんなが付いていこうとする。
「どうしたのー? 私たちも行こうか?」
「俺も行くぜエリカ!」
「うっさいなー。1人にしてよ。昨夜寝てないんだから」
「あ、なんだ。そんじゃ、おやすみー」
「んー」
 あくびしながらエリカは教室を出て行く。
 僕は1人でゾクゾクしていた。エリカたちがたまに保健室でさぼっているのは知っている。でも今日は1人。エリカだけ。
 信じられないって思いながら僕は教室を出ていた。僕に注目する人なんてクラスにはいなかった。
 無事、到着して僕は扉の前で深呼吸。
 保健室はいつもカギがかかってるけど、誰かがコピーしたカギがエリカたちの間で出回って利用されている。若い保健室の先生は、こんなへんぴなところよりも職員室でちやほやされるのが好きらしく、一日中ここにはいない。
 そしてエリカまでカギをかけ忘れるなんて、考えられないくらい偶然は僕を味方してくれている。
 なぜかフル回転で逆上がりするフリルの姿が頭に浮かんだ。
「誰?」
 ベッドの上で足にネイルしていたエリカが、僕の顔を見て眉根を詰めた。
「え、キミ……オ?」
 変な沈黙の後、スカートの裾をガバッと直して「なにしに来たんだよ!」と、真っ赤な顔でエリカは激昂した。
「入ってきてんじゃねーよ、キモオ!」
 いきなり全開で怒るエリカはおっかない。今日は機嫌が悪いんだろうか。ドキドキする。
 でも、僕にはフリルの必殺技がある。
 エリカにネイルジェルのボトルを投げつけられる寸前に、僕はフリルに教えて貰ったえむしー呪文を叫んだ。

