ツインズ! 第2話

第2話 誰得?の調理実習

 そして、それから1週間が経った。

「おはよ、陸。……ちゅっ」

 おはようの挨拶と一緒に、涼しげな眼差しを僕に向けて亜希がキスしてくる。

「あっ、おはようっ、陸!……ちゅっ!」

 明日菜が元気よく手を振りながら駆け寄ってきて、飛びつくようにキスしてくる。

「陸くん、おはよう。……ちゅ」

 小柄な羽実が、少し背伸びをしながら、目を瞑ってそっとキスしてくる。

 結局、空がみんなにかけた暗示は、1週間経っても放置されたままだった。

 ただ、もうさすがに最初の時とは違って驚きはしない。
 でも、慣れたかというと、そう簡単に慣れるものじゃなかったけど。

「今日も朝からモテるなー、陸は」
「ホント、いい男はつらいよな」
「そんなこと言っても……しかたないよ、このクラスにはもともと仲がいい子が多いんだから」
「またまたそんなこと言っちゃってさ。モテる男の余裕ってやつだな」
「もう……好きに言ってなよ」

 男友達にひやかされるのも朝の恒例行事になっていて、もうムキになって反論する気力も起きない。

「ていうか、陸の場合は顔の作りが女の子っぽいから、女子たちも男だと思ってないのかもしれないしな」
「なに言ってるんだよ、もう……」

 さすがに、そう言われると言い返したくもなる。
 それは、男らしいっていうのとはほど遠いってことは自覚してるけど、あの3人は幼馴染みだから仲がいいわけだし、別に男扱いされてないとは思ってないんだけど。

 だけど、そんな男子の冷やかしに他の女子が乗ってきた。

「あっ、でもそれってあるかもね-。陸くんって、男の子って感じがあんまりしないのよねー」
「そうそう。ていうか、陸くんも空も同じ顔だし。体の線も細いから、違ってるのって、髪の長さと制服くらいだもんね」
「そう言えばそうよね。そう思ったら、陸くんにキスするのってあまり抵抗感がないわね。私もしちゃおうかしら?」
「うん、私もしよっかな?ね、いい?陸くん?」
「えっ?ええーっ!?」
「おいおい、陸の人気まだ伸びるのかよ?それだったら俺にもしてくれよ」
「絶対やだ」
「なんでだよ!」
「だってぇ、男にキスするのはやっぱり恥ずかしいし、ていうか、あんた趣味じゃないし」
「あっ、ひでぇな!じゃあなんで陸はいいんだよ!?」
「だって、陸くんは男じゃないもん」
「あの~……」

 ……いや、僕だってれっきとした男なんだけど。

「なんだよ、それ!?陸だって男だろ?」
「あんたたちと一緒にしないでよね。陸くんは男の子。あんたたちはただの男」
「いや、言ってることの意味がよくわかんねえんだけど」

 本当に、なに言ってるんだか。
 女の子の考えてることって、よくわかんないな……。

 まあ、なに考えてるのか一番よくわからないのは空なんだけど。
 なんのつもりでこんなことやってるんだか……。
 小さい頃からずっと一緒にいた僕ですら、空がなんのためにこんなことをしてるのか全然わからない。

 空がみんなにこんなことをしてから変わったことと言えば、クラスの中で男子と女子の会話が活発になったことくらいかな?
 さっきみたいに、毎日のように朝から女の子と男子たちの間で他愛もないやりとりが繰り広げられてる。
 主に、僕を話題のネタにしてだけど。

 でも、それが空の狙いだとは思えないけどな……。

 そんなことを考えながら視線を向けると、ニヤニヤしながらこっちを見てる空と目が合った。

 ……なんか嫌な予感がするなぁ。

* * *

「ほら!調理実習室行くよ、陸!エプロンは持ってる?」
「持ってるってば」

 空に急かされて、エプロンと筆記用具を持って立ち上がる。

 今日は、家庭科の調理実習がある日だ。
 うちの学校は、できたときはもともと女子校だったのが、後になって共学になったらしい。
 そのせいか、今でも女子の方が人数が多かったりする。
 で、女子校時代の名残なのか、家庭科の授業にかなり力を入れている。しかも、男女ともに必修。
 どういう風に力を入れているかというと、2時間ぶち抜きで、いろいろと手の込んだことをやったりする。
 この日は、3時間目と4時間目を使って調理実習で、たぶんそのまま試食をかねてお昼ご飯だ。
 だから、今日はお弁当を持ってこなくていい日になっていた。

 調理実習実習室に行くと、まず、班分けをして班ごとに席に着く。
 僕は、羽実と同じ班になった。

 最初に、家庭科の鳥山先生が、あれこれと作り方の説明をするのを聞きながら、いちおう真面目にノートを取る。

 鳥山先生は、うちの学校の先生の中でもかなり若い方だ。
 たしか、この間30才になったくらいだと思うけど、けっこう美人だからうちの男子たちに人気があった。
 ウェーブのかかった長い髪を後ろで留めた、細めの顔立ちで、ちょっと切れ長の目に銀のハーフリムの眼鏡を掛けてて、鮮やかな口紅を引いている口元にホクロがあったりして、大人の女性の雰囲気があったりするし、びしっとスーツを決めて颯爽と歩いてたりなんかすると、家庭科の先生というよりかは仕事のできるOLさんみたいだ。

「いい?先週も言ったけど、今日の調理実習で作るのは白身魚のエスカベッシュとミネストローネよ」

 そんなこと言ってたっけ?
 ていうか、エスカベッシュ?なに、それ?それって、高校の調理実習で作れるものなの?

