Bloody heart 三話

三話

「アスカ・ヴァレンシュタインです。よろしくお願いします」
 朝のHR。
 教壇に立つ、金髪の美少女は、深々と一礼し……
「そして、さようなら」
 次の瞬間、俺と佐奈に向かって『予想どおり』懐から拳銃を抜き放ち、発砲した。
「!!」
 そして、その銃弾を、佐奈は力場で、俺は『素手で』掴みとめる。
「あの、さぁ……」
 『お決まりの』パニックを起こす生徒たちが逃げないように、教室を結界で佐奈が閉鎖し、俺は呆れた声で今月に入って14人目の『ナゾの転校生(含む、教員、教育実習生)』を睨みつけた。
「オネガイだから、少しはパターン捻って来てくれない? つか、人目のある所ではやめて。いちいち毎回毎回、クラスメート全員分の記憶操作をするの、凄く面倒くさいんだけど?」
「くっ!! き、貴様……」
 銃口をこちらに向けたままの転校生……確か、アスカだったか? を、見ながら、俺は外を指差す。
「お帰りはアチラ。つか、二度と来んな。ぜってー来んな。そして、知り合いその他、あんたの仕事仲間にもそうするように伝えろ。でないと……」
 俺は、掴んだ弾丸をコインのように指で弾き、少女の持つ拳銃を撃ち飛ばす。
「きゃっ!」
「死んでもらうよ」
 それだけを……しかし、絶対の意思をもって宣告し、睨み付ける。
「ひっ!」
 それまで気丈を装っていた少女が、隠しきれぬ怯えを口から漏らし……
「くそっ!!」
 続いて、それを誤魔化すかのように吐き捨てると、教室の扉から逃げ出していった。
「あー、よかった。今度は宗教はいってるハンターさんたちじゃなくて」
「だ、ねぇ」
 以前、キリストだったかイスラムだったか……とにかく、宗教関係の組織に属するハンターたちの集団の攻撃を受けた時はタイヘンだった。『神の御名の元に』だかナンだか吼えながら、バンザイアタックはカマして来るわ、無関係な生徒たちを人質に取るわ、とにかくしつこくしつこく繰り返し繰り返し襲ってきて……挙句、校舎どころか、付近一帯ごと戦術核で吹っ飛ばそうとしやがったのだ。無論、核は爆撃機ごと『消し飛ばして』やったが……それだけで諦めるタマじゃないんだろうな、あいつら。
 閑話休題。
 怯え続けるクラスメイトたちの目線を受け止めながら、俺は嘆息し……指を鳴らした。
 たちまち、クラスメイト全員が俺の術中に『堕ちる』。
「……忘れろ」
『はい』
 そう言って、全員がナニゴトも無かったかのように席につき、HRの残りを終え授業が始まった。

「……そろそろ、限界なんじゃない?」
 放課後の屋上。
 佐奈のつぶやきを、聞くとは無しに聞いていた俺は、ため息をついた。
「かも、な」
 ここに来て、普通の高校生活を人外のバケモノが送る事による『ユガミ』の大きさが、急激に膨れ上がってきた。ひっきりなしのハンターたちの攻撃と、それを覆い隠すための裏工作、そして戦闘の後始末。
「……でもさ、『そろそろ』って事は、まだ少し、余裕があるって事だよな?」
「余裕のあるうちに選べ、って意味に取れない?」
 佐奈の言葉に、俺は沈黙するしかなかった。
「それに……セイ君の力、どんどん弱くなってる」
 事実だった。
 吸血鬼化して以降、俺は最初の佐奈の時以外、全く血を吸っていない。食事は薔薇の花からの吸精のみだ。
「ねえ、いい加減『食事』してよ」
「何度も言ってるだろ……俺は」
 次の瞬間、佐奈は俺を抱きすくめ、そのまま無理矢理押し倒された。
「!!」
「……赤井さんが言ってたわ。『覇王』の力は、本来私が継いだ『媚姫』なんかとは比べ物にならないくらい強い力だって。肉体的にも、精神的にもセイ君を押し倒すなんて、本当は出来るわけがない。ましてや」
 唇を重ねてくる。抗いようもなく、精気が啜られていくのが、わかった。
