第2部 第11話 天より襲い来る者
「あれが、イストリアの国境を守るニップルの城ですよ」
「あの光は……またあの障壁ね」
眼下に海を見渡す高台に現れた魔界の大軍勢。
その先頭に立ち、モイーシアとイストリアの国境に建つ城塞を望んで会話を交わしているのはシトリーとアナトだった。
ふたりの視線の先にある城は、アルドゥヌムと同じく半透明の光り輝くバリアーに覆われていた。
「アルドゥヌムのよりも輝きが増してるわね。ということは、あれよりもさらに頑丈だと考えた方がいいわ。まあ、イストリアの本国を守る城塞ですもの、いよいよこれからが本番といったところね」
「あなたのあれで破壊することはできないんですか?」
「うーん、あれってそんなにポンポン撃てるものでもないしね」
「この間はポンポン撃ちまくってたらしいじゃないですか。それも、意識がなくなるまで」
「やっぱり、あの時の私っておかしくなっちゃってたのよね。素面じゃとてもあんな真似はできないわ」
「たとえ僕の命令でも?」
「ええ。それは、あなたの役には立ちたいし命令とあれば撃つけど、あの時みたいに馬鹿げた破壊力のはたぶん無理ね。まあ、あなたの力で私の体と心のリミッターを外してくれたら、あのレベルのを撃てるかもしれないけど……」
そう言って、アナトは首を横に振る。
あれから結局、ふたりの間の会話は以前と同じくシトリーが敬語を使うことに落ち着いていた。
アナトは少し不満なようだったが、それがシトリーの希望とあっては従うしかなかった。
それに、彼女の感情はともかく、こと軍事に関する話になるとアナトも自然と昔と同じ話し方になっていることに本人は気づいていない様子だったが。
少しの間、腕を組んで値踏みするようにニップルの城をじっと見つめていたアナトがようやく口を開く。
「でも、今回はアルドゥヌムの時みたいに力任せに破壊するのは得策じゃないわね」
「というと?」
「ほら、あの城が建っている場所を見てちょうだい」
そう言って、アナトが城の建っている場所を指す。
そこは、西側を海、東側ををこれまた海と見紛うほどに巨大な湖に挟まれて、両側が切り立った崖になっている地峡になっていた。
その様は、ふたつの大陸を結ぶ海中の細長い小径さながらである。
その地峡の中程の、少し開けた場所にその城は建っていた。
確かに、あの城を大軍で攻めるとなると攻撃側の陣形が伸びきってしまい、先頭の少数だけで防御側に対しなければならない。
さらに、それを覆うバリアーの幅が地峡の幅とほぼ同じであるため城を包囲することも叶わない。
まさに、守り易く攻め難い城塞だった。
それらの状況を、ひとつひとつ指し示しながら、アナトが説明する。
「だいたい、あんな不安定そうな地形ですもの。もし仮にあの障壁を破るほどに破壊力のある一撃をぶつけたら、その衝撃で地面もろとも崩れてしまいかねないわ。そうなったらもうあそこを越えるのは不可能よ」
「む……なるほど……」
「私たちがここからイストリアに入るには、どうしてもあそこを通らざるを得ないのよね。こちらには全員を乗せるだけの船はないから海を渡ることもできないし、あの地峡の東の湖はこの地上で最大の湖で、迂回するのにかなり時間がかかるもの。しかもそのルートは途中で困難な山越えもあるし、そのルートだとたぶん、イストリアの国境に辿り着くだけでもかなりの時間をロスすることになるわよ。そんな状況を避けるためにも、あの地峡が崩れるようなことはやめた方がいいわ」
地峡の両側を指差しながら、アナトがシトリーに解説していく。
「それもそうですね。……それにしても、この辺りの地理にやけに詳しいですね」
「ふふ、東方ね。懐かしいわ」
「……あっ! そういえばそうでしたね」
感傷に浸るようなアナトの表情に、シトリーもすぐにピンときた。
かつて、この東方にはアナトをはじめとする古き神々の一大拠点があった。
それを魔界に追いやった戦いの後で、神は功績のあった人間たちにその地を与えてイストリアを建国させたのだった。
「あの時、私たちと戦った天使たちの中にあなたもいたのよね?」
「まあ、そうですね」
「もしかしたら、あの時あなたと私は相見えていたのかもね」
「まさか。あなたとまともにやり合ってたら僕は今ここにいませんって」
「そんなことないわ、ご主人様」
「……だから、それはやめてくださいって」
ご主人様と呼ばれて、ブルッと身震いをするシトリー。
アナトにはやはりそれが不満な様子だった。
「なによ、あなたは私を屈服させた、ただひとりの男なのよ」
「いや、別に腕力で屈服させたわけじゃないですから」
「もう……。でも、冗談は抜きにしてもあの時剣を交えた天使たちの力には侮れないものがあったわ。たとえ1対1では敵わなくても、数人が上手く連携して自分たちより強力な相手と戦う術に長けていたわね」
「まあ、そういう戦い方を叩き込まれていましたしね」
「そこよ。数を頼りに戦うとはいっても、ひとりひとりの力が弱かったらお話にならないもの。なにしろ、かつてこの地上で神と崇められていた者たちを相手にしていたんですから。だからこそ、あの時向こうの陣営にいたあなたの戦技だって侮れないわ」
「評価してもらえるのは嬉しいんですけどね。それはつまり、ゆくゆくはその集団を敵に回すってことなんですよ。上の連中はそこまで考えてるんですかね?」
シトリーの問いかけに、アナトも浮かない顔で肩を竦めた。
「たぶん、上層部は地上さえ制圧して戦力として取り込めば、天界と対抗しうると考えているんじゃないかしらね」
「天界はそんなに甘くはないですよ。少なくとも、ここ数百年の間に起きた魔界との戦争では本気すら見せちゃいない。おそらく天界が本気で戦争をしたのは、あなたたちを魔界に追いやったあの時以来ないんじゃないんですかね?」
「でしょうね。私ですら、その天界の本気っていうのを直接見たわけではないものね。ただ……あの時、私たちの陣営には私よりもずっと力の強い者がいたというのに、その多くは魔界に追いやられる前に倒されてしまった……。そのことを考えたら天界の本当の恐ろしさを多少は想像できそうなものなのにね」
「まあ、見ていないことは想像できないというか……そもそも、あの時の戦争を知るあなたクラスの悪魔でもこうやって前線指揮官として使われるくらいですからね」
「まあ、しかたがないわね。魔界では私は新参者だから」
「あなたが新参者だったら、その後に魔界に堕ちてきた僕なんか下っ端もいいところですよ」
「だから、形の上では私の下に付けられているんじゃないの、ご主人様は」
「いや、だからご主人様はやめてくださいって」
「もう……変なところで頑固なんだから」
「頑固とかそういう問題じゃないですよ。……で、冗談はさておいて、どうやってあの城を攻略するつもりです?」
「そうね……あなたの部下の子たちの分析は進んでるの?」
「このところ、かなりの時間を割いてますけどあまりはかどってないみたいですね。やっぱり、系統の全く異なる術を破るのは難しいみたいです」
