<オカルト> 東屋蓮 高校生
その朝も、蓮は彼女の国枝清香ちゃんと一緒に登校した。例の部室に足を運ぼうと、旧サークル棟へと向かっているところで、ヒョロッとした体型の男子生徒に出会う。蓬田誠吾先輩だった。この時間帯に蓬田先輩と会うのは珍しい。彼は大体、昼休みか放課後に部室に顔を出すのがルーティーンだったからだ。オマジナイの勉強をしようとしていると、深夜から明け方が色々と都合が良いらしく、関屋先輩や松風先輩は部室に泊りこんだりすることも珍しくない。賢木先輩すら、早朝に部室に入るのが苦ではないようだ。けれど蓬田先輩は他のメンバーたちとは、違う動きをしがちだった。そんな先輩が、今日は早朝から部室へ向かっている。
「蓬田先輩、おはようごさいます」
「おはようございます」
「よー。蓮、清香ちゃん。…………最近、蓮が自分でオマジナイ開発するのに苦労してるっていうんで、冷やかしに来たんだよ。ちょうどいいタイミングだったね」
朝から、爽やかな様子で、サラッと嫌なことを言ってくる。涼し気に笑顔で嫌味を言えるのが、この人の長所というか、短所というか、独特の個性だ。
「いや、僕も色々と準備はして来てるんです。あとは、先輩たちに見てもらって、合格もらえればって、思ってるんですけど」
「んー。繭菜のOKもらうのが、一番難しいんじゃない? ………いつもダルそうなリアクションするけど、意外と熱血のスパルタ先生っぽい性格してるし」
「………やっぱ、賢木先輩っすかね? …………僕、よりによって、賢木先輩の召喚のオマジナイから………」
蓬田先輩と話しながら、部室へ近づく蓮と清香、そして一歩前を歩く蓬田先輩。3人が旧サークル棟の端にある部室まで辿り着くと、先輩が古びたドアを開ける。そしてそのまま、蓬田誠吾先輩は、足を踏み入れることをせずに立ち止まった。
「おい、蓮。…………ダッシュで逃げろっ」
蓬田先輩は蓮たちの方を振り向かずにそう言った。そのトーンはいつもの飄々とした彼の喋り方ではない。反射的に蓮は、背の高い蓬田先輩の背中から、部室の中を覗きこんだ。その中には、いつも通りこちらに背中を向けている関屋先輩。今日は水晶玉を覗きこむのではなくて部室の中央を見ながら立ちすくんでいる松風先輩。少し手前で立ち尽くしている賢木先輩の後ろ姿まであった。そして部屋の中央には、2人の成人女性と1人の成人男性。さらに2人の中学生くらいの男女が立って、こちらを見ていた。真ん中の中学生くらいの女の子は、悪戯っぽく笑っている。
蓮はようやく蓬田先輩の言葉に反応するように、隣にいる清香ちゃんの手を握りしめると、引っ張るようにして、部室に背を向けて走り出した。その瞬間、背中の方から、甲高い女の子の声が聞こえてきた。
これは叫び声ではない。音程と旋律を持っている。歌だった。日本語の歌詞ではない。英語でもなさそうだった。ソプラノかメゾソプラノか、蓮は音楽には詳しくないのでわからない。とっさの時には、そんな、些細なことが気になるものなんだと、自分で妙に冷静に感じていた。その歌は、何かの宗教の讃美歌のような響きになっていた。そして、そのことに気がついた時には、蓮の足は止まっていた。腕を引っ張ってきた清香ちゃんも、立ち止まっているようだ。地面を蹴っていたはずの蓮の足は、いつの間にか、地面から離れて、宙に浮きあがっているような、妙な浮遊感をもって止まっていた。
「凄いよねー。駅1つ離れた隣町の学校に、こんな人たちがいるんだもん………。世界は広いって言うか、世間は狭いって言うか。やっぱ私たちも自分たちの教会でコソコソしてるだけじゃ駄目だよ。…………この時代、攻めの姿勢を見せなきゃ」
「…………で、明日香はこの人たちを、どうしようとしているの? ………教団にも伝わっていない、不思議な技術を持ってる人たちっていうことは、明日香にも扱いきれないリスクもあるかもしれないって、思うんだけど………」