「セイ君が望まない限り、精をすすったり、まして虜にするなんて不可能。でも……」
「……ああ、分ってる」
 このまま続けられたら、多分俺は、佐奈の奴隷になっちまうだろう。
「だったら、食事をすること。でないと……」
「分ったよ。考えておく」
 それだけ言って、俺は佐奈を『押しのけ』ると、階段に向かって歩き出した。
「もし……そのまま意地を張って弱いままなら、私、今度こそセイ君を奴隷にするから」
 本気の声音だった。
「ん、りょーかい」
 その目処も算段もつかないまま、投げかけられた言葉を背負い、俺は階段に足を踏み出した。

「ハーイ」
 階段を下りる途中、目つきのキツい金髪少女に声をかけられた。
「……また、お前さんか」
 転校初日そうそう俺と顔をあわせた、例の少女――セラ・アーネイが、俺に絡んでくるようになったのも、この呪わしい『縁』とやらが原因と言えなくも無い。
「今日も彼女とデート?」
「……だとしたら?」
「別に。バケモノ二人で仲良くやってればいいわ」
 これである。
 この流暢にジャパ語を操るパツキン少女、何でか知らんが俺らの正体に感づいてる。
 とはいえ、決定的証拠も確証も得ていない。
 あたりまえだ。今の所、それらに関しては徹底的に後始末を済ませているし、もしその正体を完全に掴んだとしたら、好奇心で俺みたいな存在にちょっかいを出してくるわけがなかろう。
 つまるところ……多分、彼女は推理マニアなのだ。
 日常のちょっとした違和感、変化なんかに敏感で、分からない事にクビをつっこみたがる探偵気質の人間、と言い換えてもいいかもしれない。
 とはいえ……
「なあ、セラちゃん。日本人は温厚でおとなしい人間が多いのは事実だが『親しき仲にも礼儀あり』って格言があるんだぜ?」
「『犬も歩けば棒に当たる』とも言うわね。あるいは……」
 ニヤリ、と微笑を浮かべ、つぶやく。
「『頭隠して尻隠さず』」
「はぁ……」
 下手なブラフにため息をつくと、投げやりに答えた。
「なんだ、そんなに俺の尻が見てぇのか?」
「そうね、是非拝見してみたいわ。尻尾くらい生えてるんじゃないかしら?」
『そりゃ佐奈のほーだ』という言葉を飲み込んで、俺は一言。今まで何度も繰り返した忠告をする。
「好奇心は猫を殺すぜ」
 それだけ言って、話を切り上げる。
「ご忠告いたみいります」
 外人にあるまじき流暢さで、返事が返された。

 宙を走る炎を迎え撃つように、もうひとつの炎が相殺した。
 無造作とも呼べる足取りで、炎を放ったライダースーツ姿の銀髪の青年が間合いを詰めてくる。
 ヴァンパイアたる俺は、それに応じるように滑るように地面を歩き……姿を消すと同時に、青年の頭上へとテレポートし、強襲する。
 が、その動きを読み切っていた青年は、目の前に『置いた』炎ごと、切れ味鋭い回し蹴りで頭上の目標を蹴り飛ばす。
 その瞬間、世界が暗転。青年が無造作に放り投げたゴーグルタイプのサングラスが、蹴り飛ばされて宙に舞ったままの俺の体に当たる。
 サングラスが当った程度にしては、重い打撃音。それに続いて、テレポート的な急加速で間合いを詰めた青年が、無数の打撃を俺に叩き込んだ。
『K・O!!』
 機械的な女性の声は、銀髪青年の勝利を告げていた。

「うーあー……勝てネェ」
 軽く頭を抱えて、俺はため息をついた。
 こー見えて、地元のゲーセンでは、ちょいと知られた腕前で、某雑誌主催の全国大会にも出てたりするのだが……
「だめだ、今日はノリが悪い。大人しくギャラリーしてよ」
 実際、俺の調子が悪いのは事実だが、対戦相手の強さは並じゃあなかった。恐らく、絶好調でも勝率は六割そこそこではなかろうか? 単純な腕前では、多分、五分……いや、ことによると四分かもしれん。