「そう……。だったら何か別な手を考えないといけないわね……」
そのまま、思案顔で馬首を巡らせるシトリーとアナト。
その時、背後の本隊で控えていたクラウディアが上空を指差して叫んだ。
「シトリー様! アナト様! ……あれをっ!」
ふたりが振り向くと、はるか天空に浮かぶ小さな影が見えた。
その数は10、20……数百ほど。
それが、少しずつ大きくなっていく。
こちらに向かって近づいてきているのだ。
「いよいよ来ましたね」
「ええ……」
こちらに近づいてくるそれが、純白の翼を持つ集団だと認めてシトリーはアナトと頷き交わす。
シトリーたちの陣営からも、いち早くそれを敵だと認識した翼を持つ悪魔が数体、その集団へと向かって飛び立っていく。
すると、もはやその姿をはっきりと認めることができるようになった天使の数人から光の矢が放たれて悪魔を貫いた。
「って、おいっ、なんの策もなしに突っ込んでいって勝てるわけないだろが。……クラウディア!」
「はい」
「おまえはピュラとふたりで魔導師部隊の指揮に当たれ! 防御魔法を使って敵の攻撃を防ぐのが最優先だ。対空魔法の使える者を牽制に使って敵を近づけさせるな。とにかく、味方の被害を最小限に抑えることに努めろ!」
「かしこまりました」
唇を噛んだシトリーが、クラウディアに向かって指示を出す。
「フィオナたちは風の精霊魔法を使って敵を攪乱しろ! 天使といっても気流が乱れたら飛ぶのは困難だからな。リルとメルは射手を率いて近づいてくる敵を撃て。単発の攻撃じゃ話にならないから、なるべく一体ずつ集中して狙うんだ!」
「わかりました!」
指示を受けたフィオナたちが、返事もそこそこにエルフの部隊の方へと駆けていく。
「残りの者は負傷者の処置と防御に徹しろ! それと、エミリア!」
「えっ!? あたしっ!?」
いきなり名指しされて、きょとんとするエミリア。
だが、シトリーの手に長剣が握られているのを見て、納得したように笑みを浮かべる。
「わかってるな!?」
「うん!」
エミリアが頷くと、シトリーは短く呪文を唱える。
すると、その姿が一瞬光に包まれて、その背中に漆黒の翼が現れた。
翼を羽ばたかせてシトリーが空中に飛び出すと、同じように本来の姿に戻り、剣を手にしたエミリアが続いた。
「ほら、あたしが言ったとおりでしょ。シトリーの翼だって真っ黒になってるじゃないの」
「軽口は後回しだ。とにかく、こっちの飛行戦力を指揮して敵を迎え撃つぞ」
「はーい」
子供の悪戯を見つけたような視線を自分の翼に向けているエミリアに真顔で返すと、シトリーは天使と交戦を始めた悪魔たちの方に向かおうとする。
だが、それは下からの叫び声に止められた。
「ちょっと待って! シトリー!」
「……アナト?」
見ると、橄欖色に白い羽毛の混じった翼を羽ばたかせたアナトがこちらに飛んでくるところだった。
「話には聞いてましたけど、あなたの飛ぶ姿を見るのは初めてですね。……それにしても、見慣れない翼ですけど?」
「ああ、これはね、ハゲワシの翼よ。ここから東ではよく見られる鳥で、かつて東方の民からは神の使いとして崇められてたし、私の眷族でもあるのよ。……それよりも」
シトリーの問いかけには穏やかな笑みで返したアナトだが、すぐにきゅっと口を引き結んで険しい表情を浮かべた。
「大将自らが前線に出ようっていうのは感心しないわ」
「いや、いちおう指揮官はあなたなんですけどね」
「そういう問題じゃないでしょ! あなたは私たちの主なのよ、そのあなたになにかあったらどうするのよ?」
「アナト様の言うとおりでさぁ!」
と、いつの間にか飛び上がってきていたマハが口を挟む。
彼女はというと、これも禍々しく黒光りする鴉の翼を広げて大剣を引っ提げた、死の女神と見紛う姿であった。
その姿にシトリーも、マハがかつては鴉の翼を持つ戦の女神として北方の民に崇められていたことを思い出した。
「なんだ、おまえまで来たのか」
「もちろんでさ! 相手が奴らならあたしみたいな空を飛べる者の出番ですし。ですから、シトリー様はどうぞ後ろに下がっていてください」
「そうは言ってもだな、やっぱり、戦力はひとりでも多い方が……」
「だからといって、あなたを前線に立たせるわけにはいかないわ。ここで待ってなさい。……とは言っても、ここも安全ではないけどね」
そう言うと、アナトは手にした槍で、飛んできた光の矢を無造作に払う。
「しかし、誰かがこちらの指揮を執らないと、ああ闇雲に攻撃を仕掛けるだけじゃ向こうの餌食になるだけですよ」
「だったら、あっちの指揮は私に任せて。あなたは彼我の戦力の分析と対抗策でも練っていてちょうだい。……じゃあマハ、護衛はあなたに任せたわよ」
「はいっ、お任せあれ!」
「あっ、ちょっと……」
シトリーの返事を待たずに、彼女は天使と悪魔の戦闘が繰り広げられている前線の方へと飛んでいってしまった。
「……まあ、あの人なら大丈夫か」
小さくため息を吐くと、シトリーは改めて周囲を見渡した。
アナトが指揮を執り始めたことによって、それまで無秩序状態だった悪魔の軍勢も次第に統制がとれはじめた。
攻める側の天使の人数は500以上、おそらく1000を超えることはない。
悪魔たちが上空で天使軍を足止めしているおかげで、地上の部隊への攻撃は散発的なものになっている。
あちこちでこちらの防御魔法と天使の攻撃魔法がぶつかり閃光が走るが、この分なら地上部隊の防御はクラウディアたちの魔法でなんとかなりそうだ。
そして、今度はニップルの方角に視線を向ける。
さっきシトリーたちが見たときには何もなかったというのに、そこにも、城を囲む結界を守護するように数百人の天使が現れてこちらを警戒していた。
これは……僕たちをこれ以上先には進ませないつもりだな。
城を守る天使たちを見て、シトリーは内心舌打ちをする。
だが、彼の見たところこの場にいる天使たちはせいぜい2から3部隊ほど。
堕天使であるシトリーには、天界の軍勢がこの程度では済まないことをよく知っていた。
なにより、天界の幹部である階級の高い天使の姿も見えない。
「僕たちはその程度の相手だってことか……」
そう呟いたシトリーの顔には、苛立ちも怒りも浮かんでいなかった。
実際に自分たちがその程度だということは、彼自身よくわかっていた。
もともとシトリーたちの軍勢の中に、空中で天使と戦えるほどの飛行能力のある悪魔の数はそう多くはない。
そのうえ、アナトやマハといったずば抜けた存在を除いては、その戦闘力は天使よりも劣るだろう。
いや、個々の能力が多少劣るだけなら、1対複数で数の優位を持って戦えばなんとかなる。
実際にそれは天界軍の十八番であるし、シトリーもかつて天界にいた頃にはそうやって自分より強い悪魔と戦っていた。
だが、今のシトリーたちには、そもそも数の優位を持って戦えるほどの戦力がない。
「くそ……せめてもう少し人数がいたらな……」
唇を噛んで戦況を見つめるシトリー。
相手が自分たちを軽く見ているのなら、その油断を突いて勝機を探したいところだが、空中戦の戦力不足はいかんともしがたい。
