第2話
解き放たれた少女
「んっ、はむ、ぬぷっ……ほら、覚内くんの、もうこんなに大きくなったわよ」
「ちょっ! みっ、水希っ!」
翌日の放課後、俺と水希はまたもふたりで屋上にいた。
昨日と同じように、水希がいきなり俺を押し倒したかと思うとズボンをずり降ろしてチンポにしゃぶりついていた。
「じゃあ、挿れるわよ」
「水希っ! お、俺はそんなつもりは……」
「男が女を自分のものにして他になにをするっていうの? こうするためにあなたは私を自分のものにしたんでしょ。だいいち、こんなにおちんちん大きくしてるじゃないの」
「う……そ、それは……」
たしかにチンポに関しては返す言葉もない。
ただ、それは水希のフェラが上手すぎるだけで。
俺はこんなことをさせるために力を使ったわけじゃないし、そもそも水希を俺のものにしたつもりもない。
だけど、水希を止められない理由もあった。
「昨日も言ったでしょ。私はあなたとセックスするのが嫌じゃないって。それじゃいくわよ……んっ、はんんんっ!」
俺に跨がってこっちを見下ろしながら、水希がゆっくりと腰を沈める。
「んっ……は、入ってきた……やっぱり不思議。覚内くんとこうするの、全然嫌じゃない。気持ちよくて……なんかドキドキする……」
……そう。
こうやってセックスしてるときだけは、感情が麻痺したように無表情な水希が少しだけ変わる。
頬をほんのりと赤くさせて、わずかに緩んだ表情を見せる。
それは本当に小さな変化だけど、ものすごく貴重なものに思えてならない。
「じゃあ、動くわね。……んっ……んんんっ! やっぱり、気持ちいい。セックスなんてこれまで何度も無理矢理させられて、気持ちいいなんて思ったことないのになんでだろ? あなたとのセックス、本当にいいの……んっ、んふぅうううっ!」
俺の体に手を突いて水希がくねらせるように腰を動かし始めると、チンポを包み込む熱い感触もうねり始める。
くぅっ……水希の中、気持ちいい……。
チンポをすっぽりと飲み込んだ水希の膣内は温かくてきつくて、蕩けそうなくらいに気持ちいい。
「どう、気持ちいい?」
「あ、ああ……」
「じゃあいいじゃない。私も気持ちよくて覚内くんも気持ちいいんだから、それでいいじゃないの」
「でっ、でもっ……」
わかってる。
このままじゃいけないっていうのは俺がよくわかってる。
こうなったのは俺が力を使ったからで、水希の本当の気持ちじゃない。
だいいち、これじゃ水希の心の中の絶望は根本的に解決されない。
だけど、止められない。
今、ほんのわずかだけど気持ちよさそうな顔で腰を振っている水希を見ているとそんなことをするのが躊躇われる。
こんなことでも水希の心が少しは晴れるのかなと思うと、止めることができなかった。
* * *
3日後。
「おはよう、水希」
「あ……うん、おはよう……」
ん? なんか水希の様子がおかしくないか?
「なんかあったのか?」
「ううん、なにもないわよ」
尋ねても、水希はそう言って頭を振るだけだった。
もともとが感情を表に出すやつじゃないから、それが本当なのかどうか読み取りにくい。
だから、授業が始まってからもちらちらと水希の様子を窺ってみる。
……やっぱりおかしいよな。
無表情なのはそれほど変わらなく見えるけど、やっぱりいつもより表情が強ばってる。
それに、いくぶん青ざめているようにも見えた。
これは絶対になにかあったんだ。
そう思って、昼休みに水希を問い詰めてみる。
「おい、やっぱりなにかあったんだろ?」
「な、なに言ってるの? なにもないって言ったじゃないの」
今、少しだけ動揺したよな?
「ちょっとこっち来いよ」
「ちょっ……覚内くん……?」
水希の手を取ると、人のいない場所に連れて行く。
「なにがあったんだ? 正直に全部話せ」
「あ……う……それは……」
俺の命令に抗おうとするように水希の唇が小刻みに震える。
そのまま力なく視線を泳がせていたけど、諦めたようにがっくりと項垂れた。
「あいつから……呼び出しがあったの。今日、会いに来いって」
「なんだって!?」
いや、考えてみたら水希がこんなになることなんかそれしかないか。
「それで、行くのかよ?」
「それしかないじゃない。行かなかったらきっともっと酷いことになるに違いないもの」
「いや、しかし……」
「大丈夫よ。私が行ってあいつに犯されたらそれで済むことだから。これは私の問題なの」
そう言った水希の目には諦めの色が浮かんでいた。
これまで何度も見た、感情の死んだ瞳。
でも、そんなことをさせるわけにはいかない。
水希が酷い目に遭うのがわかっていてあの男のところに行かせることなんて認められない。
だけど、どうしたらいい?