 既に筺体の上で点滅する、勝ち抜き数を示す数字が2桁を超え、さらにそれが止まる気配を見せない。
 ……プロだな。今、相手にするのはやめとこう。
 そう結論づけると、ガンシューの台に向かい、コインを入れる。実は、格ゲーより、ガンシューのほうが得意なのだが……そっちのほうは、あまり腕前を披露する機会に恵まれず、せいぜいこの店の片隅にあるハイスコア記録が、日々更新されている事に気がつく奴が気がつくだけである。
 それはともかく、ゾンビの群れを射殺し狂うこと小一時間。ラスボスの猛攻をすべて無傷でしのぎきり、急所に無数の銃撃を叩き込み……
『バンザーイ!!』
「!?」
 突発的な合唱にナニゴトかと思い振り向くと、先ほどの筐体で一〇人程集まった中学生が、諸手を挙げてガッツポーズや何やをして、歓喜を表していた。台には43という数字が点滅しており……ほぼ、その回数分、彼等が負け続けたことを示している。
 ……まあ、気持ちは分らんでもないが、な。
 余所見しながらラスボスを射殺する。一応、前回を上回る新記録だ。
「……」
 ところで、不調とはいえ俺以下、ここのゲーセンの常連を下しまくった奴は、一体どんな顔してやがるんだ?
 そんな好奇心に狩られたのは、俺の失敗だった。
 台の向こうに回り、横から顔を見て……
「!?」
「こんにちは♪」
 金髪碧眼の見知った容貌。
 会いたくない人物が、そこに、いた。
「……ひょっとして、俺のデミ●リ、ボコボコにしたのお前か?」
「オフコースでゴザル、ニンニン」
 勝ち誇った微笑を浮かべながら、確信犯的に間違った日本語を操るセラ嬢を見て、俺はその場でくるりと後ろを向いて戦略的撤退を決め込んだ。
 ……逃げよう。今日は日が悪すぎる。
 自動ドアを潜り抜け、外へと歩き出し……って
「何でついて来るのさ」
「あら、私の勝手じゃない?」
「……あーのーなー、日本にはストーカー規正法ってのがあるの知ってるか!?」
「ワタシニホンゴワカラナイアルヨ、ケイジサン」
 ……こんな調子である。
 ため息をつくと、俺は歩調を速めた。
 それにきっちりついてくるセラ嬢。……っつか、足早ええな。
 で、俺が自宅であるアパートの二階にたどりつくや、彼女はじーっと電柱の影からアパートの俺の部屋を監視しだす。
「……ちっくしょう、あのアマ」
 こうなったら、是非も無い。
 俺は立ち上がると……玄関から靴をもってきて道路から死角になるベランダで履くと、そこから飛び降りて再びゲーセンに向かって逃げ出した。
 で、途中、コンビニに立ち寄り、今日発売の雑誌を立ち読みして……
「ソコは未成年の人はお断りですよ」
「!!!」
 ぽん、っと俺の肩を叩く外国人女子高生名探偵と、それに驚く犯人A。
「だああああ、なんだよ、おまいは! 俺に恨みでもあるんか!?」
 とうとう切れた俺は、思わず店内という事も忘れて、叫んでしまった。
「恨みはないけど、不気味ではあるわ」
「ナニがさ!」
「だって、人間じゃないんだもん」
 プチッ、と頭の中で何かが切れた。
 ええ、もう怒りましたとも。
「ちょっとコッチ来ようか」
 ニッコリと笑いながら、ガッツリとセラ嬢の腕を掴むと、そのままズリズリと引っ張った。
 というか、引っ張られるままに、セラ嬢はついてくる。いや、実にいい度胸だ。

「さて……お前さんには、これから少し、怖い思いでもしてもらうしかないかな、とか思っているんだが」
 人気の無い、ごく小さな児童公園で、俺はベンチに腰掛けながら、目の前に立つ金髪の少女を睨みつける。
「その前に一つ言っておきたい事として述べておくが……俺は殺人を趣味としてるワケでもレイプを嗜む人種でもない文明人なんだよ。
