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「私も、何やってるんだか……」
慧は自嘲気味に呟いた。
ここは自宅とは全く逆に位置する通学路。
さよならと手を振って一度は帰路に着いたものの、結局2人を尾行する形になってしまった。
「やっぱ、良くないよね……」
誰に言っているのやら。
慧は心の中で2人に言い訳をしていた。
茜が心配なのは本当だ。
円城寺君だけに任せるのも気が引けた。
だが、尾行の理由のトップは、決して2人には言えない嫉妬からだった。
それを素直に認められる程、慧は大人では無い。
心の中では都合のいい言い訳を、自分の為に探し続けていた。
そんな尾行を続けて商店街に入った時、慧は微かに妖魔の気配を感じた。
その瞬間、慧の顔が恋に悩む女子高生から、一流のセイバーの物へと変わる。
楽しげに店を見て回る2人の事は一先ず忘れ、周りの気配に気を配る。
すると、時計店の方から微かに感じた。
一般人が多数いる下校時の商店街である。
不自然にならない様に気を付けながら、自らの気配を消し時計店に侵入する。
妖魔の気配は極僅か、セイバーでも通常なら気付けない程度だ。
これなら妖魔が居る可能性はまず無いが、それでも慎重に店内を探る。
すると……。
「あぁ……あ……ひぃ……ぁ……」
奥の部屋から微かに呻き声が聞こえてきた。
素早くその部屋の扉に張り付くと、僅かに開いた隙間から中を窺う。
見えたのは衰弱しきった、今にも死にそうな女性の裸体だった。
慧は扉を押し開け部屋に飛び込み、素早く辺りを見回す。
誰もいない事を確認すると、女性に駆け寄った。
確認するまでも無い。
妖魔にマナを吸われたのだ。
それも、命に関わるレベルまで。
慧は携帯を取り出すと、救護要請をした。
しばらくして救急車が商店街に滑り込んで来た。
サイレンを鳴らして車や人を掻き分け、時計店の前に停車する。
即座に救急隊員が担架を持って店内に入り、女性を乗せて運び出した。
女性の容態を見ても、皆何も言わない。
それもその筈、この者達はただの救急隊員では無い。
セイバーの活動を支えるサポートメンバーだ。
隊長らしき男が慧に駆け寄る。
「かなりのマナを吸われてるわ。一刻を争う。すぐに処置を」
「了解しました」
男が飛び出し、すぐにサイレンが響いた。
遠くなっていくサイレンを聞きながら、今回の事を考えていた。
どう考えてもおかしい。
妖魔の目的は人間や世界からマナを奪う事。
その為人間を殺してしまう程、マナを吸い取る行為自体は珍しく無い。
だが、そういった行為をするのは下級レベルの妖魔が殆どだ。
奴等は考え無しの欲望だけで行動し、結果、セイバーやそれに与する者に気付かれ倒されるのがパターンだった。
だが今回は違う。
店内に押し入ったり争った形跡は無い。
となれば女性は自分から妖魔を招き入れた事になる。
恐らく何らかの術を使われたのだろう。
そうすると下級レベルの妖魔ではありえない。
少なくともそういった類の術を、下級レベルが使ったと言う報告は無い。
では何故あれ程のマナを奪ったのか。
上級レベルの妖魔がそこまで追い詰められていた?
ならば何故商店街の人間達に手を出さなかったのか?
慧は腑に落ちなかった。
ならば妖魔を見付け出し、直接問い質すのみ。
そう思い直し、極僅かに残った気配を頼りに追跡を開始した。
……いったいどれ程の時間が経ったのだろう。
時計店で女性のマナを吸ってから、武は無我夢中で飛び出し走り去った。
今いる場所がどこで、今何時かも分からない。
しかし、少し落ち着いてきたのか、周りの状況を確認する余裕は出てきた。
もう辺りは暗くなっている。
外灯も灯り、ぽつぽつと地面を照らしていた。
その景色に見覚えがあった。
何と実家からそれ程離れていない公園だ。
2時間以上走った計算になる筈なのに、着いた場所が近所とは。
武は思わず苦笑した。
幸い周りには人の気配は無い。
少し休もうとベンチに腰かけた。
……これからどうするか。
セイバーの支部に連絡を取る事も考えたが、今の自分の姿は妖魔の1人、銀の女王である。
問答無用で討伐される恐れがある。
もし事情を説明して自分が円城寺武だと分かって貰えても、ラボに回され実験体にされる可能性もあった。
妖魔の情報は不足しており生きたサンプルが手に入れば、どれ程の価値を持つのかは想像を絶する。
人類の勝利に貢献するのは構わないが、自分がサンプルになるのは御免だった。
何人かいるセイバー仲間に連絡を……とも思ったが、それも止めた。
彼らまで巻き込む恐れがあるからだ。
セイバーは世界各国に支部を持ち、かなりの影響力を持つ大きな組織だ。
サポート体制も万全で、だからこそ武や慧の様な学生セイバーも成り立った。
だが、実働部隊であるセイバー自体は、決して一枚岩では無かった。
