コツ、コツ。
廊下を歩く靴音が、がらんとした校舎にやけに響いていた。
土曜日とはいえ、ぽつぽつと部活の生徒が顔を出している。
吹奏楽部が教室の中で音合わせをしている音が、かすかに漏れてくる。
グラウンドでは、サッカー部が声を張り上げながら練習していた。
もっとも――蓮の姿はなかった。
まあ、アイツがサボるのは、想定の範囲内だ。
いつもそんなに部活熱心ではないし、昨日はどうも千夏とお楽しみだったらしいから。
(ちくしょう、いいご身分だな)
俺は、歩きながら、昨夜のことを思い出していた。
スマホの画面に記された、あのメッセージ。
『2年2組佐久間蒼真へ
明日土曜の14時、数学準備室まで出頭すること。来た方が君のためになる話だ』
差出人は、真壁澄。
メールアドレスやSNSのアカウントを教えた覚えはない。
しかし相手は教師。
電話番号くらい調べてスマートメッセージくらい送れるというわけだ。
(……さて)
やましいことは――
(してるな)
認めざるを得なかった。
今週だけでも、春野ひまり、綾瀬澪、高野千夏、赤城美琴。
それに、真壁澄――先生自身にも。
催眠をかけて、スケベなことをしている。
(……並べるとひどいな)
先生には、「佐久間蒼真に対して疑念を抱かない」暗示を仕込んである。
けど――こうして呼び出されている以上、確実に何かを怪しまれている。
もし、暗示が抜けたなら、一昨日のことも全部思い出しているかもしれない。
――頭が痛いな。
(……まあ、催眠なんてそんなもんだ)
永久に縛れるわけじゃない。
そこも最初から織り込み済みだった。
ただ、実際そうなったときにどうするかというと、どうしようもない。
(怒られるのは、確定か)
問題は、その先だ。
『来た方が君のためになる話だ』
――その一文。
冷静に考えれば、好意的な助言ではない。
脅しだ。
(……来なかったらどうなるか、分かってるよなってことか)
あれだけ堂々と書かれたら、さすがに無視するわけにはいかなかった。
(退学、警察沙汰……)
(……せめて、そのあたりだけは、なんとか避けたいところだな)
半ば、諦めに近い感情が胸の奥に沈殿する。
廊下の窓から吹き込む風が、やけに涼しく感じた。
もうすぐ、数学準備室だ。
俺は、呼吸を整えながら、無言で歩を進めた。
数学準備室の前に立つと、
一度だけ、ノックをした。
「入りたまえ」
すぐに、落ち着いた声が返ってきた。
俺は、ドアを開けて、中に入る。
「失礼します」
準備室の空気が、ふわっと変わった気がした。
部屋の中は、白く柔らかな光で満ちている。
レースカーテン越しの昼光。
殺風景な教室なのに、不思議と明るく、静かだった。
そして、そこにいた人――
(……誰?)
一瞬、マジでそう思った。
明るい色の……たぶんカットソーとかいうやつ。
細身で柔らかくて、体に軽く沿ってる。
胸元には、小さな金のネックレス。
目立たないけど、なぜか目を引く。
下は、見た目がすっと細い、柔らかそうなスカート。
これ……タイトスカートってやつか? 細いし、たぶん。
足元の靴――パンプス、でいいんだよな、これ。
ヒールはなくて、色も淡くて、なんていうか全体に軽やか。
「今、紅茶を淹れている。そこに掛けていなさい」
髪はいつものショートだけど、今日はやけに女性らしく見えた。
深い色で少しクセのある髪が、紅茶の湯気の向こうに揺れている。
……真壁先生、だった。
普段とは、まるで違う。
スーツの堅さも、教師としての雰囲気も、どこかに消えていた。
――大人の、女。
それから――部屋に立ち込める香り。
(……これ、なんだ)
紅茶だ。たぶん。
けど普通のとは違う。もっと……甘くて、熱い。
花みたいな匂いがふわっと広がって、でも後からくるスパイスっぽい刺激が喉の奥に残る。
(なんていうか……エロい香り)
そう感じてしまった。
(いやいや。中学生か)
すぐに、頭の中でその言葉を追い出す。
「よく来たね、佐久間少年」
真壁先生が、いつもの落ち着いた声で言う。
だけどその声音すら、
今はどこか柔らかく、甘く響いて聞こえた。
「どうしたんだい。そんな顔をして」
「……いや、あの……」
しどろもどろな言葉しか出てこない俺を見て、真壁先生がくすっと笑った。
