第八章
よしっ、そのままこっちに来て・・・。
そこでクルッとターン。そうだ、綺麗だよ、美紀。いいよ、微笑んで・・・うん、素敵だ。純白のウェディングドレス。君に城のドレスがこんなに似合うなんて知らなかった。
床に座ってご覧。・・・そう。
僕が「はい」って言ったら、君はいつもの美紀に戻る。でも動けないんだ。笑顔もそのままだよ。そのままで僕の話を聞くんだ。
はいっ。
美紀、僕の話ももうすぐ終わる。もうすぐ添島のヤツが来る。それまで僕の話を聞いててくれ。もうすぐ決着がつくからね。待ってるんだよ。
「あ、あかん、あかん。もうこんな時間やちゃ。早うせな」
叔母が慌てる。残念だけどそろそろスイッチを押す時が来たようだ。僕は深い溜息をついた。
「信ちゃん、どしたん?溜息なんかついて・・・」
食器を片づけながらコタツを出ようとしていた叔母が心配そうに問いかける。真純が目をパチクリさせる。
「叔母さん、真純ちゃん・・・ちょっと聞いて」
「えっ?」
二人が顔を見合わせる。
「何?信ちゃん」
叔母が膝立ちのまま尋ねる。僕は背中がゾクゾクしてきた。二人が僕を見つめる。体格こそ違うが二人はよく似ている。頭が小さくて顔の造作が小作り、色白で、今は髪を下ろしているが富士額が綺麗だ。まあ、日本美人の部類だろう。二人の目がいぶかしそうに僕を見つめる。僕はスイッチを押した。
「てんかん小僧」
「エッ?」
二人が聞き返す。その時、叔母の痙攣が始まった。痙攣というか・・・頭が細かく小刻みに震え出したんだ。 「あっ」と驚いて叔母に手を伸ばした真純の頭も震え出した。叔母が手に持っていたドンブリが叔母の手から落ちる。僕は危うく空中でドンブリを受け止めた。
十秒?・・・いや、そんなにも長くないかも知れない。叔母が静かに横に倒れていく。頭の震えはもう止まっていた。手はドンブリを持った形のまま膝立ちの姿勢を壊さずに倒れた。真純も手を伸ばしかけたまま固まっている。
あの日、叔母と真純がどういう風に僕に奉仕したかを詳しく言ってもしょうがないね。でもスイッチを押して二人が凍り付き、僕の物・・・僕の「所有物」になった途端に、それまで僕の心の片隅にあった逡巡が霧散したんだ。
それから十日間ほど、父が僕を迎えに来るまでの間、そう正月休みの間、二人は僕の物だった。
僕は二人を放し飼いにしていた。彼女達は僕が二人のマスターだという事を知らずに、3人で年末の大掃除をし、紅白を楽しみ、年越しそばを食べ、晴れ着に着替えて初詣をした。
僕は、その間、大した悪さをしたわけじゃない。スイッチを握っているというそうした状況を楽しんでいただけだ。勿論、時々、中学生らしいイタズラをしてはみたけれど、僕は二人のことが好きだったし、必要以上に彼女達を辱めたいとは思っていなかった。・・・あぁ、そりゃ当然、抱くことは抱いたけどね・・・随分と。それはしょうがないよ。SEXを覚えたばかりの少年に、あの状況下でSEXを我慢しろっていう方が無理だ。
二人とも日本的な美人だったし、頭が小さく「撫で肩・鳩胸」の和服体型だったから晴れ着姿は素敵だったよ。等身大の日本人形として部屋の隅に飾って置いて、それだけで僕は十分に楽しめた。
後、何をやったかなぁ・・・いろいろやってみたけれど。そうそう、真純が僕に対してイタズラをするように仕向けてみた。あれは結構ドキドキした。勿論、僕の書いたストーリーに沿ってだけれど、真純自身の性的な興味・・・性欲といった方がいいのかも知れないけれど・・・を引き出すように仕向けたんだ。