 ……作り方を聞いてると、エスカベッシュっていうのは魚の切り身を揚げて、野菜と一緒に酢でマリネにしたものらしい。
 洋風の南蛮漬けみたいなのかな?
 よくわからないけど、そんな感じのものを想像してみる。

「じゃあ、作り方はこれでいいわね。今のところで、何か質問があるかしら?」

 一通り説明して、鳥山先生がみんなに訊いた時だった。

「お遊戯する人この指とーまれ!」

 教室の中に、澄んだ声が響き渡った。

 ……これって、空の声じゃないか?
 いったい、なに言ってんだろう?

 そう思って、空の座っていた方を見ると、右手を挙げて空が起ち上がっていた。

「空?いったい、何やって……えっ?」

 授業中に大きな声を上げて起ち上がった空に声をかけようと思った僕は、調理実習室全体が異様に静まりかえっているのに気がついた。

 亜希も、明日菜も、羽実も、それに、鳥山先生も含めた全員が、上に突き上げた空の人差し指を見つめている。
 誰ひとり身動きもしないし、声も出さない。
 真っ直ぐに空の指を見つめるみんなの目は、焦点が定まっていないみたいにぼんやりとしていた。

「ええっ、これは!?ちょっと……空?」

 状況が飲み込めないでいる僕をよそに、空が口を開いた。

「これから、ルールをひとつ決めます。調理実習中は、女の人は全員、下着だけの姿になって、その上からエプロンを着けること。いい?わかったら、みんな首を縦に振ってちょうだい」

 その言葉に、空の指先を見つめながら全員が一斉に頷いた。

 もしかして……これって、催眠術?

 僕は、ようやくそのことに気づく。

「調理実習の時に下着だけになってエプロンを着けるのは、ごくごく当たり前のことなんだから、誰も変に思う人はいないし、男子も、女の人のそんな格好を見ても全然気にならないよ」

 空の、張りのある澄んだ声だけが調理実習室の中に響く。
 その言葉に、みんながコクリと頷く。

 ちょっと、なに言ってるの、空!?

 そう思ったけど、口に出せない。

 背筋を真っ直ぐにして、右手の人差し指を突き上げて話している空は、僕が割って入るのを許さない雰囲気を漂わせていた。

 僕以外の全員が、虚ろな表情で空の指先を見つめて、その言葉に聞き入っている。

 間違いなく今、この空間を空が完全に支配していた。

「女の人は、調理実習の授業が終わるまでは、服を着てはいけません。そういう決まりだからです。試食も終わって、授業が終わるときになって服を着ましょう。わかった?」

 また、全員が同時に頷く。
 誰ひとり、口を挟むものはいない。
 ぼんやりとして、空の言葉を聞いているだけ。
 まるで、みんな人形になってしまったように。

「じゃあ、あたしが手を叩いたら、さっき先生が説明を終えたところから授業再開します」

 そう言うと、空は席に座ってパチンと手を叩く。

 そしてやっと、その場の空気が動き出した。

 さっきまで、誰も物音ひとつ立てることがなかった室内に、実習の授業特有の、ざわついた雰囲気が戻ってくる。
 そして、何事もなかったみたいに鳥山先生が口を開いた。

「どうやら質問はないみたいね。じゃあ、調理実習を始めましょうか」

 先生がそう言うと、みんなは筆記用具を片付けて立ち上がる。

 そして、女子が一斉にスカートを脱ぎ始めた。

「えっ?あ、ちょっと……羽実?」
「ん?どうしたの、陸くん?」

 僕のすぐ隣で、羽実はもうスカートを脱いで軽く畳み、制服のボタンを外し始めていた。

「なにしてるんだよ、羽実?」
「なにって?調理実習の時は、制服を脱いで下着だけになってエプロンを着けなきゃいけない決まりでしょ。なんか変かな?」
「えっと……それは……」

 その決まりは、今さっき空が決めたことで、なんか、どころかすごく変なんだけど……。

 とか言ってるうちに、羽実はすっかり制服を脱いでしまった。

「どうしたの?陸くんったら、変な顔して?」

 無邪気に笑っている羽実は、全くおかしいとは思ってないらしい。

 下着姿のまま、エプロンを手にとって首を傾げている羽実。

 そう言えば、羽実の下着姿を見るのって……。

 そうだ!
 空が、初めて催眠術を人にかけるのを見たとき以来だ。
 あの時の羽実のブラは、いかにもお母さんか誰かに買ってもらったような、真っ白であまり飾りっ気のないブラだった。
 でも、今着けてるのは、白に、カフェオレみたいな淡い焦げ茶の縞が入っている、なんかふわっとした感じの生地のブラだ。
 パンティーも色を合わせてるのか、薄いコーヒー色で、小っちゃなリボンが付いていた。 
 たしかに、羽実によく似合ってる、可愛らしい感じの下着だった。

 それに、ブラにくるまれた、久しぶりに見る羽実の胸はあの時よりもだいぶ大きくなってるように見える。

 なんか、見てるとドキドキしてきちゃうな……。

 ブラとパンティーだけの格好で笑っている羽実を見ていると顔が熱くなってきて、思わず視線を逸らす。

 あ……これは、亜希だな……。

 後ろを振り向くと、すぐ目の前に亜希の背中があった。
 さすがに、ずっと水泳部の選手なだけあって肩幅や背中の広さが他の女の子とは違うし、肩にくっきり水着の跡があるからすぐにそれとわかる。
 というか、確実に僕よりも広くて筋肉がついてる背中だと思う。
 でも、筋肉質なのにしなやかで柔らかそうな感じなのは、やっぱり女の子だからかな?
 本当に、健康そのものって感じのする背中だ。

 ……あっ、あっちは明日菜か。
 ていうか、明日菜って、あんなに胸が大きかったっけ!?