たしかに、行くなと命令したら水希は行かないだろう。
でも、それだと水希の言うとおりかえって酷いことになるのは目に見えてる。
だったら……。
「もう授業が始まるわよ」
「あ、ああ……」
予鈴が鳴って、水希が俺の手を引く。
教室に戻る間も、そして午後の授業の間ずっと、俺はどうしたらいいか考えていた。
そして、放課後。
「水希、俺も一緒に行く」
真っ直ぐに水希のところに行くとそう告げる。
それが、午後の間ずっと考えて出した結論だった。
「ちょっと、なにを言ってるの!?」
さすがに、それを聞いた水希の顔色が変わった。
「だから、俺も一緒にそいつに会いにいくって言ってるんだ」
「言ったでしょ。これは私の問題だって! あいつはすごく怖い奴なのよ。あなたが来てもどうにもならないわ。きっと酷いことをされるだけよ」
「いや、それでも俺は行く」
「そんなことできない。あなたを巻き込むことなんかできないわ!」
「命令だ、水希。俺をそいつのところに連れていけ」
「う…………わかったわ……」
俺が命令して、やっと水希は力なく頷いた。
巻き込まれるもなにも、そもそも水希にここまで深く関わったのは俺の方だ。
それに、もしかしたらこれは水希を救うことができるチャンスかもしれないんだから。
そして、そのまま学校を出て電車に乗ると俺の家のある駅のふたつ先で降りる。
駅前の商店街を抜けてしばらく歩いて行くと、住宅がまばらになって工場が多くなってきた。
「ここよ」
その一角の大きな建物の手前で水希は立ち止まる。
たぶん、空き倉庫かなんかなんだろう。
トラックが通れるくらいの大きな出入り口にはシャッターが降りていた。
「この倉庫は今は使われていないんだけど、ほら、ここの扉の鍵が壊れていて自由に出入りできるの。それであいつはここを根城にしてるんだけど……」
「そういえば、そいつは他に仲間がいるのか?」
「いや、それはわからないわ。でも、私を呼び出すときはいっつもあいつひとりだけだった」
「そうか、わかった」
厄介なのはそいつが他の奴とつるんでることだったけど、ひとりだったらなんとなかりそうだ。
しかし、水希は扉の前で立ち止まったままじっと俺を見つめてくる。
「どうして一緒に来たの? いったいなにをするつもりなの?」
「俺に考えがあるんだ。とにかく見ていてくれ」
「でも……」
「命令だ。俺とあいつのやりとりに手出しするな。ただ見ていればいいんだ」
「……わかったわ」
俺の命令に水希が頷く。
ただ、こいつにしては珍しく不安げな表情を浮かべていた。
「で、そいつはもう来てるのか?」
「……案内するわ」
水希が扉を開けて入っていくの続いて、俺も倉庫の中に入る
……なるほど、これは隠れ家にはうってつけだな。
建物の中はもちろん人影はなく、だだっ広くて電気なんか点いてないから薄暗かった。
そして、水希が連れてきたのは倉庫の奥。
たぶん事務所スペースがあった場所らしく、机とソファーが置いたままになっていた。
「来たわよ」
「……遅かったじゃねーか」
水希の声に、ソファーから人影が起き上がった。
金色に染めた短めの髪に鋭い目つきの、日に焼けた男。
間違いない、水希の心の中で見たあの男だ。
「ん? なんだそいつは?」
そいつが、一緒にいる俺に気づいた。
「俺は水希のクラスメイトだ」
水希が口を開くのよりも早く前に出てそいつと相対する。
面と向かって立つと俺よりも背が高いし体格もがっしりしている。
年も俺たちより少し上っぽかった。
「で、そのクラスメイトがなにしに来たんだ?」
「おまえが水希と関わるのをこれで終わりにしにきたのさ」
「あん? なんだぁ? なに言ってんだおまえ?」
「もうおまえが二度と水希を呼び出したりしないように、そのために来たんだ」
「はぁ? くっははははっ!」
いきなりそいつは腹を抱えて大笑いしだした。
「なにがおかしい!?」
「残念だったな。おまえがどんなに頑張ってもこいつは俺から離れられねーんだよ」
そんなことはわかってる。
こいつが水希を脅すネタを持ってる限りなんの解決にもならない。
だからその根本のところを片付ける。
そのために俺はここに来たんだから。
「とにかく、今後水希には一切手出しはさせない」
そう言って身構える。
もちろんまともにやり合うつもりはない。
喧嘩なんか小学生のとき以来やったことないし、帰宅部で格闘技とかの心得もない俺がこんないかつい奴とやり合って勝てるわけがない。
俺が狙っているのは……。
「ふーん、やり合おうって言うのか? ……よっ!」
「ぐっ!? ……がはっ!」
いきなり強烈な膝蹴りを食らって体がくの字に折れる。
そして、息をつく間もなく思いっきり殴られて体が吹っ飛んだ。
「覚内くん……!」
水希の悲鳴が聞こえ、それに続けて今度は倒れ込んでいる俺の横っ腹に蹴りが入った。
体が軋むような強烈な痛みに襲われる。
だけど、これならなんとか耐えられる。
続けてまた一発。
「……ぐはっ!」
「なんだぁ? その程度でお姫様を守るナイト気取りかよ?」
あいつの勝ち誇ったような声が上から降ってくる。
でも、もとから力勝負で勝つつもりなんかない。
俺の狙いはただひとつ。
「……ぐっ!」
もう一発蹴りを入れてきたのを歯を食いしばって耐え、その足にしがみつく。
「なんだっ?」
「このぉ!」
片手を伸ばして、そいつの中に力を流し込む。
「なっ……!?」
すると、そいつは力が抜けたみたいにバランスを崩して倒れ込んだ。
……やっぱり!
水希のときもそうだったけど、この力を使われた相手は体から力が抜けるみたいだった。
一か八かの賭けがうまく当たった。
そのまま重なり合うようにそいつの上に倒れ込むと、もう片方の手を伸ばしてその額に当てる。
「このぉおおおおおおっ!」
水希のときのことを思い出しながら、気合いと同時に強く念じて一気にそいつの心の中に潜り込んだ。
◆◆◆
……どうやらうまく潜り込めたみたいだな。
宙を浮くような浮遊感に、自分が相手の心に潜り込むのに成功したことに気づく。
それにしてもこれは?
そいつの心の中は、水希の心の中よりかはずいぶんと明るかった。
それに、漂っている感情の帯もどぎつい色をしたものばかりだ。
くっ、これはまたなんというか……。
感情の帯がぶつかると、その感情が流れ込んでくる。
ここに漂ってるのはほとんどがいろいろな種類の欲望だった。
他には不満や不平、苛立ちといった感情が伝わってくる。
水希のときとは違う、荒くれた欲望まみれの心。
とにかく、目的を果たさないと。
そう思って、心の中を下へと潜っていく。
水希のときは人の心に潜るのもその中でなにかするのも初めてで戸惑っていたところがあったけど、今日は違う。
こいつの心に潜ったらなにをしたらいいのか、午後の授業の間に考えておいた。
うまく心に潜り込めたら、それを実行するだけだ。
潜っていくと、すぐに記憶のパネルが漂っているエリアに辿り着く。
……ん? あれは?
やたらとぎらついた赤っぽい帯が絡みついているパネルに近づくと、そこに水希が映っていた。
裸になって、犯されている水希の姿。
くっ……こんなもの消えてしまえ!