その暗示というのは、眠っている僕に対して強烈な性欲を感じるようにしたんだ。
テレビの年越しのライブももう終わりに近づいた頃。叔母はもう寝ている。咳をする僕。
「風邪?早く寝た方がエエよ、信ちゃん」
「うん、大丈夫」
「大丈夫と違うっ、受験生やのに・・・。私かてうつされたら困るっちゃ」
真純が薬を持ってきた。風邪薬が見つからないので睡眠薬で代用する・・・という暗示をかけてある。風邪には十分な睡眠だもんね。真純は叔母の薬箱から睡眠薬を盗んできたつもりになっている。叔母を起こさないようにそっと忍び込んだのだろう。彼女のドキドキと打つ鼓動が聞こえそうだ。顔が上気している。勿論、彼女が持ってきたのはただの栄養剤だし、叔母は絶対に眼を覚まさない。
「これ、飲みっ。・・・はい、水」
僕がその睡眠薬を風邪薬だと信じて飲み込む様を真純が見つめている。ちょっと目つきが真剣すぎる。僕は楽しくなってきた。
「どうしたの?」
「え?・・・いや、何でも無いちゃ」
真純が慌ててテレビを見る。
「この薬、苦い・・・」
「そ、そんな事、ない筈やよ・・・い、いつも私も飲んでる薬やし」
真純の慌てる様を楽しむ。テレビを見る振りをして真純の様子を窺う。真純もテレビを見る振りをして僕の様子を窺っている。
僕があくびをする。
「早う寝まっし、信ちゃん」
「うん、なんか眠くなってきた。・・・サザンが終わるまで見・・・たいんだ」
サザンの歌の途中から僕はウトウトし始める。真純が息を止めて僕の様子を窺っている気配がする。
「信ちゃん、信ちゃん。こんなトコで寝たらアカンよ。風邪気味やのに」
ある種のアリバイなのだろう、真純の大きな声。目をつむったまま「う、うぅん」とうなずいて見せる。
「信ちゃんたらぁ、アカンて・・・」
真純が手を伸ばして僕の肩を揺する。コタツの中で僕の足を蹴飛ばす。
「はい、部屋に行くで・・・信ちゃん」
コタツを出た真純が僕の腕を掴んでコタツから出して立たせようとする。強引に僕を揺する。殊更に乱暴だ。 コップの水がこぼれ床を濡らす。
「あっ、信ちゃん、・・・コラッ」
真純が慌てて布巾で床を拭こうとする。僕は支えを失って仰向けに倒れ頭をゴチンと床にぶつけてみせる。
「キャッ、大丈夫?」
僕のトレーナーとジャージのパンツが零れた水で濡れる。
「あぁあ、・・・もう」
真純が僕の脇に腕を入れ強引に立たせる。半分寝ている僕はフラフラとしながら立ち上がる。真純が抱き留める。真純に抱かれるようにしながら自分の部屋に戻る。真純の息が荒いのは興奮か・・・それとも重さに耐えているのか?
眠った僕に対して強烈な性欲を感じるように暗示してある、真純は耐えられるだろうか?
真純に抱えられてベッドに倒れ込む。
「あぁあ、お尻も背中もビショ濡れやちゃ」
真純の独り言。うつぶせに倒れている僕の背中をそっと触る。・・・それから尻。
「信ちゃん、このままやったら本当に風邪ひくで・・・起きてっ、信ちゃん」
僕の背中に手を当て乱暴に揺する。
「信ちゃんっ」
揺する手の勢いが段々落ちて撫でるようになっていく。
「信ちゃん・・・か、風邪ひくちゃ」
声も囁くように小さくなる。手が止まり真純の荒い呼吸だけが僕の耳に届く。強烈な性欲・・・・真純、暗示に抵抗してみろ。
真純の呼吸が僕の耳に近づく。
「信ちゃん・・・信ちゃん・・・起きまし」
耳元で囁く。僕は静かな寝息を立ててみせる。
