Tomorrow is another 第九話 記憶

第九話 記憶

 ――雪美ちゃんが欲しいんなら、いらなくなるまでやるよ。
 確かにそう言った。
 言ったのだが――
「ちゅっ、ちゅちゅっ、れるっ、むちゅっ、にゅちゅっ、うむっ、むうっ」
 いつになったらいらなくなるのだろうか。
 雪美ちゃんは俺の口の中で唾液を求めてせわしなく舌をうごかしている。最初は苦しくなって何度も口をはなして息継ぎをしていたのたが、今ではもうキスをしながらでもなんとか呼吸をすることができるようだ。鼻息が顔にかかってくすぐったい。
「んむっ、ふむうっ、んー……っ、じゅるっ、じゅじゅっ、ぺちゃぺちゃ」
 相手は子供だが、一言で表わすなら美少女、といった風貌だ。そんな女の子が、俺の唇に夢中で吸いついてきているのだから、興奮しないわけがない。好きでもない相手でもきっちり興奮できて、しっかり勃起してしまう辺り、男というよりも俺自身に情けなくなってくる。俺には好きな奴がいるというのに、この有様か。
「ん、ふんっ、うむー、えろえろえろ……えむっ、むちゅっ、ちゅっ、ちゅーっ」
 口内を舐めていた雪美ちゃんは、俺の舌に吸いついてきた。
 俺は雪美ちゃんの肩を押して、唇を離す。
「あっ。……山崎さん~。雪美、まだ山崎さんの欲しいよ……」
 むーっ、と唇を尖らせる。いらなくなるまでくれるって言ったのに、と口の中でもごもごと呟いているのも聞こえた。
「わかってる。けど、ちょっと口が疲れないか?」
「雪美は疲れてないよ」
「そうか……」
 むしろ生き生きとしている雪美ちゃん。求められるということに、なんだかくすぐったい気分になるが、これは雪美ちゃんの本心ではない、と頭の中で何度も繰り返し、ぼんやりと形になってくる想いを散らせる。
「悪いけど俺は疲れたんだわ。だから……」
 雪美ちゃんの肩をを持って、俺の顔のすぐ下に雪美ちゃんの顔がくるように身体を倒してやる。座りながらキスを続けていたのだが、俺に引っ張られたせいでバランスが取れなくなった雪美ちゃんは、俺の胸に頭を預けるような体勢になる。
「ほら、口開けな」
「はーい。あーん」
 何をしようとしているのか合点がいったのか、素直に返事をする。
 口を開けて待っている雪美ちゃんに、上から唾液を垂らしていく。
 うわ……。
 これなら口も疲れないだろう、と思っただけだったが、予想外に視覚的な刺激が強いことを知った。
 今までお互いの顔が近すぎてよくわからなかった、雪美ちゃんが唾液を口に含んだ表情がよく観察できる。
 とても嬉しそうなのだ。
 俺の舌から垂れていく唾液を、口を一杯に広げて待ちうける。舌を広げて受け止め、口の中でじっくりと味を確かめ、嚥下する。そして満足げに小さく息をつく。
 ふと、雪美ちゃんが身じろぎした。落ちつかないのか、後ろを気にしてもぞもぞと動いていたが、俺を見上げて困ったような、恥ずかしいような顔で告げた。
「山崎さん……その、山崎さんのが背中に当たってるよ……?」
 興奮していた俺の硬直したモノが、確かに雪美ちゃんの背中に押しつけられていた。
 雪美ちゃんのあまりにエッチな表情に、思わず唾を飲み込んでしまう。
「あーっ! 雪美のヨダレ飲んだぁ!」
 恥じらいの表情など一瞬で吹き飛ばし、眉を吊り上げ怒り出す。
「わ、悪い。雪美ちゃんが突然そんなこと言うから驚いたんだって」
「嘘だあ。山崎さん、エッチな気分になってたんでしょー」
 この状態で責められても、確たる証拠が雪美ちゃんの背中に当たっている現在、反論できるはずがない。俺は雪美ちゃんを静かにさせるために唾液を垂らしはじめる。唾液を受けている限り、雪美ちゃんは静かになるはずだ。
「きゃっ」
 ただ、俺が急に再開したせいで、雪美ちゃんの不意を突く形になってしまった。雪美ちゃんの頬に唾液が落ちてしまう。
「あーん、もったいないよー……」
 指で拭って口に運び、その指を丹念に舐め取る。
「ちゅっ、ちゅぴっ、ちゅーっ」
「…………」
 雪美ちゃんは、俺の唾液を好きになるように強制されているのだ。
 わかっている。それでも自分の唾液がこんなに欲しがられ、あげく喜ばれたりするのは興奮してしまう。
「雪美ちゃん……凄く可愛いな」
「あっ、山崎さん……」
 意識して、雪美ちゃんの背中に腰を押し付ける。股間に響くじんわりとした快感と、雪美ちゃんの恥ずかしそうな顔が、興奮を高めていく。
「ね、山崎さん……」
 雪美ちゃんが真っ赤になりながらも俺を真っ直ぐ見つめる。
「雪美、山崎さんの……ココから出て来るものも、欲しい……」
 その手は、ズボンの上からでも膨らんでいる俺の股間に当たっていた。
 恥ずかしげに、ちら、ちらと俺の顔を見ながら、恐る恐る指を動かしている。
 俺は気がつくと雪美ちゃんの前面に手を伸ばしていた。
「ああ。全部やる。雪美ちゃんが欲しがるものは全部やるよ」
 俺は右手で雪美ちゃんのお腹をさすり、左手で胸のあたりをまさぐる。撫でるように胸全体を撫で、大きさを確かめていく。想像以上に胸は出ており、俺の手に程よい感触を残した。
「ほんと? 嬉しい……。山崎さん、じゃ、じゃあ……いいよね?」
 俺が頷くと、雪美ちゃんが体勢を入れ替えてあぐらをかいて座っている俺の前に正座した。慎重すぎる手つきで、ベルト、ボタンを外し、チャックを下ろしていく。指は震えているが、手つきに迷いはない。
「……恐いか?」
 尋ねると、小さく首を横に振られた。
「……恥ずかしいの。山崎さんにこんなことしてるなんて……本物の山崎さんとこんなことになるなんて、雪美、恥ずかしいよ」
 ズボンを下げやすいように膝立ちになると、雪美ちゃんが俺の前に座りこんでズボンを下ろす。そして、とうとうパンツに手をかける。
「今まで雪美は、こういうことをされても全部命令のせいにしてきたのに、山崎さんは違うんだもん。山崎さんが、俺の責任だ、償いをする、って言うから。雪美も山崎さんのことなんとかしてあげたいって思ったら、な、なんだか指が震えてきちゃって……」
「雪美ちゃんは何も悪くないだろ」
 雪美ちゃんがこうなってしまったのは、主の命令によるものだ。
「山崎さんだって悪くないよ」
 そうだろうか。
 雪美ちゃんをこれから傷つけるというのに、同じ被害者の列に並べるはずがない。
「ほんと、優しいな。雪美ちゃんは」
 こんな状況でも俺を気遣える雪美ちゃんが可愛くて、思わず頭を優しく撫でてしまう。サラサラと指を掠めていく髪の手触りが心地よい。
「山崎さんが優しいから、雪美もドキドキしてるんだよ。あの時だって、雪美のこと、助けてくれたし……」
「あの時?」
「あう、な、なんでも、ない……よ?」
 言葉を尻すぼみにさせながら、そろそろとパンツを下ろしていく。
 俺のモノはすでにカチカチに硬くなってしまっている。
「……すごい、大きいね……美味しそう」
 うっとりと股間を見つめられ、思わずビクンと動かしてしまった。
「あっ、動いた。……ねえ、先に山崎さんの飲みたいんだけど……いい?」
「ああ」
「ほんと? 嬉しい」
 雪美ちゃんがそう言って、亀頭の裏にキスをする。快感と興奮で、また俺のモノがビクッと跳ねた。
「大きいから、全部咥えられるかな……」
 手でしごきながら、亀頭の半分を唇で挟み、先端を舌でくすぐるように舐める。
「んっ……」
 雪美ちゃんが四つんばいになって、俺のモノをゆっくりと飲みこんでいく。雪美ちゃんの小さな唇を一杯に押し開いて、俺のモノが雪美ちゃんの口内を進む。
「んん……んうっ……おほっ、えふっ、ん……」
 苦しいのだろう。時々えづきながら、それでも飲みこむのを止めない。
 根本まで、というのは無理だったが、驚くほど俺のモノをの口の中に収めてしまった。先っぽの方が、喉の奥にコツコツとぶつかっている。
 ゆっくりと顔を引くにつれ、雪美ちゃんの唾液でぬるぬるになったモノが現れてくる。
「けほ、けほ……やっぱり全部は無理みたい。これだけ大きいんだから、きっと、ヨダレよりも美味しいのが沢山出て来るよね……」
 喉をさすりながらも、俺のモノからは視線を逸らさず、まじまじと見つめている。
「いや、入ってるのは袋の方だから……」
 なんというか、こんなことわざわざ言わないでもいいだろうが、訂正せずにはいられない。どうやら雪美ちゃんは竿の大きさで判断しているみたいだが、その部分は言わば通り道でしかない。
「こっち?」
 もにもにと指で弄ばれ、むずむずする。気持ち良いのだが、どうにも落ちつかない。
「じゃあ、山崎さん。いいよ」
 と、雪美ちゃんが俺を促す。
「…………」
 雪美ちゃんが何をしたいのかわからない。
 四つんばいで口を「あーん」と開け、上目使いで見られても。
「……どうしろと?」
「山崎さんの……を、雪美の口に入れて、気持ち良くなって……それで、雪美の口の中で出して欲しいの」
 顔を真っ赤にさせていやらしいおねだりをされるのは興奮するのだが、なにかおかしい気がする。
「これ……は、つまり」
 強制口淫――イマラチオをしろ、と。
 …………。
 …………。
 …………。
 えーと。
「……雪美ちゃん? どうしてそういうことになるんだ?」
「えっ? な、なにか変だった? こうするのが一番気持ち良いって――」
「誰がんなことを――って、一人しかいないか」
 なんつーことを教えこんでんだ、あんた。いや、主。
「うーん……。でも、それだと苦しくないか?」
「苦しいけど、こういうものなんでしょ? 山崎さんが気持ちいいんなら、雪美頑張るよ」
「いや、あまり頑張らなくてもいい」
 偏ってる。雪美ちゃん、その知識は激しく偏っていることを知っているのか?
 俺はその場に座りこみ、手招きする。
「雪美ちゃんのペースでいいから、好きにやってみな」
「でも……。雪美、自分でするの下手だし……」
 指を組んで、組替えて、なにやらもじもじ。
「うー」
 物欲しそうに股間を見つめて、小さく頷いた。
「じゃ、じゃあ、するよ?」
 雪美ちゃんがおずおずと股間に顔を近づけて行き、止まる。
 顔を上げると、俺を睨みつけた。
「山崎さん、横になって」
「あ、ああ」
 なにか気に触るようなことでもしただろうか。心当たりはない。考えつつ、言われるまま横になる。
 ああ、どうせなら――
「雪美ちゃん、お尻をこっちに向けて」
「う、うん……」
 雪美ちゃんが俺をまたいで、ゆっくりと胸元――鎖骨あたりに腰を下ろす。うつ伏せになった途端、股間に快感が生まれる。
「ぴちゃ、ぴちゃ、ぺちゃ……ぴちっ」
 キスのときと比べると、随分とおっかなびっくりな愛撫だ。
 俺はスカートの上から雪美ちゃんのお尻に触れた。
「ひゃんっ」
 可愛い悲鳴がする。
「山崎さん、じっとしててっ! 集中できないよ!」
 振り返った雪美ちゃんに、困り顔で注意されてしまう。
「雪美ちゃんの方の準備もしなくちゃいけないだろ?」
 この後で、俺は雪美ちゃんとセックスするわけなのだから――
「雪美は痛くてもいいから、触らないで!」
 ――う。
 ここまではっきりと拒絶されると、少なからずショックだ。
 いや、確かに俺と雪美ちゃんは本当の恋人同士ではないし、主の命によって一時的にこういう関係になっているだけなのだ。あまり調子に乗らない方がいいだろう、と自分を戒める。
「んっ、はんっ、ちゅぴっ、ぺろぺろ、はあ、はあ……ふんっ、んっ、うにゅ、うみゅ」
 舐めるのをやめ、短いストロークで俺のモノを口に含みはじめた。頭を振っているのが雪美ちゃんの髪と身体が揺れているのでわかる。
 座りながらだと動き辛いのか、雪美ちゃんはお尻を浮かせていた。頭を振るのに連動して、お尻が揺れる。
「…………」
 目の前で、小ぶりなお尻が揺れている。
 一瞬しか触れられなかったが、雪美ちゃんのお尻は柔らかくてふにふにしていた。掌で存分に手触りを堪能したい。
 でも、さわれない。鼻先に美味しそうな桃があるのに、食うなという。
 ……拷問?
 いや、俺がこの体勢でやるように指示したわけだから、墓穴掘ってるだけか。
「んーっ、んーっ、ぷはあっ、はあっ、はあっ、はあっ、れろれろ、はあっ」
 慣れていないのだろう、動きがぎこちない。道子の卓越したフェラチオに慣れてしまっている身では、雪美ちゃんの初々しいフェラチオもそれはそれで良いと思うものの、やはり物足りなさが付き纏う。
 雪美ちゃんの俺のモノを舐めている様子が見れればまた変わってくるのだろうが、これでは焦らされているような気分だ。
「…………」
 雪美ちゃんが頭を振るだけ、お尻も揺れる。
 お尻。
「…………」
 お尻だ。
 ……見るだけならいいよな?
 俺は黒いフレアスカートの端をつまみ、そろそろと持ち上げていく。気付かれないように、ゆっくりと持ち上げ――
「えっ!?」
 思わず声をあげてしまう。それくら驚いた。雪美ちゃんが履いていたパンツは、なんと黒いレースのショーツだった。そしてガーターベルト付き。
「そうかー……大人だな……」
 正直、ビックリした。これはいくらなんでも背伸びしすぎだろう。
「あっ、山崎さん見ないでっ!」
 スカートをめくりあげられていたのに気付いた雪美ちゃんが、スカートを押さえつけ、肩越しに睨んでくる。
「もーっ! どうして雪美のお尻ばっかりいじるの? 一生懸命舐めてるのに、山崎さんはいつまでたっても出してくれないし。もしかして、雪美にいじわるしてるの?」
 一転して、哀しそうな瞳で見つめられてしまい、慌てて弁解する。
「いやいやいや! 違う違うそうじゃない! スカートめくったのは謝る! けど、出ないのは別にいじわるしてるわけじゃないって!」
「じゃあ、どうして出してくれないの?」
 どうして雪美ちゃんはこう答え難い質問をぽんぽん放ってくれるのだろうか。……ああ、ひょっとしたらこれが純粋ってことなのかもしれない。俺、汚れてる。
「それは……まあ、刺激が足りないから、だな」
「ええっ!? あんなに舐めても駄目なの? それじゃ雪美、どうすればいいのか分からないよ……。山崎さんお願い、雪美、早く欲しいよぉ」
 いや、お願いされても出ないものは出ないのだが、そこら辺のことが分かっているのだろうか。
 ひょっとしたら、今までは何でも命令されるがままに動いてきたから、自分からはどうすればいいのか分からないのかもしれない。
 雪美ちゃんに舐めてもらうのは気持ちいいけど、ここは雪美ちゃんのために急ぐことにしよう。
「幸美ちゃん。それじゃあ口じゃなくて、手を使ってくれないか?」
「手? 口の方が気持ちいいんじゃないの?」
 それも場合によりけりだと思うが。
「口だけがいいってわけじゃないぞ。雪美ちゃん、口でするの慣れてみたいだしな。手でした方が良さそうだと思たんだけど、どうだ?」
「うん……わかった。それじゃあ山崎さん、膝立ちになって。この体勢だと握り難いの」
 言われて膝立ちになると、幸美ちゃんが俺のモノを両手で握った。
「これで……擦ればいいの?」
「そうだな。もう少し力入れて握ってもいいぞ」
「これくらい?」
 きゅっ、と股間に加わる圧力が高まる。
「ああ、丁度いい。そのまま上下に手を動かして」
 幸美ちゃんは握るというよりも手で覆っている、という感じだ。明らかにおっかなびっくり触れていて、手ですることに慣れていないのが伺える。
 雪美ちゃんの唾液が潤滑油になり、スムーズに俺の者がしごかれていく。

