昔話3-2 僕が僕であるためには(中編)
叶を除く僕達三人は、同じ中学校に進学した。
叶への感情をはっきりと理解した僕にとって、春休みという時間は大きかった。これまで僕の中でよく分からなかったいろんなことが、時間を使ってゆっくり考えることで少しずつ、理解できるようになったからだ。
中学校からは部活が強制だったので、いくつか試した結果、柔道部を選んだ。理由は、一つ上に気になる先輩がいたからだ。もちろん女の人で、名前は斎藤 礼佳(さいとう・れいか)という。礼佳先輩はバイだった。
そんな風にレズ――その言葉は、辞書を引いて知った――としての入口を全力で駆け抜けようとしたところで、シュンに告白された。
困った。
僕は自分の感情を理解するのに精一杯で、親友の恋愛感情に意識を向ける余裕がなかったから、全く気づかなかった。いざ告白されてみれば、そういうことがあっても何も不思議じゃないと気づいたけれど、後の祭りだ。
シュンに対して恋愛感情があるかどうか悩んだのは、一日だけだった。改めてシュンの思い出を必死で掘り返したけれど、そこにときめきを見いだすことはできなかったし、将来そういう気分になりそうな気もしなかった。次に、それでもシュンの告白を受け入れた方がいいのではないか、と考えた。だがそれも、他ならぬシュンを騙すような行為はあり得ない、と早々に却下した。
残りの時間は、まだ漠然と「レズ」だと思っていた自分が、本当は何者なのかを再び見つめ直す――口に出して説明できるように――ことと、シュンにそれをカミングアウトするかどうかに費やされた。特に、「言うかどうか」の悩みが一番深かった。
僕は、「女の子と恋愛できる女の子」としか、恋愛ができない女の子だった。だから、叶――レズという概念を前提にさえすれば、ちーに恋していたことはすぐに分かった――にはときめいても、ちー――こちらも改めて考えてみれば、シュンを熱く想っているのは三秒で分かる――に対してそのような感情がかすめたことは一度もなかったのだ。そして、「女の子と恋愛できる女の子」は、探そうと思っていればすぐ見分けがついた(シュンに告白された連休中に街を走り回ったら、「明らかにそうだと分かる人」を三人くらい見つけた)。視線を見るのが一番確実だったけれど、そうでなくても雰囲気で九割方察しがつく。「雰囲気」というのは説明が難しいけれど、本当に第一印象という場合もあるし、ちょっとした考え方の違いとか、化粧やファッションの趣味の違い、興味があるアイドルの違いだったりする。ちなみに礼佳先輩は、初めて顔を合わせたとき、僕を見る目が違ったのを思い出し、やはりレズだと確信した(本当はバイだったけど)。礼佳先輩から告白されるときに言われたが、一目惚れだったらしい。
当時の僕は、レズに対する知識がまだ浅かったので、自分がレズであることを「異常なこと」だと思っていた。それをシュンにさらすのは、ギャンブルだった。もし拒絶されれば、親友を一人失う。一人で済めばいいが、そこから先、目も当てられない展開にすらなりかねない。それに、シュンにカミングアウトをするならば、ちーにも同じことをしなければならない。それは、僕にとって当然のことだった。二人を理由なく差別することはあり得ない。
その一方で、シュンを心の奥底から信頼している自分も居た。当時の僕はレズであることを誰にも言っていなかったから、シュンにその事実を受け入れてもらえれば、初めての理解者ができる。それに、仮にカミングアウトしなかったとすれば、やはり親友を一人失う結果になるだろう。シュンは恋愛対象としては見られないけれど、失うことが考えられないくらいに大事な親友であることも事実だった。
結局、僕は思いきった。
「ごめん。――わたしは、女の子しか愛せないんだ」
その時のシュンの様子は、良く覚えている。
シュンは呆然としていた。何秒か、何分か、時が止まった。その後、
「あ、そうなんだ」
と言った。
明らかに何も理解していなかった。受け入れとか拒否とか、そういう段階ではなく、「何を言われているのか分からない」という様子だった。
「じゃあ」
と言って、シュンは去っていった。
僕は、とてもショックだった。僕がレズであることは、それほどまでに「あり得ないこと」だったのか、と受け止めたから。それが単純に「失恋のショック」でしかなかったとちーから聞いたのは、三ヶ月以上後の話になる。
その後、シュンは木偶の坊のように二日ほど学校に出席していたが、それから風邪で休んだ。
そして、シュンがそんなことになっている間、僕はちーの家に行き、シュンとの顛末を話した上で、カミングアウトをした。