と、その時……。
「シトリー様っ!危ない!」
マハの叫ぶ声に我に返ると、2体の天使が猛スピードでこちらに向かってくるのが見えた。
咄嗟に間に入ったマハが、その大剣で先頭に立つ天使を迎え撃つ。
「くううううっ!!」
歯を食いしばって呻きながらも、マハは加速のついた天使の一撃を受け止めていた。
鋭い金属音が響き、ぶつかり合った剣が火花を散らす。
こいつ、女か……。
襲いかかってきた天使の、長い銀色の髪が陽の光を受けて眩いばかりに輝いていた。
それにその、整った顔立ち。
もともと、天使は細面で整った顔立ちの者ばかりだが、その女天使はその中でも際だった美人だった。
「おりゃああああっ!」
「くうううっ!」
反撃に転じたマハの一撃を受け止めて、女天使の体が揺らめく。
それでも、マハの大剣を受けて吹っ飛ばされなかっただけでもたいしたものだ。
それに、その女天使の持つ剣。
マハのものよりかはわずかに小ぶりだが、それでも並の女が扱うレベルをはるかに超えた大ぶりな剣だ。
「はあっ!」
「くっ! ……ふん、やるじゃねぇか」
天使もすぐに体勢を立て直して反撃に出る。
あの大剣を易々と扱っていることから、その技量の高さが窺えた。
「ちょっと!シトリー!」
エミリアの声に、シトリーも剣を構える。
襲いかかってきた天使がふたりだったことを、彼も忘れていたわけではない。
最初はマハに襲いかかった天使をサポートするような動きを取っていたもうひとりが、こちらに近づいてくるのを視界の端では捉えていた。
……こいつら、姉妹か?
シトリーと相対した天使は、もうひとりと同じく輝くような銀髪を風になびかせ、やはり女には不釣り合いな大剣を構えていた。
すると、エミリアがさりげなく距離をとり、その女天使の斜め後ろに回る。
そこは、両手持ちの剣を扱う者がもっとも対処しにくく、シトリーの動きもよく見えて連携が取りやすい。
天使時代のふたりの、得意な攻撃パターンが出せるポジショニングだった。
対峙している相手もその出方が気になるのか、牽制するかのようにエミリアの方をちらっちらっと見ている。
シトリーとエミリアの連携攻撃は、状況に応じていくつかのバリエーションがある。
有利な背後のポジションからエミリアが攻撃を仕掛け、相手の体勢が崩れたところにシトリーが斬りかかるパターン。
反対に、敵が必要以上にエミリアに注意を向けているようなら……。
「はあっ!」
シトリーが踏み込んで仕掛けると、相手の対応が一瞬遅れた。
だが、そのシトリーの攻撃は……。
「ふっ……」
「なんですって!?」
シトリーの攻撃はあくまで踏み込む素振りを見せただけ、フェイクだった。
それに引っかかった天使がシトリーの攻撃を受けようとした一瞬、エミリアに向けて隙ができる。
「せいっ!」
「……くううっ!」
すかさず踏み込んできたエミリアの攻撃を、女天使はかろうじて剣で受け止めた。
だが、間髪を置かず今度はシトリーが天使に襲いかかる。
最初のフェイクは、この一撃をより早く繰り出すため。
わかっていればともかく、初見の相手にこの連携攻撃を止められたことはなかった。
「きゃあああああっ!」
シトリーの手に伝わる確かな手応えと同時に、天使の悲鳴が響く。
彼の剣は狙い過たずに、天使の身に着けている軽装の甲冑の継ぎ目、ちょうど左の肩当てのすぐ下の布地が剥き出しの箇所を切り裂いていた。
純白の生地に血が滲み、みるみる広がっていく。
「くっ……」
それでも、女天使は歯を食いしばって剣を構える。
この女……。
今の一度の攻防で、シトリーは天使の動きにぎこちなさを感じていた。
日頃、剣を持って戦うのはガラではないと言ってはいるが、シトリーも、そしてエミリアもかつては天界軍の一員として戦っていた天使だった。
だから2対1なら、並の天使相手にかなり優位に戦えるとは思っていた。
だが、それにしても今の相手は脆すぎる。
さてはこいつ……新兵か?
シトリーにはピンとくるものがあった。
天界の一員として最前線に立つには、長期にわたる訓練を積んで1人前の天使と認められねばならない。
それは、もと天使であるシトリー自身が身をもって経験したことである。
だから、天界軍の天使として戦場に出てくる者に弱者や技量に劣る者がいようはずもない。
とはいえ、それが初陣なら話は別だ。
どれだけ修練を重ねて腕を磨いても、初めて戦場に赴いたときにそれを十全に発揮できる者は少ない。
過度の緊張やプレッシャーがどうしても動きを鈍らせる。
そんな、技量の優劣とかそういう問題とは異なる動きの固さをその女天使に感じたのだ。
……まあ、そういうことなら遠慮なくやらせてもらうけどな。
シトリーが目配せすると、その意図を察したようにエミリアが頷く。
そこから、ふたりの流れるような連携攻撃が始まった。
「くうっ……きゃあっ! ……くっ……なっ!? ……くううううううっ!」
ふたり同時に攻撃すると、大きくかわされでもすれば相手に逃げる隙を与えることになるし、下手をすると勢いのままに同士討ちになりかねない。
だから、わずかにタイミングをずらして、あるときはエミリアが先に仕掛け、またあるときはシトリーが先に仕掛けて、相手がその攻撃に対処すると間髪を置かずにもう片方が攻撃を仕掛ける。
あるいは、相手が間合いを外して体勢を立て直せるような隙をわざと作っておいて、その動きを読んで先手を打つ。
まるで、猛獣が獲物をなぶり物にするように、逃げるチャンスを与えない。
左腕の傷が響くのか、女天使は防戦するのがやっとという状態の様子だ。
明らかに動きが鈍っているところに、ふたりがかりで巧みに連携を取られては彼女には防ぎようがなかった。
瞬く間に、純白の鎧のそこここを切り裂かれ、赤い斑模様が浮かび上がっていく。
「せいいいいいっ!」
相手がかなり弱ってきたとみて、エミリアが鋭い気合いとともに踏み込んでいった。
それは、次の攻撃で仕留めようという合図だ。
「きゃあああああっ!」
体重を乗せたエミリアの攻撃を受け損ねて、女天使が大きくよろめく。
完全に無防備になったところに、シトリーが斬りかかろうとしたときだった。
「アーヤッ!」
「……っ!」
もうひとりの天使が猛然と突っ込んでくるのを、すんでの所でかわす。
「てめえっ! シトリー様を狙うとはいい度胸じゃねえかっ!」
「くぅあああああああっ!」
「……サラ姉さま!」
すぐに追いすがってきたマハの、怒りを込めた一撃を受け止めようとした女天使がそのまま吹き飛ばされた。
シトリーたちの相手をしていた方が悲鳴のような声を上げるが、その女天使はよろめきながらもすぐに体勢を立て直す。
やっぱり、こいつが姉か。
こっちはかなりできるようだな……。
ふたりとも同じ、流れるような長い銀髪をしているところから予想はついていたが、やはりふたりは姉妹だったらしい。
妹にサラと呼ばれた姉の天使は、肩で大きく息をしてはいるものの、目立った傷は負っていない。
今さっきシトリーの方に突進してきたスピードといい、なにより、押されてはいるがあのマハと1対1でやり合っていることが、彼女の実力を物語っていた。
