プリマ 第2話

 ロケバスでの移動中、マサキは限られた時間を使って、Youtubeの催眠術ショー動画を漁るように見ていた。少しでも多くの、愉快な画を撮るためのヒントが欲しかった。結局のところ、撮影が始まってしまえば、芳乃香さんの反応を見ながらのアドリブ勝負になる。けれどだからこそ、予想外の展開になった時に対処する、アイディアのバリエーションを数多く持っておきたかった。

 海外の動画も含めてショー催眠の動画を大量にザッピングしていくと、ショーの後半で大きくグルーブしているタイプのショーには、共通点が見られた。それは催眠術師本人が、堂々としていて、安定感のある。自然なユーモアを全身から醸し出しているような人たちだといういうことだ。色んな人種、性別、年齢の催眠術師がいたが、オドオドしていたりイライラしているようなプロの催眠術師は、一人もいなかった。そのことを思うと、昨日の切羽詰まって我を忘れていた自分を思い出して、また一層恥ずかしくなる。それでも、なんとか今日は切替ていこうと思うようにする。出来るだけ、スマホに映る、プロフェッショナルで明るく楽しいステージ催眠術師たちを沢山見て、自分自身に憑依させるように心がけた。

「大丈夫…………なんでしょうか? ………なんだか企画が、予想の斜め上に変わってましたが………。これ、進行確認もリハーサルも無しに、いきなり撮影始めちゃうんですか?」

 貸しスタジオに入って、隅っこの机と椅子を使って、メイクの時間に入っていた若園芳乃香さんが、マサキを呼び止めて、心配そうに耳打ちする。今日は昨日の撮影と違って、メイクの梶田果代ちゃんが東京から始発で現場に来てくれていた。昨夜の件があった時、キューさんが気を遣って呼んだようだ。女性のスタッフが一人いるだけで、演者の芳乃香さんにとっての安心感は段違いだろう。それでも、彼女は今、急な展開に、表情を曇らせて、マサキに不安を伝えて来ていた。

「大丈夫ですよ。芳乃香さん。実際に、どこが使えるかわからないから、ずっとカメラを回しておくってだけで、後から都合の良いところだけ編集で残すので、進行とか一旦忘れておいてもらって。本番が始まって、僕に催眠術を試させてもらったら、すぐに芳乃香さんは『究極のリラクゼーション状態』になれます」

「………………」

 マサキがキーワードを告げると、芳乃香の顔から表情が無くなる。半分閉じた瞼の下で、ボンヤリとした黒目が遠くを見るように固まって、生気を無くしていく。

「………あれ? 芳乃香さん。どうかしました? …………」

 ファンデーションを塗りつけている途中だった、メイクの果代ちゃんが、突然意識が途切れたような芳乃香の様子を見て、戸惑い始める。

「リハーサルは、もう、済んでいますから、大丈夫。………果代ちゃんは気にしないで、メイクを続けてね」

 白衣を身に着けたマサキは、メイクの果代ちゃんに、大仰なウインクをしてみせる。Youtubeで見たステージ催眠術師の人たちのような、ケレン味のある雰囲気づくりを精一杯、心がけてみた。

「なんか…………、今日は芳乃香さんも、マサキさんも、雰囲気が違いますね…………」

 アシンメトリーなショートカットの果代ちゃんは、マサキの芝居がかった喋りに、若干引いているようだった。それでも、一瞬で催眠状態に落ちた芳乃香さんを見て、驚きを隠せないでいる。マサキはわざと、本番前に果代ちゃんを驚かせておいた。ギャラリーの作り出す雰囲気は、絶対にカメラの前に立った時の芳乃香さんの反応にも影響してくるはずだからだ。ボーイッシュな顔立ちと迫力ある胸の大きさがアンバランスな魅力を醸し出すメイクさんは、不思議そうに首を傾げて、芳乃香さんとマサキを交互に見ていた。

 あれこれ作戦を練って、カメラが回ってからの催眠企画のスムーズな導入を準備したつもりのマサキだったが、いざ、撮影が始まってみると、意外と導入はギコチない進み方になった。カメラの前で、まだ若干の戸惑いを見せつつも、「今日は意外な新企画があります。なんと、私、若園芳乃香が、スタッフさんの特技である、催眠術にかかるか、試してみようというものです」と説明をして、マサキの登場を促す。これまで散々、撮影の進行を管理してきたADのマサキだったが、いざ自分が出る側に回ると、登場シーンからタイミングが合わずに、変な間を空けてカメラにインしてきてしまった。撮影されていることを意識していると、自然に歩くということすら、意外と難しい。自分がどれくらい手を振っていたか、どれくらいの歩幅が自然か、赤いランプのついたカメラの前では、全てが飛んでしまうような気がする。

「この………音叉で、若園さんの意識をいつもと違う、トランス状態に導いてみますね。まずは、普通に音叉の音を聞いてみましょうか。…………普通の音がする。普通の音叉ですよね? これだけだと、何ともない………」

 マサキが音声のマルさんから借りた音叉を、パイプ椅子の端に当てて、キーーンと音を出す。ここで、芳乃香さんには平然としていて、はっきりとした回答を返して欲しい。そこから催眠の導入が始まって、彼女をトランスへと導いていく………。はずだったのに、最初の一音で、芳乃香さんは既にボンヤリと前を見て、「入って」しまっていた。彼女の被暗示性が高すぎるのか、朝から一度、キーワードで催眠状態に落としたりしたマサキのせいなのか、頭の良い芳乃香さんは、音叉の音を聞いただけで、数手先のことまで理解したかのように、さっさと催眠状態に入ってしまったのだった。

 これは………。催眠術にかからないという、最悪の事態よりははるかにマシなのだが、TV的にはあまり美味しくない。最初に音叉の音を聞いても、なんともない、普段通りの芳乃香さんが、マサキの施術後には、一音で様子が変化してしまうという、ギャップが撮りたいのだ。純粋な催眠術としては上手く行っていても、それをエンターテイメントとして演出しようとすると、それでけでは足りないことがあるようだ。そのことをマサキは今、ライブで体験しつつ痛感していた。そして出だしから、内心で焦り始めていた。

「えぇっと、芳乃香さん。音叉は止めます。このペンライトを見てもらっても良いですか? 今から、このペンライトがゆーっくりと点滅して、貴方は、さらに深い、催眠状態に落ちていきます。呼吸もそれにつれて、ゆっくりと深くなる。このペンライトを目で追いかけてください。そう…………ゆっくりと、ジワジワと、焦らず、時間をかけて深い催眠状態に降りていきますよ」

 最後の方は、芳乃香さんに呼びかけているのか、自分自身に伝えているのか、わからないような語りになってしまっていた。それでも、とにもかくにも時間をかけて、芳乃香さんに催眠術を掛けていく。黒目がペンライトを追って、左右に往復するところ。彼女の表情から、いつもの知的な輝きが少しずつ薄れて、眠たそうに変化していくところを、ゴンさんのカメラがしっかりと押さえていく。

「芳乃香さんの全身から、力がスーッと抜けていきます。それと同時に、貴方の心は私の言葉を真実として、全て受け入れるようになる。それはとっても気持ちの良い、リラックスした状態です。芳乃香さんは『究極のリラクゼーション状態』になるんですよ」

 さらっとキーワードを口にして、彼女のトランス状態を安定化させる。この場で全ての催眠導入を完結させて写していると理解する視聴者がいれば、厳密にはその人たちに対して、ズルをしていることになる。事前に刷り込んだキーワード暗示を、発動させて催眠状態の深化をさせているのだから。けれど、そうした事情に勘づく視聴者は、きっとほとんどいないだろう。

 パイプ椅子に深々と座りこんで、俯いて眠っているような状態になった芳乃香さんに、マサキがシンプルな暗示から試していく。

「今、芳乃香さんの手首にほら、風船を括りつけましたよ。大きな赤い風船。風船の浮き上がる力で、貴方の右手がスーッと上に引っ張られていく。ほら、スーッと。上がる」

 言いながら、彼女の右手の甲の上、10センチくらいのところで空気を摘まみ上げたような指の形をつくったマサキが、自分の手をゆっくり引っ張り上げていく。すると、芳乃香さんの右手も、それに引っ張られるように上に上がっていく。今、彼女の目はマサキの手の動きは追っていないはずなのだが、例え見ていないはずの状態でも、こうして体の動きをつけて彼女の反応を誘導するのと、しないのとでは、反応に大きな違いが出てくる。昔、短い期間ではあったが、師匠から手ほどきを受けた催眠術の講義が、一つ一つ、今、リアルに思い出されていた。

「芳乃香さんの左手にも、風船の紐が括りつけられましたよ。ほら、スーッと上がっていく。………あれ? 風船が大きすぎるのでしょうか? 芳乃香さんの体ごと、空中に浮きあがって行ってしまいますね。肩にも、腰にも、別々の風船が括りつけられると、もう芳乃香さんの体は、大空高く、浮き上がってしまっています。風に流されて、空高く、風下の方角へ飛んでいきますよ。…………下を見ると、ちょっと怖いですね」