「ああ、これか。休日までスーツで来るほど、私は仕事熱心じゃないのさ」
自分で言って、自分で笑ってる。
たしかに、今日の先生は――休日モード、なのかもしれない。
でも、その“緩み”が、逆にドキッとさせられる。
いつもの真壁先生なら、絶対に見せないような、隙。
俺はうなずいて、ぎこちなく席に腰を下ろした。
「そうですか」とか言ったような気がする。
「ちょうどいい紅茶が入った。
糖分とカフェインで目を覚ましながら、話に付き合ってもらえるかな?」
そう言って、俺の前にカップを置く。
香りがさらに近づいて、思わず鼻で息を吸った。
(香り、甘……ほんと……なんなんだこれ……)
言いようのない甘さ。
落ち着くはずなのに、心拍だけがじわじわ上がってくる。
リラックスと緊張が、同時に押し寄せてくる感覚。
「休みの日に、せっかくご足労頂いたんだ。損はさせないつもりだよ」
真壁先生が微笑む。
今日はずっと、その調子だ。
距離が近い。
普段とまるで違う、何かがある。
「ところで、少年」
そのまま、机の上のノートパソコンを開いた。
「ちょっと面白いものがあってね。
ティータイムの余興に、一緒に見ないかい?」
クリック音。
パソコンが、モニターと連動している。
机の脇に設置された、小さな画面がふっと点いた。
――その直後。
聞こえてきた。
《……不安も、理性も、肩に乗ってたものも。
いっそ全部、手放して……》
《ただ、“委ねてる”っていう感覚に、沈んでいく……》
(……っ)
俺の声。
ぎょっとして、画面を見た。
モニターの中で、
俺が――真壁先生に――催眠をかけていた。
声も。言葉も。動きも。
すべて、覚えがある。
《……それは、何かを失うんじゃない。
むしろ――ずっと欲しかったものを、手に入れる瞬間みたいな感覚です》
それが流れた瞬間、
俺は無意識に、映像の画角を目で追った。
映っている位置――それを見下ろす角度。
そこに、何かあるはずだ。
(……撮ってるのは、あの辺から)
書棚の上。
書類ファイルの山の隙間。
レンズが――こっちを向いていた。
(……カメラ、か)
一昨日から仕込んであったのだろう。
油断した。
そこまで警戒されていたのか――
そのまま、視線を戻す。
真壁先生は――
何も言わず、ただ微笑んでいた。
あの、ちょっと意地悪な目で。
「どうした? 見ないのかい?」
ゆったりとした声。
いつも通り。
でもその奥には明らかに、何か――例えば、獲物を見定める獣のような雰囲気――が、ある。
《気持ちいいですよ。すごく、気持ちいいです。
自分の輪郭が、ぜんぶ溶けていって、ただ“在る”っていう感じになる……》
「ちょうどこれから、愚かな女が、狡猾な罠に嵌まり、艶めかしい姿を晒し始めるところなのだが」
俺は――
言葉を返さず、
静かに、映像を見続けた。
席に着き、カップを手に取る。
(どうやら、ただのお茶会というわけではない、か)
白いレース越しに柔らかく差し込む昼光。
ふわりと甘く香る紅茶の匂い。
準備室の中に流れる空気は、表面上は穏やかだった。
けれど、そこにあるのは――緊張だった。
真壁先生は、静かに微笑んでいる。怒っているようには見えない。
だが、俺を「ただの生徒」として見ていないことだけは、確かだった。
「糖分は、いいよ」
ふと、先生が皿の上の小さな菓子を指先で示す。
「脳が活性化する。思考も、想像も、豊かになるからね」
促されるまま、俺はひとつ手に取った。
キャラメルの光沢を帯びた小さな焼き菓子。口に入れると、カリッと心地いい音がして、甘く香ばしい香りが広がる。
「美味いです」
「そうか。市販品だがね、良いものだろう」
(……糖分補給か)
試験勉強、催眠の施術、読書。
頭を使うときには、ブドウ糖を取るのが常識だ。
俺もポケットにラムネ菓子を忍ばせている。
そうしている間にも、映像は進む。
《ここから、ゆっくり数えていきます。十から、一まで。
先生の意識が、深く、静かに、沈んでいくように》
ふと先生の顔を見ようとして――やめた。
柔らかなカットソー、体に沿ったスカート、淡い色のパンプス。
纏う雰囲気までもが普段と違う。
その姿を直視することが、なぜかためらわれた。
(……落ち着け)
心を鎮める。
まず、事実を整理しろ。
真壁先生は、俺がかけた「興味を失う」暗示から脱していると考えられる。