 ニュル、ニュル、ニュチュ、ニュル、チュク、ニチュ――

「ふう、ふう、ふう……はあ、ふう、ふう」
 手が擦れて唾液が音を立てる。雪美ちゃんの少し大きな吐息。静かな室内で、小さな音がいやに艶っぽい雰囲気を出している。
「雪美ちゃん、もっと唾液を垂らして滑りをよくして」
「うん。ん……」
 雪美ちゃんの唇から、透明な糸が俺のモノに降りかかる。手で擦られて、俺の竿に塗り広げられ、テラテラと照明の光を反射している。
「あ……透明なのが出てきた……ぺろっ」
 味わうように、口の中で舌をもごもごと動かす。
 そして、笑顔。
「美味しい……。山崎さんの、やっぱり美味しいよ……。ねえ、もっと出して?」
 輪をかけて一生懸命に俺のモノをしごき出す光景に、ゾクゾクする。
 ――もっと、この感覚を味わいたい。
「雪美ちゃん、エッチなことを言ってくれ。そうすれば早く出る、かも」
「エッチな、こと? ええっ? 雪美、恥ずかしいから駄目だよ」
「だったら、俺の質問に全部頷いてくれるだけでいい。それならいいだろ?」
 雪美ちゃんが、少し迷ってから、頷いた。
「……うん、いいよ」
「雪美ちゃん。雪美ちゃんは、俺の精液が飲みたいんだよな?」
「うん」
「俺の精液は好き?」
「……飲んでみないとわかんないけど、きっと好き、だと思う」
 恥ずかしいのだろう、伏し目がちになって頷く。
「雪美ちゃんはエッチな女の子なんだよな?」
「ち、違うよっ! 今は――」
「頷くだけでいいから」
「……うん」
 慌てて説明しなくても、俺が充分に理解していことは知っているだろうに。
 俺の顔を見ないようにして、奉仕する手の動きに集中していく。そのせいか、さっきよりも手のスピードが上がっているような気がする。
「じゃあ、エッチな雪美ちゃんは、いっつも俺の精液飲みたいって思ってるんだ」
「う、うん」
「口の中が一杯になるくら出してもらわないと満足できない?」
「うん」
 雪美ちゃんの手の動きが大きくなってくる。
「くっ」
 カリの部分を容赦なく擦りあげる掌が、大きな快楽の波をつくっていく。
「俺のを触ってるだけで、パンツが濡れてくる?」
「う……ん」
「そうか、雪美ちゃんがパンツに触ると怒ってたのは、もうびしょびしょに濡れちゃっていたからか?」
「うん」
 雪美ちゃんが頷くたびに、いやらしい雪美ちゃんが空想によって創られていく。
「こんなにエッチな女の子だったなんてな。知らなかった。それじゃあ、これから毎日俺の精液飲ませてあげないといけなくなるかもしれないな。雪美ちゃんは毎日でも飲みたいか?」
「うん、飲みたい……」
 雪美ちゃんが、顔を上げた。
 顔を真っ赤にして、潤んだ瞳で俺を見上げている。
「は、早く出して……。雪美、もう我慢できないよ……。さっきから我慢してたのに、山崎さんがそんなことばっかり言うから悪いんだよ? ねえ、山崎さんの美味しい白いの、早くちょうだい……! 今すぐ飲みたいの。ねえ、早く出して……!」
 視覚と聴覚からくる興奮が加わり、雪美ちゃんの手の動きが更に早くなって、一気にこみ上げてくる。
 雪美ちゃんが、亀頭の部分を咥えて舌で激しくねぶった。
 そうして指が唇の部分まで登っていったとき、限界が訪れた。
「雪美ちゃん、出るぞっ!」
「んうっ!?」
 思わず雪美ちゃんの頭を掴み、喉の奥へと突き込んでしまった。

 ――ドクンッ

「ぐっ……! おうっ、んうっ」
 雪美ちゃんがむせているのも構わず、喉の奥で精を吐き出していく。

 ――ビュクビュクッ、ビュビュッ、ビュッ、ビクッ、ビクッ

「ふう……」
 射精して、軽い脱力感に見舞われる。
「ん……」
 雪美ちゃんが顔を引いて、口の中から俺のモノを出した。頬を膨らませて、口の中を動かしている。味わっているのか、ニチュニチュという粘ついた音が漏れる。
「んく……ん……」
 舌で転がしながら、少しずつ嚥下していく。
「んく……んく……ぷは」
 全て飲み込んだのか、口を開いて大きく息を吸い込む。
「美味しい……やっぱり思った通りだった。すっごく美味しかったよ、山崎さん……。あ……まだついてる……ぺろ」
 元気のなくなった俺のモノを指で持ち上げ、舌で綺麗にしていく。
「ぺろぺろ……ちゅっ、えぅ……まだ残ってないかなあ……ちゅーっ」
「ううっ!」
 ストローでを吸うように、穴の中に残っている精液まですすり出している。強すぎる刺激に、早くも元気になってきた。
「あ……大きくなった……これでまた美味しいのが飲める……」
 まるで夢を見ているような、もしくは熱に浮かされているような、ぼんやりとした呟き。
 なんだか雪美ちゃんの様子がおかしい。
「ゆ、雪美ちゃん?」
 雪美ちゃんの肩を叩き、顔を上げさせる。
「なあに? 山崎さん」
 そう言って微笑む雪美ちゃんの笑顔は、楽しいから笑っているものじゃない。陶酔している顔だ。
 雪美ちゃんは俺のモノに手を伸ばし、未練がましく手のひらで圧迫してくる。
「山崎さん……雪美ね、もう一つ欲しいものがあるの……」
「くっ」
 じわじわと手に力を込めて、おねだりしてくる雪美ちゃん。
 ……また調子に乗って失敗したか?
 内心呟き、こめかみから冷や汗が一筋、つうっと垂れていく。
 雪美ちゃんは衝動の赴くままに求めている。
 俺が雪美ちゃんを追い詰めてしまったからだろうか。
「なにが欲しいんだ?」
 あまりよからぬ答えが待っている気はするが、とりあえず訊いてみる。
「もう一つあるよね? ここから出て来るモノ……」
 股間に指を絡めたまま、親指で亀頭の裏筋を擦り上げられる。なんだか急に指使いが巧みになってきた。
「なにか……あったか?」
 俺の見下ろす視線は、彼女の瞳の中に吸い込まれている。お互いを見つめているのに、互いの視線は交わっていない。
「あるよ」
 雪美ちゃんは、俺を見つめながらも、俺へと意識を向けていなかった。
 舌なめずりをして、裏筋をつつーっと舌でなぞってから一言。
「おしっこ」
「……え?」
 何か言われたような気がするけど、きっと聞き違いだ。
 俺は何も聞いてな――
「山崎さんのおしっこ、ちょーだい」
「ぶっ!」
 思わず噴き出してしまった。二度目のお願いが、強引に俺に言葉を認識させる。
「逃げちゃ駄目だよ」
 後ずさりはじめた俺に素早く気付き、両腕を腰にまわして俺の下腹部に抱きついてきた。
「逃げたら、このまま山崎さんのおチンチン、噛みきっちゃうよ? 雪美、山崎さんの血も飲んでみたいんだから。でも、そうしたら山崎さん死んじゃうでしょ? 山崎さんから美味しいのが出なくなっちゃうでしょ? だから、まだおしっこで我慢するの」
「ひぃ――」
 俺は雪美ちゃんの瞳を見て、絶句した。
 マジだ! この目は絶対マジだ!
 なんだろう、この感覚は。抱いていた可愛い怪獣のぬいぐるみが実は本物で、しかも人食いでした、なんてのに近いだろうか。
 とにかく一番問題にしなければならないのは、雪美ちゃんが言った『まだおしっこで我慢するの』という言葉の『まだ』だ。非常に引っ掛かる物がある。というか引っ掛からない奴は危機感が無さすぎる。
 これはどう行為的に解釈しても――いつかは噛み切りたい、ということだろう。
「うふふ……」
 うっとりと股間に顔をうずめられても、恐いだけだ。
 お……おっかねえ……!
 ガキの俺でも子供扱いしてしまうような子に、これまで生きてきた中で最高の恐怖を与えられている。マジで泣きそうだ。
 だ、誰でもいいから、助けてくれ……!
 まさに藁をも掴む想いで祈った。
 その誰かは、俺の必死の願いを聞き入れてくれた。

 ゴガガガガンッ!

 誰かは加減というものを知らないらしかった。
 背後から、連続する大きな爆発音。
「うおっ!?」
 危ない――それだけの思いで、雪美ちゃんを押し倒して爆発から守るように覆い被さる。とっさに身体が動いたが、そのおかげで俺は人生最大のピンチから脱出することに成功した。
 ありがとう、どこかの誰か! ……次があるんなら、もうちょい静かに応えてもらいたい。
「あん、山崎さんのいじわる……」
 俺のモノを舐められなくなったのがそんなに残念なのか、胸の下から拗ねるような声。
「そんな場合じゃないだろ!」
 俺の背中にパラパラと何か細かいものが降り注いでいる。衝撃で粉々に砕かれた建材だろうか。雪美ちゃんの上からどくと、急いで足首に絡まっていたパンツとズボンを引き上げる。
「いやあ。山崎さん、まだしまわないで……」
 駄々をこねるように、潤んだ瞳でベルトを締める俺の腕にすがりついてきた。
「わかった! 安全な場所についたらいくらでもやる! いいからここを逃げるぞ!」
 近くでの爆発は最初だけだったが、そう遠くない場所で爆発音が立て続けに起きている。まともな思考ができるなら、危険がすぐ側にあることくらいは理解できる。まずこの場所から出るのが先決だろう。

 ドガンッ!