 椅子から起き上がり、バンザイの姿勢で立ち尽くしていた彼女が、「うぅ………」と声を漏らして、顔をしかめる。左側へ顔を反らして下を見ないようにしている。

「ほら、どんどん上へあがっていく……。雲の上まで来ると、ずいぶん冷え込みますね。風に流されて、どんどん進んで行きますよ。だんだん空を飛ぶのにも慣れてきました。寒さ以外は、楽しめますね。とっても良い景色だ」

 困ったような顔をして両手を挙げていた美人アナウンサーは、少し表情を緩めて、下を見渡すように首を動かす。半袖のシャツから見えている、彼女のほっそりとした腕を、マサキは秘かに観察する。鳥肌が立ち始めていた。「寒い」という感覚支配の効果が、体の反応にまで現れてきている。今のところ、順調ということだ。

「白と黄色、緑の風船がだんだんしぼんできましたよ。芳乃香さんの体はゆっくりと下降していく。まだ両手の、赤と青の風船が充分に膨らんでいるから、急に落ちたりはしませんよ。心配しないで。足元に広がっているのは、一面黄緑色の、綺麗な牧場。自然が豊かな場所に降り立ちますよ。とーっても気持ちの良い景色ですね。はい、足がついたら、風船は全部しぼんで無くなり、体は自由になる」

 バンザイのポーズで固まっていた芳乃香さんの体が楽になる。彼女は挙手していた両腕を下げる時に、同時に大きく深呼吸して、牧場の新鮮な空気を美味しそうに吸い込んだ。

「とってもノドカな牧場です。ところどころ、生えている木に、小鳥たちが集まって休憩しています。楽しそうにお話ししていますね。芳乃香さんも、小鳥さんたちのお喋りに参加してみませんか? 上手に鳥さんの鳴き声を真似たら、お返事を返してくれそうな雰囲気ですよ。さぁ、鳥の鳴き声を真似てみましょう」

「…………ピー、ピーッ、ピーッ」

「あっ。返事をしてくれています。何羽もの可愛い小鳥さんたちが、芳乃香さんのことを大きめの鳥さんだと思って、こっちまで飛んできてくれました。肩に止まってくれたりしますよ。とーっても可愛らしい。鳴き声だけではなくて、完全に鳥さんに成り切っておいてあげましょう。小鳥さんたちも安心して周りを飛び回ってくれます」

「チュンッ、チュチュンッ……………ピーッ………。ピピッ」

 両手を斜め後ろに伸ばした芳乃香は首を小刻みに前後させながら、鳥の鳴き声を口にする。その目は、近くを飛び回る何羽もの小鳥を捉えているようだ。視線が動きながらも、迷いがない。

「もうすっかり、芳乃香さん自身。身も心も鳥さんに成り切ってしまいますよ。ほら、羽をはばたかせて、飛んでみてください」

 両手をバタバタと上下させた芳乃香が、真剣な顔で飛び跳ねる。タイトめなスカートだが、少し裾が空圧で浮き上がる。彼女のスラリと長い美脚がカメラに収められた。

「あれ? ………なんだか、思ったよりスムーズに飛べないと思ったら………。貴方は鳥は鳥でも、ニワトリさんでした。丁度今、朝ですよ、ニワトリさん」

「ア゛ッア゛ア゛―――――ァァァッ」

 顎をつきあげて、天井を高く見上げた芳乃香が、奇声を上げる。昨日マサキが気にした、「門切り型の動物の真似」とは違う、ニワトリの、芳乃香なりのリアルな再現になっている。そう感じて、秘かに安心することが出来た。牧場という環境をしっかりイメージさせて、鳥の物真似という暗示から、徐々にトリそのものに成り切る暗示へと移行させた。そのステップを丁寧に進めたことで、暗示の受け入れ度が増しているのかもしれない。しかも今回は、ホテルの個室ではなく、スタジオなので、大きな声を出させることに成功している。こうして、暗示に従って大声を出したり全力を使ったりという行為は、より催眠状態にある本人に、自分が深い催眠に掛かっていると認識させ、さらにトランス状態を安定化させるのに有効なようだ。

 ということは、もう少し、イメージを飛躍させていっても、ついてきてくれるのではないだろうか?

「さて芳乃香さん。次に貴方は、ニワトリではなくて、牧場のお花を巡回する、働き者のミツバチさんになります。ブンブンと羽音をさせながら、綺麗なお花を探して、蜜を頂いていきましょう」

 さっきよりも小刻みに両手を上下させるようになった芳乃香が、目を閉じて、口元にうっすらと笑みを浮かべて跳びまわる。時々、休憩するようにして動きを止めると、口をすぼめて、何かを吸い取る動きを見せた。

「キビキビ働きながら、蜜を集めている貴方のお仕事を、邪魔する生き物がやってきました。牛さんです。近くの牧草を食べるためか、巨体を揺すって、ミツバチさんを邪魔してきますね………。ちょっと腹が立ったので、お尻の針で、牛さんを刺しちゃいましょうか。プスーッ。牛さんがこんなに大きな体で、痛がって、場所を空けてくれます。でも、その動きと表情が面白いので、もう一発、刺しちゃいましょう。プスーーーッ」

 マサキに言われるままに、口元に悪戯っぽい笑みを浮かべた芳乃香が、体を「く」の字に曲げるようにして、お尻を突き出している。クイッ、クイッと、ねじりこむようにしてお尻を突き上げる。そのたびに、彼女の丸いお尻の綺麗なフォルムが、スカートの布地から浮かび上がった。

「マサキ…………、マサキッ………」

 キューさんの小声に気がついて、マサキがハッとなってプロデューサーの様子を伺う。カメラの前に立つADの代わりに、プロデューサーのキューさんが、スケッチブックを持って、進行を指示してくれていたのだが、演者をやり慣れていないマサキは、すっかりスケッチブックに書き出される指示をチェックするのを忘れてしまっていた。それほど集中して、催眠術の施術に没頭していたのだ。

 プロデューサーがマジックペンの尻でポンポンとスケッチブックを叩いている。そこに書いてある文を読むと、「カヨちゃんも、かかっちゃってる!」とあった。今朝から合流してくれている、メイクさんの姿を探す。すると、ショートカットのメイクさんは、録音担当のマルさんの太腿に、自分のお尻を押しつけるようにして、両手をパタパタと上下させながら、マルさんを「刺して」いた。

「芳乃香さんは安心して、お花から蜜を吸っていてください。………えぇっと…………。果代ちゃん…………。僕の声が聞こえますね。貴方はとーってもいい気持ちで、深い眠りにつく、けれど僕の声は聞こえていて、何でも素直に反応することが出来ます。3、2、1。はい、眠ってー」

 音声さんの仕事を邪魔する、黒いTシャツを着た20前後の女の子の後頭部を支えて、両眼を塞ぐように手を回して、脱力させる。一体彼女は、いつから催眠に掛かっていたのだろうか? ニワトリの鳴き声は出していなかったはずなので、それほど前からではないはずなのだが………。撮影班唯一の女性スタッフとして、演者の芳乃香さんに目一杯、感情移入しながら見守っているうちに、自分も催眠を「もらってしまった」可能性がある。マサキは視線だけで、キューさんの指示を仰いだ。久米島プロデューサーも、催眠術に詳しい訳ではないので、どう対処していいのか、はかりかねているようだ。

(行けるところまで、果代ちゃんも含めて、催眠術かけてみます。彼女も巻き込んじゃって良いですか?)

 視線を送ると、キューさんは首を縦に振って、パイプ椅子をもう一つ、芳乃香さん用の席の隣に素早くセットしてくれる。長く撮影の現場で一緒に仕事をしていると、この程度は視線だけで会話できるようになる。

 果代ちゃんの催眠状態を深める暗示を囁きながら、寄り添うようにして歩いて、椅子の前まで行くと、彼女を座らせる。椅子に完全に体を預けるような形で、果代ちゃんが覆いかぶさるような姿勢で椅子に乗った。きちんと座らせる。態勢を変える時、彼女のTシャツ越しに、巨乳が大きく揺れた。この子は顔は普通に可愛らしい感じの若い子だが、胸は芳乃香さんより2カップサイズくらい大きい。マサキも、前から彼女の巨乳は気になってはいたのだった。

「さあ、芳乃香さんも、蜜を吸うのをお休みして、こちらの椅子に座ってください。これからは2人に話しかけます。2人はもう、ミツバチさんではなくなりましたよ。2人は………さっき刺されてしまった、大きな体の牛さんになります。この牧場の主役といっても良いですよね。立派な体格の乳牛です。はい、パチン。貴方たちは牛さんになりましたよ」

「ムゥゥウウウッ」

「ムォォォォッ。ムゥッ」

 心なしか力強い表情になった芳乃香と果代が、口元をモゴモゴと動かしながら、低い声で鳴き声を出す。芳乃香は当然のこと、果代もかなりリアルに牛に成り切っているように見える。

「乳牛さんたちの、朝のお仕事と言えばもちろん、ミルクを出すことですね。ほら、どちらの牛さんも、お乳が張って、パンパンになっています。早くミルクを出したい。早く搾って欲しい………。そう思っていると、牧場に働きに来ている、近所の若い奥さんたちがやって来て、貴方たちのパンパンに張ってしまったお乳を、優しく搾乳してくれます。とっても上手に、お乳を出すのを、手伝ってくれる。気持ちいいですねー。すっごく楽になる気分」

