魔王と聖女と三王女 第十話

第十話

 冷たい風が、リーゼの頬をなでる。頭上の空は透き通るほどに青く、それでいて浮かぶ雲は驚くほど近い。リーゼは、数名の従者を引き連れ、山間の細い道を騎馬にまたがり進んでいた。従者たちは防寒着に身を包み、リーゼ自身も厚い毛皮のマントを身にまとう。騎馬が進む道は、大半が崖をぬうように造られていて、眼下には深い谷間が口を開いている。急峻な岩場には、這うように幹をねじらせた樹木が生え、その合間には冬までまだ間があると言うのにわずかな残雪が見られる。時折、土地が開けたと思えば、そこは牧草地であり、家畜が穏やかに餌をほおばっている。

「あ、リーゼロッテ様だ! 妹姫のリーゼロッテ様だよ!!」
「妹姫様ぁ! ご無事で何よりです!!」
「リーゼロッテ様、ばんざぁい! サヴェリア王国、ばんざぁい!!」

 人の声が聞こえたと思うと、沿道に家畜の世話をしていた近隣の住民と思しき人々が集まってくる。皆、帰還した妹姫リーゼを称え、その無事を祝った。リーゼも笑顔で手を振り、彼らに応える。

 領地の大半が、急峻な山岳地帯であり、気候も寒冷な“槍の王国”サヴェリア。リーゼは、瞳に高地の風景を写しながら、王国の首都へと騎馬を進める。

 “槍の王国”サヴェリアは、その二つ名が示す通り、武力に力を入れて成長してきた国家だ。土地と気候が農業に適さないサヴェリアでは、古くより傭兵稼業に力を入れてきた。女系社会でもあるこの国の女たちは、故郷に夫を残し、他国の戦地へと出稼ぎに赴いてきた歴史がある。規律高く精強な女傭兵団は、周辺国家の紛争……特に、都市国家群のいざこざに際して、積極的に自らを売り込み、大きな富を得てきた。それと同時に、女傭兵たちは自らが愛用した槍の技を磨き、周辺国随一の武術へと成長させていく。

 契約の限りは決して裏切らない。ただし、報酬次第では敵にも味方にもなる……そんなこの国の在り方は、他の国の恨みを少しずつ蓄積させていった。やがて、国同士の勢力が均衡状態となり、都市国家群も連盟を形成して、戦火は少なくなっていく。この国は、巧みに立ち回り、精強な傭兵団を売り込んで、人界の象徴である聖女ティアナが治める“聖都”アルターレの守護国家としての地位に納まった。守護国家としての地位は、傭兵稼業と同じくらいか、それ以上の富をサヴェリアにもたらした。これにより、“槍の王国”サヴェリアは、三王国の一角としての地位を築き上げていった。

 旅を続けること数日。ひときわ高い台地の上に築かれた、サヴェリアの都が遠目に映し出される。リーゼは、懐かしそうな、寂しそうな視線で、都を眺めると、従者と共に騎馬の歩を進めた。

「妹姫様。お待ちしておりました。長旅でお疲れのこととは思いますが、どうぞこちらへ……」

 王城へとたどり着いたリーゼを、儀礼用の緻密な装飾がほどこされた槍を持った女騎士たちが出迎える。

「どうも、ありがとう。皆さんも、私がいない間この国とお姉様を良く守ってくださいました」

 リーゼが優しく女騎士たちに労いの言葉をかけると、彼女たちも相貌を崩す。リーゼの昏い想いに気がつく者はだれ一人としておらず、槍の王国の女たちは、和やかな雰囲気で王城の廊下をくぐり、玉座の間へと向かう。石造りの廊下は、過剰な装飾もなく質素な造りだが、広い空間と石造りの力強さが組み合わさって、荘厳ともいえる造形を作り出している。

「姉姫リリアーネ様に申し上げます! ただいま、妹姫リーゼロッテ様が参られました!!」

 玉座の間と回廊を隔てる扉の前で、女騎士の一人が腹の底から叫ぶ。姉姫リリアーネとは、リーゼの実姉でもある、この国の女王のことだ。サヴェリアの先代女王とその夫が死んでから、姉姫と呼ばれていた娘が新女王に即位している。それでも、現女王は、即位してからいまだ独身であることと、妹姫と呼ばれるリーゼと対にされることが多いため、女王格でありながら、姉姫とも呼ばれていた。サヴェリア人にとって、姉姫と妹姫は、国を守る美しき双姫であり、誇りでもあった。

