『VS.Programmer』上
――――――――――――――――――――
0.『MNOLOGUE―Poor Girl, Nothing Came to Her.』
待てば海路の日和あり、という言葉がある。
焦らずに待っていれば、そのうちにきっといいことがあるという意味のことわざだ。
じっと、耐え忍んで、待つ。
あたしはそうやって、ずっと機会をうかがっていた。
何回か、思わず言ってしまいそうになったこともあったけど、じっと我慢した。
それはとても辛いことだったけれど、あたしはことわざを信じてた。
ずっと、待っていた。
いつか、彼が振り向いてくれることを信じて。
海は、いつまでも荒れたままで。
機会は、とうとう来なかった。
――――――――――――――――――――
1.『INNOCENT―I Know Everything, and I Love You.』
誰にでも、人生で一番幸せな時期というものが存在する。
絶頂期、とでも言えばいいだろうか。
なにをしても幸せ、世界の全てが自分を祝福してくれているような気がするような時期だ。
ちなみに俺、初架創は、ただいまそれの真っ最中だった。
「創くん、どう? 似合ってる?」
午前八時五十五分。つまり、待ち合わせ時刻の五分前。
待ち合わせ場所であるでっかい花のオブジェの前に来た朋美は、服を見せるようにしてくるりと一回転した。スカートが浮き上がり、彼女の白いふくらはぎが見えた。
彼女が今日着てきた服は青のワンピース。清楚な雰囲気の彼女と、とてもよく似合っている。
「うん。すごいかわいい」
俺がありのままの感想を言うと、彼女は恥ずかしそうに顔を赤らめた。自分から聞いておいてなんだという感じだが、それがまたかわいい。
今日は、彼女と付き合いだしてから初めての日曜日。
俺と朋美は午前九時に、近くの美術館前で待ち合わせをした。
この行動を説明するなら、「日時や場所を定めて異性と会うこと」(by広○苑)となるだろう。
つまりは、いわゆるデートというやつだった。
初デートである。
人間が生きていく上で、何事も一度は初体験というものがあるのは、当然のことだ。
でも、これほどまでに心躍る「初」は、正直もうない気がする。
そんなたわいもないことを思いながら、俺は朋美と連れ立って美術館に入った。
この美術館は、一般に想像されるものとは違い、全ての美術品が屋外に展示されている。
いわく、「自然との融合」だそうで。
その為、敷地の半分は森、残りの半分も芝生の草原という構造だ。
当初は商店街でウィンドウショッピングでもしようかと思っていたのだが、彼女は落ち着けるところの方がいいと言ったため、ここにすることにした。
そして、今。
俺はその選択をした自分を、全力で褒め称えたい気分だった。
「すっごーい! 見てよ、創くん! 綺麗だね!」
そう言って木に紛れるようにして吊るされた、葉っぱの形をしたステンドグラスのオブジェを指差しながら朋美が元気にはしゃぐ姿を、俺は微笑みながら見る。
頬が緩んでいるのが、自分でも分かる。
我ながらバカップルだとは思うが、好きなんだからしょうがない。
しょうがないんだ。
「あ、この犬かわいい!」
ひょうきんな目をした黒い犬のオブジェを嬉しそうに撫でながら笑う朋美。君の方がかわいいとはさすがに言わない。
「その犬、全部で五匹居るらしいよ」
先程入手したパンフレットからの情報を教える。
「え、ほんと? じゃあ、一緒に探そうよ!」
「もちろん。……あ、あれがそうじゃない?」
「あ、ほんとだ!」
言うなり、彼女はそれに向かって走っていく。
楽しんでくれて何よりだが、しかし、ものすごい元気だ。
新しい犬に向かって無邪気に走っていく彼女の後ろ姿を眺める。
恐らく、いろいろとストレスが溜まっていたんだろう。無理もない。一応解決したとはいえ、記憶は消えないのだから。
「三匹目、見つけたよー!」
だから、こうすることで少しでもそれを忘れることができたらいいと。
はしゃぐ朋美の姿を見ながら俺は心から思った。
ここの美術館は広い。おまけに今日は人がまばらな為、こっそり何かしたとしても、森の中ならばほとんどバレる可能性はない。
というわけで、俺たちはひとしきり見て回った後、昼御飯を食べることにした。
朋美が持ってきたシートの上に、向かい合って座る。
彼女の手作り弁当だった。
「上手くできてるかどうか、わからないけど……」
そう言いながら不安そうに包みを広げる姿を見ては、「味見しなかったの?」とかは冗談でも言えない。
さて。
一体どんなパターンで来るのか、と俺は段々とその姿を現しつつある弁当箱(二段重ね)を見ながら考える。
いち、おいしい。
に、ふつう。
さん、まずい。
番外編として、ありきたりなエロゲみたいな「食べ物じゃない」という選択肢もあるが、さすがにそれはないだろう。
つまり、三択である。
そんなことを考えているうちに、敵陣営(一軍)が明らかになった。
……ふむ。
おかずはハンバーグに唐揚げ、卵焼きに野菜炒めという、至って普通のメニューだ。あえてここでこちらの度肝を抜くという作戦はとらないらしい。ひとまず、第一関門は突破。
というか今思ったけど、一生懸命作ってくれたであろう食べ物を、敵扱いするとかやっぱりないな。
そう反省しながら、俺は渡された箸を卵焼きへと伸ばす。捕獲。
どきどきしながら卵焼きを口に運ぶ俺を、それ以上にどきどきした面持ちで見守る朋美。
口に入れ、咀嚼する。
