魔女見習いは年相応!? 第1話

第1話

 泣き声が聞こえた。

 立ち尽くした俺は、声のする方向を探す。出所を見定めた俺は、だだっ広い草原を歩いて進んだ。
 そこには、小さい女の子がいた。女の子は、大声を上げて目元を擦っていた。
 俺は目の前でしゃがむ。
「おかあさんが、『まじょ』だって。だから、おまえは『まじょ』のこどもだって」
 友達に悪口を言われたのか、女の子はそう言いながら、泣き声を絶やさない。
 俺は女の子をなだめるため、胸に抱き留め、頭に手を置いて、何度も撫でた。しばらくすると、女の子の泣き声は小さくなり、やがて聞こえなくなった。

 女の子は、しゃがみ込んで、下を向いていた。
 顔は見えないけれど、きっと笑顔だ、と思った。
 やがて女の子は立ち上がる。俺を見上げて、手に持っているものを掲げた。
 それは、野草で作られた花輪だった。
 俺はそれを受け取り、自分の頭上に乗せる。少しだけトゲが引っかかった。
 すると、女の子は笑みを浮かべる。まるで、春の花の妖精のような、暖かい笑み。色の濃い髪が、そよ風にたなびいた。

「大きくなったら、はるか、お兄ちゃんのお嫁さんになる」

 その声は、とても無邪気で。
 けれども、泣き声だったときとは似つかぬ、大人びた、凜とした声だった。

「……お兄ちゃん! 起きて!」
「うわっ!?」

 俺は布団から飛び上がって、夢から覚めた。横には、俺の見慣れた、まだあどけなさが抜けない少女が立っていた。限りなく黒に近い色の長髪が揺れている。
「もう、起きるの遅いんだから。そんなんじゃ朝ご飯食べ逃しちゃうよ」
 言われて外を見ると、すっかり明るくなっていた。

 目の前の少女は、とっくに身支度を調えていた。紺を基調とした、シックなドレス型ワンピースは、彼女の普段着の一つだ。白いエプロンを着けているのは、部屋の掃除でもしていたのだろうか。と思ったらやはり、右手にはこれ見よがしにハタキを持っていた。彼女の年齢をさておけば、その佇まいは、やり手のメイドといったところだろう。

「……何でここにいる?」
「お兄ちゃん、寝ぼけすぎ。土曜だからって」
 呆れた様子で、目の前の少女はハタキで、俺の顔をぱたぱたとはたいた。

「お兄ちゃん、朝ご飯がなくなっちゃう」
「一人で行って来いよ」
 朝ご飯、なんて言葉を聞いたのは何年ぶりだろう。そのような習慣はとっくになくしている。
 こいつが言っているのは、寮にある食堂の朝食のことだ。そういや食堂の朝食は、確か八時までだったっけ。昨日のレクで聞いた気がする。休日も同じだっけか、覚えてない。
「いいじゃん、一緒に食べようよ」
 俺の繰り言を受け入れず、少女は笑顔で俺を急かす。普段大人しい彼女を考えれば、随分とテンションが高い。
「…………わーったよ」
 そのテンションに免じて、今日は数年ぶりの朝食をとることにした。
「じゃあ、着替えて」
「おぅ……」
 やむなく俺は裾に手を伸ばし、寝間着をまくり上げ――
「きゃぁっ!」
 小さい悲鳴が聞こえて、少女は後ろを向き、部屋を出て行った。
(…………そうか、しまった)
 新しい生活に、俺はまだなじんでいないようだ。
 俺――森沢 正人(もりさわ・まさと)は昨日から、学園の寮で、幼馴染みの姶良 遥(あいら・はるか)と二人暮らしを始めている。

「いただきます」
「……いただきます」
 律儀に手を合わせて頭を下げるハルカを見て、一応言葉だけ倣った。

 休日の食堂は基本的に休みで、平日翌日の朝と前日の夜だけ開いているそうだ。というわけで日曜の朝である今は休みのはずなのだが、昨日が入学式だったため、今朝は特別営業となっていた。

 俺の目の前にはトースト二枚と目玉焼き、そしてコーヒー。ハルカの前にはトースト一枚とフルーツ、そして大盛りのサラダが置かれている。
 ハルカはトーストに手をつけるより先に、サラダにドレッシングをかけ、フォークで小さい口に運び始めた。
 俺はそれを横目に見ながら、トーストにかじりつく。
「わぁ……このトマト美味しい」
「そうか」
「うん、すごく甘い」
「へえ」
 ……サラダ、好きなんだな、やっぱり。
 満面の笑みを浮かべるハルカを見て、俺は少し複雑な気分になる。
「うん、ほらお兄ちゃん」
 するとハルカはフォークにトマトを突き刺し、俺の前に差し出す。
 特に食べる気はなかったが、拒むわけにもいかないので、俺は口を開いた。
「…………ん、確かに甘いな」
「でしょ?」
 ハルカが嬉しそうに笑う。
 ふと顔を戻すと、野次馬一名が一瞬、こっちを見ていた気がしたが、食事の終わったトレイを持ったまま、すぐに立ち去った。

 何も気にすることはない。やってることだけならバカップルに誤解されるかもしれないが、俺とハルカは学年が六つ離れている。せいぜい仲のいい兄妹に見えるだけのはずだ。

 俺はハルカのスピードに合わせて、ゆっくりと朝食を口に運んだ。美味しそうにトーストを食べるハルカを見て、ほっとした。

 俺とハルカは、名字を見れば分かる通り、血は繋がっていない。だが、ハルカが生まれた直後から、俺はその成長を見てきたという点で、幼なじみ……というよりは、感覚的には家族とあまり変わらない。
 ハルカの隣に住んでいたこともあり、おそらくハルカの本当の家族を除けば、俺が最も長くハルカと一緒にいたと思う。ハルカも俺も一人っ子で、数年前まで両方の両親が共働きだったので、俺がハルカの面倒を見ていたのだ。ハルカのおむつ替えから庭遊びの手伝い、そして時にはベッドへの寝かしつけに至るまで、ハルカがランドセルを背負うまで、ハルカと顔を合わせなかった日はなかった。ハルカが今でも俺のことを「お兄ちゃん」と呼ぶのは、そういう経緯からだ。
 俺は高校入学から実家を出て(中翼はまだなかった)、一人暮らしをしていたが、長い休みごとに実家に戻る度に、ハルカの世話を任された。面倒だったが、休みごとにハルカの成長は著しく、見違えるように可愛くなっていったことに、密かに感動したものだった。

「ねえお兄ちゃん。ショッピング行かない? 良い天気だし、買わなきゃいけないもの多いし」
 朝食を食べ終わると、ハルカがそう提案してきた。俺も日用品を買い込まなければいけなかったので、異存はなかった。
 軽く身支度をして、俺達は寮を出る。ハルカは寮の入口で、外出名簿に名前を記した。大学部の俺は必要ないが、第一部と第二部は全寮制なので、外出したことを届け出ておく必要があるのだ。

「良い天気」
「だな」
 外を出て数歩も歩かないうちに、ハルカはそう言った。小さい雲が数えるほどにある他は、突き抜けるような青空が広がっている。
 街路樹と芝生で整えられた庭を、学園の入口に向かって、のんびりと歩いていく。
(ん?)
 ふと、気になる人影が見えた。
 すぐに影に隠れたが、反対側の寮の片隅に、二人。おそらく両方とも女。
 二人とも、コートを羽織り、前をしっかりと締めていた。四月の頭で、温暖な今日の気候には、不似合いに思える。
「お兄ちゃん?」
「おう、悪い」
 声をかけられて、ハルカに悟られないよう、何食わぬ顔でついて行く。
 あの二人が何なのか、直感していた。
(……露出狂か)
 中翼学園がどういう学園か。それを知っていれば、その結論は当然のものだった。

「うわー、結構人がいる」
「んー」
 目の前にはショッピングモールよろしく、数々のショップが建ち並び、多くの人の行き来があった。半分近くは学園の学生や生徒のようだ。

 中翼学園は、僅か二年前に開園した、真新しい学園である。
 このあたりは元々、大規模な工業地帯だったらしいのだが、企業の撤退で売りに出された一帯を設立母体が買い取り、学園都市として生まれ変わった。「中翼」というのは、学園の誘致条件として、この地域一帯に新たにつけられた地名でもある。

「何から買うか?」
「うん、ちょっとお洋服が足りなくて」
「そうか。俺も新しいのを買わないと」
 俺とハルカは、揃ってアパレルショップを探し始めた。すぐに、メンズとレディースの両方が揃っている店を見つけ、ハルカは揚々と店に入っていった。

 店に入った時のハルカは、年相応にはしゃぎながら店内を物色していたが、いざ品物を選ぶ段になると、その顔は真剣そのものだ。随分と長い時間悩んでいるが、その表情や姿勢に成長を感じて、見ている俺も決して不愉快ではなかった。

「あー、これもいいなぁ……」
 ハルカはハンガーを右手にとって、再び固まった。
 そこには、青いペザントブラウスがかかっている。左手には、別のコーナーで手にした、白と黄緑を基調とした春物ニットを持っていた。

「ねえお兄ちゃん、これとこれ、どっちが良いと思う?」
 判断に窮したのか、ハルカは俺に二つの選択肢を提示した。
 ニットは大人しいハルカに似合った形だが、比較的濃い色を好むハルカにしては明るい色だ。一方、ペザントブラウスは、胸元が少し緩く、ハルカにしては露出が高い。
「そうだなあ」
 俺は一瞬考えて、
「あったかくなってきたし、明るい色の方が良いんじゃないか」
 と、ニットの方を指さした。
「そっか、そうする」
 するとハルカはその言葉をすぐに受け入れ、ブラウスをハンガーかけに戻した。

 それを確認して、俺はハルカに声をかけた。
「ハルカ、それもこっちに貸せ、全部払ってやる」
「え? 何で?」
「入学祝、買ってなかったしな。それにお前――誕生日だろ、今日」
 そう言うと、ハルカは一瞬ぽかんとしたあと、満面の笑みを浮かべた。
「……ありがとう、お兄ちゃん!」
 財布には痛いが、ハルカの笑顔には代えられない。

「風が気持ちいいね」
「ああ」
 俺達はコンビニで調達した菓子を持って、川沿いの桜並木を歩いていた。ハルカの髪がさらさらと風に流れている。
 一通りの買い物を終えた頃にはおやつ時になっていた。一旦寮に戻って荷物を置いた後、今度は反対側に繰り出した。学園の北側には大きめの川があり、その堤防には桜並木が造成されている。
「この辺に座るか」
「うん」
 川側の柵が切れているところを入り、堤防の斜面で立ち止まった。芝生がしっかり斜面を覆っており、座っても尻が汚れる心配はなさそうだ。
 よっ、と俺があぐらをかく。するとハルカは、密着するように、俺の隣に座った。座る瞬間にお尻に手を入れるハルカの姿に、ふと年頃の女を感じる。
(……)
 その一方、なぜか、ほんの少しの寂しさを覚えた。ハルカが小さい頃は、俺があぐらを掻いたり、椅子に座ったりしたら、ハルカは乗っかってきたものだった。ハルカがそれをしなくなったのは、いつだっただろうか、覚えていない。
 時間が経つにつれて、ハルカも成長している、ということなのだろう。もちろん、俺も。