「くっ!」
 今度の爆発はさっきの数倍は大きかった。室内を揺らすほどの大きな振動に、俺たちのいる場所にまで爆風が届く。かばっている雪美ちゃんの髪が大きくたなびいたのが見えた。
 風が収まり肩越しに降りかえると、今の結果であろう爆煙がもうもうと舞っていた。
 室内に広がりかけていた爆煙は、爆発跡である壁の穴へと吸いこまれていく。
 と、まだ煙の濃い中から飛び出してくる二つの人影。
 煙を振り払い、最初に姿を現したのはなんと主だった。後ろを振り返りながら、こちらへと高速で飛翔してくる。
 次に煙の中から出現したのは――赤毛をなびかせて同じく飛翔する、見覚えのある少女。
 名前も知っている気がする――リトラル、だったか。
 主は俺の前まで来ると、床に着地、リトラルの視線から俺たちを遮るように向き直る。
 リトラルは五メートルほど離れた場所に着地すると、肩を軽く払って前髪を両手で掻き揚げた。
「山崎殿の元へと案内、ご苦労だった」
「Snap!」
 返答とばかりに主が右腕を突き出し、指を鳴らす。

 ギィン

 硬い物がぶつかり合う音がしたかと思うと、両脇の本棚がリトラルの胸の高さの位置から倒壊した。次々に本棚が倒れる音が続き、気がつくとリトラルから背後の本棚が全て崩れているのだった。
 背後を振り返り、リトラルは不愉快そうに鼻を鳴らす。
「館内の施設を破壊する行為は慎め。それに、蔵書の破損させることも、だ。……単なる嫌がらせのつもりなら、随分とつまらない真似をするものだな? 物質支配はおろか、空間干渉まで権限を奪われていたことについては、素直に驚かされたと言っておくが――」
「驚かされた? 俺が権限を拡大していく様子を、何も出来ずに指を咥えて見ていただけだろう? このままなら、館長の座を手に入れるのもそう遠くはないね。今のうちに大人しく俺を館長と認めるのなら、特別な計らいをしないでもないけど……どうする?」
 対するリトラルは、小さく鼻で笑って半眼で告げる。
「冗談にしてはセンスの欠片もないな。本気で言っているとしたら、その愚かさに同情してしまう」
「……人形の親玉も、所詮は人形か。いっそ殺してくれと願うような所業がお好みかな?」
「三点だ。脅し文句すらアイデンティティーの欠片も感じられない。知性を磨いて出直して来い」
 二人の間で、緊張が高まっていく。一触即発の張り詰めた空気が満ちている。
「……めちゃくちゃに、壊してやる」
 主が頭に血を昇らせていくのが、声のトーンからはっきりと察せられた。対するリトラルは、口元に余裕の笑みを浮かべ、腕組して棒立ちだ。相手の出方を待てるほどの余裕があるのだろうか。
「三下ごときに、出来るか?」
 どうやら主とリトラルは敵対しているようだ。
 どうして二人が争わなければならないんだ?
「山崎さん……ねえ、もう少し欲しいの。山崎さん、ちょうだい? ね? ちょうだい?」
 そんなやり取りがすぐ横であるにも関わらず、雪美ちゃんは俺のモノを口に咥えることしか頭にない様子だ。
 状況が状況だけに、主に助けを求められそうにもない。
 当の主は、リトラルに向かって不敵に笑ったところだった。
「そういえば、俺がここに案内した、とか言っていたね。そんなことはないさ。この場に、拓真と雪美のいる場所に誘い出したんだよ」
「ふむ?」
 リトラルが馬鹿にしたように顎を指で撫でながら、口を挟む。
「大方、山崎殿を盾にするとか、雪美を利用して『朝日を呼ぶ書』の力を使うとか、だろう?」
「わかっていてついてきたのかい? 馬鹿だねえ」
 くっくっ、と喉の奥で笑うと、主が命令を告げた。
「拓真。あいつを足止めしろ。殺すつもりで殴りかかれ」
「……はい」
 不承不承、俺は頷く。リトラルと敵対するなんて、俺には考えられないことだ。だが、それでも主は俺の主だ。命令には逆らえない。
「山崎さん……行かないで。雪美にちょうだい、なんでもいいの。我慢できないよぅ……」
 立ちあがろうとする俺を、雪美ちゃんが涙目で俺に抱きついてくる。
「雪美ちゃん、我慢してくれ」
 一瞬躊躇して、俺は雪美ちゃんに口付けし、唾液を送る。自分のモノをついさっきまで含んでいた口内に舌を入れる嫌悪感を考えれば、一瞬しか迷わなかったのは褒められるだろう。
「……ぷぁ」
 唇を離すと、雪美ちゃんの腕から力が抜けた。ぼんやりと俺を見つめる雪美ちゃんを視界から追い出し、中央にリトラルを据える。
「ちゃんと相手をしないといけないからね。そうしないと、拓真の舌を噛みきらせるよ?」
 全身が総毛立った。どうして俺はこんな男を主として受け入れ、頭を垂れていられるのだろうか。自分の忠誠心の高さにうんざりしてしまう。
「下衆、だな」
 リトラルが主を見る。睨むでもなく蔑むでもなく、ただ淡々と主を見ている。
「行け」
「はい」
 主の掛け声で、俺は拳を握って突進していく。
「接続、前方を見据える憧憬――」
 そんな主の声が聞こえた。リトラルが言った通りなのだろう。主は雪美ちゃんを操って、『朝日を呼ぶ書』の力でリトラルと戦わせるつもりだ。確かにあの書の力なら、リトラルがどれだけ常識はずれの強さを持っていたとしても、必ずそれを上回る力を持っているだろう。
 俺がこのままリトラルと戦い続けるなら、間違いなく彼女にとって不利に働く。
「ふっ!」
 息吹と共に牽制のジャブを放つ。
「なっ――」
 当てるつもりが無かったのは確かだが、リトラルが微動だにせず拳を見送っていたことに驚いた。
 間合いを取って、尋ねる。
「攻撃しないつもりか?」
「いや。動く必要がなかっただけだ」
 ということは、最初から見切っていたということか。とんでもない奴だ。
 フェイントを織り交ぜ、足を軽く上げ、肩を動かし――リトラルのふくらはぎを狙ってローキックを繰り出す。が、小さく一歩引いただけで俺の蹴りはギリギリのところでかわされる。
 空振りした足が床に接地すると同時に、左足で地面を蹴り腕を折りたたんで回転。勢いを乗せたバックブロー。
 空振り。
「ちっ」
 間合いからギリギリのところで棒立ちになっているリトラルを見送るしかなかった。
 とんでもない目を持っているようだ。これではフェイントは意味が無い。
 少し離れて間合いを取り直し、真っ向からの打ち合いをする覚悟で突っ込む。
「ひゅっ」
 左拳で軽いジャブの二連打。
 無造作に差し出されたリトラルの手で拳を横に押され、軌道が外される。
 まだわずかに打っただけだが、実力差は圧倒的であることを実感していた。まるで勝てる気がない。にも関わらず、リトラルがこの場に残っているのは、間違いなく俺をかばってのことだろう。
 舌を噛みきるなんて、御免だが――
「俺のことは気にしなくていいから、逃げろ」
 右ストレート。空振り。
 俺は攻撃し続けるしかないが、リトラルは俺を置いてどうとでも逃げられるだろう。犠牲になるよりも、犠牲を作る方が我慢できない。
「逃げろ?」
 眉をひそめた顔が瞬時に消えた。懐に潜りこまれた、と理解した瞬間何かをされた。
「ごはっ――!?」
 何をしたのかは、見えなかったのでわからない。
 ただ、俺は腹に受けた突き抜けるような重い衝撃に、よろめいて腹を押さえてしまっていた。腹筋は絞めていたのだが、そんなものはまるでおかまいなく内側に響く一撃だった。
「山崎殿、私は怒った」
 リトラルは一瞬のうちに間合いを詰め、俺の目の前に立つ。
「何もせずに、諦めると言うのか? それとも自己犠牲に酔っているのか?」
 衝撃に視界がブレ、世界が真っ白になる。
 ……あ? 頭にもらったのか?
「くっ!」
 両腕を伸ばしてリトラルの肩を掴み、膝打ち。
「一つ、山崎殿に教えておこう」
「っ!?」
 膝に鈍い感覚。避けられたわけでも、まともに当たったわけでもない。打点をずらされたのかなにかわからないが、くの字になったリトラルの背中に邪魔されて俺の膝がどうなっているのかわからない。
「館長にもっとも必要な素養は、諦めない強さだ」
 軸足を払われ、俺の体が一瞬宙に浮く。
「くっ!」
 受身を取るが、リトラルが追い打ちに足を持ち上げているのが見える。
 全身を緊張させ、次の一撃に備えた瞬間――
 ――リトラルが吹っ飛んでいった。
「な、なんだ?」
 立ちあがろうとしているところに、雪美ちゃんが俺の横に歩み出していた。
「先ほどは、ご迷惑をおかけしました」
 その右手には本が、そして左腕には鎖が巻き付いている。
 どこかで見た覚えのある、無表情で平坦な口調の雪美ちゃんが立っていた。
「これで、もうそっちの勝ち目は無くなったね」
 俺と雪美ちゃんの背後で、主が余裕の笑みを浮かべてリトラルを見下していた。
「書を持っていれば命令は受けつけない。だが、先に命令をしてから書を持たせたとしても、先に植え付けた命令は消去されない。お前が余裕を見せつけていたのは……俺が知らないとでも思っていたからかな?」
 からかうように笑う主。
「いいや。そんなことではない」
 リトラルが、身体を起こしながら告げる。その言葉に、怪訝そうに眉をしかめる主。
「根本的な問題だ。それに気がついていたのなら、こんなことにならなかった」
 身体についた埃が気になるようで、手で払いながら、お前の相手よりも重要なのは自分の身繕いの方だ、と態度で表わしながら続ける。
「私は不思議でしようがない。お前は何故、私と対等か、それ以上の力を得たと思っている?」
「なに?」
 主にとって意外な言葉だったのか、鸚鵡返しに訊く。
「館内での傍若無人な振舞い。問題ではないといえば嘘になるが、さして業務に差し障るものでもなかったため、これまでは見過ごしていた」
「ふん。俺を捕まえられなかっただけだろう?」
 ただの負け惜しみと判断しているのか、主は嘲るような調子でリトラルの言葉を一蹴する。
「だが。館長候補に――山崎殿を巻き込んだ時点で、私は後悔した。もっと早く、この問題を処理しておけば良かったと」
「……偉そうな口振りも聞き飽きたよ。やれ、雪美!」
 主の号令に、雪美ちゃんが素早く左腕を振るう。
 銀の軌跡がリトラルに襲いかかる。
 が。