 亜希の向こうに、パステルピンクのブラを着けた明日菜の姿があった。
 そう言えば、あの時も明日菜はあんなピンクのブラだったっけ。
 きっと、あの色が好きなんだな、あいつ。

 ……それに、本当に大きいよな。
 昔、明日菜が空の催眠術にかかった時に掴んだのより……いやいや、あの時見た感じよりも、ずいぶん大きくなってる気がする。
 普段、制服の上からではそんな感じがしないからなおさらだ。
 着痩せするタイプなのかな?

 他の子たちも……。
 うわー、高崎さんの下着、濃い青に黒い縁が付いていて、なんか大人な感じだなー。

 こんなのは絶対おかしいはずなのに、それに、あんまり女の子の下着姿を見るのはいけないはずなのに、ついつい周囲をきょろきょろ見回してしまう。

 同じ班の他の子も、羽実と同じように下着だけの姿になってエプロンを手にしてる。
 ピンク、水色、黄緑色に白……。
 パステルカラーが多いのは、そういう下着が多いからなんだろうか?

「なにしてるの、陸くん?早くエプロン着ないと」
「え?あ、うん……」

 エプロンを首から掛けて、羽実の下着が隠れる。
 促されて、僕もエプロンを着けて紐を結ぶ。

 なに?この状況はいったいなんなの?
 ていうか、こんなの、うちのがさつな男どもが放っとかないよな……。

 そう思って周りを見回す。
 だけど、誰も騒いだり気にしてる様子はなかった。
 あらかた下着姿になった女子たちと、のどかに談笑しながらエプロンを着けている男子の面々。
 いや……そんな和やかにしてる光景じゃないと思うんだけど。
 本当に、男子たちも、それに先生もよく平気でいられるよなぁ……。

 この妙な状況に誰も騒がないのが異様で、思わず鳥山先生の方を見る。

「えっ!?えええっ!?」

 思わず、声を上げてしまう僕。

 そこでは、先生が完全にスーツを脱いでしまっていた。
 だけど、声を上げたのはそのせいじゃない。

 鳥山先生の下着ときたら……。

 黒……。
 それも、ブラもパンティーも、レース生地みたいな感じ。
 なんか、目を凝らすと透けて見えそうだ。

 それに、そのブラときたら胸の谷間を強調するようにおっぱいを持ち上げて真ん中の方に寄せていた。
 ブラからはみ出した先生のそれは、はち切れんばかりにぷるんぷるんと揺れている。
 あんなもの、生まれて初めて見た。当たり前だけど。

 大人だ……。
 さっき、高崎さんの下着を大人な感じがするって思ったけど、訂正したいと思う。
 これに比べたら、高崎さんのなんかまだまだ子供もいいところだ。
 鳥山先生の下着姿は、とにかくうちのクラスの女子全員が足下にも及ばないほどに大人の色気たっぷりだった。

「しまったわね……調理実習があるんだったら、もう少し控えめな下着を着てくるんだったわ……」

 でも、さすがにその下着は恥ずかしいのか、鳥山先生は少し気まずそうにしていた。

 いや、たしかに調理実習があるのは前から決まってたことだけど、下着でエプロンを着けないといけないっていうのは空がさっき勝手に決めたことだから。
 それも、催眠術を使って。

 だから、先生は別に悪くないんだけど。
 ……にしても、なんでそんな下着を着て来てるんだろう?

 いや、そもそも空は何でこんなことを?

 そう思ってそっちを見ると、空もちゃっかり下着だけの格好でエプロンを着けていた。
 しかも、僕と目が合うとこっそりVサインなんか出したりして。

 羽実たちや鳥山先生のブラとパンティーだけの格好を見たときはあんなにドキドキしたのに、空のそんな格好には全くそんなのは感じない。
 まあ、双子の妹ってのあるし、家の中だと、あれに近い格好でうろついていて母さんに怒られてたりするのをよく見るから新鮮味がないっていうのもあるかもしれない。

 ていうか、空ってうちの女子の中じゃ胸が小さい方なんだな……。

 決して自分は巨乳好きだとかそういうのじゃないとは思うし、うちのクラスの下世話な男友達が胸は大きい方がいいだの、いや、形がいい方がいいだのっていう話をしている時も、特に何とも思ったりはしなかったけど。
 やっぱり女の子の胸って、小さいのよりかは大きい方がいいんじゃないかって思ったりしてしまう。

 いやいやいや!
 そんなことよりも!