「それにしても、お前が中翼に来るとはなあ……」
「突然でごめんね、お兄ちゃん」
 ハルカはショートケーキのパックを開きながら、社交辞令風に謝る。もちろん、本気の謝罪など望んでいない。
「こんなところ、わざわざ選ぶなよ……『魔女の学園』だぞ」
 俺はブロックチョコに手を伸ばしながら、ハルカを見る。ふと、ほのかなカモミールの香りが鼻をかすめた。
「でも、ここが良かったんだ。それに、お兄ちゃんと一緒に住めたし」
「…………」
 ついでのように俺との同居を持ち出して、ハルカは俺を振り返った。それは、ハルカの年齢には似つかわしくない、艶やかな笑みだった。

(やれやれ……)
 溜息と、それに追って苦笑いが漏れる。
 俺の考えを知ってか知らずか、俺に寄りかかって甘えるハルカに、「サキュバスのクォーター」という、彼女の血筋を思い起こさずにはいられなかった。

 話は一年以上前まで遡る。
 冬休みで実家に戻っていた俺は、母さんと進路の話をしていた。
 そこで、言われたのだ。「中翼って、どう?」と。

 「中翼」は当然知っていた。
 実家から電車で一時間くらいのところにある、新しい学園都市であるということ。そして、新設であるにもかかわらず、そこが母さん――ハルカと同じ、サキュバスのクォーターである彼女にとって、縁のある学園だということも。

 中翼学園は、酔狂な財団が設立した、平凡な学園ではない。それは、「中翼」という名前を初めて聞いた時に、気づいていた。
 「中翼」という言葉は、一般には知られていないが、知っていればピンと来る、特別な言葉だ。
 中翼は「背中から生えた翼」を意味するのだが、これはとある国の昔話で描かれた女の淫魔――つまり、サキュバスが、背中から翼を生やし、空から男に襲いかかったというエピソードからできた言葉なのだ。

 このことから、中翼というのは、淫魔を表す隠語として用いられてきた。つまり、「中翼学園」というのは、淫魔、とりわけサキュバスの学園という意味なのである。

 中翼学園の設立目的の一つは、人間界に住む淫魔の拠点を作ることだった。人間界に住む淫魔やその子孫は、国どころか集落すらほとんど持っておらず、またその性質から性産業で生業を立てることも多い。結果として、社会的な地位が相対的に低くなりがちで、また教育水準も低い傾向があった。
 そういった淫魔達の教育及び職業の拠点として、中翼は造られた。そして、母さんもクォーターとして困難を経験した身であったこともあり、ほんの僅かな金額ではあるものの、中翼への出資者の一人になっていたらしい。
 「もし、興味があれば」と、母親は(珍しく)控えめに薦めたが、俺を中翼に進学させたいのは明らかだった。とはいえ、俺自身も、進路を特に決めていたわけでもなかったので、その提案を契機に、中翼を受験することを決めた。

 それだけで話が済めば良かったのだが、急転したのは先月のことになる。
 大学部に合格した俺は、最早卒業を待つばかりとなり、三月の頭に実家に戻った。すると、ハルカの家に呼ばれ、そこでハルカに言われたのだ。
「私も、中翼の第一部に行くの」
 青天の霹靂だった。

 ハルカがサキュバスのクォーターであることは、最初から知っていた。ハルカの母親がハーフで、俺の母さんと親友なのだ。だが、ハルカの両親はハルカを人間として育てる方針で、中翼に入学させるとは思っていなかった。
 怪訝に思って話を聞くと、どうやらハルカが行きたがったらしい。「お兄ちゃんと一緒のところがいい」と、ハルカは言った。

 俺は、焦った。それは、母さんから話を聞いて、中翼学園の、もう一つの側面を知っていたからだ。
 サキュバスは、この国の少子化対策を担っている。中翼学園の設立は、その対策のためでもある、と。

 つまり、有り体に言えば、中翼学園は、エロ女を養成するところなのだ。しかし、ハルカはそれを知ってか知らずか、中翼への入学を決めてしまった。このままでは、ハルカが毒牙にかかってしまう、と思った俺は、母さんに相談した。すると、一つ、解決法があるという。

 それが――交際登録。

 交際登録とは、学園に「俺達付き合ってます」と登録し、寮内に同居する制度だ。これをすれば、少なくともハルカが不貞を強制されることはなくなる、と。

 同居にはもちろん抵抗があった。ハルカは大事な存在で、ハルカが受け入れてくれるなら、人生を共に歩むことも、将来的にはやぶさかではない。だが、諸々のステップを踏むには、さすがにまだ早すぎると思った。
 だが、他の選択肢はないと理解し、俺は観念した。少なくとも、「付き合うフリ」をしなければ、ハルカは守れない。

 俺は、ハルカの母親に、同居の申し出をした。もちろん、それは当面はフリであること、将来的なことは否定も肯定もしないという条件だった。
 その条件を口に出すまでもなく、ハルカの母親に歓迎された。一応、ちゃんと条件を説明したが。
 そして、俺の提案を聞いたハルカも、二つ返事だった。

 やられた、と思った。
 「交際登録」という制度は、決して常識的な制度ではない。だがハルカは、俺の話に一つも疑問を差し挟まなかった。きっとハルカは、とっくにその制度を知って、理解していたのだ。とすれば、ハルカは中翼がどういうところかも、正しく理解しているに決まっている。ならば、その制度を教えた上で、ハルカに中翼への入学をそそのかしたのは――

 つまり、俺は嵌められたのだ。ハルカの母親と、俺の母さんに。

 部屋に戻ったときには、もう夕焼けで空が真っ赤に染まっていた。
「部屋、今日中に片付くかな」
 俺達の目の前には、段ボールの山があった。ハルカの実家と俺の部屋から必要なものを持ち寄ったのだが、それなりに荷物が多い。
 昨日はお互いに入学式や手続で忙しく、最小限の荷ほどきで終わっていた。

 俺達にあてがわれた部屋は、間取りで言うと「1LK」になる。
 寝室には勉強机二つと収納があり、そしてダブルベッドが置かれている。同棲のための間取りになっているが、布団が1セットだけ備え付けられてあるため、ハルカと同衾する必要はない(ハルカにはむくれられたが)。とはいえ、プライベートスペースを共有しなければならないのは仕方がない。

「ええと、これは俺のだな」
「こっちは私の」

 少し問題なのは、二人とも同じ業者を使った上、ハルカの荷物の中には俺の実家からのものが混じっていて、さらに搬入のタイミングが同じだったために、どれが誰のものかが分かりづらくなってしまっていることだった。
 ダンボールに書いてある記号を頼りに荷物を振り分け、順にリビングから寝室に運んでいく。

 寝室で荷ほどきを始めた俺は、最も背の高いダンボールに手をかけた。
 梱包用のガムテープを外し、中を開くと、そこには丸椅子が一つある。

 ゆっくりと引っ張り出して梱包材を剥がしていると、ハルカが寄ってきた。
「悪かったな、ハルカ。わざわざ持ってきてもらって」
「ううん、こちらこそ」
 それは唯一、俺の実家から持ってきてもらうよう、ハルカに頼んだものだった。

 それは、実家の俺の部屋に置いてあった、ハルカ愛用の椅子だった。ハルカが俺の部屋に訪れたときに、いつも腰掛けていたものだ。
 何も言わず、ハルカはその椅子に静かに腰掛けた。昔は飛び乗るように座っていたハルカは、いつの間にか尻の位置が椅子より高くなり、落ち着いて座ることができていた。ふとハルカの足下を見ると、ウサギ耳のスリッパを引っかけていた。これは、さっきホームセンターで買ったやつだ。その足は、つま先が床に接している。ちょっと前までフットレストに届くのがせいぜいだったのに。

「……成長したな、お前。身長いくつだ?」
「昨日測ったら、150cmだった」
「そうか」
「私、大人になったよ」
 何かを訴えるように、ハルカは言った。
「大人になったって、自分で言ううちは、まだ子供だ」
 しかし俺は、その訴えに応じるわけにはいかない。今は、まだ。
「……」
 ハルカは軽く頬を膨らませて不満を表し、椅子から立ち上がった。

 ハルカが機嫌を損ねると面倒なので、ハルカの荷ほどきを手伝うことにした。かなり荷物を整理してきた俺に比べて、ハルカのダンボール数は倍近い。
 開けてみると、女らしく衣類が結構多いようだ(今日あれだけ買う必要あったのか?)。それに加えて、いくつかぬいぐるみも入っている。
「このワニ、俺がクレーンでとった奴だよな」
「うん、そう。結構お気に入りなんだ」
 ぬいぐるみはハルカの部屋で見たことのあるやつばかりで、ご機嫌取り、もとい思い出話に花が咲いた。

「これは私が開ける」
 小さめのダンボールをハルカが手にしたので、俺はそれから目を離した。そのままハルカは浴室に向かう。多分あれ下着とかだ、と思いながら、足下に残った、同じくらいのサイズの段ボールを開いた。

 そこには、ハルカが持ってきた本が詰まっていた。ハルカは少女マンガが好きで、一番上にあるのは俺も知っているシリーズものだ。
俺は何気なく、上から数冊を右手に取り、立ち上がった。
「おいハルカ、これはどこに置……あっ!?」
 だが持ち方が悪く、一番底の方にあった文庫本が、手のひらからこぼれた。俺はとっさに左手を添えようとするが、運悪くブックカバーを掴んでしまい、紙のカバーが外れて中身が落ちてしまった。
(!?)
 表紙が見えた瞬間、俺の背筋が凍った。

 ピンク色の背表紙。アニメ調のイラスト。
 それには、とても見覚えがあった。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
 俺の声に驚いたのか、ハルカが部屋に戻ってきた。そして、俺の足下に、ブックカバーが外れた文庫本が落ちているのに気づく。

 俺は生まれて初めて、人の顔から血の気が引くのを見た。

 人間の顔って、青くなるというより白くなるんだな……
 そんな見当違いなことを考えながら、俺はその本のタイトルが、『のーかん! ~あの娘の脳は、僕の言いなり~』であるということを思い出していた。

