前編
プロローグ
将也 : アンティークショップにて
その店は一見なんの変哲もない、ただの小洒落たアンティークショップだった。
そこに入ってみようなんて気になったのは、別に骨董品に興味があったからではない。
次の撮影に使えそうな小物でもあればと思ってのことだった。
俺、浦野将也(うらの まさや)は、フリーのカメラマンをしている。
いちおう、依頼があればどんな撮影でも受けるというのが売りだ。
そんな俺のところに来る仕事の中でも、比較的多いのは雑誌のグラビア撮影だった。
とはいえ、特に名前が知られているわけでもないフリーのカメラマンに大手雑誌のグラビアの仕事なんかは滅多にこない。
当然、有名なグラビアアイドルやモデルを相手に撮影をしたこともほとんどなかった。
俺に撮られるのは、マイナーな雑誌のグラビアを飾るまだ駆け出しのモデルやグラビアアイドルたち、時にはその卵といってもいいくらいの半分素人のような女の子が相手の時もある。
もしくは、限られたファンのためのマニアックな雑誌の写真を撮るといったところだろうか。
もっとも、グラビアのモデルになるだけあって、無名ではあっても皆美人揃いではあったのだが。
1週間後にも、あるマイナーな雑誌のための写真撮影の予定が入っていたので、それを活かせる小道具的なものがあればと思ってその店に入ってみたのだ。
中に入ってみると、それほど広くない店内は薄暗く、古びた洋家具やアンティーク雑貨が所狭しと置かれていた。
……これは、良さそうな感じなんだけどな。
濃い臙脂色のアイビーが絡みつくように浮き彫りにされた、ガレ風の花瓶がまず目についた。
しかし、値段を見て伸ばしかけた手が止まった。
さすがにガレの本物ではないみたいだが、それでも撮影の小物に使うには高すぎる。
「何かお探しですかな?」
不意にかけられた声に振り向くと、初老の男が立っていた。
「いや、私はこの店の主でして。何かお目当てのものでもあるようにお見受けしたものですから」
そう言うと、その男は軽く会釈をした。
ロマンスグレーというやつだろうか、白髪交じりの髪はきれいにセットされていて、ぱっと見には髪の色よりも若々しく見える。
どこか日本人離れした高い鼻と彫りの深い顔立ちも、その年齢をわかりにくくさせているようだ。
そして、これまた白いものの混じる髭を蓄えた口許に、穏やかな笑みを浮かべていた。
「いえ、特に目当てのものがあるというわけではないんですけどね。なにか撮影の小物に使えそうなものでもあるかなと思って……」
「ほう、撮影ですか。すると、テレビ局かどこかの方なんですね?」
「あ、いえ、撮影といってもテレビじゃなくて写真を撮る方なんですよ」
「なるほど、そうでしたか。まあ、ゆっくりしていきなされ。ここにあるのはどれも少し変わったものばかりですから、あなたの撮影に役立つものはないかもしれませんが、あなた自身にとって役に立つものが見つかるかもしれませんよ」
微笑みを浮かべたまま、そんな意味深な言葉を残してその男は店の奥の方に入っていく。
俺の撮影には役立たないけど、俺自身には役立つもの?
いったい、なに言ってるんだ?
それに、変わったものばかりっていっても、どれもこういうアンティークショップによくあるような雑貨ばかりじゃないか。
改めて店内を見回しても、特に変わっているものは見当たらないように思える。
「なんなんだ、本当に?」
さっきの男に聞こえないよう小さな声で呟くと、撮影の小物探しを再開する。
「ん……?」
立ち止まったのは、どれも年季の入ったアクセサリーが並べてある棚だった。
いかにも古風な感じのする、凝った装飾の施された指輪やサークレットが陳列されている中に、無造作に置かれている数個の首輪が目にとまった。
細身の、見るからに女性用だとわかる金色の首輪。
他の装飾品のように細かな細工はまったく施されていなくて、いたってシンプルな外見をしている。
とりたててどういうということのない首輪なのに、そのうちのひとつを無意識のうちに手に取っていた。
自分でも、なぜそうしたのかわからなかった。
改めて手にしてみても、やはり印象は変わらない。
撮影に使っても、特に映えるとも思えないくらいにシンプルすぎる造りだ。
ただ、ものすごく古びた印象を受ける。
金色はしているが、その、独特のくすんだ輝きがそう思わせるのだろう。
おそらく、素材は金ではないのだろうが、真鍮のような安っぽい色でもない。
こんな、落ち着いた輝きを放つ金属に心当たりはなかった。
その首輪を手にしたまま首を傾げていると、背後からさっきの声が聞こえた。
「なるほど、それを手になさりましたか」
見ると、店の主人がさっきと同じ穏やかな、しかしなにか意味ありげな笑みを浮かべて立っていた。
「これがどうかしたんですか? 私には取り立ててどうこう言うほどのものには見えませんが?」
「だったら、どうしてあなたはそれを手に取ったんですか?」
俺の質問に、主人が問いかけで返してくる。
「私にもわからないんですよ。たしかに古い物のようにも思えますけど、美術品として優れているようにも見えないですし。こんなものをどうして手に取ろうと思ったのか……」
「それは、その首輪があなたの役に立つものだからですよ」
「これが? なんの変哲もないこの首輪が、いったいなんの役に立つというんですか?」
「そうですな。それにはまず、それがどういうものなのか説明した方がよいでしょう。その首輪は、古代ローマの女奴隷が身につけていたものなのです」