「賢人は心配し過ぎなの………。まぁ、見てなさいよ。この学校は、パパの教会を抜け出てきた、あっちの絹田っていうキモイ男に支配させる。私の教会から君と絹田、主教を2人出したら、パパのお仲間たちが何と言って来ようと、私たちはアンタッチャブルになるから」
部室から出た2人の中学生の影が、蓮のところまで近づいてくる。呆然と立ち尽くしている蓮の前まで回り込んだ、「明日香」と呼ばれた女の子が、蓮を値踏みするように下から覗き込んでくる。美少女と言って良い、端正な顔立ちをしている子だった。小柄で華奢な体つきだが、その余裕の笑顔からは、年齢よりも年上の人のような雰囲気を醸し出している。隣に立った男の子は、真面目そうな普通の中学生男子に見える。「賢人」と呼ばれていただろうか。彼は心配そうに周囲を気にしながらも、蓮が手を握っている清香ちゃんの顔を見て、見とれるように見上げた。惚れっぽい性格というか、年頃なのかもしれない。
「君たちも、こっちおいで。………お姉さんと楽しいことしよっか」
わざと冗談めかして、明日香という女の子が、子供をあやすような口調で蓮と清香に話しかける。2人は魂が抜けたような表情のまま、ボンヤリと頷いた。明日香に手を引かれて、部室へ入っていく。彼女はこんなに小柄な中学生なのに、彼女に手を引いてもらうということはとても心強くて、安心できて………。蓮は、一生彼女の後をついてきたいとすら、思い始めていた。
ドアを閉めると、部室は密室になる。抜け殻のような表情で呆然と立ち尽くしている「オマ・クラ」の部員たちを一列に並べて、明日香はニンマリしながら腕を組んだ。
「賢人に学校の生徒たちを1クラスずつ入信させて、一気に主教まで育てようとしたんだけど、そこでこんな情報が取れるとは、思わなかったな~。ただの噂だって、放っておかなくて、ホント良かった。…………こっちのお兄ちゃんは、………この箱庭を使って、この辺りを管理してるの? ………凄い広い範囲だよね。すっごい。…………この人形が私か。………この領域に侵入してきた私のことを調べようとした瞬間に、魂抜かれちゃったんだね。…………で、次がこっちのお姉さん。このへんの小道具見てる感じだと、占い師のお姉様っていうとこかな? 私のことを占おうとして魂抜けた………と。で、怪しんだこっちのお姉さんが私たちをこの部屋に無理矢理引っ張るっていう魔法みたいなものを仕掛けて来たんだよね。なんか、問答無用にここに引っ張られてきた感じだったけど、肝心のお姉さんは魂抜けた………と。これは相打ちっていっても良いのかな?」
「その後、この男の人がこっちの2人を連れて入ってきたんだけど、これでこのグループの人たちが全部かどうかも、まだわかんないよね?」
賢人という子が質問しても、まだ明日香は余裕の表情を崩さない。
「それはおいおい、この人たちの入信が終わってから、確認すれば良いでしょ? ………また誰か来たとしても、私の讃美歌を聞いたら、同じ状態になるし、私を狙って攻撃を仕掛けでもしたら、その瞬間に魂が抜けて、無防備になるんだから。そんなに心配しないでも大丈夫。………………みんな、裸になりなさい。私の玩具にしてあげる。貴方たちの持っている不思議な力も、技術も、これからは私のためだけに使うようになるの。…………それはとっても幸せなことなんだよ。ワクワクするでしょう? …………エッチな気持ちも止まらなくなるよ」
明日香が言うと、部室にいた先輩たち、そして明日香が連れてきたらしい、2人の美女も、服を脱ぎ始める。蓮も服を脱ぎながら、明日香の言う通りだと思った。彼が持っている技術も力も、全部明日香のために捧げて、一生を彼女のために使い果たしても構わない。それはとても幸せなことなのだろうと、心底思うことが出来た。体の疼きが抑えられない。ズボンを脱ぐのに苦労するほど、すでに蓮のモノは勃起している。そう考えた時、蓮は一つ、思い出したことがあった。蓮が昨日の夜に、鏡を使ってヘソの下からタマの裏まで書き込んでいたオマジナイがあったのだ。あれはまだ、有効なのだろうか?