 蛍光灯の明かりが、店内を静かに照らしている。
 各寮内には売店があり、ちょっとした食い物や身の回りの品が並んでいる。俺はその中で、所在なくたたずんでいた。

 あの場で数秒ほど悩んだ挙げ句、部屋を飛び出した。ハルカを見るのがいたたまれない、というのもあったが、何より、あの場から逃げ出したくなったからだった。

 俺は何となく、棚からスナック菓子を手に取ろうとして、空を切る。力が入らなくて、腕がうまく上がらなかった。重症だ、と思う。

 何で、ハルカがアレを持っているのか――などといったことは、悩む必要もない。
 なぜなら、それは、疑いようもなく、俺のせいだとわかっているからだ。

 淫魔と人間――淫魔と対比して言うときはよく「モータル」という。淫魔が不死という意味の「イモータル」と呼ばれていたのに対応する表現だ。もっとも、淫魔は全く不死ではない。不老なだけだ――の混血種(「ミックス」)は、俺達も含めてそれなりに存在するが、ミックスを隔てる一つの大きなポイントは、そいつが性エネルギーを糧に生きるか、それとも人間と同様に食物を食べて生きるかだ。前者は「顕性」、対して後者は「不顕性」と呼ばれる。
 当然のことながら、淫魔の血が薄くなればなるほど、その性質は弱くなるし、不顕性の割合も増える。淫魔のハーフだと大半が顕性になるが、クォーターになると顕性の割合は急激に下がり、二割以下になるといわれている。さらにその半分、オクタントになると一パーセント未満だそうだ。
 顕性の混血だと、概ねランドセルを背負わなくなる前に食物を受け付けづらくなり、淫魔やモータルとの性行為によって生きる糧を得るようになっていく。一方、不顕性であれば、概ねモータルと同じ生命活動を営むことになる。俺は当然のことながら不顕性で、今日までの様子を見る限り、ハルカもおそらく不顕性だろう。顕性なら、あそこまで美味しそうにご飯や菓子は食べられない。

 しかし、仮に不顕性であったとしても、モータルと全く同じというわけではない。一部、淫魔の特性を受け継ぐことも、珍しくないようだ。

 俺の場合は、その一つが、祖父から受け継いだ、「相手の脳を直接書き換える技能」だった。

 俺の両手指からは、任意に細長い緑色の物体を伸ばすことができる。それ――「ツタ」と呼ばれる――を耳から差し込めば、脳の回路を直接弄ることができるのだ。
 「ツタ使い」の技能は、インキュバス(男淫魔)の中で二~三パーセント程度が持っているという。インキュバスにほぼ特有の技能で、サキュバスにはほとんどいないそうだ。

 俺がその技能に気づいたのは、ランドセル卒業の半年前のことだった。
 ある日の朝、目が覚めたら、指からツタが伸びていた。それが何なのかは全く知らなかったが、それでもそれが「どう使うものなのか」は、何となく分かった。それは理屈ではなく、ツタ使いとしての本能による理解だった。

 だが、その時の俺は、ツタの使い方までは分かっても、使う目的までは理解することができなかった。当時の俺はまだ、思春期の入口に到達していなかったのだ。

 エロいことに使うのが本来の目的だ、いうことは、今なら当然分かる。いや、当時も多分、ツタ使いの本能はその「常識」を訴えていた。だが、性の感受性が開いていなかった当時の俺は、それを正しく理解することができなかったのだ。
 だからだろう。ツタの使い方までを正しく理解した当時の俺は、エロいはずのその技能を、全くエロくないことに使おうとしてしまった。

 それが、ハルカの偏食を直すことだった。

 当時のハルカは偏食が激しく、特に野菜を全く食べることができなかった。
 ハルカの両親がそれに悩んでいることを知っていた俺は、偏食をツタ使いの技能で矯正できないかと考えたのだ。

 結果だけ言えば、俺の一ヶ月の奮闘が実り、ハルカの偏食は克服された。方法はハルカ以外の誰にも言わなかったが、ハルカの両親が驚くのを横目に、鼻高々だったのを覚えている。ハルカ自身も、ツタにビビっていたのは最初だけで、ツタを差し込むと、何とも言えない可愛らしい表情と声を見せ、途中からはむしろ、ツタをせがむようになった。なんとなく、ツタのことは二人だけの秘密にしていたため、その行為が露見することはなかったが。

 あとになって思えば、ツタをハルカに使うことが、いかがわしいことだという感覚が、俺自身には既にあったのだろう。
 だが、俺がしでかしたことの重大さを本格的に悟ったのは、しばらく後、俺が女の身体に急激に興味を覚えるようになってからだった。

 ハルカの表情と声が、性的な快楽の賜だったということに気づいた時の罪悪感は、うまく言葉で説明することができない。何しろ、当時のハルカはランドセルすら背負う前の歳だったのだ。
 幸運にも、ハルカがツタをせがまなくなったこともあり、俺はこれまで、ハルカにツタを使ったことをなかったことにしようとした。このまま黒歴史になってくれることを願ったこともあった。

 だが、それは虫が良すぎたらしい。
 あの文庫本は、俺がハルカにしたことが、ハルカの中に厳然と残っていたことの証左だった。それも、最悪の形で。

 そこまで考えたところで、ふと、棚の商品が、像を結んだ。

(買っていくか……)

 ハルカへの償い、などには全くならない。そもそも、許してくれる保証など、ない。だが、何かをせずにはいられない。
 鉛のように重い腕を伸ばし、俺はその品物を手に取った。

 リビングの電気は常夜灯だけになっていた。寝室の扉は閉ざされていたが、ハルカが部屋を出た形跡はない。

 リビングに明かりをともし、俺はキッチンの棚からヤカンを取り出した。蛇口から水を注ぎ、湯を沸かす。そして、俺は売店で購入した、紅茶のティーバッグを取り出した。

「入るぞ」
 ハルカの返事を待たず、俺は寝室の扉を開ける。
 寝室の電気も消されており、俺は手探りでスイッチを押す。

 ハルカは、ベッドの側で、膝を抱えてうずくまっていた。

 俺はハルカに近づき、手元のお盆を傾けないように注意しながら、ゆっくりと腰を下ろす。
 そして、紅茶を注いだハルカのマグカップを、手元に置いた。ついでお盆を置き、ハルカの目の前にあぐらで座る。自分用のマグカップを指に引っかけ、両手で抱えた。
 重い沈黙が降り、俺は耐えきれずにマグカップに口をつける。
 しまった、砂糖買ってねえや。と思ったが、今さらどうにもならない。
 すると、ハルカが手を動かし、マグカップを持ち、ゆっくりと口に運んだ。

「……苦い」
 噛みしめるように、ハルカはつぶやいた。

 何故そのタイミングだったのかは俺にも分からなかったが、数分間の沈黙を破ったのは俺の声だった。
「ゴメン、俺のせいだ」
 びくり、と、ハルカの肩が震えた。謝った俺が驚くくらいの、固まり方だった。
「……やめて、お兄ちゃん」
 帰ってきた言葉は、涙声だった。
「謝らないで、お願い」
 そう言い終わる前に、ハルカは決壊した。

 俺は反射的に、ハルカを抱き留めた。ハルカは俺を押しのけることはなく、俺の胸で泣き続けた。やがて、泣き声は小康状態になり、
『せめて、ちゃんと付き合うまでは、秘密にしておきたかった』
 途切れ途切れの言葉で、ハルカはそういう内容のことを言った。
 俺は返す言葉が浮かばず、ハルカの頭を撫で続ける。それは、ハルカが泣き出したときに必ずする、習慣のような動作だった。

 誰でも、自らの性の嗜好など、知られたくないものだろう。女なら、なおさら。
「お兄ちゃんに、誤解されたくなかったのに」
「大丈夫だ、俺は誤解なんかしない」
 慰めのつもりだったが、ぶんぶん、と首を横に振られた。
「絶対、してる……」
「……」
 決めつけるように言うハルカ。ハルカは、何を気にしているのだろうか。
「じゃあ、何で、謝ったの……」
「…………ハルカがああいう本を持ってたのは、俺のせいだと思って」
「ほんとに、それだけ?」
「ああ、それだけだ」
「……じゃあ、私とちゃんと付き合って」
「はいぃ?」
 支離滅裂で一足飛びな要求に、声が裏返った。
「おいハルカ、待て待て、自分で何言ってるか分かってるか?」
「わかってるよ!」
「落ち着け、落ち着いて」
 わめき散らしそうなハルカを何とかなだめ、俺は必死に、頭を巡らせた。

 生まれてこの方見たことのない、ハルカの取り乱しようだった。おそらくハルカは、何かをとても恐れている。「あの本」を俺に見られたこと以上の何かを。
 それは、何だ。
 その時、ハルカが言葉を漏らした。
「……私は、お兄ちゃんが好き。『ちゃんと』好きなの」

 ………………まさか。

 ハルカの言葉に、思い当たる節があった。
 確かにそれは、考えたことがあった。しかしそれは、今日の話ではない。前に考えたことはあったが、今は誤解だったという確信がある。
 慎重に言葉を選び、口を動かした。

「別に俺は、ツタのせいでお前が俺を好きになったなんて思ってないぞ」

 しばらくの沈黙に、ハルカの息づかいが響く。その息づかいは、少しずつ、ゆっくりになってきている。
 その様子に、正解を引き当てたらしいな、と思う。

 ツタの快楽への渇望を、俺への恋心と勘違いしているのではないか、というのは、去年、とても気にしていたことだった。
 それを解消したのは、母さんの言葉だった。

 ――「性」っていうのはね、食うか食われるか、なの。でも、「愛」っていうのは、お互いに愛して、愛されるものだから。全然違うの。

 それは、母さんが珍しく深酒し、俺に対して父さんへのノロケを垂れ流していたときに、聞いた言葉だった。
 「性」というものに親しい淫魔は、却って「性と愛の違い」にとても敏感だ、と母さんは言った。
 ノロケの内容はうんざりするようなものだったが、その言葉だけは至言だった。俺自身も淫魔の血を引いているので、自分の身に照らし、得心できた。

「……じゃあ、なんで、付き合ってくんないの」
 その声は、先ほどと打って変わって、落ち着いた、というよりふてくされたような声だった。
「単に、早すぎるって思ってただけだ」
「…………」
「お前がもう少し成長して、それでも本気なら、」
「私が本気じゃないって言うの!?」
「そんなこと言ってない!」
 怒鳴り合いに近い言い合いだ。しかしここで気圧されるわけにはいかず、俺はハルカを強く抱きしめた。俺の本気を伝えるために。
「……ハルカが俺を好きなのは、知ってる。だけど、恋愛感情なのかどうかは、一回、ちゃんと考えて欲しい。付き合うのは、それからでも遅くない。……と思う」
 最大限に誠実に、俺の思いを伝える。

 数秒の静寂のあと、ハルカはゆっくり、俺から身体を離した。
 極力落ち着いた様子で、ハルカはマグカップに手を伸ばす。だが、その手は少し震えていた。
 ハルカの動きに合わせて、俺もマグカップに手を伸ばして、口に運ぶ。ぬるくなった紅茶は、苦みを増していたが、先ほどよりは喉を通った。

「お兄ちゃん、高校に入って、遠くに行っちゃったでしょ」
 思い出話のような様子で、ハルカは話し出した。
「だから話してなかったんだけど……私、告白されたんだ、クラスメイトの男の子に」
「えっ」
「仲の良い子だったから、結構考えたの、実は」
「…………そうか」
 俺は平静を装って答えた。喉が急激に渇き、紅茶を再び口に運んだ。
「……で、どうしたんだ」
「付き合ったら、ちょっと楽しそうかな、って思った」
 それは答えではなかった。
 だが、その言葉に、想像以上に、ショックを受けている俺が居た。
「だけど、付き合わなかったんだ」
「…………そうか」
 気の抜けたような言葉が出た。
「やっぱり、お兄ちゃんが彼氏なのが、絶対に一番嬉しいもん」
 ハルカの双眸が、俺を捉えた。
「私は、お兄ちゃんと一緒がいい」