「古代ローマの?」
主人の言葉をにわかには信じることができず、まじまじとその首輪を見つめてしまう。
古代ローマのものだったら、2000年くらい前のものじゃないか……。
たしかにかなり古びてはいるが、とてもそんな昔のものだとも思えない。
しかし、それに続く主人の言葉はさらに信じられないものだった。
「その首輪には、それをつけていた女奴隷の主人への想いが込められていましてね、それを身につけた女性は、それを与えてくれた相手の命令に従うようになるのです。たとえその命令がどのようなものであってもね。つまり、あなたは、その首輪を与えた女性を自分の思いのままにできるということなのです」
「いや……」
そんなものがあるはずがない、という言葉が喉元まででかかった。
しかし、主人の目を見て、思わずそれを飲み込んでしまった。
顔は笑ってはいるが、その瞳はこちらを射竦めるような底知れない光を湛えていた。
相手を思いのままにできる首輪などという非現実的なものを本当だと思わせるような何かが、その眼光から感じられた。
「もっとも、はじめから身も心も思いのまま、というわけにはいきませんがね。最初はその首輪に込められた想いに動かされる形で、自分の意志とは関係なくあなたの命令に従っているだけです。しかし、その首輪を身につけているうちに次第に心の底からあなたに従うようになっていき、最後には身も心も完全にあなたの奴隷になるでしょう」
「まさかそんなものが……? だいいち、もしそれが本当だとして、そんなことをしていいはずがないじゃないですか」
「それはどうしてですかね?」
「どうしてって、他人に無理矢理そんなことをさせるのは犯罪じゃないんですか?」
「無理矢理ではありませんよ。さっきも言ったでしょう。その首輪をつけていると、最後には身も心も完全にあなたの奴隷になると。それはいわば、当の本人の意志で奴隷になっているも同然なのです。それを止めることは、他人にできるものでしょうか?」
「しかし、道義的にそんなことが許されるはずがないでしょう?」
「それは現代のこの国においてのものでしかないですね。人はえてして、倫理とか道徳といったものを人間の本質的なものでいつの時代も変わらないと考えがちですが、実際には倫理や道徳なんてそんなたいしたものではありませんよ。現実に、過去には奴隷がごく当たり前に存在していた社会はいくらでもありますし、現在では倫理的に問題だとされていることが過去にはごく普通のことだったなんて例はいくらでもあります。倫理とか道徳とかいったものは、その時代や社会の基準でいくらでも変わるものです。もしかしたら、現在の基準では道義的に好ましくないとされているものが、未来では当たり前のことになっているというのもありえないことではありませんよ」
真っ直ぐにこちらを見つめ、自信に満ちた口ぶりで語る主人の言葉。
後になってよく考えてみたら、主人は別に俺の反論を否定も肯定もしているわけではない。
それなのに、その時は主人の言葉が俺の言葉を真っ向から否定し、これまで自分が持っていたモラルであるとか、良識であるとかいったものを根底から突き崩しているように思えた。
「しかし、今のこの時代に奴隷だなんて……」
「手に入れてみたいとは思いませんか? 身も心もあなたのものとなった、従順な奴隷を?」
「それは……」
「しかも、あなたがうまくやりさえすれば、とびきりの美人を自分のものにすることもできるんですよ」
背徳へと誘う主人の言葉が、俺の心を揺さぶる。
身も心も完全に俺のものになった美人で従順な女奴隷という言葉に、とても甘美な魅力を感じるようになっていた。
そんな俺の胸の内を見透かしたかのように、主人は言葉を続けた。
「だいいち、その首輪を手に取ることができた時点であなたはそちら側の人間のはずです。あなたは、それを使って従えた奴隷の主人となるべき者なのです」
そんな、決めつけるような言い方がむしろ心地よかった。
この男の言うとおり、自分は奴隷を従える主人となる人間なのだと、ごくごく当然のようにそう思えるようになっていた。
「これを使えば、私は自分だけの奴隷を手に入れることができると、そう言うんですね?」
「ええ、そのとおりです」
常識的に考えれば、他人を思いのままに奴隷にできる首輪などあるはずがない。
しかし、自信に満ちた表情で頷く主人を見ていると、そんなあり得ないことが簡単にできてしまうかもしれないと思える。
だが、そこでふと気になったことがあった。
「ところで、これの値段はいくらなんですか?」
「さようですな。60万円ということにしておきましょうか」
主人の言い方も少し奇妙だったが、その値段の方にもっと違和感を覚えた。
たしかに、60万円はそれなりの金ではある。
少なくとも、しがないフリーカメラマンの俺にとってポンと支払うのは躊躇われる金額だ。
だが、出そうと思えば出せない額でもない。
いや、もしその首輪が主人が言うとおりのものだとしたら、60万円はむしろ安すぎるのではないだろうか。
なにしろ、人ひとりを思いのままの奴隷にできる代物なのだから。
そんな俺の疑問が、表情に出てしまっていたらしい。
しかも、それを別な意味で受け取ったようだった。
「ああ、代金なら後払いでもけっこうですよ」
「えっ?」
「普通に考えたら、他人を奴隷にする首輪などというものがあるなんて信じられないのは当然ですからね。実際に使ってみて、奴隷を手に入れてからのお支払いでもけっこうですよ」
「しかし、それで私が料金を踏み倒したらどうするんですか?」