「……どう、かな……?」
恐る恐る、と言った様子で朋美が訊ねてくる。
「……」
「や、やっぱりだめだった?」
「…………」
「ご、ごめん。ダメだったら食べなくていいから……」
「……………いや、普通においしいよ」
もっと焦らそうかとも思ったが、うろたえる朋美がかわいそうだったので普通に返事をする。
朋美の緊張が一気に解けたのが、傍目から見てもわかった。
「ちょっと……! それなら最初から言ってよ!」
「ごめん、あんまり初々しかったもんだから」
そう言いながら、次に唐揚げを食べる。うん、おいしい。
してみると、朋美の料理のスキルはかなりのものらしい。安心だ。そう思いながら、俺はご飯が入っているであろう二層目を開けた。
「……」
「あ……」
箸が、止まった。
ご飯には、田麩でハートマークが描かれていた。
「…………」
「……あ、あは?」
照れくさそうに笑う朋美を見て、俺は思った。
さすがにこれはないだろう、と。
なんだかんだ言いつつ、俺は全てを残らず平らげた。
朋美は空になった弁当箱を満足そうに眺めると、それらを片付けた。
そしてシートの上を綺麗にすると、俺の方を向いて姿勢を正し、口を開いた。
「……実は、創くんに、話があるんだ」
「……話?」
「そう。大事な、話」
そう言う朋美の目は真剣そのものだ。
先ほどとは打って変わったその雰囲気に、俺も居住まいを正した。
「……話っていうのは、私があの男にされたことについてなんだけどね」
「……!」
「私があの男にどんなことをされたのか、知ってもらいたいの」
「……どんなことを、されたか?」
「……うん」
そう言った場合の「あの男」、とは、ニクノカタマリ以外の何物でもないだろう。
でも、朋美は、それをトラウマに思っていたはず。
どういう心境の変化なんだろうか。
「……創くんがどう思っているかわからないけど、私、多分創くんが思ってるほどキレイな人間じゃないよ」
「そんなこと……!」
「いいから。……聞いて、ください」
そう言って彼女は深呼吸を一つすると、ぽつりぽつりと語りだした。
これまでに彼女が、ニクノカタマリにされたことを。
壮絶、だった。
処女こそ奪われなかったものの、朋美はニクノカタマリにあらゆることをさせられていた。
フェラチオはもちろん、足の指からアナルまで、ニクノカタマリの身体中余すところなく舐めさせられた。
オナニーショーや、篠崎さんとのレズプレイもさせられた。
首輪をつけられて犬みたいに扱われたり、その格好のまま露出まがいのことまでさせられた。
聞いているだけで怖気が走るようなことを、羞恥と屈辱で身体を震わせながら、朋美は必死に話してくれた。
彼女がすべてを語り終えたあとも、俺はしばらく動悸が治まらなかった。
酷すぎる。
こんな傷を、これから先も抱き続けていなければいけないなんて、何かの悪い冗談としか思えない。
朋美は、こんなにもいい子なのに。
「……どう? 汚いでしょ、私。あはは、それなのに、黙って創くんに抱いてもらったりなんかして。創くんの思ってるような女じゃ、なかったでしょ?」
そう、自嘲とともに問いかける朋美の声は、これ以上ないほどに痛々しくて。
だから俺は、そんな些細なことでそんなにも思い詰める彼女に、とてつもなく腹が立った。
「は、なにが『創くんの思ってるような女じゃない』だよ。馬鹿にすんな!」
「え……?」
きょとんとする朋美。かまわず俺は続ける。
「知ってるに決まってんだろ! 朋美が、そういう女だってことは! 恋人には自分のトラウマすら話せる、これ以上ないくらい最高の女だってことは!」
「ち、違う、そういうことじゃなくて……」
「は、じゃあ何だってんだよ! 俺、前に言っただろ。俺は朋美が好きだって。それすら疑うってのか!?」
「え……、あ……」
「俺はな、自分の彼女をありのままに受け入れられないような、そんなクズなんかじゃない!」
そう言い切って、俺は朋美の目を見つめた。
どこも、汚れてなんかいなかった。
どこまでも、澄んでいた。
まるで、彼女の心のように。
「愛してる」
宣言した。
世界中の奴らに聞かせてやりたかった。
俺は、朋美を愛していると。
この、どうしようもなく哀れで、これ以上ないほど最高の女性を、愛していると。
「………創、くん」
「なんだよ? 言っとくけど、これだけは譲れないからな。どんなに朋美がいやがっても、俺はずっと愛し続けてやる。安心したか?」
「……………創くんっ!」
朋美が、顔をくしゃくしゃにしながら飛び込んできた。
俺の胸に顔をうずめ、何度も何度もしゃくりあげる。
「私、怖かった! 嫌われちゃうんじゃないかって! 汚らわしいって言われないかって! でも、もっと嫌だったの! 騙すなんて嫌だった! 黙ってなんかいられなかった! だから、だから……っ!」
「ああ、わかってるよ」
俺はそういって、できる限り優しく朋美を抱きしめた。柔らかかった。いいにおいがした。
「ごめんなさい、ごめんなさいっ……!」
「馬鹿だな、なんで謝るんだよ?」
「だって、だって……! わかんないよぉ……! ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいぃ……!」
何がなんだかわからないんだろう。彼女はひたすら謝罪の言葉を繰り返す。
だから、許した。
彼女がこれまでにされた仕打ちも、俺にしてきたことも含めて、彼女を全て許した。
彼女は、暖かかった。