 あたかも、ハルカの目に責められているような気分になった。

 果たして俺は、ハルカに何を望んでいたのだろう。
 俺は、ハルカに大人になって欲しいと思っていたはずだ。それなのに、いざ他の男に告白されたと聞いただけで、俺はこんなに動揺している。
 俺がハルカに求めていたものは、そんなことじゃない、なんてことを、言えるはずもない。それは、あまりに身勝手で、口に出すのも恥ずかしい。

「でも、お前の身体じゃ、まだ……」
 何とか、自分の行為を正当化したかったのだろうか。それはデタラメだ、と分かりつつ、苦し紛れの言葉が出た。
 酷い、と自分で思った。ハルカの目に、力がこもった。怒らせた、と思った。

 だが、ハルカの反応は、想像と違った。
 ハルカは俺を見つめたまま、ゆっくりと立ち上がり、俺を見下ろす。
 そして、口を開いた。
「私だって、『魔女』だもん。もう、子供じゃないよ」

 俺は、息を呑んだ。
 その言葉は、決然としていた。

 ハルカは、サキュバスのことをよく、「魔女」という。それは、ハルカがまだ小さい頃、友達にからかわれた時の言葉から来ている。だから、その言葉は、一種、自虐的な意味合いがあった。
 もっとも、ハルカは、自分が「魔女」であること自体を呪ったり、嫌がったりはしない。ハルカが強い抵抗を見せるのは、「魔女だから云々」と決めつけられたときだ。俺は長年の付き合いでそれを理解している、つもりだった。
 だからこそ、その言葉をあえて口にした決意が、俺の全身を痺れさせる。

 ハルカは、サキュバスの血筋だ。だから性的な目覚めも普通は早いし、見た目にかかわらず、身体も同様だ。血の薄い俺はそうではなかったが、ハルカはそうだったのだろう。自分で宣言するなら、なおさら。

 ハルカは、「魔女だから」、もう大人なのだ。
 ハルカはそう言った。

 俺は、ゆっくりと立ち上がった。既に立ち上がっているハルカを、見下ろす。
「わかった」
 ハルカにそこまで言わせて、退くなど、もはや、男ではない。

 今、ここだというなら、もう、止まることは、ない。

 俺は、ハルカにゆっくりと近づいた。ハルカは目を逸らさず、俺を見上げている。
 ハルカの正面に立ち、屈んで、そっと、背中に手を回した。
 念のため、ハルカが拒絶しないのを確認して、ゆっくりと、きつく、きつく抱きしめる。
「ハルカ」
 大きく一つ、息をつく。そして、告げた。
「俺と付き合ってくれ」
 ハルカはその言葉に何も言わず、顔を上げる気配がした。俺も顔を上げてハルカの顔を見つめ、そして、――その唇を奪った。

 ハルカの唇はぷるぷるしていて、なめらかで、心地よかった。その感触に、ふと、昔を思い出した。
 その行為自体は、決して初めてではない。ハルカが小さい頃には、何度もやっていた。その時のハルカの感触と、今の感触は、全く違っていた。
 唇を合わせるだけで、魂がこんなに暖かくなるなんて、知らなかった。

 どれだけ時間が経ったのかも、分からなくなりかけた頃、どちらからともなく、やっと、唇が離れる。
 ハルカの瞳は、はらはらと、滴をこぼしていた。
「…………寂しかった……」
 涙声のつぶやき。それは、ハルカの三年間の思いを乗せて、辛うじて、俺の耳に届いた。
 俺はもう一度、ハルカを強く抱きしめる。
「ごめん。でも、これからは、一緒だ、ずっと」
 なぜハルカが、中翼に入学しようとしたか。
 俺はやっと、理解した。

 俺は、勉強机の前に座っている。
 時計が秒針を刻む音だけが、耳に届く。待っているだけの時間は、苦痛に近いもどかしさだった。

 流れで、順番にシャワーを浴びることになった。俺が先、ハルカが後。
 いきなりそうなることに抵抗はあった。だが、話しているうちに、他ならぬハルカがそれを求めていると気づいてしまい、そういうことになってしまった。

 そして、ハルカの方が積極的だったくせに――いや、だからこそか、ハルカのシャワーは長い。間違いなく、単にシャワーではない。湯船に浸かっているはずだ。
 もっとも、責める気にはならない。ハルカだって、自分で言い出したこととはいえ、緊張しているに違いない。

 俺は勉強机に座って、紅茶を手元に置いている。ここで待つのに先だって、もう一度湯を沸かし、ポットに入れておいた。俺がシャワーに行っている間に、ハルカが砂糖を買ってきてくれたので、紅茶を作れば、ちゃんと飲むことができる。
 ただ、マグカップに注いで作った紅茶が、何故かすぐになくなるのが玉に瑕だった。何杯飲んだか、もう覚えていない。何度かトイレにも立った。暇つぶしにスマホを触ったりもしているが、何も頭に入ってこない。

 はぁ、と溜息が漏れる。その時、俺の手が目に入った。思わず、右手をマグカップから離し、手のひらを、いや、人差し指を見つめる。

 分かっている。ハルカが望んでいるから、なんていうのは、詭弁だ。
 それとないアプローチなど、これまで何度も受けていた。それを俺はこれまで、全て躱していたのだ。
 にもかかわらず、今回は躱しきれなかったということは――つまり、今、それを求めようとしているのは、俺もなのだ。
 押しとどめていた欲望が、ムクムクと膨れあがる。締まっていたタガが、一気に外れようとしている。

 ふと、紅茶がまだ手元に残っていることを忘れていた。カップの中に残り少なくなった紅茶をあおった、その時。

 こんこん。

 控えめなノックの音がした。「ん」と喉で短く応じると、ハルカが部屋に入ってきた。
「換気扇回しておいたよ」
「そうか」
 俺の短い返事を受けるや否や、ゆっくりと寄ってくる。衣服が揺れる様子が、やけに意味深に見えた。

 ハルカは、普段から寝間着にしている、クリーム色のパジャマを身につけていた。ピンク色のクマ柄シルエットがポイントになっていて、かわいらしい。
 見慣れたハルカの顔が部屋の電灯に照らされる。色白な肌は、暖まったせいだろうか、赤みが浮かび上がっている。丸い目元に薄めの唇は、年相応でありながら落ち着いた雰囲気を醸し出していた。

 ハルカはゆっくりと歩み寄り、丸椅子に腰掛ける。座る前にハルカは、椅子を俺のすぐそばにつけた。おかげで、別の椅子に座っているのに、身体が触れそうなくらいに近かった。ふわり、とシトラスの香りが漂う。
 ハルカが着るパジャマには、女の子らしく、胸元に小さいリボンが結ばれている。ズボン丈はくるぶしまであり、ズボンとスリッパの間からは綺麗な脚が覗いている。

 そこまで見て、俺の目がハルカに釘付けになっていることに気づいた。
 いかん、意識しすぎだ。
 気を取り直して、ポットの蓋をゆるめ、二つのカップに湯を注いだ。ハルカのカップも先ほど洗っておいた。
 それぞれにティーバッグを浮かべ、紅茶の色が広がっていくのを、二人で黙って眺める。

 注いだ湯から立ち上る湯気が、まるで俺の緊張を解こうとしているように見えた。

「……美味しい」
 小さじ二杯の砂糖を加えた紅茶は、ハルカの口に合ったらしく、ほっとした声が漏れた。再び、数秒の沈黙が訪れる。

 そして、何かを思い出すように、ハルカが口を開いた。
「…………あのときほんとは、二週間くらいでもう、野菜嫌い直ってたんだ」
「……」
 反射的に顔をしかめてしまった。幸運にも、ハルカには見られていなかったが。
 しかし、ハルカの言葉を遮ることはしなかった。ここは、聞くべきだ。
「……お兄ちゃんに『ぐちゅっ』てしてほしくて、苦手なフリを続けてた」
「やっぱりそうだったのか……」
 言葉と共に、俺の口から盛大な溜息が漏れた。

 俺も、おかしいと思っていたのだ。
 初めは慎重にハルカの脳を少しずつ書き換えていたので(そのくらいの思慮はあった)、時間がかかったのは当然なのだが、確かに二週間くらい経った頃から、異変を感じ取っていた。
 脳は明らかに「野菜はもう苦手じゃない」と言っているのに、ハルカの口からはどうしても、その言葉が出なかったのだ。
 俺も、脳を弄るのは初めてのことだったので、俺の「弄り」がうまくいかなかったのかもしれないと思い、それ以降、慎重にながら、いろんなことをした。今考えてみれば、ハルカの脳をもう少し深く覗けば済むことだったのだが、ハルカが嘘をついていたという可能性に思い当たったのは、ずっと後のことだった。

 ハルカが野菜の苦手を克服するどころか、むしろ大好物になったのは、当時の試行錯誤の結果である。

「ずぅっと後になって、お兄ちゃんにしてもらったときの気持ちが、『いけない気持ち』だったんだって気づいて。でも、そのときは別になんてことなかったの、もちろん恥ずかしかったけど」

 度々紅茶に口をつけつつ、時に遠い目をしながら、ハルカは語り続ける。ハルカの口ぶりは、懐かしそうでもあり、なぜか懺悔をしているようでもあった。
 俺自身も、重い気持ちを抱えながら、ハルカの言葉に聞き入る。

「お兄ちゃんが高校生になって、うちからいなくなって。それも、いないならいないで、すぐ慣れたつもりだったんだ」
「…………」
「だけど、この前、『あの本』をたまたま本屋さんで見つけちゃって。それで、お兄ちゃんを思い出しちゃった」
「…………」
 そこでやっと、ハルカが何を話そうとしているのか、理解した。
 あの本の表紙は、三人の女の子の頭付近に、細い触手が跋扈しているイラストだった。それでいて三人の女の子は、決してその触手を恐れておらず、むしろ慈しむような様子で、触手に手を伸ばしたりしていた。
 その様子――特に、真ん中にいた女の子の様子は、長い黒髪も相まって、ハルカを思い起こさせたのだ。