 少しすると、玉座の間の扉が、重々しく開かれる。リーゼは、促されるまま、玉座の間に一歩踏み入れると天井を仰いだ。サヴェリア王国の建造物は、屋根が高い。王城の玉座の間は、その象徴のような造りで、光が差し込む天窓がかすんでしまうかのほどの高さを持っていた。その真下の玉座も、小山ほどの高さの台座の上にしつらえてある。もっとも高い場所にある王宮として、天をも衝く意志を形にしたのだろうか。

(あの玉座、上から吹きこむ風が冷たくって、あまり居心地が良くないんですよ)

 リーゼが心の中で我に向かってつぶやき、微笑んだ。玉座には、リーゼの生き写しのような姿の王女が豪奢な装飾の厚いマントにくるまって腰をかけている。流れるような長髪の黒髪に、整った顔立ちはリーゼとよく似ている。しかし、瞳に浮かぶ光は冷たく、その表情にリーゼの持つ素朴さを感じることはできない。

 リーゼは玉座に向かって歩を進めると、部屋の中央に来たあたりでひざまずき、頭を下げた。

「リリアーネお姉様……ご無沙汰しておりました」

 リーゼの声が響くと、玉座の上の姉姫がうなずく。

「リーゼロッテよ、このたびは大義であった。私も、姉として、女王として、このたびのお前の武勇を誇りに思っている」

 玉座の間に、姉姫の労いの言葉が響き渡る。良く響く声音だが、どこか冷たい。

「お前の働きに報いることができるよう、用意できるだけの報酬を用意したつもりだ。受け取ってほしい」

 玉座の上の姉姫に促され、台座の足下に控えていた従者たちがあわただしく動き始める。布をかけられた数代の台車が、リーゼや周りの女騎士たちの眼前に押し出される。従者の一人が、目録を広げると同時に、台車の上の布が一斉に取り払われる。

 おお……

 姉姫と妹姫のやり取りを見守っていた女騎士の間から、どよめきが上がる。台車の上には、山積みの金銀財宝があった。目録を持った従者は咳払いをすると、大きな声で読み上げ始める。

「妹姫様へのこのたびの報酬といたしましては、金貨千枚、銀貨二千枚、さらには、宝石と武具一式……荘園として、土地……」

 小さな国を買い取れるほどの報酬が、延々と読み上げられていく。その間、リーゼは微動だにもしない。しばしの後、財宝の読み上げが終わると、姉姫が口を開く。

「さらに、リーゼロッテ。お前には、サヴェリア第三騎士団の団長をしての地位を任せたい。やってくれるな?」

 その言葉を聞いたリーゼは、奥歯を噛んだ。サヴェリアの第三騎士団は規模こそ大きいが、辺境の警護が主な任務。そこから、リーゼは姉姫の真意に気が付いていた。

「お姉様。恐れながら、申し上げます……」

 リーゼが頭を下げたまま、口を開く。

「どうした、リーゼロッテ? 言うがいい」

 姉姫が、リーゼに促す。

「リリアーネお姉様……お父様とお母様が、流行病で亡くなられてから、もう随分と時間がたちました……私とお姉様は、この世にたった二人の家族です……ですが、いままではお姉様の公務もお忙しく、共に時間を過ごせぬことを、私は寂しく思っておりました……」

 リーゼが、息を継ぐ。

「財宝も、地位も、いりません……私の望みは、リリアーネお姉様と、毎日の食事を同じ卓ですること……ただ、それだけです」

 先ほどまでとは、別のどよめきが周囲から上がる。リーゼが顔をあげ、姉姫を見つめる。表情の変わらない姉姫が、わずかにたじろぐ。

「リーゼロッテ……そのように想ってくれて、私もうれしい。だが……魔王を討伐したとはいえ、内政はまだ多くの責務を抱えているのだ。供に食事をすることは難しい。分かってほしい……」

 姉姫の言葉を聞いたリーゼが、両手を床に押し当てる。周囲の女騎士たちは、感嘆の言葉を漏らしていた。おそらくは、美しい姉妹愛とでも思っているのだろう。これから起こることを考えれば、それはあまりにも滑稽だった。