もともと魔法使いや陰陽師、錬金術師と言った妖魔に対抗できる者達を集めただけ。
寄せ集めなのだ。
互いの利害が一致する場合のみの協力関係だった。
共通の敵が現れれば、人類は結束して戦う。
昔そんな事を言った偉いさんがいた様だが、実際はそうはならなかった。
己の利権の為に、セイバー同士が争う事も珍しくなかった。
今回もそうならないとは言い切れない。
正に八方塞がりだった。
途方に暮れていると、誰かが歩いてくる気配がした。
犬の散歩の様で、ゆっくりとこっちに歩いてくる。
見付からない様にその場を去ろうとしたが、近付いてくる人影を見て驚いた。
茜だった。
どうして思い出せなかったのだろうか。
この公園は茜とジロの散歩コースではないか。
立ち止まってしまった武のすぐ横を、茜は通り過ぎた。
「待ってくれ!」
武は思わずその背中に声を掛けた。
「はい?」
振り返った茜は怪訝な顔をした。
それはそうだろう。
見知らぬ少女から声を掛けられたのだから。
「何か用ですか?」
茜が向き直り、丁寧に答えた。
「え……あ……うぅ……」
対して武は呻くばかりで言葉にならない。
いったい何と言えばいいのか……。
いくら考えてもいい言葉は浮かんでこなかった。
「ん? 何も無いようでしたら……」
茜が踵を返そうとした時、武が叫んだ。
「俺は円城寺武なんだ! 信じてくれっ!」
「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………はい?」
茜の目が点になった。
「えっと……電波な人?」
その目は明らかに不審者を見る目だった。
「お……俺は……」
武は言葉を続けられない。
茜からこんな視線を向けられて、胸が痛んだ。
その痛みが、自分が円城寺武では無い事を嫌でも自覚させた。
ややあって、茜が表情を変えた。
「あははは! わかった、あなた武の友達でしょ? アイツと一緒にドッキリを仕掛けてるんだ?」
仕方ないな~、といった顔で笑う茜。
ドッキリだったらどれ程良かったか……。
武は真剣な目で茜を見詰め続けた。
2人の視線が交錯する。
最初は笑っていた茜も、やがて怯えた表情になっていく。
「君の名は吉沢茜……その犬はジロ……そうだろ?」
自分だと分かって欲しい一心で、武は語りかける。
だが、それはどう考えても逆効果だった。
「なんなのよ、アンタ! ドッキリにしても度が過ぎるよ! 武、どっかにいるんなら出てきなさいっ!」
茜が周りを見ながら叫ぶ。
「わかってくれ! 信じて欲しいんだ! 俺は……俺が円城寺武なんだよっ!」
武はずずっと茜に近付いた。
「訳が分からないよ! アンタなんて武じゃないっ!」
「違う! 違うんだっ!」
どうすればいいのか分からない武は、茜に歩み寄って行く。
が、武が歩めば歩む程、茜は後退りし、2人の距離は一向に縮まらない。
そんな距離の詰め合い、茜はとうとう音を上げた。
「来るな寄るな! 痴漢! 変質者っ!」
「待ちなさいっ!」
茜の悲鳴を聞きつけ、人影が暗闇から飛び出してきた。
それは2人もよく知っている人物だった。
「「慧っ!」」
2人の声がハモった。
慧は茜に駆け寄ると、茜の守る様に前に立つ。
そして目の前に立つ人物を見て顔色を変えた。
「銀の女王!?」
咄嗟に結界を張った。
上級以上の妖魔は土地からマナを吸い上げる事が出来る。
人間から吸い取る事に比べたら遥かに低効率だが、実行されればここら一帯のマナは失われ、空間に穴が開いてしまう。
その穴を塞ごうとして戻る空間の反動で、この場所に大きな破壊が起きるだろう。
それを防ぐのが結界の役目の1つだった。
周りの景色が一変し、通常空間から切り離される。
背後で茜がぼんやりとした表情で立っていた。
結界内に取り込まれた一般人は、夢を見ている様な状態に陥ってしまう。
このままでは逃走は勿論、身を守る事も出来ないだろう。
素早く弓を取り出し、茜を守る為矢を番えた。
「銀の女王! 一体ここで何をしているっ!」
殺気立った目で睨む。
相手は上級レベル所では無い。
言わば魔王レベルとも言っていい、最強クラスの敵だった。
自分1人では倒せる自信は無い。
せめて茜だけでも結界内から出さないと……。
慧が考えを巡らせていると、銀の女王が慌てた調子で声を上げた。
「お、おいっ! 何を勘違いしてるか知らんが、俺は銀の女王じゃないっ!」
「……何言ってるの? 何処からどう見ても銀の女王じゃないっ!」
「違うんだって! 俺は……俺は円城寺武なんだよっ!」
「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………はい?」
慧の目が点になった。
武は既視感を感じた。
「円城寺武? 何言ってるの? 彼は私のクラスメートよ。あなたとは似ても似つかないわ!」
「あれは俺じゃないんだっ! 信じてくれよっ! 慧っ!」
――何故私の名前を?