なぜなら、こうしてわざわざ俺を呼び出してきたからだ。
興味を失ったままでは、そんなことは『できない』。
さらに、先生はこの映像――俺が催眠を掛けた映像を、確認している。
何かの意図があって、それを俺に見せている。
そこまでは、確実にわかる。
《――十。まずは、今ここに座ってることを意識して》
「ここからは――君くらいの年頃の男子には、少々刺激の強い映像かもしれないね」
「ええ……まあ」
けれど――先生は、映像に映る自分と俺のことを、一言も触れようとしない。
《――九。まぶたが、だんだん重くなる。
でも、開けようとは思わない。今はそれが、とても自然で、心地いい》
「実に興味深いね、彼の言葉選びは」
モニターを眺めながら、真壁先生が言った。
俺自身の声が、スピーカーから静かに流れ続けている。
(……ほらな)
『彼』ときた。
まるで他人事だ。
《――八。頭の奥が、じんわりと温かくなっていく。
それは、指先から伝わってきたぬくもり。
考える必要も、記憶をたどる必要もない。……ただ感じるだけでいい》
「ああ、実に巧妙だ」
自分もそこに映っているというのに――
まるで知らない第三者について語るように、平然としている。
意図的に、距離を取っている。
そのやり方が、逆にじわじわとプレッシャーを与えてくる。
モニターから、さらに俺の声が続く。
《――七。頭が、ゆらゆらと揺れていく。
僕の手が、そっと支えてるから、安心して。揺れても、傾いても、落ちても――》
紅茶の香りが、ふわりと空気を満たす。
甘く、熱を孕んだような匂い。
真壁先生は、そのカップをゆったりと傾けながら、静かに語りかけた。
「実に美しいと思わないかい」
カップを持った指先が、優雅に揺れる。
《――六。もう、目を閉じてるのが当たり前になる。
光も、時間も、世界も、ゆっくりと外れていって――
今、先生の世界にあるのは、僕の声と、僕の手だけ》
「この少年の手管といい、それに身を委ねる女性の恍惚の表情といい――」
《――五。力が抜けて、肩のあたりがほぐれていく。
意識はそのまま、深く、静かに。息を吸って……吐いて。
吸って……ゆっくり、吐く。……そう、それでいい》
「下手なポルノよりも、よほど扇情的じゃあないか」
そのまま、にこやかに俺を見た。
《――四。ここから先は、少しずつ、浮遊感が出てきます。
重力が抜けて、まるで水の中に沈んでいるみたいに。
息を吐くたびに、下へ下へと落ちていく》
「なあ、少年」
俺は、表情を変えずに静かに頷いた。
《――三。考えることが、どんどん減っていく。
あれも、これも、いったん手放して。
もう、判断する必要も、構える必要もない。……僕が、ぜんぶ導きますから》
「そうですね」
わざと、少しだけ間を空けてから続ける。
《――二。あと少し。もう、そこにいる。
あと一歩で、落ちる。あと一呼吸で、完全に、解き放たれる》
「とても、気持ち良さそうに見えます」
一瞬、先生の指がカップの縁で止まった。
《――一。深く、沈んで。僕の声だけが、あなたを包んでいる。
……それ以外は、何もない。何も、いらない》
「彼女、いったいどんな気持ちなんでしょうね?」
ほんのわずかな間。
だが、すぐに。
くつくつ、と低い笑い声が漏れた。
《ただ、静かで、気持ちよくて。……それだけで、充分です》
「なるほど」
真壁先生は、瞳にわずかな光を宿しながら微笑んだ。
「やはり少年、君の目の付け所は実に興味深いね――」
そして、また何事もなかったかのように、モニターに視線を戻した。
俺も、涼しい顔を保ちながら、
静かにそれに倣った。
《……ゼロ》
動画の音声が、静かに響いた。
佐久間少年の隣に座りながら、モニターの映像を眺めていた。
期待通りである。
これを見せられる彼の横顔はやはり、面白い。
……いや。
そもそも、ここに至るまでの経緯が、
私にとってはひどく、興味深かったのだ。
木曜日。
私は、あの日、佐久間蒼真という存在に、微かな――しかしある程度確かな、警戒を抱いていた。
だからこそ、準備室に小型カメラを設置しておいたのだ。
何かあれば、証拠になるだろうと。
だが――
催眠――そう、どうやら私は催眠術を受けた。
これ自体がひどく興味深いことだが、そのことを失念していたのである。