「………この人の……これ……なんの模様?」
明日香が奇妙な感想と、好奇心に憑りつかれたような表情で、蓮の裸を見る。賢人も眉をひそめた。
「なんか、さっき、こっちのお姉さんに不思議な力でこの部屋まで呼び込まれた時の模様にちょっと似てない?」
そこまで彼らが口にしたところで、蓮のモノが完全に勃起する。普段は少し被っている皮がめくれて、亀頭に描かれた模様と皮の先の模様の続きとが繋がる。その瞬間に、蓮の下半身が紫色に煌めいた。明日香の後ろから、裸の美女たちが、ソロソロと蓮の下半身目掛けて歩み寄ってくる。それを遮るようにして、前に立つ明日香が2人を両手でドンッと突き飛ばした。
「怜奈先生っ。雪乃さんっ。…………明日香、どうしたの?」
賢人が困惑したような声を上げる。けれど、明日香が発した声は、さらにもっと困惑して、震えていた。
「………わかんないっ………。これ、ヤバいかも…………。賢人、止めてっ」
蓮に向かって2歩、3歩と歩き始める明日香。迷いながらその明日香を後ろから止めようと腕を掴んだ蓮を振りほどいて、一気に突進してきた。そこでボンヤリと全裸で立っていた、下半身に油性ペンで魔法陣を描きこんでいる蓮の体を、突き倒すように明日香が圧し掛かる。
「やだっ……………何よ、コレッ……………。男なんか、イヤッ………………イヤーァァッ」
声を上げながら、蓮の体に跨った明日香がしゃがみこむと、その股間が、蓮のモノを上から咥えこむような形になる。蓮はまだ、ボンヤリと天井を見ていた。蓮には明日香を攻撃しようという意志もなかった。ましてやこの模様を描きこんでいた時には、彼女の存在さえ知らなかった。それでも、昨夜、新しいオマジナイの開発の役に立つかと思って、自分の体に魔法陣を描いてみたのだった。
『来い、ここに、清らかで綺麗な女子の性器。』
手鏡に映った文字を見ながら魔法陣を描きこむのは一苦労だったが、亀頭回りとその包皮に描く模様を工夫することで、勃起した時にだけ、魔法陣が完成するようにしてみたのだが、それが今になって効力を発揮したようだった。
気持ち良い………。プチプチブチッと、何かが破れる感触をペニスに得ながら、蓮は今も夢見心地だった。明日香がさっき言った言葉の力もあるのだろうか? 圧倒的な幸福感と快感が押し寄せてくるせいで、結合したことを感じ取った瞬間に、蓮は射精してしまっていた。すぐ後ろで、最愛の彼女、清香ちゃんがこれを見ているだろうことが頭の片隅に浮かんだが、蓮はまだ、だらしのない笑みを浮かべて天井を見ていた。明日香が絶叫しても、その表情は変わらなかった。
「イヤーァァァァァァァァッ。ヤダヤダヤダッ。やめてーぇぇええっ」
最後には泣き声が混じるような悲鳴が、部室に響き渡る。最初に先輩たちの何人かが、意識を取り戻して状況を理解し始める。裸の美女たちは、どうしていいかわからずに、ただ戸惑っていた。賢木先輩が床に描きこんだ円に、絹田と呼ばれていた男は飛び込んで、無抵抗になる。賢人は、オマ・クラのメンバーに囲まれても、抵抗しようとせずに、ずっと明日香の様子を心配そうに見ていた。最後まで放心状態でいたのは、蓮と、蓮の上に乗っている、明日香だった。
。。
「清香ちゃんも大丈夫だね? ……………蓮、起きれる? …………なんか、アンタのオマジナイが聞いて、この子の霊力を無力化出来たみたい。…………多分、偶然だけど」
賢木先輩の、ぶっきらぼうな声が聞こえて、蓮も少しずつ正気を取り戻していく。彼の体に跨ったまま、まだ放心して涙を流している女の子を、松風先輩が抱え上げる。
「偶然の力って、割となめられないよ。………もっと大きな力が背後で働いていたりすることもあるんだから………。占い師の私が言うんだから、間違いない。…………例えば、蓮をこの部の歴史に残るような、オマジナイの大家にしようとしている、大きな存在の意志がある………とか……」
「蓮を? ……………やっぱ葵の占い、ここんところずっと調子悪そうだね………。おっと………破瓜の血は私が回収しておくよ。サキュバスとの契約があるから」
蓮は、オンナの先輩たちのテキパキとした後処理を見ながら、やっと少しずつ状況を理解していく。その蓮の頭を、蓬田先輩がポンと叩いた。
「ま、………とにかく蓮が僕らのクラブの危機を救ったことは間違いなさそうだから、今回の課題はクリアってことじゃない? 自作のオマジナイ。繭菜の召喚からどれだけ発展してるのかは、よくわかんないけど、実践的であることを証明したんだから、認めざるを得ないっしょ?」
「ちょっとその話、後にしてくれる? ………さっきの悲鳴を聞いて、結構人が集まって来てるから、そっちを先に処理するわ」