どのくらい、時間が経っただろうか。
「……ね、抱いて?」
朋美はひとしきり泣いた後、赤く腫れた目で俺を見つめ、そう言った。
「え、ここで?」
いくら人が来ないとはいっても、ここは外だし、美術館の中だ。
でも、彼女は考えを変えなかった。
「うん。私、今ここで、創くんと一つになりたいの。……私のこと、愛してくれるなら、抱いて」
そう言う朋美は、すでに覚悟が決まっているようだった。
「……わかった」
そこまで言われたら、俺も覚悟を決めるしかない。俺は、朋美をシートの上に横たえた。まずは、軽くキスをするつもりで、口を近づける。
だが、唇が触れ合った途端、朋美は俺に抱きつき、舌を入れてきた。
朋美の予想外の行動で呼吸ができなくなった俺は、無意識に強く朋美の口を吸った。口内の唾液を残らず啜って、それでもなお足りずに朋美を求める。右手で彼女の胸をまさぐり、左手は頭の後ろにまわして強く抱き寄せる。彼女の身体が震えた。
「………ぷはぁっ!」
長い、時間にして数十秒のディープキス。無呼吸で朦朧としながらも、朋美はなおも俺の顔中にキスをしてきた。俺は右手はそのままで左手を彼女の背中へと下ろし、ワンピースの紐を解いた。そして、ゆっくりと片方ずつ肩を出させる。そして、右手を胸から離し、両手でワンピースを下に脱がした。
全身があらわになり、俺は一旦彼女から離れてその姿を見た。赤く上気した頬に髪の毛が張り付き、それが言いようのない色気を醸し出していた。
淡い水色をしたブラジャーを下にずらすと、控えめな乳房があらわれた。俺は右側の乳首を口に含み、もう片方を左手で摘む。
「あんっ!」
彼女の口から、喘ぎ声がもれた。俺は気を良くし、残っている右手で後ろから彼女の尻を揉む。
「んあっ! は、創くん、いいよ……んんっ!」
甘い吐息が顔にかかる。それだけでこっちも気分が高まってくる。俺は彼女のパンティーも脱がし、股の間の秘所に指を這わす。くちゅりという音がした。濡れていた。俺は口を乳首からだんだんと下へと移動させていく。
「あ、あの、創くん? どこ舐めてるのかなー、なんて……」
臍を過ぎた辺りで彼女は不審に思ったのか、おそるおそるといった感じで聞いてきた。俺は返事の代わりにどんどんと舌を進める。やがて、俺の顔の前に朋美のアソコがアップで映し出された。淡いピンク色のそこは流れ出た愛液でてらてらと光り、俺の息があたるたびにひくひくと蠢いている。鼻血が出そうになった。
俺は陰唇の上、包皮を被ったままのクリトリスを皮の上から軽く舐める。
「ふああっ!? ちょ、ちょっとどこ舐めてるの!?」
「ん? ああ、朋美のクリトリスだよ」
「ちょ……っ!!」
朋美は俺の言葉に、羞恥で真っ赤になりながら口をぱくぱくさせた。かわいいなあ。
俺は舌で皮を剥き、姿を表したそれにそっと口づけをする。
「んくっ!? ま、待ってっ……! あっ、だめっ! そ、そこ、汚いから……」
「大丈夫だって」
「え……?」
「朋美に、汚いところなんてないから」
そう言って、俺はその充血した豆を舐め上げた。
「ひゃうんっ!? あっ! あんっ! ま、待っ……んあぁっ!!」
俺の舌が触れるたびに、朋美の身体が電気を通したように跳ねる。
それが面白くて、俺は更に調子に乗る。陰核の下にある、先ほどから愛液を流し続けているアソコに指を入れてみた。そしてそのまま舌と指でリズムよく刺激する。
「んはあっ! やめてぇっ! か、感じっ! 過ぎ、んああっ!! だめ、汚いよぉっ!!」
喘ぎ声に混じる制止を無視し、愛撫を続ける。愛液の量はますます増える。時々それを啜り、朋美の味を存分に味わいながら、俺は様々に彼女の秘所を舐め、咥え、肉豆を転がし、指を出し入れする。彼女の身体の震えが大きくなってきた。
「ん、んんっ! 待ってったらっ! あ、あ、あっ! 私、もう、んああっ! だめ、イっちゃうからぁっ……!」
「じゅ、ずずず、れろ……、いいよ。イっちゃっても」
「あ、だめなの、ほんとにだめ……っ! ん、んあっ! ん、ん、イっちゃう、イっちゃうよぉっ……!」
俺は頃合いを見計らって、クリトリスに吸い付いた。朋美の身体の震えが一瞬止まり、
「ん、んああああああああああああぁぁぁぁぁっっっっ!!!」
次の瞬間大きくのけぞりながら、彼女は盛大に達した。潮を吹いた。アソコから飛んだ愛液が、俺の顔を濡らした。
四、五回大きく震えた後、朋美はぐったりと脱力し、荒い呼吸を繰り返した。
「うう……、イっちゃった……」
余韻でやや焦点が合っていない目をしながら、呆然とした口調で彼女はそう呟いた。
「こ……こう?」
「うん。そうやって、そこの木に手をついて」
「わ、わかった……」
少しの後。
回復した朋美は、俺の指示に従って木に手をつき、そのきれいな尻を俺の方に向けて突き出していた。
「こ、これ、恥ずかしいんだけど……」
そう言って俺の方を振り向く朋美の、突き出された桃のような尻を撫でる。
「ひゃんっ!?」
すべすべしていて柔らかく、それでいて弾力のある感触を楽しみながら、俺はもう片方の手を彼女のヴァギナへと伸ばし、両手で彼女を刺激する。
「あっ、あっ、ああっ! は、創くん、もういいから、早く……っ!」
すっかり欲情に濡れた目で、朋美は俺に訴えてきた。確かに、少し焦らし過ぎたかもしれない。俺もそろそろ朋美の中に入れたいという欲求を抑える限界が来ている。
俺は自分の一物を取り出すと、彼女の秘所にあてがった。
「……いくよ」