「着替えなアカン・・・信ちゃん」
真純の手が僕のトレーナーに裾から忍び入る。ひんやりと冷たい真純の手が僕の背中に置かれる。気持ちが良い。僕はギンギンに勃起している。
「パジャマに着替えよ・・・信ちゃん」
真純はそう言うと僕のトレーナーを脱がせにかかった。トレーナーの手首を引っ張り腕を抜く。僕の二の腕を掴む真純の手が気持ちが良い。両手を抜き終わると頭を抜き取るために真純が僕の片足を掴んで強引に僕を仰向けにした。僕の頭を胸に抱くようにしてトレーナーを抜き去る。そのまま僕を抱きかかえるようにして上体を起こさせる。僕は起こした上体を彼女に預ける。真純は殆ど乱暴といって良い勢いで脱ぎ捨ててあった僕のパジャマを僕に着せると、又、僕をベッドに横たえる。
「しょうがないなぁ」
真純が溜息をつきながら大きな声で呟く。大きく息をつくと僕のジャージのパンツに手をかけ脱がし始める。・・・と、僕の勃起に気がついたようだ。慌てて手を離す。呼吸を飲み込んでいる。
「信ちゃん、信ちゃん、起きましっ、信ちゃん」
パジャマのボタンは止まっていない。僕の裸の胸に手を置き揺する。
「信ちゃん」
僕は小さないびきをかいてみせる。
「信ちゃん」
真純が僕の名を呼びながら胸を揺する。僕はカクンと頭を横に倒してみせる。
「信ちゃん」
真純の中指が僕の乳首を探る。
人差し指と中指が僕の乳首をつまむ。手が静かに腹に降りていく。
「信ちゃ・・・」
真純が溜息のような声で僕の名を囁く。小指が臍に入る。真純の五本の指が順番に僕の臍の中を探っていく。親指が臍に入ったとき小指が僕の怒張の先端に達し、そこで手が止まる。
真純が自分の中に沸き上がってくる性欲と戦っている様が息づかいから伝わってくる。僕が想像した通りに進んでいるのに真純の緊張が僕に伝わり僕もドキドキする。
突然、真純が乱暴に僕のジャージを取り去る。パンツの中の怒張が引っかかって痛い。下半身がパンツ一つで剥き出しになった。真純は立ち上がって僕を見下ろしているようだ。
真純が僕の靴下を脱がす。僕の足裏がそっと真純の胸の膨らみに押しつけられた。そのまま真純の手が伸びて僕の太股を撫でる。僕の弛緩した筋肉を探るように真純の指が動く。
足が静かに下ろされると僕のスネに真純の頬が押し当てられた。両手は僕の太股をまさぐっている。膝の内側に唇がそっと押しつけられ、両手の指が僕の怒張に添えられる。うぅっ、破裂しそうだ。僕は「ううん」と声を上げチョットだけ動いて見せる。真純がギクッとして体を離す。思いっきり驚かせてしまったみたいだ。可哀想に真純は30秒くらい凍り付いていた。
真純が息をひそめて僕の頭の方に回る。呼吸が当たるほど顔が近い。真純がそっと僕の鼻を触る。僕は動かない。鼻がつままれた。僕は呼吸を数秒止めてから、そっと口を開き呼吸をする。
真純の呼吸が静かに近づいてくる。そして僕の唇は柔らかく少し震えている真純の唇に塞がれた。意外に冷たい唇の感触・・・。真純の手がそっと胸に置かれる。脇の下から胸の筋肉を辿る。真純は筋肉が好きみたいだ。もっと鍛えておけば良かった。
今、突然、「わっ」と言って目を開けたら真純はどうするだろう?腰を抜かすだろうな。突然、真純に抱きついたらどうなるだろう?ひょっとしたら気を失ってしまうかも知れない。暗示により増幅された女子高生の性欲はどんなモノなのだろう。・・・もっと待ったら真純は何をするだろうか?どこまで行ってしまうのだろうか?