関屋先輩はもう、こちらに背を向けて、ジオラマに向かって、細かい作業を始めていた。その様子を見ている蓮の背中から、胸元に腕を回して、抱き着いてきた女子の体を感じる。感触で、誰だかすぐにわかる。蓮の背中にサラサラの髪から頬までギュッと押しつけて、蓮の体を後ろから抱き締めてくれる、華奢で柔らかくて、良い匂いのする女の子の体。蓮はまだ、何が起きたのか完全に理解は出来ていなかったけれど、とりあえずはこの大切な存在を守ることが出来たようなので、良かったのだ。そう心から思った。
。。。
<カルト> 井村友介 主教
友介が会社を辞めて、一ヶ月が経った頃、ナカガワ教会のナカガワ先生が、イムラ教会に友介の妻、雪乃を連れてやって来てくれた。妹の文乃は3ヶ月ぶりに会う姉の姿を見て、飛び掛かるようにして抱き着いた。白くて長い、信者服に身を包んだ美人姉妹は2人で抱き合って泣いた。
「雪乃を、セノオ主教の手から、取り戻してくれたんですね。…………本当に、ありがとうございますっ」
友介はナカガワ先生の右手を両手で握りしめて、頭を下げた。声に涙が混じって震えていた。
「ある出来事のせいで、セノオ主教は霊力を失いました。…………彼女は教団の中で生まれながらの指導者候補として育てられてきたので、今は心のバランスも失っていて、自分の教会をまとめることも困難です。私が彼女を庇護することになると思います。雪乃さんを連れてくることが出来たのも、そういったことで………。恥ずかしながら、私は何も出来ていませんでした。貴方の先輩としても、セノオの父としても」
ナカガワ先生は固く右手を握りしめている友介の肘に触れて、雪乃の方を指示した。そして無言で頷く。井村雪乃もしばらく何も言わずに、捨てて逃げたはずの夫を見ていた。抱き合っていた文乃から体をゆっくりと離すと、涙を零しながらやっと言葉を出した。
「………………友介さん……………わたし………………」
「何も言わないでいい。………………全部、わかってる。全部、大丈夫」
友介はやっとそれだけ言うと。我慢できなくなって、雪乃の体を抱きしめた。温かくて柔らかい、3ヶ月ぶりに触れる、妻の体だった。泣きながら抱き締めているうちに、友介は体をかがめていく。彼女の胸元に顔を当てて子供のように泣いて。最後は膝をついて、彼女の下腹部に頬を当てて泣いていた。本当はもっと男らしく妻を迎え入れることを何度もシミュレーションしてきたはずだったが、急なことで、感情が決壊してしまっていた。そんな友介の髪の毛を整えるように、妻の柔らかい手が彼の頭を撫でつけていた。
。。。
「結局、妻を解放してくれた人たちのことは、ナカガワ先生から教えてもらうわけにはいかないのですか?」
再会の瞬間から1時間後。友介の書斎で、彼とナカガワ先生の2人だけになって、話を聞いていた。今では友介もだいぶ気持ちが落ち着いていたが、解けない疑問は多かった。
「教団の上層部も、判断をしかねているようです。セノオ主教の能力の例もありますが、調べていくことで相手の術中にはまるという危険も存在します。こんな時、直接の利害関係がはっきりしない間は、お互いのテリトリーを尊重して、深入りしないことで、我々の教団は生きながらえてきました。おそらく今回も、そうなることでしょう」
「では私は、妻を助け出してくれた恩人に、御礼をすることも出来ないのですね?」
友介が顔をこわばらせて言うと、ナカガワ先生は、彼の固くなった顔を解きほぐすように、柔らかい笑顔を見せて答える。
「慌てる必要はありません。神様の意志に基づいて、全ては動いていると信じましょう。しかるべき時が来れば、貴方は、その方々と会うことも出来るはずです。貴方が奥様と再会することが出来たように。今は、静かに準備を進めましょう。………さっき私がお願いした、引き継ぎについて、相談させてもらえますか?」
井村友介は、「引き継ぎ」という言葉を聞くと、生唾を飲んでしまう。さっき、この部屋へ入る前、ナカガワ先生は友介に、セノオ教会とナカガワ教会の信徒たちを、イムラ教会に引き継がせて欲しいと告げたのだ。
「ナカガワ先生。私がこの教団に入ることになったのも、もとはと言えば、妻を取り返すためです。そのために表向きは、入信したことになっていますが………、それもまだ2ヶ月程度のことです。どうして私が、200人以上の信者を抱えて、指導していけるなんて思うのですか? ………私は全員を引き連れて、ペガサス聖家族を脱退してしまうかもしれませんよ?」
友介の言葉に対しても、ナカガワ先生はお見通しとばかりの目で、笑顔を崩さない。その微笑みはいつも通りの包容力に満ちていたが、同時にどことなくいつもよりも疲労の跡が混じっているようにも見えた。こうして見返すと、ナカガワ先生の癖の強い髪には白髪も混じり、顔の血色は良いものの喉元には年齢を思わせる皺が寄っている。友介は彼がここに辿り着くまでに払った犠牲のことを想像しながら、ナカガワ先生の話を聞いた。