シュンとは違って、ちーへのカミングアウトにはまた別の問題があった。女の子は男の子と違って、生理的な拒否感を持ってしまうとどうにもならないという性質がある。僕も女の子だったのでそれは知っていた。だから僕は、「僕はちーを恋愛対象としては見られない」ということを強調した。
ちーは何も言わなかったけれど、そっと僕の右手を両手で包み込んで、笑った。
それ以来、シュンと遊ぶことはしばらく無かったけれど、ちーの家にはたびたび遊びに行った。礼佳先輩と付き合いだした時も、真っ先にちーに報告した。
シュンが中一の間は別のクラスだったことは、不幸中の幸いだった。同じクラスだったら、いろいろと耐えられなかっただろう。礼佳先輩に近づき、シュンから逃げるように、僕は柔道に打ち込んだ。当時はまだ、走り込みなどの基礎練習ばっかりだったけれど、頭を真っ白にできたので却って良かった。
基礎練習漬けの日々が終わり、試合の練習が始まりだした頃、礼佳先輩に告白されて、付き合いだした。
礼佳先輩との関係は、終始プラトニックだった。何回かデートはしたものの、手を繋ぐのがせいぜいで、それ以上のことはなかった。着替えの時に、アクシデントにかこつけてお互いの肢体を見ることはあったけれど、その時以外に胸やそれ以上のものを見たり見せたりすることもなかった。僕は性欲については乏しかったので、「二人遊び」はもちろん、一人遊びをすることもなかった。布団の中で一人悶々としているだけで、ある意味満足だった。あえて言えば、練習や試合の際に礼佳先輩と組むことが多かったぐらいだ。
そして、二人の関係は一年くらい後に、終わりを迎える。礼佳先輩が同級生の男に告白され、それを受けるから別れてくれ、というものだった。僕は抵抗したが、礼佳先輩の意思は固く、関係は解消になった。
「私は、そういう風に生きていかなきゃいけないから」
男にも興味がないわけではないの、と言いながら、礼佳先輩はそう告げた。礼佳先輩の実家はそれなりの家で、世間体の問題が避けられなかったのだと、今なら分かる。
僕は礼佳先輩に求め、キスをして別れた。それが、僕のファーストキスだった。
礼佳先輩の交際は今も順調だと、風の噂で聞いている。
礼佳先輩と別れた直後、校舎に戻るとシュンと鉢合わせた。中二になってシュンは僕と同じクラスになり、顔を合わすのはさすがに違和感がなくなっていたけれど、その時はまだ疎遠な間柄だった。
正直、ちーと並んで一番会いたい奴だったけど、同時にダントツで顔を合わせたくない相手でもあった。シュンを振ってからまともに話していないのも原因だけど、鏡を見るまでもないほどの酷い顔を、よりによってシュンに見られたくなかった。
「おう、サッカーしようぜ」
何でもないかのように、シュンは言った。一瞬迷ったけど、乗った。
一対一で、グラウンドを走り回った。普通なら呼ぶはずの男友達を呼ばなかったのは、シュンが珍しく気を遣ったからだろう。
走り回った。とにかく、走り回った。何も考えずに、走った。
走りに走って、下校時刻のアナウンスが校内に流れ終わった時、僕はシュンの側に立ち止まった。
「振られた」
「そうか」
僕の一言に、シュンも一言で応えた。
しばらく経って、シュンが続けた。
「残念だったな。でも、きっともっといい子が見つかるさ。お前は俺の自慢の親友だからな」
僕の肩に手を置いた――そのころはまだ、僕の方が背が高かった――親友を見て、僕は笑った。細かいことは一切抜きにするその態度に、僕は身体の力が抜けるのを感じた。
シュンは、やっぱりシュンだった。
翌日から、僕達三人の関係は、かつての姿を取り戻した。早速、ちーと一緒にシュンの家に押しかけ、テレビゲームで盛り上がった。
それ以降、三人で遊ぶことは、僕とシュンとの関係の修復と同時に、シュンとちーとの仲を取り持つ目的もあった。僕が見ない間に、シュンとちーの間には甘酸っぱい空気が流れることが多くなっていた。しばらくして、シュンから「お前とのことは振り切った」と言われ、いよいよシュンが告白するのかと思った。
ところが――シュンはヘタレだった。
いくら待っても、シュンは告白しない。何度もシュンをせっついてみたが、そのたびに態度をはぐらかした。ちーも辛抱強く告白を待っていたが、いい加減むかついてきているのが伝わってきた。中三になり、シュンがやっとちーにアプローチし始めた時には、ちーは完全に拗ねてしまっていた。拗ねを少しこじらせて、「俊ちゃんに仕返ししたい」とちーは僕に言ってきた。僕もシュンの態度に憤りを感じていたので、乗ってやることにした。
結果として僕達の芝居はうまくいき、シュンに一泡吹かせた後、シュンとちーはカップルになった。
< つづく >