「大丈夫ですよ。料金を回収する手段はいくらでもありますから」
「それはどういうことなんです?」
「なにしろ、人を身も心も奴隷にしてしまう首輪などを扱っている店ですからな。あなたがお金を踏み倒そうとしても、それを回収することができる不思議な力を持った道具がこの店にはあるということです。まあ、これ以上は企業秘密ですから言えませんが」
そう言うと、主人はニヤリと不気味な笑みを浮かべた。
「まあ、実際に奴隷を手に入れてみたらそのすばらしさに、あなたはきっとお金を払う気になりますよ。それに、この店にはまだ他にも様々な力を持った道具がありますから、それを欲しくなるかもしれませんし。ですから、今はその首輪をお持ちになってくださってけっこうですよ。あ、もちろんあなたにそれを使う気がある場合の話だったらですけど」
その首輪を使ってみたいという衝動に駆られはじめた胸の内を、完全に見透かしたような主人の言葉。
もはや、それを断る理由はなかった。
「それでは、これをいただいてもいいんですか?」
「もちろんです。それでは、包装しますのでそれをこちらへ」
俺が手渡した首輪を主人が丁寧に包んでいるのを待つ間、ふと浮かんできた疑問を口にする。
「その首輪と同じものが、まだこんなにあるんですね?」
実際、そこには同じような金色の首輪が、まだ6つほど残っていた。
「ええ。ローマは様々な労働を奴隷に頼っていましたから、古代ローマ奴隷の首輪と称するものはかなりの数があるんですよ。実際に、権力者ともなればひとりで10人を超す女奴隷を所有しているなどというのも普通だったでしょうし。……あ、そうそう、あなたが買ったこの首輪の内側にはセルウィリウス・カエピオという刻印がありましてね。おそらく、この首輪をつけていた女奴隷の所有者の名前なのでしょうが、それと同じ名前の人物が実際に古代ローマにいたらしいですよ。それもかなりの財産家だったらしく、女奴隷も数人抱えていたそうです。まあ、当時の有力者ともなればそれくらいは当たり前のことだったでしょうから、奴隷に身につけさせていた首輪がこのくらい残っていても不思議はありませんね」
つまり、女を奴隷にする力がある首輪がまだこんなにもあるということなのか。
とはいえ、俺の収入と貯金ではそれを買い占めるなんてことはできない。
この店に入ったときにはこんなことになるなんて思ってもいなかったが、その頃にはその首輪を使えば自分専用の奴隷を手に入れることができると信じている自分がいた。
「さあどうぞ、お持ちください」
「あ、はい……」
包装を終えた首輪を入れた手提げを受け取ると、俺はその店を後にしたのだった。
将也 : 洋館の美少女
――1週間後、某貸スタジオ。
都心から車で1時間半ほどの郊外にあるそこは、一軒の洋館が丸ごとスタジオになっていた。
建物自体はそれほど大きくはないのだが、撮影用の4つの部屋にはそれぞれ趣の異なる内装と調度品が用意されており、小さいけれども落ち着いた佇まいの庭も撮影に利用できるとあって、カメラマンやコスプレイヤーの間ではよく知られた場所だった。
実際、俺もこれまでに何度かここで撮影をしたこともあった。
駐車場に止めたワンボックスカーから、諸々の機材を降ろす。
それが終わると、助手席に声をかけた。
「それじゃあ、行こうか」
「はい」
澄んだ、よく通る声で返事をして降りてきた女性。
彼女が、今日の撮影のモデルだった。
事前に渡されていた資料に書いてあった名前は、姫島ありす。
もちろん、本名ではないだろう。
俺は、初めて聞く名前だった。
もっとも、俺だってモデルやアイドルの名前を全部知っているわけじゃないが、そこそこ売れている相手なら名前を見たらピンとくる。
それに、彼女の所属している事務所も大手はなくて、むしろ一般モデルの方が多いところだ。
しかし今日、指定された場所で彼女、姫島ありすと初めて会った俺は思わずドキッとしてしまった。
資料にあった写真でもきれいな子だとは思っていたが、実際に会ってみるとそれ以上だった。
おそらく、俺が今まで撮ってきたモデルの中でも間違いなくトップ3に入る美人だろう。
明るい茶色の真っ直ぐな長い髪と、力強い光を湛えた黒く大きな瞳が印象的で、顎は細いのに少し丸みを帯びた頬のラインがあどけなさを感じさせるのに、小ぶりで高い鼻とやや切れ長の目尻が大人の女の魅力を漂わせている。
少女のような儚さと大人びた女の雰囲気の同居した、不思議な美しさを持っていた。
これほどの美人だったら、やりようによってはすぐに人気モデルになれるだろうに……。
そう思わずにはいられなかった。
とりあえず俺たちは建物に入って手続きを済ませ、更衣室となっている小部屋に入った彼女が衣装に着替えるのを待つ。
「……お待たせしました」
少しの間の後、ありすが着替えを終えて出てきた。
その衣装は、典型的なアリス・スタイル。
まさにルイス・キャロルの物語のアリスをイメージした、淡い水色のワンピースの上から白いピニーを身につけたエプロンドレスだった。
金髪のイメージが強いアリスとは髪の色が違うが、その衣装は彼女の少女っぽい部分を強調しているように思える。
それでいて物語の中のアリスほど子供っぽくはなく、少し大人になったアリス、といった趣だった。
「どうでしょうか?」
「うん、ちょっとこっちに来てくれるかな?」
「はい」
ありすを鏡台の前の椅子に座らせると、持参していたメイク道具一式を取り出す。