 マサキが話すにつれて、力強い顔をしていた2人の表情が、切羽詰まった苦しそうなものに、そしてやがて、ウットリとした、幸せそうな表情へと変わっていく。特に表情豊かな芳乃香の顔がクルクルと変わっていくのは、カメラマンのゴンさんにも写し甲斐がありそうだった。

「………ん………んんっ」

 芳乃香さんは、顔をあげて、鼻にかかった吐息を漏らす。少しセクシーな響きも感じられる吐息だ。彼女は今、自分のことを牛だと思っているが、本当は有名な美人アナウンサーだ。たった今、その彼女が、お乳を搾られて気持ちの良さそうな声を出しているところを、カメラに収められているのだ。

「ちょっと作業の効率が落ちていると思ったのでしょうか、牧場主の、ゴッツイおじさんが、乳搾りを交代しますよ。優しいお姉さんたちではなくて、今度はオジサンが、無骨に太い指で、牛さんたちのお乳をギュウギュウと、搾っていく。これは豪快だ。すっごい力強い。握りつぶされるかと思うくらい、お乳が激しく搾られちゃいます。ほら、ギュゥウぅゥウウウウッ」

 マサキが力を入れて説明すると、果代ちゃんは椅子の上で、体を抱き込むように縮こめて、痛みに耐える。足が、自転車を漕ぐようにして、空中で回転している。芳乃香さんは、椅子から前に倒れて、四つん這いになって、胸の痛みに耐えるような姿勢になる。首を左右に、イヤイヤと振っていた。顔をクシャクシャにして苦しがる。

「うわー、牧場主のオジサンは容赦ないです。どんどん、ギュウギュウ、お乳を搾る。もう限界………。その限界を、また超えてくる………」

 自分の胸を守るように、肘を内側に折り曲げて四つん這いになっている芳乃香さんは、結果として胸を肘で寄せて上げるような体勢になっている。襟元から、胸の谷間もチラリと覗いているところを、カメラに撮られたかもしれない。カメラマンのゴンさんは今が活躍の場だとばかりに、喘いでいる芳乃香さんと果代ちゃんを交互に移す。きわどい角度も、ギリギリまで責める。音声のマルさんも、搾乳されて女性陣があげる悲鳴や吐息を、きちっと録ることに集中している。マサキの見る限り、まともな仕事をしていないのは、キューさんだけだった。スケッチブックには「ギュウギュウ、モウ限界 ←牛だけに?」と書いてあるようだが、無視することにした。

「はい、やっとオジサンから、さっきのお姉さんたちに交代してもらえます。もう大丈夫です。さっきのイカツイ搾り方とは大違い。とっても優しい丁寧な手ぶりで、お乳を出させてくれます。さっきと比べると天国。とっても気持ちいいです」

 マサキが言うと、のたうち回るようにして、胸の痛みに耐えてきた2人の若い女性は、ホッとした表情で、弛緩する。今度は芳乃香さんだけでなく、果代ちゃんも、くすぐったそうな笑みを漏らしながら、気持ちよさそうな息を漏らして、お乳を搾られていく。

「やっと搾乳が終わりました。貴方たちが沢山出してくれたミルクは、これから冷やされて、お砂糖や最低限の他の原材料と混ぜられて、ソフトクリームになりますよ。そう、私が3から0まで数えると、貴方たちは牛さんではなくて、ソフトクリームそのものに変身するんです。ほら、今、機械から出てきてコーンの中に入る、冷え冷えのソフトクリームですよ」

 少し乱暴な暗示かとも思ったが、芳乃香も果代も、ついてきてくれる。果代は体を揺らしながら、コーンに収まっていく自分を表現している。上体を捩るたびに、大きな胸がダイナミックに変形して揺れた。芳乃香は両手の指先を伸ばした状態でお祈りするように手のひらを合せて、頭の上に構えている。そして腰のあたりから体を回転させるようにクネクネと動いて、ソフトクリームの渦を巻く様を表現していた。

「搾りたての牛乳から作った、出来たてそのものの、新鮮なソフトクリーム。買った人が美味しそうに舐めてくれますよ。男の人が舌を伸ばして、ほら貴方をべローン。下から上まで、舐めていきます」

「………んっ…………」

 若い果代が、ちょっと不快そうな顔をして、顔をそむけた。

「………んふっ………」

 芳乃香は、パイプ椅子から少し腰を浮かして、お腹、胸元そして首筋から顎まで、誰かに舐められているのが分かるくらい体を波打たせて、微妙な顔をして声を漏らした。不快に思って良いのかどうか、迷っているような表情だ。………マサキからすると、果代よりも芳乃香の方が勘が良いと思えた。

「貴方たちは今、ソフトクリームになっています。ソフトクリームは舐められること、美味しく食べられることが目的で存在しているものです。舐められるのが嫌だったりはしないですよね。幸せな気持ちになるはずですよ。…………あれ、もしかしたら、貴方たちの迷いが、買い主さんたちに伝わってしまったのでしょうか? ………しばらく、口を離していますね。そうしている間にも、貴方たちは溶けてきてしまいます。このまま食べられずに、牧場の地面に零れ落ちたら、惨めに蟻にたかられて終わるだけです。そう考えると、悲しいソフトクリーム人生でしたね………」

 溶けそうというか、しおれていくような動きで、芳乃香と果代がうなだれる。芳乃香はまだ頭の上でお祈りのように両手を合わせているが、その手の角度も、力なく横に倒れていくようだ。

「おやっ。買い主さんたちは食欲が戻ってきたようです。ペロン、ペロン。ソフトクリームさんの全身を舐め上げてくれます。嬉しい。とっても幸せな気持ちになります。くすぐったいけど、気持ちいいですね。貴方はソフトクリームだから、舐められているのが、とっても嬉しい」

「うんっ…………んんっ」

 果代ちゃんが立ち上がって、想像上の大きな舌に体を撫でられるのを楽しむように、体のあちこちを突き出したり、ポーズを変えたりして動いて見せる。

「ん………やっ………。んふふふっ」

 同じく立ち上がった芳乃香さんは、含み笑いを漏らしながら、体をクネらせ、捩らせながら、くすぐったそうに吐息を漏らす。その動きは、どこかセクシーで、艶めかしいものだった。頭の上で手を合わせたまま、頬を二の腕にピッタリくっつけて、体をクネクネさせながら、照れ臭そうに、気持ち良さそうに笑っている。

 このまま、2人が悶えて体をくねらせているところを、ずっと見ていたい気持ちだったが、そろそろ、収録的には休憩を入れるべき頃だと、マサキはADの立場に戻って考えた。芳乃香さんも果代ちゃんも、一方的に暗示を重ねて振り回していると、疲れがたまって、やがてリアクションが薄くなってくる可能性がある。ほぼ台本無しの撮影に対応してくれているゴンさんとマルさんも、そろそろ今日の進め方が分かってきたところで、これから撮るべき画や音の設計図を、自分なりに検討してから後半戦に臨みたいところだろう。マサキが視線を送ると、キューさんも理解してくれる。2人の女性をソフトクリームから人間に戻してあげて、椅子に座らせる。

「芳乃香さん、果代さん、良く聞いてください。朝の牧場への遠足はこれでおしまいです。2人は最初にいた、スタジオまで戻ってきます。そして私が10から0まで逆に数えていくと、スッキリとした気持ちで目が覚めます。催眠状態であったこと、私に言われたことなどは、はっきりと覚えていないかもしれませんが、とても楽しかったことだけは、しっかりと思い出すことが出来ますよ。聞かれたら、楽しかったと自信を持って答えましょう。いいですね?」

 俯いている頭を、小さく縦に振って反応してくれるのは芳乃香さん。果代ちゃんは顔を上に向けて、口をポカっと開けたまま反応を見せないが、聞いてくれているようだ。深い催眠状態での反応の仕方には、かなりの個人差があるのだ。

「10………9…………8…………。スタジオに戻りました。………7………6………5………体はどこも痛くない。とても健康で元気。…………4………3………2………。スッキリとした気持ちで目が覚めます。とてもリフレッシュされました。1………0。はい、目を開けて………。おはようございます」

「おはようございます」

「………え………? …………はよう………ございます」

 2人とも、周りをキョロキョロ見回して、様子を伺いながらの返事だったが、メイクの果代ちゃんの方が、混乱の色は濃かった。なぜ自分が今、目を覚ましていて、カメラを向けられているのかも、よくわかっていないからだ。けれど、番組の趣旨からすると、より芳乃香さんから感想を聞き出しておかなければならない。

「若園さん、あの………催眠術にかかってましたよね?」

 マサキが質問する。さっきまでの、暗示をかけたりショーを進行させる時の喋りよりも、少し声が上ずって、たどたどしくなっていた。やはり自分は演者ではなく、ADなのだと、改めて思い知らされる。催眠術師としての自分は必死で演出したものの、それに区切りをつけたあと、感想を引き出すという場面では、急に喋りが素人っぽくなっている自身に気がつく。

