第十三話
(魔王様……魔王様……)
玉座に力なく寄りかかる我は、精神に直接呼びかける声で意識を取り戻した。どうやら、フィオの声らしい。玉座の周囲には、蛇の下半身を持った娘と、蜘蛛の脚の娘、タコの触手をはやした娘が一人ずつ控えていて、不安げに我の様子をうかがう。誰も呼ぶなと言ったのに、フィオは三王女それぞれの娘から年長の一人を選び出し、我の世話をするために控えさせていた。吐き気と苦痛は弱まりつつも、慢性的に我の身体を締め付けている。
我は目をつむり、人界へ降り立ったエレノアとフィオの感覚に自分の感覚をつなげた。
そこは、ソル=シエル王城にある儀式のための大広間だった。床一面には、複雑かつ精緻な魔法陣が描かれている。王宮に勤める優秀な魔術師たちは、全員がそこに集められ、長く奇怪な呪文を読み上げていた。エレノアとクレメンティアの魅了の魔術により傀儡となった彼らは、言われるままに儀式にふけっている。
(お父様、全て順調ですわ。私とフィオが聖都アルターレに到着するころに、この儀式の魔術が発動する手はずよ)
エレノアが語りかけてくる。身に付けた衣装は、魔術師が旅装としてまとう動きを妨げないものだ。
(これから、フィオとエレノアが、リーゼと聖女様を迎えに行きます)
横にいた、フィオが語りかけてくる。こちらは、外套だけを羽織り、その下は全裸だ。エレノアも、フィオも、その胸に魔性の瞳が開き、隠そうともしていない。
最後の計画の決行の時が来た。エレノアとフィオは、儀式場に背を向けると、城のバルコニーに出る。フィオが白銀の翼を持つ巨鳥へと化身すると、エレノアはその背に飛び乗る。二人は、くすんだ空へ向けて飛翔した。
フィオは山と渓谷と森林を越えて、一直線に聖都アルターレに向かう。およそ、二、三刻ほどの飛翔で、眼下には広大な草原が現れる。さらにその草原の中央には、水たまりのように波一つ立たない湖がある。湖の真ん中には、浮かぶように巨大な神殿が造られ、湖を取り囲むように街があり、さらにその周囲に実り豊かな麦畑が広がっている。
湖を中心とした聖都アルターレと、その周辺の草原が、聖女領だ。豊かな土地ではあるが、ソル=シエルやサヴェリアと比べれば、ささやかな領土に過ぎない。それでも、聖都が三王国の一つに数えられるのは、一重に聖女ティアナの威光によるものと言って差し支えはないだろう。
聖都は、守りに適さない地形でありながら、城壁の類は一切ない。それは、人界の象徴、千年を生き続けた聖女ティアナを攻めようとする者がいないから……だけではない。聖女の持つ力で、強力無比な聖術の大結界が張り巡らされているのだ。敵意を持った者、魔に堕ちた者は、聖女と神官の許しを得られぬ限り、この結界に阻まれてしまう。
聖女の守りで、穏やかな繁栄が約束された聖都アルターレ。しかし、いま上空から見えるその街には、多数の兵士と、巨大なバリスタ、投石機が配置されていた。兵士たちの傍らには、槍の王国サヴェリアの国旗が掲げられている。
聖都の周りを旋回して飛翔するフィオに気がついたようだ。バリスタの周りの兵士たちがあわただしく動き始める。ただ、撃ってはこない。結界に阻まれ、近づけないと考えているのだろう。もしかしたら、どうにかしてフィオとエレノアを生け捕りで取り戻したいと思っているのかもしれない。
と、その時。
閃光が奔る。
少し遅れて、山が崩れるような、轟音が響く。
フィオが飛翔した後をなぞるように、ソル=シエルから聖都アルターレへ向け、一条の、天を分かつほどの太さを持った紫電が放たれた。
竜のごとき雷撃は、顎を広げ、大神殿を呑み込もうと落ちてくる。空一面が、雷電の輝きに染まる。そのまま、結界と衝突する。電光は炸裂し、不可視の壁は粉々に打ち砕かれる。その衝撃が突風となり、湖の水面を、草原の草を、放射状に揺らしていく。
この稲妻には、ソル=シエル王都を支える魔力筋から引き出した、全魔力を注ぎ込んでいる。文字通り天変地異を引き起こす、大魔術の結果だった。
(これで、あの都の魔力は、あと数年で枯れるわね)