これが大手の雑誌ならメイクやスタイリストも撮影についてくるんだが、俺の受け持つ仕事ではそんな恵まれた環境は滅多にない。
だから、こうやって俺がそれをひとりで何役もこなすことが多かったし、もうこういうことをするのもすっかり慣れっこになっていた。
髪を整えてから、衣装と色を合わせた青いリボンを結ぶ。
「うん、こんな感じかな?」
「はい。……すごいですね、浦野さん。メイクさんみたいなこともできて」
「そうかな? 今回みたいに撮影スタッフがカメラマンしかいないときには、こういうこともできないといけないって思うけどな。まあ、大きな仕事だったらカメラマン以外にもメイクやスタイリストがついてるけどね」
「そうなんですか? 私、まだそんな大きな雑誌の仕事をいただいたことないんです。だいいち、こういう撮影の経験も少ないですし、今までの撮影だと、指示された衣装やメイクを自分でしなければいけないものばかりだったので」
お世辞を言ってるわけじゃないみたいだな……。
感嘆の声をあげて鏡に映った自分の姿を確かめているその表情は、おためごかしを言っているとは思えない。
本当にまだ駆け出しだから、これまでそんなカメラマンに当たったことがないのか……。
もっとも、俺だってとてもじゃないが腕がいいとは言えないんだが、それでもこのくらいのことはできる。
つまり、それだけ彼女がこれまで撮影スタッフに恵まれた仕事をしてないということだな。
本当にもったいないよな、こんなに美人なのにこんな仕事でくすぶってるなんて。
そんな思いと同時に、これはとんでもない掘り出し物を見つけたんじゃないかと胸が高鳴るのを感じていた。
今日持ってきた荷物の中に忍ばせているあの首輪。
あれを使えば、彼女を俺の奴隷にすることができる。
そう思うと、生唾がこみ上げてくる。
……落ち着け、落ち着くんだ。
あまり焦ると怪しまれるかもしれないしな。
とにかく、もう少し様子をみてからにしよう……。
「じゃあ、撮影を始めようか」
「はい」
逸る気持ちを抑え、とりあえずは撮影をしながらあの首輪を身につけさせる機会を窺うことにする。
「まずは、そこの窓際に立ってもらおうかな」
「わかりました」
まずは部屋にある、大きな出窓の前にありすを立たせる。
「最初は、少し俯くような感じで……うん、そうそう、いい表情だよ」
ファインダー越しに見るその姿は、たしかに美しかった。
やや俯き加減に下を向き、窓から差し込む柔らかな光を受けて長い睫毛を伏せている美少女は、まるで物語の世界から出てきたのかと思わせる。
シャッターを切りながら、思わず唸っている自分がいた。
「じゃあ、次は上を向いて遠くを見るようにしてくれるかな?」
「こんな感じですか?」
「うん、いいね」
遠くの一点を見つめるように、ありすが顔を上げる。
ただそれだけなのに、その姿は絵になっていた。
際だって顔立ちが整っているということは、それだけで大きな武器になるよな。
しかし、俺が抱いたそんな感想は次のショットを撮るときに大きく揺らぐことになった。
「次は、笑顔を撮ってみようか」
「はい」
ファインダーの向こうで、ありすが笑顔を作る。
しかし、それは明らかにぎこちなかった。
「少し緊張してるかな? もっとリラックスして」
「はい」
素直に返事をして頷くものの、 まだまだその笑顔は強ばっている。
……なるほどな。
なにもせず、ただそこにいるだけですごい美人なのに、笑顔を作るのが苦手なのか。
ありすの浮かべている、不自然さすら感じさせる張り付いたような笑みから、そう察する。
とはいえ、それは特に珍しいことではない。
こういう仕事をしていると、表情を作ることに慣れていない駆け出しのモデルに当たることはわりとよくあったからだ。
彼女も、きっとそうなんだろう。
そして、ありすが苦手なのは笑顔を作ることだけではないということはすぐに明らかになる。
「それじゃあ、今度はそっちのベッドに腰掛けてみて」
「わかりました」
俺の指示で、部屋に備え付けてある天蓋が付いたアンティーク調のベッドにありすが腰をかける。
「その柱に手をかけて、こっちを向いてくれるかな? 表情は……そうだね、男を誘惑するみたいな感じで」
「こ、こうですか?」
少し戸惑ったような返事をして、ありすは店外の柱を掴んでこっちを見る。
たしかに、ベッドに座ってこっちを見つめている彼女は、それだけで人形を思わせる愛くるしさと美しさを感じさせる。
しかし、そのポージングも表情も男を誘惑するというほどの色気には欠けていると言わざるをえない。
それどころか、ぎこちなく強ばっていて、自信が無さそうにすら見える。
おそらく、彼女自身も自分が今どんな顔をしているのかわかっていないのだろう。
「うん、そうだね……ちょっとだけ下を向いて、上目遣いにこっちを見てくれるかな?」
「はい」
俺の指示通りに、ありすが心もち俯いてこっちを見る。
まだまだ表情が硬いのは否めないが、それだけのことでだいぶそれっぽくなってくる。
これだけの容姿を持っていながら、彼女がこんなところでくすぶっている理由が少しわかった気がする。
せっかくの素材だというのに、表情を作るのが下手なのはもったいない。
「うん、そんな感じかな。……じゃあ、今度はまた笑顔を撮ろうか」
「わかりました」
ベッドに腰掛けたありすがもう一度笑顔を作るが、それもやはりぎこちない。
おそらく、撮影のために表情を作らせていたらずっとこの調子かもしれない。
こんな時は、相手がごく自然に表情を作ってくれるようにした方がいいな……。