忘れていた、とは違うな。
『気にならなくなっていた』が近いだろう。
私は奇妙なほど、彼に対する興味を失っていた。
(まあ、そんなこともあるか)
当時の私は、本気でそう思っていた。
特に深く考えることもなく、準備室で過ごした記憶すら、あやふやになっていた。
暗示とは、実に巧妙なものだ。
あの少年は、確かに私の警戒心を緩め、関心を逸らすことに成功していた。
――金曜日。
私は、放課後の人気のない学校、いつも通りこの部屋で、オンライン授業用の録画データを整理していた。
週末の日課である。
そのとき、ふと、目に留まったファイルがあった。
――記憶にない録画。
開いてみれば、そこには、身に覚えのない私の姿が映っていた。
頭を傾け、甘く脱力した表情で、誰かに頭を撫でられている、私。
(……なるほど)
私は、胸の内にぞわりとしたものを覚えた。
恐怖ではない。
好奇心だ。
私は、知らない自分を発見することに、たまらなく胸を躍らせた。
(これは――どうしたことか)
隠しカメラが、半ば偶然にもこの“未知”を記録していたことに、心から感謝したい気持ちだった。
無関心にさせられていた。
だがあの時、私の探求心は完全に目覚めた。
(これは、追及しない理由がないな)
私はファイルを整理する手を止め、佐久間蒼真の名を、再び意識の中心に引き戻した。
映像の中の私が、静かに目を閉じる。
スクリーンに映る自分自身の姿。
深く、静かに、少年の声に従っていく私。
その映像を眺めながら――私は、自分の指先がかすかに震え始めているのに気づいた。
数えられる数字に合わせて、頭が、心が、じわりじわりと、あの日の感覚に引き戻されていく。
「……っ」
思わず、背筋を伸ばす。
ぐらり、とバランスを崩しかけた。
あぶない。
少しでも気を緩めれば、私は、いまこの場で、ふたたび彼に――いや、映像に――沈められてしまう。
額に手をやり、深く息を吐く。
(落ち着け……私は、あの日の私じゃない……)
そう、言い聞かせた。
けれど。
けれど――
映像に映る私の表情。
甘く、蕩けきった瞳。
すべてを許し、すべてを委ねている、無防備すぎる自分。
(……ああ)
その姿が、胸の奥をずくりと刺す。
方程式を解くように、記憶をたどる。
声。
温度。
触れられた感触。
胸の内側を、やわらかく、あたたかく撫で回されるような――
解を得る。
自分が、いかに幸福だったか。
どのように堕落せしめられたのか。
思い出すたび、身体の芯がじんわりと熱を帯びていく。
指先が、スカートの上をかすめた。
ひと撫で、ふた撫で。
それだけで、下腹部に痺れるような疼きが走る。
胸が、せり上がった。
(……私は、たかが一生徒に)
「……ぁ……っ♡」
(……心の内側まで……こんなにも)
その事実だけで、眩暈がした。
近寄りがたい美人教師と噂された、この私が。
スーツでは隠しきれていたはずの柔らかさ。
プライドで守ってきたはずの領域。
それらを、あの少年の手は、いともたやすく解きほぐしたのだ。
羞恥に染まりながらも、私はスカートの裾を捲り上げる。
(こんな、こんな私を……)
自分で、自分を。
指先が、静かに、下着の上からなぞる。
ぬるり。
熱が、染み出していた。
「……ん」
微かに漏れた吐息が、室内にふわりと広がる。
カップに残った紅茶の甘い香りが、なおさら身体を蕩けさせた。
画面の中の私が、ふっと脱力していく。
そして――あの言葉が、聞こえた。
『“催眠人形”という言葉を聞くたびに、先生は――
気持ちが緩んで、身体がふわふわして、どこまでも素直になる』
「……っあ」
――ゾクゾク、と何かが駆けた。
強烈な、眩暈。
背骨を這い上がる甘い戦慄。
座ったままふらつき、ソファに片手をついた。
(これ、は……)
指先が、無意識に、下着の隙間へ滑り込んでいく。
とろりと溢れた熱を掬い取りながら、私は震える腰を押しつけた。
『そして、自分から望んで、言葉に従っていく。
そのこと自体が、誇らしく、心地よく感じられるようになります』
その瞬間。
脳が、蕩けた。
「っ、はぁ……あぁ……♡」
甘い吐息が、唇からこぼれる。
膝を閉じきれないまま、私はソファの上で小刻みに震えた。
(なりたい――)
(私も――)
(催眠人形に――!)
