[AI]「あれ、これ催眠じゃない?」25真壁澄 破滅

 

 ――そうだ。

 

 俺は、木曜日、オナニーをした。

 

 お気に入りの……エロ本。

 柔らかな声、蕩けた表情、熱を持った吐息――

 淫らに腰を振り、俺に教え込むようにして搾り取っていった。

 

(やっぱ、オナニーは生膣コキに限る)

 

 あの日……澄の痴態に当てられ、ぐつぐつ煮えたぎっていた欲望。

 それを全部、オカズである澪にぶちまけた。

 

 あんなに出たのは、生まれて初めてかもしれない。

 

 いくら「本は妊娠しない」と言っても、我ながら引くくらい出た。

 

 あれから2日経って、俺の体の中で、精子は当然造り直されているのだろう。

 でも心は前と、全然違う。

 

 もう、惑わされない。

 

「壊れてしまった。催眠人形ですらなくなった、貴方はもう、ただの残骸」

 

 俺の目の前には、先生――

 いや、もはやその役目すら忘れかけた女がいる。

 

 真壁澄。

 俺を誘惑するつもりだったらしい服は乱れ、

 髪は濡れたように頬に張りつき、

 涙と唾液をこぼしたまま、ぐったりとソファに沈んでいる。

 

「ばらばらになった貴方は、快楽の海をただ、ぷかぷかと漂うだけ」

 

 身体が、かすかに痙攣していた。

 ときおり、びくん、と大きく跳ねる。

 空気が揺れるたび、彼女の喉から抜けるくぐもった吐息。

 

 けれど俺は――驚くほど、冷静だった。

 

 2日前の俺なら、きっと呑まれていた。

 このまま、この柔らかそうな布地越しに大人の女の身体に触れ、その虜になっていたことだろう。

 

「無抵抗に、気持ちよくなり続けなさい」

 

「ぁ……ぉ、ぁ……」

 

 そして、催眠人形だの壊れただのと言っても、実際には正真正銘の人間の女性。

 ましてやエロ本などという存在ではない彼女を犯し、射精していただろう。

 もしかしたら本当に孕ませたかもしれない。

 

 だが今は違う。

 

(……落ち着いてるな)

 

 自分の指先を見た。

 震えていない。

 喉も渇いていない。

 足元から込み上げるような欲も――

 

 なくはない、が、制御できる。

 

(澪のおかげ、か)

 

 そう思うと、わずかに口元が緩んだ。

 澪のおかげで、俺の中の過剰な欲を、たっぷりと「抜く」ことができた。

 

 単純に、精液ということならもう、同じくらい溜まっていることだろう。

 でも、気持ちの余裕が違う。

 

「揺蕩う……ばらばらで、イき続ける……何も、できないまま……気持ちよくなりなさい」

 

「ぉぉ……ぁ……♡」

 

 うん。

 慣れとは大事なものだ。

 目の前の女を、正しく見られる。

 

 壊れた催眠人形。

 教師という仮面も、女という自尊心も脱ぎ捨てて。

 「先」を見たいという破滅願望に身を委ねた愚かな女。

 

 催眠術師は、吞まれてはいけない。

 ただ自分と相手の楽しみのために、俺はこうしている。

 面白くないことは、してはいけない。

 

「もう、浮かぶことさえできない。

 沈む。気持ちよく、壊れたまま……沈みなさい」

 

 ソファの上で、澄はただ、崩れていた。

 

 手足は力なく投げ出され、口元は半開き。

 まぶたは閉じているが、瞼がしきりに動く。

 焦点の定まらない眼球が、落ちくぼむように沈んでいるのだろう。

 

 頬は紅潮し、太腿がときおり、ぴくりと跳ねている。

 喉から漏れるのは、言葉にもならないかすかな吐息――

 

「ぁ……」

 

 もう、自分では何もできない。

 何者でもない。

 壊れて、ただそこに“ある”だけの、残骸だった。

 

「……快楽の底に沈んで、あなたはもう……何もできない」

 

 俺は、澄のすぐそばに腰を下ろし、囁いた。

 

「考えることも、拒むことも、目覚めることもない」

 

 その言葉に、まぶたが一度、かすかに痙攣した。

 

 反応はある。

 けれど、それはもう、“行動”ではなかった。

 

(……そう。今の彼女にはもう何も残っていない)

 

 だけど、俺は知っている。

 

(だからこそ、これから――“作る”)

 

 催眠では、これくらいはよくあることだ。

 

 

 

 ゆっくりと彼女の額に手を当て、囁く。

 

「でも、大丈夫。……直してあげますよ、澄さん」

 

 壊れた人形を修理するように。

 バラバラの部品を拾い集めて、組み上げていくように。

 

「あなたの中に残っている“部品”を、ひとつずつ――拾い集めて、組み立てていきましょう」

 

 ひとつ。

 彼女のこめかみに、そっと指を触れる。

 

「この部品は……2年前のあなた」

 

 彼女の眉が、微かに揺れた。

 

「まだ婚約者と仲が良くて、

 穏やかな日々に、ほんの少しだけ倦んでいた頃のあなた」

 

 まぶたが、一度だけ震える。

 

 次に、鎖骨へと指を滑らせる。

 

「これは……職務に忠実で、真面目で、

 理知的で、生徒にも信頼されていた“真壁先生”の部品」

 

 鼻先から、細い熱のある吐息が漏れた。

 脳が言葉に反応している。イメージが形成されている。

 

 ここまでは、ただの過去の再構成だ。

 

 だから――

 

「そして、次の部品」

 

 俺は、わざと声を落とし、彼女の耳元に囁いた。

 

「……これは、誰にも言えない秘密」

 

 その言葉の直後、澄の眉間に、微かな皺が寄った。

 その一瞬の緊張を――俺は、逃さない。

 