「うん、来て……あああっ!」
頷いたのを見て、突き入れた。朋美の中は熱く、壁が俺を様々な方向から締め付け、吸い込んでくる。少し腰を動かすだけで、ものすごい快感が襲ってくる。
「ふあっ! ああっ! あん、創くんっ! きもち、いいよぉっ!」
「お、俺も……っ! 朋美の中、すっごい気持ちいい……!」
「んっ、んっ! あ、もっと、もっと突いてぇっ!」
言われた通りに、がむしゃらに腰を振る。入れるときには締め付けられ、引くときには吸い込まれる感覚に、まるで膣自身が意志を持って俺の肉棒を愛撫しているような気すら起こる。それほどまでに、朋美の中は気持ちがいい。
「んあ、ああっ! は、創くんっ! 創くんっ! あ、あんっ! いいよぉっ! 気持ちいいよぉっ! もっと、もっと……っ!」
「ぐ……っ!」
俺は腰を振る速度を更に上げる。彼女の喘ぎ声のトーンが上がる。膣内の圧力が比例して上がる。貪欲なまでに俺を求める朋美が愛おしい。俺はひたすらに腰を振る。結合部から愛液の泡立つじゅぷじゅぷという音が連続して響く。
「あ、私、音出てるっ! 創くんに突かれてっ! いやらしい音でてるよぉっ! んあああっ! だめ、あああっ! 気持ちよすぎちゃう……っ!」
「くうっ……! 朋美、朋美……っ!」
「創くんっ! 愛してる! 愛してるよぉっ! んああっ! ああ、ああっ!」
俺への愛を叫びながら、朋美も自分から腰を振り出した。マジで気持ちがいい。朋美がかわいい。俺は突くたびに揺れる、彼女の小振りな胸を握った。揉む、なんてできない。気持ちよ過ぎで、握ることしかできない。でもそれも朋美には快感らしく、更に中が締まった。
「創くんっ! 創くんぅっ! 好き、好きなのぉっ!」
こちらを向いて必死に叫ぶ朋美の口に、俺は自分の唇を重ねる。歯が当たって音を立てた。振動で口が外れないように、思いっきり吸い付く。口内は暖かかった。唾液は甘かった。
「ちゅ、ふむうっ! うむ、あ、ああっ! じゅる、んく、ふあああっ! あっ、だめえっ! もうだめえっ!」
快感に耐えきれず、朋美はさらさらの髪を振り乱して叫ぶ。もっと感じさせたい。もっと声を聞きたい。腰を激しく打ちつけ、そのまま弧を描くようにして亀頭で内壁をえぐるようにこすり上げた。
「あああっ! だめぇっ! それ気持ちよすぎるよぉっ! んああっ! ああ、あああっ!」
悲鳴とともに、彼女の身体が大きく震えた。内部の圧力が限界まで高まった。俺も限界だった。
「朋美、朋美っ! 俺、もう……っ!」
「あああっ! お願い、中にっ! 中に出してぇっ!」
「……くああっ!!」
最後に俺は、思いっきり腰を打ちつけるとともに朋美に抱きついた。そして彼女の最奥で、ありったけの精を放った。
「イっちゃうよおおおおっ!! ふあああああああああああぁぁぁぁぁぁっ!!」
俺の精液を感じて、朋美はこれまでで一番大きく震え、絶頂を迎えた。
「ああ、あああっ! ……っ! ん、んん……っ! ……ででる、でてるよぉ……っ!」
一度イった後もまだ波は引かないらしく、朋美は時折まだ身体を震わせながら、脱力した。崩れ落ちそうになる朋美を受け止める。朋美は、振り返って俺にキスをした。
幸せだった。
行為の後始末をして、俺と朋美は一緒にシートに横になった。
「……ねえ。創くん、ありがとう」
朋美は、俺に抱きつきながらそうささやいてきた。
「ん、何が?」
「私ね、嬉しかったの。こんな私でも受け入れてもらえるんだって。愛してもらえるんだって」
「……馬鹿だな」
くしゃりと朋美の髪を撫でる。
「そんな細かいこと気にすることなんてない。朋美が居れば、俺は十分だよ」
「……ありがとう」
すぐに、静かな息づかいが聞こえてきた。どうやら、もう眠ってしまったらしい。
泣くのもセックスも、どちらも相当体力を使う行為だ。それに、精神的な解放もあったんだろう。
静かに寝息を立てる彼女を抱きしめながら、俺はぼんやりと森に意識を向ける。
風にそよぐ木が奏でる、葉擦れの音。どこからか聴こえてくる、鳥のさえずり。朋美の寝息。湿った土から漂ってくる、森の香り。朋美の香り。木の葉によって適度に遮られた木漏れ日が風に揺られる様は、まるでどこかの神話のようだ。
音、匂い、光。疲れた俺の精神は、それらの全てに流されていく。
朋美の体温を感じながら、俺もいつの間にか眠りに落ちていった。
――――――――――――――――――――
2.『PUZZLE―Why Do You Leave Me?』
好きなものこそ上手なれ。
下手の横好き。
この二つ、上手い下手という区別こそあれ、どちらもそれが好きということで共通している。
じゃあ、好きでも得意でもないものに対しては、どんなことわざがあるんだろうか。
そんなことを思いながら、俺は人工芝の上を走りまわっていた。
いや、走りまわされていた、と言ったほうが正しいだろうか。
「オラぁ! もっと根性入れろ!」
「無茶……言うな……!」
秦の怒声に言い返す声にも力がないのが自分でわかる。
何せ、かれこれもう二十分近くコートの上を、球を追って右へ左へと走りまくっているのだから。
普段文化部なので、こんなことをしたら息が上がるに決まっている。
朋美との初デートの翌日。
俺は今日、いつものように半ば強引に秦にテニスサークルへと連れてこられていた。
秦いわく、「少しは定期的に運動しろよ」だそうで。お互いの都合がついたときだけ、こうして試合をしている。