真純の唇が僕の下唇を柔らかくくわえる。手が腹筋をなぞる。
真純の唇が僕の瞼に押しつけられる。舌が瞼を割り軽く眼球に触れる。僕は静かな呼吸を維持するのが難しくなってきた。
真純の手がトランクスの縁にかかる。真純が僕の顔に深い溜息を吐きかける。歯磨きの軽い匂いが僕の顔を包む。
手は止まっている。ジッと僕の顔を見つめているようだ。
ヨシッ、驚かせてやろう。
僕は一つ大きく息をのんだ。「ワッ」と声を上げようとしたその瞬間、僕の頬に熱い滴がポタッと落ちた。・・・涙だ。その「熱さ」に僕は「凍り」ついた。・・・もう一つ、ポタッ。熱い。真純の鼻が鳴った。泣いているらしい。真純の立ち上がる気配がして凍りついた僕に優しく布団を掛けると真純は部屋を出ていった。
それだけだよ。その日、そう元旦の朝、僕は久しぶりに自分自身で自分を慰めた。
1月の6日に父が来て、その週末を金沢で過ごし、そして僕は父と一緒に金沢を去った。
東京に戻った僕は完全に普通の中学生になった。金沢での強烈な性体験は、いびつで強い性欲を植え付けてはいたけれど、その年代の少年は、皆、持て余すほどの性衝動を内に秘めている・・・それは僕だけじゃない。僕は性欲を一生懸命隠す普通の少年に戻ったんだ。
それともっと大事なことは僕が「波動砲」を失ってしまったことだ。今、思えば変な話だけれど、僕は東京に帰ってから随分と長い間、「波動砲」を失ったことに気がつかなかった。
真純と叔母を操ったという不思議な「現象」の記憶は強烈だったけれど、そしてそれ故に性欲の解消が出来ずに夜中に身もだえる程の性欲に苦しんだりしたけれど、不思議なことに、そのきっかけとなった波動砲の存在を僕は思い出せなかった。まぁ「他人を操ることができる」現象などというモノはないのが当たり前で、その「現象」が生じなくなった事自体には疑問も生じなかったし当たり前に戻ったという位に感じていたのだと思う。
あぁ、それから、その後、叔母は予定通り農協病院の医師(先方も二度目だったけど)と再婚。真純は北海道の大学に進学した後、コロラド州に留学した。
叔母の結婚、高校3年の時の父の葬儀、そして僕の交通事故の見舞いに来てくれた時に叔母とは顔を合わせたけれど、真純とは一度も会っていない。父が死んだ後、親族との交流などということに無頓着な僕は叔母たちとも随分と疎遠になってしまった。連絡もないところを見ると真純はまだ独身なのだろうか?
東京に戻って一年もしてからだろうか、過去の記憶を「おかず」にして性欲を処理していたときに、記憶の中に「波動砲」が蘇ったのは・・・。
思い返してみれば、僕は殆ど「波動砲」を意図的に扱った記憶がない。強いて思い出せば野杖医師のマンションで佐伯看護婦とレイに対して放った「波動砲」、あるいは祖父に対して放った「波動砲」が「意図的」と言えるだろうか?
「波動砲」は僕にとって殆ど生理的現象、そう「げっぷ」や「しゃっくり」と同じような生理的な身体反応の一つで意図的に発するようなモノではなかった。《てん》の性欲がコントロール不能になった時に生じる身体反応が「波動砲」だったんだ。
「波動砲」が記憶に蘇った日の晩、僕はベッドの上に起きあがって「意図的」に「波動砲」を発射してみようと試みた。全身の筋肉に身体が震えるほどに力を入れ頭が震え出すのを待つ。そして口を開けて声の出ない叫びを上げる。・・・出なかった。何遍トライしても出なかった。そして僕は「波動砲」が「現象」ではなく「能力」であり、僕がその「能力」を失ったことに初めて気がついたんだ。
その事に気がついて始めて、記憶の中に封じ込められていた金沢での生活がどんなに不思議で貴重なモノであったのかを痛感した。
東京に帰ってからの僕は、ごく普通の、いや、むしろ非常に真面目で禁欲的な中学生であり、高校生だった。僕は《シンイチ》の「真面目な努力家」「世間体を気にする好人物」という性格を引き継いでいたし、《てん》の「苦痛に対しての感受性の低さ」も引き継いでいた。「勉強」「練習」を厭わない僕は自然と「文武両道の優秀なアスリート」という評価を他に認めさせていった。