「姫島さんは、これまでどのくらい撮影の仕事をしたことあるの?」
「え? ……そうですね……10回くらいですね。私、まだ本当にこのお仕事の経験が浅くて……」
何気ない雑談を装って話し始めると、ありすは恐縮したように首をすくめる。
「あ、いや、そんなに申し訳なさそうにしなくてもいいよ。今までの撮影は、全部こんな感じの屋内の撮影?」
「ええ、そうです。私の場合、こういう衣装を着ての撮影ばかりですし」
「ああ、なるほどね」
「浦野さんは、屋外で撮影することが多いんですか?」
「まあ、多いというか、もちろんスタジオを使った撮影はけっこうあるから屋内での仕事も多いけど、例えば水着のグラビアなんかは外で撮影することも多いよ」
「あ、それもそうですよね」
「まあ、屋外の撮影は天候とかにも左右されるし、思いもよらないことが起きたりするけどね」
「そうなんですか?」
「うん、今回の姫島さんみたいな、可愛らしい感じの衣装のモデルだと、遊園地で撮影することがたまにあるんだ」
「へえぇ……私は、まだ遊園地の撮影はないですね……」
「まあ、写真撮影だからそういう雰囲気の場所で撮るだけだし、乗り物なんかはせいぜいメリーゴーランドみたいなゆっくりしたものしか普通は使わないけどね。ただ、一度だけジェットコースターが指定されてたことがあってね」
「ジェットコースターですか? 撮影できるものなんですね」
「いや、できるわけないよ。テレビとかの撮影でも小型カメラを固定して撮ってるのに、あんなのに乗りながらグラビア用の写真なんか撮れるわけないじゃないか。だいいち、せっかくヘアメイクとかをしてもあっという間に崩れてしまうし、はっきり言って無茶苦茶な指定なんだけどね」
「それで、どうしたんですか?」
「うん、その時はそれっぽい雰囲気が撮れてたらいいかと思って、発車する前と、戻ってきたところを撮ったんだけどね……」
「そうですよね。そうするしかないですものね」
「まあ、撮影自体はそれでよかったんだけどね。ただ……」
「なにかあったんですか?」
「いや、それが……モデルの子の後ろに座っていたおじさんがね、出る時には髪があったのに、戻ってきたらなかったんだ」
「……え?」
「カツラだったんだよ、その人」
「まさか、そんなことが?」
「うん、最近のカツラはよくできてて、しっかり固定されてちょっとやそっとでは取れないみたいだから、その人も大丈夫だと思ってたんだろうね、きっと。で、その場でちょっとした騒動になったんだけど、僕も本当に驚いたよ。発車するまではかなり若い感じでフサフサしてた人が、きれいにはげ上がって戻ってきたんだから」
「ふふっ、そんなことってあるんですね」
ありすが、楽しそうに声をあげて笑う。
会話の流れでできた、ごく自然な笑顔で。
「うん、いい表情だ。今の顔、いただき」
俺がシャッターを切ると、ありすは少し驚いたような顔をする。
その衣装と相俟って物語の中のアリスを思わせるその表情を、反射的に写真に収める。
「うん、その顔もいいね」
「やだ……こんな顔撮られて、恥ずかしいです……」
「そんなことないよ。自然な感じの、すごくいい顔をしてたよ」
「そ、そうですか?」
「うん。姫島さんはまだモデルの仕事に慣れてないから、どうしてもひとつひとつの表情が緊張してるんだよね。だけど、今は僕の話を聞いてて出てきた笑いだから、力の抜けたいい笑顔になってたよ」
「あっ……もしかして、私を笑わせるためにこうやっておしゃべりしてたんですか?」
「まあ、そういうことになるかな。話の途中でごくごく出てくる自然な表情を撮りたいときなんか、わざと雑談をすることはあるよ。もちろん、セクシーなショットが欲しいときには使えない方法だけど、笑い顔や驚いた顔なんかはいいのが撮れるんだ」
「すごい……。私、浦野さんみたいなカメラマンの方とお仕事させていただくのは初めてですけど、本当にすごいと思います」
「いや、そんなに言われると僕の方が照れちゃうよ」
このくらいのことは、ある程度経験を積んだカメラマンなら誰だって心得ていることだ。
彼女みたいな、撮影にまだ慣れてないモデルから自然な表情を引き出したり、撮影にうまく入り込めていないモデルをその気にさせたりする方法を、いろいろと試行錯誤を重ねながらやってきたのだから。
それでここまで感心されると、さすがにむず痒くなってくる。
しかし、こそばゆいような感覚と同時に、手応えみたいなものを覚えてもいた。
どうやら、仕事をする上での信頼感のようなものを得ることはできたらしい。
うまくやれば、あの首輪を身につけさせることができるんじゃないかという期待が膨らむ。
「たしか今日は、もうひとつ衣装があるんだったよね?」
「はい、そうです」
「じゃあ、そろそろそっちの方の撮影に移ろうか」
「わかりました。では、着替えてきますね」
そう言うと、ありすは着替え用の小部屋へと入っていく。
* * *
数分後、ありすが着替えを終えて出てきた。
その姿は、さっきまでとは印象が全然違ったものだった。
今度の衣装は、黒いゴシック風のドレス。
しかし、ゴスロリのような、ロリっぽさを感じさせるものではなかった。
たしかに裾や袖口にはフリルやレースが付いてはいるものの、それすらも黒で統一されていて、むしろ彼女の大人びた一面を強調させているように思える。
「あの……どうでしょうか?」
「うん、いいね。さっきの衣装とも全然感じが違って、大人の女の雰囲気が出てるね」
「ありがとうございます」
と、ありすがペコリと頭を下げる。