あの映像の中の私に。
あの声に導かれて、甘く蕩けていく私に。
追いつきたい。
追いついて、もう一度、完全に壊されたい。
あの感覚に、満たされたい。
視界が滲む。
奥歯が噛み合わない。
指先が、びくびくと跳ねるたびに、意識がふっと飛びそうになる。
「ん、あっ……あぁ、あぁっ……♡」
下腹部から湧き上がる震えに、耐えきれない。
熱く、重く、蕩けるような快感。
(ダメだ……)
ああ――
このままでは、私まで、あの哀れな人形に戻ってしまう。
スクリーンの中では、かつての私が、甘く蕩けた表情で少年に身を預けていた。
ゆるゆると揺れるまつ毛。
熱に浮かされた頬。
そして、何より、無防備すぎる微笑み。
(……羨ましい)
喉が、ひくりと鳴った。
心の奥底から湧き上がる、どうしようもない羨望。
あそこまで無垢に。
あそこまで素直に。
すべてを手放して、甘美な世界に溺れられる自分。
(私も――)
(あそこへ、堕ちたい)
でも。
(私は、違う)
私は、今、この瞬間だけは――
この女を、観察する者であり続けなければならない。
私は、ぎゅっと指先に力を込めた。
太腿を這わせる手を、無理矢理、強く、乱暴に動かす。
快感を、脳に叩きつけるように。
「――っ、は……あぁっ……!」
甘い吐息が漏れる。
でも、目を閉じない。
絶対に、閉じない。
映像の中の、哀れな私。
甘く、蕩けきって。
すべてを捧げ、少年の声に、支配されていく。
それを、私は――
味わっている。
観察する。
味わう。
貪る。
(……可愛い、な)
かつての自分を、そう思った。
抱きしめたくなるほど愛しい。
その無垢な愚かさが、愛おしい。
(……ああ、なんて、哀れで、美しい)
指先をさらに深く沈める。
びくびくと痙攣する身体を抑え込みながら、私は映像を見つめ続けた。
(なりたい)
(なりたい、なりたい、なりたい――)
心の奥で、声にならない叫びが響く。
それでも、私は一線を越えなかった。
私は、観察者だ。
甘く蕩ける快感を貪りながら、
堕ちる寸前の自分を、まるで美術品のように見つめ続ける。
(見逃さない……)
この快楽のすべてを。
この堕落のすべてを。
私は、貪欲に記憶し、貪り尽くす。
まるで、これが、最後の晩餐であるかのように。
スクリーンの中の私が、完全に堕ちる。
甘く、蕩け、少年の声に包まれて。
その瞬間――
「あっ、あああ……っ♡」
私は、強く、震えながら、快感の波に攫われた。
それでも、ぎりぎりで、意識だけは手放さなかった。
(もっと……見せろ……)
(私に……すべてを……)
私は、獰猛な興奮の中で、なおも、観察者であり続けた。
手放すものか。
この好奇心こそが、私の全てなのだから。
(そして、今日のこの――ティータイムだ)
画面の中。
《気持ちよくなると、もっと素直になれる》
かつての私が、少年の声に導かれ、静かに微笑んだ。
《素直になるほど、幸福が深く染みてくる》
彼の言葉に、何もかも預けるように――甘く、無防備に。
《催眠人形。安心して、気持ちよくなりなさい》
その暗示が流れた瞬間、映像の中の私は、ゆるりと首を傾げ、完全に、すべてを手放した表情を浮かべた。
私は、じっとその画面を見つめたまま、
唇をわずかに開き、静かに呟いた。
「……とてつもなく、心地よいのだろうね」
震えを孕んだ声だった。
隣で座っていた少年が、こちらに顔を向ける。
その視線を感じながら、私は視線をスクリーンから外さずにいた。
間を置いて、彼が尋ねる。
「……あ。えっと……心地いい、って?」
私は、ふっと笑った。
呼吸と一緒に、微かに震える笑み。
「先ほどの問いの答えだよ」
淡々と、言葉を紡ぐ。
けれど胸の奥は、甘く、熱く脈打っていた。
画面の中、かつての私は、少年に撫でられ、ゆるゆると、何度も、何度も、小さく喘いでいた。
秘密をすべて話し……心からの幸福に身を委ねていた。
私自身、思い出すだけで、下腹部がじわりと熱を孕むのを感じる。
呼吸が自然に浅くなった。
「この哀れな女は……そう、だね」