 その辺を踏まえた上で……その胸糞悪くなるような事態を『起こさざるを得ないかもしれない』事も視野に入れたうえで、よくよく考えて返事をしたほうがいい。
 もし、そういうのが嫌ならば、ここから引き返しても結構。ただし、その場合は二度と俺に近寄ってくる事を禁止する。いいかね?」
 睨み付ける。
 もうこれ以上ないくらいの、冷静な怒りをもって。
「うーん……うん、わかった。でも最後に、ちょっとお願いがあるんだけど」
「なんだ?」
「私からの最後の手品、受け取って欲しいな」
 直後、強烈に重い、ボディブローのような一撃が、胸板を直撃した。
「ゲホッ!」
 遅れてくる遠雷のような銃声は、明らかに1キロ以上はある遠距離からの一撃である事を示していた。
 法儀式済み銀弾頭を用いた、対物ライフルの直撃。
 何度か身に憶えのあるソレに、ベンチの背もたれごと体が吹き飛んで、背中から植え込みの木に体が叩きつけられる。
「ごっ……ふっ!」
 避けようとして、思い止まる。すぐ後ろは民家だ。
 あのライフルの破壊力、貫通力を考えると、背中にある木を貫通して民家に大穴を空けかねない。
「ぐぉぅ!!」
 そのまま、急所を腕でかばって体を守る。情け容赦ないタバスコ瓶のような弾丸の攻撃が、夜の静寂に轟音を刻んでいく。
「痛っ……っだぁ! きっ、効いたぞチキショウ!」
 悪態をつきながら、そばにあった花壇のレンガを引っこ抜く。
 既に発砲炎は確認済みだ。
 俺は銃撃を試みたハンターの居る場所に向かって、思いっきり手にしたレンガをブン投げた。
 ゴバァン、と何かが破裂する音。当たり所が悪くて、銃弾か何かがはじけたのか……それで、夜に静寂が戻った。
「あー、痛ってぇ……」
 着弾の衝撃で服がボロボロだ。クッソ、これ気に入ってたのに。
 とりあえず、魔力を用いて適当にありあわせの服を『作り出す』。
「……で、これが手品ってか?」
「そう。今の彼が最後。もう私は用なし、って事」
 哀しげな目で、セラは語った。
「……どういうことだ?」
「私ね、フリーの妖魔情報屋なの」
 苦い笑いを浮かべながら、先ほどの攻撃を生き残った別のベンチに座るセラ。俺もその隣に腰を下ろした。
「上手く説明できないんだけど……物心ついた時から、私は妖魔と人間の違いを簡単に見抜けた。
 最初はおっかなかった。すごく。
 『わかる』だけで、祓ったりする力なんて持ってなかったからね」
 俺の隣に腰掛て、淡々と語るその顔には、自嘲の笑いが張り付いている。
「だから人の中に隠れた妖魔や悪魔……日本風に言うなら怪(もののけ)とでも言うのかな。
 そういう連中を見つけ出して、退魔機関やフリーのハンターたちに、情報を売るのをお仕事にしてたの」
「それが用なし、ってコトは……」
「そ、あんたが原因。
 あんたと佐奈さんに張り付いて、イロイロ情報流してたんだけど、もー非常識なまでに強すぎてさ……私の信用、本気でガッタ落ち。もうこの業界じゃ、食べていけない……どころか、私もあんたたちとグルだと思われちゃう始末でさ」
 セラ嬢の顔に、自嘲の笑いが歪み、涙が落ちる。
「っていうわけで、筋違いとはわかってるんだけど苦情を言いにきたのよ。一応、死人はあんまり出してないけど……それでも私込みで結構、恨まれててさ……いや私の勝手っていうか自業自得なんだけどね」
 うなだれたまま嗚咽交じりの告白を続けるセラ嬢を、俺はどう扱っていいか分らなかった。
 と……ぐいっ、と涙に濡れた顔を拭うと、彼女は悪びれもしない笑顔で俺に向かって、
「まーなんつーかさ、グチを聞いてくれてありがと。じゃーねー♪」
 次の瞬間、先ほどの轟音の比では無いが、それでも乾いた、鋭い火薬の音が響いた。
 ベンチに座ったまま、胸に紅い花を咲かせた彼女が、そのままズルズルと笑顔のまま、俺に倒れこむ。