エレノアが、何の感慨もなくつぶやいた。同時に、真下が騒がしくなる。サヴェリア兵たちが、バリスタを動かし始めたのだ。五、六本の、丸太ほどの矢が、フィオめがけて放たれる。フィオは、宙に舞う木の葉のようにこれをかわし、神殿が浮かぶ湖めがけて急降下する。そのまま、湖面に突っ込み、大きな水しぶきが上がる。
水中にもぐったフィオは、再び別の姿へと化身し始める。巨鳥の大きさだった身体がさらに膨らみ、体表は粘液質になっていく。ほどなくして、フィオは島ほどの大きさもある巨大な大蛸へと姿を変えて、湖上へと姿を現す。同時に、大きくなったフィオの影が魔界へとつながる。そこから、母と同じく蛸の脚を持った娘たちが、湖底へと無数にはい出してくる。
神殿の壁に控えていた神官戦士団が何かを叫ぶと、弩を構えた。かつての聖女の一番弟子であるフィオに向かって矢を放とうとする。その時、大蛸となったフィオが自分の身をのたうたせる。ただそれだけの動作で、湖面には、津波のごとき大波が立つ。神官戦士たちは、矢を放つ間もなく、波に飲み込まれていく。かろうじて、壁面にしがみついた者もいたが、フィオの娘たちが水中から蛸の触手を伸ばして四肢を捕まえ、湖底へと引きずり込んでしまう。
フィオは、大樹よりも太い自らの触手を神殿の壁にたたきつける。石壁が崩れて、神殿に穴を開く。再度、大波を立たせると、神殿内に流れ込む水に乗じて、娘たちを攻め込ませていった。
「さてっと……フィオの背中を守るのが、私の仕事ね」
エレノアが、少し楽しそうに口にする。巨鳥の姿をしたフィオから飛び降りたエレノアは、神殿と街とをつなぐ、湖上のただ一つの橋の上に降り立っていた。外部からの攻めに対応するため、街に配置されていたサヴェリア兵たちが、神殿へ戻ろうとこの橋に殺到することは容易にわかる。ほどなくして、長弓を携えた軽装弓兵の一団が、エレノアの前に現れる。
「ソル=シエル国の、エレノア女王殿下とお見受けします! 聖都のために、どうぞお覚悟をッ!!」
サヴェリアの女兵士は、そう叫ぶと、一斉に矢をつがえ、弦を引く。規律の取れた、乱れのない動きの前にも、エレノアは全く動じない。
「威勢のいい人たちね。そう思わない? お母様……」
エレノアが、誰もいないはずの後ろを振り向きながら、つぶやく。すると、エレノアの影が揺らぐ。そして、影の中から、一人の女性が浮かび上がってくる。ソル=シエルの女王にして、熟練の魔術師でもあるクレメンティアの姿。
「構うな! 射て!!」
女兵士たちが、矢を放つ。と、同時に、女王クレメンティアが、両腕を掲げ、精緻な指の動きで魔術の式を編み上げる。次の瞬間、エレノアとクレメンティアの地点を中心に突風が吹き荒れ、放たれた矢を吹き飛ばしてしまう。
「うふふ。さすが、お母様……それじゃあ、次は、私の番ね」
エレノアは、クレメンティアとは対照的な、曲線的な動きを全身で編み出し、踊るように魔術の式を組み立てる。弓兵たちがひるんでいる間に、エレノアの頭上に白熱する炎の塊が現れる。それは、火焔でできた巨人の姿を形作っていく。
「く……ッ!?」
サヴェリア兵たちが、炎熱に耐えつつ、次の矢をつがえようとした時、エレノアが手をかざす。火焔の巨人が、エレノアの意志に応じて、灼熱の吐息を、兵士たちに吹きかける。
「うわあぁぁぁ!!」
女兵士たちの悲鳴が上がった。炎に包まれたサヴェリア兵は、ある者はその場でのたうちまわり、ある者は湖に飛び込んでいく。
戦意を失い潰走する兵たちの背後に、さらなる兵団が集結する様子を、エレノアは目を細めて眺める。
我は、感覚を広げる。結界が破壊され、神官どももフィオとその仔らの対応に追われている。ならば、リーゼに対する封印も弱まっているはずだ。我は、リーゼの捕らえられた場所を、感覚をつなぎ合わせることで探し出そうとする。
リーゼの感覚は、思ったよりも早く捕まえることができた。相変わらず身体は拘束されているが、いつぞやの耳障りな聖句は聞こえてこない。
(リーゼ、目を覚ませ……リーゼ、目を覚ますのだ……)
我は、リーゼの精神に何度も呼びかける。
(……ご主人様……?)