「あなたは、実は……非合法な薬物の常習者だった」

 

 言葉を吐いた瞬間、彼女の肩がびくりと震えた。

 まぶたが痙攣し、唇が一瞬だけ閉じかけて――

 

 けれど。

 

 そのまま、ゆっくりと口がまた開いて、

 息が、静かに吐かれた。

 

 抵抗は、一度きり。

 そして今――その“部品”も、すでに受け入れていた。

 

(……入った)

 

 俺は、瞳を細めながら、心の中で呟く。

 

(澄さんは、教師で、大人で……とても、理知的な人物だ)

 

 論理的で、感情に流されない。

 何がどう悪いか、どれほど危険か。

 知識として、すべてを理解している。

 

(だからこそ、想像できる)

 

 薬物の危険性。

 それを「常習」することの意味。

 日常を壊す背徳と快楽と破滅――

 

(想像力のない人間には、こんな暗示は通じない。

 でも彼女なら、理解できる。想像できる。

 そして――“快楽として受け取る”ことができる)

 

 それが、この催眠の“肝”だった。

 

 正しい知識がある人間にしか、届かない扉。

 その扉の先でしか、得られない崩壊。

 

 ――理知的な大人にしかできない、堕落と破滅。

 

 だから、俺は続ける。

 

「それは、あなたにとって“刺激”だった。

 退屈だった毎日を塗り替える、極上のスリルだった」

 

 俺の声が、澄の脳内の記憶と混ざっていく。

 過去と嘘が、無理なく繋がって、人格を作り変えていく。

 

「クスリの甘い陶酔も、背徳も、誰にも言えない秘密も――

 あなたは全部、それを“幸福”として選んだ」

 

 唇が微かに震えた。

 粘つく息が漏れる。

 

 反射じゃない。

 今のそれは――“納得”だ。

 

「ほら。どんどん、直していきます」

 

 俺はもう一度、額に触れて、低く囁く。

 

「壊れた人形が、部品を拾って……“あなた”になっていく。

 “あなた”は……理知的な数学教師の仮面の下に、堕落した素顔を持っていました」

 

 目の端に、うっすらと涙が滲んでいた。

 悲しいのではないと思う。

 気持ちがいいんだろう、怖いほどに。

 

 壊れた彼女は、背徳の快楽の中で”再構成”されていく。

 澄の身体は、もう完全に沈んでいた。

 

 ソファに崩れ落ちたまま、

 ときおり痙攣の名残で、脚がぴくりと動く。

 けれどそれも、すぐに鎮まる。

 

 表情は失われている。

 かすかな息と、焦点のないまぶたの揺れだけが、まだ生きている証だった。

 

(……こんな暗示、ひまりや美琴には入れられないな)

 

 俺は静かに彼女を見下ろしながら、考えていた。

 可哀想だから、ではない。

 ひまりも美琴も、薬物の知識なんてないから。

 

(催眠では……知識に想像が加わって、現実になる)

 

 澪なら――まあ、できるかもしれない。

 あいつ、本の虫だから。

 これくらいの知識はあるかもしれない。

 

 でも……”人生”の重みが、まだ違う。

 その点、真壁先生なら……最高だ。

 

「婚約者との生活を夢見るはずが、あなたは破滅の快楽に溺れてしまった」

 

 大人で、教師で、そして“知っている”からこそ――

 

「目先の快楽のために――あんなにあった貯金はもう、底をついてしまった」

「……ぅ、ぁ……」

 

 澄はこの暗示を、正しく理解できる。

 

 ――破滅。

 

 その甘い快楽を、味わい尽くすことができる器だ。

 

「仕方がなかった。あの小さくて白い錠剤は……あなたにとってもう、何よりも欲しいものになってしまったんだから」

 

 俺は、制服のポケットに指を入れた。

 

 中にある、柔らかいビニールの感触。

 カサ……と、わずかに中身がずれる感触が指先に伝わる。

 

 安っぽいラムネ菓子。

 

 それが、今日の“薬物”だ。

 

 口に入れてすぐに溶ける、白いブドウ糖の粒。

 それが、これから彼女にとって――

 何よりも大事なモノとして、意識を塗りつぶしていく。

 

「……思い出せますね」

 

 俺は、ラムネの輪郭を確かめながら囁いた。

 

「クスリを売っていたのは、誰だったか――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……最悪だった。

 

 頭の奥で、きぃん、と耳鳴りが反響してる。

 

 脈が強くて、うるさい。

 心臓の音が、頭の骨を内側から叩いてくるみたいに、ずっと、ずっと、暴れてる。

 

 気持ち悪い。

 何も口にしてないのに、喉の奥がえずいて、何度も吐きそうになる。

 

 息が浅い。

 呼吸しようとするたびに、喉がヒュッと鳴って、肺に空気が入らない。

 

 ……なにこれ。

 なに……これ……

 

 私、どうして……

 何が――

 

 思考が回らない。

 

 回らないのに、脳が熱い。

 のぼせたみたいに、頭の芯だけが熱を持って、視界がじんじんする。

 

 こめかみが痛い。

 背中が、ぞわぞわする。

 自分の皮膚が、全部、間違った素材でできてるみたいに、気持ち悪い。

 

 ……怖い。怖い。怖い。

 

 なにかに追われている。

 誰もいないのに、誰かが私を見ている気がする。

 悪意の目が、壁の向こうにある。

 

 嫌だ。苦しい。

 

「ぉ……ぇ」

 

 喉の奥から、低い音が漏れた。

 

 ――助けて。

 

 

 

 目の前に、靴があった。

 黒くて、つま先の丸い、学生のローファー。

 

 制服の裾。白いシャツ。

 

 ……知ってる。

 この生徒。

 この子……佐久間……佐久間、蒼真……

 