「いったい何のつもりなんだよ、これは?」

 自分の席を離れて、空に詰め寄る。

「何のつもりって?何が?」
「女の子たちに、いや、先生まで下着姿にさせてるだろ?」
「だって、楽しいじゃない」

 空からの答えは、いたってシンプルだった。

「楽しいって、どこが!?」
「えー?みんなで下着になって調理実習なんて、なんか楽しいじゃない」
「なんで女の子だけ?」
「男がパンツだけになって料理してるところなんて、気持ち悪くて見たくないもん」
「うん、それはまあ、そうだけどさ……」

 空のその返答には深く同意してしまう僕。
 ていうか、同意してる場合じゃないけど。

「と、とにかく、催眠術使ってこんなことさせて、みんなが可哀想だろ」
「えー?なんで?だって、ほら、私も下着になってるし」

 そう言って、エプロンの裾をひらひらさせてポーズを取る空。
 たしかに、パンティーがちらちら見えるけど、空がそんなことしても全然ドキリともしないんだけど。

「そーいう問題じゃないだろ!」
「ええーっ?」

 ついつい大きな声を出すと、わざとらしく驚いてみせるのがまた小憎たらしい。

 とか、そんなことをやり合ってると。

「こら!そこのふたり、なにやってるの!?」

 いきなり、後ろから声が飛んできて振り向くと、鳥山先生が腕を組んで立っていた。
 まあ、腕を組んでるのはいいんだけど、服を脱いだエプロン姿だと肌が丸見えで、妙に生々しい。
 エプロンで隠れている下には、何も着てないように錯覚してしまって、なんかまともに見ていられない。

「えっ?あっ、これは、その……」
「なんか、陸がさっきから話しかけてくるんですよ~」

 どぎまぎしてしどろもどろの僕とは対照的に、空がしれっとした顔で答える。
 ……て、おい!

「もう!陸くんの班はあっちでしょ!授業はもう始まってるんだから、ふざけてないで真面目にやりなさい!」
「は、はいっ!」

 ……先生に注意されてしまった。

 ていうか、なんで僕が怒られなきゃいけないんだよ?
 本当は空がこんなことをしてるのが悪いっていうのに!

 でも、空のやっていることをここで言ってもわかってもらえないに決まってる。
 言ってわかるくらいなら、先生だって服を脱いだりしないだろうし。

「とにかく、自分の班に戻りなさい」
「……わかりました」

 先生にそう言われると、諦めるしかなかった。
 どのみち、催眠術を解かないかぎりこの状況は戻らないし、下手に騒ぐと僕の方がおかしいと思われるだけだろうし。
 それに、催眠術を解くことができるのは空だけだし。
 今のところ、空はそんな気は全然なさそうだし。

「…………って!ぶふっ!!」

 前に戻りかけた鳥山先生の後ろ姿を見て、思わず噴いてしまった。
 明らかに、人前で見せるものじゃない格好がそこにあった。

 ……よく考えたら、エプロンって前は隠れてるけど、後ろから見たらほとんど何も着てないのと一緒じゃないか!
 というか、それ、紐しか見えないんですけど。
 もしかして、あれが紐パンっていうの?

 そんなパンティーがあるって、うちのクラスの男連中が話をしていたのを思い出した。
 それにしても、スタイル抜群の腰もお尻も丸見えで、目のやり場に困る。

 だいいち、なんでそんな下着なんだろう?
 まさか、鳥山先生って普段からそんなのばっかり着てるんだろうか?
 ……それとも、今日は仕事の後にカレシとデートの予定でもあるのかな?
 いや、だからってなにもこんな……。

「ん?どうしたの、陸くん?」
「え、あ、いえ、何でもないです」
「早く自分の席に戻りなさい」 
「あ、はいっ」

 振り返って怪訝そうに首を傾げた先生にしどろもどろの返事をして、しかたなく自分の席に戻る。

「どうかしたの、陸くん?」
「うん、いや、なんでもないよ。ちょっとね……」

 戻ると、何かあったのかと羽実が心配そうに待っていた。
 それを適当にごまかして、調理実習の準備に取りかかる。

 こうして、女子は全員(先生含む)ブラとパンティーにエプロンを着けただけの、わけのわからない調理実習が始まったのだった。

* * *

 そんなこんなで、班の中で役割分担を決めて、料理を作り始める。
 僕は、羽実と一緒に野菜の皮を剥いて、適当な大きさに切っていく担当だ。

「熱っ!もうっ、河合くんったら!もう少し静かに入れてよね!」
「ごめんごめん!」

 僕たちの向かいでは、魚を揚げる担当の、佐藤さんと河合が言い合いをしていた。

 揚げるって言ってもそんなに本格的じゃなくて、小麦粉をまぶした魚が浸からない程度に油を引いたフライパンで揚げ焼きにするような感じだけど。
 それでも、雑にやると油が跳ねて大変そうだ。
 なにしろ、エプロンはしていても、女の子の腕はもろに出てるし。

「だからっ!そうやったら油が跳ねるでしょ!」

 佐藤さんは本気で怒ってるみたいだけど、この絵面だとそんな感じがしない。
 テレビのバラエティでグラビアアイドルがビキニにエプロンを着けて料理してるのを見たことあるけど、あんな感じ。
 ていうか、そのまま同じシチュエーションだし。

「わりぃ、ホントごめんって」
「もう、気をつけてよね」

 河合も河合で、なに普通に会話をしてるんだか。

 ぐるっと見回すと、肩から腕まで露わなエプロン姿がいっぱい。
 エプロンのタイプや丈によっては、肩や膝上まで丸見えの子もいる。
 それ以外はいつもの家庭科の授業と変わらない。