「……おい?」
 一瞬、何が起こったのか分らなかった。
 報復。
 俺がそう悟った時点で、既に彼女の心臓は止まっていた。
 組織だって動く退魔機関が、そういった非合理な事をすると思えないから、おそらくフリーのハンターの仕業だろう。
 無論、彼女はそうなる事を知っていたはずだ。
 あるいは、失墜寸前の信頼を得るために、自分の命を担保にして俺をおびきだしていたか。どの道、殺される事を知っていながら、防弾装備の一つもしていた様子もない。
 すなわち……これは自殺である。
「おい、テメェ、コラ! 冗談だろ!?」
 俺の問いかけに、目の前の金髪の少女は答えず、ただ反射的に筋肉の反応で血を吐き出した。
「……困った」
 いや、ナニが困ったって……目の前で一方的に苦情を言うだけ言って自殺である。
 そりゃ鉄砲で撃たれたり魔物狩りな方々に情報を流されるのも洒落にならないが、『イヤガラセ』という範疇で考えるならば、これ以上の事は無い。
「このアマ……なんつー事を」
 と、そこで俺は思い至る。
 こいつは既に死を覚悟していた。
 なら、それをさせない事が、この女の『イヤガラセ』に対する返礼というものではないだろうか?
「……やってみるか」
 脳のほうはどうだか知らないが、既に心臓は破裂していると思われる。
 現代医療が手を施せない状態である以上、どうせダメで元々だ。
「んぅ……」
 唇を重ね合わせ、口から溢れた血をすする。
 美味い……
 気がつくと、夢中になって口内にあふれる血を嘗め尽くしていた。
 伸びた牙が朱に染まりながら、貪欲に血を啜っていく。
「……これって、首から吸っても意味ないよなぁ?」
 なんせ血液を巡らせるポンプである心臓そのものが破損しているのだ。いくら大動脈の通う首筋とはいえ、心臓が無ければ血は動かない。つまり血を吸えない、という事だ。
「しょうがない」
 ベンチに横たえ、服を脱がせる。確かなふくらみの谷間に刻まれた銃創の下が、そのまま心臓の位置だ。
「さあ……覚悟しろ」
 ズブリ。
 胸元の谷間に、直に牙を突き立てる。
 かつて心臓と呼べる人体の部品であった、原型を辛うじて保っている『ソレ』から血をすすりあげ、その代わりにヒトという存在そのものを堕落に貶める毒が送りこまれる。
 快楽と支配の瞬間。
 破損した心臓が、糜爛し、ドロドロに溶かされ……やがて、牙を突き立てた俺の意思に従って、形づくられ、再生していく。だが、その心臓から送り出されるのは、血と同じ赤でありながら、決定的な部分を違えた猛毒だ。
 突き立てられた牙を埋め込んだまま、再生した心臓が拍動を始めると同時に、その魔力が、かつて、セラ・アーネイという個人のものだった肉体を、伊藤清吾という吸血鬼に従属する存在(モノ)へと変貌させていくのがわかる。
「んっ……ぺっ! ああ、吸いにくかった」
 心臓を突き破った銃弾を吸って吐き出すと、今度こそ体を抱き上げ、首筋に牙をあてがう。
「それじゃあ改めて……いただきます」
 突き立てる。
 再生させた心臓が送り出す血を啜りながら、首筋からも支配の猛毒が送り込まれていく。微かに残っていたセラ自身の血が、こうしてすげ替えられていく。
 正直に言おう。
 俺は、初めてと言ってもいい、吸血に夢中になっていた。支配欲、性欲、食欲。全てを満たすその行為に。
 そして……
「んっ……あ……」
 腕の中で、微かに彼女の肢体が悶えはじめたところで、一瞬の躊躇の後……俺は牙を離した。
「あっ…かっ、がはっ!! がっ、ごふっ、ごふっ!!」
 おそらく、肺に溜まっていたのであろう自分の血を、壮絶に吐き出す。
「げほっ、げふっげぇっ……えっ……あ……ここ…っごほっ!! ……な、んで」