「おうちに帰ってから、どうしてもその本のことが頭から離れなくて。何日か後で、ネットで買っちゃった。さすがに、お店じゃ恥ずかしくて買えなくて」
 ……あの本は小説だからか、あの内容にして、年齢制限がないのだ。
 だから、ハルカが買っても問題はなかった。少なくとも形式上は。
 俺は少しずつ、言葉を発したくなってきた。それは、先ほどの重たい気持ちからではない。もっと、欲求に忠実な衝動だった。
「それで、どうなった」
「…………すっごく、……ドキドキした」
 吐息のような艶めかしい声で、ハルカは言った。
「ヒロインの一人がね、柑奈(かんな)ちゃんって言うんだけど、あたしに似てたんだ。その子と主人公の敬太(けいた)が、本当は好き合ってて」
 知っている。
「柑奈ちゃんが、敬太君に、……『はじめて』なのに、『ぐちゅっ』てさせて欲しいって、お願いされるの」
 そう。
 敬太は、相手の脳を触手で弄らないと「勃たない」男だった。だから、セックスするためには、心から愛する相手といえど、触手を使わなければならなかった。
「柑奈ちゃんが、一日考えさせて、って、おうちに帰るんだけど。その時の葛藤が、本当、すごくて」
「ああ、それが敬太の葛藤と二重写しになって、お互いの気持ちがすごく伝わってくるんだよな」
「うん。………………!?」
 ハルカは目を見開き、俺の顔を見た。問いを言わせる前に、答えた。
「俺も、あの本持ってた。こっちに来るときに捨てたけどな」
 あの本の内容は、全体としてはかなりのご都合主義で、男としても、ツタ使いとしても、「あり得ない」と思えるところがいくつかあった。そもそもアレ、作者は女の人じゃないかと思う。そのせいかはわからないが、エロ描写は結構あっさり目だった。
 ただ、それを凌駕するくらいに、キャラクターの心理描写が、抜群だった。
「俺も、敬太の気持ちが、本当によく分かったよ」
 愛する女性に、そんなことをして良いのかという、自問。
 愛する女性にだからこそ、それをしたいという、欲求。
 俺自身は、ツタなしで勃たないというわけではない。だが、愛する相手にそれを施すか否かという葛藤は、まさに今、リアルに感じるものだった。

「うわー、恥ずかしい……」
「正直、俺もだ……」
 ハルカの顔は、真っ赤になっていた。きっと、俺の顔もそうだろう。
 お互いに、同じエロ本を持っていた。それは、お互いに、どういうことに興奮するか、つまびらかにしているようなものだ。
 つまり、俺は、ハルカにツタを使うことを。
 そしてきっと、ハルカは、俺にツタを使われることを。
 お互いに想いながら、自らを慰めていたのだ。

 だがそのことは、今の俺に、――身を焦がすような羞恥を除けば――無理解のままハルカにツタを使ったことの悔恨よりも、言いしれぬ興奮の方を強くもたらしていた。

「お兄ちゃん」
 その時、一瞬、意を決したように、顔を赤くしたハルカが振り向いた。だが、次の瞬間、再びその瞳に迷いが浮かび、言葉は続かない。
 数秒の間の後、ハルカは心が折れたように、うなだれた。

「……まるで、柑奈ちゃんみたい」

 思わず出たその言葉に、ピンと来た。
 ヒロインの柑奈は結局、敬太の触手を受け入れることを決意する。しかし、柑奈は結局、敬太の前でそれを口にすることができなかった。しかし、敬太がそれを強く求めたことで、柑奈は「仕方なくそれを受け入れる」という体で、敬太を受け入れることに成功したのだ。

 ハルカの仕草は、わざとだとは決して思えない。だが、ハルカの無意識が、敬太と同じ対応を求めていると、直感した。

 俺自身にも、葛藤はあった。ハルカにツタを与えるべきか、与えざるべきか。
 だが、もしハルカが、内心、それを求めているということなら。

「ハルカ」
「……」
 俺の呼びかけに、ハルカは瞳だけで応える。
 俺は椅子を回転させてハルカを正面に捉え、ハルカを抱き寄せた。
「!」
 ハルカは、俺に導かれるまま、寄りかかる。
 少し窮屈な姿勢ながら、湯船で暖められたハルカの体温が、パジャマ越しに俺の肌に伝わっていく。

 苦しい。
 味わったことのない緊張で、心臓が早鐘を打ち、喉がからからになる。
 告白の時とは比較にならないプレッシャー。告白した時は、ほぼ間違いなく、受け入れてくれると思えた。だが、今はそこまでの確信ない。成算はあるが、突っぱねられるかもしれない。もし、俺の勘違いなら、最悪、終わってしまうかもしれない――だが。
 言うなら、今しかない。チャンスは、ここだけだ。
 清水の舞台から飛び降りる思いで、言った。

「……俺は、お前の脳を愛したい」

 ハルカは、はっとして、俺を見上げたまま、黙り込んだ。ハルカは目を逸らさず、俺の瞳の奥を見透かさんばかりに見つめている。
「……本気?」
「ああ、本気だ。いつからか、お前の脳に触りたくて、たまらなかった。ハルカが好きだから」
 それは、事実だ。
 女の脳を犯したいという、「ツタ使い」の根源的な本能。
 それより圧倒的に強い、愛するハルカが、俺のツタで感じるところを見たいという欲望。
 いつからだろう。その気持ちは、気づいたときには、俺にまとわりついて、離れなかった。ただ、今までは、まだその時ではない、と言い聞かせて生きてきた。
 だが、それも今日までだ。
「安心しろ。見た目より脳弄りは安全だ。あの本の触手より、全然」
「……そうなんだ?」
「ああ。だから、俺を信じて、受け入れてくれ」
 素直な思いを、ハルカにぶつける。
 普通ならば、理解はされないであろう、俺の気持ち。
 しかし、今のハルカなら、きっと。

 果たして。
「……へんたい」
 ハルカは、その一言だけを返した。
 まるで置きに行くような、その四文字。
 それは、小説の中で、柑奈が応諾の代わりに、敬太に投げつけた言葉と、同じだった。

 俺達はゆっくり立ち上がり、しっかりと抱き合った。
 ハルカの体つきは華奢だが、こう抱き寄せてみると、多少ながら、女らしい丸みを感じる。腰の部分が、少しくびれていた。
「電気消してよ、お兄ちゃん。恥ずかしいよ」
「真っ暗はやめたほうがいい、触覚だけじゃさすがに、ちょっと危ない」
「…………うぅっ」
 ちょっとしたやりとりの結果、豆電球一つでまとまり、俺達はベッドに向かった。

 俺はベッドに腰掛けたあと、ハルカに手を伸ばした。ハルカは俺の誘導に従い、俺の膝の上に乗っかった。
 俺はそのまま後ろから、ハルカを抱きすくめる。俺の両太ももにハルカの成長の証しを感じたが、決して苦にはならなかった(というか、想像より軽い)。俺の目の前で、しっとりとした黒髪が揺れる。

「昔はよく、ハルカをこうしてたよな」
「ふふ、そうだね」
 ハルカは笑うが、声が少し固い。緊張がありありと伝わってくる。
「いつからしなくなったんだっけ」
 ハルカの無邪気な言葉が、俺の心を揺さぶった。
「…………お前の脳を弄った頃が最後だ」
 ハルカが一瞬、動きを止める。
「……そっか」
 何かを納得したような一言だった。
 あのとき、俺は一ヶ月もの間、この体勢で、ハルカの脳にツタを這わせた。そして、ほとぼりが冷めた頃、俺はハルカを膝に乗せなくなったのだ。
 今の今まで忘れていた。膝に座らせることを拒んだのは、俺の方だった。
「じゃあ、今日からはまた、私の場所」
 ハルカは俺に寄りかかって、そう宣言する。
 それはきっと、俺のツタを受け入れるという、婉曲な表明なんだろうと思った。

 ハルカにも言ったが、脳を弄る、という行為は、とても危険な行為に思われがちなものの、見た目ほどの危険性はない。ぶっちゃけ、本当は真っ暗でも平気だったりする(ハルカの姿を見たいがために、嘘をついたが)。ツタが脳を弄る時に、手が滑るような感じで大きな間違いをすることは、実際にはほぼないと言っていい。
 というのは、脳を弄るといっても、脳のどの部分を弄るかによって使うツタの種類が違うのだ。例えば、一時の感情や感覚を弄るつもりなら、細く柔らかいツタを使う。このツタはしなやかで器用なため微妙な変化が得意だが、反面、強度がないので「深いところ」に入ることはできない。人間(あるいはサキュバス)としてより重要で根源的な部分、例えば価値観や性的趣味は脳のより深いところにあり、ここを弄るためにはより太く、硬いツタを使うことになる。ついでにいえば、生命活動のために重要な部分はさらに深く、生半可なツタでは太刀打ちできない。昔、自分の脳で試したときは、どんなに頑張っても、右手小指の血流を妨害して、何となく血色を悪くするのがせいぜいだった。それが、オクタントの限界だ。

「やるぞ」
「…………うん」
 ハルカの承諾を確認してから、手を伸ばした。
 なぞるように、包むように、ハルカの両耳に手をかける。
 一際、ハルカの身体に力が入るのを感じた。耳から異物を受け入れるというのは本能に反する行為なのでやむを得ないが、しばらくは我慢してもらうしかない。
 俺は両方の人差し指を耳の穴に近づけ、その先から、ツタを伸ばした。
 極細のツタがハルカの耳を進み、鼓膜に微細な穴を開ける。ちなみに鼓膜は、穴が開いても数日で修復するので気にしなくていい。
 鼓膜を突き抜けたツタは、側部に突き刺さり、そこを潜ってハルカの頭蓋に近づいていく。
「んっ」
 侵入に気づいたのだろう、ハルカは小さくうめいた。
「大丈夫だ」
 一言だけ告げ、ツタに意識を集中させる。その行為は簡単なはずなのだが、やはり緊張する。頭蓋骨の感触があって、その直下を進み――
「あっ……」
 ついに俺のツタが、ハルカの脳を捉えた。
「わかるか?」
「うん……」
 ハルカは目を閉じて、耐えているのだろうか。固まったように身をすくめるその様子に、爆発しそうに燃えるものを感じながら、ツタを網のように広げて、脳のポイントを探り当てた。その行為は、ツタを耳から入れた時の、ほとんど条件反射のようなものだ。
 生物は自分の脳に触られるということに本能的な抵抗を覚えるので、その抵抗を取り除くのがツタ使いの第一歩だ。そのため、脳にツタを差し込んだとき、真っ先に探し当てるのは快楽を発生させるポイント、とりわけ緊張や恐怖を緩和するポイントになる。それに、脳に直接言うことを聞かせるためには、安心や快楽を同時に与えるのが、最も確実な手段だ。
 そういったことや、そのポイントを脳から見つける技能は、誰に教わらなくても、知識より先に本能が理解している。幼少の頃、ハルカの脳を弄っていた時も、無意識にこれを実行していた。

 早速、見つけた快楽ポイントを撫でた。
「あっ…………」
 みるみるうちに、俺にハルカの身体から緊張が抜けていく。力が入りまくっていたはずのハルカは、数秒のうちに俺にしなだれかかり、完全に身を任せた。
 快楽ポイントを撫でられて、安心感がハルカの身を包んでいるのだ。
「気持ちいいだろ」
「うん……すごい。もう全然怖くないや」
 その快楽はまだ性感とは違うものだが、ハルカは効果を抜群に感じていた。
「まだ『ぐちゅっ』てしてないぞ?」
「ええ……本当?」
「ああ、表面を撫でてるだけだ」
「…………」
 ハルカは振り向き、俺を上目遣いで見た。ハルカの目は潤み、期待感に溢れている。
 俺はその反応に気をよくして――ツタを、快楽ポイントに、ゆっくりと突き刺した。