 ビギギギギギッギッギギッ

 鋭い刃と化した鎖は、リトラルを貫こうと胸の真ん中で止まる。鎖は前進しようとしているようだが、見えない壁に阻まれているかのように近づけない。
「悪あがきを……Snap!」
 主の指が、パキン、と良い音で鳴り――
「ぐっ」
 ――均衡が崩れ、鎖がリトラルを貫いた。
 主と雪美ちゃんの攻撃を同時には防ぐことができないようだ。
「ぐぶ……ごぼっ」
 リトラルの口から、鮮血が溢れ出る。顎を真っ赤に染めながらも、リトラルは決して足を折ることはなく、主へと視線を向け続けている。
 俺はリトラルの痛々しい姿を直視できず、目を逸らしてしまう。
「ごぼっ、ごほっ、げぶっ……ぐっ」
 びしゃびしゃと床に液体が撒き散らされる音。それだけで俺は足が震えてくるのを止められなかった。
「やまばぎ――ごほんっ。山崎殿、私を見ろ。館長候補ともあろうものが、誰か一人傷ついたくらいで知ることを拒むな。知ることに貪欲たれ。常に目を向け、耳を澄ませろ。あらゆる知識を積み重ねてこそ、新たな可能性を見出すことが出来るのだ」
 まるで自分は傷ついていることすら気付いていないように、苦しげな態度一つ見せず語りかけてくる。
「俺は……館長になんてなるつもりはないって言っただろ」
 しかめっ面をしながらも、俺はリトラルを睨みつけた。傷つきながら、自分を見ろと言うのだ。理由も意味もなにもかも分からないが、リトラルに対してしてやれることが見るしかないなら、見ないわけにはいかないだろう。
 リトラルは俺から主へと視線を移した。そうして、ようやく瞳に力が篭もりはじめる。
「誰かを傷つけるなら、傷つけられる覚悟をしなければならない。極めてシンプルだろう? 怒りを、憎しみを、苦しみを、与えられたなら、与えられた分だけ与え返したいと思うのは、誰でも同じことだろう。当然、私とてその類に漏れない。山崎殿がやって来て以来、私にはこれほどの感情が眠っていたことを思い出させられるばかりだ」
 小さく口元を歪めて、視線を交わす二人が同じように笑う。
「まだ余裕があるなあ。もう少し風穴を増やしてみようか――雪美?」
 雪美ちゃんが左腕を引くと、銀の鎖はその動きに大きく反応する。
「Snap! Snap!」
 パチン、パキンと主が指を鳴らすたび、リトラルの周囲で衝撃音が鳴り響く。その音をかいくぐるように銀の鎖が縦横無尽に走り、リトラルを傷つけていく。
 一つ一つが致命傷にもかかわらず、リトラルはその場から微動だにせず、甘んじて攻撃を受けつづけながら口を開く。
「私が怒りを覚えているのは、何もこうして傷つけられているからではない。私怨には違いないだろうが、私はただ一の点を除いてお前の行動を咎めようと思ったことはない。その一点とは何か。それは――山崎殿をお前の欲望に巻き込んだことだ」

 ズズン……

 館内が揺れた。
 揺れは小さいが、確かに室内が揺れているのが実感できる。
「雪美」
 主の言葉に、雪美ちゃんの攻撃がピタリと止む。
「なんのつもりかな? この程度の揺れで、俺がどうにかなるとでも思っているのかい?」
「いいや」
 リトラルが静かに首を横に振った。

 ズズズズズズ……

 揺れが次第に激しくなってくる。
「おっ……くっ……」
 立っていられなくなり、本棚に持たれかかる。
 あちこちの本棚から、バサバサと本が落ちていく。
「館長代理権限により、館長不在時における最高責任者は館長と同等の権限を手に入れられる」
「な、に?」
「『明日への道標』へ接続。館長代理名、リトライ・トライアル」
 リトラルがそう告げた瞬間、主の顔色が変わった。

 ズズズズズズズズズズズズズズズズズズズズズズズズズズズズズズズズズ!

 激しい縦揺れに、もはや立っていられなくなる。主と雪美ちゃんは宙に浮いているようで、揺れをなんとも思っていないようだ。
 主が何か叫んだ。だが、館内全体が振動して出す音がうるさくて、何を言っているのか聞き取れない。
 主の呼びかけに忠実に応えているのだろう、雪美ちゃんは書から爆炎を呼び出し、リトラルへとぶつけた。少し後ろにいるにも関わらず、全身が焼けついてしまうような熱波に襲われる。逃れようにも、揺れに翻弄されないよう耐えるのがやっとの俺には、離れることもできない。
 そんな揺れの中でも、リトラルの姿だけは何故か確認できる。
 そして、リトラルの声もまるで耳元で告げられているかのように、はっきりと聞き取ることができた。
「館長権限『天意』施行」

 ―――――――――

 例えるなら、さっきまで寝ぼけていた頭の中が、すうっと冴え渡る感覚。
 まるで夢を見ていたかのように、ある境を区切りに自分が自分だと理解できる。
 まさに一瞬前までの自分は偽者だったのだ。
 心が自由になった。