まあ、試合とは言ったものの、ほとんどの場合俺が一方的にいじめられておしまいなのだが。
「やべっ……!」
コート際に鋭く切り込んできた球を苦し紛れに打ち返したが、中途半端なロブになってしまった。
もちろん、そんな甘い球を見逃す秦ではない。
「食らいりゃっ!!」
よくわからない掛け声と、めちゃくちゃきれいなフォームともに放たれた強烈なスマッシュが、反応できず佇む俺の足の間を縫うようにして決まった。
シックスゲーム・トゥ・ワン、つまり六対一で俺の負けだった。
……個人的には、一ゲーム取れたので結構満足だったりする。
「おつかれさまです!」
「ん、あ、ありがと」
コートから汗だくになって帰ってきた俺に、近くに居た、ツインテールの子がタオルを手渡してくれた。背は低く、おそらく俺より年下だろう、かわいい女の子だった。
そのタオルで身体中の汗を拭いていると、
「おつかれさーん」
そう声が聞こえて、頬に冷たいものを感じた。
振り返ると、そこには布禄さんが立っていた。
俺は彼女が俺の頬に当てていたスポーツドリンクのボトルを受け取り、開けて一気に中身の半分くらいを飲み干す。
それはよく冷えていて、頭の中の熱が一気にどこかに飛んでいった。
「―――ぷはっ! ありがと、布禄さん」
「いえいえ、どういたしまして」
ペットボトルを返す俺にさわやかに返事をすると、彼女は受け取った反対側の肩をぐるりと振り回して、言った。
「しっかし、初架君もよくするよね。サークルに入ってるわけでもないのに」
「あー……、もしかして、迷惑だとか?」
「あ、いや、そういう意味じゃなくて。秦につき合わされてるだけなのに、頑張るなぁって意味で」
「まあ、文化系に入ってるとどうしても運動不足になっちゃうからね。いい気分転換になるんだよ」
実際、こうやって身体を動かすのは嫌いではない。
ただ、自分から進んで運動するのも何かと面倒なのだというのも事実である。
なので、こういった秦との試合は正直満更でもない。
……先ほどの試合は、どうもいつもより厳しい気がしたが。
どうせ、俺と朋美との関係に嫉妬でもしているに違いなかった。
「は、ナニが嫉妬してる、だ。ふざけてんじゃねえぞ」
「いだっ!」
後ろから叩かれた。
「……お前は人の心が読めるのか?」
「ほほう。するってーと、お前は事実そう思っていたってわけだ」
「…………」
沈黙せざるを得ない。
「だいたいよー。お前たちさ、ついこの前まではまだ全然距離遠かったはずだったのに。一体何があったんだよ?」
「ああ、まあ、いろいろと、ね……」
まさか、変なニクノカタマリが実は変な能力持ってて、そいつに襲われたらなぜか自分も変な能力に目覚めたりして、そのおかげで朋美とお互いの気持ちがわかったなんて言えるわけもない。
ちなみに、ニクノカタマリ屠殺処分直後、朋美に「もう危ないことはしないで」と釘を刺されてしまった。
元より自衛しかしてないはずなのだが、どうやら彼女の認識は違うらしい。
「ほら、そんなことよりさ。次はあたしとやろうよ」
「ごめん、パス」
「えー?」
「いや、マジでバテました、勘弁して。あ、そうだ秦、代わりにやってよ」
何故か俺の言葉に、先程タオルを手渡してくれた女の子がびくりと反応した。
秦はいきなり自分に振られて、戸惑った声を出した。
「え、俺?」
「うん。よく考えてみると、俺さ、テニスやってる人同士の試合って見たこと無いんだよね」
俺のその発言に、布禄さんが困ったような、それでいて照れたような声を出した。
「うーん……。でも、あたし達ってそこまで上手くないよ?」
「いいからいいから」
そういうわけで、結局秦対布禄さんの試合を観戦することにした。
した、のだが。
……なんというか、ものすごく激しかった。
「はい、サーティ・ラヴね」
「ちょっと待て! 今の入ってただろ!」
「残念ー、ボール半分ハズレでした」
「嘘つくんじゃねぇ! 待ってろ、確認してやるから!」
「つまんないこと言わないの。はい、次行くよっ!」
「てめコラ、構えてないのにサーブ打つんじゃねえー!」
「はい、フォーティ・ラヴー」
「ちくしょおぉぉ!」
「……」
コート中に秦の怒声が響き渡る。ものすごくうるさい。
対して布禄さんは飄々としたもので、どんどん試合を進めていく。秦の扱いを完璧に熟知していた。
しかし、だんだんと秦が落ち着きを取り戻すにつれて、次第に形勢が逆転してきた。
そもそも、男女の力の差だってある。この勝負、冷静に考えてみれば布禄さんに不利だ。
「ふんっ!」
そんなことを思っている間に、秦のボレーがコート隅に決まる。布禄さんはなんとか追いついたものの、明らかに体勢が悪い。
「……くっ!」
布禄さんの苦し紛れのロブが、先程の俺の時と同じように秦の真正面にあがる。
秦の目が鋭く光った。
「もらったあっ!」
秦は瞬時にベストポジションをとり、ラケットを構える。
そして。
俺は信じがたい光景を目にした。
秦が振りかぶったラケットを打ち下ろそうとする一瞬前。
布禄さんが、なんとラケットを顔の前に構えたまま秦の真ん前に飛び出したのだ。
「食らいりぇっ!」
相変わらずの変なかけ声と共に完璧なフォームで打ち出された打球は、布禄さんが構えたラケットに綺麗に吸い込まれて。
反発係数0.8くらいで跳ね返り、そのまま秦にジャストミートした。
その……、玉に。
「はひゅっ!?」
見ているこっちまで思わずすくんでしまうような、完璧な攻撃だった。これ、なんてビリヤード?