「あっ!」
 それだけで、激しい反応があった。
 ハルカの表情が一瞬で紅潮し、身体が震えた。体温が上がり、肌の感触がしっとりとしてきた。一気に発汗したからだ。

「どうだ?」
 たっぷり十秒、ハルカの反応を堪能して、俺は問うた。
「……あっつい……」
「そうか」
 その反応に気をよくしながら、俺は数度、とても慎重に、ツタを抜き差しした。

「あっ……はぁっ……」
 そのたびにハルカは嬌声を上げ、全身を悶えさせる。
 五度目の抜き差しで、ハルカはたまらなくなったのか、身体を反らし始めた。
 バランスが崩れると危ないので、右腕でハルカのお腹を抱え、支えた。ツタの長さは自在なので、耳から手を離しても大丈夫だ。
「すごいだろ」
 ぜぇぜぇと息をつきながら、ハルカがうなずいた。
「こんなの、すごすぎるよ……」
「おいおい、まだまだ序の口だぞ」
「うぅ……」
 困ったような声で唸る。ただ、出だしの快楽としてはかなり強いのに、辛そうな様子はない。やはり、サキュバスの血筋が効いているのだろうか。もしくは、ある程度快楽慣れしているのかもしれない。自分自身の行為で。
 とはいえ、ハルカははじめてなので、丁寧に責めてあげなければならない。そこで、少し趣向を変えてやることにした。

「あっ!?」
 俺が脳をさらに弄ると、ハルカは俺から身体を離して立ち上がり、くるりとこちらを向いた。
 俺のツタが両耳から入っている姿に、言いようのない興奮を覚えながら、ハルカの脳に指示を伝える。
「あ、あ、あっ、あ、あれ、脱がなきゃ……?」
 理性が納得されられるより早く、ハルカの手が胸元に掛かった。パジャマのボタンを一つ一つ外していき、その隙間から綺麗な肌を露出させる。
 その時には、ハルカはすでに、脱衣を当然だと思っていた。
「えっちするんだもんね、脱がないとね」
 そのままゆっくり、パジャマの合わせ目を開いていく。
 白くなめらかな鎖骨が少しずつ露わになり、やがて、ほんの僅かな膨らみが目に入った。そして、次の瞬間、ハルカの肩から、パジャマが落ちた。

「お兄ちゃん、脱いだよ……あっあっあっ」
 同様にパジャマのズボンも脱がせ、ハルカの足から完全に離れたのを確認して、俺は快楽ポイントのツタを抜き差しし、ハルカにご褒美を与える。脳がツタの言うことを聞いたときに快楽を与えるのは、調教の基本中の基本だ。

 ハルカはブラはしておらず、下着はピンクのショーツ一枚だった。柄も飾りもないプレーンなショーツだが、それが却って年相応の色気を醸し出している。
 おっぱいは、正直なところ、まだ「膨らみ」と評するのも難しい程度だった。今はおそらく、Aカップもないほどの大きさだ。とはいえ、色素の薄い乳首を中心とした若い曲線の様子は、将来的にはまだ期待が持てるように思える。そしてその乳首は、俺が与えた快楽に反応し、すでに固く尖っていた。

「おぉ……」
 正直なことを言えば、その体つきだけなら、俺の本来の好みから言えば、下限を突き抜けているはずだった。だが、目の前にある(ほぼ)裸体には、俺にとって、決定的な点が一つある。言うまでもなく、それがハルカのものだということだ。
 何しろ、俺はハルカを生まれたときから知っている。僅かながらも大人の女に近づいていることを今まざまざと見せつけられ、俺はちょっとした興奮と、感慨を覚えている。

「綺麗な身体だな」
 素直な感想が勝手に口から漏れた。

 すると、ふと、ハルカの腕が動き、胸元を隠した。
 口元を閉じ、俺から目を逸らしている。
 思わず口走った言葉が、ハルカの羞恥心を刺激したらしい。

 その様子が可愛くて、さらに弄ってやろうかと思ったが、自重した。
 俺もそろそろ我慢できない。
 俺は寝間着のボタンを外し、それから右手のツタをハルカの頭から抜いた。ツタが頭に入ったままだと、物理的に俺の寝間着が脱げない。回避方法も一応あるが、今日は使わないと決めていた。右腕から寝間着を抜き、ハルカの頭にツタを刺し直してから、今度は左手のツタを抜いた。

 トランクス一枚になった俺はハルカを呼び寄せ、同じくショーツ一枚のハルカを座ったまま抱きすくめる。今度は向かい合わせに。
「あっ……」
 すると、ハルカはすぐに、身体を俺に押しつけ、唇を合わせた。
「んふぅ……」
 両耳からツタを受け入れたまま、ハルカは俺の舌を受け入れる。ディープキスになった。
 ハルカの舌はザラザラとして、ぬめぬめとしている。
 舌を絡めては口を離し、また思いついたように舌を絡める。お互いに言葉を発せず、ただ水音だけが耳に響いた。
 ふと思いついて、俺はツタを動かした。脳内の「その」ポイントに、ツタを刺し込む。
「ん、んぅ! ふぅっ!」
 ハルカが全身を痙攣させる。舌と口腔の性感度を引き上げたのだが、テキメンだったようだ。
 しかしハルカは嫌がるどころか、積極的に舌を絡めてくるようになった。
 口を大きく開き、俺の舌を舐め取ろうとする。俺は負けじと、ハルカの舌を擦り立てた。
「ふっ! んっ! んぐぅっ!」
 たびたび、ハルカが震える。だが、口がふさがっているので、ハルカも俺もしゃべれない。
 そうだ。
 俺は思いつきで、ツタをハルカの脳の「ある場所」に差し込んだ。
《気持ちいいか?》
「っ!?」
 ハルカは、脳に突然響いた俺の言葉に、驚いた様子だった。
《今、ハルカの言語回路に、直接言葉を送ってる。ツタに言葉を返せ。できるはずだ》
《……お兄ちゃん?》
《「お兄ちゃん」って言ったな。大丈夫だ、伝わってる》
《お兄ちゃん、気持ちいい! すごく気持ちいい!》
 伝わったと分かった瞬間に、ハルカはまるで叫ぶような言葉を返してきた。
 その反応に気をよくした俺は、嵩にかかってハルカの舌を強く吸い上げた。同時に、さっきとは違う快楽ポイントを探しだし、ツタで刺激する。このポイントは突き抜けるような快楽を与える場所だ。ここをうまく使えば、あっという間にイカせることもできる。
「ふぐっ! ん! ん! んんんぅっ!!」
《あっ! ヘン! ヘン! うそ、私、ヘン!》
 すると俺の目論見通り、ハルカはすぐに、俺に異変を訴えた。身体に不自然な力が入り、全身が断続的に震え始める。
《イキそうになってるな》
《うん、キスだけなのに、もうイキそう!》
《そのままイケ、今日は何回でもイカせてやる》
 ハルカは脳への責めには気づいていないようだ。ハルカの唾液を吸い出すように、じゅるじゅると音を立ててハルカの舌をいじめ続ける。
《ヤだよ、イキたいよ、イクなんて恥ずかしいよ、あイキそ、お兄ちゃんとのキス気持ちいいよ、ショーツが汚れちゃうよ》
 ハルカの言語回路が混乱してきた。ハルカは舌を突き出したまま、俺が刺激しやすいように動きを弱めている。
《ショーツは諦めろ、むしろびちゃびちゃに濡らせ》
《ヤだぁ、はしたないよぅ、あっでもだめ、あふれちゃう、あっあたまが、しろく、あっ、あっ!!》
 そこでハルカの言葉が途絶え、俺はハルカの舌を甘噛みしつつ吸い上げ、舐め回した。直後、
「ふむぅぅぅぅっ!」
 うめき声を上げながら全身を痙攣させて、ハルカはイった。軽い絶頂だったからか、痙攣はすぐにおさまる。それを確認して、俺は唇を離した。

 俺とハルカの舌の間に、唾液の橋が架かり、すぐにはらりと切れた。

 俺の胸に身体を預けたハルカが、俺の胸に顔を埋め、荒い息をついている。
「気持ちよかったか?」
 口を解放したので、言語回路からツタを抜き、声をかけた。ハルカは応える余裕がないのか、俺の問いに、無言で応じた。
 答えを待たずに俺はハルカを抱え、ベッドに寝かせた。そのままのしかかる格好になって、やっとハルカの顔を見ることができる――と思ったのだが、ハルカはとっさに、右腕で目を、左手で胸を隠していた。
 おそらく快感以上の羞恥がハルカを襲っているのだろう。
「隠すな」
「あっあっあっ」
 ハルカの脳を刺激し、腕をどけさせる。
「あっあっだめ、みせちゃう、みせちゃう」
 ハルカは快楽の啼き声を上げながら、その意思に反して両腕を頭の上で組んだ。白くて綺麗な腋が露わになる。
「あっあああっ、きもちいいっ」
 強制的な行為にも、ちゃんとご褒美をやる。これを繰り返せば、強制的な指示にも悦んで従うようになっていく。……俺自身、余裕がないにもかかわらず、そんなツタの基礎知識だけは手についてくる。悲しいサガだ。
 「弄り」をやり過ぎないように心しつつ、俺はハルカの首元に唇を近づけた。

「あっ……っ、んっ……はんっ」
 先ほどとは打って変わり、密やかなあえぎ声が響く。
 首元からスタートして、俺はハルカの上半身をなで回し、そして舐め回していた。体つきが未熟なハルカには慎重な方が良いと思ったからなのだが、一度イったハルカは既に敏感になっていて、十分な反応を返してくる。ハルカは時々反射的に身体をよじったりしているが、両腕が使えないこともあって、俺の愛撫に抵抗できていない。
「お兄ちゃん……熔けちゃいそう……っ」
 それは一見切羽詰まったようで、眠ってしまいそうな緩い声。その心地よさそうな様子を見て、俺は唇をハルカの乳首に近づけた。

 その時、俺の鼻を、甘い香りがかすめた。

(あっ……)

 一瞬、頭がくらっとした。ほとんど無意識に、ハルカの右乳首を口に含んだ。
「はううっ!」
 ハルカが一際大きな声を上げ、身もだえる。
 俺は乳首を舐め回しながら、少しぼんやりした頭で、やっとその正体に気づいた。

 それは、サキュバスの体臭だ。
 サキュバスが相手を虜にし、自らに服従させるために放つ、サキュバスに特有の匂い。
 ハルカはせいぜいクォーターだし、その体臭の効果もそれなりのはずだが、モータルならこの匂いだけで、ハルカに尽くすことしか考えられなくなるだろう。
 幸いにも俺はオクタントで多少の耐性があるので、そこまではならない。