彼女の前では努めて平静を装っていたが、自分の心臓が高鳴るのを抑えられないでいた。
色の組み合わせとしては、さっきの水色がベースの衣装だと間違いなく浮いてしまって不自然になるあの金色の首輪が、この黒の衣装だと違和感なく合う。
こんなチャンスを逃す手はない。
「じゃあ、鏡の前に座ってくれるかな?」
「はい」
さっきと同様に、鏡台の前にありすを座らせる。
そして、形ばかり髪型を整えてから、あの首輪を手にした。
「ちょっとこれをつけてみようか」
「これ……首輪ですか?」
「うん。黒い衣装に金色はいいアクセントになるからね」
「……そうなんですか?」
「この方がきっと写真写りもよくなると思うよ。……僕がつけさせてあげるね」
「……はい」
ありすの細い首に首輪を嵌めて、留め金を留める。
「よし。じゃあ撮影を始めよう」
「はい、ご主人様」
何気なくかけた言葉に返ってきた返事に、思わずポカンとしてしまっていた。
まじまじと、ありすの顔を見つめる。
俺を見上げるその顔は細めた目尻を緩め、嬉しそうに微笑んでいた。
まるで、俺のことを崇拝しているかのような熱っぽい視線が絡みついてくる。
しかし、30秒ほどそうしていたありすが、不意に我に返ったように驚いた顔をした。
「やだ……私、どうしてあんなことを……?」
「姫島さん?」
「あっ。いえっ……すみません、私、今変なこと言っちゃって……」
明らかに動揺した様子のありすだが、実は俺の方も少し戸惑っていた。
実際のところ、俺だってこの首輪をつけた者がどういう反応を見せるのか具体的な話は一切聞いていない。
だから、さっき彼女が俺のことをご主人様と呼んだのには驚いたし、その後すぐに自分を取り戻したことに面食らってしまった。
いずれにしろ、ここは何気ない素振りを装った方がいいよな……。
「とにかく、撮影しようか。まずは、その鏡台をバックに撮りたいから、鏡に映った自分の顔が入るように横を向いてもらおうか」
「かしこまりました、ご主人様」
俺の言葉に、ありすがまたあの微笑みを浮かべて恭しく頭を下げる。
そして、指示通りに顔を横に向けてポーズをとった。
しかし、それもまた数十秒ほど経った後にその口から小さな悲鳴が上がった。
「…………きゃあっ! やだ、私……またっ!? どうして? どうしてこんなことがっ!?」
狼狽えるその表情から、血の気が引いていくのがわかる。
おそらく、自分に何が起きているのか、どうして自分がそんな言葉を口走ってしまうのかわけもわからずに不安に駆られているのだろう。
やはり、その首輪がなんらかの効果があるのは確からしいが、すぐに元に戻るみたいだった。
これは、ちょっと厄介だな……。
それを身につけた相手が、はじめは首輪に込められた想いによって動かされるという、あのアンティークショップの主人の言葉を俺は思い出していた。
つまり、首輪の効果も最初はこんなものらしい。
なら、扱い方にもっと注意した方がいいのか? それとも、もっと強気に出た方がいいのか?
俺が選択したのは、後者だった。
どのみち、この先俺が何か指示を出す度にありすは同じ反応を見せるだろう。
それをいちいち誤魔化すことなんか不可能に決まっている。
だったら、自分の身になにが起こっているのかはっきりわからせてやった方が話が早い。
「こっちに来て俺にキスするんだ、ありす」
「かしこまりました、ご主人様……んっ、ちゅむ……」
さっきまでと口調も態度も変えて命令すると、条件反射のようにありすは立ち上がる。
そのまま、笑みを浮かべながら抱きついてきて俺の唇を吸った。
「んふぅ、あふ、ちゅむ、んん、んっ…………えっ!? えええっ!?」
うっとりと目を閉じて濃厚な口づけを交わしていたアリスの目が、驚きに見開かれる。
「やだっ! 私、どうしてこんなことをっ!?」
そのまま飛び退き、自分の唇を擦りながら俺の方を見ている。
蒼ざめたその顔に、明らかに怯えた表情が浮かんでいた。
そんな彼女の姿を眺める俺は、不思議な心の高ぶりを感じていた。
「わからないか? だったら教えてやるよ。全てはその首輪のせいさ。それを身につけている間、おまえは俺の言いなりなんだ」
「そんなっ!? ……まさか!」
信じられないといった様子ながらも、その手が首輪の方に動こうとするのを俺は見逃さなかった。
「首輪を外すな! おまえは、絶対にその首輪を外すことはできないし、外そうとすることすらできない。わかったか?」
「はい、わかりました、ご主人様」
俺の言葉に、ありすはさっきまでの怯えた様子が嘘のような満面の笑顔で頭を下げてきた。
この、命令に返事をする瞬間だけは、本当に俺の奴隷のように思える。
だが、それもそう長くは続かない。
「まっ、またっ!? ……そ、そうだわっ、この首輪がっ……そんなっ、手が動かないっ!? ど、どうしてっ!?」
わずかに持ち上がりかけた腕が、そこでピタッと動きを止める。
なるほど、こういった指示は本人の意識が戻った後でも効くんだな。
キスをさせるとかいったタイプの命令は、その行為が終わると効果が消えるが、なにかを禁止するような命令は自我が戻った後でも本人を縛り付けるらしい。
少しずつ、この首輪の扱い方がわかってきた気がする。
もっとも、今はまだずっと奴隷のままというわけにはいかないのはちょっと面倒だが。
「だから言っただろ。おまえは俺の言いなりなんだって」
「そんなっ!」
「おっと、大きな声を出すな」
「かしこまりました、ご主人様。………………いやっ、またっ! 」