というか、スマッシュをボレーする人なんて初めて見た……。人間に可能なのか、あれ?
俺の隣にいた先程タオルを手渡してくれた女の子が、股間を押さえて痙攣している秦を見てクスクス笑っていた。
「ねえ……」
俺は、その子に話しかけた。
「あ、はい。ワタシですか?」
「うん。あの二人ってさ、いつもあんなことやってんの?」
「あんなこと?」
「あーっと、あんな風にうるさかったり、今みたいな技を決めてたりするのかってこと」
「あ、はい。まあ、あんなにきれいに決まるのは、今日初めて見ましたけど」
「そうなんだ……」
テニスってすごいなあ。
そんな会話をしていると、地面を転がりながら悶えている秦を放置して、布禄さんがコートからおりてきた。
「ふう、いー汗かいた」
そう言って、俺が先ほど半分ほど飲んだペットボトルを咥える。間接キスのような気がしないでもないが、気づいてないみたいだし、あえて指摘することでもないだろう。
「お疲れさん。しかし、すごいね。よくあんなことできるね」
「え、ボレーのこと?」
「うん」
「思ってるほど難しいことじゃないよ。ラケットの面の向きと腕の位置、あと視線さえ見ればどこに球が飛んでくるかの大体の予想はつくから。後は出来るだけ前に出て、誤差を少なくしてあげればいいの」
布禄さんは簡単にそう言うが、並みの人間にできることじゃない。百キロを越すスピードで飛んでくる球の前に飛び出すとかありえないし。
もの凄い動体視力と反射神経、それに度胸だった。
「先輩、毎日練習してますもんね!」
嬉しそうに、タオルの女の子がそう言った。してみると、やはり彼女は俺よりも年下らしい。
「まあね。ところでミノリ、やらない? あともう一試合くらいならできるけど」
「あ、ワタシはいいです。ああなりたくはないですから」
そう言って、ミノリというらしい彼女は、動かなくなった秦を指差した。……大丈夫か、あいつ。
「そ、そういえば、ミノリと初架くんの紹介がまだだったよね!」
布禄さんが、そこはかとなく焦った様子でそう言ってきた。やっぱり少しは罪悪感を感じているのかもしれない。
「こちら、枝出、実生(えで、みのり)さん。一年生だよ」
「よろしくお願いしまぁす!」
そう言いながら、枝出さんは俺の手を両手で握り、ぶんぶんと上下に揺らした。
「あ、ああ、こちらこそ」
元気な子だ。
しかし、年下だとは思っていたが、一年生だったとは。道理で小さいはずだ。
「あ、そうだ。俺は……」
「知ってますよ。初架創先輩ですよね?」
「は?」
びっくりした。まさか、名前まで知られているとは。
「いっつもお二人から聞いてますもん。最近は彼女ができて、めっきり付き合いが悪くなった、とも」
苦笑せざるを得ない。というか、そんなことを話されてるのか、俺。
「俺、そんなに付き合い悪くなったかなあ?」
「もちろん。……あ、元凶さんが来た」
そう布禄さんに言われて、振り返ろうとする前に、視界が真っ黒になった。
「だーれだっ」
「……」
こんなことをする人間は俺の知る限り一人しかいない。でも、ちょっと悪戯心がわいた。
「……」
「………」
「……あ、あれ?」
わざと答えない。俺の後ろの人間が戸惑う気配がわかる。面白いから、しばらく放置してみる。
「……」
「も、もしもーし?」
「………」
「ね、あの、無視しないでよ」
「……………」
「…………………」
「………………………」
「………………がぶっ!」
「うが!?」
何すんだこいつ!
いきなり噛み付きやがった!