僕はS大付属高校に優秀な成績で合格し、決して全国的には有名ではなかった陸上部を率いて高校駅伝に上位入賞するまでにした。この辺は君はもうよく知っていると思う。僕の陸上履歴が語られるときにいつも引き合いに出される「高校駅伝・伝説の20人抜き」さ。高校2年の時の1万メートルの高校記録は僕自身が大学2年の時に破るまで日本記録でもあった。
高校3年の時に父を事故で失った僕は、母の死の時と異なり不思議と何の感慨も抱かなかったね、特待生としてS大に進学し一層陸上にのめり込んだ。
TBCの取材リポーターとして新人アナウンサーの君が僕の前に現れたのは僕が大学3年の秋、
そう僕のマラソンデビューの年だったね。
その夏の仙台マラソン、あまりメジャーとは言えないこのマラソンで僕はマラソンデビューした。デビューマラソンで世界歴代8位の記録を出して優勝した僕は一躍有名人になっていた。そこで仙台マラソンのネットワークを担当したTBCが優勝者である僕をフォローするための企画を起こして君を送り込んだんだ。
美紀、初めて会った時の君は本当に魅力的だった。短大を出て一年目の君は僕と同じ年の筈なのに初々しくて、ずっと年下のような気がしたモノだ。でもその初々しさの中に垣間見せる視線、あれは新人アナウンサーの気負いだったのかも知れないけれど、僕は君の視線に「野心」の彩り・・・野杖医師の視線にあったのと同じ、野心の彩りを感じた。あの視線が僕を恋に落としたんだ。
それからの3年間が僕にとっての最高の時だったのかも知れない。記録の更新、君との愛の進展、僕たちは写真週刊誌の目を恐れて秘密に、今思えばあんなにこそこそする必要は無かったのかも知れないけれど、二人で隠された交際を楽しんだよね。
そしてあの事故。
あの事故のせいで全てが無茶苦茶になってしまった。走ることに焦点を置いた生活を本格的に始めた矢先に僕は事故に遭い、そして左足を失った。
思い描いていた漠然とした未来は失ってみて初めて、どんなに足掻いても到達できない未来だと気づいてみて初めて、自分が内心どんなに思い焦がれていた未来だったのか気づくんだ。
絶望の淵にたたき落とされた僕を、病院のベッドで励まし支えてくれたのが、美紀、君だ。本当に感謝、今でも感謝している。病院で意識を取り戻し、身動きできないまま、そう、左足の膝から下を失った事に気が付いていない僕を、将来の夢を、怪我を治してマラソンに復帰する夢を語る僕を何も言わずに微笑んで、悲しそうに微笑んで優しく抱きしめてくれたのが君だった。そう今、君が浮かべているその微笑みは、あの時、僕一人の物だったんだ。
・・・・美紀・・・。
美紀、君のその微笑みが僕以外の奴に向けられる日が来るなんて考えもしなかった。しかも添島・・・あんな奴に・・・クソッ・・・君も何だって、あんな・・・あいつが只の野球馬鹿のプレイボーイだって事は君だって、クソッ、ガァァァァァ・・・クソッ。
[編集部注:この後暫く、ものを投げつけ叫ぶ声]
あいつとの噂を報じる週刊誌を僕は病院のベッドで見た。最初は信じていなかった。取材旅行があるから暫く見舞いに来れないという君の言葉を信じて僕は待っていた。
・・・・でも、でも君は現れなかった。二度と・・・。
片足と君を失った僕は・・・片足と君、それが僕の生きていく上での拠り所だったんだからね、その両方を失った僕は殆ど廃人だった。退院した僕は君も知っているあの下丸子のアパートで惚けたように時を過ごした。三日に一度ほど弁当を買いに行く他は表にも出ず缶ビールだけで生きていた。病院から指定された義足のリハビリにも参加せず、ビールだけを飲みながら、僕は懊悩し苦悶して七転八倒した。
そしてその時、君を失った痛みに悶え苦しみ、泣き、呻き、叫びながら10年ぶりに僕は波動砲を取り戻したんだ。悲しみと怒りに震えながら僕の口から飛び出した苦悶のうめきが壁に掛けていた表彰状(過去の栄光)を入れた額縁を砕いた。僕は波動砲を取り戻した。
「あ゛っ」
テーブルの上の空き缶が壁まですっ飛び大きな音を立てる。
「あ゛っ」
食器棚のガラス扉が砕け散る。
「あ゛~」
天井の蛍光灯がきらめくガラス片になって僕の上に降り注ぐ。
僕は窓から下の通りを覗き見ると通行人に狙いを定め音のない叫びをぶつけてみる。
「あ゛~っ」