 ズズズズ……

 揺れが次第に小さくなり、やがておさまる。揺れに翻弄されて尻を何度も打ったせいか、すこし痛む。
 本棚から本が飛び出し、廊下一面の床に本が散らばっていた。
 俺はようやくまともに立ちあがって、天井を見上げた。
 今までの自分の行動を思い返す。
「……ははっ」
 思わず笑ってしまった。
 笑わずにはいられない。なんという茶番だったのか。
 見事な俺の道化っぷり。素晴らしい。最高だろう。こんな面白いことをさせられては、笑うのを止めることなんてできない。
「くそっ、館長代理が館長権限を使えるなんて……!」
 主が――いや、どこの誰かも知らない糞野郎が何やら悔しがりながら本棚に八つ当たりしている。
「雪美!」
 男が雪美ちゃんに攻撃を指示した。だが、当然雪美ちゃんは動こうとしない。醒めた視線で男を見つめるだけだ。
「お前の命令は消去した。そしてもう、お前の命令は受けつけない」
 息を飲み、はっとしてリトラルを見る。
「なっ……ん、だと?」
「言葉の通りだ」
 さきほどまで血だらけだったはずのリトラルが、全身健康体に新品同様の服装で、告げた。
「だっ、雪美は『朝日を呼ぶ書』を持っているんだぞ! そんなわけが――」
「放浪大図書館の館長が得られる権限だ。放浪大図書館内にいる限り、館長に不可能はない。……だから言っただろう、根本的な問題だと」
「ひっ」
 全身を震わせ、悲鳴を上げた。一歩、こちらに踏み出しただけのリトラルに対して、敏感すぎるほどの反応を見せる。
「いつでもどうにでも出来た。だが、そこまで労力を割く必要性も感じていなかったので、今まで放置していた。私がお前ごときにどうこうされるということは、断じてありはしない」
 リトラルの淡々とした説明に気圧されたのか、つい今説明されたことも忘れて命令を下す。
「拓真! 雪美! 俺を守れ!」
「…………」
「ははっ」
 雪美ちゃんは相変わらず、冷たい目をしている。
 俺は鼻で笑って肩を竦めて見せた。男に合わせて程度を低くする必要もない。この男に対しては、仕返しすることすら幼稚に思えてしまう。
「くそっ! なんでだよ! もう少し、もう少しで俺は館長になれたはずなんだ! 放浪大図書館を手に入れて、世界すら俺の思い通りに動かせるはずだったのに……!」
「何を以って、もう少し、と評していた?」
 リトラルは、一歩ずつ、ゆっくりと足を踏み出していく。
「ちっ、近づくな!」
「なっ!?」
 男は雪美ちゃんを抱き寄せ、首に腕をまわした。
「近づくなよ! 近づいたら、首をへし折ってやる」
 雪美ちゃんを抱えたまま、じりじりと後退していく。
 ここまで来て、なんて往生際の悪い!
「待て! 雪美ちゃんをはな――」
「お前も動くなっ!」
 腕を伸ばしかけた俺を見咎め、威嚇するように雪美ちゃんを見せつけられては、これ以上動くことはできない。
「山崎殿、安心しろ。もうじき決着はつく」
 リトラルが動くな、と目で告げていた。何か手があるのだろうか。
「おい、雪美。『朝日を呼ぶ書』を渡せ。お前が俺に攻撃意思を持ったらすぐ分かるんだからな。どうにかしようなんて考えるなよ」
 ゆっくりと後退しながら、雪美ちゃんが抱えている書に手を伸ばす。
「だ、駄目、です」
 苦しそうに顔を歪めながらも、書を抱きしめたまま手放そうとしない。
「……殺してから奪いとってやってもいいんだぞ。渡せ」
 そうすれば『朝日を呼ぶ書』が使えないお前は、人質がいなくなるだろうに。そんなことも考えつかないのだろうか。
「やめて。お願い、やめて……」
 小刻みに震えるように、首を横に振っている。
 苛立ちながら、書を強引に引っ張り出した。
「渡せ! どうせお前にはなにもできないんだぞ!」
「やめて!」
 雪美ちゃんが腕の鎖を握り締めながら、叫んだ。

「――兄を、殺さないでください!」

 ヂャラララララッ

「……あ?」

 ドシュッ

 鮮血が、飛び散った。
 鎖に絞めつけられ、一瞬で細切れになった人間の形をしていた物体が、ボトボトと床に落ちる。
「う、うわああ。あああああ、ああああああ!」
 自由になった雪美ちゃんは、糸の切れた人形のようにそのまま膝をつき、言葉にならない声を漏らし続けている。
 床に赤い染みが広がっていく。
 凄惨な瞬間と、周囲に立ちこめる生臭い臭気。
「う……ぐっ、ゲエッ」
 異の中からこみ上げてくるものを堪える余裕もなく、その場に吐き出してしまう。
「やれやれ……後片付けが大変だな」
 リトラルが俺の側まで歩み寄り、背中をさすってくれた。
「うぐ……悪い」
「気にするな。無事に山崎殿を保護できたのだから、それ以上望むこともない」
 俺は吐き気がなくなるまで戻し続け、その間雪美ちゃんの嗚咽が止むことはなかった。