「私………催眠術……………。かかっていた……んですか?」

 芳乃香さんは、キョトンとした表情からゆっくりと照れ笑いを浮かべながら、まだ周りに確認しようとしている。さっきまで、ニワトリやウシになって大真面目な顔で鳴き声を出していた彼女が、素に戻ると、そのことすらもはっきり覚えていない。そのギャップに、ベテランスタッフたちも思わず笑ってしまっていた。

「いや、若園さん。超ドップリかかってましたよ。ニワトリの鳴き真似とか、覚えてないですか?」

 キューさんが声をかける。普段の番組中でも、カメラに映らないところから、たまにヘルプの声掛けをするのは、プロデューサーのキューさん役目だ。

「ニワトリ…………? ………やだ、私、そんなことしたんですか? ………ちょっと………、勘弁してくださいよ」

 芳乃香さんが両手で口を覆いながら、恥ずかしがる。自分がスタッフたちに騙されているのではないかと、まだ疑っているようで、目をキョロキョロさせている。

「ちなみに、芳乃香さん。ニワトリって、どう鳴きますか?」

「………え? …………コケコッコー…………ですよね?」

 マサキの問いかけにも、意図を掴みかねているのか、若干不安そうに芳乃香さんが回答してくれた。放送では多分この言葉に被せるかたちで、さっきの芳乃香さんのリアル鶏の雄叫びが、もう一度流されるだろう。催眠状態とそうでない時の彼女の、ギャップを強調するためだ。ワイプには背中を反らしてニワトリの姿勢で鳴く映像が映されるはずだ。

「全然、もっとリアルな、凄い鳴き声出してたよ」

 キューさんが笑って指摘する。

「えー………嘘………。私、そんなこと、してました? …………全然、覚えてないです」

 口を隠していた両手が、今は左右の頬を挟みこんでいる。手に包まれた芳乃香さんの顔は、耳まで赤くなっていた。自分が覚えていないことで人に笑われているということが、よほど居心地が悪いのか、まだ不安そうに周りをキョロキョロと見まわしている。ニワトリの真似程度で、このリアクションなのだから、その後、乳牛になってお乳を搾られていたということは、今は言わないでおいた方が良さそうだった。

「果代ちゃんは、何でここに座ってるのか、覚えてる?」

「いえ………。でも、何となく………。これ、あの。私も催眠術かけられたんですよね?」

「いや、果代ちゃんにかけたつもりはなかったんだけど、………途中からかかっちゃってたの。………勝手に」

 マサキは、急に質問を向けられたので、思わず反射的に、素人っぽく返答してしまった。

「勝手に?」

 片手で口を押さえながら、困ったように照れ笑いを浮かべている果代ちゃんは、まだ納得のいかない顔をしている。

「………あ……でも………」

 何か、思い出しつつあるようだ。

「でも私、うっすら覚えてるかもしれません。芳乃香さんが風船に吊られて、牧場に行ったり鳥になったりしていたのを見守っていて、なんか凄く気持ち良さそうだな~っておもっていたら、目が離せなくなってて、………で、気がついたら、………ミツバチでした……、私」

「ミツバチ? ………果代ちゃんがミツバチになったの? 催眠術で? ………うそ~。絶対可愛い~。見たかった~」

「え、芳乃香さんが先にミツバチになってたんですよ、確か」

「私が? ………ミツバチ? ………なんで?」

 隣同士の椅子に座る若い女性が体を向かい合わせて、女子トークのように盛り上がり始める。こうなると、マサキは簡単に、話の蚊帳の外に押し出されそうになる。そこで食い下がるように一つ質問する。

「で、お2人はどんな気持ちでした?」

「楽しかったです」

「楽しかった」

 2人の声が、ほとんど揃った。それまでマサキの存在を無視して女性同士で盛り上がっていきそうな雰囲気だったのに、芳乃香さんはクルリと振り返り、果代ちゃんもマサキを見据え、2人とも妙に真顔になって、はっきりと答える。

「………でも、芳乃香さんは、催眠術にちゃんとかかったかどうかも、あんまり覚えてないんですよね?」

「………はい」

「でも、楽しかったですか?」

「はい、楽しかったです」

 芳乃香さんは、自問自答するように、自分を納得させるように、何度か頷きながら、返事を返してくれる。マサキがキューさんを確認したところ、彼もOKそうだったので、そこまでで一旦休憩を入れさせてもらった。

。。

「マサキ」

 プロデューサーが近づいてきて耳打ちする。

「はい」

「…………いい。………凄くいいぞ。若ちゃんの、色んな表情。これまで見せてくれなかった顔。お宝ショット。全部撮れてる。これ、過去半年の番組の積み上げ、いきなり超えるぞ。下手すりゃ昨日の撮影、まるまるカットして、今日の企画を全部流したいくらいだ。お前、いけるぞ、これ」

 褒めてくれているのだとう。キューさんはマサキの尻をグッと掴みながら熱く語る。今朝、マサキの頭をレシートではたいたオジサンとはまるで別人のようだ。もとからこの人は悪意があって乱暴に振舞う人でないことはわかっているので、腹も立たなかった。むしろ、これこそ、マサキが夢に見てきたような瞬間ではある。

 マサキは、小刻みに頷きながら、ゴンさん、マルさんの反応を伺う。2人はマサキの方を見てくれない。自分たちの撮った画、録った音を確認しながら、休憩後の撮影の作戦を真剣に練っている。プロのオジサンたちが、本気になっている証拠だ。マサキに「いいぞ」とか「その調子だ」とか言っている場合でないと感じている。自分たちが与えられた仕事をやり切ることに、本気になっている。それがわかって、マサキはますます手応えを感じることが出来た。

 女性陣は、まだ少しキツネにつままれたように、キョトンとしている。椅子に座ってメイクを直してもらってる芳乃香は、まだ自分が催眠術にかかっていたということが信じられないかのように、おじさんスタッフたちの様子を、キョロキョロと伺っている。撮り終えた映像の確認に、芳乃香さん自身も、加わりたそうな顔をしている。

 果歩ちゃんは、メイク直しの仕事をしながら、片手が空くたびに、ポカリウエットの500mlボトルを手に取って、グビグビと飲んでいた。

「果歩ちゃん、そんなに、喉乾いた?」

 マサキが聞くと、果歩ちゃんは自分でも首を傾げている。

「いえ………あの、…………なんか妙に沢山、自分の体から水分が抜けちゃったような気がして………。実はそんなに喉乾いてないのに、水分補給したい感じなんです」

 答える途中にも、ペットボトルを傾げて、小刻みにスポーツドリンクを飲んでいく、若いメイクさん。

「あ、そう言われてみると、私も水分欲しいかも………」

 芳乃香さんは、ストローのさされたペットボトルから、レモンティーを口に含む。

「私って、マサキさんの催眠術にかかっちゃって、すっごい汗かくような運動とか、してました?」

 果代ちゃんに無邪気に聞かれて、マサキは曖昧に首を振る。芳乃香さんも聞いているところで、「多分それは、君たちが搾乳されて、お乳をバケツ何杯分も出しちゃったって、体が思い込んでるからじゃない?」とは、言えるはずもなかった。

 。。

 休憩を終えて、素面の状態の芳乃香さんにマサキが質問するシーンから撮影が再開される。

「今までのところ、若園さんはどんな感じですか?」

「いや………あの………。さっきもお伝えしたのですが、私の記憶が結構、曖昧で………。催眠術っていっても、本当にかかっていたのかどうかも含めて、実はあんまり自信がないんです」

「そうですか………、じゃ、覚えていないんじゃ、あんまり楽しめなかったかもしれませ………」

「楽しかったです」

「楽しかった」

 マサキが喋っているのに被せてくる勢いで、その質問にだけは芳乃香は、まるでムキになったように即答する。カメラの外から、もう一人の声も重なってくる。見ると、若いメイクさんが、顔を赤くして、自分の口を押さえながら、こちらにペコペコと頭を下げていた。撮影の邪魔をするつもりはないのに、思わず口から言葉が漏れてしまったといった様子だった。

「それでは気を取り直して、芳乃香さん。こちら貴方からお借りした砂時計です。とっても綺麗ですね。真っ青な砂が使われているんですね」

「ありがとうございます。輸入雑貨屋さんで、気に入って買ったんです」

「そうなんですね。こちらの砂時計。耳の近くでひっくり返すと、砂がガラスのくびれた部分を通り抜ける時の、サラサラサラっていう音が、かすかに聞こえますよね?」

「…………はい」

「この音に集中してみてください。指向性の収音マイクが音を収めるように、芳乃香さんの意識をキューっとここにフォーカスして絞りこみます。すると少し砂時計を離しても、まだ砂の音は聞こえているでしょ? 貴方の意識と感覚が、集約されて拡張されている瞬間です。目を閉じて、五感を制約することで、もっと聴覚を鋭敏にすることが出来ますよ。もっと遠ざけても、砂時計の砂の音は聞こえている。それどころじゃない、砂時計を持っている、僕の手の中の脈拍の音、血液の動きまで聞こえてきませんか? すっごく集中して、研ぎ澄まされた芳乃香さんの聴覚。その耳に…………はい。僕の声がギューンと奥深くまで染みこんでいく。…………僕が指を鳴らすと、貴方は集中しすぎたせいか、他のことが考えられなくなる。その証拠に、ほら、自分の名前を思い出すことが出来ません。ティック。ほら。…………………貴方のお名前は?」