そう強く念じてパネルに触れると、ピカッと光ったパネルがガラスのように粉々になった。
そして、その破片が溶けるようにして消えていく。
……やっぱり。
力を使えば記憶を消すことができるんだ。
実際にやってみるまでうまくいくかわからなかったけど、これで確信できた。
だったら、あとは片っ端から水希に関する記憶を消していくだけだ。
山ほどある記憶のパネルから、水希に関するものを見つけ出すのは難しくなかった。
欲望の赤い帯が絡みついているものはたいてい水希を犯したときの記憶だったからだ。
そのどれもこれも、虫酸が走るような不愉快なものばかり。
しかも、記憶を消去しようとして触れたときにこいつの記憶が俺に流れ込んでくる。
その、自分勝手な欲望を満たすだけの不快な感情に反吐が出そうになる。
……落ち着け。
怒りに流されたらダメだ。
慎重に丁寧に記憶を探していくんだ。
水希に関する記憶を消すたびにこみ上げてくる怒りに、いっそのことこいつの心そのものを壊したい衝動に駆られる。
でも、こいつがいくらクズでもそんなことをしたら騒動になるに違いない。
下手をすると水希に迷惑がかかる。
それは避けたかった。
それに、水希についての記憶を消すのと同時にもうひとつやることがあった。
そのために、記憶のパネルをしらみつぶしに探っていく。
……よかった。
こいつは水希のことは他の誰にも話してないみたいだな。
もし他の奴に水希のことを話していたら厄介だったけど、こいつは水希のことを自分だけの獲物だと思ってたみたいだ。
それはそれで胸くそが悪くなるけど、こいつの記憶さえ消したら全て片付くと思えば我慢できる。
それと、水希を脅すのに使っていた写真もスマホに入ってるものだけで、他にバックアップは取ってないのも確認した。
スマホのことを探ったついでに、ロック解除の暗証番号も調べる。
さてと……これで記憶の消去も全部終わったかな?
心のかなり深い場所にあった、万引きしている水希を目撃したときの記憶を消去する。
これで、もうこいつの中に水希に関する記憶は残ってないはずだ。
……うっ!?
なんだ? ひょっとして、力を使いすぎたのか?
突然、軽い目眩と脱力感に襲われる。
水希のときとは違って長丁場になったからその反動が来たのかもしれない。
でも、まだやっておくことが残っていた。
俺は、意識を集中して水希のことを思い描く。
すると、目の前にその姿が生み出された。
こいつと会ってもまったく気にならないし、関心も持たない。
そう念じると俺の手に白っぽく透き通った色の杭が現れた。
それを、水希の像に打ち込む。
よし、これでもうこいつには水希の記憶はないし水希に気を取られることもないはずだよな。
全てを終えて、ようやく上へと向かい始める。
最後に、たった今の俺とのやりとりの記憶を消しておくことも忘れない。
……ちょっと待てよ。
ここから出ても、すぐに目を覚まされたら厄介だよな。
すぐに意識が戻らないようにできないか?
心の中から出る直前にそう思った俺は、両手を下に突き出して強く念じてみる。
このまましばらく眠ってろ!
すると、俺の掌から白い靄のようなものが湧き出てきて心の中を満たしていく。
うまくいったのか?
まあ、出てみたらわかるよな。
とにかく、水希に関することはうまくいったわけだし、これくらいは失敗してもなんとかなる。
そう気を取り直して、霧がかかったように白く霞んだ心から出ていく。
◆◆◆
「……ぷはっ! ふぁああっ! なんなんだよこのしんどさは!?」
自分の体に戻った瞬間、猛烈な気怠さとクラクラする目眩に襲われる。
その酷さは水希の心に潜ったときの比じゃなかった。
「……覚内くん! 目が覚めたの!?」
すぐ近くで水希の声が聞こえた。
「……水希?」
「よかった……ふたりともぐったりしたまま動かなくなったから、私不安で……でも、手出しするなって命令されてたから見てることしかできなくて。無事だったのね」
「ああ。ごめん、まだちょっとやることがあるんだ。もう少しそこで見ててくれ」
そういうと、まだ倒れたままの男のスマホを探す。
さっきのあれが効いてるのか、全く目を覚ます気配がない。
そして、スマホを探り当てるとロックを解除して水希を撮った画像と水希のアドレス、携帯番号を全部消していく。
「うん……これでよしっと。水希、こいつを外に出すからちょっと手伝ってくれないか?」
「……えっ?」
もとの場所にスマホを戻してそう言うと、水希は驚いたように首を傾げた。
「まあいいから手伝ってくれ」
「それは……いいけど……」
頷きながらも、水希は釈然としない様子だった。
俺としてもそれはちょっとした賭けだったけど、それでも確かめておきたかった。
意識を失った男ひとりを水希とふたりで運ぶのはかなり骨が折れたけど、なんとか倉庫の外に出して道路に寝転ばせる。
次に俺はしゃがみ込んで、わざとらしく声をかけながらそいつの体を揺すった。
「ちょっと! どうしたんですか!? 大丈夫ですか!?」
「やっ……なにしてるの、覚内くん!?」
水希が驚いた声を上げるけど、構わずに相手の体を揺さぶり続ける。
「……ん? ああ? ……俺?」
「あっ、気がついたんですね!?」
「……おまえは?」
「俺が通りかかったらあなたがここで倒れてたんですけど、大丈夫ですか?」
「え? ああ……俺、なんでこんなところに?」
「どうしたんですか? なにがあったんですか?」
「わかんねぇよ……」
そう答えると、そいつの視線が水希を捉えた。
俺のすぐ後ろで、水希が緊張に強ばるのを感じる。
だけど、そいつは完全に水希のことをスルーした。
「いったいどうなってんだ? なんでここにいるんだっけ?」
「あの、なんだったら救急車を呼びましょうか」
「いいよ、んなもん。大丈夫だっての。悪かったな、迷惑かけて」
そう言うと、そいつは立ち上がる。
「……ちっ、いったいなんなんだってんだよ」
首を傾げてブツブツ言いながら、そいつはその場を立ち去っていった。
「……いったい、どうしたっていうの?」
その後ろ姿が見えなくなってから、ようやく水希が口を開いた。
「あいつの心の中に潜って、水希に関する記憶を全部消した。そのうえで、もう水希には関心を持たないようにさせたのさ」
「……えっ?」