下の道路を歩いていた爺さんが尻餅をつく。ちょっと遠すぎたようだ。急に倒れた爺さんに通行人が気が付き助け起こしている。息をあらげた爺さんが助け起こされよろよろと遠ざかっていく。
窓の真下を歩いているベビーカーを押している若い母親・・・。これなら届くだろう。僕は口を細めて鋭く強く波動砲を打ち出す。
「お゛ぉっ」
母親は一瞬硬直すると膝から折れるように崩れ落ちる。ベビーカーが倒れ2才くらいの子供が大声で泣き叫ぶ。通りかかった軽自動車から中年の女性と中学生くらいの少女が飛び出してくる。中年の女性がベビーカーを起こし幼児を抱き上げて少女に渡す。倒れている母親に近づき声をかけている。母親の意識はないようだ。
「お゛ぉっ」
僕は少女に向けて波動砲を放つ。赤ん坊を抱いたまま少女が崩れ落ちる。倒れた母親に声をかけていた女性が少女が倒れたのに気づき悲鳴を放つ。凄まじい悲鳴。遠くから駆けつけてくる人が居る。このアパートの窓のいくつかからも人が覗き始めたようだ。
僕は窓からそっと離れるとベッドの上に仰向けに転がると笑った。3ヶ月ぶりの笑い・・・笑いが止まらない。・・・遠くから救急車の音が聞こえる。
金沢での記憶が急速に蘇る。
波動砲・・・僕は人を操ることができる。
最初に餌食になったのは生命保険の外交の女性だった。僕は「波動砲」を試してみたかっただけだから誰でも良かったのだけれど、まぁその日の彼女の運勢は最悪だったのだろう。
チャイムがなったので扉を開くと紺色のスーツを着た30歳くらいの女性がびっくりしたような顔で立っている。平日の昼下がりだから家庭にいるのは主婦だろうと勝手に思い込んでいたようだ。代わりに顔を出したのが無精ひげだらけの若い男。
「こんにちは。丸井生命の信川朋美です。本日は私どもの新しい保険のご説明をさせていただきたくて参りました。」
一生懸命作った笑顔を顔に貼り付けている。
僕は微笑んで彼女を玄関に招き入れた。
その日は彼女で波動砲を練習した。散らかっていた部屋の片付けをさせ、掃除機をかけさせ床を拭かせ便所をきれいにして風呂を磨かせる。
溜まった汚れ物を洗濯させ買い物に行かせ料理を作らせた。
久しぶりの風呂、久しぶりのまともな食事。非常に気持ちが良い。彼女の得意料理だという「チンジャオロース」を食べている僕の横に裸の彼女が立っている。おまえは食後のデザートだ。ビールのグラスを彼女の乳房に当ててやる。
「乾杯!」
信川朋美が「乾杯」と応える。
暫くの間、この蘇った力を試すのに僕は有頂天になった。ガスの集金のおっさん、聖書を売りに来た母娘。出前を届けに来た蕎麦屋のアルバイトの兄ちゃん。僕の家を訪ねた全ての人間が標的になった。
この力を駆使して美紀を、おまえを、添島の手から取り戻す。あまり時間はなかった。早く体力を取り戻さなくては・・・。
そんな時に僕の前に現れたのが平沢みどりだ。
君も知っているだろう。ホラ、オリンピックのフィギュアスケートの選手からスポーツライターに転進した女さ。サッカー選手のドキュメンタリーを色仕掛けでモノにしたって一時期騒がれていた女さ。あいつが僕に目をつけたのさ。
交通事故で片足を失った哀れなアスリート。
過去の栄光を忘れられずに絶望の淵に佇む男。
彼女にとって見れば良いテーマだったんだろう。だけどタイミングが悪かった。僕が波動砲を取り戻した直後だったんだ。
「お久しぶり。ごめんなさいね、突然、電話して押しかけて・・・。迷惑だった?」
みどりは僕が招じ入れるままに靴を脱いだ。失礼にならない程度にキョロキョロとして部屋の様子を探っている。
「あぁ、その椅子使ってください。今、コーヒーでも淹れますから。」
「あら、私がやるわ。」
「大丈夫ですよ。座っててください。」
リビング兼寝室には二人がけのラブチェアとベッドがあるだけだ。ここ何日か波動砲の獲物たちに掃除をさせているので部屋は良く片付いていてかつてない程綺麗だ。
「義足はつけないの?」
僕が片足のまま松葉杖を使って動き回っているのを珍しそうに眺めている。
僕は何べんか彼女と一緒のパーティなんかに出たこともあって彼女とは顔見知りではあったけど決して親しかったわけじゃない。何の用だ?