「落ちついたか?」
「ああ、まあな」
 シャワーを浴び終えた俺は、バスタオルで頭を拭きながら、ベッドに座っているリトラルに頷き返した。
 ここは、俺にあてがわれているいつもの寝室だ。
 あの場にいても、俺は吐き続けることしかできなったし、雪美ちゃんが全身に、俺も結構浴びてしまった返り血の処理もしなければならなかった。どこでも良かったのだが、俺が一番落ちつく場所、とういことでこの寝室に移動することとなった。
 雪美ちゃんは自室へシャワーを浴びに行っている。後で来るとのことで、雪美ちゃんもなにやら話したいことがあるようだった。
「色々説明してもらいたいことがある」
 俺は、リトラルの真正面に立ち、挑むような目つきで見下ろした。
 対し、リトラルは小さく「ふう」と嘆息。
「わかった。答えられる限り、山崎殿が理解するまで説明しよう。立ち話には向かない。座ったらどうだ」
「ああ」
 俺はリトラルの横に座り、腕組みする。
 あまりに分からないことが多すぎて、胸がムカムカする。……これは、戻しすぎのせいかもしれないか。
「まず、一番訊いておきたいことがある。……あの男の名前はなんなんだ?」
「名前はない」
「嘘をつくな」
「本当だ。だが、元になった人格の名前なら、教えられる」
「その名は?」
「牧原進吾」
 想像通りの名前が出てきたことに、やはり、と思う反面、そうでなければ良かった、と落胆してしまう。
「……やっぱり、あいつは死んだのか」
「いいや。現実の牧原進吾は死んでいないし、放浪大図書館で職員として働いている牧原進吾も健在だ。アレは……そうだな、言わば残留思念の類と思ってもらえばいいか」
「残留思念? なんだそりゃ」
「一言で言い表すなら、焼き付いた記憶。物品、もしくは空間に残る人の意思を言う。アレはまさに、放浪大図書館にしがみついた欲望だ。どうしてそんなことになったのか。何故ならば、牧原進吾は山崎殿の前に館長候補として放浪大図書館で長い時間を過ごしていたからだ」
「なんだって!?」
 驚いた。まさか、こんな身近に放浪大図書館と関わっている人間がいるとは、思いもよらなかった。
「放浪大図書館での生活によって果てしなく大きく強くなった欲望は、試験落第により放浪大図書館より追放される際に離れることを拒み、結果として思念体となって残り続けた。館長候補時に与えられていた権限を失わなわずに。……こういった事態には前例がなく、原因追求のため処置を保留していた。まさかアレに『明日の道標』へ介入し、私の権限をいくつも奪えるほどの知識があったとは、思いもよらなかったのだ。あげく山崎殿を館外に連れ出されては手を出す術もなく、網を張ってアレが罠にかかるのを待つことしか出来なかった。すまない、山崎殿。今回の事件に関しては申し開きすることもできない。全て私の罪だ。許してくれ」
「……いいけどよ」
 本当はいいわけがない。思いつく限りの暴力的な苦痛で報いてもらう、とまで考えている。だが、リトラルの責任と言われて素直にわだかまりをぶつける気にはなれない。
 悪いのはアイツ――進吾の残留思念とかいうやつで、それももう死んでしまっている。どこにも怒りも泣き言も、向ける相手がいないのでは俺が持ちつづけるしかない。
「それで、進吾はどうしてあんな姿になってたんだ?」
「思念体に形など存在しない。おそらく、あれは牧原進吾の願望の現れだ。外見を良く見せたい、という。それも一つの欲求、欲望と言える」
「そうか……」
 目の前でああも生々しい死の瞬間を目の当たりにしたショックは大きい。そしてその人物が顔見知りだったということも大きな要因だ。例え姿形が違っていても、現実の進吾にはなんら影響はないにしても、この放浪大図書館で一個の存在だった牧原進吾は死んだのだ。
「リトラル。放浪大図書館での死は、どうして現実とは無関係なんだ?」
「ここで働いている従業員は、全員が記憶でしかない。記録、と言い替えた方がいいな。現実に生きる人物のあらゆる記録から人格、身体をシミュレートし、具現化している。シミュレートとは、あくまでも予測でしかなく、精神の表層部分になるほどズレが発生してしまう。その人物の最も強い想いが性格に反映されてしまうため、実際の人物と比べて人格に差異が生じているように感じるだろうが、深層部分、持っている想いは同じ、ということだ。少々脱線したな。つまるところ、記録の具現体をいくら壊そうと、記録が残っている限り不滅。そして、記録とは無関係な実体にも当然影響は出ないということだ。理解できたか?」
「ああ……じゃ、進吾は生き返らせることは無理ってことだな」
 あいつはその存在自体が記憶だったのだから。
「生き返らせる? ……山崎殿はあの思念体の死に対し、同情しているのか?」
 同情?
 言われて俺はようやく自覚した。
 俺はあいつに同情している。
 死んだことも当然そうだが、それよりも別の部分だ。
 押さえきれないほどに膨れ上がった欲望に翻弄され、自分の意思すら欲望に支配されてしまったことについて。
 誰もが固い意思を持っているわけではない。それは俺も同じだ。
 それが、突然小さな国の王様に据えられ「貴方の命令は国民全員が絶対服従します」と言われては、自分を押さえ続けるなんて無理に決まっている。
 あいつの姿は、明日の自分だ。
 命令され、俺は道子と関係を持ち、雪美ちゃんともその寸前までいった。あの時、俺は確かに喜んでいた。楽しんでいた。ちょっと背中を押されただけで、坂道を転がり落ちるように欲望のおもむくままに女を抱き続け、支配することに酔っていた。
 そういう自分がいることを、思い出す度はっきりと理解できる。
 後悔の海に沈んでいくのを止めるように、ノックの音がした。
「入ってくれ」
「失礼します」
 入ってきたのは雪美ちゃんだ。さっきと同じタイプのメイド服姿だが、当然血痕なんてついていない。泣いたのだろうか目が赤く少々腫れぼったい。それ以外に、惨劇を引き摺っている様子はどこにも見当たらなかった。
 手には鎖の巻かれた分厚い本『朝日を呼ぶ書』を持っている。
 真っ直ぐリトラルの前まで歩み寄ると、一礼して書を差し出した。
「リトラル様。お返しします」
「どういうことだ?」
 目の前の書には見向きもせず、問う。
「しばらくの間、私に考える時間を下さい」
 受けとってもらえないと察した雪美ちゃんは、リトラルの足元に書を置いた。
「何故」
「私は……誰かの役に立ちたくて、役に立てるのならばと思い、書の所持者として訓練を続けていました。私が訓練を続けていたのは、戦うためではないんです。にも関わらず、私は今日、傷つけてしまいました」
「アレを滅ぼしたことを言っているのか?」
 雪美ちゃんは頷いた。無表情を続ける頬に、涙が一滴零れ落ちる。
「それに、リトラル様も」
「私は無事だ。それで良いだろう」
 首を振り、否定する。
「いいえ。私が誰かを傷つける可能性は、いつも心にありました。それでも、必要な時に必要な力が無ければ、誰も助けられないことを知っていたから、私は訓練を続けていました。それなのに、私は書の制御に失敗して、兄を――」
 涙が溢れて、頬を流れ続ける。
 リトラルは書を拾い上げ、雪美ちゃんへ差し出す。
「どうしてアレに情を移す? むしろ牧原雪美を助けた書に感謝すべきだろう」
 雪美ちゃんは書を押し返す。
「リトラル様の言葉は理解できます。ですが、感情が納得しないんです。こんな、私自身がどうしたいのかすらわからない状態では、とても書を扱いきれるとは思えません。ですから、私がもう一度自分の意思で書を手に取れるまで、考える時間を頂きたいんです。それが許されないのなら、私は書の所持者を辞退します」
 リトラルの眼がすっと細まった。
「一度だけ言う。書を持って通常業務に戻れ」
「嫌です」
 毅然と、雪美ちゃんはリトラルの言葉をつっぱねた。
 だが、次の瞬間――
「命令だ」
「分かりました」
 雪美ちゃんは今までの態度をあっさりとくつがえし、書を拾い上げて回れ右をした。
 たった一言で、あっさり心変わりが起きるほどの決意ではなかったことは、雪美ちゃんを見ていればわかる。
 ならば、結論は一つしかない。
「ちょっと待て、雪美ちゃん」
「申し訳ありません、急ぎますので失礼します」
 会釈を返し、そのままドアへと歩いて行く。
「おい、リトラル。雪美ちゃんを止めろ」
「分かった。牧原雪美、止まれ。――何か用でもあったか?」
 リトラルの言葉通り、雪美ちゃんはその場で立ち止まった。
 胸の中で燻っていた火が、大きくなってくるのを感じる。
「おい。今、雪美ちゃんに命令したな? 強制して書を持っていかせたな?」
「強制? 私の意思を伝えただけだ」
 漠然とたまっていたものが、出口を見つけたと喜んで殺到してくる。
 そうだ。命令で意思すらも捻じ曲げてしまう、全てはこのシステムが悪いんだ。
 これさえなければ、何も問題はなかったはずだ。
「雪美ちゃんは嫌がっていただろうが! どうしてそんなことを無理強いする!」
「明日のためだ」
「明日がどうした? 前にもそんなこと言ってたよな! どうして雪美ちゃんが書を持つことを強制されなきゃならねえんだよ! まだこんな女の子に!」
「牧原雪美でなければならない理由は、彼女が最も書を扱うに適した精神を持っているからだ。牧原雪美が書を持つことを強制される理由は、そうしなければ世界が滅ぶからだ」
「世界が……滅ぶ、だと?」
 突拍子もない発言に、俺の語気も落ちついてしまう。
「そうだ。そう遠くない未来、世界は滅ぶ。いや、正確には人類が絶滅する」
「どうしてそんなことが言い切れる? お前は未来でも知っているっていうのか?」
「未来は知らない」
「だったら――」
 どうしてそんなことを断言できるんだ、と言おうとしたところに、「だが」とリトラルが続けてきた。
「だが、前回も、前々回も、その前も、その前も、その前も――十回前も、百回前も、何回繰り返そうと、人類は、絶滅した」
 リトラルは、自分の感情を押さえるようにゆっくりと言葉を切って告げた。その顔は痛みを耐えるように歪んでいる。