「サラ姉さま! 大丈夫!?」
「私は大丈夫よ。それよりもアーヤ。あなたこそ大丈夫なの?」
「だ、大丈夫です……つうっ!」
姉妹は、互いに背中を預けるようにして剣を構えた。
だが、口では大丈夫だと言ってはいるものの、妹の方は歯を食いしばって表情を顰めている。
シトリーとエミリアにやられた傷がかなり痛んでいるのに違いなかった。
戦いに水を差された形になって、シトリーもいったん戦況を見回してみる。
む……あまり良くないな……。
上空の競り合いは、よく持ちこたえているものの少し押されはじめていた。
あの前線が崩されたら、空からの攻撃に地上部隊もどこまで耐えられるものか……。
守りに徹してもかなりの被害が出るのは容易に想像できた。
だったら、まだ向こうの攻撃を凌いでいるうちに退いた方がいいな……。
彼我の戦力と現在の状況から、そう判断を下す。
「マハ! あのふたりにあれをかましてやれ、そんなにでかいやつじゃなくていいから、向こうを退かせてからこちらも退くぞ!」
「へ? シトリー様?」
「いいから、とにかく一発ぶちかますんだ!」
「はっ、はいっ! ……おりゃああああっ!」
シトリー命じられたマハが気合いとともに剣を一閃すると、放たれたエネルギーの刃がふたりの天使に襲いかかった。
「くああああああああっ!」
「きゃああああああっ!」
手にした剣でそれを受け止めようとした姉が、背後に庇った妹ごと大きく吹き飛ばされる。
相手との距離が空いた隙に、シトリーは地上部隊の方に近づき大声で指示を出す。
「全員撤退だ! ここに来る途中に岩山を穿った砦があっただろ、そこまで退け! 殿は僕たち空を飛べる者が引き受ける! おまえたちは防御に徹して、敵が仕掛けてきても反撃するなよ!」
「は、はい、かしこまりました、シトリー様」
シトリーの言葉にクラウディアが頷き、フレデガンドやエルフリーデたちが慌ただしく動き始める。
それを見届けると、シトリーは反転して上空へ向かう。
「ふたりとも! 僕たちはアナトたちと合流するぞ!」
「うんっ!」
「はいっ!」
ふたりを従えて、シトリーは全速力でアナトたちが戦っている場所まで飛んでいく。
「アナト!」
「……シトリー!? どうしたの?」
「いったん撤退します! 向こうとやり合うにはこちらの飛行戦力が少なすぎる。このままじゃジリ貧ですよ」
「まあ、それはそうだけど……」
「とにかく、守りやすい場所まで退きます。対策を考えるのはそれからですよ。そのためにも、僕たちは相手の戦力を食い止めながら殿を務めないと。地上軍の被害を最小限に抑えないといけませんから」
「それは……言うほど簡単じゃないわよ」
「わかっています。でも、やるしかないですよ。……マハ!」
「はいっ、シトリー様!」
事情を理解したマハが進み出ると、剣を大きく横薙ぎに払う。
その剣先から放たれた衝撃波が天使の集団を襲い、その陣形が崩れる。
一方で、シトリーたちはマハを中心に隊列を整えていく。
この撤退戦において、マハの活躍には目を見張るものがあった。
なにより、敵を牽制する程度の威力なら剣を一閃するだけで放つことができるマハの衝撃波は、放つのに溜めがいるアナトのものよりもはるかに効果的だった。
そして、追いすがってくる敵にはその大剣を振るって討ち払う。
彼女の獅子奮迅の働きもあって、シトリーたちはなんとか退却することができたのだった。
* * *
――モイーシア東部、イストリアとの国境から少し離れた山岳地帯。
――ラドミール城塞。
この砦ははるか昔、まだモイーシアがイストリアと同盟を結ぶ前に東方への備えとして築かれたものだ。
古い城塞ではあるが、改修は加えられていてまだ十分に使用可能な砦であった。
巨大な岩山に貼り付くように築かれたこの砦は、地下にある天然の洞窟を網の目のように張り巡らせた通路で結んでおり、地上部分に見えているのよりもはるかに大きなスペースを内部に備えていた。
かつてはモイーシア東部の防御の要だっただけあって、大軍団が駐屯できる構造になっていたのだ。
しかも、岩山を穿って城塞化するという構造上、他の城よりも地表に露出した部分がはるかに少ない。
それは、構造上そうなってしまっただけで築城者が意識していたわけではないだろうが、結果的に上空に向かって開けた箇所が少ないことは空を飛べる天界軍に対して守りやすい造りになっていたことがシトリーたちにとっては好都合だった。
「シトリー、指示通りに要所要所に対空攻撃ができる魔導師と防御魔法の得意な魔導師を配置してきたわよー。城門の方も守りは固めてあるし、そっちの方にも念のために対空防御策はばっちりしてあるわ」
口調はいつも通りだが、普段よりかはやや真剣な面持ちでエミリアが戻ってきた。
他の戦闘ならともかく、この場合、天界の戦い方をよく知る彼女がその任にはもっとも適しているとのシトリーの判断で守備隊の配置の指揮に当たっていたのだ。
軽装の甲冑に長剣を吊し、背後には翼を現したままのかつての天使の姿で、ただ、その翼だけが漆黒に染まっていた。
「ご苦労、エミリア」
それを迎えるシトリーは、もう翼は収めて椅子に腰掛けている。
「まあっ、エミリアさん……!」
その場にいた下僕たちの中から、アンナが感嘆の声を上げた。
尊敬の眼差しを向けられて、はにかんだように微笑むエミリア。
だが、それに続けてのエルフリーデの言葉には不服そうに口を尖らせた。
「おまえ…………本当に天使だったんだな」
「なによー、その言い方はー?」
「でもっ、本当にそのお姿、凜々しくて素敵ですっ、エミリアさん!」
「そう? ありがとう、アンナちゃん」
「それに、シトリー様のさっきのお姿も本当に立派で……私、感動しました」
興奮に頬を染め、潤んだ瞳を今度はシトリーに向けるアンナ。
彼女ばかりでなく、一部の悪魔組を除いた全員がシトリーの天使姿を思い出しているのか、崇めるような視線を彼に向けていた。
それはそれで、シトリーも悪い気がしないわけはないが、すぐに真顔になって口を開く。
「ところで、食料と水の蓄えはどうなっている?」
「はい、この砦の地下通路は水脈のある洞窟とも繋がっていますから水の心配はありません。貯蔵庫にも食料はかなりの量が残っていますが、最悪の場合、魔法で長距離移動できる魔導師に物資を運ばせますので長期の籠城には耐えられるかと」
シトリーの問いにクラウディアが答えると、それにはアナトが口を挟んだ。
「長期の籠城とはいっても、いつまでもここにいるわけにはいかないわ。どうするつもりなの?」
「僕たちの問題点は、飛行戦力の不足です。とにかく、天界軍とやり合うにはもう少し空を飛べる戦力が必要です。最低でも天使1人に、こちらは2人で相手をするくらい……本当は天使1人に3人ぐらいでかからないと不安なんですけどね」