「お姉様……お姉様は、私のこと一度も“リーゼ”って愛称で呼んでくださらなかったですよね?」

 リーゼの足下の影がゆらめく。リーゼの手首から先が、ずぶりと影の中に沈み込む。感の良い者は、異常に気がつくが、リーゼの動きのほうが早い。リーゼが影の中から手を引き抜くと、そこには槍が握られていた。穂先の白刃が円を描くと、リーゼの槍が軽やかに構えられる。

「ご主人様。周りの者たちは、どのようにいたしますか? 殺しますか?」

 リーゼは一人つぶやきながら、周囲を見回す。謁見の間において、近衛騎士以外が槍や長剣の類を持ちこむことは禁じられている。妹姫の突然の凶行に、多くの者がまだ状況を認識できずに、呆然としている様がリーゼの瞳に映し出されていた。

(どちらでも構わん。貴様の好きにしろ)

 我がそう語り返すと、リーゼは穏やかな微笑みを浮かべながらうなずく。

「かしこまりました。では、非殺で……」

 言うが早いか、リーゼの身体が跳躍した。一陣の風となり、一直線に玉座に向かって駆けていく。その前に、周囲よりもいち早く異常に気がついた近衛騎士が三名、槍を片手に立ちふさがる。“槍の王国”の王宮守護に恥じぬ、機敏かつ隙のない動きで、姉姫への狼藉を防ごうと槍を構える。

「妹姫様! ご無礼をッ!!」

 三名の近衛騎士が、一斉に石突きで、リーゼのみぞおちを突く。だが、近衛騎士たちが槍を突き出した瞬間に、リーゼの身体はそこにはいない。

 リーゼは、縦に跳んでいた。そのまま、近衛騎士たちの頭上を飛び越えて、軽々と背後をとる。騎士たちがそれを認識する間も与えず、一人の首筋を蹴りつけ、もう一人は槍の柄を叩きつけ、最後の一人には当て身を食らわせ、一瞬で三人の意識を刈り取ってしまう。

「リーゼロッテ様が、ご乱心なされた!!」

 近衛騎士の身体が倒れるのを見て、周囲に控えていた者たちがようやく状況を認識し、叫び声をあげる。リーゼは構うことなく槍を握りなおすと、悠然と玉座を見上げる。

「ひっ……」

 姉姫が、小さく悲鳴をあげた。玉座から腰を浮かせ、逃げ出そうとする。

「お姉様。逃げないでください」

 リーゼはそう言うと、槍を振りかぶり、玉座へ向かって投げつける。風を切って槍が飛び、刃が姉姫のマントの裾を貫き、床に突き刺さる。姉姫は、慌ててマントを引き千切ろうとするも、うまくいかない。

「リーゼロッテ様を、取り押さえるんだ!!」

 周囲の一人が叫ぶ。数名の女騎士たちが、腰に差していた護身用の短剣を引き抜き、リーゼを取り押さえようと殺到する。騒ぎを聞きつけた王宮の兵士たちも、槍を手にして玉座の間へ駆けつけてくる。

 リーゼは、周りに構う様子も見せずに、玉座の上の姉姫を見つめ続ける。すると、リーゼの影が、再び揺らめき始める。ゆらめきはさざ波となり、次第に波は大きくなり、やがて、影自体があり得ないほどにリーゼの周りに広がっていく。

「……ッ!!?」

 玉座の間に集まった人間が、息をのむ。リーゼの影から湧き出るように、無数の魔物が這い出てきたのだ。上半身はリーゼとよく似た顔をした少女、下半身はクモの異形の魔物たちが、リーゼを守るように円陣を作る。サヴェリアの女たちは、魔物の群れの前で躊躇し、立ち止まる。

「……てやあぁ!!」

 一人の兵士が、意を決して一匹の魔物に槍を突き出した。しかし、鎧のごとき硬さを持った脚によって難なく槍を打ち払われ、逆に組み敷かれてしまう。攻め手を欠いたサヴェリアの騎士と兵士たちは、逆に魔物たちによって壁際へと追い詰められていく。

「あなたたち、殺さない程度に、遊んであげてね?」

 リーゼは自分の娘である魔物たちに声をかけると、玉座に続く台座の階段をゆっくりと登り始める。床に刺さった槍にマントを貫かれ身動きできない姉姫は、必死に自由になろうともがくが、うまくいかない。