「潜ってみてみてわかったけど、あいつはおまえのことは他の誰にも話してなかったし、おまえの写真もあいつのスマホの中にある分だけだった。それもさっき消去しておいた」
「それって……?」
「もうおまえは二度とあいつから呼び出されることはないし、あいつに悩まされることもない」
「……本当に?」
「ああ、さっきのあいつの態度見ただろ。おまえのことを覚えてたらあの状況でおまえを放っとくと思うか?」
「……そうだよね」
「安心しろ。おまえは完全にあいつから解放されたんだよ」
「覚内くん……」
「はぁあー、しんど。あの数の記憶を消すのがこんなにきついなんて思ってもなかったよ。……痛ててっ!」
全部うまくいったことがわかって張り詰めていたものが切れると、疲れが一気に来てその場にへたり込む。
同時に、体のあちこちがズキズキ痛みだした。
「大丈夫!? ……あっ、ここ、血が出てるよ!」
見ると、腕を派手に擦り剥いて血が出ていた。
たぶん、あいつに殴り倒されたときに地面で擦った傷だろう。
「いや、こんなのかすり傷だから」
「でも、こんなに血が出てるし……」
たしかに、かなり広く擦り剥いててヒリヒリ痛むけどこれくらいならなんとか我慢できる。
「大丈夫だって。そんなにひどい怪我じゃないし。ちょっと力を使いすぎて疲れてるけど、それもちょっと休めば回復するだろうし」
「だったらうちで休んで行って! ここから歩いて行けるところだから」
「……水希?」
「いいから来て! 傷の手当てもしないといけないし!」
「あ、ああ……」
今まであんなに無表情だった水希が必死な顔で勧めてきたものだから、勢いに押されて思わず頷いてしまう。
「じゃあ、早く行こ。大丈夫? 肩貸してあげようか?」
「いや、ホントに大丈夫だから」
「無理しないで。ほら、支えてあげるから」
立ち上がった俺の体を、水希が支えてくれる。
そうやって、俺たちはゆっくりと歩きはじめた。
* * *
そして、俺は住宅地と工場町の境目くらいにある古びたアパートの一室に連れてこられた。
「入って。たぶん中には誰もいないから」
「そうなのか?」
「うん。私、父さんのことを知らないんだ。母さんもなにも話してくれないし。それに、母さんはこの時間には仕事に行って朝まで帰ってこないから……」
……そういうことか。
はっきり言わなくても、夕方には仕事に行って朝まで帰ってこないってことはどんな仕事なのか想像はつく。
でも、これで水希の心に潜ったときに親父さんの記憶がなかった説明がつくし、母さんに対するあの悲しい感情もなんとなく理解できる。
もしかしたら、俺と水希って少し似てるのかもしれないな。
俺の母親も小さいときに病気で亡くなっていて、実はあまり記憶にない。
だから俺は男手ひとつで育てられた。
まあ、うちはこういう特殊な家系だから父さんだけってわけでもないけど……。
「どうしたの? 早く入って」
「ああ……」
不思議そうに首を傾げている水希に促されて、部屋の中に入る。
水希の家の中はあまり物のない、質素な感じがした。
「よかった、包帯があって……」
中に入って荷物を置くと、水希はまず俺の腕のかすり傷を洗って消毒し、包帯を巻いてくれた。
「こんなの大袈裟だよ」
「でも、ちゃんと手当てしておかないとここからばい菌が入ったりしたら大変だから。……あっ、覚内くんの顔、痣になってきてるよ」
「ん? ……痛てててっ!」
あいつに殴られたところを触ると、鈍い痛みが走った。
どうやら青痣になってるっぽい。
「大丈夫?」
「ああ、大丈夫だって。骨とかにはいってなさそうだし、放っときゃ治るさ。でも、明日学校でなにか言われるかもしれないけど、まあそのくらいだよ」
そう言って笑ってみせる。
だけど、水希は真剣な顔で俺を見つめたままだった。
「……ねえ、なんでこんなことしたの?」
「えっ……?」
「私のためにあんな危ないことして、こんな怪我までして……。なんで私なんかのために……?」
そう言った水希の顔は、今にも泣きそうだった。
「俺さ……高校に入って同じクラスになって初めておまえを見たときに、かわいいなって思ったんだ」
「……え?」
「おまえは気づいてなかったと思うけど、ずっと気になってたんだぜ。だけど、おまえは誰とも仲良くする感じじゃなかったし、人を寄せ付けない雰囲気を漂わせてたから話しかけられなかった。俺はなんにも知らなかったから、おまえがいつも無表情なのをもったいないなって思ってたんだ。おまえが笑ったら、きっとすごくかわいらしいだろうなって、ずっとそう思ってた」
「そうだったんだ……」
「それでさ、あの日屋上でグダグダしてたらおまえが来てさ、自殺しようとしたのを見て放っておけなくて、それから後のことはおまえも知ってのとおりだけど、あのとき俺が自殺するのを止めたのはおまえに死んで欲しくなかったからって言っただろ? あれって本心なんだよ。だって、ただでさえクラスメイトが目の前で自殺するのなんか見たくなかったし、ましてやそれがずっと気になってたやつなんだから。でさ、実は俺が力を使ったのはあのときが初めてなんだ。本当はこの力は封印されてて使えないはずだった。だけど、おまえを死なせたくない、助けたいって、その思いで封印が解けたんだ。そして、おまえの心の中に潜ってはじめておまえが今まで笑わなかった理由もわかったし、なんとかしてやりたいって思った。俺のこの力を使ったらなんとかできるんじゃないかともなんとなく思ってた。だから、あいつから呼び出しがあったって聞いてから必死に考えてこうしようって思ったんだ。その後はもう迷いはなかった。危険なのは百も承知だったけど、なんとしてもおまえを助けたかったんだ」
「覚内くん……」
俺の話を聞き終えると、水希はそれだけ言って黙りこくってしまう。
あの男から解放されたことで、きっと水希の人生も変わる。
そして、俺と水希の関係も変わる。
いや、このままじゃいけないっていう思いが俺にはあった。
だから、自分の気持ちを正直に伝えることにした。
「俺さ、おまえのことが好きなんだよ。だから俺は自分がどうなってもおまえのことを救いたかった」
俺の言葉に、水希はハッと顔を上げる。