「と、いうことは、空を飛べる戦力が少なくとも2000近くは欲しいってところね。今、こちら側で空を飛べる悪魔がせいぜい500くらい……ということは最低でも1000人以上、欲を言えば2000弱は欲しいってところかしら……。天界軍が出てきた以上、こっちもこのまま手を拱いているわけにもいかないし、魔界に援軍要請をしてみるけど……」
「問題はその援軍がいつ来るか、というか、そもそも援軍が来るか、だな」
「そうね……」
現実問題として、天界軍が投入された現状では飛行能力のある悪魔を魔界から送ってもらう以外に手はない。
だが、シトリーもアナトもそれがすぐに到着しないだろうというのはわかっていた。
そのままふたりが考え込んでいると、おもむろにピュラが口を開いた。
「あの、シトリー様。私に任せていただけませんか?」
「おまえに?」
「はい、少しばかり考えがあります。1週間、いや、10日ほど私に時間をください」
静かな口調だが、しかしはっきりとピュラはそう言った。
「む……おまえがそう言うんなら。どのみち、今のままでは身動きのしようもないしな。しかし、なにをするつもりだ?」
「以前ヘルウェティアで研究していた魔法を応用してみようかと思いまして。ただ、そのためには私も初めてやる実験が必要と思われますし、お役に立つかどうかは断言できませんから、詳しい話は使えそうな目処が立ってからでよろしいでしょうか?」
「ああ。かまわないが」
言葉とは裏腹に、真っ直ぐにシトリーの方を見るピュラの表情には自信のようなものが窺えた。
もともとヘルウェティアの魔導長だけあって学究肌な面もある彼女は、はっきりと結果が出るまでは明言を避けるタイプではあった。
シトリーもそれがわかっているので、特に反対はしなかった。
とにかく、今の状況を打開できる可能性があるのなら、取り組ませない手はない。
「ありがとうございます。あと、少しだけエミリアさんとニーナさんをお借りしてよろしいでしょうか?」
「えええっ!?」
「ええ~~! 私もですか~?」
いきなり名指しされたエミリアとニーナが、驚いてシトリーの様子を窺う。
「なんだ?そんなに驚くことか?」
「でもっ、でもっ、あたしってば変身以外に取り柄ないし、ピュラさんを手伝えることってそんなにないわよ!?」
「そうですよ~。私なんか最近出番がなくてすっかり影が薄くなってるくらいですから、手伝えることなんかないですよ~」
「何を言ってんだ、おまえら?」
ピュラが何をするつもりなのかわからなくて、自虐的なことを言いながらおたおたしているふたりの抵抗はシトリーのひと言であっさり退けられる。
「まあ、ピュラだって別におまえらを取って食うとかそんなんじゃないだろう。ま、何をするつもりかはわからないけど、それがうまくいけば僕たちが助かるんだし、ピュラを手伝ってやれ」
「そ、そう言われたらねぇ……」
「そうですね~、シトリー様がそう言うんなら~」
「と、そういうわけだ。このふたりは好きに使ってくれ」
「はい。では、私は早速準備に取りかかりたいと思いますので、これで失礼します」
ピュラが退出した後、シトリーが改めて一同を見回す。
「ま、何をするつもりかはわからないけど向こうはピュラに任せるとするか。でも、それとは別に僕らの方でも取り得る対策を考えておかなければいけないだろうな」
「そうね」
シトリーの言葉に、アナトも同意する。
とりあえず、敵のことをよく知っているのは、かつて天界に属していたシトリーとエミリア、それと、何度も天界と戦ってきたアナトくらいだ。
マハも天使とやり合ったことはあるだろうが、策を練るとかそういうのには向いていない。
だから、シトリーとアナトが今後の方針を決めなければならないのは明らかだった。
「とりあえず他の者はこの砦の防衛に専念だ。ピュラの結果が出る前に攻め落とされたら話にならないからな。その間に僕とアナトで策を考えることにする」
「はい」
「かしこまりました」
シトリーのその言葉を合図に、とりあえずその場はお開きとなった。
* * *
その夜。
自分に宛がわれた部屋で、シトリーは今後のことについて考えていた。
「とにかく……あいつらとやり合える戦力を揃えなきゃ話にならないんだけどな……」
今日戦った天使たちの姿を、改めて思い起こす。
あの部隊は、天界全体の戦力のほんの一部分にすぎない。
もちろん彼は現在の天界軍のことについては知らないが、それでもそのくらいのことはわかる。
今回は魔界が3方向から軍勢を繰り出しているので天界もそれぞれに対処しなければならず、一方面に軍勢を集中させることはできないはずだった。
それに加えて、天界から見てもシトリーたちの軍勢がその程度で抑えられると判断されたのだろう。
なにしろ、シトリー自身、自分が魔界の上層部の覚えがめでたくないのは自覚しているし、アナトも実力はあるとはいえ上層部には批判的だ。
そもそも最初にシトリーに対して下った、人間を取り込んで魔界側に付けろという命令自体からして、そちらには軍勢を振り分けることはできないことを暗に意味していたともとれる。
実際のところ、魔界の主力部隊は残りの2方面で、天界もそっち方面に戦力を多く割いているのだろう。
それに対してこちらは、ヘルウェティアの戦力や世界樹の森のエルフたちを陣営に取り込みながらなんとか戦力を整えながら軍を進めてきた。
おそらく、それを期待されてシトリーが抜擢されたのだとはいえ、人間相手ならともかく天界軍を相手にするだけの戦力は端から有していなかった。
だいいち、シトリーはいまだに今回の魔界の侵攻作戦の方針には納得していない。
残りの2方面の主力部隊にどれだけ多くの戦力を注いでいたとしても、そしてその指揮官がいかに強力な悪魔であったとしても、天界が本気を出せば劣勢になるのは目に見えている。
シトリーとしては、天界に対して有効な対処法を上層部が用意しているのかどうかすら懐疑的にならざるを得ない。
……ま、この際問題になるのは戦力の多寡じゃなくて質なんだけどな。
今自分たちの前に立ちはだかっている天使たちも、わずかな人数の部隊とはいえ、かなりの手練れが揃っているのは間違いない。
それも、武器を手にしての直接戦闘ならかなり手強い。
おそらく、下級な妖魔とただの人間の混成部隊なら難なく力だけでねじ伏せてしまうほどに。
今回、シトリーたちの軍勢には魔導師やエルフといった魔法に長けた者が多く、アナトやマハのような図抜けた力を持ち、かつ空も飛べる悪魔がいたからなんとか持ちこたえたものの、それでも防戦一方だった。
少なくとも、現状の数少ない飛行戦力と魔導師たちの長距離攻撃だけでは現状の打破は難しい。
あの銀髪の天使も、かなりの使い手のようだったしな……。
シトリーたちと剣を交えた、あのふたりの天使。
それも、シトリーとエミリアがやり合った妹の方ではなくて、あの姉の方だ。
マハと1対1で渡り合っていた事実がその実力を証明している。
少なくとも、前線で戦う天使の中では相当に腕が立つ方に入るだろう。
あれくらいの天使をこちらに取り込むことができればな……。
そんなことを考えながらシトリーは、掌から例の触手を出してみる。
この力を使えば、天使だって僕のものにできるんじゃないか?