言葉を探すふりをして、必死に震えを押さえ込む。
《だから――催眠人形。
“佐久間くん”のことで、気になっていること……全部、話しなさい》
「この世で、最高の快感を味わっているはずだ」
脈打つ。
下腹が、ぐつぐつと沸き立つ。
《……まっさーじと……さいみん……すごく……きもちよかった、です……》
それでも、言葉を止めない。
「理性。自我。そのようなものは――本来、簡単に手放せるものではない。
《……もっと、きもちよく……なりたい、です……
……あれ……うれしかった……》
ましてや、赤子のように解放され、
決して人に見せてはいけない一面をさらけ出すなど――
喉が、勝手に鳴った。
甘く、蕩ける吐息が漏れそうになり、私はわずかに唇を引き結んだ。
少年は、何も言わなかった。
ただ、こちらを静かに、興味深そうに見ていた。
その視線が、背中を這う。
全身が、痺れるようだった。
《……いま……かれしい、いない、から……
……ぜんぶ……して、ほしい、って……おもいました……》
私は、かすれた声で、続けた。
「……それ以上の快楽が、あるだろうか」
そのとき、
映像の中で、少年の震える手が、かつての私の頭を撫でた。
優しく。
甘く。
でも人形にとってそれは、絶対的な支配。
その瞬間――
ぞくん。
下腹から、腰まで、甘い痺れが駆け上がった。
ソファの上で、太腿が小さく跳ねた。
(……っ)
耐えられなかった。
湧き上がる快感に、堪えきれなかった。
私は、静かに、甘く――
ひとりで、蕩けるように、イっていた。
指を動かしたわけでもない。
けれど、全身が、甘く、熱く、ほどけていく。
眉をひそめ、喉の奥から押し殺した吐息を漏らす。
ソファにかすかに指を立て、腿を擦り合わせながら、私はそれを耐えた。
少年は――
まるで、すべてを知っているかのように、静かにこちらを見ていた。
《催眠人形。ソファにうつぶせになって、全身の力を抜いて――深く、沈みなさい》
視線の端で、彼がカップを持ち上げ、
ひと口、紅茶を啜る動作が見えた。
何気ない仕草。
けれど、それすら、私の心をざらりと撫でた。
視界が、微かに揺れる。
耳の奥で、心臓の音がずくずくと鳴っていた。
それでも――
私は、視線をスクリーンから外さなかった。
そこに映る、
無様で、愛しく、哀れで、美しい私を――
《――それでいいんです。そうなってしまって、いいんです》
全身で、
病的なまでに、
貪るように、観察し続けた。
隣に座る真壁先生――澄の様子は、明らかだった。
吐息が微かに熱を帯び、
太腿のラインが、スクリーンの光を受けてほのかに艶めいている。
カップを持つ指先すら、わずかに震えていた。
(……発情してるな)
誰が見てもそう思うだろう。
あんなに、理知的な顔をして座っていながら、身体だけは正直に、甘い熱に晒されている。
だが、だからといって――
(どこまで、望んでるかは……分からない)
誘っているのか。
試しているのか。
それとも、いや、分からない。
慎重になるしかなかった。
そんなふうに思考を巡らせていると、先生がふと、声を落として言った。
「しかし、彼は――なぜ、この女を犯さなかったのだろうね」
……っ。
内心、心臓がどくりと跳ねた。
(……うわ、来た)
しかも、ずいぶんダイレクトな切り口で。
先生は、スクリーンに映るかつての自分――
《佐久間、少……ね……っ、や、め……っ……!》
蕩けた顔をしたまま、俺に抱かれる一歩手前の自分を眺めながら、続けた。
「彼はどうやら、男子高校生だ。
このような美女が、甘やかに乱れ、あまつさえ『全部されたい』などと言っているのに。
一線を越えずに居られるものかね」
その横顔は、あくまで静かだった。
だが、目元だけが、妙に艶めいている。
《――催眠人形。人形になりなさい》
「……君は、どう思う?」
と、澄が静かに問う。
《催眠人形。先生の身体がどうなっているか説明しなさい》
(どう思うって……)
《……せなか、ふるえている……》
(俺のことだろ、それ……!!)