もう何回も繰り返された、同じ光景。
恭しく頭を下げて少し経ってから、ありすが悲鳴を上げる。
それも、さっきよりもずっと小さな声で。
「うん、それでいい。これで他の人間に気づかれることもないだろう」
「こっ、こんなことをして……わ、私をどうするつもりなんですか?」
「そうだな……」
微かに震えているありすの言葉に、しばし考え込む。
俺としても、この首輪の扱いにもっと慣れておきたいところだが、何をするにしてもここだとこのスタジオの人間がいつ来るかわからないからあまりやばいことはできない。
そこで出した結論は、撮影を続行することだった。
それも、命令を出し続けることで俺には逆らえないということを彼女に思い知らせるように。
「とりあえず、撮影を続けるかな……」
「そんな……こんなことをされて、撮影なんてできるはずがありません……」
何気なく呟いた言葉に、ありすは泣き出してしまう。
しかし、それよりも俺は彼女が奴隷化しなかったことに少し驚いていた。
どうやら、命令や指示の形で明確に彼女に向かって発した言葉じゃないと効果が無いみたいなのはそれでわかったが……。
とはいえ、このままじゃ撮影にならない。
どんなことまでさせることができるのかはわからないけど、とりあえず命令してみるか……。
「泣くのを止めろ。このスタジオで撮影をしている間、俺の前では絶対に泣くな」
「はい、かしこまりましたご主人様」
さっきまで大粒の涙を流していたありすが、別人みたいにニコリと微笑む。
やはりそれもわずかな間のことで、すぐに怯えた表情に戻ってしまうが、さっきのようにボロボロと涙をこぼすようなことはない。
「もう……もうこんなことやめてください……」
ありすの喉から、消え入りそうなか細い声が漏れる。
大きな声が出せないのはさっきの命令が効いているからだろうか。
俺を見上げる、その恐怖と戸惑いの入り交じった眼差しを見るとどうやら涙を堪えているというよりも、泣きたくても泣くことができないといった感じだった。
へぇ、涙を流すなんて生理現象みたいなことを止めさせることもできるのか……。
今にも泣きそうな顔をしながらも涙を流さないありすを見て、首輪の効果に思わず感心してしまっていた。
「お願いです、許してください。私を自由にしてください……」
「それは無理だな。おまえはもう俺のものなんだから。まあでも、とりあえず依頼された仕事の分の撮影は終わらせないとな……」
「そんな、撮影だなんて……」
イヤイヤと首を振るありすの頬に残る涙を拭う。
そして、改めて命令をする。
「ほら、さっきみたいにその鏡台の前に座るんだ」
「かしこまりました、ご主人様」
従順そのものといった様子で頭を下げると、ありすは鏡台の椅子に腰掛ける。
「もっとすました表情で、鏡に横顔が映るように横を向くんだ」
「はい、ご主人様」
すぐにまたおどおどし始めたありすに次の命令をするとそのとおりに横を向き、すっとすました顔になった。
すかさずシャッターを押して、その西洋人形のような姿を写真に収める。
だが、少し経つとまたもやありすは悲しそうに頭を横に振った。
「そんな……いや、こんなの……撮影なんか、本当にできません……」
「できるかどうかに関係なく撮影はできるさ。なにしろ、今のおまえは俺の命令したとおりにしてくれるんだから」
「そんなっ……」
「さあ、今度はこっちを向いて笑うんだ」
「はい、ご主人様」
俺の言葉に、ありすが満面の笑みを浮かべる。
それも、さっきの撮影の時のぎこちない笑顔じゃない。
たった今まで、撮影なんかできないと泣きそうな顔で言っていたとは到底思えないほどに心底嬉しそうで、それでいて妖しさすら漂わせている艶のある表情だ。
それは、彼女の美貌とその衣装に俺が求めている最上の笑顔だった。
それから、さらにいろんな表情とポーズを試してみた。
立ち上がってこちらに片手を伸ばさせて、男を誘惑するような笑顔を作らせたり、両手で自分の肩を抱かせ、挑発的な視線でこちらを見つめさせたりもした。
なにしろ、どんな姿勢であれ表情であれ、俺が言ったとおりにするのだから。
これまで、あの手この手でなだめすかしたり褒めたりしてモデルをその気にさせることはいくらでもしてきたが、相手に命令するなんていうのは初めてなので新鮮だった。
それと同時に、彼女を俺の命令通りにできることに、今まで感じたことのない快感を覚えていた。
「じゃあ、次はそこのベッドに寝転んで、こっちに腕を伸ばして笑うんだ。できるだけ楽しそうにな」
「かしこまりました、ご主人様」
命令したとおりに、ありすがベッドの上に仰向けに寝転び、俺に向かって抱きつくように両手を伸ばす。
その顔には、子供のように無邪気で楽しそうな笑みが浮かんでいた。
その姿を撮影して、次の命令を出す。
「今度は、横を向いて拗ねてみせろ」
「はい、ご主人様」
返事と共にありすは横向きになって枕を抱き、唇を尖らせてみせる。
「よし、次は悲しそうにしてみろ」
「かしこまりました」
俺の言葉に従って、今度は翳りを帯びた表情になって枕に半分顔を埋める。
その表情を、次々と写真に収めていく。
そうやって、今回の撮影には充分な量が撮れたところで、俺はもう少し彼女で楽しんでみることにした。
もちろん、ここでは他人に見つかる可能性があるのであまり派手なことはできない。
あくまでも撮影を装って、ただし、雑誌のためではなくて自分の愉しみのために……。
「よし、そのままスカートを捲ってみせるんだ」
「はい、ご主人様」