「それでも構いません。………私に言葉を預けてくださった、大いなる存在は、貴方がすぐに教団を脱退することはないだろうと仰いましたが、それはもしかしたら間違いかもしれない。イムラ先生は、イムラ先生の正しいと思った方向へ、突き進んで頂くのが幸いでしょう」
「大いなる存在………。それは、神様ですか? ………ナカガワ先生は、神様の声を聞いたんですか?」
妻を取り戻した今、教団と距離を取りたいと思っていた友介も、さすがに神の存在を仄めかされると、興味が湧かないと言えば嘘になる。すでに長年勤めてきた会社を辞めた友介にとって、今の教会の信者たちが唯一残された仲間であり、社会であるとも言えた。そして目の前に、本当に神の声を聞いたかもしれない男がいる。すでにこの男のもたらした、非現実的な現象を身をもって体験してきた友介としては、耳を傾けない訳にはいかなかった。
「神様の姿を見たり、お声を聞いたりというのは、我々の教団で位階を上げて行けば、それほど特別なことではないです。天使の声を聞くこともあれば、聖霊や聖人の声を聞くこともあるでしょう。もちろん悪魔の声を聞くことも、その他の怪しきものの声を聞くこともあるでしょう。それ自体はとりたてて問題ではありません」
ナカガワ先生はこともなげに言った後で、深い溜息をついた。
「問題は、何が神の声で、何が神を騙る悪魔の声なのか、人間に証明することは出来ないということです。人の五感を惑わして認知を歪めることくらいは私にも出来ます。貴方にも、もう出来るでしょう。それならば、悪しきもの、怪しきものに、それくらいのことが出来ないはずがない。貴方が確かにその目で見て、その耳で聞く神の声に従って、貴方は信者たちを導いていく。けれどそれが悪魔の仕組んだ道で無いということは、人には証明することが出来ないのです。そんな時、貴方はどうしますか? それが問題です」
「祈っても……無駄ということですか」
「祈ることしか出来ない時もあるとは思いますが………ね。今日はこれくらいにしましょう。貴方には、私の悩みを背負ってもらう必要はないです。私たちの子供たちの面倒を見てもらうだけでも、しばらくは手一杯になるでしょうからね」
ナカガワ先生は、友介の膝をポンと優しく叩いて、立ち上がった。姿勢は良い人だが、こうして真後ろから背中を見ると、思ってきたよりも小柄な男性だったことに気がついた。ドアを開けて、友介の書斎を2人で出る。先にリビングへ足を踏み入れたナカガワ先生が、「オヤ」と、小さな声を上げた。
友介もナカガワ先生の後から書斎を出て、思わず絶句してしまった。リビングのソファでは、彼の妻である井村雪乃とその妹の園原文乃が、お互いの上半身を裸にして、抱き合ってキスをしていた。口を重ねてディープキスをしているだけではない。その行為に没頭するように、お互いの胸を強く揉んでいた。先に気がついたのは雪乃で、「んーっ」とくぐもった声を出して、口を妹の顔から離した。知的な妹も、慌てて腕で胸を隠しながらこちらに背を向ける。
「ごっ…………ごめんなさいっ。友介さん………。その…………つい…………。文乃と……………話しているうちに……………」
「そのっ……………。ちょっと盛り上がったっていうか………………。ねっ………」
雪乃と文乃ちゃんが、こわばった照れ笑いのようなものを赤い顔に浮かべながら、必死に弁明している。戸惑いを隠せずに聞いている友介の肩を、ナカガワ先生がポンと叩いた。
「子供たちの今のありのままを、許して、受入れて。…………少しずつ、貴方の思う正しい方向に導いていってあげれば良いと思います。先の話はまた、いずれ」
そう言われて、友介はナカガワ先生に、曖昧な笑みを返すことしか出来なかった。
。。。
<オカルト> 東屋蓮 高校生
来年の春、賢木先輩や松風先輩、蓬田先輩が卒業する時には、蓮がオマジナイクラブの部長になるようにと、またいつものように一方的に通告された。
「いや、あの、僕まだ、この部に入ったばっかりだし、オマジナイっていっても、本当に導入を齧った程度なんですけど………」
困った蓮が弱気な声を出す。このオマジナイの世界というのが、空手と両立出来るものなのかもわからない。ましては、受験勉強に恋愛………と、蓮がしなければならないこと、したいことは、ただでさえ容量オーバー気味だ。そのことを素直に蓬田先輩に伝えると、先輩はいつもと同じように人当たり(だけ)の良い笑顔で返答する。