リーゼの意識が、返事をした。ついで、リーゼの眼が開き、我に視覚が伝わってくる。客間のような部屋で、寝台の上にリーゼは聖術で祝福された鎖で身を拘束されていた。負った矢の傷は医術と聖術で治療され、いまは薄い服を着せられている。リーゼが覚醒したことに気がつき、身の回りの世話を任されていたらしき巫女が、短い悲鳴をあげて後ずさる。
(リーゼ。鎖を引き千切れ)
我は、リーゼにそう命じる。リーゼの胸元で、閉じていた魔性の瞳が目を開く。
「分かりました。ご主人様」
リーゼは、腕に力を込める。リーゼ自身の筋力に、魔界とのつながりを取り戻したことによる魔の力が流れ込む。聖なる鎖が魔の力に反発し、リーゼの腕に火傷のような跡を作っていくが、リーゼは構わずに力を込める。ほどなくして、鉄がきしむ嫌な音を立てながら、リーゼの鎖が引きちぎられる。
リーゼは、一挙動で寝台から立ち上がると、おびえる巫女を突き飛ばし、廊下へと飛び出す。廊下で鉢合わせになった神官戦士を、徒手空拳でなぎ倒そうとする。しかし、神官戦士は、紙一重でリーゼの拳をかわす。後ろに跳んで、間合いを取り、腰の長剣に手を伸ばした神官戦士と、リーゼは対峙する。
リーゼは、目の前の神官戦士に隙を見せないように気をつけながら、身をかがめ、影の中に手を伸ばす。魔界の武器庫に、空間をつなげ、現世へと槍を引っ張り出す。
「たぁっ!!」
リーゼは、短い掛け声とともに、神官戦士に挑みかかる。神官性が抜いた長剣と、リーゼが握る槍の刃が交えられ、鋼の音が響き渡る。リーゼは、一瞬のすきを突き、神官戦士の顎を石突きで打ち抜く。神官戦士の身体が、仰向けに倒れていく。
だが、その騒ぎを聞きつけた他の神官戦士たちが、リーゼのもとに集まってくる。廊下の前と後ろに、多数の神官戦士が壁を作る。リーゼが、無言で槍を握りなおす。その時……
「!?」
神官戦士たちが息をのむ音が聞こえる。揺らめいたリーゼの影から、一人の姿が浮かび上がってくる。リーゼは、浮かび上がった人の姿を振り返る。リーゼの顔には、危機に際しているとは思えない、優しい表情が浮かんだ。
「リリアーネお姉様……」
リーゼが、目から涙の粒をこぼしながら、つぶやく。リーゼの背後には、軽装の鎧に身を包み、手に槍を握ったサヴェリアの姉姫リリアーネの姿があった。リーゼが再び前を向くと、姉姫と妹姫は、お互いの背をあずけながら、神官戦士の一団に挑みかかっていく。
湖上の橋の上。エレノアとクレメンティアの眼前には、風にあおられて燃え盛る炎の壁が広がっていた。サヴェリアの兵団を足止めするために、エレノアの炎の魔術と、クレメンティアの風の魔術を組み合わせて作り上げた灼熱の障壁だった。すでに、サヴェリアの重装歩兵が、鎧の厚さに任せての強行突破を敢行していたが、魔術の炎熱に耐えきれず、結局は湖に飛び込み、湖底に沈む羽目となっている。
炎の壁の向こうから怒鳴り声が、わずかにエレノアの耳に届く。どうやら、副官が投石機で橋ごと、エレノアとクレメンティアを砕いてしまおうと提案し、指揮官に橋を壊してどうする気だ、と反対されているらしい。
「揉めている場合では、ないでしょうに……」
エレノアが、皮肉を含んだ笑みを浮かべる。さらに、自らの影を広げて、蛇の下半身を持った自分の娘たちを橋の上に召喚していく。十分な数の娘がそろうと、エレノアは、クレメンティアとともに手をかざす。魔術の式を、編みなおし、炎の壁に向こう側からは気付かれない程度の隙間を作る。次の瞬間、エレノアの娘たちは、炎の壁に飛び込んでいく。