「気がついたみたいだな。ほら、肺にたまった血を吐き出せ」
 状況の飲み込めていないまま咳き込む彼女の背中をさすってやる。
「気分はどうだ? 体に痛むところはあるか?」
「……いいえ、どこも悪くないみたい……というか……自分の体じゃないみたいに……ふわふわ……」
「そうか、よかった。まあ、じきに慣れる」
 ここまでしてやったのだ。何か欠陥があった日には片手落ちである。
 おっと、そうだ。忘れてた。
「イヤガラセにしては上出来だが、すこしやりすぎだな。今後、イヤガラセ目的の自殺は絶対禁止だ」
「えっ……」
 言葉に『力』を込める。それだけで、血をすすって支配した存在に命令を下すことができる。
 それは絶対の言葉として、対象を縛り、支配する事が可能だ。
 だが……
「以上、俺から与える『命令』はそれだけだ」
 暫し、呆然としたまま……やがて、絶句した表情を浮かべるセラ。
「そ、それだけ? え……」
「なんだ?」
「いや、だって……その……私、あなたに血を……す、吸われたんだ、よ……ね?」
 首筋を触る。紛れもない吸血痕の感触に、ブルッ、と身を震わせるセラ。
「ああ、吸った。それ以外に手がなかったからな」
「そ、それってつまり……」
 モジモジと恥らう彼女を一瞥し、俺はベンチから立ち上がった。
「手段がそれしかなかったから吸った、言わば緊急措置だ。別にお前の体が欲しいわけでもない。カンチガイすんな。
 あと、別に嗅ぎまわるのは構わんが、俺と佐奈との事は、あくまで個人的な興味の範囲に留めておいてもらいたい。できたらこれ以上、他所の組織に情報は売らないで欲しい」
「……それは命令?」
「いや、オネガイ。命令じゃあないから、強制はしない。まあ、この状態で何かが出来るとも思えないが……一応、言っておく。
 俺はお前さんを支配するつもりはないし、したくもない。ただ……まあ、なんていうか……俺は、普通に暮らしたいだけなんだ。だから、騒動に巻き込むのはカンベンして欲しい」
「…………」
 沈黙するセラ。その目は、何か信じられないモノを見たように見開かれている。
「頼む……おねがいだ。このとおり」
 頭を下げる。ますます、彼女は目を丸くした。
「……ふーん」
 暫しの沈黙。その後、彼女はなにやら意図の読めない笑みを浮かべる。
「……ねぇ、なんで私があなたに近寄ったか、分る?」
「おっかねぇからだろ? その正体を探りながら、直接手は下さずに他人に排除させようとしてた。案外、それがお前の『いつもの手口』なんじゃないのか?」
 この女は『情報屋』だ。
 意図的に情報を操作する事によって、自分の身の安全を確保しつつ対象の情報を探る事くらい、平気でやると推察できる。
 故に……襲ってきたハンターの何人かは、俺の手の内を探るためのスケープゴートとして利用されていたとしても不思議ではない。
「それもあるけどね……本当を言うと、それ以上に私、腹が立ったの。
 だってさ、人間の私がこんな魔眼を持ってるだけで、普通の生活を送れないのに、あんたや佐奈さんは『完全なバケモノ』の分際で、こうして生活しようとしてるじゃない? それって、不公平だと思わない?」
「それは……」
 分っている。
 この身は化物。
 人の生き血を啜りながら夜を渡り歩く『魔』そのものだ。
 だが、それでも……
「だからどうした。
 俺は伊藤清吾だ。だから伊藤清吾である事を放棄しない。逃げない。
 それだけだろ?」
「それよ……」
 ぽつり、と呟くセラ。
「そういうのが、一番ムカつくのよ……だから」
 次の瞬間、はだけたままの上着を、セラは完全に脱ぎ捨てた。
「お、おいっ!」
「大声出すわよ……」
「っ! セラ、上着を着ろ! 大声を出すな!」