「山崎殿は何を知っている? 放浪大図書館が創られた理由を知っているのか? 人類最後の希望として、ひたすらに明日を守りたいと願うただの人間と、今を守りたいと願う時を操る一族と、幸せを守りたいと願う想いを力にする種族が、最初で最後に一度だけ、力を合わせた結果だということを知っているか? 何度歴史を繰り返し、様々な試みを試そうとも明日が失われていく瞬間を目にしなければならない苦痛を知っているか? ああそうだ。山崎殿の言う通りだ。強制なぞしたくはない。私とてそうだ。理想を、心を、想いを踏みにじりたくはないさ。だがな、そんなことに構っていられない。そんなことだ。世界が滅ぶことと、一人の自由意思が奪われることと比べれば、どちらが大切かは言うまでもない。効率の良いシステムが必要だった。だから命令して、強制して、支配する。急がなければまた、世界は滅ぶ! ……世界が滅べば、私は過去へと遡り、再び明日を取り戻すために道を模索する。そうだ、明日を取り戻すまで、私の旅は終わらない。永遠に。放浪大図書館の歴史は、人類の終焉と数多の屍によって築かれた亡者の城だ。知っているか? 長い時をずっと一人で過ごす孤独を知っているか? 絶望の中で更に絶望を重ねる人の顔を見たことはあるか? それを何度も繰り返すことは? 永遠という名の苦しみを知っているか? 過去に託された幾億の希望に応えられず、真新しい屍と古ぼけた希望を背負うことが、どれだけ辛いか知っているか? 言ってみろ。……山崎殿、言ってみろ! 言え!」
 静かな口調は次第にスピードを増し、最後には俺に向かって叫んでいるリトラルがいた。
「……悪かった」
 自然と、俺は謝っていた。
 おそらくは、今のは全てリトラルの本心だ。建前も飾りっ気も全部取っ払った、素のリトラルの言葉だろう。
 そう信じることが出来る。
「悪かった」
 俺はリトラルの顔に手を伸ばし、目許を親指で擦る。
「だから、泣くな」
「っ……!」
 リトラルが俺の腕を払い、睨みつけた。
「私は泣いてなどいない!」
「そうだな」
 涙の跡なんてどこにもない。瞳はうるんですらいない。だが、リトラルの苦しげな表情は、確かに泣いているように見えたのだ。
「牧原雪美に、もう用は無いな……?」
 リトラルが小さく呟く。
「ああ」
「牧原雪美。通常業務に戻れ」
「分かりました」
 一礼し、雪美ちゃんは部屋からでていってしまった。バタン、とドアの閉じる音がして、二人っきりになったという意識が強まる。
 しばらく、無言で時を過ごす。俺から口を開く事はためらわれた。
 やがて。
 リトラルは額に手を当て、肩を落とした。
「情けない。感情がまるで制御できないとは」
 髪を束ねていた白いリボンをほどき、髪を広げながら悔しげにうめく。
「まるで風見鶏だ。風が吹く度、己の意思とは無関係に心は乱れ、勝手に動いてしまう。こんなことにから、自我迷彩を解くのは嫌いだ。こんな些事にすら感情を左右されているのでは、大局を見誤ってどこで致命的な失敗をするが知れたものではない」
 なんとか普段通りの不遜な態度を取り繕っているものの、顔をくしゃくしゃにしてうつむかれては、生意気な子供、くらいにしか見えない。
「悪かった。ほんと、ごめんな」
 よしよし、とリトラルの頭を撫でてやる。
「頭を撫でるなっ!」
 さっきと同様、乱暴に腕を振り払われてしまう。
 懲りずに今度は頭を抱きかかえる。
「離せ!」
 ぽくぽくと足を叩かれるが、全然痛くない。これがさきほど俺の攻撃を軽々と避け、痛烈な一撃を与えていた奴と同じとはとても想えない。
 そのうちに抵抗も収まり、俺の腕の中でリトラルは静かに横になっていた。
「本当に、山崎殿と会ってからは感情に振り回されることばかりだ」
 リトラルがゆっくりと身体を起こし出したので、離してやる。
「山崎殿、今回は辛かっただろう」
 深く息を吐き、寝起きのようなぼんやりとした口調。
「何がだ?」
「アレに命令されて津村道子への思慕を植え付けられ、結果として意に沿わぬ相手と性交しただろう。山崎殿は、潔癖と言えるほどの信念を持っていたのだから、随分と思うところはあるだろう」
「あ、ああ……」
 それは確かに辛い。たとえ命令されていたとはいえ――いや、命令されていたからこそ、誰かと寝てしまったことが許せない。
 どうしようもなかった。それは理解しているつもりだ。だが、それでも許せない。その瞬間は確かに愛していたとしても、今は違うのだから。
「そうだ。みち――津村を助けてやってくれ。俺の家のジオラマとかいう場所に置いて行かれてるんだ」
「それならば安心しろ。記録が保存してあるのは放浪大図書館なのだからな。権限さえ取り戻せたのなら、いつでも連れ戻しに行ける」
 頼もしい言葉に、俺は安堵のため息をつく。
 ああ、戻ったらどんな顔で津村と会えばいいのだろうか。
 あいつは何も知らないんだから、気にしているのは俺だけか。そういやこっちで一ヶ月経ってたんだよな。ということは、現実でも一ヶ月経過してんのか? ……まずいな。
 それにしても、誰にも言ったはずもないのに――
「――どうして俺が進吾の思念とかいうやつにされていたこと知ってたんだ?」
「こちら側でどれだけ過ごそうとも、現実では一日も経過していない。いつも通りの朝を迎えられる。……さあ、今日はもう寝ろ。そして明日、また会おう」
 時間の経過のことも気にはなっていたが、疑問を口にする前に解決した。
「だから、どうして俺がそんなこと考えていると知ってた?」
 少し、眠くなってきた。
「できれば、また私の仕事を見学に来てもらいたい。……仕事中に誰かが尋ねてくるというのは、本当に久しぶりだった。そう、山崎殿の前にあったのは、館長の席がまだ空いていなかった頃の話だ」
「質問に答えろって」
 言ってリトラルを見ると、寂しげに微笑んでいた。
「安心しろ、山崎殿。山崎殿の心を煩わせる問題は、全て消去しておく」
「は――!?」
 ぼんやりとしてきた意識を、驚きがすっきり覚醒させた。
 なに、どういうことだ? 記憶を消去なんて、そんなこと出来るわけが――いや、出来るに決まってる! くそっ! そうだ! 命令すれば俺のことだってどうにでも操れるんだ!
「また忘れさせるつもりか!?」
 また? またってなんだ? どうして俺はまた、なんて言葉を使った? 前にもあったのか?
「ああ。前にもあった」
「――――?」
 口に出していない疑問に、どうして反応できる! まさか、俺の心を――
「読んでいる」
「なんだそりゃ……」
 そんなデタラメな。
 だったら、俺の考えてることは全部筒抜けかよ。プライバシーなんてあったもんじゃねえ。なんだか恥ずかしくなってくる。
 ああ、くそ、もっと言わなきゃいけないことがあるはずなのに、なんだ、この強烈な眠気は。
 身体に力が入らない。ぐらり、と上半身が揺れ、倒れかけたところをリトラルに引き寄せられ、今度は俺がリトラルに頭を抱えられることになる。
「おやすみ、山崎殿」
「駄目だ……記憶を消すな……」
「いいや、消す。山崎殿は悩まなくても良いことまで悩む癖があるからな。余計な記憶は消すに限る」
 違う。確かに悩むことはあるが、それは大切な経験だ。間違えた記憶があるからこそ、過ちを繰り返さない努力ができるのだ。失敗を知らなければ、どう努力すればいいのかすらもわからないではないか。
「前向きな考え方だな」
 ああ、眠い。凄く眠い。目蓋を持ち上げていられない。
 口を開くのもおっくうだ。
「今回は問題が問題だけに心を覗いてしまったが、普段からそんなことをするつもりはない。安心してくれ」
 それは安心した。ついでに記憶も消すなよ。
「……いいや、消す。少々山崎殿に肩入れしてしまっているからな。試験の公平を期すため、私が与えた余計な知識も消さなければならない。どちらにしても消さねばならないのだから、気にする必要はない」
 気にするに決まってるだろ。
 ……だったら、どうして俺の質問に馬鹿正直に答えたんだよ。
「何故だろうな。山崎殿に問われると、嘘もごまかしも口からは出てこず、かといって口を閉ざしてもいられなかった。普段なら、きっとこんなことにはならなかった。今回は……そう、久々に会えたから、うっかりしてしまっただけだ」
 俺の頭にかかる圧力が強くなる。なんだか暖かくて、いい匂いがしている気がする。
「久々……そうか、久々か。一ヶ月の間、山崎殿がアレにどんな目にあわされているか、不安でならなかった。一ヶ月も会えないのは、寂しくてたまらなかった。気が遠くなるほどの時を過ごしてきた私に弱音を吐かせるのだから、山崎殿は大物だな」
 ふふ、と優しく微笑む声。
「本当に、私はどうしてしまったのだろう。こんな短い期間に、これほど感情が揺れ動いている。私は――いや、考えては、いけない。……私は、山崎殿を――ああ、言ってはいけない。それは考えてはいけないことだ。私は放浪大図書館の備品。私は、放浪大図書館の一部――」
 聞き取れないくらいの大きさでしばらくなにやら呟いた後。
「山崎殿、もう眠れ。眠りにつくまでなら――それまで一緒に、いるくらいなら……」
 誰かに懇願するような、哀しい声だった。
 慰めてやりたいと思ったが、腕は上がらないし口も動かない。
 頭になにやら柔らかいものが当たっているが、それがなにかもよくわからない。頭が後ろの方にぐいぐい引っ張られていく感覚ばかりが強くて、ひょっとしたら、俺はもう半分以上眠ってしまっていて、なにかが触れていると錯覚しているのかもしれない。
 眠るな。まだ眠らない。お前が俺の記憶を消さないと言うまでは……。
「また明日、必ず会おう」
 くそ、そんな優しく囁くな。
 もっと何か話せ。
 静かになったら、もう意識を繋ぎとめていられなくなってしまう。
 …………。
 リトラル……まだ話しはついてない……。
 くそっ、だんまり、か……。
 …………。
 …………。
 忘れるな。
 …………。
 …………。
 …………。
 …………。
 忘れるなよ、俺……。