「それでさ、俺、おまえが俺を好きになるようにさせて俺の命令に逆らえないようにさせてるじゃんか。あれは本当におまえが自殺しないようにって思ってそうしただけで、おまえを俺のものにしようとかそんなつもりじゃなかったんだよ。だって、俺はおまえのことが好きだし、好きだからこそその相手にこんなことしていいはずがないもんな。でさ、もうおまえを自殺するまで追い詰めてたものはなくなったし、俺の力でさせてることを解こうと思うんだ」
「それって……」
「おまえの心に打ち込んだ、おまえが俺のことを好きになって、俺の命令に従うっていうふたつのことを取っ払うんだよ。だって……本当は、そんなことしちゃいけないんだから」
「そうしたら私、覚内くんのことをなんとも思わなくなっちゃうの? もしかしたら覚内くんのことを嫌いになっちゃうかもしれないの?」
「んー、俺も自分の力のことをまだよくわかってないけど、そうなるかもしれないよな。俺のことを好きになるっていうのは力を使ってさせたことだし、それがなくなったらその気持ちもなくなるだろうし……」
「いやっ! そんなの絶対に嫌っ!」
いきなり水希が叫ぶと俺の制服の襟元を掴んだ。
「ちょっ! 水希!?」
「覚内くんのことを嫌いになるかもしれないなんて、私耐えられない! 私の中のこの気持ちがなくなるなんて絶対に嫌なの!」
間近に顔を寄せてそう言った水希の目から大粒の涙がこぼれ落ちる。
「あいつのことがあってから、私の人生は真っ暗になってた。誰も頼れなくて、こんなことが続くんなら死んだ方がましだって思うくらいに希望もなにもなかった。それを覚内くんが救ってくれた。それなのに、この気持ちがなくなるなんて嫌!」
「だけどさ水希……こんな力を使って人のことを好きにさせるなんて、やっちゃいけないことだと思うんだ」
「それでも……それでも私はかまわない。本当はね、けっこう前から母さんともうまくいってないの。友達もいないし、私はずっとひとりぼっちだった。そんな私の前に覚内くんが現れてくれた。それなのに覚内くんがいなくなったら、私またひとりぼっちに戻っちゃう。お願い……私をひとりにしないで……」
俺の胸に顔を埋めて、水希は小さな子供のように泣きじゃくる。
まるで、今まで殺し続けていた感情を爆発させるように。
そんな姿を見て、首を横に振れるわけがなかった。
「わかったよ、水希」
「覚内くん……?」
「ごめん。水希の気持ちも考えずに独りよがりなこと言って」
「……じゃあ?」
「水希の心にかけた力は解かない。あ、いや、水希が解いて欲しいって言ったときは別だけど。それまでは解かない。水希を絶対にひとりになんかさせない。いつでも俺が一緒にいてやるよ」
「ありがとう、覚内くん!」
水希がぎゅっと抱きついてくる。
その頬を伝う涙が俺の頬も濡らす。
よく考えたら、こうやって水希を抱きしめるのは初めてだった。
こいつ、見た目よりもずっと華奢だよな……。
腕の中の、どこか儚くて頼りないけど、それでいて温かい感触のすべてが愛おしく思える。
しばらくそうやって抱き合っていた後で、水希がそっと囁いた。
「ねえ……セックスしよ?」
「なっ!? いきなりなに言い出すんだよ?」
「いきなりって、もう何度もセックスしてるじゃないの」
「いや、そういう問題じゃなくて……」
「覚内くんをもっといっぱい感じたいの。だから、セックスしよ?」
涙で潤んだ瞳でじっと見つめてくる水希の表情がドキッとするくらいかわいくて、思わず頷いてしまう。
「じゃあ、しよっ」
心なしか弾んだ声でそう言うと、水希は俺のズボンをすらせてチンポを引っ張り出すとはむっと口に咥えた。
「みっ、水希! も、もうそんなことしなくていいから!」
「ん、あむ……え? どうして?」
「だって、やっぱり汚いよ」
「覚内くんのだったら汚くないよ。それに、私は全然嫌じゃないし。……あふ、ん、ちゅぱ。……ほら、そんなこと言ってもうこんなに大きくなったじゃない」
「あ、いや……それはだな……」
それは単純に水希のフェラテクが凄すぎるだけで、こんなのされたら誰でも大きくなるだろうっての。
「これだけ大きくなったら大丈夫よね」
水希がいったん立ち上がってショーツを脱ぐと、スカートを捲って座ったままの俺の足を跨ぐようにして中腰になる。
「水希?」
「それじゃあ、今日はこの姿勢でやろうよ。覚内くんの顔をよく見たいの」
そう言うと、水希はゆっくりと腰を沈めながら抱きついてきた。
「……んっ!んんんっ! くふぅうううううううんっ!」
俺のチンポが熱いうねりに飲み込まれたかと思うと、そのまましがみついてきて体をプルプルと震わせた。
いや、水希の体だけじゃなくてチンポを包み込んでいる柔肉がギチギチに締めつけて痙攣してる。
「水希……もうイッちゃったの?」
「うん……挿れただけでイッちゃった……なんかすごくて、体が変なの……こんなの初めてかも……」
「大丈夫? 今日は止めとく?」
「大丈夫。もっとちゃんとセックスしたいから。ただ、少しの間こうしてて……」
「うん、わかった」
「やっぱり覚内くんは優しいね……」
「……水希」
繋がり合ったままで見上げてくる水希の顔は、ほんの少しだけ笑ってるように見えた。
まだ涙の跡が残ってるけど、目尻がほんのりと緩んでる。
抱き合った腕の中の、柔らかくて温かい水希の体。
ドクドク鳴ってるのは俺の心臓の音なのか、それとも水希のなのか……。
「……んっ、あんっ」
しばらくそのまま抱き合っていたら、水希がゆっくりと腰を動かし始めた。
「おい、もういいのか?」
「うん、もう大丈夫……はんっ、んっ、ああぁんっ!」
俺に抱きついたまま、水希はゆっくりと腰を上下させる。
「んっ、ふぁっ! くふぅうううううううっ!」
だけど、すぐにまたぎゅっとしがみついて体をひくつかせた。
「もしかして、またイッたの?」
「うん。……でも、やっとわかった」
「わかったって、なにが?」
「初めて覚内くんとセックスしたときから、なんでこんなに気持ちがいいんだろうって思ってた。それまでセックスが気持ちいいなんて感じたことなかったのに……。だけどわかったの。私が覚内くんのことを好きだからなんだって。好きな人とセックスするのって、こんなに気持ちいいんだ」
「水希……」
「私、もっといっぱい覚内くんとセックスしたい。だから、もっと動くね……んっ、あふうっ!」
水希の腰が、また上下に動き始める。
「んっ、はうっ……いいっ! 気持ちいいっ!」
「あうっ……水希の中、熱くてっ、すごく締めつけてくるっ!」