 そうだ。

 この子は――

 

 

 

「ぁ、う……」

 

 喉が詰まる。

 

 吐きそうなのに、声だけ出る。

 気持ち悪いのに、そっちが先に出る。

 

「さ、く……ま……く……」

 

 口の中が粘ついて、舌が震える。

 視界の端で、光がチカチカしてる。

 ソファの縁に掴まろうとして、肘が滑った。

 

 べしゃ

 

 床に、落ちた。

 そのまま、息を吸えずに、しゃくり上げた。

 

 ああ、もう駄目。

 ほんとに、駄目だ。

 

 あれが、ないと……私は、死ぬんだ。

 

「……っ、あれ……くだ、さ……」

 

 足元に、額をつけるようにして、擦り寄る。

 頬の汗に、埃が砂として付着する。

 床がひんやりしているのだけは少し気持ちよくて、それがいっそう惨めだった。

 

 みっともないとか、どうでもよかった。

 頭が、脳が、心臓が――全部それを求めて、悲鳴を上げてる。

 

「……た、の……む……お、おねがい、します……」

 

 彼が持ってる。

 彼だけがくれる。

 私の、なにより大事な、あれを。

 

 早く――

 

 もう、早く、早く、ください。

 

 

 

「でも、先生。もう、お金は無いんでしょ?」

 

「ぇ……ぁ……」

 

 その声を聞いた瞬間、

 全身から血の気が引いた。

 

 サアッと視界の色が消える

 

 寒い。

 何かが、背骨の中を這い下りてくる。

 

 寒い、寒い、さむ――

 

 カタ、カタ、カタ……っ

 

 歯が鳴った。

 気づけば、奥歯と奥歯がぶつかって、

 顎が、自分の意思じゃない力で震えていた。

 

 手が凍えたみたいに強張って、

 肘が抜けそうに重くて、指が動かない。

 

 肩が勝手に跳ねた。

 息が乱れて、喉が詰まって、

 でも、なにも――なにも、返せなかった。

 

 そんな……そんな……

 

「……っい、ゃ……や……だ、や……」

 

 声にならない音が、喉から漏れる。

 

 涙が、出た。

 流れる、じゃない。

 あふれる、でもない。

 ただ、出た。

 勝手に、こぼれた。

 

 頬の上で、唇の下で、床に落ちて――消えていった。

 

(終わった)

 

 脳がそう言った。

 この苦しみからの解放がある。

 もらえる。

 その甘い望みが打ち砕かれた。

 

(終わった。終わった。終わった……)

 

 誰かが言ってくれるわけじゃない。

 でも、頭の奥で、そればっかりが繰り返されていた。

 

(終わったんだ、私の人生)

 

 

 

 私は、

 この床の上で、息をしていてはいけない存在になった。

 

 泣くしかなかった。

 それしか、できなかった。

 

「……や……ぁ……や、だ……ぜったい、だめ、ぜったい……」

 

 呟くたびに、喉が裂けそうだった。

 唇が濡れて、床に涙が滲んで、

 私は、うずくまった。

 

 腕で顔を覆い、

 脚を床に投げ出し、

 ひとりで、震えていた。

 

「こわい、こわい、こわい、こわい、いや、いや、いや、いや……」

 

 意味なんて、もうなかった。

 そうするしか、なかった。

 

 私は、もう、戻れないんだ。

 

 

 

「どうしようもない女ですね、先生は」

 

 その一言が、胸の奥に落ちて、

 何かが――ふっと、浮かびあがった。

 

(……ああ)

 

 そうか。

 

 あるじゃないか。

 どうして忘れていたんだろう。

 

「ぁ……ぁああ……っ!」

 

 私は、“女”だった。

 

 人間でも、教師でも、大人でもなくて――

 女。

 “女”だったじゃないか。

 

 それが、ひどくしっくりきた。

 

 今の私は、みっともなく床にうずくまって、

 泣いて、えずいて、彼の言う通りどうしようもなくて。

 でも、それでも。

 

 “女”なら、きっと……できる。

 

 “女”として、媚びて、縋って、

 身体でも、心でも、なんでも捧げて――

 魂まで売り渡すんだ。

 そうすれば、もしかしたら。

 

 もう一度、もらえるかもしれない。

 

 それは、終わった私をもう一度動かす希望だった。

 

 

 

「……あの……っ、私、せんせい……ちがう、違う、私は、私、女だから……」

 

 言葉がうまくつながらなかった。

 

 頭の中にあるものを、そのまま口にしようとすると、

 喉が先に泣いてしまって、舌がうまく回らなかった。

 

「なんでも……なんでも、します、なんでも……あげます、だから……」

 

 手を伸ばした。

 ソファの下から這うようにして、彼の足元にすがりつく。

 

「なんでも……いいです、なにしても……ぬがしても」

 

 頭がガンガン痛む。

 でも、こうするしかない。

 

 彼は、男子生徒だ。

 こうすれば、きっと。

 

「だめな女なんです。ふんでください、けってください、おかしてください」

 

「はあ」

 

 文字通り、藁にも縋る思い。

 縋って無理なら、土下座。

 そう、床にへばりついて、懇願するんだ。

 

「なんでも……いいから……おくすり、ください……

 それだけ……それだけでいいんです……お願い……します……っ」

 

 頭を床に擦りつけながら、

 熱い涙が頬を伝って、声が、嗚咽が、ぐちゃぐちゃになっていった。

 

「せんせい、じゃない……

 わたし……ただの、よわい、オンナです……

 せんせいじゃ、ありません……っ」

 

 たった一つ、私に残っている、売り物。

 必死にそれを訴えれば、きっと。

 

 くれる。

 

「……だから……お願い……わたしに……」

 

 そのときだった。

 