「隊長!! 炎の向こうから……ッ!?」
攻めるも攻められるも適わないと思っていたサヴェリア兵たちは、突如、炎を越えて踊りこんできた蛇の下半身を持つ娘たちに、完全に奇襲を食らう。ある者は、大蛇の尾に叩かれ、湖に落下した。またある者は、蛇の下半身に締め上げられて動きを封じられた後、鋭い爪で鎧の隙間を貫かれる。
どうにか、状況を認識し、サヴェリアの指揮官が伏兵への対応を命じる。すると、その時、炎の壁が姿を変える。エレノアが、さらに魔術の式を編みなおし、業火の壁は、巨神の掌のごとき姿に形を変える。蛇の下半身を持つ魔物を討とうと、槍や弓を構えなおした女兵士たちは、火焔の掌に叩きつぶされる。そのすきに、エレノアの娘たちが、橋上に運び込まれた投石機に張り付き、湖へと突き落としてしまう。
数では圧倒的に勝るはずのサヴェリア兵たちは、橋の上ではその利を全く生かせない。逆にエレノアと少数の魔物たちに追い詰められ、サヴェリアの戦意は打ち砕かれていった。やがて、サヴェリアの兵たちが街に向かって下がり始めるのを確かめると、エレノアは後をクレメンティアと娘たちに任せて、大神殿へと向かい始めた。
大神殿内の神官戦士団も、フィオとリーゼに戦力を分断されて、ほぼ制圧されていた。リーゼとリリアーネは、二騎当千の勢いで神官戦士団を打倒し、フィオの起こした大波で水没した神殿の階下は、水中を得意とするフィオの娘たちの領域と化している。
エレノアが大神殿の広間を突っ切り、中央に近づくと、そこには、人型に戻ったフィオと、リリアーネを連れたリーゼの姿があった。合流した三王女は、そのまま迷うことなく、大神殿の中枢……聖女がいる中央祭壇へと向かう。
「待たれよ。三王女よ……」
中央祭壇に続く巨大な扉の前に、年老いた聖都の司祭が立ちふさがる。その顔はやつれていたが、顔に浮かんだ表情は恐怖や焦燥ではなく、ただ諦観の色だった。
「もはや、なぜ魔に堕ちたかとは、聞きますまい……ただ、一体、これほどのことをして、何を望むと言うのです?」
老司祭が、三王女に尋ねる。三王女の胸元に息づく魔性の瞳を確かめ、その手が震える。
「聖女ティアナ様を、迎えに来たんです」
フィオが、いつもと変わらない表情で答える。
「私たちの望みは、全て叶ったわ。後は、お父様の望みをかなえるだけ……」
エレノアが、声を低めてささやく。
「司祭様。どうぞ、道を開けてください。ご主人様は、あなた方を殺すことを命じているわけではありません」
リーゼが、丁寧にそう告げた。
「聖女ティアナ様を、渡すわけにはいきませぬ」
三王女の返答を聞いた老司祭の震えが激しさを増し、顔に脂汗が浮かぶ。やがて、覚悟を決めたのか、自らの命を賭して、魔を払う聖術を行使しようと手をかざす。その時……
音もなく、巨大な扉が開く。
その場にいた者たちが、扉の隙間から強い光が差し込んできたと錯覚する。
やがて、扉の向こうから一人の女性が現れる。
瑠璃のように透き通っているかのような金色の髪をたたえ、慈愛の女神の如し柔和な表情を浮かべた女性。青と白の衣で仕立てられた聖衣に包まれた身体は、ほっそりとしながら均整のとれた黄金比を描き、指先までも至高の彫刻のごとき滑らかさを描く。人界の象徴、千年の齢を生き、決して老いることのない乙女、聖都アルターレの聖女ティアナの姿だった。