「ひ……リ、リーゼロッテ……」

 深く突き刺さった槍を引き抜こうとしていた姉姫が、目の前まできたリーゼに気がつき、悲鳴をあげる。

「ねぇ、リリアーネお姉様。私、お姉様のことを想うあまり、こんな風になってしまったの」

 リーゼが、衣装の胸元を破くようにはだける。そこには不気味に見開かれた、巨大な魔性の瞳が息づいている。リーゼは、そのまま姉姫の身体に組みついた。

「やめろ……リーゼロッテ! 助けてくれ……リーゼロッテ!!」

 姉姫は、必死にもがき、リーゼに抵抗する。

「ああ、もう……暴れないでください。お姉様……これから、私と一緒に魔界に行くんです。うふふ……これからは……食事のときだけではなくて、いつでも二人一緒ですよ……」

 リーゼは子供たしなめるように優しくささやきながら、力づくで姉姫を自分の影に押し込もうとする。姉姫も抵抗し、二人はもがきながら、組みあいになる。それでも、魔の力を得たリーゼの腕力のほうが強く、徐々に姉姫の抵抗は弱まっていく。リーゼが、自らの悲願の成就を予感し、笑う。その時……

 ヒュオッ!!

 風を切る音が玉座の間に響くと、魔物の一匹が弩の矢に脚を貫かれる。リーゼの娘の一匹が、声にならないうめきをあげて脚を折る。傷口から、赤黒い血があふれ出した。魔物の身体を通して、我にも焼けつくような痛みが伝わってくる。

(……聖術で祝福された矢か!!)

 開け放たれた扉から、さらに数射、矢が放たれる。魔を否定する聖なる力を帯びた矢は、先ほど刃も弾き返したクモの脚を難なく傷つけていく。

「聖女ティアナ様の予見は正しかった! 三王女は、魔に堕ちているッ!!」

 叫び声が上がった。弩を構え、“聖都”アルターレの聖印の入った外套を身に付けた神官戦士たちが、玉座の間へと足を踏み入れる。我は、魔界からその光景を見て、歯ぎしりをする。腹の底から、憤怒が沸き起こる。

(聖女ティアナ……今一歩のところで、邪魔をしおって……!!)

 神官戦士たちは、弩に矢をつがえ、リーゼの娘たちを包囲し、その包囲網を徐々に狭めていく。だが、わずかな威嚇を除いて、必要最低限の矢しか放とうとはしない。リーゼは、自分の影を限界まで広げる。ついで、傷ついた娘たちを振り仰ぐ。

「あなたたちは、魔界へ戻りなさい! 傷ついた者から、順番に!!」

 母の命令を受けたリーゼの娘たちは、じりじりと後退する。一匹、また一匹とリーゼの影に沈みこんでいく。それこそが、神官戦士たちの狙いだった。邪魔な娘たちがいなくなったところで、リーゼを生け捕りにするつもりだ。

(リーゼ! 姉姫は、あきらめろ! 貴様も、魔界に帰還するんだ!!)

 我が、リーゼの心に怒鳴りつける。

「それはできません! お姉様は、どうあっても魔界へ連れて行きます!!」

 絶叫するリーゼは、いまだに抵抗を続ける姉姫を羽交い絞めにする。

(ならば、娘たちを捨て駒にしろ! 仔らを壁にして、神官どもを足止めするのだ!! 姉姫を連れて、魔界へ戻る時間を稼げ!!)

 我の再度の命令に対しても、リーゼは首を横に振る。

「それもできません! ご主人様のお仔を見捨てるなんて、できるわけありません!!」

 リーゼの最後の娘が影に沈み、魔界へと戻っていく。その瞬間、神官戦士が弩を構える。リーゼは、姉姫の後頭部を押さえつけ、自らの影へ押し込もうとする。

「くぁ……!!」

 リーゼが苦悶に満ちた声をあげる。放たれた弩の矢が、リーゼの右足に突き刺さった。魔を払う神聖な力で祝福された矢。それは、我とリーゼの感覚のつながりを引きはがし、さらにはリーゼから魔の力を奪い取っていく。

「リリアーネ……おねえ……さま……ずっと、一緒に……」

 リーゼは最後の力を振り絞り、姉姫の身体を自らの影に完全に沈める。それと同時に、もう一本の矢が、リーゼの左肩に突き刺さる。

 我は、魔界の玉座の上で目を開いた。目の前には、傷ついたリーゼの娘たちに取り囲まれて、黒石の床の上に身を震わせて横たわる姉姫の姿があった。我は、再度、目を閉じ、リーゼの感覚を求める。しかし、ただ、まぶたの裏の闇が広がっているだけだった。

< 続く >

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