「そっ、それだけ気持ちいいのっ! ……はんっ、あっ、やあっ、またっ! んふぅうううううううっ!」
「みっ、水希ッ! イキすぎだよっ!」
「んっ、ダメッ、自分でもっ、抑えられないのっ! やあっ、止まらないっ、きゅふううううううんっ!」
水希の腰の動きがだんだん激しくなっていく。
たぶん、ずっとイキッぱなしなんだろう。
水希のそこはさっきからギチギチにチンポを締めつけたままだ。
正直、こんなにきつきつで熱いのに扱かれ続けるともう保ちそうにない。
「ふぁあああああっ! あんっ、すごいっ、イクの止まらないっ! んんんんんんっ!」
「水希……! そんなにしたら俺ももうっ!」
「きてっ! 私ももうイキすぎて変になりそう! だからきてっ!」
「くううううっ! 水希ぃいいっ!」
「ああっ! ふぁああああああああっ!」
水希の細い体をきつく抱きしめて、俺もイッてしまう。
そして、抱き合ったまま倒れ込んだ拍子にズキッと痛みが走った。
「痛てててっ!」
「大丈夫っ!?」
「ははは……大丈夫、倒れたときに怪我したところが当たっただけだから」
「本当に本当に大丈夫?」
「大丈夫だって」
「……きゃっ」
水希を安心させるように、抱いた腕に力を込める。
すると、水希もきつく抱き返してきた。
「ねえ、覚内くん」
「ん? なに?」
「本当にありがとう……」
俺の胸に顔を埋めて、水希はそっと囁いたのだった。
* * *
9日後。
「なあ、水希、今日は俺の家に来ないか?」
放課後、水希とふたりで駅に向かいながらそう誘ってみる。
「覚内くんの家に?」
「ああ。うちの親父、今海外への長期出張中でな、家に誰もいないんだ」
「そうなの? お母さんは?」
「ああ、言ってなかったよな。俺の母さんはまだ小さいときに死んで、ほとんど覚えてないんだよ」
「……あっ! ごめん……」
俺の言葉に、水希が気まずそうに口をつぐむ。
だけど、俺はそのことに関してはそんなに気にしてないし、水希の境遇に比べたらむしろ幸せだと思う。
「いや、いいよ。その代わり親父は俺が子供の頃からよく遊び相手になってくれたしな。まあ、ちょっと堅すぎて口うるさくてときどき鬱陶しくはなるけどな。それに、うちはこんな特殊な家系だから親戚づきあいもあってそんなに寂しい思いをせずにすんだし」
そう、こいつに比べたら俺は本当に恵まれてる。
だけど、せっかく家族の話になったから、前から気になってたことを言ってみることにした。
「あのな、水希……」
「なに、覚内くん?」
「おまえ、母さんとうまくいってないって言ってたよな」
「……うん」
「俺な、思うんだけど水希の母さんがおまえのことを思ってなかったら高校まで通わせてくれないんじゃないかな」
「……えっ?」
水希が、ハッとした顔で俺を見る。
だけど、それが俺が感じた正直な思いだった。
ネグレクトとか最近ニュースで聞くけど、本当に自分の子供が邪魔だと思ってたらわざわざこうやって高校まで行かせてくれないだろうって思う。
「うちも片親だけだから少しはわかってるつもりだけど、親ひとりで子供を育てるってやっぱり大変だと思うんだよ。ましてや水希のところみたいな母子家庭で、援助もなしに子供を高校に通わせるのって本当に大変だと思う。水希のことを大切に思ってなきゃそこまでしてくれないと思うんだ」
「そ、そうかな……?」
「俺は水希の母さんのことはよく知らないけど、今うまくいってないって言うのもちょっとした行き違いじゃないのかな? すれ違いとか、ちょっとした感情のズレとか、そんなのがきっかけになってだんだんうまくいかなくなって……でも、ちゃんと話し合ったらもしかしたら解決するかもしれないし……って、ごめん、水希の家のことなのにこんな出しゃばったこと言って……」
「ううん、いいの。……ありがとう、やっぱり覚内くんは優しいね」
「いや、俺、会ったことないけど水希の母さんがそんな悪人には思えないんだよ。だから優しいとかそんなんじゃなくて……」
「ううん、優しいよ、覚内くんは」
そう言って、水希は静かに首を振る。
母さんとうまくいくようになれば、また少しだけ水希が幸せになれるような気がする。
この間のことみたいに俺の力でどうにかなる問題じゃないのがもどかしい。
だけど話を聞いてる限りでは水希の母さんは水希のことを大切にしてるって、そんな気がしていた。
う……なんか空気が重くなっちゃったな……。
そのまま水希は黙ったままだし、俺も話しかけにくい。
そうこうしてるうちに、俺たちの乗った電車は俺の降りる駅に着いてしまった。
「うち、この駅だけど来るか?」
「……行く」
俺の言葉に、水希はそうひと言頷いた。
* * *
「ここが俺の家なんだ」
俺の住んでいるマンションの部屋に着いて、鍵を開ける。
「ほら、上がって……って、あれ? 電気が点いてる?」
中に入った俺は、灯りが点いていることに気がついた。
「おっ、帰ったか、秀明」
「瑞穂ねぇ……来てたの?」
奥から出てきたのは長い黒髪をポニーテールに結った背の高い女性だった。
俺の従姉の覚内瑞穂(かくない みずほ)だ。
家が近いこともあって俺が小さい頃にはよく遊び相手になってくれたし、ときどきうちに来てはご飯を作ってくれたりする。
俺にとっては姉貴のような存在で、同時に母親代わりのような人だった。
「覚内くん、この人は?」
「ああ、俺の従姉の瑞穂ねぇだよ。俺にとっては姉貴みたいな人なんだ」
「そうなんだ……」
「へへぇ……秀明が彼女を連れて帰ってくるなんてねぇ……」
「ちょっ! 瑞穂ねぇ!」
俺のすぐ後ろについて入ってきた水希を見て、瑞穂ねぇがゲスな笑みを浮かべる。
この人は昔から勉強もできてスポーツ万能、どころか合気道の有段者で通っている道場じゃ師範代までしてる。
そんな男勝りっていうか、女なのに実に男前な性格なんだけど、こういうゴシップが大好物なのが玉にキズだ。
だけど、俺に近づいてきた瑞穂ねぇが急に真剣な顔つきになった。
「……秀明、あんた封印を解いたね?」
う……バレた。
当然だけど、瑞穂ねぇも覚内一族だからこの能力を受け継いでいる。
俺より6歳年上だから、成人して能力の封印を解いてだいぶ経つしそれだけ訓練も積んでる。
そもそも、うちの家系が覚内一族の本家筋で、瑞穂ねぇの父さんはうちの親父のお兄さんで現在の当主だ。