「だからこそのオマジナイだよ。受験も内申も、可愛い彼女の心も空手の修行も、部の発展だって、蓮がオマジナイの道に精通すれば、思いのまま、だってば。俺らがそうだもん。あ、…………そういえば、繭菜はまだ、重大な課題を残しちゃってるけど」
蓬田先輩に茶化されて、賢木先輩が舌打ちする。彼女は卒業までにサキュバスとの契約を満了させるために必要な、処女の破瓜の血と愛液のノルマが残っているので、冬が近づくごとに、イライラしつつある。聞いた話が正しければ、サキュバスとの契約は他の先輩たちにも影響があるはずなのだが、そこは皆が賢木先輩を信頼しきっているからか、この話を賢木先輩のタスクととらえているようだ。きっとそんなプレッシャーのかかった彼女にとっては、この課題の遂行に集中したい時期なのだろう。
「まぁ、アンタなら出来るでしょ。…………こないだの自作のオマジナイ。条件設定して召喚を発動させるっていう発想の発展は、地味なようでいて、なかなか有効だったよ。…………あれがなかったら、アタシら皆、やられてた訳だしね…………。それより、何より、色んな種類のオマジナイから召喚を選ぶっていうあたり、筋がヨロシイ」
賢木先輩が喋りながら、ちょっとだけ機嫌を直したような口調になる。自分の系統のオマジナイが活用されたことが、秘かに嬉しいのだろう。もっとも、あの時点までにちゃんと実地練習も含めて手ほどきを受けていたのは、召喚のオマジナイの他には、ほんの少ししかなかったからなのだが………。
蓮はあの日の前夜、清香のくれたアドバイスを基に、まだ初心者の自分だからこそ作りやすい、自作のオマジナイがないか、夜更けまで考えていた。そしてようやく思いついたのが、鏡を見ながら自分の体に魔法陣と魔法語を描きこむことだった。英語の筆記体を覚えた時もそうだったが、いずれ、新しい文字に馴染んで、書き方にも慣れてしまった後だと、鏡映しに書いたり、平らでない場所に書くというのが、かえって難しくなる。そう思ったからだ。それが、本当に偶然にも、急に出現した、怖くて綺麗な女の子を撃退するのに役に立った。もっとも、蓮は無意識のうちに押し倒されて、騎乗位でハメられて、処女をもらってナカ出ししていただけだ。けれど松風先輩に言わせると、そういった強力な偶然も、この世界では味方につけるべき、大切なものらしい。
「そりゃ、自分自身のオマジナイの勉強と、後輩の指導。同時に進めるのはハードだけど、そのぶん、いい勉強になるってば。そういう訳で、今後しばらく部の仕事は蓮に集中的に振るから。覚悟しといてね」
賢木先輩が、自分のペースで、言いたいことだけ言い切る。後輩の指導とは、新入部員の西峰賢人君のことだ。隣の学区の中学生を部員に迎え入れるのはオマ・クラの歴史の中でも異例のことらしいが、彼の熱意と、すでに経験した、超現実的な経験値を理由に、入部が認められた。蓮にずいぶんと懐いてくれるのはありがたい反面、彼のオマジナイ指導をいきなり任されるという責任に、気が重くもなっている。何しろ、賢人君はすでに、自分のクラスの担任である佐原玲奈先生と、彼のクラスメイト29名を不思議な力で支配しているという、どう考えても蓮よりも上級者のような存在なのだ。
「僕にそんな、色々…………。同時に出来ると、本当に思いますか?」
蓮が助けを求めるような声を出すところを、別の先輩の声が遮る。
「七転八倒するけど、何とかやり遂げる、っていう未来が見えてるよ。………めっちゃ前途多難だけど………。まぁ、退屈はしない学園生活になるよ」
松風先輩に言われると、蓮は溜息をついて、それ以上の議論を諦めた。有能な占い師を相手に、先の話について口論しても無駄なのだと、さすがの蓮も理解しつつあった。
「進化の過程を考えると………」
これまで蓮たちに背を向けて、ジオラマ弄りに没頭していた関屋先輩が、ボソッと呟く。
「もし貧乳が、育児やパートナー選びの際に不利に働くような特徴だったなら、とっくの昔に淘汰されていたはずだよな。今ここにある貧乳っていうのは、生き残り、勝ち残った、勝者なんだよ。………もしかしたら、小ぶりな胸をさげすんだり、特別視したりする、俺たちの心こそが貧しいものなのかもしれない………」
皆で話しているタイミングで喋り始めたので、関屋先輩も何か関係のある話をするのかと思ったら、全く無関係の独り言だった。耳に集中して損をした気にさせられた。けれど、これが関屋先輩なんだと思いなおす。
最近少しずつ、このメンバーのテンポというか、空気感に慣れてきたところだ。全員、自分本位でマイペース。お互いにほとんど気を遣わないけれど、かわりにこちらにも気を遣わせないというか、蓮が通っている空手道場とは違う、緩かったり、ぶっ飛んでいたりするこの関係性は、もしかしたら、なかなか得難いものなのかもしれない。