「あ、反応した」
「誰だってするっつの!」
「やっぱり?」
えへへ、と笑いながら彼女――朋美は俺の目から手を離した。
「もー、探したんだよ? 携帯もつながらないし」
「あ、ごめん。運動中だから外してた」
「ううん、べつにいいけど。実はちょっとした買い物したいんだけど、重いものもあるから、付き合ってくれない?」
「あー、別に……」
いいよ、と返事をする前に、枝出さんが俺の肩に手を置き、そして言った。
「え、先輩、確か用事があるって言ってませんでした?」
「え……あ、そうそう。悪いけど、用事があったんだ」
言われて、思い出した。
朋美は意外そうな顔をしたが、俺も不思議なことに、なぜか今まで忘れていたのだ。
「どんな用事なの?」
「うん、えーっと……」
「提出期限が明日のレポートが、まだ終わってないんでしたよね?」
「あ、そうそう、それだ」
今日中に仕上げないと、いろいろとめんどくさいことになってしまう。
朋美には悪いけど、早く帰って仕上げる必要があった。
……あれ? じゃあ俺、なんでテニスなんかやってたんだっけ?
「んー、レポートじゃしょうがないね……」
朋美は残念そうな顔をしたが、どうしようもない。
「うん、悪いね……」
「あ、じゃああたしが付き合ったげようか?」
すると、困っている俺を助けるように、布禄さんが立候補してくれた。
「え、ほんと? ……あ、でも悪いよ。結構重いものとかもあるし」
「平気ヘイキ。これでも結構鍛えてるから。お茶でも飲みながらノロケ話でも聞かせてもらえば、報酬としては十分」
「あ、それくらいなら……。でも、いいの?」
「いいって。じゃ、いこうか」
「ありがとう。じゃあ、創くん、また明日ね」
話がまとまったと見えて、朋美は俺に手を振り、布禄さんと歩いていった。
俺も手を振り返すと、枝出さんと秦(未だ死亡中だった)に別れを告げ、早くレポートを完成させるべく家路を急いだ。
家に着き、パソコンの電源を入れたところで、ふと気づく。
「………あれ?」
提出しなければいけないレポートなんて、なかった。
「おっかしいな……? あったと思ったんだけど……」
しばらく思案していたが、そもそもレポートを課しそうな教授が、俺のとっている講義の中には居ない。皆めんどくさがり屋ばかりで、レポート読むくらいなら自分の研究をやるっていう人たちばかりだ。だからこそ、俺が選択したはずだったのに。
「……ま、いいか」
何にせよ、レポートがないのはいいことだ。
俺はそう思い直し、入れたばかりのパソコンの電源を切った。
その翌日から、俺は朋美に会えなくなった。
――――――――――――――――――――
3.『AFFECTION―I Would Die Before Losing You.』
人間は誰でも、一人では生きられない。
よく言われる話だが、今の俺はその言葉の意味を噛みしめていた。
正確には、実感せざるを得ない状況に立たされていた、という方がいいだろうか。
一体、なにが起こっているんだろう。
俺は、自分でも気付かないうちに、何か重大なミスでもしてしまったのだろうか。
最初に変に思ったのは、講義で彼女を見かけなくなったとき。
いつもなら俺の隣にいるはずの彼女が、消えていた。
彼女にだって、都合はあるだろうとか。
たまたま、体調が優れなかっただっかもしれないとか。
そんな風に思って、自分を無理やり納得させた。
でもそれが二回三回と続くことになって、俺は次第に不安をごまかせなくなってきた。
彼女に連絡をしようとしてみたが、メールに返事は来ず、電話はつながらなかった。
もしかして行方不明にでも、と思って学生課に聞いてみれば、彼女はちゃんと他の講義には出席しているとのこと。
最後にテニスコートで分かれたときは、彼女に何の不自然さもなかった。
それに、その時ちゃんと、次に会う約束までしたのに。
どうしても、会えなかった。
「おい初架、最近山岸さんみねーじゃんかよ」
最後に朋美に会ってから、三日後。
秦が、一人で昼飯を食べていた俺を見かねたように、声をかけてきた。軽い口調だが、心配してくれているのがわかる。
「少しこの前まで、ウザい位にラブラブだったのによ。ケンカでもしたか?」
そう言って笑う秦に、俺は笑顔を作ろうとして、失敗する。
「だったら、よかったんだけどね……」
「……どういうことだ?」
俺は、秦に事情を話した。
何故かテニスコートの後から、朋美と会うことも、どころか姿を見ることすらできなくなっている現状を。
秦は黙って聞いていたが、俺の話が終わると、「……わかった」と頷いた。
「よくわかんねぇけど、ややこしいことになってるってことだけはわかった」
「……」
「そんな顔すんなって。見てるこっちが気が滅入るっつーの」
「……悪かったな」
素っ気ない返事しかできない。
秦はそんな俺をしばらく見ていたが、一つ大きく溜め息をつくと、言った。
「……しょうがねぇなぁ。俺が、代わりに聞いてきてやんよ」
「……っ! 本当にか!」
思わず大声が出る。
「ああ。但し、期待すんじゃねーぞ。嫌われてたら諦めろよ」
「わかってる……! ありがとな、マジで!」
「おお、もっと感謝しろ。そんでもって今度昼飯奢れ」
「ああ……! なんだって奢ってやる……!」
「そうか、そりゃ楽しみにしてるぜ」
それに、俺も出番を増やしたいしな。
そう、笑いながら言って。
次の日から、秦も居なくなった。
「………っ」
歩いていられなくなって、近くのベンチに腰を下ろす。
頭がおかしくなりそうだった。
二人とも、俺の前から消えてしまった。
朋美。
秦。
どうしてだ?