 目をそらしながら、強制的に言葉に力を込め、服を着させる。だが、着た瞬間にまた脱ごうとする。
「やめろ、服を脱ぐな!」
 服を脱ぐのを止めるセラ。だが、その口元に笑みが浮かび……
「げっ!!」
 異臭と共に、小水を垂れ流しながら、立ったまま股間と胸に手を伸ばし、服の上から激しくまさぐりはじめる。
「な、なっ!?」
「んっ……早めに壊れちゃえるかな……私」
 最早、明らかな狂気を瞳に宿して、自分で自分の体を弄ぶセラ。
「公衆便所になっちゃえば、簡単に狂えるかなー。っていうか、死なせて欲しかったんだけどさぁ……酷いよぉ、責任取ってよぉ」
 泣きながら、それでも自慰行為を止めないセラ。
「ば、バカヤロウ! 普通は止めるだろう! っつーか、イイカゲンにしろよ!」
「死なせて欲しかったのよ! もう生きたくないの! 私あんたみたいな強い人じゃないのよ!? 望みもしない力に怯えて、ガタガタ震えて、なんとか情報屋で食べていけるようになって! 失敗しちゃって化物の体!? イイカゲンにしてよ! 私の人生なんなのよ!」
「そりゃ、お前……」
 分ってる。
 こいつは弱いのだ。
 全ては、力に負けた己が招いた責任。そう言い切って捨てるのは正しいのだが……
「……死にたいのか?」
「ええ! そうよ! 私、死にたい!!」
「狂いたいのか? もう人生要らないんだな?」
「もう誰からも信用してもらえない情報屋よ。生きる価値なんて無いわよ!!」
「そうか……んじゃ」
 一瞬、躊躇した。
 だが……これしか、この女を生かす手段が、他に見当たらなかった。
 なんせ、一度『生かす』と決めて死の淵から救ったのだ。最後までケツは拭かねばなるまい。この結果は、人物を見抜けなかった己の傲慢が招いた過ちだ。
「俺の奴隷にするしかない、か」
 嘆息する。
 誰に萎縮せず、誰に怯えず、誰を支配せず、誰を蔑まず。
 これまで歩んできた人生のポリシーに反さねばならない。
 その事は俺にとって、伊藤清吾という人物にとって、かなりの苦痛であり……いわば、敗北だ。
「俺は、お前を『生かす』と決めた。お前は死にたいとか言ってるが……正直、それは俺には関係無い。俺が『生かす』と決めたら、何があろうとお前には生きてもらわないと困る」
「……いいわ、好きにすれば? どうせ……どうせ、私にはもう何も無いのだから」
「安心しろ。せいぜい、立派な『ご主人様』を演じてやるさ」
 抱きすくめる。
 血の止まった吸血痕に、再び牙をあてがい……今度こそ、深く、深く牙を突き立てた。

「気分はどうだ?」
 十分後。
 そこには、完全に伊藤清吾という存在に従属し、支配下にあるセラ・アーネイという存在が在った。
「……最高です、ご主人様」
 かつて、魔を宿したその碧眼は、虚ろに染まりながらも歓喜の色を湛えてやまない。
「さて、主として奴隷に問う。お前の望みはなんだ?」
「……願わくば、ご主人様のお傍に永遠に仕えさせてください。この浅ましき我が身に相応しい、歓喜と快楽と共に……」
 最早、在り方そのものが、俺を抜きには語れぬ存在へと成り果てた金髪の少女は、その場でひざまずくと頭を垂れる。
「それがお前の望みか?」
「はい!」
 嬉々として答えるセラに、俺は一抹の哀れみを感じた。
 弱さ故に。
 こいつは、こいつであることを捨てた。それを俺は責める事ができない。その資格も、なかった。
 ため息を一つ。それが、精一杯だ。
「あっ……」
 セラの体を抱き上げ、俺は夜の闇に飛んだ。
「まだ、体が安定しないだろう。俺の家で、まず体と服を洗え」
「はい、ご主人様」
 満面の笑顔を浮かべ、奴隷は主に仕える喜びに身を震わせた。

< 続く >

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