慧は内心驚いた。
何らかの手段で自分の名前を知って、それを使って罠を仕掛けて……。
そんな考えが浮かんだが、即座に否定した。
この状況で罠を仕掛ける理由が無い。
そもそも応援でも来ない限り、自分では銀の女王を倒せないだろう。
時間を稼ぐのが精々だ。
ならば銀の女王が仕掛けてこないのは何故なのか……。
とにかく茜を逃がす時間を作らねば。
慧は素早く矢を3本番えると、銀の女王に向けて放った。
「ちょっ!」
武は矢を避ける為、自分の大剣を空間から引き抜いた。
そして一閃。
矢は全て断ち切られ、後方へ飛ぶ。
その動きに慧は驚愕した。
矢は牽制のつもりだった。
これで倒せる等とは思っていない。
ただ、少しでも時間を稼ぎ、茜を結界から脱出させたかっただけだ。
しかし、銀の女王は閃光の様な太刀筋で、全ての矢を切り払ってみせた。
そこには一切の隙は無かった。
慧の背中を冷たいモノが流れる。
だが、その時ふと閃くものがあった。
あの太刀筋……どこかで見た様な……。
武もまた、驚愕していた。
小柄な少女の体だが、問題無く剣を振るえた。
が、その剣が問題だった。
もともと武が使っていた大剣は、刃渡りが身の丈を超える両刃剣で、鉄の塊の様な無骨なフォルムだった。
だが、今手にしている剣は刃渡りも体格に合わせ短くなり、刀身が氷の様に透き通った細身な物になっていた。
柄も鍔も華麗だが、どこか禍々しい印象の物に変わっていた。
そう、剣もまた銀の女王が持つに相応しい物に変化したのだ。
見た事も無い筈なのに、剣はしっくりと手に馴染んだ。
武は愕然とした。
銀の女王がどこか呆然とした表情で動こうとしない。
これをチャンスと見た慧は考えるのを止め、再度矢を番えた。
それに気付いた銀の女王が慌てる。
「ま、待てっ! お、俺は……」
「問答無用!」
慧が矢を放つ。
仕方なく剣で断ち切ると、銀の女王は大きく後退した。
「逃げるのか!」
慧が叫ぶ。
茜がいる為退いてくれるのはありがたいが、目的が分からないのは不気味だった。
「……慧、頼みがある。茜を頼む。その傍にいる円城寺武に気を付けろ……」
「何っ!?」
慧は問い質すが銀の女王は結界を破壊し、何処かへ走り去った。
尚も注意深く辺りを見回すが、何の変化も見られない。
慧は弓を仕舞い、結界を解いた。
「あ、あれ? 慧……?」
「大丈夫? 茜」
ふらついた茜を慧が支えた。
「あの変質者は? どこ行ったの?」
よほどショックだったようで、周りをきょろきょろと見回す。
「どこかへ行ったわ。もう大丈夫よ」
慧の言葉に少しホッとしたようだった。
「……ほんと気味が悪いね。自分の事、武だって言ってたし……」
「悪戯にしては度が過ぎるわね」
慧も同意したが、心のどこかでは何か感じる物があった。
そう、あの太刀筋。
あれは何度か見た円城寺武の太刀筋ではなかったか。
剣技にはあまり詳しくは無いが、慧はそう感じたのだ。
「……ちょっと慧?」
茜に話しかけられて、慧はハッとした。
「……ん、何だっけ?」
「もう、早く帰ろうよ~」
茜は一刻も早く帰りたそうだった。
あんな事があったのだ、当然だろう。
「そうね、行きましょうか。送っていくわ」
「ほんと!? ありがと~」
茜が嬉しそうに言い、ジロと共に自宅へと歩きだす。
慧もそれに続く。
が、一度立ち止まり、銀の女王が去っていった方向を見た。
――あれは本当に……。
「慧~、何してるの?」
「あ、ごめん。今行く」
2人と1匹は足早に帰路に着いた。
武は素早く穴を抜け結界を抜けると、誰もいない公園を走っていた。
「くそっ!」
思わず声が出た。
大切な幼馴染。
共に戦い、語り合った仲間。
両者との再会は苦いものに終わった。
胸に去来するのは言い切れない悲しみ。
それを武は必死に押さえ込んだ。
――俺は取り戻して見せる。
武は心の中で叫ぶ。
――大切なものを、そして、俺自身を!
円城寺武の戦いが、今、幕を開けた。
< 続く >