 今度こそ、絶対に、忘れるなっ!

 ――退館ゲート 検査開始・・・・・・・・――検査終了

 ――識別コード ≪反発する自我≫ を検出
 ――退館ゲートより優先命令『記憶の守り手』確認
 ――識別コード ≪反発する自我≫ は『記憶の守り手』に従い、再設定モードへと移行します

 ――再設定モードへ移行・・・・・・・・――移行完了

 ――接続コード 設定・・・・・・・・――設定完了
 ――精神フォーマット 設定・・・・・・・・――設定完了
 ――識別コード 設定・・・・・・・・――設定完了

 ――再設定モードを終了します・・・・・・・・終了完了

 ――さようなら、館長候補 山崎拓真様

 ――放浪大図書館は、次の来館をお待ちしております
 ――世界が記憶、蓄積し万物の知識が、世界の為に使われるよう、館長一同、切に願っております

 ――全ては、遥かなる明日の為に

「あああああああああっ!」
 バネ仕掛けの人形のように上半身を跳ね上げ、毛布を弾き飛ばした。
「はぁ、はぁ、はぁ……あ、れ?」
 暗い室内。
 どこに何があるのかも把握できない暗闇の中だが、確かに俺は安心している。尻の下に感じるベッドのスプリングの感触が、慣れ親しんだものだったからだ。
 枕元を手探りで探り、想像通りの場所にあった四角い物体のスイッチを押す。
 デジタル表記の文字が光り、眩しさに目を細めながらも確認。
『11/13 Thur. AM 04:59』
 と、『4:59』が『5:00』に変わった瞬間、けたたましい電子音が響き出す。

 ビビビビビカチッ

 すぐさまスイッチを切って、目覚し時計を枕元に戻した。
「はぁ……」
 額を押さえて、ベッドに倒れこむ。
 ここでようやく、下着が寝汗でぐっしょり濡れていることに気付いた。張りつくシャツの感触に嫌悪感をおぼえながらも、それ以上に勝った安堵感に、俺はその場で動けずにいた。
 闇の中、視線をさ迷わせながら俺は呟く。
「覚えてた……」

< 続く >

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