内心、顔を抱えたい衝動を押し殺して、
できるだけ素っ気なく答える。
「……まあ。確かに、とても……綺麗で。
死ぬほど興奮した……いや、してるように見えますけど」
苦し紛れに言葉を繋ぐ。
隣で、澄がふっと目を細めたのが分かった。
《こきゅう、ふかく、できない……
おく、あつくて、しびれている……
まえも、うしろも……うごかすと、イってしまう……》
そこで、彼女はパソコンを操作し、動画を停止させた。
「じゃあ、これを見たまえ」
操作を切り替え、別の映像を呼び出す。
拡大された画面に映ったのは――
(……俺の、腰回り)
ピンポイントで、俺のズボン越しの股間が、ズームアップされていた。
(おいおいおいおい)
思わず額を押さえたくなる。
澄はそんな俺の心中など知ってか知らずか、ごく冷静に解説を始めた。
「明らかに、勃起しているね」
(やめてくれ……!!)
俺は平静を装いながら、視線だけそらす。
さらに彼女は、別ファイルを開いた。
そこには、拡大写真に、いくつもの補助線が引かれていた。
もちろん、俺の股間に。
「頂点がここ。付け根に当たる部分はこことしよう」
(分析すんなよ……)
「制服のズボンに圧迫されて作る角は、仰角なんと55度だ」
(角度出すなよ!!)
「かなり前に突き出していることがわかるね。中々の硬さがなくてはできない芸当だ」
(やめろってば……!!)
心の中で何度もツッコミを入れる俺を無視して、真壁澄――先生は、さらに数学的冷静さを装って続けた。
「長さも計算させてもらった」
(すんなよ……!!)
「ベルトのバックルをもとに比を計算すると、長さは――そうだな。
おおよそ14センチメートル前後と出た。なかなか立派なものだ」
(ほめるなっ!!)
頭が痛かった。
羞恥と動揺で、まともな思考ができない。
そして、とどめの一言。
「これほど硬く、強く、勃起させておきながら」
どこか、責めるようだったのは気のせいだろうか。
「使いもせず、満足して帰るとは――およそ、健康的な男子生徒の振る舞いとは思えないね」
(うるせぇよ!!)