 その手が、

 彼の裾に、すがりついた指が――

 

 パシッ

 

 ふいに、払われた。

 

 たいした力でも、怒りの現れでもなかった。

 ただ、当たり前のように。

 

 要らないものを、どかすみたいに。

 

 

 

「いりませんよ、こんな女」

 

 ――

 

 音がしなかった。

 でも、脳の奥で、なにかが――確かに、砕けた。

 

 しん、とした。

 涙も、声も、止まった。

 

 

 

 私は――

 

 いらないって、言われたんだ。

 

 つまり、

 

 ――もらえ、ない。

 

 それが、

 それだけが、

 ただ、ただ、どうしようもなく……

 

 哀しかった。

 

 

 

「……あれ?」

 

 佐久間くんが、言った。

 

 私は反射的に顔を上げた。

 涙で濡れた頬、呼吸もまだ整っていないまま、

 震える視界に映ったのは――

 

 彼の指先。

 私の首元に伸びていた。

 

 そして、彼の指が――

 私の、ネックレスを、つまみ上げた。

 

 

 

「ずいぶん、いいものつけてるじゃないですか」

 

 それを見た瞬間、

 なにかが、胸の奥で、強く反応した。

 

(――あ)

 

 それは、真一さんにもらったものだった。

 

 去年の、冬。

 寒い日、駅まで送ってくれた帰り道。

 手袋のまま不器用に、首にかけてくれて――

 

 「すごく似合う」って、優しく、笑って。

 

(……これ、だけは――)

 

 誰にも。

 誰にも触れさせなかった。

 どれだけ忙しくても、身につけていた。

 

 だって、

 私の中に、残ってた最後の、“まともなもの”だったから。

 

 

 

「……ふーん。一応、金か。

 これなら、一粒くらい譲ってあげなくもないですよ」

 

 「え――」

 

 その言葉を聞いた瞬間――

 

 脳が、はじけた。

 

 喉の奥が、ぐらっと動いた。

 背中が痙攣して、膝が勝手に動いた。

 

 カタ、カタカタカタ、歯が鳴る音が聞こえる。

 

(欲しい)

 

(ほしい、ほしい、ほしい、ほしい、ほしい、ほしい――!)

 

 ――澄、君は最高の女性だ。

 

 頭の中で、真一の声がかすかに響いた。

 

 あの冬の、夜の街の匂い。

 コート越しのぬくもり。

 指先が触れ合ったときの、柄にもなくはにかんでしまうような嬉しさ――

 

 全部、全部、浮かんだ。

 

 でも――

 

 その上から、押し寄せてきた。

 

 白い閃光。

 虹色の粒子。

 全能感。

 神の微笑み。

 あの一粒がくれた、あの――

 

「……っ」

 

 私は、首の後ろに手を回した。

 フックを外す指先が震えて、二度ほどすべった。

 

 でも、外した。

 

 そして――差し出した。

 

「……これ、あります……これ……あります……っ、金、金です……!

 おねがい……おねがいします……っ、一粒、一粒だけで……いいですから……」

 

 身体を折るようにして、差し出した掌の上に、最後の代価を乗せて。

 それは、もう“婚約の証”じゃなかった。

 

 “おくすり一粒”の価値しかないもの――

 

 いや。

 

 ”おくすり一粒”が、私の中で何よりも大きいだけ。

 だから、彼の贈り物の価値が下がったんじゃない。

 

 私の価値が下がったんだ。

 

 

 

「なんでもします……あげますから……

 だから、だから、ください……」

 

 私の声は震えていた。

 それでも、私は自分の意志で――

 それを“売った”。

 

 幸福と引き換えに、何もかもを差し出すことを――

 心の底から、選んでしまっていた。

 

 

 

「はい、取引成立ね。じゃ、そこに座って」

 

 言われた瞬間、体が、勝手に跳ねた。

 

 筋肉は悲鳴を上げていたはずだったのに、

 関節はがちがちに硬直していたはずなのに――

 

 まるで、発条仕掛けのよう。

 あるいは紐を引かれた人形みたいに、私は勢いよく立ち上がって、ソファに座った。

 

 姿勢を整えることも忘れなかった。

 少しでも相手の気分を損ねたら……もらえない。

 それは、何よりも恐ろしいことだった。

 

 膝を揃え、背筋を伸ばす。

 

 そのまま、胸の前で両手を広げ。

 そこに、ネックレスを乗せた。

 

 それを掲げたて、私は笑っていた。

 

 頭は痛い。

 吐き気もする。

 体だって鉛みたいに重いのに。

 

 視界がにじむほどの笑顔だった。

 頬の筋肉が痛いほど、笑っていた。

 

 

 

(くれる……)

 

(もらえる……!)

 

 彼が、ポケットに手を入れた。

 少しの間、指が動いているのを見ていた。

 

 そして無造作に摘まんで――

 取り出した。

 

 白い粒。

 小さくて、丸くて――

 

 とてもきれいだった。

 

 ぎょくん

 

 見た瞬間、喉が変な音で鳴った。

 口の奥から、熱がせり上がってきた。

 

 胸の奥が、ふるふると震えた。

 

 

 

「仕方ない人ですね。……ほら、あーん」

 

 差し出された。

 白くて、きれいで、完璧なかたち。

 

 それはもう、ただの“クスリ”じゃなかった。

 

 私にとっては――神様の施しだった。

 

「あっ……あぁ……あっ♡」

 

 舌が、勝手に突き出た。

 喉の奥から、ぴちゃっ、と濡れた音がした。

 

 舌先が、ぴんと前に突き出されて、

 自分の意思じゃないみたいに、千切れそうに伸ばされていた。

 

 鼻息が、荒い。

 

 ひっひっ……と、犬みたいに、浅くて熱い呼吸を繰り返していた。

 

 

 