 ずいぶん大胆な暗示の挑戦に、まだ意識がはっきりしている芳乃香は、少し笑いを漏らしてしまう。目を開けて、マサキに笑顔で答えようと、口を開いて………そこで止まってしまった。笑いが大きくなる。

「あっれ? ………どういうことですか………ね? …………ちょっと…………、出てこないです。ヤバい~」

 椅子に座ったまま、両足を少しバタバタさせて、両手で口元を隠した芳乃香さんが、照れ笑い。自分の名前が、本当に出てこないようだった。

「僕が質問すること、答えようとすると、その直前で貴方の頭からシュッと消えてしまって、答えられなくなりますよ。ほら、名前が出てこないなら………、出身地は?」

「……………。その…………、そんなに、遠くじゃ………ないところです………」

「どこですか? ご出身は」

「…………………こ………ここまで出て来てるんですけど、ここから答えようとすると、………消えちゃうんです~」

 芳乃香さんが、悔しそうに、頭の後ろあたりを手で指し示す。

「趣味は? ………好きな食べ物は? …………貴方の性別は? …………」

 まだ笑顔は絶やさずにいるが、芳乃香さんの足を見ると、足首が捻じれるくらいに力が入っている。文字通り、捻りだそうとしても、答えが出てこなくて、敗北感を噛みしめているようだ。

「……………うぅぅぅ…………。悔しいです。………出てこないぃぃ。これが、催眠術の力なんでしょうか? ……私の性別…………。誰か教えてください~」

 ベソをかくように、カメラに助けを求める芳乃香。冗談めかした掛け合いを強調しているが、実際のところは、自分が正常な意識でいると思っているなかで、はっきりと暗示にかかっている自分を認識させられて、内心動揺しているのが、目の動きで見て取れた。昨日は、自分の父親くらい年上のプロデューサーと衝突している時も、もっと毅然とした、落ち着いた黒目の動きをしていた。その彼女が、本当に催眠術にアッサリかかる自分のことを理解して、少し自信を失っているように見える。困っている彼女の様子は、マサキの悪戯心をくすぐってしまう。

「悔しいですよね。………本当だったら忘れるはずがない、自分の基本情報が、覚えてるはずなのに、口から出てこない。答えようとすると逃げていってしまう。それって、すっごく気持ちの悪い感じですよね。………でも大丈夫。私がもう一度指を鳴らすと、今度は面白いくらい、スルスル出てきます。笑っちゃうくらい簡単に、全部出てきます」

 ティック。指を鳴らす。まるでその音が芳乃香さんの頭の中の閃きの音だったかのように、彼女の表情が明るさを取り戻した。

「貴方のお名前は?」

「若園芳乃香ですっ!」

「ご出身は?」

 ティック。マサキは質問するたびに、指を鳴らす。

「東京都杉並区っ!」

「趣味は?」

 ティック。

「最近は、音楽鑑賞、演劇鑑賞ですっ!」

 嬉しそう。自分のことを忘れずに話せるだけで、どことなく自慢げに、両手で拳をつくってエッヘンと腰に当てている。心底嬉しそうなところが、可愛らしく思えた。マサキは指を鳴らすリズムをだんだんと早めていく。

「どんどん、スラスラ答えられますよ。何でも滑らかに答えられる。嫌いな食べ物は?」

 ティック、ティック。

「辛いものっ。………それから、ゲテモノ系………」

「スリーサイズは?」

 ティック、ティック、ティック

「88、59、72」

「ブラのカップは?」

「…………D………んんっ?」

 指を鳴らすスピードに追い立てられるかのように、スラスラと何でも即答していた彼女が、ここまで来て異変に気づく。目を大きく見開いて、顔を真っ赤にしながら、口を両手で押さえた。マサキのことをキッと睨む。

「ちょっと………。何言わせてるんですかっ」

 悪戯が過ぎたかもしれない。マサキは芳乃香の視線での抗議を受けて、反省した。きっと昨日もらった、仲間としての信頼は、もう無くしてしまっただろう。

「芳乃香さん、今度は僕が手を叩くたびに、楽しくて面白くて、笑いたくなりますよ。ホラ」

 パチパチパチと、手を叩いて、マサキは芳乃香の怒りを何とか逸らそうとする。焦っていた彼だったが、しばらく手を叩いているうちに、我慢出来なくなった芳乃香さんが大きく噴き出したので、やっと安心することが出来た。涙をこぼしてお腹を抱えながら、笑い転げる彼女。隙をみて、その彼女のオデコに手を当てることが出来た。

「はい、眠ってくださーい」

 芳乃香さんの頭の前後を両手で包み込むように、マサキは左手で彼女のオデコを押さえて目を閉じさせつつ、首の後ろを右手で支える。マサキの手の気配に身を任せるように、芳乃香さんが全身の力を抜いていく。その反応のスピードは、昨日よりも早くなってきているような気がした。この調子なら、後催眠暗示の派手なものまでチャレンジしてみる価値があるかもしれない。

「芳乃香さん、ゆーっくりと椅子に座りましょう。そしてどんどんと深い催眠状態に入っていく。まず貴方は目が覚めると、さっき自分が言いたくない個人情報まで言ってしまったことは忘れてしまいます。ただ、名前や出身地など、基本的な情報が、口から出てこなくなったり、スラスラ出てくるようになったということだけを覚えています。だから、貴方は自分が催眠術にしっかりかかったということは、明確に覚えています。けれどかかっている間の思い出は、相変わらず、楽しいことばかりだったと記憶しますよ。…………そして芳乃香さん、貴方が目を覚ました後で、今から私が言ういくつかのことが、本当になります。貴方は私に何を言われたかは覚えていないのですが、条件が揃うと、必ず私が行ったことを実行する。私が言った通りに見たり感じたりするんです。良いですね?」

「………はい………」

 芳乃香さんは、素直に頷いて返事をする。もうそこには、怒っていた若園芳乃香や、笑い転げていた彼女は存在しない。穏やかな催眠状態にあって、従順に返事をする芳乃香さんがいるだけだった。

「まずはこの音楽を聴いてください」

 マサキが視線を送ると、キューさんがポータブルスピーカーから、クラシックの曲を流す。明るく元気な旋律の部分から再生される。「ラデツキー行進曲」という、ニューイヤーコンサートなどで使われる、定番曲だ。

「この曲が流れるのを聞くと、貴方は、どこで何をしていても、瞬時に、オーケストラのカリスマ指揮者に変身します。楽団の演奏家たちを盛上げて、派手に指揮をしましょう」

 曲が止まる。今度は言葉をトリガーにしてみる。

「そして芳乃香さん。貴方は以前、プロ野球のことを一生懸命取材しましたよね。その頃のことを思い出してください。目を覚ました後、僕が「牽制球だっ」と言うと、貴方は、自分がプロ野球で一塁ベースからリードをとっているランナーだったことを思い出します。盗塁を諦めて、急いで一塁ベースに戻りましょう」

 最後は、感覚操作。

「そして撮影のために催眠術企画に協力してくれた、芳乃香さんのために、番組側が、超高級なシャンパンを用意しています。目が覚めてから、私がシャンパンのプレゼントですと言って渡したら、そのボトルは貴方にとって、超高級シャンパンのボトルですよ。番組の途中でも、その高そうなシャンパンをありがたく頂くことにします。………さぁ、3っつ数えると、スッキリとした気持ちで目が覚めます。僕の言ったことは思い出せないが、その内容は必ず現実になる。3………2………1。はい、おはようございますっ」

 マサキが明るく告げると、芳乃香さんは目を覚ます。周りを見て、自分の身だしなみも確認しながら、椅子に座りなおした。自分が催眠状態にあった間の記憶が途切れ途切れなことが、不安なのかもしれない。

「芳乃香さん、しっかり目が覚めていますか? 立ち上がって、伸びをしてみましょうか」

「あ………、はい…………。多分、大丈夫だと思います」

 芳乃香さんは言われるがままに、椅子から立ち上がって、小さく伸びをした。丁寧に受け答えをしてくれる。いつも通りの、上品な女子アナの若園さんだ。

「あっ………でも若園さん、『牽制球だっ』」

 マサキが声色を変えて、大きく叫ぶと、急に芳乃香さんの目の色が変わる。大慌てで、スタジオの端の方まで、2メートルほど猛ダッシュ。そして、マサキが止める間もなく、派手なヘッドスライディングを見せる。まるで、躓いて転んだかのようで、マサキも一瞬、ドキッとする。カメラは急いで彼女の動きを追いかけて、顔の方に回り込む。

「いた~い…………。なに……これ………。………なんで?」

 両手を真っすぐ伸ばして、床にうつぶせになっていた彼女が、不満そうな声を挙げながら、顔を上げる。上体を起こそうとしたところで、カメラのゴンさんが寄る。どうやら、シャツの襟元から、胸の谷間が強調されるような、上体の起こし方になってしまっていたようだ。