「放課後のフリル! 動くな!」

 ギュッと目をつぶって、衝撃に備える。でも、いくら待ってもエリカの攻撃は飛んでこない。
 目を開けると、エリカが振りかぶった体勢で固まってる。
「てめ……何した?」
 間抜けな格好で目をパチクリさせるエリカに、僕も首を傾げるしかなかった。
「あの、ひょっとして、本当に動けないとか?」
「んなわけ、ない……このっ、くっ」
 エリカの端正な顔が怒りと恐怖に変わっていく。僕は唾を飲み込んで、慎重にエリカに近づく。カギをかけることを忘れずに。
「来んな、キモオ……!」
 彼女はどこまでも強気だった。僕の方が悲鳴を上げちゃいそうだった。
 でも彼女にキモオって呼ばれると、なんだか逆に力が湧いてくる。二度とそう呼ばせたくないって思えてくる。
「放課後のフリル。君は手足に力が入らなくなる」
「えっ?」
 今度はくったりと腕が落ちて、ジェルのボトルが床に転がった。僕はベッドの上がってエリカと目線を合わせた。エリカは混乱で涙ぐんでいる。僕は最低の卑怯者だ。残酷な臆病者だ。
「ごめん、エリカ」
「な、なに?」
「今の呪文で君の体から自由を奪った。僕は君が欲しいんだ」
「いっ!?」
 エリカの顔が真っ赤になった。僕の言ってる意味はわかったみたいだ。
「ふっ、ふざけんな!」
「放課後のフリル。大きな声が出せなくなる」
「えっ…あー…ううー…くそっ……」
「ごめん。本当にごめん」
 エリカを抱きしめる。シャンプーの匂いがする。エリカが体を強張らせた。
「……ぶっ殺す、ぞ……」
 僕も思わず強張った。
 確か入学してまもなく、エリカに無理やりキスしようとしたイケメンの3年生が、その場でエリカに半殺しにされたあげく、エリカの兄さんたちにまでリンチされて2ヶ月入院したとかいう話を聞いたことがある。
 でも、僕が本当に怖いのはそんなことじゃない。
 いつかエリカが、僕の知らない誰かのキスを受け入れるのが怖いんだ。
「うん。覚悟してきたよ」
 エリカの体がびくりと震えた。僕はそのままエリカをベッドに横たえた。
「バカ…やめろ…」
 僕が顔を近づけていくと、エリカはぷいと顔を背けた。
「ごめん」
 僕はその白い喉に唇を押し当てる。エリカは体をくねらせて逃げようとする。でも、手足に力の入らないエリカを押さえるのは簡単だった。
「エリカ、ごめん。ごめんね」
 僕の手はだんだんと遠慮がなくなり、エリカの細いウエストや胸、ふとももをいやらしくまさぐっていく。
「んっ…やっ…ううっ…」
 エリカは唇を噛みしめて羞恥と屈辱に耐えている。僕は罪悪感と一緒に妙に興奮している自分を感じていた。やっぱり最低の男だ。
「脱がすよ」
「やっ! だめっ」
 セーラーの裾をたくし上げていく。エリカの黄色いブラがあらわになる。僕はそれもたくし上げていく。
「やめっ、ちょ、いいかげんにしろっ…」
 初めて見るエリカの胸。白くて丸くて、先っぽがピンク色で。
 僕は心臓が飛び出そうなくらいドキドキした。
「……絶対、殺してやる……」
 エリカは顔を真っ赤にして顔を背ける。僕はエリカの胸に触れて、揉んで、転がした。エリカはじっと唇を噛んでいた。
 僕はエリカの乳首を口に咥えた。
「くぅ……やめろ……」
 エリカの胸にざわざわと鳥肌が立つ。僕はますます興奮する。スカートを大げさにまくり上げる。そして、ブラと同じ色をした下着に指をかける。
「やめ…て…」
 脱がせた。あっさりとエリカの全てが僕の前であらわになる。
 エリカのそこは、生えてないのかと思うくらい毛が薄くて、ぴったりと閉じ合わさっていた。
「……やめ、バ、バカ……」
 そこを指でそっと撫でた。エリカの体がびくりと震えた。
「放課後のフリル。君の体はすごく感じやすくなる。僕の指に触れられると、すごく気持ちいい」
「あっ!? やっ…んっ、あっ…あぁっ」
 僕の指があちこちをなぞるたびに、エリカは短く喘ぎ始めた。唇を噛んで堪えようとしても、敏感な部分に触れるとどうしても反応してしまうみたいだ。
 僕はエリカの全身に触れた。エリカの体がだんだん熱くなっていく。エリカの閉じ合わさっていたそこは、ほぐれるように花を開き、ピンク色のひだから蜜をこぼすように濡れていた。
「エリカごめん。本当にごめん!」
 興奮して喉がカラカラだった。僕はもどかしい思いでベルトを外した。エリカがギュッと顔を背けた。
 僕の先端がエリカのそこに触れる。エリカが震える。少しずつ進入していく。エリカの背中が反る。僕は彼女の腰を捕えて強引に押し込んでいく。
「痛っ、やめっ、止め……っ……」
 プツ、プツ、とエリカの中を開いていく感触があった。
 汗に濡れた体。苦悶の表情。僕は今、エリカをモノにしてしまう。みんなの女王様を壊してしまう。
「あっ、ああッ!? やぁっ!」
 僕は全部エリカの中に埋め込んだ。強い締め付けが彼女の必死の抵抗のように思える。でもそれは、僕が今までに一度も味わったことのない強烈な快感だった。僕はエリカを征服した。
「ふっ、ふっ……うっ……うー」
 エリカが泣いている。固くつぶった目からボロボロ涙をこぼしてる。
 なのに僕は、まだ足りない。もっと彼女を欲している。
「エリカ、ごめん!」
「やっ! 痛っ、痛いっ。ダメ、いッ」
 僕は腰を動かしていた。エリカは本気で痛がってるけど、止められない。エリカを最後まで僕のモノにしたい。僕の欲望を果たしたい。
「放課後のフリル! 君の体から痛みは消える。快感だけになる」
「えっ、あっ、や、なに? あっ、あっ、やだっ、あっ」
 僕は夢中になってエリカを突いた。彼女の表情から苦悶が消えた。戸惑いと、驚きと、快感で表情が色っぽくなる。
 少し浅いところを突くと、大きく「あ」の形で口を開いて、エリカが喉を反らせた。
「エリカ! エリカ!」
「あっ! あっ! あんっ、やっ、ダメ、そこダメ! あっ、あぁっ、あぁんっ」
 すごく可愛い声。
 エリカが今、僕の下で喘いでいる。初めてのセックスで感じてる。
「あん、やっ、んっ! ダメ…ん…気持ち…いいっ…あっ、あぁーっ」
 エリカのくったりした体が、小さく痙攣する。僕は休むことなくエリカの体を揺すり続ける。エリカが甲高い声を上げる。
 気持ちよすぎてどうにかなりそうだ。今すぐトンじゃいそうだ。
 でも、もっと。もっとエリカを味わいたい。
「…キミ、オ……」
 エリカが、僕の腕の下で僕を見上げる。蕩けた瞳。上気した頬。濡れた唇と、荒い息。
 僕の理性は爆発する。
「放課後のフリル! 君は……ッ」
 君は僕だけのモノ。
 もう僕以外の男に触れられても何も感じない。僕しか見えない。永遠に僕の恋人。
 そんなことを言おうとして、ギリギリで踏みとどまった。
「……ごめんッ!」
「あっ、あっ、いいっ、あんっ、あぁっ」
 最低の卑怯者。残酷な臆病者。
 こんな方法でエリカを汚して、一生を独占しようなんて。
「エリカッ、ごめん! 本当にごめん!」
「あんっ、あぁ、あっ、あんっ、いい、いいっ、キミオっ、キミオぉ!」
「エリカぁ!」
 果てる寸前で僕はエリカの中から自分を引き抜いた。意識が一瞬、真っ白になる。どこに出していいのかわからない欲望の塵を、僕は自分の手の平で受け止めた。

「放課後のフリル……君は自由になる」

 僕が背中を向けてる間に、エリカは服を直して保健室から出て行った。強烈な蹴りも罵声もなかった。無言だった。
 現実感がまるでない。今もまだ信じられなかった。
 でも、シーツに残ったエリカの傷痕が、否応なくこれが事実だと僕に知らしめる。
「エリカ……」
 僕とエリカの関係の破壊。
 こうするしかないんだとフリルは言った。
 でも本当に……これでよかったんだろうか?

「はわわわ。まさか本当にやるとは思わなかったです~」

 フリルは僕の告白を聞きながら、鉄棒の上で耳をふさいでガタガタ震えてた。

< 続く >

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