心の中で絶叫する。
だが、顔には出さない。ただ、ひたすら無表情を貫く。
貫けた自信はないけど。
「じゃあ……」
俺は、半ばヤケ気味に口を開いた。
「この女の人は――使ってほしかったとでも言うんですか」
言った瞬間、自分でもあまりの直球に顔が熱くなるのが分かった。
先生は、ふっと目を細めた。
「さあ」
軽い声だった。
だけど、その瞳の奥には、明らかに愉悦の光が滲んでいた。
「本当なら、そんなことは本人しか分からないが」
そう言って、一拍、間を置く。
その間すら、じわじわと俺の神経を焼く。
「――他ならぬ本人が、心からそう口にしたのではなかったかな?」
ぴたり、と胸の奥が止まった気がした。
スクリーンに映る、蕩けた顔の“真壁澄”。
甘い声で、すべてを望んでいた“彼女”。
反論できなかった。
言葉が、出なかった。
沈黙した俺を見て、澄はふっと口角を上げた。
「しかし彼はどうやら、女の扱いに卓越しているようだ」
小さく紅茶を啜りながら、
さらりと続ける。
「きっと、不自由してなどいないのだろうね」
「……そんなこと……」
思わず否定しかけた。
けれど、それを遮るように、
「あるいは」
彼女が、わずかに身を乗り出した。
「操を立てている女が、既にいるか」
――心臓が、跳ねた。
(……ひまり)
瞬間、脳裏に浮かんだのは、
あの、誰よりも俺のことを信頼しきった無垢な笑顔だった。
いつだって、嬉しそうに俺を見上げてくるひまり。
恥ずかしがりながらも、まっすぐに信じきったあの瞳。
澄は、俺のぎこちない沈黙を見逃さなかった。
すっと目を細めて、まるで哀れむような声で言った。
「だとすれば」
指先で、ソーサーの縁を軽くなぞりながら、
「これは――いかにも、毒であったことだろう」
白く、微笑む。
「気の毒だね。彼は」
それは、優しいとも、冷たいともつかない声音だった。
ただ、静かに。
確実に。
俺の心の芯を、ざくりと抉っていった。
しばらくの沈黙のあと、
澄が、ふっと空気を変えた。
「ああ、そうだ」
突き放すような声音だった。
「今日の用件だけれど」
俺は、思わず背筋を伸ばす。
緊張が、全身を走った。
先生は、カップを静かに置き、こちらを真っ直ぐに見据えた。
「私はね、ひどく怒っているんだ」
心臓が跳ねた。
覚悟はしていたはずなのに、言葉にされた瞬間――
(やっぱりか……!)
全身に戦慄が走った。
彼女は、変わらぬ静かな口調で続ける。
「少年。君は、私にやってはならないことをした」
微かに、間。
「……決して許されないことを、ね」
俺は、喉を鳴らして生唾を飲み込んだ。
どれだ。どのことだ。
催眠か、暗示か、あの触れ方か――。
ぐるぐると頭の中で選択肢を回す俺を、真壁先生は淡々と見つめていた。
そして、言った。
「――好奇心を、奪ったな。私から」
瞬間、空気が凍った。
あまりにも冷たい口調に、
背筋を氷の爪でなぞられたような感覚が走った。
(……ああ)
思い出す。
空き教室で――
俺は、彼女にこう仕掛けた。
――空き教室でのやりとりに疑問を持たないように。
――俺のことを不自然に気にかけないように。
――“マッサージ中にちょっと気を抜いて眠ってしまった”という認識にすり替えて。
興味を――好奇心を、抑え込む暗示を。
『真壁澄』にとって、それは――
最も大切なものを奪う行為だった。
そういうことか。
(……しまった)
心臓が跳ねたまま戻らない。
冷たい汗が、背中を伝う。
俺は、反射的に口を開いた。
「……申し訳、ありません」
本能だった。
心からだった。
言葉が漏れると同時に、澄はふっと笑った。
くつくつと、喉の奥で転がすような笑い声。
「ふふ」
どこか、楽しげに。
「あれほどのことを仕出かした者が、こうも素直に謝るとはね」
紅茶のカップを指先で弄びながら、
澄は微笑んだ。
それは――どこか、愉悦に満ちた笑みだった。
「面白い」
短く、そう告げる。
そして、ひと呼吸置いて。
「なに、済んだことさ」
さらりと、言った。
「私は私を取り戻した。もう怒ってはいない――」
そこで、言葉を区切る。
瞳に、微かな光を宿して。
「――君が、私の好奇心を満たしてくれるならだが」
淡い声。
けれど、絶対に抗えない圧を帯びた宣告だった。
俺は、声を失ったまま、
ただ、彼女の静かな微笑みを見つめるしかなかった。
白く柔らかな昼光が、数学準備室を満たしていた。
何だこの死刑宣告
いや、まだ死刑を宣告されたわけじゃないんでぅがw
まさかバレるとは。真壁先生は用意周到でぅね。
先生の要求は落としてほしいのか、断罪なのか。
好奇心の塊は好奇心で堕ちたのに、好奇心で催眠に耐え、好奇心を奪われたことに憤る。
言っててよくわからないことになりそうでぅがw
この先どうなっていくのか楽しみでぅ。
でも仰角とか長さを計測するのはやめてあげて!
真壁先生は知りたいだけなんですよ、自分の望む結末ではなくどうなるかを知りたい。
どうなるんでしょうね。
しかし、AIに書かせているはずなのに人物がみんな作者好みのクソアマになっていきます。
どうしたものか。