 こんな状況で、男子が誰ひとり騒がないなんて……。

「どうかしたの?陸くん?」
「えっ、あっ、いや、なんでもないよ!」
「包丁使ってるんだから、ちゃんと手許見てないと危ないよ」
「う、うん、ごめん……」

 きょろきょろと周りを見回していたら、羽実に注意されてしまった。

 謝りながら、どぎまぎしてしまう。
 見るからに、ふにっと柔らかそうな感じの羽実の二の腕。
 いや、それだけなら半袖の服を着てる時だって見えるんだけど。
 ただでさえ、そんな格好で動き回ってるとエプロンがひらひらと捲れてちらりとブラやパンティーが見えるって言うのに、こうやって真横からだと、ふとももも、脇腹も肩も、それに、ブラを着けただけのぷっくりとした胸のふくらみも、まともに見えちゃうんだから。
 下手に下着だけでいられるのよりもいやらしい感じがするのは僕の気のせいかな?

 でも、なんでだろう?
 僕の方が恥ずかしくなるみたいに顔が熱くなってくるのに、視線を外せない。
 ついつい、羽実の白くて柔らかそうな胸やももを見つめてしまう。

「つうっ!」

 不意に、指先を鋭い痛みが走った。

「どうしたの!?陸くん?」
「いや……ちょっと指の先を切っちゃって……」

 左の人差し指の腹に小っちゃな切り傷ができていて、見る見るうちにぷっくりと血の玉が膨らんでいく。

「……見せて、陸くん」

 そう言って羽実はポケットからティッシュを取り出すと、それを僕の傷口に当てた。

「ちょっとそこ押さえててね」

 さっと手を洗いながらそう言うと、エプロンの裾を持ち上げてポンポンと手を拭う。
 ……て、そんなに持ち上げるとパンティーが丸見えなんだけど。

 そして、筆箱から絆創膏を取り出すと、傷口のティッシュを除けて血玉ができる前に素早く巻き付けてくれた。

「これでよしっ、と」
「ありがとう、羽実。……いつも絆創膏持ち歩いてるの?」
「今日は調理実習があるのわかってたから、もしかしたらと思って用意しておいたの」
「そうだったんだ」
「でも、本当に使うことになるなんて。……陸くんが悪いんだからね。私がちゃんと手許を見てなきゃって言ったのに。よそ見してるからだよ」
「うん、ごめん……」
「どうしたの、陸くん?顔が真っ赤だよ?」

 不思議そうに羽実が僕の顔を覗き込む。

 ……そんなの、顔だって赤くなるよ。

 いくら幼馴染みでよく知っている相手とはいえ、すぐ間近でそんな格好されたら、やっぱりドキドキしちゃうよ。

 男だったら、目の前で女の子が肌を露わにしてエプロン着けてたら気になるに決まってるし、興奮してくるに決まってるじゃないか。

 ……ああ、そうか。
 やっぱり僕もちゃんと男なんだな……。

 それはもちろん、自分が男だってのはわかってるけど。
 でも、みんなにはいつも男っぽくないとか、女の子みたいってよく言われるし、自分でも男らしくないのは自覚してたから。
 だけど、こういう状況になるとはっきり自分が健全な男だって感じる。
 どうしても女の子のことを意識しちゃうし、そっちの方に目が行ってしまう。
 それに、こんなに胸がドキドキして、顔が熱くなってくる。

 ……って、まさか空がこんなことをしたのはそのためとか!?
 常日頃、僕に男らしくなって欲しいって言ってるし、早く彼女作れとか言ってるし、自分が男だって自覚させて、もっと異性を意識させるのが目的で?
 たしかに、あいつならやりかねない……。

 もしそうなら、こんなのでドキドキしてるのって、なんかうまく乗せられたみたいで嫌だな……。
 ていうか、絶対そんなの間違ってるし!

 ちらりと空の方を見ても、作業に集中してるみたいで、何を考えてるのかさっぱり読めない。

「ねえ、早くしないとうちの班だけ遅れちゃうよ、陸くん?」
「あ……うん」

 羽実がまた、首を傾げてこっちを見ていた。
 慌てて返事をすると、とりあえず作業に集中することにする。

 そんなわけで、なんとか僕たちの班の料理も完成して、ようやくこの、誰が得してるのかよくわからない状況の調理実習も終わりだと思ったのに。

「えっ?えええっ!?」

 今度は、みんなが一斉にエプロンを外し始める。
 だけど、女の子はエプロンを畳んだだけで、ブラとパンティーという格好のままだ。

「どうしたの?陸くん?」
「いや……だって、その格好……」
「なんか変かな?調理はもう終わったんだし、試食の時はエプロン外さなきゃ。いっつもそうでしょ?」

 たしかに、いつもの調理実習だと、調理が終わってみんなで食べる時にはエプロンを外してるけど……。
 あっ!さっき空は、試食が終わって、授業が終わるまで服を着たらいけないとか言ってなかったっけ?
 ていうことは、試食が終わるまで、女の子はみんなこの格好ってこと!?
 いやいやいや!それはさすがにマズいって!

 すぐ横の羽実はもちろん、どっちを向いてもブラとパンティーだけの女子が目に飛び込んでくる。
 それはもう、エプロンを着けてた時の比じゃない。
 さっき、下着だけの姿よりもエプロン着けてた方がいやらしく感じるとか思ってた僕が馬鹿だった。
 やっぱり、こっちの方がずっといやらしい。
 ていうか、どうして女の子の下着ってそんなに生地が薄いんだよ!
 パンティーだって、男もののパンツよりもずっと小っちゃいし、最低限のところしか隠してないじゃないか!