「大丈夫ですか? 芳乃香さん。急にスライディングなんかして………」

 マサキはフォローしながらも、彼女に怪我が無いか、急いで確かめつつ、彼女が立ち上がるのを手伝う。そして、その一連の動きの中で、耳元に口を寄せて囁いた。

「ヘッドスライディングは危ないので止めましょう。滑り込むなら足からが良いですね。怪我しないように気をつけましょう」

 マサキが声色を変えて、低い声で囁くだけで、その言葉だけを、深層意識だけで聞いてくれる。芳乃香さんとマサキの催眠術師と被験者の関係は、かなりの勢いで深まっていくようだった。

「わからないんです。ただ、急に、ファーストに戻らないと、刺されちゃうっていう危機感で頭が一杯になって………」

「芳乃香さんって野球選手でしたっけ?」

「いえ………アナウンサーです、ずっと」

 息を整えながら、生真面目に正確に、芳乃香さんが答えてくれる。

「なら、急に野球選手みたいに振舞う必要はないですよね。………『牽制球だっ』って言われても、落ち着いていられ………」

 条件反射のように、若園芳乃香は飛び上がって振り返ると、またさっきの方向に猛ダッシュ。勢いを殺さずに、今度は上体を後ろへ倒すようにして右足から綺麗に滑り込んだ。タイトめのスカートの布地が、床の抵抗を受けて、捲くれ上がる。彼女の長い美脚と、ショーツの一部が露出してしまった。ベージュのストッキングに包まれた、白地に淡いヴァイオレットの縁取りのある、高級感あるショーツが、カメラに押さえられてしまう。しばらくは綺麗なスライディングのポーズを維持していた彼女が、ふと我に返って、急いでスカートの裾を伸ばして、下着と太腿を隠す。

「やだ~………。どうしてぇ…………」

 悲鳴を上げる彼女を宥めるように立たせて、今度は必死に機嫌を取る。

「芳乃香さん、ほら、頑張っている貴方へのご褒美として、ほら、プロデューサーがこんな飲み物を準備してくれましたよ。ご機嫌直してください」

 マサキが案内すると、キューさんがスパークリングワインのボトルと、ワイングラスを持って来る。昨日の打ち上げでほとんど飲まれなかった、スパークリングワイン。コンビニで買った安物だ。それを一目見た若園さんが、びっくりしてボトルを手に取り、仰々しくラベルを読み込む。

「えーっ。こんな高級なシャンパン………。良いんですか? 日本には毎年100本くらいしか入らないものですよね?」

「久米島プロデューサーと僕たちスタッフから、日頃の感謝を込めて、若園さんへのプレゼントなんです。ほら、お注ぎしますよ」

「えぇっ。まだ、番組の途中なのに…………。………でもすっごい、良い香りです。この香だけでも、すっごく高いシャンパンだっていうことが、伝わってきます…………。いいんですか? ………皆様、すみません。………失礼します」

 カメラの前の視聴者にも丁寧に詫びる仕草をして、シャンパングラスを傾ける芳乃香さん。シャンパンには多少の心得があるらしく、左手はボトルを持って、ラベルを注意深く読み込みながら、グラスに口をつけようとする。

 その瞬間、ポータブルスピーカーで出せる最大音量で、「ラデツキー行進曲」が流れ始める。また表情が一変した芳乃香さんは、右手にグラス、左手にボトルを持ったまま、オーケストラを指揮するように、両手を振り回す。両腕で大きな弧を描くように、空中に図形を描くように、勢いよく腕を振る。体を反らしたり屈めたり背伸びしたり、大きなアクションで、カリスマ指揮者になり切って大立ち回りを繰り広げる。当然のように、ボトルからグラスから、スパークリングワインは派手にぶちまけられる。そのほとんどが若園芳乃香さんの、頭に顔に、上半身にかかって、シュワシュワと泡立っていく。それすらも意に介さぬといった様子で、名物指揮者はオーケストラを全身で煽り立てていた。

「はい、音楽ストップ」

 豪華絢爛なクラシック曲がフェイドアウトすると、指揮者もいなくなり、呆然と泡まみれずぶ濡れで立ち尽くす、若くて綺麗なお姉さんだけが残される。自分のしていたことが信じられなくて、ポカンと開けた口が塞がらない様子だった。

「若園さん、どうしちゃったんですか?」

「…………わかんない………。私が聞きたいです………。なんでしょう………、これ………」

「せっかくの超高級シャンパンが………」

 マサキが一言いうと、芳乃香さんは自分のしでかしたことに気がついて、泣きそうな声を出す。

「ごめんなさ~い………。まだ、一口も、頂いていないのに、…………こんなに、なっちゃいました………。本当にゴメンなさいー。どうしよう」

 髪の毛から顔から、膝あたりまでビッショリとスパークリングワインをかぶってしまった芳乃香さん。白いシャツは透明なお酒を吸って、肌にべったりと貼りついている。ブラジャーのシルエットも、色も透けて見えてしまっている。白地にヴァイオレットの花模様の縁取り。ショーツとセットになった下着を身に着けていたことが、誰の目にも明らかになってしまっていた。

「せっかく皆さんに頂いたのに………。……あ、まだ………ちょっとだけ………」

 名残惜しそうにボトルをひっくり返すと、シャンパングラスに1センチほど、ほんのちょっとだけ、注がれて、終わりになる。スタッフたちは、安物のスパークリングワインのことでしょげかえっている若園さんを見て、おかしいやら可哀想やら、可愛らしいやら、色んな感情を噛み殺していた。

「私には、頂く資格ないですよ………。あの、久米島さん、これよろしかったら、ちょっとだけですけど、プロデューサーも味わってくださ………」

 最後の一口を、自分で頂くのでなく、プレゼントしてくれたプロデューサーに味わってもらおうと歩き出した優しい芳乃香さんだったが、番組スタッフは視聴率の鬼たちだ。躊躇なく、またクラシックを大音量でかける。10秒だけ。一瞬だけあのオーバーアクションの指揮者が戻ってくる。ほんの少しグラスに残されていたスパークリングワインは、あっけなく宙を舞って、また芳乃香さんのオデコにパシャっとかかり、細かい泡を立てる。音楽があっさりとフェードアウトすると、さっきよりも無力感と罪悪感に苛まれながら、言い訳めいた目をして立ち尽くす、可愛い女の子が残されていた。

「………無くなっちゃいました」

 あまりにもションボリしている芳乃香さんの姿に、キューさんがフォローの声をかけてあげようとする。そこでマサキも大声で、

「ほら、『牽制球だっ』」

 と叫ぶ。

「はいっ」

 っと快活な声を出した芳乃香さんは、急に体に力が漲ったかのように、近寄るキューさんも無視して猛ダッシュを始め、綺麗に足からスライディングを決める。今度は全身がズブ濡れになっていたせいで、彼女の体は、ツーっと床の上を2メートルも滑っていく。その間にスカートは完全に捲り上がってしまう。一枚の帯のように腰のあたりで包まってしまうグレーのスカート。ショーツの一部どころか、全部が、床の上で晒されてしまって、ゴンさんのカメラに収められてしまった。右手にシャンパングラス、左手にシャンパンボトルを掴んだままスライディングを決めた美人女子アナは、ズブ濡れでパンツ丸出しになっている自分の姿に気がつくと、悲鳴を上げて体育座りのような体勢を取って蹲る。マサキが駆け寄って、すかさず深い催眠状態に落としてあげたのは、むしろ助け舟を出したような形になった。

。。

「楽しい気分で目を覚ます」と暗示をかけて催眠状態から解くと、芳乃香さんはまた照れ笑いを浮かべながら、手渡されたタオルを手に取って、ベタベタの顔と髪を拭く。全身ズブ濡れになっているので、すぐに乾くことはなかったが、プロデューサー判断で、締めのシーンに入ることになった。正気に戻った彼女が、アドリブで一言、二言、感想を求められる。

「やー、今日は催眠術にかかってしまって、色々と弄ばれました。………酷い目にあいました~。お見苦しいところがございましたら、ゴメンなさい。………でも、若園芳乃香のふれあい人生ニューページでは、これからも色んな新しいことにもチャレンジしていきたいと思います。来週もまた、お見逃しなく。ありがとうございました~。………………………私、お酒臭い…………。………えーん………」

 最後に自分の体から立ち上る、安いスパークリングワインの甘い匂いにコメントして、困ったような笑顔で手を振る芳乃香さん。キューさんからOKが出ると、撮影が終了する。果代ちゃんが駆け寄って、大きなバスタオルを芳乃香さんの肩にかけてくれた。若園さんは、ジトーっとした目で、マサキを見ている。

 内心ドキドキしながら、マサキが近づくと、芳乃香さんは一言、

「超高級シャンパンを駄目にしちゃったって、思ったから、普通のスパークリングワインで、良かったぁぁ~」

 と泣きそうな顔になって溜息をついた。バスタオルに顔につけたまま、隠すようにする。果代ちゃんが、貸しスタジオの更衣室へ行こうと、彼女の背中に手を当てて促す。スタジオを出る時に芳乃香さんはマサキの方を振り返ると、