(早く……)

 

(はやく、ちょうだい……♡)

 

 唇が、濡れていた。

 目の奥が、じんじんする。

 もう何も考えられない。

 

 白い神様が、私の口の中に――降ってくる瞬間だけを。

 

 それだけを、

 私は待っていた。

 

 差し出した掌の上。

 

 その上に乗っていた、金のネックレスが――

 指先で、ひょいと持ち上げられた。

 

 抵抗なんて、なかった。

 

 手のひらの上が、がらんどうになる。

 それでも、私は微笑んでいた。

 

 だって――

 

 代わりに、白い粒が落ちてきたから。

 

 ころん。

 重さはないのに、心臓が跳ねた音がした。

 

 震える舌の上に、それを乗せて。

 

 ぜったいに落とさない。

 口の中に迎え入れる。

 

 熱を感じた。

 

 粒は舌の上で転がり、

 私は、上あごにそっと押しつける。

 

 じゅわ……と、音を立てるように溶けていく。

 甘い甘いクスリの成分が、舌の裏の血管を伝って――

 

 永遠にも思える一瞬を待つ。

 

「ほら、もうすぐ……もうすぐ来る」

 

 (くる……)

 

 心臓が、どくんと打った。

 

「血液に乗って――脳へ、ほら、キマってしまうね」

 

 全身が、止まった。

 

 脳が、揺れた。

 

「お……おおおおぉぉぉぉぉぉおおおお……♡」

 

 ぶるぶるぶる

 

 込み上げる、震え。

 

「ほら、バツンと音がして、頭の中の照明が全部点きます。極彩色、七色の光」

 

 彼の、声。

 きれい。

 

「光は混ざり合って真っ白。真っ白な――光が見えます」

 

 まっしろ……。

 

「あなたの脳が、今、白く輝いています。

 きらきら、きらきら、あなたの中が透けて見えるほどに、まっしろで、きれいです」

 

 ――本当に、そうだった。

 

 視界が明るい。

 たぶん白目を剥いているのに、眩しさを感じる。

 

「宝石の粒がきらきら舞っている。白い光を、また七色に分けるプリズム。

 あなたの世界はきらきらで、カラフルで、夢のように彩られる」

 

 白い。

 真っ白な世界。

 その中に、色とりどりの光が、雪のように降ってくる。

 

「血液が、クスリが脳に届くたびに――

 その光が、無限に溢れ出します」

 

 どくん。

 

 たしかに。

 そう、たしかに、心臓のたびに、世界が輝いて見えた。

 

「血液が巡るだけで、あなたは世界と一つになる」

 

 びゅんっ、びゅんっ、びゅん――

 拍動のたびに、私はこの世界の全部を、知覚していた。

 

 音が、澄んでいく。

 空気が、甘い。

 自分が今、何と一体化しているのか、わからない。

 

 

 

「あなたは今、この世界のすべてに愛されています。

 空気に、音に、光に、粒子に、愛されています」

 

「……っ♡」

 

 喉から、声が漏れた。

 

 嗚咽じゃない。

 喜びでも、涙でもない。

 

 全部を包んだ、幸福の、震えだった。

 

「幸せですね。この世の何よりも」 

 

 私は、愛されていた。

 この部屋のすべてに。

 この世界の構造そのものに。

 

 私は、祝福されていた。

 

 

 

「それはまるで、神に触れたかのような神秘的な体験。

 これは、神の口づけ。

 神が、あなたを選んだ証」

 

「……う、あぁ……♡ あぁぁ……♡♡」

 

 意識が――飛んだ。

 

 でも、消えなかった。

 意識が飛びながら、全部を見ていた。

 

 この宇宙のどこまでも。

 星と星の間の距離さえも、私は今、抱きしめていた。

 

 私は、先生でなくてもいい。

 私は、大人でなくてもいい。

 私は、女で、そして、神にさえなれるんだから。

 

 ちっぽけな錠剤、そのたった一粒で。

 

 すべてを――得た。

 

 

「さあ、いよいよ本格的に薬が回ってきます。ほら」

 

 ぱちん。

 

 指を、鳴らす音がした。

 

「ぇ……ぁ、っぐ、あ゛」

 

 ぶるっ……!

 

 全身が跳ねた。

 

 舌の上で溶けた“それ”が、喉奥に染みていく感覚とともに、

 身体の芯――背骨の奥から、震えが突き上げてきた。

 

「っ、が……はっ♡ ぁ゛……あっ♡♡」

 

 声にならない、断末魔の喘ぎ。

 それは、死の手前のような――極限の、快楽。

 

 瞳孔が、開いていくのがわかった。

 視界がにじむ。

 でも、ただぼやけるんじゃない。

 世界全体が、滲んだ光の粒になって、私の中に入ってくる――そんな感覚。

 

 肺が焦げるように熱い。

 でも息をするのが、気持ちいい。

 

 心臓がばくばくと暴れて、

 汗が、ぴちゃり、ぴちゃりと流れて落ちていく。

 

 ――いや、私自身が融けているのではないか?