 僕が目のやり場に困ってあたふたしていると、パンパンと手を叩く音と同時に鳥山先生の声が聞こえてきた。

「じゃあ、試食の前にみんな他の班の料理の出来を見ておきましょうね。他の人がどういう風に盛りつけているか見るのも勉強の内よ」

 その言葉に、また調理実習室の中がざわざわし始める。

「羽実、陸、あんたたちの班はうまくできた?」
「うわっ」
「やんっ!亜希ったら!」

 僕と羽実の頭を腕で抱きかかえるようにして、いきなり亜希が間に割って入ってくる。
 自分よりも背が低い僕たちの頭の位置がちょうどいいらしく、亜希はよくこのポジションを取るんだけど。

 でも、さすがに今日のその格好でそれをされるのはやばすぎるって!
 亜希がぐいっと腕に力を入れると僕の頭にプニプニと柔らかい感触が当たってくるんだけど、これって……。

 視線を横に向けると、白に淡い黄緑色の格子模様のブラを着けた胸が僕の顔に押しつけられていた。

「ちょっ、ちょっと亜希!」
「んー?どうしたの、陸?」

 僕がもがいても、亜希は全く意に介する様子はないし、全然恥ずかしいとも思ってないみたいだった。

「おー、なんかきれいに盛りつけてあるじゃない。羽実とか陸ってそういう細かいところまでこだわりそうだもんね。それに比べて、あたしの班は雑な人間が多いから」
「それは亜希も含めてでしょ!」
「うわっ!明日菜!?」

 と、今度はいきなり、淡いピンクのブラに包まれただけの胸が視界に飛び込んできたかと思ったら、明日菜の弾んだ声がした。

「なに言ってんのよ。明日菜だってけっこうアバウトじゃないの」
「でも、さっき亜希の班のを見てきたけど、あれはひどすぎだわ。もう少し、ちゃんと盛りつけようって感じ出さないと」
「そんなこと言っても、食べたら一緒だし」
「出た!亜希の体育会系発言!」
「だって、あたしは慣れない料理するだけでありったけの神経使ったんだからもういいのよ」
「なによ、それ?」

 僕を挟んでふざけ合う亜希と明日菜。
 明日菜がはしゃぐたびに、目の前でぷるんぷるんとおっぱいが揺れていた。
 女の子の胸って、こんなに跳ねたり揺れたりするもんなんだ。
 なんか、たぷん、ぷるんって、冗談にしか思えない動き方をしてるんだけど……。
 こうやってじっくり見てみると、いかにも”おっぱい”って呼び方がしっくりくる感じだ。

 でも、本当に大きくなったよな……。
 こんなのが目の前にあると精神衛生上よくないよ。
 ドキドキしすぎて、息が苦しくなってきそうだし。

「ちょっ、ちょっと落ち着こうよ、明日菜」
「へ?なにが?」
「いや、はしゃぎすぎっていうか、大胆すぎっていうか……」
「そう?いっつもこんな感じだと思うけどなー?」

 うん、それはそうなんだけど、いつもはそんな格好してないからね。

 僕が何を言っても、明日菜はまったく違和感を感じていないみたいだった。

「それよりもさ!羽実も陸も私の班の見に来てよ!」
「ちょっと!明日菜!?」
「もうっ、明日菜ちゃんったら!」
「ついでにあたしんとこのも。まあ、見た目はあんまり良くないけどね」

 亜希に背中を押され、明日菜に手を引かれて、半ば強制的に僕と羽実は他の班の盛りつけを見て回ることになった。

 で……たしかに本人の言うとおり、亜希たちの班はただただ皿に取り分けたっていう感じだった。
 それに比べて、明日菜たちの班は、彩りに緑を添えたりなんかして、盛りつけにも気を配っているのがわかる。
 まあ、明日菜って小さい頃から料理やお菓子作りが好きで、うちに遊びに来る時によく自分で作ったものを持ってきてたりしたしな……。

 そして……。

「あら~、陸ったら綺麗どころを侍らせちゃって、いいわね~」
「もうっ!空ちゃんったら!」
「ホントに、なに言ってるんだよ、空」
「きゃっ!もう、空ったら私のことを綺麗どころだなんて!」
「ていうか、それってあたしもカウントされてるの?」

 明日菜たちに引きずられるようにして空の班のところに行くと、空がテーブルの前で待ち構えていた。
 他の女子と同じようにエプロンを外して、ブラとパンティーだけの姿で、そして、なぜか腰に手を当てて、胸を張って。

 たしかに、羽実と明日菜と亜希の3人に、それも下着姿で囲まれているんだから、どう見ても普通じゃない。
 でも、別に侍らせてるわけじゃないし、ていうか、羽実たちがこんな格好なのはそもそも空のせいだし。

 とにかく、それが普通じゃないって認識できてるのは、今、この部屋の中では僕と空だけだ。

 と、空が僕の顔を見つめて、ふっ、と意味深な笑みを浮かべた。

「どう?」

 ピンと背筋を伸ばして胸を張り、不敵な笑みを浮かべてそう尋ねてくる。

 どう……って、それは何に対する、どう?なの?