全く理由がわからない。
なにか、俺が間違いをしたというならわかる。
朋美の買い物に付き合わなかったのが原因なら、それならまだわかる。
なら、どうして秦まで居なくなるんだ?
わからない。
何が、起こっているんだろう。
思考が、堂々巡りする。
何一つ結論が得られない。
最悪の、気分だった。
……と。
「浮かない顔してるよ。大丈夫?」
その声と共に、誰かが俺の正面に立った気配を感じた。
顔を上げる。
心配そうな顔をして、布禄さんが立っていた。
元気のない俺に対して彼女は心配になったらしく、そのまま俺の隣に腰を下ろした。
「珍しいね、一人なんて。山岸さんとか秦は?」
「……」
答えられない。
話しても信じてもらえないだろうと思う部分もあったが、何より話してしまうと布禄さんまで居なくなってしまうような気がしたからだ。
これ以上、身近に居てくれる人を減らしたくなかった。
黙るしかない俺を布禄さんはしばらく見つめていたが、やがて口を開いた。
「……うん、何かわからないけど、話したくないならいいよ」
「……ありがと」
「いいって。……ところで、この後は空いてる?」
「え……?」
「いやー、大したことでもないんだけどさ。ちょっと、観たい映画なんぞがあったりして」
はにかみながらそう言って、布禄さんは頭を掻いた。
よくわからないが、特に否定する理由もない。というか、沈んでいる俺に気を使ってくれるのがありがたくて、俺は頷く。
「別に、いいけど」
「え、ほんと!? あっとね、『恋の花咲く頃』ってフランス映画なんだ」
「……意外だな」
「え、どうして?」
「なんか、布禄さんって、そういうものよりも、アクションの方が好きな気がするから」
「失礼な。あたしだって普通の女の子ですよ」
そう言って、布禄さんは笑った。
映画が終わって、俺と布禄さんは並んで歩いていた。
「あー……、超感動しちゃった……ぐすっ」
そう涙声で言って、布禄さんは鼻をかんだ。
映画はタイトル通りのラブロマンスで、二人の愛し合う男女が襲い来る様々な障害を乗り越え、最後に結ばれて幸せになるという王道と言っていい内容の話だった。
途中、何度かかなり刺激的なシーンとかも出てきたが、隣に座っていた布禄さんは気にも止めていない様子だった。女子の方が、ああいうシーンに対する耐性とかが強いのかもしれない。
……後ろの方で誰かのあえぎ声のような音がしたような気もしたが、きっと気のせいだ。
「ね、初架くんはどうだった?」
「うん、普通に面白かったよ」
嘘じゃない。
終始、愛ゆえの葛藤、苦悩、すれ違い、そしてそれでも相手を思う気持ちなどが細やかに描かれていて、俺も泣きそうになってしまった。フランス映画はすごい。
特に、女の方の経歴が悲惨で、男と結ばれそうになる度に、その記憶が彼女を苛むのだ。
……ふと、朋美を、思い出した。
わかりあえたと思った矢先の拒絶。彼女は、まだ何かを抱えているのだろうか。
「あたし、あの時の彼の言葉に感動しちゃった」
「ああ、『君が居ないなら、世界なんて無色だ』ってやつ?」
「うん。一度でいいから、あんな風に言われてみたいなー、なんて」
「あー、でも男の目から見ると、あの主人公はちょっと微妙だな」
「え、なんで?」
「だって、好きな人がいるのに他の人とデートみたいなことしてたじゃん? ちょっとナイだろ――」
――そういえば、俺も同じじゃないか。
いくら寂しかったからといって、こうやって布禄さんの誘いに応じて、一緒に映画を観たりしている。
これをデートと取られても、文句は言えないんじゃないか?
少し、反省する必要があるかもしれない。
たとえどんなに拒絶されたとしても、俺はかわらず朋美のことが好きなんだから。
楽しそうに隣で笑いながら話す布禄さんを見て、俺はそう思った。
――――――!?
「それでさ……。……って、どうしたの?」
「――――」
布禄さんがいきなり黙り込んだ俺に何か話しかけているが、全然耳に入らない。
俺の目は、目の前の人ごみの中のただ一人に釘付けになっていた。
「――――朋、美?」
「え……っ?」
思わず口をついて出た言葉に、隣の布禄さんが息を飲んだ。
確かに、それは朋美だった。
人ごみの中をふらふらとよろめきながら、それでもしっかりとこちらを見て。
「そ、そんな……!」
布禄さんはなにやら衝撃を受けている風だったが、そんなことはどうでもいい。
久しぶりに、本当に久しぶりに見る彼女の姿は、ひどくやつれていた。
朋美と目が合う。
彼女はひどく苦しそうにしながらも、それでもこちらへ歩いてくる。
俺は思わず彼女の元へ駆け出していた。
後ろで布禄さんがなにかを叫んでいたが、まったく耳に入らなかった。
ただ、目の前の朋美だけが全てだった。
彼女は、俺が近づいてくるのを見ると、苦しそうに、だが安心したように微笑んだ。
そしてそのまま、俺の胸に倒れこんできた。
「……!? だ、大丈夫!?」
とっさに抱きとめ、そう声をかける。
こちらを見た彼女の顔は、驚くほど青白かった。
彼女は震える唇で、何かを必死に言おうとしていた。
俺は、彼女の口に耳を近づける。
「あ」
「い」
「し」
「て」
「ま」
「す」
そう、かすかに聞こえて。
彼女は、意識を失った。
「…………え?」
呼吸が、止まっていた。
< To Be Continued…… >