リディアの与えてくれた触手は、たとえ相手が天使でも通用するという確信に近いものはあった。
これを使って天使たちを自分のものにすることができれば、天界の戦力を削ぐのと同時にこちらの飛行戦力を強化できる。
しかし、どうやってこれをやつらに使うっていうんだ?
目の前で揺らめく触手を見つめて、シトリーは唇を噛んだ。
この力は、剣を振るって相手と戦いながら使える代物ではない。
さりとて、離れた場所から触手を放ってもおとなしく餌食にはなってくれないだろう。
少なくとも、狙った相手を捕らえるか、もしくは他の天使の邪魔が入らないように孤立させて動きを止めさせる必要がある。
今のこっちの手勢でそんなことができるか?
頭の中で、あれこれとシミュレーションしてみる。
クラウディアやフィオナに支援させて、飛行戦力を使って追い込む。
あるいは、マハやアナトに追い込ませて、魔法によって捕獲する。
……ダメだな、その作戦の間、他の天使への対処ができなくなる。
どう考えても、天使を一体でも捕獲するにはこちらの手駒から最精鋭を繰り出す必要があった。
それだと、ほかの天使に対する防御ががら空きになる。
下手をすると、その間にこっちの城塞を取られて軍勢も壊滅ということになりかねない。
天使ひとりを捕らえるのに、そこまでのリスクは負うわけにはいかない。
「はぁ……どうしたものかな……」
触手を引っ込めて、ため息を吐くシトリー。
その時、ドアをノックする音がした。
「いいぞ、入れ」
「ははっ、失礼しますっ、シトリー様!」
ひと声かけると、畏まって入ってきたのはマハだった。
戦場ではないので自慢の大剣は帯びていないが、甲冑は身に着けたままだ。
「こっ、今夜はあたしがシトリー様のおっ、お相手をさせていただくということでっ!」
と、直立不動のまま、やたらと緊張した様子のマハ。
まあ、よく考えたらリディアの力でマハが堕ちたその日に軽くお仕置きしてやってから、すぐにシトリーが世界樹の森に出向いてしまったし、その後もマハ相手にはまともに夜の相手をしてやっていなかった。
もちろん今の彼女がそれで不満を漏らすはずはない。
ただ、待ちに待った末にようやくやって来たこの日は、彼女にとってよほど特別な日なのに違いなかった。
「なんだ?鎧を着けたままなのか?」
「はいっ!いつ何時敵襲があるかもわかりませんので!」
「いや、それなら交代制で当番が決まってるだろうが。それに、夜の闇でなら向こうよりこっちの方が有利だ。夜目の利くやつも多いし、悪魔には夜の方が力が増すのもいるしな。よほどのことがない限り向こうも夜中に仕掛けてはこないさ」
「しかし、そうは言いましても……」
「そもそもおまえはここになにをしに来たんだ?」
「あっ……! そ、それはっ……あの、そのっ……あっ、あたしはシトリー様の下僕として、そのっ、お務めを果たしにっ!」
シトリーに指摘されて、マハは顔を真っ赤にしてあたふたしだす。
相変わらずといえば相変わらずだが、その姿が妙におかしくてシトリーもニヤリと笑みを浮かべた。
「まあ、おまえには褒美をやらなきゃいけないと思ってたところだしな」
「えっ? ご褒美ですか?」
「ああ。本格的に作戦行動が始まってからは、おまえの働きにかなり助けられている。それに、今日だっておまえがいなかったらあの天使たち相手にかなり危ないところだった」
「そそそっ、そんな滅相もございません! あたしはただシトリー様のお役に立てればと思っただけで」
「だから、役に立ったから褒美をやるって言ってるんだ。……で、どうなんだ?」
「はっ?」
「褒美が欲しいのか、欲しくないのか?」
「あっ、いえっ、それはっ、欲しいです!」
おたおたしながらもそう叫ぶと、マハはもどかしそうに甲冑の留め金を外していく。
そして、思い切りよく身に着けていたものを全部脱ぎ捨てると、ガシャン、と金属質の音が響いた。
「おまえなぁ……」
あまりにも色気のない脱ぎっぷりに苦笑いを浮かべながらも、均整のとれたマハの体に思わず見とれていた。
籠手や臑当ても外して、その下に身に着けていた薄手の肌当ても脱いで露わになった、その引き締まった裸体。
流水紋様の入れ墨の走る、褐色の肌。
鋼のような筋肉が浮き出てはいるが、決して大柄ではないバランスのとれた体。
円錐形に張り出したようなその両胸の膨らみにも、渦を巻くように入れ墨が入っている。
それは、健康的な美しさと禍々しさの入り交じった、シトリーの下僕の中でも彼女しか持ち得ない魅力といっていいだろう。
その、やや細めの逆三角形の顔の、戦闘の時は視線で敵を射殺さんばかりに鋭い眼光を放っている吊り気味の目を、今は少し気恥ずかしそうに伏せていた。
そんな彼女の様子に、シトリーもフッと表情を崩す。
「……まあ、いいか。ほら、こっちにこい」
「はっ、はいっ!」
「そら、そこに手をついてこっちに尻を向けるんだ」
「かしこまりましたっ!」
ベッドの脇にマハを立たせると、両手をつかせて腰を突き出させる。
と、シトリーがその尻を撫でたかと思うとピシャッと叩いた。
「ひゃううぅん!」
「なんだ? こんなので感じてるのか?」
マハの悲鳴に甘い響きが籠もっていたのを聞いて、シトリーは呆れ顔でもう一度そこを叩く。
「……はうんっ!」
「まったく……本当に変態だな、おまえは」
「はいぃっ! ……ひゃううっ!」
ピシャッ、ピシャッと尻を叩かれるたびに喘ぎ声をあげるマハ。
シトリーは叩く手を止めると、今度は腰からふとももまで、すうっと撫でさする。
「んっ! ああ……シトリー様ぁあ……」
剛柔取り合わせた愛撫に我慢ができなくなったのか、鼻にかかったような声をあげてマハが尻を持ち上げてくいくいと揺らし始める。