 もし、空の班の料理に対してだったら、まあ、きれいに盛りつけてあるとは思うよ。

 で、女の子をブラとパンティーだけにしたことに対してだったら、それはそれで、たしかにすごいとは思うよ。それだけのことができるっていうのは。
 でも、相変わらずしょうもないことに催眠術を無駄に使ってるだけだし、何を考えてるのか全然わからない。

 最後に、まさかとは思うけど自分のプロポーションとか、そういうことに対してだったら……。
 双子の兄妹で今さらそんなに新鮮味はないし、全然ドキドキしないし、こうやって見ても、やっぱり、クラスでも下から3番目以内には確実に入るくらいの小さな胸だと思う。
 幸か不幸か空のせいで、クラスの他の子の下着姿を見ることができたから、それだけは断言できる。
 今この場にいる羽実たちと比べたら、可哀想なくらいに小さい。

「うんうん!きれいにできてるね、空ちゃん!」
「へえー、思ったよりもよくできてるじゃん」
「うん、きれいだね。ま、あたしは人のにどうこう言えないけど」

 やっぱり羽実たちはそっちの意味で取ったか……。
 まあ、当然と言えば当然だけど。

「まったく……言いたいことはいろいろあるけど。今、ここでは言わないよ」
「ふふーん?」

 なんだよ、その勝ち誇ったような顔は?
 憎たらしいくらいに余裕たっぷりじゃないか。
 でも、こっちは本当に言いたいことが山ほどあるんだからな。

 だけど、そんな僕たちを見て他の3人はきょとんとしている。

「へ?」
「なによ、それ?」
「ふたりとも、どうかしたの?」
「あ、いや、なんでもないよ」
「うん、ちょっとね。あたしと陸だけの秘密」
「なんか、勝負でもしてるみたいな雰囲気だよね」
「うふふっ、そうなのよ、実は」

 せっかく僕が言葉を濁してごまかそうとしてるのに、なに適当なことを言ってるんだよ?
 それでごまかしてるつもり?

 案の定、明日菜がきょとんとした顔で訊ねてきた。

「勝負って、料理の?」
「そうそう。やっぱり、決め手は見た目よりも中身よね」

 なんだよ、それ?
 全然意味がわからないんだけど。

「それはそうよね。だって、料理は味がいい方がいいもんね」

 いや……そうだけど、空はそんなつもりで言ってるんじゃないと思うよ、明日菜……。

「味って言えばさ、もう全部の班の見たし、早く食べない?」

 ……お腹が空いてるんだね、亜希。 

「そうだね。ねえ、陸くん、私たちもそろそろ自分の席に戻ろうよ」
「うん……」

 しかたないな、もう……。

 羽実に手を取られて、僕たちは自分の席に戻る。
 空はまだニヤニヤしながらこっちを見てたけど、どうせ今は何を言っても埒があかないし。

 で、席に着いて同じ班のみんなで試食ということになったんだけど。

 ……味が全然わからない、というか、もう味なんかどうでもいいって感じ。
 だって、すぐ隣にブラとパンティーだけの羽実が座ってるんだもん。

「おいしいね!陸くん!」
「う、うん……そうだね……」

 ひとくち頬張って、嬉しそうに話しかけてくる羽実に生返事を返す。
 さっきから、羽実が話しかけてくるたびにおっぱいがふるふるって揺れるのが気になって、味わって食べるどころじゃない。
 僕からすると、ほとんど裸みたいな羽実が眩しくて、まともに見ていられない。

 かと言って、正面を見ると……。

「おいしいね、加奈」
「うん。おいしいね」

 僕の向かいで、佐藤さんと山瀬さんが並んで食べていた。

「聞いたことない料理だったからどんなのができるんだろうって思ってたけど、私の好みかも」
「私も!」

 これも女子校時代の名残で、調理実習の試食の際は洋食の時はナイフとフォークで食べることになっていた。
 なんでも、テーブルマナーを身につけるためだとか。

 カチャカチャとナイフとフォークが音を立てるたびに、佐藤さんのラベンダーブルーのブラと、山瀬さんの水色の縞模様のブラが揺れている。

「やんっ!跳ねちゃった!染みになっちゃうよ~」
「どうせブラなんだし、制服着たら見えなくなるからいいじゃないの」
「でも~、これ、お気に入りなんだよ」

 あのー、なんて会話してるの?
 この場に男がいるってことわかってる?

 わっ、わっ、わわわっ!
 染みになってるところをそんなにハンカチでぐりぐりしたら!
 ああっ!おっぱいが!うわー!

 だめだ……とてもじゃないけど見ていられない。
 目の前で、おっぱいがぐにぐにと形を歪めて揺れてる……。
 こんなのをずっと見てたらおかしくなりそうだよ。

 それに、もしこんなところを他の人間に見られたらどうするんだろう?
 きっと大騒ぎになるっていうのに。

 あっ!そうか!
 調理実習室って、最上階の隅にあるからわざわざこの部屋に用でもない限り、たまたま誰かが通りかかるってことはないのか!

 空のやつ、そこまで考えて調理実習の時間を選んだんだな……。

 また、ちらりと空の方を見る。
 目が合った瞬間、空がにやっと笑う。
 ていうか、空の催眠術にかかってる他のみんなはともかく、あいつはよくあんな格好でいられるよな。

 もう……本当にどういうつもりなんだよ。

 ぐるっと見回しても、色とりどりのブラ、ブラ、ブラ……。
 フォークとナイフを使うたびに、胸がゆらゆらと揺れている。

 そのまま、調理実習室の前の方に視線を向けた。

「ぶっ……!」

 それぞれの班から、少しずつ出された料理の出来を確かめるように鳥山先生が試食していた。

 だから、なんであんな下着なんだよ~!?