 俺は顔を上げて、ハルカを見た。
「ハルカ」
「んぅ……?」
 ぽうっとした目で見つめられ、俺はたまらなくなった。
「好きだ」
「へぇっ?」
 思いが口をつく。
「ずっと前から、ハルカが好きだった」
 それを言わなくては心からあふれ出してしまいそうで、どうしても耐えられない。
 ハルカの両乳首を親指で愛でながら、止まらない思いを言葉に紡いでいく。
「生まれた時からお前を見てて、いつの間にか、ハルカとずっと一緒にいたくなってた。でも、まだちっちゃいお前にその思いをぶつけられなくて、一緒にいるのが怖くて、高校から一人暮らししたんだ。お前から少し離れて、自分を見つめ直すために」
「……」
「悪い。本当は俺の方が、自信がなくなってたんだ。でも離れて分かった。やっぱり俺は、ハルカを愛してる。お前だけを」

 ……何と恥ずかしい告白をしてしまったのだろう、とぼんやり思う。
 サキュバスの体臭にやられたのは、間違いなかった。正直、効果を甘く見すぎていた。
 静寂の中に、頭に血が上る音だけが響く。

「……腕、ほどいてくれる?」
 ふと、ハルカがそんなお願いをした。一瞬迷ったが、何か意図があるのだろうと思い、俺は受け入れた。腕の動作を司る回路から、ツタを抜く。
 腕が自由になったハルカは、俺に抱きつき、……隙をついて、俺を横に転がした。
「っ、おい!」
 仰向けになった俺の制止を聞かず、ハルカは俺の腹に馬乗りになった。
「お兄ちゃん、可愛い」
 そう言ってハルカは覆い被さり、俺の唇を奪う。
 先ほど以上に積極的なハルカの舌が、俺の舌を捉えて擦り合わさった。
「んふぅっ!!」
 口腔が敏感なままのハルカは、その刺激に身もだえする。だがそれでもめげず、俺の中を存分に蹂躙して、やっと口を離した。
 ハルカの表情と上半身が、俺の視界に入る。天井の豆電球が、あたかも月明かりのようにハルカを照らして、奇跡的な艶めかしさを産んでいた。
「はるか、すごくうれしい」
 甘ったるい声で、ハルカは笑った。いつの間にか、一人称が変わっている。俺はハルカの幼少の頃を一瞬思い出し、
「もう我慢できなくなっちゃった」
 だがその隙にハルカは、膝立ちで俺の顔に近づいていた。
 ハルカのショーツが視界に入る。
「んっ……」
 すると、ハルカが膝立ちのままショーツに手をかけ、引き下ろした。
 にちゃ、と音がして、ハルカのマンコが露わになる。薄い毛に覆われたそこは、ぷっくりと膨らんで硬い扉を開き、淫靡に花開いていた。
「お兄ちゃん……」
 ハルカは俺の顔面でゆっくり腰を下ろし、舌での愛撫を求めた。先ほどより強い、甘い香りが鼻をついて、次の瞬間、貪るようにハルカのそこに口をつけていた。
「あっ、あああぁぁぁぁぁんっ!」
 ハルカは腹の底から出たような声を上げ、大きく仰け反った。同時に、ハルカの中からマン汁がどろりとあふれ出す。
 ハルカのマン汁は、女臭くて、やはりほんのり甘い。この「甘さ」こそ、サキュバスの特徴だ。
 俺はハルカの尻から腰にかけてを両腕でしっかりとロックし、逃がさないようにして、下の唇を責め立てた。ときたま、クリトリスにも軽く歯を立ててやる。
「あっ、すごい、すごい、お兄ちゃん! お兄ちゃんっ!」
 ハルカはどうにもならないといった様子で、全身をよじり、悶えた。舐めれば舐めるほど女の蜜が溢れ、ハルカが感じ入っているのが伝わってくる。
(……そういえば……)
 そこでやっと、ハルカの頭にツタが刺さったままだったことを思い出した。指からツタが伸びている感触はずっとあったのに、こんなことまで分からなくなるのか、とサキュバスの匂いの効果に少し驚く。
 だが、思い出せばこっちのものだ。俺は再び、言語回路にツタを刺した。
《ハルカ、気持ちいいか?》
「うん、すごく気持ちいいっ!」
 ハルカはツタ経由でなく、直接口で答えた。
《じゃあ、今俺が何してるか、言ってみろ》
「ええっ? 何って……!?」
 ハルカは恥ずかしそうにしたが、俺の意図が正しく伝わっていないように思えた。だがむしろ、その反応は望むところだった。俺はすぐに、ハルカの思考回路にツタを刺した。やはり、「その言葉」に対する知識が存在していなかったので、弄ってやる。
「あっなにっ、あっだめっ、あっ、あっあっあっ! あっ、あっああっ、くんにっ!」
 ハルカは抵抗していたが、俺の弄りに屈して、その言葉が口から飛び出した。
「あっ、クンニ! クンニ! クンニ! クンニされてる! あっあっあっ!? クンニなんてあっあっ、知らなあっ、クンニ気持ちいいっ!」
《クンニって何だ、言ってみろ》
「あっあっ! ク、クンニリングスなんて、あっあっはるか知らないっ、女の子のあそこ舐めることなんて知ら、あ、あっ、なんで知ってるのっ!?」
 ハルカは驚愕しながらも、クンニと脳弄りで快感を膨らませていく。ハルカが無意識に腰を押しつけようとするのをうまく両手で制御し、むせ返るようなサキュバスの匂いに頭をクラクラさせながらも、ハルカを追い込んでいこうと、思っていたのだが。

 俺の方が限界だった。

「ハルカ……!」
「え、へっ!?」
 俺はハルカを押し上げ、ゆっくり、百八十度回転させて、後ろを向かせた。 そして、ハルカを弄る。
「あっあっまた、あたま、あっあっあたま、おかしく、あっあんんっ、あっ! ……ふぇら! フェラ! あ、フェラチオするっ! お兄ちゃんのしゃぶるっ!」
 知識と指示を与えると、ハルカはすぐに身体を前に倒し、俺の股間に顔を近づけた。あいにく、身長差のせいでシックスナインにはならないが、ハルカの小さい尻が俺の目の前にさらされた。
「うっ!」
「んぅっ!」
 同時に、声が上がった。
 ガチガチのチンコがぬるりと擦られて、恐ろしく気持ちよかった。
《すごいっ! おくち感じる! なんで!?》
 同時に、ハルカの言語回路もツタを通じて快楽を訴えてくる。
 そういえば、まだネタばらししていなかった。
「お前の口は敏感にしてあるぞ、さっきからな」
「んんー!」
《早く言ってよお兄ちゃん!》
 ハルカは口とツタで抗議するものの、すぐに顎を上下させ始めた。
 やり方の知識は与えていないが、サキュバスの本能で分かるのだろう。さっき、その知識がないのに俺に馬乗りしたように。
《ああっ、ああっ、あっ、おいしい、なんか、おいしい……!》
「美味しいのか?」
《うん、苦いのにちょっと甘くて、いいにおいする……よだれ出ちゃう……!》
 甘い? と一瞬思ったが、そういえば、俺自身も淫魔の血を引いているのだから、不思議ではないか。
 よだれのせいなのか、じゅぷ、じゅぷ、とハルカの口から音が響きだした。加速度的に俺の快感も膨らんでいく。ハルカが特にうまいわけではないのだろうが、俺の方がとっくに我慢の限界を超えていたのだ。
「おぉぉ……!」
《気持ちいい? お兄ちゃん》
「超気持ちいい」
 そう言った瞬間、尿管の発射口が開く気配がした。ヤバい、もうすぐ出る、と思いながら、さらに激しくなるハルカの責めを感じていた。
 決めた。ハルカの口に出してやる。
《あっ、またおくちイキそう……!》
 すると同時に、ハルカも絶頂を訴え始めた。
「俺もイキそうだ、頑張れ」
 俺は、無防備になっているハルカの股間に手を伸ばした。マンコに人差し指を慎重に差し込んでいく。
《あっ、なんか入ってくる!》
 ハルカの指以外は何も侵入したことのないであろう蜜壷が、驚いたようにきゅぅっと締まり、俺の指をくわえ込んだ。それがトリガーになったのか、ハルカの全身が小刻みに震え出す。
《だめ、また、まっしろに……》
 ハルカの言葉が途絶え、同時に俺のチンコが激しく舐め上げられた。ほとんど無意識なはずのハルカの動きで、俺の尿道を精液が駆け上がっていき――白濁が、ハルカの口内に放たれた。

 ハルカは、射精が終わるまで、俺のチンコから口を離さなかった。

 お互いの絶頂が終わり、俺が指を抜くと、ハルカも身体の力を抜いて、俺の上に倒れ込む。はぁ、と溜息が聞こえた。
「気持ちよかった……」
 ハルカの口から、満足げな言葉が漏れる。この言葉からは、口に含んでいるものの気配がない。
「あれ、まさか飲んだのか?」
「うん、苦いけど、そんなに嫌じゃなかった。クセになる感じ」
「…………一応、口ゆすいでこい」
「うん。お兄ちゃんも一緒にいこ、顔汚れちゃったでしょ」
「ん…………ああ、わかった」
 そんなわけで、その場は自然にブレイクが入った。
 多分、ハルカも自分の体液がついた口でキスされたくないんだろう。それに――

 きっとハルカは、俺から離れたくないんだろう、と思った。

 暗がりの中、裸のまま二人で流し台に向かい、俺から顔と口を綺麗にする。続いて、ハルカが口をゆすいだ。
 会話も交わさず、常夜灯のおかげでやっとの事で見えるハルカの姿を見つめる。タイミングを見計らっていた。
 ハルカが三度目に口をゆすぎ、ぺっ、と水を吐く。そして、蛇口を閉める。俺が持っていたハンドタオルを受け取り、顔を拭いて、タオル掛けに戻す。
 ここだ。
「あひっ!」
 ハルカがそのままの姿勢で硬直し、全身を震わせた。次の瞬間、ハルカの腰が砕けそうになり、俺は抱えるように抱きしめた。
「あああ、えっちしたい、えっちしたい、えっちしたいいぃっ!」
 ツタで強烈な快楽を与えられた上、性欲を全開にさせられ、ハルカは譫言のように俺に訴えた。胸と腰を俺にこすりつけるハルカの様子を見て、すぐに俺のチンコが勃ち上がる。
「ベッドに帰るぞ」
「むり、むり、足、うごかない、えっちしたい、したいぃ……」
「しょうがねえな、ほれ」
 自分のしたことを棚に上げ、俺はハルカを抱きつかせた。まるで対面座位の体勢になり、チンコが熱い滴で湿るのを感じた。

「や、や、身体が、とまんない……」
 ベッドに仰向けに転がされたハルカは、もはや下半身を制御することができず、腰を突き上げるように揺らしていた。
「そんなに欲しいか」
「うん……欲しい、欲しい……お兄ちゃんの、欲しい……っ!」
「そうか、ちょっとだけ待て」
 俺は手に持っていたタオルを,ハルカの腰の下に広げた。さっき、流し台の側にかかっていたものだ。