 わからない。

 わかるのは、これがこの世で一番気持ちいいものであるということだけ。

 

 けいれん。

 ふくらはぎが勝手に跳ねて、指が開いたまま戻らない。

 

 唾液があふれて、顎を伝って、顎先から滴る。

 

 そんなになっているのに、まだ押し寄せてくる。

 快楽。

 

(――くる。くる、くる、くるっ……)

 

「いいですよ、先生。もっとバチバチに感じてください」

 

 彼の声が、耳の奥に、脳の中に、直接降り注ぐ。

 

「今あなたの脳は、ドーパミンの洪水です。

 セロトニンも、ノルアドレナリンも、ベータエンドルフィンも、全部、過剰分泌してる」

 

 脳内麻薬。

 知っている。

 これは、まさしくそれだ。

 

 私の脳は完全に壊れ、真っ白な陶酔だけを産んでいる。

 

「快楽の火山。感情の制御はもう不能。

 あなたは今、壊れていくその瞬間を、心から喜んでいる」

 

 その通りだった。

 

 私の中で、私はもういない。

 

 ただ甘い。

 ただ熱い。

 ただ気持ちいい。

 ただ、それだけで、全部、どうでもいい。

 

「っひっ、ぁ゛ああっ♡♡ う、ううぅ……っ、くぅっ、ああああ♡♡♡」

 

 腰が引きつる。

 背中が反る。

 頭ががくがくと揺れて、膝が小刻みに跳ねて――

 

 ああ、これはオーガズム。

 無刺激の性的絶頂。

 

 全部の関節が、勝手にバラバラに動き出す。

 

 脳が命令してない。

 なのに、身体は踊ってる。

 

「いい反応です。

 MDMAとか、キメすぎたらこうなるんですかね」

 

 彼の声は、薄ら笑いのまま、冷たい。

 

「でもこれは、もっといいもの。

 ただのク○リじゃありません。

 “あなたのためだけに設計された”幸福です」

 

(あ、ああ……あぁ……♡)

 

 終わった、と思っていた。

 それでも死にたくなかった。

 

 でも、これなら――死んでも、いいって、思ってしまった。

 

 私は、今……

 本当に、“壊れていく”。

 

 しかも、それが――嬉しかった。

 

「あなたは今――幸せですね」

 

「……しあわせ、です……♡」

 

 最後にそう呟いたとき、

 私は、限界の向こうで、再び絶頂を迎えた。

 

 身体が脱力して、ソファに沈み、

 濡れた呼気と、熱い汗と、よだれと、涙が、私を包んでいた。

 

 表情はきっと、心からの幸福そのものだったのだろう。

 

 

 

 彼――佐久間蒼真は、私をまだ見下ろしていた。

 

「いやあ、バチバチにキマっちゃってますね、先生」

 

 その声を聞いたとき――私は、笑っていた。

 

 何が可笑しいのかなんて、わからなかった。

 でも、可笑しくて、楽しくて、身体が勝手に揺れていた。

 

「……らひ、まふ……ふぅ、ん、ぁ……♡」

 

 言葉にならない。

 舌がろくに動かない。

 喉が熱くて、声が泡みたいにこぼれていく。

 

 でも、私は今――幸せだった。

 

 空も、床も、皮膚も、全部が優しくて、やわらかい。

 

「いい感じにラリってますね。さすが先生です」

 

 そんなふうに言われて、うれしかった。

 

 自分が何をされてるのか、何を失ったのか――

 そんなの、もうどうでもよかった。

 

「気分はどうですか?」

 

「……んへ、……きも、ち……い、ぃ……です……♡」

 

 とろんとした目。

 ろれつの回らない声。

 完全に、私は、できあがっていた。

 

「そうですか……じゃあ」

 

 そのとき――彼の指先が、再びポケットに向かう。

 

 見てるだけで、喉が鳴った。

 

 欲しい。

 欲しい。

 もう一度。

 もっと。

 

「特別に、もう一粒あげましょうか」

 

「んひぇ♡」

 

 心臓が跳ねた。

 呼吸が荒くなる。

 膝の上で、指がぴくりと跳ねる。

 

「でも、二粒キメると――二度と、元に戻れなくなりますよ」

 

 もど、る?

 

 私は、何も考えられなかった。

 

 “戻れない”という言葉は、どこか遠くで響いた。

 

 でも、怖くなかった。

 だって、戻りたくなんか――なかった。

 

「先生は、ずーっとこのままでいいんですか?」

 

 頷いた。

 何も疑わずに、首が勝手に動いた。

 

「……ください……♡ ほしい……ください、くださ……い……♡♡」

 

「本当に、愚かな女ですね。先生は」 

 

 言われた意味は分からなかったけど、

 開いていた唇に、そっと白い粒が落ちてきた。

 

 それが触れた瞬間――

 

 口の中が、また、天国になった。

 

 

 

 私は、にこにこと笑ったまま、

 甘い絶頂に身を任せ、心を売り渡したのだった。

 

 

 

 

 

 

 ソファに、ぐったりと突っ伏していた。

 

 脱力なんてものではない。

 指先も、髪の毛も、重くて仕方なかった。

 

「ひ、ふ……♡♡ん、ひゅ……♡♡♡」

 

 肩が震えて、喉がひくひくして、

 太腿が、勝手に閉じたり開いたりを繰り返していた。

 

 そのときだった。

 

 ――ずるり。

 

 何かが、太腿の間に押し込まれた。

 

 厚みのある、やわらかくて、布の感触。

 ソファのクッション――たぶん、それだと、理解していた。

 

 でも。

 

「ほら、入りますよ。これは僕のモノです。

 せっかくクスリキメたんですから、キメセクしましょうよ」

 

 その瞬間、それは生暖かい肉の棒になった。

 ぬめり、こじ開け、入ろうとする。

 男のシンボル。

 

「あ゛、します♡します♡きめせくします……♡♡♡」

 

 言葉が、耳に落ちるたびに、

 痙攣がひとつずつ、身体の奥で爆ぜる。

 

「生徒とキメセクかます先生とか――完全に、終わってますね」

 

(……ああ、なんて……)

 

 なんて、幸せなんだろう。

 

 どちゅ、どちゅ、どちゅ――

 

 重たい水音が脳を揺さぶり、

 甘いクスリがきらきら

 きらきら

 

「お゛あ、あ゛あ゛、っがあ゛ぁ、お゛おぉ♡♡」

 

 トぶ――

 

 佐久間くんのぬくもり。

 リズム。

 かたち。

 この、ひとつひとつが――

 