 他のみんなのような、包み込むようなおとなしめのブラじゃなくて、下から持ち上げるような黒いブラ。
 ただでさえ、レース生地っぽい感じで見るからにいやらしいのに、上の方からはみ出したおっぱいは、すでに凶器と言ってもいいんじゃないかな。
 しかも、ナイフを使うと他の子みたいに揺れるんじゃなくて、はち切れんばかりのふくらみがきゅっと腕に挟まれて見事に谷間ができてる。

 ……だめだ。
 あっちを見ちゃだめだ。
 あれは、僕の目には劇薬すぎる……。

 いくら空の催眠術があるからって、あれを見て男子がなにも言わないのが信じられない。
 あんなに刺激的なものが目の前にあるっていうのに。

 いや、先生だけじゃないよ。

 すぐ隣に座っている羽実を見る。
 色白で、すべすべしてそうな肌をさらけ出していて、わずかにブラに包まれた柔らかそうな胸がたぷたぷって揺れている。

 それを見てるだけで、胸がドキドキしてくる。

 違う……。
 僕は、興奮してるんだ。

 なんだかんだ言って、結局気になってしょうがない。
 ついついそっちを見てしまって、目を逸らすことができなくなってしまう。

 だってしょうがないよ。男だもん。

 でも、興奮したからといって何かができるわけじゃない。
 もし、興奮に駆られて衝動のままに行動したら、それこそ大変なことになるに決まってる。
 今のこの状況で僕にできるのは、ただ、この興奮を持てあましているだけ。

 本当に、何してくれるんだよ、空……。

 まんじりともできない、ていうのが適切なのかはわからないけど、とにかくそんな感じで時間は過ぎて、後片付けも終わってからやっとみんなが制服を着てくれる。
 これで終わりだと、ホッと胸を撫で下ろす僕。

 その時、また空の声が響いた。

「お遊戯する人この指とーまれ!」

 その言葉に、僕と空以外の全員の時間が止まる。

「いい?みんなよく聞いて。調理実習が始まるときに決めた、女の人が下着になってエプロンを着けるルールは忘れてちょうだい」

 突き上げた空の指先を見つめるみんなの間を、空の声が流れていく。
 全員がぼんやりとした表情を浮かべて、身動きひとつしない。

「今日、みんなはいつも通りに制服の上からエプロンを着けて、なにもおかしなことはなく調理実習はおわりました。いいわね?」

 空の言葉に、全員がコクリと頷く。

「じゃあ、あたしが手を叩いたら、みんなは目を覚まして、調理実習が終わったところに戻ります」

 そう言って、空がパチンと手を叩くと、さっきまでのざわついた空気が戻ってくる。

 そして、見計らっていたように授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。

* * *

 ――放課後。

「まったく……今日のあれはなんなんだよ?」
「あれってなに?」
「とぼけるなよな。調理実習の時のあれだよ!」

 途中まで一緒に帰っていた羽実や明日菜と別れると、僕はすぐに空を問い詰める。
 でも、空はのほほんとした態度を崩さない。

「あー、あれね。あれは陸が女の子に慣れるための企画第2弾!」
「……はぁ!?」
「女の子とキスするのもだいぶ慣れたみたいだし、今度は女の子のちょっと刺激的な姿に慣れてもらおうと思ったのよ!」
「あ、あのなぁ……」
「それとも、あの程度じゃ刺激が足りなかったのかな~?」
「ばっ、馬鹿言うなよ!刺激とか、そんな……」
「そう?でも、楽しかったでしょ?」
「たっ、楽しいわけないだろ!」
「そう?あたしが見てた限りでは、まんざらでもなさそうな顔してたけど」

 そう言って、空が僕の顔を覗き込んでくる。
 こっちの胸の内まで見透かすような、その、余裕の表情。

 本当は、空の言う通りかもしれない。
 あの時、心のどこかであの状況を楽しんでいた自分がいた。
 ブラとパンティーだけの女の子たちを見て、僕は興奮していた。

 でも、それを認めたら負けのような気がする。
 空の策にまんまと嵌まってしまったみたいで。

「そっ、そんなわけないだろ!」
「ふふーん?」

 まただ。
 あの、勝ち誇ったような余裕綽々の笑み。

「な、なんだよ?」
「いいのよ~、無理しないでも」
「だからっ!」
「それにしても、本当に陸ってば積極性に欠けるんだから~。ちょっとくらいおさわりしたって、あたしがどうとでもごまかしてあげたのに~」
「あのなぁ!」

 言うに事欠いて、おさわりってどういうことだよ!?

「そうでなくても、亜希や明日菜だったら少しくらい触っても全然大丈夫だったかもよ~」
「そんなの、できるわけないだろ!」
「あら~?それとも、羽実の方がよかった?」
「だからっ!」

 え?
 今、顔がかぁって熱くなった……。
 ……なんで?

「ふふん♪」
「あっ、待てったら!空!」

 僕の目を見て軽く鼻で笑うと、空はそのまま踵を返して歩き始める。

「もうっ!待てよっ!」

 こっちの話も聞かずに、鼻歌を歌いながらすたすたと歩いて行く空の後を、僕は慌てて追いかけていった。

< 続く >

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