ということは、それだけ一族の血も濃く受け継いでるし能力も強い。
まあ、血筋でいえば俺も同じだけどこの間自力で封印を解いたばかりの俺とは力の使い方が比べものにならない。
「いや、あの、それは……」
「勝手に封印を解くっていうことがどういうことか貴明叔父さんから聞いてないわけないよね?」
「あ、う……」
瑞穂ねぇに迫られて、俺はしどろもどろになる。
貴明っていうのはうちの親父のことだけど、能力を封印されるときにもちろんその説明は受けている。
「いや、封印を解いたことよりも、いったいなにに力を使ったかの方が問題ね。いったい誰にどういうことをしたの? 事と次第によっちゃかなり厳しく罰せられるって覚悟はあるんだろうね?」
「あ、う、ごめん……」
厳しい口調で問い詰められて、それしか答えることができない。
しかし、そのときだった。
「私のせいです!」
「……おい、水希!?」
それまで俺の後ろに立っていた水希が瑞穂ねぇの前に進み出た。
「覚内くんが封印を解いたのも力を使ったのも全部私が悪いんです! 覚内くんは私を助けてくれただけなんです! 覚内くんがいなかったら、力を使わなかったら私はきっと今生きていません。だから覚内くんはなにも悪くないんです! 全部、私のせいなんですから!」
「水希……」
目の前で水希の肩が小さく震えている。
声も泣き声になってるけど、それでも俺を庇うように瑞穂ねぇの前に立っていた。
「お願いです。信じてください。覚内くんは私の命の恩人なんです。覚内くんへの罰は全部私が受けますから……だから、だから覚内くんを罰したりしないでください……」
最後のあたりは完全に泣きじゃくるようになってて、聞き取りづらくなっていた。
と、瑞穂ねぇがそっと水希の頭を撫でた。
「……えっ?」
「あなた、名前は?」
「あ……み、水希、ゆっ、優那ですっ……」
「そう。……優那ちゃん。あのね、悪いけど一族のルールってもんがあってね、それを破ったらペナルティは受けなきゃいけないし、一族のルールを破った罰は一族以外の人間に肩代わりはできないの」
「でっ、でもっ……」
「少し落ち着いて、優那ちゃん。さっき事と次第によっちゃ厳しく罰せられるって言ったのは、もし秀明がよくないことや、自分の私利私欲のために力を使ったのなら、それは罰を受けなきゃいけないってことなの。でも、もしやむを得ない事情があるのならもちろん罰は受けなくていいし、あたしもそんな鬼じゃないからね、ていうか、あたしも全然事情がわからないからまだ判断の下しようがないし。だから、できたらなにがあったのか詳しく聞かせてくれないかな?」
「はい、私でよかったら全部お話しします」
「ありがとう、優那ちゃん。でも、その前に秀明、まずあんたから話を聞かせてもらうよ」
そう言った瑞穂ねぇの視線が突き刺さる。
「う……わかったよ……」
俺は、そう答えるしかなかった。
* * *
「さてと、じゃあ聞かせてもらおうか」
リビングに水希を残して、俺の部屋で瑞穂ねぇとふたりっきりになる。
「うん、実は、少し前のことなんだけど……」
俺は、水希とのことを話し始める。
屋上で自殺しようとした水希を見つけたこと。
それを止めようとして能力の封印を解いて水希に能力を使ったこと。
そのときに水希が脅されて自殺にまで追い込まれたことを知ったこと。
水希を救うために、脅していた奴に力を使ったこと。
もちろん、水希のプライベートに関すること、たとえば脅していた奴にされていたことの詳しい話はぼかした。
それと、水希とセックスしたりしたことも。
「ふうん……本当かねぇ……」
「本当だって! 信じてくれよ!」
俺の話を聞き終えて、瑞穂ねぇは腕を組む。
そして、ジト目で俺を見た。
「だって、あの秀明がそんなカッコいいことするなんてねぇ……」
「いや、それはないだろ……」
「まあ、言いたいことはあるけどとにかく彼女の話を聞いてからだね」
「そのことだけど、今話したとおり水希はああいうことがあって心に傷を負ってるから、その……厳しくしたりしないでくれよな……」
「あのねぇ、秀明。あたしのことはあんたがよく知ってるでしょ。あたしはデリカシーをちゃんと心得てるし、女の子には優しいわよ」
「うん……でも、俺のことであいつを傷つけたくないんだ……」
「どんだけあたしは信用ないんだよ。わかってるよ、あたしだってそのくらい」
項垂れる俺の頭を、瑞穂ねぇがくしゃくしゃっと撫でる。
「とにかく、あの子と交代しようか?」
「うん……」
瑞穂ねぇに促されて、俺は部屋を出ていった。
* * *
「自己紹介がまだだったね、優那ちゃん。あたしは覚内瑞穂。秀明の従姉でまあ、あいつの姉みたいなもんだ。よろしくね」
「は、はい、よろしくお願いします」
覚内くんと入れ替わりで部屋の中に案内されると、私は勧められてベッドに腰掛ける。
瑞穂さんは私の正面に椅子を持ってきて座った。
リビングで待っている間、ずっと不安な思いでいっぱいだった。
私のせいで覚内くんが酷い目に遭うかと思うと、罪悪感で胸が張り裂けそうになる。
その不安は、部屋から出てきた覚内くんの顔を見ても消えなかった。
……今度は私の番だ。
覚内くんはあんなになってまで私を助けてくれた。
だから、今度は私が覚内くんを助けなきゃ……。
「いや、優那ちゃん。もっと肩の力を抜いて楽にして」
「はっ、はいっ!」
「いや、だからね……」
そう言って瑞穂さんは苦笑する。
……だけど私、この人そんなに嫌じゃないかも。
さっきもそうだったけど、瑞穂さんが私に向ける視線がすごく優しく感じる。
はじめは怖い人かもって思ったけど、悪い人じゃないって思える。
「とりあえず、さっき秀明から話は聞いたけど、なにがあったのか優那ちゃんからも話してもらえるかな?」
「はい……」
瑞穂さんに促されて、私は話し始める。
あの日、屋上でなにがあったのか。
それ以前から、私になにがあって自殺しようとするまでになったのか。
あの男に私がなにをされていたのか。
私自身の名誉とかプライバシーとか、そんなものは全然考えずにすべてを包み隠さずに話した。
それで覚内くんが酷い目に遭わずにすむのなら、私のことなんかどうでもよかった。
「……これが、私と覚内くんの間にあったことのすべてです」
「なるほどね」