「マサキ君には色々と言いたいことがあるけれど、まずは着替えて、撮れたものを見させてもらってから、お話ししましょうね」

 若園さんは笑顔を作っているが、黒目は据わっていた。やはり怒っている………。マサキは、はっきりと実感した。

「おい、マサキ。俺らこれから、ここの部屋で、仮編集の目星だけつけとくけど、お前、若さん戻ってきたら、一緒に朝のホテル戻ってくれ。チェックアウトしちゃったけど、休憩プランとか出来ないか、俺から電話しとくよ。無理だったら延泊料金払っても良い」

 マサキの近くまで歩み寄ったキューさんが、耳元でコソッと話す。

「誤魔化して、とにかく時間稼げ。すっげー面白い画が一杯撮れてると思うけど、本編集前に若さんに見られると、たぶんあれ切れこれ切れ、色々言われそうだから、帰りの時間まで、姫様はホテルに缶詰めだ。お前、お目付け役な。果代ちゃんも連れてったら良いよ」

「………はぁ………。わかりました」

 マサキは少し迷いの入った返事をする。キューさんの言っていることは良くわかるが、たった今撮れた、自分提案の企画の結果を、自分の目で確かめたい思いもあった。強面プロデューサーは、説得するようにマサキのズボンの尻をギュッと掴む。

「傑作企画だよ。催眠術チャレンジの回。前半のひたすら没入してる若さんも、後半のちょいちょい素に戻って恥ずかしがったりしてる若さんも、すっごい良い表情で撮れてる。苦し紛れに台本も無しで始めたことが凄く跳ねるって、たまーにあるんだが………。お前、今回本当に良かったぞ。………あとは2時間だけ、何とか若さんをホテルの部屋で休憩させといてくれ。頼んだ」

 キューさんにここまで褒めてもらったことはないので、マサキはそれ以上ゴネることも出来なかった。若園さんももうすぐ戻ってくるはずだ。マサキは急いで、彼女をホテルへ帰すための言い訳を考える。

「お疲れ様ですー」

 ジムスタジオに戻ってきた芳乃香さんと果代ちゃん。駆け寄ったマサキが告げる。

「若園さん、昨日泊まったホテル、また休憩させてもらえるっていうんで、今からロケバスで戻りましょう。シャワー使いたいですよね? 東京まで変える間、ずっとお酒の匂いさせてたら、気持ち悪くなると思いますし、次のお仕事にも差し支えますよね」

 演者さんを気遣う、ADの顔に戻っているところを見せる、マサキ。若園さんはまだ、小型モニターで再生を始めているゴンさんとキューさんの方を気にしていた。

「それは………ありがたいんですが、私、一度、自分がどんなことしてたかだけでも見たくて………」

「それより先に、きちんと催眠状態で入れた暗示が解けているかどうか、一個ずつ丁寧に確認させてください。若園さんのかかりっぷりだと、まだ解けてない暗示とかあって、日常に支障があるといけないですから」

「………うっ………。それは………………………。わかりました」

 芳乃香さんが顔を曇らせて、マサキの提案を渋々受け入れる。「牽制球」と言われるたびに、下着が見えるほど派手にスライディングせずにはいられなかった自分のことを、思い出しているのかもしれない。

。。

「ねぇねぇ、マサキさん………。芳乃香さんのここ………。ちょっと見てもらって良いですか?」

 ロケバスでホテルへ戻る、移動中。果代ちゃんに声をかけられて振り返る。ハイエースの3列目席は独立2座になっていて、女性2人が並んで座っていた。果代ちゃんは怒った顔で芳乃香さんの顎を指差している。気風の良い彼女は、年上の男に対しても遠慮ない口調で話す。

「ほら、ここ……。アゴ、赤くなってます。鼻の頭も、ちょっと赤いです。あと膝の横、擦り傷です。さっきの撮影中に、怪我してますよ」

「………えっ…………本当だ………。ゴメンなさいっ。僕の注意不足でしたっ。本当にすみませんっ」

 マサキが顔を青くして平謝りする。鼻とアゴは、明日には腫れも引きそうな軽傷ではあったが、確かに打ち付けたところがホンノリと赤くなっていた。着替えのジャージのズボンを捲り上げて、右膝の横を見せてもらうと、確かにこちらは擦り傷が出来ていて、擦れた皮膚が白くなっていた。ヘッドスライディングや、足からのスライディングを繰り返させた時に、出来た傷だろう。演者に………しかも女子アナの顔に傷をつけさせてしまったということを知って、マサキはさっきまでの達成感が一気に吹き飛んだ気分になった。

「芳乃香さんが、オオゴトにしたくないからって、事務所にもスタッフさんにも言わないで良いって言ってくれてますけど、これ、本当だったらマサキさんも撮影班全員、すっごい怒られてる案件ですからねっ。マサキさんにだけは、知っておいてもらいたいと思って」

 真面目な果代ちゃんの怒りも、マサキの本当に申し訳なさそうな顔での謝罪を見て、少しトーンダウンする。けれど、彼女の言っていることは、正しかった。芳乃香がその気になって事務所を通してクレームを出してきたら、若手AD一人くらい、簡単にこの番組制作から外されてしまうだろう。

「あの、すぐ治るし、ファンデで隠せる程度のことだから、別に良いんですけど………。私、どんくさいから、転んでもっと大きな怪我してることも、ちょいちょいあるし………」

 化粧用のコンパクトミラーを使って確認しながら、芳乃香さんが言ってくれる。彼女のとりなしのおかげで、正義感の強い果代ちゃんのトーンも落ち着いてくる。

「まぁ………このくらいの擦り傷だったら、舐めとけばすぐ治るかもですね。………私も派遣先のメイク道具とかカットの道具とか、慣れてない道具使わされる時、指とか怪我することあります」

「うん………。舐めとけば治る………。ふふっ。果代ちゃん、………ここ……舐める? マサキ君でも良いけど………。なんて………ね」

 芳乃香さんは、トロンとした笑顔でまだジャージのズボンをまくって膝を出した状態のまま、クスクス笑っている。

「芳乃香さん、酔ってるでしょっ」

 年下の果代ちゃんに、窘められて、まだクスクス笑っている芳乃香さん。

「うふふ………そうかも。………もう全身から甘いお酒の匂いしてて、匂いだけで酔っ払っちゃってるよ~。………早くシャワー浴びたい」

 喋り終えた芳乃香さんが、思い出したかのように、また笑いだす。

「綺麗に洗ってからじゃないと、果代ちゃんに舐めてもらえないもんね」

「だから、舐めないですって………」

 若い女性同士の、リラックスした会話が続く。果代ちゃんからの「お説教」も、もう終わっていた。マサキは進行方向を向いて、まだ反省しているということを現して小さくなって座っていたが、本当は顔が赤くなっているのを、女性陣から必死で隠していたのだった。

 膝の擦り傷の話だとはわかっているし、酔って冗談を言っているというのも、理解できる。もしかしてあまりにも深刻そうな顔で謝っているマサキを気遣って、あえてふざけてくれたのかもしれない。だとしたら、本当にありがたい限りなのだが………。それにしても、「舐めてくれる?」というジョークは、いつもの芳乃香さんらしくなかった。お酒を少し飲むと、すぐにポーっと顔が赤くなって、笑い上戸になる彼女のことは知っていた。それでも自分から、ここまで直接的な冗談を言っている彼女は、これまでに見たことがなかった。

。。。

 朝チェックアウトしたビジネスホテルに戻ると、部屋が2つ用意されていた。きっとマサキが待機する部屋と、女性陣が2人で休憩するための部屋だ。けれどマサキには、どうしても解消したい疑問があったので、一つ、作戦を練らせてもらうことにした。若園さんがシャワーを浴びている間に、果代ちゃんをマサキの部屋に呼び出す。さきに果代ちゃんから、催眠が完全に解けていることを確認すると伝えて、光るペンライトの先をかざす。数を20から逆に数えてもらう。あと、2つ3つ、イメージを伝えるだけで、彼女はまた、深い催眠状態に落ちていく。この子も、芳乃香さんほどではないにしろ、被暗示性が凄く高いようだった。さっきは仕事中に「もらい催眠」で撮影に加わってしまったくらいなのだから、相当なものだ。

「貴方は僕がこの部屋に戻ってきて、起きるように言うまで、この部屋でグッスリ寝ます。途中で目が覚めることはありません。朝は始発で東京から来たんですよね? とっても疲れていると思います。よーく眠りますよ」

「………はい……。果代は、………よく眠ります」

 さっきは芳乃香さんのことを思い、マサキのためも思って、あえてお説教してくれた、性格の良い、頑張り屋のメイクさん。下の名前で自分を呼んで復唱してくれる今は、可愛らしくて無防備な、20歳の女の子になっていた。………そして何より巨乳だ。マサキは思い出したかのように、もう少しだけ、暗示を入れさせてもらうことにした。