もうすぐ、清香ちゃんが、君原先生を連れての早朝散歩から帰ってくる時間帯だ。四つん這いで首輪とリールをつけられた君原先生が他の生徒に見つからないように、「ワンちゃんへの変身」とお散歩のルーティーンは、早朝に限定しているのだ。それから始業時間までには、蓮は清香ちゃんと隣部屋でイチャイチャするか、君原先生にネットリと濃厚な性教育を指導頂くか、選ぶことになる。
『退屈はしない学園生活』…………。
その響きに、ウットリしそうな自分もいないではない…………。ような、気がしないでもない。
「蓮…………おい、蓮っ。聞いてる? …………で、アンタの部長見習いとしての最初の仕事なんだけど、私のところに千絵が持ってきた相談。解決してやって欲しいの」
一瞬、現実逃避しそうになった蓮の意識が、賢木先輩の声で引き戻される。千絵とは確か、テニス部の美人キャプテン、谷川千絵先輩のことだ。お互いにいがみ合っているようで、やはり賢木先輩は谷川先輩とも仲良しなのだろう。
「千絵さんって、谷川先輩ですよね? 悩みって……………賢木先輩にいつも悪戯されるってことですか?」
「そんな相談、私に持って来るかっ。………テニス部の1年の三島瀬里ちゃんっていう子が、最近、部活を休みがちなんだって。真面目な子だったのに、全然練習に身が入らなくなってるっていうんで、葵に占ってもらったの。そしたらまた、彼女の私生活や未来の姿が、なんかモヤっとしてて、良く見通せないんだって」
「そう。最近やっとおさまったと思ったら、またこの磁気嵐みたいなもので、見通せなくなってる。………で、蓮の出番」
松風先輩も、低血圧そうな声を出す。
「葵に見通しないっていうんだから、またなかなか怪しい存在の仕業っていう訳だよ。だから、蓮が、瀬里ちゃんに迫るその、怪しい影を、調べて、探し出して、ぶっ潰す。理解した?」
皆が難題を蓮に押しつけてきているように見える。しかも、半分、悪ノリで………。
「『めっちゃ前途多難』………か……………」
松風先輩の予言が、すでに現実のものになりつつあるような気がして、蓮は深い溜息をついたのだった。
<カルト> 井村友介 主教
お祈りの時間を終えた後は、皆でリラックスする。友介たちのマンション最上階の最も大きな部屋に、壁を取り壊して、新教会の大広間を作っていた。イムラ先生が声をかけると、信者たちはいそいそと白い信者服を脱いでいって、裸になる。その多くが十代から二十代、そして三十代前半の男女だが、中には高齢の女性や、白人男性もいた。半数程度の人たちが手渡されたアイマスクをつけて、カーペットの上に寝そべり、手に触れた体に愛撫を始める。相手の外見や素性を考慮せず、聖家族同士、手あたり次第、愛し合う。この教団の大切な活動の1つだった。
祭壇のある壁の近くに準備されたソファーにイムラ先生が座ると、両脇から全裸の美女が近づいてくる。井村雪乃と園原文乃の姉妹だ。彼女たちは愛おしそうに友介の体に唇をつけてキスを繰り返しながら股間に顔を近づけていくと、まるで激しくお辞儀をするように頭を下げて、髪の毛をファサっと友介の股間にかぶせる。そして姉妹の髪の毛が絡みあうようにして友介のモノを包んで、その上から両手で、拝むように股間を髪の毛でくすぐっていく。妹である文乃ちゃんの髪質の方が若干固いだろうか? その感触の違いが織りなす、くすぐられる感触の変化は友介を飽きさせない。
美人の姉妹はお互いの目があったり、頬がくっついたりするたびに、クスクスと、幸せそうな笑い声を交わす。2人の温かい吐息や柔らかい乳房の先が友介の肌に触れるたびに、ゾクッとした快感が立ち起こる。そしてその快感も、勃起の高揚感も、射精の強い恍惚も、射精後の気怠い満足感も、全ては信者たちに魂の流れを通じて共有されていく。信者たち、イムラ教会の家族たち全員で分かち合う。友介の愉悦は信者たちの魂を大きく震わせて、幸福の絶頂に誘う。その震えを味わった信徒たちは精神が洗濯されたように清らかになり、心の体のリズムを整え、体の内側から美しく、健康的に、若々しくなって、今日も教会を後にすることになる。
この教会の集まりも、信者たちの生活を落ち着けるためにも、少しずつ頻度を減らしていきたいと、友介は思っている。それでも、信者たちが熱望し、友介も拒絶するには惜しい気もしてしまい、まだ頻度を減らすことは出来ていない。何より、会社を辞めて、ペガサス聖家族の選任司祭となってしまった友介は、教会の集まりがない日には、すべきことが少ない。根が生真面目だった分、友介は勤勉に宗教活動を執り行ってしまっているのだった。
「イムラ先生………。今日は、来る予定だった信者さんが1人、いらっしゃっていないんです」