ありすの細い指が、レースで縁取られた黒いスカートの裾を掴み、捲り上げていく。
衣装と同じ黒色の、膝上まであるソックスの上から色白のふとももが覗く。
そして、完全に捲れたスカートの内側から現れた下着は黒くはなく、白いシンプルなものだった。
「いいぞ。そのままにしておけよ」
「かしこまりました」
スカートの裾を大きく上げて微笑むありすの姿を、角度を変えながら写真に収めていく。
すると、数枚撮ったところでその顔から笑みが消え、小さな悲鳴があがった。
「やだっ……こんなことしたくないのに! それに、こんな姿を撮るなんて……今回の撮影にはこんな写真は必要ないじゃないじゃないですか……」
「ああそうさ。依頼された仕事の分の写真はもう充分に撮れたからな。今は俺の趣味で撮ってるんだよ」
「そんな……やめてくださいっ!」
「そうはいかないな。ほら、足を広げて、もっといやらしい格好をするんだ」
「かしこまりました、ご主人様」
俺が命令すると、即座にありすの表情が変わる。
すぅ……っと、その細く長い足が大きく開かれていく。
「ああ、いいぞ。もっと、男を誘うように動いてみろ」
「はい、ご主人様」
微笑みを浮かべながら、ありすは足を開いたままで片方の膝を立てる。
続けて、その手を背中に回してファスナーを降ろす。
すると、衣装がはだけて色白の肩が露わになった。
「そう、その調子だ。そうしていると、おまえ自身どんどんいやらしい気持ちになってくる。いいな?」
「はい、ご主人様……ん、はああぁ……」
ふとももを晒して腰を艶めかしく動かすありすの口から、悩ましげな吐息が漏れた。
その顔も、ほんのりと紅潮しているのがファインダー越しにわかる。
しかし、それも少し時間が経つと……。
「……もういやっ! こんなことしたくないのに、どうして? ……それに、こんなに嫌なのに、なんでこんな気持ちになるのっ!?」
涙目になったありすが悲鳴をあげる。
それでも、大きくはだけた両肩を抱き、スカートの中を見せつけるように足を開いて体をくねらせるのを止めようとしない。
体の動きと同じく、自分の意志とは関係なく気持ちが高ぶっているのか、そのふとももまでもほの赤く染まり、丸見えになった白いショーツの向こうが透けて見えるほどに濡れているのがわかる。
それは、下手をすると裸でいるよりもよっぽどそそられる姿だった。
「いやぁあっ……どうしてこんなっ……はぁああ……」
「まあそう言うな。おかげでいい写真がたっぷり撮れたぞ」
「そんな、こんな姿を……あぁんっ! それに、こんな気持ちになるなんて……お願いです、もう、もうこんなことやめてください……」
ベッドの上で煽情的なポーズをとり、望まない発情に小さく喘ぎながらありすが懇願してくる。
俺としてはもっと楽しみたいところだが、時計を見るとそろそろここの使用時間も終わりに近づいていた。
まあ、こいつはもう俺の言いなりだし、別に場所はここでなくでもいいか……。
「そうだな、そろそろ片付けないとマズいな」
「じゃあ、これで終わりなのね……!」
俺の言葉に、ありすは一瞬安堵の表情を浮かべる。
だが、もちろん俺はこいつを解放するつもりはなかった。
「誰がこれで終わりだと言った? ベッドから降りろ、ありす。そして、ここで来たときの服に着替えるんだ」
「かしこまりました」
恭しく頭を下げると、ありすはベッドを降りて自分の服を取りにいく。
もちろん、俺の前に戻ってきたときには本人の意識は戻っていたが、その体はそのまま着ている衣装を脱ぎ始めた。
「くっ、こんなことっ……着替えているところを見るなんて、なんて悪趣味なの……」
ショーツとブラだけの姿になったありすが、嫌悪に満ちた目で睨みつけてくる。
「裸になれって言ってるわけじゃないし、下着姿くらいいいだろうが。さっきのポーズの方がよっぽどいやらしかったぞ」
「……っ! それもこれも全部あなたがさせてるんじゃないの……!」
からかい半分にそう言ってやると、ありすの顔が屈辱に歪む。
とはいえ、下着姿のそのプロポーションに俺は内心舌を巻いていた。
ボリュームのある尻に腰は細くくびれていて、胸はそこまで大きくないがむしろこのくらいの方が美しいと思える。
とてもではないが、小さな事務所の無名のモデルとは思えないほどにいい体型だった。
本当にこいつは掘り出し物だな……。
そんなことを考えている間に、ありすが服を着替え終えた。
「いいか、俺はおまえを手放すつもりはない。だから改めて言っておくぞ。絶対にその首輪を外すな。おまえはその首輪を外せないし、外そうとすることもできない。それと、その首輪のことや俺とのことを他の誰にも知らせるな。誰かに助けを求めることもするなよ」
「かしこまりました、ご主人様」
俺が命令する言葉には、ありすはどこまでも従順に頭を下げる。
「よし、じゃあそろそろ行くぞ。来い」
「はい、ご主人様」
荷物をまとめると、俺はありすを連れてスタジオを後にした。
* * *
帰りの車の中では、ありすはひと言も口をきかなかった。
ただ、怯えたような様子でちらちらとこちらを窺う視線だけを感じる。
そして、行きに彼女を乗せた場所でありすを降ろす時に、俺は自分の住所を書いたメモを手渡した。
「いいか、今夜10時にここに書いてある場所に来い」
「かしこまりました、ご主人様」
命令した途端に、ありすは笑顔を浮かべて頭を下げる。
しかし、車を発進させて去り際にミラー越しに見ると、彼女は恐怖に引き攣った顔でこちらをじっと凝視していたのだった。
< 続く >