 そして、ハルカの両膝をがっちりと捕まえる。ゆっくり足を持ち上げ、M字開脚させた。
「あ、はゃ……」
 はやく、と言おうとした言葉が、途中で消えた。気づけば、あれだけ揺れていた腰も、動かなくなっている。
 その原因は、肌に伝わる感覚で、分かった。
「少し、怖いか」
 ハルカはその言葉に反応しなかったが、少し震えていた。
 俺のそそり立ったチンコが、ハルカの股間を撫でている。俺から見ても、入るかどうか不安になるくらい、チンコとマンコのサイズに差があった。
 ハルカがいかにサキュバスとはいえ、初めてのことに、本能的な恐怖はあるはずだ。
「大丈夫にするか?」
 右腕を膝から抜き、俺はハルカの頭を、指でトントンと叩いた。
 それで、意味が伝わったのだろう。数秒間の沈黙のあと、ハルカが無言でうなずいた。俺は触手を動かす。
「あっ……? ああっ!」
 恐怖心を緩め、痛覚を鈍らせた。途端に、再びハルカの腰が跳ね上がった。一瞬だけひるんでいた性欲が、脳を弄られる快楽のオマケをつけて、ハルカの身体を突き動かしていた。
「入れて! お、お兄ちゃんっ! 我慢できないよぉっ!!」
 今度こそ痺れを切らしたハルカの声は、もう泣き声に近い。
「落ち着け、入らないぞ……」
 俺の声に、ハルカは爆発しそうな腰の疼きを何とか堪えようとする。その隙を突いて、俺はハルカの膝を抱え直すと、ハルカの小さな入口にチンコを宛がう。
 そのまま、無理を承知で、一気に分け入った。
「あ゛っ!!」
 みしっ、という音が聞こえるようだった。
 ハルカのそこは、極限まで濡れそぼっていたにもかかわらず、とてもキツかった。ハルカの狭い穴が、俺のチンコに抵抗する。俺はその力に抗して、メリメリと胎内を切り開いていく。
 やがて、こつん、とチンコの先に何かが当たる。俺のチンコがほぼ全て、ハルカの中に埋まった。
「すげえ……!」
 思わず声が漏れた。
 気持ちよかった。ハルカの膣がチンコを食い締めていて、その加減が絶妙だった。俺は思わず、腰を押し込んだ。
 びくんっ! と女体が跳ね上がった。
「ハルカ!」
 ハルカがまるでブリッジのように仰け反っていたことに、その時まで気づかなかった。俺は慌てて、腰を少し引く。ハルカのマンコはチンコを決して離さず、だがそのおかげでハルカの体勢がやっと落ち着いた。
「大丈夫か」
《    》
 ハルカの言語回路が、刺したままだったツタ経由で、言葉にならない「波」を伝えてくる。だが、その波は穏やかで、危険性は感じられない。
「痛くないか」
《    》
 答えはやはり「波」だったが、大丈夫そうだった。
 ハルカの身体は断続的に痙攣して、まだ休まらない。俺はハルカが落ち着くのを待つことにした。
 一分ほどの静寂で、やっとハルカの痙攣がほぼ治まり、そして、
《し あ わ せ … … ぇ》
「!」
 ハルカがやっと、その言葉を伝えてきた。
 威力は絶大だった。俺の腰が、もうおさまらなくなった。
「動くぞ」
 そう言うと、ハルカの返事を聞かず、俺はゆっくりと抽送を開始した。
「う゛……」
 ハルカの喉から漏れたのは「音」だった。どうやら、半分意識が飛んでいるようだ。イッているというより、大きすぎる性欲を満たされたことや、下半身からの衝撃を処理しきれなくなって、脳が処理を放棄している様子だった。

 早く始めた方が良さそうだ。ハルカのためにも、俺のためにも。

(あー、気持ちいい……)
 女の、もしくはサキュバスの神秘を体感していた。
 ハルカの膣は、俺のチンコをしっかりと締め付けて、ピストンの度に背中をゾクゾクとした快感が襲った。そこのサイズが小さいせいでもあるが、何よりハルカの「壁」が自律的に蠕動しているのがたまらない。
 おかげで、一度出したというのに、あっという間に高まってきた。
「お゛お゛お゛……お゛お゛……」
 ……そして何より。俺を興奮させていたのが、ハルカの前後不覚な呻きだった。

 ハルカは滑らかな胴体をたびたび仰け反らせ、苦しむように、それでいて刺激を貪るように、俺からの突き上げに翻弄されている。薄暗い豆電球の中で、その動きはまるで華麗な芋虫のようだった。ハルカの汗の臭いと、甘やかなサキュバスの体臭が、かすかに俺の鼻まで届いてくる。

 まるで、最愛のハルカを穢しているようだった。それはとても後ろめたいことのはずなのに、その事実を嘲笑うかのように、強烈に興奮してしまう。
 俺の手によって、知性体としての意識を放棄させられ、俺のいいようにされているハルカ。その膣を突き上げる度に、俺の心の奥底から、凶悪な欲望が漏れ出してくる。

 ――ハルカは、俺のだ……オレのだ……オレノダッ……

(黙ってろ)
 自分の内心に一喝する。幸いにも、内なる声はその凶悪さに反してとても弱々しく、あっという間に消え去った。
 なるほど、これが「ツタ使い」の本能か、と悟った。「八分の一」で助かった。

 はぁっ、はぁっ、はぁっ。
 俺の息が上がって、ピストンが早くなっていく。
 抽送を繰り返すうちに、ハルカの膣は狭いながらも少しずつこなれてきて、侵入物を目一杯ほおばりながら、不定期な締め付けでもてなしている。
「うっ……あ、あ――」
 いつのまにかハルカの喉も、獣のような音ではなく、少しずつ可愛らしいあえぎ声を漏らし始めていた。
 俺はハルカの背中に手を回し、ハルカを抱き上げた。
「あ゛っ」
 俺はあぐらをかき、対面座位になる。ハルカの首の座りが怪しかったが、俺の上に乗ったハルカは、薄目を開けて、ちゃんと意思のこもった目で俺を見ていた。
 ハルカがゆるゆると、俺を抱きしめる。
「お兄ちゃん……」
 そこでやっと、ハルカが言葉を発した。
「大丈夫か?」
「うん、苦しいけど、大丈夫。お兄ちゃん、大きいよ……」
「お前が小さいんだ」
 俺の言葉に、ハルカは熱い吐息を漏らして、笑った。
「えっち、できたぁ……!」
 感極まったような、いやらしい笑みだった。
「はうっ」
 俺のチンコが僅かに反応し、その動きだけでハルカの上半身が跳ね上がった。
 ハルカの身体が戻ってくると同時に、ハルカが腰を押しつけてくる。
「おぅっ」
「おにいちゃんーっ」
 ハルカはそれを契機に、腰を振り始めた。
「あっ、うっ、ううっ」
 苦しさと快楽をない交ぜにしたような声を漏らす。
「本当に大丈夫かよ」
「う……ちょっと苦しいけど、なんか、こうしたくなっちゃうのっ」
 サキュバスの本能が、ハルカを突き動かしている。
「無理すんな、苦しくないように動かせよ」
「うん、はぁっ!」
 言ってるそばから、ハルカは力強く俺に腰を押しつけ、ハルカの全身が硬直した。きゅっ、とハルカの膣が締まる。
(そろそろヤバいな、俺も)
 ハルカの無理がたたりそうな上、俺自身も我慢できなくなってきた。そろそろ終わらせよう。
 そう判断した俺は、ハルカの尻を掴み、ハルカの動きを止めた。
「え?」
 そのまま仰向けに寝転がり、ハルカを下から突き上げた。
「ひぐぅっ! だ、だめ、すごいすごいすごいっ! すごいいいっ!」
 自らの身体の主導権を失ったハルカは、俺にしがみつきながら、快楽と苦しさに翻弄されて、叫びに近い声を発した。だが、もう手加減するつもりはない。そこで俺は、未だに脳に刺したままだったツタで、ハルカの快楽回路を刺激した。
「あっあっあっあああああっああっあっあああぁっああっあっあっ!!」
 ハルカは脳の刺激を受けて、完全に意思疎通を放棄し、自らの快楽にのめり込んだ。俺も自分の絶頂を悟り、ラストスパートに入る。
 そしてほどなく、
「出る!」
「ほあああああぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!!!!」
 ハルカの膣に向けて白濁液が打ち込まれた。
「あひうううううううううううっっっっ!!!」
 ぶしゅっ、と、玉袋に噴き出す物を感じる。見えないが、おそらく、ハルカの潮だ。
 ハルカは二度奇声を上げて、激しく痙攣し、その後、ぐったりと倒れ込む。
 完全に、意識を失っていた。

 気がつくと、俺の隣でハルカが眠っていた。

(……)

 ぼんやりする頭で、どうしてこうなったか考える。
 確か、ハルカの下半身をタオルで拭いて、血がついたタオルを軽く水洗いしてから片付けたのまでは覚えているが……どうやら俺も、そのまま寝てしまったらしい。
 すると、俺の動きに気づいたのか、ハルカが呻き声を上げ、目を開けた。

「まだ痛い……」
「だから言ったろ、無理するからだ」
「半分はお兄ちゃんのせいでしょ……」
 そうだ、思い出した。
 片付けてから、ハルカの痛覚を元に戻したのだ。その途端、ハルカの全身が硬直して、俺に抱きついて、「痛い痛い」と言いだした。それが収まって静かになったと思ったら寝ていたんだ、こいつ。

 俺は起き上がろうとしたが、同じく目を覚ましたハルカはまだ、俺の身体を離そうとしない。明らかに機嫌が悪くなっているのを察し、俺は仕方なく、そのままハルカの駄々捏ねに付き合うことにした。

 ――ん?

 何か、そこはかとない不安が、脳をかすめた。

「楽になったか」
「……まだ」
 十分くらい経ったが、ハルカはまるで岩のようにその場を動かず、俺を離そうとしなかった。それとなくハルカから離れようとするたび、ハルカの腕に力が入り、絶対に俺を手放さないという意図を感じる。

 ――もしかして。

 全くの勘だった。しかし、ハルカとの長年の付き合いのおかげか、ひらめくものがあった。
 これは、何か別の理由がある。……気がする。

 しばらく思考を巡らせた俺は、あることに思い当たり、はっとして頭上に目をやった、そこには、棚の上に置かれていた目的のものが、俺達を見下ろしている。
 そしてその表情――短針と長針の位置を見て、俺は大きな溜息をついた。

 間一髪。間に合う。

「ハルカ」
「ん」
「ちゃんと言ってなかった。……誕生日おめでとう」

 数秒の静寂の後。
 ハルカの身体から力が抜け、ほぼ同時に、すぅ、という寝息が上がった。

 ハルカは何も言わない。ツタも何も言わない。
 しかし、俺はその静寂に心地よさを覚え、ハルカの後を追うように、再び意識を手放していった。

< つづく >

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