「だから、覚内くんは私を救うために力を使ったんです。覚内くんは悪いことに力を使ったんじゃないんです! その証拠に、あの男のことが終わった後で私に使った力を解こうって言ってくれたんです!」
「へえ? それは、秀明の方から?」
「そうです」
「それで?」
「私の方が嫌だって拒否しました。私、覚内くんのことが好きなんです。覚内くんは体を張って私を助けてくれた。覚内くんがいなかったら、私は生きていないはずなんです。そんな彼のことが本当に大切なのに、力を解かれたら覚内くんのことを好きじゃなくなるかもなんて、そんなの耐えられません!」
「……優那ちゃん」
「だから信じてください! 覚内くんはなにも悪いことはしてないんです!」
「うん、わかってるよ」
「……えっ?」
ビックリして、瑞穂さんの顔を見る。
瑞穂さんは、優しい笑顔を浮かべて私を見つめていた。
「優那ちゃんはうちの一族の力について秀明から聞いてるよね?」
「はい」
「この力は扱いに慣れると、相手の話が嘘なのか本当なのかもだいたいわかるようになるんだ。今、優那ちゃんは全部本当のことを話してくれたよね?」
「はい」
「まあ、秀明も嘘はついてないんだけどなにか隠してるみたいだったんでね。……まあ、そりゃあいつの口からは言えないわな、こんな話。ごめんね、優那ちゃん、そんな話させて。話すだけでも辛かったでしょ? ありがとうね、全部正直に話してくれて」
「いえ、私はただ覚内くんを助けたくて……」
「ああ、その覚内くんってのはちょっとやめてくれない。いちおうあたしも覚内なんだよね」
「はい、あの……それで、えっと、ひ、秀明くんのことは……」
「ふふふっ! 顔を赤くしてかわいいわね!」
「もうっ! からかわないでください!」
「ごめんごめん。……まあ正直に言うとね、秀明が自分の欲望のために力を使ってたりしたら、あたしの力で優那ちゃんの記憶を消さなくちゃいけないかなって思ってたんだ。もちろん、そのうえで秀明にには厳しい罰が科せられるだろうってね。でも、そうじゃなかった」
「それじゃあ、秀明くんは……?」
「うん、まあ、うちの親には報告しなくちゃいけないことではあるけどね。でも、ペナルティーが科せられるってことはないと思うよ。あの子が人助けのために力を使ったってわかったしね。あたしからも大目に見てもらえるように口添えするよ」
そう言うと、瑞穂さんは椅子から立ち上がった。
私もすごくホッとしていた。
私のせいで覚内くんが罰せられるかもって思うだけですごく怖かった。
そんなことになったら、覚内くんになんて言ったらいいのかわからないくらいに。
でも、そうならなくて済みそうだった。
瑞穂さんが優しい人でよかった。
その思いを込めて、深々と頭を下げる。
「ありがとうございます! 瑞穂さん!」
「それと、もうひとつわかったことがあるよ」
「もうひとつ? なんですか?」
「そんなことがあったばかりですぐ力を解こうなんて優那ちゃんが不安になるだけなのに、秀明のやつったら女心が全然わかってないってことがね」
ドアノブに手をかけた瑞穂さんはそう言うと、ニッと笑ってウィンクをして見せた。
* * *
「あ、瑞穂ねぇ! 水希!」
俺の部屋から出てきた瑞穂ねぇと水希に思わず駆け寄る。
リビングでひとりやきもきしながら待っている時間はものすごく長く感じられた。
「とりあえず、無罪放免ってわけにはいかないけど仮放免ってところかな」
「瑞穂ねぇ、それって……?」
「いやまあ、うちの親には言わなきゃいけないだろ。特に、あんたの封印が解けたことは」
「う……そうだよな……」
「ただ、力を使った内容に関してはたぶん大丈夫じゃないかな。うちの親父はそんなに頭が固い人間じゃないしね。きっとわかってくれるさ」
「そっか」
「ただし、勝手に封印を解いたことに関しては叱られるとは思うよ。特に、うちの親はともかく貴明叔父さんは真面目な人だからね」
「う、それは……」
「まあ、たぶん叱られるだけで済むんじゃないかな。あたしからも、人助けのためだったから考慮してくれって言うつもりだけど」
「ありがとう、瑞穂ねぇ……」
「だから仮放免ってわけだ」
そう言って、瑞穂ねぇが笑顔を見せる。
「ごめん、いろいろ迷惑かけて」
「いいっていいって。それとあれだな、後は責任持って優那ちゃんを泣かせるようなことはするんじゃないよ」
「やだ、瑞穂さん!」
「ちょっ! 俺が水希を泣かせるようなことするわけないだろ!」
「えっ、秀明くん……」
「え? 水希? 今、俺のことを……?」
「あ、う……」
水希のやつ、俺のことを覚内くんじゃなくて秀明くんって呼んだよな?
それに、顔を真っ赤にしてもじもじしてるけど……。
「……水希?」
「わ、私も秀明くんって呼んだんだから、私のことも名前で呼んで欲しいな……」
「じゃ、じゃあ、優那?」
「う、うん……」
水希のことを名前で呼んだだけで顔が熱くなってくる。
それに、赤い顔で恥ずかしそうにしてる姿なんか初めて見るけどすっごくかわいい。
「うんうん、ふたりとも顔を真っ赤にして、初々しいねぇ」
「瑞穂ねぇ!」
「瑞穂さん!」
「あははははっ! いいじゃないの、青春だよ」
「もう、瑞穂ねぇったら……」
「……ところで秀明、おまえが封印を解いたのって何日前だい?」
「えっと……2週間……うん、ちょうど2週間前だよ」
「2週間前ね……じゃあ、あと2週間か……」
そう言うと、瑞穂ねぇは難しい顔をして考え込む。
「あと2週間って、なにかあるの?」
「うん、ちょっとね。そういえば秀明、おまえの封印って貴明叔父さんがかけたんだよな? それを自力で解いたのか?」
「ああ、そうだよ」
「それが信じられないんだよなぁ」
「なに言ってるんだよ?」
「いや、貴明叔父さんの力は一族でもかなり強い方だからね。その封印を自分の力だけで解いたってなると、おまえの力がそれだけ強いってことになるんだよ」
「それがいったい?」
「いや、力が強ければ強い分大変なんだけどな。まあでも、とりあえず2週間待つしかないし……」
「なんだよ、じれったいな。2週間後になにがあるんだよ?」
「いや、それを言うわけにはいかないんだよ」
「なんなんだよ?」
いつになく歯切れの悪いところが瑞穂ねぇらしくない。
だけど、いくら尋ねても瑞穂ねぇはなにがあるのか答えてはくれなかった。
< 続く >