そのふとももには早くも滴り落ちた蜜がヌラヌラと光を反射していた。
「本当にしかたのないやつだな。だったら……」
両手でマハの腰を押さえつけると濡れそぼった割れ目を避けて、両の親指でその後ろの窪みを押し広げた。
「シッ、シトリー様っ、そっ、そこはっ!」
「なに言ってるんだ。おまえはこっちの方がいいんだろ?」
「そっ、そうですけどっ……」
「いや、否定しないんだな……」
半ば呆れて苦笑いを浮かべながら、誘うようにひくついている尻穴の中へと指を潜り込ませる。
「んひゅっ、ひゃうううううっ!」
すると、マハの喉から空気の洩れるような喘ぎ声が零れた。
「なんだ? どうかしたのか?」
「ひゃいっ! あっ、いえっ、気持ちいいれすっ!」
「そうか、そりゃよかった。……しかし、むぅ」
言葉の途中で、シトリーの喉から呻き声とも唸り声ともつかないくぐもった音が洩れる。
「お、おまえなぁ、ちょっと力を入れすぎじゃないのか?指の骨が折れそうなくらいに締めつけてきやがって」
「ひゃいいっ!すみませんっ!しかしっ、そこを弄られるとついつい力んでしまって」
「いや、力むにも程があるだろうが。こんなんじゃ、ここに僕のをくれてやるなんて無理だぞ」
「ひえ……え? シトリー様の……?」
「ほら、これだ」
「……えっ?あああっ!」
振り向いたマハの視線が、屹立するシトリーの肉棒に釘付けになった。
じっとそれを見つめて、生唾を呑み込む。
「ほらほら、これをここに入れて欲しくないのか?」
その反応が面白くて、からかうように肉棒の先端をアヌスに当てると、それで興奮したのかマハの引き締まった尻がブルルッと震える。
「はっ、はいっ、欲しいです! 入れて欲しいです!」
「だったら力を抜け」
「はいぃっ!」
勢よく返ってきたマハの声に応じて、肉棒を突き入れる。
しかし……。
「……おい」
「はいっ!なんでしょうか、シトリー様!?」
「おまえ、本当に力を抜いてるのか?」
マハのそこは、シトリーの侵入を拒むようにぎっちりと締められていた。
「あっ、あたしは力を抜いてるつもりなんですけどっ!」
「どこが力を抜いてるつもりなんだ? きつすぎて全然入らないじゃないか!?」
「そっ、それが、シトリー様のを入れてもらえると思うと、興奮してついっ!」
「いいから力を抜けっ!」
「はいっ!」
マハからは従順な返事が返ってくるものの、興奮して緊張するのはいかんともしがたいらしく、ちっとも緩む気配はない。
ただでさえ日頃鍛えている肉体だから、シトリーがいくら押し込もうとしても貫けない。
「おまえ、ふざけてんのか?」
「もっ、申し訳ございませんっ! でもっ、シトリー様のおチンポのことを考えると、嬉しさでお尻の穴がキュッとなってしまって!」
「つまり、力を入れてるんじゃないか」
「そ、それがあたしにも抑えられなくてっ! ど、どういたしましょう、シトリー様!?」
後ろの穴の入り口に肉棒を宛がわれたまま、マハはまたおたおたし始める。
……まったく、こうなったらアレを使うしかないか。
業を煮やしたシトリーは、両手から1本ずつ伸ばした。
まあ、こいつの精神世界がいったいどうなってるのかも気になるしな……。
リディアがマハを堕として以来、そこのことには少なからず興味があった。
そして、そのリディアの力は今、シトリーの中にある。
マハの魂に直接働きかけて力を抜かせるついでに、その精神世界を覗いてやろうと思ったのだ。
マハの腰を掴んだまま、そこから伸ばした触手を中に潜り込ませる。
「……ぶおっ!?」
そこに広がっていた光景に、さすがのシトリーも目が点になった。
いや、広がっているという表現はおそらく正しくないだろう。
なにしろ、そこはおそらく数万を越えるシトリーの姿で埋め尽くされていたのだから。
「どっ、どうかなさいましたか、シトリー様!?」
「あ、いや、なんでもないさ」
背後から聞こえてきたカエルがひしゃげたような声に、マハが訝しそうに振り向くのを笑ってごまかすシトリー。
どうやら、触手を入れられたことには気づいていないようだ。
「そうですか?」
「ああ、本当になんでもない、ちょっと咳が出そうになっただけだ」
自分でも下手なごまかし方だと思ったが、それでもマハは納得したらしい。
いや、どこまでやれば気が済むんだよ、リディア……。
改めて、マハの精神世界を見渡す。
というか、何も見えないに等しかった。
そこは、小さなシトリーの姿がぎっしりと詰まっていて、マハの魂はおろか、少しの隙間も見当たらない。
ええっと…………魂があるのはこっちの方かな?
とりあえず、奥の方に触手を向かわせようとする。
しかし、溢れかえる自分の姿が先を塞いでいて、なかなかうまく進めない。
ああもう邪魔だな……ちょっと先を空けてくれよ。
と、マハに聞こえないように舌打ちをすると、触手の触れた先の自分の姿が、パチンと弾けるように消えた。
ん? これは?
もしかして、魂だけじゃなくてこの中のものも触手で思い通りにできるのか?
そう思ったシトリーが、試みに消えろと念じながら触手を進ませていくと、それに触れた小さな自分がプチンと弾けていく。
自分の姿を消すのはあまりいい気はしないが、そうでもしないと先に進むこともかなわない。
まあ、少々消したところで、これだけいるんだから大して影響はないだろう。
愛の実を飲んだ状態のアナトの精神世界ですら遠く及ばないほどに大量にある自分の姿は、少しばかり消したところで全く減ったようには見えない。
そうやって、触手がマハの魂に辿り着くまでの、わずかな隙間を作っていく。
……おっ!あれか!?