「眠りにつく前に、果代ちゃんは正直に答えます。バストは何センチで何カップですか?」

「………93センチのF…………」

 やはり、美乳で知られる芳乃香さんよりも、もう2サイズ、ダイナミックなものを持っていた。

「せっかくリラックスした睡眠をとれるんだから、ブラは外して寝ましょうか?」

「…………うん…………」

 果代ちゃんは、マサキが目の前にいることを、全く気にすることなく、ロックバンドのロゴが描かれた黒いTシャツの裾に手をかけると、無造作に捲っていって、脱いでしまう。紺色のブラジャーは大きな2つの膨らみを、しっかりとガードしてくれるものだった。腕を背中に回して、ホックを外す。ボンヤリとした表情のまま、彼女はマサキの前で、ブラを外して、ブルンブルンとダイナミックに揺れる、大きなオッパイを見せてくれた。乳輪は芳乃香さんよりも大きい。少し離れ目のように左右についている。若さのせいか、これだけのサイズで垂れていないのが凄い。しばらく拝んでいたくなるような、立派な巨乳だった。けれど、ブラを取ったあとの果代ちゃんは、再び黒のTシャツをスポッと被って、首を通し、大きな胸を覆うように着ていく。

「………貴方は、僕が部屋に戻ってきて、貴方のオッパイを、10回…………。違う。15回揉んだら、さっぱりとした気分で目を覚まします。それまで、何の心配もなく、グッスリ眠っておきましょうね。はい、眠ってー」

 返事の代わりに、果代ちゃんは「気をつけ」の姿勢のままで、ベッドにドサッと倒れた。屈託のない、子供のような寝顔で、スース―と気持ち良さそうに寝息を立てる。その深い呼吸のたびに、ノーブラの大きな胸が上下していた。

 果代ちゃんの持っていたカードキーを借りようか迷ったが、マサキは自分の部屋のキーだけを持って隣室の前へ行く。シャワーの音は聞こえなくなっていた。ノックを3回する。

「………はーい」

 さっきよりも、はっきりとした口調に戻っている芳乃香さんの声がする。

「芳乃香さん、『究極のリラクゼーション状態』の時間ですよ」

 と、ドア越しに告げて、様子を伺う。………10秒も何の反応も無いと、不安になる。

「芳乃香さんは今、どんな状態ですか?」

 聞いてみる。もう少しだけ間が空いて、ダルそうな声が返ってきた。

「リラックスして………、なんにも考えられない………。深い………。催眠‥状態………です」

「ではバランスを失わないように気をつけながら、芳乃香さんは催眠状態のまま、ドアの前まで来て、新藤マサキを迎え入れます。さ、ドアを開けましょう」

 オートロックのドアが緑色の光を出して、ゆっくりと開く。ドアの向こう側には、まだ髪が濡れている状態の、芳乃香さんがボンヤリと立ち尽くしていた。白いバスローブを身にまとって、ドアノブを持っている手の逆の手には、バスタオルを持っていた。足は裸足に、室内用のスリッパを履いている。

「お邪魔して、良いですね?」

 マサキが聞く。バスローブ姿の美人アナウンサーは、遠くを見据えるような目をしたまま、ゆっくりと頷いたのだった。

<第3話へ続く>

8件のコメント

  1. 更新後、早速読ませていただきました。

    下ごしらえ段階が一番ワクワクしてきますね。大抵は1話の前半で終わっちゃうんですが今回は2話にわたりじっくりねっとり描かれていて辛抱たまりません。
    最近はあまり見なくなりましたが、こんな催眠ショー番組が放送されたら永久保存ですわ。

    ドア越しに催眠をかけて、自分でドアを開けさせるのはポイント高いです。

    来週もPCの前で待ってます。

  2. 催眠ショーだああああ!(興奮)
    いや、大好きですショー催眠。
    自分にとって、こうやって観客を『魅せる』ことを意識した催眠が原点だったりするので。
    カメラの前で仕掛けられた暗示通りに操られるとか最高ですね!
    基本的な情報を忘れさせられたり、その後勢いでプライベートな質問まで答えてしまったりとかめっちゃ興奮します。

    単純な催眠ショーだけでなく、TV撮影に関わっている人たちの反応とかも丁寧に描かれていて、かなり世界観に引き込まれます。
    しかし、まさかメイクさんまでもらい催眠にかかってしまうとは……w

    さて、一旦休憩を挟んで、予告されていた通りの密室シーン。
    恐らくここで芳乃香さんに色々しつつ、後半に向けて色々仕込んだりしちゃうのでしょうが……
    芳乃香さんの今後の人生が今から心配ですw

  3. 今回もよく読みました。 文表現が翻訳機を使ってもやさしく読めるくらいいいです もし作家さんの作品を載せる他の場所もありますか。

  4. 読ませていただきましたでよ~

    まずは催眠ショー
    ADではあるものの進行に関してはほぼ素人のマサキくんが不慣れでTV番組としては微妙な導入から深化、そしてヘッスラ、スライディング、シャンパン、指揮者と後催眠暗示が素晴らしかったでぅ。ノリノリで一塁に戻ったり、指揮でシャンパンこぼしちゃったり、肉体操作好きとしてはこういう意思に反して動いちゃうのはやっぱり好きでぅ。もちろん、正気のまま動かされるのがもっと好きなんでぅけどw
    芳乃香さんはもちろんですがもらい催眠しちゃった果代ちゃんが可愛いでぅ。
    芳乃香さんを完全に支配するのはもう楽しみで仕方ないんでぅが、ここは果代ちゃんもいい感じに支配してセフレくらいにしてもらいたいところでぅ。

    さしあたっては次回からの部屋での催眠。どういう風に芳乃香さんを縛っていくのか楽しみで仕方ないでぅ。
    であ、次回も楽しみにしていますでよ~。

  5. 第2話投稿お疲れさまです。読ませていただきました。
    ショー催眠から一気にエロになだれ込むのか?とも予想していましたが、番組として成立するようにしっかり仕事していましたね。
    突然MC能力を授かったり催眠アプリを手に入れてすぐヤリまくる作品が多い世の中で、こういう庶民的で小市民的な主人公には好感がもてます。
    やはりターゲットをじっくり(しかし純愛ではなくセコく)攻略することこそ催眠モノの醍醐味だと思いますので…
    そして今回はエロなしかと思いきや、最後に果代ちゃんのオッパイが…というのもグッときました。
    永慶氏のオッパイ描写、催眠によってモラルの一線を超える緊張感と背徳感が混ぜ合わさったような瞬間が大好きです。
    そして最終的に周囲のオジサンたちも酒池肉林に加わるのか、それとも主人公の独占ハーレムなのか、そこも気になりますね。
    第3話も楽しみにしております。

  6. リクエストしちゃいけないんだろうなと思うのですが、
    せっかくメイクさんがいるのでぜひやってほしいことがあるのです。
    花の帝国7最後に次回予告のように書いてある内容が
    花の帝国8前半にちゃんと話になっていたのですが、
    ピエロのメイクだけなかった事になっていたのです。
    お互いにクスクス指差しあうとかしてほしいです。
    もちろんピエロメイクに拘っているわけではなく、
    特殊メイクにグレードアップしてもいいです。

  7. >慶さん

    ありがとうございます!毎度悩ましいのは、仕込みや過程をみっちり描くということと、出来るだけ早くエロシーンまで到達するということが、なかなか両立しにくいことですね。今回は全体のバランスから見ても相当引っ張らせてもらったつもりですが、結果到達したところにご満足頂けましたら幸いです!

    >ティーカさん

    毎度どうもです!私にとってもショー催眠が原点ですね。今回も懲りずに書いてしまいました。出来るだけ基本に忠実に、フォーマット自体が持っている面白さ、エッチさを損なわないように気を遣いましたが、お楽しみ頂けていたら嬉しいです。

    >Iswkpさん

    いつもありがとうございます。こちらのサイトができる半年くらい前から、私が催眠術小説を習作含めて何本か投稿していたサイトがあります。今はアーカイブですが、こちらです。

    https://web.archive.org/web/20130217103342/http://homepage1.nifty.com/tmiyabi/story1.htm

    その他、私は投稿叶いませんでしたが、こちらも姉妹サイトのような存在でした。

    https://web.archive.org/web/20121122172043/http://www.geocities.jp/kurukuru170/sosaku-top.html

    私の師匠、「びーろく」さんや、同期でライバルと勝手に意識させて頂いていた「おくとぱす」さんなどの、素晴らしい作品が並んでいます。よろしければご覧ください。

  8. >みゃふさん

    毎度ありがとうございます!もらい催眠、結構好きな現象です。これも予期せぬ効果の出方という意味では、試行錯誤や微調整の一種と言えるのではないでしょうか? そろそろみゃふさんの投稿と一緒に掲載されそうな気配もあり、楽しみにしております!

    >きやさん

    ありがとうございます!ユーモラスな暗示の応酬の下で、深化が進んだり、密かな暗闘があるというのが、とても好きです。今回も長々と書いてしまいました(笑)。次回もしっかりオッパイ描写もサボらずに書けるよう頑張ります。よろしくお願いします。

    >感想文書くのが苦手さん

    ありがとうございます!リクエストも含めて、読んで頂いた方の声は大変励みになります。花の帝国に限らず、集団操作を沢山描こうとしている時は、思いつく限り投げつけてしまっているので、フォロー忘れも色々あると思います(笑)。4話目から6話目の間くらいにちょっとでも描写が織り込めていたら、今度は忘れなかったと、笑ってやってくださいませ。

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