髪の毛で友介のモノを挑発して固くさせていた文乃が、彼と向かい合うようにして股間の上にまたがる。「お姉ちゃんはいつも主教様とプライベートでシテるのだから、こういう時は私が先」と文乃ちゃんは主張するのだが、彼女だってプライベートでも頻繁に友介の家を訪れて、義兄と体を重ねている。就職活動が落ち着いたため、自由な時間が増えているようだ。その文乃の言葉に、友介は精一杯真面目な顔を取り繕って話を聞く。
「何か、用事があったのかもね。………どなたかな?」
「三島さんのお宅の娘さん………。瀬里ちゃんです。…………最近、部活の先輩に、あれこれ聞かれて少し困っているって、この前、教えてくれました。私なりにアドバイスはしたのですが、今日来なかったところを見ると、手ごわい相手みたいですね」
文乃が膝と太腿に力を入れて、体を上下させる。友介のモノに快感が押し寄せる。
「今の時点で…………、娘さんだけ、聖家族から引き離されてしまうのは、…………困るな。他の家族たちまで、興味本位の視線に晒されてしまうことになるかもしれない」
友介は冷静を装いながらも、眉間に皺を寄せる。せっかくこうして1つになることが出来た大切な聖家族のメンバーを、導きながらゆっくりと日常生活へ、ソフトランディングさせていこうと画策しているところなのに、早くも邪魔が入ろうとしているのだろうか? 雪乃を取り戻したばかりの友介にとって、家族を一人でも引き離すような存在は、許すことが出来なかった。
「一般の人だったら、それとなく、入信させるための手筈を整えてください。…………もし、明確な敵意を持った団体の仕業だったら、早めに教えてください。私が前に出ます。早めに、………対処しましょう」
友介は、「処分しましょう」と言いかけて、言葉を「対処」へと言い換えた。それでも、家族を守るための決意は静かに固めていくのだった。
<おわり>
お疲れ様でした。
読ませていただきましたでよ~。
え? 終わり?
あまりにも唐突すぎる終わりに打ち切り食らったジャンプ漫画かと思ってしまいましたでよ。
明日香ちゃんの防御能力は信者以外にも有効なのがめっちゃやばいでぅね。オマクラの先輩方があっさりとやられて同寸だと思ってたところに罠発動!
無敵すぎる能力も偶然の前には勝てないでぅね。
明日香ちゃんが負ける展開としては文句ないんでぅが、いかんせん唐突感が・・・もうちょっと明日香ちゃんに暴れてほしかったでぅよ。オマクラも協会側も互いを知らない状況で接近遭遇して、対策とか因縁とかなにもないまま終わってたから、その辺りの爽快感はなかったのでぅ。
せめて一回逃げ切ってから(清香ちゃんは捕まる)、奪い返しに行こうとして返り討ち、そして偶然、蓮くんもゴタゴタで忘れてた召喚式で明日香ちゃんがやられるみたいなのだったらよかったのでぅ。
雪乃さんが戻ってきてよかったのでぅが、友介さんはもう完全に染まってしまいましたね。三島瀬里ちゃんを通じてオマクラとの接点ができてるけど、正直ラスボスだと思っていた明日香ちゃんがあっさりとやられたから井村さんとの対決にいくのは蛇足かなぁという感じでぅ。
一応賢人くんもいるから情報戦的にはオマクラ側が有利でぅし、かといってオマクラ側に教会を瓦解させるような理由もないのでこれ以上は必要ない気がしますでよ。
であ。
ご愛読いただきありがとうございました、永慶先生の次回作にご期待ください!
完結お疲れさまでした。
最後はちょっと駆け足だったかなと思いますが、偶然による勝利という演出として見るとたしかにこういう形になるのかなと思いました。
個人的には明日香ちゃん勝利ルートも見てみたかったですね。
素晴らしい作品をありがとうございました。
完結お疲れさまでしたー!
続きは夏に持ち越しになると思いきやまさかの唐突なバトル、そして決着。
明日香と絹田という厄介な分子を一気に排除することで当面の問題は一気に解消。
だが既に井村さんは教団に染まってラスボス化していた……! という映画的な展開。
とはいえさすがにちょっと展開がスピーディーすぎて驚きました。
次回作を楽しみにしています!
>皆様
ありがとうございましたー!
仰る通り、最後が駆け足で歪な構成になってしまいましたが、
話の筋を後編に色々と引っ張っても、この話で効果的に引き出せるMC的なエロさというのは
それほど多くならないかな、と思って、半年お待たせするか、話をブツっと切るか迷って
判断しました。
でももっと構成力や準備があれば、上手に盛り上げて満足いく着地に出来たでしょうから、
そこは反省しつつ、次作に生かします!
今回もお付き合い頂きまして、本当にありがとうございました。
永慶拝
作家さんを知ってからもう3年になりましたね。 毎年2回ずつ楽しみな私を見ています。どうぞよろしくお願いします。