自分の姿を消しては掻き分けつつ奥まで分け入っていった先に、光る水晶のようなものが見えた。
……なるほど。
たしかに、こいつの魂らしいといえばらしいな。
そこで鈍く光るマハの魂は、どぎつい紫の結晶だった。
さらに、その結晶に黒い稲妻がチロチロと纏わり付いているのが、いかにも禍々しい気配を漂わせている。
シトリーはその、マハの魂に触手を絡みつかせる。
「……ぅ!? シッ、シトリー様!? 今、なにかしましたか?」
さすがに異常を感じたのか、マハがブルッと身震いをした。
「いや、今から僕が気持ちよくさせてやるから、おまえはそのことに集中しろ。いやらしいこと以外は気にするな」
「は、はいっ」
触手を魂に絡めながら命令すると、マハが淫靡で、期待に満ちた表情を浮かべる。
それはまさに、シトリーが命じたとおりにいやらしいことしか考えられない牝の顔だった。
「いいか? 尻の力を抜け」
「はいいぃ……」
返事と同時に、腰を掴んだ手にもそれとわかるほどにマハの体から力が抜けていく。
「じゃあ、いくぞ…………くっ!」
やはり鍛え方が違うのか、力を抜いてもマハのそこはかなりきつかった。
それでも、シトリーの肉棒は今度はずぶっ、ずぶっとマハの中へと入っていく。
「ふああっ……! あふぅううううううううううっ!」
尻の穴を肉棒で貫かれたマハが、感極まったように喘ぎながらベッドに突っ伏す。
それでも、尻だけは高く突き上げたままで、前の裂け目からは迸り出た愛液がボタボタとシーツの上に滴り落ちていた。
「なんだ?入れただけだってのにもうイッたのか?」
「はい、はいいぃ……。シトリー様のおチンポでお尻を突かれて、あたし、イッてしまいましたぁああ……」
肩で大きく息をしながら、マハが恍惚とした声をあげる。
「でも、もちろんこれだけで終わりにするつもりはないよな?」
「はいっ、はいぃ……。もっと、もっとシトリー様のおチンポ、あたしのお尻の穴にくださいま……あっ、はうっ、ひゃうううんっ!」
マハの返事を、最後まで待たずに腰を動かしはじめた。
ひと突きごとにマハの喉から振り絞るような声が洩れ、その股間からは小水かと思うほどに愛液が滴り落ちる。
「ふああっ、ああっ、素晴らしいですっ、シトリー様っ! あうっ、はううんっ!」
ベッドに伏せた顔を左右に振って、マハは尻穴の興奮に乱れていく。
その一方でシトリーは、触手を絡ませたままのマハの魂に再び注意を向けていた。
それにしても、魂の姿はそれぞれでだいぶ違うもんなんだな……。
エミリアの魂は普段のおちゃらけた態度とは裏腹に、純真にシトリーを想う本心を現しているかのような透明感のある青白い色をしていた。
それに対してアナトのそれは妖しく煽情的な赤い輝きを放っていた。
そして、マハのその、どこか凶暴さを窺わせる魂の輝き。
つまりは、魂の姿はそいつの人となりを表しているということか?
だったら逆に、この魂の輝き方を変えることができたら、そいつはどうなるんだ?
ふと、そんな疑問が浮かんだ。
一度気になると好奇心を抑えきれずに、ものは試しと絡めた触手を通じて頭に浮かんだイメージをマハの魂に送り込んでいく。
すると、夜の闇に通じるような深い紫紺をしていたマハの魂が、見る見るうちに色を薄めていき……。
「きゃああああっ!」
その魂の色が、清潔感の漂う淡く白い色になったとき、誰のものともわからぬ悲鳴が響いた。
いや、この場にはマハとシトリーしかいないのだから、それはマハの悲鳴に違いなかったのだが。
女にしては野太い普段の彼女の声と比べると、今の悲鳴は数オクターヴは高く感じられた。
「やっ、やだっ、あたしったらっ! シトリー様とこんなっ……それもお尻でっ……あんっ、でもっ……気持ちいいっ!」
いやいやをするように頭を振りながらも、マハは快感に悶えている。
その、いかにも戦士らしい筋肉質の体は全く変わっていない。
しかし、褐色の肌に汗を浮かべて恥ずかしそうに身をよじり、時おりシトリーの方を振り向くその目からはいつもの荒々しい力強さは消え、気弱そうに涙を浮かべていた。
「あたしったら恥ずかしいっ! でもっ、いいのっ! ……あんっ、イッちゃうっ! お尻の穴でイッちゃうのおおおおおっ!」
絶頂の瞬間の表情を見られまいとするようにベッドに顔を埋め、シーツを固く握ってマハは体を引き攣らせる。
その瞬間、細かく振動しながら肉棒を締めつけてきたのでシトリーも堪らず射精してしまう。
「くううっ!」
「あんっ……来てるっ! シトリー様の熱いのがっ、お尻の中にいっぱいきてる! やぁっ……恥ずかしいけどっ、またイクッ!イッちゃうううううっ!」
まるで初心な乙女のように恥ずかしがりながら、マハは何度も達してしまう。
それにしても、普段のマハを知る者にとって、羞じらいほど彼女に似合わないものはなかった。
そして……。
「はあっ、シトリー様っ! んっ、はあっ、もっと、もっとくださいっ! ……はんっ、んっ、ちゅむっ!」
さっきとは違い、マハの方からシトリーに抱きついて女としての部分でシトリーのものをいっぱいに頬張り、淫らに腰をくねらせていた。
そして、舌を伸ばしては情熱的にシトリーの唇を貪ってくる。
触手が絡みついたままのその魂は、今度は妖しいまでに濃いローズピンクに輝いていた。
魂をその色に変えた途端に、娼婦のようにシトリーのものを求め、いやらしく乱れ始めたところを見ると、どうやら赤みを帯びたピンクが淫らさを司る色であるらしい。
真正面からシトリーと抱き合うマハの顔には、これまた本来の彼女なら見せないような淫靡な笑みが浮かび、心底楽しそうにセックスに没頭している。
「はあぁんっ……いいですぅっ! シトリー様のっ、最高に感じますっ! はんっ……んっ……!」
本来、荒くれた武人であるとは思えぬほどに巧みな腰使いで、マハはシトリーの精を搾り取ろうとする。
さすがに日頃体を鍛えているだけあってその体力を無尽蔵かと思えるほどで、放っておけばアナトの時のようにシトリーが気を失うまで搾られかねない。
しかし、その心配は無用だった。
「あふぅあああっ! イクッ、またイクぅうううううっ!」
触手を通じて魂を弄り、感度を高めてやるだけでアクメに達したマハは、シトリーに抱きついて体を震わせる。
マハをイカせるトリガーは、シトリーが完全に握っていた。
「どうした? もう終わりか?」
「あ……いえっ……もっと……もっとイカせてください。……んっ、はうっ、ああっ、すごいぃいいっ!」
シトリーの言葉にゆるゆるとくねらせはじめた腰の動きは、すぐに快楽のうねりに飲まれて激しくなっていく。
もう、この調子で20回は絶頂させられているというのに、その体力はさすがという他なかった。
そして、数え切れない絶頂の果てにマハが気を失った後で。
「なるほどな。魂の輝きを変えるとそいつの人格を変えることができるってわけか」
ぐったりしているマハを見下ろしながらシトリーが呟く。
最初は試すだけのつもりだったのだが、マハの反応が変わるのが面白くてついつい本気で遊んでしまった。
「しかし、やっぱりこいつは元の方が落ち着くな……」
おもむろに触手を魂に絡めると、その色を元に戻していく。
すると、気を失ったままのマハの体がピクッと小さく痙攣した。
彼女の魂を元に戻したのはもちろん、下手に人格を変えてしまってマハの戦士としての能力が落ちるのをおそれたというのはある。
しかしそれ以上に、リディアが堕とした今のマハの人格に自分がすっかり慣らされてしまっていることに、シトリーは苦笑いを禁じ得なかった。
< 続く >