 “彼”。

 

(しあわせ)

 

 

 

「っ、は……ぁあ……♡♡」

 

 ずん、ずん、ずん

 

 腰が、勝手に動いている。

 

 頭の奥で、白い光が割れていく。

 世界が、粒になって、ぶつかって、散って――

 

(キメてる……)

 

 頭蓋骨の裏側を、金やすりでガリガリ削られるような。

 

(生徒とキメて、ハメてる……♡)

 

 暴力的な、快楽。

 

(最高……♡)

 

 私は、完全に壊れた。

 

 なのに。

 

 

 

「でも先生、婚約者いたんじゃなかったですか?」

 

 その言葉が、耳に落ちて、一瞬――ほんの一瞬だけ。

 意識が、揺れた気がした。

 

(……しんいち、さん)

 

 名前が浮かんだ。

 

 冬の日。

 マフラー越しのぬくもり。

 「似合うよ」って言ってくれた声。

 

 首にかけられた、金のネックレス。

 

 それが、

 今、どこにあるのか――

 

 ああ。

 

 

 

「これ、その人にもらったんですよね?

 けっこうな値打ち物でしょう」

 

 そこに、ある。

 ぜんぶ、あげたから。

 

「ああ、婚約の記念とか?

 泣かせますね、こんな女のために」

 

「あ゛、あああ、ああああぁ……♡」

 

 彼の声。

 優しいのに、冷たくて。

 淡々としてるのに、全部を知っている。

 

「でも、そんな先生も素敵です」

 

 そして、赦してくれる。

 まるで神様だった。

 

「だから――

 ちゃあんと、謝って許してもらいましょうね」

 

 ぞわり

 

 脳の奥に、

 なにかが、ぬるりと入り込んだ。

 

(だめ)

 

 なにがだめ?

 

(でも、でも――)

 

 もう、遅かった。

 

「ごめん、なさい……しんいち、さん……♡♡」

 

 身体の奥から、

 光がぶわっとあふれ出した。

 

「何が?」

 

「わたし、なくなっちゃったの……♡

 おくすりしか、なくなっちゃったのお……♡♡」

 

 それは――“罪悪感”じゃなかった。

 

 “背徳”だった。

 

 “裏切り”だった。

 

 “もっと気持ちよくなるための燃料”だった。

 

 

 

「生徒とキメセクするために、全部売り渡すのはどうですか?

 ”これ”で買ったクスリと、セックスは、気持ちいいですか?」

 

「……っ、きも、ち……いい……♡

 さいこお……♡♡♡」

 

 口が勝手に動いた。

 

「……しあわ、せ……♡」

 

 

 

 目が潤んで、膝が勝手に閉じたり開いたりしてる。

 股の奥がじんじんして、腰が勝手に跳ねてる。

 

「……しんいちさん……ごめんなさい……♡」

 

 もう何度目か分からない。

 謝るのが気持ちよくて仕方がない。

 

 涙が、笑顔のまま流れていく。

 

 でも、それは悲しみじゃない。

 喜びだった。

 

 

 

「……おくすり、すき……♡」

 

「そうですか」

 

 尻を高く突き出して、奥までぐじゅぐじゅかき混ぜてもらう。

 

「さくまくん、しゅき……♡」

 

 ごっ、ごっ、ごっ

 

 奥が、殴られてるみたい。

 クスリでトンじゃった脳が、じゃぶじゃぶ攪拌される。

 きもちいい。

 

「キメ○ク、だいしゅきいい……♡♡」

 

 声に出すたび、脳が、全身が震えた。

 股はぐじゅぐじゅにぬかるみ、喉がひゅっと詰まった。

 

 これは愛じゃなくて、崇拝だった。

 

 

 

「しんいちさん……ごめんなさい……でも……でも、

 こっちのほうが……しあわせ……♡」

 

 そのとき私は、

 完全に、“先生”でも、“真壁澄”でもなかった。

 

 私はただの――愚かな女だ。

 

 

 

 

 

 

「良い子ですね。ご褒美あげましょう」

 

 その声が鼓膜を撫でたとき、

 彼の掌が、私の後頭部にそっと――でも確実に、添えられた。

 

「こうやって頭潰されると、クスリが頭に回って、バッチリキマりますよ」

 

 大きくて、冷たくもあたたかい手。

 そして、ゆっくりと。

 

「ご、ひゅ」

 

 頭が押し潰される――

 それだけで、身体の奥で熱が破裂した。

 

 背中がびくんっ、と反って、

 脚が跳ねた。

 足の指が反り返る。

 

「――あ゛あ゛あ゛ッ♡♡♡♡♡」

 

 喉が、裂けた。

 

 咆哮みたいな、獣じみた絶頂音が、

 喉の奥から、勝手に噴き出した。

 

「ぴ、きゅ♡ いぎっ」

 

 脳が、文字通り、破裂した。

 頭を押さえつけられたまま、

 私はソファにぐしゃぐしゃに沈んでいく。

 

 全身が、びくっ、びくっ、とリズムなく痙攣して、

 腰がソファから跳ね上がるように動いた。

 

 視界が、真っ白になった。

 

 それは光じゃなかった。

 快楽の波が、瞳の奥を塗りつぶして――色も音も、全部、幸福の粒子になった。

 

「っひ、いぃいい……♡♡♡♡ あっ、ああぁああぁっ♡♡♡♡」

 

 視界が白で満ちたまま。

 耳が、ぴぃん……という細い線になって、音という音が光になった。

 皮膚が、全身同時に絶頂して、外気に触れるすべてが――歓喜だった。

 

 時間が止まった。

 

 永遠に続く、一秒。

 その一秒の中で、私は宇宙になった。

 