エレノアも、リーゼも、老司祭すらも、雷に打たれたかのように動けなくなる。ただその中、全裸で、淫らな肉付きの身体をしたフィオが、巨大な乳房の上に魔性の瞳を開いたまま、聖女の前に歩み出る。
「あの、ティアナ様……?」
フィオは、もじもじと不安げに聖女の顔を見上げると、ゆっくりと口を開いた。聖女ティアナは、にっこりと笑いながら、フィオの顔を見返す。
「迎えに……来ました。ティアナ様……」
拒絶されるのではないか、というわずかな不安を感じたフィオの言葉に、聖女は優しい抱擁で返す。聖女の髪の良い香りが、フィオの嗅覚を通じて、我に伝わる。柔らかく抱きとめられたフィオは、一瞬だけ戸惑う。
「ええ、あなたの迎えを、ずっと待っていたのよ。フィオ?」
聖女の声を聞いたフィオの相貌が崩れる。
「えへへ、ありがとう。ティアナ様、大好き」
フィオは、母親に甘えるように聖女の胸に顔をうずめる。
「もう、フィオったら。少し見ない間に大人になったかと思ったら、相変わらず甘えん坊さんなんだから……」
聖女は、フィオの髪を撫でながら、エレノアとリーゼのほうを向く。エレノアとリーゼは、それだけで背筋を伸ばす。
「エレノアとリーゼも、お疲れ様。一年近くにも及んだ、長い旅でしたね」
聖女が、魔に堕ちている二人の姫に、労いの言葉をかける。
「あの……聖女様には、これから私たちと一緒に魔界に来ていただきます……魔界に来れば、おそらく人界へは二度と戻れないと思うのですけれど」
エレノアが、恐る恐る口を開いた。聖女は動じることもなく、うなずく。
「ええ、もちろん、わかっています。そのために、あなたたちは来たのでしょう?」
聖女の柔らかい声音に、エレノアが震えながらうなずいた。
「聖女ティアナ様……何か、魔界へ持っていきたいものはありますか? 聖典などでなければ、融通いたします」
丁寧に言葉をかけるリーゼ。しかし、その手にはじっとりと汗が浮かんでいる。
「そうですね……では、リンゴの苗木などはどうでしょうか?」
聖女が尋ねると、リーゼはうなずいた。聖女は微笑みを返し、傍らの老司祭に命じて、リンゴの苗木を取りに行かせる。
「ふふふ、エレノアもリーゼも緊張なさらないで? 三王女は姉妹みたいなものでしょう。ならば、私もあなた方の親族です」
聖女の言葉に、エレノアとリーゼは、少し安堵したかのように息をこぼす。
やがて、老司祭が苗木を持って、聖女の前に戻ってくる。後ろには、無事だった神官や巫女を連れていた。彼らには、もう戦う力は残っておらず、ただ泣いて、聖女との別れを嘆いていた。
「皆、事後のことは、任せます。決して、争いは起こさぬように……」
聖女が、神官たちを向いてそう言った。その言葉を聞いて、神官たちの嘆きが、激しさを増す。エレノアとリーゼは、魔物の娘たちと、二人の女王を魔界へ送還するために、その場を離れた。ただ、フィオだけが、ぴったりと聖女のもとに寄り添っていた。
「それでは、フィオ。私を、魔界へ連れて行って?」
リンゴの苗木を抱えた聖女が、柔らかくフィオに告げる。
「はい。ティアナ様!」
フィオも、嬉しそうにうなずく。やがて、フィオの影が底なし沼のようにうごめき、聖女と、その弟子は、ズブズブとその底へ沈みこんでいく。聖都の大神殿、中央祭壇の前で、満身創痍の神官団の嘆きの声だけが、終わることを知らずに響き続けていた。
< 続く >