「コーヒー運ぶの手伝ってくれますか?盆でモノを運ぶのは苦手でね。」
「えぇ、いいわよ。」
引き締まった身体をクリーム色のパンツスーツで包んでいる。ショートカットの髪先が軽やかにゆれる。現役時代の体型をキッチリと維持しているようだ。
「綺麗にしてるのね。どなたかに手伝ってもらっているの?」
「いや、何とか一人で暮らしてますよ。」
「ご両親を亡くされてるって聞いてたけど・・・」
「うん、天涯孤独。・・・って言うのは嘘。父方の叔母が居ますよ。それと従姉がいる、今は確かアメリカにいるけど。・・・ところで今日は何事ですか?」
「うん、実は私、スケート引退してから本を書いてるの?」
「もちろん知ってますよ。僕も入院中に読ませてもらった。よく売れてるらしいじゃないですか、おめでとう。」
次の本のテーマに僕を取り上げたいのだという。
天才ランナーの栄光と挫折・・・といったテーマなんだろう。彼女の言葉はほとんど頭に入っていなかった。僕は波動砲を発射するタイミングをうかがいながら彼女の良く動く口元とキラキラとした瞳を眺めていた。
病院で読んだ彼女の本は彼女の3作目「愛・コンタクト」だった。Jリーグの篠塚雅也がセリエAに渡ってからミラノのサイドバックのポジションを勝ち取るまでの苦難をドキュメント化した作品だ。
篠塚を描いたドキュメントというよりは篠塚との交流をエッセイ風にまとめた読み物ではあったけれど、それだけにサッカー界のプリンスと美貌が売り物の新進気鋭のスポーツライターの交流の裏話的な記述が人気を呼びベストセラーになっていた。
あぁ、美紀、君も商売柄、当然読んでいるよね。
その中で、自慢話にならないように気を使いながら彼女が自慢していたところによると、彼女の父親も母方の祖父も外交官で、母親にはオーストリアの血が半分入っているとの事だ。
みどり自身もクォーターらしい日本人離れした伸びやかな体躯をしており、確かにスケート選手時代はそのしなやかで長い手足が大きな武器になっていた気がする。
「でも東君が思ったより明るいんで安心した。」
東君?ヒガシ・クン?僕より3歳ほど年上のはずだが、それにしても随分と親しげじゃないか?もちろん悪い気持ちはしない。他とのこうした接し方も彼女の武器のひとつなんだろう。
「ドヨォンと落ち込んでると思った?」
「うん、だって・・・だって、東君、ずっと陸上選手として生活してきたわけでしょ。私もスケート選手として少女時代からスケートだけの生活を送ってきたから判るの。生活の目標は常に目前の大会。自分の意志で引退した私ですらそうなのだから突然その生活を断ち切られた東君の場合・・・」
その通りさ、ほんの三日前までの僕は、ただの植物のような存在だった。でも今は違う。明確な目標ができた。
「それに、・・・いい?・・・・私の調査では、あなた、高嶋美紀さんと交際してたでしょう?」
「エッ?」
「マスコミには全然出なかったけど私は確信してるわ。・・・その高嶋さんと添島さんの婚約発表。あなたの事故と関係があるのかは知らないけれど。」
僕の沈黙を彼女は困惑ととったようだ。心配げにゆがめられた形の美しい眉の下で大きな瞳が獲物を狙うかのように輝いている。僕の好きな野心的な瞳。
みどりは同情をこめた眼差しで僕に微笑んだ。秘密までつかんで圧倒的に有利なポジションにいる事を確信しているのだろう。でも違うよ。僕はカメラマンがシャッターチャンスを窺うように波動砲を放つ瞬間を待っているんだ。君の最も美しい瞬間を切り取れるように。
< 第九章へつづく >