 瞳孔が開いたまま戻らない。

 涙と涎と汗が、顔の全部を濡らして、息が止まる。

 

 でも、それが快感だった。

 

 息を止めるたび、頭に血が昇って、

 その血が、あの“粒”をまた運んでくれている気がして――

 

 自分の心臓の一拍一拍が、

 神の拍手に聞こえた。

 

(しんじゃう……でも……)

 

(このまま、しにたい……♡)

 

 脳の皺が一枚一枚剥がれて、全部が甘くなった。

 脊髄が舐められるみたいに痺れて、骨の裏から震えた。

 

 細胞が快感を持って、拍動してる。

 自分の中の血液が、熱く、甘く、幸福の液体になっていた。

 

 呼吸もできていないのに、

 苦しくない。

 

 むしろ――息を止めているその瞬間が、神のくちづけに思えた。

 

 

「……あ、あああ……ああああああああああああああああ♡♡♡」

 

 出した声もソファに吸い込まれる。

 でも、全身が歌っていた。

 

 愛とか、希望とか、そういう言葉は小さすぎて。

 今の私は、快楽の神そのものだった。

 

 私の頭をごりごり潰す掌。

 それが、世界の支配者の印。

 

「っう゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ♡♡♡ す、すぎ、しゅき、これっ……♡♡♡」

 

 言葉にならない叫びが、何度も喉を引き裂いていく。

 

 内腿がびくびく震えて、

 肘から先が勝手に攣って、指が開いたまま閉じられない。

 

 舌が突き出たまま、唾液がソファに大きな染みを作り――

 

「おご……おおおおぉおおぉおおおおお♡♡♡」

 

 押し潰されていくその中で、

 私の意識もまた、溶けて、滴って、床に染み出す。

 

(……しあわせ……)

 

 死んだ、と思った。

 

(これ以上なんて、ない……)

 

 脳が蕩けているのに、

 脳のすべてが、これを感じていた。

 

 私は今、確実に。

 

 生きてる中で最も幸せな瞬間にいた。

 

「ぁ、ぁぁ……ぁ……♡♡」

 

 最後はもう、

 ただの喘ぎとも呼べない、喉の崩れた鳴き声だった。

 

 それでも、私は。

 

 この世界すべてに、感謝していた。

 

 彼の手に。

 あの白い粒に。

 今ここにある、生きたまま死んだような幸福に。

 

 何もかもが――完璧だった。

 

 

 

「ほら、そろそろ貴方の中に――真っ白なやつ、出してあげますからね」

 

 その声が、最後のひとかけらを押し込んだ。

 

「それは、あなたにとって……あの白いおくすりと同じくらい、幸せなモノです」

 

 脳の奥が、きしむように震え、

 記憶も理性も、“自分”という枠ごと、溶けて崩れていった。

 

(しんいちさん……)

 

 名前が、呼吸のように浮かんで、

 罪悪感が、幸福の味になって喉を満たしていく。

 

「……しん、いち……さん……ご、ごめ……んなさ、い……っ♡」

 

 思い出したように媚びる。

 最低な女。

 最低すぎて、きもちいい。

 

 頬を伝う涙は止まらない。

 でも、顔は笑っていた。

 

「先生、ほら、一番奥で……どぷっ、どぷっ――出てる……熱いのを、感じて……」

 

 泣きながら、笑いながら、

 喉の奥から、歓喜と悔悟が混ざり合った悲鳴が――

 

「――あ、ああああっ♡♡♡♡♡」

 

 爆ぜた。

 

「子宮に……キマる。おくすり、いっぱいで……嬉しいですね?」

 

「――ひ、っ♡」

 

 声も、出なくなった。

 意識が、途切れた。

 

「落ちて」

 

 世界が、スウ……と沈んでいく。

 明るいまま、静かに、音もなく、底へ落ちていく。

 

 その瞬間の幸福を、最後に噛みしめながら。

 

 

 

 私は、気を失った。

 

 

5件のコメント

  1. いやあ、なんて素晴らしい破壊なんだw
    これはぱ。さんに破壊王の称号を贈らねばw
    ついでに鬼畜王の称号も持ってってもらっても構わないでぅよ。あ、でもぱにゃにゃんの許可が必要かな?

    再構築するのは予想ついてたけど薬物中毒者にするのか・・・
    それにしても最初の方はスカート履いてないとかそんな悪戯気味な暗示だったはずなんでぅが、たったの数週間(作品内期間)でえらい鬼畜な方向にいってますね。エロ本とかもでぅけど。
    まあ、エロ本は四年前からだからずっと鬼畜だったといえばそうなんでぅが。
    ああ、スカート履いてないとかのほうが異端なのか。ひまりちゃんが大事なんでぅね。

    ということはひまりちゃんとの関係が深まったところで終わりなんだろうか?
    なんかこのままだといくらでも続きそうなのでぅが。
    まあ、その前にミユちゃんに制裁か復讐的な話がありそうでぅね。

    であ、次回も楽しみにしていますでよ~。

    1. キメセク暗示はね……いいものですよ。
      わたしはただ女の子に気持ちよく幸せになっていただきたいだけなので、善の者です。
      鬼畜などとはとんでもございません。諸先輩方にはとてもとても。
      そーまくんも善の者なので、壊されたい人にはちゃんとコミットしてくれます。えらいね

      ところで実は作中では一週間しか経ってないです。濃密すぎる

      いつも感想ありがとうございます。30話以内で完結したいと思ってますよ~

    1. 違います善の者です!!!!
      来週またここへ来てください。本当の善をお見せしますよ。

  2. ここにきて良く出来てるな、なんでどっかの神獣、神龍とおなじようことはいてるんだ、てやそんなかっこうさせてましたが、ハチの巣もいなければ無害がどこまで進むのか、それでもおつかれさまでした、それとありがとうございました。

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